2015年上半期 ③「さんりく未来推進センター」支援活動報告...
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社団 さんりく未来推進センター
事務局長 齋藤大介
4月8日(水)「初出社」
65歳からの「再就職」初出社。「和光3・11」イベント絡みで、復興庁や岩手県が絡む「一
般社団法人 さんりく未来推進センター」という団体。
神田駿河台の、今や身売りし、あの響きも消えて久しい「カザルスホール」の元楽屋が、建設省
出身、日大教授の大学「研究室」。この団体の代表。
色々お話を伺う。「三陸海岸の事業・雇用の支援」「町興し」がメイン。「販路開拓 顧問」の肩
書きで、三陸海岸の起業者・事業者の生産物、商品を、首都圏などで販売する仕事。
これまで、東北の主に宮城、福島での仮設訪問と、和光市近隣の避難者の集いやイベントの2本
柱で、これまで出来なかった「岩手県へのコミット。そして、現地の事業・雇用の支援」。ツー
トンカラーの名刺も届いた。さあ、スタート!
4月15日(水)提携企業「NECネッツアイエス」と打ち合わせ
飯田橋にあるNECネッツエスアイ本社の入居している大きな住居・事務所併用タワーロビーで、
4月28日(火)、第10回「企業マルシェ」(東北物産展) を開催。「さんりく未来推進センタ
ー」がテレビ衛星中継を使っての「ヴァーチャル産直」出店するための打ち合わせ。「NECネ
ッツアイエス」本社会議室で、陸前高田3人、仙台3人、飯田橋6人と同時の「テレビ会議」。
岩手、宮城、福島のアンテナショップや、馴染み?の福島オルガン堂など大勢の出店者のひとつ。
終日開 催で、毎回1000~3000人が訪れる、という。
4月17日(金)提携企業「三井住友海上」と打ち合わせ
2015年上半期 ③「さんりく未来推進センター」支援活動報告(簡素版)
10時半、古巣の三井住友海上本社に、久しぶりの「出社」、いや「訪問」。私の「入社」した「さ
んりく未来推進センター」と提携しているので、零細中小企業支援部門の部長や課長らと、顔合
わせ。5月、同社東北本部の復興支援専任部長、課長と面談することに。1時間弱の打ち合わせ
のあと、カザルスホールの楽屋跡の研究室で30分、打ち合わせ。5月に岩手2泊3日出張。
4月24日(金)第10回「東北物産展」出店打ち合わせ
8時40分、飯田橋。久しぶりの通勤ラッシュに揉まれ、4月28日の「NECネッツア
イエス本社1階ロビーでの「第10 回東北物産展」への出店打ち合わせ。テレビ衛星中継
で、宮古と結び、生産者が来場者と双方向で質疑もする。11時すぎに終了。
2時京橋。以前勤めていた明治屋の隣にあった会社は、現在、再開発中で、近くの2つの
新しいビルに仮住まい。まず、そのひとつで、社内販売部門の関連会社 営業本部長と面談。
「さんりく物産」の社内販売について、意見を聞く。「工場は男が圧倒的。安ければ、だけ。
良いものでも、高くては売れない。」。別な建物の、社内販売ショップを見物。
4月28日(火)第10回「企業マルシェ 東北物産展」出店。
午前7時すぎ、乗り換えの和光市はラッシュ。8時すぎに飯田橋。「第10回企業マルシェ
東北物産展」に、出店。商品を並べ、宮古とのテレビ中継回線 チェック。11時イベント
開始。こちらのコーナーの近くには、陸前高田や大槌町など岩手勢。中央は飯館や川内村、
いわき、そして「ふくしまオルガン堂」の 人など福島勢。端は、山元町商品は様々。色と
りどり。など宮城県勢。岩手、宮城、福島のゆるきゃら、大活躍。大もて。
さて、こちらのコーナーは、唯一、産地と結ぶテレビ中継。並べた10社の商品は、ほぼ
宮古市。そこで、宮古に集まった生産者と、こちらの「ライブ中継」で、双方向の情報発
信。扱った10社の商品はこのようなもの。午前11時から午後7時まで、ほぼ立ちっぱ
なしでの「売り子」。疲れました。ま、ほかのコーナーに比べ、まだ沢山の課題があること
を皆、体感した。最後に、宮古とこちら全員で、「はい、ポーズ!」帰宅8時半。
5月8日(金)定例会議
定例の打ち合わせにお茶の水へ。
1時間の打ち合わせ で、いくつかの大きな課題の具体化の宿題をど~んともらい、早速、それ
ぞれの企画と下調べを始めなければならなくなった。ともかく「全て任せる」ので、 「成果」
を挙げること、と釘を刺され、また、挑戦意欲がふつふつと。
5月13日(水) 山根商店「恵比寿三越」出店レポート
19日まで、恵比寿三越地下2階で、「いわて三陸ブランドフェア」開催。
山根商店さんが出店するので、お手伝いでも、と申し出。
11時開店と同時に売り場へ直行、山根代表とご挨拶。
陳列している豊富な魚介類の説明を一つ一つして頂く。「原料+塩」「原料+岩手産麹」など化学
調味料や保存料、着色料など一切使わない、素材の美味しさと昔からの加工のコツへの拘りがよ
く分かった。そして、「お手伝いはなにかありますか?」というと、「いいえ、いつも頼んでいる
マネキンがいるので、大丈夫です。でも、ありがとうございます。」。
一 回りしていると、岩手日報東京駐在の女性記者が写真を撮りながら取材。岩手日報で即日入
手できるのは、東京ではアンテナショップだけで、あとは 1 日遅れの郵送、と。
すると、比較的若い三越男性担当者(「フード(B2フードガーデン1)アシスタントセールス
マネージャー)から「取材ですか?」と声をかけられ、名刺交換。早速、手書きの「社名入り取
材シール」を頂き、胸に貼り、写真撮影もOKに。聞けば、このマネージャーが出店している店
の駅弁を知り、この企画を思いつき、恵比寿店の店長も岩手県出身だったので、協力的に進める
ことが出来た、と。今後のイベントの相談や出店も出来そう。
そうこうしていると、お客様がちらほら。主に裕福そうな年配者や夫婦。
そして、凄い! 来て、さっと迷わず、値段も見ず、「さんま縄文漬」や「時不知の鮭」などを取
るお客 2 組が相次いだ。
伺うと、「以前、ほかの場所で買って、美味しかったから。」と、
さらに、迷って、年配の女性、「あれもこれも迷っちゃう」と5000円近くのお買い上げも。
もちろん、カード支払い。1時に失礼するまでに私が目撃した山根商店の購入客10人近くのほ
とんどは、全て「三越カード」支払いだった。
ポツリと 隣の釜石から出店の売り子さん、「釜石じゃ、現金以外見たことない。」。
ちなみに、この売り場には、ほかに陸前高田、大槌などからの色々な産物の出店。
若い男女の客が立ち止まっているので、聞くと、男性は元岩手銀行員で、辞めて東京に出て別な
仕事をしている、という。元々盛岡出身だったが、地銀の転勤で県内の海岸線の店にもいて、懐
かしい、と言う。さらに、「トマトジュース」などを販売していた、如才ない話しぶりの年配の
男性、は、どこかでお目にかかった、と思ったら、思い出した。テレビ番組で、だった。陸前高
田の自動車学校経営、「名物社長」(「株式会社高田自動車学校 代表取締役社長 田村満さん」)
は、平泉や遠野でも自動車学校経営しながら、大船渡では「三陸けせん家」という海産物加工・
販売会社や、農産物生産・加工・販売の、ご自分の名前と奥様の名前の 2 文字をつけた「満福
農園」も経営という。この出店した店での売り子は、若い 30 歳前後の男性2人。ひとりと名刺
交換。3・11以降陸前高田にボランティアで入り、今もその延長線の仕事、という。また、そ
の場にいた同年輩?の方とも名刺交換。すると、NPOで岩手支援している代表という。ほぼ同
業?の「町興し」が仕事らしい。今後お互いにメール連絡を約す。
そして、昼休み。弁当の売り場に人が群がるが、それも1時近くには退ける。
約2時間。あちこちの試食で、さんりくの食材を堪能し、自分用の「土産」を主に山根さんのと
ころで購入。
《出店リスト》
1 山根商店―宮古市 主に鮭、いか、さば、さんま、の縄文漬けなど製造販売
2 (有)リアス海藻店―釜石市 主に昆布、めかぶなど販売。
3 満福農園―陸算高田市 主にトマトジュースなど販売。
4 きのこのSATO(株)-陸前高田市 しいたけ販売
5 中洞牧場-下閉伊郡岩泉町 牛乳、ヨーグルト、アイスクリームなど販売。
6 蛇の目本店―宮古市 ちらし海鮮寿司弁当販売
7 六串商店―上閉伊郡大槌町 三陸各地の海産物、そして弁当など販売
《5月17~19日 宮古出張》
5月17日(日) 盛岡・宮古出張初日
久しぶりの東北新幹線で、午後3時より、盛岡市内のホテルロビーで待ち合わせの大手ソフト会
社社会貢献室長と、主にIT起業支援など打ち合わせ。
6時から、宮沢賢治が通った印刷会社のある材木町の地ビールレストランへ。宮沢賢治がいた。
チェロが道路に置いてあった。乾杯。9時ホテルに入り、爆睡する。
5月18日(月) 盛岡・宮古出張2日目
朝、散歩。岩手山に僅かな雪。駅前には「盛岡白百合」の生徒たち。盛岡駅前7時40分発、
急行バスで宮古へ。2時間新緑の山々を背景に、次第に太さを増す河に沿って、10時前着。
10時から、2手に別れる。宮古支部の案内で、レンタカーで、事業所訪問。
① 有限会社 古須賀商店―熊之助本舗― 古舘誠司さん
伺うと、誠司さんとご両親がおられ、ご挨拶。まず、酒の肴にとても美味しい燻製の「熊之
助」の小さくパック化した商品や、小さな瓶に入った、鮭の頭から取れるわずかな軟骨を手
間をかけ、10匹ほど集めてぶどう汁に漬けて作った未発売の新商品を紹介される。また、
出来上がったばかりの、8つの食品加工事業者の集まった「八艘の会」のパンフレットも封
切りで数十枚頂く。ネット販売用のグループらしい。その後、作業所をちらっと拝見。清潔
に磨かれていた。なお、堤防からわずか数十メートルにあるこの店舗は、3・11の津波で
地表50cmほど浸水。なのに、斜め向かいの住宅では1mと、水流は複雑だった、と言う。
②潮風のハーブ園 古舘 富士子さん
丸徳さんにお寄りするが、従業員のみで相手不在、と、次にハーブ園へ。隣には、「災害復興住
宅」建設中。広大な土地に40種ほどのハーブが植えられて、それぞれ、無農薬栽培なので、雑
草とともに色を変え、群生している。そのひとつの葉をちぎって鼻に近づけると、「う~ん、ク
ール!」。ミント、ハッカの香り。自宅裏では85歳の義祖母さんが黙々と自家製野菜の農作業。
富士子さんに案内頂く。
ビニールハウスの中で天日干ししているひとつひとつの花びらは、全て手作業で摘み取られたも
の。昨年の耕作面積の倍以上に拡げ、その分、雑草取りや収穫などの手作業がかかる。それを「チ
ャレンジ」の仲間で、イラストステッカーなど作る盛岩幸恵さんが高校生のボランティアを集め、
手伝いに来る、という。また復興災害住宅完成後には、沿岸部の知らない被災者たちが移り住ん
でくるので、ハーブの農作業のお手伝いを頂いたり、カフェのような空間でハーブティーを飲ん
でくつろいでもらったり、とコミュニティ形成のお役にたてれば、と。富士子さん自身、嫁いて
来たこの地域の「部落」は閉鎖的で、津波被害の無かったこの地区で、3・11での犠牲者は夫
ただひとりで、遺族の悲しみや、それまで趣味だったハーブ栽培をこれまでの米やとうもろこし
栽培をやめ、本業としたことに対し、周囲に理解されず、落ち込むことがある、という。
③ 有限会社 丸徳 徳江邦子さん
いったん、立ち寄ったが、不在だったので、再訪。邦子さんは超多忙。翌日にも訪問約す。この
ちくわ製造会社は明治41年以来の大工場が流され、唯一重い、大きな石臼と、昔から小学生の
工場見学の感謝新聞のうち、ほんの数枚だけが残った。
④南部鮭加工研究会 佐々木信男さん
寄ると、信男さんのお嫁さんやご両親がおられた。早速作業所見学。凄い手間のかかる作業を3
人がマスク、手袋で黙々とこなす。燻製にした鮭の皮をはいだ身を、さらに一定の長さの板状に
し、それを包丁で均等な厚さでスライスしている。迎いでは、高齢な方が、ピンセット!で小さ
な燻製の断片を、小袋に詰め、平らになるよう、ひとかけらづつ寝かす。ここの商品も先日頂い
たが、当然、余計な着色、保存、香料など無し。
見終わって、お祖父さんと「美味しかったですよ。」と話す。すると、予想外な返事。「いやあ、
こんなもの食べてらんねえ。鮭食うんなら、生のほうがよほどうめえ。まず、ここの燻製、食っ
たことねえなあ」。
2015 第1回さんりく未来 コミュニティCaféカフェ
①明神丸 中村敏彦さん、麻利さん夫妻と個別面談
14時~14時30分 シートピアなあど 2階会議室
全体のイベントが始まる前、30分、牡蠣ほたて養殖の明神丸、中村夫妻と個別ヒアリング。
まだ若く、ご主人敏彦さんと名刺交換すると、「こっちは営業。別ですから。」と。確かに敏
彦さんの名刺は、普通のそっけない表面だけ。一方の妻、麻利さんの名刺は、写真入り、イ
ラスト文字で、裏面にも営業の文字やイラスト。
さて、敏彦さんの話。口が重いので、こちらからの都度の質問で聞き出す。
「今年は、約10万粒の生産分はネット販売などもあり、全て売り切れ、一方で、在庫を抱
えた同じ地区の同業者から買って不足分を充当した。しかし、個人相手の少量販売では、手
間がかかりすぎて大変だった。なので、一箇所で良いので、牡蠣小屋のような大量消費をし
てくれる先があればと思う。先般の東京都北区イベントでレストランとの商談が出来、話し
合ったが、2回ほどの価格交渉で、小パックでの保冷車での輸送費が高く、折り合いがつか
なかった。九州の牡蠣も大産地だが、輸送費、鮮度の問題で、福岡という大消費地どまりで、
首都圏には入らないくてもやっていけるが、ここの近くには仙台だけで首都圏への出荷は魅
力だ。また、ツアー客に浜での牡蠣食べ放題イベントで、短時間で大量消費というやり方も
もっとやって行きたい。
また、この地区では、約50万粒程度の生産量で、これまで養殖再開した仲間の中には、助
成金が切れる2年後には廃業するという方もいて、その漁業権も買取り、規模を倍以上にし
て行きたいと思う。やはり、まだまだ技術的には課題があり、これら先輩の中には、養殖の
コツを会得していて、100%、どの牡蠣殻を開けても、大粒に成長している、というレベ
ルの人がいて、まだ自分のは、90%行っていないし、毎年、同じ場所で同じように養殖し
ても、同じような収穫があるかといえば、天候や潮の流れなどで毎年違いもあり、ここ山田
湾と同じ三陸の気仙沼や石巻などの牡蠣とは、見た目や味、香りも異なるので、研究の余地
はまだまだある。
朝3時に起床、4時に船で筏作業開始、昼に作業終了、という、普通の勤め人とは、数時間
のズレがある日常。今後の事業発展に伴う資金繰りなどの仕事は、これまでコンピューター
を使うこともなく、漁協任せだったが、これからは心入れ替え、夫婦で勉強もしてゆきたい。」
これに対し、最も牡蠣の美味しい5月GW明けに、首都圏からツアー協力検討を申し出た。
②第1回さんりく未来 コミュニティCaféカフェ
14時30分~17時
初の試み。これまでに関係した事業者、起業者の方々に集まって頂き、社団職員紹介や参加
者の紹介、さらに「さんりくチャレンジクラブ」の紹介と、メインは、参加者相互のフリー
トークやその商品の展示、試食を通じて、「情報交換」や「コラボへの糸口」の提供に資すれ
ばとの企画。直前まで企画変更や出席者の増加での会場変更や時間変更などで、及川さんは
てんてこ舞いだった。(出席者一覧は、別途)
・挨拶と自己紹介、フリートーク
冒頭、社団職員紹介などのあと、高村代表から「社団方針。チャレンジクラブ説明」など
あり、ノンアルコールで乾杯。
そして、事業者の方々からの自己紹介。
一方で試食や参加者同士の名刺交換やフリートークも始まる。
この内容については、名刺交換と挨拶程度が多く、特筆すべき内容はなく、アンケート集約
での参加者の感想などでの「イベント総括」を待つが、基本的には、参加者の多くは試食も
多く、笑顔に溢れ、あちこちでの個別の話も盛り上がっていて、大きな前進、と感じた。
・試食・食品コーナー(以下一例)
・雑貨・衣料品など(以下一例)
③宮古支部事務所→三陸情報局→懇親会
カフェ終了後、事務所に寄ったあと、近くの「三陸情報局」訪問。市議近藤和也さんらの仕
事場拝見する。
6時すぎから、懇親会。社団メンバー以外にゲスト3人。といっても、全員会費徴収。
まず、宮古郵便局の方。盛岡出身で、数年前、一般企業から転職。
続いて岩手県宮古農林振興センターの方。札幌出身。スポーツ店の全国の店舗を転勤で廻り、
ゾーンマネージャーのあと、オリンピック強化水泳選手管理などをやってきた
が、たまたまオリンピック終了後のひと段落したとき、「岩手県職員募集」のチラシで応募。
単身赴任。首都圏や東北の郵便局での物産販売など情報をお聞きしました。
最後は、同宮古水産振興センターの方。こちらとは、個別のお話が聞けず、不明。
10時まで、延々と笑いの中にも真剣な情報交換もある懇親は続きました。お疲れ様でした。
5月19日(火) 盛岡・宮古出張3日目
①ミーティング
8時半から事務所でミーティング。
1 大企業との連携
中元・歳暮対応―中元間に合わず。歳暮へのメニュー開発を今から。
2 各業者の「ストーリー」と販売
さんりくチャレンジ倶楽部のHPを別個につくるのでなく、さんりくチャレンジのHPをベ
ースに追加するか、リンクさせるか、がベターでは、との意見。
ストーリーを織り込み、新製品の紹介など参考になるのが、バングラディッシュで鞄を製造、
現在、銀座、新宿、池袋、横浜など国内の一等地で直営店を展開している「マザーハウス」。
3 首都圏販路開拓
《地区開拓》―北区、和光市
《企業マルシェ》―ソフト会社、パソコン会社、保険会社
4 育成、経営指導
会計事務所のスキルアッププログラム、個別アクティブミーチング
5 第1回「カフェ」
参加者からは概ね好感をもって頂けたようだ。アンケートなどの分析でさらに総括する。
また、牡蠣の中村さんの個別ヒアリングで、2年後への事業拡大への展望語る。とりあえず、
横浜からの4人のゲスト対応。
6 その他
・「潮風のハーブティー」新パッケージ試作。全てのパッケージを統一ロゴ、イラストなどで横
断的に「さんりくチャレンジ」ブランドとして販売できないか。
・宮古商工会議所の会員になった。
9時から2手に分かれる。
②事業所訪問
1 有限会社 ふたば商事
まず、ふたば商事訪問するも、留守。道路の掲示板には、「企業補助金」ポスター。
2 モナカ屋
宮古人なら皆知っている、が、及川さんは知らなかった、という「イカモナカ」。街道沿い
に看板もないので、普通は気付かず、通り過ぎる店構え。昭和43年には菓子博覧会で名
誉金賞の額。品の良い女将がひとりで切り盛り。ショーケースにも、「イカモナカ単品」の
み。20個ほどの注文に、「20分ほどお待ち下さい。」。確かに隠れ名店。生産量に限りあ
り、どこにも出せない。
3 有限会社 丸徳 徳江邦子さん
昨日、立ち寄ったが、ようやく会話。ともかく及川さんとの会話のスピード、キャッチボールは
見事。「人手不足で、6月20日まで、全く日程に空きがない。」。で、「投資したい設備数ある中、
ちくわ製造機(数百万以上)が早急に欲しい。」。そこで、各種助成金話。及川さんからの情報に
対し、邦子さんも、チラシを持って来て、検討。途中、FM宮古、取材に加わる。
4 いかせんべい2社
まず、最も知名度の高い「すがた」の店舗へ立ち寄る。すると、まだ発売したての「こびり
いかせん」なる商品があり、購入。
次は、「隠れ名店」の「はかたや」。山の麓。イケメンの後継者と姉、それにババ。なんと、「在
庫切れ」で、7枚しかない、という。全部買占め。「すがた」と食べ比べ。
5「道の駅 たろう」
田老地区の道の駅。壁に「補助金ポスター」。商品ケースには、各種、関わりのある業者さん
の商品があちこちに。これらを統一したタグかシールでも貼って「さんりくチャレンジブラ
ンド」として、ひとまとめに陳列できれば、と思った。ここでは、「商品そのもの」だけで、
「ストーリー」の表示がないので、「どう良いか」のPRができていない。酒粕アイス頂く。
⑥道の駅 いわいずみ
途中で、関係あるイタリアンレストラン。車3台。昼どき、賑わってそう。そして、道の駅。
田老に比べると、来場者は多い。が、こちらの関係する業者の商品で気付いたのは、玉子と
キムチの間にこっそり?置かれた「潮風モッツアレラチーズ」だけ。各種チラシの中に「補
助金」チラシもこっそり。
⑦糸ばた工房 和久石タイ子さん
午後1時、近所の「地元の名店」うめのやで待ち合わせ。ひっつみ、美味し!ぶどう色のス
カーフ巻いた、民謡名手の女将、サービスにコーヒーと餅まで。暖かいんだから~。
店は、古民家、旅館跡の2階。賑やかな「仲間」たちとワイワイガヤガヤ。これぞ、女性パ
ワー。色々な糸や和紙まで使って、肌合いの違う作品が並び、飽きない。散々迷って、土産
に「帯揚」と「違う糸で編んでしまった、売れない?作品」を求める。
⑧宮古支部事務所
隣には、「復興災害住宅」建設中。事務所では、来客2組。お疲れ様。一路、帰宅の途へ。
5月26日(火) 三井住友海上 東北本部で打ち合わせ
22日から仙台に4泊。1000人チェロも、女川キャラバンも終わり、9時チェックアウト。
まず、楽器と手荷物を、10時半から会議の訪問先に置かせてもらい、徒歩で仙台城へ。本当に
森の都。新緑が溢れていて、蓮の花に見とれながら、急坂を登り始める。しかし、あまりの急勾
配の続く坂に、大汗かき、最後の胸突き八丁を 越え、ようやく伊達政宗象へ。仙台市内を一望。
すぐに、打ち合わせの時間。焦って、下り、タクシー拾い、なんとか間に合う。
復興支援担当の部長と課長が仙台に常駐している。そこに、本社からも担当課長が加わり、3人
と、「さんりく」の零細業者の販売協力などを2時間話し合う。課題は大きく3つ。その中のひ
とつは、実現出来そう。東京へ持ち帰る。
5月29日(金) 三井住友海上本社&本部打ち合わせ
10時すぎに、仙台で打ち合わせした保険会社の本社訪問。「仕事」を2つ、お願いする。
10時半から12時まで、すぐ近くの社団の打ち合わせ。これまでの「販路開拓」に加え、2つ
ほど仕事が増え、「事務局長」を仰せつかった。これで、「和光3・11を忘れない」実行委員
会事務局長、「311 有志」世話人と、3つの支援活 動の裏方責任者を務めることになった。
こんな人生になるとは。
町には、「東北被災3県「臨時職員」採用合同説明会」のチラシ。岩手県だけで、数百人の臨時
職員の任期が切れるよう。その方々の就職先を1件でも地元で見つけられれば、と思う。
6月5日(金)定例打ち合わせ
10 時半から金曜日定例の打ち合わせ。日大理工学部(旧カザルスホール)。11 時すぎ、突然学
生来訪の「就活」相談があるも、約 1 時間で、今後の方針と私の動き方、課題が明確に。大船
渡、陸前高田に焦点。
6月 8 日(月) 提携会社PwC、NEC ネッツアイエスと合同打ち合わせ
昼前に出発。地下鉄汐留。電通本社ビル向いの世界4大会計事務所PwC本社最上階の会議室。
浜離宮を見下ろす絶景に圧倒される。さんりく未来推進センター主催で、PwC、一部は陸前高
田から出張してきたNECネッツアイエスメンバーと打ち合わせ。1時から5時まで議論。被災地 支援
の枠を超え、地方活性化、へ。詳細は書けないが、立体的な事業プランが出来そう。それに伴い、
私も確実に多忙に。終って、中華料理で、乾杯。
6月12日(金) 定例打ち合わせ
カザルスホールの「さんりく未来推進センター」本部で、10時半から1時間、定例打ち合わせ。
《6月15日「IT版コミュニティCafe」スカイプ会議》
6月15日(水) 「IT 版コミュニティCafe」
午後3時から、宮古市内で開催される「さんりくチャレンジ IT版 コミュニティCafe」
会議に遠隔参加。会議参加者は、宮古市で起業したパソコン操作メインの様々な仕事を始めた
方々など10名ほどを囲んで、大手ソフト会社や岩手県復興局産業再生課、岩手県立 大准教授
や「さんりく未来推進センター」スタッフなどで、計20名弱。そこに、九州と埼玉(私)の遠
隔地スタッフ2名、さらに北海道の起業者がスカイプで加わる。
音声が聞き取りにくい会議だったが、おおよその流れも把握でき、有意義な会議だった。
6月18日(木)起業希望者と面談
午後3時半、品川駅で岩手県出身の20代半ばの起業希望者と落ち合い、カフェで話し合った。
洋野町でやろうとしていることは、地元の恵まれた自然素材を生かしたパスタソースの製造と販
売。が、それ以前に、ここに至る「動機」や「夢」も聞いた。2時間後、駅で別れ際、先方から
笑顔で握手を求めてきたのは嬉しかった。帰宅すると、メールが入っていた。少しはお役にたて
たかも。
「お疲れさまです。
本日はお忙しい中お時間つくっていただきありがとうございます。
今回お会いできてこれから先の展望、岩手県のにおけるビジネス、新たなマーケットの開拓など、
いろいろお話しできてとても良い時間を過ごせたと実感しております。
これからも何かとお世話になると思いますがよろしくお願い致します。」
6月 19 日(金) 三井住友海上&本部打ち合わせ
9 時半、神田駿河台。三井住友海上本社の食堂入り口での「さんりくの産物ワゴン」販売打ち合
わせ。関係会社 2 人とも顔見知り。1 時間の話で、11 月以降、月命日に毎月継続して販売する
方向。
帰りの13階ホールに「チェロ」の絵。エレベータで 2 階の販売場所を見学。今日は「味の素」
が山ほど商品を並 べ、昼休みに食堂に来る、主に女子社員目当ての準備の最中だった。
10 時半、近くのカザルスホール楽屋の研究室で、1 時間、定例打ち合わせ。来週の 21~23
日 2 泊 3 日の盛岡・宮古・釜石・大船渡出張を控え、具体的な課題の整理。
《6月21日~23日 三陸各地出張》
6月21日(日)盛岡着
盛岡の駅前のホテルにチェックインし、会計会社Nさん、社団Wさんと合流。
6月22日(月) 宮古
①宮古支部事務所
盛岡駅7時40分発急行バスで宮古10時。
釜石支部Aさんの車で宮古支部事務所へ。人がいっぱい。岩手県の方などがみえてい
た。すぐに、洋野担当Hさんの車で、大船渡支部Kさん、宮古支部Sさんと4人で「潮
風のハーブ園」へ。
②「潮風のハーブ園」
翌23日の「ハーブカフェ」打ち合わせ。
古舘富士子さんに広い農地に様々なハーブや草花をひとつひとつ解説して頂く。
「昨年より大幅に耕地面積や庭園の花の種類を増やした。近くの高齢者ホームから散
歩してくる入居者の皆さんが立ち止まって、見てゆくようになった。」
「昨年まではハーブ栽培に『非協力的』で、出しても飲まなかった85歳の義母が、
今年から『共に頑張ろう』と言い出し、作業協力に転じ、仏壇の供え物もハーブティ
に変わった。また長男は大学出て、教師になると言い、次女は看護士、保育士だった
28歳の長女が東京でハーブの資格を勉強し始め、一時期、落ち込んでいた気分の時
もあったが、今は、前を向いている。」
「とはいえ、義母は、色々な野菜などの栽培や販売で、忙しく、ハーブ作業までは中々
手が廻らない。先般は、高校生のボランティアが、そして2~3日前には、キリスト
教信者の友人のツテで、シンガポールの男女数人ずつが雑草取りを手伝ってくれて助
かった。」
「義母が50年間、75歳まではバイクで売り歩いてきた美味しい枝豆や大釜で炊い
たとうもろこしを食べ、ビールで乾杯、というのが最高。夏になったら、10人ぐら
いは部屋や敷布団もあるので、寝泊り出来るので、そういう企画はどうか。」
そして、ご自宅で打ち合わせ。まず、3・11、漁協会議があったために津波で亡く
なったご主人の仏壇で、手を合わせる。そして、寝泊り用の布団も見せて頂く。
そして、数種類のハーブティを次々試飲させて頂く。喉に良いマローブルーは、色が
綺麗。しかし、柑橘類を加えると、薄い茶色へ変化する。マルシェやイベント販売で、
来場者に試飲や香りを嗅いで頂くだけでなく、「見せる」ことができる。
《ネットより》
マロウブルーは、色の変化を楽しめるハーブティーで、サプライズティーとも呼趣洞でい
ます。熱湯を注ぐと鮮やかな青色に変化していくので、フランスでは「夜明けのディザー
ヌ」とも呼ばれています。さらには、レモンを加えると、鮮やかな桃色に変化します。実
に不思議なハーブティーです。マロウブルーには、せきや気管支炎など呼吸器系の症状に
効果的です。 咳が止まらないときや、痰が絡むとき、喉がイガイガするときなどに飲むと
よいでしょう。タバコの吸いすぎによる咳にも有効です。
粘膜を保護する作用もあり、胃炎や腸炎など消化器系の症状にも効果的です。
どれも香りも味も、見た目の色も異なる。無添加、無着色、で、素朴だが、美味しい。
思わず、良い香りに、顔もほころぶ。ハーブティで「腹一杯」。
③居酒屋「笑多」
昼飯抜き。山田町の仮設商店街へ。H26年度起業の佐々木千賀子さんと挨拶。
3・11前は理容師で、今も、津波被害を免れた高台の自宅兼店で、日曜日だけは営業。
平日は、居酒屋兼弁当屋。まず、補助金で買い揃えた店の机や椅子を指して、「おかげさ
まで」とお礼を言われる。
「まず、午前9時から、60歳以上のアルバイトと4人で、日代わりメニューの弁当づく
り。さすがに年の功。15kgの飯炊きは、かなわない。コンスタントに100食は出る。
顧客は9割、吉里吉里や大槌町の土木業者で、11時半頃までに車で宅配。日に2万ほど、
月に50万の売上げが確保できるようになり、一応、順調に。ただ、お膝元、山田町の土
木業者は崩せない。また、近くに飲み屋街が出来、妹、娘、雇われマスターの4人でやっ
ている居酒屋のほうは波がある。店の家賃が無料はありがたいが、目の前の土盛りした場
所に、新たな商店街ができるので、この仮設もそれまで。家賃発生はマイナス要因。」
④「かき・ほたてカフェ」(山田湾 養殖いかだ見学)
次に山田湾の中村さんの牡蠣・ホタテ養殖現場へ。まず、牡蠣小屋見学。
イタリアンレストランシェフ飯塚広樹さんやしいたけ栽培の起業を目指す飯塚肇さん、
それに岩手県の「沿岸観光コーディネーター」Mさんと合流。
船で牡蠣、ホタテを引き上げ、中村さんに解説して頂く。
「山田湾は、外海との出入り口が狭く、湖のように穏やかなので、養殖には最適な環境。
しかし、3・11前には、約4000もの筏があり、牡蠣などの生育には、過密で、また若
い世代が入り込む余地がなかった。しかし、現在は、2200程度に減らし、筏と筏の間
も間隔が取れるようになって、味覚や大きさにも好影響。今は牡蠣業者は、国の助成で安
定収入だが、それも2年後にはなくなるので、そこで廃業する年配者もいるので、自分達
の将来も、その漁業権を抽選であたれば、倍、3倍に出来るチャンスはある。
「今の時期、牡蠣は卵が入っていて、生食には適さない。これから7月から8月までに、
船上に「風呂」を焚き、70度のお湯にロープを一本づつ15秒ほどつけ、11月頃に2
年ものを出荷する準備をするため、ロープに付着したわかめや他の貝を殺す。牡蠣の貝殻
の締まりが良く、この温度では牡蠣は死なない。」
ホタテはその場で試食。肉厚で塩味と磯の香り。絶品!
4時。陸に戻って、山田観光物産館「とっと」で、貝類食べ放題!
ここで、自己紹介。
ホタテは焼き牡蠣などは鍋で煮る。こちら、年配の男4人組。大鍋1つ目でギブアップ。
昼食抜きはこのた めだったが、同じ塩味で、さすがにギブアップ。もうひと鍋、手付かず。
でも、最初は美味しく頂いたし、満足。
⑤加賀屋さんと懇親
夜は、地元有力者加賀屋芳春さんと懇親。見た目は怖そうだが、実家がお寺、なので、な
かなか「禅問答」で面白い。皆、手相を見てもらう。加賀屋さんのルートで横浜のレスト
ラン関係者が先般、本日訪問した牡蠣業者、中村さんを訪問、現在価格などの商談中。
2次会は加賀屋さん行きつけのスナック。途中からスナック女将や、女性経営者も飛び入
り。夜中1時半まで盛り上がる。
6月23日(火)釜石・大船渡・陸前高田
①宮古支部事務所
朝、事務所でフェイスブック活用や「会計ソフトカフェ」の段取りなど打ち合わせ。
②「峠の茶屋」
また2手に別れ、釜石支部、大船渡支部二人とともに、釜石の世界遺産候補のひとつ、広
葉樹の中の公園のように整備された「橋野 高炉跡」へ。
敷地前の「峠の茶屋」へ。幻のカレーが名物。H26年起業、小笠原静子さんとご挨拶。
③「どんぐり広場」
さらに、近くの「道の駅」風の「どんぐり広場直売所」に起業者「にや工房」の「杵つき
豆餅」を購入。ご自宅も近く。今日は不在だった。
大槌の壊れた堤防を見ながら、釜石市内を通過、大船渡へ。
④「乾燥フルーツ comcom」
「盛」のマーケットの物産コーナーに「乾燥りんご」の商品を出しているH25年起業、
新沼真弓さんと落ち合い、挨拶。 3・11直後、避難所生活で味気ない配給の食べ物で、
高齢者や子供の喉に通らなくなったのを見て、この商品の必要性を思いつき、起業。主婦
の手作りで、生 産量は多くないが、それでも1年間でりんご約1500個分は売れた。試
食したが、しっとり水分があり、カラカラでないので、喉越しもよい。新商品も色々試作
中。楽し み。
⑤ 広田湾 牡蠣養殖見学
次に、陸前高田、広田湾の、牡蠣業者大和田晴男さん。なんと海岸ははるか眼下のこの高
台の家の玄関まで津波が来た、という。暫くその家のオバアサンと話したら、子供が5人。
孫が14人。ひ孫 16人、とかがほぼ近くに住んでいて、皆無事だった、という。
早速、海へ。この地域でトップの作り手。
「この湾の筏は約800個.そのうち、自分のは96個.牡蠣に限ると、同業者は9人で、
シェア4割、50万粒程度(ちなみに中村さんは10万粒、12個の筏)。しかし、父親の
代には、約20人いた同業者の中では最下位。自分は、東京で営業マンなどして、36歳
で戻ってきて以来、毎年、資金繰りの許す範囲で、2割程度ずつ増産してきた結果が今日
になった。しかし、3・11で、この湾の筏は全滅。(中村さんの山田湾では、3割程度は
残った、という)。そのとき助かったのは、ボランティアが大挙して筏作りをやってくれた
ことだ。残念だったのは、仲間3人で波止場に寝泊りできる立派な「牡蠣小屋」を作った
が、たった5カ月で、ずべて津波にさらわれたことや、3・11後に買った、ここでは一
番大きめ、と思った自分の船が、あとから買った同業者が次々とさらに大きめのを買って、
小さく見えること(笑)。2012年で3・11前の2割、2013年で4割、2014年で
6割、そして、ようやく今年100%の出荷が出来る。山田湾の同業者がこちらの牡蠣を
食べて、「負けた」というほど、見た目の大きさだけでなく、味、品質に拘っている。
また、今のところは、国が全て買い取り、売上げ全額を国に収め、筏の数によって給料が
決まる、という仕組みなので、無理に品質に拘らなくても、収入は同じ。しかし、この精
度がなくなる2年後には、これまでのネットなどでの顧客がリピーターになってくれるか
どうかは、今の品質、味次第であり、サイズなども貝の大きさではなく、身の大きさに拘
って、都内の2箇所のレストランや個人の様々な多様なニーズに対応している。
すでに息子も手伝ってくれているので、後継者のためにも、手は抜かない。ただ、自分は、
ほかの業者が朝4時などに出港する時は寝ている。毎朝6時以降の出港で、十分。でない
と、若い後継者に魅力ある職場にならない。
筏と筏の間は35mから40m間隔は必要。以前は25m間隔だったが、3・11で魚場
を広げ、理想的なスペースに筏を置けた。付着したわかめなどを殺すのは72度のお湯。(中
村さんは70度。65度以下に下がると、一部の貝は死なない。)この広田湾には、工場が
無い。そして、川からの真水がほどよく流れ込み、山からのミネラルも運び、静かな水 流
で牡蠣が海中の微生物を食べる環境が整っている先日、テレビで牡蠣専門店のシェフが、
牡蠣を開けるのに、素人同様の開け方をしていたが、大きさが異なると、開け方も変わる。
ナイフの入れる場所が大きくなると、貝柱まで届きにくくなるので、通常より上のほうに
差し込むと、開けやすくなる。・・・。」
⑥「ひまわりハウス」
最後の訪問先は、社団と提携している大手電気メーカーが、陸前高田に「公民館的な」ス
ペースを提供し、要員も配置している「ひまわりハウス」へ。ちょうど、東京の 「母子家
庭」支援者が、起業しようとしている母親と面談したあと。日経新聞記者も取材。暫く意
見交換。
そして、隣に開業した理容店へ挨拶。最後に、ここの スタッフをパチリ!
5時前のバスで「一本松」を通過し、気仙沼へ。電車に乗り換え、一ノ関。そして新幹線
で、10時半帰宅。
6月25日(木)コールセンター見学・提携会社会議
午後から、初台のNEC関連でディー・キュービック社のコールセンター見学と会議。主に「少
量生産」「遠距離零細業者」が、「WEB」など使うなどして、いかに簡単に商品PR、受発注や
発 送、代金回収などがシステマティックに出来るか。この難題に部屋を変えて、延々4時間。
そして、オペラシティでささやかな乾杯なはずが、7時まで飲み物半額、に乗せられ、ビール、
ワインの次々。飲みすぎ。
以 上