ソーシャル・アントレプレナー 教育・研究と実践...centre for social...

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昨年8月、バングラディシュの首都ダッカで グラミン銀行総裁ムハマド・ユヌス博士とお会 いした。ユヌス氏は、1940年チッタゴン生まれ。 米国バンダービルト大学で博士号を取得後、州 立大学で経済学を教授。1972年に帰国した後、 チッタゴン大学経済学部長なども務めた。1974 年に発生した大飢饉をきっかけに貧困者を救済 するためのマイクロ・ファイナンスを始め、 1983 年にグラミン銀行を創設している。同銀行をは じめとする多くのソーシャル・ビジネスを設立・運営し、「貧困のない世界」をつくるための 活動が世界的に認められ、2006年度ノーベル平和賞を受賞している。 ここ数年わが国においても、社会起業家、ソーシャル・ビジネス、ソーシャル・イノベー ションなどの言葉が注目を集めている。これらの用語の定義はさておき、ソーシャル・ビジ ネスの事例として、「かものはしプロジェクト」や「ビッグイシュー」がよく知られている。 前者は、カンボジアの貧しい農村の子どもたちを児童買春から守るための活動である。村の 女性たちにハンディクラフト製品をつくるための職業訓練を施して雇用を確保し、製作され た工芸品の販売を支援する。また児童を買春などから守るための孤児院への資金提供を行っ ている。日本のNPO法人のなかにIT部門を設立し、その収益をカンボジアでの事業資金の一部 としている。このプロジェクトは学生時代に東南アジアを旅行し、現地の悲惨な事情を知っ た一人の日本人女子学生によって開始された。後者はホームレスの人々の自立を助けるため にロンドンで開始されたものである。2003年以降日本でも展開され、大阪駅周辺などでもビッ グイシューという雑誌を販売しているホームレスの人々を見かけることが多くなった。ホー ムレスの人々だけに販売権を与え、販売価格の約50%を彼らの収益としている。 2008年4月経済産業省はソーシャル・ビジネスに関する研究会報告書を公表している。同 報告書によれば、ソーシャル・ビジネス(SB)とは、社会的課題をビジネスの手法を用いて 解決する事業であるとされる。SBはこれまでのボランティア活動とは異なり、ビジネス手法 を用いて収益を上げながら、社会的課題(貧困問題、環境保護、高齢者や障害者の介護・福 祉、教育問題、まちづくりなど)を解決してゆくものとされる。SBの特徴としては①社会性、 ②事業性、③革新性の3要素が上げられている。地域の社会的課題を解決するコミュニティ ビジネス(CB)と重なる部分が多いが、SBは地域に限定されないこと、事業性や革新性がCB 24 経営戦略研究科教授(経営戦略専攻) 定藤繁樹 ソーシャル・アントレプレナー 教育・研究と実践   (撮影:2008820左:ユヌス博士 右:筆者) (副 学 長)

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Page 1: ソーシャル・アントレプレナー 教育・研究と実践...Centre for Social Entrepreneurshipが開設されている。今後関西学院においても、人間福祉学

 昨年8月、バングラディシュの首都ダッカで

グラミン銀行総裁ムハマド・ユヌス博士とお会

いした。ユヌス氏は、1940年チッタゴン生まれ。

米国バンダービルト大学で博士号を取得後、州

立大学で経済学を教授。1972年に帰国した後、

チッタゴン大学経済学部長なども務めた。1974

年に発生した大飢饉をきっかけに貧困者を救済

するためのマイクロ・ファイナンスを始め、1983

年にグラミン銀行を創設している。同銀行をは

じめとする多くのソーシャル・ビジネスを設立・運営し、「貧困のない世界」をつくるための

活動が世界的に認められ、2006年度ノーベル平和賞を受賞している。

 ここ数年わが国においても、社会起業家、ソーシャル・ビジネス、ソーシャル・イノベー

ションなどの言葉が注目を集めている。これらの用語の定義はさておき、ソーシャル・ビジ

ネスの事例として、「かものはしプロジェクト」や「ビッグイシュー」がよく知られている。

前者は、カンボジアの貧しい農村の子どもたちを児童買春から守るための活動である。村の

女性たちにハンディクラフト製品をつくるための職業訓練を施して雇用を確保し、製作され

た工芸品の販売を支援する。また児童を買春などから守るための孤児院への資金提供を行っ

ている。日本のNPO法人のなかにIT部門を設立し、その収益をカンボジアでの事業資金の一部

としている。このプロジェクトは学生時代に東南アジアを旅行し、現地の悲惨な事情を知っ

た一人の日本人女子学生によって開始された。後者はホームレスの人々の自立を助けるため

にロンドンで開始されたものである。2003年以降日本でも展開され、大阪駅周辺などでもビッ

グイシューという雑誌を販売しているホームレスの人々を見かけることが多くなった。ホー

ムレスの人々だけに販売権を与え、販売価格の約50%を彼らの収益としている。

 2008年4月経済産業省はソーシャル・ビジネスに関する研究会報告書を公表している。同

報告書によれば、ソーシャル・ビジネス(SB)とは、社会的課題をビジネスの手法を用いて

解決する事業であるとされる。SBはこれまでのボランティア活動とは異なり、ビジネス手法

を用いて収益を上げながら、社会的課題(貧困問題、環境保護、高齢者や障害者の介護・福

祉、教育問題、まちづくりなど)を解決してゆくものとされる。SBの特徴としては①社会性、

②事業性、③革新性の3要素が上げられている。地域の社会的課題を解決するコミュニティ

ビジネス(CB)と重なる部分が多いが、SBは地域に限定されないこと、事業性や革新性がCB

24

経営戦略研究科教授(経営戦略専攻) 定 藤 繁 樹

ソーシャル・アントレプレナー    教育・研究と実践  

(撮影:2008年8月20日 左:ユヌス博士 右:筆者)

(副 学 長)

Page 2: ソーシャル・アントレプレナー 教育・研究と実践...Centre for Social Entrepreneurshipが開設されている。今後関西学院においても、人間福祉学

よりも高いものとされる。革新的なビジネス手法を用いることによって、収益性を確保しな

がら持続的に社会的なミッションを遂行する特徴がある。SBの担い手としては図1のような

範囲の組織が上げられ、一般企業のCSR活動なども含むものとされる。これらの企業・組織・

事業を立ち上げ運営する人たちをソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)と呼ぶこと

ができる。

 関西学院の創設者・W・R・

ランバス博士は、まさにソー

シャル・アントレプレナーの一

人である。博士は、神学者・伝

道者であり医師であった。1870

年代末に中国(清)・上海に渡り、

キリスト教を伝道するとともに

阿片患者を救うための診療所を

開設している。また1880年代に来日して西日本に多くの教育機関を設立した。その一つとし

て神戸・原田森に創設されたのが関西学院である(1889年)。ランバス博士は事業計画を策定

し、資金を調達しながら、教育事業を立ち上げ軌道に乗せていくのである。伝道者・教育者

であると同時に、まさにアントレプレナーである。そのランバス博士の遺志を継ぐべく2008

年本学に人間福祉学部が設立され、日本で初めての社会起業学科が開設された。今後、同学

科を中心にソーシャル・アントレプレナー教育・研究活動の本格化が期待されている。

 ソーシャル・アントレプレナー教育・研究・支援に目を向けると、我が国では東京工業大

学大学院や慶応大学、一橋大学などで先進的な取り組みが見られる。一方欧米では、ビジネ

ススクールなどの大学院での取り組みが注目される。ハーバード大学では、毎年3月にケネ

ディ行政大学院とビジネススクールが共同してSocial Enterprise Conferenceを開催している。

研究発表だけでなく、ビジネスプラン発表会を開催し、優秀な社会起業家の支援を行っている。

またオックスフォード大学サイード・ビジネス・スクール内に社会起業家精神を研究するSkoll

Centre for Social Entrepreneurshipが開設されている。今後関西学院においても、人間福祉学

部・社会起業学科を中核としながら、国内外の大学・大学院、行政、支援組織などと連携し

てソーシャル・アントレプレナー教育・研究を進める必要がある。またソーシャル・アント

レプレナーを支援する活動の展開が必須である。学院によって行われる種々の支援活動が

あってこそ、アントレプレナー教育と研究の進化をもたらすものと考える。「“Mastery for

Service”を体現する世界市民」育成のためにも、初等部はじめ付属校・継続校・協定校、同

窓会などと連携したオールKGの取り組みが必要である。欧米に見られるようにビジネス・ス

クール(本学IBA)での取り組みにも大きな期待がかかっている。

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出所:ソーシャル・エンタープライズp.15

図1