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基調講演
「体験活動(『トライやる・ウィーク』)の教育的意義について」
独立行政法人国立少年自然の家 理事長 松下倶子
兵庫県ではいろいろな社会的な背景をもとに、平成9年に心の教育緊急会議が開
催され、その後、それに呼応するような形で感動体験プログラム構想委員会が設置さ
れました。その感動体験プログラム構想委員会は、兵庫の教育の創造的な復興に生か
される「心の教育」を充実させていこうということを受けて設置されたものです。私
は、当時、長野県の国立少年自然の家に勤務しておりまして、子どもたちに自然体験
とか、生活体験を提供する施設の運営をしておりました。子どもの体験の充実を目指
して勤務していた私は、その時の委員会の委員に加えていただくことになったのでし
た。
この感動体験プログラムという言葉を聞いた時に、「これが皆さんの感動体験です
よ。」という呼びかけで、子どもたちに与えるということはどのようなものなのだろ
うかと思いつつ、参加させていただきましたが、やがて、大人が機会を提供すること
も大切だと理解しました。この会議の熱意ある検討を踏まえて、「トライやる・ウィ
ーク」が生まれたと承知しています。
この、まさにクリエイティブな教育活動は、全国的な話題になり、様々な切り口か
ら、実践事例として紹介されました。私は、この「トライやる・ウィーク」が実施さ
れたことを知り、この兵庫県の取り組みの早さ、そして取り組みの規模の大きさに、
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それこそ感動し、はるかかなたから眺めさせていただいていました。
昨年、夏に突然ご連絡をいただきまして、5年目の検証をするので加わるようご依
頼をいただきました。私がすばらしい試みと感動していた事業が、どのような成果を
得たのか知りたいという気持ちでいっぱいになり、すぐ承知させていただきました。
成果が検証され、今日のフォーラムにつながっていることを知って、皆さんの取り組
みの姿勢に敬意を抱いております。
今日、この意義ある、次のステップへのフォーラムにお招きをいただきまして、
様々な形でこの「トライやる・ウィーク」の活動が広がっている様子を伺うことがで
きて、本当に光栄に思い、また感動を新たにしています。
本日の演題は、体験活動の教育的意義ということでございますが、今日の一番中心
的なプログラムは、午後のフォーラムであると思っておりますので、このフォーラム
に向けて、私が感じていることを少し申し上げ、皆様のお話し合い、お考え合いのヒ
ントの1つにしていただければうれしいと思っております。
今、子どもたちの体験不足というのは、近年、非常に大きな問題になっていること
はご承知のとおりです。この場合の体験とは、実物体験とか、あるいは本物体験であ
り、単に体験と言いますと、疑似体験なども含まれ、子どもたちは結構、体験の機会
を持っていると思います。インターネットによるいろいろな情報やゲームなど、本当
に居ながらにして疑似体験は得ていると思います。
私どもが、何年か前に、本物体験、実物体験が大事などと話し合いをしておりまし
た時に、ある大学の先生がこんなことを言われました。
「うちの娘は、たまごっちを育てていて、それが死んでしまって、もう泣いて悲し
んでいた。本当に泣いて悲しむということは、そのような気持ちを感じ取っているの
だから、ゲームなどの体験であっても、そういう感性を養うことについては、何も実
物とか本物とか言わなくてもいいのではないですか。」ということでした。
その会合は座談会のようなもので、その意見に対して、私が何か言おうと思った時
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に、時間切れとなり、終了してしまいました。
たまごっちというのは、皆さんご存じのように、世話をしながら育てるゲームです。
ピピッという合図で、えさをやるなど世話をするゲームですけれども、世話をしない
とそれが動かなくなってしまう。それに対して、悲しんで泣いているお子さんがいる
ということだったのですが……
私は、どのように答えたらいいのだろうと思いましたが、たまごっちというのは、
もし希望すれば、もう1回リセットすると生き返ります。けれども、本物のニワトリ
とかヒヨコは、一度命を落とすと、もう決して戻ってくることはない。そこがやはり
違っており、人間の手で操作ができて、生きたり死んだりすることができないという
ことが、とても大事なことではないだろうか。そういうことを実物体験と言い、その
実物体験が大事ではないかとお答えしようと思っています。
いろいろな研究者が、子どもの本物体験の不足の実態を調査して、体験の必要性は
多くの方が提言しておられます。その1つの例に、千葉県にあります川村学園女子大
の齋藤先生がなさった調査研究が、5年ごとに調査を重ねておられるということで、
私たちも注目しています。
齋藤教授は、子どもたちの積極性が欠如している。体験不足によって積極性、主体
性が欠如している。また、忍耐力が低下している。人間関係づくりが不得手になって
きている。そして、自ら考え、判断し、実行し、責任を持つということの気持ちが欠
如しているのではないかということを問題意識として持たれ、研究テーマに取り上げ
られました。
そして、1991年(平成3年)と1995年(平成7年)と2000年(平成1
2年)の3回にわたって、子どもたちの体験について調査をなさいました。
今から言う項目に関して、全然したことがない項目に丸印をつけなさいといった調
査方法でしたが、例えば、生活体験という意味では、自分の下着を洗濯したことがあ
るかないかということについて、91年は、2000人ぐらいの小中学生を対象にし
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ており、34%ぐらいの子どもが下着を洗った経験がない。それが、最後の平成12年
は49.1%の子どもが、全然下着を洗ったことがないと答えている。あるいは、買い物
を手伝ったりしたことがあるかということについては、13%、16%、29%と高まって
いる。ナイフとか、あるいは包丁で果物の皮をむいたことがあるかということについ
ては、15%、17%、23%とパーセンテージが上がっている。乗り物で、お年寄りに席
を譲るということを全然したことがない人が、25%、26%、30%というように、年を
追うごとに、全然したことがないという経験の子どもが増えているという結果になっ
ています。
また、自然の中での体験に関しては、チョウチョとかトンボをつかまえた経験があ
るかということが10%、15%、26%という具合に、やったことがない人が増えている。
また、自分の身長よりも高い木に登るという経験をしたことが全然ない人は、24%、
28%、40%と増えており、今は約半数の子どもたちが、木登りをした経験がないとい
うことになる。それから、日の出、日の入りを見た経験というのが、41%、43%、
46%と、また微増でございますけれども増えています。
体験の実態を踏まえたうえで、子どもたちのいろいろな意識を調べました結果、体
験が比較的多い子どもと少ない子どもに分けて、責任感とか、積極性、わがまま度を
見たところ、体験の多い子どもは積極的であるという結果を得たと、調査報告に載っ
ています。
積極性は、プラスという結果が出ましたが、責任感とかわがまま度ということに対
しては、はっきりした結果を得ていないようです。でも、この研究は、今、持続中な
ので、この次の4回目、5回目の調査でどのようになるかということが楽しみです。
私が長く関わってきました少年自然の家が設けられました背景も、子どもの実物体
験の不足ということが、社会的な問題だという問題意識がおおもとになってつくられ
たわけです。兵庫県には自然学校への参加という事業があり、小学校5年生が必ず自
然体験をする非常に先進的な取り組みをされている訳ですが、全国的に見ますと、学
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校外で大自然の中で体験をするということが、なかなか困難な状況です。
これは昭和40年代の話なのですが、ある東北地方の大学の先生が、ご自分のゼミ
に入ってくる新入生に、毎年、ニワトリの絵をかいてごらんという課題を出されまし
た。大体15%ぐらいの、ある年は20%ぐらいの学生が、3本足、4本足のニワトリを
かいたということがありました。
それで、その教授はびっくりなさいまして、「君たちはニワトリを見た経験がある
か」と聞きましたところ、その描いた人たちのほとんどが、大学生になるまで図鑑で
は見たことがあるが、実際にニワトリを見たことがないということでした。それで、
絵を描く時に、鳥だからというので、鳥の体の格好をかいてみる。鳥だから足は2本
だろう、というふうに頭で考えてかいてみますと、細い足が2本、その大きい体を支
えているという状態になるわけです。どうもこれでは倒れてしまうのではないかと心
配になって、もう1本増やす。3本というのは半端じゃないかというので、もう1本
増やすという、知的なプロセスがあったようです。
当時は、昭和40年頃、大学の試験に合格するということは優れた学生ですから、
いろいろ頭で考える力が大きいわけです。それで、これではバランスが悪いとか、こ
れでは重過ぎるとか、いろいろ考えた末、3本足、4本足になったということがあり
ました。
また、同じ頃に、ある幼稚園の先生から、子どもたちを遠足に連れて行ったら、ち
ょうど麦の穂が青く立っていて、それを見てある子どもが、「先生、ビニール袋ちょ
うだい。お母さんに毛虫持って帰りたいから」って言ったそうです。その麦の穂がち
ょっと、毛が生えたような格好になっているのを、毛虫と思う幼児、絵本や図鑑など
で毛虫を知っているが、本物と出会ったのは初めてであったので、このような表現に
なったと思います。本物との出会いは強烈です。
そこで当時、子どもたちには失礼ですが、子どもの放牧場をつくろうという、放牧
場構想というものが生まれました。子どもたちを、とにかく大自然の中に連れて行き
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さえすれば、あれもしなさい、これもしないと言わなくても、自然のいろいろな現象
に出会って、いろいろな感動が生まれて、そして感性が身につく、そのような自然の
場を設定してあげるだけが必要ではないかと考えられました。
ですから、いろいろな建物とか、設備とかを豊かにするということではなく、とに
かく大自然があればよいということでした。
今、私が運営している法人の国立少年自然の家は、全国に14ありますが、そこは
いずれも海の側とかあるいは山の中、高原等、大変交通不便な大自然の中にあります。
でもそこに行けば、本当に見るもの聞くもの、「えっ」というようなことがあります。
先ほど申しました感動体験の構想委員会の時にも、私が、自分が勤務しているところ
で子どもたちが「本物のホタルがいた」と叫んだと話したところ、これが皆さんにび
っくりされたのです。
テレビで見たり、それから図鑑を見たり、先生のお話を聞いたりで、本当にあると
いうことは知っているけれども、本当に光を点滅させて飛んでいるホタルを見たのが
初めてで、本物と感じたようです。
今、本当に実物、本物という体験が大事ということが、この日本の社会に広がって
きておりますが、齋藤教授の研究の2回目の調査が終わった1995年頃、国の中央
教育審議会は、平成7年4月に、当時の文部大臣から21世紀を展望した我が国の教
育の在り方について審議するようにという諮問をいただきました。そこで、審議を始
めたわけですが、それが答申としてまとまりましたのが、平成8年の7月でしたけれ
ども、皆さんご存じの「生きる力」と「ゆとり」というのが、この答申のキーワード
になりました。
ご存じのように、「生きる力」というのは3つの要素から成っています。一番目の
要素である問題解決能力というのは、自分で周囲にある問題を発見する力を具えるこ
とから始まります。何も意識的に関心を持たなければ、どんな現象があっても、これ
が問題であるとか、課題であるとか、勉強するテーマであるというふうに感じないで
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しょう。でも、いろいろ意識を持つことによって、問題を自分で発見することができ
る。そして、それについて、自分で調べたり、考えたりして、主体的に自分が判断し
て、その判断によって行動が起こせるという、このプロセスを問題解決能力といい、
これを子どもたちに持ってもらうことが、これからの教育で必要であると提言したわ
けです。
2番目の要素は、豊かな人間性という言葉でくくられておりますけれども、自分が
何をしたいのかという望みを持ち、そして自分が何かしたいと思った時に、隣にも何
かしたい人がいる、そういう他の人の存在を意識して、その人のことも思いやるとい
うことが大事ではないかと言われました。それとともに、また自然、あるいは社会の
現象を見て、感動する体験を重ねて、感性を磨くことが豊かな人間性を身につけるこ
とにつながると答申で提言しております。
さらに、3番目が、たくましく生きる健康と体力ということですが、何か自分がや
りたいなと思うことをしていくためには、毎日お医者さんに行って注射をしてもらう
ような状況では、なかなかできません。一番基礎として、健康と体力が必要です。
私は、「生きる力」についてのお話する時に、三つの要素を逆からの順番で言います。
まずは、健康と体力があってこそ、他の人のことも考えられる、そういうような状態
の中で、はっと気がつく課題が、方々に転がっているということを見る能力が発揮で
きると思っています。
この生きる力が発揮できるようにするためには、1週間、ずっと先生からいろいろ
なことを学ぶ学習の時間が続いていたのでは、自分で考えて課題を発見したりするゆ
とりがありません。だから、子どもたちにいろいろな意味のゆとりをあげるというこ
とが大事で、「生きる力」と「ゆとり」というのがキーワードになったわけです。
このキーワードを受けて、教育の基本的な方向として出されたのが、学社融合で、
この生きる力は、決して学校だけで育てることはできず、家庭と地域社会と学校が連
携してこそ、子どもたちの生きる力を育てることに貢献できるのだと考えます。制度
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がしっかりと確立されている学校教育は成果を測ることができます。それに対して、
車のもう1つの車輪といわれる、家庭教育と地域社会の教育力は、弱いのではないか
といわれています。
そこで、これからは特に家庭と地域社会の教育力の充実ということに努めていく必
要があるのです。「学社融合」が1つと、それから、「体験の機会の充実」が強調さ
れるようになり、平成13年に学校教育法と社会教育法が同時に法改正されるという
動きに展開されました。そこでは社会奉仕体験をはじめとして、いろいろな体験活動
を重視するようにと指示されているのです。
そして、最近の中央教育審議会が奉仕体験等の充実方策についての答申を出すとい
う流れになってきているわけです。
特に言われたことは、学校教育においても生きる力の育成を重視すること。学校は
知的な思考力とか、問題解決の能力を育てるということが、私たちの普通の考え方だ
ったわけですが、生きる力ということを全面的に掲げて、いろいろな体験を子どもた
ちにも与えることによって、生きる力の基礎・基本を学校で身につけさせるようにと
提言されたのです。
そしてもう1つのキーワード「ゆとり」は、心のゆとりということと、考えるため
のゆとりと、あるのではないかと思います。ゆとりの中で自分の生き方を自分で、主
体的に考えていく、自分で決めていく、それが個人の確立ということに結びついてい
くのではないだろうかと思っています。
そのような教育の基本的な方向を座右に置きながら、平成9年度から検討を始めら
れ、平成10年度から取り組まれている「トライやる・ウィーク」は、まさにこの中
央教育審議会の答申に盛り込まれている要素に、一つ一つ答えている事業だと思って
います。
最初に、学社融合ということで、地域社会と学校と家庭が連携してということです
が、その学社融合に関して、ここ兵庫県では推進委員会を地域につくって、学校の取
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り組みと地域の活動、地域社会の協力、それから、先ほど事例発表の中には、家庭の
理解が不十分という発表もございましたが、家庭の理解と励ましがあってこそ、この
「トライやる・ウィーク」が続いてきたのではないかと思っています。
それから、体験の機会を充実させると法律にも盛り込まれたその体験機会ですが、
「トライやる・ウィーク」は体験活動そのもので、その「トライやる・ウィーク」の
実施要項に見られる言葉を見てみますと、子どもが興味・関心を持っていることが基
盤である。それから、1週間を通じて、自立性、セルフコントロールという意味の自
立性、それから耐える耐性を育てようとしていらっしゃる。
また、地域での新鮮な発見ということが、要項の中に書かれていますけれども、自
分が何となく育ってきた地域に対して、新たに「トライやる・ウィーク」を経験する
ことによって、新鮮な発見をする。これは、やがて地域の一員としての自覚と、責任
を育てることにつながっていくのではないかと思っています。
心の解き放ちという言葉が出てきます。子どもたちは、一生懸命勉強していると思
いますけれども、教室という限られた空間で、四六時中過ごしているという、そうい
う枠の中での生活から、一時的に、1週間解き放たれて、というと、もしかして先生
方は失礼なこととおっしゃるかもしれませんが、でも、四角い教室の中から解き放た
れて、自分を見つめるとか、他人を思いやるとか、多様な価値観に出会って戸惑った
り、何かをしながら、それをやがて受容していくということにつながっていく可能性
があるのではないかと、私は改めて「トライやる・ウィーク」の実施要項の中にちり
ばめられている言葉を、とても大事なものと受けとめました。
また、ゆとりというキーワードに関してですが、心の解き放ちということによって、
自分の生き方を主体的に考える機会ができるということが、やっぱり、一種の心のゆ
とりということになるのではないかと思います。ですから、その当時、教育の世界で、
このことをこれからの基本的な方向にしようと考えられたことに、兵庫県が呼応して
くださったと考えられるのではないでしょうか。
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その「トライやる・ウィーク」事業は、いろいろなところで、様々な立場の方々が、
いろいろなとらえ方をしました。
「トライやる・ウィーク」が実施されてから、私が関わりました研修の機会とか、
あるいは研究の全国大会といったような会合で、あちらこちらで「トライやる・ウィ
ーク」はすばらしい実践事例だと紹介されて、聴衆に刺激を与えたことが何度もあり
ます。
幾つかの切り口というか、どういうとらえ方をしたのだろうかと振り返ってみます
と、一番最初に私が出会いましたとらえ方は、ボランティア活動の事例ということで
した。当時は、阪神・淡路大震災の体験を通して、ボランティア元年という呼び方が
生まれ、ボランティアとしての活動を青少年をはじめ、あらゆる年代層が関心を持つ
ようになり、文部省はボランティア活動に関わる行政の指導的な方々を対象とした全
国的な協議会を3回大きな規模で主催しました。
その中協議会で、ボランティア活動の事例として、「トライやる・ウィーク」につ
いての事例発表があり、それは、生徒さんたち自身が、報酬を求めずに自分の力を発
揮して、地域の商店とか、あるいはいろいろな施設のために力を出すという意味のボ
ランティア、生徒のボランティア活動という位置づけと、それから、受入先の企業や
施設の方々が、子どもたちに活動の機会を与えていること自身が、その企業等のボラ
ンティア活動であるということが発表されたのを覚えております。
それから、学社融合の取り組み事例、これは先ほど申しましたように、まさに地域
のいろいろな立場の方が連携して、推進委員会をつくってらっしゃるということです
けれども、当時、その学社融合についても、学校と地域社会と、それから家庭が一緒
に、深く連携して、この地域の子どもたちをどのように育てていけばよいのかという
共通のねらいを持ち、その目標に向かって協働する。ともに働くという意味の協働を
していくことが大事だと言われて、全国各地で取り組んでいる事例が発表されたので
すが、その中の1つとして、「トライやる・ウィーク」が取り上げられました。
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なかなか、地域で三者が融合するための仕組みをつくることが難しくて、いくつか
の県で連絡協議会を設置しようと、非常に熱心に取り組みましたが、なかなか進まな
いということが多かったようです。
「トライやる・ウィーク」の場合には、具体的な活動実施ということが、もう迫っ
ていますから、推進協議会の立ち上げの時も、県とか、あるいは市や町のレベル、そ
れぞれで設置されて、さらにその事故に備えての補償制度を確立されたことなど、本
当に具体的な行動を、子どもたちが活動するための望ましい連携の在り方が実現した
という、大変な、いい例として紹介されていました。
その後、平成10年に発表された新しい学習指導要領の中に、この新しい指導要領
の目玉と言われている総合的な学習の時間が唱えられました。その中で、その総合的
な学習の時間の取組についての研修の時には、「トライやる・ウィーク」は総合的な
学習の時間の例であるという事例発表がありました。
私はそのころ、確かに活動自体は、総合的な学習と言ってもいいが、最初にこの
「トライやる・ウィーク」に取り組まれた時から、総合的な学習の時間という視点で
始まったか、すぐに総合的な学習の時間の例としていいのか疑問に思いました。教科
を超えて、横断的、総合的に取り組む学習であるということ、また、児童、生徒の興
味、関心に基づく創意工夫によって、これが進展していくということについては、確
かに、総合的な学習の時間の例ということにもなるかもしれません。
その総合的な学習の時間は、自分で課題を見つけ、考えて主体的に判断し、よりよ
く問題を解決していく資質とか能力を育てることが主たるねらいです。そして、その
総合的な学習の時間では、何ができたか、例えばペーパーテストの中に正解がたくさ
んあったという意味での知的な学習を成果として求めるのではなくて、あるテーマに
関して、学び方、ものの考え方を学習することがそのねらいでした。
そして、テーマの例の中に、国際理解や情報、環境や福祉、健康など、また地域や
学校の特色に応じたもの、いろいろな学校の特色に応じて、多様なテーマを設定でき
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ることになっていたと思います。方法としては、体験がまず重要な要素となります。
そしてまた、自分の手足を使って作業をしたり、視察をしたり、あるいは実験をした
り、見学をしたり、調査をしたりというようなことを、個人の生徒、児童がしてもい
いし、グループでしてもいいし、また、異年齢の方々との交わりということで進めて
いってもよいということでした。
そのようなとらえ方を、「トライやる・ウィーク」の活動に照らして見てみますと、
それぞれ、この活動のねらいは「福祉の理解」であるというように、後からあてはめ
てみると、確かに総合的な学習の時間の実践事例としても捉えられると思いますが、
当時、事例発表された兵庫県のある先生が、これまで体験としてやってきたことを、
総合的な学習の時間という視点から、これをどうとらえるか、これからの課題ですと、
最後にいわれたので、総合的な学習の時間にどのように関連付けていくか、これから
結びつけようとなさっているのだと理解したのです。
4番目のとらえ方といたしましては、インターンシップの例、職業体験の例とされ
たことがありました。先ほど既に、もう職業体験ということから取り組んでいらした
学校の事例がありましたけれども、この「トライやる・ウィーク」を職業体験の例と
して取り上げようとしている研究者や、先生方がおられました。進路決定のために、
自分の興味関心にあったものがあるかどうかということを、出会いを経験することに
よって、決定に役立てるという考え方です。確かに、自分が興味や関心を持って取り
組むことが、活動の選択にあるようですが、そのことが、本当に体験してみたら、や
はり自分にとってふさわしいと思う場合もあります。また、これこそ自分の興味を引
くものだと確信する場合もありますし、反面、大好きだと思ってやってみたら、どう
も、なかなか難しくて、これは、ちょっと、自分の続けていくことではないと思う場
合もあるかもしれないということがあってもいいのではないかと思います。
また、これは活動先として協力してくださった職場の皆さんにとっても、もしかし
たら自分の関わっているこの業種に、後継者としてこの子どもたちが来てくれるので
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はないかというように、自分の仕事の紹介の機会になっていたかもしれないと思いま
す。
そのためには、仕事の楽しい面も辛い面も隠さずに示すことによって、きっと生徒
さんたちが自分にぴったりしたものかどうかを判断することができたのではないだろ
うかと思います。
このように、県外の人たちはいろいろな面から「トライやる・ウィーク」に注目し、
これを非常にいい取り組み例として捉えていました。そして、この「トライやる・ウ
ィーク」的な活動は、さまざまな県に波及して、「14歳のチャレンジ」とか、いろ
いろな名前で、各県で行われるようになってきていると思います。
このような捉えられ方、いずれにしても本物の体験を、実際体験をすることから得
ることの大事さということを、事例発表の後で、みんなで協議をすることになってお
りましたので、兵庫県の当初の意図がどうであれ、様々な、よい影響を全国にもたら
したのではないでしょうか。
では、「トライやる・ウィーク」の教育的な意義とは一体何だろうかということで
すけれども、これについては、様々な場面でその成果とか、意義が示されています。
昨年、5年目の検証委員会の時にも、いろいろな立場の委員が、この意義について検
証したわけですが、今年の4月に発行されました「兵庫教育」の中に、私もこのこと
について書かせていただきました。もし「兵庫教育」という雑誌をまだごらんでない
方は、この雑誌には、行政の立場、実施者の立場、経験者の立場からの「トライや
る・ウィーク」に関する成果や課題が示されているので、ご一読いただけるとよいの
ではと思っています。
私は、その「トライやる・ウィーク」の意義に関して、3つ大きく意義があると思
っています。
1つは、体験した生徒の、自分を知る機会ということのために、非常に意義がある
と思います。
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さっきも申しましたけれども、興味関心を持って活動先を選んだはずだけれども、
自分に向いている分野と思うのか、あるいは自分には余り向いていないと、新たに発
見するという場合もあります。そういったような体験を通して、これからの人生設計
の参考になると思います。
先ほど、最初の事例発表のところで、70歳まで自分がどのように生きていくかと
いう人生設計の図を書いていらっしゃる生徒さんの学習の成果が発表されていました
が、そういったようなことを描いてみるためにも、1週間の「トライやる・ウィー
ク」が自分の興味関心とどのような関係かということを検証する、大事な機会ではな
いかと思います。
今、一般的には、大学生とか若い社会人の自分探しというのが、非常にはやってい
ます。私は、日本青年奉仕協会という民間団体がやっている1年間ボランティアとい
う事業に、関わったことがあります。3年とか5年とか、自分の職業に就いている人
たちが、このままこの職業を続けていいのだろうか、あるいは、大学を卒業しようと
しているけれども、この荒波の世の中に、すぐ自分が出て行って力を発揮することが
できるだろうかということを、非常に不安に思い、実際社会の中で仕事を続けること
や就職することを延期して、自分探しということで1年間の休職、あるいは休学をし
て、ボランティア活動をしてみるという活動です。
日本青年奉仕協会は、市町村等の行政や民間組織での活動先を開拓します。例えば
今、市町村の行政の中で、外国の方が国際交流の仕事をするような例がありますが、
その相手方になって、国際交流関係のことを考えるボランティアとして働く場面とか、
あるいは離島の診療所の看護師になるといったような、いろいろな活動を用意して、
これに応募する人と活動を結びつけます。
この事業には、多数の若者が応募してきて、面接で1年間の奉仕活動に携わる人を
決めるわけですけれども、どうしてこれに応募したのかというと、自分自身が不安に
なって、自分探しをするという人が大半なのです。
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ボランティア活動というのは、主体的に、自分から自発的に活動する。しかも、自
分の持っているいろいろな能力を、自分以外の人や社会のために使う活動だと思いま
す。けれども、人のため、人のために自分の持っている能力を使って、役立つことを
するといった気持ちではなく、自分自身が心配だから、給料をもらう仕事を続けてよ
いかわからないので、ボランティアをやってみるとか、あるいは、経済学を勉強して
きたけれども、このまま社会に就職していいか心配だから、ちょっと、実際社会に出
ないでボランティアをやってみるというので、私はボランティア活動が逃げ道のよう
な、お休み処のようにとらえられていることを感じて、若い方たちが甘えていると思
ったことがあります。
でも、1年間そのボランティア活動を経験しますと、あんなに下向いて、私はだめ
かもしれませんと言っていた人が、どうしてこんなに元気に活動報告をしているのか
と言われるほど、力をもらうという、そういう例をたくさん見ました。
ですから、そういう意味では、自分探しが大学卒業時とか、あるいは若い社会人の
方々が、ある時には、そういう体験をすることがあってもいいと思うのですが、社会
全体から言えば、生産活動にたずさわる人が、一時ぬけてしまうとか、あるいは大学
まで、高い学歴を持った人が、すぐに社会に貢献できずに、少しモラトリアムの時間
があるというのは、もったいないという捉え方もできると思います。
そういう意味で、中学生の頃から、自分探しというものを踏まえて、いろいろ体験
をしてみることは大事ではないだろうかと考えます。このような体験活動は、自分を
知るために非常に大きなきっかけになるのではないかと思います。
それから、2番目には、社会を知るということですが、少年も青年も、若い世代の
方たちは、次の時代の担い手、あるいは主役と言ってもよいと思います。その担い手
は、どのような資質や能力を持っていて、育ってもらえば次の時代の有用な担い手と
して活躍してもらえるか、今、その人たちを教育しようとしている立場にある大人た
ちにとっても、大事なことだと思います。
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今からこのようなことを意識しておかないと、担い手としての主役を演じる年代に
なって、社会とはどのようなものかを知るために、自分探しをはじめるのでは遅すぎ
るのではないでしょうか。社会の流れをが止まってしまう、大げさな言い方をすれば
そういうことになってしまうと思うのです。
そこで、現実に社会でどういうことが起こっているのかということに、少年時代か
ら触れているということが大事ではないかと思います。
私は、日本の社会は、わりと子どもたちを守り育てるというか、大事に育てすぎて、
危ないところには近寄らせないという考えが、少し強すぎると思っています。
例えば、以前に栃木県の方で、生徒がナイフで学校の先生を刺して殺害してしまっ
たという事件がありました。そうしましたら、その直後に、当時の文部大臣が、子ど
もたちにはナイフを持たせないようにしようとおっしゃいました。それで、びっくり
したのですが、ナイフを使って悪いことが起きた。だから、ナイフは持たせないよう
にしようと、短絡的にすぐ大人は思ってしまいます。でも、その時反発したのが、ボ
ーイスカウトのリーダーたちです。ナイフを使って、生活をしていくのにどのように
ナイフを扱い、どのように人にナイフを渡すかということからトレーニングしている
わけです。その人たちが、ナイフを持たせないようにしようと言われてしまうと、そ
ういう生活の知恵とか、野外での過ごし方をトレーニングするのに、非常に躊躇して
しまうことになります。
それから、例えば、文部省が提唱したスポーツくじというのが新設されようとした
時、賭け事はいけないから、子どもにそのようなサッカーくじを設けるなどとはとん
でもないという議論が高まりました。
確かに、大金を賭けてたり、くじをやるというのは、悪い影響を与えるかもしれま
せん。けれども、賭けたりするのではなく、くじを使って予想するということを学ぶ
機会もあるかもしれない。そのような考え方もあるのではないかと思います。
また、例えば、ポルノ雑誌などが流行をしているというふうになると、目に触れな
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いようにしようとなります。これに関して、この間、ある方がテレビでお話をしてい
らっしゃるのを、たまたま私、その部分だけ聞いていましたが、小さい時、おうちに、
そういうポルノと言われるような小説とか何かがいっぱい書棚にあったとのこと。そ
の方は、そういう本を片っ端から読まれたらしい。けれども、私はそういうようなこ
とで変な人間には育ちませんでしたとおっしゃいました。子どもたちは、こういうこ
とが世の中にあるのだという淡々とした気持ちで読み、後々同じような場面に出会っ
た時に、そういえば読んだことがあるということを思い出して、突然の衝撃的な経験
にならないということがあるのではないかとおっしゃいました。
いろいろ賛否両論あるとは思いますけれども、これは危ないから持たせないとか、
見せないとかということで子どもを囲ってしまって、無菌状態のように過ごしてきた
場合に、そのような社会にずっと過ごせるならばいいと思いますが、必ずしもそうい
う中に一生を過ごすということができない場合に、突然、いろいろな現実にふれてと
まどう事態になることは、問題なのではないかと思います。
発達段階に応じて失敗とか成功の両方とも豊かに与えられていることが後になって
多様な状況に適応できる心のゆとりをもたせることになるという考え方もあります。
例えば、乳幼児期に泣いて訴えると、だれか大人が来て、お乳がほしいのかな、お
尻が濡れているのかなと世話をしてくれる。そういうことが、ずっと体験的にあると、
何か自分が困った時にサインを出すと、大人が助けてくれるということを知って、大
人を信頼するという心が育つと言われています。
そのように、発達段階によって、その時期に育つ大切な特性があり、例えば幼稚園
の頃には、失敗と成功の両方の体験を豊かに持つことが大切だといわれています。
今、全体的に生活にゆとりができてきて、お母さま方が子どもに手をかけることが
多くなっていると思います。そうなると、水たまりのそばに行くと、「ここはだめ
よ。」と言ってだっこをして脇を回らせてあげるといったことがよくあり、同様のこ
とをされることによって、水たまりに足を突っ込んで気持ちが悪くて、「いやだ」と
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感じる体験をすることなく育ってしまう。ということは、その困った事態になった時
に、自分がどうしたらいいかということを考える機会と、それから、人がそういうふ
うに水の中に落ちて困っている時に、思いやってあげるという気持ちと、この2つが
育たないとも言われています。
だからといって、そのことに気づいた方が、自分の中学生である子どもに対してあ
わてて失敗の体験をたくさんさせようとしても、その時期は、大きな失敗や多数の失
敗をすれば、もう立ち戻ることのできない年代になっていますから、適切な発達段階
に適切な体験をすることが大事であると思います。
それから、「トライやる・ウィーク」の意義の最後は、共に生きるということを知
るいいチャンスを提供できるということです。自分以外の人と共に自分たちが、この
社会を成り立たせているのだと気づくこと。自分以外の人と関わり合うことで、他の
人への思いやりを持つことができるようになることを体験します。人とともにという
ことは、先ほどから、いろいろな方もお話されたように、価値観の違う人たちと出会
うことによって、あそこに、ああいう考え方をしている人もいるのかと気づく機会が
あり、ある一つの考え方を受け入れられる場合と、反発を感じる場合とあるがあるで
しょう。いろいろな考え方があるということを知っていることが大事です。
これらのことは、「トライやる・ウィーク」の活動先を決める時の先生との話し合
い、受入先の皆さんと、活動中、話し合うこと、また、実施後に学校や地域で活動発
表の時間があると思うのですが、発表して質疑応答をするというようないろいろな場
面でのやり取りを通して、価値観の違いに触れて、自分がどう感じるかということを
何度も経験をすることができると思います。
それから、家族と、今日やってきた活動について話し合いをするということも、新
しい価値観を生んでいくきっかけになると思います。地域でいろいろな体験をするこ
とが、子どもたち自身の居場所づくりにつながっていくと思うのです。
今、ちょうど文部科学省では、来年に向けて居場所づくりというキャンペーンを行
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おうとしています。今、居場所が見つからない子どもがいるので、居場所づくりのた
めのキャンペーンになり、予算を獲得し、活動を様々な地域にお願いしようとしてい
ます。
本来、子どもたちは居場所がないはずがないのですが、今、家庭さえも居場所では
ない。学校も居場所でないと考えられて、わざわざ新しい場をつくらなければならな
いというのは、おかしいことで、このようなキャンペーンが早く完了することが望ま
しいと思っています。
この「トライやる・ウィーク」の更なる実施を通して、居場所を検証しなくても、
学校、あるいは受入先、家庭を拠点として、この地域が、自分が生きていく居場所だ
と思えるようになることが大事であると思っています。
それでは、これから「トライやる・ウィーク」が更に進められていくことに対して、
どういうことを私が期待しているかを申し上げたいと思います。
1つは、先ほど、教育長のごあいさつの中にもありましたが、検証委員会の時に、
ぜひお願いしたいと申し上げたのは、 「(地域における活動等) 成果の日常化」とい
うことです。「トライやる・ウィーク」を、単なる学校行事、ある時行われた単なる
イベントとして、花火のような特異な体験にしてほしくないのです。
例えば、活動先でいろいろな体験をしたことが、家での日常生活に生きるように、
生徒が「お母さん、こんなごみの捨て方では、後にごみの処理する人が大変だよ。」
といったような本当に小さなことから、「トライやる・ウィーク」で体験したことが、
家庭生活を少しでも向上させていくために、あるいは学校での活動を充実させていく
ためにヒントになって、それが生きていくことが重要だと思うのです。
ごみ処理に対しても、もし農業体験などをした生徒さんがいれば、「ああやって苦
労してお米ができるのだから、1粒も残してはいけないと思う」ということを、おう
ちでも意見を言ったり、学校の給食の時間に意見を言ったりといったマナーが身につ
くことがあるのではないかと思います。
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ぜひ、どんなに小さいことでも、日常生活に生きて働くようになってほしいと思い
ます。
2番目には、困難な状況の克服ということです。検証委員会の時に、「トライや
る・ウィーク」は、生徒の興味、関心に基づいて活動先が決まるということをお聞き
しました。第一希望、第二希望などがあると思います。
第一希望に入れなかった、第二希望でしか活動ができなかった生徒が、第一希望で
はないのでちょっとがっかりしたような様子が見られたということが話に出ました。
先生方の反省として、これからは生徒の第一希望に、できるだけ沿うように活動先
を開拓しなければならないというご発言がありました。このことは、先生方から見て、
大事なことと思います。けれども、生徒たちは、これからの人生を歩んでいく時、第
一希望でいろいろなことが全部実現していくということはなかなかありません。この
第二希望の活動になった時に、それに対して、どうやって心を寄せていくかという、
指導と、それから、生徒自身がどうチャレンジしていくかが重要です。第二希望だっ
たけど、もしかしたらそれは自分の生き方に関わることになるかもしれないというこ
ともありましょう。
その困難な状況の克服ということも、検討に入れていただきたいと考えます。
それから、3番目は、もう既になされていますが、生徒自身が地域の活動の計画に
携わる、参画ということです。参画することを通してこの活動がなされ、それが日々
の学習にも関わるということが大事だと思います。
それから、4番目は、記録をきちんと残してほしいということです。これは総合的
な学習の時間を取り入れた時に、ポートフォリオという名前で紹介されました。ファ
イルを作っていくということで、自分の活動の軌跡をきちんと記録として残すことで
すが、「トライやる・ウィーク」の1週間の活動というのは、取り返しのつかない、
1回限りの体験です。それを自分で振り返りながら、どういう意味があったのかを考
えるきっかけにするためには、貴重な1週間の記録が残っていくということが大切だ
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と思っています。
そして、最後に、特に学校の先生方にお願いしたいのは、子どもの学校での勉強の
様子だけで子どもを判断するのではなく、学校内外での子どもの体験を全体的に受け
とめて、その一人一人の生徒の発達とか、成長を受けとめていただきたいということ
です。
教室で、体験の成果とか、あるいは土曜日の過ごし方などを一人一人から聞いて、
それを教科の学習の初めのきっかけづくりにしていただくこと、それは学校の先生へ
のお願いになりますし、保護者の方にも、子どもの体験を聞くことによって、自分た
ちの話題を広げていく、柔軟な態度を、大人自身が身につけていかなければならない
のではないかと思っております。
つたない話でございましたけれども、私が「トライやる・ウィーク」をめぐって感
じておりますことを話させていただきました。ぜひ、兵庫県の「トライやる・ウィー
ク」が種子となって、いろいろな木が育っていきますようにと願っております。
ご静聴ありがとうございました。
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