情念とリコーダー - 修辞学の問題?aemc/rhetoric/text.pdf2003年...

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2003 年留音楽祭セミナーにおける大竹リコーダークラスの資料 情念とリコーダー - 修辞学の問題? - ピーター G.R.ウェルズ (日本浅川 哲弥) The Recorder Magazine ,pp83-85,Autumn 1999 その曲を書いた作曲家が熟知しているスタイルでバロック音楽を演奏することを考える時、 我々はバロックの玉遇に基づいて考えることを学ばなければならない。16、17 または 18 世紀 の音楽家にとって、このことは、音楽の基礎や理論を実として知っているばかりではなく、 科学としても知っていることを意味する。多数のバロックの作曲家が受けたタイプの古典的な 教育の見地では、音楽は幾何学、算術、天文学と共に「四科」;科学、にまとめられた。一方、 学芸は論理学、修辞学、文法学 の「三学」で表された。これらは異なる科目であるが、互いに 常に密接な関連を持っていた。バロックの作曲家にとって、修辞法の使用は、和声法の使用 と同じくらい日常的な出来事であった。しかし、和声法の理が現代までずっと続いたのに対 し、修辞法の研究はそうではなかった。そして、我々が、その日常的な作曲生活で修辞法を使 っていた作曲家の意図を理しようとするなら、この重要な学芸[Art]を検討することから得ら れるものは大きなものがある。 修辞法(レトリック)は、古代のギリシア人によって発展されて、ローマ人によって採用され た。それは雄弁の学芸である 話し手の見に聴衆を説得することを目的とした、明白で、 論理的で、構造的な方法での議論の表現やそのまとまりの学芸である。それをするために、明 白な構造が必である。そして、古典的な演説は 3 つの大きな様相を含んでいる。 lnventio[着想]は、アイデアと材料を一緒に集めることである。この集まりから、重要な点 を選び出すことができる。これらは、loci topici(構成や展開の基礎としてふさわしい楽想)であ って、議論の『建築用ブロック(基礎的要素)』を形づくる。いくつかの loci topici(locus topicus の複数形)または一つの locus topicus がありえる。 Dispositio[構成]は議論自体の組織化であって、短く概説され、それ自身の構造を持つ。 最後に、演説を説得力があるようにする際に、熟練した雄弁家は、少なからぬ Elaboratio[彫 琢]の使用を行うだろう。これは説得力のある葉によってアイデアをふくらませることであり、

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2003 年 留音楽祭セミナーにおける大竹リコーダークラスの資料

情念とリコーダー

- 修辞学の問題? -

ピーター G.R.ウェルズ(日本 訳 浅川 哲弥)

The Recorder Magazine ,pp83-85,Autumn 1999

 その曲を書いた作曲家が熟知しているスタイルでバロック音楽を演奏することを考える時、

我々はバロックの に基づいて考えることを学ばなければならない。16、17 または 18 世紀

の音楽家にとって、このことは、音楽の基礎や理論を実 として知っているばかりではなく、

科学としても知っていることを意味する。多数のバロックの作曲家が受けたタイプの古典的な

教育の見地では、音楽は幾何学、算術、天文学と共に「四科」;科学、にまとめられた。一方、

学芸は論理学、修辞学、文法学 の「三学」で表された。これらは異なる科目であるが、互いに

常に密接な関連を持っていた。バロックの作曲家にとって、修辞法の使用は、和声法の使用

と同じくらい日常的な出来事であった。しかし、和声法の理 が現代までずっと続いたのに対

し、修辞法の研究はそうではなかった。そして、我々が、その日常的な作曲生活で修辞法を使

っていた作曲家の意図を理 しようとするなら、この重要な学芸[Art]を検討することから得ら

れるものは大きなものがある。

 修辞法(レトリック)は、古代のギリシア人によって発展されて、ローマ人によって採用され

た。それは雄弁の学芸である ̶ 話し手の見 に聴衆を説得することを目的とした、明白で、

論理的で、構造的な方法での議論の表現やそのまとまりの学芸である。それをするために、明

白な構造が必 である。そして、古典的な演説は 3つの大きな様相を含んでいる。

 lnventio[着想]は、アイデアと材料を一緒に集めることである。この集まりから、重要な点

を選び出すことができる。これらは、loci topici(構成や展開の基礎としてふさわしい楽想)であ

って、議論の『建築用ブロック(基礎的要素)』を形づくる。いくつかの loci topici(locus topicus

の複数形)または一つの locus topicusがありえる。

 Dispositio[構成]は議論自体の組織化であって、短く概説され、それ自身の構造を持つ。

 最後に、演説を説得力があるようにする際に、熟練した雄弁家は、少なからぬ Elaboratio[彫

琢]の使用を行うだろう。これは説得力のある 葉によってアイデアをふくらませることであり、

特に多くの修辞的表現法の使用を含む。

 Dispositio[構成]は、次のように、6つの 分からなる明白な構造を含む:

Exordium[序論]は、聴衆の耳目をしっかりつかむところである。それは、「始まりの派手な身

振り」と考えることができる。

 Narratio[陳述]は、アイデアの概略であり、論じられる論拠の始まりである。

 Propositio[提題]は、論拠の重要な様相を定める。

 Confirmatio[確証]は、議論の証拠を提供する。

 Confutatio[論破]は、対立する見 を示して、それから confirmatio[確証]に照らしてそれを

論破する。これは、「他方では.... しかし ....」という様に考えることができる。いくつかの

confutatiiと confirmatii(それぞれ複数形)は、互いに続くことができる。

最後に、Peroratio[結論]で演説は要約され、その中で論じられている見 が確かめられる。

 この構造がバロックの音楽にどのように適用されたかについて見るために、我々は最初に『情

念(Affections)』の何たるかを理 しなければならない。「情念」の概念はデカルトのような 17

世紀の哲学者によってだいたい形づくられた。しかし、この考えはギリシア人にさかのぼる。

彼らは、音楽がその振動を通して人間の情緒的状態を支配することができると信じていた。こ

れは、音楽の振動が我々のまわりの全てにあった spiriti animales または生命のエキスを活気

づけたからであった。これらのエキスは腸の液汁に働きかけ、魂に火をつけた。そして、性格

を作り上げる 4 つの気 、または気性の比率に変化を引き こした。これらの気 (憂鬱で、

気な、粘液 な、そして怒りっぽい)のいろいろな組み合わせは、さまざまな精神状態を生

んだ。

 17 世紀の哲学によれば、芸術(Art)がこれらの情念を支配する最もよい方法のうちの 1 つで

あった。従って、芸術は芸術を見る人に特定の感情を作り出すための合理的な方法としで使う

ことができた。音楽は、この点で明らかに最も即時的な芸術形式の 1 つである。作曲の要素;リ

ズム、和音、調性、旋律的な構造、その他を巧みに扱うことによって、作曲家は聴衆を、特別

な、あらかじめ決められた情念の状態へ動かすことができる。そして、この様に、芸術の鑑

が感情の生理学的な特性を えることができるということを証明する。

 情念と感情は同じものでないので、それらは混同されるべきではない。感情的な感 で芸術

を考えることは、ロマンチックな考え方(見る人の心に作用を引き こしている芸術)である。

この考え方は、19 世紀までは普通にみられることはなかった。一方、情念は真に肉体的な反応

によって変えられる。心が受動的に妨害に苦しむ間に、気 の変化は肉体に影 を及ぼす。従

って、情念が芸術的な刺激によって制御され得ることを見ることができる。

 そうするために、雄弁家が Elaboratio[彫琢]の修辞的表現を使用したのと同じ方法で、バロ

ックの作曲家は作曲技巧の道具を用いただろう。そして、かれは、その作品の基礎を修辞的な

演説の構造に置いただろう。雄弁家の目的が特定の観点に聴衆を説得することであると同様に、

作曲家の目標は聴衆を情念の特定の状態へ動かすことである。与えられた(一定の)楽章には、

通常単一の状態だけがある。実例を考察してみよう。

 アルト・リコーダーと通奏低音のためのテレマンのヘ短調ソナタの第 1楽章は、Dispositio[構

成]の基礎的構造を示しており、また修辞的な「議論」を説得力があるようにするために一連の

Elaboratio[彫琢]のフィグール[英 では figure,ラテン 読みではフィグーラ。修辞学的技法の

こと、 葉のあや]を使用していることから、後期バロックのソナタ楽章の修辞的な構造の良例

として役に立つ。テレマンが Inventio[着想]の段階で考えたかもしれない特徴を考えることか

ら始めよう。

 最初に、楽章の調性と基本的感情がある。ヘ短調は悲嘆の調性のうちの 1 つであるが、おそ

らくト短調ほど激しいものではく、しかし、壮大で憂鬱な調性である。そして、生と死のより

大きい様相を表現するのによく適している。また、まさしくその楽器法を考察しよう。ルネッ

サンスとバロックにおけるリコーダーは、死と葬送の音楽と関連する場面で多用された。そし

て、これが、調性と「悲嘆」を示す「テンポ」が一組になって、我々を悲嘆または死の様相の locus

topicusに導く。

楽章は、Naratio[陳述]を皮切りに始まる。通奏低音はその最も低い Fで始まる。リコーダーは、

5 度下がって上下する三連符の型につながるアナクルシスのフィグール(anacrusis)を伴って入

る。この最初の小節内で、リコーダーの演奏の前の 8 分休符、5 度の下降、そして上下してい

る三連符は、全てため息のフィグールであって、最も広い意味で楽章の全体的な感情を確立す

る。

 リコーダーの最初の小節は、第 2 小節で正確に繰り される。このフィグールは、palillogia

として知られていて、進んでいきたくないという感情、多分、時間の経過を ぎたいという

望を与える。この第 2 小節は、Propositio[提題]の始まりであり、 Propositio[提題]で、「議

論」の主な特徴が述べられる。この段落は、第 8 小節の終わりまで続く。これらの最初の 8 小

節内で、そのうちの 6 小節が、「ため息」の 8 分休符で始まる。旋律的なラインを小さな休符

でバラバラにすることは、suspiratio と呼ばれている修辞的技巧である。おそらく、最も有名

な例は、モンテベルディの「ポッペアの戴冠」の第3幕 4場のオクタビアの大いなる嘆き、"Addio

Roma. Addio patria " である。Propositio[提題]全体は、最初の 2 小節での palillogia のフィ

グールのアイデアを広げる。第 3 小節から第 4 小節で、我々は 7 の和音を概略する上昇のフィ

グール(anabasis)に下

降傾向(catabasis)が続

くのを見ることが出来、

その間、b フラット音が

縦線を えて保たれると

ころに小さな不協和音

(suspensio)がある。

次の 2 小節[ 第 5、第 6

小節 ]は、Cyclosis と呼

ばれているフィグールを

使っている。;つまり、

周りを歩き回る、或いは

立ち止まっている型。こ

れの後に、更に 2 小節の

anabasis / suspensio /

catabasis が続く。これ

らのフィグールの全ては、

反復、旋律的に立ち止ま

ることまたは上下するた

めらいによって特徴づけ

られる。

第 9 小 節 は 、

Confutatio[論破]の始ま

りである。

これは、 Propositio[ 提

題]で述べられる意見が

確かめられる前に、議論

がいろいろな方向から探

られるのを可能にするた

めに、対立する立場が述

べられる構造の領域であ

る。Confutatio[論破]は、

和音の変化から始まる;フレーズは、通奏低音の 和音で開始される。あとに続くトリルを伴う

連続的なフィグールの対は、auxesis または climax を形作る:フィグールを 2 度 く繰り

すことを含む修辞的技巧。強さが増すことは、明らかである。わずかな更なる「疑問」は、第

12 小節から第 14 小節で、interrogatio(上昇する終わりを伴うフィグールを含む音楽的疑問

の形)をともなって投げかけられる。これは、疑問のフィグールを囲む低い Gs 音の形の

hyperbatonの付加によって、さらに められる。hyperbatonは、情念を めるための、期待

される順序からの音符(または複数の音符)の削除である。Confutatio[論破]のより「有望な」

見方は第 14小節で顕著なト 調の調性を加えることによって進められる。それは第 15小節の、

リコーダーが半音階の上昇のフィグールを開始するバスの位置に伸びる。これは、次の小節に

まで低音が引き継がれることによって補強される(polyptoton)。これらの上昇のフィグール

は、発展することまたは天国(heavenward)を一瞥することを暗示する。後者は、ここであり

そうな含みである。なぜなら、通奏低音が上昇する半音階(anabasis)を続ける間、リコーダー

が第 17 小節で増 5 度(短 6 度)の上への (exclamatio)を「アピール」する身ぶりで行って

いるからである。これは、続く小節で、より い音での音程間隔の広い反復によって拡張され

る。これは、全ての旋律の音程間隔の中での最も強力な表現として、 く認められている。我々

は、いまや強いハ 調の終止形を準備しなければならない。

 実際、第 19 小節は突然のもう一つの対比を明らかにする。ellipsis(期待される終結に至っ

たパッセージによってなされる予想外の新しい方向付け)は、終止形から生じる。その終止は、

楽章の開始からのフィグールに直接戻るように下りる 常に短い基音を伴って、短調に帰る。

我々は、そこで最初のアイデアが議論のきっかけを確認するために再び述べられる、

Confirmatio[確証]にたどり着いた。ここから、我々は Confirmatio[確証]と、Propositio[提題]

の第 19 小節から第 20 小節に最初に現れる同じ音楽的素材(これは、第 1 小節から第 2 小節に

正確に比 される。((palillogia))との 常に興味深い 似を見いだす。しかし、第 3 小節か

ら第 4 小節ではより多くの不確実なところがあり、第 21小節から第 22小節は い cにレジス

タの急転がある。そして、suspensio のフィグールに、先の穏やかな catabasis と、しかし、

オクターブ以上を良くカバーしている三つの音の劇的な急落が続く。このフィグールとレジス

タ転位は、hyperbole または 張した表現の例である。これは、増大する落ち付きのなさ、ま

たは不安を説明するのに用いられる。第 26 小節から第 28 小節は、第 12 小節から第 14 小節

と同じ疑問のフィグールを持つ。先の hyperboleの使用に 接して、予想外の音(hyperbaton)

は、ここでより意味がある。そして、 調から短調への変化(b ナチュラルが b フラットにな

っていることを通して表される)は、暗くなるトーンを強調する。第 29小節から第 30小節は、

もう一度 auxesisのフィグールの上昇音列を使う(おそらくここでは望みより自暴自棄で?)。

しかし、このフィグールは、通奏低音ラインでの catabasis の上に置かれる。ここから先は、

我々の注目は、しばらく完全に通奏低音に向けられなければならない。

 第 30 小節から楽章の終わりまで 、通奏低音ラインは、catabasis のフィグールだけででき

ている。それは、全音間隔で始まり(第 30 小節/1)、 polyptoton(リコーダーの半音階の

下行のフィグールを引き継いでいる)を通して半音階になって、そして、最終的に 2 つのオク

ターブを下降して最後の終止に至る大 模な catabasis に広がる。さて、第 31 小節のリコー

ダーパートへ戻ると、我々は Confutatio[論破](第 15 小節)の半音階的上昇のフィグールが

反対になって(丁度対立する議論が対立する観点を支持するために向きを変えられたように)

pathopeia(悲しみ、恐れ、その他を表すために、和音外の半音階刻みを通しての動き)とし

て知られているフィグールになることがわかる。すぐに、旋律的なもう一つの 、もはや減

6 度の exclamatio ではなく、不協和音の減 5 度(saltus duriusculus)が続く。全体のフィグ

ールは通奏低音 の い下降形の上に、繰り される(第 34 小節から第 35 小節)、そして訴

えるような saltus duriusculus の最も いところから、リコーダーパートは最後的な終止への

最後の catabasisになる。

 全音階的なモードがもう一度勝っているが、この最後の 2 小節は、最終的な 分であ

る;Peroratio[結論]または「要約」。最終的な終止はゆっくりしている。そして、普通の終止の

トリルは、最後の表現力豊かなフィグールを置くことを す;prolongatio, ここでは終止のト

リルに導く い f 音のアポジャトゥーラが、引き延ばされた不協和音を くする。Peroratio[結

論]での最終的な感情は、終わったしまった取り組み、或いは、受容、諦観のなかの 1 つである

と見ることができる。もしテレマンの Inventio[着想]での可能性と思われたアイデアへ戻るな

らば、我々はヘ短調が、憂鬱な調子、英雄劇に必然的なものではないが、壮大な身ぶりの調子

であることが思い出される。この終結が示唆する諦観の感情は、再び我々の locus topicus に

まったくふさわしいものである。

 この 析から、楽章の中に、修辞的な学術用 で説明することの出来ないフィグールや事象

(event)がほとんどないことを知ることが出来る。これらのフィグールが持つ意味の 釈のいく

つかが不確かであったり、または独自のものかもしれないが、そして、テレマンがこれらのフ

ィグールの全てを意 的に用いた(これが彼の時代のまさに であったのを思い出すこと)

と考えることは出来ないが、これらの構造やフィグールの使用を理 することによって、この

演奏曲目を理 し、よりよく 釈することが 常に容易になることがわかる。 析は面白いが、

もちろん、それは第一段階に過ぎない。演奏者は、これを採用して、演説を実現して、それら

の情念を動かさなければならない。

BIBLIOCRAPHY  参考文献

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PALISCA, Claude; Baroque Music 2nd Ed. Prentice Hall 1981

QUANTZ. Johann J; On Playing the Flute Trans. Edward Reilly, 2nd Ed. Faber 1985

SADIE. Stanley (Ed); The New Grove Dictionary of Music and Musicans 5th ed. 1984

STRUNK, Oliver ; Source Readings in Music Hlstory . Vol 2 - The Renaissance . Faber

19B1

文中、図中に現れるフィグール[英 では figure,ラテン 読みではフィグーラ。修辞学的技法

のこと、 葉のあや]

(出現順)

suspiratio 嘆息の模倣

palillogia おなじ声 で反復

anabasis 歌 の意味に合わせたパッセージの上行

catabasis 歌 の意味に合わせたパッセージの下行

cyclosis circulatio 円弧、 回の表現

paronomaisa 旋律を変形して同一音 で反復する反復のあや

auxesis 同じ声 で音の さを 2度 く、声 、音 が繰り しにより漸増する

climax 同じ声 で音の さを 2度 く反復する反復のあや

hyperbaton 歌 の強調のため

interrogatio 音楽での問い。先行音から 2度、又はそれ以上上行して終わるパッセージ

exclamatio 3 度以上の上行、下行の

polyptoton 別の声 、音域で反復する反復のあや

ellipsis 本来必要な協和音の省略

hyperbole 他声 音域への上方侵入

suspensio 不明。グローブ音楽事典には示されていない。この場合は、syncope として

係留されたことによる強拍上の不協和音を示している。suspensio はただ係留の意味。(注 大

竹)

pathopoeia 悲しみ、おそれの表現、半音単位での動き

saltus duriusculus 7 度、減 5 度の

prolongatio 繋留、経過音として不協和音を引き延ばしたもの