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19
クライストの ロカ ルノの女乞 曲的内 容の せて =A 面冊 クライス ト出色ロ片山岳〈 O 50 223V ( 同∞ロ )の短篇 説「 カルノの女 乞食 bg z z z a σ O H k o g o h h ( mo 仏門戸の} - O E-H ∞忌 )に対する研究の方 して次の二つの方 からなされ きた。 まず第一は 文体分析によ 方向であり 他は この作品の持つ形而上的 容を追求する方向である。前者に関しては長らく印象机断片的 レュタイガ i の論文「クラ の「ロカルノの女乞食 h1 戯曲的文体の 題に寄す」 題する論文に 階が続いたが 一応の完成を o 即ち 彼は この短篇を まず二十個のパラグ フに区 次に文 よってはじめて休系 され の詳細な分析を展開することによって 一切の構文が 第十六番目の ' パラグラフをめざしていること 、即 三日目の 夜、 たまたま一緒につれこまれていた一匹の犬迄がそれにおびえて避けようとす これをいわんがためにのみ組立てられているのだ、といちことを証明し 続いて このような文体が書かれたという現象 またも しけな物音がした時 の内的裏づけとして 世界の一 来事に 秩序と因果関係を徹底的に追求しようとする精神構造があるこ ι ι かかる精神構造こそは いわゆる戯曲作家の本質に ならぬと結論したのである o つまり レコタイカ 11 クライス がいかに典型的な戯 作家の本質を有 ているか、を示してくれたわけだ c つまり この短篇の形 而上的内 容を 求する研究はどのようであろうか たのち の短篇の文休分析によって さて では第二の方向として が挙げたもの ライス の「ロカル の女乞食」 (一一 O )

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Page 1: ιι - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ιι 問 ← かかる精神構造こそは 、 いわゆる戯曲作家の本質に 他 ならぬと結論したのである

クライストの

「ロカ

ルノの女乞食」

容の

に寄

せて

=A 面冊

クライス

ト出色ロ片山岳〈O

50日

223V(同∞ロ)の短篇小説「

ロカルノの女乞食」

bg∞zzzaσ〈Oロ

Hkog円ロohh(mo仏門戸の}門付

ロ-OE-H∞忌)に対する研究の方向は、大別して次の二つの方面からなされてきた。

即ち、

まず第一は、

文体分析による

方向であり、他は、この作品の持つ形而上的内容を追求する方向である。前者に関しては長らく印象机断片的な批評段

レュタイガ

iの論文「クライストの「ロカルノの女乞食」h

1戯曲的文体の問題に寄す」

と題する論文に

階が続いたが、

一応の完成を見たo

即ち、彼は、この短篇を、まず二十個のパラグ

ラフに区切り、次に文体

よってはじめて休系化され、

の詳細な分析を展開することによって、

一切の構文が、第十六番目の

'パラグラフをめざしていること、即ち、三日目の夜、

たまたま一緒につれこまれていた一匹の犬迄がそれにおびえて避けようとする場面ー

これをいわんがためにのみ組立てられているのだ、といちことを証明し、続いて、このような文体が書かれたという現象

またもやあやしけな物音がした時、

の内的裏づけとして、世界の一

切の出来事に、秩序と因果関係を徹底的に追求しようとする精神構造があるこ

ιι問↓

かかる精神構造こそは、

いわゆる戯曲作家の本質に他ならぬと結論したのであるo

つまり、レコタイカ

11

クライス

トがいかに典型的な戯曲作家の本質を有しているか、を示してくれたわけだc

つまり、この短篇の形而上的内容を追求する研究はどのようであろうか。

たのち、

の短篇の文休分析によって、

さて、では第二の方向として私が挙げたもの、

クライストの「ロカル

ノの女乞食」

四五

(

O)

Page 2: ιι - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ιι 問 ← かかる精神構造こそは 、 いわゆる戯曲作家の本質に 他 ならぬと結論したのである

し引いて残った数行、ないしは一頁足らすか、

いよいよ「ロカルノの女乞食」の形而上的内容の指摘となるわけたか、

クライストの「ロ

・刀ルノの女乞食」

九一ナ

(

この際注目すべきは、

さきの

νュタイカ!の論文か、

こちらの方向に対しては、

きわめて拒否的、

悲観的な態度を明ら

かにしていることである。

「素材は大道芸人かしゃべって聞かせたかるような怪談の類にすぎず」、

モテイ

lフにしても

「ティ!クやホフマンにも出てくるような」ものであり、「深い意味なと、このはなしては恐らく問題にもならない」と

している。たから、この作品解明の鍵は、レュタイカーによれは、たたたた、文体分析によってのみしか得られないので

ある。私達は、このような意見か吐かれるようになった原肉を、最近のクライスト研究方法の影響としても受けとり得る

のたか、それよりもます、

一一、、三の手近かにあるクライスト研究室口中から、

「ロカルノの女乞食」の項目をひもとくこと

によって、なせ

νュタイカーかかくも冷淡な批評を下すか、をたやすく知ることか出来る。それは、ます第一に、作品の

短かさにも・由来するのであろうか、この項目にあてられた論述の分量の貧弱さた。大低は一頁に満たす、やや長くて二一良

であり、それ以上の紙数をついやしたものは(資料の転載等か行われている場合を除けば)皆無といってよい。次に、

こで述べられている内容の貧弱さが指摘され得る。即ち、

かの有名な、

ホフマンやグリルパルツアーらの賞讃のことばの

転載、二、三の資料とおほしきものの紹介、そして文休の特異さの一寸した指摘、など、いわば作品の本質へせまるため

の補助手段の列挙か大部分で、さなくともわずかしかない論述の殆んどを埋めてしまっている。さて、これらの要素をさ

れか印象批評の域を脱した立派なものであるとは必ずしもいいがたいことは、以上のような諸事情からも容易に推察され

献から、

得るであろう。しかしながら、この作品の形而上的内容追求の方向の実休を明らかにするためには、それらのとほしい文

一応の結論を引き出さねばなるまい。

私の調べ得た限りのうちから、代表的なものを、二、三ひろうことによっ

て答は得られる。ます、独断のきらいはあっても、やはり最も明快であり、

釈によれば、

クライスト研究書の中堅をなすブライクの解

「女乞食」の世界が「背景」と呼ばれ、人閥、即ち「侯爵」の世界は「前景」と名付けられている。そして

「前景」は自に見えるものでありながら、実ははかない仮象の世界であるのに対し、

「背景」こそは自には見えぬか実体

Page 3: ιι - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ιι 問 ← かかる精神構造こそは 、 いわゆる戯曲作家の本質に 他 ならぬと結論したのである

、‘

容分析の方向が未開発であること、そしてこの二方向が互に対立し合ったままで綜合され得ていないこと、但し、

それ故、

「犬」

なのである。

「背景」は次第次第に

「前景」を圧迫し、

ついに三日目の夜、犬すらもおびえたその瞬間、幽霊の出現は確

定的となり、

「前景」と「背景」

とは一つとなって合体し、

仮象の世界に信頼していた侯爵は破減するのである。

号。}

コッホの解和を紹介するならば、人

カトリ

ック的な色彩の濃いこの解釈を中和させるために、今一つ、最近の研究書の中から、

'

問、即ち「侯爵」は

「無慈悲に迫る仮借なき復讐の諸力」

の手中に委ねられており、しかも、

その諸力が何物であるかを

人間は理解出来ない。これがテ

lマだ、というo

他の諸家の考えも大同小異ゆえ、このあたりでまとめると、大要二つの

事を指摘し得る。まず第一は、諸力の支配に委ねられた人聞の姿、これをえがいたものだ、とする点に、こ

の作品に対す

る形而上的解釈の一般的結論が凝縮されることだ。

これは多くの研究者が結論として引き出したものではあるが、同時に、

すべての一般読者か受ける第一印象に他ならない。

だから「ロカルノの女乞食」に対する内容的、形而上的研究の方向は、

いわば目下、堂々めぐりをやっているのだo

次に第二として、一二日自の夜、犬を導入することによって、

界が屈服し、破局がもたらされる、という、いわば小説構成の転換点が、内容との関聯において指摘せられていることで

ある。

ついに人間の世

「犬」の出現か全篇のクライマックスだというこの考え方は、文体分析の方向をたどったレュタイガーも同じく到

達した結果であり、どちらの方法をとるにせよ、この短篇解釈の一つの有力な鍵が、このあたりにひそんでいることを私

達は予感する。

以上

「ロカルノの女乞食」解釈の二つの方向を述べることによって、私達は文体分析の方向が一応完成したこと、内

の出現によるクライマックスの形成、

という点で共通していること、

等を知った。

私達が今後進むべき道は、

①形而上的内容追求の方向の行きでつまりを打解し、

「無慈悲に迫る仮借なき復讐の諸力」の実体を明らかにすること。②

次にこうして明らかにされた、この作品の内容的意味と、

クライストの本質とのむすびつきを追求すること。及びすでに

述べたレュタイガ

lの文体分析で明らかにされた結論、即ち、戯曲作家としてのクライストの本質と、私達が目下問題に

クライストの「ロカルノの女乞食」

四七

r-、一

一'-ノ

Page 4: ιι - Osaka City Universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd...ιι 問 ← かかる精神構造こそは 、 いわゆる戯曲作家の本質に 他 ならぬと結論したのである

クライストの「ロカルノの女乞食」

|可j¥,

/ー、

一、J

している内容的解釈の結論とか、

一休いかにしてお互に有機的に関聯するか、

という両方向の綜合をも併せこころみねば

ならぬ。

以下の小論は右のような問題提起の上に立つ。第一章で、

私はます、

「ロカルノの女乞食」の構成を、二、三の仮説に

もとすいて分析することにより、

その素材門身が独立して所有するイテーをとらえ、

以ってこの作品円斗のみカらでは解

決不可能であった、

いわゆる「無慈悲に迫る仮借なき復讐の諸力」

というものの本質、

その他を明らかにして前記①に答

える。次に第二章ては、

このようなイテーを

nから持ったところの素材を、

クライストかとのように取披い、

いいかなる構

成に形作ったか、に触れたのち、

そこからクライストの独自性と本質を導き出すため、他の作家の作品との比較考察を付

加するo

そしてこの考察は同時に、文休分析の方法による結論との関聯という問題に対しても答を与えるものてある。

-::巴耳主

クライストかこの小品「ロカルノの女乞食」を執筆する際に、

とんな、文とれたけの資料を使ったか、

ということは今

日迄のところ明らかではない。また、数多く行われてきた推論や証言は、勿論考慮されねばならぬか、

いずれも確実なも

のとはいいがたい。これはクライストがこの作品を製作した動機として、

「ベルリン夕刊新聞」維持の問題か大きくとり

あげられているということ、また製作期聞か非常に短かかったと考えられること、などから、作品誕生の内的必然性や傍

証かきわめて少く、笑証的調査か困難であることに由来している。しかしながら他方、この作品かドイツ伝説圏の物語の

うちのどれか、又はいくつかを下敷きにしているに違いないことは一読して明らかである

o

従ってもし私達がこの作品の

資料や素材を追求しようとすれば、当時人々の間に流布し、

一般常識的に知られていたと推察されるような伝説や民族童

ドイツロ

lマン

話をも有力な手がかりとしなければならないのであり、又、そうすることが許されるであろう

o

その際、

だからそれら伝

派、別してグリム兄弟、

の業績を頂点とする民族遺産の蒐集研究の時代に私達は向おうとしていること、

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-、

説-童話に対する知識人の意識か当時異常に高かったこと、及び怪談、又はそれに類する物語が大流行していたこと、を

も考慮にいれるべきである。

さて、

「ロカルノの女乞食」最大の、

グリム兄弟の編集した

「童話集」

以上、

つまりいくつかのいわゆる直接資料とされるもの、及び、より広範囲な資料、

という二種のものが、伝説固有の

イデーから「ロカルノの女乞食」分析の手かかりを得ょうとするこの章の大まかな領域に他ならない。但し、ここで話を

すすめる前に附言したいのたか、それらの数多い資料のうち、私がとりあけるものは、この論文の主題である「作品の内

的意味の追求」に直接関係すると判断せられたものに限られるのであって、あり得る限りの資料の列挙や発見などは、私

の力の及ぶところでもないし、又、この場合、全く無意味なことでもあるo

更につけ加えていっておきたいのは、以下の

本章のはじめにも述べたように、

論述で、資料と素材、また素材とモティ

iフといった概念は互に区別せられていないことである。前者に対する理由は、

クライストと、それら伝説や口伝とが、単に資料としてつながっているだけなのか、又

は素材としての力をも持ってつながっているのであるかが不明であるからであるo

後者に対する理由としては、およそ伝

説においては、素材とモティ

lフは不可分離なのであって、素材は直ちにモティ

lフを私達に暗示するし、モティ

iフの

提示を聞けば直ちに私達はその素材の名をいいあてることが出来るものであるという考えに私は立つからであるc

(

版)中に

b5E582たという表題で収録された断片的な物ぬがそれだとされているo

内容は次の通りであるo

クライストの「ロカルノの女乞食」

四九

(一一四)

ある親切な若者が家の中で火にあたっているところへ、

一人の乞食女が寒さにふるえながら戸口にあらわれた。若い男

,.

はその女を火のそばへ招くo

女はあまり火に近よりすぎたため、着ていたほろかもえ出したo

若い男はそれを知っていな

1

から傍観していた。こんな場合、当然、自分の涙でもってでも水を作り、火を消してやるべきじゃなかったかo

以上であるo

結びの部分は欠如していて、二人がその後どのようになったかは明らかでない。しかし女乞食は呪いつつ

焼け死に、傍観していた若い男に復讐することとなったであろう、と推察されている。そして巡礼してきた乞食女を侮辱

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クライストの

「ロ刀ルノの女乞食」

五。

(一一五)

低)

して呪いと業罰を受ける伝説か数多く存在することかこの雄療の恨拠として指摘される。

勿論ここて附言しておかねはな

らないのは、たからといって、クライストかグリムのこの

「童話集」から直接、資料を得たのではないことてある。f ζ

は山版年代

(「

ロカルノの女乞食」は

一八

一O年、グリムのは一八一

二年)から川らかた。いや、

むしろ逆に、

ク、

殆んとそのままの形て童話壌に転仇したという

クライストの編集していた

「ベルリン夕刊新聞」から得た資料を、

事実か指摘せられてい伊どぺあるo

たから、グリム兄弟の童話集中のこの話か、

当時人々に知られていた伝説閣の存在のあかしにすきない。

弟か、

あくまで

今の場合私達に持つ意味は、

間接証拠であり、

第二の傍証と(ケ

ミ出・

2EEmω百ロmEgE5hh(H3∞)中の一挿話

そこてこれを補充するべき、

して、

ユング

νュティリング

吉ロmeω江戸ロロm(同認clH∞見)の「青年時代」

か挙げられている。

ティ

iクの

このゆωの広の

yg号ω出。円円ロ

d〈昨日目

55FO〈何日戸

hh(見虫、(φO)

その他か指摘されては

また、やや異質な傍証としては、

いるが、

いすれもグリムの

「乞食はあさん」ほとの研究価値は認め得ない。

クライストの「

ロカルノの女乞食」に対して持つ内的意味を知るためには、まず

ところで、

このグリムの断片伝説か、

第一に

いい得るのは、粗雑なあっかいを受けたため死に、

はじめに、その類似点を明らかにしてかからねばならぬ。即ち、

これに附随するものとして、グリムにおいても、

のち復讐を行う、という筋のはこびか根本的に同

一てあることた。次に、

クライスト

HUgω2z-毛色ダ

(グリムHgσmwH件。∞25ロS口、

クライストにおい

ても、

共に老いた乞食女か登場すること

とちらも火にあたったとみられること。

及び、

回以ロnm-Z}Q85pmWC〉

0

そしていすれもか物乞い

に門口に立っ

たこと。

グリムの場合、女か火によって惨死することと対応して、クライストにおける侯爵の回収後か、白から城に放火して、

その

中で同じく惨死していることであるo

しかし、

それ以外では、今のところ関聯個所の指摘は不可能であるo

たとえばクラ

イストに登場してくる侯爵や、城や犬は、

一体グリムの童話ととのようにつながるのか、等という疑問には答を見山し得

、戸

Lh3O

JJ11V

このことか意味するものは何であるか。それは、グリムの物認は、なるほど最も本質的な内容においてクライスト

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求しておかねばならない。

いいかえれば、女乞食は具体的に、

一体いかなる世界の代表者であり、人間の世界に対し、ど

、司・

-、

-

の「ロカルノの女乞食」とつなかつてはいるけれども、具体的なテクス

ト照合の上で一致している点は、

「女乞食」の存

在唯一つである、ということだ。しかし序論においても触れたように、女乞食の世界は、

「ロカルノの女乞食」の内容的

解釈の上から、最も重要な要素であるから、

一体この女乞食の背景には、どのようなものがひそんでいるのか、を一応追

れだけの力を持つものであるのかを知っておかねばならない。

この点について、ボルテ

・ポリフカは、

goω-s∞巾片付命}片足ロ

の項においてー

「すでにエッダ中に出てくるある歌で、ほ

ろに身を包んだオ!ディンが、

95E円という名で王宮に立ちより、

。s・円O己王のために二つの炎の聞にかけられ、火は

彼の衣服を焼きはじめる、という話が語られているo

年若い王子がその客人に同情して、角杯にいれた飲物を持ってきて

iディンを炎の中からつれ出そうとするが後悔すでにおそく、白

からのやいばにたおれ伏して死ぬ己という記事をしるしており、又、同じ書物中の別の関聯個闘では、

「このように、王

が魔力を持ったものをとらえさせる理由は、元来、それが所有するマ

EPか給かをわがものとしようとしたことに由来する

ゃった時、王ははじめてこの巡礼者の神性に気付き、

と思われる、」と述べ、火責めをうけるそれら妖精としては、特に水の精が多くとりあっかわれている、としている。

以上のことから、私達は、もし

「ロカルノの女乞食」がこの系統に属するものだとすれば、彼女が北欧主神オトディンと

か、少くとも水の精と同地位にあって、

/ー、

_I.....

ノ ¥¥ーノ

(目白

ωHmgs-mゅの世界を代表するものであることの確証を得たこととなるのである。

叉、同時に、水の精と知りつつも、いや、そうと知ってこそ、火責めの拷聞にかけようとする伝説が存在することからし

て、

一読したところでは

一介の女乞食に過ぎないク

ライ

ストの老婆も、実は万人周知の存在であり、ある神性を有するこ

とを人々に認められていたと推察することも私達には許される。このことを知ってテクス

トに立ちもどる時、私達は、

三の点に、その痕跡をみることが出来る。まず第一は、

ロカルノの女乞食が、物を乞うて立寄った時、女主人が彼女を、導

き入れたあの部屋の問題である。件の部屋は、床は、滑らかで、

「きれいに、日一つ立派に飾りつけがしてあった」のであり、

クライストの「ロカルノ

の女乞食」

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クライストの「ロガルノの女乞食」

五二

〈一一七)

城主白身か川市に山人りしていた場所でもあったことは、

「侯爵は、そこにいつも銃を置くことにしていた」

というテクス

ト自身か証言しているυ

そして、

きわめて大切な客人か、重大な用件て訪れた時、侯爵か奥方にいいつけてその名人を泊

らせたのもその仰望てあるυ

なぜ奥ぃ刀は、

風来の女乞食を、

このような市屋へ導きいれることをあえてしたのか。

この疑

資料や素材の々かはしなくも偏山したことわ

L

川町中点、

Fr1

・'by

f

単に筋合一引きの、運びの便宜からのみでは説明され得ないものであり、

物語のはしめから終り迄、

女乞食の力を知っ

一詰る一証拠に他ならない。

いわはエッダ中の王子の位置に相当し、

ていて、

奥方は、

その禍いから巧みに脱出している。

とを不可分離にむすぶものであり、

「ロカルノの女乞食」

Umwmw

第二は、

物語の最終部、

最終行にあらわれる、

切己主毛色

σ〈Oロ円、onm円ロ。という表現である。

この表現は、

「女乞食」と「ロカルノ」

いわば普通名詞である

「女乞食」右特殊化し、

個有名詞化する力を持っている。

私達はこの巌終行に至った時、

はじめて

あの女乞食か、

ロカルノの地に俳相する名高い霊としてこの小説では取扱われていたことを知るのであり、

その背景にエ

ソダに迄さかのほる伝説閣の存在を首肯するのである。

「女乞食I

一の超越性と、その権威については、まず納得させられたのであるか、次に問魁になるのは、

このような力を持った女乞食に対抗して立つ侯爵ゃ、犬、また舞台としての城などは、伝説からはどのように説明せられ

こうして私達は、

得るか、と〉うことであるo

この点の信濃性ある典拠は、今日迄のところ皆無であり、たとえあっても、検討に耐え得る

ほどの内容

U持たない貧弱な資約しかないo

私かこれから提示しようとするものか、その意味で「ロカルノの女乞食」

に対する内容的解釈の一助となり得る必らば幸いである。

「テュ!ビンゲン帝領伯」三一ロ芯MV時mw-N-

ルlドグィヒ

・ゥl-ブン

FE玄関口

ES仏(見∞ア(HgN)

が、その論文、

mgrロ〈O

口、H,SEm何一刊で紹介、解説した同名の伯爵家に関する伝説である。

それは、

ツィメルン

という人によ

これは一五六六年、

って記された年代記を出典とする。梗概は次のようである。

テュ

lビンゲン市領伯家代々のあるじは非常に狩猟を愛したo

その一人かある日、狩りに山た森林中で、二匹の立派な

z

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、、

“・

い右か、を検討しなければならない。まず第一は、クライストの作品に明らかに看取することが出来る、狩猟伝説の痕跡

である。「狩猟から帰って、たまたまこの部屋へ入った侯爵は云々」というテクストのことばか、まずこのことを物語る

し、更には、「鎖を解かれた飼犬が、偶然その部屋の戸口にあらわれた」と述べているテクストは、なるほど、出

2ω百三

守主

EEではないけれども狩猟のモティ

lフと密接な縁語をなすことば「犬」を登場せしめることによって、

猟犬をつれた小人に出会う。

小人の名は

ζ222}W3

3といい、

二匹の犬の名は

dqEgと

dr--gである。その犬共が

大いに気に入った伯は小人ともとも城へつれかえり家臣とする。以来、彼らをつれて狩猟に出かければ必ず多くのえもの

を得ることか出来たし、又、単に狩のみではなく、伯の健康も、領地の管理も、いろいろな企画も、すべてうまく行くよ

うになる。ところかある時、

一行かまたまた狩りに出たところ、すばらしい牡鹿を発見、

そのあとを追って何日も何日も

野をこえ山をこえ、

ついにホへこヤ王国に入り、王宮の前に至る。招じ入れられた一行が、広聞に入るや、二匹の犬は壁

にかけられた数多くの鹿の角のうちの一つめかけてほえかかる。人々がその角をおろすと、犬共は丁度えものをたおした

時のように、その上におそいかかった。調べたところ、その角こそは、伯が追跡してきた大鹿のものだと判明する。ボヘ

くれるようたのむ。伯は困窮するか、

ミヤ王はこの犬共の優秀さにおどろき、日一つ小人と犬の由来を聞くに及んで是非彼らを手に入れたいと思い、伯に譲って

ホヘミヤ王との聞の確執の和解に絶好の機会であるという政治的な配慮もあって、

小人のいさめにもかかわらず、彼と二匹の犬を手離してしまう。が忽ち伯は彼らへの郷愁に苦しめられ、身体も衰え、間

もなく死ぬ。やがて伯爵家は衰微し、城は売りはらわれ、家族は四散した。

以上である。きて、この伝説の残映か、

クライストの「ロカルノの女乞食」のどこに、どのような姿で影を投けかけて

クライストの「ロ

カル

ノの女乞食」

五三

(一一入)

であって、

私達をある伝説閣の持つ雰囲気の中へ導入するのである。

き以上のものであることかこれによって判明する。第二は、 つ

まりクライストがここで犬を使用したことは、単なる思いつ

クライストのテクストの導入部と、ウ

l-フン

トに依る伝説の

導入部との類似が指摘され得る。今ここにならべてみると、

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つの雛形としてはきわめて近しいものであり、

恐らくクライスはウ

1-ブントのこの型の物語の書き出しを搬出来し、

彼独特

クライストの「ロカルノの女乞食」

五四

r-....

一一九)

-・・肘

ωロ明ロ

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ωnyd司mRNdqωEWmS戸回口同司一宮皮肉円仰向ゆロ当己

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(CFUロ仏)

νュヴルツヴルトに今も尚、帝領伯部落と呼ばれる村がある。

その村には一

つの城かあり、

今日も尚、

濠あとが吸って

いる。

しかしその他の部分はしもうずいぶん前から年月のため荒廃し、

大木がおいしげり、

もはや殆んど城跡とは似てもつ

、品、両ド〉

O

カえし

きて、

この城と村に昔、

一人のテュ

iビンゲン伯が住んでいて:::己

(ウ

i-フント)

Hωωゆ仏ゆ吋〉

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(同日巴ωけ)

NFSERPE仏ゆ吋ゆロ

σ5052ロ浮:・

「アルプスのふもと、

上部イタリヤのロカルノに、

一つの肯い、

ある侯爵の所有する城があった。聖ゴットハルト峠を越

えてくる人は、今も尚この城が廃虚となって横たわっているのを見ることが出来る。

その城には高い、

広い部屋部尾があ

って、

その一

つにある時:::パ一

(クライス

ト)

右の二節は勿論互に多くの点で相違し、

直接の因果関係は到底認め得ない。

けれども、

およそ伝説が諮りはじめられる一

の文体にねり直したものと・考えられる。尚、

ウl-ブントの舞台が、

ドイツであるのに対し、

クライストのはイタリヤのロ

カルノである点についだが、

大体この場所ゆ設定は、

とされる動を承認するならば、

クライストが、

かつて友人プフュ

iルと旅行した時受けた風景の印

象にもとずいて勝手に創作した、

さして重大な障碍とはなるまい。第三に比較さるべきこ

とは、

ウーラントの伝説において、

伯が小人や犬北ハを手離すや、

たちまち淋しさにおそわれ、

やがて身体的にも経済的に

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-・

,・

という点か、クライストにおいては次のことばと

一致している。

即ち、

数年後、侯爵か戦争や不作のため、重大な財政困難におちいった時云々己及び城がその結果、入手に売り渡されようとす

「それから(老婆が惨死してから)

も衰微する、

ること、などである。

このようにして私達は、

「ロカルノの女乞食」に登場する他の役者達の大部分、

つまり一人の貴族、その城、その犬、

などが同じく現われるウ

lラントの伝説の個々の事項を、クライストと比較してきたのであるが、次に問題となるのは、

グリムの場合と同様、この伝説が持つ内的意味である。ウ

i-フン

トはこの点について大要次のように解明している。

小人

のエペンは、大地を支配する地霊の一人である。地霊は何の報酬をも受けることなく人々

に奉仕する。森に野に、畑に、

家に、常に人の手助けとなり、その繁栄に寄与する。しかし、この神秘な力を持った諸積一置は非常に感じやすい。彼らは全

く自由意志から幸をもたらしてくれるけれども、それに対し人がふさわしく応答をすることを要求する。だからこの点で

傷つけられ、人手にわたされるや、忽ちエペンは伯を去り、伯は滅亡するのである、と。また、エ

ペンのつれた犬につい

て、ウ

l-ブントは次のように説明する。即ち、狩猟伝説において犬は、いわば地霊から人間に贈られた使者である。たと

えば、地霊のもてなしを受けて白からは三日のつもりが、突は二百年をすごしてしまった王か、帰途一匹の犬をあたえら

クライストの「ロカルノの女乞食」

五五

(一二

O)

「この犬を抱いてゆけ、そしてこの犬か白から大地にふれようとするよりも早く馬から地におりるな」といましめら

れる。警告を無視して下馬した家臣は、たちまち灰と化する。しかし犬はいつまでも降りようとしない。かくて王は、多

くの家臣たちと共に、この世の終末迄、森林中を馬に乗って初復しなければならぬ、という伝説がその傍証である。つま

り地霊の世界は犬をつかわすことによって人々に自分の存在を知らせしめ、日一つ思恵をもたらす手段とする。他方、人間

は犬を所持することによって地霊の守護をうけると共に、

常に犬を通じてその背後にかくれている

gras釘ゅの力の

遍在を思い知らされ、警告されるのである。

かくて私達は、この章の結論に到達する。即ち、クライストの「ロカルノの女乞食」において提示された「無慈悲に迫

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どのよ

クライストの「ロカルノの女乞食」

五ムノ

(

)

る仮借なき復讐の諸力」とは、北欧伝説の系統に属する妖精、又は地智正の世界であり、女乞食はその代表者である。そし

てこれに対するところの侯爵は、それら地霊に挑戦して立つ人間世界の代表者だ。最後に犬は、(凶印ω】

385%から派遣

されたものでありながら、人間世界に味方し、しかも仏

gHmgS釘ゆとの聯絡をも尚保持するという、仲介者的存在なの

である。だから

νュタイガーにより全篇の中心とされ、ブライクにより、作品構成の中心とされた「犬」の場、とは、人

間の世界観の中核的要素をなす以上のような三者の、一大対決場面なのであり、ここをクライストがいかに取扱ったか、

を追求することにより、私達は、彼の根本精神と、この作品の本質的魅力とを見出し得るであろう。これが次章の課題で

ある。

それぞれになったところの女乞食と侯爵と犬の三者が、

質を把握するためには、まずこの作品の構成がどのようにかたち作られているか、そして問題の場所がその中で、

第一章で明らかにされた内的意味を、

ついに迦泊する場面の本

うな位置を占めているか、を確認しておかねばならない。

が反復してあらわれていることである。即ち五回の反復が行われる。第一回は、

ここで第一に指摘され得ることは、女乞食が部屋を横切ってストーブのうしろにたおれ伏して息絶える行為、叉は物昔、

いわば導入部であり、侯爵のために女乞

食が間接的に殺される結果をまねいた事件の物語である。侯爵の罪業はここに発しているのであり、

一見忘れ去られたか

の如くでありながら、実は決してそうではない。第二回は、いよいよ本筋のはじまりである。侯爵の城を買収する目的で

訪れたフロ

ーレ

ンスの騎士が、件の部屋に真夜中、怪し

い物音を聞くo

第三回は、翌日の夜、只一人で部屋にやどった侯

爵白身が、その怪しい物音を確認する

o第四同は、次の夜、侯爵と侯爵夫人、及び忠僕の三人が再び物背を聞く

omし、

この場面では物音の直接描写は行われていない。第五問は、

ついに三日日、即ち最後の夜、侯爵夫妻は、

一回同の犬とその

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リエ

lレョンを以って一不される、侯爵の悲劇的なまでの堅忍不抜、しかも虚無的な姿勢た。即ち侯爵は、フローレ

ンスの

部屋に入り、その物音のもはや疑うべから、さることを悟るのであり、こ

こで侯爵は破滅してその罪業のむくいを受ける。

以上である。だから超越者と人間との間接的対決は何回となくくりかえされるが、女乞食と侯爵と犬とが登場する場面は、

第五回目、即ち最終回の場にはしめて実現するのである。

次に第二番目に指摘せられねはならぬことは、この作品の最も本質的な部分が、このような反復と、それに対決する侯

爵の行動描写に尽きていることである。そしてその際、注目すべ争は、第一回目を除き、他のすべてに、さまざまなヴァ

騎士から、あの部屋には真夜中、幽霊か出る、といわれ、「自分でも何故かしかとは判らぬか、ぎくりとした」時、すぐさ

ま、数年昔の件を想起し、もはや脱れ得ぬ業罰かおのれの頭上にせまっていることを既に悟っていたのである。しかもそ

れから更に三国にわたって彼は、探索をくりかえしてゆくのであり、日一つそれか作品の中心の筋になっている。そしてそ

の行動を読者になんとか納得させる手段として設定せられた動機づけ、即ち、城を回疋か非でも売りたい、という侯爵の気

持は、単なる外面的な要素でしかない。いいかえれば、幽霊か出没するということは、はじめから百も承知でありなから、

侯爵は尚、それに対し執劫にくいさかり、生きのびようとするわけた。このことはテクスト自身が、第三川目、第四川口、

いずれも、幽霊出現の真実性に関し、侯爵か確信を持っていることを証一一一目していることから明らかである。(第三川口日

「しかし、十二時か鳴ると、売除心、不可解な物音を聞いた時、侯爵は

は「幽智正のはなしは木当た、と侯爵は確信し

た己第四回白川「しかし夫妻は貨除わ次の夜、同じ不可解なあやしい物音を聞いた・

5このように、破局以外待

つものはないと知りながら、しかもそれとの対決をなめまわすようにくりかえしくりかえしする点に、作品の中心的な筋

書を、従って人生の生き方を持つクライストの精神態度は、私達にきわめて興味深い現代的な問題を提起してくれるので

あるか、この点に関しては稿を改めて触れたいと思う。

クライストの

「ロカルノの女乞食」

五七

/ー¥

一'-ノ

第三に指摘すべきことは、右のように虚無に裏づけされた強靭な精神力を持ち、自分の傷口を毎夜毎夜みずからの手で

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ょう。即ち、仲介者たる犬は、その出現によって、この物語に、いつでもクライマックスをあたえ得ると同時に、いつで

クライストの「ロカルノの女乞食」

五八

/ー、

一一¥ーノ

むしりひらいても尚耐えぬいてきた侯爵が、託人としての犬、仲介者としての犬が登場するや、

たちまちにして屈してい

る点である。この場面は一見、きわめて自然のようでありながら、実はある大きな飛躍をひそめている。なぜなら侯爵は、

さきに見たように幽霊の出現を実際はすでにフロ

ーレンスの騎士のことばを聞いて以来、信じているのであるから、侯爵.

が犬によってはじめて確信を得たとするのは吋らないのであり、もしこの確信によって侯が亡びるのだとすれば、

込¥、f小山一

」jfJ/

ーと

なくとも、

すでに第二回目、』つまりフローレンスの騎士の場で屈していたであろう。

また、

もし侯かあくまでも抵抗する

気なら、たとえ犬がおじけたのを見ても、尚屈せず生きのび得たはずなのである。だからこの犬は、単なる筋書きとの関

聯をはなれ、ひろく侯爵的な生き方の終駕をも暗示する、超時間的、普遍的な象徴として登場せしめられたのだ、といえ

も終正一周を遂げさせ得る力をも持つという、筋書きと密着した存在でありながら、しかも、それによって作品の内的意味の

集約的解釈をも併せ行号、という、文学作品の象徴的要素なのである。

以上、三つの点を確認することによって、私達はこの作品が持っているある型を目前に浮び上らせることが山来た。そ

してその型の特色は、超越世界や、その山中門知者たちに対する、作者、また主人公の態度に凝縮せられていることをも知つ

た。それ故、私達の問題は、序論で設立したごとく、こ

のような型の文学が、

あるのか、又、それは

vvュタイガーが文体分析を通じて達した戯曲性の本質と、

るo

その最も効果的な方法は、劇詩人クライストと対照的な精神構造を持つ他の作家の作品との比較考察であるo

この組

的のために、私は彼と同時代の典型的教事詩人ティ

lク

戸豆玄関目ゅのW

の作品「金髪のエクベル

ト」

bREoロ念日wnwgミ

h

(ミミ〉を選んだ。その梗概は次のようである。

一体どのような精神構造を具現したもので

一致し得ているか、を吟味することであ

ハlルツ山の近くに孤独にくらす騎士エクベル

トと妻ベルタのところへ

、数少い友の一入、ヴルターがある冬近い夜、

宿るo

夕食後ベルタは夫のすすめにより、ヴルタ

lに、彼女の幼年時代の秘密をうちあける。即ち、下飼いの子として生

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、、

-、

、町

-

t

,..

れた彼女は、

八オの時、父の折濫を恐れて家出し、山中をさまよい、

一人の老婆にひろわれ、森の奥深いしらかばの林の

中にある家で、

ふしぎな小鳥と一匹の犬とを遊び相手として十四オ迄育てられるが、、やがて世間へのあこがれにかられて

老婆の留守中、小犬をしばりつけ、毎日宝石を・生むふしぎな小鳥はたずさえ持ち、宝石を一箱ぬすんで逃け出す。羊飼い

の父母はすでに亡く、彼女は一人の女中をやとってくらすが、ある夜、突然、例の小鳥が彼女の忘恩をとがめる歌をさけ

び出したので、これを絞め殺してしまう。身に不安を感じたベルタは丁度その頃、彼女に求愛していた騎士エクベルトと

結婚したのであった。

この話を聞くとワルタ

lはベルタに「あなたが:::小さなレュトロ

lミアンに餌をやっているさまが目に、浮ぶようです

云々」といって辞し去る。この

νュトロ!ミアンとは、あの小犬の名に他ならず、ベルタ自身は今迄どうしても思い出せ

なかったものなのであった。以来ベルタは、ヴルタ!と自分の秘密との関係に対する疑惑に苦しめられ病臥する。話を知

ったエクベルトはある冬の目、

グルターを森の中で射殺する。帰宅するとベルタは死んでいた。その後しばらく一人でく

らしいたエクベルトは、またまたフ

lゴ!という騎士としたしくなる。すると又もや自分の秘密を打明けたい衝動にから

れて告白してしまう。と、

とたんにフ

lゴ!の顔が、ワルタ

iに見えてくる。

エクベルトは狂ったように旅に山、

途中、

ルタ!の顔をした曲辰夫に逢うなどしたのち、

ベルタが少女の頃住んでいたあの老婆の家に知らぬ間に近づく。小犬がほえ、

あの小鳥かやはりうたっている。老婆があらわれ、

グルターもフ!ゴーも彼女の化身であったこと、

ペルタはエクベルト

の妹に他ならなかったこと、兄妹の親の罪のむくいが今ふりかかってきているのだ、ということなどを諮る。

エクベルト

は地にたおれ、精ー神錯乱して死んでゆく。

以上である。さて、このティ

lクの作品において、超越世界と人間世界との仲介者は、どんな位置を占め、どのような

機能を持っているか。また、それに比較してクライストの作品はいかに相異しているか。この問題を、やはりさきに「ロ

カルノの女乞食」説明の場合にその特色として挙けた三つの項目順に検討してゆこう。

クライストの

「ロ

カルノの女乞食」

五九

(一一一五)

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クライストの「ロカルノの女乞食」

六O

(一一一六)

ます第一の点についててあるか、この作品においても、超越世界と人間との対決かくりかえしくりかえし行われている

点、クライストと全く同様てある。しかし大きな相違は、その対決かクマイストの場合のように、

ωZHU又に終らず、

回毎回、必す仲介者か出現していることてあるc

いや仲介者を通じてはしめて対決か行われているとすらいえる。即ち、

この作品は三凶、危機的場面を持っている。第一は、ベルタかふしぎな小鳥のうたによって、老婆への忘恩を思い出させ

られる場面。第二は、

ワルターの

νュトロ!ミアン」ということはによってエクベルト夫妻の心のまったたなかへ、不

吉な疑惑か侵入してくる場面

f

最後は、

フlゴ!の顔にワルタ!のおもかけを見出し、

エクベルトが狂気せんはかりにな

る場面てある。

両世界の橋わたしをなす

ではそこでティ

lクの場合、当事者た

いすれも門戸ωωτ505m一ゆか人聞に迫ろうとする瞬間であり、しかもそれぞれ皆、

仲介者か居あわせるという、

いわは私達か今、最も問題とする状況に他ならない。

ちはどのような態度でこの場面に対処しているか、

つまりどんな反応を示しているであろうか。まずベルタは、超越世界

からの使者として彼女の罪をとかめる小鳥を、即座に指て絞め殺している。次に、

いしゆみで彼を射殺している。最後に、

エクベルトは、、ワルタ!か妻の秘密を

知っていると知るや、

フーゴ

iに裏切られたと考えた時、再び殺ぃ怠におそわれる

くる危機に際し、ティ!クの人物はすべて、

つまり、仲介者が出現して、超越世界の迫り

クライストの場合のように崩折れず、逆にこの仲介者を殺害、排除、叉は回

いか思いととまり、彼をのかれ、町をのかれて、山中へ紡復の旅に出てゆく。

避するという方法によって危機を脱し、《凶

ωω

同ゆロω2tmゆとの距離を一向び得て新しく生活をはじめてゆくのである。

これこ

る」

、あの場面は、この意味で、

「ロカルノの女乞食」において、最後の夜、犬迄もがおじけた時、侯爵が「剣をにぎ

クライス

トかドラマティカーであるか、叙事詩人であるかのいわば分岐点たといえる。

そは殺事詩人の本質に他ならない。

なぜなら、ここで読者は、侯爵か、このにぎりしめた剣を、幽霊のいると思われる虚空に向けるか、それとも、幽霊の尖

在を彼に承認せしめようと迫る仲介者「犬」に向けるか、という二つの可能性を予想し得るからである。そして侯爵は、

「犬」を刺して危機を脱することをせず、

「四方八方、虚空を切りまくって」破滅し、私達はクライストの戯曲的精神態

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、、

-、

、『

-...

ー'

/

度を確認するのである。

次に第二の点については、超越者や仲介者に対する、ティ

!クの登場人物たちの姿勢か問題となる。

彼らは、クライス

トの侯爵におけるような追求心も探索心もない。危機点をすぎるたびに彼らは、なるほど深いゅううつにおちいりはする

けれども、全くなすすべも知らず、叉、考えることもせず、あたかも一切を忘却したかのごとく、日常の安易な生活に再

び沈潜してゆく。彼らはまた、その危機点、即ち仲介者に相対してとれを抹殺する場面においてさえ、その心には何ら確

固とした目的意識はなく、前後の因果関係に照らした配慮もない。ベルタは、只々不安から鳥を殺し、

エクベルトは気ば

らしに出た狩の途上、偶然あらわれたヴルターを、

ある。行為か終ると彼は「心軽く、安らかな気持ちになり」フ!ゴ!との出逢いがもたらす第三の危機点に再び直面する

「自分でも何をしているのか分らぬうちに狙いを定め」射殺するので

その時迄、孤独のからにとじこもる。人物の性格が漠然として

いて不定であるとか、複合文章が避けられ、単純文章の

みかさねが主流であるとかいう傍証的要素には言及する迄もあるまい。波のように起伏しながら続いてゆく人生と、滝つ

ぼめざしてひたすらに落ちてゆく人生の相違は、教事詩的と戯曲的という名の対比に還元される迄もなく明白である。

最後に第三の問題の検討だが、それはこの場合、クライストの「犬」の役割に当る要素、

つまり仲介者が、ティ

lクに

ち、

「小鳥」と

「、ワルタ

l」、そして「フ

lゴ

i」の出現は、クライストの「犬」とは全く異なり、作品に終止符を打つ

おいてはハン

ドルングの展開にどのような力を持ち、作品にどんな意味を与えているか、を考えることに他ならない。即

クライストの「ロカルノの女乞食」

六一

(一二

七)

ところか、かえって筋書きに次々新しい局面をあたえ、あらたなクライマックスへと展開せしめる力を持っていることを

指摘すれば答としてもはや充分であろう。つまり、ティ

iクにおいて超越性の告知者は、作品の完成者ではなくて開始者

であり、発展者の役割をになうものなのだ。「犬」はドラマに対しては大団円をあたえ、鉄事詩に対しては、新しい生命

ドラマティカ!としてのクライストと、

を吹きこむのだ、といってもよい。これこそは、叉、

エ!ピカ!としてのティ

クとの本質的な相違点なのである。

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通りにしてやる。翌日の昼寝時、主人は一人の女中を抱く。その際、部屋にいて二人の現状を眺めていた証人、フランメ

クライストの「ロカルノの友乞食」

六一一

(一二八)

かくて導き出されたこの結論は、私か今、改めて指摘する迄もなく、レュタイカ!の「ホエ

lティクの基礎概怠」によ

って詳述され、「ロカルノの女乞食」の文体分析によって明確に具体化された、劇詩人と鉄事詩人の本質的相違と完全に

一致する。

それ故、以上によってもはや充分この小論の意図は尽されたのであり、ここて記述を終ってもいいのてあるか、仲介者

を通して亡ひる者と、仲介者を通じて新しい生命に入る者、という相違は、私、遠に人l

一つの新しい問題を提起してくれる

のてあり、最後に、この点に解れておきたい。

る。それは「猟犬」

ゲオルク・、フリテイングのゆO

お尽王宮問。∞21〉か、この問題を、やはり「犬」を使った寓意的物語で明らかにしてい

b芯巧

EBg仏ゆ

hh

と題する短篇てある

ある大地主の中年夫妻は、多くの飼犬中、特にルビ

iンとフランメという名の二匹の猟犬を愛していた。ある時、主人

の留守中、夫人は訪れてきた一人の青年と姦通する。その際、ヘッドのかたわらにその不義の証人として居合わせたのが、

ルビ!ンであった。青年は去る。夫人は、夫か帰ってきた夜、ルビ!ンを射殺するよう夫に頼む。夫は不審を抱くかその

を主人は射殺させる。夫妻は互に何も間合わなかった。

以上である。そしてブリテイングはこの物語の結びに、

「ここで二匹の犬が、身代りとして殺されたのた。ここで人間

は、自分の罪のあがないを、四つ足の何もわからぬ生物に転嫁したのた。

人間に課せられるには厳しすぎるように思われ

た正義の要求に対し、

象徴において応答かなされたのであるはと述べ

、作品の内的意味を明らかにしている。

私たちは、

この短篇を読み、ブリテイングの説明を聞く時、今迄論じられてきた仲介者としての「犬」に対する精神態度の相違の問

題の中には、奥深く、キリス

ト教精神と異教精神、

あるいは新約的精神と旧約的精神との世界史的な規模を持

った対決の

相を読みとることか出来るのであるo

罪のあたいは死である。そして罪の意識のみあって、それをあがなう存在を認め得

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H. v.

Kleist : Werke in

5 Bden竺,hrsg.

von Erich S

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Leipzig u. Wien 0.].

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