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「デカポリスの都市ガダラ」 慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程 江添 国士舘大学文化遺産プロジェクト in 楓門祭 「ヨルダン、ウム・カイス遺跡発掘調査 2009

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  • 「デカポリスの都市ガダラ」

    慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程

    江添 誠

    国士舘大学文化遺産プロジェクト in 楓門祭

    「ヨルダン、ウム・カイス遺跡発掘調査 2009」

  • ウム・カイス=ガダラ

    石壁で取り囲んだ

    要塞

    聖書ヘブライ語

    gdr=石壁

  • ヤルムーク川とヨルダン川に囲まれた断崖の上に都市を建設⇒自然の要塞

  • デカポリスの都市

    大プリニウスGaius Plinius Secundus

    (22 / 23年 – 79年8月24日) 『博物誌』

  • デカポリスの都市大プリニウス『博物誌』 5巻16章74節シリア側でユダヤの隣にあるのがデカポリス<十都市>地域、これはそこにある町の数からそう呼はれるのであるが、その町々の名を挙げる際、すべての著作者たちが同じ町を固持しているわけではない。しかし多くの人々は次の町々を含める。すなわちダマスクス、これはクリソルロア河を飲み干す豊かな潅漑牧場をもっている。フィラデルフィア、ラパナ (これら三つはみなアラビア寄りにある)、スキュトポリス (これはリーベル・パテル神がここに葬ったその乳母にちなんで以前はニサと呼ばれていた)、ここにスキタイ人の植民市が設けられている。ガダラ、そのそばをヒエロシケ河が流れている。ヒッポ、これはすでに述べた。ディオン、ペーラ、ここは水が豊富だ。ガラサ、カナタ。これら諸市の間またはその周囲には多くの四分領が並んでいるが、それらはいずれも一つの王国に匹敵するもので、それらが統合していくつかの王国をなしている。それはトラコニティス、パニアス (その中に上に述べた泉のあるカエサレアがある)、アビラ、アルカ、アンペロエッサ、そしてガベである。

    この記述の時点(後70年頃)ですでにデカポリスにどの都市が含まれるのかが不明瞭になっていることが分かる

  • デカポリスの都市

    (プリニウス『博物誌』5巻16章74節による)

    ☆ダマスカス

    ☆ラファナ

    カナタ☆☆ヒッポス

    ☆ガダラ

    スキュトポリス☆☆ペラ

    ☆ゲラサ

    ☆フィラデルフィア

    ☆ディオン

    デカポリスとは何か?

    ◎ ギリシア系都市の連合体

    ◎ 地理区分

    ◎ 行政単位

    Δεκα=10Пολις=都市

  • イエス=キリストの宣教の地

    デカポリス

    『マルコによる福音書』5章31節

    さて彼は、再びテュロスの地域から出て、シドンを通ってガリラヤの海に至り、デカポリス地域の只中に来た。

  • ユダヤ人歴史家フラウィウス=ヨセフス

    (37年 - 100年頃)

    ラテン語:Flavius Josephusヘブライ語: מתתיהובןיוסף

    (ヨセフス・ベン・マタティア)帝政ローマ初期のユダヤ人政治家で著述家。66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官として参戦。のちローマ軍に投降し、ティトゥス軍に幕僚として従軍。

    『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代誌』

    『自伝」『アピオーンへの反論』

  • ポンペイウスの東方遠征とガダラ

    ポンペイウスGnaeus Pompeius Magnus

    (前106年- 前48年)

  • ポンペイウスの東方遠征とガダラの再建

    『ユダヤ戦記』1:155-158ポンペイオスはまた、(ユダヤの)国民たちが征服したコイレ・シリアの町々を彼らから取り上げると、それらをそれぞれの地域に立てたローマ人の指揮官の管轄下に置き、人びとを本来の国境内に封じ込めた。彼は自分の解放奴隷のひとりで、ガダラびとであるデメトリオスを喜ばそうとして、先にユダヤ人によって破壊されていたガダラを再建した。彼はまたまだ破壊し尽くされていない内陸部の町々を彼らの手から解放した。すなわちヒッポス、スキュトポリス、ペラ、サマリア、ヤムネイア、マリサ、アゾトス、そしてアレトゥサである。同じく海沿いの町々であるガザ、ヨッパ、ドラ、そしてかつてストラトンの塔と呼ばれていた場所-ここは後になってヘロデ王によって素晴らしい建造物をもって再建され、カイサレイアと改名された-をも(解放した)。ポンペイオスはこれらの町すべてを本来の住民たちに返還し、シリアに組み込まれるエパルキアとした。

    ⇒ポンペイウスの特別な恩恵による都市の再建↓

    再建された都市ではこの年(前63年)を紀元とするポンペイウス歴を採用

  • ガダラのコインマルクス=アウレリウス

    =アントニヌス帝Marcus Aurelius Antoninus

    Dated 224 (AD 160/1)

    エラガバルス帝Elagabalus

    Dated 281 (217/18 AD)

    模擬海戦(ναυμαχία/naumachía)

    ⇒ガリラヤ湖畔まで都市の領域

    ポンペイウスのガダラ(ΠΟΜ ΓΑΔ)

    ⇒ポンペイウスを顕彰することでローマとの

    結びつきを強調

  • ウェシパシアヌスと第1次ユダヤ戦争

    ウェスパシアヌスTitus Flavius Vespasianus

    (9年 – 79年)

  • 『ユダヤ戦記』4:412-439

    市民たちの惨状をすでにして憐れんでいたウェスパシアノスは、表向きはエルサレムを包囲攻撃するために、しかし実際には野盗たちの包囲から解放するために、陣営を移動させた。彼の包囲攻撃に障害となるいっさいのものをエルサレムの外に残さないためにも、未制圧のまま残されている所をまずもって制圧しておく必要があった。そこでウェスパシアノスはペライアの堅固な母なる都ガダラへ赴き、デュストロスの月の第四日に町の中へ入った。というのも、町の有力者たちが事前に、叛徒たちに気づかれずにウェスパシアノスのもとへ使いの者たちを送り込んでいたのである。有カ者たちは和睦を望み、自分たちの財産ゆえに、町の引き渡しを協議しようとしていた。ガダラには裕福な者が多く住んでいた。

    『自伝』410-411.

    ウェスパシアノスがプトレマイスに到着すると、シリアのデカポリスの指導者たちは、ティベリアスのユストスに激しい非難を加えた。自分たちの村々を焼払らわれたからである。そこでウェスパシアノスは、ユストスを王国の臣民たちの手で処刑するようにと、王に引渡した。しかし王は、すでに述べたように、彼を投獄するだけにとどめ、このことをウェスパシアノスには隠しておかれた。

    ガダラ ⇒ デカポリスの中心都市

    ウェシパシアヌスによるユダヤ遠征とデカポリス(ガダラ)の陳情

  • 主要参考文献

    Ball, W. 2000 Rome in the East. Routledge.Barkay, R. 2003 The Coinage of Nysa-Scythopolis. Jerusalem.Butcher, K. 2003 Roman Syria and the Near East. London.Graf, D. 1992 Hellenisation and the Decapolis. ARAM 4: 1-48.Greenhalgh, P. 1981 Pompey: The Republican Prince. London.Hoffmann, A. and S. Kerner (ed.) 2002 Gerasa-Gadara und die Dekapolis. Mainz. Kennedy, D. 2007 Gerasa and the Decapolis, London.Kraeling, C. (ed.) 1938 Gerasa City of the Decapolis, New Haven.Lichtenberger, A. 2003 Kulte und Kultur der Dekapolis. Wiesbaden: Harrassowitz.Meshorer, Y. 1985 City Coins of Eretz-Israel and the Decapolis in the Roman Period.Jerusalem.Millar, F. 1993 The Roman Near East 31 BC-AD 337. Harvard.Northedge, A. 1992 Studies on Roman and Islamic Amman. OxfordParker, T. 1975 The Decapolis Reviewed. Journal of Biblical Literature 94: 437-441. Sartre, M. 2005 The Middle East under Rome. Harvard.Spijkerman, A. 1978 The Coins of the Decapolis and Provincia Arabia. Jerusalem.Weber, T. 2002 Gadara-Umm Qēs I. Gadara Decapolitana. Wiesbaden: Harrassowitz.

    邦訳文献

    ヨセフス (秦剛平訳) 2002 『ユダヤ戦記1』 ちくま学芸文庫。ヨセフス (秦剛平訳) 2002 『ユダヤ戦記2』 ちくま学芸文庫。ヨセフス (秦剛平訳) 2002 『ユダヤ戦記3』 ちくま学芸文庫。ヨセフス (秦剛平訳) 1978 『自伝』 山本書店。プリニウス (中野定雄他訳) 1986 『博物誌』 雄山閣出版。マルコによる福音書 (佐藤研訳) 2004 『新約聖書』 岩波書店。