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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 日本の教育事典に見るフレノロジー(Phrenology in Encyclopedia of Education in Japan) 著者 Author(s) 平野, 掲載誌・巻号・ページ Citation 研究論叢,22:29-43 刊行日 Issue date 2016-06 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/81009544 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81009544 PDF issue: 2020-05-21

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Kobe University Repository : Kernel

タイトルTit le

日本の教育事典に見るフレノロジー(Phrenology in Encyclopedia ofEducat ion in Japan)

著者Author(s) 平野, 亮

掲載誌・巻号・ページCitat ion 研究論叢,22:29-43

刊行日Issue date 2016-06

資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

版区分Resource Version publisher

権利Rights

DOI

JaLCDOI 10.24546/81009544

URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81009544

PDF issue: 2020-05-21

日本の教育事典に見るフレノロジ一

Phrenology in Encyclopedia of Education in Japan

平野 亮(兵庫教育大学)

HIRANO Ryo (Hyogo University of Teacher Education)

はじめに

日本の近代教育思想史は、西洋教育思想史

の一支流、という側面を持つ。学制やカリキ

ュラム、教授法だけではない。「教育」とい

う語そのものも含めた教育にかかわる思想・

観念が、明治の「文明開化」によって甚大か

つ根本的な影響を西洋近代から被ったのであ

る1。例えば、「文芸復興期以降、約五百年

間に出現したる欧米の教育思想は、僅々四十

年の明治年間に於て、皆悉く之を摂り且つ消

化して、今や殆ど彼此対等の状態にあり」 2

という自信に溢れた明治末期の言葉は、その

意図の如何にかかわらず、日本教育思想にお

ける一種の欧米化の達成を謳ったものであろ

う。つまり、日本の教育史の流れを遡ってゆ

けば、その流れの一本は自然と西洋教育史に

水源を求めるのである。

さて、本稿が取り組むのは、 19世紀の西

洋教育に波紋を起こした「フレノロジ一

(Phrenology)」が、近代日本の教育にどの

ような影響を及ぽしたか/及ぽさなかった

か、その解明のための一作業である心 1796

年にドイツ人の 医 師 F.J. ガル (Franz

Joseph Gall, 1758-1828) が提唱した脳科学の

体系は、人間の能力に関する理論たる

藩箱箪」として教育と結びつき、当時のヨ

ーロッパで、例えば今日で言う所の教育権・

学習権に関わる議論に対して、科学的でアク

チュアルな論点を提起したりした 4。その骨

相学が、西洋教育思想は「皆悉く之を摂」っ

た日本の近代教育において、一体如何なる歴

史的位置を有するのだろうか。

そこで今回注目するのは「事典」である。

但し一般的な事典ではなく、「教育」に関す

る専門事典である。思想史研究の方法として

の事典・辞書については、日本教育史の中内

敏夫が「近代日本教育思想」を探るにあたり、

「〔その時代の〕常識としての、あるいは社会

的な通念としての教育の概念を調べる」ため.. に、歴代の国語辞典を用いた例がある旦思

想・観念の歴史を事典に辿る手法は魅力的だ。

殊に日本の教育専門事典は、 1870年前後に

「始メテ之ヲ西洋二取リタル」新奇な学問一

「教育学」 6に関する探究のうちに誕生し発展

した、いわばその時代時代を映す一種の教育

学研究である。従って、そこに現出するのは、

l 翻訳語「教育」に関する研究は多数あるが、刺激的な所で、寺崎弘昭・ 周禅鴻『教育の古層』かわさき市民アカデミー出版部、 2006年を参照。

2 藤原喜代蔵『明治教育思想史』富山房、 1909年、 2頁。3 骨相学の西洋教育思想史については、平野亮『骨相学』世織書房、 2015年を参照。4 ジャック・ランシエール『無知な教師』(梶田裕• 堀容子訳)法大出版局、 2009年、 69頁以下。5 中内敏夫『近代日本教育思想史』国土社、 1973年、 63-71頁。中内は、諸先行研究に倣ったこの方法

から論じ得ることの限界を、「辞書、辞典類にその意識と行動が反映するようなところにいた日本人にかぎっていえること」と説明している。なお、近世以前の国語辞典に「教育」の語を求めた試み自体は、事例が殆ど見つからず「失敗」に終わっている (73頁)。

6 普及舎編述『教育・心理・論理術語詳解』普及舎、 1885年、例言。

-29 -

神戸大学「研究論叢」第22号 2016年6月30日

同時代に教育の「常識」「通念」たり得た、

読み解かれるべき教育思想・観念なのである。

教育に関する事典は従来「教育辞彙」や「教

育学辞典」など様々なタイトルで出版されて

きたが、本稿ではこれを「教育事典」と呼ぶ

ことにする。 K・A・シュミット (KarlAdolf

Schmid, 1804-87)やW・ライン (WilhelmRein,

1847-1929)、P・モンロー (PaulMonroe, 1869-

1947)らが著わした当該分野の歴史的作品の名

でもあった、教育の「エンサイクロペデイア」の

謂である八

それでは、教育思想史の合流点に生まれ、

発展してきた日本の教育事典のうちに、西洋

伝来の「骨相学」を追いかけてみることにし. . . . . . . . . . . . . よう。それは、日本における教育タームとし. . . . . .. ての「骨相学」を復元する試みである又

第 1節事典という思想

1 . エンサイクロペディアー一「世界のシミ

ュレーション」

中国文化に影響を受けてきた日本に、字書

や類書の歴史は古いぢだが、 1879年に編纂

が開始された日本最大の百科事典「古事類苑』

(1896-1914)の冒頭に示された認識、即ち「〔本

邦には〕古来類緊ノ書至リテ乏シク」 10の問

題意識が示す通り、今日一般に我々が使用すエンサイクローベヂア

るような百科事典や専門事典の制作は、実際

は明治期以降の出来事ということができ

るll。本稿が参照する日本の教育事典もまた、

西洋近代の驚異と圧倒のもとに誕生した新し

い知の形態であり、歴史上新規な知的経験の

一つであった。

まずは事典、即ち「エンサイクロペディア」

という語の成り立ちから論を始めよう。字書・

字 引 ・ 辞 書 ・ 辞 典 、 或 い は dictionaryや

lexiconといった語の語源が、素朴に「ことば(=

字、辞、 dictio、le.xis)の集積の書」であるの

に対し、エンサイクロペデイアの語源は「知のサークル

円環」である (OED.1989)。「知の円環」とは、サークル

「知識の総体」のことだ。元々、古代ギリシャ

における「一般教育」を指す擬古典ギリシャ語

「エンキュクロパイデイア」に由来し、後期ラテ

ン語 "encyclopぉdia(学芸百般)”を経て「百

科事典」の意を持ち、 18世紀フランスのディド

ロ (1713-84)とダランベール (1717-83)が、彼

らの編んだ「いつか人間の全知識を包括するは

ず」の「人間知識の「合理的辞典」」に、この

語「円環知」=「百科全書 (Encyclopedie)』

(1751-65)の名を与えるに至った 12。『百科全書』

の基本構造は、「世界を言語として取り込んで

システム化して、これが世界だというシミュレ

ーションを作ろう」としたことにある。そう分析

した文化史家の高山宏の洞察に従えば、エンサエンドレス ● ●

イクロペデイアとは、即ち、非目的論的な円環ネイチャー エンド

たる自然を、言語を用いて丸ごと人間の目的論

的な知や理解に取り込もうとした企てなのであ

7 「事典」の字は、 1931年に平凡社から『大百科事典』が出版される際に、下中弥三郎が「エンサイクロペデイア」を意訳して充てた。かの西洋語には、江戸末期に「諸学問」「万学字典」「三才図会」「学術類典」、更に明治期に「百学連環」「百科全書」「百科字彙」等の多数の翻訳語が提案されてきた(惣郷正明編『目で見る明治の辞書』辞典協会、 1989年、 12頁)。

8 「教育」を語るための語彙・概念セットは歴史文化的な特質を有する。即ち、本稿は「骨相学」を事例に、教育タームの遷移・転変を教育事典の内に検証する試みの一つでもある。

9 大隅和雄『事典の語る日本の歴史』講談社学術文庫、 2008年。10 「古事類苑編纂事歴」神宮司庁編『古事類苑』 1冊、古事類苑刊行会、 1926年、 1頁。「類緊ノ書」と

は「類ノ同ジキヲアツムル」(『言海J1891年、 1074頁)書物の意で、西洋の百科事典を指す。11 石川禎浩「近代日中の翻訳百科事典について」『近代東アジアにおける翻訳概念の展開』(石川禎浩・

狭間直樹編)京大人文研、 2013年、 277-307頁。12 デイドロ&ダランベール編『百科全書』(桑原武夫訳編)岩波文庫、 1987年。13 高山宏「パラダイム・ヒストリー』河出書房新社、 1987年、 7-45頁。エンサイクロペディアの思想史

については、パオロ・ロッシ『普遍の鍵』(清瀬卓訳)国書刊行会、 1984年も参照。教育史では、コメニウスの汎知学の思想が関連が深い (cf.北詰裕子『コメニウスの世界観と教育思想j勁草書房、2015年)。

-30 -

[研究論文] 日本の教育事典に見るフレノロジー(平野 亮)

る130

2. 事典による近代日本の形成

語源が示唆するそのような「汎知」の思想、

全世界を知悉したいと欲望する人々の尊大な

エンサイクロペデイアの思想が、ある具体的

な形に結実したものが事典ということになる

だろう。ヨーロッパでは、とりわけ大航海時

代以降の探検や植民地開発による「世界」の

現実的拡大が一契機となり、新しい時代の百

科事典や言語辞書が要求された。「多くの者

は、あちこちと探り調べ、そして知識が増す

でしょう」(旧約聖書)という蔵言が象徴的

に表わす“近代精神"14を具現化した、近代

的「事典」の出現である。

これと同じ構図を、幕末以後の近代日本に

見出すことができる。第一に、「文明開化」

の心性は、エンサイクロペデイアの“野心”

に通じるところがある。当時の日本にとって、

「世界」とは即「西洋」であった。たとえそ

れが苦痛を伴った不可避の選択であったにせ. . . よ、新国家は新たに開かれた目映い「近代ヨ

ーロッパ」の移植に没頭した。新しい百科事

典や各種専門事典、辞書などは、まさに西洋

を悉く摂取し消化しようとしたその過程にお

いて要請され、続々と編纂された。事典・ 辞

書が近代化の成果であり、同時に、わけても

初期においてはその重要な基礎でもあったこ

とは言うまでもない―-1873年の「教導説」

(箕作麟祥訳)を皮切りに凡そ 100項目の分

冊を 10年がかりで文部省が翻訳・刊行した

「百科全書」 (1873-83) のような、「引く」よ

りむしろ「知識の体系そのものを体現する、

「読む」書物」だった初期の百科事典はその

好例だろう 15a

相互に目的でもあり原因でもあるのだが、

日本における近代的事典・ 辞書の登場の背景

には、大きく二つが考えられる。一つは、欧

米の技術、制度、思想、学問を日本に移植し

て展開するための翻訳語を整えること、或い

は未知の観念・事物の解説をすること。もう

一つは、国家統一のための言語統一、別言す

れば「日本」の輪郭線を内外に明示すること

である。「統一された理解しやすい術語の制

定」の要求が、「国家が非常な熱意を示した

学校教育」の導入・推進のためにも不可欠の

課題であったという点も強調しておこう 160

3. 教育事典登場

「教育」の専門事典もまた、以上の潮流の

うちに登場する。むしろ、「脱亜入欧」の成

功のために近代西欧型制度を樹立することが

喫緊の課題であった教育分野においては、専

門事典の必要性は、他分野に比較してより一

層高かったと言えるかも知れない。

本邦の教育事典の嘴矢は、 1879-85年に

かけて文部省より刊行された『教育辞林」で

ある。 1877年にアメリカで出版された H.キ

ッドル (HenryKidlle, 1824-91) とA J. シ

ェーム (AlexanderJ. Schem, 1826-81)の共

編著 TheCyclopredia of Education (教育事

典)の翻訳で、文部官僚小林小太郎 (1848-

1904)及び木村一歩の共訳によって全 21冊

が出版された。当初は「全部ヲ訳了」[凡例]

することが期されたが、実際にはアルファベ

ット順で「N」の途中までしか翻訳されなか

った。しかしいずれにせよ、外国の教育事典

では自ずから限界があったのだろう。〈教育

14 内田正夫「F.ベーコン『大革新』の扉絵に描かれているのは入り船である」『化学史研究』化学史学会、37巻4号、 2010年、 188-90頁を参照。

15 石川禎浩、前掲論文、 277頁。原著は、 William& Robert Chambers ed .. Chambers's Information for the People。初版は 1833-35年にエデインバラで出版された。文部省訳の底本については諸説あるが、石川は 1867年Philadelphia版説を説得的に採用している。

16 日本科学史学会編『通史 l』(日本科学技術史大系 1巻)第一法規、 1964年、 531頁。

-31 -

神戸大学「研究論叢」第22号 2016年6月30日

エンサイクロペディア

= education〉に関する円環知を丸ごと摂

取し消化するために採られたこの新しい知の

形態・方法は、じきに、日本人の手による日

本の教育事典の編纂へと発展していった。

その後に続いた日本の教育事典に関しては

次節で論じるとして、本項では西洋のものに... ついて少々述べておく。実のところ、進んで.. いたように思われる西洋の教育事典の歴史と

て、日本と比較してそれほど古くはない。篠

原助市 (1876-1957)によると、教育事典は「ヘ

ルガングの『教育実用百科全書』……を以て

瑞矢となす」 17。つまり、 ドイツの神学者 K.

G. ヘルガング (KarlGottlob Hergang, 1776-

1850)が 1843-47年に発表した「教育学事

典 (PiidagogischeReal-Encyclopiidie)」が教

育事典の最初ということであり、そこから一

世代余のうちに出版された『教育辞林」は、

翻訳書ではあるが、当該分野の比較的初期の

一冊ということになる。事実、キッドルとシ

ェームによる原著は、「英語で書かれた最初

の教育事典」なのである見

西洋の教育事典は、教育に関する学の体系

化が進んだ啓蒙期を経て、教育がいよいよ国

民的問題となった 19世紀半ばの社会に誕生

した。以下に、篠原(「教育辞典』、 164頁)

及び入澤宗壽 (1885-1945)(「入澤教育辞典』、

312-3頁)による「教育百科全書」の各記事、

更に小林澄兄 (1886-1971)-1950年に自

身も単著『教育百科事典』を発表—が

1954年・平凡社刊「教育学事典』第 1巻の

月報に載せたやや詳細なリスト(「西洋の教

育辞典」 1-3頁)を参考にして、西洋で編ま

れた教育事典の、前出以外の主なものを挙げ

ておこう 19。実際、ここに挙げる諸事典の影

響を受けながら、日本における教育タームと

しての「骨相学」は形成されることになる。

O独語

• カール・ A・シュミット編『教育制度事典』全

11巻、 1859-78年 (Encyklopiidiedes

gesammten Erziehungs- und

Unterrichtswesens)。

• ヴィルヘルム・ライン編『教育百科事典」全7巻、

1895-99年 (Encyklo拉dischesHandbuch der

Piidagogik)。

〇仏語

・フェルデイナン・E・ビュイソン編『教育学・

初等教育辞典』全2巻、1882-87年(Ferdinand

Buisson, Dictionnaire de Pedagogie et D'

Instruction Pガmaire)。

0英語

• ポール・モンロー編「教育事典』全5巻、

1911-13年 (ACyclopedia of Education)。

• フォスター・ワトソン編「教育事辞典』全4巻、

1921-22年(FosterWatson The Encyclo拉函ia

and Dictionary of Education)。

第2節教育事典のなかの「骨相学」

1. 教育事典リストと見方

日本の教育事典の項目ないし記事中に骨相

学関連語彙の出現を追った結果を、表に示し

た。リストアップしたのは、 1879年の『教

育辞林」から 2002年の安彦忠彦編「新版現

代学校教育大事典」までの、日本語で著され

た教育事典35冊である。各事典の編著者名・

タイトル・出版年を記した上で出版年の順に

配列し、左側には通し番号を振った。右側に

は、後述する 4つの骨相学関連項目の採用の

有無をOxで示してある。

史料の選定は、 (1)戦前 (1945年以前)

の出版のものは網羅を心がけた。今回の調査

17 篠原助市「教育百科全書」「教育辟典」大阪宝文館、 1922年、 164頁。18 H. Kiddle & A. J. Schem ed., The Cyclopcedia of Educaがon.N. Y., 1877, preface. 19 本稿では、特に日本の教育事典で参照されることの多い数点のみを挙げた。その他幾つかは本文中で

も言及するが、併せて典拠資料も参照されたい。

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[研究論文] 日本の教育事典に見るフレノロジー(平野 亮)

教育事典一覧(刊行年順)

タイトル 骨相学 ガル シュプル コームツハイム

① キッドル他編 「敦育辞林」 (小林•木村訳) (1879-85) △

゜△ △

② 普及舎編述 「教育・心理・論理術語詳解J(1885) X // // I/ ③ 木村一歩編 「敦育辮典J(1893) △ △ △ △

④ 育成會編 「教育僻彙J(1902) X X X X

⑤ 敦育學術研究會編 「敦育僻書」(1903) X X X X

⑥ 教育學術研究會編「賣用数育新辮典J(1908)

゜X X X

⑦ 大日本百科僻書編輯所編「教育大僻書J(1908)• X X X X

⑧ 教育実成会編 「教育人名辞典」(1912-17) I/ X X X

⑨ 篠原助市 r敦育辮典J(1922)

゜゚ ゜X

⑩ 渡部政盛・守屋貫秀 「最新教育辮典」 (1930) 0,

゜゚X

⑪ 現代賞際教育研究會編 「「全」教育新僻典」(1931) X X X X

⑫ 日本敦育學術協會編 「現代教育僻典J(1931)•

゜゚ ゜X

⑬ 同文書院編 「最新教育賓用辞典」(1932) X X X X

⑭ 入澤宗壽 「入渾敦育僻典」(1932) ゜`瀦

゜゚X X

⑮ 岩波書店編集部編 「岩波西洋人名僻典」(1932)事 /

゜'o

゜⑯ 尾高豊作編 「教育人名大僻典J(1936) // X X X

⑰ 阿部重孝•城戸幡太郎ほか編 「敦育學辮典」 (1936-40) X △ △ X

⑱ 齋藤道太郎編 「新教育事典」(1949) X X X X

⑲ 明治図書出版社編輯部編 「新教育用語僻典』 (1949) X X X X

⑳ 小林澄兄 「教育百科辟典」(1950)

゜゚ ゜X

@ 豊澤登 「体系敦育學大辞典」(1950) X X X X

⑫ 青木誠四郎ほか編「教育科學僻典』(1952) X X X X

⑳ 海後宗臣ほか編 「教育学事典」(1954-56) X X X X

⑭ 石山脩平編 「教育小辞典」 (1955) ~ ' ~ 00

゜゚X X

⑮ 勝田守一ほか編 「岩波小辞典教育J(1956) X X X X

⑳ 稲富栄次郎監修 「教育人名辞典」(1962) /

゜゚ ゜⑰ 海後宗臣監修 「日本近代教育史事典」平凡社 (1971) X X X X

⑱ 天城勲ほか編 「現代教育用語辞典」第一法規 (1973) X X X X

⑳ 細谷俊夫他編 「教育学大事典」 第一法規 (1978)• X X X X

⑳ 東洋ほか編 「新教育の事典」平凡社 (1979) X X X X

R 唐澤富太郎編著 「図説教育人物事典」ぎょうせい (1984)// X X X

⑫ 東洋ほか編 「学校教育辞典」教育出版 (1988)* X X X X

⑬ 青木一ほか編 「現代教育学事典」労働旬報社 (1988) X X X X

⑭ 教育思想史学会編 「教育思想事典」(2000) △ X X △

⑮ 安彦忠彦編「新版現代学校教育大事典」ぎょうせい(2002) X X X X

-33 -

神戸大学「研究論叢」第22号 2016年6月30日

で当たることができたものに関しては、小事

典も含め漏れなく取り上げてある。 (2)

1950年代から特に 60年代以降は、小事典や

新たに登場してくる細分化した専門事典は割

愛し、中事典以上のサイズで一般的な教育

(学)に関するものに限定して取り上げた。

例外として、骨相学関連語彙を確認できた事

典は全て取り上げてある。なお、複数の版を

参照した場合、改版による変更が骨相学関連

語彙に影響を及ぽしていなければ、より古い

方の版(*)を記載した。

骨相学関連語彙として挙げたのは、「骨相

学」「ガル」「シュプルツハイム」「コーム」

の4つである。「骨相学」は 19世紀西洋で流

行した脳科学かつ観相学的体系の名称である

phrenologyの翻訳語だが、訳案や表記が当

初いくつも存在しており、今回は比較的用例

の多い「性相学」「フレノロジー」も併せて

検索した。

「ガル」以下 3つは骨相学にまつわる代表

的人物の名前である。後の骨相学を「頭壷学」

「脳の生理学」の称で提唱した既出のガルの

ほか、彼の元助手で後に単身英米に渡って「骨

相学」の名でガル学説の普及に努めた J.G.

/ュプルッハイム (JohannGaspar

Spurzheim, 1776-1832)、イギリス最大の骨

相学者にしてその教育論• 実践で教育史に名

を残すスコットランド出身の G・コーム

(George Combe, 1788-1858)である 20。先に

同じく、「ゴール」「ガール」「スパルズハイム」

「クーム」「コムブ」など複数の表記例がある

ため、併せて検索を行った。

リスト中のOx△について、「O」はその

語が事典に単独で立項されている場合、「△」

は見出しや項目としては存在しないが別の項

目の記事中に用例を見つけることができた場

合、そして「 x」はいずれにおいても確認さ

れなかった場合を表わしている。もとより

隅々まで探査できたわけではない“不完全”

なリストであり、事典の抜けや、とりわけ「△」

に漏れがあることが予想されることを断って

おきたい。

2. 教育事典及び「骨相学」解題

では、一件ずつ見てゆくことにしよう。以

下では、表より抽出した教育事典につき、 (1)

編纂の経緯・背景・意図、 (2)骨相学関連

項目の有無、 (3)「骨相学」と教育との関係

等の記事内容や特徴、を叙述した。今回検討

したのは、その比較的多くで「骨相学」が項

目立てられていた 1950年代までの 25冊と、

関連語彙の登場するその後の 2冊を加えた

27冊である。引用箇所・頁数は [00]で示

した。

①ヘンレ・キッドル、アレキサンドル・ジェ

ー・スケーム編『赦育辞林」(小林小太郎・

木村一歩訳)文部省、 1879-85年。

「進んだ文明の下に、文芸が花開き、科学・

学芸が人間の知の境界を押し広げているよう

な場所ならどこでも、百科事典及び専門事典

の数が急激に増加している」という原著序文

の現状分析に呼応するようにして編まれた、

翻訳にして日本初の教育事典である。

「N」項目で終わる全冊の目次を通覧する

と、単独項目が見つかるのは「ガル」[木村訳、

11冊、 1-2]だけである。だが原著索引から、

「Phrenology」 が 「Character,Discernment

of」として間接的に項目立てられ、これが第

4冊に「性質ノ緋別」[小林訳、 34-9] として

訳出されていることが判明する。その「人各

固有ノ性質アリ今其外徴二因テ之ヲ識別スル

20 「コーム」に関しては、ジョージの弟で医師のアンドリュー (AndrewCombe, 1797-1847)も骨相学者・教育家として著名で、西洋の教育事典に取り上げられることがあるのだが、今回の調査では見つけられなかった。

-34 -

[研究論文] 日本の教育事典に見るフレノロジー(平野 亮)

ヲ完善ナル教育ノ要訣トス」の一文に始まる

解説中には、「頭脳ノ組織ヲ区別シ以テ教育

学ノ基礎」をなす骨相学が論じられる。これ

は、ウィーン政府による講義禁止令に反論し、

「今人性ノ善悪ヲ観察スヘキノ方法多シト雖

トモ察脳学 21ノ右二出ツル者ナシ」 [11冊、 2]

とガルが主張したというエピソードとも関連

する。だが同時に、「骨相学ノ原理ヲ以テ教

育上二応用スルノ度如何二就テハ其議論甚多

シ」 [4冊、 38] ともされた。骨相学が教育と

の関連で解説され、しかしそこに一定の留保

が存在した点に注目である。

項目はないが、シュプルツハイムは「ガル」

項目中では『教育原論』 (1821年初版、 A

View of the Elementary Principles of

Educationのこと。以下では『教育の根本原

理』と表記する)の著者として、また「自疑

Diffidence」[7冊、 99] には精神的能力論者

として登場する。コームは、骨相学に基づく

その教育論が「頭脳 Brain」[3冊、 102]で紹

介されたほか、「男女混合教育 Co-education

of the sexes」[5冊、 24]にアメリカ公教育の

父H・マン (HoraceMann, 1796-1859)の文

通相手としてその名が見える。

②普及舎編『敷育・心理・論理術語詳解』普

及舎、 1885年。

本書は、心理学 22や論理学とともに幕末

から明治の時期に初めて西洋から採り入れら

れた「教育学」の術語に関し、「一定セザル

ノ訳語」を確定すべく編まれた[例言]。し

かし「骨相学」は立項されておらず、また人

名項目もない。

③木村一歩編『数育辟典』博文館、 1893年。

本書は、主に事典①収録の項目から共訳者

の一人だった木村が取捨選択を行い、編纂さ

れている。それ故、項目名もそのまま「頭脳」

[501]、「性質之辮別」 [556-9]、「自疑」 [531-3]

に各々が登場する(但し「ガル」は立項され

ていない)。①では翻訳の及ばなかった「シ

ュミッド(カール) Schmidt (Karl)」[861]-

-『教育制度事典』の K・A・シュミットと

は別人—が原著より翻訳収録されており、

「〔教育家シュミッドが〕ガル及ヒ其門派ノ説

ヲ信奉シ察脳学ノ発達二碑益スルコト頗ル大

ナリ」との解説が見られる。

④育成會編『緞育辟彙』育成会、 1902年。

学者向けではない「一般教育者」のための

教育事典が未だ無いことを憂い、西洋の原著

を読まない非専門家が「疑義に嵯蹟し、凝固

して氷解し得ざる」ような語旬に代わる、「一

定せる正当の訳語」の選択を目指して編まれ

た[緒言]。骨相学関連項目はない。

⑤教育學術研究會編「敷育辟書』同文館、

1903年。

博識が要求される教育分野の従事者のため

に、「世間及び人生に関して十分なる常識を

成就すべき各方面の知識を統一」し、「学問

研究に貢献せん」ために編まれた事典[例言]。

こちらにも骨相学関連項目は収録されていな

v'o

⑥敷育學術研究會編『賓用教育新辟典」同文

館、 1908年5月。

事典⑦と同年に、同じ同文館より、⑤と同

21 小林訳では「骨相学」となっていたフレノロジーの訳語が、木村訳では「察脳学」となっているのは興味深い。「骨相学」の訳語は、早くは 1873年刊行『附音挿図英和字彙』(柴田昌吉・子安峻絹、日就社)に「骨相学、心学」として確認できる。

22 「サイコロジイ」には「心性学」 [137]の訳語があてられている。因みに、西周は当初 intellectualscie neeや mentalphilosophyを「心理(上)学」と訳していた。

-35 -

神戸大学「研究論叢」第22号 2016年6月30日

じ教育学術研究会の編纂で出された。育成会

編の④を「疎漏撫雑の一小冊子にして、些の

値なし」と切り捨て、⑤を「この辞書中最も

見るべきもの」だが統一を欠いていると総括

し、それらの欠陥を克服する「良教育辞書」

を企てたという[序]。主な参考書として明

示されたのは、キッドル&シェームの事典の

他、 J.M・ボールドウィン (JamesMark

Baldwin, 1861-1934) 編『哲学心理学辞典

(Dictionary of Philosophy and Psychology)』

(1901-05)やK・A・シュミット著『教育史

(Geschichte der Erziehung)』(1884-1902)

である。

前 2著に「Phrenology」項目が(間接的

にも)あり、シュミット『教育制度事典』が

「Phrenologie」(6巻)について 5頁を割い

て詳細に解説を加えていたことに準じるよう

に、本書には「骨相学」 [113]が立項されて

いる。しかるに、説明は一行、「精神の諸能

力及び情操と大脳の部位、頭蓋骨の形状との

相互関係を説くところのもの」とあるのみで

ある。

⑦大日本百科辟書編輯所編『教育大辟書』同

文館、 1908年 11月。

篠原 (1922) をして、「我国にては同文館

発行の「教育大辞書」(大正 7年改訂)以外

特に挙ぐべきものあるを見ず」と言わしめた

教育事典。「絶東の島帝国、泰西の文物を移

植してより蕊に数十年」に至り、「大帝国、登、

〔欧米諸国が持てる〕『百科大辞書」なくして

可ならんや」[発刊の辞]という問題意識から、

商業・医学・工業・経済・哲学・法律に並ぶ、

「教育学の有らゆる分科に亘」る一冊として

構想された。全 1812頁(改訂版は 2200頁)

のこの大部を、教育史の石川謙 (1891-1969)

も、カバーした関係領域が狭陰であった欠点

はあるものの、後の岩波教育学辞典(後出⑰)

に先立つ「大事業」として紹介した 23。骨相

学関連項目は、しかし採用されていない。

⑧教育実成会編『教育人名辞典』教育実成会、

1912-17年。

元々は教育実成会編の 3冊『明治聖代教育

家名鑑第一編』 (1912)、『大日本現代教育家

名鑑第二輯」 (1915)、『大日本現代教育家名

鑑第三輯」 (1917)。本研究が参照したのは

1989年刊の日本図書センターによる合本版

である。骨相学の 3人の名はない。

⑨篠原助市『教育辟典』大阪宝文館、 1922年。

東京高等師範学校教授だった篠原の編著

で、戦前の代表的教育事典の一冊。いずれも

骨相学関連項目を採用していたモンロー、ラ

イン、シュミットの教育事典、そしてボール

ドウィンの哲学心理学辞典を参考にしただけ

あり、「骨相学」 [246]、「ガル」 [120]、「シュ

プルッハイム」 [328]が立項されている。

骨相学の具体的な解説について、本事典は

一つの転換点と言える。⑥が一文で略説し、

①が留保付きながら教育への適用に言及した

骨相学が、遂に「最早科学的に之を支持する

を得ざるに至れり」という明確な否定対象へ

と変化しているのだ。これは、実際はシュミ

ットやモンローらが骨相学を解説するにあた

って先ず冒頭に「擬似科学」の断定を置いて

いた、その評価等に準拠したものと思われる。

ただ、ガルに関しては「倦む所なく、終に

一家の学を成」した人物と解説され、シュプ

ルッハイムなども、「骨相学を教育に応用し

て『教育の根本原理に関する見解』 Viewsマ

on the Elementary Principles of Education

(1821) を著わせしが、 19世紀 50年代に至

る迄英米二国に於て愛読せられた」人物とし

23 石川謙「教育学事典のこし方・行く先」『教育学事典』 1巻月報、平凡社、 1954年、 4頁。

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[研究論文] 日本の教育事典に見るフレノロジー(平野 亮)

て、功績を称えた紹介がなされている。

なお、参考文献のうち、特にモンロー編『教

育事典』 (1911-13)は本研究が調査した骨相

学関連項目を全て立項して解説した、重要な

基本書である。どうやら、当時のシカゴ大学

教育学部長 C・H・ジャッド (Charles

Hubbard Judd, 1873-1946) や K・ダンラッ

プ (KnightDunlap, 1875-1949) ら心理学者

が執箪を担当したこの事典の骨相学記事は、

以後の日本の教育事典における当該項目の解

説文のベースになったようである 240

⑩渡部政盛・守屋貫秀『最新赦育辟典」大同

館書店、 1930年。

「荀も教育に関係のあるものの重要なるも

のは、皆これを採らんことに努めた」[序]

本書は、かつて骨相学が教育学のテーマであ

ったことを示唆する面白い例証を提供する。

即ち、共著者の一人・渡部はこの事典の姉妹

編として『最新哲学辞典」(大同館書店、

1932)をものしているのだが、骨相学関連項

目が登場するのはこちらの教育事典だけなの

である。

解説では、「骨相学」 [246-7]が⑨の記述同

様「今日非科学的の評を受けている」となっ

ている。「ガル」 [lll]は簡単な紹介のみ、「シ

ュプルツハイム」 [344] は⑨或いはモンロー

(1913)の記述を踏襲し、「教育の根本原理』

が 19世紀前半まで英米で読まれたことが述

べられている。

オール

⑪現代賓際敦育研究會編『「全」緞育新辟典』

章華社、 1931年。

哲学や思想の事典との重複を避けて編まれ

た「教育科学」の事典[凡例]。心理学も取

り込み、「現代日本の教育及教育家について

最大の関心を払った」が、骨相学関連項目は

ない。

⑫日本緞育學術協會編『現代敦育辟典』啓文

社書店、 1931年。

本書には、「骨相学」 [304-5]、「ガル」 [132]、

「シュプルッハイム」 [412]が立項されている。

その事実と「凡例」をつきあわせると興趣は

尽きない。曰く、「文検教育科受験者、師範

学校最上級生並に実際教育家の座右銘たらし

めんことを、主要なる眼目として編述」され

たのが本書であり、即ち骨相学もまた「進歩

発展せる現代の教育界並に教育研究家に取っ

て、何よりも必要欠くべからざるものは、現

代中心の学説であり、思想であり、実際であ

る」との選考趣旨に漏れることなく採用され

たのである。なお、ラインナップ同様、記述

も⑨に拠っている。

⑬同文書院編『最新敦育賓用辟典』同文書院、

1932年。

帝国大学教授だった吉田熊次 (1874-1964)

や小西重直 (1875-1948) らが監修を務めた

事典。従来の専門的研究のための教育事典と

は異なる「一般教育者の好伴侶」を目指して

編まれた[序]。骨相学関連項目は採用され

ていない。

⑭入澤宗壽『入澤赦育辟典』教育研究会、

1932年。

⑨とともに 2002年に日本図書センターか

ら復刻もされた、戦前の代表的教育事典の一

冊。西洋教育史家の入澤による本書は、ライ

ン、シュミット、モンロー、及び⑦の各教育

24 因みに、篠原が外国の地名・人名の読み方の典拠にしたウェブスター英語辞典は、当時「骨相学、脳蓋学」を絵入りで紹介した上に、辞典中の 71個しかない表記のための略語の一つに「骨」=骨相学を採用していた命抜ふ書である(「ウェブスター氏新刊大辞書和訳字彙」(イーストレーキ&棚橋一郎訳)45版、三省堂、 1902年)。

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神戸大学「研究論叢」第 22号 2016年6月30日

事典に加え、 E・M・ロロッフ (Ernst

Maximilian Roloff, 1867-1935) 『教育学辞書

(Lexikon der Piidagogik)』(1913-17) や H・

シュヴァルツ (HermannSchwartz) 『教育

学辞書 (PiidagogischesLexikon)』(1928-31)、

その他哲学事典を参照して編まれている[凡

例]。

骨相学関連項目は、 4項目のうち「骨相学」

[509] と「ガル」 [214] が立項されている。

その中で、 W ・ヴント (1832-1920) の名を

挙げながら「一般心理学者はこの学を重要視

することに反対して居る」と述べ、骨相学を

含めた「能力心理学の失墜」に言及する記述

はこれ以前の教育事典にはない。

⑮岩波書店編集部編『岩波西洋人名辟典」岩

波書店、 1932年。

本書は教育事典ではないが、骨相学の日本

への影響を推し量る事典史料としてここで取

り上げたい。「西洋諸学習得の啓蒙期」を脱

した日本は、「一般語学に関する辞典は更な

り、各科専門の辞典もそれぞれ編纂されて殆

ど備はらざるなき有様」であったが、殊「外

国人名を検索」する辞典に限っては「殆ど絶

無」であった[序]。その穴を埋めるために

編まれた本書に、「ガル」 [257]、「シュプル

ッハイム」 [498]、「コーム」 [400]の全員が

採用されているのである。

3人のうち、本稿で初めて登場するコーム

の解説にのみ、「教育…に関する著述をなし」

た点を指摘する形で教育との関連が言及され

ている。事実、コームは従前の教育史研究に

おいてしばしば取り上げられてきた、比較的

蓄積も豊富な殆ど唯一の骨相学者であり、理

論面だけでなく、エデインバラでの学校運営

等の実践面においても注目されてきた人物で

ある 25。その証拠というのでもないが、本研

究が参照できた英語で書かれた唯一の『教育

人物辞典 (ADieがonaryof Educational

Biography)』(C.W. Bardeen. N. Y .. 1901)

には、シュプルツハイム [ll8]とコーム [131]

の記事がある。

また、 G・S・ホール (GranvilleStanley

Hall. 1844-1924) らによるメモ集の様相を呈

した『教育文献目録のヒント (Hintstoward

a select and descriptive Bibliography of

Educ叫 on).I (Boston, 1886) にもシュプル

ッハイム [29]とコーム [22]の名が挙げられ、

彼らの教育論書がそれぞれ一冊ずつ採録され

ている(シュプルツハイムのは、やはり『教

育の根本原理』である 26)。内外の教育事典

で「コーム」が余り立項されていないのは、

むしろ意外である。

⑯尾高豊作編『敦育人名大辟典』刀江書院、

1936年。

単なる教育人名辞典ではなく、「文部省の

編纂にかかる現行の国定教科書に現れた一千

有余の人物の名号・系統・事蹟・逸話・美談

などを記録し、人格教育の資料に供する為に

編纂」された事典である[凡例]。そこにガ

ルら 3人の名前はなく、従ってこの時期まで

に編まれた国定教科書に彼らは登場しないの

だろう。

⑰阿部重孝•城戸幡太郎ほか編『敦育學辟典』

岩波書店、 1936-40年。

本書は、阿部 (1890-1939)、城戸 (1893-

25 例えばイギリス教育史の H・シルバーは、コームは 19世紀中葉当時、英国で最も著名な教育家の一人だったが、ヴィクトリア朝後期の人々の改窺により教育史から消されてしまった、と説明している(Harold Silver. Education as history, Methuen, 1983, p.92)。

26 A View of .. (1821)は、版を重ねた後に、 Educationと改題している。なお、ホールらがS・R・ウェルズ (SamuelRoberts Wells, 1820-75) を本書の英訳者とメモしているのは誤りで、正しくは附録を担当している。

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[研究論文] 日本の教育事典に見るフレノロジー(平野 亮)

1985)、佐々木秀一 (1912-86) と⑨の篠原を

編者に連ねた全5巻の大著である(中心は城

戸であり、その下で働いた留岡清男 (1898-

1977) だった 27)。石川謙は⑦と比較して、

それが取り扱った全領域を収めた上に「人類

学• 生物学・精神病学・優生学などまで採択

した」と、その広汎ぶりを高く評価した。そ

れは、「戦前の教育学の到達点を示してい

る」 28とも評される、日本教育史上の事績で

ある。

骨相学関連項目は採用されていないが、代

わりに「能力」 [1871-72]と「能力心理学」 [1872]

の記述に、ガルと骨相学が登場する。この点

については、小括で改めて検討する。

⑱齋藤道太郎編『新教育事典」平凡社、

1949年。

戦後の最も早い時期に出版された教育事典

の一冊。「新しい概念」や「耳なれない用語」

の整理を企図しているが、いずれも「日本の

教育の民主化」に役立てることを大きな目的

としていた点は特徴的だろう[編集者の序]。

骨相学関連項目は採用されていない。

⑲明治図書出版社編輯部編『新敦育用語辟典』

明治図書出版社、 1949年。

⑱と同背景に編纂された本書の「はしがき」

は、当時の状況を次のように説明している。

「終戦後、新教育の実施に伴って、これが指

導参考の図書、雑誌はおびただしく出版され

つつあるが、それ等の中には非常に多くの新

しい用語が使われており、一般読者にとって

はまことに煩わしいものと思われる。しかし、

それも現在では教育界の常識的な、日用語と

さえなりつつある…」。本書にも骨相学関連

項目は採用されていない。

⑳小林澄兄『数育百科辟典』慶応出版社、

1950年。

著者の小林が、本書編纂を出版社から委嘱

されたのは 1947年4月のこと、折しも最初

の学習指導要領発行や教育基本法及び学校教

育法公布の直後の頃であった[序]。太平洋

戦争以前から「大小ともによいもの一、二冊」

—本書の記事「教育辞典」 [202] から判断

すると⑰ ・⑨⑭を指す—があったが、いず

れも旧版のため、「新時代に適する」小事典

へと刷新する目的で執筆された。恐らく⑱⑲)

も「当面の当用として役立つ新教育用語辞典」

として参考にされたが、戦前戦後に亘る新旧

四千数百項目を採る本書はそれらと全く異な

る[序]。その他、新たに H・N・リヴリン (Harry

Nathaniel Rivlin, 1904-91) & H・シューラー

(Herbert Schueler) 『現代教育事典

(Encyclopedia of modern education)』

(1943)、W・S・ モ ン ロ ー (WalterScott

Monroe. 1882-1961) 『教育研究事典

(Encyclopedia of Educational Research)』

(1941)、C・V・グッド (CarterVictor

Good) 「教育辞典 (Dictionary of

Education).! (1945)などが参照されている。

骨相学関連では、「骨相学」 [368]、「ガル」

[163]、「シュプルッハイム」 [493]が立項さ

れている。およそ⑩の記述から引いて、骨相

学は「多くの人特に罪人の頭蓋骨の形状と彼

等の性情との間に相関関係を定立し、頭蓋骨

の各部分に一々の心力を配分し、そのいずれ

の部分が発達しているかを吟味し、人々の性

情を判断する学」であるが、その非科学性は

現在は疑いない、とした。シュプルッハイム

も、世の信用を博した彼の骨相学を教育に応

用した『教育の根本原理』が広く読まれたと

いう既出の解説である。注目すべきは、小林

が「わが国の教育にとって比較的に重視さる

27 宗像誠也「阿部重孝先生のこと」「教育学事典」 1巻月報、平凡社、 1954年、 6頁。28 山住正己「教育学」『世界大百科事典」改訂新版、 7巻、平凡社、 2011年、 243頁。

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神戸大学「研究論叢」第 22号 2016年6月30日

べき又は少くとも無視さるべきでない項目」

として、戦後の 1950年にこれらを改めて事

典項目に採用した点であろう。

⑳豊澤登『体系数育學大辞典』岩崎書店、

1950年。

日本の「教育の再建に必要な現代教育の諸

基礎の再検討の一手段としてあまれた」事典

[序]。大項目主義(テーマ別構成)が特徴。

骨相学関連項目はない。

⑫青木誠四郎ほか編『教育科學辟典』朝倉書

店、 1952年。

前年のサンフランシスコ平和条約調印を契

機に「教育は再度一つの改革の時期にさしか

かっている」とし、その変革を正しく理解し

批判的に把握するために、「教育に関する諸

科学の辞典や解説の必要がある」との意識か

ら作成された[序]。改訂のない⑰に代わり、

新しい「科学的研究に便する」教育事典を提

供せんという狙いであった。骨相学関連項目

はない。

⑳海後宗臣ほか編『教育学事典』平凡社、

1954-56年。

刊行動機に、「第 2次世界大戦後、教育の

事典への要望がたかまって」いたことを挙げ

た本書は、⑱~⑫のような一冊ものの教育学

事典とは異なる、最高水準の「大きな教育の

事典」を目指して編纂された[刊行のことば]。

だが、「内外の教育事典 20余冊」が参照され、

「現下の教育学研究のあらゆる業績」を結集

させた全6巻に、骨相学関連項目の居場所は

ない。

⑳石山脩平編『教育小辞典』金子書房、

1955年。

「教育のことにたずさわるすべてのひとび

との座右に、もっとも便利で有用な伴侶を提

供する意図」で編まれた[序文]。「とくに最

近百数十年間に内外の教育改革に伴ってあら

われた諸事項と新しい術語については、つと

めて包括網羅することに留意した」だけあっ

て、「骨相学」 [255] と「ガル」 [ll8]が項目

として選定されている。

これら骨相学関連項目の記述について、こ

れまでと少し異なる新展開を認めることがで

きる。それは、歴史的再評価の文脈である。

ガルは「大脳局在説の先駆となり、神経学の

進歩に間接的な貢献をした」学説の提唱者と

して紹介され、骨相学は、「学理的根拠はな

いが」としつつも、「プローカ中枢とガルの

中枢の一致から大脳局在説として復活した」

と謳われる。このような脳科学における骨相

学およびガルの現代的再評価は今日もよく見

かけるもので 29、管見の限り、それが日本の

教育事典に書かれた最初の例である。

⑮勝田守一ほか編『岩波小辞典教育』岩波

書店、 1956年。

⑳の翌年に出版された、タイトルも同じ教

育の「小辞典」だが、こちらは「一般の人び

と」「現に教職にある人びと」「これから教職

につくために学習する人びと」にとっての手

頃な事典を目指し、「心理学や哲学の用語は、

別にそれぞれの辞典があるので必要最小量に

とどめ……、教育史的な事項もできるだけ省

いた」[序]。本書に骨相学関連項目は採用さ

れていない。

29 例えば、神経科学者C・シューノーヴァーは、ガル学説を「心のいろいろな機能を皮質のいろいろな部分に割りつける現代的な理論の噴矢」と見、「ガルが示したお手本は、今日に至るまで私たちを導いている一一座標軸が、頭蓋骨から脳の中の位置を示す方へ移ったに過ぎない」と論じている。(カール・シューノーヴァー「ヴィジュアル版脳の歴史』(松浦俊輔訳)河出書房新社、 2011年、 42頁)。

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[研究論文] 日本の教育事典に見るフレノロジー(平野 亮)

⑳稲富栄次郎監修『教育人名辞典」理想社、

1962年。

その「嘴矢」にして、今なお最も一般的な

教育人名辞典。「稲富栄次郎博士の還暦を記

念」して制作されたこの事典には、「ガル」

[149-50]、「シュプルツハイム」 [311]、「コーム」

[190]の3人が全員採用されている。自編著

にガルやシュプルッハイムを採り上げた石山

⑳や小林⑳らが顧問に加わっていたことが関

係したということでもないのだろうが、「あ

らゆる文化領域」に跨がった教育分野の関連

人物を 5000人以上抽出し、そこから 6割を

落として選定された約 2000項目[序]のう

ちに骨相学の 3人が採用されたことは、やは

り驚きである。

「生理学者にして骨相学の創始者」ガルは、

恐らくモンロー (1912)からの翻訳だろう、「脳

構造の特徴や組織と皮質の機能を認識した最

初の人」と紹介されているが、教育との直接

的関連は説明されていない。シュプルツハイ

ムは、同じくモンロー以下の教育事典と大同

小異の解説があるのだが、それに続けて次の

ような新しい情報が加えられている。「〔シュ

プルツハイムは〕教育を「人間の生物的、感

情的、知的の 3性質を増進させること」であ

ると考え、またロックの精神白紙説やルソー

の人間平等論に反対し、遺伝の教育的重要性

を強調した」。この記述は、まさに「教育の

根本原理」の記述を踏まえたものである。コ

ームは、 H・マンヘの影響が言及されるほか、

「とくに国家による世俗教育の大なる支持者

となった」という解説がされている。なお、

3記事とも執筆者が不明記なのは他の殆どの

教育事典と同様である。

⑭教育思想史学会編『教育思想事典』勁草書

房、 2000年。

教育思想を「求める気持ちが強まっている

時代」に、多産的な「錯綜する教育の思想的

状況を整理」し、「現時の教育を作り上げた

思想史的経緯」を知るために編纂された事典

[序言]。骨相学関連では、コームと骨相学へ

の言及が「マン」 [663-4]の記事中に見られる。

これが、日本の教育事典における「骨相学」の、

確認できた最後の用例である。

小括

今回、リストに載せなかったものも合わせ

ると新旧約 50冊、 130余年に亘る日本の教

育事典に「骨相学」を探った 30。その結果は

前節で示した通り、 16冊中 7,8冊に関連項

目の立項を確認できた戦前から、 1950年代

までに出版された教育事典を中心に、「骨相

学」を見出すことができた。事典は「価値の

凝縮された、時のカプセル」 31である。本稿

の最後に、教育事典に現われた“日本におけ

る教育タームとしての「骨相学」"が如何な

るものであったかを改めて整理・考察してお

゜、つこ

先に科学としての骨相学に関して見ると、

事典⑨を境に、それ以前ははっきりしなかっ

た、「今日の生理学や心理学から見て、この

学の非科学性は疑わるべくもない」[⑳368]

という否定的評価が決着して繰り返され、し

かるに 1954年刊の⑳において、“脳機能局在

論の先駆”という再評価が起こる。それは否

定から部分的肯定への転換だが、別の見方を

すれば、⑳の時期には「骨相学」が日本の教

育界において(否定の必要のない)歴史の後

30 石川謙は日本における教育事典の発達史を、①明治初期:欧米の教育(学)を学ぶ学徒の「道具」、②明治末期~大正中期:進歩した日本の教育実践と理論に関する最先端の編集、③昭和 10年前後:教育という事象そのものの多角的解明、という 3つの性格で跡付けた(前掲記事、 5頁)。当否はさて措き、少なくともその後に専門分化進展期などを経て今日に至るのだろう。

31 フリーダー・ゾンダーマン「1800年頃の頭蓋学についての覚書」(佐伯啓訳)「人間情報学研究』東北学院大学人間情報学研究所、 3巻、 1998年、 95頁。

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神戸大学「研究論叢」第 22号 2016年6月30日

景に決定的に退いたことの表れとも映る。

教育との直接的関係に目を向けると、骨相

学が主として「個人差を説明するための能力」

[⑰]を議論する文脈で論じられていたこと

が見えてくる。まず骨相学は、精神能カー脳

ー頭蓋骨の相関に関する理論と解説された

[⑥]。更に、事典記事だけでは読み取れない

が、シュプルツハイムの『教育の根本原理」

(1821) [⑨⑩⑫⑳⑳]は、完成可能性を有し

た身体と心の能力に対して胎児から死に至る

迄になされる働きかけの全体を「教育」と捉

える、生理学的な骨相学的能力教育論の書だ

った 32。そしてその「人間の教育可能性の科

学的根拠」としての骨相学に心酔し、「さま

ざまな教育プログラムを案出」したのがマン

であった[⑭①]。

具体的には、①③の「頭脳」項目では、脳

=「精神及道徳ノ諸能カノ輻湊スル所」とす

る説を前提にコームの「頭脳ノ練習」論が援

用され、「性質ノ辮別」項目では、「千状万態

限ナキ」子供の「性癖及能力」を識別・判定

して実施する個性教育をこそ「完善」な教育

とする教育論において、骨相学が論じられて

いる。⑰は、そのような骨相学を能力概念史

に位置づけて解説する。古代以来の能力

(faculty)概念は、近代の学者たちによって

「個人差を表現するものとして系統づけられ

るに至」り、その体系の一つが「脳髄の種々

の領域に配当されて、一般の興味を喚起した」

骨相学であったと [1871.古賀行義]。

やがて心理学は個人差を説明するための

「能力」概念を棄却してゆくが[⑭⑰]、一方で、

当時アメリカで行われていた骨相学の個性=

能力診断に基づいたキャリア・カウンセリン

グは、今日の学校で実施される「進路指導」

の起源に連なるとも指摘されている 33_

1913年のモンローはこれを「イカサマ」と

評したが。日本の教育事典における「骨相学」

の記事は、社会ー国家の発展の論理が“個人

の能力(或いは、能力としての個人)"を求

めた西洋近代の、そのような教育に関する思

想と言説の状況を写し取っていたのであ

る340

一つの論点を指摘しておきたい。それは、

上述の「性質ノ辮別」と「頭脳」の両項目の

論述スタイルの違いに示唆されるものであ

る。前者は、“是非について論争がある"と.... 断った上で、擬似科学とも評される骨相学の

教育への応用に言及した。それに対して後者

は、常に子供の「頭脳ノ健康」に注意し、「児

童ノ気質、身体ノ強弱、頭脳ノ組織ヲ熟知」

して個性に即した働きかけを施すことが教育

である、とする教育論を補強するための説と. . . . . . . . . . . . . . して、それが骨相学に基づくことを明示せず

に、コームの能力訓練論を引いている[①3冊、

101-2]。読者は恐らく、「頭脳ノ練習ヲ整ーナ

ラシメント欲セハ必幼年ノ間二精神ノ諸能力

ヲ訓致シ而シテ後常二其人ヲシテ重要ノ職務

ヲ要スルノ形勢二処セシムルニ在リ」という. . . . . . 骨相学的言説を、一般的教育論として理解す

るのではないだろうか。

結びである。かつて「骨相学」という教育. . . . タームが日本に存在した。西洋近代教育思想

の語彙として日本に移入され、現在では殆ど

顧みられることはない。その実相を物語る

代々の教育事典は、骨相学と教育の結びつき

を、「頭の凸凹」よりも「個人差を説明する

ための能力」の文脈で叙述していた。興味深

32 G. Spurzheim, A View of the Elementary Pガncゆ!esof Education, London. 2nd ed .. 1828. pp.1-4. 33 David B. Hershenson. "A head of its time: career counseling's roots in phrenology," Career Developm

ent Quarterly. vol.57. no.2. 2008. pp.181-90)。20世紀前半にアメリカで出版された職業指導書の訳本『職業指導論』(中央職業紹介事務局編、 1926年)にも、骨相学への言及が見られる。

34 骨相学の能力教育論を近代教育言説の祖型と見る分析、また「能力 (faculty)」概念に対する近代心理学の動向については、前掲•平野『骨相学』(特に「終章〈能力人間学〉と教育」 193-205 頁)を参照。

-42 -

[研究論文] 日本の教育事典に見るフレノロジー(平野 亮)

いのは、骨相学に基づく能力教育論が、時に

それと明示されることなく、一般的ないし科

学的で正統な教育論として語られたケースで

ある。当然そこに、骨相学が被った非科学性

-43 -

批判を想起させる留保もない。日本における

骨相学受容を考える上で、示唆的な論点・ 視

点と言えよう。