あれから10年、これから10年...2015/04/05  · 続きまして第2代目モンテ...

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歴代学長と卒業生、学生によるパネルディスカッション ― スーパーグローバル大学創成支援事業 ― ~あなたのAPU物語~ あれから10年、これから10年 報告書 日時:2014 年11月1日(土)14:00~ 会場:立命館アジア太平洋大学 F棟105 主催:立命館アジア太平洋大学 共催:立命館アジア太平洋大学 校友会 APU校友会10周年記念企画

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Page 1: あれから10年、これから10年...2015/04/05  · 続きまして第2代目モンテ カセム(Muhammad Monte Cassim)学長でいらっしゃいます。カセム先生は2004年4月から2009年12月まで学長を務めていらっしゃいました。皆さんも

歴代学長と卒業生、学生によるパネルディスカッション

― スーパーグローバル大学創成支援事業 ―

~あなたのAPU物語~あれから10年、これから10年

報 告 書

■日時:2014 年11月1日(土)14:00~

■会場:立命館アジア太平洋大学 F棟105

■主催:立命館アジア太平洋大学

■共催:立命館アジア太平洋大学 校友会立命館アジア太平洋大学アドミッションズ・オフィス国際 校友会担当〒874-8577 大分県別府市十文字原1-1TEL:0977-78-1103 FAX:0977-78-1121Email:[email protected]

APU校友会10周年記念企画

Page 2: あれから10年、これから10年...2015/04/05  · 続きまして第2代目モンテ カセム(Muhammad Monte Cassim)学長でいらっしゃいます。カセム先生は2004年4月から2009年12月まで学長を務めていらっしゃいました。皆さんも

パネリスト紹介

坂本 和一初代学長

モンテ カセム第2代学長

是永 駿現学長

FUNAKI Kai tuu2004年アジア太平洋マネジメント学部卒業2005年経営管理研究科卒業

中村 紘右2008年アジア太平洋マネジメント学部卒業

石川 大雄2012年アジア太平洋マネジメント学部卒業

白石 眞也国際経営学部現役学生

CHAE Kihoアジア太平洋学部現役生

大江 佳苗国際経営学部現役学生

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パネルディスカッション

【司会 ケヴィン】 よろしくお願いいたします。まず、お忙しい中、お越し頂きありがとうございました。そしてUSTREAMで見て頂く皆さん、本日はよろしくお願いします。本日司会をさせて頂くケヴィンと申します。2006年秋のAPS卒業で、インドネシアから来ました。よろしくお願いいたします。本日私と同じくスタッフとしてやって頂く3名を紹介します。まずタイムキーパーの真殿紘輔さんです。よろしくお願いいたします。そして主にフロア担当の上野健太郎さんです。そして今入り口にいる砂川咲季さんです。よろしくお願いします。 本日の流れですが、パネルディスカッション後、質疑応答をしたいと思います。使用言語ですが、申し訳ありませんが、一応日本語と言う事でやらせて頂きたいと思います。ただ質問の場合は英語でもOKといたします。 Thank you for coming. And thank you for listening to those who are listening from the U-stream. I'm Kevin and I'll be the MC for today. We'll accept questions after the discussions and the language is, during the discussion is mainly in Japanese, but for questions we accept both in English and Japanese. So, please feel free to ask any questions. Umm, and we would like to also ask you to switch your phone to manner-mode, and okay thank you. 早速、パネリスト紹介に移ります。まず先生方の紹介です。校友会の代表・吉田さん、よろしくお願いします。

【APU校友会代表 吉田聖崇】 皆さんこんにちは。APU校友会代表の吉田聖崇と申します。今日はご参加頂き、ありがとうございます。今日は学長御三方にご参加頂き、先程綱引きで52ヵ国揃ってやった(ギネス挑戦企画)、あれもすごい事なんですが、個人的には学長三人が揃うこちらの方が、すごいんじゃないかと思うぐらいです。この場にいらっしゃる皆さんは、今日のこの企画は(別会場で実施した)ギネス挑戦に立ち会うような、非常に貴重な機会を、この場で共有頂けると言う事で、今日は是非楽しんで頂きたいと思います。校友会は今年で10周年を迎える形になりました。卒業生が1万2千人を超えて、世界120~130ヵ国に、卒業生、つまりAPU校友会の会員がそれだけ今いる事になっています。非常に世界的に見てもグローバルな組織で、その組織のベースを創って来て頂いたのが今日いらっしゃっている御三方の学長先生でいらっしゃいます。勝手ながら、私の方から在職された年度と、簡単なご紹介をさせて頂きたいと思います。 まず初代学長の坂本和一先生でいらっしゃいます。坂本先生は2000年の開学当時から2004年3月まで学長を務めていらっしゃいました。APUの創成期を支えて頂いた方で、校友会のイベントをやっても、普段は1・2期生はあまり来ないんですが、坂本先生がいらっしゃると1・2期生がどんどん来て、1・2期生を呼ぶために坂本先生を使わせて頂いてると言っても過言ではないくらい、本当に人望の厚い先生でいらっしゃいまして、私の方も頼りにさせて頂いています。

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 続きまして第2代目モンテ カセム(Muhammad Monte Cassim)学長でいらっしゃいます。カセム先生は2004年4月から2009年12月まで学長を務めていらっしゃいました。皆さんもお分かりの通り、非常に人柄もやわらかく、「APUにモンテ カセムあり」みたいな感じですね。私も東京で大学関係者と話すと「あ、あの先生知ってるよ」というくらい、本当に学内外でも有名で人気のある方です。さっきも先生がキャンパスを歩いてらっしゃったら学生が沢山集まってきて「先生写真撮ろう」って、もうアイドルみたいな、AKBよりすごく人気があるくらいのAPUのアイドル、モンテ カセム先生でいらっしゃいます。 最後に現在学長を務めていらっしゃいます是永駿学長です。先生は2010年の1月から現在まで学長を務めていらっしゃいます。先生が学長になられてから、それまでに坂本先生、カセム先生の御二方の思い描いてらっしゃった様々な事を、是永先生が形にしていらっしゃった、それが今回のスーパー・グローバル大学事業(SGU)採択に繋がったと思います。という事で今日は、この御三方を中心に皆さんとの意見交換と、お話を伺えればと思います。どうもありがとうございました。

【司会 ケヴィン】 では続いてパネリストの紹介に行きたいと思います。せっかくなのでWarm upとして、本人たちに任せたいと思います。

【パネリスト 現役生:大江佳苗】 皆さん初めまして、APU1回生の大江佳苗と申します。この9月に入学したばかりの、まだこんな風に横に並ぶのは足下に及ばないAPU初心者になりますが、この素晴らしい機会をご用意して頂きました。これを自分のステップアップとして良いディスカッションにして行きたいなと思っています。よろしくお願いします。

【パネリスト 現役生:白石眞也】 皆さんこんにちは。APU3回生の白石眞也です。今はAPハウスで、RA(レジデントアシスタント)をしています。他には国内と海外から来ている交換留学生のためのバディもしています。今回このように三人の歴代学長が並んでいるっていうのは、とても無い機会なので、見ての通りちょっと手を骨折したのですが、病院で一生

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懸命、話す事を考えて来ました。今日は頑張ろうと思います。よろしくお願いします。

【パネリスト 現役生:CHAE Kiho】 皆さんこんにちは。私はAPU3回生のCHAE Kihoと申します。私は2008年に入学して2009年に軍隊に行って5年間務めた後、今年の秋セメスターに復学しました。APUに帰ってきて、本当に嬉しいです。今日は皆さんと一緒にAPUの変化についてお話したいと思います。よろしくお願いします。

【パネリスト 卒業生:石川大雄('12年卒)】 皆さん初めまして。石川大雄と言います。2012年卒業で出身は千葉県です。ただ、今は縁があって実家が大分県にありまして、実家に帰ってくるたびにこうやってAPUにも来られるという素晴らしい感じになっています。学生時代はAPハウス(寮)のRA(レジデント・アシスタント)を1年間していました。またアメリカに交換留学で行きまして、カンザス州という本当に牛がいっぱいいる

ような田舎で1年間勉強しました。更にはAPUを休学して個人で中国に3ヶ月半だけなんですけど語学留学にも行っていました。卒業旅行は、なんと南極に行って来ました。今日は色々と皆さんと楽しくお話が出来ればいいなという風に思っています。どうぞよろしくお願いします。

【パネリスト 卒業生:中村紘右('08年卒)】 皆さん初めまして。私はAPMの2008年卒の中村紘右と申します。よろしくお願いします。私は出身が福岡で、現在は福岡の大学の職員をやっています。学生時代はAPU茶道部の部長をやっていました。台湾の劉先生のゼミで経営組織論を中心に学んでいました。卒業後東京で就職した後に、またちょっと経営学を学ぼうという事で、一橋大学の大学院に進学して、この春卒業と同時にまた地元の福岡に戻って、大学の事務職員として勤めている所です。本日は大変貴重な機会を頂き、本当に楽しみにしていました。充実した時間になったらいいなと思っています。今日はよろしくお願いします。

【パネリスト 卒業生:FUNAKI Kaituu('04年卒)】 皆さんこんにちは。2004年3月卒業1期生のFunaki Kaituuと申します。トンガ王国から来ました。南太平洋にある島国ですね。フィジーとかサモアとかの近くにある小さい島国です。学生の時はその時ちょうど流行った「M」・「S」という略語で、APMかAPSの事を僕は知らなくて「Mです」と私が言うと、「いやいやどこから見てもSでしょ」と言われます(一同笑)。それでも「Mですから」

と私が言うと、「でもAPUでは両方勉強出来ますよ」と言われ、「相手によります」と答えると言う...... APMでした。その後に卒業してMBAに入ってそのままAPUに就職をしてアカデミック・オフィスで5年間働いて、その後今アドミッションズ国際にいます。5年目です。

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ここでちょうど10年間、職員をやっていますが、僕は皆さんとちょっと違って、外に出ないでずっとAPUにいますので、今日は色々な方々の見方をシェア出来たらいいなと思っています。よろしくお願いします。

【司会 ケヴィン】 はい、ありがとうございます。早速そのままディスカッションに入りたいと思います。まず1番最初にFunakiさんから。第1期生という事で色々な話を聞きたいなと思うんです。1期生として、大学が出来たばかりでまだ色々整っていなかったと思うんですけが、どんな思いで入学して、どんな学生生活を送っていたんですか。

【パネリスト 卒業生:FUNAKI Kaituu('04年卒)】 ここに1、2期生の皆さんも来てますけど、同じく僕は、もう希望に溢れていました。名前もまだあまり世間に知られてない大学なので色々な所で頑張らないと、という気持ちでした。入学時にはもちろん上級生もいなかったし、最初の卒業生だったので、社会人の先輩もいませんでしたし。でもこの大学はいい大学なんだ、という事をいつかもっともっと世界に知って欲しいという気持ちが、皆ありました。僕がその時に思っていたイメージ以上に、今はOutputだけじゃなく、Outcomeまでも見えてきている感じがします。特に大学にずっといますと、先程文科省のSGU事業にも選ばれたという話があった事、もちろんその前には沢山のGood Practice(文科省の補助金事業)だとか沢山頂いた事、更に僕たちが学んでいた頃と比べ、企業の方にキャンパスにお越し頂いて面接頂くOn Campus Recruitingの企業数が、400社以上という事など、想像もしていなかった事です。アカデミック・オフィスの横にある寄付プレート一覧を見ても、沢山の支援企業名をみつけられます。私たちの時代にはそういう物はもちろん無かった。本当に、想像以上に今のAPUはすごい。 卒業生の出身国・地域は今120ヵ国くらいあるんですけど、オフィシャルでチャプター、つまり校友会支部が、国外で20ヵ国、国内で6つ、全部で26チャプターと聞いています。入学する前、僕はAPUを新聞で知りました。APUが出来る時「未来のリーダーたちを育成する大学」と謳っていました。僕は小さい島国から来ていますし、皆だいたい同じ思いだと思うんですけど、それを見た時、いつか国に貢献出来たらいいなという思いでAPUに来ました。もちろんその奥にはしっかりとした理念、哲学があり、その知恵があり、皆さんがご存知の自由・平和・ヒューマニズム、国際相互理解、アジア太平洋の未来創造があって、まさにリーダーを育成するフィロソフィー(philosophy・哲学)がありました。 僕は職員になってちょうど10年ですが、沢山色々な物を見てきました。学生の時では全く見えなかった事ですが、特に各オフィスの職員の皆さんは一生懸命、学生のためを考えている。今、大学のフィロソフィーに沿ったグローバル人材を育てるためにどういうプログラムがいいのか、どういう支えがいるのか。スチューデントオフィスもそうですけど、今その時の話をしたら皆さんビックリするだろうと思う。カリキュラムの変更は多分もう3回か4回ありましたね。そういう大学は多分他には無いと思います。実際、APUが目指す人材が育つ方法を考えると、変えないといけない事もあるんですよね。僕が学生の時には1回生で地域理解という科目があったんですけど、それが今は変わって学生のTA(ティーチング・アシスタント)付きのワークショップになっています。留学プログラムもほとんど無かったのが、今は何十ヵ国もの交換留学先があります。キャンパス外で学ぶ「Active learning」も今は沢山あります。改めて僕が思うのは、本当にAPUの職員の皆さんはすごい。退職した

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先生も含め、教職員の皆さんは、本当に学生のため、大学のためを思って一生懸命大学創りを考えているんだなと。自分も職員として10年ですが、それと比べるとちょっと恥ずかしいな、もっと今の何倍以上も頑張らないといけないな、と。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございました。私も3期生なのでFunakiさんがおっしゃっていたカリキュラムとか制度が、色々とコロコロ変わってたんですよね。毎年変わってたんじゃないかってくらいですね。そういう事もあったと思うんですけれども。因みに中村さんは先程茶道部の部長をされていたとおっしゃいましたが、卒業して6年ですね。6年経って未だに覚えている、あの時苦労したなっていうエピソードとかありますか。

【パネリスト 卒業生:中村紘右('08年卒)】 学生時代の苦労話っていうのを考えた時に、やっぱり卒業した後の方が苦労する事がかなりあると思います。学生時代の苦労は、あんまり苦労とは言えないんじゃないかなっていうのが、正直な所です。ただですね、やはりAPU っていう特殊な環境の中で、あれは苦労の一つかなと思うのが、先程お話した茶道部の中で部長として役割を任せて頂いた事です。やはり多国籍の色々な国々の学生を一つの方向に向かせて一緒に、例えばお茶会っていう形で一つの事を為し遂げて行く事、これはやはりかなり難しい課題だったんじゃないかなと感じます。というのも私自身も実は茶道に関しては全くの素人でした。推薦されて部長になったんですが、その関係で茶道を一人でかなり学んで行く必要がありました。実はAPUは裏千家という所から沢山の書物を寄贈して頂いていて、それを図書館にこもって読んで、学んで、それをいかに分かりやすく平易な日本語で、時には英語を交えながら教えて行くかというのが、すごく苦労した所ではなかったかなと。 やはり茶道というのは日本の文化でもありますし、皆さんご存知の通り茶道の授業がAPUにはあります。ですから沢山の留学生・国際学生たちが、我々の部活にも来てくれたんですね。その中で教えたり、一緒に着物の着付けをしたりとかですね、文化を交えて学んで行くという作業が非常に困難もあったけれど、その先に大きな喜びと言うか達成感というのがあったんじゃないかなと。当事、茶道部は人気がかなりあったので、賑やかな雰囲気で、どちらかと言うと苦労よりも、今思えば楽しい経験だったな、と感じています。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございます。私もその時茶道の授業を受けて、あ、こんな茶室があるんだ、と面白かったですね。ただ部長が男性だったというのは知らなかったです。坂本先生、当時、何もない所からAPUを創られて行ったと思うんですけども、どんな大学にして行きたい、という思いがありましたか。

【パネリスト 学長:坂本和一初代学長】 短い時間で何をお話しようかと思案して参りましたが、始めにAPUと私との関わりを振

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先生も含め、教職員の皆さんは、本当に学生のため、大学のためを思って一生懸命大学創りを考えているんだなと。自分も職員として10年ですが、それと比べるとちょっと恥ずかしいな、もっと今の何倍以上も頑張らないといけないな、と。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございました。私も3期生なのでFunakiさんがおっしゃっていたカリキュラムとか制度が、色々とコロコロ変わってたんですよね。毎年変わってたんじゃないかってくらいですね。そういう事もあったと思うんですけれども。因みに中村さんは先程茶道部の部長をされていたとおっしゃいましたが、卒業して6年ですね。6年経って未だに覚えている、あの時苦労したなっていうエピソードとかありますか。

【パネリスト 卒業生:中村紘右('08年卒)】 学生時代の苦労話っていうのを考えた時に、やっぱり卒業した後の方が苦労する事がかなりあると思います。学生時代の苦労は、あんまり苦労とは言えないんじゃないかなっていうのが、正直な所です。ただですね、やはりAPU っていう特殊な環境の中で、あれは苦労の一つかなと思うのが、先程お話した茶道部の中で部長として役割を任せて頂いた事です。やはり多国籍の色々な国々の学生を一つの方向に向かせて一緒に、例えばお茶会っていう形で一つの事を為し遂げて行く事、これはやはりかなり難しい課題だったんじゃないかなと感じます。というのも私自身も実は茶道に関しては全くの素人でした。推薦されて部長になったんですが、その関係で茶道を一人でかなり学んで行く必要がありました。実はAPUは裏千家という所から沢山の書物を寄贈して頂いていて、それを図書館にこもって読んで、学んで、それをいかに分かりやすく平易な日本語で、時には英語を交えながら教えて行くかというのが、すごく苦労した所ではなかったかなと。 やはり茶道というのは日本の文化でもありますし、皆さんご存知の通り茶道の授業がAPUにはあります。ですから沢山の留学生・国際学生たちが、我々の部活にも来てくれたんですね。その中で教えたり、一緒に着物の着付けをしたりとかですね、文化を交えて学んで行くという作業が非常に困難もあったけれど、その先に大きな喜びと言うか達成感というのがあったんじゃないかなと。当事、茶道部は人気がかなりあったので、賑やかな雰囲気で、どちらかと言うと苦労よりも、今思えば楽しい経験だったな、と感じています。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございます。私もその時茶道の授業を受けて、あ、こんな茶室があるんだ、と面白かったですね。ただ部長が男性だったというのは知らなかったです。坂本先生、当時、何もない所からAPUを創られて行ったと思うんですけども、どんな大学にして行きたい、という思いがありましたか。

【パネリスト 学長:坂本和一初代学長】 短い時間で何をお話しようかと思案して参りましたが、始めにAPUと私との関わりを振

り返ってみます。APUが2000年4月に開学して15年目、卒業生が出まして10年目で、今日こういう大きな記念イベントが催されるという事は、私にとってはものすごく嬉しい事です。更に後で是永学長がお話しになると思いますけど、開設15年目で、日本のグローバルトップ大学を決める「スーパー・グローバル大学(SGU事業)」に採択されたと言う事は、APUが日本の大学の一つの顔として存在出来ている事で、大変誇りに思っております。 このAPUと私の関わりは、皆さん方には大学が出来て15年目だという事でその通りなんですが、私にとっては今年20年目なんです。(20年前は)APUがまだ無かったのに何で20年かという事を申しますと、APUという大学が出来るきっかけは、地元大分県の、当時の平松守彦知事から学校法人立命館に、大学を創らないかという大学誘致提案があった事です。忘れもしない1994年の4月11日に、平松知事が立命館に来られて、正式に大学誘致の申し入れをされました。そこから考えると今年はちょうど20年目なんです。だから私にとってはAPUとの関わりは20年目なんです。そしてこの事をきっかけに創られた大学が、APUです。このような大分県からの誘いがAPUというグローバル大学の形を創る事になったのには、1980年代後半からのアジア太平洋が先導する新しい国際化情勢の中で、これからどのような大学改革をするかという立命館の気持ちが背景にあったのですが、この事は改めて申します。 それで大分でこの大学をどんな風にするんだ、という事で大分県とも色々相談をして、2000年4月にスタートする事になりました。大分県知事が立命館に申し入れをして開学まで、ほぼ6年かかっています。その後私が4年間学長を務め、それで2004年4月1期生の皆さんが卒業するわけです。何人か早期卒業の方もいらっしゃって、2003年3月、9月卒業の方もありましたね。そういうAPUの歴史についても、皆さん知っておいて頂きたいと思います。 私がAPUを離れた後、ここにおられる二人の学長がここまで頑張ってくださったのですけど、今でも世間に行きますと、APUは何故成功したのかという事がミステリーに思えるらしく、それを非常に知りたがるんですね。世間でグローバル化が言われ、グローバルな人材、グローバルな大学を創る、グローバル社会に貢献出来る学生を育成するという課題を、日本国政府が声高に叫ぶようになってくるのは2000年代に入ってからの事、もう私がAPUで一仕事して引退するぐらいの頃です。そして2010年くらいになって一気にこういう課題が社会化するようになってきました。ですから外の人から見ますと、何でAPUはそういう早い時期、1990年代から、APUのようなグローバル化した大学を創る話が出来たのか、という事が大変不思議に思われている。私の所に来られた外国のメディアの人たちからもその事をよく聞かれました。 私は、APUの成功は、成功と言うにはまだまだですけれども、そのキーワードは大学の名前にもある「アジア太平洋」というコンセプトだと思います。立命館は、21世紀には「アジア太平洋の時代が到来する」という事を1980年代末の段階からはっきり認識していました。1980年代の末頃、社会では「アジア太平洋の時代が到来する」という事が話題でした。1989年、APEC(アジア太平洋経済協力会議)の設立が話題になりましたが、それが象徴的な出来事でした。その時私たち立命館では、この新しい時代がやってくるのであれば、この時代、「アジア太平洋時代」にふさわしい人材を育てるのは、これからの大学の責務じゃないかという考えを持ちました。私はちょうどその時立命館大学の教学部長という役職をしていたのですが、この考えが、その頃作成された21世紀学園構想委員会の「21世紀の立命館学

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園」という文書に盛り込まれています。それが、実は1994年に平松知事が立命館に大学誘致の話を持ってきた時の、学園の積極的なスタンスに生きてきたと思います。APUの前に立命館にはもう一つBKC(びわこ・くさつキャンパス)という大きなキャンパス計画があり、それを創るのにかなり力を注いでいたんですが、平松知事との話を契機に、この21世紀の課題が蘇ったという所があります。 アジア太平洋時代の到来を改めて認識して、それにふさわしい大学を創ろうではないかという事で立ち上がったのが1994年の事です。ですから、私たちの大学は「アジア太平洋」というコンセプトを大学名に掲げていますが、このコンセプトはそういう意味ではAPU創設の魂であり、私の気持ちから言えば、このコンセプトを絶対にないがしろにしないで欲しい、便宜的にちょっといじくるような事はしないで欲しい。 これまでのAPUの成功というのは、ちょっと偉そうに聞こえるかも分かりませんけど、こういうアジア太平洋の時代到来という時代認識を的確に、ゆるぎなく堅持出来た事が大きかったと私は思っています。この時代認識があったので、色々な困難に直面しても、気持ちが揺らがなかったし、色々な困難を克服出来た。APU開設の準備がちょうど本格化した1997年後半にアジア通貨危機と言われる事態が起こり、アジア全域の経済に大変な困難が到来しました。そんな状況でしたから、外から見ると、「立命館、ちょっとおかしいんじゃないか、こんなアジアの経済状況が悪い時にアジアの学生諸君を沢山受け入れるなんて、そんなのは無理やで」というような雰囲気が、私たちの周りに漂い出したんです。それは学内でも同様でした。だから私たちはそういう厳しい雰囲気と戦いながら作業を進めなければなりませんでした。しかしAPUを開設する気持ちに、ゆらぎはなかった。ここ数年の苦労はあっても、必ず21世紀になったらアジア太平洋の時代が来る、という確信を私たちは持っていた。それが非常に大きかった。実際、このアジア通貨危機の中で、国際学生諸君の受け入れの準備をやり、教職員がチームを組んで、日常業務の傍ら、世界20数ヶ国・地域を対象とする海外活動を展開したのです。それを支えたのは、アジア太平洋時代が必ずやってくる、その時代のための人材を、立命館が先頭を切って養成しようという志、使命感でした。この仕事で得た、事を進める際の時代認識の大切さ、時代の大義の大切さという事は、私個人の人生にとってもずいぶんと大きい教訓です。 もう一つ、私は今の時点に立ってAPUの果たすべき役割として現役の学生諸君に是非思い出し、継承して欲しいと思っている事があります。私が学長時代の2002年、開学間もない時に、世界学生サミットという物をやりましたが、その時出した世界平和に向けての声明文※を今日の時点で再確認して欲しいという事です。これは、APUの開学宣言を踏まえつつ、ちょうど2001年9月11日、ニューヨーク同時多発テロが起こった直後の世界情勢の中、世界から集まった学生たちが長時間をかけて作った物です。そしてAPUの学生だけで作った物ではなく、参加した世界の58の大学、日本の23の大学の学生が合意した物です。さんざん論議が沸騰する中で、世界の学生たちが一字一句チェックして作った物です。あれから15年近く経って、世界の平和をめぐる情勢は更に複雑になっていますが、そのような現代だからこそ、世界に発信された2002年世界学生サミットの世界平和に向けての声明を再確認し、更に今日的な物に展開する値打ちがあると思っています。当時のAPUはまだ1・2回生しかいない、4年分の学生が集う前の未熟な大学でした。それに比べますと今のAPUは既に世界80の国・地域の約2600名の国際学生と3200名の国内学生を擁する、立派なグローバル・コミュニティに発展しました。このようなグローバル・コミュニティの責務として、

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改めて世界平和の意思を、世界に発信して欲しいと願っています。

※2002年世界学生サミット声明(2002年10月29日~31日) 2002年世界学生サミットに集まった私たち世界の学生は、「持続可能な発展」と「人間の安全保障」について責務を有することをここに確認します。 ますます不安定で持続不可能な世界に生きている若者として、私たちはいま、まさに岐路に立っています。何も行動を起こさずに状況を悪化させることもできますが、行動を起こして私たちの将来を再設定することもできます。グローバリゼーションは予想もしなかった課題を投げかけています。先進国と途上国との間の格差の拡大、テロの新局面、文化アイデンティティの変化、環境破壊そして持続不可能な産業やライフスタイル等々。さらに、急激にグローバル化する世界において人間の基本的ニーズが満たされずにいることは認め難いものです。 しかし、私たちの新しい世界は、新しいハードルを課すと同時に、「持続可能な発展」と「人間の安全保障」を国際的に達成するためのツールも与えてくれます。新しい形態のコミュニケーションやメディア、より効率的な資源の共有法、拡大するグローバルネットワークは、個人やグループを教育し、社会的な力をつけさせるでしょう。これらの新しい方法を結びつけることにより、グローバルなアイデンティティと責任感が人々に刺激を与え、国境を越えた行動をさせることになるでしょう。 私たちはグローバル化への転換に逆らうことよりも、それを世界中の人々の相互利益のために活かし、利用するべきであると感じます。私たちの前に立ちはだかっている課題への自覚を高めるとともに、その解決方法を生み出し、実行していくために、私たちはリーダーシップを発揮していかなければなりません。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございました。坂本先生の話は全く飽きが来ない。何度聞いてもどれだけ時間があっても聞き足りないくらい。非常にお若いですしアグレッシブですし、何でこんなにフットワークが軽いんだろうって。でもそう言った気持ちが、当時の学生に、そして今の卒業生に伝わって、それで皆がそのパワーをもらって、そのまま「We can do it」という気持ちになって。だから何でAPU生ってこんなに元気なのって考えると、多分坂本先生のおかげなんじゃないかなと思います(一同拍手)。 さて卒業生のおふたりのお話を聞いたので、今度は是非在学生の皆さんから聞きたいですね。まず大江さん、APUを何で知って、入学しようと思いましたか? 

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【パネリスト 現役生:大江佳苗】 私は新聞で、グローバル5大学(国際教養大学、国際基督教大学、早稲田大学国際教養学部、上智大学、APU)の取り組みの記事を見て、APUを知りました。

【司会 ケヴィン】 なるほどね、じゃあそれを見て行きたい、と思ったんですか。

【パネリスト 現役生:大江佳苗】 それを見て大学を決めたっていうわけじゃないんですけど、やっぱり一つの情報として自分の中にAPUという選択があったのは事実です。

【司会 ケヴィン】 なるほど。若い方なのに新聞を読んでるのって、すごいなって正直に思ったんです。恐らく色々な大学の試験とかを受けたと思うんですけども、最終的に何でAPUを選んだんですか。

【パネリスト 現役生:大江佳苗】 はい、そうですね、私はこの9月に日本語基準で入学したんです。と言うと留学してたのかとか、インターナショナルスクールに通ってたのかとか、よく聞かれるんです。けれど、私にはそういう経歴は全くありません。じゃあ何故9月入学でこのAPUを選んだか、お話しようと思うんです。私が育った関西では特になんですが、自宅から通える範囲内の大学に進学するというのが一般的です。私に関しては、幼くして父を亡くし、母一人で私、そして姉と妹を育てて

行く、となると地元の大学に行くのが当たり前という考えが、自分の中にも自然とありました。またそういう環境でもあり、常に親の目の届く範囲内で生活を送ってきたので、物事を考える視野が狭いし、家庭環境を理由に諦めなければいけない事も沢山ありました。APU入学も諦めなければならない事の一つでした。 だから4月に、地元の大学に進学して、そこで大学生活が始まったんですが、やっぱり関西の都会の大学だと、常に周りに飲み会だったり、バイトに明け暮れる毎日だったりと言った環境があり、そのまま私の人生を過ごして行っていいのかなと思ったし、もっとクリエイティブな人たちの集まる環境に自分を置いて勉強したい、という思いが強くなりました。そんな時にAPUの秋入学がある事を知ったんです。かねてから国際交流に興味があったのはもちろん、APUでは入学式、新入生ガイダンス、キャンパスツアーに至るまで、学生が主催していて、常に向上心を持った学生が集まっている、というのが私の中のAPUの印象でした。やはり自分を成長させるにはここしかないと思いました。それが一番の決め手ですね。 今まで諦めていた事もありますが、これだけは諦めたくないと思って、家族を説得する決意をしました。初めは「何を考えてるんや」と大反対を受けて。一度本当に諦めかけたんですけど、神戸の三宮にある立命館プラザに助けを求めに行くと、この「APU誕生物語」っていう本を紹介頂きました。これを読んで更にAPUに入りたいという気持ちが高まったんです。特にこの本の中で、創設に関わった方々の熱い挑戦心だったり、国外・国内からの学生集めのシーンで、学生たちがAPU入学を親御さんに涙を流して説得したっていう場面だったりとか、そういう

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のを読んだ時に「あ、私だけじゃないんだな」と思って更に説得を重ねました。結果、今、私はここにいます。私がAPUへ入学するにあたっては、本当に沢山の方に迷惑をかけ、それと同時に沢山の方に支えてもらいました。これから、自らの成長が恩返しとなるよう頑張ります。

【パネリスト 学長:坂本和一初代学長】 「APU誕生物語」を読んで頂き、ありがとうございました(笑)。

【司会 ケヴィン】 そうですね。でも結構「APU誕生物語」を読まれた方は多いと思いますよ。あの本を通しても、坂本先生たちの熱い気持ち伝わったよね、大江さん。何だろうねあれは、私も読んで鳥肌立ったもんね。まだ入学したばかりで多分色々大変だと思うんですが、頑張ってね。でも今日のお話、すごく良かったですよ。 では、CHAEさん、先程APUの変化について語りたいと言う事だったんですが、兵役に行かれたのは2009年ですか、APUに帰ってきて、何か違うなって言う事はありましたか。

【パネリスト 現役生:CHAE Kiho】 先程申し上げたように私はAPUに戻って来て2ヶ月足らずで、平均的な学生生活ではないんですが、しかし軍隊生活という特殊な環境を終えて来たので、その辺の話をしたいと思います。私は2008年にAPUに入学して日本はもちろん、インドネシアと言ったこれまでなかった多国籍の友だちが、沢山出来ました。また畠山先生のLSB

(ロングステイ別府)というゼミで、内成地区にある古民家を改築して、長期滞在可能な施設を作る活動に参加したり、その経験を元に、

大分県で行われた日本語弁論大会に出て最優秀賞を頂いた事もあります。 その後韓国の軍隊に入隊をして5年間、国を守る事や、小隊長になって20名の小隊員を管理したり、色々な訓練を受けたりしながら体力や精神力を鍛えられて、APUに戻ってきました。毎日の訓練や上下関係が厳しい軍隊と比べるとAPUの生活は本当に幸せだなと実感しています。軍隊の共同生活では自由がほとんど無かったので、復学したらもっと、専攻の勉強や学校活動に参加したいと思っていました。 しかし私が休学していた5年で色々な事が変わったと気づきました。一つ目はせっかくの多文化の環境なのに、それを活かせていないと感じます。マルチカルチュラルウィークの数は増えていますが、最近は国際交流というよりも自分の国の人と親しくなって生活したり、授業を受けたりと、その他の国・地域の学生との交わりは、2008年頃に比べると、少なくなったと感じました。 二つ目はAPUにはとても沢山の機会があるのにこれを活かしきれていないと言う事も感じました。例えばこういうディスカッションの機会があったり、企業の方から企画等の募集があったりするんですけど、そういう時に参加する人たちは、大概いつも同じ顔ぶれで、参加してない人も多いです。これは本当にもったいないと思います。私はAPUで出会った日本語の先生や色々な国の友だちを通して、私は何が好きで、何がしたい、何になりたいかについて、自分を探す事が出来ました。APUは、人と人が出会う事の素晴らしさを経験出来る最高の場所だと、私は思っています。私は優秀な学生ではないですけど、好奇心、やる気は、皆さんよりはちょっとあるかも知れません。是非皆さん、勇気を出してAPUでの生活

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を楽しんでください。色々な活動にチャレンジしてください。皆でAPUのこれからの10年を盛りあげて行きましょう。以上です。

【司会 ケヴィン】 素晴らしい。私は実は今日三人の学生と初対面なんですが、CHAEさんに会って「5年兵役に行って先月帰って来ました」って聞いた時、日本語がすごい上手だなって思いました。5年間使ってないのにすごいなと思って。素晴らしいなと思います。因みに先程機会を上手く使っていないだとか、具体的に例えば友だち同士があまり交わらないって言う事について、例えばどんな時にそういうのを感じましたか。

【パネリスト 現役生:CHAE Kiho】 授業を聴く時に韓国人なら韓国人の友だちと並んで座って授業を聴いて、日本人なら日本人で聴いて、そういうのは2008年頃に比べると、やはり変わったなって実感しました。

【司会 ケヴィン】 なるほど、授業以外だったらどんな感じでしょうか。何か違ったりしますか。

【パネリスト 現役生:CHAE Kiho】 一緒にご飯を食べたり、サークル活動をしたりするんですけど、そういう時にもやっぱりありますね。国際学生から見れば日本は海外だから、自分の国の学生と交わる事は多くあると思うんですけど、それでもせっかくAPUに来たのだから、APUではもっと色々な文化の人たちと交わって、色々な経験をして欲しいです。

【司会 ケヴィン】 なるほど、ありがとうございました。そう言った違いもあったのですね。じゃあ学生の白石さんに聞きたいんですけれども、そう言った学生の立場から、今のAPUのここを是非褒めたいなっていう所は何かありますか。

【パネリスト 現役生:白石眞也】 僕がAPUに入った理由なんですけど、大江さんとは違って僕はイギリスにいて高校の時に授業の一環でAPUに来たんですけど、その時はとてもいい印象がありました。イギリスも多文化の国なので、色々な人がいて楽しい経験が出来たんですけど、こっちに帰ってきた時にそういう大学ないかなって考えていた時に、そのAPUでの経験があったので、APUを選んだっていうのがあります。入学してから僕が思ったのは、色々な国から来ているので自分の行動によって色々な国の文化が学べるし、英語だって自分で話す事は難しいですけど、使えば絶対にレベルアップします。人によってレベルは違うんですけど、全て自分によって変わって行く世界、自分によってこのAPU っていう生活は、良くなったり悪くなったりする。僕は、これはいい所だと思います。 改善すべき点なんですけど、実は自分のネットワークを使って、色々な意見を集めました。まず僕が言いたいのは、このように学生と意見を交換出来る場をもっと作って欲しいと言う

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事です。学生は人間なので、毎日学校で生活していて、思う事は沢山あるんですね。それを学生が職員スタッフだったりに、言う場所があまりないと言う事です。 二つ目ですが、バスで通学するのに、キャンパスは山の上じゃないですか。僕は原付バイクで来ているからいいんですけど、朝に大分交通のバスで来るんですが、たまに満員で乗れなくて遅刻する時もあります。また学校があってもバスがたまに臨時で休んだり、人がいない時にバスがいっぱい来て、待っている人が多い時にバスが来ないって言う事があって、これ結構皆、意見言ってるんですけど、代わりに今日、僕が言います。 あとはAPUに来ている国内学生には真面目な人も沢山います。勉強したいという人もいっぱいいます。ライブラリーは平日24時まで開いているんですが、土日・祝日は6時に閉まってしまいます。春休み、夏休みも早く閉まります。休み中は別府に残って勉強したいという人、学校に来て落ち着いて勉強したいという人が沢山います。やっぱりその辺はやりくりをお願いしたい。学生からの意見として24時までやって欲しいですね。あとライブラリーの冊数をもっと増やして欲しいという意見もありました。 さっきCHAEさんが言ったんですが、僕が英語開講の科目を履修したから言える事なんですが、自分の国で固まってしまうって事はありますね。先生がディスカッションしてくださいって言う時に、韓国の人は韓国の人、日本の人は日本の人ってなってしまって、ちょっともったいないなって。こんないい空間にいるのに、同じ国の人たちとばかり話をしちゃって、自分の考えは日本の人はこうなんだけど、韓国の人はこうなんだっていう視点が見づらいっていうのが、今僕が英語開講科目を取っている中であって、この類の意見は色々出てきました。 最後にこれは一番僕が思った事なんですが、オフィスの質の問題ですね。僕はまだ一回もそういう経験は無いんですが、やはりオフィスの人たちに対する意見がいっぱいあり、いい人は本当にいいサポートをしてくれるみたいなんですけど、そうでない方、サポートの仕方が雑だったりで、何でこうなるんだろうってごたごたが、結構あるみたいなんで、その辺の修正と言うか、オフィスが良くなる事を願って、終わりにしたいと思います。

【司会 ケヴィン】 バス問題って昔からありましたよね。バスが来なかったら、もうないって諦めて次を待つしかないよね。因みにさっきCHAEさんや白石さんからもお話がありましたけど、授業で固まって座る事って昔どうだったっけ。Funakiさんどうですか。

【パネリスト 卒業生:FUNAKI Kaituu('04年卒)】 そうですね。今、学生数は6,000人近くになっていますが、昔の1,000、2,000人くらいの時は、皆希望があって、頑張らないといけないっていう気持ちが沢山ありましたので、今の話のように、学生時代の僕も、ちょっとオフィスに対してはバカだなって思ってたんです。学生の時にオフィスに行っても、誰も話を聞いてくれないから。アカデミック・オフィスをバカデミック・オフィスと呼んだり、Student officeをStupid officeと言ったり。その後、就職して最初に入ったオフィスは、アカデミック・オフィスでした。先程も言ったんですが、開学初期の頃から、オフィスの皆さん、実は本当に一生懸命、学生たちのために頑張ってるって分かったんです。自分から動く姿勢で企画を作って、自分だけでは力が足りないから、他のオフィス

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で力になりそうな人をちょっと探して……って、そういう戦略、やり方も大事かと思います。そんな感じです。

【司会 ケヴィン】 なるほど、立場が違うと考え方も違いますね。先程もちょっとだけ話題になったと思うんですけど、次はAPUのこれからの話をして行きたいなと思います。石川さんはこの中だったら学生に1番近いかなと思います。2012年に卒業して社会人3年目ですか。今のAPU生に足りない所、何かありますか。

【パネリスト 卒業生:石川大雄('12年卒)】 大切にして欲しいなという観点でちょっと話させて頂きたいなと思うんです。もちろん勉強が大事ですね。語学の勉強も、APUは世界中から学生が来ていて、本当に大事だと思います。ですが、学生生活の中で私は二点、学生の皆さんに是非大事にしてもらいたいなと思う事があります。一つが、人との縁っていうのをすごく大事にして欲しいと言う事です。 もう一つは学生時代にしか挑戦出来ない事が沢山あると思うので、是非色々な事に挑戦をして欲しいなと思います。私も含めてなんですけど、APUにやりたい事を探しに目的を持ってやってきました。何かやりたい事がある時に、志を同じにした仲間がいるっていうのは本当に心強いと言うか、夢への実現の近道になる、本当に大事だなと、僕は思っています。社会人を3年間経験する中でやはり仲間は出来るんですけど、本当に心の底から信頼し合える仲間っていうのは、やはり利害関係のない学生時代に出来た仲間なのかな、って思っているんですね。 APU っていうのは、本当に世界中から志を持って学生たちが来ていると思うので、やはりそういう仲間たちと寝食を共にして、仲良くやって世界を舞台に活躍をして欲しいな、と思うんですね。あとAPU っていうのは本当にチャレンジ出来る環境っていうのがいっぱいあって、且つそのチャレンジを、皆が応援してくれる環境だと思うんですよね。ですので、学生時代にしか出来ないような事もいっぱいチャレンジして欲しい。例えば僕は今社会人なんですけど、南極に2週間行きたいなんて言ったら、もちろん上司もプンプンですし、メールも千通くらい溜まって、とんでもない事になると思うんですね。やはり学生時代のしがらみのない時に、色々な事にチャレンジして欲しいなと思います。 私の学生時代の挑戦を振り返ってみますと、まずAPハウスの話。私は大学に入る前からAPハウスに入りたいという気持ちがすごく強くて、AO入試を受けました。大学には受かったんですけど、APハウスには落ちちゃったんです。悔しくてもう1回入試を受けたんですが、また落とされたんです。どうしても入りたかったので3度目受けたんですね。その時に志望理由のマスを5行くらいはみ出して、APハウスに入りたいです、って書いて、やっとAPハウスに入る事が出来ました。それからRA(レジデント・アシスタント)も出来て、本当に色々な経験が出来ました。 APハウスでは、寮生とも沢山喧嘩をしましたし、RAの仲間同士でも喧嘩をして、そういう喧嘩とか言い合った仲間っていうのは、お互い本気でぶつかったので、そういう仲間っていうのは今でも仲がいいですね。学生の皆さんも、本気になって仲間と向き合って、絆を深めて欲しいなという風に思います。

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 実は交換留学でアメリカに行ったんですけど初めの応募で3点足りずに落ちたんです。だけどどうしても行きたかったので、また受け直して、何とか滑り込みでアメリカ留学も行く事が出来たんです。そこでもAPU以上に色々な民族・人種の方と一緒に授業を受けて心も豊かになり、アメリカのカロリーの高いピザとかポテトを食べ続けた結果、10キロ太って、

(心だけでなく)体も豊かになって帰って来ました。 そういう経験もして、中国にも個人で留学したんですけど、そこには色々な社会人も来ていて、APUでは出会えないような社会人経験者と仲良くさせて頂き、色々な勉強と経験もしました。今振り返ると本当にあの時挑戦しなかったらとか、この人に出会ってなかったら、と思う事が沢山あるので、やはり挑戦を諦めなくて良かった、と本当に思いますし、色々な人に出会えて良かったなと思います。以上です。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございます。さっきの人の縁というお話でしたが、APU生だったら多分「あっこんな所にAPU生がいた」っていう、偶然すれ違ったとか言う事も多分色々あると思うんですけれども。因みに石川さん、こんな所ですれ違ったと言う事の中で一番印象深い事って何でしょうか。

【パネリスト 卒業生:石川大雄('12年卒)】 中国留学中に、モンゴルを旅行したんです。本当に砂漠で何もない所なんですけど、そこを歩いてたら「ヒロさん」て呼ぶ声が聞こえたんですよ。普通はそんな事はあり得ないです。後ろを振り返ると、APUの韓国人の後輩が民族帽子をかぶって、僕に手を振ってるんですね。ちょっと留学に来てたみたいなんですけど。そんな所が、APUらしいです。

【司会 ケヴィン】 なるほど、それはすごいなあ。中国のどこですか。モンゴル?

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【パネリスト 卒業生:石川大雄('12年卒)】 内モンゴルです。

【司会 ケヴィン】 すごいなあ。そこまでの経験はなかなかないですね。じゃあ中村さんはどうですか。今は福岡で大学職員でもあり、APU卒業生としてでもありますが、今後の学生に何を求めて行くべきなのかと言う事で何かありますか。

【パネリスト 卒業生:中村紘右('08年卒)】 今は、皆さんのような大学生の年代の方々と毎日接しています。私が学生だった時代と何が違うのかなという風に考えた時に、やっぱり人とのコミュニケーションという所が少し落ちてきているのかな、そういう機会が減ってきているのかなと感じる事があります。窓口に来ても自分が何者か、名前も名乗らずに用件だけ言ったりという所から始まってですね。そこは日本的な所なのかもしれないんですが、例えば学籍番号、名前をちゃんと名乗ってから用件を言おうねって指導をする事が多いかなという気がしています。 大学生の皆さんに、APUでこういう経験を是非して欲しいなあという話をしようと思ってたんですが、もう学生の皆さんがお話していた通りです。やはり相互理解と言うか、交流という部分を、やっぱりもっとやって行った方がいいんじゃないかな。相互理解という言葉ですが、やはり我々は日本人としてAPUに来ましたので、日本人として何を伝える事が出来るか、国際学生の皆に、何を伝えたらいいか、という観点で、私は日本の事を色々と勉強しました。ライブラリーで勉強したりとかですね。実際に茶道をやりましたし、あともう一つ、弓道もやってたんです。どうしてそういうのをやろうと思ったかと言うと、やはり日本の伝統的な文化・習慣・考え方・価値観、そう言った物を、自分自身がきちんと学ばないと、皆に伝えられないんじゃないかと感じたので、そういう学びをしていました。 日本人もそうやって日本の事を学んで皆さんに提供して行く事も大事だと思いますし、特に国際学生・留学生の皆さんは、もう既に色々な事を学んでCultural weekのような所でそういう表現・活動があり、そこで相互交流がなされていたと思います。ただやはり日頃の部分となると、やはり授業だったり、キャンパスの中で、どうしても同じ国同士で集まってしまうと言う事は、恐らく私の在学中もあったと思います。ただその割合が、恐らく大きくなってるんじゃないかと言う事は少し感じます。どうしてもキャンパスが大きくなって発展して行くと、人と人の距離が遠くなってしまうと言う事があると思うんですね。ただその中で、世界のどこに行ってもやっぱり人と人の繋がりというのは、非常に大事な事だと思いますので、是非そこをもう一度、こんな環境は他には無いわけですから、せっかくの機会ですので、是非そう言った相互理解への自分の一歩を踏み出して頂きたいなあと感じている所です。 それからその逆なんですが、今後卒業して日本の企業に勤める方々も多いと思います。APUで得られた文化や考え方っていうのは、多くの場合、日本社会に出ると、少しマイノリティーな存在に陥ってしまう事があると思うんです。私自身、今までAPUの卒業生が入社した事のない企業に勤めた経験があります。先程もあった話ですが、腹を割って話をしているという感覚が持てない日本人だったり、そういう社員の方々がいたりするんですね。このAPUの環境で出来ていた「腹を割って何でも話す」と言う事が、企業に入ってしまうと、この人本当に本音で言ってるのかな、と言う事がよくありました。これは多分、日本の文化の考え方だと思うんですが、やっぱり本音と建前っていう言葉があり、この人は本音という

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よりは、建前で話してるんだなと言う事を、何度か経験した事があります。 それから「根回し」という言葉があるんですが、先程白石さんが学生の意見と言う事でお話頂きましたが、それはすごくAPU的だなという風に感じました。と言うのも、日本の企業だと、恐らく白石さんのような意見を言う時は、一度根回しが必要になってきます。裏で一応事前にお伺いを立てたりとか、そういうちょっと面倒くさい事をする場合があると思うんです。そう言った所も含めて一種の日本文化だと思います。そう言った事も含めて相互理解をして行くのはこのAPUの環境下でも、あるんじゃないかなという風に感じています。ですので、そう言った事を含めて4年間の間に色々な経験を積んで交流をして頂く事で、今後このAPUの卒業生たちが、更に活躍して行けるんじゃないかなあと言う事を感じている所です。以上です。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございました。素晴らしい。そうですね、皆さんそれぞれの意見がすごくまとめてあるなあと思って。さて今まではほとんど卒業生や学生に話を聞いてきたんですけれど、是非カセム先生に聞きたいと思います。カセム学長の時と比べて、これからどんなAPUにして行って欲しいと言う事はありますか。思い描いているAPUの姿はありますか。

【パネリスト 学長:モンテカセム第2代学長】 どうもありがとうございました。吉田代表の言葉に感激で、AKBの49番目のメンバーカセムです。今日は女装し忘れて、すいませんでした(一同笑)。先程是永先生とお話している時に、今回の文科省のスーパー・グローバル大学事業の採択は、APUの実力とおっしゃいました。その実力というのは、これまでずっと積み重ねてきた物で、その積み重ねが大事です。私が学長の時には、坂本先生には言ってないかも知れませんけれど、辛い時には、初代学長の坂本先生の顔が浮かんでくるんです。坂本先生を裏切れないと言う事、それが私は、APU現象だと思うんですよ。人が人を元気づける。このDNAをね、絶対大事にして欲しいと思う。 もう一つ私にはコンフェッション(告白)する事があるんです。女装しなかった事じゃなくて(一同笑)、APUを大分に創ろうとなって、立命館学園内の審議があった時、坂本先生はご存知だと思うんですが、私は、別府にAPUを創るのに反対してたんですよ。学校法人立命館は、たいしたもんだと思う。その時反対した人を、APU学長に任命するわけですよ。それで、何故私ですかと聞いたら、「反対してた人が、一番課題が分かってるやろう」と(一同笑)。立命館の指導者たち、なかなか大物だなあと思いますよ。 まあそれは別として、そう言う事で海外で研究留学をしてた私が、それを切り上げて、坂本先生のような偉大な先生の後任として学長に任命された時、このAPU現象が私を支えたんです。坂本先生の顔です。象徴的に言うと、APU全体の顔だと思ってください。そういう業績があって、その後、是永先生が積み重ねてきて、スーパー・グローバル大学に選ばれたと言う事です。日本のトップ37大学にいるって言う事ですよ、開学15年間で。この事業に選ばれ、これから10年間、国が色々な支援を保証すると言う事ですよ。15年間の経歴で、すごい事と思います。また法人全体で立命館大学とAPUあわせて2大学選ばれると言う事は、やはりAPUのこれまでの功績が無かったら、出来なかったと思います。

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 皆さん、これをバネにしてですね、今後どう考えればいいかと言う事に話を移したいと思うんです。吉田(APU校友会代表)さんね、以前、APUが世界一になった事があるんですよ。この中村さんと関係あるんです。裏千家が年に一回自分の会員の中から大賞を一つ、会員外の方々から大賞を一つ、世界を相手にした大賞の一つを渡すんです。それを中村さんの茶道部が受賞した事があるんです。すごいんですよ、APU っていうのは。文化度は高い、人は助ける、何でも出来る所ですよ。We can do it そのままですよ、そういう所が。 じゃあ未来に向けてどうするかと言ったら、私は、少し自分が置かれてる環境を想像してみた方がいいと思うんですね。今日本国の富の半分、国民所得の半分以上は海外発生なんです。それも従来の先進諸国じゃないです。一番元気良い上り坂の所は新興国と発展途上国、そういう国々は日本のどんな大学と付き合いやすいと思いますか、もちろんAPUです。だから皆さん、未来の人材の担い手ですよ。日本国だけじゃなく、さっき坂本先生がおっしゃったアジア・パシフィック(アジア太平洋)を超えて、アフリカからも一番多くの学生が来ている大学はAPUでしょう。これからね、グローバル・チャレンジャーズの先頭に立つのは、APUではないかと思うんです。そうすると、若い日本人が国外で働いて日本の富を稼ぐ、日本に海外の方が来て日本の富を稼ぐ、自分の母国にも色々なご褒美を返して行く、そう言った富の循環型の社会の根底にある物、それがAPU。将来、我々の後任となる学長たちが、そう言った事を大事にして行きたいという気持ちで、我々、歴代3学長の顔を思い浮かべてくれればいいなと思ってます。 もう一つは、APUのボランタリズムの精神です。震災が起きて、よく朝、別府市内で自分の民族衣装を着て、お金を集めて、困っている人のために頑張っていました。あのAPU生の姿は、忘れられないです。そのボランタリズムが、これから世界の秩序維持に貢献する。何故かと言うと、これから日本が富を稼ぐ新興国は、私が日本に来た昔、最貧層は最貧諸国にいたんです。今、最貧層が一番多くいるのは新興国なんです。これは笹川平和財団の研究レポートに書いてます。そうすると、この貧困を是正するためのボランタリズムでAPU学生が中心になればいいんです。これが第3の力になるんじゃないかと思います、経済基盤の。 そう言う事をやりながら、今、APS(アジア太平洋学部)とAPM(国際経営学部)の将来を考えるとね、是永学長とさっき話してたんだけど、僕はやっぱりAPMは未来のビジネスリーダーを作るべきだと思う。倫理観があって道徳観があって、きちんとしたビジネスリーダーを育てるべきだと思う。提案を一つ加えるのであれば、100年以上経営している企業が、日本には2万6千社近くあるんです。それはアメリカの2.6倍ぐらいです。ドイツの4倍近くなんです。だからこういう長期経営、貨幣経済以前からある企業が日本にありますから、そういう方々が、どうして存続して行ったかと言う事の秘訣をAPUのビジネススクールが意図的に、これを分析して解析して出す事はどうでしょうか。今後、AACSB(ビジネススクールの国際認証)を取ると思うんです。それも大事ですが、それはアメリカのビジネススクールの基本基準なんです。それを超えた物を、更にAPUは出せるんですよ。APUからグローバル・スタンダード、創りましょう。 それからAPSですね、ちょっと今影が薄くなってると思われがちなAPSは、やっぱり文化度が高い所があるんです。未来の行政官を養成すればいいと思うんです。各国の予算を握るのは彼ら行政官なんですよ。マレーシアに行ったら総理府の先輩たちがいます。スリランカに行ったら財務省の方々がいます。国家予算を握っている人々、それがAPUのOBたちですよ。だから吉田(APU校友会代表)さん、これからあなたたち校友会がね、日本国より豊かな存在になるかも知れません、このAPU校友会が。やっぱりそういう方々がネット

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ワークを持ち、どういう風に大学の力に展開するかを考えて頂ければと思います。学校だけじゃなくて学生の皆さんも含めて、APUの関係者、APUのファン全員が一緒になって、考えないといけないと思うんです。 正直、私には一つ夢があり、それは叶わなかったんですが、APUに理工系学部を創りたかったんです。未来に向けてですね、次世代の産業とインフラを創りたかったんです。その理由ですが、大分県と熊本県は日本の半導体の20%を生産していて、シリコンは沢山あるんですが、「シリコン・バレー」が無い。シリコン・バレーの秘訣は何か。金じゃないんです、人です。スタンフォード大学に来ている魅力的な若者たちみたいな、人です。ここを見渡す限り、APUではそういう顔が見えるじゃないですか。だから本当に大分県の産業基盤を未来に向けて展開するのであれば、APUには理工系学部をこれから10年15年間で創って行けばいいかなと思うんです。どんな事でもいいんですが、私が生きてる間には、そこには力を注ぎます。 最後になりました。皆さんに考えて欲しいんです。1995年頃、坂本先生たちがAPU創造を初めた20年前、開学時15年前を考えてみてください。1980年代は、インターネットが誕生するために難産してた時期です。では今これから15年後を考えたら、我々は想像出来ますか、その間の15年間、30年間を。これからの未来をどう考えればいいかという時、未来に向けての学びをAPUで築くんです。ITのMOOCs、APUの現場力、そう言った色々な学び方が合体したブレンデッド・ラーニングと、グローバル・ラーニング・システムを開発して、人類に貢献出来る大学になるんじゃないかと思うんです。APUは「世界の公共財」なんですよ。 是非諦めず、ここにいる三人の顔が浮かんでくるように、頑張り続けて頂ければありがたいと思います。最後に一つだけ言います。イギリスのチャーチル元首相が、第二次世界大戦に負け気味の時に言った言葉ですが、APUの精神だと思うんです。あらゆる難しい物に取り組む時には、「失敗は、死ではない。成功は、終点でもない。やり続ける勇気が何よりも大事」です。やっぱりAPU生、We can do itです。

【司会 ケヴィン】 APUに理工学部が出来ると面白いでしょうね。もし出来るとしたら大きな変化になるだろうね。では現在の学長の是永先生に是非聞きたいんですけれど、具体的な作戦だとか具体的な戦略とか、今からこれをやって行くぞ、と言う事は何かありますか。

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【パネリスト 学長:是永駿学長】 今後やらないといけない事は、ライブラリーの開館時間を延ばしてですね、オフィスのサポート体制をもっとしっかり、そしてクラスで学生同士が交流すると言った事ですね、これをやっていかないとダメですね。今日出された問題ですね。 実は(APUの特長である)多様化・多文化環境の大学を、この間、色々調査をしています。これまで調べた所では、APUの多文化・多言語環境は、世界一なんです。国際学生の比率が

46%、正規課程の学部生ですよ。東大や早稲田大でも3千名ぐらい留学生がいますけど、学部でなく大学院の研究室で沢山受け入れています。全学生の半数近く、2千数百名の、学位を取得する正規課程の国際学生が4年間学ぶというのは、日本でも唯一です。世界で調べてみても、近いのはオランダにあるマーストリヒト大学だけです。それでもAPUの比率にはかなわない。 また教員のうち半数が外国籍教員で24ヵ国から来てますね、185、6名が24ヵ国から。この比率も非常に高いです。だから我々は、その世界一の多文化・多言語環境にあるんだと、まず認識しないといけないですね。ただし未だそれを活用しきれていないじゃないか、と言っているわけですね、今日の皆さんのご意見は。これは非常に痛烈な意見です。活用してないです、教員も学生も。ただ教員の場合も、教員によってはミングル(混在)状態を作っています。やはり大教室の授業の中でも、グループ分けをする際に多国籍で分けると言ったしかけを、教員が一緒にやらなければいけないですね。そう言った事をこれから10年、徹底的にやって行きましょうというのが、我々が文科省に提出したスーパー・グローバル(SGU事業)のプランの一つなんです。 スーパー・グローバル大学(SGU事業)がいかにすごいかをちょっと説明します。文科省は、日本の高等教育グローバル化のプロジェクトは、今後10年間打ち止めにする、最後のグローバル・プロジェクトなわけです。現在日本には781大学あり、その中から30大学選ぶわけですね。まずトップ10大学(タイプA型)を選び、世界ランキング100位を狙ってくれと言う話です。これは医学部や工学系を持っている総合大学じゃないと出来ません。トップ10大学に入るとしたら、世界ランキング評価指標は、研究論文のサイテーション(引用)の比率が相当大きく、教員の論文がどれだけ引用されているかで決まります。これは総合大学の理系が強い所じゃないと出来ないんです。東大や京大、阪大など、16大学が申請して13大学選ばれました。トップ30の残りの大学(タイプB型)は、日本社会のグローバル化を牽引する20大学を選ぶわけです。重要な点は、国家が、グローバル大学としてのアクレディテーション(認証)を与えると言う事なんです。そこに93大学申請し、40ちょっとの大学がヒヤリングに呼ばれ、最終的に24大学選ばれて、APUはそこに入ったわけです。 今回のSGU審査では、まず申請書を出したわけです。文科省は各大学共通の41の評価指標を定めて、この評価項目の実績、それから今後10年間の計画・目標を出せと言う事でした。この申請書を93大学が出しましたが、APUはトップクラスです。また最終ヒヤリングでもトップクラスで、この自信を、我々は持つべきです。しかしクラス内で学生交流が上手く行っていないという意見は、大きな問題ですね。これはもっとミングル(混在)するしかけを、教員側からもやっていかないといけないし、学生自身も考えなきゃいけないと、私は強く思っています。 APUの、日本の高等教育グローバル化のモデル作りは、既に終わりました。モデルにな

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る時代は15年間で終わりました。どこも未だ近づいていません、どこもAPUには及びもつかないけれども、我々は、この国内でのモデル作りの取り組みは終わったと考えています。これからAPUは、世界の大学との競争なんです。経営学(学部・院を合わせたビジネスユニット)ならば、ビジネス界やQSアジア(大学世界ランキングの一つ)30位入り、例えば観光学では所属の先生方も動き出して観光学の世界認証(TedQual)も視野に入れるなど、分野別での認証や、世界ランクを狙うという、そういう専門性の強化もやらないといけない。今、世界の高校生は自分の国を越えて、世界中のどの大学にでも行きますよ。スペインでもどこでも、英語コースはどんどん開設しています。ある程度能力のある学生は、世界のどこの大学でも選べるんです。APUは世界が評価し、世界から選ばれる大学にならないと、APUに優れた国際学生は集まってこない。幸い今は、優れた国際学生が集まっていて、そう言った環境によって国内学生もAPUを目指してくるわけです。そのシビアな戦いが、これからの新しい10年、APUの新しい次のステップになるんです。だから世界から選ばれる大学になるというのがこれからの目標なんですが、やはり教育・研究の中身をしっかり固めないといけない。 今日皆さんから頂いた意見は、大変貴重な意見で、例えばライブラリーの件もそうですね、秋田の国際教養大学では実施していると思いますので、調べてみます。どうもありがとうございました。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございました。直接こういう風に話を出来る機会があまり無いので、学生の意見を聞いて頂けるのって、すごく貴重ですね。良かったね。さて今、皆さんの手元にも

「APU2030年ビジョン」という物があると思います。これについて是非、是永先生からご説明頂きたいと思います。

【パネリスト 学長:是永駿学長】 皆さんのお手元にある「APU2030年ビジョン」を読んで、是非アンケートに答えて欲しいんです。15年先の2030年にAPUはこうなっていたいという、夢・理念・ビジョンを書いています。 先程言いましたが、この多文化・多言語環境を徹底的に活用して、APUでの学び、学部、

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大学院修士・博士課程までを含めての学びになると思うんですが、それを「グローバル・ラーニング」として世界No1目指そうと、簡単に言えばそう言う事です。そこで育つAPU学生像は、新しい価値を生み出して世界を変えると言うか、卒業生は色々な分野で活躍すると思うんですが、世界で活躍する卒業生が生きて行く過程で、世界は少しずつ変わって行くと、価値を生み出して世界を変える人材を我々は育てたい、と言う事です。 その中で国内外の大切な卒業生の皆さんに、APUの教育パートナーとなって欲しいんです。今や政府機関、大使館、大学、民間企業、メディア業界などでも卒業生が働いているわけですから。そういう卒業生に例えば1週間なら1週間、APUキャンパスに帰ってきて頂き、教育に参加して頂くと言った考えがあります。あるいは卒業生の元にインターンシップ派遣させて頂くと言った事も考えたい。APUの卒業生は既に1万2千名います。そう言った卒業生のネットワークを頼りに、世界中の卒業生がまたこのキャンパスに帰ってきて、後輩たちを教育すると言った、そう言う新たな仕組みを創りたいんです。 APUの人材像ですが、物事をリードするとかリーダーシップとかね、そう言う事が浮かんできます。しかし別にトップクラスのリーダーシップを育てると言っているわけではありません。昨年、ザ・コカ・コーラ・カンパニーの副社長がAPUに来て、リーダーシップについてご講演くださったんです。彼が第一に言った事は、リーダーの第一条件とは「リード・ユアセルフ」、自分自身をリードしろと言う事、そして自分自身をリード出来ないのに、他の人間をリード出来るかという趣旨の事をおっしゃったんです。日本での生活自体を、自らが律して、タイムマネジメントをして、そこからリーダーシップだと。そう言った広い意味のリーダーシップがある学生も、これから育てて行きたい。 「新しい価値」については、既に坂本先生が触れました。これからも激動の人類史になります。既に東アジアに生まれている、衝突や対立もそうです。それらを平和的に、対話によって解決し、平和共存にもって行くと言う事が、人間がどの分野で生きて行こうと必要になります。狭い意味のナショナリズムが独走している中で、どうやって対話・協調にもって行くか、その対話の道筋さえもつかないのが、今の世界情勢です。それに対して、例えば政治の世界で生きていかなくとも、自分が生きる分野で、対話をどうやって進めて行くか、平和的に共存するにはどうしたらいいかという知恵を働かせないといけない。 国内外からの多様な若者が、平和的に共存している、それがこのAPUキャンパスです。だからカセム先生は「世界の公共財」とおっしゃったんです。アセットです、APUキャンパスは。私は、APUのキャンパスは世界の未来を予見している、と見ます。常時80ヵ国ぐらいの、多文化・多言語環境下で、学生たちが平和的に共存している。宗教戦争が無いわけでしょう。私は、APUが日本にあるから出来ると思う。そう言った世界の予見性を秘めて生まれた大学であるAPUは、坂本先生のご苦労話もあったんですが、その予見性を秘めたまま継続して、そして更に新しい予見性を持って、発展して行くんではないかと思うんです。

「APU2030年ビジョン」には、そう言った要素がおよそ文言化されていると思うんですが、アンケート用紙がありますので、何か書いて頂けるとありがたいです。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございました。さて先程までは、講演者側の話だったんですが、質疑応答に移ります。質問のある方、是非手を上げて頂いて、質問はどなた宛か、または全員なのかと言う事と、あとは先程中村さんもおっしゃった通り、どこの誰かというのを名乗ってご質問頂きたいと思います。

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【APU校友会代表 吉田聖崇】 貴重なお話ありがとうございました。APU校友会代表の吉田聖崇と申します。先程是永先生から、卒業生に対しては、教育を含めたパートナーシップを期待するという風に言って頂いたんですが、坂本先生とカセム先生から、是非今後、2020年を含め、APUの卒業生・校友たちに、こう言った役割を期待して、こう言った事をお願いしたいと言う事があれば、是非教えて頂きたい。それを私たちの活動の励みにしたいと思いますので、是非よろしくお願いいたします。

【パネリスト 学長:坂本和一初代学長】 既に是永学長が言われた事、あるいはAPU2030年ビジョンに書かれている事ですから、重複になるかも知れませんが、私なりに言えば、APUという大学を創って行く一つの指針と言う事と同時に、こういう考え方をこれから平和な世界を創造して行く指針なりモデルとして、世界にアピールして欲しいと思います。今日の世界的状況の中で、APUというのは、これと対極にあると思います。今地球上に様々な課題があり、もっと言えば紛争、軋轢、そして戦争が地球上の各地で起こっています。そういう物を超えて行く、様々な文化の共存、相互理解という物のあり方の一つのモデルを、ちっちゃい、ちっちゃいスポットかもしれないけれども、私たちのAPUキャンパスが生み出しつつある、と言う事です。 APUには世界の様々な国・地域から沢山の学生が集まり、教職員が集まって、新しいグローバル・コミュニティの形成が進んでいます。そこで生まれている物は、何か今日の世界と違う、あるいは対極のあり方ですね。これを世界にもっと積極的に発信する活動があってもいいんじゃないかと思っています。学生たちの共同生活の場から、あるいは学問の府として、何か政治的な発言をするという必要は無いですけれど、今日の世界の多文化の共存というような課題からすると、APUのありようは、そういう点で世界に発信出来る値打ちがあります。APU2030ビジョンは、その点で、APUという大学創りの指針であると同時に、これからの世界平和構築の指針としても、世界に発信するだけの価値があると言う事です。 そのような責任意識をAPUの関係者は共通認識として持つ事が必要ではないかと最近思いました。2002年の世界学生サミットにおける学生たちの声明文をもう一度思い起こし、その新展開を図って欲しい。先程申し上げたのは、そう言う事であります。これまでに私たちAPUが創り出し、蓄積してきた、いわば「APU的価値」とでも言うべき物を絶えず世界に発信する事は、今すごく大切な課題ではないかと思っています。これだけ世界が混迷を深め、国・地域間が厳しい軋轢に揺れる時代に、世界80ヵ国・地域の若者が集結する「APUでは何を語るのか」と言う事です。APU2030ビジョンの役割は、学内的な発展指針であるだけでなく、世界平和の発展指針でなければなりません。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございました。

【パネリスト 学長:モンテカセム第2代学長】 ありがとうございます。吉田代表の質問に対する答えを考えたんですが、私はそれが循環

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出来るような仕組みになれば、一番いいと思うんですね。社会に出た若い皆さんがAPUに来て、APU学生に、ちょっと未来の筋道を教えてあげたりする教育への貢献が一つ。それは多分これから是永先生も戦略的にやろうと思っている大変重要な所です。何故か。それは、皆さんが、我々が一番誇れる成果物だからですよ。それが一つです。 もう一つはね、大学が持っているあらゆる知的財産を、皆さんの出世を促進するために活用出来ないかな、と言う事もずっと考えてきたんです。私はこの事を、お経(きょう)みたいに、立命館大学の校友会の場でも言うんです。多分規模が大きすぎて腑に落ちてない所もあるかも知れませんが、APUぐらいの規模だと出来るんじゃないかって気がします。ではAPUという国際公共財が、校友の皆さんに何を提供出来るかと言えば今、坂本先生がおっしゃった事です。やはり世界と付き合って、色々な事をやらなきゃいけないこう言った時代では、そのあり方、やり方、秘訣はAPUの中にある。 私が未だに覚えているのは、韓国と台湾と日本とが、政治的問題で緊張していた時に、ニュージーランドのマオリの先生の元で、ブラジルの学生が企画をして、日本と台湾と韓国と中国の学生を集めて、シンポジウムをやったんですね。最初は領土問題、その後は学校の教材問題、その解決策まで、彼らが一緒に出すんですよ。あれはね、世界の外交になって行けばいいなあと思って聞いていたんです。そう言う事がAPUには沢山あるんだけど、僕らはそれを十分理解してない所もあるし、それを活用していない所もある。だけど大きくそれは何に貢献するかと言ったら、まさに坂本先生が非常に上手にまとめてくれた事ではないかと思います。世の中の未来を保証出来る素質を、皆さん、持っていると言う事ですね。

【司会 ケヴィン】 心強いメッセージありがとうございました。はい、坂本先生どうぞ。

【パネリスト 学長:坂本和一初代学長】 以前、NHK大分が放映した番組(GAP「日中・日韓 対立をどう乗り越えるか?」2012年11月16日NHK大分放送局)で、APUの学生が、日中韓の間の問題を、日中韓の学生だけが集まるんじゃなくて、様々な国の学生諸君も一緒に参加してやっていた議論、あれはすごく良かった。日中韓の間にある問題を、日中韓の学生が議論する時、それをアジアの諸国・地域の、更に世界中の若者たちがどう見ているかと言う事です。日中韓は今、様々な問題で軋轢を持っていますが、当事者はそれぞれ日中、日韓、中韓の関係で論議しています。しかし周りの諸国・地域の人々の目は、アジアの先進国である日中韓三国は、いったいアジアと世界に対してこれからどういう役割と、責任を果たそうとしているのか、という点に向けられていました。ああいうスタンスの議論は、APUにしか出来ません。大人の世界でも、日中韓の間の問題について、日中韓の当事者同士で、内向きの論議をしている事が多い。その点でもAPU学生たちのあの論議は、大いに学ぶべき事です。私自身、日中韓三国間の問題を論議する場に接する事がたびたびあります。その際、日中韓だけが相互に問題を論ずる事が多いですね。そんな時私は、日中韓の論議を周りの国・地域の人がどのように見ているかをもっと意識すべきではないか、それがAPUに関わってきた者の視点ですよ、と発言して牽制する事にしています。

【パネリスト 学長:是永駿学長】 ちょっと補足させて頂きます。その番組の最後に、バングラデシュの学生が言った一言は

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非常に強烈でしたね。「バングラデシュから見れば、日本も韓国も中国も先進国ですよ、先進国のあなた方が、他にやる事ないんですか」と。実に強烈でしたね。

【パネリスト 学長:坂本和一初代学長】 そんな目を持てるのはAPUだからですね。

【司会 ケヴィン】 そうですね、先程もあったように、腹を割って、言い合って、喧嘩して仲良くなるって言う事ですね。

【パネリスト 学長:モンテカセム第2代学長】 この話の延長線でね、面白いんですよ。先程私が話した会議の前後、あれだけ緊張関係の中にあって、韓国大使がですね、多分、日本政府が何かの企画で呼んでも行かないだろう中で、APUに来たんです。私は、それがAPUマジックだと思うんです。それを私たちは、もっと大事にしなきゃいけないですね。

【司会 ケヴィン】 そうですね、確かにAPUマジックは素晴らしいです。

【在学生 BANKOLE Abidemi】 すいません、質問です。 I am going to ask my questions in English. But I want to say thank you all so much for the presentation today. It's been very educational for me. I'm a second year. MBA student at APU. And I just had a question about APU's branding in general, because using marketing strategies is what a lot of Universities overseas are now using to promote their schools. And, I guess the speakers today said APU now is not competing just within Japan. It's been recognized in Japan as a top global university. And APU wants to move outside into the world now. So I'm just wondering, what is APU's position with regards to branding? How do they see branding or marketing, that's (number) one. Number two, apart from being a global university? What else? What the message does APU want to send to the world, how have these messages been decided, how will APU be differentiated from its competitors that will be becoming more and more increasing, and my last question is, how will this be communicated not only within Japan, but in the outside world. 是永先生お願いします。

【司会 ケヴィン】 素晴らしい質問でした。ありがとうございました。

【パネリスト 学長:是永駿学長】 今後のスーパー・グローバル大学(SGU事業)の目標と言いますか、ターゲットを、今、

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的確に指摘くださったと思うんですけど、APUは日本国内グローバル大学のトップ30に入りました。さっき私は、別の企画(I have a dream宣言)で世界30位に入る夢がある、こう叫んでしまいましたけれども、少なくとも一つには、ビジネスユニット(APM学部・大学院)でAACSBというアクレディテーションを取りに行きます。これは普通5年から10年かかるんです。我々6年目でファイナルステージに入っています。日本では慶応大学と名古屋商科大学の2大学しか取得していません。しかしこの2大学は日本語で取ったんです。APUでは英語です。我々は全て英語で教えて、英語で卒業出来るコースを持っているわけです。この審査は非常に厳しく、また教員の資格審査も厳しい。(教員は)ただ博士号を持っているだけでは何にもならないんです。世界的な雑誌に過去3年、5年で何本論文を発表しているかという所まで全部調べられるんです。最後にピアレビュー・チームがキャンパスにやって来て、最終審査の流れとなります。世界的な大学間のコンペティション(競争)では、いつも横山学部長がおっしゃるんですが、経営学部プラスMBAのビジネス・ユニットは、世界に1万5千あり、国際認証を取得すると言う事はそのうちの4.5%に入ると言う事なんです、今後APUが。それを我々は来年取ろうとしているんです。その上で、カセム先生がおっしゃるように、それはアメリカ基準だから、ヨーロッパの認証評価も取りに行くんです。ヨーロッパの認証評価も取る、となると日本でトップですね。我々は英語コースで取るんですから。 ただしAPUで学ぶ学生たちのモビリティ(流動性)は、益々高まると思う。我々が選ばれる大学になるためには、分野ごと、例えばビジネスならばビジネス・ユニット(学部・院)、国際教育分野ならその分野で、専門性を高めていかないといけないんです。今年の科研費(科学研究費)で、文科省は初めて分野別の採択ランキングを発表しました。国際関係(インターナショナル・リレイションズ)は、トップ10に入りました。同じ分野で立命館大学の国際関係は4位でしたか。やはり分野別で、その専門性を高めると言う事をやらないと。日本の中での競争力だけでなく、国際競争力という文脈で、我々は国際的にそのブランドを強化して行く事が必要ですね。 私は学長として、オーストラリアやニュージーランド、アメリカなど海外大学を訪問します。例えばニュージーランド・オークランドのオークランド大学に行きます。すると世界ランキング70何位とバンと貼って公表しているんですね。それは絶対的な基準じゃない。しかしかなり強力な基準にはなっていて、高校生が大学を選ぶ場合の一つの基準になるんですね。そこに我々は入っていかないといけない。我々は総合大学ではありません。社会科学を主にした、ほぼ単科大学に近い大学ですけど、その分野で30位以内に入る、世界30位を狙うと言った事を考えて行きます。そう言った分野ごとに尖っていかないと、なかなか勝てないと思う。そう言う事をやって行きたいと思います。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございます。Does it answer to your question? Ok, thank you.では時間の関係で、最後に卒業生か学生にご質問がある方、是非お願いしたいんですけれども、どなたかいますか。はいどうぞ。

【卒業生 LEE Alvin】 2004年卒業で、シンガポールから来たAlvinと申します。学部はAPMです。ちょっと自慢話ではないですが、実際にこのAPUに入ってすごく良かったという所をアピールしたい

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と思います。 Funakiさんと同じように第1期生としてAPUに入学した時はもう、各メディアから注目されていました。大分の夕方のニュースに実際に出た事もあります。旭化成のインターンシップに参加した時に、大分の新聞のトップページに出た事もありました。APUはそう言ったメディアから注目されている所があり、学生の頃はすごく良かったと思います。 そして、留学生としてこの日本にやって来て、日本に対して、何か役に立ちたいと思う事がすごく大事ではないか、と思います。私は卒業してから東京の企業、外資系の企業、日系の企業など、色々な所を回って、働いていました。先程、中村さんがおっしゃったように、日系企業の中では根回しだとかジャパニーズ的な文化がまだ強く、そう言った中で、留学生としてどのように人をリードし、リードさせるかという所がすごく大事で、且つ根本的な事かな、と思います。 これまで約9年間、東京で働いてきて、今は、神戸で働いています。この企業は純日系の企業なんですが、ちょうど私が入った頃が、この企業をどうにかグローバリゼーションの方向性にやって行きたいと、社長が考えていた時期でした。今、海外のビジネスはどんどん伸びてきているのに、せっかく日本が本社で、何故実績が低いかという所で、やっぱりグローバル的な人材が必要となってきたというのが、ちょうど私が入った頃でした。

【司会 ケヴィン】 すいません。質問をお願いします。時間がおしていますので。

【卒業生 LEE Alvin】 そう言う意味では、質問ではないのですけれど、私は、APUに入って良かった、と言う事を伝えたいです。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございました。最後に壇上の皆さんから、メッセージを頂きたいと思います。学生の方からでも、三人の先生方でも、卒業生でも、何かこれだけ言わせて、と言う事があれば、お願いします。

【パネリスト 現役生:大江佳苗】 こういう場にまだ慣れていないので、(私の発言で)分かりにくかった事もあったと思います。ここで皆さんがおっしゃった事を、(学生として)多分、一番重く受け止めて、これから実行していかないといけないと思うので、これから4年間、頑張って行きます。ありがとうございました。

【パネリスト 現役生:白石眞也】 僕は、APUがほんと大好きです。何か悪いイメージしか話していないので、言いたいんですけど、僕今22歳なんです。けれど多分、今、人生の中で一番楽しい時期を生きる事が出来ています。とても幸せです。この場に呼んで頂いた在学生の一人として、恥のないよう、一学生としてやって行く事と、また僕の発言した内容・要望、良くなって行く事を期待して

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終わります。ありがとうございました。

【パネリスト 現役生:CHAE Kiho】 今日「あれから10年、これから10年」というディスカッションに参加させてもらって本当にありがたく思います。それから学長、そして皆さんのご意見を聞く事が出来て、本当に嬉しかったです。これから私は2年間APUで勉強する予定なんですが、本当に頑張りたいと思います。今日はありがとうございました。

【パネリスト 卒業生:石川大雄('12年卒)】 今日のこの2時間はあっという間だったと思うんですけど、学生の皆さんの大学生活4年間というのも、本当にあっという間だと思うんです。且つ、一回きりしかないと思いますので、人との繋がりを、本当に大事にして、色々な事にチャレンジして、充実した大学生活を送ってください。頑張ってください。ありがとうございました。

【パネリスト 卒業生:中村紘右('08年卒)】 私も同じように、学生でいるこの時間というのは、やはりかけがえのない時間である、と言う事、卒業してからよく分かるという卒業生が多いと思います。ですから今、学生の皆さんには是非、この4年間を充実した時間にして頂きたい。あとは、別府という場所の土地柄もありますので、是非温泉に沢山入って頂いて、温泉の良さを是非世界にも伝えて頂ければなと思います。以上です。

【パネリスト 卒業生:FUNAKI Kaituu('04年卒)】 皆さん、この機会を本当にありがとうございます。特に学生の後輩たちへのメッセージなんですが、ちょうど卒業して10年間、正直に言うと、大学で勉強していた科目は、ほとんど忘れてしまって、もうほとんど0です(一同笑)。多分皆、同じだと思うんです。僕はずっとAPUにいるので、先生の名前は皆知ってますけど、多分10年離れると、自分の先生やゼミで習った先生とか、あと何名か以外は、ほとんど忘れてしまう。 僕が今覚えている事って、APUで印象に残った行いとか、例えば、先程のカセム先生がおっしゃったインドネシア津波の時に、別府市内で、皆で色々な所を回ったりした事、そう

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いう行いは、忘れないんですね。先程中村さんが、学生の時に苦労したと思う事も、卒業して今考えると、あまり大した事ではなかった、とおっしゃっていました。苦しんだ事でないとすぐに記憶から消えます。またその苦しみも、消えると思うんです。ただその時にやっていた行いは、後になっても覚えている物です。今、学生に伝えたいメッセージは、印象に残る行いや、人との繋がりを沢山作って、APUをもっといい大学にして頂きたいなあ、と言う事です。よろしくお願いします。

【司会 ケヴィン】 先生方も是非、皆さんにメッセージをお願いします。

【パネリスト 学長:坂本和一初代学長】 私はAPUというのは、APUが創り出す価値(「APU的価値」)という物で、世界の若者から選んでもらえる大学であって欲しいと思っています。APUは、大学としてもちろん学問水準が高いとか、教育システムが優れていると言う事が大切ですが、育った人材がこれからの世界の平和と、人間の福祉の発展のために文化の違い、国境を超えて役に立っている、自己犠牲に立ったボランティアの精神に富んでいる、真摯に世界の困難に挑戦している、そう言う事も含

めてAPUが持っている価値を評価してもらい、あの大学でやっぱり勉強しようと、そう言う事が世界から評価される大学であって欲しいと思います。 もちろん、いわゆる大学ランキングも上げなきゃならないんですが、育つ人材の魅力、そこが私は大切なのだと思っています。

【パネリスト 学長:モンテカセム第2代学長】 ちょっと言葉にするのが難しいですけど、APUは人の心を清める何かを持っているという感じがするんですね。APUに来ると悪い事は出来ないんです。それがすごく、潜在的に素晴らしい物だと思うので、APU生はずっとこれからも、理想に燃えて行って欲しいんです。これは「APU生」と言った時には、決して学生だけじゃなく、教員も、職員も含めて、「APU生」が、理想に燃えて未来を創造して欲しいんです。言葉で言えば、テオドラキスと言うギリシャの文学者が言った言葉です。「存在しないかもしれない青い鳥を、探し求めて行きなさい。」以上です。

【パネリスト 学長:是永駿学長】 さすが初代・第2代学長ですね、すごいですね、言葉が。 私、時々仕事で大分市に行くんです。仕事が終わり、夕方からタクシーで帰ってくるでしょう。別府市内の夜景が、綺麗です。別府の町からちょっと外れた高台を見上げると、APUの照明が煌々(こうこう)と照っているんですね。(ツインタワーの)二つの大きな目玉を挟んでですね。一昨日にもそれを見ましたが、それを見ながら感じるんです。日本は東京一極集中が激しすぎま

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すね。雑誌によっては、九州の辺境の地、と書く雑誌記者もいますよ、APUを紹介する時にね。APUはそう言った地理感覚と、関係の無い存在になっているなと。この山の上の標高350メートル・42万平米のキャンパスそのものが、日本で唯一ここしかない。ここが中心なんですよ。APUが中心だと思えばいい、そう私は思っているんです。そしてその存在そのものを、清らかにして行くと言う事。 もう一つ。私は日本人ですから言いますと、日本という国はですね、ほぼ単一民族で、海に囲まれています。無意識のうちに、潜在意識に排外的な意識が生まれるんです。エクスクルーシブ、排外的な意識が生まれるんですね。それはほぼ無意識に、日本人は持ってしまう。それを救う存在がAPUです。ここに来て初めて、風通しが良くてオープンマインドを感じる事が出来るわけです。APUの存在は、もちろんランキングも上げますけれども、やはりAPUの存在そのものが、日本の中で本当に光り輝いている、と言う事を、是非お忘れなく。今日はありがとうございます。

【司会 ケヴィン】 ありがとうございました。もう一度ここで九人の方々に大きな拍手をお願いします(一同拍手)。

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歴代学長と卒業生、学生によるパネルディスカッション

― スーパーグローバル大学創成支援事業 ―

~あなたのAPU物語~あれから10年、これから10年

報 告 書

■日時:2014 年11月1日(土)14:00~

■会場:立命館アジア太平洋大学 F棟105

■主催:立命館アジア太平洋大学

■共催:立命館アジア太平洋大学 校友会立命館アジア太平洋大学アドミッションズ・オフィス国際 校友会担当〒874-8577 大分県別府市十文字原1-1TEL:0977-78-1103 FAX:0977-78-1121Email:[email protected]

APU校友会10周年記念企画