般若心経瞥見 - 妙心寺...般若心経瞥見 一舎利子考一 竹中智泰 はじめに...

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般若心経瞥見一舎利子考一

竹中智泰

はじめに

経を読む功徳は経典自身の中に種々に説かれるが、「なんのた

めに」と経を読むことの目的を求められれば、まずは「開経煽」

の第四句、「如来の真実義を解し奉らんことを」をもってその答え

とするのがもっとも妥当であろう。平たく言えば、仏さまの教え

の本当の意味を理解するための一手段、方便として経典の読諦は

なされるべきなのである。このことは、「教外別伝、不立文字」を

旗印とする禅宗においても例外ではない。宗門が、日用経典を定

め、看経を日常の主たる行事として位置づけ、しかも寺門護持の

主たる手段が「読経」という形の法施に対する檀信徒からの財施げせつ

であることを考えれば、僧侶力K経典の真実義を理解しそれを解説

することは当然の責務である。それは外から求められるべきもの

ではなく、むしろ自らの内なる要求としてあらねばならないであ

ろう。

とはいうものの、経典を理解することは容易なことではない。

第一、専門に研究する学者は別として、サンスクリット原文は言

うにおよばず、一般には漢訳すらなかなか読めるものではない。

私自身に関していえば、日常の玄英訳はもちろん、サンスクリッ

ト原文、チベット語訳で何回かは『般若心経』を読んでいる。し

かし通り一遍の読解で理解できるのは、文字通り「文字上の理解」

に過ぎず、真実義には程遠い。そこで祖師方の注釈を探り、先人●●●●●

が解りやすく解説を加えたものを求めて、それらを手掛かりに読

み始めることになる。たとえば、今私の手元には、古註を除いて『般

若心経』の解説本が30種ほどある。私は『般若心経』の真実義を(22)

152

知ろうと思って、購入もしくは図書館からかりてきた。ところが、

その説くところ、極端にいえば、すべて異なるといっても過言で

はない。学問的なもの、提唱風のもの、説教調のもの、人生論調、

雑学披露調のもの、僧侶用マニュアル本、はたまた漫画本まで玉

石混交、種々雑多である。また玄英訳の『般若心経』の注釈書だ

けでも中国のもの77種、日本のもの45種があるという(1%わ

が禅門の古註も一体、鉄眼、白隠、盤珪のものなど、重要なもの

だけでも数種は数えよう。要するにそれだけ需要が多いというこ

とであるし、よくいえば、『般若心経』に対する信仰の強さ、広さ

の証しでもある。注釈者や解説者がそれぞれの立場でする解釈で

あれば、相違するのは当たり前のことであって、驚くには当たら

ない。読者は自分に適したものを求め、納得して安心を得ればそ

れでよいのである。ただ理解や記述が暖昧であったり、明らかに

誤解であったりする場合も往々あるということだけは念頭におい

ておく必要がある。

〔心経信仰〕

『般若心経』にまつわる霊験認については、玄共三蔵自身が体

験したという『大唐大慈恩寺三蔵法師傳』の記事(2)の右に出るも

のはない。その箇所を要約してみよう。

沙河という砂漠の真ん中で、玄葉は奇状、異類なる色々な悪鬼が

自分たちの周りに取り級<のを見る。そこは、鳥も飛ばず、獣も走

らず、草木もないところであった。彼はその悪鬼らを去らしむるた

めに観音菩薩を念じたが効果がなかった。しかし般若心経を講する

におよんで、悪鬼どもは声をあげて皆消え散ったという。あ▼く ぇ よ

「危きに在って済はるるを獲たるは賞にこれ↓こ漏る所なり。」

この記述には実感がこもっている。玄藥がこのとき読んだ『般若

心経』は、彼が蜀の国で庖瘡で死にかけていた病人を助けたとき、

霊験あらたかな経典であるからと返礼にもらったものと記されて

いる(これが旧訳といわれる羅什訳か、梵本であったかは不明)。

わが国でも天平勝宝4年ごろにはすでに『般若心経』が現存し(23)

151

ていたというしい)、その後淳仁天皇が全国に触れを出して『般若

心経』を読ましめたという『続日本記』の記述をみれば、その霊

験功徳あらたかなることへの信仰は古来より絶大であったことが

わかる。

「摩訶般若波羅蜜多はこれ諸仏の母なり。四句の偶等を受持読調せあつ

ば福徳聚まることを得て思い量るべからず」ときく。是を以って天しつえきれいさ

子念ずれば、兵革災害は国の裏Iこ入らず。庶人念ずれば疾疫痩気は

家に入らず。悪を断ち祥を獲ることこれに過ぎたるはなし。天下のあげつらなら

諸国に告げて、男女老少を論ふことなく、起坐行歩(こ□に閑ひて、

皆尽<摩訶般若波羅蜜多を念講せしむくし。(後略)」(4)(註:摩訶般

若波羅蜜多は『般若心経』のこと)

日本仏教の宗派で、『般若心経』を読調しないのは浄土真宗と日

蓮宗くらいのものではないだろうか。書店には、内容や質の良し

悪しを問わず『般若心経』に係わるものが溢れている。それほど

までに人々に好かれ、大事にされてきた『般若心経』の真実義と

は一体何なのか。私はその霊験あらたかなることに触れるつもり

はないし、高らかに、あるいは有難げに語るつもりもない。ただ、

その真実義を知りたいのである。とくに、『般若心経』中のキーワー

ドといっても過言ではない「色即是空空即是色」について、その

真実義をあきらめたい。私自身大学の講義中に『般若心経』に触

れざるをえないときがある。色々思考をめぐらし、できるだけ卑

近な艤例を考えてはそれを説こうとするのだが、うまくいった例

しがない。受講後の感想で、学生がもっともわからないというの

も「色即是空空即是色」なのである。この二句のうち、私の場合

は「空即是色」に特別の関心がある.とにかく、諸註を対比しな

がらり「空即是色」の解明にトライしてみよう。

〔舎利子考序〕

ところが、色々な解説本を読んでいるうち、ひろさちや箸『般

若心経の読み方』にいたって、別種の新たな疑問と関心が湧いた。(24)

150

たし、ごうしゅ

それは、『般若心経』中Iこ観自在菩薩の対告衆、すなわち、説法の

相手として登場する舎利子、いわゆる舎利弗尊者に関してである。

ひろ氏は『般若心経』の舎利弗を、『維摩経』中に描かれる舎利弗

像とオパーラップさせる。つまり、『般若心経』に登場する舎利弗

は、仏弟子中智慧第一と尊敬された長老ではなく、二乗的、小乗

的悟りや考え方にがちがちに凝り固まった堅物で、しかも天女に

翻弄され、からかわれ、執着多きをとがめられて困惑する、形無

しの舎利弗なのだと、『維摩経』の当該箇所を引用しながら、ひろ

氏はいうのである(5%そして次のように結論する。

「したがって、「般若心経』に出てくる舎利子は、『維摩経』に登場す

る舎利弗と同じく、小乗仏教の代表者として、どうも否定的に描か

れているようである。『般若心経」でも、釈尊は舎利子を相手として

法(教え)を説いておられる。しやりししきふIDIくうくうふいしさしきそくぜくうくうそくぜしき

「舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空目ロ是色。……」

そのように、「空」の哲学を説かれている。だが、その真意は、必ず

しも愛弟子に対した温かい励ましのことばではないようだ。そうで

はなくて、小乗主義者=舎利子に対して、汝は早くその小乗的迷妄

を捨てて、大乗の「空」の教理「自由」の教義に目覚めよという、き

ついお叱りのことばだと思う。そう読むのが、おそらくいちばん正

鵠を射ているであろう。」(6)

「なるほど、そうなのか」と思う反面、「本当にそうなのだろうか」

「大乗仏教の核心ともいうべき空の思想を説く相手として、登場

する彼は『維摩経』に描かれる情けない舎利弗なのだろうか」と

いう素朴な疑問も湧く。「空即是色」の考察は後回しにすることに

して、この疑問を先に明らかにすべ〈古註を読んでいくうち、「舎

利子」という名前に与えられた漢訳語がまちまちであることに気

づいた。舎利子という固有名詞に関してさえ、その解釈には異説

が多いのである。ましていわんや難解な思想内容においておやで

ある。つまり舎利子考は、注釈によってかくも解釈が異なるとい

うよい事例でもある。そこで、空即是色考の前に、古註を対比し、(25)

149

また、ついでに禅門の注釈をも参照しつつ舎利子について考える

ことにしたい。その視点は以下の3点である。

L「舎利」という語の解釈

2.『般若心経』における舎利子は仏陀の対告衆なのか、親自在菩

薩の対告衆なのかという点

3.舎利子の評価、言い換えると「なぜ舎利子が対告衆として選ば

れたのか」という点

具体的手順としては、これらの3点に関して、(A)唐代、宋

代の主な注釈(一部、明、情、日本のものを含む)から異説をを

分類、吟味し、加えて(B)禅門における『般若心経』の注釈と比

較する。さらに必要に応じて(c)現代の日本の解説書のいくつ

かも併せみることとする。

(註:A、B、Cについては、略号表中のA群、B群、C群に含まれる諸

本を参照のこと)

L舎利子考

L「舎利」について

『般若心経』の中で観自在菩薩の対告衆、すなわち、説法の相

手として登場するのは舎利弗尊者である。舎利子(弗)という名

前が、母親の名、すなわち、「舎利」に由来し、舎利の子(プトラ

putra弗)ゆえに「舎利子」と呼ばれたとするのは、ほぼすべての

注釈に共通する説である。しかし、その母親の名「舎利」の由来

や意味に関しては諸説あり一定しない。大きく分けるとシャリー

ラ(身体sarlra:sarlra)とするもの、(1)「身」説と、シヤーリ(鏑ri:

S証i)もしくはシャーリカー(蕊rikz:s面rikn)と呼ばれる鳥の名と

するもの、(2)「鳥」説とに大別される。ただ後者の場合、その

鳥がどのようなものであるかについては、異説があり大きく4説

に分かれる。

(1)「身」説

(A)慧浄の「心経疏(浄)」や智圓の「心経疏(固)」では、舎利子(26)

148

を「身子」とする。前者は母の名に因むとしか記していないが。(

後者は母親が大変美しい体をしていたことをその理由として挙げ

る(以母好身形故)から燗(舎利を鳥の種類とするのではなく、肢

体(身体)と理解しての翻訳である。仲希の「略疏顕正記」でも法

蔵の「心経略疏」に従って驚鷺説を第一としながらも、第二説とし

てこの身説を挙げる。それによれば、母親の体つきが美しく魅力

的(身形美好)であり、瞳はすっきりと澄んでいた(眼珠分明)こ

とから「身子」とか「珠子」とかいう翻訳もあるというのである(111.

圓測は「蕾翻身子者謬也」('0)と述べて、舎利を「身」とする古い

解釈を誤りであると指摘するが、仲希も智圓も宋代の人であるか

ら、舎利子を「身子」と翻訳する伝統は宋代にまで伝えられてい

ることがわかる。

(B)「舎利=身」説を採るのは、「心経註解(耳)」である。これ

は「心経疏(回)」に忠実に依拠するといわれるが、この部分につ

いても「好身の形なる故に母を身と名づく。身の子なるが故に身

子と名づく」('1)とそっくりそのまま引用している。「身」という翻

訳を誤りと指摘し、鳥を表すとする注釈をまったく見ていないよ

うである。

(C)日本の現代の解説者は「舎利」の意味にはあまり関心がな

いようで、ほとんどが「シャーリプトラ」または「サーリプッタ」

の音訳語であることを述べるにとどまる。母親の名前に由来する

こともほとんど記されない。それよりむしろ、彼らが好んで挙げ

るのは、舎利弗が目連尊者とともにかって外道の宗教者サンジャ

ヤの弟子であった時、仏陀の弟子馬勝に出会い、縁起の教えを聞

いてそれに感動し、250人の弟子を連れて共に仏陀の弟子に改宗

したという故事であるp21。

「身子」説に言及するのは、『般若心経』の解説としてはもっと

も権威があるとされ、クラシカル・スタンダードになっている「講

義(高神)」のみである。これには「舎利弗または身子ともいう.(中

略)旧訳には身子といい、新訳には驚鷺子という。身子とは舎利(27)

147

(身骨)の訳から来れるもの」と記され、(1)「身」説、(2)①「鷲」

説の二つを挙げる(':'1。

(2)「鳥」説

①「春鷲」または「驚鷺」しゅんしゅう

(A)基の「心経幽賛」は「春鷲」と記し、弁舌の才Iこよって母親

がその鳥に職えられたことによるという('4k法蔵の「心経略疏」

には、母親が非常に聡明で頭の回転、あるいは弁舌が速く(聡悟

迅疾)それが鷲鷺鳥の眼に似ていたと説くが(M1(驚鷺という鳥が

いるのか鷲と鷺なのか、また眼の何に似ていたのかは定かではな

い。それに注釈した仲希の「略疏顕正記」は「鷲」とも「鷺」とも

呼ばれたと注記し、母の聡明さやものの理解、また淀みなく、滞

りなく語るざま(聡慧悟解辞辮無滞)が、それらの鳥の眼が澄ん

でいてくるくるとすばやく回るざま(動転分明)に似ていると説

く(llil。おそらく獲物を狙う眼のすばやい動きに職えられているの

であろう。

ちなみに諸橋の『大漢和辞典』(大修館書店)によれば、舎利とは、

「う。しまつどり。水鳥の名。青黄色で鶴に似、高さ五尺。中国

南方の湖水に棲み、魚を常食にして、性貧欲といわれる。」とある。

この項目に掲載されている絵をみると、鵜というよりは鷺に近い。

ちなみに中国の「鵜」は伽藍鳥(ガランチョウ)でペリカンのこと。

日本の鵜は「鷲」に近い。

(B)「舎利」の説明を記すものは、前記「身」説の「心経註解(耳)」

を含めてB群中に六本あるが、「心経註解(耳)」と「心経註(忠)」

を除いて他はすべて「鷲」とする('7)(「心経註(忠)」の説明は奇妙

なもので理解に苦しむがその他の説のところで後述する)。

「心経口讃」は舎利子のことを「驚子」と記述すのみで説明はな

い。「毒語註伯)」は頌の中に「驚女の児」とあり、「毒語註(東)」

も舎利子を「鷲子」と説明し、母が聡明だったため「舎利」と呼ば

れたこと、そしてその母に因んで「舎利子」と呼ばれたことを記(28)

146

す(もう一説は後述する)。

黄泉の「忘算疏」も舎利を「鷲」とする。その理由は母に関して

「そのの利なること鷲の眼のごとし。人喚んで舎利女とす云々」

と説かれ、眼が鷲に比されるのは法蔵の「心経略疏」などに等しい。

そして舎利女の子だから「舎利子」とするのは他の多くとおなじは

であるが、ただこの注釈のユニークなの|よ「中天に論師あり、波とろ

陀羅と名く゜一女あり。その眼の利なること、云々」('帥と述べて

舎利女の父、すなわち舎利子の祖父に言及している点である。残

念ながら、この典拠も波陀羅なる人物も不明である。もしかした

ら、後述するように、『大智度論』第十一に祖父の名としてみえ

る「摩陀羅」との混同かもしれない(IML

(C)「講義(高神)」が、「身」説を1日訳とし、この「鷲」説を新訳

として両説を併記していることはすでに述べた。「鷲」説の説明と

しては、「舎利とは、驚鷺春鴬の義。彼の母は秀麗なる佳人なり

しゆえ、時人称して舎利とよぶ。驚鷺のごとき美しき眼の所有者

という義」(z(1)とある。「駕篭春鴬の義」というひとくくりでは、①

③説が同居して暖昧であるが、舎利の意義説明としては不足はな

い。②「鵤鵠」説への言及はない。●

「中村・紀野」も註記の中に、この説を挙げ、「シャーリとはさ●

ぎの-種で、プトラとは子という意味であるから「鷲鷺子」と訳

されることがある」(2,と説明を与えている。ここでは、「さぎ」の

一種と明記するが、根拠は示されていない。「心経(無文)」も「鷺

の一種」といい、母親の眼の美しさがその目に比類された故事を

挙げている1221。

<よく

②「鶴鶴(==鵤鵤)」

(A)「鶴鵺」とするものに提婆の「心経註(提)」や圓測の「心経

賛」がある。前者は、シャーリという鳥の名前は翻訳者によって

皆異なり、「秋露子」(驚鷺子の誤りか?)「眼珠子」「身子」などと

翻訳されているが、皆誤りで、正しくは「鵤鵠鳥」だという。そ

れは母親の眼が鵤鵠の眼に似て、まん丸で澄んできれいなこと(29)

145

(圓而明浄)、聡明で物知りだったこと(聡明多知)により、シャー

リ、すなわち「鴫鶴」と呼ばれたのだと両者の関係性を説明する(2:')。

圓測の「心経賛」では、母の青く澄んで清らかな眼がその鳥の眼

に似ていたこと(母眼青精似鶴鵠眼)に因んだものと説明されて

いる(241。「鷲」あるいは「鷺」と考えた法蔵の「心経略疏」や仲希の「略

疏顕正記」が、母親の聡明さや弁舌の軽さ、言い換えれば頭脳明

噺でその回転のすばやさをその鳥の眼に比したのに対し、「鵤鶴」

とする解釈はいずれも母の眼そのものがその鳥の眼と比されてい

る点で共通する。友人の中国人に尋ねたところ、語感から、「鷲」

には荒々しいイメージがあり、「鵤鵠」は優しいイメージがあると

いう返事を得た。加えて眼が青く澄んで美しいということになれ

ば、鵤鵠の方が母親のイメージとしてはふさわしい。その根拠の

有無はともかく、眼の青さ美しさに比するものから、聡明俊敏さ

に比するものまで色々で真実をつかむのは困難である。

諸橋の『大漢和辞典』によれば、鵤鵤は「ははってう」「八寄鳥

(ハッカチョウ)」とも呼ばれ、全体に色は黒く、両翼に白い斑点

があるという。そしてその舌端を丸くすれば人間の言葉を話すよ

うになるとも記されている。この鳥はひとになれやすいため、昔

からよく飼われたようである。そして物まねが上手というから、

色々な鳥の鳴き声もできるのであろう。鵤鵠すなわちハッカチョ

ウは、分類上はスズメ目ムクドリ科に属し、九官鳥の類というか

ら、鷲(=鵜)や鷺とはずいぶんイメージが違う(251.

鴫鵠に関しては、鴫鵠眼に触れておかなければならない。鵤鶴

眼とは端渓の硯に現れる斑紋のことである。その美しさが鵤鵠の

眼に職えられたことから、「鵤鵠眼」という語ができたことを思え

ば、鵤鵠の眼の美しさは中国人の心を捉えたのであろう。そして

舎利弗の母の目も同じく考えられたとなれば、鵤鵠の眼の美しさ

は古代インドにおいても当時の人々の心を奪ったに違いない。こ

う考えると、やはり「鷲」説よりは「鵤鵠」説の方が説得力がある。

(B)私が今回用いた日本の注釈書に限っていえば「鵜鵠」に言(30)

144

及するものはない。「鵤鶴」と考える系統の注釈は日本では読まれ

なかったのであろうか、それとも「鷲」とする伝統が定着してい

たためであろうか。

(C)この群にも「鵤鵠」に言及するものはない。無数にある解

説書のうち、限られたものしか見ていないから結論めいたことは

いえないが、日本では「鷲」説に比べて圧倒的に「鵤鵠」がマイナー

であったことは確かであろう。

③「春鷲」

(A)靖邇の「心経疏(邇)」ではこの鳥を「春鴬」とし、古くは「鵤

鵠」と翻訳されたがこれは正しくないという。この鳥は姿が鵤鵠

に似ているだけで、きわめてずろ賢く(極為雛慧)、泣き声を色々

に変えることは自由自在ほしいままにできる(音聲愛鱒縦任自在)

ので、色々な鳥を欺いて仲間に加わってしまう。それでこの鳥に

-つの名前を当てることができず、色々な名前で呼ばれるのであ

るという見解を示している(2Iik

(B)該当なし。

(C)「講義(高神)」の中に「舎利とは、鷲鷺春鴬の義」と出て

くることはすでに述べた。春鴬に「春に啼く鴬」以外の特別な意

味があるのか調べてみたが、特に見つけることはできなかった。

したがって、鷲・鷺とは極端に異なることになる。それを「舎利

とは、驚鷺春鴬の義」と一くくりにすることには問題がある。あ

えていえば、「鷲、鷺、または春鴬の義」とするべきであろう。

④「鷲」

日本の僧智光の「心経述義」では、舎利は「鷲」の意と化し、母

親が極めて聡明俊敏、弁舌爽やか(辮捷)であったため、鷲に比

せられ、「鷲」つまり“シャーリ,,と名乗ったとなっている。さら(31)

143

にこの子を懐妊してからは彼女の知解力が常より倍増したという

から、大変なものである(271。

(3)その他の説

(A)圓測の「心経賛」に、『明度経』にある舎利子の異名として

として「驚鷺子」と並んで「優婆提舎」を挙げ、これは父親にちな

んだ呼び名であるという(或云優婆提舎者従父立號)(2勝}。

「優婆提舎」はサンスクリット語の"upatiSya,,(パーリ語

"upatissa,,)の音訳であるが、“upatiSya"(upatissa)がもともと何であるかについては諸説がある。「織田」は、基の『法華玄賛』を

引いて、舎利子自身の別名として優婆提舎の名を示し、その理由

として論議に優れていることを述べる。また、『大智度論』や吉蔵

の『法華義疏』の引用からは、「提舎」が父の名であること、その

名を継いだので「優婆提舎」と呼ばれたこと、「優婆」は「名を継ぐ」

という意味、「提舎」は星の名前であるということがわかる。

しかしながら、『法華玄賛』に「優婆提舎」という名前とその根拠

として挙げられる「論議に優れている」という理由との関係が不

明確である。つまり、なぜ論議に優れていることによって「優婆

提舎」と呼ばれうるのかが解らない。今一つの推理を許されるな

らば、「優婆提舎」の原語"upatiSya,,と「説示」を意味する"upadesa,’

との混乱が翻訳者にあったのかもしれないと考えてみたい。なぜ

なら、"upadesa,'も「優波提舎」「論議」と漢訳されるからである(塾)1.後に触れるが、「毒語註(東)」は、優婆提舎は「論議」の意味であ

ることを明記している。

「望月」も舎利弗が優婆提舎、優波提等と呼ばれること、そし

てそれが父親に由来する呼び名であることを述べて、『大智度論』

第十一にある話を引くにM'1゜それを要約すればこうなる。

「マガダ国の王舎城に摩陀羅(Mathala)というバラモンの論師がお

り、彼に-人の娘ができる。その娘の眼が舎利鳥に似ているため、

舎利と名づける。その頃、南インドから提舎というバラモンの優れ

た論師が王舎城にやってきて摩陀羅と論争して勝利する。摩陀羅は(32)

142

娘舎利を提舎に与え、まもなく男子が生まれる。この子に父の名を

継がせて、優婆提舎となづける(提舎は星の名前、優婆は名を継ぐ

こと)。また、舎利の産んだ子であることから、舎利弗ともよぶ。

舎利弗と呼ぶのはその時の人々が彼の母を貴んだからである。」と。

“upatisya''(up3tissa)に関して「インド人名」は舎利弗が「ウパ

ティッサ」(upatissa)と呼ばれたことを記すのみであるが、「東洋

人名」はそれを出身の村の名であるとし、それに因んでそう呼

ばれたと記す。二本はともにこの父の名を「ヴァンガンダ」(Van

-ganda)、母の名を「ルーパサーリー」(Rnpas面rI)と述べている。

(B)イ)「心経註(忠)」に不可解な説がある。すなわち、

「舎とは是れ色なり。利子とは是れ心、受想行識、此れは是れ五漣

なり。又舍とは人なり、利子とは亦是れ法なり。人法二相多義にし

て具に宣ぶべからず。要を以って之を言はば、此れは却って是れ義

法の根本なり、今は義法は身心を離れざることを明さんと欲す、故

に舎利子と名づくるなり。」(31)

という説明である。ここでは「舎利子」が「舎」と「利子」に分

けられ、それぞれに色と心、人と法がその意味として与えられる。

この説では少なくともシャーリという原語はまったく無視され、

舎利弗が持つ対告衆としての存在意義のみならず、舎利弗が人間

であることすら考慮されていないようにみえる。六祖慧能からの

伝統の中にこのような解釈があったのか、慧忠の独創なのか、は

たまた無知による誤解なのか、決定する資料がない。

宋代の禅僧、道楕、懐深による「心経註(忠)」に対する二つの

注釈は、慧忠のこの説には触れず、まったく別のことを述べてい

る⑬2%

ロ)「毒語(東)」には舎利子を「驚子」とする解釈とともに、別

様の解釈が「一名は優波提、此には論議と日ふ」《:'2)と書かれている。

これは(3)(A)に連なるものであり、東嶺は、おそらく『大智度論』

『法華玄賛』などを見ていたのであろう。

(33)

141

以上、舎利子の「舎利」について見てきた。そもそもこの母の

名に解釈の相違が起こってくる理由は、インドにおいてすでに

シャーリ(誼ri:sEiri)もしくはシャーリカー(誼rikH:s訂rikii)という

サンスクリット語の意味に混乱があることによるとも考えられ

る。モニエル・ウイリアムズの梵英辞典"s盃rikZi,,の項に「一般的

には「マイナ」(Maiml)と呼ばれ、“rbGG,…Al1RビノigmsUz,,とも“zルビ

、’'1.11is印"”ともいわれる」と付記され、ラテン語の学名が挙

げられている。"r6CGm"〃Re卿""は九官鳥、"肋27WbⅨsSj22jm”

はつぐみの一種をいうらしい。“mainヨ,'はヒンディー語でハッカ

チョウも九官鳥をもいうとのことであるから、モニエルが考えた

のは(2)②の「鵤鵠」に近い。

また、「鷲」「鷲」「鷲」は写本の誤読によるとも考えられる。と

くに日本の僧智光の「鷲」説などはその公算が強い[34k

舎利弗が父の名に因んで呼ばれた経緯もわかったが、母の名の

みならず、父の名にもその由来や意味合いについて諸説あり、混

乱している。このような固有名詞ですらその翻訳や解釈が一定し

ないのであるから、深遠な思想内容が種々に解釈されるのはやむ

をえない。

IL舎利子は誰の対告衆なのか。

次に、誰が舎利弗は法(教え)を説いているのか、考えてみよう。

なぜこのような問題を提起したかというと、解説書によって、「釈

尊が舎利子に告げた」というものと、「観自在菩薩が舎利子に告げ

た」というものと、まちまちだからである。「佛告舎利弗云々」と

頻繁に明記される『摩訶般若波羅蜜多経』や、須菩提を対告衆と

する『金剛般若経』のようにそれがハツキリしていれば、彼らが

佛の対告衆であることは何の問題にもならないのだが、『般若心

経』ではそれが問題になる。

解釈は二つに分かれる。一つは(1)仏陀の対告衆と考えるも

ので、もう一つは(2)観自在菩薩の対告衆とするものである。

(註:本稿では(2)説の立場を支持する。これまでの記述の中に、それを

(34)

140

前提として記した箇所があることに聡明な読者は気付いたであろう。)

(1)仏陀の対告衆説

(A)A群中では、目立った記述はない。圓測の「心経賛」には、

世尊はなぜ舎利弗に法を告げて、菩薩には告げないのかという問

答、つまり『大智度論』十一の冒頭を引用してこれに言及する。

世尊はそこで、佛世尊はくつとして、一切衆生(菩薩をも含むと

考えてよい)の智慧は舎利弗の智慧の十六分の一にも満たないと

いって、舎利弗を対告衆として選ぶ理由を述べている。この部分

は後に引用する(:Mnb

しかし、このように世尊が舎利弗を対告衆として選ぶというの

は『摩訶般若波羅蜜多経』の場合、もしくは一般論であって、こ

れを『般若心経』中の舎利弗に当てはめることは必ずしも妥当し

ない。

「心経疏(邇)」には、舎利子が二乗つまり小乗中で智慧がもっ

とも優れていて、いま親しく仏に対面して、法性空を知る(今親

對佛知法性空)云々とある(:lIiL

(B)B群中では、一体の「心経解」にこの説が説かれている。

「(前略)佛の諸弟子達の為に、総ての名代に、仏に法をとひたてま

つりて、答をせらるるなり。さる間、佛、色空不二の御法をときた

まはんとて、その名をよび出して告げ給ふなり。」(37)

この叙述から、一体は明らかに、世尊の対告衆であると考えてい

たことがわかる。

「心経口讃」も次のように記し、この立場を示す。

「鷲子は大弟子の中、智慧第一、宜しく般若に通ずべし。故に、佛

之れにつぐ。色は云々・…・・」(38>と。

(C)この立場を明確にするのは「講義(高神)」、「読み方(ひろ)」、

「講義(奈良)」などである。先ず「講義(高神)」の既述をみてみよう。あい了

「この智慧第一の舍禾Ⅱ弗を対告衆として、釈尊は「舎利子よ」と、い

われたのです。そして「色は空に異ならず、空は色に異ならず」とて、

空の真理を諄諄と説かれていったのです。」(39)(35)

139

次は「読み方(ひろ)」の既述である。

「そして、「般若心経』は、すでに述べたように「仏説」である。すな

わち釈尊がこの経を説いておられるわけだ。釈尊が説かれたその相

手が、ここに出てくる舎利子、つまりサーリプッタなのである。

したがって、

「舎利子。色不異空。空不異色……」

「サーリブッダよ、よく聞くがよい。色は空に異ならず、空は色

に異ならないのだ。……」

と、釈尊が愛弟子=サーリプッタに諄々と語っておられる言葉なの

だ。」(40)

ついでに「講義(奈良)」の説明も挙げておこう。

「広本のそういう状況を念頭においていただきますと、わたしたち

が読んでいきます「般若心経」で、まず「観自在菩薩が深い般若波

羅蜜多を行じていた時に、すべてのものは皆空なりと見ました。舎

利子よ」とお釈迦様が舎利弗に向かって説いているという形である

ということがご理解いただけると思います。そしてその「舎利子」

という呼びかけが二回出てきます。」(41)

以上三本の説明の中で気になるのは、「舎利子よ」との呼びかけ

が釈尊によってなされていると記されることである。普通の『般

若心経』(小本)の場合には登場するのは観自在菩薩世と舎利子だ

けで、世尊そのものは登場しない。この点で『般若心経』は特殊

な経典といえよう。そこで親自在菩薩に関する記事は「深般若波

羅蜜多を行事し時、五穂は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度

したもう」までで終わり、「舎利子よ」と呼びかける部分以降は世

尊の言葉、教説であるという解釈もできないわけではないだろう

が、流れとしては不自然である。

「新しい読み方(立川)」はサンスクリット小本の和訳中に「〔観

自在菩薩がシャーリプトラ(舎利子)にいう。〕」「〔観自在菩薩が(36)

138

続ける〕」とわざわざ補って、観自在菩薩が舎利子に語りかける

ことを意図的に明示しているが(42〈私もこの解釈に与する。広本●●

の『般若心経』が「如是我聞」で始まる正規の仏説経典の形をとっ

ていようとも、「舎利子よ」と語りかけているのは明らかに観自在

菩薩なのである。このことは「中村・紀野」の後註にある広本の

翻訳をみても明白であろう(4:'1。

もし、「対告衆」という言葉は世尊の対話相手以外には使われな

いというのであれば、「対告衆」という語を使わずに、「『般若心経』

の中で、舎利子は観自在菩薩によって教えを語られている。」と

いうにとどめればよい。いずれにしても、「舎利子よ」という呼び

かけは、親自在菩薩からのものであると考えるべきである。

(2)観自在菩薩の対告衆説

(A)A群中には特にない。時代が下がるが、清代の績法の手

による『般若心経解』中には、広本にある舎利弗と観自在菩薩と

の会話が要約され、「観自在菩薩すなわち尊者舎利弗に告げての

たまわく」(44)と明記される。

(B)B群中では、「心経註解(耳)」に、舎利子の字句説明をし

たのちに、「仏弟子智慧第一なり、大衆のために請問す、故に観

自在菩薩其の名を呼んで之に告ぐ゜色空に異ならずとは。…・」(45)

とある。また「毒語註伯)」の頌の中に「親しく大士に参じて之

の典を留む」(4mとあるから、白隠もこの見解を取っていたことが

わかる。

(C)「心経(金岡)」は、暖昧ではあるが観自在菩薩の対告衆と

考えているような記述をしている。

「ここでは、舎利子は「深般若波羅蜜多」の教えを聴聞する第一の適

任者、仏の威神力を感得した対告衆として登場している。」(47)

と対告衆であることは明記するが、誰の対告衆かは記されていな

い。その後般若三蔵の広本訳冒頭を引用する。

「「舎利弗(子)仏の威神力を受けて、合掌恭敬して観自在菩薩摩訶

薩に曰して言さく、善男子、若し甚般若波羅蜜多の行を学せんと欲

(37)

]37

うものあらぱ如何んが修行せんと、此の如く問い己んぬ、爾の時に

観自在菩薩摩訶薩、具寿舎利弗に告げて云く゜」

ここでは舎利子は、智慧第一の仏弟子として、難解の般若波羅蜜多

の教えを聞くのに撰ばれている。」148)

広本のこの部分には、明からに観自在菩薩が舎利弗に向かって

教えを説く景色が描かれているが、誰に選ばれたのかは暖昧であ

る。「佛の威神力」を受けたということは、世尊によって推薦され

たといえるのかもしれない。

「講話(鎌田)」も少し引用してみよう。

「まず「舎利子」というのは観自在菩薩が呼びかけた人である。仏が

説法する時は、聴衆の中から誰か-人を選んで語りかける例となっ

ている。これを専門の言葉で「対告衆」という。(中略)『般若心経』

は般若、すなわち智慧を説くお経であるから、智慧第一といわれる

シヤーリプトラを指名したのである。……」(49〕

この文章から理解できることは、「舎利子よ」と呼びかけたのは

観自在菩薩であること、対告衆とは仏が説法する時聴衆の中から

一人選ばれて(多分仏によって)語りかけられる人であること、●●●●●

そして『般若心経』はそれにシャーリプトラを指名したというこ

とである。しかし、実を言うと、このことからも舎利弗は誰に選

ばれたのか、誰の対告衆なのかは解らない。できることなら、「『般

若心経』は…シャーリプトラを指名したのである」と書く代わり

に、「世尊は…シャーリプトラを指名したのである」とか「観自

在菩薩は聴衆の中からシャーリプトラを選んで対告衆としたので

ある」とか、歯切れよく書いて欲しいのである。多言の割に中身

は暖昧なのである。

これを明記しているものに「心経(無文)」がある。

「始めに舎利子とあるのは、人の名前であります。観世音菩薩が、

たくさんの聴衆の中から代表者を-人呼び出して、親しく話しかけ

られておられるのです、これを対告衆といい、話相手の代表者であ

ります。」(50)●●

広本を見ると、舎利弗は自ら観自在菩薩に質問しIこ進み出てい(38)

136

くのであって、観自在菩薩に呼び出されるわけではないので、多

少の問題があるとはいえ、暖昧なものより落処に落ちて小気味が

よい。

IIL舎利弗はなぜ対告衆として選ばれたのか

最後に、この点について考察する。そもそもこの舎利子考の発

端は冒頭に引用した「読み方(ひろ)」の-文にあった。それは『般

若心経』において観自在菩薩の対告衆として選ばれた舎利弗は『維

摩経』で天女に翻弄され、からかわれた情けない舎利弗だという

ものである(511゜これと同一線上で舎利弗を見ているものに、「空

思想(梶山)」がある1521。それでは例によって古註をみる。

(A)多くの注釈が、舎利弗に対して智慧第一を挙げる。「心経

琉(邇)」は、「二乗に執着する人は、法(もの)に執着して頑固だ

けれども、舎利子は二乗の中で智慧が最高だから、今仏に親しく

対面して法性が空であることを知り、一緒に精励して大乗に転向

し、法が無性であることに達し実体に決して執着しない云々」(5:')

という。提婆の「心経註」では、「聡明第一」、「略疏顕正記」には「佛

弟子中智慧無双」と説かれ、圓測の「心経賛」は既述のように以

下の『大智度論』十一冒頭の文章を引く(541.仏陀が舎利弗を対告

衆として選ぶ理由を端的に示す有名な箇所だから、引用しておこ

う。

「間うて曰く、「般若波羅蜜は是れ菩薩摩訶薩の法なり。佛、何を以っ

ての故に舎利弗に告げて、菩薩に告げたまはざる。」答へて曰く、

「舎利弗は一切の弟子の中に於いて、智慧最も第一なり。佛の偏に

説きたまへるが如し。

一切衆生の智はただ佛世尊を除いて、舎利弗の智慧及び多聞に比せ

んと欲するに、十六分の中に於いて、なお-にも及ばず。」(55〕

つまり、世尊をのぞけば、世間の人々の智慧は舎利弗の十六分

に-にも満たないというのである。少なくとも『摩訶般若波羅蜜

多経』中では、それが世尊が舎利弗を対告衆として選んだ理由な

のである。言い換えれば、般若波羅蜜の教え、空の教えを本当に(39)

135

理解できる資格を持ったものは舎利弗以外にないと、世尊が公認

したのである。一切衆生の中には当然菩薩たちもはいってこよう

から、世尊以外では世界一ということになる。

そして圓測は舎利弗をして小乗から大乗へ向かわしめること

(欲引小廻趣大乗)が重要な目的であることを付記する。

時代は下がるが、積極的に舎利弗を対告衆として認める記述を

もう一つ見ておこう。それは、明代の徳清の「心経直説」のもの

である。

「〔舎利子は〕佛弟子中に在って智慧第一にいまします。而して此の

般若の法門は最も甚深なれば、大智慧者に非ざれば領悟すること能

はず。故に特に此れに告げる。いはゆる智者に与ふるべき道なり。」

(56)

いかなる説明も不要であろう。私}よ、この説を了としたい。

次に否定的な立場で舎利弗を見るものとしては日本の「心経述

義」がある。『大智度論』にあるように般若の教えは菩薩の法であ

ることを示した後、舎利子を小乗から大乗に向かわしむるために

(欲引小趣向大)智慧第一の彼にこの法を説くことを述べる。こ

の一段は「心経疏(邇)」に似る。その後、「空は中道」であるこ

を説く一段で、

「假名なる色すなわち性空なり。而して舎利弗は無明なるに由りて

是の義を知らず。眼病人が虚空中に於いて種々の形を見るが如し。

種々の形と虚空を-にして二無し。假名と中道もまた是の如し。

云々」(57)

と舎利弗は無明のために大乗天台の空論を知らないというが、

その無明を般若の智慧に転換できる力を持つ舎利弗ゆえに、彼に

それを説くことが可能なのであり、また重要なのである。

(B)B群もこの問題に言及するもののうち、一つを除いては

舎利弗の「智慧第一」を挙げる。ただ、「毒語註(白)」のみ厳しく

舎利弗を打つ。(40)

134

「咄。小果の尊者什麿の長魔かあらん。者裏佛祖も命を乞う。

内秘外現何れの虚に力、著せん。浄名室内女身を鱒ずること能はず、

七狂八類忘却すや」(58)

このように箸語して白隠は小乗の徒舎利弗をこきおろす。くし

くも「読み方(ひろ)」が、情けなき形無し尊者舎利弗を描く典拠

とした同じ『維摩経』のエピソードを白隠もここに用いている。「あ

の維摩居士の室内でのこと、天女に女身に変えられ七転八倒、女

身を転ずることができずに見せたあの見苦しい狼狽ぶりを忘れた

のか」と。

しかし、白隠の舎利弗評はこれがすべてではない。続く頌には

こう表される。

「智はこれ祇園の第一枝、長爪を驚奔す托胎の時、親しく大士に参

じてこの典を留む、羅眠の教師鷲女の児」(59)

「舎利弗は祇園精舎第一の智慧あるお方、母の懐妊中、母をも

聡明にして叔父の長爪梵志をも驚かした。観自在菩薩に参じて般

若心経の主意を得た。釈尊の息羅喉の教師となった美しくも聡明

なシャーリの児よ」と詠む白隠は舎利弗に敬服し、むしろ親しみ

さえ覚えているようである。

同じ『維摩経』のエピソードを用いていても、この頌を知れば、

「読み方(ひろ)」とまったく次元がちがうことは一目瞭然である。

著語は「毒語(無文)」のいうように、「実は舎利弗を心の中で褒め

ている」('x》抑下托上と理解すべきなのである。

(C)C群のものについて否定的評価をくだしているものとし

て、すでに「読み方(ひろ)」、「空思想(梶山)」を挙げた。それ以

外のものは、「智慧第一」を舎利弗が対告衆として選ばれた理由と

すると考えてよいであろう。「心経(金岡)」は『維摩経』のエピソー

ドにふれるものの、むしろ積極的に舎利弗を評価する。

「「維摩経」における舎利子の扱いかたは、大乗仏典における舎利子

の扱いかたとしては例外的なものであり、『心経」における舎利子の

方が、よく大乗家の舎利子像をあらわしているということができよ(41)

133

つ。

ここでは、舎矛Ⅱ子は「深般若波羅蜜」の教えを聴聞する第一の適任者、

仏の威神力を感得した対告衆として登場している。」(61)

「舎利子よ」という観自在菩薩の二度の呼びかけのみで、『心経』

における舎利子像を理解するのは不可能である。いとも簡単に

「『心経』における舎利子の方が、よく大乗家の舎利子像をあらわ

している」といわれたのでは、それをさまざまの資料から探って

きた私としては唖然とするしかない。私は次のように書き直した

上で、この考えに従うことにしたい。●●●●●

「『維摩経』における舎利弗の扱いが例外的であり、『摩訶般若波●●●●●●●●●●●●●●●●●●

羅蜜多経』等の大乗経典における舎利弗像の方が大乗仏教の一般

的舎利弗像である。『般若心経』の舎利子もその流れを汲むもので

ある。」

これならば、納得できる。

おわりに

空即是色考が舎利子考にすりかわってしまった。舎利子につい

てだけでも、こんなに諸説があり、結局何を明らかにすることが

できたのか心もとない。かえって疑団を大きく抱え込んでしまっ

たようにも思う。字句の解釈では「本当のところはわからぬ」と

は禅家の得意にいうところである。私もそう思う。しかし、一方

で正確に経典を理解することがないがしろにされてよいとも思は

ない。まして聞きかじりで、暖昧なまま、誤りのまま解説して、

聴衆や読者を惑わすようなことは慎まねばならない。

この自戒を胸に、智慧第一の舎利弗菩薩を念じつつ拙文を閉じ

ることにしたい。

(42)

132

略号表

「インド人名」:三枝充應編『インド仏教人名辞典』(法蔵館)

「織田」:織田得能『仏教大辞典』(大蔵出版)

「続蔵経」:大日本続蔵経

「大正蔵」:大正新脩大蔵経

「智度論」:龍樹『大智度論』、(大正蔵1509番、25巻)

「注釈全集」:林岱雲箸『禅宗心経註鐸全集』(日本図書センター

復刻版)

「東洋人名」:斉藤昭俊・李載昌『東洋人名辞典』(人物往来社)

「望月」:望月信亭『望月仏教大辞典』(世界聖典刊行協会)

A群(唐代、宋代の注釈書、-部後代ものも含む)

「心経費」:圓測『般若心経賛』(大正蔵1711番、33巻;続蔵経

527番、26巻)

「心経直説」:徳清『般若心経直説』(続蔵経542番、26巻)

「心経述義」:智光『般若心経述義』(大正蔵2202番、57巻)

「心経疏(浄)」:慧浄『般若心経疏』(続蔵経521番、26巻)

「心経疏(邇)」:靖遭『般若心経疏』(続蔵経522番、26巻)

「心経疏(圓)」:智圓『般若心経疏』(続蔵経529番、26巻)

「心経註(提)」:提婆『般若心経註』(続蔵経526番、26巻)

「心経幽賛」:大乗基『般若心経幽賛』(大正蔵1710,33巻;続

蔵経523番26巻)

「心経理性解」:績法『般若心経利性解』(続蔵経560番、26巻)

「心経略疏」:法蔵『般若心経略疏』(大正蔵1712番、33巻;続

蔵経531番、26巻)

「略疏顕正記」:仲希『般若心経略疏顕正記』(続蔵経531番、26巻)

B群(禅宗系の注釈書)

「心経註(忠)」:南陽慧忠『般若波羅蜜多心経註』(『般若心経三註』

所収、続蔵経533番、26巻;「注釈全集」所収)

「註心経」:蘭渓道隆『註心経』(続蔵経534番、26巻;「注釈全集」(43)

13]

所収)

「心経解」:一体宗純『般若心経解』(「注釈全集」所収)

「心経註解(耳)」:圓耳虚應『般若心経註解』(「注釈全集」所収)

「心経口讃」:龍渓性潜『般若心経口讃』(「注釈全集」所収)

「毒語註(白)」:白隠慧鶴『毒語註心経』(「注釈全集」所収)

「毒語註(東)」:東嶺圓慈『毒語註心経』(「注釈全集」所収)

「忘算疏」:黄泉無著『心経忘算疏』(「注釈全集」所収)

C群(現代日本の解説書、比較的入手しやすいもの)

「空思想(梶山〃梶山雄一「心経における空思想」(大法輪選書『般

若心経を説く』所収)

「心経(金岡)」:金岡秀友『般若心経』(講談社学術文庫)

「講話(鎌田)」:鎌田茂雄『般若心経講話』(講談社学術文庫)

「講義(高神)」:高神覚昇:『般若心経講義』(角川文庫)

「新しい読み方(立川)」:立川武蔵『般若心経の新しい読み方』(春

秋社)

「中村・紀野」:中村元・紀野一義訳注『般若心経・金剛般若経』(岩

波文庫)

「講義(奈良)」:奈良康明『般若心経講義』(東京書籍)

「読み方(ひろ)」:ひろさちや『般若心経の読み方』(日本実業出版

社)

「心経(無文)」:山田無文『般若心経』(禅文化研究所)

「毒語(無文)」:山田無文『毒語心経提唱』(禅文化研究所)

、ページは略号表中、大正蔵を原則とし、大正蔵に含まれないものは続蔵経

のものを使う。

(1)「中村・紀野」、p・'69.また解題全体を参照。

(2)大正蔵2053番、50巻、p224中;国訳一切経、史伝部]l、pp,14-15

(3)岸田千代子『般若心経百巻』(東京美術)p,8、石田茂作総説参照

(4)r続日本記三』新日本文学大系14(岩波書店)pp280-281、淳仁天皇、天平宝字二年八月十八日の項

(44)

130

(5)「読み方(ひろ)」、pp97-ll2参照、このエピソードは『維摩経』6章にある。r大乗仏典』7(中央公論社)所収の長尾雅人訳『維摩経』

pp」03-112を参照されたい。

(6)「読み方(ひろ)」、pJl3

(7)「心経疏(浄)」、続蔵経26巻、p、593下

(8)「心経疏(回)」、続蔵経26巻、p737下

(9)「心経略疏顕正記」、続蔵経26巻、p753上

(10)「心経費」、大正蔵33巻、p545上

(11)「心経註解(耳)」、注釈全集、p、123

(12)「智度論」、大正蔵25巻、p137中下

(13)「講義(高神)」、p205、第四調の注2

(14)「心経幽賛」、大正蔵33巻、p、536中

05)「心経略疏」、大正蔵33巻、p,553上

(16)「心経略疏顕正記」、続蔵経26巻、p、753上

(17)「心経口調」、注釈全集、p,124;「毒語註(白)」、同pJ27;「毒語註(東)」、

同p、128;「忘賛疏」、同pj31

(18)「忘賛疏」、同pJ31(19)r大智度論』に、「(摩伽陀国の王舎城に)婆羅門の論義師あり、摩陀羅と

名づく」

と説かれるこの「摩陀羅」(まだら)が舎利弗の祖父の名前である。因み

に、母は「舎利」、父は「提舎」、叔父で後に「長爪梵志」と呼ばれる人は「拘

郡羅」(〈きら)とある。「智度論」、大正蔵25巻、p・'37中下参照

(20)「講義(高神)」、p205、第四調の注2

(21)「中村・紀野」、p20、註20

(22)「心経(無文)」、p、81

(23)「心経註(提)」、続蔵経26巻、p、720下一p、721.上

(24)「心経費」、大正蔵33巻、p545上

(25)荒俣宏一『世界大博物図鑑4鳥類』(平凡社)、pp365-366参照。本書によれば、ハッカチョウも九官鳥もともに、ヒンディー語では“mainヨ”

と呼ばれるとのことである(英語はmyina、ドイツ語はMama)。(26)「心経疏(邇汕続蔵経26巻、p、600中(27)「心経述義」、大正蔵58巻、智光の既述は「心経疏(適)」に基づくようで、

同じ語の使用が多く見られる。また舎利女懐胎中の奇瑞調は彼女の弟

「長爪梵志」の名の由来とともにr大智度論』にある(本稿註(19)参照)。

(28)「心経費」、大正蔵33巻、p545上。なお『明度経」は「摩訶般若波羅蜜多経』の古名であるが、ここでは『大智度論』のことと考えられる。

(29)『翻訳名義大集」(鈴木学術財団)、No.1047"upatiSya"の項は「優婆提舎」

とあるのみであるが、No.1278の"upade5a"の項には「優婆提舎」「論議」の両語が載る。

(30)「智度論」、大正蔵25巻、p・'37中下ならびに本稿註(19)参照。

(31)「心経註(忠)」、注釈全集、pll8(45)

129

(32)『般若心経三註』、続蔵経26巻、p797上参照

(33)「毒語註(東川注釈全集、p」28(34)智光の「心経述義」は靖迺の「心経疏(邇)」によるところが大きいこと

はすでに述べた。それなのに「心経述義」になぜ「鷲」説が採られたの

か不可解である。写本における「鷲」と「鷲」の誤写、もしくは誤読の

可能性が高い。嫡適の「春鴬」もあるいは「春鷲」の誤写・誤読かもし

れない。本文中に述べたように、靖迦は「鶴鶴」という翻訳が誤りであ

るとはいうが、「鷲」「鷺」「春鷲」等についてはまったく触れていないか

らである。

(35)本稿註(55)参照

(36)「心経疏(適乢続蔵経26巻、p、600中

(37)「心経解)」、注釈全集、pl21

(38)「心経口讃」、注釈全集、p」24

(39)「講義(高神)」、p44

(40)「読み方(ひろ)」、pp95-96

(41)「講義(奈良)」、p、47

(42)「新しい読み方(立川)」、p、8

(43)「中村・紀野」、ppl81-l83

(44)「心経理性解」、続蔵経26巻、p、899下

(45)「心経註解(耳)」、注釈全集、p」23

(46)「毒語註(白)」、注釈全集、p・'27

(47)「心経(金岡)」、p79●

(48)同上。引用文中「甚般若波羅蜜多」は「甚深般若波羅蜜多」の誤り。

(49)「講話(鎌田)」、pp69-70

(50)「心経(無文)」、p、83

(51)本稿p」49、並びに註(5)、(6)参照。

(52)「空思想(梶山)」、pp43-49

(53)「心経疏(邇乢続蔵経26巻、p、600中

(54)「心経註(提)」、続蔵経26巻、p721上;「略疏顕正記」、統蔵経26巻、

p753上

(55)「智度論」、大正蔵33巻、pl36

(56)「心経直説」、続蔵経26巻、p828上

(57)「心経述義」、大正蔵57巻、p、6下一p7上

(58)「毒語註(白)」、注釈全集、ppJ26-l27。詳しくは「毒語(無文)」、

ppll8-l22等を参照されたい。(59)同上

(60)「毒語(無文)」、pp・'22-125

(61)「心経(金岡川p、79

(46)

128