muru uchina - university of the ryukyus...muru uchina 2019 winter vol. 07 ムルウチナー...

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Muru Uchina Vol. 07 2019 W i n t e r オール沖縄で 医師のキャリアを考えるマガジン Take Free ご自由にお持ちください Top Interview 新・沖 縄 県 立 八 重 山 病 院 篠﨑 裕子 病院長 最南西端の暮らしと 国境を守る 大切な医療がある。

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  • Muru UchinaVol.072019 Wi nt e r

    ムルウチナー

    オール沖縄で医師のキャリアを考えるマガジン

    Take Freeご自由にお持ちください

    Top Interview

    新・沖縄県立八重山病院

    篠 﨑 裕 子 病院長

    最南西端の暮らしと国境を守る大切な医療がある。

    Vol.07Muru Uchina

    新・沖縄県立八重山病院特集

  • オール沖縄で医師のキャリアを考えるマガジン

    Muru Uchinaムルウチナー沖縄で活躍する医師たちを通して

    沖縄の医療と臨床研修の魅力を紹介するマガジン『ムルウチナー』。

    『ムル』は全部、『ウチナー』は沖縄を意味します。

    島の人々の健康を守るためには

    地域住民との“ 信頼関係 ”と地域医療機関との“ 連携 ”が必要不可欠です。

    医療の本質と島の未来を見つめ続ける沖縄県の医師たちの

    『ムルウチナー』を感じていただけたら幸いです。

  • 新・沖縄県立八重山病院 病院長

    篠 﨑 裕 子 先生

    最南西端の暮らしと国境を守る大切な医療がある。

    Top Interview

    Hospital Review

    OKINAWA DOCTORS SCENE

    OKINAWA Residents Story

    Okinawa Crossword Puzzle

    P.02

    P.05

    P.08

    P. 1 6

    P.20

    INDEX2019 Winter Vol . 07

    沖縄クロスワードパズル

    新・沖縄県立八重山病院

    #01

    沖 縄 で 働 く 医 師 の 話~ 新・県立八重山病院特集 ~

    沖 縄 の 研 修 医 の 話~ 新・県立八重山病院特集 ~

    産婦人科医長 古 賀 千 悠 先生

    麻酔科部長 上 原 真 人 先生

    #01専攻医 富 名 腰 朝 史 先生

    #02専攻医 亀 谷 航 平 先生

    #02小児科 村 井 裕 子 先生

    #03

    内科(感染症内科)中 島 知 先生

    #04小浜診療所 山 田 拓 先生

    循環器内科 村 井 俊 介 先生S h u n s u k e M u r a i

    表紙写真撮影者

    0 1

  • た心強いエールだ。

     

    篠﨑先生は沖縄県病院事業

    局の医療企画監として、行政

    の場で県立病院の医師確保や

    改革に努めた経験も持つ。篠﨑

    先生は、「医師を確保するため

    には資金が必要である」と当

    時の知事に何度も訴え、「医師

    確保基金」を実現させた。この

    基金は、本島北部や宮古・八重

    山地域の医師を安定的に確保

    するのが目的で、設備や医療機

    器の整備などにも利用される。

     

    今回、八重山病院が新築開

    院した際に導入された320列

    のCTやアンギオグラフィーの導

    入費用、また離島・へき地に従

    事した医師に国内や海外留学

    で、一定期間キャリアを積むこ

    とができる奨学金費用も「医師

    確保基金」から出ている。ちな

    みに、この国内・海外留学制度

    も篠﨑先生が発案して実現し

    たものだ。篠﨑先生の提言がな

    ければ、沖縄の地域医療は危機

    に瀕していたかもしれない。篠﨑

    先生は、「わたしは男性と違い

    女性であるがゆえ、プライドが

    ないので、『これもできません

    か、あれもできませんか』と、直

    接的に訴えることができただけ

    なんですよ」と大きく笑った。

     

    篠﨑先生は医療企画監を6

    年間勤めた後、中部病院、八重

    山病院の副院長などを経験。

    当時、八重山病院の院長だった

    依光先生から、「次の院長はあ

    なたしかいない」と言われた。

    院長になることに迷いはあった

    が、前・沖縄県病院事業局長

    である伊江朝次先生から、

     

    沖縄県立八重山病院は、日

    本最南西端の島々である八重

    山列島で唯一の総合病院だ。

    その八重山病院が2018年

    10月1日に新築開院した。こ

    こから生まれる新たな医療と

    病院づくりを牽引するのが、

    2018年4月に院長に就任

    した篠﨑裕子先生である。

    「建物や設備が新しくなって

    も、良質な医療サービスは提供

    できません。大事なのは人なん

    です。医療人の教育、育成にも

    大きな力を注いでいきたい」と

    篠﨑先生は強く語った。

     

    篠﨑先生は大学を卒業後、

    当時、スーパーローテーションに

    よる研修で注目を集めていた

    県立中部病院でトレーニングを

    積んだ。中心静脈ラインなどの

    麻酔科医としての手技が自分

    に合っていると感じたことや、

    当時、子育てをしながら麻酔

    科の第一線で活躍していた、八

    重山病院の前院長である依光

    たみ枝先生の姿をみて麻酔科

    の道に進んだ。県立中部病院

    では月に10回以上の当直をこ

    なし、緊急手術では、麻酔科医

    がまだ医師になって間もない篠

    﨑先生だけという場面も度々

    あった。

    「そんなときは他科の医師や

    病院スタッフが『何か手伝うこ

    とはないか』と集まってくれた

    んです。そうした協力体制が

    あったからこそ、厳しい状況も

    乗り越えることができました。

    大変でしたが、この時の経験が

    その後の大きな力になりまし

    たね」

     

    4年目には八重山病院に赴

    任し、結婚して子どもも生ま

    れた。当時は子どもを預ける

    施設がなかったため、緊急手術

    があれば個人宅や、ときに子ど

    もを病院に一緒に連れて行き看

    護師に預けたこともある。

    「地域と病院が子育てに参加

    してくれたんです。八重山の

    人々のあたたかさがあったから

    こそ、仕事を続けることができ

    ました」

     

    子どもが一歳になった頃、篠

    﨑先生は海上保安庁に勤める

    夫の転勤に同行するため、医

    師業を辞めた。夫の転勤によっ

    て福岡、仙台、横浜などに住ん

    だ。転勤の度に子どもも転校

    「離島医療を担う八重山病院は

    医師確保も重要であり、誰もが

    できるものではない。次の院長は

    行政にも通じた君しかいない」とい

    う言葉に背中を大きく押された。

    こうして篠﨑先生は2018年

    4月に院長となった。

     

    八重山病院の医療には独自

    の魅力がたくさん詰まっている。

    その一つが離島医療だ。八重山

    病院は、西表島の東部・西部、

    小浜島、波照間島の4か所に

    附属診療所を有しており、島で

    一人で診ることのできるジェネ

    ラリストとしてのスキルを習得

    できる最前線にある。さらに八

    重山病院では八重山諸島全て

    の急患ヘリ搬送も請け負い、タ

    ンカーやクルーズ船の洋上救急

    にも対応している。その際は必

    ず八重山病院の医師がヘリに同

    乗する。こうしたヘリによる搬

    送が年間に約100件。それも

    夜間に多いのが特徴であり、こ

    沖縄県嘉手納町出身。金沢医科大学医学部卒業。大学卒業後、沖縄県立中部病院で研修を行い、麻酔科医の道に進む。沖縄県立八重山病院に赴任した後、夫の転勤や子育てにより6年間休業。復帰後、沖縄県立中部病院で活躍し、麻酔科副部長を経て沖縄県病院事業局の医療企画監に就任。6年間、行政の中で県立病院の改革や医師の確保に努める。2016年4月に沖縄県立中部病院の副院長、2017年4月に沖縄県立八重山病院の副院長。2018年4月に沖縄県立八重山病院の院長に就任。

    新・沖縄県立八重山病院 病院長

    Y u k o S h i n o z a k i

    篠 﨑 裕 子 先生

    を余儀なくされる。そんな子

    どもを不憫に思い、篠﨑先生

    は子どもとともに沖縄の実家

    に戻った。そして県立中部病院

    から声がかかったことをきっか

    けに再び麻酔科医として復帰

    する。医師を辞めてから6年

    もの歳月が経っていた。

     「長いブランクがあり、最初

    は挿管などの手技ができるか

    どうか不安でしたが、若い頃

    にたくさん経験したことは忘

    れていないものなんです。出

    産や育児によってキャリアが

    遅れてしまうと悩む女性医

    師も多いと思いますが、キャリ

    アを遅らせても、子どもの成

    長を傍で見届けるのは大切な

    こと。キャリアは後からついて

    くるものです。ぜひ子育てを

    楽しんでほしいですね」。篠﨑

    先生が送る、女性医師に向け

    最南西端の暮らしと国境を守る大切な医療がある。麻酔科医として多くの手術に携わり、沖縄県病院事業局では県立病院の改革に尽力。

    県立中部病院、県立八重山病院の副院長を経て、県立八重山病院の院長に就任。

    2018年10月1日に新築開院した、県立八重山病院の新たな医療づくりを牽引する

    篠﨑裕子院長のキャリアの軌跡に迫った。

    そこから見えてくる、八重山病院の医療と、沖縄の地でキャリアを歩む魅力とは?

    Top Interview

    うした経験ができるのは八重山

    病院ならではだ。

    「当院には全国から初期研修

    の先生たちが地域研修の短期

    研修に来て、訪問診療や看取

    りなどを経験し、地域との関

    わり方も学んでいます。最も学

    ぶことができる若い時期に、い

    ろんなことを経験することで

    医師として大きく成長できる。

    八重山病院はそれに相応しい

    場所だと思います」

     

    沖縄県は、全国でも有数の

    島しょ県であり、離島医療なく

    して沖縄県は成り立たない。離

    島に医療があるからこそ、人々は

    離島に住むことができ、安心し

    た生活を送ることができるのだ。

    「医療は水や電気と同じように

    大切なインフラであり、医療を

    守ることは、そこに人が住める

    のかどうかという重要なことに

    も繋がってきます。八重山病院

    は、日本の最南西端の医療を支

    える重要な砦であり、そこに住

    む人々の暮らしと国境を守って

    いるんです」。そう語る篠﨑先生

    の表情はとても誇らしげだった。

    新・沖縄県立八重山病院特集

    0 2ムルウチナー

  • 若いときの経験が、

    その後の大きな力となる

    篠 﨑 裕 子 先生

    Top Interview

    Y u k o S h i n o z a k i

    新・沖縄県立八重山病院 病院長

    長いブランクからの復帰。

    キャリアは後からでも

    ついてくる

    た心強いエールだ。

     

    篠﨑先生は沖縄県病院事業

    局の医療企画監として、行政

    の場で県立病院の医師確保や

    改革に努めた経験も持つ。篠﨑

    先生は、「医師を確保するため

    には資金が必要である」と当

    時の知事に何度も訴え、「医師

    確保基金」を実現させた。この

    基金は、本島北部や宮古・八重

    山地域の医師を安定的に確保

    するのが目的で、設備や医療機

    器の整備などにも利用される。

     

    今回、八重山病院が新築開

    院した際に導入された320列

    のCTやアンギオグラフィーの導

    入費用、また離島・へき地に従

    事した医師に国内や海外留学

    で、一定期間キャリアを積むこ

    とができる奨学金費用も「医師

    確保基金」から出ている。ちな

    みに、この国内・海外留学制度

    も篠﨑先生が発案して実現し

    たものだ。篠﨑先生の提言がな

    ければ、沖縄の地域医療は危機

    に瀕していたかもしれない。篠﨑

    先生は、「わたしは男性と違い

    女性であるがゆえ、プライドが

    ないので、『これもできません

    か、あれもできませんか』と、直

    接的に訴えることができただけ

    なんですよ」と大きく笑った。

     

    篠﨑先生は医療企画監を6

    年間勤めた後、中部病院、八重

    山病院の副院長などを経験。

    当時、八重山病院の院長だった

    依光先生から、「次の院長はあ

    なたしかいない」と言われた。

    院長になることに迷いはあった

    が、前・沖縄県病院事業局長

    である伊江朝次先生から、

     

    沖縄県立八重山病院は、日

    本最南西端の島々である八重

    山列島で唯一の総合病院だ。

    その八重山病院が2018年

    10月1日に新築開院した。こ

    こから生まれる新たな医療と

    病院づくりを牽引するのが、

    2018年4月に院長に就任

    した篠﨑裕子先生である。

    「建物や設備が新しくなって

    も、良質な医療サービスは提供

    できません。大事なのは人なん

    です。医療人の教育、育成にも

    大きな力を注いでいきたい」と

    篠﨑先生は強く語った。

     

    篠﨑先生は大学を卒業後、

    当時、スーパーローテーションに

    よる研修で注目を集めていた

    県立中部病院でトレーニングを

    積んだ。中心静脈ラインなどの

    麻酔科医としての手技が自分

    に合っていると感じたことや、

    当時、子育てをしながら麻酔

    科の第一線で活躍していた、八

    重山病院の前院長である依光

    たみ枝先生の姿をみて麻酔科

    の道に進んだ。県立中部病院

    では月に10回以上の当直をこ

    なし、緊急手術では、麻酔科医

    がまだ医師になって間もない篠

    﨑先生だけという場面も度々

    あった。

    「そんなときは他科の医師や

    病院スタッフが『何か手伝うこ

    とはないか』と集まってくれた

    んです。そうした協力体制が

    あったからこそ、厳しい状況も

    乗り越えることができました。

    大変でしたが、この時の経験が

    その後の大きな力になりまし

    たね」

     

    4年目には八重山病院に赴

    任し、結婚して子どもも生ま

    れた。当時は子どもを預ける

    施設がなかったため、緊急手術

    があれば個人宅や、ときに子ど

    もを病院に一緒に連れて行き看

    護師に預けたこともある。

    「地域と病院が子育てに参加

    してくれたんです。八重山の

    人々のあたたかさがあったから

    こそ、仕事を続けることができ

    ました」

     

    子どもが一歳になった頃、篠

    﨑先生は海上保安庁に勤める

    夫の転勤に同行するため、医

    師業を辞めた。夫の転勤によっ

    て福岡、仙台、横浜などに住ん

    だ。転勤の度に子どもも転校

    「離島医療を担う八重山病院は

    医師確保も重要であり、誰もが

    できるものではない。次の院長は

    行政にも通じた君しかいない」とい

    う言葉に背中を大きく押された。

    こうして篠﨑先生は2018年

    4月に院長となった。

     

    八重山病院の医療には独自

    の魅力がたくさん詰まっている。

    その一つが離島医療だ。八重山

    病院は、西表島の東部・西部、

    小浜島、波照間島の4か所に

    附属診療所を有しており、島で

    一人で診ることのできるジェネ

    ラリストとしてのスキルを習得

    できる最前線にある。さらに八

    重山病院では八重山諸島全て

    の急患ヘリ搬送も請け負い、タ

    ンカーやクルーズ船の洋上救急

    にも対応している。その際は必

    ず八重山病院の医師がヘリに同

    乗する。こうしたヘリによる搬

    送が年間に約100件。それも

    夜間に多いのが特徴であり、こ

    を余儀なくされる。そんな子

    どもを不憫に思い、篠﨑先生

    は子どもとともに沖縄の実家

    に戻った。そして県立中部病院

    から声がかかったことをきっか

    けに再び麻酔科医として復帰

    する。医師を辞めてから6年

    もの歳月が経っていた。

     「長いブランクがあり、最初

    は挿管などの手技ができるか

    どうか不安でしたが、若い頃

    にたくさん経験したことは忘

    れていないものなんです。出

    産や育児によってキャリアが

    遅れてしまうと悩む女性医

    師も多いと思いますが、キャリ

    アを遅らせても、子どもの成

    長を傍で見届けるのは大切な

    こと。キャリアは後からついて

    くるものです。ぜひ子育てを

    楽しんでほしいですね」。篠﨑

    先生が送る、女性医師に向け

    うした経験ができるのは八重山

    病院ならではだ。

    「当院には全国から初期研修

    の先生たちが地域研修の短期

    研修に来て、訪問診療や看取

    りなどを経験し、地域との関

    わり方も学んでいます。最も学

    ぶことができる若い時期に、い

    ろんなことを経験することで

    医師として大きく成長できる。

    八重山病院はそれに相応しい

    場所だと思います」

     

    沖縄県は、全国でも有数の

    島しょ県であり、離島医療なく

    して沖縄県は成り立たない。離

    島に医療があるからこそ、人々は

    離島に住むことができ、安心し

    た生活を送ることができるのだ。

    「医療は水や電気と同じように

    大切なインフラであり、医療を

    守ることは、そこに人が住める

    のかどうかという重要なことに

    も繋がってきます。八重山病院

    は、日本の最南西端の医療を支

    える重要な砦であり、そこに住

    む人々の暮らしと国境を守って

    いるんです」。そう語る篠﨑先生

    の表情はとても誇らしげだった。

    0 3

  • 「ただし、質の高い医療の提供

    に最も大切なのは最新の医療

    機器や設備ではなく人です。

    たとえば、最新の炊飯器で美

    味しいご飯を炊けるのは当たり

    前ですが、医師はその炊飯器

    がなくても美味しいご飯を炊

    けるスキルがなくてはならない

    のです」と上原先生は医師と

    しての在り方を説く。そんな上

    原先生が、新病院となって最も

    期待していることが患者数の

    増加だ。沖縄県立宮古病院が

    2013年に新築開院したと

    き、良性疾患の手術件数が倍

    近くにまで増加した。患者数

    こう語る。

    「現在、沖縄の各県立高校に

    は進学クラスができ、八重山高

    校からも国立大学に多く進学

    しています。子どもの教育面に

    関する懸念は不要です」

     

    上原先生は八重山高校の生

    徒たちに医師や看護師の仕事

    について講演するなど、将来

    の医療従事者をつくる活動も

    している。医療に興味を抱き、

    八重山高校からこの数年間で

    9名が琉球大学の医学部に進

    んだ。八重山地域でも充分な

    教育を受けられる環境がある

    のだ。

    「高校進学で八重山を離れる

    人もいますが、人生の大切な10

    代後半に『人の心』と『世の中

    の仕組み』と『物の本質』を親

    から教わることができない環境

    はよくないのではと思います。

    医師にとっても『人の心』と

    『世の中の仕組み』と『物の本

    が増加すれば、医師はそれだけ

    症例経験を積み重ねることが

    できる。

    「八重山圏域の手術が必要

    な患者さんのほとんどが当

    院に来るため、虫垂炎や頚

    部骨折、帝王切開などの経

    験を〝千本ノック〞のように積

    み重ねることができます。大

    学病院では高度な手術が多

    く、麻酔科でいえば『心臓外

    科の麻酔は得意だが、虫垂

    炎の麻酔は数回しか経験が

    ない』という麻酔科医が生ま

    れがちです。症例をバランス

    よく経験するためにはコモン

    ディジーズに多く触れる環境

    も必要。当院はそうした環

    境に相応しいコモンディジー

    ズの宝庫であり、今後も手術

    件数は増加していくと期待

    しています」

     

    さらに八重山病院は4つの

    附属の離島診療所を有してお

    り、離島医療と密接であること

    も特徴だ。こうした環境は医師

    として独り立ちをする練習の

    場としても最適だと言える。

    「若い先生のなかには、離島で

    経験を積むことは、『同期に遅

    最南西端の

    暮らしと国境を守る

    大切な医療がある。

    た心強いエールだ。

     

    篠﨑先生は沖縄県病院事業

    局の医療企画監として、行政

    の場で県立病院の医師確保や

    改革に努めた経験も持つ。篠﨑

    先生は、「医師を確保するため

    には資金が必要である」と当

    時の知事に何度も訴え、「医師

    確保基金」を実現させた。この

    基金は、本島北部や宮古・八重

    山地域の医師を安定的に確保

    するのが目的で、設備や医療機

    器の整備などにも利用される。

     

    今回、八重山病院が新築開

    院した際に導入された320列

    のCTやアンギオグラフィーの導

    入費用、また離島・へき地に従

    事した医師に国内や海外留学

    で、一定期間キャリアを積むこ

    とができる奨学金費用も「医師

    確保基金」から出ている。ちな

    みに、この国内・海外留学制度

    も篠﨑先生が発案して実現し

    たものだ。篠﨑先生の提言がな

    ければ、沖縄の地域医療は危機

    に瀕していたかもしれない。篠﨑

    先生は、「わたしは男性と違い

    女性であるがゆえ、プライドが

    ないので、『これもできません

    か、あれもできませんか』と、直

    接的に訴えることができただけ

    なんですよ」と大きく笑った。

     

    篠﨑先生は医療企画監を6

    年間勤めた後、中部病院、八重

    山病院の副院長などを経験。

    当時、八重山病院の院長だった

    依光先生から、「次の院長はあ

    なたしかいない」と言われた。

    院長になることに迷いはあった

    が、前・沖縄県病院事業局長

    である伊江朝次先生から、

     

    沖縄県立八重山病院は、日

    本最南西端の島々である八重

    山列島で唯一の総合病院だ。

    その八重山病院が2018年

    10月1日に新築開院した。こ

    こから生まれる新たな医療と

    病院づくりを牽引するのが、

    2018年4月に院長に就任

    した篠﨑裕子先生である。

    「建物や設備が新しくなって

    も、良質な医療サービスは提供

    できません。大事なのは人なん

    です。医療人の教育、育成にも

    大きな力を注いでいきたい」と

    篠﨑先生は強く語った。

     

    篠﨑先生は大学を卒業後、

    当時、スーパーローテーションに

    よる研修で注目を集めていた

    県立中部病院でトレーニングを

    積んだ。中心静脈ラインなどの

    麻酔科医としての手技が自分

    に合っていると感じたことや、

    当時、子育てをしながら麻酔

    科の第一線で活躍していた、八

    重山病院の前院長である依光

    たみ枝先生の姿をみて麻酔科

    の道に進んだ。県立中部病院

    では月に10回以上の当直をこ

    なし、緊急手術では、麻酔科医

    がまだ医師になって間もない篠

    﨑先生だけという場面も度々

    あった。

    「そんなときは他科の医師や

    病院スタッフが『何か手伝うこ

    とはないか』と集まってくれた

    んです。そうした協力体制が

    あったからこそ、厳しい状況も

    乗り越えることができました。

    大変でしたが、この時の経験が

    その後の大きな力になりまし

    たね」

     

    4年目には八重山病院に赴

    任し、結婚して子どもも生ま

    れた。当時は子どもを預ける

    施設がなかったため、緊急手術

    があれば個人宅や、ときに子ど

    もを病院に一緒に連れて行き看

    護師に預けたこともある。

    「地域と病院が子育てに参加

    してくれたんです。八重山の

    人々のあたたかさがあったから

    こそ、仕事を続けることができ

    ました」

     

    子どもが一歳になった頃、篠

    﨑先生は海上保安庁に勤める

    夫の転勤に同行するため、医

    師業を辞めた。夫の転勤によっ

    て福岡、仙台、横浜などに住ん

    だ。転勤の度に子どもも転校

    「離島医療を担う八重山病院は

    医師確保も重要であり、誰もが

    できるものではない。次の院長は

    行政にも通じた君しかいない」とい

    う言葉に背中を大きく押された。

    こうして篠﨑先生は2018年

    4月に院長となった。

     

    八重山病院の医療には独自

    の魅力がたくさん詰まっている。

    その一つが離島医療だ。八重山

    病院は、西表島の東部・西部、

    小浜島、波照間島の4か所に

    附属診療所を有しており、島で

    一人で診ることのできるジェネ

    ラリストとしてのスキルを習得

    できる最前線にある。さらに八

    重山病院では八重山諸島全て

    の急患ヘリ搬送も請け負い、タ

    ンカーやクルーズ船の洋上救急

    にも対応している。その際は必

    ず八重山病院の医師がヘリに同

    乗する。こうしたヘリによる搬

    送が年間に約100件。それも

    夜間に多いのが特徴であり、こ

     

    八重山諸島の中核病院であ

    る沖縄県立八重山病院が新築

    開院した。新病院の新たな設

    備や機能とともに、八重山病

    院における医師の働き方やス

    キルアップ、さらに八重山で生

    活する魅力について、麻酔科部

    長である上原真人先生に聞い

    てみた。上原先生は、多用な

    データを用いて八重山病院の

    実態をまとめた「八重山病院

    データでムヌカンゲー」という

    本を執筆し、第2回日本医学

    ジャーナリスト協会賞の優秀賞

    を受賞。また「引っ越し実行委

    員会」の委員長も務め、円滑

    な移転を成功させた。

     

    まずは、新しくなった主な設

    備や機能について紹介したい。

     

    新病院の敷地面積は約4万㎡

    で旧病院の1・6倍、延床面

    積は約2万3200㎡で旧病

    院の1・4倍と広くなった。歯

    科口腔外科が新設され24科と

    なり、医療機器は県立病院で

    は初となる320列のCTや、

    アンギオグラフィー、島内唯一

    の高気圧酸素治療装置などが

    導入された。設備としては輸入

    感染症の対応強化のため「陰

    圧病床」や専用の経路、エレ

    ベーターを設置。また、新生児

    集中治療室(NICU)から継

    続保育が可能な継続保育室

    (GCU)の整備や、陣痛分娩

    室(LDR)を設け、年間約

    600件もの出産に対応する

    八重山圏域で唯一の出産可能

    施設として大きな機能強化が

    図られた。

    多くの離島を支える

    八重山病院だからこそ、

    得られるものがある

    を余儀なくされる。そんな子

    どもを不憫に思い、篠﨑先生

    は子どもとともに沖縄の実家

    に戻った。そして県立中部病院

    から声がかかったことをきっか

    けに再び麻酔科医として復帰

    する。医師を辞めてから6年

    もの歳月が経っていた。

     「長いブランクがあり、最初

    は挿管などの手技ができるか

    どうか不安でしたが、若い頃

    にたくさん経験したことは忘

    れていないものなんです。出

    産や育児によってキャリアが

    遅れてしまうと悩む女性医

    師も多いと思いますが、キャリ

    アを遅らせても、子どもの成

    長を傍で見届けるのは大切な

    こと。キャリアは後からついて

    くるものです。ぜひ子育てを

    楽しんでほしいですね」。篠﨑

    先生が送る、女性医師に向け

    質』を常に意識することが大

    切。医師という肩書きがあって

    も、いくら正しいことを言って

    も、あなたが信頼され、尊敬さ

    れていなければ人は動きませ

    ん。医学生や若い医師のみなさ

    んには知識や技術の研鑽だけ

    ではなく、『人の心』と『世の

    中の仕組み』と『物の本質』を

    知り、〝あなたが言うのだった

    ら〞と思わせることができる、

    人から信頼され、尊敬される

    Q. 篠﨑先生にとって沖縄と

    は?

    A. 離島なくして沖縄は成り立たず。

    沖縄は離島医療の最前線です。

    うした経験ができるのは八重山

    病院ならではだ。

    「当院には全国から初期研修

    の先生たちが地域研修の短期

    研修に来て、訪問診療や看取

    りなどを経験し、地域との関

    わり方も学んでいます。最も学

    ぶことができる若い時期に、い

    ろんなことを経験することで

    医師として大きく成長できる。

    八重山病院はそれに相応しい

    場所だと思います」

     

    沖縄県は、全国でも有数の

    島しょ県であり、離島医療なく

    して沖縄県は成り立たない。離

    島に医療があるからこそ、人々は

    離島に住むことができ、安心し

    た生活を送ることができるのだ。

    「医療は水や電気と同じように

    大切なインフラであり、医療を

    守ることは、そこに人が住める

    のかどうかという重要なことに

    も繋がってきます。八重山病院

    は、日本の最南西端の医療を支

    える重要な砦であり、そこに住

    む人々の暮らしと国境を守って

    いるんです」。そう語る篠﨑先生

    の表情はとても誇らしげだった。

    れを取るのではないか、最新の

    知識が得られないのではないの

    か』という、独り取り残される

    怖さを感じる方もいます。しか

    し、今はインターネットを介し

    て専門医に聞くことができま

    すし、最新の知識もアップデー

    トできる。独りぼっちの怖さに

    負けないでほしいですね」

     

    このように、八重山病院は

    医師としての幅広い実力を習

    得する場として非常に魅力的

    だ。さらに八重山地域の豊か

    な自然は子育てに最高の環境

    であり、生活面での魅力も大

    きい。ここには都市部で消滅し

    た〝向こう三軒両隣〞が健在

    し、地域が子どもを育てるとい

    う特性もある。しかし、子ども

    の教育・学習面を考えると二

    の足を踏む方もいるかもしれ

    ない。それに対して上原先生は

    医師になってほしい」

     

    上原先生は琉球大学からの

    派遣で、当初は3年間の予定

    で八重山病院に赴任した。しか

    し、この地が気に入って、気が

    付けば18年もいる。この八重山

    の地で子どももしっかり育て

    た。医師としても父親として

    も住民としても、「幸せですよ

    ね」と微笑む。上原先生のその

    笑顔が、八重山病院の魅力を

    何よりも語っていた。

    篠 﨑 裕 子 先生

    Top Interview

    Y u k o S h i n o z a k i

    新・沖縄県立八重山病院 病院長

    0 4ムルウチナー

  • 「ただし、質の高い医療の提供

    に最も大切なのは最新の医療

    機器や設備ではなく人です。

    たとえば、最新の炊飯器で美

    味しいご飯を炊けるのは当たり

    前ですが、医師はその炊飯器

    がなくても美味しいご飯を炊

    けるスキルがなくてはならない

    のです」と上原先生は医師と

    しての在り方を説く。そんな上

    原先生が、新病院となって最も

    期待していることが患者数の

    増加だ。沖縄県立宮古病院が

    2013年に新築開院したと

    き、良性疾患の手術件数が倍

    近くにまで増加した。患者数

    こう語る。

    「現在、沖縄の各県立高校に

    は進学クラスができ、八重山高

    校からも国立大学に多く進学

    しています。子どもの教育面に

    関する懸念は不要です」

     

    上原先生は八重山高校の生

    徒たちに医師や看護師の仕事

    について講演するなど、将来

    の医療従事者をつくる活動も

    している。医療に興味を抱き、

    八重山高校からこの数年間で

    9名が琉球大学の医学部に進

    んだ。八重山地域でも充分な

    教育を受けられる環境がある

    のだ。

    「高校進学で八重山を離れる

    人もいますが、人生の大切な10

    代後半に『人の心』と『世の中

    の仕組み』と『物の本質』を親

    から教わることができない環境

    はよくないのではと思います。

    医師にとっても『人の心』と

    『世の中の仕組み』と『物の本

    が増加すれば、医師はそれだけ

    症例経験を積み重ねることが

    できる。

    「八重山圏域の手術が必要

    な患者さんのほとんどが当

    院に来るため、虫垂炎や頚

    部骨折、帝王切開などの経

    験を〝千本ノック〞のように積

    み重ねることができます。大

    学病院では高度な手術が多

    く、麻酔科でいえば『心臓外

    科の麻酔は得意だが、虫垂

    炎の麻酔は数回しか経験が

    ない』という麻酔科医が生ま

    れがちです。症例をバランス

    よく経験するためにはコモン

    ディジーズに多く触れる環境

    も必要。当院はそうした環

    境に相応しいコモンディジー

    ズの宝庫であり、今後も手術

    件数は増加していくと期待

    しています」

     

    さらに八重山病院は4つの

    附属の離島診療所を有してお

    り、離島医療と密接であること

    も特徴だ。こうした環境は医師

    として独り立ちをする練習の

    場としても最適だと言える。

    「若い先生のなかには、離島で

    経験を積むことは、『同期に遅

    麻酔科部長

    Interview

    H o s p i t a l R e v i e w

    新・沖 縄 県 立 八 重 山 病 院N e w Y a e y a m a H o s p i t a l

    新・八重山病院、誕生。

    医師の視点から、

    その魅力と特徴に迫る。

    た心強いエールだ。

     

    篠﨑先生は沖縄県病院事業

    局の医療企画監として、行政

    の場で県立病院の医師確保や

    改革に努めた経験も持つ。篠﨑

    先生は、「医師を確保するため

    には資金が必要である」と当

    時の知事に何度も訴え、「医師

    確保基金」を実現させた。この

    基金は、本島北部や宮古・八重

    山地域の医師を安定的に確保

    するのが目的で、設備や医療機

    器の整備などにも利用される。

     

    今回、八重山病院が新築開

    院した際に導入された320列

    のCTやアンギオグラフィーの導

    入費用、また離島・へき地に従

    事した医師に国内や海外留学

    で、一定期間キャリアを積むこ

    とができる奨学金費用も「医師

    確保基金」から出ている。ちな

    みに、この国内・海外留学制度

    も篠﨑先生が発案して実現し

    たものだ。篠﨑先生の提言がな

    ければ、沖縄の地域医療は危機

    に瀕していたかもしれない。篠﨑

    先生は、「わたしは男性と違い

    女性であるがゆえ、プライドが

    ないので、『これもできません

    か、あれもできませんか』と、直

    接的に訴えることができただけ

    なんですよ」と大きく笑った。

     

    篠﨑先生は医療企画監を6

    年間勤めた後、中部病院、八重

    山病院の副院長などを経験。

    当時、八重山病院の院長だった

    依光先生から、「次の院長はあ

    なたしかいない」と言われた。

    院長になることに迷いはあった

    が、前・沖縄県病院事業局長

    である伊江朝次先生から、

     

    沖縄県立八重山病院は、日

    本最南西端の島々である八重

    山列島で唯一の総合病院だ。

    その八重山病院が2018年

    10月1日に新築開院した。こ

    こから生まれる新たな医療と

    病院づくりを牽引するのが、

    2018年4月に院長に就任

    した篠﨑裕子先生である。

    「建物や設備が新しくなって

    も、良質な医療サービスは提供

    できません。大事なのは人なん

    です。医療人の教育、育成にも

    大きな力を注いでいきたい」と

    篠﨑先生は強く語った。

     

    篠﨑先生は大学を卒業後、

    当時、スーパーローテーションに

    よる研修で注目を集めていた

    県立中部病院でトレーニングを

    積んだ。中心静脈ラインなどの

    麻酔科医としての手技が自分

    に合っていると感じたことや、

    当時、子育てをしながら麻酔

    科の第一線で活躍していた、八

    重山病院の前院長である依光

    たみ枝先生の姿をみて麻酔科

    の道に進んだ。県立中部病院

    では月に10回以上の当直をこ

    なし、緊急手術では、麻酔科医

    がまだ医師になって間もない篠

    﨑先生だけという場面も度々

    あった。

    「そんなときは他科の医師や

    病院スタッフが『何か手伝うこ

    とはないか』と集まってくれた

    んです。そうした協力体制が

    あったからこそ、厳しい状況も

    乗り越えることができました。

    大変でしたが、この時の経験が

    その後の大きな力になりまし

    たね」

     

    4年目には八重山病院に赴

    任し、結婚して子どもも生ま

    れた。当時は子どもを預ける

    施設がなかったため、緊急手術

    があれば個人宅や、ときに子ど

    もを病院に一緒に連れて行き看

    護師に預けたこともある。

    「地域と病院が子育てに参加

    してくれたんです。八重山の

    人々のあたたかさがあったから

    こそ、仕事を続けることができ

    ました」

     

    子どもが一歳になった頃、篠

    﨑先生は海上保安庁に勤める

    夫の転勤に同行するため、医

    師業を辞めた。夫の転勤によっ

    て福岡、仙台、横浜などに住ん

    だ。転勤の度に子どもも転校

    「離島医療を担う八重山病院は

    医師確保も重要であり、誰もが

    できるものではない。次の院長は

    行政にも通じた君しかいない」とい

    う言葉に背中を大きく押された。

    こうして篠﨑先生は2018年

    4月に院長となった。

     

    八重山病院の医療には独自

    の魅力がたくさん詰まっている。

    その一つが離島医療だ。八重山

    病院は、西表島の東部・西部、

    小浜島、波照間島の4か所に

    附属診療所を有しており、島で

    一人で診ることのできるジェネ

    ラリストとしてのスキルを習得

    できる最前線にある。さらに八

    重山病院では八重山諸島全て

    の急患ヘリ搬送も請け負い、タ

    ンカーやクルーズ船の洋上救急

    にも対応している。その際は必

    ず八重山病院の医師がヘリに同

    乗する。こうしたヘリによる搬

    送が年間に約100件。それも

    夜間に多いのが特徴であり、こ

     

    八重山諸島の中核病院であ

    る沖縄県立八重山病院が新築

    開院した。新病院の新たな設

    備や機能とともに、八重山病

    院における医師の働き方やス

    キルアップ、さらに八重山で生

    活する魅力について、麻酔科部

    長である上原真人先生に聞い

    てみた。上原先生は、多用な

    データを用いて八重山病院の

    実態をまとめた「八重山病院

    データでムヌカンゲー」という

    本を執筆し、第2回日本医学

    ジャーナリスト協会賞の優秀賞

    を受賞。また「引っ越し実行委

    員会」の委員長も務め、円滑

    な移転を成功させた。

     

    まずは、新しくなった主な設

    備や機能について紹介したい。

     

    新病院の敷地面積は約4万㎡

    で旧病院の1・6倍、延床面

    積は約2万3200㎡で旧病

    院の1・4倍と広くなった。歯

    科口腔外科が新設され24科と

    なり、医療機器は県立病院で

    は初となる320列のCTや、

    アンギオグラフィー、島内唯一

    の高気圧酸素治療装置などが

    導入された。設備としては輸入

    感染症の対応強化のため「陰

    圧病床」や専用の経路、エレ

    ベーターを設置。また、新生児

    集中治療室(NICU)から継

    続保育が可能な継続保育室

    (GCU)の整備や、陣痛分娩

    室(LDR)を設け、年間約

    600件もの出産に対応する

    八重山圏域で唯一の出産可能

    施設として大きな機能強化が

    図られた。

    を余儀なくされる。そんな子

    どもを不憫に思い、篠﨑先生

    は子どもとともに沖縄の実家

    に戻った。そして県立中部病院

    から声がかかったことをきっか

    けに再び麻酔科医として復帰

    する。医師を辞めてから6年

    もの歳月が経っていた。

     「長いブランクがあり、最初

    は挿管などの手技ができるか

    どうか不安でしたが、若い頃

    にたくさん経験したことは忘

    れていないものなんです。出

    産や育児によってキャリアが

    遅れてしまうと悩む女性医

    師も多いと思いますが、キャリ

    アを遅らせても、子どもの成

    長を傍で見届けるのは大切な

    こと。キャリアは後からついて

    くるものです。ぜひ子育てを

    楽しんでほしいですね」。篠﨑

    先生が送る、女性医師に向け

    2018年10月1日に新築開院した県立八重山病院。

    その新たな機能や設備を紹介するとともに、

    八重山病院でキャリアを積み、八重山で生活する魅力を

    麻酔科部長の上原真人先生に聞いた。

    質』を常に意識することが大

    切。医師という肩書きがあって

    も、いくら正しいことを言って

    も、あなたが信頼され、尊敬さ

    れていなければ人は動きませ

    ん。医学生や若い医師のみなさ

    んには知識や技術の研鑽だけ

    ではなく、『人の心』と『世の

    中の仕組み』と『物の本質』を

    知り、〝あなたが言うのだった

    ら〞と思わせることができる、

    人から信頼され、尊敬される

    うした経験ができるのは八重山

    病院ならではだ。

    「当院には全国から初期研修

    の先生たちが地域研修の短期

    研修に来て、訪問診療や看取

    りなどを経験し、地域との関

    わり方も学んでいます。最も学

    ぶことができる若い時期に、い

    ろんなことを経験することで

    医師として大きく成長できる。

    八重山病院はそれに相応しい

    場所だと思います」

     

    沖縄県は、全国でも有数の

    島しょ県であり、離島医療なく

    して沖縄県は成り立たない。離

    島に医療があるからこそ、人々は

    離島に住むことができ、安心し

    た生活を送ることができるのだ。

    「医療は水や電気と同じように

    大切なインフラであり、医療を

    守ることは、そこに人が住める

    のかどうかという重要なことに

    も繋がってきます。八重山病院

    は、日本の最南西端の医療を支

    える重要な砦であり、そこに住

    む人々の暮らしと国境を守って

    いるんです」。そう語る篠﨑先生

    の表情はとても誇らしげだった。

    麻酔科部長 M a s a t o U e h a r aINTERVIEW 上 原 真 人 先生

    れを取るのではないか、最新の

    知識が得られないのではないの

    か』という、独り取り残される

    怖さを感じる方もいます。しか

    し、今はインターネットを介し

    て専門医に聞くことができま

    すし、最新の知識もアップデー

    トできる。独りぼっちの怖さに

    負けないでほしいですね」

     

    このように、八重山病院は

    医師としての幅広い実力を習

    得する場として非常に魅力的

    だ。さらに八重山地域の豊か

    な自然は子育てに最高の環境

    であり、生活面での魅力も大

    きい。ここには都市部で消滅し

    た〝向こう三軒両隣〞が健在

    し、地域が子どもを育てるとい

    う特性もある。しかし、子ども

    の教育・学習面を考えると二

    の足を踏む方もいるかもしれ

    ない。それに対して上原先生は

    医師になってほしい」

     

    上原先生は琉球大学からの

    派遣で、当初は3年間の予定

    で八重山病院に赴任した。しか

    し、この地が気に入って、気が

    付けば18年もいる。この八重山

    の地で子どももしっかり育て

    た。医師としても父親として

    も住民としても、「幸せですよ

    ね」と微笑む。上原先生のその

    笑顔が、八重山病院の魅力を

    何よりも語っていた。

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  • 「ただし、質の高い医療の提供

    に最も大切なのは最新の医療

    機器や設備ではなく人です。

    たとえば、最新の炊飯器で美

    味しいご飯を炊けるのは当たり

    前ですが、医師はその炊飯器

    がなくても美味しいご飯を炊

    けるスキルがなくてはならない

    のです」と上原先生は医師と

    しての在り方を説く。そんな上

    原先生が、新病院となって最も

    期待していることが患者数の

    増加だ。沖縄県立宮古病院が

    2013年に新築開院したと

    き、良性疾患の手術件数が倍

    近くにまで増加した。患者数

    こう語る。

    「現在、沖縄の各県立高校に

    は進学クラスができ、八重山高

    校からも国立大学に多く進学

    しています。子どもの教育面に

    関する懸念は不要です」

     

    上原先生は八重山高校の生

    徒たちに医師や看護師の仕事

    について講演するなど、将来

    の医療従事者をつくる活動も

    している。医療に興味を抱き、

    八重山高校からこの数年間で

    9名が琉球大学の医学部に進

    んだ。八重山地域でも充分な

    教育を受けられる環境がある

    のだ。

    「高校進学で八重山を離れる

    人もいますが、人生の大切な10

    代後半に『人の心』と『世の中

    の仕組み』と『物の本質』を親

    から教わることができない環境

    はよくないのではと思います。

    医師にとっても『人の心』と

    『世の中の仕組み』と『物の本

    が増加すれば、医師はそれだけ

    症例経験を積み重ねることが

    できる。

    「八重山圏域の手術が必要

    な患者さんのほとんどが当

    院に来るため、虫垂炎や頚

    部骨折、帝王切開などの経

    験を〝千本ノック〞のように積

    み重ねることができます。大

    学病院では高度な手術が多

    く、麻酔科でいえば『心臓外

    科の麻酔は得意だが、虫垂

    炎の麻酔は数回しか経験が

    ない』という麻酔科医が生ま

    れがちです。症例をバランス

    よく経験するためにはコモン

    ディジーズに多く触れる環境

    も必要。当院はそうした環

    境に相応しいコモンディジー

    ズの宝庫であり、今後も手術

    件数は増加していくと期待

    しています」

     

    さらに八重山病院は4つの

    附属の離島診療所を有してお

    り、離島医療と密接であること

    も特徴だ。こうした環境は医師

    として独り立ちをする練習の

    場としても最適だと言える。

    「若い先生のなかには、離島で

    経験を積むことは、『同期に遅

     

    八重山諸島の中核病院であ

    る沖縄県立八重山病院が新築

    開院した。新病院の新たな設

    備や機能とともに、八重山病

    院における医師の働き方やス

    キルアップ、さらに八重山で生

    活する魅力について、麻酔科部

    長である上原真人先生に聞い

    てみた。上原先生は、多用な

    データを用いて八重山病院の

    実態をまとめた「八重山病院

    データでムヌカンゲー」という

    本を執筆し、第2回日本医学

    ジャーナリスト協会賞の優秀賞

    を受賞。また「引っ越し実行委

    員会」の委員長も務め、円滑

    な移転を成功させた。

     

    まずは、新しくなった主な設

    備や機能について紹介したい。

     

    新病院の敷地面積は約4万㎡

    で旧病院の1・6倍、延床面

    積は約2万3200㎡で旧病

    院の1・4倍と広くなった。歯

    科口腔外科が新設され24科と

    なり、医療機器は県立病院で

    は初となる320列のCTや、

    アンギオグラフィー、島内唯一

    の高気圧酸素治療装置などが

    導入された。設備としては輸入

    感染症の対応強化のため「陰

    圧病床」や専用の経路、エレ

    ベーターを設置。また、新生児

    集中治療室(NICU)から継

    続保育が可能な継続保育室

    (GCU)の整備や、陣痛分娩

    室(LDR)を設け、年間約

    600件もの出産に対応する

    八重山圏域で唯一の出産可能

    施設として大きな機能強化が

    図られた。

    質』を常に意識することが大

    切。医師という肩書きがあって

    も、いくら正しいことを言って

    も、あなたが信頼され、尊敬さ

    れていなければ人は動きませ

    ん。医学生や若い医師のみなさ

    んには知識や技術の研鑽だけ

    ではなく、『人の心』と『世の

    中の仕組み』と『物の本質』を

    知り、〝あなたが言うのだった

    ら〞と思わせることができる、

    人から信頼され、尊敬される

    島内唯一の高気圧酸素治療装置県立病院では初となる320列のCTアンギオグラフィー

    れを取るのではないか、最新の

    知識が得られないのではないの

    か』という、独り取り残される

    怖さを感じる方もいます。しか

    し、今はインターネットを介し

    て専門医に聞くことができま

    すし、最新の知識もアップデー

    トできる。独りぼっちの怖さに

    負けないでほしいですね」

     

    このように、八重山病院は

    医師としての幅広い実力を習

    得する場として非常に魅力的

    だ。さらに八重山地域の豊か

    な自然は子育てに最高の環境

    であり、生活面での魅力も大

    きい。ここには都市部で消滅し

    た〝向こう三軒両隣〞が健在

    し、地域が子どもを育てるとい

    う特性もある。しかし、子ども

    の教育・学習面を考えると二

    の足を踏む方もいるかもしれ

    ない。それに対して上原先生は

    医師になってほしい」

     

    上原先生は琉球大学からの

    派遣で、当初は3年間の予定

    で八重山病院に赴任した。しか

    し、この地が気に入って、気が

    付けば18年もいる。この八重山

    の地で子どももしっかり育て

    た。医師としても父親として

    も住民としても、「幸せですよ

    ね」と微笑む。上原先生のその

    笑顔が、八重山病院の魅力を

    何よりも語っていた。

    0 6ムルウチナー

  • 「ただし、質の高い医療の提供

    に最も大切なのは最新の医療

    機器や設備ではなく人です。

    たとえば、最新の炊飯器で美

    味しいご飯を炊けるのは当たり

    前ですが、医師はその炊飯器

    がなくても美味しいご飯を炊

    けるスキルがなくてはならない

    のです」と上原先生は医師と

    しての在り方を説く。そんな上

    原先生が、新病院となって最も

    期待していることが患者数の

    増加だ。沖縄県立宮古病院が

    2013年に新築開院したと

    き、良性疾患の手術件数が倍

    近くにまで増加した。患者数

    こう語る。

    「現在、沖縄の各県立高校に

    は進学クラスができ、八重山高

    校からも国立大学に多く進学

    しています。子どもの教育面に

    関する懸念は不要です」

     

    上原先生は八重山高校の生

    徒たちに医師や看護師の仕事

    について講演するなど、将来

    の医療従事者をつくる活動も

    している。医療に興味を抱き、

    八重山高校からこの数年間で

    9名が琉球大学の医学部に進

    んだ。八重山地域でも充分な

    教育を受けられる環境がある

    のだ。

    「高校進学で八重山を離れる

    人もいますが、人生の大切な10

    代後半に『人の心』と『世の中

    の仕組み』と『物の本質』を親

    から教わることができない環境

    はよくないのではと思います。

    医師にとっても『人の心』と

    『世の中の仕組み』と『物の本

    が増加すれば、医師はそれだけ

    症例経験を積み重ねることが

    できる。

    「八重山圏域の手術が必要

    な患者さんのほとんどが当

    院に来るため、虫垂炎や頚

    部骨折、帝王切開などの経

    験を〝千本ノック〞のように積

    み重ねることができます。大

    学病院では高度な手術が多

    く、麻酔科でいえば『心臓外

    科の麻酔は得意だが、虫垂

    炎の麻酔は数回しか経験が

    ない』という麻酔科医が生ま

    れがちです。症例をバランス

    よく経験するためにはコモン

    ディジーズに多く触れる環境

    も必要。当院はそうした環

    境に相応しいコモンディジー

    ズの宝庫であり、今後も手術

    件数は増加していくと期待

    しています」

     

    さらに八重山病院は4つの

    附属の離島診療所を有してお

    り、離島医療と密接であること

    も特徴だ。こうした環境は医師

    として独り立ちをする練習の

    場としても最適だと言える。

    「若い先生のなかには、離島で

    経験を積むことは、『同期に遅

     

    八重山諸島の中核病院であ

    る沖縄県立八重山病院が新築

    開院した。新病院の新たな設

    備や機能とともに、八重山病

    院における医師の働き方やス

    キルアップ、さらに八重山で生

    活する魅力について、麻酔科部

    長である上原真人先生に聞い

    てみた。上原先生は、多用な

    データを用いて八重山病院の

    実態をまとめた「八重山病院

    データでムヌカンゲー」という

    本を執筆し、第2回日本医学

    ジャーナリスト協会賞の優秀賞

    を受賞。また「引っ越し実行委

    員会」の委員長も務め、円滑

    な移転を成功させた。

     

    まずは、新しくなった主な設

    備や機能について紹介したい。

     

    新病院の敷地面積は約4万㎡

    で旧病院の1・6倍、延床面

    積は約2万3200㎡で旧病

    院の1・4倍と広くなった。歯

    科口腔外科が新設され24科と

    なり、医療機器は県立病院で

    は初となる320列のCTや、

    アンギオグラフィー、島内唯一

    の高気圧酸素治療装置などが

    導入された。設備としては輸入

    感染症の対応強化のため「陰

    圧病床」や専用の経路、エレ

    ベーターを設置。また、新生児

    集中治療室(NICU)から継

    続保育が可能な継続保育室

    (GCU)の整備や、陣痛分娩

    室(LDR)を設け、年間約

    600件もの出産に対応する

    八重山圏域で唯一の出産可能

    施設として大きな機能強化が

    図られた。

    〒907-0002 沖縄県石垣市真栄里584-1TEL : 0980-87-5557(代表)

    沖縄県立八重山病院

    https://yaeyamaweb.hosp.pref.okinawa.jp

    設立年月日

    院 長 名

    診 療 科 目

    医 師 数

    許可病床数

    附属診療所

    1949年7月9日(民政府立慈善病院)

    篠﨑 裕子

    内科、循環器内科、呼吸器内科、消化器内科、神経

    内科、腎臓内科、小児科、外科、呼吸器外科、消化器

    外科、こころ科(精神科)、泌尿器科、整形外科、産科、

    婦人科、耳鼻咽喉科、皮膚科、眼科、リハビリテー

    ション科、脳神経外科、麻酔科、放射線科、救急科、

    歯科口腔外科(新設) 24診療科

    52名

    302床(稼動病床:264床)

    小浜診療所

    大原診療所

    西表西部診療所

    波照間診療所

    質』を常に意識することが大

    切。医師という肩書きがあって

    も、いくら正しいことを言って

    も、あなたが信頼され、尊敬さ

    れていなければ人は動きませ

    ん。医学生や若い医師のみなさ

    んには知識や技術の研鑽だけ

    ではなく、『人の心』と『世の

    中の仕組み』と『物の本質』を

    知り、〝あなたが言うのだった

    ら〞と思わせることができる、

    人から信頼され、尊敬される

    新・沖 縄 県 立 八 重 山 病 院

    Hospital Review

    N e w Y a e y a m a H o s p i t a l

    利便性を重視し、敷地内に薬局を設置

    れを取るのではないか、最新の

    知識が得られないのではないの

    か』という、独り取り残される

    怖さを感じる方もいます。しか

    し、今はインターネットを介し

    て専門医に聞くことができま

    すし、最新の知識もアップデー

    トできる。独りぼっちの怖さに

    負けないでほしいですね」

     

    このように、八重山病院は

    医師としての幅広い実力を習

    得する場として非常に魅力的

    だ。さらに八重山地域の豊か

    な自然は子育てに最高の環境

    であり、生活面での魅力も大

    きい。ここには都市部で消滅し

    た〝向こう三軒両隣〞が健在

    し、地域が子どもを育てるとい

    う特性もある。しかし、子ども

    の教育・学習面を考えると二

    の足を踏む方もいるかもしれ

    ない。それに対して上原先生は

    医師になってほしい」

     

    上原先生は琉球大学からの

    派遣で、当初は3年間の予定

    で八重山病院に赴任した。しか

    し、この地が気に入って、気が

    付けば18年もいる。この八重山

    の地で子どももしっかり育て

    た。医師としても父親として

    も住民としても、「幸せですよ

    ね」と微笑む。上原先生のその

    笑顔が、八重山病院の魅力を

    何よりも語っていた。

    石垣島

    西表島

    小浜診療所

    八重山病院大原診療所

    波照間診療所

    西表西部診療所

    0 7

  • 東海大学医学部を卒業後、東海大学医学部附属病院の周産期プログラムにて初期臨床研修。研修中に感染症内科に興味を持ち、初期研修後は、感染症内科を学ぶために沖縄県立中部病院へ。卒後5年目に沖縄県立八重山病院の内科(感染症内科)に赴任。

    ●内科(感染症内科)

    中島 知 先生

    DOCTORS SCENEOKINAWA

    出身地:千葉県出身大学:東海大学医学部(2013年卒)

    沖縄で働く医師の話~ 新・県立八重山病院特集 ~

    # 0 1

    感染症内科を

    学ぶために沖縄の地へ。

    八重山病院から

    日本の医療の

    課題解決に立ち向かう。

    0 8ムルウチナー

  • 0 1

     

    2018年3月末、八重山圏

    内で1名の麻しん患者が発生し

    た。麻しんは感染力が強く、乳児

    がかかった場合、重篤な後遺症や

    死に至るケースもある。石垣市は

    麻しんのまん延を防ぐため、どこ

    よりも先に任意の集団予防接種

    を乳児に実施した。この集団接

    種を働きかけたのが八重山病院

    の内科(感染症内科)に勤める中

    島知先生だ。

    「一人目の患者が出てから10日

    を待たずに集団接種まで踏み切

    れたのは、院長や副院長が早く

    動いてくださり、市役所へ働きか

    けてくださったから。自分がこう

    したいと思ったときに話を真摯

    に聞き、それに協力して動いて

    くださる方々がいたからこそな

    んです」

     

    中島先生は祖父が産婦人科医

    であった影響もあり、初期研修は

    東海大学の周産期プログラムを

    選んだ。内科を回っているとき、

    中島先生はカテーテルが上手くで

    きないことに医師としての自信を

    なくしてしまった。そんな時期に

    出会ったのが感染症内科だった。

    「当直で感染症内科の先生に肺

    炎患者さんの治療を教えてもらっ

    たとき、何もできなかった自分が

    痰をグラム染色して菌を推定し、

    最適な抗菌薬を導き出すことは

    できた。それから病院中の検体を

    ひたすら染めていました」

     

    こうして中島先生は感染症内

    科を専門に進むことを決める。日

    本の臨床感染症教育の発祥の地

    ともいうべき沖縄県立中部病院

    で後期研修を行い、卒後5年目に

    八重山病院に赴任した。中島先

    生は感染症内科以外に、血液腫

    瘍内科も診ていると言う。

    「ここは八重山圏域の最後の砦で

    す。専門の診療科がないのなら専

    門外でも診る。専門外だからと患

    者さんを帰してしまったら、結局

    自分に帰ってくるんです。八重山

    病院は幅広い知識やスキルを自然

    と得ることができる環境であり、

    ここでの経験は今後の医師人生

    の大きな糧となるはずです」

     

    日本ではエイズ患者が増え続

    け、外国からの旅行客は大型ク

    挫折を経験して見えた、

    自分の可能性と目指すべき道

    目標は決まっていなくてもいい。

    可能性を広げておくことが大事

    ルーズ船でも多く訪れ、洋上救急

    の頻度や感染症が持ちこまれる

    リスクも高まっている。感染症は

    人に移る前の早期治療が重要で

    あり、外国人が日本の医療を受け

    やすくするための対策も必要だ。

    「東京オリンピックは各国の感染

    症の交流にもなります。日本は

    グローバル化が進んでおり、病院

    もそれに対応できるように変わ

    らなければならない。渡航医学な

    ど、感染症内科の役割はこれか

    らの日本にとって非常に重要で

    あり、やるべき課題はたくさんあ

    ります」。そう語る中島先生の

    真っすぐな視線に迷いはない。

     

    当初は産婦人科医を目指し、

    Tomo Nakajima

    OKINAWA DOCTORS SCENE

    初期研修で挫折を経験し、そこ

    で出会った感染症内科に惹かれて

    沖縄の地に来た中島先生。今は

    医師としての自信をまとい、日本

    の医療の課題解決に向かって強い

    意志を抱いている。

    「目標を絞り、それに突き進むこ

    とは大切なこと。しかし自分が挑

    戦できる若い頃に窓口を狭くして

    しまう必要はありません。若いう

    ちにいろんなものを見て、いろん

    なことを経験することで可能性

    は大きく広がります。目標は決

    まっていなくてもいいんですよ」と

    中島先生は医師として自信を

    失っていた過去を振り返りなが

    ら、笑顔を輝かせた。

    総合診療科、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、腎臓内科、感染

    症内科など、幅広い領域の診療を行い、さらに感染管理など病院全体の

    安全管理も担っている。年間約36,000人の外来患者、約2,500人の

    入院患者を診療し、「沖縄県地域がん診療病院」として、がんの内科的

    治療(内視鏡的治療、化学療法など)にも積極的に取り組んでいる。

    ● 内   科

    0 9

  • DOCTORS SCENEOKINAWA

    沖縄で働く医師の話~ 新・県立八重山病院特集 ~

    # 0 2

    名古屋市立大学医学部を卒業後、同大学の小児科に入局。医局の人事で関連病院を回りながら小児科医としての研鑽を積む。2017年8月、循環器内科医である夫の沖縄県立八重山病院の赴任に伴い、自身も同病院の小児科に赴任。

    ●小児科

    村井 裕子 先生出身地:愛知県 出身大学:名古屋市立大学医学部(2003年卒)

    子どもたちを救うことは

    未来をつくること。

    八重山の素晴らしい未来を

    つくるために

    少しでも貢献したい。

    1 0ムルウチナー

  • 0 2 Yuko Murai

    OKINAWA DOCTORS SCENE

    新生児から中学生までを対象に、風邪、喘息、皮膚症状、発育発達、そ

    の他子ども全般の幅広い診療を行い、必要に応じて入院治療もしてい

    る。新生児集中治療室(NICU)を備え、産婦人科や内科との緊密な

    連携のもと、早産、低出生体重など、新生児の診療にも対応する。

     

    小さい頃の夢は保母さんだっ

    た。とにかく子どもが好きだっ

    た村井裕子先生は、大学卒業

    後に迷いなく母校である名古屋

    市立大学の小児科に入局した。

    当時は卒業後、すぐに医局に入

    局する時代だった。新生児、循

    環器、血液腫瘍などさまざまな

    専門グループで学び、その後、

    関連病院を回りながら小児科

    医としての研鑽を積んだ。その

    間に大学の同級生であり循環

    器内科医の夫と結婚した。

    「ある日、夫が『大きな病院が

    たくさんある医療に恵まれた

    場所ではなく、医療資源の限

    られた地域で経験を積みたい』

    と言ったんです。わたしも医師

    として賛成でした。夫は北海

    道で病院を探していたのです

    が、急な呼び出しがあった場

    合、雪のなかを運転するのが

    怖くて、そこには反対していた

    んです」

     

    そんな話があった頃、夏休み

    に夫と沖縄に旅行に出かけ、竹

    富島を観光したときだった。パ

    ソコンを広げていた夫が「八重山

    病院が募集している!」と村井

    先生に言った。「夫が、『八重山

    だったら雪が降らないから安心

    だろう』って、嬉しそうに言った

    んですよね」と村井先生は微笑

    む。こうして村井先生は夫と共

    医師として成長するために、

    夫と共に八重山病院へ

    に、2年間の任期で八重山病院

    に赴任した。

     

    村井先生は子どもたちのどん

    な病気でも診ている。八重山病

    院は八重山圏域の最後の砦。

    「専門外だから診れない」「初め

    ての症例だからできない」は一切

    ない。ここでは他の医師やスタッ

    フたちのもっている知識と技術を

    総動員して診療にあたる。治療

    ができない場合は本島の病院へ

    搬送し、離島の患者は、海上保

    安庁のヘリで迎えに行くことも

    重要な仕事となる。

    「小児科は幅広く、まだまだわ

    からない分野もあります。大事

    なことは風邪などの軽度な症状

    からでも重大な病気を見逃さな

    いこと。丁寧に診て、少しでも不

    安に感じたことは決して見過ご

    さず、オーバーというくらい細心

    の注意を払うことが大切です。

    子どもは少しのことで状態が急

    激に悪化することもあり得ます

    からね」

     

    子どもは反応が迅速でありダ

    イレクトだ。逆に元気のなかった

    子どもが点滴一本で見違えるよ

    うに元気になることもある。

    「点滴を打ってしばらくすると、

    看護師さんから『先生、お腹が空

    いたと言っています』と言われ、

    思わず『もう元気になったの!』

    と驚いたこともありました。子ど

    もはどんな重い病気でも、一所

    懸命、治療に向き合います。そん

    な子どもたちが元気になるのは

    小児科医としてこの上ない大き

    なやりがいです。子どもたちを救

    うことは未来をつくること。八重

    山の素晴らしい未来をつくるた

    めに少しでも貢献したいですね」

     

    八重山に来てからオフも充実

    していると言う村井先生。こち

    らに引っ越して直ぐの休日に

    は、同僚の医師から誘われス

    キューバダイビングを楽しみ、そ

    の魅力にすっかりはまってしまっ

    た。村井先生は八重山での生活

    を、「毎週、夏休みがある感じな

    んですよ」と素敵な笑顔で表現

    する。

    小児科医としてのやりがいと、

    八重山での楽しい日々

    ● 小 児 科

    1 1

  • 琉球大学医学部卒業後、東京の虎の門病院で初期臨床研修。同病院で産婦人科の後期研修も行う。その後、千葉県の国保旭中央病院にて周産期やがん医療など産婦人科領域の幅広い研鑽を積み、2015年より沖縄県立八重山病院の産婦人科に赴任。

    ●産婦人科

    古賀 千悠 先生

    DOCTORS SCENEOKINAWA

    出身地:東京都 出身大学:琉球大学医学部(2007年卒)

    沖縄で働く医師の話~ 新・県立八重山病院特集 ~

    # 0 3

    「八重山病院で働きたい」

    その思いを実現し、産婦人科医として

    幸せをつくり、幸せな日々を送る。

    1 2ムルウチナー

  • 方々と触れ合ったり、与那国島へ

    の健診に同行したり、活き活きと

    働いている先生方を間近でみて、

    『将来は八重山病院で働く』と決

    めたんです。ここで働くために産

    婦人科領域を幅広く診るための

    実力をつけようと思いました」

     

    古賀先生は大学卒業後、自分

    が生まれた病院でもある東京の

    虎の門病院で初期研修を行った。

    後期研修も引き続き虎の門病院

    で行い、卒後5年目に千葉県の

    国保旭中央病院に赴任し、周産

    期はもちろん、がん治療などの幅

    広い産婦人科分野の研鑽を積ん

    だ。その間に産婦人科専門医も

    取得。産婦人科領域を幅広く診

    る実力を携え、2015年より

    念願の八重山病院に赴任した。

    「八重山病院では、離島に住んで

    いる妊婦さんの対応、たとえば緊

    急時のヘリや飛行機での搬送も

    行っています。そうした特殊な経

    験ができる病院は他にないと思い

    ます。また、当院は主治医制では

    なくチームで診ているため、お産

    は当直の先生が担当します。負

    担なく働くことができる環境で

    すし、看護師さんをはじめ、検査

    技師さんや放射線技師さんたち

    とも距離が近く、職場環境も非

    島の空手同好会(写真:上)馬文化を復活させる村おこしのために馬主に(写真:右)

    0 3

     

    沖縄の地に縁があった訳ではな

    い。産婦人科の医長である古賀

    千悠先生の出身地は東京都だ。

    琉球大学に進学した理由を聞く

    と、「とにかく実家を出たかった

    ので、大学は東京から遠く離れた

    北海道か沖縄県に行こうと思っ

    たんです。寒いのが苦手だったの

    で琉球大学に進学したんです」

    と大きく笑った。

     

    産婦人科を専門に進んだの

    は、実習でお産を見て、命の誕生

    に大きな感銘を受けたことや、

    女性であることがアドバンテージ

    となる診療科であったことが大

    きな理由だ。さらに古賀先生は、

    医学生時代から、「将来は八重山

    病院で働きたい」と強く思ってい

    たという。

    「医学生のときに八重山病院に

    実習に来て、患者さんや住民の

    医学生時代から

    将来は「八重山病院で働く」と

    決めていた

    Chihiro Koga

    OKINAWA DOCTORS SCENE

    常に魅力的なんです」

     

    いま、全国的に産婦人科医が

    不足しているが、古賀先生に産婦

    人科の魅力を聞くとこんな答え

    が返ってきた。

    「産婦人科は、不妊治療、妊娠

    中の検診、出産、がん、良性疾患、

    それに帝王切開や子宮筋腫など

    の手術も行います。内科的治療

    も外科的治療もあり、とにかく

    幅が広い。だからこそ、いろんな働

    き方をすることが可能ですし、い

    ろんなことに興味のある方がそ

    れぞれの興味を満たすことがで

    き、しかも生命が誕生する尊さに

    触れることができる。そんな贅沢

    な診療科は他にありません」

     

    古賀先生は休日もスキューバ

    ダイビングを楽しむなど、充実し

    た日々を送っている。「ダイビング

    も八重山病院に来たかった理由

    なんです。それに最近はスタッフ

    の友達に勧められて三線も始め

    たんですよ」と古賀先生は目を

    細める。

     

    忙しくて厳しいイメージのある

    産婦人科だが、古賀先生の表情

    に厳しさや疲労の色は一切ない。

    目標だった、産婦人科医として八

    重山病院で働くことを実現した

    古賀先生。その表情は穏やかで、

    笑顔には幸せが満面となって現れ

    ていた。産婦人科医は幸せをつく

    り、幸せになれる仕事なのだ。

    八重山圏域で年間約600件の出産数に対応している唯一の出産可能

    施設であり、入院施設を備える。「産科」領域では、「地域周産期母子

    医療センター」に指定されており、小児科や内科等他科との緊密な連

    携のもと、合併症妊娠やハイリスク出産などにも対応。また「婦人科」領

    域では、「地域がん診療病院」に指定されており、悪性疾患はもちろん

    良性疾患の診断・治療も行っている。

    ● 産 婦 人 科

    産婦人科は、幸せをつくり、

    幸せになれる贅沢な診療科

    1 3

  • 沖 縄 の 地 は

    医 療 者 と し て の“ 生 ま れ 故 郷 ”。

    沖 縄 で 医 師 に な り 、

    医 師 と し て 成 長 で き る こ と は

    誇 り で す 。

    琉球大学医学部卒業後、沖縄県立中部病院のプライマリ・ケアコース(島医者養成プログラム)で島医者となるための研鑽を積む。2017年4月より沖縄県立八重山病院附属小浜診療所に赴任。島民や島に訪れる観光客の健康を支えている。

    ●沖縄県立八重山病院附属 小浜診療所

    山田 拓 先生出身地:神奈川県 出身大学:琉球大学医学部(2014年卒) 

    DOCTORS SCENEOKINAWA

    沖縄で働く医師の話~ 新・県立八重山病院特集 ~

    # 0 4

    1 4ムルウチナー

  • 0 4

     

    石垣港からフェリーで約30分。

    人口700人弱の小浜島は、

    2001年に放送されたNHK

    ドラマ「ちゅらさん」のロケ地と

    して知名度が上がり、全国から

    多くの観光客が訪れている。

     

    この島、唯一の医師である小

    浜診療所に勤務する山田拓先生

    の出身地は横浜市。小学校6年

    生のときに「ちゅらさん」を観て

    「こんな綺麗な島に住んでみたい」

    と強く思った。それ以来、沖縄で

    の生活に憧れ続け、琉球大学に

    進学。離島実習で〝島医者〞に大

    きな興味を抱いた。

    「診療所の先生が畑での野菜作

    りなどを通じて地域住民と病院

    内外問わず親しくしている様子

    を見て、自分もこんな医師人生

    を送りたいと思いました」

     

    大学卒業後は沖縄県立中部

    病院の島医者養成プログラムを

    選択。〝島医者〞になるための研

    鑽を積み、2017年4月に小

    浜島に赴任。テレビで観て憧れ

    た「綺麗な島」での生活が始

    まった。

     

    島で医師は山田先生一人。医

    療資源も限られているため、問

    診や身体診察、エコーなどの基本

    手技を中心に診療を行う。山田

    先生は、こうした環境だからこ

    そ得ることができる医師として

    の大切なスキルがあると言う。

    「島の医療環境では、患者さん

    の重症度を判断し、緊急でヘリ

    搬送が必要かどうかのトリアー

    ジ能力や、総合病院へ搬送する

    までの処置や治療(プレホスピタ

    ルケア)についてのスキルを得る

    ことができます。また、医師一人

    という不安はありますが、イン

    ターネットテレビによって専門の

    先生に意見を聞くことができま

    すし、WEB勉強会なども開催

    して医学知識のアップデートもで

    きます。離島でも最新の医療を

    学ぶことができるのです」

     

    島民は飲酒や喫煙の割合が高

    く、生活習慣病が多い。さらに小

    浜島には歯医者がないため虫歯

    を放置しがちであることも問題

    だ。そのため島民への啓発活動も

    重要な仕事となる。山田先生は

    小学生に向けて「保健だより」を

    作成し歯磨きの重要性も教えて

    いる。普段の外来診療や在宅診

    療に加え、学校医や外国人を含

    む観光客を対象とした旅行医

    学、保健所との公衆衛生事業、

    中核病院との病診連携、地域包

    括ケア、そして自宅での看取り

    (終末期医療)など、実に幅広い

    Taku Yamada

    沖縄県立八重山病院附属

    〒907-1221沖縄県八重山郡竹富町字小浜30T E L:0980-85-3247https://www.ritoushien.net/kohama.shtml

    Hospital Data

    OKINAWA DOCTORS SCENE

    分野を山田先生は担う。

    「離島医療のレベルは、そこにい

    る〝島医者〞のレベルに相当する

    んです。自分の知識量や技量の

    限界、今の自分に何が必要なの

    か次のステップアップへの課題も

    見つかり、それ�