岡部昌生 -...
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●コンクリートに刻まれた足跡痕,根室・旧海軍牧ノ内飛行場滑走路
Carved image of footprint on the Old Naval Runway,Makinouchi,Nemuro
「時の版 港千尋×岡部昌生」CAIO2
1986年-2004年。ヒロシマの18年,宇品の8年。その総量は5000点を超えた。被害と加害,その境界線を象徴するような560mもの長大な威容
を誇った軍港宇品港に繫がる宇品駅のプラットホームが,110年の,世紀を跨ぐ時間を保有しながら消滅した。1984(明治27)年から四つの大きな戦
争で600万人もの兵士と夥しい兵器をアジアへ送り出し,結果,ヒロシマの悲劇を呼び込んだ。原爆でも消えなかった石の構築物が都市の再開発とい
う破壊で消滅し忘れられていく。私のヒロシマを問いつづけた場の喪失でもあった。この作業の区切りが根室・牧の内にふたたび繫がった。
「私の美術の始まりは,生まれ育った根室と関わるが,ヒロシマと関わる始まりは,ヒロシマに繫がる幻のようなかすかな記憶の底に明滅する火の光景,
街が赤く燃える「根室空襲」の原体験・原光景を手繰り寄せたち戻ることだった。ヒロシマの遠さと重さを自身の中にとり込み,埋め込み,一歩一歩外
側にあるものを内面化していくことなくして広島には向かえなかった。広島はパリより遠く重い街だった。何度も,何度も,取材と調査を繰り返す根
室ゆきの一年だった。牧ノ内飛行場滑走路の存在を,その時,知った。」(岡部昌生「なぜ,ここに滑走路が」『札幌大谷短期大学紀要第35号』2004年)
原爆投下のほぼ三週間前,根室空襲の被害と背中合わせのようにあった朝鮮人強制連行・労働による滑走路造成の加害の史実。日本の東端の地に刻ま
れた重い歴史をかたり伝えるそれを知った衝撃は,鮮烈で重いものだった。
2003年秋,「文化庁学校への芸術家派遣事業」によって根室市立歯舞中学校生徒135人との「なぜ,ここに滑走路が。牧の内に横たわる1000m」を実
施した。前年から始めた牧の内滑走路のプロジェクトにつながるように地域の活動と教育現場と連携する共同作業となった。「根室空襲,そして戦争の
あったことを後世に語り継ぐべく中学生とともに制作を行なうこと」だった。オリエンテーション,講演,滑走路でのフロッタージュ,作品と体験集の
ファイリング,展示作業と展覧会,映像記録,講演と連続して行なわれ,美術教科として,歴史学習と総合的な学習とを位置づけた。
「コンクリートに深く残された足跡を発見したのは森崎菜摘さん。これを目撃した多くの人に,「近いところに近い過去のある現在」を伝えてくれた。左
右の地下足袋の歩行のかたちは,寂寥たる滑走路の風景の中に濃密なヒトの気配を感じさせた。この史実に触れた生徒たちは,忘れがたい強烈なレア
リティを感じたと思う。」(同上)
2009年夏,この現場から至近の滑走路面から集団でひとつの方向に移動する草鞋の足跡痕が見つかった。コンクリートに残された草履の編目。コン
クリートに刻まれた足跡痕の速度や加重の掛かり方から,その痕跡が朝鮮労働者の切迫した動きを伝えていた。
●会津若松 石ノ壁 石ノ門
The stone walls,The stone gates in Aizu Wakamatsu
「岡本太郎の博物館 はじめる視点 博物館から覚醒するアーティストたち」福島県立博物館
博物館は,時の古層をくぐったモノで構築された都市のようである。考古や民俗資料,民具,神々など民衆の生活がそのまま溢れて積み重なっている。
出会ったばかりの建築家毛綱毅曠のことば「博物館は都市であり,都市は博物館である」という都市/博物館の現在のなかに記憶や未来を抱える都市へ
のまなざしによって,「都市/博物館」を自在自由に出入りできる都市像への視線を得ることができた。
鉄の板に挟まれ吊られた「会津若松 石ノ壁 石ノ門」は,若松城天守閣の楼閣,城外の甲賀町口城郭門の石垣の8点組のフロッタージュ作品。江戸末
期の絵師,大須賀清光の八曲一雙「若松城下絵図屛風」の大画面と向き合う展示構成。壮大な屛風絵には若松城下の風景の全容が描かれ,すでにないそ
の都市の光景は紙に描かれ残るのみだが,石の遺構はフロッタージュによって紙に写/移され痕跡としてとどめられている。
ふたつの都市像の真ん中に配された「青光塗鯉蒔絵でんぶ台」は,緑と朱の対比の美しい祝い膳。円形の朱に蒔絵で描かれゆったり回遊する吉祥の鯉図
は,会津の祝祭と民衆文化の象徴である。この円と直方体のガラス展示ケースの組合せが,「記憶を汲みあげる」ヴェネチア・プロジェクトの古井戸の
かたちに見立てられ「ふたつの都市」の記憶を呼び込み再生する装置のようだった。
「博物館は都市であり,都市は博物館である」。地域の歴史と文化が現在に交差し,都市の記憶を汲みあげ「博物館/都市」に流れた時間を往還,旅する
体験が,想像/創造をうながす現場となった。
●活動記録(2009-2010)
●岡部昌生 生拓繪計劃(ハンセン病療養所 生院/国立台湾大学/日星鋳字行/台湾商務院書館/台湾2009/3/16-4/26)●樹を語り作品展(砂澤ビッキ記念館/音
威子府8/8-8/30)● 会津>まちの記憶を掘り起こす(福島県立博物館/会津若松8/30)●風と土の芸術祭(酔月窯/会津美里 9/19-9/23)●岡部昌生フロッター
ジュ・プロジェクト雄別炭砿を掘る(釧路市立美術館 9/19-11/8/北海道教育大学釧路校WS(ワークショップ)と特別講義8/6-8/7/教育大学釧路校付属中学
校WS 9/3-9/4/高文連根釧支部美術部研究大会WS 9/10/市民WS 9/12-9/13/シンポジウム9/19)●時の版(港千尋×岡部昌生CAI02/札幌10/1-10/21/
アーティスト・トーク 港千尋+岡部昌生+佐藤友哉10/3)●岡本太郎の博物館 はじめる視点(福島県立博物館/会津若松10/10-11/23)●アートトーク(福島県立
博物館/会津若松11/23)●タイポロジック(日本経済新聞社SPACE NIO/東京10/16-12/18)●〝文化"資源としての(炭鉱)展(目黒区美術館/東京11/4-12/27)
● 夜 の 美 術 館 大 学 コール マ イ ン アート 学 科 岡 部 昌 生 炭 鉱 プ ロ ジェク ト(目 黒 区 美 術 館/東 京 11/22)●『Personal Structure』刊 行
(Global Art Affairs Foundation 11/24) ●特別講義/旧蚕糸試験場プロジェクト(首都大学東京システムデザイン学科/豊田12/10)●特別講義/北と南―
ふたつの近代を掘る(多摩美術大学/八王子12/11)●トークセッション「アートを地図に札幌を歩こう 谷口雅春+露口啓二+岡部昌生」(ジュンク堂/札幌12/19)●
『L’ARCHIVIO DEL SENSO』Q1刊行(et al./EZIZIONI)●岡部昌生旧蚕糸試験場プロジェクト(首都大学東京/日野2010/2/9-3/7)●『始める視点』報告書
(福島県立博物館)刊行●ひののんフィクション記録集(サバービア東京プロジェクト)刊行●「岡部昌生フロッタージュ・プロジェクト雄別炭鑛を掘る」記録集(釧路市立美
術館)刊行
岡
部
昌
生
岡部昌生 Masao OKABE
コンクリートに刻まれた足跡痕,根室・旧海軍牧ノ内飛行場滑走路
フロッタージュ+鉛筆+紙+鉄製標本函+鉄製架台 10点組(各55x37.5 cm) 2009年
会津若松 石ノ壁 石ノ門
フロッタージュ+鉛筆+紙+フラットバー 8点組(各110x75 cm) 2009年
岡部昌生「コンクリートに刻まれた足跡痕,根室・旧海軍牧ノ内飛行場滑走路」 フロッタージュ+鉛筆+紙+鉄製標本函+鉄製架台 10点組(各55×37.5cm)2009年 撮影:中優樹
岡部昌生「コンクリートに刻まれた足跡痕,根室・旧海軍牧ノ内飛行場滑走路」 フロッタージュ+鉛筆+鉄製標本函+鉛製架台 10点組(各55×37.5cm)「時の版 港千尋×岡部昌生」CAIO2 札幌 2009年 撮影:中優樹
岡部昌生「
会津若松
石ノ壁
石ノ門」
フロッタージュ+鉛筆+紙+フラットバー
8点組(各
110×
75cm)
2009年
「岡本太郎の博物館
はじめる視点
博物館から覚醒するアーティストたち」福
島県立博物館
2009年
写真提供:福島県立博物館
撮影:伊藤将和