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上和白の歴史探訪 白川稲荷神社と伊藤小左衛門
平成31年1月12日
さんぽ会 和白グループ
香椎タウンストーリー 栁瀬英昭
香椎公民館やさしい郷土の歴史2018
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ご 案 内
1.和白とは
2.お汐井路(おしおい道)
3.立花(リュウゲ)
4.貴船社の場所探し
5.伊藤小左衛門
6.大神神社
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上和白MAP
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和白地名の起こり 和白とは
衆と議する • 神功皇后のご遠征の際、和白が軍の評議場であった。
• 和白は会議、議会を意味するとあり、ご遠征の時、天皇は熊襲征伐を主張、皇后は神託により新羅征伐派であったが、議論が分かれ中々まとまらず、天皇の発案で高き所に登り会議が開かれた。その場所が和白の島見山であった。その時から「和白」 地名の地名が生まれた。
地名について 「ワ」「シル」 = ワジロと考えられ
「ワ」 = 「曲」は海岸線の湾入をいう
「シロ」 = 「汁」が転じた語音
「ワ」「シロ」で曲がり込んだ湿地帯を表している
漢字の「和」「白」は好字をあてたものと考えられる
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昔は海だった和白地区
• 博多湾から新宮の湊に通じる
地域は三苫水道と呼ば
れていた。
• 三苫、奈多一帯 ➢三苫島
• 東側(美和台側) ➢東浜
• 西側(三苫側) ➢西浜 • 相浦から塩浜を巡って下和白
に至る海岸一帯を「桂浜」と呼んでいた。
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昔は海! ホント
この辺の土地は
4000年の間、隆起
と堆砂により10㍍
高まり1300年頃の
博多湾の沿岸は、
現況の5㍍の等高
線まで海であったと
言われています。
西鉄貝塚線
JR鹿児島本線
JR香椎線
西鉄三苫駅
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旧和白町と現在の校区
明治22年の人口と戸数
村 戸数 人口
上和白 64 336
下和白 49 262
塩 浜 35 188
三 苫 92 490
奈 多 262 1363
合計 502戸 2639人
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埋め立てと開発
元禄堤防・一の開・二の開・カネンテ
◆和白の珍しい地名
元禄堤防・・現在は地中に埋まっている
カネンテを基に、西側を一の開、東側を二の開と呼ばれている
一の開:1期工事 800間 1440㍍
二の開:2期工事 550間 990㍍
カネンテ(曲沢手)・・直角に曲げられた道・当時は和白~博多の交通の要所
カネンテ
元禄堤防
堤防は現在地中に
埋まっている
一の開 二の開
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お 汐 井 路 左図の番号名称
① 岩崎邸弥勒菩薩像
② 小金丸邸地蔵堂
③ 明覚寺
④ 白川稲荷神社
⑤ 湯谷山 薬師堂
⑥ 大神神社
昔、上和白の人々が神様にあげる汐井を取りに行く道として、通った道を汐井路(おしおい道)と昔の人は言っていた
立花の井戸
五輪の塔
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和白駅前大師堂
世
不動明王像
十一面観世音像
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和白高等小学校祈念碑
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松原口堤
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和白ゴルフ場内の古墳
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小金丸邸の地蔵堂
ひぎり地蔵菩薩
延命地蔵菩薩
たちえ地蔵菩薩 小金丸邸に入った右手の庭先に祀ってある
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岩崎邸の弥勒菩薩堂
弥勒様の姿は虫食いでかなり風化が進みボロボロ
である
通称オクンタ(奥の谷)への通路、
高さ20㍍の小高い山の上に祀ってある弥勒堂
高さ20㍍の小高い山の上に祀ってある弥勒堂
台座下に書き留められた「弥勒菩薩」様の意味の梵字
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百姓居屋敷(小金丸家)
築100年近く経過する「養蚕の館」
○養蚕用の「桑の種」を育てていたという地下室の入り口
○昔の地図を見ると立花の畑には桑の記号が多く見受けられる。
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龍華山 明覚寺
(浄土真宗本願寺派)
明覚寺本堂 お汐井路から望む明覚寺
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立花城 西の出城跡
昔の立花城西の出城跡に
建つ和白東一丁目・二丁目
公民館
大塚であった高台も
昭和初年の農地整理の際
高台は切り崩され農地用土
に使われた
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現在の白川恵比寿神社駐車場 和白ゴルフ場側
和白東1、2公民館
立花井
明覚寺
貴船宮跡 小金丸重三氏宅
小金丸三六氏宅
平成18年2月(2006年)「ふる里のむかし わじろ」より転載
お汐井路
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現在の上和白字立花付近のMAP
A 和白東1丁目1区公民館 E 明覚寺
和白ゴルフ場側
D 小金丸邸・地蔵堂
岩崎宅・弥勒菩薩堂
F 貴船社跡
白川恵比寿神社
湯谷山薬師堂境内
お汐井路
国土地理院図による
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貴船社・庚申尊天
• 宅地造成のため貴船社の場所は現在不明
• 参考資料によると、お汐井路と明覚寺に通じる三股路に貴船社と庚申尊天は共に鎮座されていましたが、大正14年県の指導で共に大神神社へ移し祀られている
• 続風土記付録に「薬師谷に温泉跡という古池が、そばに薬師堂が、カタハラに貴船社、中和白に観音堂がある・・・・」
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白川稲荷神社 と伊藤小左衛門
伊藤小左衛門の博多人形(妙楽寺蔵)
鎖国令に散った幻の博多商人
万四郎神社
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白川神社境内の 恵比寿様と稲荷社
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湯谷山薬師堂境内
• 薬師ヶ浦(湯ノ浦) 雪が降って周囲が積もっても、この池は凍らなかったので、温泉の跡という言い伝えがある
• 薬師堂 本尊薬師如来像、1700年頃からと推察される
• 地蔵堂 薬師堂の左側 大正14年頃「貴船社」は大神神社へ、お地蔵様は現在の地に移された
• 一字一石の塔 高さ120㌢程の丸形の自然石
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湯谷山薬師堂境内
薬師堂と地蔵堂(左)
薬師ヶ浦(湯ノ浦)
一字一石の塔
湯谷山薬師堂入り口
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大 神 神 社
大神神社の参道正面
大神神社の御神殿
造営記念碑
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大 神 神 社 • 名称:オオミワジンジャ
神功皇后出兵の時、大和の将兵ががこの地に駐屯した時に、この立花山麓が故
郷の三輪山に似ているので故郷の大神神社をここに分霊し祀ったものと思われる。
「おおみわ」とよぶのは大和の大神神社が三輪山をご神体としているところによる
・御祭神
大物主神(大国主命 大黒様)
出雲神社と並ぶ大神神社の分社
・みわ杉・宮前一号墳・石像物
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大 神 神 社 宮前一号墳
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大 神 神 社 貴船神社
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大 神 神 社 高藤底樋
木製の底樋は樹齢約70年の松の原木を縦割りにして、通水断面を箱状にくり抜き換え折れ釘を使って元の丸太に組み合わせた構造になっている
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宮前三号墳
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ご静聴ありがとうございました
ご静聴ありがとうございました
(出典:「ふる里のむかし わじろ」)
終わり
【出典】和白校区自治協議会 和白の歴史
第1章 上和白村の歴史
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