「世界貿易を巡る環境の変化」€¦ ·...

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-1- 「世界貿易を巡る環境の変化」 (財団法人)国際貿易投資研究所 中村江里子 地図に見る現代世界 目指していたが、目標達成は非常に難しい。しか し世界の多数の国がかかわる問題が頓挫している にもかかわらず、交渉再開を強力に推進する動き は少ない。それは何故か。その背景には、貿易を 巡る環境の大きな変化があげられる。 ◆はじめに 「自由貿易交渉の危機」-2006年7月、世界貿 易機関(WTO)としての初めての多角的貿易交渉 であるドーハ・ラウンドは各国の利害を調整しき れずに凍結された。当初は2006年内の交渉終結を ◆戦後の世界貿易体制の歩み まずは戦後の世界貿易の動きを見てみよう。戦 後の世界貿易は、基本的には「多角的」、 「無差別」 をキーワードとした自由貿易体制の中で拡大し てきた。かつてこの体制を導いたのが1948年の GATT(関税及び貿易に関する一般協定)である。 86年より開催されウルグアイ・ラウンドでは、参 加国数が123か国とEC(当時)に及んだため、交 渉は長期化し、1994年4月にようやく終結した。 95年1月には貿易を担当する正式な国際機関の 一つとしてWTOが創設された。WTOではモノの 他に、サービス、知的所有権に関する諸協定を管 理・運営するとともに、紛争処理の場としての役 割を果たしている。2005年12月現在、WTOの加 盟国・地域数は149、その他にロシア、ベトナム など約30か国が加盟を申請している。WTO発足 以降、旧ソ連崩壊後の市場経済化への移行が進む 中、旧ソ連諸国や中国、台湾などの加盟の申請・ 承認が進んでおり、WTOへの加盟の歴史は「共 産主義の崩壊から市場経済への移行」という世界 経済の大きな潮流をそのまま反映しているといっ ても過言ではない(地図1表1)。 ◆交渉が複雑化したドーハ・ラウンド しかしグローバル化の進展につれて交渉分野が 多岐にわたるようになり、先進国と途上国のスタ ンスの違いが拡大してきた。また、ウルグアイ・ ラウンドで定められた多くの非関税障壁に関する ルールの中には途上国にとって実施が負担になる (地図1)帝国書院『標準高等地図(新訂版)』p.103~104 表1  GATT、WTOにおける多国間貿易交渉 時期 交渉 期間 名称 参加 国数 1947年 か月 第1回交渉 23 1949年 か月 第2回交渉 13 1950~51年 か月 第3回交渉 38 1956年 か月 第4回交渉 26 1960~61年 15か月 ディロン・ラウンド 26 1964~67年 37か月 ケネディ・ラウンド 62 1973~79年 75か月 東京ラウンド 102 1986~94年 91か月 ウルグアイ・ラウンド 123 2001年~ ドーハ・ラウンド 149 (資料)「ガットの全貌」(日本関税協会)、WTOウェ ブサイト、経済産業省ウェブサイト

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Page 1: 「世界貿易を巡る環境の変化」€¦ · 際的なルール形成の時間軸と実際のビジネスの環 境変化の時間軸との乖離が、90年代から活発化し

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「世界貿易を巡る環境の変化」

(財団法人)国際貿易投資研究所 中村江里子

地図に見る現代世界

目指していたが、目標達成は非常に難しい。しか

し世界の多数の国がかかわる問題が頓挫している

にもかかわらず、交渉再開を強力に推進する動き

は少ない。それは何故か。その背景には、貿易を

巡る環境の大きな変化があげられる。

◆はじめに

 「自由貿易交渉の危機」-2006年7月、世界貿

易機関(WTO)としての初めての多角的貿易交渉

であるドーハ・ラウンドは各国の利害を調整しき

れずに凍結された。当初は2006年内の交渉終結を

◆戦後の世界貿易体制の歩み

 まずは戦後の世界貿易の動きを見てみよう。戦

後の世界貿易は、基本的には「多角的」、「無差別」

をキーワードとした自由貿易体制の中で拡大し

てきた。かつてこの体制を導いたのが1948年の

GATT(関税及び貿易に関する一般協定)である。

86年より開催されウルグアイ・ラウンドでは、参

加国数が123か国とEC(当時)に及んだため、交

渉は長期化し、1994年4月にようやく終結した。

 95年1月には貿易を担当する正式な国際機関の

一つとしてWTOが創設された。WTOではモノの

他に、サービス、知的所有権に関する諸協定を管

理・運営するとともに、紛争処理の場としての役

割を果たしている。2005年12月現在、WTOの加

盟国・地域数は149、その他にロシア、ベトナム

など約30か国が加盟を申請している。WTO発足

以降、旧ソ連崩壊後の市場経済化への移行が進む

中、旧ソ連諸国や中国、台湾などの加盟の申請・

承認が進んでおり、WTOへの加盟の歴史は「共

産主義の崩壊から市場経済への移行」という世界

経済の大きな潮流をそのまま反映しているといっ

ても過言ではない(地図1・表1)。

◆交渉が複雑化したドーハ・ラウンド

 しかしグローバル化の進展につれて交渉分野が

多岐にわたるようになり、先進国と途上国のスタ

ンスの違いが拡大してきた。また、ウルグアイ・

ラウンドで定められた多くの非関税障壁に関する

ルールの中には途上国にとって実施が負担になる

(地図1)帝国書院『標準高等地図(新訂版)』p.103~104

表1  GATT、WTOにおける多国間貿易交渉

時期交渉期間

名称参加国数

1947年 7か月 第1回交渉 23

1949年 7か月 第2回交渉 13

1950~51年 8か月 第3回交渉 38

1956年 5か月 第4回交渉 26

1960~61年 15か月 ディロン・ラウンド 26

1964~67年 37か月 ケネディ・ラウンド 62

1973~79年 75か月 東京ラウンド 102

1986~94年 91か月 ウルグアイ・ラウンド 123

2001年~ ドーハ・ラウンド 149

(資料)「ガットの全貌」(日本関税協会)、WTOウェブサイト、経済産業省ウェブサイト

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ケースも見られたことも、先進国と途上国の意識

の差を大きくした。

 こうした先進国・途上国間の対立に加え、先進

国の間でも農業やアンチダンピングなどで調整に

難航し、2001年にようやくWTO初のラウンドと

してドーハ・ラウンドを立ち上げた。ドーハ・ラ

ウンドは2002年より本格交渉を開始したものの、

従来からの議題に加え、投資、競争、貿易の円滑

化、政府調達の透明性という4つの新しい交渉分

野や環境、途上国問題など、新たな時代の要請に

対応した幅広い分野を取り扱う包括的な内容とな

り、ますます交渉は複雑化した。とくに農業分野

で市場開放をめぐり食料輸出国と輸入国が鋭く対

立し、ついにドーハ・ラウンドは2006年7月から

当面の間、凍結される事態となっている。

◆90年代以降の新たな動き

 このように、世界貿易を巡るルール形成の流れ

は複雑化が進み、参加する国・地域数が増えるに

つれて意思決定に多大な時間がかかるようになっ

た。一方で、経済のグローバリゼーションはます

ます進み、コンピュータや情報通信技術の革新的

な進歩は、国境を越えて取引される財やサービス

の多様化、スピード化をもたらした。こうした国

際的なルール形成の時間軸と実際のビジネスの環

境変化の時間軸との乖離が、90年代から活発化し

た地域間の貿易協定の促進要因となっている。

 そもそも限られた国・地域間における貿易ルー

ルについては、WTOでは地域貿易協定と分類さ

れ、自由貿易を阻害するものでない限りとくに規

制はされていない。WTOではこれらの協定を「関

税同盟」、「自由貿易地域(FTA)」およびそれら

形成のための「中間協定」の3つに分類している。

関税同盟が域内の貿易は自由化、域外諸国に対し

ては共通関税を課すのに対して、FTAは域内貿

易の自由化が重要視され、域外諸国に対してはこ

れまで通り各国の関税率や通商規定が適用され

るものである。代表例として前者ではEU(欧州連

合)、後者ではNAFTA(北米自由貿易協定)がある。

 WTOによれば、2006年6月現在、発効してい

る地域貿易協定は延べ197件、実質148件(日本貿

易振興機構による重複分を除いた件数)に上っ

ている(図1)。特筆されるのは90年代以降の急

増である。50年代から80年代まで合わせて19件で

あったのが、90年代は53件に急増、2000年以降は

すでに76件と勢いが増している。90年代以降の急

増の要因は、ウルグアイ・ラウンドの交渉難航に

加え、WTOによる多角的貿易自由化交渉の遅延

への危惧があげられよう。グローバルなルール形

成と並行しつつ、より自国に密接な貿易関係を持

つ二国間・地域間による地域貿易協定の交渉を積

極化させることで、現実的で実際的な貿易自由化

の恩恵を享受しようという方策である。

図1 地域貿易協定件数の推移(年代別)

7060504030201002005年

2000─04年1995─99年1990─94年1985─89年1980─84年1975─79年1970─74年1965─69年1960─64年1955─59年 1

21444

12

3

64

2231

(件)

◆最近の地域貿易協定の特徴

 こうして増加が著しい地域貿易協定であるが、

その急増ぶりが示すように、かつての協定と最近

の協定ではやや特徴が異なる。

 最大の特徴は、最近の協定のほぼ全てが域内貿

易の自由化を目的としたFTAであるということ

である。前述の通り、FTAは域外諸国に関して

共通関税を課すことはしないので、各国間の調整

がしやすいことがポイントである。

 第2の特徴は、FTAに含まれる内容が財・サー

ビスの取引に留まらず、投資や環境、労働など新

分野にまで拡大していることである。とくに2001

年発効の米国・ヨルダンFTAでは、FTAとして

は初めて「環境」、「労働」に関する規定が盛り込

まれるなど、ドーハ・ラウンドを先取りした動き

(原資料 注)①WTOホームページに掲載されている地域貿易協定(RTA)(掲載の定義はGATTもしくはWTOに通報され現在も発効中のもの)197件中、1)既存FTAへの新規加盟に伴う重複、2)GATTとGATS両方への通報に伴う重複など、計49件を除く。②年代は発効順。発効日が不明なものはGATTもしくはGATSへの通報年(GCC:84年、ECO:92年)で集計。〔ジェトロウェブサイト、ほか〕

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が見られた。

 第3の特徴は、同一地域内のみならず、太平洋、

大西洋を挟んだ地域横断的なFTAの増加である。

従来のFTAのほとんどは欧州域内、あるいは米

州域内など距離的にも近く、したがって言語・文

化的にも別の地域に比べて類似性のある、言い換

えれば「なじみのある」諸国間同士で締結される

ことが多かった。しかし、近年のFTAはこうし

た近接性とは無関係に、当事国にとっての貿易・

投資相手国としての重要性が重視されている。

 最後の特徴は、交渉スピードの迅速化である。

WTOにおける多角的交渉に時間がかかる一方で、

二国間のFTAは交渉期間が短くなる傾向にある。

同じ米国の協定でも、85年9月に交渉を開始した

米国・カナダFTAは交渉期間が約2年4か月で

あったのに対し、2000年6月に交渉を開始した米

国・ヨルダンFTAは、「環境」や「労働」に関す

る規定を盛り込んだにもかかわらず、わずか5か

月余りで調印に至っている。こうした交渉期間の

短縮化は、先行したFTA交渉においてすでに各

分野の問題が洗い出され、問題の処理方法を経験

済みであるからということもあろう。

 ではこうしたFTAは果たして貿易の発展に

どれほど寄与しているのであろうか。EU、

NAFTA、南米南部共同市場(メルコスール)、

ASEAN自由貿易地域(AFTA)という各地域の主

要FTAに関して90年から2005年までの域内貿易

の動きを追うと、この間の平均成長率はEUを除

いて全て域内貿易の方が域外貿易より高い。域内

貿易比率を見ても、NAFTAが90年の41.4%から

2005年には55.1%と5割を超え、メルコスールも

8.9%から12.0%に、AFTAも18.9%から22.1%に

拡大するなど、FTAに伴う域内の貿易障壁撤廃

により域内貿易が拡大する効果が見て取れる(表

2)。

◆日本もFTAに積極的な姿勢に

 世界でこうした新しいスタイルのFTAが増加

する中、日本はどのような対応をしているのか。

 これまで日本は通商ルール策定の基本はGATT

/WTOであるとし、FTAなどの地域貿易協定に

積極的な姿勢を見せなかった。しかし90年代後半

以降、日本はWTOの重要性を基本としつつも、

FTAについて本格的な検討を始めた。そして

2002年11月、日本としては初めてのFTAがシン

ガポールとの間で発効し、メキシコ(2005年4月

発効)、マレーシア(2006年7月発効)、フィリピ

ン(2006年9月署名済み)と続いている。これらの

FTAには「モノ」や「サービス」のみならず投

資や知的所有権、競争政策、人的交流の拡大など、

幅広い経済関係の強化を図る内容となっているこ

とから、FTAの要素を含む対象分野の広い協定

として、「経済連携協定(EPA)」という名称が使

われている。この3か国以外にもマレーシア、イ

ンドネシア、韓国、チリ、ASEANなどとの間で

交渉がなされ、さらにはブルネイ、ベトナム、イ

ンドなどの他、オーストラリアやスイスなど地域

横断的なFTAも検討が始まっている。

 先に見た通り、近年の地域貿易協定は当事国に

とっての貿易・投資相手国としての重要性が重視

されるが、日本にとっては貿易・投資の両面で相

互依存関係が深い地域は、貿易額の4割以上を占

め、かつ多くの日本企業の海外生産拠点がある東

アジア地域である。また「世界の工場」といわれ

る中国を含む東アジアは経済成長も著しく、日本

経済活性化のカギとしてこの活力を国内に取り込

むべく、今後の日本の地域貿易協定戦略は東アジ

アを重点として進められることになろう。

     表2 主要なFTAの域内・域外貿易(単位:%)

発効年

平均成長率(90~2005年)

域内・域外貿易比率

90年 2005年

域内 域外 世界 域内 域外 域内 域外

EU15

NAFTA

メルコスール

AFTA

95年1月

94年1月

91年11月

92年1月

5.6

8.8

11.1

11.9

7.4

4.9

8.6

10.5

6.2

6.8

8.9

10.8

65.9

41.4

8.9

18.9

34.1

58.6

91.1

81.1

60.0

55.1

12.0

22.1

40.0

44.9

88.0

77.9

〔注〕EU:15か国ベース、原発効年は1958年1月。95年は15か国となった第4次拡大。NAFTA:カナダ、米国、メキシコ。メルコスール:アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ。AFTA:シンガポール、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ブルネイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム。〔資料〕Direction of Trade Statistics, CD-ROM, June,2006(IMF)

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駒澤大学名誉教授 中 村 和 郎

冬に南風が吹く地域

 今回は、初めから地図好きとはいえなかった私

が、地図のとりこになった個人的な経験を書いて

みたい。自分から進んで書きたいことではないが、

地図嫌いだと思いこんでおられる先生に少しでも

ヒントになることがあればと考えてみた。

 私は学生時代に気候学に関心があった。日本の

気候図を見ていて、不思議に思ったことがあった。

たとえば、日本各地の冬の卓越風向である。われ

われは日本の冬の季節風は北西風だと思っている。

しかし、気候図や気候表を見ると、奄美大島以南

は北東風である。毎日の天気図で見ても、北西季

節風は奄美大島付近で決まって北東風に向きを変

える。これはまだしも、富山などの冬の卓越風は

北西風ではなくて、むしろ南よりの風であるとい

う事実を初めて知ったときは驚いた。

 冬に南よりの風が卓越するのは富山のほかには

どこがあるだろうかと思って調べてみると、北陸

地方に意外に多いことがわかる。北西季節風がま

ともに吹きつけると思われる北陸地方の日本海岸

で、季節風とは正反対に近い南よりの風が卓越す

るとなれば、ますます不思議に思われる。

 中部地方と近畿地方を中心とする詳細な天気図

を作ってみると、冬には高山盆地あたりに小さな

高気圧ができていることがある。本州でもいちば

ん陸地が広いこの地方は冬になると一段と冷却し

て内陸高気圧ができ、そこから吹き出す風が北陸

地方で南よりの風になるというのが一つの答えに

なるのではあるまいか、などと考えた。

 太平洋側に吹き出す風はどうなっているのだろ

う。

 今ならば、インターネットでアメダス観測地点

の毎時間の風向分布を簡単に見ることができるの

で、興味のある人は、気象庁の電子閲覧室でアメ

ダスを見るとよい。冬の期間の夜間と日中とでは、

どちらに南よりの風が多いだろうか。

 その当時の私は地図に特別の関心を抱いていた

わけではないが、地図を見ていて、教科書や参考

書などに書かれていない、上のような疑問がふっ

とわいてきたといってよい。

地図を語り始めた頃

 私は帝国書院の『地理資料』(1981年6月号)

に「地図を読む話」を書いたことがあった。ウェ

ーゲナーの「大陸移動説」は、大陸が移動したと

いう説を裏づける根拠として、古生代のカタツム

リの分布や、ウェーゲナーの義父にあたるケッペ

ンと一緒に、大陸がくっついていたと仮定すると

古生代にも熱帯・乾燥帯・寒帯などの気候帯が当

時の緯度に沿って帯状に配列することなどを挙げ

ている。柳田国男の「蝸牛考」では、カタツムリ

をいい表すおびただしい数の方言は、近畿地方を

中心としてデデムシ系̶マイマイ系̶カタツムリ

系̶ツブリ系̶ナメクジ系が同心円状に配列する

ことに注目し、方言というのはなまった、きたな

い言葉などではなくて、実は京都で生まれた言葉

が池の波紋のように広がったものだという方言周

圏説を唱えた。このどちらも地図があって初めて

生まれた学説だと述べた。

 私が大まじめで地図のことを考え始め、それを

地理学の講義などで学生たちに語り始めたのはそ

れより少し前のことであった。

 その頃読んだ『洞穴学ことはじめ』、『植物の進

化を探る』、『農業の起源』、『生と死の地理学』、

「三角縁神獣鏡」(書名失念)などの本は、専門分

地図と謎解き

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野が違っていてもいずれも地図を使って謎を解い

ていく話が入っていて興味が尽きなかった。

 地理というのは地形、気候、人口、都市、農業、

環境などという内容から構成されるが、それにと

らわれずに地図にこだわってみたらどうだろうか、

としだいに考えるようになった。こうして、『地理

学講座』(古今書院 1988)の第1巻第1章に「地

理学にとって地図はなぜ必要か」を書いた。

古地図の謎

までも克明に描いた巻物のように横長の絵である。

切妻屋根の家々は海岸沿いにびっしりと軒を接し

て並んでいる。海岸線は数段の石垣が組まれるな

どして、どこにも自然海岸が見られない。

 しかし、何よりも目が釘づけにされたのは、海

岸の家並みのすぐ背後に、その屋根の高さよりも

はるかに高い、生々しい急な崖が連なっているこ

とであった。そして崖の上にはまた家並みがあり、

高い樹木も茂っているのがわかる。段丘地形であ

る。港を見下ろす高台には役所と役人宅などが置

かれ、大きな寺も並んでいる。開港して数年後に

は、欧米人も高台に進出してきて、函館市西部地

区の景観の原形が形成された。

 函館の有名な坂道が、もともとはこんな急な崖

だったと想像できるだろうか。別の古地図で見る

と、この崖は高い階段で上り下りしていたものら

しい。今でも注意して歩けば、末広町あたりの建

物の裏には高い壁が築かれていて、この名残が認

められる。

 古地図のシミだと思ったものは実は崖を表す地

図の記号だったのである(図1の原図を見れば、

着色してあるから一目でそれが記号とわかるが)。

 古地図を見たときにすぐに質問したら、いとも

簡単に回答が得られたに違いないが、こんな風に

して自分で謎が解けたときの快感は格別である。

これも地図の楽しみを知るきっかけであった。

 函館に行ったときのことであった。最初に市史

編纂室で函館の古地図のコピーや函館市の資料な

どを見せてもらった。

 図1はそのなかの一枚の古地図である。コピー

のため不鮮明だったせいもある

が、この地図のなかの黒々とし

た部分は何だろうと気になった。

川だろうか? 川にしては海岸

線に平行で、どこまで行っても

海に注ぐ河口がない。濠? そ

れとも虫食いのあと?

 疑問を抱いたまま、翌日、た

またま観光案内所に入った。急

な木製の階段を上っていくと、

二階の真正面の壁に港から函館

山を描いた「箱館市海岸図」が

掲示されていた。一軒一軒の家

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1.はじめに

 ヨーロッパ中央部は、地誌学習の事例としてよ

く取り上げられる。それは、この地域が国家間の

地域統合の地理的背景や要因について、他地域に

転移する重要な学習内容を包含しているからであ

る。ここでは、『新詳高等地図』p.44~46 「ヨー

ロッパ要部」(図1)を主要教材とし、「生徒による

探究」 の指導を視野に入れた地理B「州・大陸規

模の地域の調査」の事前学習としての学習内容を

提案する。

広島大学附属福山高等学校 和 田 文 雄

いきいき授業提案 (平成18年度『新詳高等地図(最新版)』)

国境を越えて結びつくヨーロッパ

2.EUの中心地域

 今日のEUの基礎は、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同

体(ECSC)(1952年)である。この原加盟国である

フランス・旧西ドイツ・イタリア北部およびベネル

クス3国は、ヨーロッパ中央部に位置しており、

この地域はEUの中心地域である。2002年には、

通貨統合という大きな経済的統合を実現させた。

04年にはポーランド・ハンガリー・チェコ・スロバ

キアなど、かつての社会主義国であった国々が新

たにEUに加盟し、ヨーロッパの統合が東方への

拡大という形で大きく前進した。ヨーロッパは、

カトリックとプロテスタントの接点でもあり、ま

たさまざまな言語がみられる多様性にみちた地域

でもある。それゆえヨーロッパは、文化的多様性

のなかで新たな統合をめざしている地域ともいえ

る。

3.交通の発達

 「ヨーロッパ要部」の図では内陸水路や運河が発

達している様子が確認できる。ライン川やドナウ

川などの国際河川は、いくつもの運河により互い

に結びついている。北海から黒海までヨーロッパ

を縦断する一大水路であるマイン・ドナウ運河、

ドイツ北部を横断するミッテルラント運河、地中

海と北海を結ぶローヌ・ライン運河など、実際に

生徒にたどって確認させることが重要である。運

河や主要河川は物資輸送だけでなく、文化交流の

役割をも果たしヨーロッパの統一に大きく寄与し

ている。

図1 帝国書院『新詳高等地図(最新版)』p.44~46

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 ヨーロッパは、世界でも鉄道網の密集した地域

でもある。高速鉄道はフランス・スペイン・ドイ

ツ・イタリアなどにみられ、フランスではTGV、

ドイツではICEとよばれている。ドーヴァー海峡

を結ぶユーロトンネルは、日本の資金と技術によ

り開通(94年)し、パリ・ロンドン間が、特急列車

ユーロスターにより3時間で結ばれるようになっ

た。この地域では自動車交通も発達している。と

くに高速自動車道路はドイツ・イタリア・フラン

スなどで整備されている。EUの統合が進展する

につれ、それまで交通の発達を妨げてきた国境の

往来が容易になり、国際的な鉄道網や高速道路網

はその価値が向上している。

4.変化する工業地域

 『新詳高等地図』における「ヨーロッパ要部」は、

アメリカ合衆国東部および日本とならぶ世界の工

業の中心地域の一つである。とくに、イギリス南

東部からベネルクス3国、ルール工業地帯、ライ

ン川流域を経てイタリア北部にかけては、EU工

業の骨格となっており「青いバナナ」とよばれて

いる。この工業地域はEU統合の進展により結び

つきがさらに強まり、EU経済の中心地域となっ

ている。また新しい工業地域としては、スペイン

のバルセロナからフランス南部を経てイタリア北

部にいたる地中海沿岸地域がある。ここはエレク

トロニクス産業・航空機など先端技術産業が集積

し、「ヨーロッパのサンベルト」ともよばれている。

ポーランド・ハンガリー・スロバキアなどの中・東

欧諸国においては、市場経済への移行とEU加盟

により、西欧企業の動きが活発化し、新たな欧州

の工業の一大拠点となりつつある。

5.ドイツの統合

 こうしたヨーロッパ全体のイメージをもったう

えで、改めて地図上でドイツを確認することで、

さらに国と地域のかかわりという視点で学習を深

めることができる。

 ドイツは『新詳高等地図』「ヨーロッパ要部」の

ほぼ中央部に位置し、9つもの国と国境を接して

いる。これはこの国の複雑な歴史を物語る。第二

次世界大戦後、ドイツは自由主義陣営のドイツ連

邦共和国と社会主義陣営のドイツ民主共和国に分

かれ独立し(49年)、その後40年間、冷戦の象徴と

して鋭く対立した。ベルリンも東西に分けられ、

61年には東ドイツ側により「ベルリンの壁」が構築

された(図2)。80年代後半からの東ドイツ経済の

深刻な行き詰まりとペレストロイカによる改革と

民主化の波に抗しきれず、89年に「ベルリンの壁」

が開放され、翌年、ドイツは西が東を吸収合併す

る形で一挙に統合された。

 統一後のドイツ最大の課題は、東西両地域の経

済および社会統合であり、とりわけ生活水準の平

準化がめざされた。政府の巨額の補助金にもかか

わらず、旧東ドイツでは、多くの企業が倒産し、

大量の失業者がうまれた。若年者や技術者の多く

が西側へ移住している。旧東ドイツの問題は、そ

の視野を広げるとEU域内における地域格差の問

題であるともいえる。

図2 帝国書院『新詳高等地図(最新版)』p.50

6.おわりに

 北米自由貿易協定(NAFTA)や東南アジア諸国

連合(ASEAN)など国家間の地域統合は、今や世

界的な趨勢である。EUによるヨーロッパの統合

は、その先駆的な意味をもち、その要因や背景は

国家間の地域統合理解へのてがかりとなり、示唆

に富む学習内容である。その意味で『新詳高等地

図』の「ヨーロッパ要部」のように地域の結びつき

が詳細かつ広範囲に見られる図は便利であり、こ

の学習後の生徒による探究テーマや学習内容の設

定に事欠かない地域といえる。

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静岡市立清水商業高等学校 永 井 秀 紀

いきいき授業提案 (平成18年度『高等学校 新地理A(最新版)』)

生徒の興味づけを意識した導入展開例 ~韓国を事例に~

1.はじめに

 一般に地誌というと、その地域の特性を位置を

はじめ地形・気候・産業・文化などの様々な分野

から総合的に解明していくものであり、またそう

することにより地理的見方・考え方を身につけ、

最終的には自国と異なる社会を見る目、および他

国との相互理解を育てるものだと考えています。

そこで今回は、上記のことを踏まえたうえ、自分

が日頃からテーマとしている授業内容の関連性を

失わずに、いかにして生徒の興味関心を引き出す

か、また地理を学ぶこと、知ることの面白さを感

じさせるかを考慮し、教科書2部選択章3『近隣

諸国の生活・文化と日本』の単元から韓国を取り

上げ、1つの授業展開を提案したい。

2.導入

 今回は導入に『韓国度チェック』と題し、教科

書p.120~125、『新詳地理資料COMPLETE』p.100

~103の内容から、少し…? と思われる設問(注)

もあるが、生徒の興味関心を引き出す意味も込め、

YES・NO形式で20題出題することとした。

☆韓国度チェック☆

(設問)次の各設問にYES・NOで答えなさい。

①韓国ドラマ「冬のソナタ」にはまって以来、韓国

ドラマ・映画をチェックしている。

②「ぺ」のつく有名人は林家ぺーではなく、ペ・ヨ

ンジュンだ。

③よく聴く外国人アーチストは、BoAだ。

④箸は、鉄製を愛用している。

⑤ご飯は、箸でなくスプーンで食べる。

⑥食事の際に茶碗は手に持たない。

⑦もんじゃやお好み焼きよりチヂミが好きだ。

⑧チョコといえば、ロッテ(コアラのマーチ)だ。

⑨キムチがあれば、ご飯を何杯でもいける。

⑩少しまとまった休みが取れたら、国内旅行でな

く韓国へ行きたい。

⑪ソウルと聞くと、大和魂を揺さぶられるよりも

首都「ソウル」をイメージする。

⑫プサンと聞くと、プーさんの間違いじゃない

の? と思わずに、港湾都市プサンをイメージし、

「釜山港に帰れ」を口ずさんでしまう。

⑬38という数字を見ると、ミツバチ? 何の暗号

だ? とは思わずに、すぐに南北境界線だと思う。

⑭冬の防寒対策は、こたつではなくオンドルだ。

⑮友人との挨拶は、つい「アニョンハセヨ」と言っ

てしまう。

⑯両親など、目上の者を敬う気持ちは常に持って

いる。

⑰結婚後は夫婦別姓を望む。

⑱海外の民族衣装といえば、「チマチョゴリ」だ。

⑲将来、自動車を買うなら「ヒュンダイ」製、TV

を買うなら「サムスン」製だ。

⑳大学の第2外国語では韓国語を選択したい。

☆判定結果☆

●YESと答えた問題の数で判定します。

A(15問以上):韓国の達人です。私の代わりに授

業してみませんか。

B(10-14問):ちょっとした韓国通ですね。もっ

と知るともっと楽しくなりますよ。

C(9問以下):…ですよね。世界を知るにはまず

隣国から、一緒に勉強しましょう。

※設問は、その後の授業展開を考慮し、あらかじ

め全員がCに該当するように作っている。

3.展開

 上記の設問は、韓国の地誌を知るうえで重要な

キーワードが多々含まれている。そのためここか

らの展開パターンはいくつも考えられるが、今回

はまず設問⑩に着目させ、オーソドックスに日韓

(注)帝国書院 新地理Aに記述のあり     :④・⑥・⑨・⑪・⑫・⑬・⑭・⑯世界の諸地域NOWに記述あり:①・④・⑤・⑥・⑨・⑩・⑪・⑫・⑬・⑭・⑲・⑳新詳地理資料COMPLETEに記述あり:④・⑤・⑥・⑨・⑪・⑫・⑬・⑭・⑱・⑲・⑳

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の位置関係から展開することとした。この設問に

対する生徒の反応は、おそらく大半がNOであろ

う。そこで教科書p.124『韓国に修学旅行に行く

日本の学校数』のグラフに注目させる。01年にア

メリカ同時多発テロの影響で

下がっていることを除き、生

徒は、間違いなく80年代後半

から急速に校数が伸びている

ことをに気づくだろう。そし

てなぜこのように増加してい

るのかと単純な疑問が浮かび、

少なからず韓国への興味関心

を持つのではないかと考える。

 次にその「なぜ」を追求する

ため、設問⑪⑫から韓国を代表する都市ソウル・

プサンと日本の位置関係を地図帳p.19『日本の近

隣諸国』より調べさせる。

 この地図は、東京からの距離が同心円で描かれ

ているためそれを有効に利用する。またその際、

自分達が修学旅行で行く沖縄との距離も比較させ

ることで、その位置関係をより明確に把握するこ

とができる。しかし、同地図内で距離の近さだけ

を見るのであれば、ロシアのウラジオストクあた

りも同じであるため、さらに「なぜ」を追求する。

 そこで設問⑬から先ほどと同じ地図帳p.19を利

用し、経緯度に注目させる。まずは日本との経度

差を調べる。その際、もちろん日本は標準時の兵

庫県明石市を通る東経135度と、比較する。韓国

は沖縄とほぼ同じ東経120度代後半であることか

ら、生徒は海外でありながら国内よりも距離が近

いだけでなく、時差のないことに気づくだろう。

 続いて緯度についてみる。設問⑬の38という数

字は北朝鮮と韓国の軍事境界線、北緯38度のこと

である。首都ソウルは、ほぼ同緯度に位置すると

考えてよいだろう。では日本における同緯度はど

こにあたるか。それはほぼ東北地方南部であり、

生徒はそこから韓国の気候が日本と同じC気候区

であることは容易に判断できる。

 そこで資料p.100のソウル雨温図に注目させる。

この雨温図は東京の気温変化も載っているため、

比較させる。夏はさほど変わ

りはないが、冬は大陸性気候

の影響で氷点下となり、寒さ

がかなり厳しいことに気づく。

そのため農作物栽培には適さ

ないことは生徒も想像がつく

だろう。では冬場の食糧不足

はどうするのか。ここで新た

な「なぜ」が生まれる。単純に

輸入することも1つの方法だ

が、ここでは保存食を作るという言葉を導き出し

たい。それが韓国ではキムチとなる。(設問⑨と

関連)キムチは、野菜不足・ビタミン不足の解消

だけでなく、唐辛子には体を温める作用があり、

まさに韓国の厳しい冬の気候に対応して生まれた

食文化といえる。さらにこの流れの中で設問④~

⑦・⑭とも結びつけていくことができるだろう。

4.最後に

 まだ展開の途中であるが、このように繰り返し

疑問をぶつけ、それを解消していくことで、知ら

ず知らずに生徒はその国に興味関心を持ち、また

その特色を理解していくだろう。そしてそうした

中、最終的にいつかその国へ行ってみたい、また

他の国はどうなんだろうと思ってもらえば、ここ

での授業の果たす役割は、ぼちぼち成功したとい

えるのではないだろうか。

帝国書院『高等学校新地理A(最新版)』p.124

帝国書院『新詳高等地図(最新版)』p.19~20

帝国書院『新詳地理資料COMPLETE(三訂版)』p.100

韓国に修学旅行に行く日本の学校数

ソウルの雨温図

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茨城県立水戸南高等学校 横 瀬 仁

いきいき授業提案 (平成18年度『新詳地理B(最新版)』)

さまざまな題材の「地図化」の作業~南北格差を例に~

1.はじめに

 地図は授業に欠かせない要素であるが、その使

い方には、感心させられるものもあれば、疑問を

感じるものある。迂闊にまたは恣意に、誤解を与

えてしまう使い方も散見される。近年、センター

試験(2005年など)でも重視される技能であり、授

業で「地図化」を用いるときは、十分注意したい。

 教科書第Ⅲ部4章「地図でとらえる現代世界」で

取り上げられている「地図化」は、「見えるはずな

のによく見えない」情報を「一目で見えるようにす

る」という点で、たとえば等高線の模

型化とよく似ている。統計の分布図化

は、テキストとしてある情報を、面的

な、そして量的な情報として見事に示

してくれる。

2.地図化にはルールがある

 地理的データには、位置、絶対値 ・

量、密度・濃度、比率などがある。図

化するときに、「どの方法で図にでき

るか」「どこまで図にできるか」の吟味

は重要である。分布値を分布図にする

場合でも、段階区分してよいものとわるいものと

がある。このような前提を誤ると、せっかくの「地

図化」が思わぬ間違いを生んでしまう(図1)。

 某社の白地図集に、「世界の国々の中で人口が

多い10か国を、世・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

界白地図の中に赤で着色しよう」

という作業が指示されていた。人口によって地図

に着色したならば、大きな誤解を招く。いわゆる

「絶対分布図」と「相対分布図」の混同である。

分布図化する場合には、人口を円にして正積の地

図にのせるか、人口密度で塗り分けるかしかない。

センター試験01年追試第5問にも、「階級区分図

は、領域の面積に大小の差がある場合、面積が増

加するとそれにつれて増加する性質のある指標に

用いるのは不適当」との表現があった。

生徒に分布図を作成させると、必ずこの種の過

ちをする者がある。このような「地図化のルール」

を知らないことによる誤りは、分布図の基図に正

積図でないものを用いたり、近隣諸国・諸都市ま

での距離を正距図法でない地図に同心円で示した

りといったものを含めると、公的機関のHPや教

科書にまでかなり多く見られるのである。これら

の情報は、誤った地理的認識を広めているかもし

れない。

 「変形地図」の使用にも慎重でありたい。変形地

図から読みとるためには、 「もともとのその国の

面積を知っている」ことが前提になる。しかし、

メンタルマップにしばしば高緯度の国が大きく描

かれることが示すように、私たちの頭の中には正

しい面積情報があるとは限らない。変形地図は、

視覚的効果があるものではあるが、「正積図の上

に円などをのせた分布図」に優るものではない(相

対値ならばそもそも変形地図になじまない)。

3.「地図化」として取り上げたい課題

○世界地図に位置を記入しよう ○地図に円・棒

(図1)Nijix社GeoLinkXLにより作成した分布図都道府県別に、左は人口の多い順、右は人口密度の高い順に赤→グレーと塗り分けている。

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グラフをのせてみよう ○地図を色分けしよう

 このような図化は、白地図と簡単なデータがあ

れば、容易に行える(円の直径の決定には注意)。

この章で例示されている内容「紛争」「貧困」であれ

ば、紛争地域を図示する(この場合は位置を記入)、

「貧困」の度合いを教科書p.236のようにGDPの指

標で国を色分けすることで、貧困の観点から南北

格差を図化させることができる。分布図を作る場

合、世界の国別データは190を超え、国内の市町

村別データも数千に及び合併によって変化が激し

いため、図化はかなり面倒である。しかし国内の

都道府県別なら47しかないので平易で、塗り分け

をしてくれる簡単なパソコンソフトもある(たと

えば Nijix社 GeoLinkXL、帝国書院 SHM)。

○絶対分布と相対値の融合した図を作ってみよう

 分布量を円にして地図にのせるタイプの分布図

に、別な分類指標で円に着色する。あるいは分布

量の内訳を、その円内に中心角で示す(いわゆる

パイ図)とか、地図上に棒グラフをのせて、その

棒を積みあげグラフにする、といったものである。

作業が面倒になるから、関東地方の7都県で行う、

といった方法もある。

 ここまであげたような簡単なデータの図化でも、

異なる年次で2~3枚描いて比較すると、学習が

深まる。

○自分の家の周りの地図を書いてみよう ○その

地図を色分けしよう

 作成する地域が住宅地の場合はやや変化に乏し

いかもしれないが、畑地では作物の種類、商店街

では店の種類など、かなりの分布図ができる。距

離や面積に正確さを期すなら1/2,500図を基図に

すればよいが、自分の歩幅の平均を用いて歩測す

るのも1つのデータの集め方であり、学習になる。

土地利用などによる色分けは、当然既存のものよ

りも詳細にできる。

 これはデータを他に頼らずに、自分でデータを

集め地域区分を行うタイプの地図化である。地域

区分を読みとる問題は、センター試験05年第5問

問6にも出題されている。

○等値線を描いてみよう

 多くの地点の値をもとに、コンターを引いてみ

る。標高・気圧のデータから等高線・等圧線を引く

とか、開花日のデータから桜前線を引くといった

もので、等値線の意味が理解できる。とくに分布

値が単調に変化していない場合(尾根や谷がある

場合)、線引きに戸惑う生徒の反応が面白い。

 等高線は、実は地表の高さの分布図である。そ

の分布図(地形図)は、きわめて正確で精密なもの

ではあるが、一見ではその分布がわからない。そ

れをわかりやすくしたのが地形模型ともいえる。

4.おわりに

 地図は位置、分布、その量や濃淡がわかるだけ

で、その事象の深さや背景は示さない。南北問題

や貧困では、地図化の作業を通して問題の存在地

域や多さはわかっても、その深刻さはわからない

のである。貧困に苦しむ「地域」がわかったら、ぜ

ひその「深刻さ」「困難さ」に理解を進めたい。そ

れには、動画や映像が効果的と思うが、たとえば

ODA情報センター国際協力プラザには、「ODA

テレビ」として国際機関・NGO・JICAなどの種々

の動画がある。ぜひ活用したい。

(図2)帝国書院『新詳地理B(最新版)』p.236

(図3)御蔵島の模型とその裏面(生徒制作)

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世界の今知りたい!

少子化対策先進国デンマーク──女性の自立に伴う家庭生活を支えと、ゆとりある子どもの人間形成システム──

デンマークはベビーブーム

 北ヨーロッパに位置し立憲君主制(憲法発布1849

年)をとるデンマーク王国は、1960年代からの労

働力不足・女性の社会進出に伴い、70年代からの

男女平等と労働時間の短縮、子育て支援施策の充

実等によって合計特殊出生率が下げ止まり、83年

以降上昇している国である。そのため、少子化に

歯止めをかけたモデル国の1つになっている。

 離婚率は日本と同様であるが、婚外子は全出生

数の半数近くある。一般に、婚外子が社会的に認

知されることは、出生率回復の要因として考えら

れている。デンマークでも同様の傾向にあるが、

そこには女性が出産を決意できる条件を整えてき

たこと、男性も夫・父親として家族構成員の魅力

を高めていかなければならないということがある。

こうしたことが、男性の意識改革を促し、家事や

育児の分担・共同作業という意識を高めている。

 仕事については、労働者の権利が重視(労使協

定)され、勤務時間も法的に制約(週37時間)され

ていることで、仕事上の質と量を調整して、個人

や家族の健康・生活を保障する社会的整備を行っ

ている。一般的な勤務時間は午前8時から午後4

時で残業はない(必要な場合、早朝出勤や自宅で

仕事をする)。家族ですごす夕方~夜の時間を確

保することが優先されている。

 こうした背景には、社会民主主義国家として、

障害者、女性、子ども、高齢者、移民など社会的

弱者の権利と生活を保障することによって、社会

全体の仕組みを構築してきた蓄積がある。

 デンマークの少子化対策の特徴は、出生奨励策

ではなく、女性・雇用・子どもへの政策が間接的

に出生率に効果を与える少子化対策ということで

ある。つまり女性の自立と家庭生活の権利保障が、

デンマークがこの間、取り組んできた柱である。

デンマークの市民生活

 デンマークでは、消費税が25%、所得税が

49.5%となっている。高い納税負担によって充実

した社会保障が行われている。

 こうしたことは、共働きを必須(失業率6%)と

させるが、貯蓄や保険など可処分所得が少なくて

すみ、医療費や年金、失業の保障によって生活や

将来に対する安心感を得ることを選択しているこ

北九州市立大学 恒 吉 紀 寿

 現在は、バブル経済期にあるということと、少

子化時代で育った世代が子どもを出産する時期を

迎え、ベビーブームになっている。

 仕事と家庭の両立支援制度の構築、社会的に出

産や育児をサポートする仕組みと、家族ですごす

時間が確保されていることで、自分たちより多い

兄弟を産み・育てたいという人生設計が選択され

る条件・環境・文化が整備されている。

 第一子の出産年齢は30歳近くと高く、高齢出産

も増加していることから、20代の自己実現、30代

前後からの仕事と家庭の両立といったライフサイ

クルになりつつある。

 家族については、同棲・事実婚が増加(1969年婚

姻法の改正により事実婚でも登録婚の配偶者と同

じ権利を有することが法的に認められている)、

ステップファミリーが増加している。また体外受

精や養子を迎える家庭も多い。

(注1)GDI(ジェンダー開発指数):人間開発指数(HDI)同様、人間の基本的な能力の達成度を測定するものだが、男女間の達成度の不平等を反映している。

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とになる。学校教育については大学まで無償にな

っている(私立の場合、一部負担)。

 2005年の国際的な生活満足度調査では、スイス、

マルタと並んで世界で1位になっている。その理

由としては民主主義が機能していること、人間関

係が密であることが指摘されている。

 2002年の国民1人あたりの国内総生産は、約

359万円(日本348万円)となっており、豊かさにつ

いても世界でトップクラスである。

 高い納税は、政治に対する関心や情報の開示・

透明性を高め、選挙の投票率も80~90%と高い。

こうしたことに関連して、国民所得の7割以上が

税金・社会保障費として納入されても6割以上が

社会保障費として還元される仕組みを支えている。

デンマークを支える民主主義と教育

 デンマークは、当事者の参画、つまり意志決定

の尊重と自己責任を重視している。人間が制度に

順応するのではなく、ニーズによって制度は変化・

進化していくものと考えている。デンマークの民

主主義、そして自立の考え方である。

 たとえば、『人間開発報告書2004』ではデンマー

クのGDI(ジェンダー開発指数)(注1)は13位(日本

12位)、GEM(ジェンダー・エンパワーメント指数)

(注2)は3位(日本38位)となっており、女性の意

志決定への参加が高い点に、民主主義的男女平等

というデンマーク的な取り組みを見ることができ

る。

 こうした精神風土は、対話を大切にすることで

継承され、コミュニケーションの温もり・親密感

を「ヒュッゲ」という言葉・文化で大切にしている。

また対話重視の教育は、民主主義社会を支える主

人公を育成することを目的としており、「フォル

ケ・オプリュスニング」(市民としての自覚・覚醒)

という言葉がその基盤を支えている。

デンマークの子育てと教育

 デンマークでは、専業主婦の女性はほとんどい

ない。女性の就業率は約80%で、3歳未満児を抱

える母親で約70%ある。

 そのため、産休や育休を取得した後は仕事に復

帰し、子どもは保育ママや保育所、幼稚園ですご

すことになる。そこでは、遊び中心の内容で情緒

の安定や社会性の獲得を重視している。

 その後、9年制の小中学校と学童保育、余暇ク

ラブや青少年クラブに通い、高校や専門学校、大

学等へ進学することになる。18歳で成人を迎える。

 小中学校の9年間はクラス替えや担任の交代は

なく、20名程度を1クラスとして編成されている。

子どもたちの成長を見通しながら指導を行い、子

ども自身の「~したい」という個性の尊重と対話

形式の授業スタイルをとっている。クラスや学年

をこえたプロジェクト型の学習も盛んである。子

どもにとって学校は何よりも楽しい場所でなけれ

ばならないと考え、不登校・登校拒否はない。試

験は中学校まで禁止されており、成績評価の通知

票もない。

 しかし、国際学習到達度評価PISA2003の結果が

2000年の調査よりも低下していることを受けて、

就学前クラスの義務化や教育内容の見直しなど検

討が行われはじめている。

 また、学校の理事には生徒代表(12名中2名生

徒代表)が位置づけられ、情報の提供と自分たち

の教育・学校に対して参画していく仕組みがつく

られている。

 現在は、幼稚園については「森の幼稚園」と呼ば

れる園舎を持たず、自然のなかですごす取り組み

が注目されたり、小学1年生以前に0学年として

学校で慣らし通学を行う取り組みが広がったり、

中学校では全寮制のエフタースコーレを選択する

生徒が増えている。

 18歳で成人になると、子どもが親元からの独立

を促すような学習奨励金や奨学金、低利率ローン

制度などが準備されている。こうした制度は、18

年間で築く親子の精神的な関係や、その後の夫婦

関係の見通しなどを視野に入れながら人生設計を

考えていくことなど、家庭のつながりを重視する

価値観の形成につながっている。

 こうした子どもに対する社会的なケアや教育、

家族観と人生設計が出生意欲につながっている。

(注2)GEM(ジェンダー・エンパワーメント指数):女性が積極的に経済活動や政治活動に参加し、意思決定に参画しているかを測るもの。女性の稼働所得割合、国会議員、管理職、専門職、技術職に占める女性比率を用いて算出する。

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私の郷土

私の故郷・北京を覗いてみる

駒澤大学経営学研究科 楊 蘭 (守屋留学生交流協会第24奨学生)

北京駅

崇文門

前門

和平門

宣武門

長椿街

復興門天安門西

天安門東東

大望路

永安里

國貿

建國門

南禮士路

阜成門

車公荘

西直門

大鐘寺

知春路

五道口

上地

西二旗

龍澤回龍觀 霍榮

立水橋北苑

望京西鯏葯居

光熙門

柳芳

東直門

東四十條

王府井

朝陽門

万壽路

公主填

軍事博物館

西 東

木 地

積水潭鼓楼大街

安定門雍和宮

1号線2号線13号線

西

北京駅

図 現在の北京地下鉄3路線

 私は北京の出身で、北京育ちである。東京では

“江戸っ子”というように、私は正統の“北京っ

子”といえるだろう。5年前の2001年に来日して

から、年1回、故郷の北京に帰っている。そのた

びに新鮮な発見があり、変化の早さに驚いている。

 本稿は北京の地下鉄とトイレからみえる、北京

の変化を述べていきたい。そこから新しい北京を

感じていただければと考えている。私自身も今回

改めてHPや本で調べてみて、これからの北京を

より具体的に思い描くことができたように思う。

1.北京の概要 北京(ペキン、B ijìng / ペイチン)は、中華

人民共和国の東部、河北省の中央部に位置する首

都である。古くは燕京・北平・大都ともいわれた。

面積1万6800km2で、人口約1300万人である。そ

の広さは、およそ日本の四国に相当する。

 行政機能が集積し政治・経済の中心であること

はもちろん、紫禁城や天安門広場、庭園、古くか

らの街並みである胡同などがあり、世界遺産が5

か所ある、海外からの観光客も多く訪れる文化・

観光都市である。

2.北京の地下鉄 私が北京にいたときは、地下鉄2本(1号線と

2号線)しかなかった。運賃がバスよりずっと高

いし、交通の便もよくなかったため、ほとんど乗

ったことはなかった。

 2003年に北京に帰ったら、地下鉄の13号線が走

っていた。現在の地下鉄は北京を東西に貫く1

号線(1969年完成)、東京の山手線のように北京

市の中央をぐるっと回る2号線(1971年に着工、

1984年9月には環状線の北・東・西部が開通し、

1987年12月に全線が開通した)、そして北の地域

をつなぐ13号線である(2002年部分開通、2003年

全線開通)。

 さらにオリンピック・イヤー、2008年に向けて、

3号線から12号線までの計画や工事がすすんでい

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る。9号線(「北京西」駅を起点に、北に向かっ

て地下鉄1号線の「軍事博物館」駅を経由し、「白

石橋」の終点まで全長5.8km)や東直門と首都空

港を結ぶ路線のほか、郊外路線を4本、現在建設

中や間もなく着工する4号線(西単を南北に走る

路線)、5号線(東単を南北に走る路線)、8号線

(八王墳と通州土橋を結ぶ路線)、10号線(地下鉄

オリンピック支線)を2008年までに完成させる。

これらが完成すると、北京市内における軌道交通

路線の総延長は114kmに達するという。あと3年

で数路線も地下鉄ラインが増える都市は、世界に

も北京市以外にないだろう。

 現在の北京の地下鉄には、日本では当たり前の

「自動券売機」は見られない。すべて有人の乗車

券売り場である。改札も1号と2号線は乗車券の

副券部分をもぎ取る形式を取っている。ただ地下

鉄路線の中で13号線の改札だけは、自動改札が導

入されている。

 これでは、オリンピックで予想される多くの

人々をさばききれない。そこで北京市は総額43億

元を投入して、1号線と2号線の改造事業を2005

年下半期から開始した。そのうち6億元を投入し

て1号線と2号線に自動改札システムを導入し、

4号線、5号線、10号線の改札システムが一本化

される。また、これまで全線にわたり統一されて

いた運賃は改められ、乗車距離による運賃加算方

式が採用される(現在は1号・2号線の乗車券の

価格は全線3元で13号線との接続乗車券は2路線合

わせて5元と、個別に買うより1元お得になって

いる)。さらに現在、1号線・2号線で運行され

ている従来車両は2007年までに空調つきの新型車

両に交換される。

 現在、中国の地下鉄は、日本の地下鉄システム

には比べものにならないが、これから段々に改善

されていくことは間違いないだろう。

3.北京のトイレ 私の小さい頃に使っていたトイレは、個室間に

壁や敷居などがほとんどなく、穴が開いているだ

けでそこで用を足すようなカタチになっていた。

このようなトイレは、隣で用を足す人や、トイレ

に新たに入ってきた人とも顔を合わせ挨拶ができ

てしまうことから、通称ニーハオ・トイレとよば

れている。当時、中国を訪れた外国人観光客の一

番苦手なものは、このニーハオ・トイレだった。

 近年、トイレは北京の顔として、政府に重視さ

れ、トイレの再建、改造が多くみられている。と

くにオリンピックを控えて、ニーハオ・トイレの

撤去と個室トイレの整備が急ピッチですすんでい

る。一方、町中のトイレ不足は深刻で、市は「徒

歩で8分以内にたどりつける」ことを目標に施設

充実に力を入れている。すでに市民が集まる繁華

街や公園などには、絵画や生け花を飾ったり、虫

の姿をかたどるなど趣向を凝らしたトイレも誕生

している。

 北京に帰るたびに、公園、レストラン、デパー

トのトイレを利用するが、前よりずっときれいに

なった。個室のトイレがほとんどになった。写真

のような公共トイレもつぎつぎに新設されている。

 今回、北京の地下鉄とトイレの事情を紹介した

が、これは急速な北京の発展と進歩の一端を表し

ているにすぎない。北京オリンピック開催まであ

と 2年、これから北京はもっともっと変化してい

くと考えられる。皆さん、機会があれば、ぜひ北

京を訪れて、その変化を自分の目でごらんになっ

てください。

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世界を歩こう

サウジアラビアに暮らす ─ Amazing Saudi Arabia─リアド日本人学校教頭 和 田 茂 久

1.はじめに ここアラビアでは,雨は幸運の象徴。神からの

最高の贈り物なのだとか…。

 真夏には、50℃まで気温が上昇することもめず

らしくはない、強烈に暑く、そして乾燥した砂嵐

の国サウジアラビア。それでも、1年にほんの数

日、季節の変わり目に雨の降る日がある。そんな、

めずらしく雨が降った日のことだった。

 いつものガソリンスタンドへ給油のために立

ち寄ると、そのあまりのきたなさに「洗っていけ

ば?」と勧められ、誘われるままに洗車をするこ

とに…。ぼうっとその雑な洗車を眺めていると、

いかにもアラビア人といった面持ちの民族衣装で

あるトーブにシュマーガをきちんと身につけた1

人の紳士がニコニコと近寄ってきた。「君はどこ

から来たの? 出身は?」ときいてくるのも、日

本人がほんのちょっとしか住んでいないリヤドで

は、そんなにめずらしいことでもない。

 彼は、アッラーの神の偉大さを、やさしいアラ

ビア語を選びながら、ときには英語を織りまぜて、

熱心に話してくれた。しばらく語り続けた後、「食

べて、飲んで、眠って…。私たち人間と動物の違

いは、一体どこだと思う?」と、私を試すように

きいてきた。そして、「私たち人間は、よけいなこ

とを考えるだけ動物よりも始末が悪い。」と、自分

に言い聞かせるようにいったあと、しばらく黙り

込んでしまった…。ふつうの人が、初めて会った

人に「神の教えを説く」なんていうことも、ここ

ではごく当たり前のこと。最後に彼は、「コーラン

をよく読んでみなさい。」といって、きれいに磨き

上げられた車に乗り,右手を軽くふると、何事も

なかったかのように走っていってしまった。

 私の洗車も終わり、お金を払うときになった。

財布を出そうとすると、その手を押さえて、「お

まえの分はもうもらってあるよ。さっきのおまえ

の兄弟から…。」と、スタンドの馴染みのおじさ

んがいうのに驚いて、「そうはいかないよ、俺の

分は支払わせてよ。」と、申し出ると、「彼の心が

無駄になるじゃないか。」と、優しく諭されてしま

った。

 知らない間に「兄弟の分」と支払ってくれた

「アラビア人の兄」の心配りに自然と頭が下がる。

金額以上にその思いやりがたまらなく心にしみる。

文化も考え方も生活もすべてが異なるイスラムの

国の片隅で、無我夢中で生活している日々。たと

えようもなくその温かさが胸に迫ってくる。

 それから、それから…。決して高くない賃金を

やりくりし、わずかなチップを大事に貯めては、

故郷に送金している出稼ぎ労働者のスタンドマン

の彼ら。黙っていれば2台分の料金が手に入った

だろうに「彼の心が無駄になる」と心に心で応え

ようとしている彼らの真心に、心が動かされずに

はいられない。「じゃあ、また。シュクラン!」と、

スタンドを出ようとすると、この日にかぎってま

た雨が降り出した。おじさんの叫ぶような声に送

られて帰路につく。

 「また、兄弟にここであえるぞ、いい雨だ!」

ピカピカのボンネットを流れる雨が、街の灯に輝

く。

 ここアラビアでは、雨は幸運の象徴。神からの

最高の贈り物…。

2.すべては「イスラーム」のために 「イスラム」は、アラブの予言者ムハンマドが

610年に創唱した一神教。正しくは、アラビア語

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で「イスラーム」といい、「唯一の神アッラーに絶

対的に服従すること」を意味する。イスラーム教

徒を「ムスリム」というが、これは「絶対的に服

従する者」を意味する。

 平和を意味する「サラーム」という言葉から生

まれたともいわれている「イスラーム」。いずれに

せよ、「人々の日常生活を司る教え」が「イスラー

ム」である。当然のことながら、「イスラーム」と

は何よりもまず宗教だ。しかし、現在、人々の関

心の対象となっているのは、それを信ずる人々の、

社会的、政治的動向に偏っている傾向があるので

はないかと感じている。「イスラーム発祥の地」サ

ウジアラビア。そこに暮らす人々を理解するとい

うことは、「イスラーム」を正しく理解するという

ことに他ならない。

3.イスラーム国家としての誇り イスラームが他の宗教と比べ際だって異なる点

は、単なる宗教ではなく、それが生活全体の厳格

な規範となっている点にある。

 サウジアラビア王国は、1930年代に、サウド家

がワッハーブ主義を基本として起こした国であり、

国名「サウジアラビア(サウディアラビア)」は、

「サウド家のアラビア」を意味する。1992年にな

って発布された統治基本法(成文憲法)では、「こ

の国はクルアーン(コーラン)とスンナ(ムスリ

ムの守るべき正しい基準)に基づくアラブ・イス

ラーム国家である」と規定している。つまり、こ

の国では、「アッラーの教えをいかに忠実に実行で

きるか」ということが、なにより重要であり、「ア

ッラーの教えを忠実に実行すること」が、この国

の最大のアイデンティティであり、その結果、こ

の国では、「アッラーの教えを忠実に実行する」と

いうことに向けて、生活のすべてが形作られてい

る。

4.サウジアラビアでの生活 「イスラーム発祥の地」であり、「マッカ(メッ

カ)とマディーナ(メディナ)というイスラーム

の二大聖地を持つサウジアラビア」は、100%ム

スリムの国だ。つまり、サウジアラビアに暮らす

ということは、100%ムスリムの中で生活すると

いうことに他ならない。

 そこで、この国で生活するためには、数え切れ

ない禁止事項についての知識と理解が必要となる。

 よく知られていることだが、サウジアラビア

では飲酒、アルコールの売買などは堅く禁じられ

ており、見つかれば厳罰が待っている。日本製の

醤油やみりんさえも、アルコールが含まれている

という理由から持ち込むことも使用することもで

きない。当然ながら、豚肉は一切手に入らない。

外出する際の女性のアバヤ着用については、外国

人女性に対しても、サウジ人女性同様に要求され

る。サウジ人女性は、目もベールで覆い、手袋す

らはずさない方も多い。イスラーム諸国にあって

も、他に例を見ない厳格さである。しかしアバヤ

には、砂埃や強い日差しから守ってくれるという、

実用的で優れた一面もあり、意外に気に入る外国

人女性も多いと聞く。すべて、この国の禁止事項

には意味がある。宗教上の

理由であったり、気候風土

によって培われた知恵から

生まれたものであったり…。

一見厳しく、理不尽にも思

われるおびただしい禁止事

項の中にこそ、この国の文

化と歴史が隠されている。 アバヤを纏った女性

リヤド市郊外 ディライヤから中心部を望む

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首都大学東京 地理学教室 根 本 学

モンゴルの人々

 2003年10月に初めてモンゴルを訪れて以来、数

回モンゴル国に渡航する機会に恵まれた。本稿に

は、私が渡蒙時に現地で出会ったモンゴル人につ

いて、とくに印象深かった出来事の一部をまとめ

た。私の渡蒙はすべて大学での研究調査(モンゴ

ル草原の気候について調べている)に関するもの

で、これまでにモンゴル国内で訪れた場所は、首

都ウランバートルと、調査地点のバヤンウンジュ

ール村(ウランバートルから南西に約130km)の

みである。あらかじめ偏ったモンゴル滞在経験に

基づくものであることをご了承願いたい。

バヤンウンジュール滞在

 2004年6月から7月にかけての滞在が一番長く、

丸5週間をレンタルしたゲル(遊牧民のテント)

にて過ごした。その間、便宜をはかってもらって

いた気象観測所職員や警察官をはじめ、何人かの

訪問者がいた。なんとなく直せそうだということ

で壊れた電気製品をもって見せに来る人、夜中に

泥酔して倒れながらにやってくる人、遠まわしに

タバコをねだりにやって来る人、駱駝の群れを連

れて南の砂漠からウランバートルに向かう人など

である。後で知ったが、知らない人の家でも気軽

に訪問し、逆に知らない人でも迎え入れてもてな

すのがモンゴル人気質のようだ。

完全に捨ててはいない。現地滞在中に何度もお世

話になった気象観測所観測員のNさんの家では、

馬や牛を所有しており、日中は近くの草原に出て

家畜に草を食べさせていた。少し離れた草原にゲ

ルも持っていた。Nさんは銀行員も掛け持ちでや

っており、働きものである。気象観測所の所長さ

んの家でも、ガソリンスタンドを経営していた。

彼女らの家庭がここに住む人々の生活を代表して

いるかどうかはわからないが、これまで行ってき

た遊牧も続けながら村における仕事を掛け持つ形

での生活は、兼業農家ならぬ「兼業遊牧家」と呼

べるのではなかろうか。

バヤンウンジュール村の集落(北東の丘より撮影)

 バヤンウンジュール村には木製の塀で囲まれた

平屋建ての住宅街がある。つまりここには固定し

た家を持つ人がいる。しかし、彼らは遊牧生活を

塀の内側。奥に見えるのが家。青年たちは暴れた馬を

押さえつけるのに成功したところ。

 モンゴル国に行くようになってから、初めて日

本の大相撲に興味を持つようになった。多くのモ

ンゴル人が日本の大相撲に興味を持っていて、日

本人力士の名前や決まり手をよく知っている。何

故彼らが詳しいかといえば、モンゴル国ではモン

ゴル語の同時通訳付で本場所が生中継されている

からである。モンゴル国出身で横綱の朝青龍が当

然一番人気かと思っていたが、強いけど生意気だ

という意見を聞いた(2004年7月当時)。なぜか高

見盛の人気が高かった。このような相撲人気のお

かげで、我々の調査で現地の人をアルバイトに雇

うとき、大相撲の本場所開催期間中の午後4~6

時頃に作業を入れると彼らの機嫌が少し悪かった。

 2004年6月にはモンゴル国の総選挙があった。

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選挙活動が行われている期間はほぼ毎晩、村に1

つある小学校の体育館でダンスパーティーやバン

ドの演奏が行われ、その大音量が遠くまで響きわ

たっていた。これは支持者ごとに選挙演説などを

行った後で、有権者の歓心を買うために行われる

そうである。幾日か体育館に様子を見に行った。

とくに印象に残ったのが歌手の演奏で、歌手がス

テージに上がるときにレコード盤をもって来て、

DJ風の人に手渡す。このレコードには歌の伴奏

のみ(つまりカラオケバージョン)が入っていて、

これにあわせて歌手が歌を歌うのである(なかに

は生バンドによる伴奏もあった)。ダンスは、ディ

スコ風に踊りまくるときもあれば、いわゆる社交

ダンスのときもあった。皆上手である。ダンスパ

ーティーは深夜0時か1時くらいまで続くが、大

人から子どもまで多くの人が集まっていて、村人

の多くが楽しみにしているようであった。

ウランバートル滞在

 2003年10月に初めてモンゴル国を訪れたとき、

ウランバートルのモンゴル人家庭にホームステイ

した。引き受けてくれた家庭は、夫妻とお祖母さ

ん1人の3人暮らしであった。息子がアメリカに

留学しており、部屋が空いていたのでその部屋を

使わせてもらった。旦那さんは政府の役人で、奥

さんも福祉施設で働いていて、共働きであった。

旦那さんは朝8時に出勤しおよそ夜7~8時くら

いに帰宅したが、たまに9時くらいになることも

あった。一方奥さんのほうは、少し離れた郡や村

での仕事をしていたので、一度仕事にでると2~

3日帰ってこないことがあった。「モンゴル人の生

活も日本と変わらず忙しいのだなあ」とモンゴル

に来て間もない頃だったのでそう思っていたが、

後でよく考え直すとわずかな食費だけで私を引き

入れてくれた彼らは中~上流階級だったのだろう。

旦那さんはロシアのイルクーツクの大学を卒業し

ていたし、奥さんは英語が上手であった。

 モンゴル国では1990年代初頭の市場経済化以降

都市に移住する人が増えたが、現在は失業者も多

く、治安の悪化とともにストリートチルドレンの

増加などが社会問題となっている。実際に市場で

スリの集団にもあったことがあったし、何度か子

どもに物乞いされて困ったこともあった。

 大学を卒業しても就職できない若者にも会う機

会もあった。我々の調査をいつも手伝ってくれる

Bさんは、経済学部を卒業したが就職先が見つか

らず、ここ数年夏は我々の調査を手伝い、冬はウ

ランバートルで様々なアルバイトをしている。彼

の友人の1人は昔体育の先生をやっていたが私が

会ったときは失業中で、その後乗り合いバスの運

転手になった。また別の友人は、町の集中暖房の

管理業務を行っていたが、現在は韓国に出稼ぎに

行ったそうだ。ある日、調査につかう資材の買出

し中のちょっとした待ち時間、電話屋さん(街中

で白い電話機を持った人のことで沢山いる。数百

トゥグリクで電話を掛けさせてくれる)に英語で

話しかけられた。彼女は、大学を卒業したが就職

できないので、仕方なくこの仕事をやっていると

いっていた。失業率が20%を超えるともいわれる

社会生活は、こういうものかとおぼろげに感じた。

おわりに

 短い期間における調査の傍らではあったが、モ

ンゴル国の都市と村の両方で、現地の人の生活の

一部にふれることができた。人々の生活が豊かに

なるはずだった市場経済化は、万人にとって上手

く進んでいないように感じる。加えて近年は、土

地所有法の施行が、モンゴルの遊牧にさまざまな

影響を与えることが懸念されている。今後、伝統

的な遊牧の存続を含めてモンゴル国がどのように

発展していくのか、見守りたい。

南の丘から見たウランバートル市の中心部

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アパルトヘイト撤廃後の南アフリカ

「私たちはここに誓約する。黒人も、白人も、すべて

の南アフリカ人が、恐怖を心に感じることなく、人間

の尊厳にかかわる不可侵の権利を保障され、堂々と胸

を張って歩むことのできる社会を築くことを。国民に

対して、また世界との関係において、平和を保つ虹の

国となることを。」

 反アパルトヘイト運動の伝説的指導者で、27年間を

獄中で過ごしたネルソン・マンデラの、大統領就任演

説の一節である。1994年4月、南アフリカで初めてす

べての人種の人々が平等の資格で参加する総選挙が行

われ、マンデラが率いるアフリカ民族会議(ANC)が圧

倒的な勝利を収めた。半世紀にわたり続いたアパルト

ヘイト(人種隔離)体制が終結し、民主南アフリカが生

まれた瞬間である。

 人種や民族の違いを超えて、誰もが人間としての尊

厳と自由を認められ、互いに共存していく国。このよ

うな「虹の国」の理想の実現に向け、新政権のもとで

は様々な政策が導入されてきた。

 その土台となっているのは、世界で最も先進的と評

されることもある新憲法である。1996年に制定された

南アフリカの新憲法では、人種、民族、ジェンダー、

年齢、障害、宗教、言語等に基づく直接・間接の差別

が包括的に禁じられている。さらに、住宅、医療、食

料、水、社会保障、教育なども基本的人権として明記

された。国家はこれらの社会的経済的権利の実現度合

いが徐々に高まるよう、適切な方策をとる義務を憲法

によって負わされている。住民はこれらの条項を盾に

国家に義務の履行を迫ることができるため、単なる「努

力目標」ではない重みを持っている。実際、住宅や医

療(エイズ対策)などの分野で、市民社会組織が憲法裁

判を通じて政策要求の実現に成功した事例がある。

 差別を禁じ、法の下の平等を保障するだけでは、ア

パルトヘイト体制下で築かれた極端な人種格差を解消

することはできない。そのため、雇用に際して黒人や

女性を優先させるアファーマティブ・アクション(注1)

や、企業の黒人所有率を高めるブラック・エコノミッ

ク・エンパワーメント(注2)などの積極的格差是正策も

とられている。アパルトヘイト体制のもとで、黒人は

白人の補助的な仕事にしか就くことが許されなかった

が、責任あるポストに就く黒人の数は徐々に増えてき

ている。かつて白人専用だった大学のキャンパスでも、

今では様々な肌の色の学生が、当たり前に肩を並べて

勉強し、共に食事をし、おしゃべりに興じている。

 もっとも、このような多人種共存は、現状では社会

の上層部のみの現象であることは否めない。積極的格

差是正策の恩恵を受けているのは、黒人のなかの一握

りのエリートだけという批判もしばしば聞かれる。実

際、底辺の仕事に就いているのは今でも多くは黒人で

あり、そのような仕事からもあぶれる失業者は依然黒

人に集中している。南アフリカの失業率は20%台後半

にのぼり、失業による貧困は、深刻な社会問題となっ

ている。公共事業による短期雇用の創出、貧困世帯へ

の社会手当支給などの対策はとられているが、抜本的

な解決にはなっていないのが実情である。

(日本貿易振興機構アジア経済研究所 牧野久美子)

(注1)アファーマティブ・アクション:歴史的に不利な立場におかれてきた集団に属する人々への優遇政策。(注2)ブラック・エコノミック・エンパワーメント:黒人主体の経済発展政策。南アフリカの経済界目標として掲げられ、

産業界ごとに目標が設定されている。

[右写真解説]

 写真は、南アフリカ共和国のヨハネスバーグにある、ベラヴィスタ学校

の運動会の様子である。この学校には、小学生から中学生までが通ってお

り、黒人と白人の子どもたちが学ぶ私立の学校である。

 南アフリカは、19世紀にイギリス領であった影響もあり、先進国並みに

質の高い企業が多く存在している。現在では、BMWやトヨタといった自

動車産業の拠点となっているほか、化学や製薬企業も進出している。

 1994年、アパルトヘイトを終焉させるにあたって、人種融合(融和)の

道を選んだ。その結果、写真のように黒人と白人の子どもたちが共に学ぶ

姿が見られるようになった。また、国立のウィッツ大学では、白人よりも

黒人の進学比率が高いという逆転傾向も見られるようになっている。

(写真提供:藤原章生)