perception and causality

20
九州大学学術情報リポジトリ Kyushu University Institutional Repository Perception and Causality 広川, 明 https://doi.org/10.15017/1397839 出版情報:哲学論文集. 23, pp.67-85, 1987-09-20. The Kyushu-daigaku Tetsugakukai バージョン: 権利関係:

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Page 1: Perception and Causality

九州大学学術情報リポジトリKyushu University Institutional Repository

Perception and Causality

広川, 明

https://doi.org/10.15017/1397839

出版情報:哲学論文集. 23, pp.67-85, 1987-09-20. The Kyushu-daigaku Tetsugakukaiバージョン:権利関係:

Page 2: Perception and Causality

知覚

は物

理的世

を知

る基本

的様式

であ

る。知

を通

して初

て、自

を取

り巻

く物理

的世

の交

も可能

る。

の時、次

のよう

な問

が当然

てくる

であ

ろう。

った

い、

の交

を可能

にする

のは何

のであ

ろう

か、

と。

こで登

てく

るのが因

であ

ると私

は考

いる。物

理的

世界

から知覚

に至

る因果

連関

こそ知覚

を知

たら

めて

いる基本

ではな

ろう

か。

かしな

ら同

に、知

は世界

の諸

事物

を識

し、

それ

が何

であ

のか知

こと

でもあ

る。

そう

でな

ければ

われ

われ

一刻

りと

も日

々の生

活を営

とは

できな

い。

だが

それ

ならば

、知

いて、事物

が知

を生

ぜし

ると

いう

こと

を認識

し、把

るこ

と、

なわ

ち因

果的契

と志向

的契

どんな

関係

にあ

のだ

ろう

か。

両者

は、多

の人

々が主

るよう

に、本

来相

いも

のな

のだ

ろう

か。本

稿

いて

この問題

に接

近し

みた

いと思

う。

知覚と因果性

Page 3: Perception and Causality

知識

いか

にし

て獲

され

のかと

いう

こと

に関

て、

世以来

の認識論

はひ

つの枠

を持

って

いたよ

に思わ

れる

なわ

ち、知

の究極

の前

を感覚

体験

に置

き、

によ

って、他

の諸知識

を根

づけ

よう

とす

のが

の狙

いであ

った

であ

る。

いう

のも

、感覚

は意

に直接

えら

た所

であ

り、

んな疑

いを差

し挾

む余地

なく知

るこ

とが

でき

ると

られ

たから

であ

った。

このよう

な、

いわ

「意

識内在

主義

には、基本

に言

って、

つの立場

が考

られ

であ

う。

つは

、ジ

ョン

ロックを代表

とす

る二元論

であ

るが、

れは克

し難

い困難

を孕

いる。

つま

り、

ロックは

一方

で意識

の直

接所

に知

の出発点

を求

めな

がら、

他方

は外的

対象

の存在

や性質

ついて語

る、

いう不整

に陥

らざ

るを

えな

った

のであ

る。

方、

一元

論的

な現象

主義

にも困難

つきま

とう。

現象

主義

は、物

的事

を感覚与

の集

によ

って定

しよ

とす

るが、

の定

は、次

に論

るよう

に、

循環

を犯

こと

にな

のであ

る。

いず

の立場

も、

内在

主義

を受

け入

れ、感

覚与

を前

とし

て他

の知識

を根

づけう

と考

えて

いる点

では同

であ

る。

たし

てこ

のよう

な根拠

けはう

まく

のであ

ろう

か。

の点

を考

みた

い。

(1)

まず

、感

覚与

いか

にして同

され、

り出

され

るか、

の手続

を検討

みた

い。

今、

の目

の前

マトが

 

つあ

って、

が感覚

与件

の記

を与

える

ため、

「そ

こにト

マトが

つあ

よう

に見

える」と言

ったと

しよう

の手

の基

本的構

は、

「これは

φ

に見

る」

( 

)

から

「φ

ー感覚

与件

ある

( 

)

が導出

れる

こと

にあ

る。

すな

わち、

「に見

える」

( 

)が現在

の感

覚体

と同定

され

いる

のであ

る。

かし、

われ

われ

「に見

る」

いう

こと

で本当

に自

の感覚

体験

を記

いる

であ

ろう

か。

えば、

はる

か遠

の対象

いる時

Page 4: Perception and Causality

や、夕

で対

を見

いる時

「あ

はφ

に見

る」

と言

った

とする

と、

これは

むし

ろ、観

察条

の悪

を考慮

て、対

 き

  

ついて

の断

定的

を控

えた

でそう

って

いると解

べき

ではな

ろう

か。

つま

り、

通常

は、

「に見

える」が感

覚体

のた

に用

いら

ことは

った

にな

い。従

って、

覚与

を常

に同定

でき

ると

いう想

は誤

であ

る。

(ⅱ)

に今

、感

覚与

の同

が行

れた

しよう

の時、

「あ

はト

マト

に見

る」と

いう感

体験

の記

が、

マトが

いる状

に対

る唯一

の証

であ

る、

と言

かも

しれ

い。

かし

の言

はト

マト

があ

いう物

理的状

と記述

を同

にす

る以上

、何

の役

にも立

たな

い。

むし

の場

合、

証拠

める

こと自

が無意

であ

る。

一般

に、

ハ  

る知

覚言

に証

を求

こと

に意

るか

どう

かは、

の言

がな

され

る知覚

に依存

と 、言わねば

らな

い。

ってもし、そ

のト

マトが陳列

に飾

られ

ており、本物

かどうか疑わ

い場合

には、「それはト

マトだ」という言明

に対し、例えば、「私

は先程

に触

ってみた

のだ」と

いう証

の言

明を与え

ることが

できようが、このことは

ノー

マルな知覚状

況では当

てはまらな

い。

(ⅱ)

さて、

現象

主義

にお

いて、

理的

事物

を感

覚与

の集

して定

する

めに

は、当

然、

感覚

与件

は物

的事物

とは

に同定

され

なけ

れば

らな

い。

ころ

が、感

覚与

の厳

で忠実

記述

を得

うと

るな

ら、

どう

ても

「ト

マト」

よう

な、物

的事

の概念

を使

せざ

るを

えな

い。従

って、

現象

主義

の行

う定

は、置

き換

えよう

る当

のも

のを前

ぞ 

にし

て感覚

与件

同定

る、

いう循

を犯

こと

にな

ってし

まう

であ

る。

このよ

うな

困難

は、

うま

もな

く、内

主義

な知

の見方

に由

る。従

って、

こでわ

われ

は、知

の根拠

いう

認識

論的

動機

のも

のの放

を迫

られ

いる

であ

る。内

在主

の前提

に支

いる

り、恐

らく

一歩

も前

きな

こと

であ

ろう。

は、内

在主

義的

知識

の見

を放

する

とし

ら、

こに探究

の出発

を見出

らよ

いのか。求

められ

いる

のは、

やそ

れ以上

えな

い地点

示し、

にわ

れわ

の知

の基

を置

こと

であ

ろう。

意識

の直

接所

ら出発

て、

験的

知識

を基

づけ

いう試

みが

を断

たれ

いる以

上、

理的事

ついて

の諸

命題

のう

に知

の基

を見

Page 5: Perception and Causality

ではな

いか。

もち

ろん

の時

には、物

的事

いて

の諸命

正当化

ような

、感

覚体

いての直接

なる

はもは

や存

しな

い。

反対

にわ

われ

は、物

理的

事物

のも

のを

「直

に」

( 

)

して

いる

である。

このよ

うな

見地

に立

てば

、知

の問題

の意義

また変

てく

ことと

なろ

う。知

もは

や、知

の根拠

る諸

命題

を与

える場

とし

て位

けら

れる

べきで

はな

い。

われ

われ

むし

ろ、事

物世

を知

る基本

的様

いう意

で、知

を知識

の中

に位置

べきだ

と思

われ

る。

われ

れは、

意識

内在

主義

の批判

を通

て、

物理

的事

の直

接知

を説

「直

接実

論」

( 

)

に到達

た。

「常

的実

在論

とも

呼び

この説

は、

日常

な知覚

の概

のうち

ら前

論的

な了

を取

り出

て明

らか

にし

たも

り、

れわ

れは内

主義

の批

を介

て再び

、常

が信

る実在

の立

に立

ち戻

った

であ

る。

かし

なが

ら、

これ

では知覚

の説

て十

であ

とは言

い。日

常的

な知

の概念

を解

るた

には、

いるも

のが

る。

それ

がす

わち因

カテゴ

ーな

であ

る。物

理的

世界

の存

が、

われ

の知

的営

みが受容

 

 

 

 

 

をえ

い前

であ

とす

るな

ら、

の時、

れわ

の知覚

の成

り立

ちを明

にし

てく

れるも

のは因果

的説

いて

に存

しな

いので

はな

いだ

ろう

か。

(4)

このよう

な視

に立

って、私

H

・P

・グ

ライ

スが以

に発表

した論

文、

「知

の因果

の解

に向

いた

いと思

う。

の論

には、

内在

義的

な知

の枠内

で因果説

を展開

こと

にな

お固執

る面

も見

けら

れる

が、彼

の基本

的意

が、

が知覚

の成

にど

のよう

に関与

する

かを

示す

こと

にあ

った

のは疑

いがな

い。

の意

で、

ライ

の因果説

は従来

の因

とは異

り、

因果

の果

いる役割

際立

せる

のであ

った、

と言

こと

がで

きよ

う。

まず

は、

ライ

の議

Page 6: Perception and Causality

って

おき

い。

人物

Pが机

の上

の花

を見

いると言

ため

の条件

は何

であ

ろう

か。

E

・ゲ

ィア

に従

い、知

の正当

理論

の立

(五

ら、

の条

を次

の三

つにま

とめ

こと

がで

きよう

。(1)P

が花瓶

の視

体験

を持

って

いる

こと、

Pは花

の存在

を信

いる

こと、③

に机

の上

に花瓶

が存

こと、

この三

つであ

る。知

覚的

を正当

いう観点

から分

すれば

(6)

これ

つの条件

が満

いる時

にP

は花

を見

いる、

と結

れる

と思

う。

しな

がら、

これだ

の条件

では、

P

が花

を見

いる

とは言

いよ

うな状

が想

像可

のであ

る。

えば

熟練

した

生理学

にと

って、

P

の大

に電気

刺激

るこ

によ

って、彼

に花瓶

の視

覚体

を生

しめ

ことが

可能

あろう

(7>

また

、幻

覚剤

の服

によ

っても同

じ結果

期待

る。

の時

、前

の三

つの条件

満足

れて

いるこ

とは明

かで

ある。

ひと

つ別

の反例

を挙げ

てみ

よう。

Pが鏡

を見

てお

り、

の鏡

の背後

一本

の柱

が立

って

いる。当

のこと

なが

ら、柱

から

の光

P

の目

に届

かな

い。

ころ

が、全

じ外

の別

の柱

ら光

が鏡

に達

し、

Pは

の背後

にあ

る柱

を見

いるも

(8)

と思

い込ん

でし

まう

。花

の例

と同

よう

に、

今度

間違

いなく

の条

は満

され

いる。

かし

われ

われ

は、

の二

つの事例

にお

いて

Pが花

いは鏡

の後

の柱

を見

いたと

は言

いはず

であ

る。

なぜ言

わな

いのか。

の理由

は、

花瓶

も、

の背後

の柱

P

の視覚

「引

き起

こし

て」

いなか

った

から

であ

る。

つまり

これら

の対

P

の視覚

の間

は因

果連

は存在

しな

った。

このよ

な因果

的条

に訴

て、

れわ

れは、

P

は対象

を見

なか

った

のだ

と言

のであ

る。

みると、

対象

が視覚

を引

き起

こす

いう因

の契機

は、知

の概

のう

に本

質的

のと

て含

まれ

いる

ので

はな

いだろう

か。

スが提

した

つの反

は、

いず

も通常

の知

は認

めら

れな

いアブ

ノー

マルな例

であ

が、

れを考

こと

によ

って、

に、

ノー

マルな

知覚

にお

いて因

が果

たし

いる役

を明

に出

のであ

る。

ハ9)

人物

Pが対

X

(あ

いは

それ

を含

む事実

)

を見

いる。

ー↓

P

の視覚

がX

(事

)に因果

に依存

る。

ここ

では、

因果

的依

の関

Pが

Xを見

るた

の必要条

であ

り、

われ

は標準

な知

にお

いて、

対象

を見

こと

Page 7: Perception and Causality

のう

この因果

関係

が含

れて

いる

とを了解

して

いる。

因果

関係

は、

もしそ

が存在

いとし

たら知

は成立

しな

いと

いう

意味

で、

を支

える根

であ

る。

の議論

は、

のう

に生

てく

る知

の成

り立

を、実

在的

連関

の中

で見

よう

とし

たも

である。

の時、

の成

を可

なら

める条

とし

て因

のカ

テゴ

リー

が登

して

きた

であ

った。

しか

しな

ら、従

より、

知覚

の因果

はたび

たび

の批判

を受

け、

の難点

を指

され

た上

で葬

り去

れる

のが常

った。

のよう

な批

いく

つか

に分類

るが、私

はそ

の中

でも最

も基本

二点

を考

みた

い。ま

ず第

一に、従

の因

果説

ロック

のも

にせよ、

ッセ

ルのも

にせよ、

内在

義的

二元論

の枠

で展

され

のが常

であ

ったと

いう

事情

る。

これ

によ

れば

、第

一性

みか

ら成

る、

「観察

不可

能」

「物

理的

対象

」が

、意

の直接

対象

とし

の、

「観念

いは

「感覚

与件

を引

き起

こす

いう

こと

にな

る。

だが

の時

原因

とな

る対象

いか

にし

て特

きる

のか、

もそ

ハ  

もそ

のよ

うな対

が存

する

か、

いう

懐疑

論者

の批判

に屈

せざ

をえ

なく

なる。

この批判

は、内

在主

へ向

られ

たも

であり

、改

ここ

で繰

返す

には及ば

いこと

であ

ろう。だ

がわ

れわ

れは、「直

実在

にお

いて因

果説

が成

り立

ちう

いう

ことを、

の対象

と体

の構造

して

っきり

示さ

ねば

なら

い。

の花瓶

P

の視

覚体

を引

き起

こし、

かも

それ

が知

の直接

対象

とな

って

いる

いう事態

正し

く記

でき

なけ

れば

い。

二に、

因果

は事物

の領域

のみ適

用さ

るカ

テゴ

リー

であ

って、対

象認

の次

にお

いて役

つはず

い、

のが因

果説

に対す

一般的

反応

であ

り、反

であ

と思

われ

る。

この見解

は、

の本

が対

の認

にあ

ると考

Page 8: Perception and Causality

る点

では

正し

い理解

を示

いるよう

だ。

れわ

はそ

に対

し、

のよう

な方途

べき

であ

ろう

か。

もう

一度

、グ

の反

に戻

って

みよう。

の時

われ

われ

は、

P

が机

の上

の花

を見

いる

いう言

の真

を、対

らP

の視覚

に至

る因

果連

の有無

に訴

えて決

のであ

る。

すな

ち、知

覚成

の条

を、実在

な因

果連

いる役

いう観

から分析

して

きた

であ

る。

かし通常

は、あ

のXを知

ると

いう

こと

は、

X

いかに認

され

いる

かと

いう、

対象

の契機

が含

いる。

P

は机

の上

の対象

「花瓶

ある

とを認識

して

いる

であり

それ

を他

のも

のから識

でき

はず

であ

る。

この

つの

ことを結

つけ

て言

えば

、標

な知覚

いては、

P

がX

一定

の意

つも

のとし

て見

いる

ことは

Xが

P

の視

覚体

を引

き起

こす

いう

ことを

いるであ

ろう

すな

わち

、実在

の対象

X

は知覚

生ぜ

めて

いな

ら、

かもそ

が何

であ

か認

いる。

のこ

とが

「知覚

によ

って意

いる

の核

にあ

る。言

れば

、因

果性

と志

向性

の両契

を含

いう

こと

こそ知

の本

の姿

のであ

る。

にも

かかわ

らず

、因

果性

と志

向性

ょせ

ん相容

るはず

のな

いも

のだ

とす

る考

が、

現象

の人

のみな

らず

、分析

な知

覚論

行為

に携

わる

々の間

にも広

浸透

いる

ようだ

こう

た見解

に対

るた

にも、

知覚

の構

の中

で、

いか

にし

て因果

と志向

が関

わり

かを明

にしな

れば

なら

い。

の互

いに関

る二点

を解

ことが

これ以後

の考察全

を通

じて

の課題

である。

まず

コムの著作

から

の問

に関

る箇

を抜

き出

て簡略

に示し、

これ

に反論

を加

える

いう形

で議

を進

めて

ゆき

い。

ンス

コムは、

『イ

ンテ

ョン』に

いて

「なぜ

は~

のか」と

いう

「理由

」を求

める

をた

て、

の間

「観

基づ

いで」

( 

)

られ

かどう

いう

こと

を、行

を単

る身

運動

から分

つた

の規

(11)

した。

えば、

コップ

に水

いで

いる

のを見

た友

「な

か」と問

た時

、私

は即

に、

「薬

を飲

むた

めだ

」と答

える

Page 9: Perception and Causality

とが

でき

る。

の時

は自分

の行為

の理由

を与

えた

であ

る。

ンス

コム

この間

によ

って導

かれ

るも

(動機

や意

(12V

を含

む広

い領

)を

「心

的因

果性

( 

)

と名

づけ

これ

によ

って行為

の説

を行

とした

これ

に引

き続

き、

コムは、

「心

的因

果性

」の領域

から行

や動

「原

因」を除去

よう

いる。

えば

、病

で行

う膝

蓋反

射検

にお

いて、

の反射

の原

は何

かと

いえ

ば、

れは

医師

が膝

を木

で叩

いた

こと

であ

る。も

より、

患者

は脛

が上

った

とを観

に基

かな

いで知

こと

できよ

が、

の原因

ついて

は当

り医師

の方

が詳

しく知

おり、

これは観

に基

いて知

られ

るも

のに属

る。

かし例

えば

、動

ニが急

に吠

えた

でとび上

ったと

か、

い顔

が窓

から

っと出

きた

で思わず

テーブ

コップ

たき落

とし

てし

った、

いう

よう

な場合

どう

であ

か。

の時

に、

「なぜ

いう問

に対

して即

に、

「ワ

ニが

えた

から

だ」、

「恐

い顔

が覗

いた

からだ

と答

える

こと

(13)

でき

であ

ろう。

コムは

の種

の原因

「心

的原

因」

( 

)

と名

け、行

「理由

と区別

いる。

に、彼

「心

的原

」を

ュー

ム的

な意

の因果連

て捉

え、

「理由

」によ

る行為

の説

は整

にな

りえ

いと考

いる

のであ

る。

(「ヒ

ュー

ム的

因果

ついては第

で詳

しく

論ず

る。)

しか

し、行

「理由

「原因

「なぜ

いう行

の規

を求

る問

によ

って導

かれ

ると

いう点

に関

は変

わり

い。

つま

り、自

の行

を生

しめ

のに

いて

の直

いう条

に関

て相

い。

それ

なら

、「原

因」

「理由

の峻

を図

る前

に、

因果

的説

によ

って両

を統合

る途

一考

べき

はな

かと

いう

のが私

の疑

であ

る。

ころ

で、

じ節

( 

)で彼

は、

行為

でなく

、感

や思

の領

いても

「心

的原

因」と

いう現象

存在

を認

め、行

いて

「心的

原因

」を

「理由

」と区別

のと同

に、感

や思

など

の意識

いても、

「心的

因」

「対象

を区

しな

けれ

なら

い、

と言

う。例

を挙げ

てみ

よう。

子供

か赤

いも

のを見

てあ

れは何

かと尋

る。乳

それ

「サ

ン」

と言

った

のだ

が、

子供

「サタ

ン」

と聞

き違

いし

てひ

どく脅

てし

まう

の場

合、

子供

の恐怖

「対

象」

は布

であ

るが、

恐怖

「原

は乳母

の言葉

であ

り、

の両者

の相

は明

かだ、

いう

わけ

であ

る。

Page 10: Perception and Causality

こう

した叙

ら推

し量

れば

、感

「対象

は行

におけ

「心的

因果

性」

に対応

るも

であり

「原因」

とは区

ねば

なら

い、

とア

ンス

コムは答

こと

であ

ろう

いず

にせ

よ、

ンス

コムが

「原

因」

「対象

の区

別を

し、因

果的

明を

退け

よう

いる

ことは

らか

であ

る。

ここ

でも、感

「対象

「原因

をカ

テゴ

リー

の上

で区

別す

(14)

る十

な理由

いと思

まず、

この節

の冒

で挙げ

た第

一の問

ついて考

みよう。

「対象

の概念

を内

主義

に従

って

「意

の直

接対

象」

と規

るな

ら、第

一節

で示

した

困難

に逆

りし

しまう

それ

「対

象」

の概

こで定義

さる

べき

か。

これ

(15)

て、

「対

象」

は本

来文

な概念

であ

いう

を強調

い。内

在主

義者

の誤

りは、

文法

的概

であ

はず

「対

を、

「感覚

件」

「観念

のよう

な内

在的

対象

に仕立

て上

こと

にあ

る。

さて、

コムは

『イ

ンテ

ンシ

ョン』出

版後

を経

て、

「感覚

の志

性」と題

る論

を発表

たが、

ここ

では

「対象

(16)

の概

は徹底

て文法

に定

され

いる。

えば

スミ

スは灌

の陰

の牡鹿

を狙

った

いう文

にお

いて、

「スミ

スは何

を狙

った

か」と問

れれば

しも

「牡鹿

」とすぐ

に答

こと

がで

きよう

それ

は文法

で言

「目的

語」

( 

)とし

て、

この文中

で定

った位

を持

ってお

り、

われ

われ

のこと

を子

の頃

から繰

り返

し学

(17)

で習得

いる。

つま

り、

「対

象」

の概

は動

の働

きを受

「目的

」と

て、

にわ

れわ

の語

る言葉

のうち

で明

にさ

れて

いる

であ

る。

それ

ゆえ

「対象

は、

「意

の直接

対象

は全

く無縁

であ

り、実

の個体

とし

の牡

鹿

一致

(18)

しう

のな

のであ

る。

ころで、

こう

「対象

の概念

は、

『イ

ンテ

ンシ

ョン』

の叙

のう

にも

でに準備

され

いる。行

いて、

「な

ぜ」と

いう問

によ

って行為

「理

」が与

えら

ことと

平行

て言

えば

「君は

を恐

いる

のか

(何

を見

いる

か)」

Page 11: Perception and Causality

いう問

によ

って、

「対象

の概

は明

にされ

る。

「対象

の文法

的概

は、

のよう

な問

に対

る返

のう

ちで表

され

るも

のな

であ

る。

ことを考

れば、

われ

は知覚

の対象

た原因

でもあ

とす

る、因

果的

を受

け入

れう

ので

はな

かろ

か。

実際

の論

ンス

コム

の叙述

のう

にも求

ことが

きる。

つまり、

ンス

コム自身

恐怖

の対

が恐怖

の原

(19)

でも

る場

が存在

する

と認

いる

のであ

る。

これ

は注目

に値

する

こと

であ

ろう

にわ

れわ

れは、

因果

説明

のう

ちで対

象認

の契

を語

りう

いう

をた

てた。

にこ

の問

に移

ってゆ

かねば

い。

て、

ンス

コム

『イ

ンシ

ョン』

にお

いて、

行為

「あ

る記述

の下

で」

( 

)

のみ意

行為

であ

いう点、

つまり

記述

と行

の関

を通

て行為

の構

を解

しよ

とし

たが、

知覚

の志向

を考察

る上

も、記

と知

の関

が基本

指針

なる

つま

り、

る記述

して

の対

のよう

に把握

され

いる

か、

いう

記述

と対

の構

のうち

で対象

の認識

は語

られ

ねば

らな

い。

この時

、わ

われ

「何

いる

のか」

と問

「し

かじ

のも

のを見

いる」

と答

る際

の、

の記述

と対

に関

する

れわ

の了

を文法

特性

とし

て明記

でき

れば、

志向

の文

法的

規定

ことが

きよう

のよう

な特性

とし

ンス

コム

が挙げ

は、①

対象

いての異

る記述

の交換

不可

能性

(  

 、②

の可

る不確

定性

( 

対象

の可

る非

実在

( 

(20)

 )、

Page 12: Perception and Causality

これ

らを順

次簡

に解

てお

こう。

ある対

を知覚

る時、

の対象

に様

な記述

が適

されう

る。

かし、

対象

のうち

のあ

る記

の下

のみ知覚

されて

いる

のであ

って、別

の記

は当

の対象

に該当

しな

いことが

ある。

ちろ

ここで

は、対

のも

のは数

に同

一の公

共的

対象

であ

り、

の都度

の記

とは区

され

いる。

て今

、人

Pが

ある人

Sを

一定

の記述

の下

で見

いる

とし

よう。

この時、

S=

中曽

根康

弘、

つ求

り内

総理大臣

く。言

うま

でも

なく、

「中

曽根康

」と

「内

閣総

理大

」は同

一人物

に該

る異な

る記述

であ

る。

さら

に、中

曽根

の知

である

Pが、

また

ま中曽

根氏

が内

閣総

理大

であ

ことを知

ったとし

よう。

うす

と、

「Pは

Sを

『中曽

根康

弘』

いう

記述

の下

(つま

り、

『中

曽根

弘』

して)

いる」

は真

であ

るが、

「P

はS

を内

閣総

理大

とし

て見

いる」

であ

る。

すな

わち、

この型

の文

「指

示的

に不透

明」

( 

)な

のであ

り、

これ

「ある記

の下

で」

こと

の文法

の大

な特徴

であ

る。

い換

えれば

、記

によ

って、

その対象

の何

であ

るか

いう

ことが規

され

いる

ので

(21)

ハ22)

あり、

それ

とも

に、

「指

示的

に不

透明

な」

文脈

が形成

され

のであ

る。

「対象

の可

なる不

確実

性」

いう特

も身近

に確

でき

とで

る。

P

る人

こと

を思

い浮

べて

いる場

合、

の人

の身

や容

の特

徴ま

で詳

しく

い浮

べて

いるわ

けで

はあ

るま

い。

われ

われ

がそ

の下

で対象

い浮

べて

いう時

の記

は、多

に曖昧

で不

確実

であ

のが普

のであ

る。

最後

に、

「対象

の可

なる非

実在

ついて触

ておく。

(イ)

シア人

はゼ

スを崇拝

た。

(ロ)

スミ

スは

シー

ついて考

えて

いた。

(ハ)

ョンはか

っと

てス

ミスを殴

った。(イ)

、(ロ)は

いず

も、崇

や思考

の対

が実在

なく

とも真

である。

一方

、(ハ)は、

スミ

スが現実

に存在

しな

った

とし

Page 13: Perception and Causality

たら偽

ってし

まう。

この特性

は事

物同

の物理

的関

や、単

る心

理学的

関係

には認

めら

れず、

って当

のことな

ら、従来

り注目

を集

てき

た。対象

の非

実在

をも許

る志

向的

関係

は意

現象

の根本

とみ

なさ

れた

であ

る。(こ

(23)

の特性

ついては

なお詳

に論ず

べき点

もあ

るが、

れは別

の機

に譲

りた

い。)

さて、

これ

ら三

つの特

によ

り、対

象認

の契機

「記述

の概念

に基

いて語

れう

と思う。

対象

の認識

はそ

のよ

に、記述

によ

って、従

って言葉

によ

って対象

一定

の意味

つも

のとし

て規定

れる

とな

のであ

る。

して、

この

が可能

とな

のは、

われ

われ

が個

の事

の概念

を言

の学

習を通

て獲得

し、

蓄積

いる

から

に他

ならな

い。

事物

のそ

の都度

の知

は、言

の学習

による概

の成立

を背

とし

て初

て可

とな

のであ

る。

最後

に、

これら

の特性

が志

向的

な文

を非

志向

な文

から区

る規

でも

ある、

いう点

を指

てお

きた

い。

った今

使用

た例

で言

と、(ハ)は

ョンの動

を綴

った

だけ

で志向

的表

とは

い難

い。

しかし

、の

も、

「動詞

目的

」と

いう文

(24)

的構

造を

えた文

であ

る以上

、(イ)や(ロ)とどう

て区別

でき

のか

いう

疑問

が当

然出

こよう

の意

では、

前節

「対

象」

の概念

のみ

では志向

の定義

とし

ては

まだ十

ではな

い。

こで、

の区別

の規準

とし

て三

つの特

が役立

つの

である。

(ハ)

これら

の特

って、

志向

な文

クラ

スか

ら除

され

る。念

を押

て繰

り返

せば、

これら

の特性

「対象

の存

在論

的身

いて

いさ

さかも触

れる

とこ

ろがな

い。

らに、

志向

動詞

が暗

示す

る、

固有

の精神

の過程

や作

に言

及す

ともな

く志向

的表

現を

非志向

的表

ら識別

しう

る。

元来

、志向

の概念

は心

の中

に生

じて

いる過

や作

によ

って規定

るよう

なも

ので

はな

のであ

る。従

って

ここで

も、因

果的解

と矛

盾す

る要

は何

もな

い。先

の例

で言

えば

、赤

い布

一方

で子供

の視覚

体験

を引

き起

こし

つ、

「サタ

ン」と

いう

記述

の下

で知

され、

子供

を脅

せて

いる。

すな

わち、

実在

果連関

と、

「あ

る記述

の下

で」

いう志

向性

の基

原理

が両立

いる。

われ

われ

は、

「原因

「対

」を峻

るア

コムに対

し、

の両

を統合

このよ

うな因

果的解

に読

みかえ

ことが

でき

るよう

に思

れる。

一般

に、

ンス

コムは因

果説

を退

たと

いう点

のみが強

調

され

がち

だが、

は、

ンス

コムは因

果説

からそ

れ程離

Page 14: Perception and Causality

いな

った

ではな

いか

と考

えて

いる。

かしな

がら、

れわ

れは本

に知覚

の構

のう

に因

果連

を見据

と結

でき

のだ

ろう

か。私

は志向

の文

法的

解釈

と因

果説

の統

いて

いさ

か楽

観的

に語

ったが、

の時、

「因

果」

は空

な概

に変

しは

っただ

か。「因

果」

いて、

最終

には

こで語

べきな

のだ

ろう

か。

の問

に答

える

ため

には、

ュー

ム的因

の概念

を検

しな

ければ

らな

い。

ュー

ム的

因果

との比

・対決

を通

て、

知覚

におけ

る因果

連関

の特

な構

にも照明

が当

られ

ことと

ろう。

(25)

便

宜上

、次

の二点

ュー

ム的因

をま

とめ

てお

きた

い。

(1)

ュー

ム的

因果

の基本

特性

は、

A

タイプ

の出

来事

のクラ

とBタ

イプ

の出来

のク

の間

に認

られ

る規則

継起

の関

にあ

る。出

来事

Xが出来

yを引

き起

こした

っても、

Xと

y

の因

果結

のも

のが観察

され

たわけ

はなく

事実

上観

され

のは

xが

yに続

いて生

たと

いう

こと

にすぎ

い。例

えば

、雨

と降雨

の関

にし

ても

われ

われ

が観察

うる

のは

つのタ

イプ

のそ

れぞ

の事

象間

の規

則的

な継

起関

みであ

る。

ュー

ムの言葉

を借

れば

、原

とは

「もう

ひと

つの対象

に先

し、

つ、

隣接

る対象

であ

って、

そし

てそ

の場合

、第

一の対象

に類

るす

べて

の対象

は第

二の対象

(26)

に類似

する対象

に対

して、

同様

の先

および

隣接

の関

に置

かれ

いる。」

換言

れば、

Xと

yが因

果関

によ

って結

いると

いう

こと

は、

これ

らが

Aタ

イプ

の出来

とB

タイプ

の出

来事

に関

て成

り立

一般

法則

の事

であ

る、

いう

とであ

る。

(ⅱ)

x、

yが

とも

に雨雲

の発

と降雨

ある

いは酸

性物

と金属

の腐

どのよ

うな実

の出来

であ

る時

そう

した出

Page 15: Perception and Causality

来事

の間

に規

則的

な継

起関

が成

り立

つた

の条

は何

であ

ろう

か。

それ

は、

れらが

々独

に特

され

うる実

の出来

でなけ

れば

らな

いと

いう

とであ

ろう。

つま

り、

らは論

理的

に結合

して

いな

いはず

であ

る。従

って、

因果関

(27)

理的

分析

的関

とは異

る、経

験的

総合

的関

であ

る。

て、互

いに関連

し合

の二点

は、

つの項

の間

に因果

関係

が成

り立

つと言

いう

るた

の条

を述

べた

のと言

えよ

う。

従来

から

の因果

への批

も、大

は、

のヒ

ュー

ム的

因果

を背

にし

てな

され

たも

であ

った。

(1)

則性、

法則

いう条件

は、

因果

認識

に関

る経験

主義

の見解

に基

く。

これ

に従

えば

、知

おける因

果連

は、

光線

の伝

播、視

器官

や神

の働

き、

の知覚

過程

に関

る諸仮

がた

てら

れ、

それ

が観察

や実

の反復

によ

って検

(28)

され

こと

によ

って初

めて確

され

るこ

ととな

ろう

かしな

がら、

知覚

いは行為

におけ

る因果

認識

は、

これと全

く異

ると言

なけ

れば

なら

い。

えば、

い顔

が窓

から

っと覗

いた

ので、私

はび

っく

て思

わず

の方

へ身構

る。

これ

は、身

える

いう動作

「原

とな

った

の」

に対す

る直接

的反

であ

る。

こには、

因果

連関

を仮

に基

いて推測

たり、

検証

たり

る操

が介在

る余

い。

しろ、視

覚体

の原

とな

ったも

へただ

に反応

こと

のう

に、私

が対象

と視

体験

を結

ぶ因

果連

了解

いる

ことが

て取

れる

のであ

る。

そらく

われわ

の因果

の概念

は、

これ

に類似

た数

の体

を幼児

より反

復す

こと

により獲

され

てゆく

のであ

ろう。物

的事物

への視

覚体

の因果

的依

いう

観念

は、

のよ

うな過

を経

て、

(29)

知覚

の概念

のうち

に組

み込

まれ

てゆ

のであ

る。

それ

ゆえ、知

にお

いては、因

果関

は規則

的継

の関係

、従

って法則

な結合

関係

を前

せず

に認識

る。

二節

で、

P

が花瓶

を見

いると

は言

えな

いと言

った時

にも、

科学

な因

の概

に言

及す

ことな

くそ

う言

った

であ

った。

とす

れば

、科

学的

な因果

の概

を前提

にし

て知

の因果

分析

を行

おう

とす

る態度

は本

転倒

であ

る、

と言

ねば

なら

い。

Page 16: Perception and Causality

たて、実

や観察

を介

て確立

された

因果

の概念

は、

素朴

レベ

ルの因果

の概念

が洗

され

、厳密

にさ

れたも

のな

ので

(30)

ある。

ころ

で、

のよう

な因果

認識

に関

る相違

は何

を意

して

いる

のであ

ろう

か。

ついて少

し考

えて

みよう

。仮

に知

にお

いても科

学的

な因

の概念

が前

され

ねば

なら

いとす

れば、

んな仮

や実験

によ

って因果

連関

の存

を正当

のか問

ことが

可能

だし、

た因果

連関

の存

を疑

ことも可

であ

ろう。

かし実

には、

にお

いて事物

自分

視覚

体験

を生

しめ

いるこ

とが正当

や疑

いの対

にな

こと

はあ

りえな

い。

る物

理的

な出

と別

の物理

な出来事

の間

に因果連

の有無

を確

しよう

とす

る時

に、当

の出来

と自分

の体

の間

の因果

連関

を疑

であ

ろう

か。

のよう

な疑

いは決

て生

い。

知覚

におけ

る因果

連関

は、

正当

や疑

いの行

のう

に無

自覚

せよ前提

いる

である。

なわ

ち、「因

果認

に関す

る蓋然

・仮

設的探

の次元

、換

れば

、当

の仮

の根拠

なる事

をさ

に問

いう

る次

 れ 

「そう

た探

の基

とな

って

いる基本

な因

果認識

の次

の相違

こで示

され

いる

のであ

る。

因果

が知

覚成

であ

ると

いう

のは、

さに

の次

にお

いてな

のであ

り、因

果説

の重要

さも難

さも

こに存在

る。

かし

また、

因果

認識

の仕

がど

であ

うと、

対象

と体

を結

ぶ因果

関係

が実

に存在

なけ

れば知

が生

るこ

もな

い。

そし

て、

果関係

が存

しう

るた

には、

の関

によ

って結

され

る個別

の出

来事

いに独

に同定

され

いなけ

れば

ならな

い。

こで問

とな

るのが

「経

験的総

合的

係」

いう条件

であ

る。

の条

は因果

にと

って不

可欠

のも

のと言

って

いだ

ろう

。す

に述

べた

よう

に、因

果連関

は物

的世

と知覚

を媒

る関係

て登

てきた

ので

った。

の時

、世

から知

覚者

へ至

る物

理生

理的

な出

来事

連鎖

が成

いる。

って、

理的事

と意識

が交

る場

で登

する

因果

とは、

どう

ても実

在的

連関

いう条

を欠

くわ

には

いかな

いのであ

る。

の意味

では、

ュー

ム的因果

、因果

の根幹

でひ

つの制

を課

こと

にな

る。因

に、

ンス

コムが

行為

の因

果説

を退

Page 17: Perception and Causality

のも、最

終的

には、理

によ

る行為

の説

が出来

事連

いう形式

によ

って分析

れえ

いと考

たか

らで

った。

ころが、

正常

な視

知覚

にお

いては、

対象

X

とそ

の視覚

体験EXの間

には

一種

の分析

関係

が成

して

いる。

つまり、

視覚

体験

「X」

いう表

を使

わな

ければ

しく記

でき

いの

であ

る。

のこと

は、

Xか

らE(X)

を独立

の事

とし

て切

り離

とす

る因果

的分

の誤

りを

示す

のな

のだろ

か。

これ

に対

て、

D

・デ

ィド

ンは

明快

な返答

なし

いる。今

出来事

Aが出来

B

を引

き起

こし

とす

る。

の時

「B

の原因=

A

」であ

る。

これを

A

に代

する

と、

「B

の原因

Bを引

き起

こした

」と

いう真

る言

明を

る。

の言

は分

的言

であ

ろう。

かし、

ことは、

Aが

B

を引

き起

こし

たと

いう事

と何

ら矛盾

るわ

ではな

い。

因果

言明

の真

はど

んな出

来事

が記

され

のか

に依

し、

の言

が分析

か総合

いう身

は、

いかに

して出

来事

が記

され

ま 

に依

する。

換言

れば、

記述

レベル

で分

析的

関係

が存

した

とし

ても、

この

ことは出

来事

レベ

ルで因果

関係

が成

ると

いう

ことと何

ら矛

しな

いのであ

る。

しかし、

れで

は記述

レベ

ルと出

来事

レベ

ルは断

した

まま

のであ

ろう

か。

そう

はな

いのであ

る。

われ

われ

の因

果認識

が今

は、記

レベ

ルでの分析

に依存

て成

り立

つと

いう事

を看

して

はな

らな

い。

つま

り、対

Xと

の視

(33)

体験E(X)

の記述上

の分

的関係

を媒

とし

て、

XがE(X)

を生

めた

いう

理解

も可

にな

のであ

る。仮

にこ

の関

が存在

ず、

対象

と体験

の記

が互

いに異な

って

いるとし

ら、わ

われ

は何

が現在

の体

の原因

か分

からな

くな

ってし

まうだ

うし、

たそ

の時

には、

日常

生活自

も混乱

し、成

り立

なく

ってし

まう

だろう

。実

また、E(X)

の原

とし

てX

が存在

ことを信

つつ、

れわ

れは活

して

いる。

して

これ

は、体

と対象

の間

に適

な分析

的関

が成

して

いる

こと

と、

対象

が体

を生ぜ

めて

いる

いう因果

連関

の理

が不可

の関係

にある

とを示

いる

であ

る。

そう

する

と、

XとE(X)

の間

に分

析的

関係

が存在

と、

つまり

「X

いう記述

の下

で」

の対象

られ

いると

いう、

と対

の志向

的関

が成立

ことが、

因果

明を

なす

ため

の条件

ともな

って

いるわけ

であ

る。

い換

えれば

、因

果性

Page 18: Perception and Causality

(3)

以上の三

つの論点

に関しては、菅豊彦、井上義彦著

『知の地平』第二部第

一章

を参照。

(10

)

の困難

に関

は、大

荘蔵

『言

・知覚

・世

』第

および

(12)

「心的因果性」に

ついては、菅豊彦

『実践的知識

の構

造』、勁

草書房

(一九八六年)七〇頁…七

二頁参

照。

(13)

「心的原函」

については、菅豊彦同書、七三頁ー七九頁参照。

(14)

本稿第

五節、(2)を参照。

と志向

は相対

する関

にあ

いう

より、

いに補

し合

う関係

にあ

る、

いう

こと

であ

ろう。

れわ

の知覚

の概念

は、

本来

のよう

な因

果性

と志向

の補完

関係

のうち

で把握

さる

べきも

のな

のであ

る。

Page 19: Perception and Causality

(29)

の点

ついて

は左

照。

(27)

菅豊彦

『実践的知識

の構造』、二二

頁-二五頁参

照。

(28)

こうした因果の概念

について、例えば左記

の論文

があ

る。

(25)

ュー

ム的

因果

ついて

は左

を参

照。

(22)

「と

て見

る」

の文法

いて

は、

が参

る。

唱進

「ア

クト

の知覚

」、

『理想

一六号

(一九

五年

)

収。

(23>

「『志

向性』

の文法

の点

つい

て詳

い。

また、黒田亘

「『志向性』

の文法」、哲学雑誌、第百巻、第

七二二号を

照。

(15)

田亘

『知識と行為』、東京大学出版会

(一九八三年)、第八章。

Page 20: Perception and Causality

(33)

記述上

の分析的関係と因

果連関

の関係

については、黒田『

知識

と行為』、第

八章参照。

(本学大学院博士課程

・哲学)

(31)

田亘

「ヴィトゲ

ンシ

ュタインと因果(一)」、東京大学文学部哲学研究室編

『論文集』、第二巻

九八三)。