a preliminary research on the manuscript of the gaṇḍa-vyūha brought to japan by ekai kawaguchi...

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837

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本の受入については、紙幅の都合上ここに記すことはできないが、

この写本を河口請来写本と同定する根拠を次に紹介しておきたい。

一九二八年に河口請来写本の全謄写本(泉本)を完成させる泉芳

(9)

環氏は、一九一○年の時点で、調査中の写本として河口請来の焚文

(Ⅲ)

写本『入法界品」の一○四葉裏を写真入りで紹介している。現在立

正大学図書館に所蔵されている写本の同箇所を目視によって確認す

ると、それが同論文に掲載された写本そのものであることが明らか

となる。また泉本には、河口請来写本の葉数が記されているが、そ

の葉番号もまた立正大学所蔵本と同一である。以上の点から立正大

学所蔵写本は、河口請来写本であるといえる。

このように、約半世紀にわたり所在不明であった焚文写本「入法

(Ⅲ)

界品」本が再発見された。既に指摘されているように、この写本を

底本とした鈴木本には脱文が認められる。このような脱文は底本で

ある河口請来写本に由来するものであろうか。以下に検証を行う。

本写本に関する本格的調査は、今後なされるべき課題であるが、ま

一九六○年のP.L・ヴァイディヤによる党文「入法界口聖三里島煙

[乞g])刊行の後、長谷岡一也氏は「蚕匡冨本の98‐く旨冨につ

いて」(一九六五年)において、ヴァイディヤ本と鈴木本とを対比し

その異同の調査を行い、鈴木本における脱文について指摘されてい

る。

ずは予備的調査の結果をここに報告しておきたい。

2.写本の検証

本稿では.同氏の指摘箇所についてヴァイディャ本ゞ鈴木本の他

に、泉本、そして立正大学図書館所蔵写本(本稿標題の河口慧海請

来写本をさす。以下、立正写本)の焚文『入法界口聖を調査し、諸

本間における経文の異同について検証する。これは、長谷岡氏が指

摘されたヴァイディャ本と鈴木本との間にみられる異同が、後者の

底本である河口写本に基づくものであるのかを調査するためである。

なお、鈴木本には一九三四年から一九三六年までの間に分冊で刊

行された初版本(普呂室陣国呂旦[乞謹‐韻]Ⅱ鈴木旧本)と、一九

四九年に刊行された改訂本(普呂画陣屋目目[ごお]Ⅱ鈴木新本)

の二種がある。一部ではあるものの、前者に於ける経文の脱落が後

者では補われ、結果として両者の間には若干の相違が存在する。こ

こでは両者を「鈴木旧本」と「鈴木新本」の二種に分けてとらえる。

以下、長谷岡氏が指摘されたヴァイディャ本と鈴木本との間にお

ける経文の異同箇所の中から六例を取り上げ、そこに泉本と立正写

本を加えて検証を行う。

(脳)

【ヴァイディヤ本}(富遂冨[らs届こ‐ご)

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ご斡曽忌迂薗暑冨琴や置昌響き具寺冴貝き鼠員旨と歌賃旦屋寺やご負亀周‐

用例一

838

立正大学ノミ崎図,!}館所蔵・河11烈海li#米雑文写本「ガンダ・ヴューハ」に関する】忌備的調介縦告(庄司史生)

尾増ミ冒営弓動ミ員ミ『ミ・曽早ミ麓迂昌暑鈎負ミも諌亀菖鋤員セロミq葛働ミ軍

胃壁昌一二百月昼,溌自甲冨号警句

ヴァィディャ本原注空三m◎ョ.雪ミミ…ミ§息一ミ.

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【泉本](泉[ご鴎留9,S])

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も苛員ミ賃毒琴旬慰画暑も負苛負冨マミ量目‐G負い負G負、こ‐こゐご負‐、動萱員.

号、ロミ貴蒜琴動戴国営八.ミ.Va⑱e負号ふ角葛廷動もQ、ざq、旬昌画曽

鈎負曽電綴目唇言動誌旬営亀営琴負・己ごぺご己寺童画畠・琴募や麓燭『曽

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号負ミミーミミ言誉自営己曽さ費旨ミ§§昌冒脅昌’一百月昼‐

Iの6

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泉本原注皇唾恩負云曽・号冒.曜弓・扇望〕・雪穴.扇写.

【立正写本一色訊農.E)

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ぎ旦琴酵負言動の負増員と款置旦旦ミさ負亀園兵ご園寄員葛電動言負旦呑口、ミミ早

ミ置き負曽自冒も目寓曾旨ミ動電§昌冒轡恩員一一百月己山困目‐

口座ごく画『の

・筆者注》立正写本では、写本の文字上に取り消し線が引かれ

ているc

【検証]

イタリックで示した箇所が、鈴木本(旧本Ⅱ新本)に欠けること

は、ヴァィディャ本がその脚注にて指示しており三里身四宮霊曾

閉巳)、また同箇所相当分がチベット訳と漢訳四本には見いだされる

ことは、長谷岡氏によって既に指摘されている(長谷岡ロ患印

(脚)

圏])。同氏は泉本、また当然のことながら立正写本の調査は行って

いない。そこで泉本を確認すると、鈴木本(旧本Ⅱ新本)に欠けて

いた箇所が見出される。また立正写本を確認すると、それは泉本と

ほぼ一致していることがわかる。すなわち、鈴木本に欠ける箇所は、

泉本と鈴木旧本との間で脱落してしまった可能性があり、それは鈴

木新本でも訂正されることはなかったと推定される。前記イタリッ

クの箇所の有無を基準として諸本を対比すると、ヴァイディャ本Ⅱ

泉本Ⅱ立正写本什鈴木旧本Ⅱ鈴木新本となる。

なお、泉本原注の(2)の略号Tは東京大学所蔵写本〈河u慧海

(鵬》

諭来、すなわち本稿でいう立正写本)、(3)の略号Kは京都大学所

(胴)

城本(榊光三郎諦来)を指す。

|(胴}一

【ヴァイディヤ本一言巴号四[ご史冒誤.g‐臆])

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用例二

839

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口]幽口Q四一四『ローく“

・筆者注諏鈴木新本荷旬は旧本では荷蔚である。

【泉本】(泉[這麗建設.やご)

望の庁のウ画一画く煙言‐穴①(こく四吋〔四一く四m“員]の四局“0め画い“【の。ロロく一○画『四口三一一

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【立正写本】色と農‐g)

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駒負暑毒曾G琴。ご博国めど鼠s誌負誌員《ごs||篇扇&口四百国自国ロ目置ヨ

ーく“

【検証】

この箇所についてヴァイディャ本は何ら指示していないが、長谷

岡氏はチベット訳と漢訳諸本を提示された上で、イタリックの部分

が鈴木本に欠くことを指摘される(長谷岡戸忠旬(圏)])。同氏はま

たヴァィディャ本に見られる芭画‐富里呂景g号冨く画が、鈴木本で

は両面目籾忌日g昏冨畠となっている点、またチベット訳と対比す

ると後者がそれと一致している点を指摘し、ヴァイディャ本と鈴木

本の「二本の長所を採って亘甲富里讐弓の愚幽日g‐号冨菌と訂正さ

れるべきであろう」(同)と提案される。

そこで泉本、立正写本を調査すると、鈴木本(旧本Ⅱ新本)では

欠けている箇所が両者には見出される。また先に長谷岡氏が提案さ

れた箇所は芭閉団扇急昌冨冨畠となっていることがわかる。この

箇所について、泉本は榊請来写本には異読があることを指摘されて

いるので、同箇所は写本間に混乱が見られるようである。

上記イタリックの箇所の有無を基準として諸本を比較すると、ヴァ

イディャ本Ⅱ泉本Ⅱ立正写本冊鈴木旧本Ⅱ鈴木新本となる。この例

も用例一と同様に、泉本と鈴木本との間に経文の脱落が生じたもの

と推察される。なお、経文の細部においては諸本間に混乱が見られ

るといえる。

840

立正大学大崎IxI需館所蔵・河口慧海請来楚文写本『ガンダ・ヴューハjに関する予備的調従報告 (庄司史生

・も『営畠苫。ご嵩寓弄ミ亀寄○吋ミ電電.さ‐言河岸‐吾.

【立正写本一合お巴‐里

{ヴァイディヤ本】之巴号煙[らs底含‐巴)

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ロ煙『房胃煙ミ‐黛旦員訪早ご負、葛ロミミ働号負目畳も、負《働営qご忌一

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【鈴木旧本朴鈴木新本](曾園匡蚕陣匡圃匡目[ら豊山Qらち扇巴‐巴)

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く①笛‐園1薗国ミ‐置号ざとQ、誌員ミミミ、Q葡曽も、s9昌雲ミ

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・筆者注華鈴木旧本はミ‐昌昏ざ‐ごミ首息ミミミs曽冒sq誌目員

目高且副島雪厚ごミ尋一喝§負喧Q冨負を欠く。

【泉本】(泉[ら鴎臼患‐巴)

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。〕煙彦C『ヨ一言‐くのの平口四二壷鋤局煙雲高‐賃亀負訪負,己宮司苫負eご葛画一、自尽働言

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泉本原注言‐蚤勇【‐》ミ.愚一‐愚ミ目ミミミミ穴‐員ミミ旨.

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斥侃三

言稲一副』

この用例も前例と同様に、ヴァィディヤ本は特に何ら指示されな

いが、長谷岡氏は鈴木本にはイタリックの箇所が脱落し、かつ相当

するチベット訳と漢訳諸本には見出されると指摘され、「この部分も

鈴木本には補足されねばならない」と述べておられる(長谷岡ロ忠切

(閉),(望)])。ただし、筆者が新旧二極の鈴木本を確認してみたとこ

ろ、脱文が見られるのは旧本のみであることがわかった。すなわち、

(鵬)

鈴木新本では既に脱文は「補充」されていたわけであるが、長谷岡

氏は補充前の鈴木旧本を用いていたらしく、先の如く指摘したもの

と考えられる。なお、同氏はこの他にヴァイディャ本と鈴木本に見

られる胃且‐烏曾を、チベット語訳と漢訳諸本の訳語に基づいて

盲『目‐く凋四と訂正せられる」と指摘され(長谷岡[己霞二忽)])、

それは妥当な判断と考えられるが、この箇所については泉本と立正

写本もまたヴァイディャ本、鈴木本と一致しており、この誤読は立

正写本まで遡るといえる。前記イタリックの箇所の有無を基準とし

て諸本を比較すると、ヴァィディャ本Ⅱ泉本Ⅱ立正写本Ⅱ鈴木旧本

朴鈴木新本となる。

(Ⅸ)

【ヴァイディヤ本】(く巴号煙[ら9厘題])

望昼〕言申昌)ロコウ三一画登邑ロ曽国四ヶ冨穴い巨侭罫冒ロ四吋竜①、四ヨ四口煙昏

【鈴木旧本朴鈴木新本一(普園匡重陣屋圃匡昌口麗産ごらち豊縄.鴎‐里])

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用例四

84

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【泉本一(泉[ら鵠紹匿‐巴)

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【立正写本]色紹g)

望冒冨‐急汽冒冨冒葛呂白煙9房狸昌司曽口胃篇留日9号

【検証】

ヴァイディャ本は言及していないものの、長谷岡氏は前記イタリッ

クの箇所(く舞日g厨と9房2)について、文法的に胃輯』⑥.で

なければならない」とした上で、ヴァイディヤ本ではそれが正しく

表記されていると指摘する(長谷岡ロ窟切(鼠)])。ただし、ここで

も同氏は鈴木旧本のみを参照されているようで、鈴木新本ではこの

誤りが訂正され、ヴァイディャ本と一致している。

泉本と立正本を確認すると両者は同一といえる。しかし両者をヴァ

イディャ本と対比すると、く言日与冨を女性形としない点で相違し

ている。この点において諸本を対比すると、泉本Ⅱ立正写本外鈴木

旧本廿鈴木新本Ⅱヴァイディャ本となり、鈴木旧本のみが特殊な読

みである。

【ヴァイディヤ本-2画昼冨匡漂”扇9,巴)

画胃巴く煙負3m四六○画噛昌命四の四国m甲の四『く巴.煙融さゴロp這出ケ三日匡諦琴⑯

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用例五

“年j垂一『

【鈴木旧本Ⅱ鈴木新本】(曾呂重陣屋目目[ら詮‐ぷらち&宝・侭‐圏])

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画ご萱ョ匡毒琴負ミg●三闇雰く甲急ョ○穴鈎自営頁胃再訂ロ国軍曾昌

【泉本】(泉[ら鶴訊g‐巴)

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ケoQ彦耐画耳く四0く一『ご○天“ぬロ【四三や行言四℃画琶四【ロー

【立正写本}Cs農‐ご

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す○・壷酎画庁ぐ“0く一【。○云鈎⑯で『四斤耐一彦凶で画望画『昌一

【調査・考察】

この箇所について、ヴァイディャ本は何も言及していない。長谷

岡氏は、イタリックの箇所について、業格を採る鈴木本の文法的誤

りがヴァイディャ本では、於格に正しく訂正されている、と指摘す

る(長谷岡ロ忠切(忠)])。

そこで泉本と立正写本とを格にすると前記の箇所は於格をとる点

で泉本と立正写本、そしてヴァイディャ本とが一致していることが

わかる。鈴木旧本Ⅱ鈴木新本は業格をとる点において他と異なるこ

とになる。すなわち、泉本Ⅱ立正写本Ⅱヴァイディャ本朴鈴木旧本

Ⅱ鈴木新本となる。

(副)

【ヴァイディヤ本}(く里島国[らg農念賠])

負己負G琴q駒早耳胃一淫三国ロ号三団日の冨国,く言堅平く巨口冨日

用例六

842

立正大学大崎図書館所蔵・河口慧海請来党文写本『ガンダ・ヴューハ』に関する予備的調査報告(庄司史生)

ヴァィディャ本や長谷岡氏が指摘するように、鈴木本の経文に脱

落が認められる。ただし、本稿にて検証を行った結果、鈴木本の底

本である泉本を確認すると、鈴木本に見られた脱文は認められない

(用例一、二)。さらに、立正写本を確認すると、泉本は立正写本を

ほぼ忠実に謄写していたことがわかる(全用例)。従って、本稿にお

本となるc

正する。

そこで泉本、立正写本を確認すると、両者はもとより各9国と

なっている。すなわち、長谷岡氏の指摘は、立正写本と一致したも

のである。泉本と鈴木本との間で誤読が生じたのであろうか。この

例によると、泉本Ⅱ立正写本外鈴木旧本Ⅱ鈴木新本Ⅱヴァイディャ

【鈴木旧本Ⅱ新本](曾圃匡画俸丘国匡ヨニご設いQこちら路‐巴)

Qごロ・琴画鈎早耳翼一禦三圃口四ヶ豆困ョ⑫冨国,三ョ堅甲くピロ冨日

【泉本](泉[ご鴎紹浅])

員・琴働己早冒胃一窯三田ロ四ケ三8日⑫訂国‐く言国面‐く竜ロゴ四日

【立正写本}色目畠)

員③寄画己早冒胃員三sご各三m四日異胃幽‐二日巴甲く望国富日

一調査・考察}

この例は、長谷岡氏がヴァイディャ本と鈴木本とが一致しながら

も共に訂正すべきと指摘する箇所である。同氏は、ヴァイディャ本

と鈴木本の前記豊号菌協を蔵・漢訳との対比によって号冨函と訂

3.おわりに

参考文献

泉芳瞭

[ご己]「焚語はなし草」「無誰燈」十五巻六号、四十六’四十九頁

ロ褐色。§§尽き、、[出版地不明]一四八八頁

庄司史生

同白S「河口慧海請来文献」「旅する本~立正大学所蔵河、慧海コレク

ション~」「立正大学大崎図書館今昔蔵普選」所収、立正大学

大崎図書館、東京

[曽巨]「立正大学図書館所蔵・河口慧海将来チベット語訳「八千煩般

若経」」「仏教学論集一二十八号、一’十六頁

玉代勢法雲

[乙呂]「党本華厳経の研究」「無蓋燈」十三巻五号、二’二十四頁

丹治昭義[ほか]訳

ロ忠と「さとりへの遍歴”華厳経入法界品」中央公論社、東京

長谷岡一也

[ご$]「く四画百本厩且甲ご三国について」「印度学仏教学研究」十三

いて、鈴木本中の脱文は写本に由来するものではなく、泉本と鈴木

本との間で生じたものであることが明らかとなった。すなわちそれ

は校訂本刊行時の編集作業上に生じた誤りである可能性が高い。編

集上生じたであろう誤植や脱文は他の刊行本にもしばしばみられる

ことであふ歩、「入法界品』に関しては、今回の写本の発見によって

(輿)

写本までテキストの読みを遡ることが可能となった。

本稿では、先学の研究により問題として指摘されていた若干の例

について検証を行ったのみである。再発見された本写本に基づく研

究は今後の課題としたい。

843

註*本稿は、日本印度学仏教学会第六十二回学術大会(平成二十三年九月

七日於龍谷大学)における「立正大学所蔵河口慧海旧蔵資料」と題

した口頭発表時の配布資料の一部に加筆・訂正を施したものである。

巻一号(五十二)I(五十五言頁

三里呂愚目.静弓g

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麺のmの画『○コヨの四コの六ユ一Fの画『コヨ函

(1)本写本は、ネパール紙、四十五×十二八m、全四○一(+二

葉から成る。一葉あたり七行が記され、プラチャリタネワール体で

筆写されている。

(2)立正大学図書館に所蔵されていた河口慧海旧蔵資料群の発見につ

いては、庄司言白巳、同[呂匡]、また嬰呂[9局]を参照。その

中、党文写本はここに紹介する。§§・ミ導画(完本)の他に、

静ミミさ旦昌言。きミミ(第五葉のみ)が存在する。前者は再発見であ

るが、後者は新発見である。後者の翻刻は馨呂[9局]に示した。

(3)鈴木本で用いられた写本は①吾の匡耳幽昌呉吾の冒冨一ン爵号

89のミ、②.③s①匡耳画qgS日耳己帰ロヨく①厨冒、④吾⑦囚マ

ーさs2月z農o昌一①、⑤g巴ご国go胃言弓○ごo与胃『巨昌胃『,

めど、⑥号⑦尋OS冒月『臣匡昌く①『のどである(普曽室陣屋目目

ご詮‐鼠(扇ぐ.らち)七・こ。この中、⑤が河口請来写本、⑥は榊請来

写本である。この写本⑤が、立正大学より発見されたわけである。

(4)諒亘旨[ご邑昌×‐×]参照。

(5)本写本に関する研究調査報告を最初になしたのは玉代勢法雲氏で

あろう。同氏は泉氏に先立つ一九○八年に本写本に関する調査報告

を行っている。その冒頭部で次のように述べている。「去る明治三十

六年五月河口慧海氏、印度尼波羅圃王より寄贈せられたる党本四十

一爽を将来せられたりき、偶ま吾人其の四十一爽の第四部なる華厳

経の党本を研究するの機会を得昨秋以来若々其の歩武を進めつ、あ

り、冊て今其の一端を記して以て普く江湖の指導を待たんとす」(玉

代勢ロg曹巴)。

(6)同書の序文(泉[ら腿]より)を転載すると以下のとおりである。

〔〕は引用者。

本番収むる所は華厳経入法界品に相当するガンダヴューハなり。

明治四十〔一九○七〕年九月玉代勢法雲故隈部慈明及予の三人は

当時河口慧海氏将来の覚本四十三炎中第四号なる本経と高楠順次

郎及南燦文雄両博士より借り受け謄写及其の研究を始めたり。さ

れど進捗遅々として一年有半を経て縄かに八十除頁を終わりしの

み。其の後玉代勢・隈部の両人は研究を廃するの止むなきに至り

予独力を以て之に当らざるべからざりしが故に兎もかく全部の謄

写をなし置けり。後大正三〔一九一四〕年六月京都帝国大学の蔵

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立正大学大崎図書館所蔵・河、懲海誌来掩文写本「ガンダ・ヴューハ」に関する予備的調森報告(庄司史生】

本を借り出し十二月に至り予の謄写本と比較を終れり。其の他本

普の八十六頁に至る間には榊亮三郎博士の自筆の謄写本によりて

校異を加へ、ベンドール出版のシクシャーサムッチャヤ引用の分、

渡辺海旭氏校訂の普賢行願讃は比較をなせり。尚ほ西蔵訳は谷大

蔵本により一応の対照をなし、今現に詳密に比較しつ、あり。さ

れど本経鈍本世界に現存せるものに尚ほ数部の対校すべきものあ

るが故にこの勝本は未定稿にして発表すべきものにあらず。

今故ありて若干部の勝写本を作成し同志の間に頒つ。さればこ

れを利用せらる、は固より学者の将椛に属すると、引用の場合は

必ず本郷よりする旨明記せられたく、無断転戦は学的良心に訴へ

て慎まれたきことを附言して世く。

昭和三〔一九二八〕年十二月

泉芳職

(7)泉本(泉ロ縄曽匡認])、鈴木本(普曽蚕陣亘菖目ら詮‐怠

(扇ぐ.こら)も.ごを参照。

(8)東京大学所蔵の河口請来。§§・蛋亀言今松篠目録」番号二九

番)は全四六四葉の別本である。

(9)泉[逼湧]の序文を参照。

(皿)「此に写真版にして出したのは、華厳経の焚箕中の一葉であって、

先年河口慧海氏が尿(マご波羅園王から寄贈を受けて帰った四十

一部の純焚の一つである。明治三十六〔一九○三〕年十二月それを

南峰先生と尚楠先生とで借り入られたのであるが、我々〔泉ロ縄巴

によれば泉芳珊、玉代勢法雲、隈部慈明の三人〕が取り調べにか、っ

たのは明治四十〔一九○七〕年十二月であった」(泉宮雪P急])。

〔〕は引用者による補足である。

(u)長谷岡[岳語]を参照。指摘内容は後述する。

(吃)和訳は丹治[届霞&鵠.崖‐且を参照。

(B)「房昼旨本が註記する如く、鈴木本では画g磐呉と百胃豆の間に

大斌の脱文(イタリック部分)が認められる。この相当文がチベッ

ト訳と漢訳四本には検出せられるから、この部分は鈴木本には補充

ある。華厳経の文献的、言語学的研究には必須の番である」。以上引

用中の下線は引用者による。

このように紹介されている普呂霞陣屋目且[ごお]における「補

充」箇所を調べてみると、以下の頁に「補充」が付きれていること

がわかる(普曽云俸一烏昌菖[sおる造函鱒己、蝉窒迄《め野己ご犀匡

唾啓一、」一『」四房』画、暮函垣暮轡庁一四劃房一○』応一四』《、」函岸一mm窪④庁』。『辛い』『侭“印

画。、])。

(旧)和訳は丹治ロ塞嘗巴隠‐巴を参照。

(釦)和訳は丹治ロ窓台路ご‘巴を参照。

(皿)和訳は丹治ロ宕舎望忌‐巴を参照。

(理)例えばよく知られているように「八千噸般若経」の場合、雄初の

校訂本であるミトラ本二八八八年刊行)での脱文が、続く荻原本

二九三二’三五年刊行)、そして両者を校合したヴァイディヤ本二

九六○年刊行)まで引き継がれてしまっている。

(羽)本経に関する科学研究費助成事業として「華厳経入法界品の文献

学的研究」(一九八九~九○年度、研究課題番号卵○一五一○○一

されなければならない」(長谷岡ロ温喫(認)])

(u)弓.……東京帝大蔵本(泉[ら鵠昌命巴)。

(喝)【.……京都帝大蔵本(泉[ご鵠邑お巴)。

(肥)和訳は丹治[喧童息霊.匡‐屋]を参照。

(”)和訳は丹治[ご童&己・己‐崖]を参照。

(略)「鈴木学術財団研究年報」一・ご語巻末に「財団法人鈴木学術財団刊

行図瞥目録ら霞・壁が付されている。同七頁の「改訂掩文華厳綴」

(Ⅱ普曽蚕陣国曽目[辱邑)紹介の記事に、改訂に際して「補充」

を付したことを記している。「掩文華厳経は四十華厳経即ち普贋行願

品の鈍本であり、新旧両華厳経の入法界品に当るものである。写本

は上掲の六種であるが、鈴木大拙、渡辺海旭、泉芳毅氏等の努力に

より、一九三四年、大谷大学からロ理曽揖畠文字六本校合の活版

本として出版された。ここに改訂版として一九四九年に刊行された

本智では、補充は頁の下部に記し、本文のその箇所には印を付して

84う

〈謝辞〉

本稿執筆に際し、立正大学悩報メディアセンター・大崎情報サービス

課(大崎図瞥館)にて貴並資料を閲覧・利用させていただきました。記

して謝意を表します。

一)、|‐華厳経の研究恥大乗仏教から密教へ」(一九九七~九九年度、

研究課題番号部○九四一○○一三)、「華厳経入法界品焚文原典の批

判的校訂と現代語訳にもとづく華厳経の新解釈」(二○○二~五年

度、研究課題番号二四五一○○二六)が行われており、本写本の

発見は当該研究においても有益な資料となると考えられる。

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