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岡 山 日 伊 協 会 会 報 22 目 次 「イタリアの領土の多様性を決定づけた歴史的観点」 在大阪イタリア領事館総領事 ルイージ・ディオダーティ 1 「ガリレオのことばの魅力(続編)―科学と信仰のはざまで―」 京都産業大学外国語学部教授 イタリア語検定協会会長 小林 6 「ローマとローマ料理」 バベルの塔イタリア語文化センター長 エンツォ・コセンティーノ 8 「イタリア語と私」 会員 木元 知子 9 「ヴェルデイ生家とグアレスキ家の村:ロンコーレ」 会員 重見 久恵 11 「会長就任のご挨拶」 岡山日伊協会会長 岡山理科大学名誉教授 田邉 健茲 15 2019( 令和元) 年度 岡山日伊協会事業報告 18 2020( 令和2) 年度 岡山日伊協会事業計画 19 2020.8

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  • 岡 山 日 伊 協 会 会 報

    第 22号

    目 次

    「イタリアの領土の多様性を決定づけた歴史的観点」

    在大阪イタリア領事館総領事

    ルイージ・ディオダーティ 1

    「ガリレオのことばの魅力(続編)―科学と信仰のはざまで―」

    京都産業大学外国語学部教授

    イタリア語検定協会会長 小林 満 6

    「ローマとローマ料理」 バベルの塔イタリア語文化センター長

    エンツォ・コセンティーノ 8

    「イタリア語と私」 会員 木元 知子 9

    「ヴェルデイ生家とグアレスキ家の村:ロンコーレ」 会員 重見 久恵 11

    「会長就任のご挨拶」 岡山日伊協会会長

    岡山理科大学名誉教授 田邉 健茲 15

    2019(令和元)年度 岡山日伊協会事業報告 18

    2020(令和2)年度 岡山日伊協会事業計画 19

    2020.8

  • 「イタリアの領土の多様性を決定づけた歴史的観点」

    (2019年 11月秋の講演会)

    在大阪イタリア領事館総領事 ルイージ・ディオダーティ

    ディオダーティ氏はローマ大学で政治学を専攻し、空軍にて兵役

    を務めた後(当時は兵役の義務がありました)、外務省に入省されま

    した。在リトアニア・イタリア大使館、在ボリヴィア・イタリア大使

    館、OCSE(欧州安全保障協力機構)局、在インドネシア・イタリ

    ア大使館、在南アフリカ・イタリア大使館、外務省・総務・コンピュ

    ーター科学総局を経たあと 2017年 12月に、大阪の領事館に総領事

    として着任されました。

    紀元前 5~6 世紀の南イタリアとシチリアはギリシャの

    植民地でした。中北部には、エトルリア人が文明を築いて

    いましたが、テーヴェレ川を遡った土地に住み着いたラテ

    ン民族は、武力で回りの民族を制圧してゆき、最終的には

    地中海を囲う広大な領土を持つことになりました。これが

    ローマ帝国の最大判図 ローマ帝国です。その後 395年、大きくなりすぎた帝国は

    東西に分裂しますが、イタリアの所属する西ローマ帝国は弱体化し、ついに476年に滅びます。西

    ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルはイタリア王を名乗り、これが後の国の名前のイタリアになりま

    す。(因みに、イタリアという単語は古いラテン語の vitulus(ウイトゥルス=雄の仔牛)から転じ

    たものだとされています。)493年オドアケルが滅ぼされ、東ゴート王国が成立します。533年には

    東ローマ帝国が全土を掌握し、80年ぶりにイタリアはローマ帝国領に復帰しますが、もはや1属州

    に過ぎませんでした。更に、ゲルマン系民族のランゴバルド人の侵入により、北イタリアにはラン

    1

  • ゴバルド王国ができます。パヴィアを首都において、568年から 774年まで 2世紀以上続きました。

    (今のロンバルデイア州の名前はそれに由来しています。)東ローマ帝国のイタリア半島における

    支配力は大きく低下して、8世紀にはその勢力はイタリア半島の南端部のみになってしまいました。

    その後は、南端部の東ローマ帝国、シチリア島のイスラム教徒、ローマを中心としたローマ教皇領、

    北イタリアの神聖ローマ帝国などが割拠しましたが、このほかにも多数の都市国家が発展していき

    ました。

    左の地図は、1000年の縮図です。北から、ランゴバルド王国、

    ヴェローナ侯国、ヴェネツィア共和国、トスカーナ侯国、スポレ

    ート公国、ローマ教皇領、ベネヴェント皇国、カプア皇国、アマ

    ルフィ公国、サレルノ公国、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)、

    シチリア首長国(イスラム国家)などが見られます。やがて、南

    イタリアでは、東ローマ帝国に代わって、ノルマン人が台頭し

    てきます。これらの中にはイタリアの統一を試みるものがいま

    したが、ローマ教皇庁の思惑もあり、分裂した状態が続きます。

    右の地図は、1300年の縮図です。北イタリアでは、

    数多くの都市国家が隆盛を極めています。毛織物加工

    など手工業が発達し、商業が活発になり、また東方貿

    易が盛んで、それに伴って貨幣経済が進みます。11~

    12 世紀から商人組合が、13 世紀ごろから手工業者組

    合など同業者組合が生まれています。長い間、教皇派

    と皇帝派が争ってきましたが、十字軍の失敗で教皇の

    権威は衰微していきます。南イタリアはアンジュ家

    が、シチリア島はアラゴン家が支配しています。

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  • 左の地図は 1499年のものです。サヴォイ公国、

    ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共

    和国、フィレンツェ共和国、ローマ教皇領、ナポ

    リ王国、シチリア王国、サルデーニャ王国が見ら

    れます。西ヨーロッパでは中央集権が進み、強大

    な国家が生まれていきますが、イタリアでは教皇

    派と皇帝派の争いが続き、都市国家間の分立抗争

    が絶えず、国民国家が成立していません。トスカ

    ーナを中心に建築・彫刻・絵画・文学などにおいて文芸復興(ルネッサンス)が進み、近代科学(ブ

    ルーノやガリレイなど)も誕生して、長く栄華を誇ったイタリアの小国家はまだ衰えていないので

    す。(しかし、オスマン・トルコ帝国の地中海進出でイタリア諸都市の東方貿易は圧迫され、西ヨー

    ロッパの商工業の発達でイタリア諸都市の優位性は次第に失われていきます。イタリアが主導して

    きた中世的神学的な世界観も否定されていきます。そして、「新大陸の発見」で、商業活動は地中海

    から大西洋へと移り、西ヨーロッパの列強国は植民地を求めて世界へ進出していくのです。)

    次の地図は、1796年のイタリアです。イギリスやフランスでは、市民階級が成長しており、絶対

    君主による古い体制が打倒されます。(1649 年のイギリスの

    ピューリタン革命、1789年~1793年のフランス革命、1776年

    のアメリカの独立戦争など。)しかしながら、イタリアでは、

    サルデーニャ王国、ヴェネツィア共和国、オーストリア帝国、

    ジェノヴァ共和国、パルマ公国、モデナ公国、トスカーナ大

    公国、ローマ教皇領、シチリア王国など中小国家が見られま

    す。長い年月栄えた多数の小国家の存在こそが、今日のイタ

    リアの文化や食文化の多様性を形成しています。

    3

  • 啓蒙思想が各国の市民階級に影響を与え、知識層は革新を要求す

    るようになります。イタリアでもドイツでも国家統一の機運が高ま

    ります。1831年、マッツィーニはマルセイユでカルボナーリ党を吸

    収して青年イタリア党を結成し、イタリアの統一を目指しました。

    マッツィーニ サルデーニャ王国は人口 500 万人足らずの小国でしたが、すで

    に自由主義的な憲法が制定されて、産業革命も進んでいました。宰

    相カヴールはフランスと連合したり、オーストリアと連合したり、

    うまくイタリアの土地を奪還します。逆に、オーストリア帝国は政

    策に失敗して滅亡したため、イタリアは期せずしてアルプスの国境

    線までの南チロル地方を手に入れることができました。(南チロル

    とは現在のトレンティーノ・アルト・アデイジェ州で、多くのドイ

    ツ系住民が住んでいます。)

    ヴィットーリオ・エマヌエーレ 2 世 ガリバルディはもともと青年イタリア党の一員でしたが、南米に

    渡り、独立を目指す住民のために戦ったカリスマ的な革命家です。イ

    タリアに戻ったガリバルディは将軍に任命されて、統一戦争を戦い

    ました。ガリバルディは千人隊を率いて南下し、両シチリア王国を獲

    得し、ヴィットーリオ・エマヌエーレ 2世に献上します。カヴール

    ガリバルディ はローマ教皇庁との折衝に尽力します。こうして、1861年、サルデ

    ーニャ王国のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、宰相カヴール

    の外交手腕と、熱心な統一運動家のガリバルディの協力を得て、イ

    タリアを統一しました。

    (写真は在大阪イタリア領事館が提供したもの、文と構成は臼杵でした。)

    カヴール

    4

  • 講演会:熱心な質問が続く

    複雑な歴史を紐解く

    ディオダーティ総領事

    英語で挨拶される会長

    懇親会の様子

    5

  • 「ガリレオのことばの魅力(続編)-科学と信仰のはざまで-」

    (2019年 6月春の講演会)

    京都産業大学外国語学部教授、イタリア語検定協会会長 小林 満

    2019年 6月 29日(土)、ゆうあいセンターにて、小林先生の二度目の講演会が行

    われた。前年の講演会では検定試験の過去問題に多くの時間を取られたため、本題

    を終わることができなかった。今回は漸くガリレオの話が聞けた。科学的な話も交

    えながら、ガリレオの文体の整然さや論理的な言葉の使い方について話をされた。イタリアの高等

    学校の国語の教科書には、必ずガリレオの文章が載っているそうである。

    ガリレオ・ガリレイ(1564‐1642)は、もともと数学者であるが、落体の

    研究を行ったり(ただしピサの斜塔から落としたのではなかった)、オラン

    ダで考案された望遠鏡を自ら作り、倍率を 20倍に改良して、それで天体

    観察をして、ケプラーの地動説を確信した。科学的手法の開拓者で「近代

    科学の父」とされている。しかし、当時のイタリアの権力者たちの政争に

    巻き込まれ、職を失い、自ら支持する地動説のために異端審問される羽目

    ガリレオ、1636年の肖像画 になる。ローマ教皇庁の勢力が強かった時代のことである。

    コペルニクスの地動説を擁護したジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600、イタリ

    ア人哲学者、ドメニコ会の修道士)は、異端判決を受けたのちも自説を曲げなか

    ったために、1600 年に火刑に処せられていた。ガリレオは裁判で有罪判決を受

    けたとき、彼の二の舞とならないように、自説を撤回したと言われている。その

    時に「それでも地球は回っている」とつぶやいた、というのは後世の人の付け足しである。

    ガリレオは窮乏生活の末に病気になり、看病してくれた最愛の長女に死なれた。更に、望遠鏡で

    太陽を観察したり(「太陽黒点論」を著している)、木星(衛星を発見している)や金星(金星の満

    ち欠けを発見している)を観察したりして、目を酷使したために晩年に失明している。そういう状

    況の中でも、ガリレオは口述筆記で成果を残した。オランダで「新科学対話」を発刊した。

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  • 次の二つの文章と翻訳は、小林先生が持参された原文である。ガリレオがトスカーナ大公妃クリ

    スティーナ(メディチ家の)に宛てた書簡(1615年)の中からの抜粋である。

    *聖書と自然学(自然科学)は別のもの

    Io crederei che l’autorità delle Sacre Lettere avesse avuto solamente la mira a persuader a

    gli uomini quegli articoli e proposizioni, che , sendo necessarie per la salute loro e superando

    ogni umano discorso, non potevano per altra scienza né per altro mezzo farcisi credibili, che per

    la bocca dell’istesso Spirito Santo.

    その魂の救済のために必要であって、人間のあらゆる論証能力を超えているがゆえに、ほかでもない精霊

    の口以外の学問や手段を通しては私たちに信じさせられなかった箇条や命題を、人間に納得させるという

    目的だけを聖書の権威は持っていたのだと私は思うのですが、、、。

    *太陽中心説(地動説)の妥当性

    Avendo io dunque scoperto e necessariamente dimostrato, il globo del Sole rivogersi in sé

    stesso, facendo un’intera conversione in un mese lunare in circa, per quel verso appunto che

    si fanno tutte l’altre conversioni celestri;ed essendo,di più,molto probabile e ragionevole che il

    Sole, come strumento e ministro massimo della natura, quasi cuor del mondo, dia non

    solamente, com’egli chiaramente dà, luce,ma il moto ancora a tutti i pianeti che intorno se gli

    raggirano; se, conforme alla posizion del Copernico, noi attribuirem alla Terra principalmente

    la conversion diurna; chi non vede che per fermar tutto il sistema,onde,senza punto alterar il

    restante delle scambievoli relazioni de’ pianeti, solo si prolungasse lo spazio e ‘l tempo della

    diurna illuminazione, bastò che fosse fermanto il Sole, com’appunto suonan le parole del sacro

    testo?

    したがって、私は太陽球が自転をしており、他のすべての天体の回転がなされているのとまさに同じ方向

    に向けて、約一太陰月で一回転していることを発見し必然的な方法で証明しましたし、さらには、太陽が自

    然の最大の道具であり僕として、あたかも世界の心臓であるかのように、そのまわりを回転している惑星す

    べてに、明らかにそうしているとおりに光を与えているだけでなく、運動をも与えているというのは、非常

    に蓋然性が高く筋も通っていることなので、もしもコペルニクスの見解に合わせて、私たちが主に日周運動

    を地球のものにするとすれば、諸惑星の相互関係の残りの部分をまったく変えることなく、昼の照明の空間

    と時間だけが延びるように、系全体を止めるためには、聖書の語がまさに示しているとおりに、太陽が止め

    られるだけで十分であったことをわからない者などいるでしょうか。

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  • 「ローマとローマ料理」

    (2018年11月秋の講演会)

    エンツォ・コセンティーノ

    バベルの塔イタリア語文化センター長

    東京の日伊協会と提携している語学学校の「バベルの塔イタリア語文化センター」のエンツォ・

    コセンティーノ先生が、岡山日伊協会にやってこら

    れました。彼にとってはキャンペーンですが、初め

    ての来岡なので、「ローマとローマ料理」について

    話をしていただきました。

    ローマの料理というと、有名な「ローマ風仔牛の

    ソテー Salt in bocca alla romana」を思い浮かべ

    ます。薄切りの仔牛肉にサルヴィアと生ハムを乗せ

    た、とても上品な料理です。

    しかし、「ローマ風モツのトマト煮込み(トリッ

    パ)Trippa alla romana」も有名で、日本でも多く

    のファンが

    います。こ

    れは、牛の胃袋(ハチノス)をトマトやローリエと一緒に

    煮込んだ庶民の家庭料理です。19 世紀にローマ郊外(地下

    鉄のピラミデ駅近Testaccio地区)に畜殺場(mattatoio)が

    作られて、そこで働く人たちは、動物の内臓を貰えたそう

    です。ですから、ローマには、牛や羊の脳みそ、胃袋、腸

    などを使って工夫された、庶民の様々な料理があります。

    中でも、「トリッパ」は、今やイタリア中で(世界中で)食

    べられています。

    ローマの気候は西日本と似ていますから、美味しい野菜・果物が育ちます。昔から、南からの移

    住者も多く、シチリア料理(ライスボールなど)やナポリ料理(ピッツァなど)も定着していま

    す。夏には、ジェラートのほかにレモンシャーベットやコーヒーシャーベットなどもあります。

    最後に、岡山日伊協会はエンツォさんの学校と提携しているので、会員さんは授業料が 2 割引

    になります。行きたい方は当協会に申し出てください。

    (文は臼杵でした。)

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  • 「イタリア語と私」

    会員 木元 知子

    私が初めてイタリア語に出会ったのは、親友と二人でイタリアに旅した時だ

    った。イタリアの素晴らしい風景や数多い遺跡もさることながら、一番印象に

    残ったのが、楽しく滑らかに聞こえるイタリア語だった。

    言語はその国の文化、精神、思考方法を反映するといわれる。イタリア語の

    美しい響きは、確かにオペラを観ればそのことがよく理解できる。イタリア人

    の明るさは太陽の輝きを思わせる。帰国してすぐ私たちは、イタリア語のラジ

    オ講座を聞き始めた。

    こんな風に外国語を学ぶことは、

    学生の時以来であったので何かワ

    クワクして、毎日の単調な生活に

    少し彩りが加わったような気がし

    た。講座の内容も中年の夫婦がイ

    タリアを初めて旅する(ショート

    ステイだったかも知れない)もの

    であったので、よけい身近に感じ

    られた。友達に会うとイタリア語

    講座の話に花が咲いた。そのうち

    彼女は家庭の事で忙しくなって、

    イタリア語から遠ざかっていった。

    私はもう少し詳しく文法を勉強したいと思い臼杵先生を訪ね、教室に入れて

    もらえることになった。最初はただ活用などを覚えることに一生懸命だった。

    覚えてもすぐ忘れるということの繰り返しで、なかなか上達しなかったが、仲

    間もでき、なんとか続けることがで

    きた。イタリア語の簡単な本を、辞

    書を引きながら読み始めるようにな

    ると、文法でつまずくことも多かっ

    た。だんだんレベルが上がるにつれ、

    うまく日本語に訳すことがむずかし

    くなってきた。その頃は、イタリア

    語をストレスに感じ少し離れたいと

    思ったが、そんな時あえてイタリア

    語の CD を聞くと不思議に気持ちが

    9

  • 落ち着いたものだった。気がつけばイタリア語が私にとってどうしても別れら

    れない恋人のような存在になっていた。不思議な感覚だった。イタリア語の会

    話を聞き取ることは難しいが、今もできるだけ CD を聞くようにしている。

    イタリア語を習い始めて5、6年経った頃、ドイツ語を学ぶ機会を得た。ド

    イツ語は言語としてきわめて秩序正しく、精緻な哲学思想を形成するのに最適

    で、ドイツ人の気質にもそれが表れているように思える。

    2つの国の文化と国民の気質を対比でき、言語に対する視野が広がり、もう

    一度イタリアの歴史を深く勉強したくなった。

    今でも授業でとんでもない訳をしてご迷惑をかけているが、先生はそれを優

    しく見守って下さっている。いつか「わたしにもこんな難しい本が読めるよう

    になった」といえる日が来るように、これからもゆっくりとイタリア語を勉強

    していきたい。

    (2014年秋季イタリア語検定試験準2級合格)

    コロッセオに行く途中、花嫁さんを見る ヴェネツィア サン・マルコ広場にて

    ローマ ボルゲーゼ美術館前にて ジェノヴァのホテルにて

    10

  • 「ヴェルディ生家とグアレスキ家の村:ロンコーレ」

    会員(イタリア語上級クラス)

    重見 久恵

    エミリアロマーニャ州にあるロンコーレは作曲家ヴェルディの生家と作家グ

    アレスキの自宅兼記念館のある小さな村です。 2017 年秋晴れの一日、小さな幸運に恵まれながらこの地を訪れました。

    前日、オペラ好きの友人の希望でブッセートのヴェルディ劇場すぐ隣にある

    老舗ホテルに宿泊しました。ロンコーレに行くため、おそらく町に一台だけらし

    いタクシーを依頼したところ、いつもの運転手の弟という青年がやって来まし

    た。この青年がとても良い人だったのです。

    (画像は Google マップから借用)

    ヴェルディは有名なオペラ作曲家ですが、作家グアレスキはあまり知られて

    いないと思います。当時、イタリア語教室で彼の短編集を学んでいました。ロン

    コーレはグアレスキ原作の映画「ドン・カミッロ」の舞台らしいというおぼろげ

    な情報で運転手青年に尋ねたところ「家があるよ」と言うのです。

    案内された建物はグアレスキの自宅であり記念館でした。予期していなかっ

    た幸運に大喜びしていると案内の女性が現れ、館内の説明をしてくれました。

    11

  • グアレスキの家はヴェルディ生家の隣。入口

    案内板にはグアレスキ一家の写真

    館内には伊仏合作映画「ドン・カミッロの小さな世界」の写真がたくさんあり

    ました。登場人物の神父ドン・カミッロと左翼政党の町長ペッポーネのモデルに

    なった実在人物の写真もあり、彼らの数々のエピソードが現実に繰り広げられ

    ているように感じる場所でした。

    12

  • 休憩した向かいのバール 隣のヴェルディ生家

    映画「ドン・カミッロ」の主人公 共産主義者の町長ペッポーネ

    カミッロ神父を演じるフランス人俳優 を演じるイタリア人俳優

    Femandel(ポスター) Gino Cervi(ポスター)

    そして、なんと、案内してくれた女性はグアレスキの孫娘でした。グアレスキ

    を日本で勉強していると話すととても喜んでくれて、父、つまりグアレスキの息

    子さんに会わせると言うのです。そこまでしなくても、と遠慮したのですが、押

    し切られて対面したのが息子さんともう一人の孫娘さんでした。

    13

  • ロンコーレは本当に小さな村で、この地域の中心地はブッセートです。ヴェル

    ディ劇場があり、オペラ上演中は大勢の人でにぎわうようですが普段は静かな

    地方の町です。田舎の良さとヴェルディゆかりの地である外国人にも慣れた接

    客がとても居心地良い町でした。

    モデナから各駅列車で 駅から徒歩 10分程で中心地へ

    建物の右側部分がヴェルディ劇場 ブッセートのポルティコ

    その後、ヴェルディが住んでいたサンタアガータを訪れました。どうやら開館

    してない様子でしたが、運転手青年が受付の女性と交渉したらしく彼の案内で

    森のような広大な庭を歩きました。この地では音楽をほとんど聴かず自然の音

    を愛していたこと、青年のお婆さんが「ヴェルディはとても良い地主だった」と

    言っていたこと、愛犬のお墓など、心にしみる

    ガイドをしてくれました。

    この青年の親切さと「ピアヌーラ・パダーナ」

    を実感させる広々としたパダーノ平原の景色

    が今も心に残る旅でした。

    14

  • 「会 長 就 任 の ご 挨 拶」

    岡山日伊協会会長 田邉 健茲

    (岡山理科大学名誉教授、天文学者)

    このたび会長に就任することになりました田邉 健茲

    (たなべけんじ)です。皆様もよくご存じのように、今

    年は日本とイタリアの友好 150 周年という記念すべき

    年ですが、日本人にとっては、ずっと以前からイタリア

    とは何らかの形でかかわりがあったと思われます。私

    個人にとってもイタリアはいろいろな形でかかわりが

    あり、ご挨拶とともに自己紹介も兼ねてそのあたりの

    お話をしたいと思います。

    私は約 50年近くにわたり天文学、天体物理学の研究

    者として(後半は岡山理科大学教授として)過ごしてま

    いりましたが、その中で最初のかかわりは 10歳頃、ガリレオ・ガリレイという名

    前の天文学者・物理学者を知ったことです。彼はピサで生まれ、ピサ大学で勉強し

    たのちパドヴァに移り、そこで自作の望遠鏡で初めて天体観測を行い、数々の大発

    見をして、それが人類の宇宙観を変えたこと、また力学の実験的研究により、力と

    運動の正しい関係を導いたことで知られています。私はかねてからピサに行きたい

    と思っていました。幸い、大学時代(京都大学理学部物理学科)の親しい同級生で

    ある優れた素粒子物理学者・小西憲一君がピサ大学教授であったので、2011 年に

    パレルモで国際会議に出席した帰りにピサに寄って、小西君にガリレオの生家など

    を案内してもらいました。

    ピサ ガリレオの生家前にて ローマのジョルダーノ・ブルーノ像と私

    私(左)と小西君(ピサ大学教授)

    15

  • もう一人、私にとって重要な人物はジョルダーノ・ブルーノです。16 世紀後半

    に彼はコペルニクスの太陽中心説(いわゆる地動説)が正しいと強く信じて、その

    普及ならびに自身の無限宇宙の考えを広めるためにヨーロッパ各地を訪れました

    が、その過激な考え(今日では正しいとされている)が必ずしも受け入れられず、

    最後にイタリアへ戻ったところ、頼りにしていた人物に裏切られて、1600 年にロ

    ーマの「花の広場」で火刑に処せられました。ここには彼の銅像がそびえたってい

    ます。2013 年に 2 回目のイタリア訪問の際、国際会議のため滞在していたパレル

    モでローマ在住の若い研究者ピエトロに「ローマでジョルダーノ・ブルーノに会っ

    てきた。」と言ったら彼はびっくりして「どこで」と聞くものだから「カンポ・デ・

    フィオーリ」というと「なーんだ」と大笑いして、「ぼくはブルーノと同じノラ出

    身なんだ」と言ったので今度は私のほうがびっくりしました。

    多くの日本人にとってイタリアは芸術、特に絵画や彫刻となじみが深いと思いま

    すが、私にとっては音楽、とりわけイタリア・オペラと最も深くかかわっています。

    1961年、NHKがイタリア歌劇団という名前でよりすぐりの名歌手たちを招聘し、

    いくつかのオペラの名曲を上演して放送してくれました。これは多くの日本人にと

    って衝撃的なことでした。というのは当時世界最高の歌手であったマリオ・デル・

    モナコ、レナータ・テバルディ、ジュリエッタ・シミオナートといった名歌手たち

    の火の出るような歌唱と演技を、TV 画面を通してではありましたが、まのあたり

    にすることができたからです。それ以後今日に至るまで、私にとってイタリア・オ

    ペラは大好きな音楽芸術のひとつになっています。ヴェルディやプッチーニ、ロッ

    シーニ、ドニゼッティ、ベッリーニといった作曲家のオペラは、私にとってはモー

    ツァルトやバッハ、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ワー

    グナーといったドイツ系の作曲家の作品と同じくらい重要な位置を占めています。

    歴史的にはドイツ音楽はイタリア音楽の上に成り立たっているというのが正しい

    でしょう。

    私と妻は、イタリアでも特にシチリア島の州都パレルモに私の仕事(激変星に関

    する国際会議)の関係で 3度滞在しました。総滞在日数は 25日くらいかと思いま

    す。三度目に行ったときは自分の故郷に帰ってきた、と強く感じ、これからも何度

    も行きたい(帰りたい)と思っています。それとともに、知り合いになった人たち

    がいるローマやピサ、その他の都市やまだ行っていない北イタリア地方、サルデー

    ニアにも足を運んでみたいと思っております。

    私のこれまでのイタリア体験と、イタリア

    文化、そしてイタリアの人々への思いが皆様

    のお役にたてることを願っています。

    パレルモ郊外の町、モンデッロ

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  • (追 記)

    この文は今から 4 年近く前の 2016 年に書かれたもので、以下を追加したいと思

    います。その後私は、妻と共に 2017 年、2019 年とパレルモを訪れました。目

    的はこれまでと同様「激変星」に関する国際会議に出席し、研究発表することで

    した。ただし昨年 2019 年は、初めの 1 週間のパレルモ滞在から、さらに 1 週

    間延長してシチリアの南の都市を巡ってきました。アグリジェント、カターニ

    ア、シラクーザでは(道中も含めて)現地の方々と(小学生のこどもさんたちも

    含めて)じかに交流ができ、皆さんの優しさに触れ、また大変お世話になりまし

    た。このような体験が出来たのは、私も妻に負けずに思い切ってイタリア語を使

    ったからだと思います。ただ、私のイタリア語の出所は多分にイタリア・オペラ

    の台詞(歌詞)によることが多いことを付け加えたいと思います。

    田邉 健茲(岡山理科大学名誉教授)

    田邉 直子(イタリア語上級クラス)

    2019年夏、アグリジェント考古学博物館のテラモーネ 2011年夏、ピサの斜塔を前にして

    (巨大人型円柱)の足元にて

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  • 2019(令和元)年度 岡山日伊協会事業報告

    春の講演会 題目:「ガリレオのことばの魅力(続編)―科学と信仰のはざまで―」

    講師:小林 満(京都産業大学外国語学部教授)

    日時:2019年 6月 29日(土) 14:00~16:00

    場所:きらめきプラザ2階ゆうあいセンター研修室1

    総 会 日時:2019年 6月 29日(土) 16:30~17:00

    場所:きらめきプラザ2階ゆうあいセンター研修室1

    懇親会 日時:2019年 6月 29日(土) 18:00~20:00(17:30受付)

    場所:レストラン&ワインズ「アリスタ」 岡山市北区磨屋町 1-1

    第 49回実用イタリア語検定試験

    日時:2019年 10月 6日(日) (9:00~16:00)

    場所:岡山大学文化科学系総合研究棟 演習室 1,2,3,4

    岡山日伊協会役員会

    日時:2019年 10月 6日(日) (16:00~17:00)

    場所:岡山大学文化科学系総合研究棟 演習室 1

    秋の講演会 題目:「イタリアの領土の多様性を決定づけた歴史的観点」

    講師:ルイージ・ディオダーティ(在大阪イタリア領事館総領事)

    日時:2019年 11月 30日(土) 14:00~16:00

    場所:きらめきプラザ2階ゆうあいセンター研修室1

    イタリアワイン新酒とイタリア料理の会 “Festa del Vino Novello”

    日時:2019年 11月 30日(土) 18:00~20:00

    場所:ファロ・ピッコリーノ 岡山市北区中山下 1-9-12

    第 50回実用イタリア語検定試験

    日時:2020年3月 1日(日) (9:00~16:00)

    場所:きらめきプラザ 2階ゆうあいセンター

    *国の新型コロナウイルス感染症の予防対策のため、実施されませんでした。

    岡山日伊協会役員会

    日時:2020年 3月 1日(日) (14:00~15:00)

    場所:きらめきプラザ 2階ゆうあいセンター

    イタリア語講座 2019年 4月~2020年 3月

    入門・初級・中級・上級 (きらめきプラザ2階ゆうあいセンター)

    初級会話・中級会話 (国際交流センター6階 COINN)

    入門・初級・中級・上級の講師:臼杵 淑(岡山大学講師)

    会話の講師:Francesco ZANLUNGO(ミラーノ大学卒、ボローニャ大学院卒)

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  • 2020(令和 2)年度 岡山日伊協会事業計画

    第 51回実用イタリア語検定試験

    日時:2020年 10月 4日(日) (9:00~16:00)

    場所:岡山大学文化科学系総合研究棟 演習室 1,2,3,4

    岡山日伊協会役員会

    日時:2020年 10月 4日(日) (16:00~17:00)

    場所:岡山大学文化科学系総合研究棟 演習室 1

    第 52回実用イタリア語検定試験

    日時:2021年 3月 7日(日) (9:00~16:00)

    場所:岡山大学文化科学系総合研究棟 演習室 1,2,3,4

    岡山日伊協会役員会

    日時:2021年 3月 7日(日) (16:00~17:00)

    場所:岡山大学文化科学系総合研究棟 演習室 1

    イタリア語講座 2020年 6月~2021年 3月

    *新型コロナウイルス感染症の予防対策のため、4月・5月は開講されませんで

    した。

    入門・初級・中級・上級 (きらめきプラザ2階ゆうあいセンター)

    会話コース (きらめきプラザ2階ゆうあいセンター)

    入門・初級・中級・上級の講師:臼杵 淑(岡山大学講師)

    会話の講師:Francesco ZANLUNGO(岡山大学助教)

    <お詫び>

    竹山 博英(立命館大学名誉教授)による講演会「プリーモ・レーヴィ―詩から見え

    る人生―」及び総会並びに懇親会を 2020年 6月 27日(土)に予定していましたが、新

    型コロナウイルス感染症の予防対策のため、実施を取り止めることといたしました。

    また、新型コロナウイルスの感染事情を踏まえ、以後の当協会主催のイヴェントも

    当面の間、実施を見合わせることとしました。

    当協会のイヴェントを楽しみにしていただいていた方々には申し訳ありませんが、

    何卒ご了承くださいますようお願いいたします。

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