kobe university repository : kernel雅 楽 流 派 実 態 、 「 楽 家 」 系 統 実 際 楽...

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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 江戸時代の「楽家」と音楽伝承のアイデンティティ : 龍笛と篳篥の唱 歌を中心に(Family lineage and musical tradition in the Edo period's gagaku : focusing on mnemonic sounds of ryuteki and hichiriki) 著者 Author(s) 寺内, 直子 掲載誌・巻号・ページ Citation 国際文化学研究 : 神戸大学大学院国際文化学研究科紀要,37:44-94 刊行日 Issue date 2011-12 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/81003773 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81003773 PDF issue: 2021-03-15

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Kobe University Repository : Kernel

タイトルTit le

江戸時代の「楽家」と音楽伝承のアイデンティティ : 龍笛と篳篥の唱歌を中心に(Family lineage and musical t radit ion in the Edo period'sgagaku : focusing on mnemonic sounds of ryuteki and hichiriki)

著者Author(s) 寺内, 直子

掲載誌・巻号・ページCitat ion 国際文化学研究 : 神戸大学大学院国際文化学研究科紀要,37:44-94

刊行日Issue date 2011-12

資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

版区分Resource Version publisher

権利Rights

DOI

JaLCDOI 10.24546/81003773

URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81003773

PDF issue: 2021-03-15

四四

論文

江戸時代

雅楽

流派

実態

、「

楽家」

系統

実際

楽譜(

仮名譜)

唱歌

分析

考察

周知

通、

雅楽

伝承、

京都、

南都、

天王寺

三方

楽人

伝承

楽人

三方

独立

活動

特、

中世末、

正親町天皇、

後陽成天皇

時代、

京都

楽壇

南都

天王寺

楽人

京都

召喚

後、

京都

三方楽人

共同演奏

普通

南都方、

天王寺方

楽家

在京

在南・在天

区別

三方

養子縁組

活発

伝承

複雑

状況下、

一体、「

家」

音楽伝承

程度強固

本稿、

実際

音楽伝承

系統

江戸時代

龍笛

篳篥

仮名譜

唱歌

注目、

分析

唱歌

音楽

言葉

音節

一種

「言語的表象」

音高

実際

演奏

旋律

微妙

実際

演奏、

合奏

他家

妥協

実践

対、

唱歌

弟子間

親密

空間

伝達

表象

唱歌

語化」

家」

流儀

本論

前提

立、

唱歌

比較分析

はじめに

この

から

るものである

によって

されてきた

しかし

たちは

して

してきたわけではなく

すために

された

うこと

となった

このことにより

まれた

さら

えた

みも

われ

れを

にしている

このような

はどの

たれたのか

らかにするために

まれた

する

えた

などの

される

なることがある

しかし

における

との

らかの

あるのに

のきわめて

じた

される

である

よって

という

にこそむしろ

れるのではないか

ではこの

した

江戸時代

楽家」

音楽伝承

のアイデンティティ

龍笛

篳篥

唱歌

中心

四五

現在

明治撰定譜」

龍笛唱歌、

母音

逆、

篳篥譜

段音

現在

篳篥譜

龍笛譜

差異

段音

有無

感覚的

識別

多。

江戸時代

唱歌

龍笛、

篳篥

多様、

篳篥唱歌

今日

龍笛唱歌

節体系

逆、

龍笛譜

中、

今日

篳篥唱歌

音節体系

確認

本論、

唱歌

音節(

母音、

子音)

特徴、

字、

延引

表記

多様

唱歌譜(

名譜)系統

整理、

可能

限、

楽家

系統

同定

本稿

最後、

唱歌体系(

片方

消去)

幕末

在京・天王寺方、

東儀文均

篳篥譜(

東北大学附属図書館蔵)

天王寺

家」

実際

活動

場(

在京

楽壇)

養子縁組

伝承

交差

観点

複数

音楽的

問題

実際

楽譜

音節

分析

前、

唱歌

言及

楽書

記述

楽家録』

江戸初期、

一六九○年、

京都方

篳篥奏者、

安倍季尚(

一六二二~

一七○八)

撰述

大部

楽書

。『

教訓抄』『

體源抄』

三大楽書

名高

巻第十二

横笛

解説

巻第十二

第十六項目、

以下

唱歌

解説

でエ

まない

はテ

ヘなどのエ

をよく

いる

このことにより

では

をエ

することが

しかし

とも

にエ

いず

とよく

のものが

いる

とよく

つものがあることが

できる

などの

から

をいくつかの

どの

するのかを

する

では

なる

つの

はミセケチで

されている

という

による

などの

から

アイデンティティ

える

する

した

ておこう

によって

れた

である

とならぶ

として

このうち

てられている

する

がある

龍笛

唱歌

一・一

楽書

龍笛唱歌

一)『

楽家録』

える

四六

第十六

笛唱哥之法

按、

笛之唱哥、

依師説、

雖其詞異、

大抵唱出之詞、

多乳津傅止、

唱出一句内唱替詞、

羅利留禮呂、

打詞、

波非不

邊保、

無此五音之外。

惟、

所為要、

唱哥之聲、

以叶于律、

為佳也。

現代語訳】(引用者

唱哥

師説

大抵

唱出」(

多、

乳、

津、

傅、

止」

。「

唱出」

一句

唱替」

場合

羅、

利、

留、

呂」

、「

打」(押

指孔

指孔

技法)

波、

非、

不、

邊、

保」

五音以外

無。

肝要

旋律

実際

唱歌、

記述

重要

音節

場合

打」

技法

原則

現在

龍笛唱歌(「

明治撰定譜」)

説明

後、『

楽家録』

唱出詞也

止利 に

よる

ずるに

によってことばが

なるが

フレ

ズの

のことか

のことばは

のどれかである

のうちで

ことばを

える

さえている

をたたく

のことばは

である

この

うに

なことは

をつけて

われる

っている

ものを

しとする

この

なのは

フレ

ズの

めの

はタ

のどれかであり

ことばを

える

はラ

のどれか

また

にはハ

てるとする

である

この

にもほぼ

はまる

この

のような

せる

ー三

四七

唱出一句唱替之詞也

多波

波乳非

乳非

止保

乳非

五⊥

打詞也

唱歌

音節

指孔

対応

指孔

音高

加味

表一

。『

楽家録』

実際

楽曲

実例

五十例近

掲載

重要

、「

多、

乳、

津、

傅、

止」「

羅、

利、

留、

禮、

呂」「波、

非、

不、

邊、

保」

実際

楽曲

、「

多、

乳、

津、

止」「

羅、

利、

留、

呂」「

波、

非、

不、

保」

「」

龍笛

項目

明言

後述

篳篥

項目

傅、

禮、

邊」

言及

京都方

唱歌

、「」

段音

確認

表一 『楽家録』 龍笛唱歌の

これは

とのおおよその

したものと

えられ

すると

のようになる

さらに

から

した

いフレ

ズの

しているが

ここで

なことは

いるとしなが

では

すなわ

いていないことである

このことについて

では

ていないが

するように

いないことに

している

ここではひとまず

では

いないという

しておく

四八

『龍笛案譜之記』

安倍季尚

同時代

音楽家・東儀兼頼

撰述

龍笛

楽書

拙稿

紹介

寺内

二○○四、

二○一○b)

東儀兼頼(

一六三二~

一七一二)

京都在住

天王寺

笛奏者

中世末

衰退

京都方

楽壇

正親町天皇

京都

東儀兼行

改安倍季兼)弟・東儀兼延

平出久雄

兼頼

天王寺楽人

岡昌秀(

一六○八~

一六五○)

昌重

笛音優美

当代

名手

平出

一九五七

一九八九)

解説

龍笛吹艶之事』(

一六八六~

一七一○頃

成立

笛譜『

龍笛仮名譜』(

宮内庁書陵部蔵、

伏八○九、

一六八○年成立、

後述)撰者

龍笛案譜之記』

史料

文献的説明

写本

見当

管見

東京藝術大学図書館蔵本

一般

利用

唯一

奥書

奥書

右可為子孫者披見而能考之可有錬

磨為其作之置也而為龍笛案譜

之記

元禄十四辛巳暦神無月中旬

正四

位下行越前守太秦兼頼

】(

引用者

右、

子孫

披見

考、

錬磨有

龍笛案譜之記

二)『

龍笛案譜之記』は

とほぼ

によって

された

する

である

すでに

したが

である

した

すために

された

にあたる

によれば

または

から

とされたという

じく

である

でもある

まであまり

られていない

なので

すこし

しく

をしておく

くは

たらず

によれば

できるほとんど

のものである

のよ

うに

つの

する

による

となすべし

して

よく

るべし

その

にこれを

くなり

して

とす

四九

右作置候得共老筆悪鋪成不致書写有

之予乍麁筆書之

享保十九年甲寅八月上旬

正五位下右近将監太秦兼高

【書

】(

引用者

)右、

老筆悪

書写致

予、

麁筆(

書。

奥書①

子孫

著、「

龍笛案譜之記」

名付

著者

識語

成立年代

元禄一四

一七○一)

年一○月中旬

兼頼

孫・兼高(

一七○一~

一七七七)

奥書、

享保一九(

一七三四)

当時兼高

三三歳

、「

老筆悪

記述

符合

兼頼

以前

置、

老筆悪

書写

兼高

兼頼

二年後、

書写

解釈

。内容

通、

故実、

構造、

材質、

音律、

楽譜等

解説

目録

実際

内容)

笛之図之事

笛図之事

龍笛出生之事

龍笛出生之事

七穴九調子事

七穴之事

九調子之事

音之事

音之事(

伊豆守岡昌倫

による

えども

しくなり

さずこれあり

そひつ

ながらこれを

のためにこれを

けた

という

である

とわかる

による

のものである

ただし

はまだ

しくなり

という

しない

しくなり

もせず

っておいたものを

したと

きよう

する

である

なし

あり

五〇

安譜之事

安譜之事

唱歌

音節

指孔

対応)

小書

天王寺流、

奈良流)

手移息艶之事

手移息艶之事

吹形之事

吹形之事

蝉作事

笛之竹之事

笛竹之事

笛紙包事

笛紙

包事

新笛試事

吹事

五音吟様之事

五音吟様之事

十二調子事

(「

五音」

後半

雨乞楽」「

新家之嘉祝楽」「

送臣有時」「

横笛秘曲」「

笛之秘」「

舞楽音取」

安譜之事」

中、

指孔

唱歌

対応

解説

安譜之事

壱越調六

云字

なし

アルコトハ

ニアタラシキヲ

なし

などを

このうち

のような

がある

トウ

チイ

タア

ロウ

リイ

ルウ

カナ

五一

平調

云字

双調

云字

鳬鐘調

塩梅黄鐘乙音也

盤渉調

云字

下無調

云字

上無調

云字

乙也

神仙調

塩梅丁

甲也

前掲

楽家録』唱歌

説明

同様、

唱歌

音節

指孔(

音高、

音域)

対応

意識

整理法

音高順

表二

注目

双調(G)、

鳬鐘(

黄鐘(

A)

付近

音域

、「」「

段音

使用

唱歌

拙稿

指摘

兼頼

龍笛仮名譜』(

伏八○九)

段音

唱歌

散見

寺内

二〇一〇b)

五(

F)

中(

B)

指孔(

音域)

範囲

唱歌

楽曲

調子

音階音(

宮、

商、

角、

徴、

羽)

段音

後述)

以上

京都方

唱歌

段音

天王寺方

伝承

確認

表二 『龍笛案譜之記』 唱歌の

トウ

タア

ラア

タア

テエ

ロチ

レエ

チイル

ラアル

レエル

テエル

ルイ

チイ

タア

トウ

ハヘ

タア

フロ

トウ

チイリイヤ

トウ

リヤ

ここでも

した

になっている

これを

にまとめると

となる

ここで

すべきは

テエル

レエ

など

する

られることである

でに

したが

した

にはエ

される

およそ

から

にエ

られるが

によって

なる

にエ

れることになる

から

はエ

いず

では

いて

いたことが

できる

カナ

G#

五二

次、

実際

龍笛譜

唱歌

検証

龍笛、

篳篥

譜、

一七世紀以前

指孔記号

譜」中心

一七世紀以降

唱歌

仮名

仮名譜」

旋律

唱歌

音節

唱歌

音節自体

個別

音高

対応

指孔記号

添付

限、

音高

上下

唱歌、

母音・子音

選抜、

字(

長音)

表記等

点、

系統

分別

龍笛

仮名譜

管見

閲覧可能

数十点知

来歴

信用性

記譜法

体系性

六点

龍笛仮名譜

比較

示。

五点

拙稿

文献学的考察

参照

寺内

二○○四、

二○一○b)

一)『

六調子曲譜

和琴』(

九○○)(貞致譜)

宮内庁書陵部所蔵、

伏見宮家旧蔵

一冊

伏見宮第一三代貞致親王(

一六三二~

一六九四)

伝承

親王

生没年

考慮

一七世紀後半

成立

唐楽

和琴譜

和琴

譜字

龍笛

唱歌

壱越調三曲、

平調七曲、

調八曲、

太食調二曲、

黄鐘調七曲、

盤渉調七曲

以下、「

貞致譜」

呼。

二)『

八拾八曲龍笛假名譜』(

六〇

三六)(

尊常譜)京都大学附属図書館蔵

一冊

巻末

天保四歳

尊常」

奥書

尊常(

一八一八~一八三六)

伏見宮貞敬親王第八王子、

天保

三年

出家、

一乗院門跡

貞敬親王

後出

六調子曲仮名譜(

新浄安院譜)』

名前

一・二

実際

龍笛譜

唱歌~

系統

における

つの

それでは

してみよう

であったが

える

それによって

のより

かい

きが

によって

されることになる

ただし

しているわけではな

いので

されていない

ることはできない

いくつかの

することができる

によれば

なものは

られるが

ここでは

から

えられる

そのうちの

についてはすでに

ったことがあるの

しい

はそちらを

されたい

がある

すると

われる

だが

らに

している

める

という

がある

となった

があがる

五三

静安院・一条輝子

資料、

天保四(

一八三三)

成立、

尊常筆

所収曲

表三

唱歌

仮名

指孔記号

小拍

太鼓

記号

以下「

尊常譜」

三)『

龍笛假名譜』(伏

八○九)(

兼頼譜)

宮内庁書陵

部所蔵、

伏見宮家旧蔵

一冊

東儀兼頼

延宝八(一六八○)

撰述

以下、「

兼頼譜」

所収曲

壱越調、

平調、

盤渉

調、

太食調

音取、

壱越調八曲、

平調一二曲、

盤渉調六

曲、

太食調五曲、

高麗六曲

双調

黄鐘調

高麗曲

特徴的

譜法、

唱歌

仮名、

太鼓(

拍子)

小拍子

音高

指孔記号

表三 『八拾八曲龍笛假名譜』(尊常譜)所収曲一覧

である

この

えられる

りであ

のみ

されており

はない

がある

によって

された

である

まず

わりに

めている

である

みで

されていない

五四

四)「

狛家

横笛譜面」(

近貞譜)

専修大学附属図書館蔵、

菊亭家旧蔵

菊亭

今出川

藤原北家

流、

西園寺

琵琶、

伝承

家柄

文書

現在、

京都大学附属図書館

専修大学附属図書館

架蔵

菊亭家

文書

南都系

狛氏

一連

龍笛

伝授譜

伝授譜

楽曲

相伝

証拠、

弟子

当該楽曲

譜面

平調五常楽急』

伝授譜

分析対象

楽譜

、「

仲夏下浣

狛近貞(

花押)」

年記

狛近貞(

一六八九~

一七一二)

氏嫡流・上家

楽人、

中世末、

後陽成天皇

京都

上近直

子・近豊

在京南都方

近貞、

宝永四(一七○七)

大量

壱越調曲

盤渉調〈

萬秋楽〉

今出川伊季(

一六六○~

一七○九)

伝授

年記

、『平調五常楽急』

頃同様

伝授

推測

記譜法

中央

唱歌

記、

指孔記号、

右側

拍子、

小拍子

記。

以下、「

近貞譜」

呼。

五)『

六調子曲仮名譜』(

八三五)(

新浄安院譜)

宮内庁書陵部蔵、

伏見宮家旧蔵

二冊

史料、

二冊

大部

龍笛楽譜、

各調子

音取〉

含、

上巻

壱越調二二曲、

平調二四曲、

調一六曲、

下巻

黄鐘調一五曲、

盤渉調一四曲、

太食調一五曲

中央

笛唱歌

仮名、

指孔記号、

琵琶譜字(

朱)

記。

第二冊

末尾

新浄安院御者御所持之御譜也

十一年亥

残冬九皐

了」

奥書

。「

新浄安院」

伏見宮貞敬親王(

一七七六~

一八四一)

室・一条輝子(

?~

一八二八)

新浄安院

近辺

侍者

所持

一八世紀末

一九世紀前半

成立

龍笛譜

以下「

新浄安院譜」

呼。

とも

する

から

かれた

である

などの

えてきた

である

その

くは

されている

には

から

がある

とは

その

かに

したという

える

である

ここでは

その

という

とする

この

には

という

がある

された

れをくむ

ある

しており

はないが

もこの

されたのではないかと

される

としては

きく

その

この

から

める

アツカル

いう

とは

のこ

とである

した

だろうか

から

した

えら

れる

五五

六)『

六調子曲仮名譜』(

八一八)(

季資譜)

宮内庁書陵部蔵、

伏見宮家旧蔵

二冊

横長

冊子本、

第二冊目

末尾

這譜依

伏見殿仰加校合了

安政元年

大呂中旬

大夫将監季資」

奥書

安倍季資、

安政元(

一八五四)

校閲

安倍季資(

一八一三~

一八六八)、

天王寺(

在天)

楽人

林廣胖

次男

京都方

安倍季良

養子

本来

篳篥

奏者

笛譜

撰述

校閲

以下、『

季資譜』

本譜

中央

笛唱歌

仮名、

手付、

箏譜字、

一部

琵琶譜字

所収

曲、

各調子〈

音取〉含、

壱越調一九曲、

平調二○曲、

双調一五曲、

黄鐘調一一曲、

盤渉調一二曲、

太食調一

二曲

楽譜

、『

貞致譜』『

兼頼譜』一七世紀後半

末頃、「

近貞譜」

一八世紀初頭、『

尊常譜』『

新浄安

院譜』

季資譜』

一九世紀前半

中頃

成立

本論

原則

楽譜

共通

楽曲

比較

現行「

明治撰定譜」

唱歌

参考

比較

対象

。「

明治

撰定譜」

周知

通、

明治九(

一八七六)

二一(

一八八八)

撰定

雅楽

器楽、

総称、

今日

宮内庁楽部

演奏

規範

蒲生美津子

報告

明治三(

一八七○)

今日

宮内庁楽部

前身

雅楽局

太政官下

設置

直後

編纂

蒲生

一九八六)

。「

明治

撰定譜」

草稿

明治三年御撰定

雅楽全譜」(

国立公文書館蔵)

催馬楽譜

伴奏

龍笛譜

撰者

南都方

上真節(

一八二五~

一八九五)

京都方

山井(大神)

景順(

一八四四~

一八八四)

見、

明治撰定譜」

唐楽、

高麗楽

龍笛譜

二名

可能性

という

する

これにより

したことがわかる

として

まれ

となった

であり

ここでは

したというより

したと

えられる

には

にさらに

されている

である

もしくは

から

えられる

では

としてこれらの

して

みられる

した

また

までに

とした

された

ものと

などの

となっている

によると

である

された

から

まった

にあたる

には

として

もこの

である

一〇

一一

五六

譜一

平調〈

五常楽急〉

比較譜

便宜上、

小拍子一

数、

番号(

①~)

譜一

平調〈五常楽急〉龍笛唱歌比較譜

である

つをフレ

つと

をつ

けた

五七

五八

兼頼譜』

唱歌

他譜

特徴

、『

龍笛案譜之記』

平調

音階中

第二~

三音(

F、

G)

付近、

経過音的音型

使

調子

部分

出現

壱越調

音階

第五音(

A)

使

多。

音階

第三音(

F)(

例・賀殿急)

第四音(

G)(

例、

武徳楽)使

少数

盤渉調

音階

第六(

G)

第七音(

A)

使

主音

使

多。

龍笛案譜之記』

唱歌表(

表二)

唱歌

指孔

対応、

実際

楽譜

③⑦

他譜

「」

「」

、『

兼頼譜』

「」

同様

他譜

「」

、『

兼頼譜』

「」

音型

兼頼譜』

、『

兼頼譜』

点、

独自

特徴

、『

兼頼譜』

以外

一致

相互

微妙

、『

貞致譜』『

尊常譜』

近貞譜」

、『

新浄安院譜』『

季資譜』

譜一〈

五常楽〉

確認

差異

③⑦

⑪⑫

前者

「」

後者

「」

規則的

「」

「」

使

⑤⑥、

⑨⑩、

前者

、「」「

母音

使

後者、「

」「」

母音

使

末尾

「(

〒=

E)」

両者

⑯⑰

前者

きく

なる

している

まず

されていたように

がフレ

れる

フレ

ズとも

どちらかとい

うと

われている

ちなみに

フレ

ズは

では

なる

する

では

ばす

われることが

われている

もあるが

である

また

では

われるこ

ともあるが

われることが

ちなみに

すでに

した

では

ずしも

てはまらない

フレ

では

トウルリ

もしくは

トヲルリ

のところ

タアロリ

きく

なっている

フレ

では

タアラロロラ

であるのに

だけが

ロヲロルルロ

となっている

さらに

フレ

から

にかけて

られる

ばれる

には

られない

このように

はいくつかの

なる

している

それでは

がすべて

しているかと

うと

そうではなく

かい

では

なる

しかし

まかには

のグル

プと

のグル

プに

けることができる

できる

グル

プの

はいくつかあるが

まず

フレ

などに

られるように

では

トヲルリ

では

トウルリ

かなり

けられている

またフレ

フレ

フレ

などでは

では

オの

われているが

アの

われている

また

フレ

では

るか

らないかで

がある

それに

くフレ

では

一二

一三

一四

五九

「」

後者

「」

母音

使用

現行(「

明治

撰定譜」)

唱歌

、「」

「」

、『

新浄安院譜』『

季資譜』

以上

考察

段音

兼頼譜』

系統、

段音

無、「

」「」

共有

『貞致譜』『

尊常譜』「

近貞譜」

系統、

段音

無、「

」「」

共有

『新浄安院譜』『

季資譜』

系統

識別

兼頼

天王寺系

笛奏者

、『

兼頼譜』天王寺系

唱歌

近貞

南都系

笛奏者

、「

近貞譜」

南都系

唱歌

同定

季資

京都方

篳篥奏者

京都方

家・大神家

養子縁組

親戚関係

大神流

笛譜

所有

事実

、『

季資譜』

大神流

伝承

推定

可能

拙稿

大神家自体、

江戸初期以来、

天王寺系

岡、

京都方

多氏

大神家

伝承

強固

慎重

判断

必要

寺内

二○一○b:

三三~

三四)。

次、

同様

篳篥

楽書

記述

楽譜

検証

楽家録』

巻之十一第廿六「

篳篥唱歌之法」

場合

同様、

篳篥唱歌

音節

指孔

対応

解説

リイロヲ

であるところ

ラアロウ

やはり

いが

られる

には

いを

けば

いと

えよう

から

する

トヲルリ

トヲホヲ

などのフレ

ズを

する

じくエ

トウルリ

タアハア

などのフレ

ズを

する

つを

することができる

このうち

あり

であるので

する

ことができよう

であるが

じて

にあり

していた

があるので

することも

である

ただし

すでに

したが

しばしば

などの

から

えていることを

えると

としての

がどれくらい

たれたのかは

する

があ

ろう

についても

してみよう

には

されている

ーー

一五

一六

篳篥

唱歌

二・一

楽書

篳篥唱歌~

楽家録』

える

六〇

篳篥毎句唱出之詞

多乳津傳止

此外相交利之詞也

乳乳多多乳止止津津

丁⊥一四六

工五舌

唱出一句内唱替詞

羅利留礼呂

此外相交屋之詞也

利羅羅羅利呂呂呂留留

丁⊥一四六

工五

打詞

波非不邊保

打者以一指叩詞也

乳非乳非多波多波乳非止保止保津不

唱出一句之内、

屋謂替之詞

屋利

屋呂

屋多

六引

六引

六引

工引

⊥引一四引

´´

´

´

´

几几

六一

龍笛譜

同様、「

唱出」

多、

乳、

津、

傅、

止」

、「

唱替」

羅、

利、

留、

禮、

呂」

技法

波、

非、

不、

邊、

保」

。『

楽家録』

篳篥

項、

右五音之中、

傳礼邊三字不用之。

其説略曰、

所謂三字唱哥之聲共皆濁、

故除之也。

管聲之清濁、

雖有于息、

本有

――――――――――――――――

唱哥之故、

不用之也。

後世、

猶精撰可也。

凡、

唱哥之法擧之左。(

傍線引用者)

一文

。「傳、

礼、

邊」

三音

理由

三音

唱歌

役割

、「

管聲之清濁、

雖有于息、

本有唱哥」

管楽器

音、

旋律

基本

唱歌

楽器

楽曲

習得

唱歌

要性

示唆

。『

楽家録』

記述

龍笛

同様、

実際

楽曲

指孔

唱歌

京都方・安倍家

伝承

篳篥

唱歌

段音

使用

確認

篳篥仮名譜

龍笛譜同様

来歴

記譜法

体系性

重要、

五点

紹介

一)『

六調子曲譜

篳篥』(

伏八二○)

宮内庁書陵部蔵、

伏見宮家旧蔵

一冊

伏見宮家旧蔵楽譜

奥書等

正確

成立年代

不明。〈

音取〉〈

調子〉

壱越調一九曲、

には

には

には

いるとする

そのあとさらに

という

がある

いないこと

その

として

この

はみな

っていること

などが

げられている

また

として

すなわち

しさは

にあるというけれども

その

にある

として

における

している

はこの

のあと

のフレ

ズを

えて

しているが

られない

ここから

では

にエ

ないことが

できる

かなりの

があるが

ここでは

から

する

であるが

くため

れて

一七

二・二

実際

楽譜

篳篥唱歌

における

六二

平調二二曲、

双調一六曲、

黄鐘調一五曲、

盤渉調一三曲、

太食帳曲一四曲

記譜法

特徴

指孔

唱歌

併記

譜字数

比較的少

譜字

一小拍子

全体

約半数

譜字

省略

多。

打音(

行)

特徴

宮内庁書陵部蔵『

六調子曲譜

篥』(

伏八三二)

同系統

楽譜

二)『

六調子曲譜

篳篥』(

伏八一九)

宮内庁書陵部蔵、

伏見宮家旧蔵

一冊

奥書等

正確

成立年代

不明。〈

音取〉〈

品玄・調子〉

壱越調二○曲、

平調二一曲、

双調一

七曲、

黄鐘調一五曲、

盤渉調一四曲、

太食帳曲一三曲

記譜法

特徴

指孔

唱歌

併記

前掲、

伏八二○

譜字数

比較的少

打音(

行)

特徴

。『

六調子曲譜

篳篥』

伏八二一)

同(

伏八三一)

同系統

写本

三)『

六調子仮名譜

篳篥』(

伏八二二)(季任譜)

宮内庁書陵部蔵、

伏見宮家旧蔵

折本一帖

奥書

右三十九曲

官伶従四位下行飛騨守安倍朝臣季任

所傅也」

京都方

楽家(

篳篥)

家倍季任

一七○四~

一七五八)

季任、

京都方笛

大神景村

次男、

安倍季福

養子

奥書

右三十九曲」

実際

所収曲

音取〉含

四五曲

掲載

順番

調子別

表四)

中央

唱歌

仮名

左側

指孔

唱歌

六調子曲譜

篳篥』(

伏八一九)

伏八一九

「」

「」

記。

以下、「

季任譜」

略。

める

としては

するが

なく

つだけの

あり

ばす

には

することも

がないのも

である

じく

である

くため

れて

める

としては

する

ないが

するのが

である

である

とあり

とわかる

となった

には

とあるが

である

でない

るが

とするところを

タアハア

とするなど

かく

六三

四)『

篳篥假名案譜』(

狩一六九三二)(

元鳳譜)東北大学附属図書館蔵

一冊

狩野亨吉旧蔵書。

奥書

右篳篥假名譜者當家相

承之秘訣也今般應為目安

太鼓

拍子揃諸門人需令

書冩

授與之訖猥不可有他

傳者也

従五位上行阿波守太秦宿禰元鳳」

阿波守太秦宿禰元鳳

寛永一九(

六四二)

年、

江戸

下向

紅葉山楽人

天王寺系

楽人・東儀兼長(

?~

一六五二)

子孫、

東儀元鳳

一七九三~

一八六一)

。『

地下家伝』

従五位上

弘化二(

一八四五)

表四 『六調子仮名譜 篳篥』(季任譜)所収曲一覧

とある

とは

となった

である

によれは

になったのは

なので

示至

一八

六四

本譜

成立

以降

門人

所収曲

表五

記譜法

唱歌

指孔記号

有。

一小拍子

以上

譜字

長引

引」

諸譜

定量的

意識

強。

部分的

紹介

東儀家

東儀文均

楽譜

特徴

示。

天王寺系

楽譜

段音

不使用

下、「

元鳳譜」

略。

五)『

篳篥假名譜並高麗樂等』(

狩一六九三三)(

文均

譜)

東北大学附属図書館蔵

一冊

狩野亨吉旧蔵書。「

元治元年甲子三月

近江守太秦文

均冩」

奥書

元治元(

一八六四)

京天王寺方

楽人・東儀文均(

一八一一~

一八七三)

文均

南都方

芝葛起

一七七○~

一八一七)

在京天

王寺方本家

東儀文暉

養子

文暉

実子・文

表五 『篳篥假名案譜』(元鳳譜)所収曲一覧

はそれ

のことと

えられる

るために

られたらしい

りである

としては

またはそれ

があり

には

すなど

では

がもっとも

する

じく

ただし

であるにもかかわらずエ

である

という

する

したことがわかる

もとは

として

まれたが

となった

六五

静(

一八二四~

一八七一)

在京天王寺方

分家・東儀文信

養子

文均

几帳面

日記

天保一五(

一八四四)

明治五(

一八七二)

膨大

日記

国会図書館

筆跡

日記

筆跡

照合

特徴的

文字

筆跡

本譜

文均

自筆譜

下「

文均譜」

呼。

所収曲

表六

文均譜

記譜法

唱歌

指孔

併記

引」

省略

多。

楽譜

興味深

一部

楽曲

訂正

増補

譜字

場合

場合

表六『篳篥假名譜並高麗樂等』(文均譜)所収曲一覧

まれ

となった

をつけ

ており

から

にわたる

されている

したとこ

えられる

りであるの

するものだが

されることが

この

いのは

について

をミセケチで

または

してい

である

された

をたどれる

とたどれない

があるが

一九

二〇

六六

唱歌体系

上書

唱歌体系

図一)

相違点

段音

訂正後

段音

後述

六)『篳篥譜

全』(

六〇

三五)

京都

大学附属図書館蔵

一冊

巻末

安政二年乙卯仲春

従四位下行近江守

太秦宿禰文均冩之」

奥書

前出

儀文均、

安政二(

一八五五)

筆跡

文均自筆

一丁表

堀川」「

久民」

六四丁裏

「藤原久民」

印記

明治維新後、

民間

宮内省

楽師

堀川久民(

一八三三~

?)所持

全体

非常

精緻

筆致

楽譜中央

指孔、

左側

唱歌、

右側

太鼓

朱点

小拍子墨点

便宜上、「

京大文均譜」

所収

表七

図一 〈越天楽〉『文均譜』東北大学附属図書館蔵

きされた

らかに

なる

もっとも

きな

のものにはエ

まれず

のものにはエ

まれることである

これについては

する

という

があり

したものと

えられる

から

えられる

などの

があり

から

になった

していたことがわかる

かれている

れている

りである

-

二一

表七 『篳篥譜 全』所収曲一覧

六七

譜二

六点

楽譜

唱歌

比較

。『

文均譜』

二段示

。「

文均a」

唱歌、「文均b」

上書

唱歌

示。

唱歌

判読

示。

比較譜

文均譜』

b説

使用

①②④⑧

他譜

使用

天王寺系

京大文均譜』

元鳳譜』

使

音域、

龍笛

様、

平調

音階

第二~

三音

付近

。『

文均譜』

b説

である

のみ

には

には

きされた

されて

できない

この

からわかることは

まず

だけがエ

フレ

しない

とい

うことである

じく

のもう

つのも

いていない

されている

では

である

六八

三段目

現行唱歌

一致

前述

現行「

明治撰定譜」

篳篥唱歌

、「

明治三年御撰定

雅楽全譜」

、(

安倍姓)

東儀季熈(

一八三一~

一九一四)

天王寺系

唱歌

安倍姓東儀家」

宮中行事

格式

御神楽

篳篥

奉仕

場合、

太秦氏

京都

安倍

一族

参加

家柄

譜二

平調〈五常楽急〉篳篥唱歌比較譜

いて

とほぼ

する

によれば

えられ

えられる

とは

でも

する

ではなく

として

する

である

六九

七〇

特定

箇所

伏八二○系、

伏八一九系、『

季任譜』

、『

京大文均譜』

『文均譜(

a説)』『

元鳳譜』

相異

傾向

前者

「」(

唱歌)

後者

「」

唱歌

前者

「」(

唱歌)

後者

「」

唱歌

伏八二○系、

伏八一九系、『

季任譜』

、『

京大文均譜』『

文均

譜(

a説)』『

元鳳譜』

識別

。『

文均譜』

b説

篳篥

龍笛

唱歌、

相互

部分

部分

唱歌

部分、

実際

龍笛、

篳篥

旋律

一方、

部分、

龍笛、

篳篥

楽器

特性

相互

旋律

部分

該当

前掲

五常楽急〉

譜一、

譜二

⑤⑥

平調(

E)

部分、

龍笛、

篳篥

「(

)(

)」(

一部「

母音

唱歌

共有

同様

⑲⑳

両楽器

F(

G)

D(

C)

旋律

、「(

)」

唱歌

使

理由、

龍笛、

篳篥

唱歌

一方、

龍笛、

篳篥

典型的

例、

冒頭

四小節(①②③④)

龍笛

旋律

和()

音域

始、

一気

音域

旋律

さて

について

くないが

のグル

プと

のグル

プで

なる

すことがある

たとえば

フレ

では

またはそれに

した

であるのに

ばす

である

フレ

では

またはそれに

した

であるのに

ばす

である

これらのことから

グル

のグル

プと

することができよう

はエ

さらに

のグル

プに

けることができる

ている

とまったく

なる

からなっている

ている

ており

なる

がそれぞれの

かし

にかな

なる

している

てみよう

フレ

ばす

ともに

トヲホヲ

など

なる

ほぼ

している

にフレ

とも

がっていく

であるが

リロ

という

っている

フレ

ている

なる

フレ

である

から

まる

ふくら

という

フレ

オクタ

んで

ける

これに

ーー

ー二三

二・三

龍笛唱歌

篳篥唱歌

差異

��

--

七一

対、

篳篥、

一貫

付近

音域

使

旋律

三度程度

音域

篳篥、

責()

音域

自在

装飾的

多用

龍笛

特性

反映

龍笛

唱歌

音節

認識

同様、

⑮⑯

篳篥

B音

龍笛

BBAFGAE

FG

連続

旋律

唱歌

当然、

両者

龍笛譜

『兼頼譜』

段音

使

独自

特徴

前述

篳篥譜

比較

独自性

。〈

五常楽〉

笛譜(

譜一)

他譜

唱歌

、『

兼頼譜』

「」

篳篥譜

同箇所

譜二)

使用

特徴

一致

譜一、

、「」

唱歌

譜二

篳篥

天王寺系

唱歌(『

文均譜』

b説

現行譜)

示。

譜三

平調〈

越殿楽〉

龍笛、

篳篥比較譜

して

った

ける

これは

オクタ

ヴと

しか

たず

ダブルリ

ドの

オクタ

せめ

して

かい

きを

する

している

かい

きが

くの

として

されているのである

フレ

では

ばすだけであるが

というたくさんの

かい

からなる

になっており

きく

なるのである

では

だけが

うなど

していることは

した

りである

これを

すると

さらにこの

える

フレ

では

ヲル

とそれに

する

であるのに

だけが

リイヤ

なっている

これは

ですべての

している

している

また

フレ

では

テイラ

という

えるが

これは

ている

もう

である

二四

七二

譜三

平調〈越殿楽〉龍笛、篳篥比較譜

七三

七四

七五

龍笛

「」

篳篥

「」

使用

冒頭四小節

旋律

龍笛

兼頼譜』

冒頭一行

、『

文均譜』

b説(

現行

篳篥譜)

酷似

龍笛、

篳篥

天王寺系

兼頼譜』『

文均譜』

b説

使用

箇所

⑥⑬)

、『兼頼譜』

一部

篳篥譜

前述

篳篥譜

龍笛譜

篳篥

伏八一九

系統

季任譜』

「」

「」

他譜

「」

。「」

龍笛「

()」

唱歌

、『

季任譜』

指孔

調

、「六工」

篳篥譜

旋律

伏八一九系

『季任譜』

龍笛

近、

ED

下降

旋律

部分

龍笛唱歌

、「」

唱歌

現行譜

頼譜』(

他「

」「」

末尾

「」

音型(「

」「」

⑥⑩⑭

旋律

「」

部分、

先行

「」「

龍笛

「→

」「

D」

可能性

指摘

拙稿

寺内

二○○四)

楽譜間

異同

観察

歴史的

変化

発見

場合

龍笛

篳篥

唱歌

系統

差異、

伝承

残念

文均

篳篥

系統

相承

系譜

直接的

するという

いがあるが

はほとんど

であ

したがって

している

わず

のみ

している

いずれも

フレ

さて

によく

ているのは

りであるが

によく

つものがある

フレ

では

だけが

リロ

または

ハアリロ

となっている

リロ

ハアラロ

ラロヲ

べると

となっている

つまり

では

ばすだけの

である

のに

して

する

しているのである

さらに

この

ると

ハアラロ

またはそれに

する

になっているのは

ラロヲ

だけで

その

ハアラルイ

ホヲロルイ

などのように

いている

このような

ロイ

ルイ

など

はフレ

られ

いずれも

では

より

けられている

このことから

のフレ

でも

くは

としていた

できよう

すでに

べたことがあるが

このように

のフレ

ズの

かい

すると

をたどる

がかりを

できる

がある

なる

がいくつかあることがわかった

これらの

それぞれ

とどのよう

わりを

っているのだろうか

ながら

しんでいた

がどの

なのか

=

C#

C#

二五

文均譜』

二重性

背景

とその

七六

記述

管見

見当

事実

、『

文均譜』

全般

採用

唱歌(

a説)

天王寺系楽人

元鳳譜』

京大文均譜』

共通

特徴

安倍系

一部

使

唱歌(

b説)

唱歌

安倍姓)

東儀季熈撰

現行「

明治撰定譜」

篳篥唱歌

特徴

共通

季熈系

b説、

天王寺系

正統的唱歌

a説

天王寺系

、(段

用)

別系統

唱歌

他方・他家

唱歌

採用

文均

a説

日常的

使用

文均譜』

伝承

二重性」

一子相伝」

他家

伝承

雅楽伝承

一般的理解

文均

一人

楽人

篳篥

複数

伝承

習得

実践

意味

背景

当時

楽壇(

楽人

音楽活動)

家間

養子縁組

状況

日記

文均

普段

演奏活動

基本的

京都在住

楽人

行。

奏楽

行事

規模

参集

楽人

人数

種類

文均日記

年中行事

年代

、(

一)

大規模

宮中行事、(

二)

堂上公家

私邸

楽会、

三)

三方及第

練習

本番、(

四)

太秦氏関係

行事

。(

一)

元日節会

正月一九日頃

舞御覧

南都

天王寺在住

楽人

上京

三方

楽人

宮中

盛大

舞楽

披露

。(

二)

では

たらない

たちの

としてあるのは

にわたって

れている

じく

とも

する

いず

かつ

とも

なること

そして

のみに

らかに

からエ

まれ

この

えられる

している

ということである

のエ

いる

とするならば

にも

いない

がある

もしくは

からの

したことを

すの

ではないだろうか

そして

はむしろ

のほうを

していた

えられるのである

すこのような

しばしば

われる

らさない

という

する

とは

なり

という

して

できる

にあった

あるいは

していたということを

する

その

には

みの

がある

によれば

ただし

には

でいくつかのレベルがあり

それによって

する

なる

から

られる

かく

ると

によって

なるが

おおよそ

における

などに

けられる

には

などがあり

って

する 二

二七

三・一

楽壇、

楽人

音楽活動

または

七七

四辻家、

菊亭家、

裏辻家

楽会

西園寺妙音天講、

、(

三方

京都在住

楽人

参加

堂上公家邸

楽会、

残楽

管絃

四辻、

綾小路、

菊亭、

裏辻

堂上公家数名

楽器、

地下楽人

三方合

十名程度出仕、

管楽器、

打楽器(

場合

絃楽器、

後述)

演奏

音天講、

西園寺家

妙音天(

音楽

法楽

奏楽

奉納

地下楽人

三方

在京

数名

参加

助演

。(

三)

楽人

技量認定

試験

三年

壱越、

平調、

双調、

黄鐘、

盤渉、

太食

六調子

楽曲各五~

七曲

課題曲、

三方

受験者

管楽器

技量

審査

審査員、

三方

各々八名

出、

公平

自分

地域出身

受験者

採点

試験

笙、

篳篥、

一管通

太鼓、

鞨鼓

形式

新入

試験

中藝」

中藝

試験

上藝」

昇進

及第

楽人

扶持

外、

中藝料」「

上藝料」

技能給

受験予定

楽人

試験

相当熱心

練習

励。

文均、

天保一五(

一八四四)

年、

三四歳

時受験、

合格

中藝

昇進、

弘化四(

一八四七)

及第

上藝

昇進

練習

受験予定者

在京

楽人

自宅(

含・実家)

会場

練習

在天、

在南

上京

練習

参加

四)

東儀家

天王寺

関連

行事、

大規模

四天王寺聖霊会(

二月二二

日)

小規模

太秦廣隆寺

法要、

太子講(毎月二二日)

大花講(

毎月三日)

聖霊会

四天王寺

天王寺系

楽人

全員参加

盛大

法会、

在京

大坂

参加

廣隆寺

法会

種類

在京

楽人

二○人程度参加

太子

講、

大花講

数名

小規模

在京

天王寺系楽人

自宅

会場

提供、

管絃

五曲程度

には

などがあり

わず

しであり

などの

わせて

によっと

する

われる

とされる

しで

として

する

わず

のもの

する

のための

ごとに

かれ

される

から

ずつ

すため

わない

りに

えた

われた

りのものが

かると

がさらに

かると

のランクに

する

すると

それぞれ

としての

という

がもらえるため

から

まって

ただちに

して

した

のうち

りで

にして

する

もできるだけ

して

する

めとする

する

なものとして

なものとして

などがある

このうち

われるもので

する

りがけで

って

する

はいくつか

があるが

している

なもので

りで

二八

二九

七八

奉納

文均

天王寺在住

楽人

一緒

演奏

三方及第

、(

一)

正月

節会、

舞御覧

、(

四)

聖霊会

大規模

公式行事

天王寺系

楽人

在京・在天)

一方

演奏

聖霊会

以外、

天王寺系楽人

在京

三方

楽人

混合

合奏形態

文均

場合、

天王寺

親戚

日頃

機会

在京

楽人(

京方、

南都方、

天王寺方

方、「

音楽的

親密

想定

文均、

規模、

目的、

楽壇

演奏機会

横断

成立

流儀」

音楽的

使

分、

実践

楽人

一緒

合奏

師弟関係

時折問題

豊胖秋

改流」事件、

事件、

文均日記(

弘化

元年

一八四四、

五月九日条)

南都

楽人・芝葛房

日記

記述

弘化元=

一八四

四年五月一一日条)

参照、

概要

京都方

楽人・豊胖秋(

一八一六~

一八六○)

代々

家門弟

兄・豊陽秋(

一八一二~

一八四八)

門弟

対、

自分

破門

出。

則是(

一七八九~

一八四五)

独断

安易

則是

胖秋

借金

する

しである

ここからわかることは

するのは

けば

などの

られている

ということである

しかも

だけで

するのは

ほとんど

のみと

ってもよい

それ

だけで

あっても

のサ

クルか

した

なのである

より

から

わせる

にかかわらず

との

であったと

される

ぶれが

なるいくつかの

あるいは

しなが

それぞれの

した

もしくは

コンセンサスと

べるものを

していっ

たのではないだろうか

たちは

するだけでなく

えて

ぶこともしばしばあった

これは

こすこともある

そうした

つである

この

えるが

しいので

それを

であったが

になりたいため

してくれるよう

ることもせず

でこれを

めてしまった

じつは

があり

わり

三・二

子弟関係、

養子縁組

えた

=

三〇

七九

破門

兄・陽秋

家破門

自分

門弟

殿

、(

相談

勝手

中将殿

不承知、

立腹

陽秋

御楽始

当年

三方及第出入

陽秋、

胖秋兄弟、

両人

篳篥奏

者・安倍季随

息子

父・季随

殿

参上

理屈

殿

後日、

三方

胖秋

豊家

改流」

異議

異議

承認

六月末日、

則是、

陽秋、

胖秋三名

対、

今回

楽人衆

不都合

申立

以後、「

破門、

改流

注意

楽人衆

回書

以上

顛末

豊陽秋

胖秋、

安倍家出身

養子

胖秋

則是

師事

事実

芝家

日記(

葛房記)

弘化元年冒

楽人

官位

年、

豊家

出仕

陽秋、

胖秋、

徳秋(

一八一九~

一八四五)

他家

養子

父、

祖父

二、

三代前

他家

養子

相続

当時、

豊流

伝承

状況

家」

継承

養子

迎、

伝承自体

当時活躍

他家

演奏家

習得

以外

最初「

不承知」、

一族

相談

、「

改流」

背景

状態

陽秋自身

養子

陽秋

伝承

胖秋

同様、

他家

相伝

可能性

改流」

形式的

じたらしい

というのである

はさっそく

がこのたび

となり

となっ

たことを

けたところ

もせず

にこのようなことをしたため

になり

らの

めてしまった

じつは

とも

であったため

しいろいろ

べたところ

はますます

してしまった

というものである

から

それぞれに

から

すること

がないかどうかのお

ねがあり

がなかったので

もこの

した

ただし

から

から

がなかったため

めたが

するようなことがあれば

しく

める

という

せられ

となっている

がことの

である

ここからわかることは

まず

だということであ

さらに

はこの

まで

していたという

である

ると

この

から

しているのは

だけ

すべて

からの

である

さらに

らの

をたどると

いずれも

まですべて

からの

されている

つまり

から

できる

ではなく

とりあえず

するためには

はその

している

から

する

になかったと

されるのである

だったのは

むしろ

なく

ことを

んだ

ことに

する

りのためであり

そのものは

みれば

むなしと

めざるを

ない

だったの

である

ただし

であることを

えると

からの

があ

したがって

この

もあくまで

なことに

まるものと

えられる �

三一

三二

八〇

血統、

伝承

一度完全

途絶、

補充

家名」

名目上保

中世

末、

江戸初期

江戸時代

大変多。

背景

南谷

指摘

南谷

一九九六)、

三方一七家

計五一)

禁裏、

幕府

知行収入

行事勤仕

上演料

約束

既得権益

手放

、「

家」

存続

必要

養子縁組、

文均

家族

無縁

前述

文均自身

養子

文均

南都方

芝葛

起(

一七七○~

一八一七)

三男

一八一一年

葛永(

一八○一~

一八三二)

葛元(

一八○八

一八四一)

在京天王寺方本家

東儀文暉

養子

文暉

実子・文静(

一八二四~

一八七一)

在京天王寺方

分家・東儀文信

養子

二人目

養父・文信(

一八○一

一八一七)

文静

文均

文信家相続

形式上

継承

文均

幼少

比較的早

時期

最初

養父・

文暉

養子

習得

推測

養家

逆、

養子

後、

実家

同居

興味深

文均

三人

息子

長男・磐千代=

文言(

一八四七生)

文均

継、

在京天王寺方(

兼富家)

持管

篳篥、

右舞

楽人

子供

通常、

八~

一○歳(

年齢

数)

童舞

一一歳

叙位、

本格的

行事

参加

文均日記

文言

嘉永七

安政元(

一八五四)

年、

八歳

在京天王寺方

東儀如雄(

頼玄)

正月一九日

宮中

舞御覧」

納曽利〉

この

のように

トからの

によって

ったことではなく

じて

その

には

するように

ずつ

から

められた

による

されていたからと

われる

つまり

さないためには

をどうしても

する

があっ

たのである

にとっても

ではない

のように

である

として

まれたが

という

がいたので

となった

まれ

となった

ただし

この

くに

まれる

くなっているので

もあくまで

のことで

はなかったと

えられる

くなっているので

から

となって

したのではないかと

されるが

によっては

かなり

じてから

るこ

ともある

った

する

もある

いことに

たちは

それぞれ

なる

いでいる

いだ

である

はすべて

デビュ

その

じって

していく

によると

から

ほどきを

三三

三四

=

八一

童舞

翌年

、〈

越天楽〉

残楽

篳篥

稽古

年、

文均

大花講、

太子講

天王

寺方

諸行事

積極的

文言

安政三(

一八五六)

舞楽

増、

月一九日、

舞御覧

貴徳〉

初参勤

二月二二日

四天王寺聖霊会

胡蝶〉

安政四

一八五七)

年、

一一歳

時、「

正六位下右兵衛少尉」

一月二五日条)

以後、

一人前

楽人

宮中

諸行事

参勤

同時、

諸寺社

奏楽、

舞楽

万延元(

一八六○)

元服、

天王寺楽

組合

加入

二月二三日条)

文久元(

一八六一)

楽会

加入

月一四日条)

堂上公家

楽会

参加

文久四年

高倉家

衣文道

入門

一月一二日条)

一方、

次男・為之助=

直温(一八五○生)

文均

希望

文均

実家

南都芝寛

葛家

再興

直温

芝家

養子

南都

行事

出仕

時以外

京都

文均邸

芝家

専門

左舞

文均

専門

南都方

楽人

習得

必要

直温、

安政三(

一八五八)

年、

九歳

在京南都方

高節

迦陵頻〉

九月一六日条)

翌年

上京

芝葛房(一八一三~

一八七二)

龍笛

中小曲

伝授

年一一月、

直温

文均

南都

下向、

二六日

若宮

東遊

直温

芝葛房

抜頭〉

還城楽〉

舞曲

相伝

一一月二三~

二八日条)

直温

京都

在京南都方

楽人

家、

上家、

奥家

稽古

参加

芝家

在京

芝家

人間

上京

折、

直温

南都下向

際、

芝家

伝承

習得

直温

万延

元(

一八六○)

年一月二二日

、「

正六位下右近衛将曹」

直温

参加

南都

春日祭、

めて

った

には

この

など

っている

になると

のレパ

トリ

した

では

っている

され

として

すると

うようになる

には

する

には

メンバ

められ

にも

するようになる

また

には

している

まれたその

により

である

した

ただし

なった

での

する

している

である

いずれも

ではないため

から

がある

まず

から

っている

には

した

から

されている

この

われて

おん

っている

また

おん

のあと

から

している

ふだん

での

によく

しているが

がないため

この

ように

した

もしくは

らが

した

している

せられた

するのは

三五

三六

三七

三八

八二

祭、

氷室祭

京都

賀茂祭、

幕末

復興

北野臨時祭、

園臨時祭

東遊、

宮中

舞御覧

舞楽

他寺社

奏楽、

舞楽

三男・依稚=

文眞(

一八五七生)

文久二(

一八六二)

年、

六歳

時、

在京天王寺方

東儀如雄

稽古

五月一九日条)

文久三年

南都方

久保光亨(

専門:

篳篥)

養子

光利

改名

一一月四日条)(

専門:

篳篥・左舞)

光利

年少

配慮、

養父・光

亨、

光利

十五六才

文均

置、

間、

久保家

篳篥譜

稽古

実際

慶応元(

一八六五)

年、

光利

一○歳

時、

光亨

譜面

文均邸

一○月一一日条)

光利

如雄

稽古

篳篥吹

任務

文均

篳篥

稽古

日記

光利、

慶応二年、

一一歳

時「

正六位下・上総介」任

京都

文均邸、

一家

天王寺流

篳篥

右舞(

文均、

文言)

南都流

篳篥(

光利)

南都流

左舞、

東遊(

直温、

光利)

南都流

笛(

直温)

系統

技芸

伝承者

同居

。文均

楽譜

書写

残念

本稿

分析

篳篥譜『

文均譜』(

一八六四年)

京大文均譜』

日記

日時

一致

記録

文均

自身

専門

篳篥

加、

笛譜

琵琶、

箏譜

多岐

内容

書写

入手

実態

不明

文均日記(

一八四四~

六六年

範囲)

出、

分類

譜面」

便

おん

のほか

された

などの

やその

などである

ほどき

めたが

われて

となり

した

しかし

がまだ

であったことを

までは

その

なども

すので

しておいて

ている

から

などが

れて

ている

この

まで

について

けていたのか

あるいは

べき

きとしての

えて

から

されたのか

からはわからない

じられた

このように

じつは

なるいくつかの

してい

たのである

さて

いくつもの

している

ながら

した

する

えなかった

しかし

など

にわたる

したり

していることがわかる

なものも

いが

から

すると

のようになる

とあるものは

三九

四〇

三・三

文均

書写

楽譜

した

八三

宜上篳篥譜

篳篥譜(

類推

)八十八曲譜面(

山井景典

差出)

一八五一年四月一九日

東儀兼陳筆篳篥譜(

江戸

東儀文郁

貰受)

一八五三年五月五日

譜面(

江戸

近江三上藩主遠藤殿

差出)

一八五三年六月一〇日

譜面(

名護屋

間宮、

渡邉、

高木

差下)

一八五三年六月一○日

蘇合香相伝之譜(

前田又八郎

差出)

一八五四年四月二九日

八十八曲譜面(

堀川筑州

差出)

一八五四年八月一六日

譜面(

江戸

岡、

菊岡

差下)一八五四年八月二七日

八十八曲譜面(

松平佐渡守家中・小川

槙島

差出)

一八五五年七月二九日

譜面(

尾州

差下)

一八五六年七月二三日

譜面(

安倍季資

依頼、

差出)

一八五八年五月一八日

狛楽譜面(

雲州森脇

差下)

一八六○年二月一七日

譜面(

侍従殿

進呈)

一八六一年五月三○日

蘇合香相伝譜(

真友寺

差下)

一八六五年五月二九日

譜面(

山井景典

差出)

一八六五年九月二三日

譜面(

南都・久保光亨

光利

一八六五年一○月一一日

蘇合香相伝譜(

濃州了應寺

差下)

一八六五年一二月五日

れる

およびそれと

されるもの

へで

より

から

へへ

から

四一

八四

譜面(

岡昌次

差出)

一八六六年三月一七日

仮名譜(

山井家

依頼、

差出)

一八六六年四月一八日

譜面六冊(

参州新家

差下)

一八六六年五月一六日

蘇合香三帖、

破、

急御伝授、

御譜渡(

菊亭

進呈)

一八六六年五月二七日

八十八曲譜面(

常盤丸殿

差上)

一八六七年四月一七日

笛譜山

井流笛仮名譜黄皿太三調(

多忠以

依頼、

差出)

一八五五年五月二四日

芝葛房

黄蘇合香仮名譜届、

座主宮

進呈

一八五七年一一月一九日

横笛譜(

青木佐源次

当春借進

返却)

一八六○年九月九日

龍笛+琵琶・箏譜

芝家笛譜

伏見宮琵琶譜(

安倍季資

入手)

一八五五年五月二四日

芝家笛譜

伏見宮流琵琶

進呈(

粟田座主宮

依頼)

一八五五年七月一一日

笛譜

琵琶、

長吏宮

依頼)

安倍季良

差出

一八五五年一一月七日

双、

黄、

皿、

太譜面(

粟田座主宮

)一八五六年七月一九日

琵琶手付横笛譜納

粟田座主宮

進呈)

一八五六年九月一四日

琵琶・箏譜

三五要略・仁智要略書写

一八五○年四~

五月

三五要録、

三五中録(

前年、

関東

古川

借用

返済)一八五四年三月二三日

琵琶譜(

菊亭

五月

依頼

書写

出来、

差出)

一八六一年九月一八日

へから

からの

から

から

したもの

から

けたもの

けたもの

からの

より

される

める

への

から

したものを

から

された

八五

箏譜面(

上真節

依頼、

差出)

一八六一年一二月

琵琶平調譜(

菊亭

一八六六年五月二七日

琵琶八十八曲(

進呈)

一八六六年六月二九日

類箏治要校合

一八六七年一〇月二三日

催馬楽

免許状及

譜面(持明院殿

一八六七年七月二五日

楽書群

書類聚楽部十三冊(江戸

加藤正三郎

餞別

入手)

一八五三年五月八日

群書類衆有職部十四冊(江戸

加藤正三郎

一八五四年四月二七日

胡琴教録校合

一八六三年三月一○日

篳篥譜

山井景典

楽人仲間

他、

地元京都

江戸、

美濃、

尾張、

町人、

武家、

僧侶

素人弟子

大量

譜面

笛譜

楽人仲

間、

弟子、

粟田口

青蓮院座主宮・尊融(

一八二四~

一八九一)

依頼

書写

青蓮院座主宮

依頼

単独

笛譜

琵琶、

楽譜

併記

尊融法親王(

久邇宮朝彦親王)

琵琶

伝承

伏見宮家

出身

文均

座主宮

稽古

参殿

文均

菊亭家、

出入

堂上家

篳篥

伝授

交換、

絃楽器

朗詠

習得

本来、

地下楽人

伝承

箏、

朗詠、

堂上

楽会

演奏・演唱

一八六六年五月

菊亭家

琵琶平調譜」

からの

から

される

から

される

から

として

から

によると

しては

のような

だけでなく

などの

たちに

えていることがわかる

については

などからの

として

することが

いようで

ある

ではなく

したものが

いことがわかる

なみに

する

である

をつけるためにしばしば

している

はまた

などにも

りし

これらの

するのと

したと

われ

しないはずの

している

がいくつか

られる

から

えられた

四二

四三

四四

四五

八六

文均

菊亭家

蘇合香三帖、

破、

急」

伝授

見返

文均

専門以外

楽器、

流派

伝承

立場

以上

、『

文均譜』

唱歌

意味

一度考

一般的

楽譜

機能

備忘録

今現在実践

伝承

場合、

伝統

姿」

継、

場合

想定

豊胖秋

断絶、

伝承

習得

養子

豊家

場合

豊家

楽譜

保持

規範

復元」

、「

伝承」

主張

、『

文均譜』

a説

b説

証明

a説

全曲

使用

実践譜

可能性

理由

後天的

獲得

b説、

文均

文均譜』

唱歌、

整理、

自家

伝承

相対化

作業

複数

併記

平安時代末

琵琶譜『

三五要録』

箏譜『

仁智要録』

催馬楽

源家説」「

藤家説」

併記

、『

三五要録』『

仁智要録』

併記」

対、『

文均譜』

説(

a説)

b説

、「

併記」

元説

否定」

理由、

b説

方「

優先

必要

明治

三(

一八七○)

撰定

開始

明治撰定譜」、

結果

b説

系統

採用

江戸時代

唱歌譜

分析

現時点

唱歌

系統

決定的

結論

今後、

唱歌譜

発掘

分析、

楽壇

研究

江戸時

雅楽伝承

実態

本稿

議論

した

りと

えられる

このように

らの

にいく

つかの

りうる

にいたのである

まえた

つの

なる

かれた

をもう

える

えると

らの

として

あるいは

かに

えるため

している

めた

としての

あるべき

として

えられたものを

される

たとえば

すでに

のように

すでに

した

でも

もし

されていれば

それを

として

あるいはそれをもとに

するなどして

できる

かもしれない

ひるがえって

がそのどちらに

たるのかを

する

だてはない

しかし

って

されていたことを

えるとこちらのほうが

だった

きいのではなかろうか

らかの

された

はもとの

えて

した

かれた

つの

なる

すことによって

する

とと

らえることもできる

このような

におけ

こさせる

しかし

があくまで

をとるのに

がミセケチで

され

えられており

では

なく

である

らかの

させる

があったのだろう

ちなみに

から

される

として

されている

いずれにしても

はあまり

んでいない

そのため

では

すことができない

さらなる

ねられ

らかになることが

まれるが

がそのための

つのきっかけとなれば

いである

四六

八七

他、

一部

楽人、

江戸城紅葉山

将軍

霊廟

奏楽

奉仕

下向、

子孫

紅葉山楽人

活動

江戸初期

楽人

継嗣

状況

南谷

論考

南谷

一九九○)

拙稿

参照

(寺内

二○一○a、

b)

日本古典全集』

活字化

復刻版

本稿

復刻版

参照

現代日本語

発音

両唇音

発音。

雅楽

唱歌

発音

巻第十二、

第十八「

安譜」

、〈

春鶯囀颯踏〉〈

胡飲酒〉〈

酒胡子〉〈

萬歳楽〉〈

五常楽〉〈

慶雲楽〉〈

喜春楽〉〈

桃李花〉〈

海青

楽〉〈

採桑老〉〈

鳥向楽〉〈

青海波〉

数例

引用

指孔

唱歌

外題「

龍笛案譜之記

全」。

内題「

龍笛案譜之記」

印記「

東京音楽学校図書印」「

白河」「

楽亭文庫」「

桑名」「

立教館図書印」

文末

此本二品式部卿貞致親王正筆也」

一文

奥書

以下

。「

右龍笛假字譜者依

大夫将監賀茂縣王清豊

息女所望書写之令附

與訖

延宝八庚申暦仲春良日

五位下行修理亮太秦兼頼」

資料

目録化

(『

菊亭文庫目録』)、

。〈

五常楽急〉

目録

口絵写真

掲載

後述

安倍季資

在京天王寺方

東儀文均

粟田座主宮(

青蓮院門跡)

・尊融(

伏見宮家出身)

出入

笛譜

琵琶、

楽譜

作成

依頼

東儀文均

日記、

安政二~

三年

記述)

一〇

一部

不掲載

(『

兼頼譜』双調、

黄鐘調

楽曲

他譜

比較

一一

巻第五「

催馬楽」

龍笛譜

、「

明治七年十二月

本文之通取調候事

大伶人上真節(

印)

大伶人山井景順(

印)」

催馬楽

篳篥譜

、「

明治七年十二月

本文之通取調候事

大伶人東儀季熈(

印)」

唐楽、

高麗楽

龍笛、

篳篥譜

撰者名

この

などでの

するため

として

した

については

があり

でも

ったので

そちらを

されたい

され

ている

した

のハ

ではなく

では

この

っている

などから

ずつフレ

ズが

され

されている

する

これらの

され

マイクロフィルム

もされている

れているす

るように

とともに

のもとに

りし

えた

されている

ただし

のもの

たとえば

では

った

とあ

ちなみに

には

とある

には

されていない

八八

一二

小拍子

末尾

洋楽

音型。

一三

懸吹

「」

唱歌

篳篥

音型

連想

後述)

一四

『貞致譜』

尊常譜』

同一

時代

両譜

伏見宮家

人物

一五

兼頼

江戸時代前期

楽人

天王寺系

楽譜

平出久雄

天王寺系

岡昌勝

昌和)(一八五二~

一八七二)

平出

一九五九

一九八九:

付表+系図、

三三

注六五)

一六

大神景貫

帝師

光格天皇(

一七七一~

一八四○)

萬秋楽〉

伝授

伝授譜草稿

安倍季随

書写

宮内庁書陵部

伝(『

萬秋楽仮名譜』

伏八八三)

景貫

実兄

安倍家

養子

行、

安倍季任(

一七○四~

一七五八)

季随

季任

孫。

寺内

二○一○b

参照。

一七

安倍家

中世末、

安倍季正

出家

折、

断絶

多忠季

次男

養子

一五七五年

季房

一五六五~

一六一九)

安倍家

季房、

南都方

久保光成

篳篥

伝承

狛氏新録』

国会図書館蔵本)

寺内二○一○b参照。

一八

紅葉山楽人

、『

武鑑』

常時八~

一○

楽家(

国会図書館蔵、

狛氏『

楽所録』

中「

官位次第」

一六

七人

楽人)

東照宮

奏楽

勤仕

一九

胡」「

陪」「

殿」「

陵」

多数。

二〇

賀殿急〉〈

迦陵頻急〉〈

胡飲酒破〉〈

塩急〉〈

五常楽急〉〈

陪臚〉〈

慶徳〉〈

越天楽〉〈

太平楽急(

合歓塩)〉

管絃

演奏

頻度

楽曲

二一

文均

日記

登場

弟子

一人

堀川筑州」、

久民

堀川家

徳大寺家諸大

夫、

藤原氏(『

地下家伝』)

二三

東北大学

文均譜』

a説

上書

譜字

判読

箇所

、『

京大文均譜』

から

まる

のアウフタクトのような

のない

リイヤ

させる

がほぼ

なのは

はあるが

とも

であるから

えられる

であるが

によれば

まで

たれていた

として

した

した

わる

となった

しくは

ただし

した

たに

かえ

として

いだ

このとき

から

けた

にはある

しくは

によれば

によれば

などに

していた

ほか

いずれも

などで

される

のもっとも

である

にしばしば

する

がおり

これが

のことと

われる

きされて

できない

なくないが

によって

八九

なり

うことができると

われる

とされる

としないが

では

としている

でも

この

する

までに

する

したが

ながら

からは

する

きを

きなかった

することについては

えられる

して

しく

わっている

なお

していた

から

とし

されているが

この

については

のところ

である

らの

にあたる

であるにもかかわらず

フキ

エバ

フツ

カニ

ツヤナク

イヤシク

ヘテアシ

ベキ

べている

については

した

のこと

それによると

には

があったため

たとえば

しても

には

けられないなどの

があったらしい

によると

はほぼ

なものという

からの

という

であるが

のほうは

から

いた

になっている

二四

最上段

伝・後陽成天皇宸筆譜」

後陽成天皇

宸筆

伏見大社蔵

越天楽〉

仮名譜。

龍笛譜

篳篥譜

判然

先行研究

龍笛譜

仲村

二○○○)

本論

唱歌

音節

同意

掲載

二五

新浄安院譜』『

季資譜』

指孔

確認

残念

譜字

脱落

指孔

上行

旋律

確認

二六

元鳳譜』

『文均譜』

a説

類似

文均

江戸下向時

交流

背景

文均

嘉永六

一八五三年)

美濃、

尾張

経由

二月二五日~

五月八日、

江戸

滞在。

東儀元鳳、

岡昌輪、

東儀季達、

東儀勝長、

多久

泰、

多時久

多久臣

紅葉山楽人

文均

帰京時

浅草

隠居

東儀文郁

餞別

兼陳書篳篥譜」

贈与

現在

未詳

東儀兼陳(

一六七三~

一七五四)

京東儀本家

文暉、

文静

先祖

二七

東儀兼頼

龍笛吹艶之事』

中、

自身

天王寺

楽人

天王寺流

頌歌

持、

吹音聲

南都

頌歌

也」

寺内

二○一○b

二○)

二八

三方及第

実際

文均日記

詳細

分析

南谷美保

研究

参照

南谷

一九九六)

中藝料

上藝料

給付

人数

中藝

昇進

実際

中藝料

給付

二九

南谷

文均

昇進年齢

平均的

南谷

一九九六:

二二九)

三〇

文均日記

記述、

通知

葛房日記

則察

直接聞

九〇

三一

多忠得三男。

三二

多、

安倍、

岡、

。『

地下家伝』

平出久雄編「

雅楽相承系譜」(

平出

一九五九

一九八九)

参照。

三三

文均

何人

男子

成人

楽道

紹介

三名

年長

長男、

次男、

三男

三四

南都方、

近敦男、

東儀如壽

養子

三五

父・文均

衣文道

習得

楽人仲間

家等

行事

着付

手伝

三六

文均日記、

嘉永三(一八五○)

年七月廿七日条、

九月二日条、

十月七日条、

十一月八日条

関連

記述

文均

兄・葛元

死去

九年

直温

一端完全

家流

再興

三七

文均一家

弘化二(

一八四五)年一○月

慶応二(

一八六六)

年七月

畠山町(

現・京都市上京区役所付近)

応二年七月

今出川・堀川北

北船橋町

明治維新後、

東京

転居

幕末

在京楽人

住居

国会図書館蔵、

在京南都方・

家『

楽所録』(

第九六冊「

春日祭御用之記」)

程度判明

三八

二曲

南都

只拍子(

洋楽

四分

六拍子

芝家伝来

二曲

天王寺

伝承

夜多羅拍子(

四分

五拍子)

三九

前年、

一八六二年

八月二九日

光亨

養子・光條

死去

跡継

四〇

文均日記、

文久三(

一八六三)

年十月廿四日条。

四一

紹介

京大文均譜』(

堀川久民

年記

安政二年

文均

日記

前年

八月一六日

堀河筑州

八十八曲譜面冩進

記述

日時

一致

不審。

譜面

四二

文均

素人弟子

南谷美保

論考

整理

参照

南谷

などの

から

えている

には

まれたが

いだのはここに

する

なので

から

する

となる

けをしばしば

っている

などに

する

がある

すでに

してから

ぎており

えた

したことになる

から

まで

からは

んでいた

するまで

なお

などからある

する

この

では

にあたるリズム

われ

のレパ

トリ

とされる

でも

されているが

こちらは

われる

ぎがいなくなったためと

えられる

した

あり

であるが

には

その

したという

える

せず

えた

のネットワ

クについては

でよく

されているので

されたい

九一

一九九三、

一九九四)

四三

京都大学附属図書館

文均撰

篳篥

楽譜

()

。「

此譜猥不可許外見者也

文久二

年壬戌林鐘

従四位下行近江守太秦文均宿禰」

奥書

四四

伏見宮邦家親王王子。

一八三八年、

興福寺一乗院門主。

一八五二~

五九年、

青蓮院門主。

四五

管見

文久二(

一八六二)

年以降

四六

蒲生美津子

笛〈

乱声〉

考察(

蒲生

一九八六)

仲村由樹

伝後陽成天皇宸筆、

越天楽譜」

研究(

仲村

二○○○)

遠藤徹・清水淑子・前島美保

紀州徳川家伝来雅楽譜

報告(

遠藤・清水・前島

二○一一)

遠藤徹・清水淑子・前島美保

二○一一「

紀州徳川家伝来

雅楽譜

」『

紀州徳川家伝来楽器

研究』(

国立歴史民俗博物館報告、

第一六六

集)

七~

七九頁。

蒲生美津子

一九八六a「

明治撰定譜

成立事情」『

音楽

音楽学~服部幸三先生還暦記念』

東京、

音楽之友社、

二○五~

二三八頁。

一九八六b「

乱声小考」『

諸民族

音』(

小泉文夫追悼記念論文集)

東京、

音楽之友社、

二三七~

二五六頁。

専修大学図書館

一九九五『

菊亭文庫目録』

寺内

直子

二○○四「

江戸時代初期

龍笛唱歌

一考察」『

国際文化学研究』二二・二三、

一~

二八。

には

けた

がある

する

では

しばしば

られる

する

による

などがある

について

コレクションの

における

する

8-60//32

引用文献

九二

二○一○a「

慶長八年楽人地図」『

日本文化論年報』

一三、

二一~

四二。

二○一○b「

東儀兼頼撰『

龍笛吹艶之事』

江戸時代初期

龍笛

系統」『

国際文化学研究』

三四、

一~

四三。

仲村

由樹

二○○○「伝後陽成天皇宸筆『

越殿楽唱歌譜』

考」『

朱』(

京都、

伏見大社発行)

四三、

二○○~

二三○、(

原文

平成一○年度

沖縄県立藝術大学

提出

同名

卒業論文)

平出

久雄

一九五七

一九八九「日本雅楽相承系譜」『

音楽事典』

付録(『

日本音楽大事典』

一九八九

再録)

平凡社。

南谷

美保

一九九○「

安土桃山時代

雅楽楽人~

三方楽所

成立

一考察」『

四天王寺国際仏教大学短期大学部紀要』

三○、

一~

一七五。

一九九三「

江戸時代末期

雅楽演奏

実態

科学研究費報告書『

江戸時代雅楽

演奏様式

研究』(

研究代表者・馬淵

卯三郎)

第二部。

一九九四「

江戸時代

雅楽

伝播~

三方楽所楽人

雅楽愛好家

交流

」『

四天王寺国際仏教大学短期大学部

紀要』

三四、

一四六~

一七五。

一九九六「

江戸時代

三方楽所楽人

三方及第~

楽所日記」

一考察」『

四天王寺国際仏教大学紀要』

文学部・短期大

学部二九号・三七号、

二一八~

二三九。

楽所日記』

東儀文均、

一八四四~

一八七二年、

国会図書館蔵(

請求番号

~)

した

について

をめぐる

をさぐる

における

との

として

づく

マイクロフィルム

古文書

YD-

-19521957

九三

楽家録』

安倍季尚著、

一六九○(『

日本古典全集』

正宗敦夫編、

日本古典全集刊行会、

一九三五)(

復刻版、

東京、

現代思潮社、

一九七七)

楽所録』

辻家、

一七八八~

一八六三年、

国会図書館蔵(

請求番号

狛氏新録』「

禁裏三方楽人之事」

写本、

国会図書館蔵(

二冊)(

請求番号

活字本『

古事類

苑』

楽舞部十「楽人」(

神宮司庁編、

第四版、

一九○九、

復刻版、

吉川弘文館、

一九八四)

芝家日記』

天理大学附属図書館蔵(

請求番号

地下家伝』(『

日本古典全集』

正宗敦夫編、

日本古典全集刊行会、

一九三七)(

復刻版、

東京、

現代思潮社、

一九七八)

龍笛案譜之記』

東儀兼頼撰、

一七○一年。

東京藝術大学附属図書館蔵、(

請求番号

龍笛吹艶之事』

東儀兼頼撰、

一六八六~

一七一○年頃

東京藝術大学附属図書館蔵、(

請求番号

189 -315

--5649

761/65

/8/254

/8/248

マイクロフィルム

マイクロフィッシュ

マイクロフィッシュ

YD

MFW

MF

W

九四

Family lineage and musical tradition in the Edo period s

focusing on mnemonic sounds of and

TERAUCHI Naoko

This article studies the schools and transmission of the royal court

music tradition in the Edo period by analyzing musicians genealogy

and musical scores notating mnemonic syllables of wind instruments It is

generally understood that each special practice of transverse flute

reed pipe mouth organ lute zither dances

or songs has been respectively relegated to specific families and handed

down from generation to generation in Kyoto Nara and Osaka However in

the late and early centuries some branches of Nara and Osaka families

were encouraged to be settled in Kyoto by the imperial order and to play togeth

er with Kyoto musicians at the court Furthermore adoption of members of the

Nara and Osaka into Kyoto families makes flow of tradition more complicated

How did they retain the musical identity of their family tradition in this mingled

situation?

To clarify the musical identity of schools on the two main melodic instrum

ents in ensemble flute and pipe this study analyzed

mnemonic sounds of the instruments written in the scores compiled in the Edo

period Mnemonic syllables called is a kind of verbalization of a melody

usually sung in a mentor protege lesson and therefore recognized as of the

primary importance to their family tradition

Today s practice is based on the unified score complied

in and in which syllables contain sounds

while those of do not However Edo period s scores show variety in us

age of vowel and consonant which does not match the system of

shown above Based on the analysis on selection of vowel consonant and indica

tion of extra sounds of prolongation of the preceding notes this study classified

syllable systems of and in the Edo period respectively into three

groups and tried to identify some of them with specific families tradition

In a concluding part a score edited by a Kyoto resident Osaka

musician Togi Fuminari is particularly focused on This score includes

two different systems that require further discussion in a socio historical

viewpoint on double or more identity of an individual musician considering

family background and performance occasion

notation Edo period

) ( ) ’

( )^( ) ( ) ( ) ( ) ( )^

( )

‘ ’^

´´

( …)

’^

^’

( )^

^‘ ( ) ’

^ ^ー ー 雅楽、唱歌、龍笛、篳篥、楽譜、江戸時代

gagaku: ryuteki hichiriki

gagaku

ryuteki

hichiriki sho biwa koto mai

utamono

gagaku ryuteki hichiriki

shoga

gagaku Meiji sentei-fu

hichiriki E te, re, fe

ryuteki

Meiji sentei-fu

ryuteki hichiriki

hichiriki

shoga

Keywords; gagaku, shoka, ryuteki, hichiriki,

,

1603-1868

.

,

, , , , ,

, , . ,

16 17 ,

-

.

.

-

, ,

. ,

- ,

.

1876 1888, ,

. , -

,

. / -

,

.

, - -

1811-1873 .

-

,

.

,

th th

キ ワ ド