ハイパースペクトルによる 植生マッピング技術 - fujitsufujitsu. 62, 6( 11,...

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FUJITSU. 62, 6, p. 753-758 11, 2011753 あらまし 生物多様性は人間の生活に密接に関係しており,日々の生活は生物多様性の恵みによっ て支えられている。生物多様性の低下は生態系に由来する人間の利益となる機能(生態 系サービス)の低下を引き起こすことになるため,生き物の多様性に富む河川敷や森林の 保全が課題となっている。現状では外来種の侵食や人工林の放置による生物多様性低下 が各地で生じており,その対策として,迅速に植生を把握する手法の開発が望まれてい る。従来の踏査による植生調査は,多大なコストと工数が必要であり,またリモートセ ンシングによる調査においても,樹種の判別が困難であった。このような状況の中,近 年,詳細なデータが取得可能なハイパースペクトルセンサが開発され,様々な分野で利 用され始め,環境分野でも,緑地,森林などの大まかな分類が可能になってきた。しかし, 常緑針葉樹のスギとヒノキについてはスペクトルが類似しているため,スペクトルデー タからでは判別が困難であると考えられていた。本稿では,著者らが新たに開発したス ペクトル解析技術を用いて両者の判別を可能にした結果を報告する。 Abstract Biodiversity is closely related to human life, and our daily life is sustained by biodiversity. Therefore, it is important to conserve areas that are rich in life, such as rivers and forests. Currently, biodiversity is on the decline in many areas due to the invasion of non-native species or the abandonment of planted forests. Thus, it is desirable to develop a method to quickly grasp the status of vegetation. Conventional surveys on vegetation have required huge amounts of money and labor, and also in remote sensing surveys it was difficult to distinguish the species. In such circumstances, in recent years hyperspectral sensors have been developed that can be used to obtain detailed data. They have started to be used in various fields. Also in the field of the environment, it has become possible to broadly classify vegetation into green tracts of land and forests. However, cedar and cypress, which are evergreen conifers, have similar spectra and so it is difficult to distinguish them. This paper reports on a newly developed spectral analysis technique that makes it possible to distinguish them. 長沼靖雄   胡 勝治 ハイパースペクトルによる 植生マッピング技術 Vegetation Mapping Technology Using Hyperspectral Imaging

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  • FUJITSU. 62, 6, p. 753-758 (11, 2011) 753

    あ ら ま し

    生物多様性は人間の生活に密接に関係しており,日々の生活は生物多様性の恵みによっ

    て支えられている。生物多様性の低下は生態系に由来する人間の利益となる機能(生態

    系サービス)の低下を引き起こすことになるため,生き物の多様性に富む河川敷や森林の

    保全が課題となっている。現状では外来種の侵食や人工林の放置による生物多様性低下

    が各地で生じており,その対策として,迅速に植生を把握する手法の開発が望まれてい

    る。従来の踏査による植生調査は,多大なコストと工数が必要であり,またリモートセ

    ンシングによる調査においても,樹種の判別が困難であった。このような状況の中,近

    年,詳細なデータが取得可能なハイパースペクトルセンサが開発され,様々な分野で利

    用され始め,環境分野でも,緑地,森林などの大まかな分類が可能になってきた。しかし,

    常緑針葉樹のスギとヒノキについてはスペクトルが類似しているため,スペクトルデー

    タからでは判別が困難であると考えられていた。本稿では,著者らが新たに開発したス

    ペクトル解析技術を用いて両者の判別を可能にした結果を報告する。

    Abstract

    Biodiversity is closely related to human life, and our daily life is sustained by biodiversity. Therefore, it is important to conserve areas that are rich in life, such as rivers and forests. Currently, biodiversity is on the decline in many areas due to the invasion of non-native species or the abandonment of planted forests. Thus, it is desirable to develop a method to quickly grasp the status of vegetation. Conventional surveys on vegetation have required huge amounts of money and labor, and also in remote sensing surveys it was difficult to distinguish the species. In such circumstances, in recent years hyperspectral sensors have been developed that can be used to obtain detailed data. They have started to be used in various fields. Also in the field of the environment, it has become possible to broadly classify vegetation into green tracts of land and forests. However, cedar and cypress, which are evergreen conifers, have similar spectra and so it is difficult to distinguish them. This paper reports on a newly developed spectral analysis technique that makes it possible to distinguish them.

    ● 長沼靖雄   ● 胡 勝治

    ハイパースペクトルによる植生マッピング技術

    Vegetation Mapping Technology Using Hyperspectral Imaging

  • FUJITSU. 62, 6 (11, 2011)754

    ハイパースペクトルによる植生マッピング技術

    ま え が き

    近年,種の絶滅速度が加速し,1年間に4万種類以上の種が絶滅していると言われている。(1) 現代は「第6の大量絶滅時代」と言われており,この主たる原因が「人間活動による影響」である。人間は地球生態系の一員としてほかの生物との共存が求められているのにもかかわらず,一方的に生物に影響を与え絶滅に追いやっており,その結果,生物多様性は低下の一途をたどっている。人間の生活は,生物多様性の恵みによって支えられており,生物多様性の低下は生態系に由来する人間の利益となる機能(生態系サービス)の低下を引き起こすこととなる。そのため,生き物の多様性に富む河川敷や森林の保全が課題となっているが,現状では外来種の侵食や人工林の放置による生物多様性低下が各地で生じている。例えば,河川敷ではハリエンジュと呼ばれる外来植物が繁茂し,その土地固有の生態系を撹

    かくらん

    乱している。また,森林においても林業の衰退とともに森林が荒廃し,CO2吸収源としての価値を失いつつある。このような状況において,森林や河川敷を健全化するには,現在の植物の状況を正確に把握し早急に対策することが重要であると考えられる。しかし,現状では森林や河川敷の植生状況を把握するためには,専門家が森林や河川敷に実際に入り,目視で樹木を判別する現地調査(2)が必須で,専門家による多大なコストと工数が必要であり,危険を伴う作業でもある。したがって,樹木の専門知識が不要で,現地調査を行うことなく植物の繁茂状況を把握できる簡便な植生マッピング技術が熱望されていた。本稿では,著者らが開発したスペクトル解析技術を用いた森林の植生調査の実験結果を紹介する。

    従来の植生調査

    植物種を識別する方法には,(1) 現地を踏査して調査する方法(2) 航空機や人工衛星からのリモートセンシングによって調査する方法の2種類がある。現地を踏査して調査する方法は,前述したとおり,専門知識が必要であり多大なコストと工数が必要となる。また,リモートセンシ

    ま え が き

    従来の植生調査

    ングを用いる方法については,以前は専門家が航空写真の樹冠形状から植物種を判別する「写真判読」と呼ばれる方法が主であった。最近ではマルチスペクトルセンサ(特定の波長帯の電磁波を複数の波長帯で一括して観測するセンサ)を使用し,計測バンドの組合せによって植生を判別する方法が広く行われている。しかし,マルチスペクトルセンサを用いた場合においても,針葉樹,広葉樹,草本類などの判別は可能であるが,同じ針葉樹に属するスギとヒノキのような樹種の判別までは困難である。また,写真判読およびマルチスペクトルセンサのどちらを利用する場合においても,現地調査が必須であり,(2) 多大な工数および危険な作業が必要である。

    ハイパースペクトルによる樹種分類

    最近,医療,食品分野などで注目を浴びているハイパースペクトルカメラは,撮影した画像中の全ピクセルに可視光から近赤外の波長領域までのスペクトル情報を付与することが可能である。ハイパースペクトルカメラ{図-1(a)}は,従来のマルチスペクトルセンサ{図-1(b)}よりも波長分解能が高く,連続したスペクトルが得られることが特徴である。可視領域における植物のスペクトルは,葉緑素やほかの葉の色素による吸収効果に支配されている。葉緑素は可視光を非常に強く吸収するが,緑の光よりも青や赤の波長を強く吸収するため,緑の波長領域に特徴のあるピークが出現する。また,近赤外領域においても,主に葉の内部の細胞構造との相互作用によりピークが出現する。葉の構造は植物種によって大きく異なるため,可視光領域のスペクトル情報と併せることによって,マルチスペクトルでは判別困難であった植物種の判別も可能となる。具体的な手法としては,判別する植物の基準スペクトルをハイパースペクトルカメラで撮影した画像中に参照し,類似度の高いピクセルをマッピングすることによって様々な植物が混在する中から目的の植物を判別する(図-2)。類似度の解析方法には,統計学的な手法であるコサイン距離解析法を用いている。コサイン距離解析法とは,基準スペクトルおよび画像内の各ピクセルのスペクトルデータをベクトルの概念に置き換え{式(1)},二つのベクトルの類

    ハイパースペクトルによる樹種分類

  • FUJITSU. 62, 6 (11, 2011) 755

    ハイパースペクトルによる植生マッピング技術

    開発した判別技術

    ハイパースペクトルは最近開発された技術であるが,大学や研究機関などで植生判別の試みは行われていた。(3) しかし,緑地や森林などの大きな分類は可能であるが,同じ常緑針葉樹に属するスギとヒノキについてはスペクトルデータが類似しているため,判別が困難であると考えられていた。そこで著者らは,従来は一つの基準スペクトルで

    開発した判別技術似度を二つの基準ベクトル{eH

    S1,eH→

    S2:式(2)}の内積の和{cosθ:式(3)}で表す解析法である。cosθは0~ 1の値で表わされ,1に近いほど二つのスペクトルが類似していることを示している。

    H→S1=R1λ

    →1+R2λ

    →2+・・・+Rnλ

    →n 式(1)

    eH→S1=H

    →S1/|eH

    →S1| 式(2)

    cosθ=eH→S1・eH

    →S2 式(3)

    (a)ハイパースペクトル

    波長

    (b)マルチスペクトル

    波長

    植物A 植物B 林道

    樹種特定

    植物DB航空写真

    BC

    A

    植生マッピング:植物A :植物B

    地点B 地点C

    スペクトル抽出

    地点A

    図-1 ハイパースペクトルとマルチスペクトルの比較Fig.1-Comparison between hyper-spectrum and multi-spectrum:

    (a) Hyper-spectrum, (b) Multi-spectrum.

    図-2 ハイパースペクトルによる樹種分類Fig.2-Classifi cation of wood species by hyper-spectrum.

  • FUJITSU. 62, 6 (11, 2011)756

    ハイパースペクトルによる植生マッピング技術

    判別していたものを複数化し,それぞれのマッピング結果を統合する判別技術を考案した。従来の基準スペクトルを一つとする判別では,抽出エリアを広げるためには類似性判定のしきい値を下げざるを得ず,その結果,図-3(a)に示すように誤認識エリアが生じてしまっていた。これは,植物のスペクトルが日照状況や花粉の成熟状況などによる要因で微妙に違いが見られ,ある程度はしきい値を下げないと植生エリアの一部しか判別できなくなってしまうが,しきい値を下げ過ぎると別の植物のエリアまで誤認識が生じてくることに由来する。著者らが開発した複数の基準スペクトルを使用する技術を適用し,それぞれのマッピング結果を統合すると,しきい値を下げることなく図-3(b)に示すように正確にスギのエリアを抽出することが可能となった。

    スギとヒノキの判別実験

    富士通の森林保全活動の一つである「富士通グループ・中土佐 黒潮の森プロジェクト」の舞台である高知県・中土佐町において,上空500 mからヘリコプターに搭載したハイパースペクトルカメラを用いてスギとヒノキが混成した人工林の画像を

    スギとヒノキの判別実験

    撮影し,空撮画像からスギとヒノキの分類が可能か実証実験を行った。現地調査によってスギおよびヒノキであると特定できている地点のピクセル群の平均スペクトルをそれぞれの樹木の基準スペクトルとし,つぎにハイパースペクトルカメラで撮影した航空画像において,これらの基準スペクトルと同等のスペクトルを有するピクセルをマッピングした。この撮影を行った時期は,スギが花粉をつける時期であったために,花粉の成熟度によってスペクトル形状が異なり,一つの基準スペクトルだけではスギの植生エリアのすべてを分類することができなかった。一つの基準スペクトルだけでスギの植生エリア全部を分類しようとすると類似度の境界となるしきい値を下げる必要があり,そうすることによってエリアは拡大するがほかの樹種との誤認識も生じるため,その対策として,花粉量の違いに応じた複数のスペクトルを基準スペクトルとして選択し,それぞれの基準スペクトルを使用して作成したスギの植生エリアを最終的に統合した。本実証実験の結果は,以下のとおりである。まず,基準スペクトル数については,図-4(b)の基準スペクトルが一つの場合には未抽出だった

    0

    25

    50

    75

    100

    0 1 2 3 4

    基準スペクトル数

    スギ判別割合(%)

    (b)基準スペクトル数とスギ判別割合の相関(a)解析時のしきい値によるスギ分布エリアの違い

    しきい値:0.997 しきい値:0.995

    誤認識

    基準スペクトル数:1 基準スペクトル数:2 基準スペクトル数:3 基準スペクトル数:4

    基準スペクトル数とスギ分布エリア

    図-3 基準スペクトル数としきい値が植生判別に与える影響Fig.3-Effect that standard spectrum number and threshold have on determining types of vegetation:

    (a) Difference of cryptomeria distribution area according to threshold when analyzing it,(b) Correlation of standard spectrum number and cryptomeria distinction ratio.

  • FUJITSU. 62, 6 (11, 2011) 757

    ハイパースペクトルによる植生マッピング技術

    踏査による植生図{図-5(c)}とほぼ同等の結果が得られた。ハイパースペクトルを利用することで,これまでのマルチスペクトルを利用したリモートセンシングでは困難であった同じ針葉樹に属するスギとヒノキの分類が可能となり,さらに多大なコストと工数がかかり危険を伴う踏査による植生図と同等のものが,現地調査を行わずに短時間で作成できることから,ハイパースペクトルによる樹種分類は今後の植生マッピングにおいて有効な

    エリア(グレーの部分)が,複数の基準エリアを使用することによって図-4(c)のように抽出された。本稿では,花粉の状態によるスペクトル変化を示したが,花粉の状態だけに限らず紅葉や開花に伴うスペクトル変化にも適応可能であると考えられる。つぎに樹種の分類については,ハイパースペクトルによるリモートセンシングで作成した植生図{図-5(b)}におけるスギとヒノキの分布状態は,

    :抽出エリア:未抽出エリア

    (b)従来手法(基準スペクトル一つ)

    (c)開発手法(基準スペクトル複数)

    100 m:抽出エリア

    (a)航空写真

    (c)従来手法による植生図

    100 m:スギ :ヒノキ :スギ :ヒノキ

    (b)ハイパースペクトルによって作成した植生図

    (a)航空写真

    図-4 複数の基準スペクトルを併用した解析方法Fig.4-Mode of analysis in which two or more reference spectra are used together:

    (a) Aerial photograph, (b) Existing techique, (c) Newly developed technique.

    図-5 航空計測による樹種分類実験と従来手法との比較Fig.5-Comparison of technique used in wood species classifi cation experiment and past technique using aerial

    measurement.

  • FUJITSU. 62, 6 (11, 2011)758

    ハイパースペクトルによる植生マッピング技術

    かつ短期間に正確に実施できる。これにより,人が立ち入るのが困難な場所における植生図の作成や,CO2吸収量が異なる樹木が混生する森林のCO2吸収量の正確な推計など,幅広い活用が期待される。

    参 考 文 献

    (1) N. Myers:The Sinking Ark.Pergamon Press,1979.

    (2) 第6回・第7回自然環境保全基礎調査 植生調査情報提供ホームページ.

    http://www.vegetation.jp/6thgaiyou/sakusei.html(3) 白石貴子ほか:ハイパースペクトル画像を用いた荒川中流域の河畔林の構造評価.地球環境研究,Vol.8,p.47-54(2006).

    手段になるという結果が得られた。

    む  す  び

    本稿では,従来は高コストで多大な工数が必要であった踏査による植生調査について,ハイパースペクトルカメラによる実証実験を行った結果について述べた。その結果,従来は多大なコストと工数がかかり危険が伴う作業であった植生図の作成が,ハイパースペクトルによるリモートセンシング技術によって高精度かつ短時間で可能となることが分かった。今後は,外来植物と在来植物の判別,植生状況の調査,および森林における複数の樹種の分布状況を,上空から撮影した画像を利用して低コスト

    む  す  び

    長沼靖雄(ながぬま やすお)環境・エネルギー研究センター 所属現在,ハイパースペクトルによる植生解析技術の開発に従事。

    胡 勝治(えびす かつじ)環境・エネルギー研究センター 所属現在,環境負荷評価技術および生物多様性保全技術の開発に従事。

    著 者 紹 介

    http://www.vegetation.jp/6thgaiyou/sakusei.html