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4 12 6 2 FAITH soccer ヤコブ・ムレンガ ディビッドソン純マーカス 4 14 6 アレクサンドル・サメドフ ファビオ 2 10 10 スポーツと信仰がつながるところ 特別版

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José Luís VidigalPortugalJacob Mulenga

Jun Marques Davidson

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6 Alexander Samedov

Fabio Maciel2

FAITH soccer

José Luís VidigalPortugalヤコブ・ムレンガ

ディビッドソン純マーカス

4

14

6 アレクサンドル・サメドフ

ファビオ2

1010

ス ポ ー ツと信 仰 が つ な が るところ

特別版

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Kevin C. Cox/Getty Images

ディビッドソン純マーカス:自己中心的に名声を求めていたものの、名声よりもはるかに偉大な人生の目的に気づいた日本選手のディビッドソン純マーカス

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ファビオ: さまざまな試練を乗り越え、キリストへと導かれたブラジルのゴールキーパー、ファビオ

ヤコブ・ムレンガ: 高校生になるまでサッカーをしたことがなかったヤコブ・ムレンガ選手。一躍有名になったムレンガ選手は、さらに神に頼るようになった

アレクサンドル・サメドフ:自分の人生とキャリアに悩まされ続けた現役ロシア代表、アレクサンドル・サメドフ選手。しかしある日、彼は探していた答えを与たえてくれる存在に出会った

マルコス・セナ:喜びや安心感は、その時置かれた状況や環境がもたらすものではなく、キリストが与えてくれるものだと理解している、スペイン代表のマルコス・セナ選手

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2 FotoArena/Getty Images

こちらをクリック してビデオをご覧ください。

ボールを通らせない「青い壁」という愛称で親しまれているファビオは、多くのサポーターにヒーローとしてみなされています。

ファビオ・デイヴソン・ロペス・マシエルは、数々の優勝杯を掲げ、ブラジルのフル代表としても活躍しましたが、彼にとって最も重要なのは選手権を勝ち取るまでの道のりです。

2007年当時に所属していたクルゼイロにとって重要な試合でプレーしていたときに、マシエル選手は左膝の靭帯を断裂し、やむをえずキャリアを中断しました。このため、復帰することはないだろうと考える人がいるほどでした。

「つらい時期でしたが、自分の生活を見直すきっかけとなり、昔の私だったら受け入れなかった神の働きを認めることにもつながったので、多くの意味で必要な時期だったと思います」とマシエル選手は話しました。「神様は私の人生の基盤です。」

しかし、問題は怪我だけではありませんでした。ゴールポストを打ったのが右膝であったため、左膝に怪我をしたと言うマシエル選手を疑う人も出てきたのです。

「嘘をついていると言われ、私の人間性が疑われました。実は、このような疑惑のせいでチームから除名されたんですよ」とマシエル選手は言います。

「このつらさが、私を神様に近づけました。怪我の痛み、選手権を逃したこと、世界中に私の人間性を疑われたことなどが、イエス様を救い主として受け入れるという、人生で最善の決断を導いたのだと思います。私は、人生のすべてをイエス様に捧げました。」

医者に6ヶ月後にフィールドの復帰することができると言われましたが、マシエル選手はたった3ヶ月後にフィールドに立つことができました。

その次のシーズン、クルゼイロは再び決勝まで勝ち進み、その年は優勝することができました。

「サッカーをまたプレーすることはないだろうとか、クルゼイロに戻ることはないだろうなどと多くの人々がうわさしましたが、神様は私と一緒に歩んでくださり、私を癒してくださいました。今、私がここにいるのも神様のおかげです。今からちょうど1年前ですが、あの試練を経験していたときに神様は私を取り戻してくださいました。痛みが大勝利を導いたのです。クルゼイロのために200試合プレーした私は、チャンピオンとなり、最高のゴールキーパーと見なされました。」

2013年には、また優勝杯の獲得に貢献し、ファビオはブラジル全国選手権で最優秀ゴールキーパーに選ばれました。この経験で、神様の存在を感じ、すべてをご計画されているのだという理解につながりました。

「この人生で起こったことは、すべて神様がご計画されていたことです。神様はすべてを理解されているのです。…私の人生の基盤は神様です。神様は私が想像したこともなかったところに私を連れて行き、夢にも思わなかったことを私に与えてくださいました。祝福された家族を持つことも、今のような人生を生きることも、夢にさえ考えたことがありませんでした。…神様は、すべてを実現させる真実の神なのです。」

ファビオさまざまな試練を乗り越え、キリストへと導かれたブラジルのゴールキーパー、ファビオ

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男性も女性も、スポーツ界での生活や信仰心をサポートするためにチームの指導者やカウンセラーとして奉仕をしている

4 Francisco Leong/AFP//Getty Images

こちらをクリック してビデオをご覧ください。

ザンビアのフル代表として活躍するヤコブ・ムレンガ選手ですが、昔からサッカーが大好きだったというわけではありませんでした。

幼い頃は、モーターレースに似たスポーツに熱中していました。

平日は学校で過ごしましたが、週末はモータースポーツに明け暮れていました。

学校教育の後半に入るまでは、サッカーはただ観戦するだけのスポーツであって、人生の一部となるスポーツではありませんでした。ムレンガ選手にとって、サッカーはただの趣味だったのです。

「ユースチームや学校でプレーをしたことは一度もありませんでした。趣味として学校でプレーしていただけです」と彼は振り返りました。「実は、サッカーは試合を見て

学んだのです。テレビでサッカーを観ることでも多くのことを見習いました。」

このような経歴にも関わらず、彼は学校を卒業後、本格的にサッカーをすることを決めました。

「『これから人生で何をするか決める前にちょっとサッカーをしてみて、どうなるか見てみよう』と思ったんです。(元ザンビアの選手・コーチである)カルシャ・ブワルヤ氏が私のプレーを見て、『君には才能がある』と言ってくださいました。でも、プロになることは夢のような話だったので、友達に冗談として『いつか、プロのサッカー選手になるんだ』とよく言ったものでした。」

サッカーを遅くに始めたのにも関わらず、ムレンガ選手は一気にエリート選手となりました。

20歳でザンビアのフル代表となったムレンガ選手は、デビュー戦となったW杯予選で1-0の勝利を収めたトーゴ戦で初ゴールを決めました。セネガルとマリで開催されたワールドカップ予選試合にも出場し、フル代表の常連選手となりました。

しかし、飛躍的な成功が自信につながることはありませんでした。

「怖かったですし、緊張していました。今まであまり公共の場に出ることがなかった私にとってはまったく新しい世界でした。代表選手としてプレーするということがどのようなものか聞いたこともありましたし、読んだこともありました。しかし、現実ではどんなものかはまったく分かっていませんでした。実際に自分がその状況に置かれて初めて、何をしようと批判されるということが分かりました。いいプレーをしても、悪いブレーをしても批判され、必ず何かを言われるのです。」

最初はなかなか慣れませんでしたが、そのうち自信を持てるようになり、2010年のアフリカ・ネイションズ・カップ

では、2試合で2ゴールを決めることができました。しかしながら、その次の2012年と2013年のアフリカ・ネイションズ・カップは失望的なものでした。どちらの大会にも出場しなかったムレンガ選手は、2012年にザンビアが選手権を優勝した大会でさえプレーしませんでした。

「私にとっては非常につらいことでした。2010年のアフリカ・カップで大きな役割を果たしていたのに、 試合に参加することすらできませんでした。大きな痛手でした。…誰かが試合の結果について話すたびに、嬉しい反面、私がチームの一員でなかったことを思い知らされました」と彼は語りました。

「何度も何度も『私はいつも神様により頼み、お祈りをしているのに、どうしてこのようなことが起こるのですか?なぜ、他の人々には何も起こらないのですか?これは当然の報いなのでしょうか?』と神に尋ねたものでした。…私はいつも『なぜこのようなことが起こるのですか?どうしてですか?』と疑問に思っていました。しかし、いつまで考えていても仕方ありません。私が第一に学んだことは…自分で人生をコントロールすることはできないということです。どんなに頑張っても、これから起ころうとすることをコントロールすることはできません。…イエス様がいらっしゃらなかったら… 私は途方に暮れていたでしょう。」

「私は自分が非常に祝福されていることを分かっています。サッカーをしているときは、私は何でもできます。私が持っている能力は私のものではありません。神様から与えられたものです。…プレッシャーに堪える方法を知らなかったら、神様は私たちを次のレベルに押し進めるようなことはしません。…レベルが高くなればなるほど、プレッシャーは強くなるものです。」

「神様なしに築かれたものは無意味なものです。私は自分が完璧で信心深い人生を送っているとは言いません。それは嘘になってしまうからです。私だって問題を抱えることがあります。信仰心が試されることもあります。…人生にはさまざまな試練があります。話し相手が必要なときもあります。キリストへの信仰を分かち合うときは、神様が人生の中心となることを理解させることが大事だと思います。…試練がまったくもってなくなることはありません。クリスチャンとして試練に立ち向かわなければならないときもありますし、困難を避けることはできません。…しかし、それを踏まえた上で信仰心を持つことができたら、必ず勝利をつかむことができます。」

ヤコブ・ムレンガ高校生になるまでサッカーをしたことがなかったヤコブ・ムレンガ選手。一躍有名になったムレンガ選手は、さらに神に頼るようになった

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世界中のスポーツ選手は、互いを全体的にサポートしており、自分の価値は行動ではなく、自分自身であるというメッセージを広めている

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アレクサンドル・サメドフ選手は幼少時代、宗教の違う家族の中で育ったのもあり、自分の生きたいように生きようと決めました。

しかし、さまざまな困難に遭ったため、いろんな疑問を持つようになりました。

サメドフ選手は、ロシアのU-21代表そしてフル代表として国際的に活躍し、クラブチームでは、ロシアリーグの複数のチームでプレーしました。しかし、サッカーでもプライベートでも困難にぶつかり始めました。疑問を持ちはじめたのもこの時期で、最初は頭の中だけで考えていた疑問を次第に口にするようになりました。

「昔の私は自分の生きたいように生きていました。しかし、

次第にサッカーでもプライベートでも問題ばかり出てくる時期にさしかかりました。このような問題を考える年齢に突入したのでしょうね。このようなとき、将来妻となるユリアと出会いました。クリスチャンで、教会に通っていた彼女は、私の抱えている問題に気づき始め、シンプルな言葉で私にアドバイスしました。一、二回教会に通っただけですべてを理解しました。私の人生は、そのとき変わり始めたのです。」

サメドフ選手は、スポーツ学校に通っていました。このため、学業より、スポーツの方に興味があり、読書にあまり興味がなかったことを認めています。しかし、熱心なクリスチャンとなってからは聖書を読むことが好きになったと言います。

聖書を読むことは、普通の本と比べて少し違います。面白みのない学校の本や、内容のない小説などとは違うため、サメドフ選手は気分転換として喜んで聖書を読みました。

「聖書を読むのと他の本を読むのはまったく違います。聖書は神の言葉で霊的であるからです。信仰の基盤でもあります」

「私たちは地域の教会で奉仕をします」

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と彼は言いました。「聖書から学べることは多いですし、私たちの生きる目的を示してくださいます。」

彼が話す生きる目的は、彼のプロ生活にも示されています。サメドフ選手は16歳のときに、スパルタク・モスクワでプロ

生活を始め、5年後にFCロコモティフ・モスクワに移籍しました。そこで4年間プレーしたあと、FCモスクワで2シーズン過ご

しました。そこで良い成績を残したサメドフ選手は、ステップアップとしてビッグクラブのディナモ・モスクワに移籍し、3シーズンもの間プレーしました。そこでの活躍が認められ、初めてフル代表に選ばれ、2011年のユーロ2012予選、スロバキア戦での勝利が代表デビュー戦となりました。

代表やクラブチームでの成功がロコモティフ・モスクワの目に留り、再びロコモティフ・モスクワでプレーしました。さらに飛躍したサメドフ選手はレギュラーポジションを獲得し、サポーター人気もチームで一番になりました。

彼が今まで抱えていた疑問は答えられ、成功や挫折に対応する方法までもが変わりました。

彼は聖書を読むとき、自分に語りかけて導いてくれる神様に心を向けるようになったのです。

神様は、サメドフ選手に正しい道を示すため、彼の妻を遣わされたのです。「彼女のおかげで、ここまで来られたのだと思います」と彼

は話しました。「これも神様の導きだと思います。」

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サメドフ選手は、聖書を読んでいくうちに、人生の目的を見つけるようになりました。スポーツ・ムーブメントでは、聖書の言葉はフィールド内外で中心となるものです。

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セナ選手は、現役中に、膝に四回もの怪我を負いました。それを理由に、サッカーに対して失望感を抱いたり、自分のプレーに落胆したり、燃え尽きたりしてしまったとしてもおかしくなかったでしょう。

しかし、スペイン代表のスターは違いました。「私は四回、膝に怪我を負ったのですが、神様が助け

てくれたおかげで、怪我と闘うことができたと思いますし、時には喜びすら感じたこともあります」と彼は言いました。「私と同じような怪我を負った選手が、このレベルまで戻ってプレーできた例は聞いたことありません。ですから、私に力を与えてくださった神様に尊敬の念と感謝の気持ちでいっぱいです。「神様は私たち一人一人の人生に目的を与えられた

と信じているので、私は平安の中、日々歩んでいます。怪我をするのにも必ず意味があり、いずれかは治るものだと私は理解しています。神様が常に私といてくださるからこそ、安心できるのです。」

ブラジルで生まれ、貧困の中で育ったセナ選手は、6歳のときに初めてサッカーに出会いました。セナ選手は所属していたビジャレアルCFの監督、ルイス・アラゴネス氏に「スペイン代表としてやらないか」と声をかけられたのをきっかけに、スペイン国籍を取得しました。「当初は、生まれ故郷のブラジル国籍を手渡すつもり

はありませんでした」とセナ選手は言いました。「二重国

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籍を持つことが最善の選択だと思いましたし、光栄でした。世界トップチームのスペイン代表としてプレーする機会も大変光栄に思いました。私の人生は大きく変わりま

した。本当に特別な経験をすることができたと思っています。」セナ選手は、スペイン代表として、W杯に二回出場し、2008年の欧州選手

権では、決勝戦でドイツに1-0で勝利を収め、1964年以来初の優勝に貢献しました。 1996年の欧州選手権のドイツ以来、初の無敗優勝を成し遂げたスペインを導いたセナ選手は、数々のメディアで大会のベストプレーヤーと称えられました。

2006年11月から2009年6月までは、ブラジルと並ぶ35試合連続無敗記録に貢献しました。その間、15試合連続勝利を成し遂げ、スペイン史上初

の世界ランキング一位まで上りつめました。しかし、2009年の夏に行われたコンフェデレーションズ・カップの準決勝で、アメリカに2-0で敗戦し、記録

はそこで破られてしまいました。「2008年に欧州選手権で優勝したのは、私のサッカー人生の中

でももっとも記憶に残るもので、本当に素晴らしい日となりました」とセナ選手は話しました。「最終的にはPK戦までもつれこん

で、勝利したのですが、私はその時点で、自分がPKを蹴る一人として選ばれるのを知っていました。なぜなら、前日にPK戦に備えた練習をしていたからです。しかし、90分間の試合と、30分の延長戦を終えた私の体は限界に達していて、体中けいれんを起こしていました。それでもボールを蹴りに行く直前、私は神の聖霊を感じ、慎重に、落ち着いてPKを蹴ることができました。その結果、自信をもって蹴ったボールがゴールに入り、スペインの勝利に貢献することができたのです。神様は、私が神の栄光を表せるよう最初から計画してくださっていて、私と共に戦ってくれていたのです。」

「決勝戦当日、私は非常に集中していました。スペイン中がいっせいに優勝を祝う、素晴らしい日となり、勝った瞬間、選手全員で喜びを分かち合いました。優勝を共に勝ち取った私たちの人生は、そこからがらりと変わりました。しかしそれ以上に、キリストと出会ってからの私の人生は、今までとはまったく異なるものとなったのです。」

セナ選手がキリストに初めて出会ったのは、ブラジルにあるサン・カエターノというチームに短期間所属していたときです。その日、彼の人生は大きく変わりました。

「集会に誘われたので、教会に行ったのでした。」とセナ選手は当時を思い出しながら話しました。「当時の私は聖書のことなど何も知りませんでした。 幼い

ころに母と一緒に教会へ行っていたのですが、大きくなるにつれ、行かなくなりました。バプテスマ

を受けたことはありませんでしたが、母や祖母から話を少し聞いたことはありました。26歳になろうとしていたとき、集会に誘われ、集会が好

きだったので、通い始めるようになりました。キリストを受け入れた8ヶ月後、ビジャレアルと契約を結

び、ビジャレアルにある教会の教会員となって、そこで受洗しました。」

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セナ選手は、お金や名声、物質は人を満足させることはないと話します。「お金が心配事をすべて解決してくれると

は私は思いません」とセナ選手は言いました。「聖霊こそが何よりも重要なものです。神様

は幸福、平安、喜びなど与えてくださいます。こうして話をするだけでも思わず笑みがこぼれてしまいます。私はキリストを受け入れてから、いろんな面で人生が変わりましたし、すごく幸せになりました。キリストを受け入れるこ

とは誰もが決められる、人生で最良の決断だと思います。」

「神様は私に生きる目的を与えてくださったと、心から信じているので、今は本当に平安で満ちあふれています。怪我をするのにも、何か理由があるのです。神様はいつも私と共にいてくださるので、平安の中で喜びを感じながら、自信を持って人生を歩むことができるのです。」

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13Charlie Crowhurst/Getty Images

こちらをクリック してビデオをご覧ください。

15Derek Leung/Getty Images

日本のサッカー選手であるディビッドソン純マーカスにとって、宗教はあまりにも複雑すぎるものでした。宗教の規則、慣例、構造を理解しがたく感じたのです。

東京で育ったディビッドソン選手は、クリスチャンの母親を持ちながらも、キリストにほとんど興味を持ちませんでした。

そのかわり、サッカーだけに目標を定めていました。幼い頃から、優秀なサッカー選手となれる逸材と言われてきたディビッドソン選手は、たった15歳で渡英し、イギリスにあるインターナショナル・スクールでサッカーを始めました。結果として、成功、お金、名声が彼を駆り立てる主な要因となり、サッカー界でスーパースターの座につくことが彼の目標となってしまいました。

しかし、知人すらいないイギリスに着くと、会話もままならず、外国でひとりぼっちとなってしまいました。そのとき初めて、人生にはサッカー以上に重要なものがあるのではないか、と気がつきました。「外国で一人暮らしすることはとてもつらかったです。しか

し、そこで私には神様が必要であることを理解し始めました。自ら教会に足を運ぶようになり、キリストの信者になることの意味を学び始めました。私は、キリストに人生を捧げ、今まで感じたことのなかった平安と自信を見つけることができました。私はサッカーをするためにイギリスに行ったのですが、キリストは、私に将来の準備をさせるために導いたのだと思います。」

そのあと、ディビッドソン選手は家族と一緒にカリフォルニアに引っ越し、現地の高校でサッカーを続けました。信仰心の強いクリスチャンに囲まれたディビッドソン選手は、神が彼をイギリスで改心させたあと、カリフォルニアで信仰を成長させようとしているのだと感じました。「神様は、他のクリスチャンの励

ましと交わりを通して私の信仰を形作ってくれていたのだと思います」とディビッドソン選手は語りました。

高等教育後には、プロのサッカー選手となるために日本に戻りましたが、昔と今の理想が一致していないことに気がつきました。4年前に渡英したときに比べると、頭も心もすっかり変わっていたのです。4年前は自己中心的な理念に駆り立てられていました。昔の彼は、お金と名声を手に入れるために、サッカー界に大きなインパクトを与えたいと考えていました。しかし、4年後に帰郷したときには、私利私欲のない人物となり、サッカーを通して、母国の人々に福音を伝えたいと願うようになりました。

「神様が私をサッカー選手にさせてくれたのは、私がサッカーよりも大きな何かをさせるためだと思います。つまり、神様に仕えることです」とディビッドソン選手は述べました。「日本にはクリスチャンがあまりいないので、キリストについて学び、信仰を強め、従うことは非常に難しいのです。」「神様が私にイギリスとカリフォルニアに行かせたのは、強

い信仰心を持っているクリスチャンが多くいる場所で過ごさせたかったからだと信じています。クリスチャンたちは、私の成長を促し、神様についてもっと知る機会を与えてくださいました。」

日本に戻ったことで、ディビッドソン選手は自分がどれだけ変わったかに気がつきました。また、神様が彼に多くの業をされたことや、彼を通して他の人々の生活に影響を与えてほしいと望まれていることにも気がつくようになりました。

「神様に人生を捧げてからは、私の考え方は変わりました」とディビッドソン選手は言いました。「福音を分かち合うための私の役割について考えるようになりました。神様は、このキャリアは私のためにあるのではなく、神様のためにあるのだと示されていたのです。」

日本に戻ってからは、守備的ミッドフィルダーとして安定した記録を出し続けました。Jリーグでの最初の3シーズンをJ2でプレーし、2004年にチームをJ1昇格へと導きました。その後の6シーズンはJ1 で活躍し、続く2シーズンは、アメリカのカロライナ・レイルホークスなどの下部リーグでプレーしました。2012年と2013年は、バンクーバー・ホワイトキャップスの選手としてメジャーリーグ・サッカーでプレーしました。フィールドでの圧倒的な存在感が認められ、2012年にホワイトキャップスFCの「ジョック・マクドナルド・アンサング・ヒーロー」を受賞しました。「スポーツを通して神に奉仕をすることは、私にとって非常

に重要なことです」とディビッドソン選手は話しました。「私は、

Etsuo Hara/Getty Images

サッカーを通じて世界中で奉仕をすること。

スポーツ・ムーブメントは、アスリートが信仰の証を示し、分かち合い、信仰深い生活を歩む手助けとなる

福音を分かち合い、他の人々のために奉仕し、模範となるようにしています。試合が激しくなると、この目標を達成させることは難しくなってしまいます。それでも、赦しを請い、神様から遣わされる者であるように祈るようにしています。私のキャリアは神様にかかっています。そのため、サッカー以外の分野でも、神様に従い続けているのです。」

オフシーズンは、スポーツ・ミニストリーを通して宣教活動を行なっています。彼の頭と心は、15年前のものとはまったく違います。彼の人生は彼自身だけのものではなく、神様のものと

なったのです。同じように、サッカーも彼だけのものではなく、神様のものとなりました。このため、彼は神に身を任せることができるようになり、平安を感じるようになりました。 「旧約聖書のヨセフは平凡な子供でしたが、神様は彼を立

派な人間へと成長させました」とディビッドソン選手は話しました。「兄弟たちに奴隷として売られても、将来がどんなに暗くても、ヨセフは神様のために生きようとしました。そして、多大な権力と影響力で祝福されたときは、それを使って他の人々を助け、神様の御業のために役立てました。」

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