ハムレット第四独白の翻訳について - gunma...

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ハムレット第四独白の翻訳について 情報文化研究室 On Translation of Hamlet’ s Fourth Soliloquy Akimasa M INAM ITANI Information and Culture Abstract As an inquiry regarding the translation of the tragic in literary works,this essay takes the fourth soliloquy in Shakespeare’ s Hamlet as a case study for close semantic investigation and consideration of the Japanese translations to date. 『ハムレット』には,大小含めると独白が7つ―1.第1幕2場129-159(新国王のクローディア スたちが去った後で:O that this too too sullied flesh would melt, thaw and resolve into a dew...);2.第1幕5場92-112(亡霊が去った後で:O all you host of heaven! O earth! What else?...);3.第2幕2場522-580(役者たちが去った後で:Now I am alone./O what a rogueand peasant slave am I!...);4.第3幕1場56-88(王とポローニアスがハムレットの様子をのぞき見し ているところで:To be,or not to be,that is thequestion...);5.第3幕2場362-373(母親のとこ ろへ行く前に:’Tis now the very witching time of night...);6.第3幕3場73-96(祈るクロー ディアスを見ながら:Now might I do it pat, now ’ a is a-praying ...);7.第4幕4場32 -66(デン マークを通過するフォーティンブラスを見送った後で:How all occasions do inform against me, and spur my dull revenge...)―あり,それによって,読者/観客は,ハムレットの心中を知るこ とができるようになっているのだが,とりわけ第四独白は,「近代的人間」の誕生というものを感じさ せてくれる歴史的な声になっていると同時に,古今東西に通じる《青年》の声を代弁してもいるよう で,殊の外名高いものである。 『ハムレット』は,近世文学の古典の1つであり,時代ごとに新しい翻訳が生み出されていくであ 237 群馬大学社会情報学部研究論集 第15巻 237―257頁 2008

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Page 1: ハムレット第四独白の翻訳について - Gunma …...ハムレット第四独白の翻訳について 南 谷 覺 正 情報文化研究室 On Translation of Hamletʼs Fourth

ハムレット第四独白の翻訳について

南 谷 覺 正

情報文化研究室

On Translation of Hamlet’s Fourth Soliloquy

Akimasa MINAMITANI

Information and Culture

Abstract

As an inquiry regarding the translation of the tragic in literary works,this essay takes the

fourth soliloquy in Shakespeare’s Hamlet as a case study for close semantic investigation and

consideration of the Japanese translations to date.

『ハムレット』には,大小含めると独白が7つ― 1.第1幕2場129-159(新国王のクローディア

スたちが去った後で:O that this too too sullied flesh would melt, thaw and resolve into a

dew...);2.第1幕5場92-112(亡霊が去った後で:O all you host of heaven!O earth! What

else?...);3.第2幕2場522-580(役者たちが去った後で:Now I am alone./O what a rogue and

peasant slave am I!...);4.第3幕1場56-88(王とポローニアスがハムレットの様子をのぞき見し

ているところで:To be,or not to be,that is the question...);5.第3幕2場362-373(母親のとこ

ろへ行く前に:’Tis now the very witching time of night...);6.第3幕3場73-96(祈るクロー

ディアスを見ながら:Now might I do it pat,now’a is a-praying...);7.第4幕4場32-66(デン

マークを通過するフォーティンブラスを見送った後で:How all occasions do inform against me,

and spur my dull revenge...)― あり,それによって,読者/観客は,ハムレットの心中を知るこ

とができるようになっているのだが,とりわけ第四独白は,「近代的人間」の誕生というものを感じさ

せてくれる歴史的な声になっていると同時に,古今東西に通じる《青年》の声を代弁してもいるよう

で,殊の外名高いものである。

『ハムレット』は,近世文学の古典の1つであり,時代ごとに新しい翻訳が生み出されていくであ

237群馬大学社会情報学部研究論集 第15巻 237―257頁 2008

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ろうが,こうした折紙つきの作品については,翻訳者は,どのように解釈し,考え,訳語を選択した

かというプロセスを,実際の翻訳とともに― サイデンステッカーが Genji Daysを残したように

― 何らかの形で残しておけば,それは後の世代にとって貴重な資料になるはずである。もしそうした

ものがなければ,新しい世代は,前の世代が考えたり感じたことの正統性やその逆の限界に気づかぬ

ままに,脇へ逸れてしまったり,同じ轍を踏んだりする恐れが多分に出てくる。情報社会のモラルは,

よい情報は「墓場への道連れ」にしないということ,オープンな情報領域によきものを残し,次の世

代に伝えていくということであり,情報の前の平等によって近代の限界を乗り越えていくことであろ

う。一部のエリート的領域にのみ情報が局限されている社会から,その気さえあれば万人が優れた情

報にアクセスできる社会に移行しつつある今日,「沈黙」はけっして美徳にはならない。文学作品の作

者が,自分の意図について喋々するのは,そんなことができるような作品であれば大した文学でもあ

るまいから考えものであるにしても,重要作品の翻訳について訳者が自分の考えたプロセスを記して

おくことは,数学者が数学の定理の証明を残したり,船の設計士が船の設計図を残したりするのにも

似て不自然なことではなく,むしろその社会の翻訳能力を高めるための寄与として評価されるべきも

のである。

自身『ハムレット』の翻訳者の一人である福田恆存は,エッセイ「『ハムレット』の翻訳」の冒頭で,

「自分で翻訳したものについて,『あそこをあゝ訳したのはかういふ意図からだ』といふやうなことを

書くのは,どうもいゝ趣味とは思はれない。自慢話か弁解か,どちらかになる危険をまぬかれぬ」と

言っている。 確かに翻訳は,それ自体が訳者の解釈を,細部に至るまでありありと語ってくれるもの

であり,誤魔化しの利かないところが多いのであるが,そうでない場合も少なくない。訳者は非常に

多くのことを調べたり考えたりするのであるから,自慢や弁解とは別次元の心で,それを注釈の形で

でも残しておけば,次の時代の翻訳者が同じ問題に遭遇したときに必ず大きな手助けとなるはずであ

る。渡辺一夫が「知らぬが仏」に書いているようなことは,まさに貴重な情報であって,ラブレーの

翻訳の注釈に躊躇うことなく残すべきものである。

本論では,『ハムレット』第四独白について,テキストの註解,これまでの翻訳の吟味,訳語の選択

について考えたことを率直に記録してみた。こうした記録がシェイクスピアの全作品に備わっていれ

ば,次世代の訳者はもとより,読者も大いに助かるのではないかというサンプルとして意図したもの

である。

* * * * * *

HAMLET

⑴ To be,or not to be,that is the question:

⑵ Whether’tis nobler in the mind to suffer

⑶ The slings and arrows of outrageous fortune,

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Page 3: ハムレット第四独白の翻訳について - Gunma …...ハムレット第四独白の翻訳について 南 谷 覺 正 情報文化研究室 On Translation of Hamletʼs Fourth

⑷ Or to take arms against a sea of troubles

⑸ And by opposing end them?To die―to sleep,

⑹ No more;and by a sleep to say we end

⑺ The heart-ache and the thousand natural shocks

⑻ That flesh is heir to;’tis a consummation

⑼ Devoutly to be wish’d.To die,to sleep;

To sleep,perchance to dream―ay,there’s the rub:

For in that sleep of death what dreams may come,

When we have shuffled off this mortal coil,

Must give us pause―there’s the respect

That makes calamity of so long life.

For who would bear the whips and scorns of time,

Th’oppressor’s wrong,the proud man’s contumely,

The pangs of despis’d love,the law’s delay,

The insolence of office,and the spurns

That patient merit of th’unworthy takes,

When he himself might his quietus make

With a bare bodkin?who would fardels bear,

To grunt and sweat under a weary life,

But that the dread of something after death,

The undiscover’d country from whose bourn

No traveller returns,puzzles the will,

And makes us rather bear those ills we have

Than fly to others that we know not of?

Thus conscience does make cowards of us all,

And thus the native hue of resolution

Is sicklied o’er with the pale cast of thought,

And enterprises of great pith and moment

With this regard their currents turn awry

And lose the name of action.Soft you now,

The fair Ophelia!Nymph,in thy orisons

Be all my sins remember’d.

ハムレット第四独白の翻訳について 239

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⑴ To be,or not to be,that is the question:

“To be,or not to be”というのは,わずか5音節ながら含みの多いいわくつきの科白であって,日

本語では対応動詞のない “be”の翻訳に悩まされざるを得ない。福田訳「生か,死か」はぴったり5

音節で,最も簡潔な日本語訳と言えるであろう。ただし,beの意味を「存在する」に限定した訳なの

で深みに欠けるし,後続の,それをパラフレーズした部分との整合性が保ちにくい欠点がある。その

ために福田は,運命を甘受すべきか,運命に立ち向かうべきかを言った後で「いっそ死んでしまった

ほうが」として,煩悶に疲れて死を思うに至ったというふうな脈絡のつけ方をしている。しかしそれ

では,生か死かという二者択一の生の方に,さらに二者択一(運命を甘受して生きるか,運命と戦っ

て生きるか)があり,その煩悶に疲れて,もう一方の選択肢の死を夢見るということになり,やや強

引な解釈となってしまう。大場訳「在るか,それとも在らぬか」は,beの定訳を用いたもので,「それ

とも」を除けば,「在るか,在らぬか」の7音節であって,これも短く引き締まった訳になっている。

ただ日本語として意味が不明瞭で,不自然に感じられるきらいがある。逍遥訳「世に在る,世に在ら

ぬ」は,「世に」を補うことによって,生と死の暗示としているようだ。

小田島訳の「このままでいいのか,いけないのか」は,beの「そのままの状態を続ける」(O.E.D.

のbeの語義の4,“to remain or go on in its exiting condition”)という定義を採択したもので,文

脈上分かりやすく,かつ余分なものをそぎ落とした訳になっている。木下訳「このままにあっていい

のか,あってはいけないのか」も同じ方向性の訳であるが,「ある」を組み入れることによって,生と

死のニュアンスをも取り込もうとしている。ただその分長くなり簡潔性を犠牲にせざるを得ない。

松岡訳「生きてとどまるか,消えてなくなるか」は,「存在」と「現状維持」の2つの意味を表面に

訳出したもので,音声面でも口によくなじむよう配慮されている。曖昧で重層的な表現を翻訳すると

きは,1)原文と同じように曖昧で暗示的な日本語にとどめる,2)重層的な意味をできるだけ多く

表に出すように翻訳する,3)どれか1つの意味に絞って翻訳する,の選択肢があるが,松岡訳は2)

のカテゴリーに属するものと言えよう。

古のデンマークの,荒涼たる北の海に面した古城で呟かれ,それ自体が亡霊の囁きのようでもある,

歴史や人間の存在についての謎めいた旋律を,遠くから運んできてくれるような “To be, or not to

be”は,何とも茫漠としていて捉えにくく,深読みすればそれこそいろいろな含意の可能性が考えら

れるが,あまりそうしたところにまで解釈の根を広げても翻訳上はとても生かしきれるものではない。

文脈上の繫がりを第一に考えれば,その直後で,(a)“to suffer/The slings and arrows of outrageous

fortune/(b)Or to take arms against a sea of troubles/And by opposing end them?”と,To be,

or not to beと同じ構造で敷衍しているから,論理的に素直に考えれば,(a)が,to beに,(b)が,

not to beに対応していることになる。つまり,辛い運命を我慢強く忍ぶことが to be に相当すると

いうことになる。この観点からすると,「現状(運命)容認のままに在る」という,小田島,木下訳が

ふさわしいように見える。ハムレットは,第3幕2場で,ホレーショーに対し,“A man that Fortune’s

buffets and rewards/Hast ta’n with equal thanks”と,そうした生き方に言及しているし,また当

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時,「観想的生」と「行動的生」― 神の摂理と人間の自由意志― をめぐる神学絡みの論争が行われて

いたということを考慮に入れれば,ハムレットがそうしたhot issueを考えているというのはあり得

ないことではない。そうなるとnot to beは,「観想的生」の否定で,運命に逆らうことであり,自分

の意志で行動に打って出るという,形式上のnegativityとはうらはらの,能動的な決意を秘めた言葉

ということになるであろう。

しかし厄介なことに,独白のその後に続く展開を見ると,ハムレットは明らかに自分で自分の命を

絶つことについて考えており,“To be,or not to be”に「生きるべきか,死ぬべきか」という含みが

あることは否定できない。第一独白の “O that this too too sullied flesh would melt,/Thaw and

resolve itself into a dew,/Or that the Everlasting had not fix’d/His canon’gainst self-slaughter.

O God!O God!”という叫びとこの第四独白は明らかに共鳴している。「運命を忍んで受け入れる」

「生きる」,「運命を受け入れない」 「死ぬ」という連想が働いているとしなければ辻褄が合わない

ことになる。そういう解釈に立てば,“to take arms against a sea of troubles/And by opposing

end them”というのが,自分の中に巣くう運命の苦しみの根を絶つというニュアンスを帯びてくるわ

けで,翻訳の上では,外敵を撲滅するというだけのイメージに限定せず,それが自分の命を絶つとい

うことに通ずるような訳にする工夫が必要となってくる。

一方,原文の「流れ」から見てみると,“To be,or not to be”という雲のような象徴的表現の中か

ら,しだいに自死を考えているのではないかというイメージが朧に浮かび上ってくるという言葉の

《ドラマ》が在り,それは顕在化されているものではないが,文学の翻訳としては,最も尊重し保全

しなければならないものの1つである。すると「生か,死か」という形で冒頭に明示してしまうと,

手品の種明かしを最初にするようなもので,そうした《ドラマ》性がふ・い・にされてしまう。ここは翻

訳者が知恵を絞って苦しまなければならないところであるが,また翻訳の醍醐味はこういうところに

こそ見出されるべきものである。例えば,be動詞のequivalentを持つドイツ語訳においては,“Seyn

oder Nichtseyn”(Schlegel & Tieck)と,逐語訳的に処理できるのだが,それは翻訳上楽なことで

はあっても,原文のテクストに食い込むようなchallengeは持てない。統語法の違う日本語のような場

合にこそ翻訳の妙が存するわけで,創意ある翻訳表現の可能性を探る中に,意義深い言語的経験が持

てるのである。

またこの科白には,事を考え抜いた果てに到達した言葉という調子がある。いろいろ考えあぐねた

末に,“To be,or not to be”という決定的な岐路に立ち至ったということを自分に言い聞かせている

科白のようでもある。そうした思いつめたような思考形式は,青年に典型的であって,見方を変えれ

ば,「青年」という普遍的な魔が,ハムレットをこの非常に辛い隘路に誘導してきたという気味もある。

しかしいずれにせよ,この簡潔で余計なものが削ぎ落とされた言葉の姿は,ハムレットという青年武

人の姿と重なっている。その姿は,訳文にもどうしても持たせなければならないものであって,意味

を追うあまりに冗長でふやけたような訳文になってしまっては本末転倒というものである。

続く,“that is the question”は,上述したように,重大な岐路を前にして,そのどちらかを選択し

241ハムレット第四独白の翻訳について

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なければならないことを自分に言い聞かせている言葉である。直訳的な「それが問題だ」としても,

そうした自分に言い聞かせている調子は可能であり,小田島,大場,松岡,大山訳はそうなっている。

福田,逍遥訳は,「問題」に替えて「疑問」としている。ただ不幸にして「AかBか,それが問題だ」

は,日本ではふざけ半分のパロディーとして定着してしまっているし,また独白としては,日本語で

はやや不自然な表現になることもあり,今後の訳では避けた方がいいのかもしれない。

⑵ Whether’tis nobler in the mind to suffer

この部分は,先述したように⑴との対応関係がはっきりするようでなければなるまい。選択の基準

は,どちらの道が,noblerかというところに置かれており,ハムレットという人間の,「高貴な心」で

あらねばならぬという自意識がポイントになっている。’tisの itが仮主語であるから,真主語部分か

ら訳すと,「高貴な」という訳語は後ろに回る。しかしそれでは,ハムレットにとっての価値基準の最

たるものという重みが減じてしまう。またそれぞれにnobleをつけて訳すと,久米訳「無情な運命の矢

弾をうけても,心にぢつと堪らへるのが男子か。或は海の如き艱難を迎へ撃つて,戦つて根を断つが

男子か」のように同じ言葉を繰り返さなければならなくなり,かといって違う訳語に変えると,逍遥

訳「残忍な運命の矢や石投を,只管堪へ忍んでをるが男子の本意か,或は海なす艱難を逆へ撃って,

戦うて根を絶つが大丈夫の志か?」のように,紛らわしくなってしまう。

ちなみに,このnobleの意味をmanlyという意味に取るのは文脈上の通りはいいものの,肝腎なと

ころをぼかしてしまう恐れがある。ハムレットが狂ったと思ったオフィーリアは,“O,what a noble

mind is here o’erthrown!”“that noble and most sovereign reason/like sweet bells jangled out of

tune and harsh...”(3. 1. 152-160)と嘆いているし,ハムレットの高貴さということは,繰り返し

強調されている。ハムレット自身,そうした自負があるだけに,母親の淫蕩な血が自分の体内にも流

れていることがたまらないという気持ちから,自殺衝動に駆られているわけで,この部分でも,最後

の一線においては高貴でありたい,その高貴な人間のとるべき道はどちらなのかという,貴人ならで

はの切ないような煩悶が籠められている。

⑵の “in the mind”は noblerにではなく(それは redundantになる),sufferに係る副詞句と取る

のが妥当であろう。これまでの邦訳でもすべてそうなっている。ただなぜ in the mindを付加してい

るかと言えば,⑶The slings and arrows of outrageous fortune, が physicalなものではなく,心理

的な面でのものであることを意味していると同時に,行動に表すことなく,じっと心の中だけで苦し

みを堪え抜くということを強調するためであろう。これまでの邦訳中では,永川訳「心ひとつに」が

そのあたりの消息をうまく写し取っているように思われ,試訳にも取り入れさせて頂いた。福田訳で

は「じっと身を伏せ」が in the mindの意訳になっているのであろうが,隠忍のニュアンスをよく出

している。

242 南 谷 覺 正

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⑶ The slings and arrows of outrageous fortune,

“slings”は往古の戦争で使われていた石弓だが,ここではそれから放たれるmissile(石で,よく火

をつけて放たれた)のことである。これまでの邦訳の中で踏襲されている感のある「矢弾(玉)」とい

う訳語は,巧みで簡潔さでは優れているが,少し端折った感があり,slings and arrowsの生々しいイ

メージが薄れてしまっている。“outrageous”は,「何のいわれもないのに理不尽なまでに辛い目に遭

わせる」というほどの意味で,これまでの邦訳の中の「非道な」という訳が悪くないように思われる。

なぜ不義の人間がのさばり,そうでない人間が辛い目に遭わされるのかという問いかけを含んでいる

ように感じられるからである。“fortune”は,これまでの邦訳ですべて「運命」と訳されている。

⑷ Or to take arms against a sea of troubles

“a sea of troubles”は,俗世に生きているかぎり,troubleは尽きることなく無尽蔵に生起し,し

かも荒波となって次々にこちらに襲いかかってくるというイメージを伝える隠喩表現になっている。

と同時に,ハムレットは,それに武器(arms)を取って挑もうとしているわけで,相手は海であり水

であるのだから,風車に立ち向うドン・キホーテよろしくの滑稽さもdramatic ironyとして意図され

ていよう。独語では “eine See von Blagen”(Schlegel& Tieck)と同じ構造ですむようだが,日本

語の「艱難の海」(松岡和子訳)では「危難の海」のような意味に取られる恐れがなくもない。「海と

寄せくるもろもろの困難」(市川・松浦)とか「寄せくる怒濤の苦難」(小田島)など,苦心の訳と言

えようが,卑見では,逍遥が最初に打ち出した「海なす艱難」という訳が,簡潔にして意を体してい

るように思われる。

⑸ And by opposing end them?To die―to sleep,

“opposing”の opposeは,“to be adverse,to make opposition”(Schmidt)という自動詞用法で,

「逆らう」「立ち向う」の意。“end them”は,無論end a sea of troubles のことであるが,ここで

ハムレットの心に重くのしかかっているのは,言うまでもなく先王ハムレットの仇を討つことである

から,ここでは,現実にクローディアスを倒すことも想定されているに違いない。しかし復讐の大義

を支えるものは,幽霊が彼にそう告げたという,自分でも信じていいものかどうか躊躇われるあやふ

やなものにすぎない。そんなことで周りを説得できるはずもなし,暗殺という形で決行するのは可能

であろうが,それは即自分の死を意味する。それは彼が最も恐れる不名誉な死ということになってし

まおう。

むしろここでは,自分の中に流れているに違いない(と彼が信じている,母ガートルードから受け

継いだ)汚れた血を精算してしまいたいという潜在的な気持が,こうした troublesはすべて自分の意

馬心猿のもたらす悪夢,ならばいっそそれにケリをつければ苦しみも熄むのではないか,というよう

な心理が横から突然流れ込んで来て,復讐の衝動と混濁する― そのようなドラマが“end them”とい

う言葉の裏で動いているのではなかろうか。そうでなければ,続く “To die―to sleep”は唐突なも

243ハムレット第四独白の翻訳について

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のとなってしまう。

実際それはどうあれ唐突なものとしか言いようがなく,逆に,その唐突さが,ハムレットの心中に

おいて,「死」が 惑的なものとして映っていたことを暴露している。実は,最初から「死」に飛びつ

きたいという衝動が彼の心中に強く蟠っていて,なるべく理性的に結論に到達しようというポーズは

見せているものの,“end them”という言葉に触発されて急に堰が切れたように死の想念に飛びついた

という調子である。何もかも一気に解決してしまいたいという青年の性急な,自暴自棄のような衝動

でもあろうか。“end”という言葉は,⑹-⑻ “we end/The heart-ache and the thousand natural

shocks/That flesh is heir to”でも,やはり肯定的なトーンで使われている。

“To die―to sleep”の部分は,テクストの編集の問題が絡んでくる。 本論で使用しているテクス

トはArden版(2版)だが,第二クォート版では,“To die to sleep”となっており,Dover Wilson

の The New Shakespeare版では,“To die,to sleep―”である。これらのpunctuationでは,前者

では「眠るために死ぬ」ないし「死んで眠る」という意味になり,後者では,その意味にも,To die

(is)to sleepの意味にも取れる。しかし「死」が顔をのぞかせること自体がすでに唐突なのだから,そ

れが眠りであるということがすでに決まっているかのような思索の進め方は不自然に響く。やはり,

“To die―to sleep”と少し間があって,「死― それは眠り」という感じで,死の慰安,安楽さを求め

る方向に思考の触手を伸ばしているとするほうがずっと自然に受け入れられるのである。

これまでの邦訳では,永川訳が「死ぬ,そして眠る」と第二クォート版的な訳に,松岡,小田島訳

が「死ぬ,眠る」と,The New Shakespeare版的な訳になっているが,他は,「死は……ねむり」(逍

遥),「死とは……眠ること」(久米),「死ぬるは眠るに過ぎない」(市川・松浦),「死ぬことは,眠る

こと」(本田),「死は眠りにすぎぬ」(福田),「死ぬとは,つまり眠ること」(大山),「死ぬことは眠る

こと」(木下),「死ぬとは,つまり眠ること」(大場),「死ぬことは― 眠ること」(河合)という具合

に,間を入れて,Arden版的な訳となっている。純然たる《ドラマ》という視点から見れば,Arden版

が優れていることは明らかで,それについては“rub”の語釈のところで述べることにする。Schlegel

& Tieck訳においても,“Streben―schlafen― /Nichts weiter!”となっている。

⑹ No more;and by a sleep to say we end/⑺ The heart-ache and the thousand natural shocks/

⑻ That flesh is heir to;

“No more”は,Arden版の解釈で言えば,Death is no more than sleep.ということだが,あとの

「夢」の絡みで言えば,「それだけで,その余の煩わしいことは一切ない」というニュアンスである。

そしてハムレットは,今度は「眠り」という言葉からさらにprosのイメージを呼び込もうとする― 眠

れば “heart-ache”(心の痛み)もないし,“natural shocks”もない。“That flesh is heir to”が,

natural shocksに係っているから,「肉体が(宿命的に)受け継ぐnatural shocks」となる。natural

shocksは,これを終わらせることがpros になるのだから,不快なものでなければならない。“natural

shocks”について,Schmidtは,“natural”を,“subject to, or caused by, the laws of nature”,

244 南 谷 覺 正

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“shocks”を “a violent collision,a conflict,encounter”と解している。“shock”は,元来,軍事用語

として使われており,「軍隊同士のぶつかり合い」のことを意味していた。(現在でも shock troopsと

いうフレーズにはその意味が残っていて,「衝撃」の意味は,そこから派生したものである。シェイク

スピアの他作品においても,例えば Richard II の“grating shock of wrathful iron arms”(1. 3. 136)

のように,ほぼこの軍事的なぶつかり合いの意味で使われている用例がある。)ここの場合は,おそら

く,五感が外界の「感覚与件」と出くわす,大部分は不快な感覚印象のことに言及しているのではな

かろうか。殴られれば痛く,耳障りな音に出くわせば耳を掩いたくなるの類である。また痙攣のよう

に,肉体内部で生じる諸々の,やはり大部分は不快な生理現象も想定されているかもしれない。具体

的な意味がはっきりしないだけに訳しにくいのであるが,これまでの邦訳では,「此肉に附纏うてをる

千百の苦くるしみ

」(逍遥),「此の肉に附き纏ふ幾千の苦み」(久米),「肉体の持つて生れた千百の争ひ」(横山),

「この肉体が受けねばならぬ心の苦しみ」(市川・松浦),「肉がうけねばならぬ幾千の自然の苦しみ」

(本田),「肉体につきまとう数々の苦しみ」(福田),「数多くの肉体上の苦痛」(大山),「この肉体に

つきまとう数かぎりない苦しみ」(永川),「数知れぬ肉体の苦痛」(木下),「肉体につきまとうかずか

ずの苦しみ」(小田島),「数多くの肉体上の苦痛」(大場),「肉体が受け継ぐ無数の苦しみ」(松岡),

「肉体が抱える数限りない苦しみ」(河合)と,いずれも舞台での上演を念頭に置いているためか,

natural shocksという面白い言葉が,横山訳を除けば,「苦しみ」「苦痛」というような平板化された

訳に固まっているのは少しもの足りない気がしなくもない。

⑻ ...’tis a consummation/⑼ Devoutly to be wish’d.

“consummation”は,Schmidtでは “end,death”とそっけない定義になっている。O.E.D.では,

“A condition in which desires,aims,and tendencies are fulfilled;crowning or fitting end”という

定義で,その初出例とされている。おそらくその意味で使われているであろうが,“Devoutly to be

wish’d”で形容していることを考えると,O.E.D.の1-b.の“The completion of marriage by sexual

intercourse”の意味も隠されている可能性がなくはない。何となくハムレットのレトリックは,ロマ

ン派詩人の「死の陶酔」を先取りしている感じがある。“Devoutly”は Schmidtでは“with devotion,

earnestly”とされ,O.E.D.でも,“Earnestly,sincerely,fervently”(初出例)となっていて,“devout”

の持つ宗教的含意から切り離されて捉えられている。しかしここは言葉の裏で,宗教的熱情とエロ

ティックな死の願望の結託が,dramatic ironyとして意識されていると考えてもそれほどおかしくな

いであろう。

⑼ ...To die,to sleep;/ To sleep,perchance to dream―ay,there’s the rub:

ここも⑸と同じように,テクストの解釈・編集で揺れるところである。Dover Wilson は,⑻-

“That flesh is heir to;’tis a consummation/Devoutly to be wish’d to die to sleep!/To sleep,

perchance to dream,ay there’s the rub,”としている。しかしこれは,意味的な整合性は一応取れる

245ハムレット第四独白の翻訳について

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ものの,リズム的に苦しく不自然の感を否めないわりに,解釈上の深みは生れない。やはり,“’tis a

consummation/Devoutly to be wish’d.”で切れて,prosの方面の思考が頂点を迎え,続いて,その

検証作業に入るといった流れで捉える方が理にかなっている。先ほどやったのと同じように,“to die”

というキーを叩いてみる,すると “to sleep”という応え― いいぞ,この調子,ということで,今度

は“to sleep”というキーを新たに叩いてみる。ここで,“a consummation”という谺が返ってくれば

言うことはない。しかし果たせるかな,浮かんできた連想は「夢」であった― ということで,案の定,

そううまく行くはずもなかったのだということになる。Laurence Olivier演ずる映画のハムレットは,

ここを,「ひょっとして夢を見るかもしれぬではないか!」と,その時初めて気がついたようにきわめ

て劇的に演じているが,もう1つの解釈としては,最初から夢という障害があることが分かっていて,

それを改めて自分に言い聞かせようとしていると取ることもできなくはない。これまでの邦訳の多く

が,ここをあまり劇的などんでん返しのようなものにしないよう穏やかに訳してある。「死ぬ,眠る,

眠る,おそらくは夢を見る」(小田島),「死ぬ,眠る。眠る,おそらくは夢を見る」(河合)はほとん

ど同一であるが,自然体の訳になっており,上演に際しては役者,演出家の裁量でかなり幅が持たせ

られるのが長所であろう。最初期の逍遥訳が「死は……ねむり……眠る!あゝ,おそらくは夢を見よ

う」と最も劇的なものを表出した訳になっている。試訳はLesedramaの立場に立つので,ハムレット

が不意を突かれたという反応をある程度表に出したものにしておいた。というのは,その後に続く

“―ay,there’s the rub”というのが,夢という障害があることを最初から分かっていて言っている科

白だとすると,何となく白々しく思えるからである。

“rub”は,草の上で行う玉転がしのゲーム(ある玉に自分の玉をどれだけ接近させられるかを競う

ゲーム)で,土が凸になっている部分のことで,玉がそこを通ると,想定したコースを逸れてしまう

のである。「障害」ということになるわけだが,最初は “death”→“sleep”→“consummation”とイ

メージの連鎖が順調に進んだものが,2度目のトライでは,“death”→“sleep” “dream”と逸れて

しまったということを鮮やかなイメージで表現している。(そしてそのことが逆に,先述した“To die

―to sleep,”や “To die,to sleep;/To sleep,perchance to dream―”の読み方をある程度規定する

ように思われるのである。)この日本語訳も難渋するところであろうが,これまでの邦訳では,逍遥以

来「障り」と訳するのが多かったのだが,そのうち,「それがいやだ」(福田),「ああ,そこなのだひっ

かかるのは」(木下),「そこだ,つまずくのは」(小田島),「そうだ,それが困る」(大場),「そう,厄

介なのはそこだ」(松岡),「そう,そこでひっかかる」(河合)と,名詞として訳さない方式が主流に

なってきている。Schlegel& Tieck訳でも,“Ya,da liegts”と,“rub”のイメージを訳出すること

は諦めている。試訳でもいろいろと試してみたが,思考の流れを逸らせてしまう様子を髣髴とさせる

ような訳は思いつくことができなかった。今後の翻訳に期待したい。

246 南 谷 覺 正

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For in that sleep of death what dreams may come,/ When we have shuffled off this mortal

coil,/ Must give us pause

“For”は,「夢を見るかもしれない」ことが “rub”であるというのはどういうことであるのかをこ

れから説明するという導入の接続詞であり,“that sleep of death”の ofは「同格のof」で「死とい

う眠り」ということだが,「死の眠り」と言い直されてみると「所有のof」の「呪縛」の気味も感じら

れ,最初To die―to sleepと言ったときには感じられた解放の気分がすっかり退いてしまっている。

(Graham Greeneの “The Heart of the Matter”の ofの使い方と似た妙味がある。)邦訳上は,「死

の眠り」ないし「死という眠り」で,どちらもその気味悪さは感じられるので問題はないであろう。

“have shuffled off”は,Schmidtでは,“have got rid of,in any way,of this troublesome life”と

なっている。“this mortal coil”は,シェイクスピアのcoinageで,ここから「この世の煩い」とい

う平板化した意味として使われるようになった。“coil”は“turmoil,disturbance”という意味であり,

現在使われている,縄をぐるぐる巻きにしたものという意味は,O.E.D.では1627年が初出なので,

それをここに適用するのは無理に見える。しかしDover Wilsonは,動詞のcoilは海事用語で口語と

して当然使われていたはずであるとし,ここにはシェイクスピアの“quibble”があると解釈している。

また “shuffle off”については,“‘shuffle off’means ‘shirk’or ‘evade’...;its modern sense of

disencumbering oneself hastily of some garment or wrap is derived from Hamlet... and the

images in Shakespeare’s mind was,I think,that of the soul standing erect and freeing itself from

the lifeless body which has fallen to the ground like a divested garment.” としている。おそら

く妥当な解釈ではなかろうか。第一独白でも,汚れた肉体から逃れたいという気持が吐露されており,

「死ぬ」ということは,肉体を離れ純粋な魂だけになるというのが通常のイメージであるから,その

ような内容を陳腐でない言葉で表現しようとする気持が働いていたと想定できる。しかしそれにして

も何という独創的な英語であろうか。hemlockでも服用したかのような眠りのけだるさの中で,身に

纏いついていた,死すべき人間の業であった肉という縺れた呪縛の荒縄を,ゆっくりとほごしながら

魂が脱け出ようとしている様がまざまざとしてくるようだ。これまでの邦訳は,「此形骸の煩わず累らひを悉く

脱した時に」(逍遥),「この形骸の煩累を尽く脱した時」(久米),「我等この肉身のもつれを断ち切ら

ん時」(横山),「人の世のわずらいを脱ぎ棄てて」(市川・松浦),「われわれがこの人間世界の騒がし

さを脱れた時に」(本田),「この生の形骸から脱して」(福田),「このあさましい世の束縛をやっと払

いのけたあげくの果てに」(大山),「人間世界の悩みの渦を振りきっても」(永川),「この世のわずら

いからやっと逃れてついた」(木下),「この世のわずいらいからかろうじてのがれ」(小田島),「この

あさましい世の束縛をやっと払いのけたあげくの果てに」(大場),「人生のしがらみを振り捨てても」

(松岡),「ようやく人生のしがらみを振り切ったというのに」(河合)と,各翻訳者がそれぞれ工夫を

凝らしており,varietyがあってそれぞれ言葉の力もあるが,evocationは感じられない。Schlegel&

Tieck訳でも,“Wenn wir den Drang des Ird’schen abgeschutelt”(現世の衝動を振り捨てたとき)

と,平板化された訳になっている。

247ハムレット第四独白の翻訳について

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しかしたとえ首尾よくその煩悩絡みの肉を脱ぎ捨ておおせたとしても,“what dreams may come”

― これが主語で,「どんな夢がくるかもしれないという,そのことが」― “Must give us pause”― こ

れが述部で,「われわれに躊躇を与えずにはおかない」と続く。これまでの邦訳では,「躊躇する」「た

めらう」「二の足を踏む」「心が鈍る」等の訳語が使われている。ただ,mustのニュアンスを訳出して

いない例が多くあった。

...there’s the respect/ That makes calamity of so long life.

“there’s”は「そこに~がある」,“respect”は “consideration, reason or motive in reference to

something”(Schmidt),“calamity”は“misery”(Schmidt),make A of Bは「BをAにする」で,

「そこに,こんなにも長い生を材料にして惨めさを作る顧慮がある」→「そういう顧慮によって,お

めおめと命を長引かせて,それだけいっそう悲惨な目を味わう仕儀となる」ということだと解釈でき

る。Schlegel& Tieck訳も,“Das ist die Rucksicht/Die Elend laßt zu hohen Yahren kommen”

(それが高齢に悲惨をもたらす顧慮である)と,同様の解釈になっている。of so long lifeが calamity

を修飾していると取るのはmake calamityが語法的に少し苦しいと思われる。

For who would bear the whips and scorns of time,

ここから,この世の生に対する呪詛が始まる。who would...は修辞疑問文で,「~の時に,誰が…

を耐えようか?」という構造になっていて,… のところに,1)“the whips and scorns of time”,

2)“Th’oppressor’s wrong”,3)“the proud man’s contumely”,4)“The pangs of despis’d love”,

5)“the law’s delay”,6)“The insolence of office”,7)“the spurns/That patient merit of

th’unworthy takes”,の7つが列挙されているわけである。翻訳となると,最初にwhen以下を訳し

てから訳し上がると,語順が大きく逆転してしまうので,これまでの殆どの邦訳が,“who would bear”

をまず訳し,その後,7つの目的語部分を訳すという方式(日本語の倒置法)を採用している。

“the whips and scorns of time”は,Dover Wilsonの言うように,罪人が道を歩かされ,その道沿

いに群衆が並んでいて,罪人に鞭を食らわせたり,罵声を浴びせたりするイメージで捉えれば分かり

やすい。“time”は Schmidtでは “men,the world”という意味になっているが,O. E. D.にはそう

した定義はない。無時間の神の世界に比して「時間」という道を歩んでいかなければならないわれわ

れmortalsが,時のもたらす様々なものに,まるで gauntletの試練に曝されるように,こづき回され

愚弄されることが示唆されているのであろう。これまでの邦訳では,「世間」もあるが,「世」,「この

世」が圧倒的に多い。「世」には時間の概念も含まれているので,訳語としては無難に思われる。

憤懣の7つの種を比較してみると,1)“the whips and scorns of time”だけやや異質な感じがし

なくもない。あるいは,これが全体をまとめたものであって,その個々の事例として,2)~7)を

出しているのかもしれない。大山訳では,「というのは,いったい誰がこの世の鞭と侮べつとを耐えて

ゆくものか,/権力者の横暴,傲慢・無礼なやからの罵りざんぼう,/かなわぬ恋のあつい涙,延び延

248 南 谷 覺 正

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びの裁判……」となっていて,その解釈に立っているように思われる。

Th’oppressor’s wrong,the proud man’s contumely,/ The pangs of despis’d love,the law’s

delay,/ The insolence of office,and the spurns/ That patient merit of th’unworthy takes,

これらは,どのような基準で並べられているのかはっきりしない。思いつくままにという感じで挙

げられているのであろうか。全体としてみると,他者の無礼,傲慢,怠慢,腐敗によって,名誉心,

自尊心,正義感が傷つけられることに対する憤りという共通点は見出せる。“Th’oppressor”は「圧制

者」だが,特に国王に限定せずとも,those who oppress other peopleと一般的に考えてもいいであ

ろう。地位にのさばり権勢を利用して,他人をいじめたり虐待することを好む者たちである。“contu-

mely”は,“contemptuous treatment,taunts”(Schmidt)となっているが,Henry VI でも,“scoffs

and scorns and contumelious taunts”と類語とともに使われており,妥当な定義であろう。

“despis’d love”は,第一フォリオ版では“dispris’d love”となっていて,前者だと“contemn”,後

者だと,“depreciate,undervalue”(O.E.D.)の意味となる。どちらも,相手から小馬鹿にされたよ

うなあしらいを受けることを意味することになるから,翻訳上はあまり大きな違いにはならないが,

pangsをもたらすほどのインパクトのある訳語を見出すのは意外に難しい。

“the law’s delay”は,裁判が,裁判官たちの怠慢によって遅々として進まないことを言っていると

されるが,それは結局正義が行われていないということであり,裁かれるべきものが裁かれぬまま,

のうのうとしていられるということである。その意味で,“law”に対するSchmidtの“right,justice”

は適切な語釈と言えよう。日本語の訳語もそうした本質に踏み込んだものでないと,「裁判の遅れ」と

いうだけでは,なぜそこまで憤るのかが分かりづらくなる。

“The insolence of office”の “office”は,“persons entrusted with public functions, officers”

(Schmidt)で,“insolence”は,“impudent overbearing”(Schmidt)がぴったり当てはまる。「横

柄」というのが誰しも思い浮かべる訳語であろうが,音の面で,周りの文脈に調和させるのが少し難

しい言葉のように思われた。

“the spurns/That patient merit of th’unworthy takes”は,「“patient merit”が,“th’unworthy”

から(“of”は「~から」の意)受ける(“takes”)ところの“spurns”」というふうに取るよりない。

“patient merit”の “merit”は抽象名詞であるが,“th’unworthy”(=worthless,vile:Schmidt)と

対比されているに違いないから,「立派な人」という意味であるはずだ。しかしどうしてこのような風

変わりな表現を使用したのであろうか。“merit”には,“the righteousness and sacrifice(of Christ)

as the ground on which God grants forgiveness to sinners”(O.E.D.)という神学上の意味があっ

て,何となくそれがundertoneとして意識されているような印象を受ける。つまり,「右の頰を打たれ

れば左の頰を差し出しなさい」「汝の敵を愛せ」というようなキリスト教的な「功徳」が,皮肉にもあ

ざとい手合にいいようにつけこまれてしまう格好の腐敗の温床になっていることを籠めたかったので

はないかということである。“patient”というのもそのニュアンスを強めており,ここにも神義論的な

249ハムレット第四独白の翻訳について

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含みが感じられる。

ハムレットは,第一独白において,母が先王の死からどれくらい早く結婚したかについての言及を

次第に誇張していく― 最初は “but two months dead” と言っていたのが独白の終りの方では

“within a month”になっている― という興味深い一面を示している。第四独白のこの部分において

も,腹に据えかねる事柄を並べ立てていくうちに,自分で発した言葉に逆に刺激されるかのように次

第に激昂の度を募らせているようで,翻訳上も intensityを高めていくように音の面で配慮する必要が

あると思われる。

When he himself might his quietus make/ With a bare bodkin?

“quietus”は,O.E.D.では“Discharge or release from life;death,or that which brings death”

の意味(初出例)となっている。それまでは,「債務からの解放」を意味していた言葉― ラテン語原

語の quietusも quietus estという形で, “a phrase used to confirm that a bill or debt had been

paid”(A.S.)という意味で英語として使われている― であり,また,quietusは quitとも縁戚関係

にあるので,この世からの退場という意味も絡められているだろう。これまでの邦訳では,「精算」と

いう訳と,「この世からおさらばする」という訳の両方が見られる。精算すべき債務とは,この文脈で

はいろいろな苦しみを味わわなければならないことだから,それを命で精算すればこの憂世を去る

(quit)ことができるという「掛詞」的な表現になっているのかもしれない。“might”は仮定法ゆえ

の過去形で「~が可能ならば」という意味,“himself”は「自力で」ということであろう。

“bodkin”は,Schmidtでは “a sharp instrument to make holes by piercing”と「千枚通し」のよ

うなものとされているが,O. E. D. では “A short pointed weapon;a dagger, poniard, stiletto,

lancet”と「短剣」の意味も含めている。“bare”が鞘の存在を前提としているから,ある程度刀然と

したものであろう。Naresは、シーザーはbodkinによって暗殺されたとされているとし,Chaucerの

“With bodkins was Cæsar Julius/Murder’d at Rome of Brutus Cassius”を例証として挙げている。

その歴史的文脈が意識されているとすれば,ハムレットは復讐のために常時bodkinを懐に忍ばせて

いて、それを自死用に使おうとしているという推定も成り立つ。いずれにせよ,突き刺すのに適した

鋭い細身の短剣であろう。

精算するということを述べた後で,with~と言えば,お金のことになるのが普通だが,“bare bod-

kin”でというところ,修辞的にも鞘を払って刃が抜き放たれ,読者/観客に突きつけられる感じが

あって,それまで考えられてきた「死」が,実は「自死」であることが,ここではっとさせるような

形で提示されるのである。しかし日本語訳の場合,「短剣の一突きで」を先に出すとその効果が減殺さ

れてしまう。これまでの邦訳もそうなってしまっており,試訳でもいろいろ試みたが,順を保全する

うまい方法は見つからなかった。

250 南 谷 覺 正

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...who would fardels bear,/ To grunt and sweat under a weary life,

A) - “... who would bear ...When he himself might his quietus make”と,B) - “...

who would fardels bear... But that the dread of something after death”は,波線部分が相同の

structureとなっている。いずれも先行する帰結文でこの世の辛さを誰が堪えようかと反語で訴え,「も

し死ぬことが可能であったなら」と反事実の仮定が添えられる形である。しかしA)とB)は,構造

は同じでも,力点が異なっている。A)では,前半のこの世の辛さを列挙するところに力点が置かれ

ているが,B)では,この世の辛さについての叙述は総括的なものに留められ,むしろ仮定の節の,

死が躊躇われる理由,死後の夢を見ることがなぜ厭うべきことなのかという理由の描出に力点がシフ

トしており,技巧的なレトリックと言えよう。(“But that”がそれを可能にしている。)

“fardel”は,“a pack,a bundle”(Schmidt)で「重荷」の意味で使われているに違いないが,少

し変わった英語である。O. E. D.では,“A burden or load of sin,sorrow,etc.”の語義があり,古

くから使われていたようで,“fardel of synne”,“fardle(sic.)of troubles”等の用例が挙げられてい

る。おそらくそのニュアンスから採用された語ではないだろうか。“grunt”は,“groan”(Schmidt;

O. E. D.)でよいであろう。

But that the dread of something after death,/ The undiscover’d country from whose

bourn/ No traveller returns, puzzles the will,/ And makes us rather bear those ills we

have/ Than fly to others that we know not of?

“But that”は,“unless”,“the dread of something after death”が,その節の主語で,“puzzles”

と “makes”が述語,“death”と “The undiscover’d country...returns”が同格というやや複雑な構

造になっている。“bourn”は “boundary”(Schmidt)の意味であるが,“The undiscover’d country

from whose bourn/No traveller returns”の中に置くと,詩的に響く。from whose boundaryでは

興冷めであろう。独語では,“Das unentdeckte Land,von deßBezirk/Kein Wanderer wiederkehrt”

(Schlegel& Tieck)と逐語訳で構造がそっくり移せるのはいいのだが,その分,音の面での犠牲が

あるように思う。これまでの邦訳では,永川訳「えたいも知れず,訪れた者はひとりとして生きて帰

らぬ謎の国」が,eerieな雰囲気をよく捉えているように感じられた。

“puzzles”については,A.S.の “bewilders,paralyses(a stronger sense than the modern one)”

がここの文脈によくあてはまる。

Thus conscience does make cowards of us all,

“conscience”は,O. E. D. では「倫理感覚」の語義の用例としてここを挙げているが,“inmost

thoughts”(Schmidt)でなければ文脈に合わない。conscienceは元来,「自分自身の心を知ること」

という意味であったようで,レアティーズのように,中世的な思考から一直線に行動に移すことがで

きず,ついあれこれ心の奥底を点検しては懐疑的になってしまう近代的意識の萌芽,意識の「病」を

251ハムレット第四独白の翻訳について

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意図した言葉であろう。“coward”は,O.E.D.の“A reproachful designation for one who displays

ignoble fear or want of courage in the face of danger,pain,or difficulty”という語釈にも見られ

るように,かなり強い言葉である。

And thus the native hue of resolution/ Is sicklied o’er with the pale cast of thought,

“sickly”は,O.E.D.では,ここが動詞へ転用された最初の事例とされていて,「病的な色にする」

という意味である。“cast”は,“tinge,coloring”(Schmidt)で,O.E.D.もその意味での初出例に

挙げている。研究社英文学叢書のHamletの補遺にKellnerの「漆喰」という説が紹介されており,こ

れまでの邦訳でも「色を塗る」という感じで訳されているものが多い。ここは解釈次第というところ

だが,塗るという物理的なイメージだと,簡単に剥がせもするという連想も伴いやすいのが少し気に

かかる。考えることを覚えた人間はもう単純な行動家には戻れないのだから,生理的な「病変」の脈

絡で考えて,一度取り憑かれたら旧に復するのが困難であるような病的な色合いになってしまうとい

う意味に取っておくのが自然ではあるまいか。“native hue”がどんな色かは分からないが,“pale”と

対比しており,また勇気の宿る臓器とされる肝臓が,“yellow”というと,cowardということである

し,決断,勇気,行動の人間は,血気が横溢していなければならないはずで,血の赤みの射した健康

色を思えばいいのかもしれない。それが病葉のように,灰白色の黴めいたものに被われてしまうとい

う感じで試訳では捉えておいた。

And enterprises of great pith and moment/ With this regard their currents turn awry/

And lose the name of action.

“of great pith and moment”は,「きわめて重要な」という意味で一般的に使われるフレーズであ

るが,それはここを起源としている。“pith”は,Schmidtでは,“strength,force”となっているが,

O.E.D.では “importance,gravity,weight”の意味と解している。“moment”は「重要性」の意味

だから,似た意味となるが,“pith”は「骨の髄」というところからの重要性,“moment”はmomen-

tum=moving powerとしての重要性で,枢要でダイナミックな大事業ということであろう。なお,第

二クォート版では,“pith”は “pitch”となっており,こちらは “height”という意味で,やはり重要

性という figurativeな意味に転用できるが,音やイメージからすると,“pith”のほうが優れているよ

うな感じがあり,すでに現在のイディオムになってしまってもいるし,試訳ではpithとして考えるこ

とにした。

“regard”は,“consideration”(Schmidt),“awry”(第一フォリオ版では “away”となっている)

は,「進路を逸れて」という意味で,先に,夢という “rub”がハムレットを実行から逸らせてしまっ

たのとイメージ的に照応している。

“lose the name of action”は,なぜ「行動を失う」と言わずに「行動の“name”を失う」としたの

だろうか。O. E. D.には語義として掲載されていないが,Schmidtの “honor”という定義が表面的

252 南 谷 覺 正

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な意味としては一番通りがよい。「行動という,為せば名誉となるものを失う」の意味であろう。これ

までの邦訳では,「行動の名を失う」というタイプのものが多いが,日本語として少し意味が伝わりに

くいように思う。

...Soft you now,/ The fair Ophelia!Nymph,in thy orisons/ Be all my sins remember’d.

“Soft you”は,「しーっ」という,しゃべっているのを黙らせる文句。ここでハムレットは祈禱書

を持って坐っているオフィーリアに気づき,独白を止めている。“Nymph...”以下は実際のオフィー

リアに向かって語りかけている科白であるというのが,広く行われている解釈である。大切なことは,

ここでハムレットは 狂を再開していることであり,Nymphや orisonという普通では使わない言

葉,そして科白のふざけたような内容がそれを物語っている。

* * * * * *

ハムレットの第四独白は,日本でいう「起承転結」を用いれば,

「起」:⑴ To be,or not to be,that is the question:~ ⑸ And by opposing end them?

「承」:⑸ ...To die―to sleep,~ That makes calamity of so long life.

「転」: For who would bear the whips and scorns of time,~ Than fly to others that we

know not of?

「結」: Thus conscience does make cowards of us all,~ And lose the name of action.

という構成になっている。「起」で,今自分を悩ませている二者択一の問題を示し,「承」で,その1

つ,「死」と連動する “not to be”の選択について考えるが,うまくいきそうに見えて,「夢」に阻ま

れて頓座してしまうことを確認し,「転」で,その理由を敷延する中で,現世の理不尽な苦を呪詛する

一方で,黄泉の国の不気味さに戦慄を覚える。そして「結」で,そういうわけで,もう1つの選択肢

である “to be”のほうに留まらざるを得ないのだと結論づけている。そして細かく見れば,起承転結

それぞれが2つに分かれている。「起」は,⑴ To be,or not to be,that is the question:が「起の

1」で,enigmaticに2つの選択肢を提示し,「起の2」⑵ Whether’tis nobler in the mind to suffer

~ ⑸ And by opposing end them?で,その内容を説明している。「承」は,⑸ ...To die―to sleep,

~ ⑼ Devoutly to be wish’d.が「承の1」で,「死」の選択肢のprosを探り半ば陶酔したようにな

る。しかし「承の2」:⑼ ...To die,to sleep;~ That makes calamity of so long life.では,

そのconsに想到し,幻想から引き戻される。「転」は, For who would bear the whips and scorns

of time,~ With a bare bodkin?が「転の1」で,もし「承の2」のようなリスクがなければ,

どうしてこの世の諸々の苦を堪えるものかと鬱憤をぶちまけ,「転の2」: ...who would fardels

253ハムレット第四独白の翻訳について

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bear,~ Than fly to others that we know not of?では,そうした鬱憤をこらえる理由である死

の国の不気味さへ想いを転じている。「結」では, Thus conscience does make cowards of us all,

~ Is sicklied o’er with the pale cast of thought,が「結の1」で,もの思う心が1つの病気であ

ることを述べ,「結の2」 And enterprises of great pith and moment ~ And lose the name

of action.で,その結果,凛々しく行動に打って出るということがなくなってしまうと結んでいる。

このように,この独白は一見漫然となされているように見えながら,形式の上ではしっかりとした

argumentの骨組みを保持している。しかし,内容的には,“to be”がいいのか“not to be”(これが,

「結」で提示されている“action”と響き合っている)がいいのか,いよいよ決着をつけなければなら

ない刻限が来たというかのような,決然とした調子で始められた孤独な思索は,いつしかうやむやの

振り出しに戻ってしまう。そのこと自体が,「思慮が行動を鈍らせる」というこのargumentの,また

とない例証になっている。

そうした目で「転」の部分をもう一度見てみよう。上で述べたように,「転の1」では,この世のお

ぞましさを烈しく糾弾し,できることならbodkinの一突きで,こうした何もかもから解放されたいと

いう気持が生々しく吐き出されているのに,「転の2」になると,同じ構造の英語で,同じことを言っ

ているかに見えて,実は,もの思いの力点は,“not to be”に踏み出すことが躊躇われるような,死

の不気味さの前に,先ほどの攻撃的な感情や血気は鳴りを潜め,諦めを自分に言い聞かせるようなトー

ンに移っていっている。その呼吸こそ,まさにわれわれの “to be”の生を支えている呼吸の妙に他な

らない。

妙はそれに留まらない。ハムレットはこの独白の前に,先王の死の真相を探るために,旅芸人たち

に「ゴンザーゴ殺し」の上演を依頼している。それは,復讐を決行するための手掛かりを得る布石と

してである。そして実際,その“mousetrap”は成功し,それが糸口となって,紆余曲折は経るものの,

大団円の凄絶な“action”へと導かれ,最終的に復讐は歪んだ形ながら果たされる。そうであれば,ハ

ムレットは第四独白の時点で,堅実な “not to be”への途上にあるわけで,その只中で自分のしてい

ることへの懐疑を吐露し,あまつさえ “not to be”の道を諦めたかのような口吻を漏らすことは,プ

ロットの流れの中では場違いなものになってしまう。しかし現実の「青年」― ハムレットが青年であ

るとして― は,生の真っ只中で,現実的な生の計算を冷静に働かせながらも,あるぽっかりとした瞬

間に,今していることの全てを厭い,死を夢想するものであるというところまで realismの地平を広げ

て見れば,こうした矛盾こそ,ハムレットを不朽の青年像として血の通ったものにしている秘密であ

るということになる。『ハムレット』が「文学のモナリザ」と呼ばれる所以であろう。

この独白の直後の“nunnery scene”で,オフィーリアに激しい言葉を浴びせかけ,残酷なまでの苛

烈さを見せるのも, 狂ということ,母親によって示された女性の見せかけの貞節さへの憎悪という

ことから説明はつくが,やはり,内部の追いつめられた獣のような凶暴さを,自分の愛するものに殊

更加虐的に向ける青年の自傷的衝動という観点から見れば,当時の文学としては型破りなまでの real-

ismと言えよう。第四独白に窺える抑圧された行動への衝動が,代償作用を求めて噴出したという消息

254 南 谷 覺 正

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がよく伝わってくるのである。

このように,第四独白は,内部的にも実に多くの intricaciesがあると同時に,劇全体のドラマの搏

動とも息を通わせている。周知のようにこの劇は,復讐劇の主人公が,復讐を遷延するということを

中心に事態が展開していくのだが,例えば,祈っているクローディアスを見出したときも,絶好の機

会であるにもかかわらず,そこで誅殺することを見送ってしまう。そのことが,ガートルードの居室

でポローニアスを誤って殺すことに繫がり,それがオフィーリアの発狂と死,そして最後にレアティー

ズ,ガートルード,クローディアス,そしてハムレット自身の惨死を招いてしまう。素直に復讐劇の

convention に則って行動すれば,うまくいけばクローディアスの死のみで済んだかもしれないもの

が,彼の遷延によって災厄が広がってしまうというところに《運命》からの復讐めいたものが感じら

れ,そのことにこの劇の《ドラマ》が存すると言ってもよい。とするとこの第四独白は,遷延の淵源

を成しているという意味で,劇全体の焦点のような位置を占めているということになる。この独白の

翻訳は,そのような構図を念頭に置きながらなされるべきであろう。

255ハムレット第四独白の翻訳について

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ハムレット第四独白(試訳)

流されて生きるか,流れを断つか,そのいずれかだ。

一体どちらが高貴な道なのだろう,

非道なる運命の放つ矢や火玉を心ひとつに忍んで生きるのか,

それとも海なす艱難に剣を取って挑みかかり,

刺し違えてとどめを刺すのか― 死,それは眠ること,

それだけのこと。それだけで,この心の苦しみからも,

肉体に生みつけられた千の擾じょう

乱らんからも解き放たれるというなら,

それこそは,願わしきかぎりの今生の完結。

死……眠り,

眠り……ひょっとして夢が― そうだ,そこに思いもよらぬ障碍さわり

があった。

たとえこの煩わず累らいに縛られた肉を首尾よく脱ぎおおせたとしても,

死後の夢に何を見ることやら,

それを思えば足が竦すくまざるを得ぬ,

老いさらばえるまで生き恥さらすのもそれがため。

それがなければ誰がおめおめと忍ぶものか,現うつし世の笞

しもとを,辱めを,

権力の冷酷ないたぶり,つけ上がった奴らの侮り,

踏みにじられた恋の疼き,司法の弛たるみ,

いばりくさった役人の無礼千万,

善人の温順につけこむ下衆どもの嘲あざ笑い―

もし抜き身の錐刀やいば

の一突きで,これら一切を帳消しにできるものなら。

誰がこのうとましい生の重荷を

汗にまみれ呻きながら辛抱するものか,

それもこれも,これまで幽明境を異にしてのち帰ってきた旅りょ人じんのない

かの未知の国,死の国に入りし後にやって来るものへの怖れが,

われらの意志を惑わせ,

他界の素性の知れぬ苦患くげん

に飛んでいくより,

現うつつの苦しみに堪えてこの世に留まることを選ばせるからに他ならぬ。

もの思う心はかようにわれわれをことごとく腑抜けにしてしまい,

決意本来の鮮やかな血の色は,

いつしか思案の病み蒼ざめた色に被われ,

高邁なる大事業への抱負も,

そうした思慮に流れを逸そらされ,

凛とした行動の誉れを失ってしまうのだ。待て,あそこにいるのは

美しきオフィーリア!― 妖女ニンフ

よ,そなたのいのりの中に,

この身の罪障の数々も含めてはもらえぬか。

256 南 谷 覺 正

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― 注―

⑴ 別宮貞徳(編)『翻訳』(作品社,1994)p.132.

⑵ 同上,pp.149-161.

⑶ 註釈をつけるに際して主に参照したのは,以下の6点である。本文中で ,ⅰ)はO.E.D.,ⅱ)は Schmidt,ⅲ)

はNares,ⅳ)は A. S.,ⅴ)はSchlegel & Tieckとそれぞれ略記した。またこれまでの邦訳については主に,

上野美子他(編)『シェイクスピア大全 CD-ROM 版』(新潮社,2003)に依拠し,坪内逍遥,久米正雄,横山有策,

市川三喜,松浦嘉一,本田顕彰,福田恆存,大山俊一,永川玲二,木下順二,小田島雄志,大場建治,松岡和子,

河合祥一郎各氏の翻訳を参照,引用させて頂いた。

ⅰ)The Oxford English Dictionary

ⅱ)Alexander Schmidt,Shakespeare-Lexicon

ⅲ)Robert Nares,A Glossary; or, Collection of Words, Phrases, Names, and Allusions to Customs, Proverbs,

etc., Which Have Been Thought to Require Illustration, in the Works of English Authors, Particularly

Shakespeare and His Contemporaries.(John Russell Smith,1859)

ⅳ)Ann Thompson and Neil Taylor(eds.),Hamlet(The Arden Shakespeare;third series,Thompson Learning,

2006)

ⅴ)Shakespeare’s Dramatische Werke(ubersetzt von August Wilhelm Schlegel und Ludvig Tieck;Druck und

Verlag von Georg Reimer,1864)

⑷ Q2とF1のテクストの比較については,Paul Bertram and Bernice W. Kliman (eds.), The Three Texts of

Hamlet ; Parallel Texts of the First and Second Quartos and First Folio(AMS Press,1991)を使用した。

⑸ Dover Wilson (ed.),Hamlet(Cambridge University Press,1936),p.xxxiv(note3).

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原稿提出日 平成19年10月3日修正原稿提出日 平成19年11月14日

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257ハムレット第四独白の翻訳について