「豊かさ論」の変遷 - mri.co.jp · 30 研究ノート research note 研究ノート...

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30 研究ノート Research Note 研究ノート 「豊かさ論」の変遷 ~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期渋谷 往男  野口 和彦  井上 隆一郎  木根原 良樹  高橋 寿夫   永野 護 戦後 60 年の間に我が国は国民、政府、企業の努力により貧しさの中から世界有 数の豊かな国となった。しかし、現代社会は豊かさが実現したとはいえ理想の社会 にはほど遠い状況といわざるを得ない。 このような乖離状況を考える前提として、我が国が戦後の豊かさを追求する過程 でどのようなことが重視され、どのような議論がなされてきたのかをおよそ 10 年 の区切りでレビューしつつ考察した。高度経済成長期やバブル期など経済の成長期 には経済成長への疑問を投げかける形での豊かさ論が起こり、石油ショックやバブ ル崩壊期などの経済の低迷期には豊かさ論が低調になる一方で、豊かさについての 定量化のアプローチが政府主導でなされてきた。近年は競争に象徴される市場シス テム万能主義を問題とした豊かさ論が起こっているとともに、定量化のアプローチ はかつてその限界が指摘されたこともありほとんど実施されなくなっている。 最近海外の研究や国内での独自の研究などによって、豊かさに代替しうる可能性 のある概念として幸せがクローズアップされつつある。幸せは豊かさ同様に個人の 感情である一方で、豊かさとは比べようもないほど長い間にわたり哲学者や思想家 の研究対象となってきた面もある。 今後幸せという概念について、国民、政府、企業の目標、特に政府の政策目標と して取り上げるべく、研究・議論の拡大が期待される。 1.はじめに 2.戦後復興期までの豊かさの位置付け 2.1 明治期から太平洋戦争までの我が国の豊かさ 2.2 戦後復興期までの豊かさ 3.戦後の豊かさ論の流れ 3.1 1960 年代までの豊かさ論:高度経済成長へのアンチテーゼ 3.2 1970 年代の豊かさ論:議論自体の沈静化と指標化 3.3 1980 年代の豊かさ論:バブル景気と生活実感との乖離 3.4 1990 年代の豊かさ論:バブル崩壊と再度の指標化 3.5 2000 年以降の豊かさ論:大競争時代への警鐘 4.政策目標としての豊かさの限界 4.1 客観的な指標で表現可能な物と時間の豊かさ 4.2 客観的な豊かさ指標の限界 5.「幸せ」議論への注目 5.1 「幸せ」に対する研究・政策アプローチ 5.2 「幸せ」と「豊かさ」の関係 6.おわりに 要 約 目 次

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30 研究ノート Research Note

研究ノート

「豊かさ論」の変遷~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期~

渋谷 往男  野口 和彦  井上 隆一郎  木根原 良樹  高橋 寿夫  永野 護

戦後 60 年の間に我が国は国民、政府、企業の努力により貧しさの中から世界有数の豊かな国となった。しかし、現代社会は豊かさが実現したとはいえ理想の社会にはほど遠い状況といわざるを得ない。

このような乖離状況を考える前提として、我が国が戦後の豊かさを追求する過程でどのようなことが重視され、どのような議論がなされてきたのかをおよそ 10 年の区切りでレビューしつつ考察した。高度経済成長期やバブル期など経済の成長期には経済成長への疑問を投げかける形での豊かさ論が起こり、石油ショックやバブル崩壊期などの経済の低迷期には豊かさ論が低調になる一方で、豊かさについての定量化のアプローチが政府主導でなされてきた。近年は競争に象徴される市場システム万能主義を問題とした豊かさ論が起こっているとともに、定量化のアプローチはかつてその限界が指摘されたこともありほとんど実施されなくなっている。

最近海外の研究や国内での独自の研究などによって、豊かさに代替しうる可能性のある概念として幸せがクローズアップされつつある。幸せは豊かさ同様に個人の感情である一方で、豊かさとは比べようもないほど長い間にわたり哲学者や思想家の研究対象となってきた面もある。

今後幸せという概念について、国民、政府、企業の目標、特に政府の政策目標として取り上げるべく、研究・議論の拡大が期待される。

1.はじめに2.戦後復興期までの豊かさの位置付け 2.1 明治期から太平洋戦争までの我が国の豊かさ 2.2 戦後復興期までの豊かさ3.戦後の豊かさ論の流れ 3.1 1960 年代までの豊かさ論:高度経済成長へのアンチテーゼ 3.2 1970 年代の豊かさ論:議論自体の沈静化と指標化 3.3 1980 年代の豊かさ論:バブル景気と生活実感との乖離 3.4 1990 年代の豊かさ論:バブル崩壊と再度の指標化 3.5 2000 年以降の豊かさ論:大競争時代への警鐘4.政策目標としての豊かさの限界 4.1 客観的な指標で表現可能な物と時間の豊かさ 4.2 客観的な豊かさ指標の限界5.「幸せ」議論への注目 5.1 「幸せ」に対する研究・政策アプローチ 5.2 「幸せ」と「豊かさ」の関係6.おわりに

要 約

目 次

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31「豊かさ論」の変遷 ~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期~

Summary

Contents

Research Note

Transition of “Affluence Discussions” - Transition from the pursuit of Affluence to the pursuit of Happiness -

Yukio Shibuya, Kazuhiko Noguchi, Ryuichiro Inoue, Yoshiki Kinehara,Hisao Takahashi, Mamoru Nagano

Japan has become one of the most affluent countries in the world thanks to the efforts of its people, government and businesses over the last 60 years, en-abling it to recover from poverty after the war. Japanese society today, however, is a far cry from being an ideal society, though it has achieved affluence.

To obtain background information to consider this disparity, I examined, re-viewing trends decade by decade, what was considered to be of value then and what discussions were held in the process of pursuing Affluence in the postwar period of Japan. In economic growth periods such as the rapid economic growth period and the bubble economy period, we saw the emergence of Affluence discussions as an antithesis to economic growth, but they withered during eco-nomic recessions such as those triggered by the oil crises or the collapse of the bubble economy. In the meantime, the government took the initiative of a quan-titative approach to define Affluence. In recent years, Affluence discussions have emerged again to question laissez-faire policies as symbolized by mega-competi-tion, but a quantitative approach is seldom employed nowadays as its limitations have been pointed out.

As a result of recent studies published overseas and those promoted inde-pendently in Japan, Happiness has appeared in the spotlight as an alternative concept to Affluence. Like Affluence, Happiness is a type of emotion felt by in-dividuals, but it has one aspect that is not applicable to Affluence, i.e. that it has been dealt with as an object of study by philosophers and thinkers for an incom-parably longer period of time than Affluence.

Expanding studies and discussions on the concept of Happiness is desired so that it may become an objective envisioned by people, the government and busi-nesses, especially as an objective of the government’s policies.

1.Introduction2.How Affluence was regarded until the postwar recovery period 2.1 Japan’s Affluence in the Meiji era through World War II 2.2 Affluence until the postwar recovery period3.Transition of Affluence discussions in the postwar period 3.1 Affluence discussions up to the 1960s: Antithesis to rapid     economic growth 3.2 Affluence discussions in the 1970s : Withering discussions and     quantification attempts 3.3 Affluence discussions in the 1980s : Deviation of a boom under the     bubble economy from people’s perception in real life 3.4 Affluence discussions in the 1990s : Collapse of the bubble economy     and another quantification attempt  3.5 Affluence discussions in the early 21st century : Warning to the     mega-competition age4.Limitation of Affluence as an objective of a policy 4.1 Affluence in terms of material and time permitting objective expression 4.2 Limitation of objective Affluence indices5.Spotlight on Happiness discussions 5.1 Research / policy approaches to Happiness 5.2 Relation between Happiness and Affluence6. Conclusions

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32 研究ノート Research Note

1.はじめに我が国において「豊かさ」は暗黙のうちに国民共通の目標となってきた。豊かさを達成す

るために、国民、政府、企業は大変な努力をして、戦後 60 年で貧しさの中から世界有数の豊かな国となった。多くの電化製品により家事労働の時間が短縮されるとともに、エアコンやテレビによって快適で楽しい暮らしが実現した。街には自動車や携帯電話があふれ便利さはとどまるところを知らない。

しかし、豊かさが実現したと思える現代社会は我々国民が望んできた姿であろうか、豊かさを追求する中で忘れ去られたものや失ったものはないのか、豊かさが実現して理想的な社会になったのか。理想的な社会でなかったとすれば、国民、政府、企業の努力は何だったのか。

本稿ではこのような問題意識のもとで、我が国の豊かさについての議論や政策の流れをレビューするなかで、豊かさが変化する社会経済環境の中でどのように捉えられ、議論されてきたのかを確認するとともにある種の限界が見られるようになってきたことを示す。さらに限界を打破するように豊かさを超える目標概念として近年注目されつつある幸せについての議論を紹介するものである。

なお、本研究は同様の問題意識の下で当社の第 36 期政策創発研究の一環として実施されたものであることを付記しておく。

2.戦後復興期までの豊かさの位置付け

2.1 明治期から太平洋戦争までの我が国の豊かさ我が国は 17 世紀前半の江戸時代から鎖国政策により外国との交流が制限されていた。江

戸時代においてはたびたび飢饉が発生していたこと、納税が米で行われていたことなどを考えると、食料を得ることが豊かさの象徴であったと思われる。事実、戦前戦後を通じて食料が恒常的に不足しており、我が国は大量の食料を輸入してきた。

一方、物質的な面での豊かさに目覚めたのは、明治維新以降といえよう。いち早く産業革命を遂げた西洋の文化・技術・商品が導入されることにより、我が国が豊かではないことが認識されるようになった。このような中で明治政府は「富国強兵」を掲げて、租税制度の改革や近代産業の育成に着手した。この政策の目的は国民の豊かさの向上というよりも、欧米列強に負けないような富んだ国をつくることが目的であった。この「富国強兵」政策は日清・日露戦争での勝利につながっている。

その後大正デモクラシーに象徴される民主主義的な動きがあったものの、昭和に入り再び国の豊かさを優先し、個人の豊かさを犠牲にする傾向が強まった。このような時代を象徴するように「欲しがりません、勝つまでは」「日本人ならぜいたくはできない筈だ」などのスローガンが生まれた。

このように、明治期から大戦期の日本は、戦時体制の強弱による変化はあるものの、国の豊かさの上に、個人の豊かさが犠牲になるという、国家主義・全体主義の時代であったといえる。

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33「豊かさ論」の変遷 ~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期~

2.2 戦後復興期までの豊かさ第二次世界大戦が終結した 1945 年は全国的な米の不作とも重なった。このため、都市部

を中心に深刻な食料不足に陥った。さらに、「タケノコ生活」という言葉に象徴されるように物質的な豊かさにも影響が及んだ。このように戦後混乱期といわれる 1950 年頃までは、食料や物質的な豊かさが極度に低下していた時期といえる。

その後の戦後復興期には農業生産の回復や特需景気などによって、食料や生活必需品の極端な不足は脱していった。しかし、この頃までは最低限度の生活を維持することが最優先される時代であり、「豊かさ」についての議論が起こるほどではなかったと思われる。

3.戦後の豊かさ論の流れ戦後わが国が経済成長を遂げる過程で何度か豊かさについての議論の高まりが見られる。

これらの豊かさについての議論を「豊かさ論」とする。戦後の豊かさ論は大きく 5 つの時代区分で捉えることができる。

・ 第一の時代区分:1960 年代まで高度経済成長が生み出した産業間の格差、地域間の格差、公害などを取り上げ、格差解消やそもそもの経済成長を疑問視するものであった。(定性的アプローチ)

・ 第二の時代区分:1970 年代経済的には 2 度にわたる石油ショックで停滞気味であるが、豊かさについての指標化(定量的アプローチ)が盛んに行われた。

・ 第三の時代区分:1980 年代我が国は石油ショックをいち早く克服し再び経済成長をはじめたが、住宅の狭さや自由時間の少なさなどに疑問が呈された。(定性的アプローチ)

・ 第四の時代区分:1990 年代バブルの崩壊により再び経済が低迷する中で豊かさについての指標化(定量的アプローチ)が再び盛んに行われ、70 年代と似た状況になった。

・ 第五の時代区分:2000 年代大競争時代に突入するなかで見失われつつある豊さについての議論が再興した。

このように、経済成長期にはその反動として豊かさ論が盛んになり、経済成長が停滞すると議論よりも指標化が行われるという傾向が見られる。(表 1 参照)

 

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34 研究ノート Research Note

表1.戦後の豊かさ論の流れ

経済事象定量的アプローチ定性的アプローチ年月

豊かさについての書籍『豊かさとは何か』暉峻淑子 ’89.9『「豊かな社会」の貧しさ』宇沢弘文 ’89.12『豊かさのゆくえ -21世紀の日本』佐和隆光 ’90.6

「国民生活を変える新たな主役たち」(豊かさ再考)(’90.10)第12次国民生活審議会総合政策部会国民生活展望委員会報告

臨時行政改革推進審議会(第3次行革審)「豊かなくらし部会」中間報告(’91.6)          二次報告(’91.12)

1973年

1975年

1979年

1986年

1987年

1989年

1990年

1991年

従来

1992年

1970年

1958年

1969年

2003年

1997年

2005年

1999年

「NNW(Net National Welfare)=国民純福祉」(’73)経済企画庁経済審議会NNW開発委員会

「PLI(People’s Life Indicators)=新国民生活指標」(いわゆる「豊かさ指標」)(’92.5)国民生活審議会調査委員会都道府県別順位が議論を呼ぶ

都道府県別ランキング中止(’99以降)

「国民生活に関する世論調査」(’58~) 総理府広報室

「国民生活選好度調査」(’72~)経済企画庁国民生活局

「生活の豊かさ調査」(’92.6~7)連合総合生活研究所社会指標研究委員会

「生活の豊かさと満足度の分析」(’97.10)三菱総合研究所

’85.9 プラザ合意:ドル高是正

経常収支の不均衡解消が狙い

’87

’87.6

’89.12

1人当りGDP日本がアメリカを抜く四全総 多極分散型国土の形成

バブル頂点:日経平均最高値

「暮らしの改革指数(LRI:Life Reform Index)」(’02.12)国民生活審議会調査委員会

’95.1’95.3

阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件

’90.11 国会等の移転に関する決議衆参両院で採択東京一極集中の排除

’01.4’01.9

小泉内閣発足BSE問題

貿 易 黒 字 拡 大

豊かさについての書籍『地域再生の経済学-豊かさを問い直す』          神野直彦 ’02.9『豊かさの条件』暉峻淑子 ’03.5

豊かさについての書籍『幸福の政治経済学』佐和隆光監訳 ’05.1(原著は’02.12)

「くらしの好みと満足度についてのアンケート」(21世紀COEプログラム)筒井義郎(’04.2)

’56.7 

’60.12 ’64.10’67.8’68

’70

「もはや『戦後』ではない」経済白書「国民所得倍増計画」閣議決定東京オリンピック公害対策基本法制定GNP自由世界第2位(1人当りGNP自由世界第20位)「くたばれGNP」:経済成長に伴う環境破壊などが背景

「SI(Social Indicators)=社会指標」(’74.3)国民生活審議会調査部会

前川レポート(’86.4)国際協調のための経済構造調整研究会

新前川レポート(’87.4)経済審議会経済構造調整特別部会

新版「SI(Social Indicators)」(’79)国民生活審議会総合政策部会調査委員会

平成3年国民生活白書「生活の豊かさ指標」(地域別豊かさ指標)(’91.12)総務庁

2002年

「将来における望ましい生活の内容とその実現のための基本的政策に関する答申」(’66.11)第1次国民生活審議会答申

1966年

「年次経済報告-豊かさへの挑戦-」(’69.7)経済企画庁

「日常生活圏における生活環境整備の進め方」(’75.4)第5次国民生活審議会

1974年

「21世紀の国民生活像 -人間味あふれる社会へ-」(’79.1)第7次国民生活審議会総合政策部会企画委員会長期展望小委員会

長期経済計画「1980年代経済社会の展望と指針」(’83.8)経済審議会

’72.9  

’73.10

’79.3

’79

田中角栄通産相『日本列島改造論』発表→土地高騰を招く(宅地の値上がりは3年で2倍に)第1次オイルショック

EC委員会事務局:日本人は「ウサギ小屋に住む 仕事中毒者」第2次オイルショック

1983年

2004年

1972年

「NSI(New Social Indicators)=国民生活指標」(’86.3)国民生活審議会調査部会

一人当たりGNP

作成:三菱総合研究所

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35「豊かさ論」の変遷 ~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期~

3.1 1960 年代のまでの豊かさ論:高度経済成長へのアンチテーゼ第二次世界大戦で大きな痛手を被ったわが国は傾斜生産方式を採用して奇跡の復活を遂

げ、1956 年の経済白書では「もはや『戦後』ではない」と謳いあげた。さらに、60 年代には 62 年の全国総合開発計画における新産業都市、64 年の工業整備特別地域(いわゆる新産・工特)により高度成長に拍車がかかり、68 年には GNP がアメリカに次いで自由世界で第 2位に躍り出た。国民は 64 年の東海道新幹線開業や東京オリンピックなど経済成長を象徴するイベントに触れ、60 年代後半に流行した三種の神器(白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)を揃えることにより、豊かさを実感していた。

一方で、豊かさ論としてはこの時期の象徴的な政策である「国民所得倍増計画」(60 年に閣議決定)においては既に農業や中小企業の近代化、地域間格差の拡大防止などが対策の方向に盛り込まれていた。66 年には第一回国民生活審議会答申において、「国民の所得水準を向上させたことについては十分にその意義を認めつつも、所得の増大が必ずしもそれに応じた国民の福祉の増大に深く結びつかなかった」としている。所得水準の向上に象徴される経済成長が福祉増大に結びつくとすれば、交通事故死傷者数や少年刑法犯検挙人数、成人病死亡者数などの福祉面の指標は減少するべきであるが、実態としては図1のように増大してしまっている。

 

図1.所得と福祉の不均衡

(昭和35年=100)

1人当り国民所得

交通事故死傷者数

少年刑法犯検挙人員数

成人病死亡者数

100

昭和35年 36 37 38 39 40

150

200

指数

出所:内閣府 HP「第一回国民生活審議会答申」より

注 1 経済企画庁「国民所得統計年報」、厚生省「人口動態統計」、法務総合研究所「犯罪白書(41年版)」等による。注 2 成人病は、脳卒中、ガン、心臓の疾患をとった

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36 研究ノート Research Note

さらに、69 年には経済白書の副題で初めて「豊かさ」という言葉を使い「豊かさへの挑戦」としている。これは、GNP が拡大する中で、「農業や中小企業など低生産性部門の近代化の遅れ、消費者物価の上昇、あるいは社会資本の立遅れや社会保障・公害問題など経済的、社会的なアンバランス」が目立ってきたという問題認識を示している。この引用文に登場するように公害も社会問題としてクローズアップされており、67 年には公害対策基本法が制定された。この時期に朝日新聞が「くたばれ GNP」とした長期キャンペーンを張り、この言葉が流行語になった。

このように、60 年代までは GNP 拡大に象徴される経済成長至上主義への疑問が生じた時期といえる。

3.2 1970 年代の豊かさ論:議論自体の沈静化と指標化1970 年代に入ると、地域間の経済格差への提言として当時の田中角栄通産相が「日本列

島改造論」(72 年)を発表し、成長は国土開発に向かった。しかし、73 年、79 年と二度にわたる石油ショックによって我が国の高度経済成長は終焉を迎えた。

このように経済成長が低迷した時代には急成長のアンチテーゼとしての豊かさ論も低調になっている。しかし、議論は低調であったもののそれまで GNP 一辺倒であった豊かさの指標を改善しようという取り組みが起こってきた。具体的には 73 年の NNW、SI、新版 SI などの指標が政府主導で相次いで作成された。

国民生活の面から見ると、70 年の減反政策に見られるように食糧自給は十分な状況になった。しかし、「日本列島改造論」の影響で地価が上昇したこともあり、住生活の指標ともいえる 1 住宅当たり延べ面積については顕著な拡大は見られなかった。78 年には EC 委員会事務局の報告で日本人を「ウサギ小屋に住む仕事中毒者」としたことが発覚した。この「ウサギ小屋」や「仕事中毒者」は後の豊かさ議論に頻繁に用いられることになる。

この時代は、特筆すべき豊かさ論が少ないものの、60 年代終盤に議論になった豊かさ論を受けて、豊かさの指標化に取り組まれた期間と言うことができる。

3.3 1980 年代の豊かさ論:バブル景気と生活実感との乖離1980 年代には、我が国は石油ショックをいち早く克服し再び経済成長に突き進んだ。こ

の結果、貿易黒字、特に対米貿易黒字が拡大した。対米自動車輸出自主規制などのカンフル剤を打ったが抜本的な解決には至らなかった。そこで、1985 年にはプラザ合意により協調的なドル高是正が合意された。これを受けて日本国内では前川レポートをもとに、内需拡大や市場開放による経常収支の不均衡解消路線をとった。これがいわゆるバブル経済へとつながっていった。

豊かさの面から見ると、我が国は 1987 年に GDP 総額で上位に位置していた米国に対して、1 人当たり GDP で抜き去った。これには円高要因があったとはいえ、我が国が数字の面からは「豊かさの目標」を達成したこととなった。それまで自分たちが豊かと実感できないのは GDP が低いためであり、GDP が拡大したら豊かになると思っていた。68 年に GNPが自由世界第 2 位になっても 1 人当 GNP は世界 20 位であり、GNP の拡大は依然として不

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37「豊かさ論」の変遷 ~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期~

足であるとされてきた。しかし、いざ 1 位になってみても、期待した豊かさの実感はなかったのである。このような数字と実感の乖離が 1980 年代末の豊かさ論の原点となっており、

「ウサギ小屋」や「仕事中毒者」という国民が潜在意識として持っていた豊かさに対する不足感と相まって、再び豊かさ議論が盛んになった。この時期に暉峻淑子(『豊かさとは何か』1989)、宇沢弘文(『「豊かな社会」の貧しさ』1989)、佐和隆光(『豊かさのゆくえ- 21 世紀の日本』1990)をはじめ多くの識者が豊かさを問う書籍を物している。

これらの豊かさ論の高まりを受けて、90 年に発表された第 12 次国民生活審議会総合政策部会国民生活展望委員会報告において、序論のテーマが「『豊かさ』再考」とされた。この中では、豊かさの議論が盛んであるとして、その背景が「我が国は高度経済成長を通じて、物質的欠乏から解放され、西欧レベルの福祉水準という目標を達成し、現在は安定成長に移行しているが、新たな目標が見出せない状況にあり、また、国民も 1960 年代に持っていたかつてのアメリカ型生活といった目指すべき明白な理想像、イメージを持たず、『豊かさ』の実感がないという現状がある。」としている。さらに、実際に行われている豊かさ論が、「『豊かさ』が実現できない原因を列記し、それらを取り除くことを『豊かさ』実現への途として、

『居住水準や住環境の充実』、『労働時間の短縮』、『消費生活の充実』、『物価構造の是正』、『高齢者対策の整備』等を実現すべきと指摘しているにすぎない」とし、「『豊かさ』のモデルは過去の貴族・ブルジョア文化の中に見られただけであり、大衆社会における『豊かさ』のモデルは未だ確立していないため、論議の限界は止むを得ない面もある。」としている。

この時期は戦後の豊かさ論の絶頂期とも言え、一人当たり GDP に代表される数字的な豊かさと実感としての豊かさとの乖離を背景に、バブル景気という経済成長に対するアンチテーゼとして議論が盛んになった。

3.4 1990 年代の豊かさ論:バブル崩壊と再度の指標化1980 年代の終盤に盛んになった豊かさ論は、面積の狭さを中心とした住宅事情、景気拡

大に伴う残業の恒常化や休日の少なさ、バブル経済によって近郊の住宅が年収の何倍もの価格となったことによる通勤時間の長さ、などを問題点に挙げている面があった。しかし、これらの状況は首都圏を中心とするものであり、全国的なものとは言えなかった。当時は首都圏の生活が「豊かでない」原因として東京一極集中がやり玉に挙がり、1990 年の終盤には「国会等の移転に関する決議」、いわゆる首都機能移転が衆参両院で採択された。

90 年代には上記のような社会経済事象と呼応して豊かさ論も欧米諸国との比較を中心とする我が国全体の議論から国内においても違いがあるとの認識から都市と地方という議論に移行していき、国全体での議論は低調になった。

首都圏とその他の地域においては豊かさの状況が異なるという問題意識から経済企画庁では、1991 年の国民生活白書の副題を「東京と地方―ゆたかさへの多様な選択」とし、「生活の豊かさ指標」(地域別豊かさ指標)を発表した。さらにこれを発展させ、1992 年に「新国民生活指標(PLI:いわゆる「豊かさ指標」)」を作成した。これは、都道府県別の順位が容易にわかるものであり、福井県の 1 位と埼玉県の最下位が数年続いた。その後当社も含め類似の「豊かさ指標」がいくつか作成された。これらの地域別の豊かさ指標は、定性的な議論に陥りがちな豊かさという概念を数値化するという点では評価されるが、早くから実感との

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38 研究ノート Research Note

乖離が指摘されているとともに低位とされた、当時の土屋義彦埼玉県知事や浅野史郎宮城県知事などから批判を受けるなどの物議を醸したこともあった。実際に、PLI は大人の生活を想定するというものであったが、体系表の「遊ぶ」という活動領域には、カラオケボックス室数やパチンコ店数などもあり人によって評価が分かれる項目も少なからず見受けられた。

結局 1999 年以降は都道府県順位の発表が中止された。その際の堺屋太一経企庁長官の説明で「身長、体重、視力を足したようなもの」などと発言があり、それまでの「指標」の限界を自ら認めることになった。これ以降「豊かさ」を定量的に測定することがあまり行われなくなった。

この時代は前期の好景気に対して景気の低迷期であるとともに、指標化が盛んに行われた点において 70 年代と類似の傾向が見られる。

3.5 2000 年以降の豊かさ論:大競争時代への警鐘2001 年の 4 月に「改革なくして成長なし」をキャッチフレーズとする小泉内閣が発足した。

金融、郵政、特殊法人など各分野の構造改革が推し進められる中で、民営化と競争を旨とする市場システムが盛んに導入されるようになった。その過程で、ふるい落とされる個人、地域などの問題が指摘され、市場システム万能主義への疑問を呈する形で、豊かさ論が再興した。また、この時代の特徴として、95 年の阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件、01 年のBSE 問題に象徴される食品安全性の問題など、安全・安心についても豊かさの要素として取り入れられるようになったことが挙げられる。この時期には神野直彦(『地域再生の経済学-豊かさを問い直す』2002)は、市場社会へのアンチテーゼをこめて、地方分権、持続可能性などを問うているとともに、暉峻淑子(『豊かさの条件』2003)は企業社会に対して「もうひとつの社会」として非営利組織の重要性や 21 世紀の課題として競争ではなく互助の必要性を訴えている。

この時期は今日まで続くものであるが、格差論争や改革後のあるべき国の姿についての議論へと続いている。さらに、表 1 の最下段に示すように、筒井義郎、佐和隆光が豊かさよりも人間としての根元的な価値と思われる「幸せ」についての考察を行っている。この「幸せ」については後述する。

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39「豊かさ論」の変遷 ~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期~

4.政策目標としての豊かさの限界

4.1 客観的な指標で表現可能な物と時間の豊かさ 物の豊かさは電化製品の有無や家の広さ、所得など可算的であり、その大小が客観的に測

定可能である。このため、政治・行政さらには民間の製品開発においても目標としやすいものであった。また、日本人は勤勉な民族といわれ、休みなく働くことが美徳とされる文化があった。戦前の年間総労働時間は 3,000 時間程度であり、戦後も高度成長期は 2,400 時間を超えていた。労働時間は生産、ひいては所得に直結するため貧しさから脱却する確実な方法だったといえる。しかし、1970 年代末には労働時間の長さとそれによる余暇時間の短さが問題とされるようになった。1980 年代末にはようやく政府や経済団体による労働時間の長さを是正する必要性が公式に示され、1992 年の「生活大国五カ年計画」において、年間総労働時間 1,800 時間という目標が掲げられるとともに、国家公務員にも完全週休 2 日制が導入された。近年では総労働時間は 1,828 時間(平成 17(2005)年:毎月勤労統計調査)となり、国民一般としてみると時間的な問題はかなり解消したと言える。

また、表 2 で示すように、いくつかの指標という事実を用いて説明することで豊かさ論の説得力も増す。このように、客観的に測定可能で指標化できるものは、比較的政策目標としやすい。

4.2 客観的な豊かさ指標の限界 前項で示したように、物の豊かさや時間の豊かさは一般に測定可能であり、それぞれを代

表する個別指標を複数選定し、総合化することで統一的な指標とするアプローチが、70 年代から 90 年代にかけて政府主導で行われた。

これらの指標は実感との乖離が生まれやすく、その都度改善を重ねてきた。特に 92 年に発表された PLI では豊かさの実感を踏まえた生活指標ということで、「遊ぶ」「癒す」など心の豊かさに関連する行動まで踏み込んだとらえ方に挑戦している。また、より客観性を持たせるために多くの個別指標を工夫して組み合わせている。しかし、客観的な指標をどのように組み合わせても実感と一致する豊かさを表わす尺度とはなり得ない、あるいはその指標の多くは客観性を求めるあまり、既存の統計データの組み合わせに終始し、結果として実感と合わなかったり、最終的に一つの最適生活モデルを示すことがかえって多様な価値観を狭めたりするなどの問題点があったと考えられる。

昨今政策評価の導入が盛んに行われるようになっている中で、政策実施にあたってはその効果を測定することが一層重要となっている。そのためには、あらゆる手段を使って実態を指標化することが求められるが、こと豊かさに関しては、誰もが認める有効な指標化は未だにできてはいない。

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40 研究ノート Research Note

表2.主な豊かさ指標の比較「NNW(Net National Welfare) = 国民純福祉」

「社会指標-よりよい暮らしへのものさし」= SI(Social Indicators)」

新版「SI(Social Indicators)」 「NSI(New Social Indicators)=国民生活指標」

「PLI(People’s Life Indicators) =新国民生活指標」(いわゆる「豊かさ指標」)

「生活の豊かさと満足度の分析」

作成主体

経済企画庁経済審議会NNW 開発委員会

第 5 次国民生活審議会調査部会 第 7 次国民生活審議会総合政策部会調査委員会

作成主体

第 10 次国民生活審議会調査部会

第 13 次国民生活審議会調査委員会

(株)三菱総合研究所

作成時期

1973 年 1974 年 9 月(1973 年 5 月~ 1975 年 4 月)

1979 年 9 月(1977 年 9 月~ 1979 年 9 月)

作成時期

1986 年 3 月(1984 年 7 月~ 1986 年 7 月)

1992 年 5 月(1990 年 12 月~ 1992 年 12 月)

1997 年 10 月1998 年 10 月

背景・

目的

経済社会の発展は一方ではさまざまな新しい現象や社会問題、欲望の多様化をもたらし、人々の求める福祉は GNP や所得のみでは測定し得ないような複雑なものとなってきた。こうした GNP の福祉指標としての限界を克服するために、ア メ リ カ の MEW(Measurement of Economic Welfare)を参考に、我が国でも福祉指標の作成が行われた。

高度経済成長のゆがみが、環境問題、物価問題、過密・過疎問題等として現れるようになったなか、「くたばれ GNP」等の議論にもみられたように、貨幣的指標のみに依存することへの反省の気運が起こり、社会指標作成の重要性が高まった。

1974 年に策定された社会指標(SI)について、社会目標分野やその構成要素の妥当性を検討、及び個別指標の選択と指標のつくり方について技術的な検討を行い、指標の改善を図った。

背景・

目的

安定成長の定着、所得水準の向上、生活価値観の多様化等の変化のなか、従来の国の全体的な福祉水準の測定に加え、国民の生活の多様な現状とその変化を把握する必要性が高まった。

80 年代後半、1 人当たり所得が世界でもトップクラスになるなか、より豊かさの実感を捉えた生活指標の策定の必要性が高まった。首都圏一極集中が再燃する中、各地域の多様な豊かさを捉える指標策定の必要性が高まった。

経済成長とは異なる「生活の豊かさ」が問われる中で、これまで様々な社会指標が用いられてきたが、一方でその測定結果は実態に即していないとの批判もあり、より住民の生活満足度を反映させた測定指標の必要性が高まった。

特徴

○国民所得に含まれている財貨サービスの消費に対して、従来国民所得に含まれていなかった項目についてもその国民に与える便益を擬制的に消費とみなして算入するとともに、従来消費と考えられていたものを一部除去することによって、国民の経済的福祉を構成する量を国民所得におけるよりもより適切に表示しようとした。

○非貨幣的指標を中心として国民の福祉水準を測定

○規範的指標に限定○全国指標のみ作成

○客観的で数量化可能なものに指標を統一。意識調査から得られるような主観指標は削除。(従来の SI と変わらず)

※従来の SI からの改善点○データの収集可能性が極度に低く、ま

た、指数の算出に際しそれほど大きな影響を与えないと思われるものを削除

○指標数が少ない場合に生じる可能性のある指数のゆがみ

特徴

○生活価値観が多様化するなか、社会全体の福祉水準を総合的に把握するという目的から、個々人にとっての厚生を測るという方向へ重点が移行。

○従来から採用されていた規範的指標に加えて、主観的指標(「満足度」「幸福度」など意識調査の結果)、国際比較指標を取り入れた。

○指標数は削減。○国際比較指標(米、独、仏、英、瑞)

の作成

○生活価値観の一層の多様化のなか、個人の視点から活動領域を設定。

○旧指標では、例えば「経済的安定」という項目のように活動領域(経済)と評価の軸(安定)とが混在したものがあったが、活動領域と評価軸を明確にして体系を再編した。

○都道府県別指標の作成。

○どのような統計指標が生活満足に重要かを住民アンケートの結果から調べ、住民の生活満足度を反映させた指標を設定。

○男女別及び年齢階級 3 区分別に豊かさ指標を作成。

○生活の側面別の満足度と全体の満足度の関係を分析し総合指標を算出。

試算内容

a. 政府の財貨サービス経常購入 b. 個人消費c. 政府資本財サービス d. 耐久消費財サービスe. 余暇時間 f. 市場外活動 g. 環境を維持するために実際に支出され

た環境維持経費 h. 物理的環境が現実に悪化した場合の環

境汚染の帰属評価額 i. 都市化に伴なう損失(通勤事情の悪化、

交通事故の増大等)

① 10 の社会目標分野「健康」「教育学習活動」「雇用と勤労生活の質」「余暇」「所得・消費」「物的環境」「犯罪と法の執行」「家族」「コミュニティ生活の質」「階層と社会移動」社会目標分野の下に 27 の主構成要素、78 の副構成要素、155 の細構成要素、261 の指標をブレイクダウンしている。

【指標 261】※時系列指標は 1960 年水準を 100 と

する。

主構成要素についてはおおむね変更なし。副構成要素については 3 つを新設し、1つを削除。エネルギー、資源問題がますます困難さを加え生活の動向にも大きな影響を与えることから、「物的環境」分野に、「生活に必要なエネルギーや水が確保されていること」を新設。

「コミュニティ生活の質」の分野に「過密,過疎の状態にないこと」と「経済的基盤が安定していること」の 2 つを新設。一方「所得・消費」の分野の「高額所得者と平均所得との格差の縮小」は、「所得格差の縮小」と重複するため削除。

試算内容

① 8 つの生活領域別指標「健康」「環境と安全」「経済的安定」「家庭生活」「勤労生活」「学校生活」「地域・社会活動」「学習・文化活動」

【時系列指標 51、国際比較指標 33】②主観的意識指標 領域ではなく個別指標のみ

【各種世論調査の結果 11 指標】③ 6 つの関心領域別指標「国際化と生活」「情報化と生活」「高齢化と生活」「都市化と生活」「国民生活と格差」「家庭・社会の病理」

【指標 53】※生活領域別に国際比較指標も作成。時

系列指標は 1980 年水準を 100 とする。

① 8 つの活動領域指標「住む」「費やす」「働く」「育てる」「癒す」「遊ぶ」「学ぶ」「交わる」

② 4 つの生活評価軸指標「安全・安心」「公正」「自由」「快適」

※①②について、それぞれ時系列指標と都道府県別指標を作成。時系列指標は1980 年水準を 100 とする。

【時系列指標 170、地域別指標 139】

① 10 の生活の側面別指標「住まい」「交通」「仕事」「所得・消費」「貯蓄・資産」「健康・家族」「教育」「余暇・休暇」「医療・福祉」「生活環境」

②男女別及び年齢階級 3 区分(10・20代、30・40 代、50・60 代の 3 区分)別指標

試算方法

年々の消費をフロー量として計測し、一つの社会指標を構成する。

(ただし、その計算方法は煩雑な上 GNP との差異が少なく、その後この指標はあまり定着せず)

①個別指標は基準年を 100 として指数化

②多段階単純平均細構成要素、副構成要素、主構成要素へと各段階ごとに単純平均し、10 の社会目標分野に集約

試算方法

①個別指標の標準化時系列試算 : 変化率標準化で標準化指数を作成国際比較指標 : 偏差値方式で標準化指数を作成

②領域別総合化領域ごとに標準化指数を単純平均

①個別指標の標準化時系列指標 : 変化率標準化で標準化指数を作成都道府県別指標 : 偏差値方式で標準化指数を作成

②活動領域別総合化領域ごとに標準化指数を単純平均

③生活評価軸別総合化各評価軸内の活動領域ごとに標準化指数を単純平均し、さらにそれぞれをウェイト付けして加重平均

①都道府県の様々な統計指標を集め、アンケートから得られた都道府県民の生活満足度との関係の強さに応じたウェイトを与えて指標を算出

②生活を 10 の側面に分け側面別の指標を作成、①の生活全体の満足度との関係を分析し総合指標を算出

策定経緯

1973 年 経済審議会 NNW 開発委員会において経済社会基本計画策定作業の一環としてとり上げられ「NNW 開発委員会報告 - 新しい福祉指標 NNW」の中で発表

1970 年  社会福祉指標研究会で検討1971 年  国民生活審議会調査部会で検討1974 年  社会指標(SI)公表開始

1977 年 10 月 国民生活審議会生活の質委員会で検討

策定経緯

1984 年  第 10 次国民生活審議会で検討1986 年  国民生活指標(NSI)公表開始

1990 年 豊かさ測定研究会(生活局長私的研究会)で検討

1991 年  第 13 次国民生活審議会で検討1992 年 新国民生活指標(PLI)公表開始

1996 年 試行的に算出1997 年 外部に公表

作成:国民生活審議会 第3回総合企画部会(平成 14 年 10 月 18 日) 資料 4 をもとに三菱総合研究所が加筆し作成

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41「豊かさ論」の変遷 ~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期~

表2.主な豊かさ指標の比較「NNW(Net National Welfare) = 国民純福祉」

「社会指標-よりよい暮らしへのものさし」= SI(Social Indicators)」

新版「SI(Social Indicators)」 「NSI(New Social Indicators)=国民生活指標」

「PLI(People’s Life Indicators) =新国民生活指標」(いわゆる「豊かさ指標」)

「生活の豊かさと満足度の分析」

作成主体

経済企画庁経済審議会NNW 開発委員会

第 5 次国民生活審議会調査部会 第 7 次国民生活審議会総合政策部会調査委員会

作成主体

第 10 次国民生活審議会調査部会

第 13 次国民生活審議会調査委員会

(株)三菱総合研究所

作成時期

1973 年 1974 年 9 月(1973 年 5 月~ 1975 年 4 月)

1979 年 9 月(1977 年 9 月~ 1979 年 9 月)

作成時期

1986 年 3 月(1984 年 7 月~ 1986 年 7 月)

1992 年 5 月(1990 年 12 月~ 1992 年 12 月)

1997 年 10 月1998 年 10 月

背景・

目的

経済社会の発展は一方ではさまざまな新しい現象や社会問題、欲望の多様化をもたらし、人々の求める福祉は GNP や所得のみでは測定し得ないような複雑なものとなってきた。こうした GNP の福祉指標としての限界を克服するために、ア メ リ カ の MEW(Measurement of Economic Welfare)を参考に、我が国でも福祉指標の作成が行われた。

高度経済成長のゆがみが、環境問題、物価問題、過密・過疎問題等として現れるようになったなか、「くたばれ GNP」等の議論にもみられたように、貨幣的指標のみに依存することへの反省の気運が起こり、社会指標作成の重要性が高まった。

1974 年に策定された社会指標(SI)について、社会目標分野やその構成要素の妥当性を検討、及び個別指標の選択と指標のつくり方について技術的な検討を行い、指標の改善を図った。

背景・

目的

安定成長の定着、所得水準の向上、生活価値観の多様化等の変化のなか、従来の国の全体的な福祉水準の測定に加え、国民の生活の多様な現状とその変化を把握する必要性が高まった。

80 年代後半、1 人当たり所得が世界でもトップクラスになるなか、より豊かさの実感を捉えた生活指標の策定の必要性が高まった。首都圏一極集中が再燃する中、各地域の多様な豊かさを捉える指標策定の必要性が高まった。

経済成長とは異なる「生活の豊かさ」が問われる中で、これまで様々な社会指標が用いられてきたが、一方でその測定結果は実態に即していないとの批判もあり、より住民の生活満足度を反映させた測定指標の必要性が高まった。

特徴

○国民所得に含まれている財貨サービスの消費に対して、従来国民所得に含まれていなかった項目についてもその国民に与える便益を擬制的に消費とみなして算入するとともに、従来消費と考えられていたものを一部除去することによって、国民の経済的福祉を構成する量を国民所得におけるよりもより適切に表示しようとした。

○非貨幣的指標を中心として国民の福祉水準を測定

○規範的指標に限定○全国指標のみ作成

○客観的で数量化可能なものに指標を統一。意識調査から得られるような主観指標は削除。(従来の SI と変わらず)

※従来の SI からの改善点○データの収集可能性が極度に低く、ま

た、指数の算出に際しそれほど大きな影響を与えないと思われるものを削除

○指標数が少ない場合に生じる可能性のある指数のゆがみ

特徴

○生活価値観が多様化するなか、社会全体の福祉水準を総合的に把握するという目的から、個々人にとっての厚生を測るという方向へ重点が移行。

○従来から採用されていた規範的指標に加えて、主観的指標(「満足度」「幸福度」など意識調査の結果)、国際比較指標を取り入れた。

○指標数は削減。○国際比較指標(米、独、仏、英、瑞)

の作成

○生活価値観の一層の多様化のなか、個人の視点から活動領域を設定。

○旧指標では、例えば「経済的安定」という項目のように活動領域(経済)と評価の軸(安定)とが混在したものがあったが、活動領域と評価軸を明確にして体系を再編した。

○都道府県別指標の作成。

○どのような統計指標が生活満足に重要かを住民アンケートの結果から調べ、住民の生活満足度を反映させた指標を設定。

○男女別及び年齢階級 3 区分別に豊かさ指標を作成。

○生活の側面別の満足度と全体の満足度の関係を分析し総合指標を算出。

試算内容

a. 政府の財貨サービス経常購入 b. 個人消費c. 政府資本財サービス d. 耐久消費財サービスe. 余暇時間 f. 市場外活動 g. 環境を維持するために実際に支出され

た環境維持経費 h. 物理的環境が現実に悪化した場合の環

境汚染の帰属評価額 i. 都市化に伴なう損失(通勤事情の悪化、

交通事故の増大等)

① 10 の社会目標分野「健康」「教育学習活動」「雇用と勤労生活の質」「余暇」「所得・消費」「物的環境」「犯罪と法の執行」「家族」「コミュニティ生活の質」「階層と社会移動」社会目標分野の下に 27 の主構成要素、78 の副構成要素、155 の細構成要素、261 の指標をブレイクダウンしている。

【指標 261】※時系列指標は 1960 年水準を 100 と

する。

主構成要素についてはおおむね変更なし。副構成要素については 3 つを新設し、1つを削除。エネルギー、資源問題がますます困難さを加え生活の動向にも大きな影響を与えることから、「物的環境」分野に、「生活に必要なエネルギーや水が確保されていること」を新設。

「コミュニティ生活の質」の分野に「過密,過疎の状態にないこと」と「経済的基盤が安定していること」の 2 つを新設。一方「所得・消費」の分野の「高額所得者と平均所得との格差の縮小」は、「所得格差の縮小」と重複するため削除。

試算内容

① 8 つの生活領域別指標「健康」「環境と安全」「経済的安定」「家庭生活」「勤労生活」「学校生活」「地域・社会活動」「学習・文化活動」

【時系列指標 51、国際比較指標 33】②主観的意識指標 領域ではなく個別指標のみ

【各種世論調査の結果 11 指標】③ 6 つの関心領域別指標「国際化と生活」「情報化と生活」「高齢化と生活」「都市化と生活」「国民生活と格差」「家庭・社会の病理」

【指標 53】※生活領域別に国際比較指標も作成。時

系列指標は 1980 年水準を 100 とする。

① 8 つの活動領域指標「住む」「費やす」「働く」「育てる」「癒す」「遊ぶ」「学ぶ」「交わる」

② 4 つの生活評価軸指標「安全・安心」「公正」「自由」「快適」

※①②について、それぞれ時系列指標と都道府県別指標を作成。時系列指標は1980 年水準を 100 とする。

【時系列指標 170、地域別指標 139】

① 10 の生活の側面別指標「住まい」「交通」「仕事」「所得・消費」「貯蓄・資産」「健康・家族」「教育」「余暇・休暇」「医療・福祉」「生活環境」

②男女別及び年齢階級 3 区分(10・20代、30・40 代、50・60 代の 3 区分)別指標

試算方法

年々の消費をフロー量として計測し、一つの社会指標を構成する。

(ただし、その計算方法は煩雑な上 GNP との差異が少なく、その後この指標はあまり定着せず)

①個別指標は基準年を 100 として指数化

②多段階単純平均細構成要素、副構成要素、主構成要素へと各段階ごとに単純平均し、10 の社会目標分野に集約

試算方法

①個別指標の標準化時系列試算 : 変化率標準化で標準化指数を作成国際比較指標 : 偏差値方式で標準化指数を作成

②領域別総合化領域ごとに標準化指数を単純平均

①個別指標の標準化時系列指標 : 変化率標準化で標準化指数を作成都道府県別指標 : 偏差値方式で標準化指数を作成

②活動領域別総合化領域ごとに標準化指数を単純平均

③生活評価軸別総合化各評価軸内の活動領域ごとに標準化指数を単純平均し、さらにそれぞれをウェイト付けして加重平均

①都道府県の様々な統計指標を集め、アンケートから得られた都道府県民の生活満足度との関係の強さに応じたウェイトを与えて指標を算出

②生活を 10 の側面に分け側面別の指標を作成、①の生活全体の満足度との関係を分析し総合指標を算出

策定経緯

1973 年 経済審議会 NNW 開発委員会において経済社会基本計画策定作業の一環としてとり上げられ「NNW 開発委員会報告 - 新しい福祉指標 NNW」の中で発表

1970 年  社会福祉指標研究会で検討1971 年  国民生活審議会調査部会で検討1974 年  社会指標(SI)公表開始

1977 年 10 月 国民生活審議会生活の質委員会で検討

策定経緯

1984 年  第 10 次国民生活審議会で検討1986 年  国民生活指標(NSI)公表開始

1990 年 豊かさ測定研究会(生活局長私的研究会)で検討

1991 年  第 13 次国民生活審議会で検討1992 年 新国民生活指標(PLI)公表開始

1996 年 試行的に算出1997 年 外部に公表

作成:国民生活審議会 第3回総合企画部会(平成 14 年 10 月 18 日) 資料 4 をもとに三菱総合研究所が加筆し作成

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42 研究ノート Research Note

5.「幸せ」議論への注目

5.1 「幸せ」に対する研究・政策アプローチ 豊かさと類似の概念として「幸せ」がある。「幸せ」と「豊かさ」の関係を象徴的に示す

ものに「幸せはお金では買えない」という言葉がある。幸せは経済的な豊かさでは代替することができない尊いものという認識はかなり共通のものであろう。

この幸せについていくつかのアプローチで研究が進んでいる。その一つとして脳科学の側面からの研究がある。人間が幸せを感じる際に脳はどのような変化が起きているのかというものである。幸せ感を抱く際にはドーパミンが分泌されるということはこの分野の成果である。これは幸せを自然科学の側面から解明しようとするもので客観的なアプローチである。

一方で、人の総合的な感情の表れとしての幸せ感を当人の主観をもとに把握し、経済学や心理学、社会学、政治学などから得られた研究成果と統合していこうとするアプローチもある。具体的には幸せの度合いを直接聞き取りサンプルの平均値をとることにより数値化するという手法が採られている。この分野の近年の代表的な文献としてスイスの経済学者のBruno S. Frey(2002)らが‘Happiness and Economics’を物している。これは 80 年代末の豊かさ論の中で『豊かさのゆくえ- 21 世紀の日本』というベストセラーを物した佐和隆光が監訳し『幸福の政治経済学-人々の幸せを促進するものは何か』として 2005 年に出版されている。このなかで Frey らは、経済の状態は人々の幸福に強い影響を及ぼしている。しかし、長期的に見て経済以上に重要なのは、政治体制が幸福の追求を促進するか阻害するかという点である。特に主観的幸福に対して「政治的な分権化」と「市民による政治参加の可能性」という二つの制度が決定的な影響を与える、としている。この他、筒井義郎(2004)らのグループでも行動経済学の観点から研究がなされている。これは現在も 21 世紀 COEプログラムにおいて研究が継続中のものであり、例えば大規模アンケートにより幸福度がどのような変数で決まっているのかについての研究などが行われている。これらは従来捉えどころのなかった「幸福」という概念を社会科学の研究対象として捉え直し、「政策」の俎上に上げて議論する可能性を開くものと言える。

また、より政策に近い動きとして 2005 年 10 月に日本の外務省と日本ブータン友好協会の共催により「ブータンと国民総幸福量(GNH)に関する東京シンポジウム 2005」が開催された。GNH とは、1970 年代に即位した現ワンチュク国王が国民総生産に変わる概念としてブータンの国づくりの目標として提唱したものであり、あくまで開発は人のために国民中心で行われるべきであり、また平等、均等であるべき、という考え方を持っている。このようなシンポジウムを外務省が開催したのも、我が国において GDP に代表される経済成長至上主義に疑問を持ちつつ、幸せという概念を政策や諸活動に取り入れることについて関心が高まっている証左と言えよう。さらに朝日新聞では 2005 年春に「幸せ大国をめざして」と題する特集を連載している。

以上に見られるように、戦後の高度成長の反動として生まれた豊かさ論とその定量化の限界を超え、幸せという概念について、学術研究対象や政策課題の検討対象として注目されるに至った。

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43「豊かさ論」の変遷 ~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期~

5.2 「幸せ」と「豊かさ」の関係 ここで、これまで経緯を見てきた「豊かさ」と近年注目されつつある「幸せ」の関係につ

いて考察したい。「幸せはお金では買えない」という言葉は先に記した。これは逆説的には幸せ以外の大抵のものは「お金で買える」のであり、豊かさもお金で買えると考えられる。お金は典型的な価値基準であり、お金で買える豊かさは物の豊かさ、あるいは一部の時間の豊かさになろう。しかし、「国民生活に関する世論調査」(総務省)に物の豊かさの対立概念として心の豊かさを選択肢として設定した設問がある。この場合の心の豊かさにはお金で買えるものという要素はあまり含まれていないように思われる。言い換えると、豊かさという中にも物・時間・心などの要素があり、物や時間の豊かさは金銭的価値に置き換えができるが、心の豊かさは幸せとも概念的に近く、金銭的な価値には置き換えられないものといえよう。

一方で、「衣食足りて礼節を知る」という言葉もある。物の豊かさが充足されてこそ、道徳心などが養われる、とされている例である。マズローが欲求段階説で述べているように、物の豊かさは、豊かさの基盤となる価値であることも確かであり、幸せを実現、あるいは実感するにあたって最低限度の豊かさ、たとえば衣食住が揃っていること、などは必要なことと思われる。

また、幸せには「共通価値にもとづく幸せ感」と「固有価値にもとづく幸せ感」があると思われる。前者は過去との比較や他者との比較などで人々が共通する価値観に照らして感じる幸せであり、電化製品の購入や昇給など目に見える(客観性のある)豊かさが向上した際に感じる幸せ感である。これは、皆が共通して幸せと感じるものの、一過性でありその状態が続くと慣れてしまい、幸せ感は減衰する。後者は各人の価値尺度により生まれてくる感情であり、皆が幸せと感じるわけではないが、一度(主観的に)感じると減衰するものではない。

このように幸せと豊かさは人間の感情の中で相互に密接に関わっており、どちらかというと豊かさが表面的、幸せが内面的な性格を持っているように思われる。これらの点については、当社の政策創発研究の本論で十分に議論・提案しているものであり、ここではこの関係性があることを確認するにとどめる。

6.おわりに今回のレビューによって、暗黙のうちに国民共通の目標であり政策目標とされてきた「豊

かさ」について、戦後の社会経済環境変化の中で問い直しが必要との議論や定量化の限界などが見られたことがわかった。さらに豊かさの方向性が見失われつつある中で、類似の概念として「幸せ」がクローズアップされるに至っていることも指摘した。「幸せ」は「豊かさ」とともに共通的な価値観であるとともに、個人の価値観に左右される面もあり研究対象として困難な面が多い。また、近年豊かさと類似の議論として取り上げられつつある、としたが、幸せ自体はアリストテレスやエピクロスなど古代ギリシャ時代から哲学者・思想家が取り組んできた問題で、豊かさよりも深いテーマである。

とはいえ豊かさに代わる国民、政府、企業の目標としての幸せについては、今日的な問題意識をもって各方面からの研究・議論の展開が待たれるところである。特に、政府や自治体では国民、住民の「幸せ」を目標においた政策展開を本気で考える必要があろう。その際に

Page 15: 「豊かさ論」の変遷 - mri.co.jp · 30 研究ノート Research Note 研究ノート 「豊かさ論」の変遷 ~豊かさ追求から幸せ追求への過渡期~ 渋谷

44 研究ノート Research Note

は、豊かさ論での限界が見えた客観指標での定量化を繰り返すのではなく、筒井らが試みるように主観を重視した新たな定量化アプローチにも期待がかかるところである。

さらに、我々国民に求められているのは、幸せを実感するための固有の価値観の確立が重要になろう。この点は、哲学、倫理学、宗教、教育等とも関わるところであると思われる。本稿ではそこまでの議論をカバーするには至らなかったが、今こそ過去の膨大な思想研究と今後の政策展開をつきあわせて考える時代に来ているように思われる。

  

参考文献[1] 筒井義郎,大竹文雄,池田新介:『なぜあなたは不幸なのか』「ISER Discussion Paper」

No. 630(2005). http://www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2005/DP0630.pdf

[2] Bruno S.Frey,Alois Stuzer,佐和隆光監訳,沢崎冬日訳『幸福の政治経済学―人々の幸せを促進するものは何か』, ダイヤモンド社(2005).

[3] 暉峻淑子:『豊かさとは何か』, 岩波書店(1989).[4] 宇沢弘文:『「豊かな社会」の貧しさ』, 岩波書店(1989).[5] 佐和隆光:『豊かさのゆくえ- 21 世紀の日本』, 岩波書店(1990).[6] 神野直彦:『地域再生の経済学-豊かさを問い直す』, 中央公論新社(2002).[7] 暉峻淑子:『豊かさの条件』, 岩波書店(2003).