van gogh japan - takii©van gogh museum,amsterdam(vincent van gogh foundation)...

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Van Gogh & Japan 15 2018.02 6 1 20 「ポプラ林の中の二人」 (1890年) 日本初公開。晩年のオ ーヴェール時代に描い た作品。この時代は極 端に横長の構図を好ん で描いた。 シンシナティ美術館蔵 (メアリー・E・ジョ ンストン遺贈) 「夾 きょう ちく とう と本のある静物」(1888年) 日本初公開の作品。南仏の町でよく目にするのが夾竹桃。ゴッホはア ルルの家の門前に樽植えにして2本を植えようと考えていた。 メトロポリタン美術館蔵(ジョン・L・ローブ夫妻寄贈) ©The Metropolitan Museum of Art.Image source:Art Resource,NY 「蝶とけし」(1889年) サン・レミ、オーヴェールで過ごした晩年、ゴッホは草花や昆虫、木 の枝など小さな自然のモチーフをクローズアップして描くようになる。 どことなく日本の花鳥画の雰囲気。 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 ©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation) 「アイリスの咲くアルル風景」(1888年) 「黄色とスミレ色の花が一面に咲いた野原に取り囲まれた小さな町、まるで 日本の夢のようだ」とテオとの書簡に書き残したゴッホが描いた作品。 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 ©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

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Page 1: Van Gogh Japan - TAKII©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation) 活はわずかャンとの共同生活です。 しかし、この生それを実現しようとしたのが画家ゴーギが独自に築いた日本のイメージの一つで、て質の高い作品を描くというのもゴッホちが共同生活をし、お互いに切磋琢磨しすばらしい理想郷だったのです。

Van Gogh & Japan

152018.02

 

1880年代のパリはジャポニスム(日本趣味)の最盛期でし

た。多くの画家がジャポニスム、特に浮世絵に大きな影響を受け

たことがよく知られています。中でも日本に憧れ、多くの作品を

描いたのがフィンセント・ファン・ゴッホです。そんなゴッホと

日本のつながりに焦点を当て、6年間もの準備期間を経て公開さ

れるのが「ゴッホ展 

巡りゆく日本の夢」です。昨年の札幌、東

京に続き、1月20日からは京都で開催されています。

 

ゴッホはフランスのアルル在住時代に花や樹木など、身近な植

物をモチーフに多くの作品を描いています。園芸愛好家の目線か

ら見る今回のゴッホ展はさらに興味深く感じられるはずです。没

後、ゴッホに憧れる多くの日本人、画家や小説家などがゴッホの

墓地を巡礼しています。そして、2015年、ゴッホ美術館とタ

キイ種苗がパートナーシップ協定を結び、さらに新しい絆が生ま

れました。ゴッホが見た「日本の夢」、その夢が紡ぐ巡り会いの

軌跡をぜひご覧になってください。(編集室)

「ゴッホ展

巡りゆく日本の夢」がおもしろい!

日本を夢見たゴッホ、ゴッホに憧れた日本、

そして新たにゴッホと日本の園芸愛好家の絆き

ずな

が生まれる

「ポプラ林の中の二人」(1890年)日本初公開。晩年のオーヴェール時代に描いた作品。この時代は極端に横長の構図を好んで描いた。シンシナティ美術館蔵(メアリー・E・ジョンストン遺贈)

「夾きょう

竹ちく

桃とう

と本のある静物」(1888年)日本初公開の作品。南仏の町でよく目にするのが夾竹桃。ゴッホはアルルの家の門前に樽植えにして2本を植えようと考えていた。メトロポリタン美術館蔵(ジョン・L・ローブ夫妻寄贈)©The Metropolitan Museum of Art.Image source:Art Resource,NY

「蝶とけし」(1889年)サン・レミ、オーヴェールで過ごした晩年、ゴッホは草花や昆虫、木の枝など小さな自然のモチーフをクローズアップして描くようになる。どことなく日本の花鳥画の雰囲気。ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

「アイリスの咲くアルル風景」(1888年)「黄色とスミレ色の花が一面に咲いた野原に取り囲まれた小さな町、まるで日本の夢のようだ」とテオとの書簡に書き残したゴッホが描いた作品。ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

Page 2: Van Gogh Japan - TAKII©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation) 活はわずかャンとの共同生活です。 しかし、この生それを実現しようとしたのが画家ゴーギが独自に築いた日本のイメージの一つで、て質の高い作品を描くというのもゴッホちが共同生活をし、お互いに切磋琢磨しすばらしい理想郷だったのです。

Data

16 2018.02

 

1853年、オランダに生まれたゴッ

ホは27歳の時に画家になる決心を固めま

す。1886年、33歳の時、パリにやっ

てきたゴッホは当時最盛期だったジャポ

ニスムに出合います。中でもゴッホを強

くひきつけたのが浮世絵でした。画商ビ

ングの店で大量の浮世絵を研究し、その

鮮やかな色彩や作品としての質の高さに

魅せられたゴッホは、当時はまだ安価だ

った浮世絵を集め、展覧会を開くほど夢

中になりました。パリでは印象派の影響

を受けて、オランダ時代の暗い色彩を捨

て明るい印象派風の作品を描くようにな

っていたゴッホですが、浮世絵との出合

いはさらにゴッホの作風を大きく変えて

いきます。平坦で鮮やかな色彩を使った

画風、さらには背景に浮世絵そのものを

取り入れた作品なども多数描いています。

 

今回のゴッホ展では、ゴッホの作品だ

けでなく、オリジナルの浮世絵の版画も

展示することで、その対比が分かりやす

くなっているのが特徴です。オリジナル

にはない強烈な原色の対比を用いたり、

背景に浮世絵の中のモチーフをコラージ

ュしたり。「ああ、ゴッホが描くと浮世

絵はこうなるのか」と思わず感嘆してし

まうほどです。

 

1888年2月、日本への夢を胸に大

(ゴッホから弟テオへの書簡から)

彼らの仕事は息をするのと同じくらい簡単で狂いのない

2、3本の線で同じように楽々と人物を描いてしまう。

まるでチョッキのボタンをとめるのと同じくらい簡単だというようだ

「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」京都展

■会場:京都国立近代美術館 〒 606 - 8344 京都市左京区岡崎円勝寺町■会期:2018年1月20日(土)〜3月4日(日)■開館時間:9:30〜17:00 ※金曜、土曜は20:00まで■休館日:月曜(2月12日を除く)、2月13日(火)■主催:京都国立近代美術館、NHK京都放送局、 NHKプラネット近畿、京都新聞■協賛:タキイ種苗、損保ジャパン日本興亜■観覧料:一般1500円、大学生1100円、高校生600円 ※中学生以下は無料。(前売りは各料金200円引き)■お問い合わせ: 075 - 761- 4111■会場ホームページ http://www.momak.go.jp

溪斎英泉による「雲うん

龍りゅう

打うち

掛かけ

の花魁」(1820〜1830年代)。「パリ・イリュストレ」誌の日本特集号の表紙に使われた作品。千葉市美術館蔵(京都展では及川茂コレクション蔵作品を展示)

ゴッホが描いた「花おい

魁らん

(溪斎英泉による)」(1887年)溪斎英泉の作品(写真右)を元に描かれているが、カエルやツル、スイレンなども浮世絵にあるモチーフ。ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

きく膨らませてゴッホは南仏へと向かい、

プロヴァンスのアルルに落ち着きます。

ゴッホがアルルに到着してまず目にした

のは一面の雪景色で、その時の様子を画

商をしていた弟テオへの書簡で「まるで

もう日本人の画家たちが描いた冬景色の

ようだ」と記しています。ゴッホの中で

どうしてそんなに日本への夢が大きくな

ったのか。多くの浮世絵に触れ、また、

日本に関する刊行物などからも知識を得

ていたようですが、中でもピエール・ロ

ティの異国趣味小説「お菊さん」には大

きな関心を寄せていたそうです。そして

独自の、そして強固な「日本のイメージ」

を築き上げたゴッホ。彼の中では日本は

すばらしい理想郷だったのです。画家た

ちが共同生活をし、お互いに切磋琢磨し

て質の高い作品を描くというのもゴッホ

が独自に築いた日本のイメージの一つで、

それを実現しようとしたのが画家ゴーギ

ャンとの共同生活です。しかし、この生

活はわずか2カ月で破は

綻たん

。精神を病んだ

ゴッホはアルル北東の小さな町、サン・

レミにある療養所に入ります。この療養

所で約1年暮らしますが、「日本の夢」

からは遠ざかってしまったものの、ここ

でもゴッホは多くの作品を描いています。

 

アルルとサン・レミでの暮らしはわず

か2年ほどでしたが、この間にゴッホは

花や樹木、森や田園風景など、身近な自

然をモチーフに多くの作品を描いていま

す。ヒマワリやアイリス、オリーブ、糸

杉、アーモンドの花、キョウチクトウな

ど、いずれも南仏を代表する植物で、ゴ

ッホのすぐ身近にあったものばかりです。

日本の浮世絵の技法を取り入れたゴッホ

の描く植物は、どこか懐かしく、いつま

でも絵の前から立ち去りたくないような

気持ちになります。ゴッホが抱いた「日

本の夢」、その熱い思いをぜひ感じ取っ

てみてください。

ゴッホ展特別WEBサイト http://gogh-japan.jp

Page 3: Van Gogh Japan - TAKII©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation) 活はわずかャンとの共同生活です。 しかし、この生それを実現しようとしたのが画家ゴーギが独自に築いた日本のイメージの一つで、て質の高い作品を描くというのもゴッホちが共同生活をし、お互いに切磋琢磨しすばらしい理想郷だったのです。

172018.02

「芳名録Ⅰ:初編」(1922年3月9日〜12月17日署名分)1922年3月9日に画家の黒田重

じゅう太た

郎ろう

の署名(右)がある。国立ギメ東洋美術館蔵Photo: ©RMN-Grand Palais(Musée Guimet,Paris)/Thierry Ollivier/distributed by AMF-DNPartcom

 

1890年5月、37歳のゴッホは、精神

を病んだままパリ郊外のオーヴェールに移

ります。治療は続けていたものの、回復に

は至らず、7月に銃弾を受けて負傷し、2

日後に弟のテオに看取られて永眠します。

ピストル自殺ともいわれていますが真相は

分からず……。

 

ゴッホの死から間もない時期に、日本で

はその作品や生涯を熱心に紹介したのが小

説家の武む

者しゃの

小こう

路じ

実さね

篤あつ

や画家の斎藤与よ

里り

、岸

田劉り

ゅう

生せい

、美術史家の児島喜久雄ら「白樺派」

及びその周辺の人たちでした。熱狂の渦は

徐々に広がり、大正から昭和初期にかけて、

少なからぬ日本人がゴッホが眠る墓地があ

るオーヴェールへ赴きます。その足跡は芳

名録としてゴッホの最後を看取った医師、

ポール・フェルディナン・ガシェの家に残

されています。ガシェは1909年に亡く

なりましたが、彼の家にはゴッホの作品が

多く残され、家族によって大切に守られて

いたそうです。

(斎藤茂吉)

一向に澄みとほりたるたましひの

ゴオホが寝たる床を見にけり 

今回のゴッホ

展では、日本初

公開となるその

「芳名録」も展

示されています。

時代も国境も越

えたゴッホと日

本を巡る夢、そ

の変遷が芳名録

にしっかりと残されています。

 

さて、今回のゴッホ展は、オランダ・ア

ムステルダムのファン・ゴッホ美術館との

初めての国際共同プロジェクトで、京都で

の開催終了後、ファン・ゴッホ美術館でも

開催されます。「ゴッホと日本」をコンセ

プトに日本で企画を立ち上げたのが6年前

のこと。それから日本、アムステルダム双

方の監修者、学芸員が作品選定を行い、共

に出品交渉を行ってきたそうです。15ペー

ジで紹介した「ポプラ林の中の二人」「夾

竹桃と本のある静物」のほか、「雪景色」

「タラスコンの乗合馬車」など日本初公開

の作品も多く、また貴重な資料や浮世絵作

品も集まり、非常に見応えのある展示にな

っています。ゴッホが夢見た日本||その

熱い思いは、作品を直に鑑賞するとひしひ

しと伝わってきます。その感動をぜひじっ

くりと味わってください。

 

日本を夢見たゴッホ、そしてゴッホに憧

れた日本。その巡りゆく軌跡に2015年、

新たな出会いが刻まれました。ゴッホ没後

125年に当たるその年、アムステルダム

のゴッホ美術館では新しいエントランスホ

ールを建設。9月に行われたオープニング

イベントでは、ヒマワリの巨大迷路がつく

られました。この迷路を作るにあたり、ゴ

ッホ美術館が選んだのがタキイ種苗のヒマ

ワリʻ

F1サンリッチ オレンジʼ

です。ゴッ

ホ美術館からの申し出を受け、タキイはタ

ネを提供し、オランダで生産された12万5

千本ものヒマワリが巨大迷路を華やかに演

出しました。これを機に、ゴッホ美術館と

タキイ種苗はパートナーシップ協定を結び、

ゴッホ美術館のさまざまな活動をサポート

しています。ゴッホがまいた「日本の夢」

というタネは長い時間を経て、再びゴッホ

と日本を結んで花開いたのです。

 

東京展開催の初日、ゴッホの末裔でフィ

ンセント・ファン・ゴッホ財団の理事長を

務めるフィンセント・ウィレム・ファン・

ゴッホさんにお話を伺う機会をいただきま

した。園芸愛好家である読者の皆様へのメ

ッセージをいただきましたので、ぜひお読

みください。とても楽しいお話です!

ゴッホ美術館とタキイはパートナーシップ協定を締結。

ゴッホと園芸愛好家の絆をさらに深めます!

前田寬治による「ゴッホの墓」(1923年)ゴッホの墓を訪ねた洋画家、前田寬治は「自分は今急激にゴッホの狂気を感受したまま何時まで経っても覚めることができないではなかろうか」と記している。個人蔵(鳥取県立博物館寄託)

「オリーヴ園」(1889年)サン・レミの療養所で描いた作品。うねるような幹の力強い筆致が見るものを引きつける。クレラー=ミュラー美術館蔵©Kro● ● ller-Mu● ● ller Museum,Otterlo

ゴッホが描いたオリーブの木は、サン・レミの療養所で現在も見ることができる。

サン・レミの療養所でゴッホが部屋から見ていたであろう景色。

※p.15〜18で紹介した作品の一部は、京都展では展示されないものもあります。また、会期中に一部の作品は展示替えを行います。

Page 4: Van Gogh Japan - TAKII©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation) 活はわずかャンとの共同生活です。 しかし、この生それを実現しようとしたのが画家ゴーギが独自に築いた日本のイメージの一つで、て質の高い作品を描くというのもゴッホちが共同生活をし、お互いに切磋琢磨しすばらしい理想郷だったのです。

18 2018.02

特別絵袋種子F₁サンリッチRソレイユミュージアム

‘F1サンリッチ’の中でも人気の 4色(オレンジ、レモン、フレッシュオレンジ、フレッシュレモン)のミックス。個性豊かな華やかさが楽しめる。

申込番号 822-018-01 1袋(約20粒)324円

※�混合種子は品種により発芽や初期生育に差が出ることがあり、生育の早いもの、旺盛なもののみを育てると、花色が偏る場合があります。

アルル郊外には壮大なヒマワリ畑がいくつもあるが、じつはゴッホがアルルで暮らした時期にはまだこの畑はなかったそう。「ゴッホが描いたのは庭で咲いていた、皆様にとってもごく身近なヒマワリだったんですよ」とウィレムさん。

あなただけのヒマワリを咲かせてみませんか?

 「ヒマワリ」の絵は有名な画家フィンセント・ファン・ゴッホの象徴的作品です。彼が描いた5枚のヒマワリは、世界各地の美術館にあり、3番目に描かれた作品は東京の美術館に、5番目はアムステルダムのゴッホ美術館に所蔵されています。ゴッホは、ヒマワリを絵画の対象とした世界で初めての画家といわれています。「私の祖父はこれを非常に誇りとし、ヒマワリの絵は居間のソファの側の壁上にいつも飾られていました。」と、ゴッホの弟テオを曽祖父に持ち、フィンセント・ファン・ゴッホ財団の理事長でもあるウィレム氏は語っています。 2015年にゴッホ美術館はゴッホの没後 125 周年を記念し、アムステルダム市民や観光客と共にゴッホを追悼するイベントとしてヒマワリの巨大迷路をタキイ種苗とつくりました。迷路に使用するヒマワリをどう調達するか、美術館がオランダの花卉市場で調べたところタキイ種苗を推薦され、タキイがヒマワリの花を提供したことがきっかけでタキイ種苗とゴッホ美術館はパートナーシップ協定を結びイベントを共に開催することとなりました。 イベントに用意されたヒマワリʻF₁サンリッチオレンジʼを見て、「愛らしいうえに、とても丈夫な花であることに驚きました。イベント最終日に来場者がヒマワリを持ち帰れるようにしたところ、皆がヒマワリを抱え大喜びしていました。その様子はʻアムステルダムの中心部が黄色に染まったʼといわれたほどです。」とウィレム氏は当時のことを思い出してくれました。 「日本の園芸愛好家の皆様へ。今回の展覧会で、ゴッホにさらに親しみを感じていただけたらとてもうれしく思います。これからタキイ種苗とアイデアを出し合い、日本の園芸愛好家の皆様を幸せにするプロジェクトを実現していけたらと願っています。」

アムステルダムのゴッホ美術館のエントランスホールに作られたヒマワリの巨大迷路。使用したʻF1サンリッチ オレンジʼは12万5千本!

ヒマワリの巨大迷路には多くの来場者が訪れ、その美しさを堪能。最終日のヒマワリを持ち帰れる企画はとても喜ばれた。

「ひまわり」(1889年)「ヒマワリの画家になりたい」といっていたゴッホは花瓶に挿したヒマワリという構図で7点を描いたといわれている。ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)※今回のゴッホ展では展示されません。

このインタビューは東京都美術館での「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」の会期初日2017年10月24日に行われました。

「種まく人」(1888年)アルルで制作。木の幹を拡大して描くという大胆な描写は浮世絵の手法から学んだもの。タネをまくことは園芸愛好家にとってごく基本的で非常に親しい作業。ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵©Van Gogh Museum,Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

ヒマワリʻF1サンリッチʼは世界で初めての切り花向けに開発された品種です。サイズが小ぶりで花粉が少ないので花もちもよく、花束やアレンジで扱いやすいことから今では世界中で愛されています。また、草丈が低く、小さめの愛らしい花が咲くʻF1グッドスマイルʼも庭で栽培しやすいヒマワリです。ぜひご自身で栽培し、ゴッホのように絵にしたり、写真を撮って自分だけのオリジナル作品を楽しんでください。

ひまわり F₁グッドスマイルR種まく人 栽培セット

ゴッホの描いた「種まく人」をあしらったオリジナル箱に手軽で簡単に育てられる矮性ヒマワリ‘F1グッドスマイル’の栽培キット一式をセットにした今回限りの特別商品。●オリジナル箱、グッドスマイルのタネ(約 7 粒)、12㎝プラ鉢、オリジナル鉢、培養土、不織布(鉢底用)、栽培説明書

申込番号 822-018-02

1セット 1,200円/3セット 2,880円

Message日本の園芸愛好家の皆様へ

(フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ氏インタビューより)

※イメージ

ゴッホ美術館パートナーシップ特別記念

6月中旬~10月 4~7月 25℃タネ 8/10 1/中〜8/下ひまわり(キク科)