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4.事例2:クメール・ルージュと国民和解に関する公開討論会(CSD) 4-1 事例の概要 4-1-1 背景 クメール・ルージュと国民和解の問題は、カンボジアの平和と安定にとり重要な課題の 1 つで ある。1970 年代から 20 年以上にわたって続いた紛争状態に終止符を打ち、選挙に基づく議会制 民主主義国家としてカンボジアの再生をめざした UNTAC の活動終了から 10 年が経過し、国内 治安は徐々に改善されてきたと言われる。その理由のひとつが、最後まで武装解除を拒んでいた クメール・ルージュのカンボジア社会への再統合の成功である。しかしそれと引き換えに、1975 年から 1979 年までの民主カンプチア政権時代の飢餓やジェノサイドによる犠牲の事実を詳らか にし、それに対する責任を問うことは見送られてきた。 クメール・ルージュによるとされる行為に対しどのような決着点を見い出すかという問題 69 対する解決策の 1 つが、クメール・ルージュ裁判である。クメール・ルージュによる人道に対す る罪(crime against humanity)を裁く裁判所の設置は、以前からも国連を中心にしてその必要 性が主張されていたが、1999 年 3 月に、元クメール・ルージュ軍指令部タ・モク(Ta mok)が、 また同年 5 月に元トゥル・スレン S - 21 政治犯刑務所長デゥック(Duch)が、それぞれ「『民主 カンプチア』の非合法化に関する法律」(1994 年施行)違反容疑で逮捕されたことをきっかけに、 その他の生存中のクメール・ルージュ幹部の処分も含めて、より現実味を帯びて議論されるようになった 70 このような時代背景の下で、2000 年 3 月から 3 回にわたり「クメール・ルージュと国民和解」 と題する公開討論会が、カンボジアの現地 NGO である社会開発センター(Center for Social Development、以下、CSD) 71 の主催で以下のとおり開催された。 69 カンボジアにおけるクメール・ルージュによるとされる行為を裁くための議論の内容を、いわゆる法律用語である逮捕 (arrest)や起訴(prosecution)等を用いて表現する場合には、その一般的な概念とのギャップを明確に意識する必要が あろう。したがって、本報告書において例えば「逮捕」と言うように鍵括弧に括った表現を用いている場合は、特にそ の一般的な内容とは異なるものであるという点に注意されたい。 70 その後、デゥックは 1979 年に公布された法令によって規定されている「大量虐殺罪」により起訴された。ポル・ポトと イエン・サリは、1979 年に、同法に基づいて、欠席裁判による判決を受けているが、イエン・サリは現政府軍に対して 投降するにあたって国王から恩赦を受け、ポル・ポトは、1998 年 4 月 15 日に死亡した。そして、国連事務総長コフィ・ アナンの派遣した法律専門家が、カンボジアの裁判システムでは公正を確保できないとして、カンボジア国外に特別国 際法廷を設置することを提案し、同事務総長がそれに同意したことから、国内の裁判所での審理を望むカンボジア政府 と国連との間で、同法廷設置に関して議論が巻き起こった。手続き的な問題はさておいても、実定法上、裁判の対象者 の範囲をどのように確定するのか、例えば審問の対象となる人間を、現在抑留中の 2 名以外にどこまで広げるかという 問題と、すでに投降しているクメール・ルージュ元幹部をどのように扱うべきかという点、そして特別法廷の場所をど こにするかが問題となっている。法的に争点がどのあたりにあるのかについては本章で取り扱っていないが、政治的交 渉の場で条約や法律がカンボジア、国連双方でどのように解釈され、議論となっているかもこの問題を理解する上で重 要である。カンボジア及び国連双方のクメール・ルージュ特別法廷に関する交渉内容については、例えば、イエール大 学の Cambodian Genocide Program(http://www.yale.edu/cgp/chron_v3.html)を参照。また、カンボジアにおける国 民和解とクメール・ルージュ特別法廷に関する議論については、例えば http://welcome.to/dccam(カンボジア文書セン ター)に 紹介がある。

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4.事例2:クメール・ルージュと国民和解に関する公開討論会(CSD)

4-1 事例の概要

4-1-1 背景

 クメール・ルージュと国民和解の問題は、カンボジアの平和と安定にとり重要な課題の 1 つである。1970 年代から 20 年以上にわたって続いた紛争状態に終止符を打ち、選挙に基づく議会制民主主義国家としてカンボジアの再生をめざした UNTAC の活動終了から 10 年が経過し、国内治安は徐々に改善されてきたと言われる。その理由のひとつが、最後まで武装解除を拒んでいたクメール・ルージュのカンボジア社会への再統合の成功である。しかしそれと引き換えに、1975年から 1979 年までの民主カンプチア政権時代の飢餓やジェノサイドによる犠牲の事実を詳らかにし、それに対する責任を問うことは見送られてきた。 クメール・ルージュによるとされる行為に対しどのような決着点を見い出すかという問題 69 に対する解決策の 1 つが、クメール・ルージュ裁判である。クメール・ルージュによる人道に対する罪(crime against humanity)を裁く裁判所の設置は、以前からも国連を中心にしてその必要性が主張されていたが、1999 年 3 月に、元クメール・ルージュ軍指令部タ・モク(Ta mok)が、また同年 5 月に元トゥル・スレン S - 21 政治犯刑務所長デゥック(Duch)が、それぞれ「『民主カンプチア』の非合法化に関する法律」(1994 年施行)違反容疑で逮捕されたことをきっかけに、その他の生存中のクメール・ルージュ幹部の処分も含めて、より現実味を帯びて議論されるようになった70。 このような時代背景の下で、2000 年 3 月から 3 回にわたり「クメール・ルージュと国民和解」と題する公開討論会が、カンボジアの現地 NGO である社会開発センター(Center for Social Development、以下、CSD)71 の主催で以下のとおり開催された。

69 カンボジアにおけるクメール・ルージュによるとされる行為を裁くための議論の内容を、いわゆる法律用語である逮捕 (arrest)や起訴(prosecution)等を用いて表現する場合には、その一般的な概念とのギャップを明確に意識する必要が あろう。したがって、本報告書において例えば「逮捕」と言うように鍵括弧に括った表現を用いている場合は、特にそ の一般的な内容とは異なるものであるという点に注意されたい。70 その後、デゥックは 1979 年に公布された法令によって規定されている「大量虐殺罪」により起訴された。ポル・ポトと イエン・サリは、1979 年に、同法に基づいて、欠席裁判による判決を受けているが、イエン・サリは現政府軍に対して 投降するにあたって国王から恩赦を受け、ポル・ポトは、1998 年 4 月 15 日に死亡した。そして、国連事務総長コフィ・ アナンの派遣した法律専門家が、カンボジアの裁判システムでは公正を確保できないとして、カンボジア国外に特別国 際法廷を設置することを提案し、同事務総長がそれに同意したことから、国内の裁判所での審理を望むカンボジア政府 と国連との間で、同法廷設置に関して議論が巻き起こった。手続き的な問題はさておいても、実定法上、裁判の対象者 の範囲をどのように確定するのか、例えば審問の対象となる人間を、現在抑留中の 2 名以外にどこまで広げるかという 問題と、すでに投降しているクメール・ルージュ元幹部をどのように扱うべきかという点、そして特別法廷の場所をど こにするかが問題となっている。法的に争点がどのあたりにあるのかについては本章で取り扱っていないが、政治的交 渉の場で条約や法律がカンボジア、国連双方でどのように解釈され、議論となっているかもこの問題を理解する上で重 要である。カンボジア及び国連双方のクメール・ルージュ特別法廷に関する交渉内容については、例えば、イエール大 学の Cambodian Genocide Program(http://www.yale.edu/cgp/chron_v3.html)を参照。また、カンボジアにおける国 民和解とクメール・ルージュ特別法廷に関する議論については、例えば http://welcome.to/dccam(カンボジア文書セン ター)に 紹介がある。

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4-1-2 実施概要

71 1995 年設立の現地 NGO である。この NGO の目的は次の 5 つ。(1)公的アカウンタビリティ及び透明性を促進すること、(2)民主主義原理の価値及び諸原理の制度化によるグッド・ガバナンスの推進、(3)自由で公正な選挙が実施されるよう監視し、選挙過程に対する市民参加の促進すること、(4)開発の根本的側面である人権の尊重の強化、(5)重要な社会問題に関するフォーラムの開催、である。現在行っている主な活動は、(1)民主主義、アカウンタビリティ、及び透明性に関する諸問題に焦点をおいた報告書の作成(毎月)、公開討論会のテレビ放送、(2)反汚職教育導入のための教育省との協力、(3)新たな法律起草に対する助言、(4)学生や研究者に対する図書館の無料開放、などである。

72 バッタンバンの参加者の構成は次のとおり。1)People from different districts in Battambang and Banteay Meanchey Provinces and the Municipality of Pailin; 2)District, Provincial, and Municipal authorities; 3)Buddhist Monks, Nuns, Laymen; 4)Teachers and Students; 5)Representatives of the Pailin Department of Information, Culture, Women’s and Veterans’Affairs and Tourism 6)Representatives of Military Region Five; 7)Parliamentarian from Pailin; 8)Representatives of related Non-Government Organizations, and the national and international Media。プノンペンの参加者の構成は次のとおり。1)People from Phnom Penh and Kandal province; 2)District, Provincial and Municipal authorities; 3)Buddhist Monks and Laymen; 4)Teachers and Students; 5)Representatives of the Ministries, Department of Information, Social Affairs, Interior, Education Youth and Sport; 6)Law Enforcement Officers; 7) Parliamentarians from Phnom Penh and Kandal province; 8)The Chairman of the National Assembly Legal Commission; 9)The Chairman of the Reception of Complaints, 10)Members of The Senate; 11)Representatives of the Embassies of France, Sweden, Australian and USA; 12)Representatives of related Non-Government Organizations and the Media. シアヌークビルの参加者の構成は次のとおり。1)People from Sihanoukville and Kampot province; 2) District, provincial, and municipal authorities from Sihanoukville and Kampot; 3)Police, military-police and military; 4)Buddhist monks, nuns and laymen; 5)Teachers and students; 6)Representatives of Department of Information, Culture and Art, Education Youth and Sport; 7)Director of the Documentation Center of Cambodia; 8)Representative of the Embassy of the USA; 9)Representatives of related Non-Government Organizations, and of the national and international media.

73「クメール・ルージュと国民和解(The Khmer Rouge and National Reconciliation)」は、1 つのトピックで、The National Issues Forum と題された公開討論会はその他にも、プノンペン、シアヌークビル、カンダル及びバッタンバンで、毎年平均 9 回開催される。トピックは地元住民により選択される。参加者は、政府大臣、議員、農民、性産業に関わる女性、エイズ患者等、そのときのトピックに応じてできる限り当事者が招集されている。CSD がめざすのは、このようなフォーラムを開催することによる民主主義プロセスへの市民参加の構築、そして教育とアドボカシーを通じ、地域社会と政策問題を結びつけることである。公開討論会に関する報告は、Research Bulletin により公表され、討論の様子はカンボジアの全国テレビ及びラジオ放送局で放送される。本討論会も、テレビ中継され、また討論会の模様を要約した報告書もカンボジア国内で配布されている。また本公開討論会に関する新聞報道は確認したもので以下のとおり。The Cambodia Daily(2000 年 1 月 28 日、2 月 25 日)、Phnom Penh Post(2000 年 2 月 18 日-3 月 2 日、2 月 4 日-17 日)、Bangkok Post(2000 年 2 月 6 日)、ロイター通信(2000 年 3 月 30 日)。

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各々の公開討論会は、自由な発言による討論が約 4 時間行われ、討論会の最後に投票が行われている。その時の設問及び投票結果は次のとおりである。

*上表中の「全体」は、3 ヵ所で実施された公開討論会の参加者数 444 名(バッタンバン 124 名、プノンペン 206 名、 シアヌークビル 114 名の合計)における、各質問の回答票の合計数の割合を示す。

 さて、それぞれの公開討論会における論点は、次の 4 点に集約できよう。第 1 に、クメール・ルージュ裁判を行うべきか否か、第 2 に、裁判を行う場合それをカンボジアの国内問題として、

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カンボジア国民による裁判を通して実施するべきか、あるいは国際法廷の場で議論すべきかという点、第 3 に、国内裁判、国際裁判を行った際に、果たして再び紛争が起こってしまうのか、そして、その懸念があるからといって裁判による解決をあきらめるべきか否かという点、第 4 に、犯罪者はクメール・ルージュに限定されるべきか、という点である。 第 1 の点に関しては、投票結果としては、過去は忘れるべきで裁判を行うべきではないとする意見と、裁判を行い、過去を明らかにするべきという意見がニ分した形となっている。ただし、仏教的見地から意見を述べる僧侶と一部の人々を除き、過去を問うべきでないと主張する理由として人々が議論を通じて異口同音に挙げるのは、紛争再発への恐怖・懸念であった。 第 2 の点に関して、まず国際法廷による解決を望む人々は、クメール・ルージュ問題は、紛争の歴史を遡れば諸外国との関係を抜きに考えることはできない事柄であるから、国内での裁判では正義を実現できないと主張する。また、民主カンプチア政権時代に諸外国が行ったクメール・ルージュに対する支持とその結果を国際法廷の場で明らかにし、諸外国もこの問題に対する責任を負い、対価を支払うべきだと主張する者もいた。それに対し、国内での裁判を行うべきであるとする者は、民主カンプチア政権時代の犠牲者は全てカンボジア人であり、またカンボジア国内で起こった犯罪であるからという点を理由にあげた。そして国家主権との関係から、国連は単に観察者の役割をすべきであるし、またこの問題を根本的に解決することができるのは、カンボジア国民でしかありえないとする意見も多かった。民主カンプチア政権時代に、諸外国が誰もこの問題について手をさし伸ばさず、紛争を助長したと見る者も多く、そのような諸外国に対する不信感を口にする者もまた多かった。さらに、裁判を行うことで再び紛争が生じた場合、国際社会はどのような責任を取るのか、あるいは紛争を生じさせない保障をしてくれるのかという懸念も出された。 第 3 の点については、参加者が最も危惧した点であり、全ての論点と関連する問題である。要約すれば、裁判を行ったところで、国民和解の重要性はクメール・ルージュも強く自覚するところであり、したがって、クメール・ルージュが再び武力紛争を起こすことはないとする見方がある。その一方で、過去を不問にする約束で幹部を投降させ国内の安定を達成した彼らの罪を改めて問うことは、再びカンボジアの平和と安定を損ないかねないとする見方であった。元クメール・ルージュ同士の意見の相違もあったが、彼らの武力紛争への言及は、少なからず多くの参加者の紛争再発に対する懸念への判断に影響を与えたように思われる。 第 4 の点については、審理される者を現在抑留中の 2 名の幹部に限定すべきであるとする者、より範囲を広げるべきとする者に意見が分かれた。そしてクメール・ルージュ問題は民主カンプチア政権時代のみに限定して捉えたのでは問題の本質が見えないため、民主カンプチア政権以前、そして以後の政権の犯罪についても裁判によって明らかにすべきであるとする意見も出された。

4-2 アクター

 カンボジアが、一気に内戦状態に戻る可能性は高くはないという見方が一般化しつつある。しかしながら、これとは対照的に、討論会で繰り返し表明されたように、カンボジア人の心を支配

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しているのは、内戦の再発あるいは内戦状態への回帰という恐怖である。法廷の場で過去の事実を明らかにすることで国民和解が達成され、今後のカンボジアの平和と安定につながっていくのか。このことは公開討論会参加者だけでなく、テレビ・ラジオを視聴しこの問題に関心を持つカンボジア国民全員の関心であろう。 事例の公開討論会の主要議題でもあった特別法廷開設の動きに対し、主要アクターである旧ポル・ポト派の反応はどうか。幹部のヌアンチアとキューサムフォンが、相次いで新聞紙上に書簡を表し、クメール・ルージュのとった行動は、民族独立を守るために行った正当なもので、大量殺戮は行われていない、また自分たちはそれに関与していないと主張して論議を呼んでいる。また、ポル・ポトの死、タ・モク元軍参謀総長の逮捕によって消滅したとされるポル・ポト派だが、タイとの国境地帯には政府側に取り込まれたものの武装解除していない中堅幹部がまだ存在している。彼らは、ポル・ポト政権は独裁政治だったのであり、イエン・サリを含む一部の幹部だけが権力を掌握していたと主張する。フン・セン首相は特別法廷の早期開催を国際社会に約束し、協議を進めているが、こうした中堅幹部の扱いをどのようにするかという判断は平和構築の観点からみて非常に複雑で微妙な問題をはらんでいる。当面、訴追対象者はタ・モク被告ら数人とされているが、元中堅幹部らの罪を問うことになれば、彼らがこれに抵抗して密林地帯でのゲリラ活動を再開する恐れもある。さらに、タ・モク被告の弁護士は「被告には虐殺の罪はある」と認めながらも「彼ひとりが罰せられるというのなら、最大限の抵抗をする」とイエン・サリとの共同責任を主張している。元幹部らは、投降した見返りに、タイ・カンボジア国境にあるかつての支配地「パイリン」で外部からの干渉を受けずに暮らすことを黙認されており、投降条件の撤回と判断されれば、これまでの宥和政策による平和の回復にブレーキがかかる懸念もある。いみじくも、公開討論会の席で旧クメール・ルージュが発言したように、裁判の対象者、時期、場所等の選択によっては、再統合されていたクメール・ルージュが再び紛争の火種となり、恩赦という方法での宥和政策が根底から覆されてしまう危険すらある。 本事例の 3 回の討論会の参加者は、旧クメール・ルージュ、一般市民、市区町村の代表、僧、尼層、教師、学生、省庁関係者、国会の立法委員会の議長、議員、フランス・スウェーデン・豪州・米国各国大使館代表、NGO 代表、国内外メディアと幅広い層からなる。既述のような旧クメール・ルージュの動向と潜在的シナリオを前に、これら参加者は、いったい何を思い、何を感じていたのだろうか。議論の概要は既に記した通りである。「旧クメール・ルージュは裁判を受けるべき」という回答が過半数を大きく上回るプノンペンの「投票結果」と対照的なのがバッタンバンであるが、ファーイースタン・エコノミック・レビュー誌(2000 年 2 月 17 日号)は、公開討論での一女性の発言を、多くのカンボジア人の気持ちを代弁するものとして紹介している。彼女は、ポル・ポト政権下で父と息子を亡くしているが、やっとつかんだこの平和̶たとえそれが不安定なものであれ̶が、裁判によって再び崩れることを恐れ、「これ以上の苦しみは、もうたくさんです」と述べた。この発言に、何らかの政治的・政策的背景や意図が働いているのかどうかを知る術はない。しかし、現在のカンボジア人にとっては、これがリアリスティックな選択肢の 1 つとなっているというのは確かだろう。公開討論という性質上、緊張感から思うように発言できない者、立場上本音を言うわけにはいかない者は少なくなかったはずである。このような場で本心を

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赤裸裸にさらけ出すことが到底不可能であるにせよ、討論会の開催は少なくとも、政治的舞台の議論ではなかなか出てこない、複雑な国民感情の一端をある程度明らかにしたように思う。 さて、本事例の討論会は、主催者というアクターの認識にも重大な変化を与えたようだ。そもそも、この公開討論会は、何らかの結論を導き出すことを目的として実施されたわけではなく、この問題に対する様々な見解を聞き出し、公の場で議論することを目的としていた。これにより、様々なアクターがそれぞれ異なる意見に耳を傾けるようになり、公開討論会では、この問題に対する互いの認識に深まりが生まれた。主催者である CSD によれば、異なる意見を知ることにより生じる対立を超え、他者の考えを認知することによって感情を共有できたことが、討論会の見えざる成果であったという。 ただし、参加者であるアクターの投票結果だけを見て、カンボジア国民の世論を判断することはできないことは言うまでもない。既述の通り、討論会参加者は多様だが、紛争当事者や政府関係者の割合、発言の順番が投票行動に影響を与えることだろうし、誰がどのような状況で投票したかも不明である。また、討論会終了時点と現在では考え方が異なるかもしれない。 さらに重要なことは、援助支援国を含む諸外国に対する参加者の認識である。カンボジアの内戦やポル・ポト政権の誕生などに、米国、中国、日本、ASEAN 諸国や国連が、なんらかの責任を負っているという歴史認識、冷戦下での国際社会の論理がカンボジア紛争の構造化に影響を与えたという意見は、討論会参加者に共通するものだったようである。

4-3 紛争に関係する領域と本事例

 過去の戦争犯罪や人権侵害に対する責任は、現在と未来の安全保障につながる問題である。少なくとも、本事例における討論会に関与したアクターの間では、この問題の処理の仕方次第では、緊張状態を招くかもしれないとの危機感が支配的であった。また、カンボジアにおけるガバナンス、とりわけ法の支配の側面を検証する上では、クメール・ルージュ裁判は避けて通れない議論である。 他方、旧クメール・ルージュと犠牲者との間の社会的軋轢は時間の経過とともに修復されつつあり、客観的に見れば、これが現実的に紛争再発を誘導するとは考えがたいという見方もあろう。ただし、過去のしがらみが清算されないかぎり、社会的緊張が完全に払拭されることはなく、不明瞭な歴史が政治的闘争に利用されたり、他の不安定要因と結びつき経済的社会的次元で相乗的な影響をもたらす危険性は潜伏したままである。

4-4 紛争要因と本事例

 公開討論会のインパクトと、国民和解というテーマの価値及び公開討論会を通じて明らかとなった課題の持つ意味を分けて論じる必要がある。事例の討論会自体がカンボジアの社会心理、世論、政策にどのような影響を及ぼしたかを測定することは困難であるが、討論会のテーマとそこでの議論は、カンボジアの持続的平和達成のあり方について考える機会を我々に提供する。

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 正義と法によって過去の行いに裁断が下され償いがなされないならば、新たな信頼関係の構築と未来の共有は困難な場合がある。カンボジアにおいて、クメール・ルージュの過去の行為が法によって裁かれていないということは、このような基盤が成立していないことを意味する。特別法廷問題は、言い換えれば、クメール・ルージュの非人道的行為に対して、過去を清算し、国民感情を納得させられるかどうかを問うものである。どのような方法で過去を清算すれば国民和解が実現するのか。平和構築の観点からすれば、討論会においてしばしば懸念されていたように、特別法廷を開廷することにより、再びカンボジアが紛争状態に陥ってしまうと見るのか、それとも特別法廷を開廷することにより、政府の進めている、旧ポル・ポト派をスムーズに社会に受け入れるための‘融和政策’が成功し、国民の一体感を醸成できると考えるのかというのが論点となろう。もちろん、カンボジア社会の「容赦の文化」に全てを委ね、時の流れを待つということもオプションとしてはあり得る。ただし、その場合の不利益や危機の予測は必須となろう。 パリ和平協定が、カンボジアにおける一定の紛争要因を解除するための重要な一歩となったことは疑いない。しかしながら、この協定によって、カンボジア社会の「和解」が達成されたと見ることはできない。パリ和平協定時に想定していた「和解」は、紛争 4 派の和解であり、その意味でこれは、協定による形式的和解が達成されたにすぎない。カンボジアの持続的平和にとって重要なのは、実質的和解である。旧クメール・ルージュがカンボジア社会に徐々に再統合されたとはいえ、土地問題、雇用問題等、紛争の芽はあちこちに転がっており、これが将来どう和解の問題とリンクするか予想がつかない。カンボジア社会に平和が根付くためには、政党間の和解、すなわち内戦時代の軍人同士の和解にとどまらず、実質的和解としての国民和解が行われなければならない 4-5 今後の平和構築支援への示唆

4-5-1 援助する側の正統性に対する認識

 和解は平和構築の中核を構成する要素であるとともに、新たな発展が望まれている分野である。開発援助機関としては、この領域での貢献の可能性を検討することは不可避であろう。一方、同時に忘れてならないことは、現代の国際政治システム下では、多くの援助支援国が紛争発生国の紛争要因に直接・間接の関わりを持っていること、少なくとも紛争発生国の市民がそのような認識をもっているという事実である。

 このような正統性等への疑念やノウハウの現実的な制限などから、外部の援助アクターはこの種の事業に関わるべきではなく、限りあるリソースは別の支援分野で有効活用されるべきとの見解もある 74。少なくとも、国際法廷設置の議論といった繊細な面を含み、上記のような歴史、認識、心情がある限り、援助支援国の和解プロジェクトへの関わりが無遠慮無作法であってはならない

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ことはもとより、極めて慎重な事前調査が必要である。即ち、政府レベルの公的な要請があるにせよ、市民の実質的ニーズを把握し、そのようなニーズに応えるだけの知識や技能が援助する側に備わっているかが冷静に判断されなければならない。

4-5-2 法的正義による追求と紛争再燃への恐怖

 カンボジアの平和と安定にとって、民主カンプチア政権時代のクメール・ルージュの虐殺がなぜ起きたのかを解明し、再発防止のための教訓を引き出すことは確かに重要である。長期的には、それが国民和解へとつながっていくという認識は共通していると思われる。しかしながら、繰り返し述べたように、参加者が懸念するのは、法廷設置による紛争再発の可能性である。 和解分野は、国家や民族の歴史、文化、価値観とは切り離せず、またその社会心理的影響が時には予測不能なこともあり、安易な介入は、紛争の誘発に加担する結果すら招く。

4-5-3 和解分野の専門家育成

 以上のようなハードルを越え、和解プロジェクトを形成・実施する決意があるならば、今後、この分野での援助する側の人材育成は急務である。心理学、交渉学、紛争研究、開発協力論といった複数のディシプリンを学際的に兼ね備え、「炎のワーク」75 と言われる和解過程の現場で能力を発揮できる人材の確保と育成は、この分野での貢献を望むのであれば、緊急に取り組むべき課題であろう。

4-5-4 和解プロジェクトのプロセスを通じた癒し

 今回の事例の産物の 1 つは、和解プロジェクトを通じたヒーリングの効果である。

4-5-5 和解プロジェクト参加者への配慮

 加害者、被害者、その他の関係者が和解プロジェクトに障害なく参加できる環境整備は重要である。これには、例えば、自由に発言できる場を設ける工夫、発言によって危険や不利益がおよばないような配慮が含まれる。

74 Elizabeth M. Cousens“Introduction”in Elizabeth M. Cousens and Chetan Kumar Peacebuilding As Politics: Cultivating Peace in Fragile Societies(Lynne Rienner Publishers, 2001)12.

75 A ミンデル(著)青木聡(訳)『紛争の心理学:融合の炎のワーク』講談社現代新書(2001 年)

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5.事例3:CAREREプロジェクトと難民(UNDP)

5-1 事例の概要

5-1-1 背景

 パリ和平協定では、カンボジア難民・避難民の自発的帰還と社会への統合が、包括的な政治的和解を達成するためには不可欠な要素であることが確認されるとともに、帰還、再定住を実現し得る政治、経済、並びに社会状況を修復整備する必要性、及び難民が移動の自由・住居や職業選択の自由・財産の保障といった基本的人権を享受されるべきことが確認された 76。カンボジアの難民・避難民の帰還、再定住プロセスの特殊性は、カンボジアの政治的和解、並びに民主主義国家の試金石となる総選挙の実施が 1993 年 5 月と設定されたことに派生する。およそ 37 万人に上る難民が総選挙に参加することは、以降のカンボジアの平和構築において重要との認識があった。したがって、難民の帰還が期間内に完了することが UNTAC の重点課題となり、短期間での大規模な難民帰還プログラムが UNHCR の主導の下で実施された。難民の大多数はタイ国境付近のキャンプに居住しており、1992 年末までに、およそ 20 万人が帰還し 77、総選挙前の 1993 年 4月までには 36 万人以上の難民が帰還を果たした 78。 しかし、20 年以上に及ぶ内戦によって極度に疲弊したカンボジアには、短期間に大規模な難民の帰還を十分に受容し得るだけの能力は備わっていなかった。とりわけ、帰還民の集中が想定された農村部の疲弊は深刻であった 79。このことから、カンボジア政府に代わって、国連主導による難民の帰還支援は勿論のこと、帰還後の社会への再定住、及び再統合支援が求められた。このことから、パリ和平協定では、難民の帰還再定住プロセス全般に関して、UNTAC が第一義的責任を有することが決定され、UNHCR が指導的立場を負うことが定められた 80。同時に、帰還民の当面の生活再建、維持のために短期的な緊急援助の必要性が規定された。その一方、帰還民の再定住達成のためには、短期的な人道援助のみならず、長期的な復興プログラムが必要であるとの認識もまた示された 81。 難民の帰還のみならず、その後の恒久的な再定住を達成するためには、緊急援助と開発援助を切れ目なく実施する必要があるとの認識は、1992年 2 月19日における国連事務総長によるUNTACの難民計画においてより具体的に示されている。この計画によれば、帰還民は12ヵ月間、場合によっては 18 ヵ月間の食糧支援を受けると同時に、QIPs を通じて健康医療、教育等の基本

76 United States Institute of Peace Library“Agreement on a Comprehensive Political Settlement of the Cambodia Conflict” (1991)<http://www.usip.org/pa/cambodia/pa_cambodia.html>(last accessed 24 January 2004), Article 19, 20 and Annex 4.

77 UNDP“CARERE 1 1992 -1995: End of Project Report”(1996)4.78 UNHCR『世界難民白書:人道行動の 50 年史』時事通信社(2000 年)144 頁。カンボジア難民はタイに避難するケース

が圧倒的であったが、少数はインドネシア、ベトナム、マレーシアにも逃れていた(同上)。79 例えば、カンボジア政府計画省(Ministry of Planning)の 1997 年の調査によれば、調査対象人口のうち、農村地域にお

ける貧困層がカンボジア全体の貧困層に占める割合は 88.1%に及ぶという(天川、前掲注 46、285 頁)。80 United States Institute of Peace Library, above n. 76, Article 20 and Annex 4.81 Ibid., Annex 4.

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的ニーズ、並びに再統合支援を享受するとされた。また、開発援助機関である UNDP がインフラ整備の役割を担うべきことが明記されている 82。 農村地域における難民の帰還後の長期的な社会での再定住、再統合支援の必要性という流れの中で、UNDP による「カンボジア地域再定着・再統合プロジェクト」(Cambodia Area Resettlement and Reintegration Project: CARERE)が企画された。

5-1-2 実施概要

 本事例の概要は以下の通りである。

82 Janet E. Heininger Peacekeeping in Transition: The United Nations in Cambodia(The Twenty Century Fund Press, 1994)50.

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 CARERE プロジェクトの特徴的な点は、まず、その目的に帰還民等の再定住、再統合が定められていることである。その一方、プロジェクトは帰還民といったカテゴリーに特化するのではなく、避難民が帰還したコミュニティ全体を支援対象に策定されている。第 2 に、CARERE の後半のフェーズでは、プロジェクトをトップダウンで投下するのではなく参加型を重視し、コミュニティが特定したニーズに従って援助を決定する方式を採用したことである 84。 CARERE プロジェクトの実施内容は、その性格から大きく 2 つに分類することができる。つまり、QIPs と地域開発計画(Area Development Scheme: ADS)である。 QIPs は UNHCR によって考案された概念であり、避難民が帰還する地域に小規模の開発志向のプロジェクトを実施することにより、即効、具体的、且つ数値で測量可能な利益を生み出すためのものである。QIPs の目的は、コミュニティを基とした支援を実施することにより、帰還民の統合に向けた機会を最大限に高めることである。また、持続可能な開発を達成するという点で、短期的な緊急援助と長期的な開発援助を結びつけることである 85。 CARERE プロジェクトでは、1992 年 7 月から 1993 年後半にかけて QIPs が中心的に実施された。QIPs の内容には、食糧の生産・貯蔵・マーケティング、飲料水の供給、農業用の水資源開発、家畜に関連した開発、健康医療施設の設置、村落レベルでの輸送、通信の開発、農業以外での所得創出、コミュニティサービスの強化等が含まれる 86。QIPs は開発援助の性格を併せ持った緊急援助として位置付けられることから、援助の当初の計画及び実施は国際機関からのトップダウン形式に拠っていた。 このようなドナー主導による CARERE プロジェクトの性格に変化がもたらされた契機は、1993 年 5 月の総選挙であった。国民に選出された政府が誕生したことで、国際諸機関による援助政策決定から、カンボジア政府主導による決定へと構図が変更された 87。1994 年 4 月に東京で開催された、第 2 回「カンボジア復興国際委員会」(International Committee on the Reconstruction of Cambodia: ICORC)で、カンボジア政府は、「カンボジア国家復興開発プログラム」(National Programme to Rehabilitate and Develop Cambodia: NPRDC)を提出した。NPRDC は包括的な内容となっているが、そこでは、カンボジアの復興開発にとって農村開発が基礎的要件であることが確認されている。さらに、1994 年- 95 年を重要な再建・開発プロジェクトの履行を政府が継続する期間、並びに包括的な開発プログラムのための準備期間とNPRDCは位

83 上記の目的は、UNDP と UNHCR によって 1992 年 1 月に交わされた CARERE 実施に関する覚書に拠った(UNDP, above n. 77, 5)。また短期的な目標として、(1)再統合支援を特定、履行、協調の制度の確立、(2)基礎的インフラの復興・農業、及び食糧生産の増加・就業、収入獲得の機会の増加・教育、医療、及び保健衛生の質の向上を通した、帰還民の再統合、

(3)地域を基礎としたコミュニティ開発のための手段の開発と適用、が挙げられていた(Ibid., at 5-6)。84 Ibid., at 4.85 Bonifacio and Lattimer, quoted in Jeff Crisp, above n. 21. また、本報告書第1部「3-2 帰還民援助と開発」も参照。86 UNDP, above n. 77.87 ただし、カンボジア政府がどの程度主導性を持って開発計画を策定し得たのかは疑問もある(Grant Curtis Cambodia

Reborn?: The Transition to Democracy and Development(Brookings Institution Press, 1998)。88 Ibid., at 62. 1996 年には NPRDC を基礎とする国家の包括的 5 ヵ年開発計画である「国家復興開発計画」(Socio-

Economic Development Plan: SEDP)が策定された。NPRDC を含めたカンボジアにおける開発計画の変遷については、寺元匡俊「第 5 節 開発計画」JICA(前掲書)を参照。

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置づけた 88。 NPRDC を受け、また CARERE プロジェクト自体も緊急援助のフェーズを完了しつつあるとの認識に立ち、持続的な経済社会開発に焦点が移った。これが 1994 年中盤から実施された ADSである。ADS では、州、地域レベルにおけるカンボジア政府機関やコミュニティ自体の、セクターを越えた開発プロジェクトの計画策定及び実施能力の開発に焦点が当てられた 89。 ADS においては、能力開発を通じた、小規模のインフラ復興、あるいは経済開発活動に重点が置かれ、学校の再建、水や公衆衛生に関する教育、地雷の除去、学校での農業プログラムの導入、苗木の養樹場の設置、森林拡大センターの設置、獣医の能力訓練、絹生産の改良プログラム、灌漑設備や貯水池の修復、信用貸付制度、元兵士の識字教育等が実施された 90。また、このプロジェクトの計画策定及び実施のために、開発農村開発委員会(Village Development Committees)といったコミュニティ組織が次第に創出されていった 91。

5-2 アクター

 CARERE プロジェクトの主体は、タイ国境キャンプから帰還したおよそ 37 万の難民・避難民、およそ 18 万人国内避難民である。帰還民は、帰還プロセスにおいて UNHCR から支援を受けることによって当面の生活は維持し得るレベルにあった。しかしながら、中長期的な開発支援によって、自立的な再定住が確保されなければあらゆる領域の紛争要因を顕在化させかねない。 次に、帰還民の再定住を促進する上で考慮されるべきアクターとして、帰還民を受け入れる地域住民の存在を無視し得ない。往々にして、地域住民は帰還民と同様に支援を必要としており、帰還民と既存住民との間にバランスのとれた支援を実施することが、両者の緊張を緩和し、紛争要因を顕在化させないために重要である。本事例プロジェクトを実施する上で、既存住民の中でも、とりわけ、農村コミュニティの支配者層の重要性が指摘され得る。CARERE プロジェクトは、コミュニティの参加型によって独自にプロジェクト案件を計画、実施する能力開発に重点を置いていたことから、プロジェクトに関する意思決定に支配者層が大きな影響力を有していたとされる 92。 さらに、このプロジェクトを実施する上で大きな影響力を有するアクターとして、クメール・

89 UNDP“UNDP Rural Development Activities”<http://mirror.undp.org/carere/index.html>(last accessed 23 January 2004). ADS が実施された背景には、1994 年以降 CARERE 実施地域であるカンボジア北西部での治安状況悪化も指摘されている。治安の悪化によって CARERE が従来の活動をスケールダウンせざるを得ない状況となったことから、コミュニティ自身が開発プロジェクトを実施し得る能力開発に焦点が必然的に移行したという。

90 Ibid.91 CARERE は 1995 年 12 月に終了したが、1996 年以降、Cambodian Area Rehabilitation and Regeneration(CARERE)

Project と名称が変更され 2000 年まで実施された。便宜上、前者を CARERE I、後者を CARERE II と称すことが一般である。CARERE II は、カンボジア政府による SEILA プログラムが目的に据える農村開発プロジェクトの分権化、及び参加型制度の確立を、能力開発と貧困削減を通して側面から促進することに主眼を置いている。よって、本事例研究の対象である難民の帰還、再定住と、CARERE II の目的、内容に相当の差異があると判断したため、CARERE II については考察していない。

92 Robin Biddulph and Chor Vanna“Independent Monitoring and Evaluation of the Local Planning Process: Final Report” (1997)<http://mirror.un dp.org/career/index.html>(last accessed 28 January 2004).

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ルージュが挙げられよう。難民が多く帰還した地域には、クメール・ルージュが支配していた場所も多く、このアクターの動向如何によって再定住プロセスの進展に遅れが生じた。 最後に、CARERE プロジェクトに直接関係する政府機関の存在が指摘される。CARERE プロジェクト実施当初、地方政府組織は十分に形成構築されておらず、有効に機能していなかった。しかしプロジェクト後半期に差し掛かるにつれ、地方政府組織が次第にその影響力を強めていった。

5-3 紛争に関係する領域と本事例

 既述の通り、CARERE は帰還民という特定のカテゴリーではなく、帰還民が集中する地域コミュニティ全般を射程に入れた援助プロジェクトである。そうでありながら、避難民や元兵士の持続的な帰還、恒久的な再定住を促進するという意図を明確に有している。よって、安全保障という領域の紛争要因に直接関わるばかりではなく、様々な紛争要因にも関連している可能性がある。例えば、帰還民が集中する農村部では、貧富の格差や帰還民の持続的社会定着など、経済や社会の領域まで視野を広げなければならない。 帰還民の再定着・再統合の進展は、政策・実施上の次元で、紛争諸要因と密接に関わっている。CARERE プロジェクトが紛争要因の緩和や解決に作用する場合、それは帰還民の再定着促進に波及し得る。逆に、帰還民の再定着プロセスに障害が生ずると、紛争要因を顕在化させる可能性がある。

5-4 紛争要因と本事例

 36 万人以上を数える難民の大規模な帰還計画は、1993 年 5 月の総選挙実施までにほぼ完了したことから、狭義の帰還プロセスに限定すれば成功したと言える 93。しかし、帰還プロセスが円滑に実施されたことをもって、その後の帰還民の社会への再定着、再統合が同様に円滑であったと推定することはできない。むしろ、平和構築の観点からすれば、再検討すべき点も少なくない。 以下では、CARERE プロジェクトが避難民の帰還、再定着プロセスにもたらした、あるいはもたらしたと考えられ得るインパクトを、第 1 に土地不足、第 2 にクメール・ルージュの存在、第 3 にコミュニティでの帰還民に対する支援ネットワークの有無、第 4 に参加型開発手法との関連から考察する。 まず、土地不足についてである。一般に、難民が帰還先の社会で自立的な再定住を達成するための必要条件として、住居や農業生産のための土地の確保が重要であることは広く認識されている。しかし、難民がかつて居住していた地域に帰還してみると、所有地が既に他者によって占領されていたり、土地所有制度の不備や混乱によって帰還民が不利な状況に陥るなどの事例が報告されている 94。帰還民に特化したこのような問題と障害が、既に分断されている社会を刺激し緊

93 UNHCR、前掲注 78。94 土地をめぐる問題については、例えば、UNHCR『世界難民白書 1997/98:人道行動の課題』読売新聞社(1997 年)153頁を参照。

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張を一層高め、紛争要因へと変化する可能性も無視できない。とりわけカンボジアの農村地域において、土地問題は深刻な状況であった。同国では、稲作を中心とする農業が農村地域における主要な生産活動であることから、農村地域における難民帰還に伴う土地の不足の深刻化は、紛争要因に繋がりかねない懸念材料であったし、このような平和構築的視点も計画、実施、評価の各々の段階で導入されるべきではなかっただろうか。 UNHCR はタイ国境キャンプにいる難民の帰還計画を策定するに際して、難民が帰還先を自由に決定し、1 家族に 2 ヘクタールの農業用地を提供することを予定していた 95。ところが、地雷の広範な敷設、紛争が継続している地域の存在、あるいは占領などにより、提供可能な土地がはるかに少ないことが判明した 96。この事態を受けて、1992 年 5 月に UNHCR は帰還民に付与される援助をオプション化し、土地の付与の代わりに、再定住と移動資金として大人 1 名 50 ドル(子供 1 名 25 ドル)の現金支給を支援項目に追加した 97。大多数が現金支給を選択した結果 98、帰還後の農村社会において土地を持たない帰還民が多く存在することとなった 99。土地の付与を選択した難民は、全体のわずかに過ぎず 100、利用可能な土地の制限により、帰還先の選択も制約を受けることとなった。 このような事態に際して、CARERE プロジェクトは帰還民の再定住の促進に妥当な効果をもたらし得たのか。言を待たず、QIPs 自体が帰還民に対して土地の付与を約束するものでも、土地所有制度の確立を促すものでもない。あくまでも、帰還民に対して、土地を自発的に分配するインセンティブをコミュニティに創出するという制限的な効果をもたらしたに過ぎない 101。コミュニティの能力を高めることに重点を置く QIPs は、帰還民という特定のカテゴリーのニーズに必ずしも十分に対応し得た訳ではなく、また時において、帰還民を疎外する傾向すらあったという102。 ただし、QIPs の実施によって農業以外での所得の機会が創出され、帰還民がその恩恵を受けたようなケースもあろう。カンボジアにおける農村地域が市場から隔離されがちな傾向にあることも手伝って、現在でも稲作を中心とする農業生産が主要な生計維持手段である 103。とはいえ、

95 この他、UNHCR は独身女性に対する住居建設の補助、家財道具、食糧配給、その他の短期的な支援の補助を計画していたという(柳直子「国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)活動の評価とその教訓(一)̶カンボジア紛争を巡る国連の対応(1991-1993)」(1997)『立命館法学』2、252 頁)。

96 Brett Ballard“Reintegration Programmes for Refugees in South - East Asia: Lessons Learned from UNHCR’s Experiences”(2002)UNHCR Evaluation and Policy Analysis Unit. また、1992 年に既に農業地域において人口が過密状態にあることが指摘されており、農業用地の不足が今後深刻化することが予想される(天川、前掲注 46、289-290 頁)。

97 この他のオプションに関しての詳細は、柳、前掲注 95 を参照のこと。98 UNHCR によれば、全体でおよそ 85%の難民が現金支給を選択したという(UNHCR、前掲注 78)。99 Oxfam の調査によれば、調査対象の 143 の農村 31,793 世帯のうち、土地のない帰還民の世帯は 632 に上り、土地を所有

しない総世帯の 27.5% を構成している(天川、前掲注 46、293-294 頁)。100 Martia Eastmond and Joakim Ojendal, above n. 41, 43.101 Ibid., at 45.102 Ibid., at 42.103 Vance Geiger“The Return of the Border Khmer: Repatriation and Reintegration of Refugees from the Thai-Cambodian

Border”Peter Utting(ed)Between Hope and Insecurity: The Social Consequence of the Cambodian Peace Process (UNRISD, 1994)201.

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農村毎での差異はあるものの、燃料材の収集、狩猟といった農業以外での現金収入の手段も報告されている 104。QIPs の実施がかかる農業外での現金収入確保を促進した場合、土地を有さない帰還民も自立した生計手段が一定程度確保され、それにより再定住が促進された可能性はある。ただし、CARERE 該当地域における各農村で実施された開発プロジェクト件数は決して多くない 105。このようなことからすれば、農業以外での現金収入の手段を相当に誘引したとは考えにくい。勿論一概に断定できないものの、農業用地を有さない大多数の帰還民にとって、自立のための収入源が、QIPs によって必ずしも十分に創出された訳ではなかったと推察される 106。以上からすれば、CARERE プロジェクトは、難民帰還に伴う土地不足という問題に十分対応したわけではなかったのではないか。また、土地所有システムの混乱による、土地をめぐる社会的緊張の高まりという紛争要因を緩和する効果も制限的であったといえよう。 第 2 に、クメール・ルージュの存在である。帰還民の恒久的な再定住と持続的平和を達成するために、帰還先地域の経済的安定以前に、政治的安定が必要不可欠である。パリ和平協定により、紛争当事者全てが和平に合意した時、帰還先の社会的安定の下地が一応整ったと理解されていた。しかしながら、1992 年 6 月、パリ和平協定からクメール・ルージュが離脱するに及び、クメール・ルージュ支配地域であるカンボジア北西部は、再度紛争が勃発する不安定な状況に陥った。この結果、当該地域への難民の安全な帰還を UNHCR が保障することは困難となった。そしてUNHCR が「帰還禁止地域」(No Go Zones)を設けたにもかかわらず、帰還民はこの地域に帰還し続けた 107。こうした事態から、UNHCR は、帰還民への UNHCR のアクセスの保障をめぐってクメール・ルージュとの交渉を試みたが、この地域に帰還した者の状況を監視することは困難を極めた。さらに、帰還民の再定住促進どころか、治安の不安によって新たな避難民が当該地域から流出するほどであった。1994 年 3 月にクメール・ルージュと政府との間で大規模な戦闘が生じた際には、2 万 5000 名に及ぶ新たな難民がタイ国境に逃れたという 108。

104 天川、前掲注 46、297-298 頁。105 同上、301 頁。カンボジア計画省によれば、1998 年度の CARERE 実施 5 州における 1 村当たりの開発プロジェクト平

均数は以下のようになっている。

出所:同上、301 頁106 農業生産以外での現金収入確保は重要であるが、カンボジアの農村地域においては、稲作用の土地不足が最も貧困と結

びつく要素であるとの指摘がある(Robin Biddulph and Chor Vanna, above n. 92)。107 UNHCR“UNHCR in Cambodia: A Model for Success”(1993)Repatriation Special Report.

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 開発援助機関であるUNDPにとって、クメール・ルージュ支配地域で CAREREプロジェクトを実施することは困難であっただろう。実際、1994 年の当該地域での情勢の悪化に伴い、CAREREプロジェクトを通じた QIPsの実施が制限されている 109。 さらに、クメール・ルージュ支配地域への復興開発は不安定な政治状況によって他の地域と比べ遅れており110、紛争要因として指摘される経済発展の格差を助長する結果にもなった。このことは、開発援助の効果が、カンボジアの政治的動向によって左右され、それが地域的格差を生む危険すらあることを意味する。加えて、安全保障という領域、例えば、紛争当事者の政治的インセンティブを変更する効力等については、開発援助の可能性を過信すべきではない。安全保障上の紛争要因に対しては、あくまでも外交的・政治的にアプローチする方法が不可欠な場合も多い。安全保障上の紛争要因を処理するための能力と装備はCAREREプロジェクトにおいては制限的であったし、また、政情不安定等によって新たに生じた避難民への対応も十分ではなかった。 第 3 に、帰還民に対するコミュニティ内の支援ネットワークの有無である。カンボジアにおいては、帰還民の再定住の成否を占う上で、土地確保の条件に加え、コミュニティにおいて、帰還民の生活を支援し得る友人や親戚との繋がりといったネットワークが果たす役割が決定的であった 111。住居、農業用地、あるいはその他のニーズが支援ネットワークを通じて提供され、帰還民の自立が促される場合もある。土地がなくても、帰還先コミュニティに支援ネットワークが存在していた場合は、様 な々支援を受けることによって、その後の再定着が促進されたとの報告がある。一方で、長年の紛争によって、コミュニティ自体が分裂荒廃し、構造的に脆弱であることも公知である。支援ネットワークの不在と脆弱なコミュニティという制限から、帰還民が社会から孤立することで再定住の遅滞を招く可能性もある。さらに、土地の付与を選択した難民の場合でも、利用可能な土地の制限から、本人の希望に添った地域に帰還し得た訳ではなかった。このようなことも、帰還民の支援ネットワークへのアクセスを困難にしたと考えられる。 CAREREプロジェクトでは、帰還民の個 人々が有する支援ネットワークの有無によりプロジェクト実施地域、内容、あるいは規模が策定された訳ではない。本プロジェクトでは、「帰還民の社会的カテゴリー、経験、あるいは能力といった様態の多様性」112 に注意が払われず、農村における帰還民の支援ネットワークの創出、あるいは伸張の効果は予定していなかったようである。このことから、村落コミュニティで支援ネットワークがなく、また土地も持っていない帰還民の自立の達成において、このプロジェクトの効果がどの程度のものだったか疑問も残る。勿論、このような限定的効果が即、紛争要因を構成誘発させるとここで主張しているわけではない。しかし同時に、帰還民と既存住民との貧富の格差

108 こうした難民は、1992 年から 93 年に帰還した者を多く含んでいたという(Dylan Hendrickson“Cambodia’s Refugee Repatriation: Hostage to a Precarious Peace”<http://www.c-r.org/accord/cam/accord5/index.shtml>(last accessed 31 January 2004).109 UNDP“UNDP Rural Development Activities”<http://mirror.undp.org/carere/index.html>(last accessed 23 January 2004). ADS が実施された背景については本章 5-1-2 節を参照のこと。

110 国際協力事業団企画・評価部、前掲注 29, 63-64 頁。111 Martia Eastmond and Joakim Ojendal, above n. 41, 46, and Vance Geiger, above n. 103, 197.112 Eastmond and Ojendal , above n.41, 49. またカンボジア帰還民の多様性については、Janet McLellan Fading Hopes:

Struggles for Survival among Cambodians Repatriated from Thai Refugee Camps (York Lanes Press,1996)63 - 65.

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や社会的立場の乖離等、紛争要因に何らかの影響を及ぼす要素を無視すべきではない。 第 4 に、参加型開発手法との関連である。CARERE プロジェクト後半のフェーズでは、農村コミュニティ自身が参加型手法により、独自にニーズを発見し、プロジェクト計画を策定、実施する能力開発に焦点が当てられた。長年に渡る紛争や政治的混乱によって人材が不足しているカンボジアにおいては、CARERE プロジェクトが支柱とする能力開発は、持続的な農村開発を達成する上で効果的であったと各方面から高い評価を得ている。 しかし、CARERE の能力開発によって実施されたプロジェクトが、帰還民の再定住促進にどう作用したかについては議論の余地がある。例えば、CARERE が、農村コミュニティにおいて参加型開発手法を採用し、村落開発委員会(Village Development Committee:VDC)を設置したことは前述した。この委員会は、コミュニティの選挙によって選ばれた人員で構成されている。だが、VDC の候補者は予め村落の有力者によって決定されることがあり、政府当局に近い人物で占められるケースが問題視されている 113。つまり、開発計画の策定プロセスが、事実上、村落コミュニティの有力者により支配されていたのではないかという懸念がある。相対的に貧困の環境に置かれる帰還民が、村落コミュニティから堕落者とのレッテルを貼られることはあっても114、コミュニティの意思形成プロセスで、彼らのニーズが十分表明されていたことを証明する資料はない。帰還民の中でも女性を家長とする所帯は社会経済的に弱い立場にあり 115、帰還民の相当数を占めるこのようなグループが、参加型開発のプロセスに実質的にどの程度関与できたかについての評価は慎重でなければならない。

5-5 今後の平和構築支援への示唆

 以上の CARERE プロジェクトの考察から、今後の平和構築支援事業の実施に際して、いくつかの示唆が抽出されよう。

5-5-1 援助協調のあり方

 CARERE プロジェクトは、開発援助機関である UNDP と緊急援助機関である UNHCR が密接な協調関係を築くことにより、避難民の帰還から再定住までの一連のプロセスを円滑に促進する目的を有する野心的なプロジェクトであり、いわゆる、緊急援助と開発援助のギャップを埋める試みとして評価されている。 しかし、一方で帰還民という特定のカテゴリーを重視する UNHCR、もう一方ではコミュニティ全体を重視する UNDP の援助アプローチの本質的差異が、本事例でも少なからず表出したように思われる。こうした人道援助と開発援助の性格やアプローチの違いは小さくなく、QIPs も両者を橋渡しする装置としては不十分で、土地不足といった紛争要因に絡む問題に本格的に対処する機能を装備したものではなかった。

113 Robin Biddulph and Chor Vanna, above n. 92.114 Ibid.115 Vance Geiger, above n. 103, 199.

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5-5-2 帰還民に特有のニーズの考慮

 コミュニティ全体への視点はさることながら、同時に、帰還民の特殊なニーズに配慮した支援も必要であり、この点は平和構築支援事業においては大切である。カンボジアの帰還プロセスでは、帰還民が農村地域において自立した生計を営む上で重要な農業用地を確保できなかった。そして、そのことが、以降の再定着の進展を阻害したことも否定できない。また、CARERE プロジェクトは、土地不足やその他の課題に常に有効に対処できたわけではなく、この結果、紛争要因を刺激した恐れもある。 今後、難民等の集団に特化した支援と、地域一般を対象とした開発援助をどう調和し、きめ細かい支援を実現するかが課題となろう。

5-5-3 帰還民と事業のインパクトの多様性

 帰還民の再定住計画は、例えば、コミュニティ内の支援ネットワークの存否といった周辺環境の差によって、その進捗や達成度に差が生まれる。帰還民やコミュニティの構成員の多様性、社会環境の違いから、同一のプロジェクトを実行したとしても平和構築上の効果は異なる。場合によっては、「帰還民」という同一カテゴリーにある複数の者においてインパクトが正反対に表れる可能性もある。

5-5-4 政治的安定の重要性

 CARERE プロジェクトが、帰還民の再定住の促進に全般的なインパクトを十分に与えられなかった 1 つの原因として、クメール・ルージュ支配地域における政治的な不安定要因があった。このことは、帰還民に対する再定住プロジェクトの機能、引いては開発援助の能力的限界を如実に示している。さらに、政治的不安定の継続は、関連の支援を遅滞させることにより経済発展に格差を生ぜしめ、社会の緊張をエスカレートさせる危険性すらある。 開発援助の可能性に根拠もなく過大な期待を寄せるのは危険である。その一方、国際政治・外交的次元での平和構築に向けた諸機関の関係構築など、実践面での展開から開発援助機能の拡大の可能性を見い出す努力は続けられなければならない。