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133 Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」 Secular in the Masses by Josquin des キーワード:JosquindesPrez,ミサ,サイコロ,キリスト教的数象徴 長尾義人* (平成12年9月20日受理) はじめに キリスト教的理念が西欧世界のあらゆる場面に浸透し, 信仰が日常生活の中で確固として機能していた時代は, 14世紀に至った時にその背後にあった様々な矛盾が現 実のものとして現れてくる。しかし,一方で文化史的視 点において見る時には,新しい知と感性の枠組みが華や かに形成される「ルネサンス(Renaissence)」と呼ばれ る時代として捉えられてきているJ.Harperは, 「ルネ サンスの知的,芸術的改革を生むことになった世俗社会 の思想や哲学」について, 「これらの宗教的,世俗的知 の流れは,中世後期の教会にとって大きな脅威」であっ たとしている[Harper:訳書2000:37]では,このような 「教会にとって大きな脅威」,宗教的混乱による信仰意識 への疑念,そしてそれを覆い隠すような絃いばかりの知 性的美的文化活動の中にあって,音楽家たちはどのよう な創造的世界を鳴り響かせたのであろうか。ここでは, 15世紀末から16世紀初頭に活躍し, D.J.Groutの言を 借りれば, 「あらゆる時代を通じてもっとも偉大な人の ひとりで」あり, 「存命中に彼はど高い名声を得ていた 音楽家は少ないし,あとに続く音楽家たちに」, 「深くか つ永続的な影響を及ぼした」 [Grout:訳書1974:230]フラン ス北東部出身のJosquin des Prezの初期のミサ曲であ る.'Missa di dadi'一に注目し,そこに見出される「世俗 的(secular)」表徴を考察する。つまり,この考察によっ て,宗教音楽という形式が隠職として用いられ,それを 読み解くことによって彼の時代の信仰の現実が浮かび上 がるのではないかと考えるからである。 I. Josquinが登場する直前に生じた教会の状況に関して, Harperは, 「中世の教会は,組織として他に例をみな いほど巨大で複雑であった」としながらも, 「そこには, 芸術,知性,祈りの栄光と共に,論争,堕落,宗教戦争, そして十四世紀の教会分裂(ローマとアヴィニョンに対 立教皇の宮廷がおかれた)の醜聞」があったとし,さら に続けて「新しい思想,改革,再評価が対立し,それ は,教会の安定した生活に健全なものではあったが混乱 をもたらし」,その結果「不満は広がり,十五世紀末ま でに辛殊な批判が激しさを増していった」としている。 [Harper:ibid.:37月この背景には,印刷術の発明が大 く寄与していたことも事実である。即ち,手写本によるそ れまでの同一性の確保の困難さが克服され,同一性の保証 される印刷によって様々な思想がそのまま伝播されたので ある。しかし,この印刷術のもっ特性は,宗教的理念の調 和と徹底化の手段として有用であったのと同時に,教会批 判への統一された反駁を可能にしたことも事実である。 一方,視点を音楽の分野の向けると,ここでも印刷術 は,従来の筆写による誤記や改宜を避けることができ, 貴重な手写本がかなり高価であったのに対して,それよ りは安価であったことから音楽家の作曲作品の正確な記 譜に基づく伝播のために大きく貢献したのである。印刷 された楽譜自体は, 15世紀には既に存在していたので あるが,移動植字法による画期的な多声音楽の楽譜印刷 は,ヴェネ-ツイアのPetrucci(Ottaviano [d 1539)よって行われた。彼は, 1523年までに多声音楽(当 時は,スコアではなく声部本part-bookであったが)や 器楽作品の曲集を再版を含め59巻出版した。その中で もJosquinのミサ曲集が彼によって3巻(1502年, 1 年, 1514年)も出版されている。 H.M.Brownによれ 「ペトルッチはたったひとりの作曲家の作品だけを収め た曲集をほとんど出版しなかった」のであるが, 「その ような曲集を1巻以上捧げた音楽家はジョスカン以外に は」いなかったのである。 [Brown:訳書1976:177]この とからも,当時のJosquinの音楽が広く受容されてい たことがわかるのである。 このPetrucciによって出版されたJosquinのミサ 集の中で,特に目を引く奇想を持っミサがある。それが ''Missa di Dadi'.と呼ばれる作品である。彼の作品の くが年代を確定することが難しく,幾っかの作品では彼 の作品かどうかも議論されているのであるが,この作品 は,彼によるものであることが確認されており,その作 曲様式から彼の比較的初期の作品であるとされている。 では,このPtrucci版におけるこの作品に施された奇想 とはどのようなものなのであろうか。 Ⅱ. このミサ曲は,彼以前の作曲様式であるcantus firmus (定旋律:以後C.f.と表記する)に基づいて作曲されてい ・兵庫教育大学第4部(芸術系教育講座)

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133

Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」Secular in the Masses by Josquin des Prez

キーワード:JosquindesPrez,ミサ,サイコロ,キリスト教的数象徴

長尾義人*(平成12年9月20日受理)

はじめに

キリスト教的理念が西欧世界のあらゆる場面に浸透し,

信仰が日常生活の中で確固として機能していた時代は,

14世紀に至った時にその背後にあった様々な矛盾が現

実のものとして現れてくる。しかし,一方で文化史的視

点において見る時には,新しい知と感性の枠組みが華や

かに形成される「ルネサンス(Renaissence)」と呼ばれ

る時代として捉えられてきているJ.Harperは, 「ルネ

サンスの知的,芸術的改革を生むことになった世俗社会

の思想や哲学」について, 「これらの宗教的,世俗的知

の流れは,中世後期の教会にとって大きな脅威」であっ

たとしている[Harper:訳書2000:37]では,このような

「教会にとって大きな脅威」,宗教的混乱による信仰意識

への疑念,そしてそれを覆い隠すような絃いばかりの知

性的美的文化活動の中にあって,音楽家たちはどのよう

な創造的世界を鳴り響かせたのであろうか。ここでは,

15世紀末から16世紀初頭に活躍し, D.J.Groutの言を

借りれば, 「あらゆる時代を通じてもっとも偉大な人の

ひとりで」あり, 「存命中に彼はど高い名声を得ていた

音楽家は少ないし,あとに続く音楽家たちに」, 「深くか

つ永続的な影響を及ぼした」 [Grout:訳書1974:230]フラン

ス北東部出身のJosquin des Prezの初期のミサ曲であ

る.'Missa di dadi'一に注目し,そこに見出される「世俗

的(secular)」表徴を考察する。つまり,この考察によっ

て,宗教音楽という形式が隠職として用いられ,それを

読み解くことによって彼の時代の信仰の現実が浮かび上

がるのではないかと考えるからである。

I.

Josquinが登場する直前に生じた教会の状況に関して,

Harperは, 「中世の教会は,組織として他に例をみな

いほど巨大で複雑であった」としながらも, 「そこには,

芸術,知性,祈りの栄光と共に,論争,堕落,宗教戦争,

そして十四世紀の教会分裂(ローマとアヴィニョンに対

立教皇の宮廷がおかれた)の醜聞」があったとし,さら

に続けて「新しい思想,改革,再評価が対立し,それ

は,教会の安定した生活に健全なものではあったが混乱

をもたらし」,その結果「不満は広がり,十五世紀末ま

でに辛殊な批判が激しさを増していった」としている。

[Harper:ibid.:37月この背景には,印刷術の発明が大き

く寄与していたことも事実である。即ち,手写本によるそ

れまでの同一性の確保の困難さが克服され,同一性の保証

される印刷によって様々な思想がそのまま伝播されたので

ある。しかし,この印刷術のもっ特性は,宗教的理念の調

和と徹底化の手段として有用であったのと同時に,教会批

判への統一された反駁を可能にしたことも事実である。

一方,視点を音楽の分野の向けると,ここでも印刷術

は,従来の筆写による誤記や改宜を避けることができ,

貴重な手写本がかなり高価であったのに対して,それよ

りは安価であったことから音楽家の作曲作品の正確な記

譜に基づく伝播のために大きく貢献したのである。印刷

された楽譜自体は, 15世紀には既に存在していたので

あるが,移動植字法による画期的な多声音楽の楽譜印刷

は,ヴェネ-ツイアのPetrucci(Ottaviano [dei]:1466-

1539)よって行われた。彼は, 1523年までに多声音楽(当

時は,スコアではなく声部本part-bookであったが)や

器楽作品の曲集を再版を含め59巻出版した。その中で

もJosquinのミサ曲集が彼によって3巻(1502年, 1505

年, 1514年)も出版されている。 H.M.Brownによれば,

「ペトルッチはたったひとりの作曲家の作品だけを収め

た曲集をほとんど出版しなかった」のであるが, 「その

ような曲集を1巻以上捧げた音楽家はジョスカン以外に

は」いなかったのである。 [Brown:訳書1976:177]このこ

とからも,当時のJosquinの音楽が広く受容されてい

たことがわかるのである。

このPetrucciによって出版されたJosquinのミサ曲

集の中で,特に目を引く奇想を持っミサがある。それが

''Missa di Dadi'.と呼ばれる作品である。彼の作品の多

くが年代を確定することが難しく,幾っかの作品では彼

の作品かどうかも議論されているのであるが,この作品

は,彼によるものであることが確認されており,その作

曲様式から彼の比較的初期の作品であるとされている。

では,このPtrucci版におけるこの作品に施された奇想

とはどのようなものなのであろうか。

Ⅱ.

このミサ曲は,彼以前の作曲様式であるcantus firmus

(定旋律:以後C.f.と表記する)に基づいて作曲されてい

・兵庫教育大学第4部(芸術系教育講座)

Page 2: Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/897/1/AN...133 Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」 Secular in the

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る。ここで彼が採用したc.f.は,イングランドの作曲家

Robert Mouton(1430頃-1476以降)の世俗的な三声部の

ロンド一一IN'aray je jamais mieulx que j'ay?''のテノ

ル声部の旋律である。既に, 14世紀以降にみられるミ

サ曲において,世俗的な旋律がc.f.として用いられてい

ることを考慮すれば, Josquinもこの様式に通じており,

それ自体は決して珍しいものではなかった。また,世俗

的な音楽が教会の重要なミサという神聖な場で歌われる

ことに対しても, P.H.Langによれば,このような世俗

的な「旋律は,けっして元のままの歌詞と形で用いられ

はしなかった」ので, 「それらはテノール声部の中に組

み込まれ,結果的には,他の諸声部にすっかり覆い隠さ

れ」, 「リズムが変えられ,あいまいにされた」 [Lang:釈

書1975:224f.]のである。それ故に,当時このような状況

は,決して神への冒涜とは捉えられず,むしろ世俗音楽

がミサ曲に用いられることによって聖別されたと考えら

れていたのであるOしかし, Langの言うようにc.f.に

おける世俗音楽が巧妙にパラフレーズされていることを

考えると,その出典を知ることができたのは,おそらく

当時の優れた音楽家に限られており,それ故に,ミサ曲

に隠された意味は極めて暗号化されたものであったとも

言えるであろう。

さて, Josquinのこのミサ曲に再び視点を向けると,

それを構成する4つの章,即ち, Kyrie, Gloria, Credo,

Sanctusにおけるc.f.が,その元となっている旋律の音

価とそこでc.f.として用いられる音価との比率を示すため

に一組のサイコロの図がc.f.声部の前に置かれているので

ある。そして,そこに描かれた一組のサイコロの目がまさ

にその比率を表しているのである。 [Tablelを参照]

Table 1.

Kyrie[ Wm *こ- 由 4:l P3m 缶 6;I

e tF 義i

Kyric, ℡ 1=t QuitolーjS 由 8:J cm血S 宙

一案 〟 漢,乍Inm 甘 : :, ]

^打、

AgnuりO u nn* 一一一

[Long: 1989:4]

例えば, KyrieIとKyrieHの前に置かれているサイコ

ロの目は,巨]巨]となっており, c.f.の置かれるテノ

ル声部の旋律の音価が元の旋律の音価の2倍になること

を示しているのである。 [Ex.1]

Ex.1:

Moutonのオリジナル¢凝律JosquinのKyrie Iのc.f.冒頭部分。

.il二・・-二∵ 'J一三・・日13'、.、 II = e" * --

N'aray Kyru

[MissenXVより]

この例でわかるように, Moutonの最初のsemibrevis

は,この曲のc.f.の最初の音が2倍のbrevisになってい

るが,それぞれ次の音に関しては,両者とも完全tempus

であるため,後者は符点付のsemibrevisのためにbrevis

の本来の音価ではなく, 1/3の時価が削られ,不完全

brevisとなっており,厳密に言えば,数学的に一律に

2倍化されているわけではない。しかし,視覚的には音

符の形状から2倍化されていると捉えられるのである。

このように当時の白符定量記譜法においては,現在のよ

うに各音符が機械的に二分割されずに,三分割と使い分

けられており,そのために音符の分割には複雑な規則が

存在していたのである。ここでは,それについて詳細に

述べることはできないが,上記のように記された音符の

時価がある条件下で柔軟に変化することによってリズム

自体に変化が生じてくるのである。そのために,中世に

おける数的象徴理念が確固として通底していたことを十

分に認識しておく必要があるだろう。では, Josquinの

このミサ曲において,幾っかのc.f.の前に描かれた「サ

イコロ」はどのような意味をもっていたのであろうか。

ミサは,当然キリスト教世界においては最も重要な儀

礼であり,それを聴覚的に修飾するものとしての音楽は,

「親しみのある意味深い言葉の朗涌のみから構成されて

いる」のではなく, 「一連の劇的な行為の公開演奏を含

んでおり,その行為の強さが適切な音楽的環境によって

高揚されるのである」。 [Long:1989:2]教会という神聖

な空間によって強化される信仰は,視覚的聴覚的或いは

嘆覚的な要素によって達成されることになるのである。

中でも,音楽的に伝えられる典礼的メッセージは,大聖

堂の空間に満ち,神の言葉が響きとなって聖職者や信徒

に浸透していくのである。ミサ曲のこのような宗教的意

味は, c.f.がいかに世俗的なものであったとしても,輿

礼的テキストと音楽のみを考れば決して失われるもので

はないであろう。

このような視点からJosquinのこの-'Missa di dadi'.

に立ち返ると, c.f.となっているMoutonのロンド一に

表されている古くからあるフランスの愛の歌が,宗教的

教訓的な象徴的隠職へと変容させるべくJosquinが意

図的に採用したということを想定することが可能であろ

う。しかし,先の「サイコロ」の表示との関係を考える

と,単にそれがc.f.の比率を示す奇をてらったアイデア

ではなく,そこには当時の世俗世界に悉く運命に対する

不確実性へのパ-スペクティヴが考えられるのである。

当時の人々の精神構造にうかがえる表層の宗教世界と深

層の世俗世界という対照性が,ミサ曲という装置の中に

巧妙に隠されており, Josquinが指示したかどうかは不

詳であるが, 「サイコロ」の図像は,それを読み解く

ための重要な手掛かりとなっていると考えられるのであ

る。

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Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」

Ⅲ.

Josquinのこのミサ曲が何らかの「世俗的」隠境を内

包しているとしても,それは常にキリスト教的世界との

深い結びっきから決して逸脱するものではなかった。こ

の時期の宗教的な在り方について, J.Huizingaは,次

のように述べている。

「中世キリスト教社会にあっては,生活のあらゆる場面に,宗教的概念

がしみとおり,いわば飽和していた。すべての事物,すべての行為が,辛

リストに関連し,信仰に関わっていたのである。く中略>事物のすべての

宗教的意味を問う姿勢がみられ,かくて,内面の信仰はひらかれて,おど

ろくはどゆたかな表現を展開する」。

[Huizinga:訳書1976:302]

このように生活世界に浸透した宗教的意味は,逆に宗教

的な象徴を日常の中に見出そうとする傾向を生み出す。

それ故に, 「うっかりすると,聖と俗との境界のみうし

なわれる危険が」あり, 「ある場合には,宗教がすべて

をっっみこみ,日常生活がそっくりそのまま,聖性の高

みにまで」高揚されるのであるが, 「ある場合には,堊

なる事物が,日常生活と分かちがたく結びついて,日ご

ろみなれた事物の領域へと押し下げられ」さえするので

ある[ibid.:313]

このような状況は,宗教音楽においても少なからず記

録されている。アメリカの音楽学者であるP.Nebleは,

Josquinの宗教的モテトの当時における機能についての

研究の中で,その宗教的役割から逸脱した演奏について

の例を幾つか示している。彼によれば,その頃ローマに

在住していたフェッラーラの大使がその主人である男爵

に宛てた報告書の中で, 「サン・タンジェロ城で彼が教

皇レオ十世によって催された晩餐に出席し,教皇がまだ

テーブルについている時に, Josquinの"Salve regina

が演奏された」 [Noble:1985:9]と伝えている。これはま

さに典礼的な場とはかけ離れており,バロック音楽の

「食卓の音楽」を妨裸とさせる場面である。また,この

ような晩餐の音楽,或いは晩餐後の音楽として教皇庁で

は頻繁に宗教的なモテトが演奏されていた事実を, Nob

leは当時の年代記や日記から検証している。特に注目

すべきことは,感謝の祈りである奉献唱が歌われている

間に聖体拝領の準備が行われ,撒番と司式者の洗手と続

き,次に密唱が沈黙の内に唱えられるのであるが, 16

世紀初頭には,この部分での沈黙が長く続くことを避け

るために,モテトが挿入され歌われたのである。 [ibid.:

10]ここにおいてミサは,聖職者を含めた信徒たちにとっ

て一種のスペクタクル的場となっていったことが伺われ

る。まさにLong-がいうように「公開演奏」としての傾

向を持ってくるのである。 「この信仰の飽和状態にあっ

ては,霊の緊張,真正の超越,現世からの解脱というこ

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とは,必ずしもみられない。緊張がとける,すると,ほ

んらいの霊の意識を刺激するはずのものが,すべてその

力を失い,恐るべき日常卑俗事に堕し,彼岸のふうをよ

そおいながら,その実,おどろくほど現世的なものになっ

てしまう」 [Huizinga:ibid.:302f.]のである。

ミサは,周知のようにキリスト教世界においては極め

て重要な儀式であるが, 2つの大きな部分に分けること

ができる。つまり「朗読と祈りによる典礼と,パンとぶ

どう酒を祝福して割き,感謝を捧げる典礼」 [Harper:

ibid.:35]である。そしてそれを執り行うのは,司式者と

しての司祭であった。では,ジョスカンの時代頃までの

一般信徒たちは,この儀式にどのように関わってきたの

であろうか。

Harperはこの点に関して次のように述べている。す

なわち, 「一般信徒がおかれた状況は今日とは大いに異

なっていた」とし, 「中世の典礼には,彼らが主体的に

参加する余地はほとんどなかった」と断じている。彼ら

は「受け身であり,ただ祈るけだった。小さい小教区教

会においてさえ,司祭は会衆から遠く離れて, [教会の]

東端に位置していた。典礼の主要な儀式はスクリーン

(十五世紀までどの教会にもあった)の向こう側で行われ

ており,まったくでないにせよ,よく見えなかったので

ある。使徒書簡や福音書は,そうしたスクリーンの上か

ら朗々と唱えられることもあっただろう。しかし聖別の

ようなミサの重要な箇所は,司式者たちの内輪で行われ,

なにも聞こえてこなかった。そこでミサ典文が始まって

いること,続いて司祭がパンとぶどう酒を祝福したこと,

あるいは(十三世紀以降の習慣で)司祭が聖別されたパン

を高く挙げて皆に顕示していること(聖体奉挙)を人々に

告げ知らせるために,ベルが必要だった」のである。

([ ]内筆者の補足)[ibid.:63]しかし,一般信徒にはそこ

で歌われる音楽に関しては聞くことができたであろう。

そして, SanctusとBenedictusの歌われた後に行われ

る聖体奉挙(Elevatio)は,一般信徒が一連のミサという

劇的空間の中で最も実感できるクライマックスであった

と考えられるのである。なお, Harperによれば, 「十

五世紀後期までに,聖体奉挙のために多声モテトゥスを

ベネディクトゥスに代わって用いることも行われるよう

に」なる。まさにこの瞬間に向けてすべてが収赦してい

くと言えるだろう。

そのようなミサの一連の経過とJosquinのミサ曲に

描かれている「サイコロ」の図像との問には,どのよう

な関連性があるのだろうか。

Ⅳ.

Josquinの作品に隠された数的な象徴に対する研究は,

近年様々な方法によって解明されてきている。須貝は,

Josquinの20曲のミサの分析に際して,作曲の方法に

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よって三つのタイプに分類している。つまり長い音価に

よるほぼ同じ音型のc.f.がテノル声部に置かれているも

の,第二に,当時の作曲法の一つであるパロディー風の

手法を用いたミサ,最後に,パラフレーズされたc.f.を

用いたミサの三種である。その中で,最初の手法である

c.f.をテノル声部においた作品について須員は, 「テノー

ル・ミサ曲における定旋律は,あたかも建築物の土台や

柱のようなものとして考えられている」とし, 「他声部

の動きを規定しながらも,最終的にはそれらの旋律によっ

て覆い隠されてしまう」ことから, Josquinが定旋律を

選択するために明確な基準を持っていたとは考えられず,

むしろ単なる昔のつながりとして捉えていたと須貝は捉

えている。しかし,このタイプのミサで用いられている

c.f.が世俗的なものに限られていることに彼は注目し,

「純粋に音楽的な理由のみでなく,何か他の特別な意図

があったのではないか」とも推測している。そして,

"Missa Faisant regretz''の''Kyne I /Christe/Kyrie H一

に現れるc.f.の短いモティーフ(8音から成る)の反復の

回数がこの三つの部分で8回,というように「8」とい

う数が,以後のこのミサ曲の中で大きな意味を持ってい

ることを指摘している。 「Gloria章以後のテノールにお

いて,このモティーフは40回うたわれるが,そのうち

39回はKyrie章のように8が三つのセットになった形

で扱われ」ているとし,さらに「音楽的必然性やsection

数と関係ないところでさえ, 8,8,8という数的構造が意

識されている」と述べている。 [須貝:1984:2f.1さらに須貝

は, D.HeikampによるJosquinの有名なミサ曲の一

つである''Missa L'homme arme"の分析を引用しなが

ら,さらにJosquinの数に対する隠された仕組みに言及

している。この作品のc.f.をbrevisを時間単位として計

算した時に, 「6+8+8-22になっていること,更に核音

Grundtonの数も8+8+6-22であること」にHeikamp

が気づいたことを指摘し,さらに彼が「この3種類の数

は中世のゲマトリアにならって意識されたものであり,

6は人間を, 8はイエスを, 22は十字架を象徴する数

として考えられてい」たことを紹介している。 [ibid.:3月

また, Neuwirthは, Josquinの"Missa ad fugam

の分析の中で,最初の4声部のKyrieのテノル声部に

置かれたc.f.の最初のフレーズを取り上げ,各声部の音

符数c.f.の構成音,さらに大きな音価と小さな音価の

それぞれの音符数を数え上げ,アルト声部の中間部分に

おける現代譜での3連符を中心とした数的シンメトリー

の構成を明らかにし,さらに各声部の音符数, c.f.の主

要音に当てられた音符数など,幾っかの基本的な構成と

なる部分を結びつけることによって, 「53」という数字

がキーとなっていること,そしてそのフレーズが全体的

にその倍数「106」になることを具体的に示している。

[Neuwirth:1982:8ff.]数的な構造分析にみられることで

あるが,音楽そのものの構成よりも数的なものに固執す

ることにより,若干の窓意的な読み取りも垣間見ること

ができるが,それぞれがなんらかの象徴的な数を持って

いることから考えれば,やはり, Josquinが自由な楽想

を駆使した結果,このような数的な枠組みを生み出し

たとするには,あまりに整然とした数による支配は,

Josquin自身が意識的に数を考慮しながら音楽を構築し

ていったことを伺わせる。

このような数的な象徴性を中世やルネサンスの音楽の

中に求める努力は,近年多くの研究者によってなされて

おり, J.S.Bachの作品の中にさえ明確に数の象徴が存

在していることが指摘されている。ここには,古代ギ

リシャのピュタゴラス以来の数に潜む神秘主義的な姿勢

が中世キリスト教においても継承されSeptem artes

liberatesの必須科目であるQuadriviumの中に音楽が位

置づけられてきたことと決して不可分なことではないで

あろう。また,視覚芸術においてもキリスト教的象徴と

して様々な事物が意図的に描かれることによって,キリ

スト教的なコンテキストの中で読み解かれていったこと

に似ているかもしれない。しかし,このような隠された

数の秩序と象徴をもっJosquinのミサ曲は,実際にそれ

が鳴り響く時には決してそれが顕在化するものではない。

一般信徒の場合にとってそれは,教会において体験する

清澄な響きの現象としてしか知覚されることはないので

ある。それ故に,このような数象徴は, Josquin自身の

作曲技法の超越性と,隠された信仰告白的な意味をも

っていたのであろう。しかし,既にArsnovaの時代から,

このような数的秩序と支配による音楽が伝統的に行わ

れてきていたことは, Philippe de Vitry(1291-1361),

Guillaume de Machaut(1304?-1377),さらに次の世代の

Guillaume Dufy(1400頃-1474), Johannes Ockeghem

(14307-1495)等の作品においても,多くの研究者が数的

象徴が鮮やかに読み取れることを指摘していることを考

えれば,中世的世界において音楽がその根底に常に数的

な調和を意識して創造されるという伝統があったと考え

られるのである。言い換えれば,音の鳴り響きの現象を

成立させる数学的音響学的なコンテキストの中で,数の

持っ神秘的で象徴的な魅力が,キリスト教という絶対的

な宗教的世界の中で大きな意味を獲得していたことを思

わせるのである。

数によって読み解かれることが当時の音楽の伝統的

な作曲作法であるとすれば,では何故Josquinのこの

"Missa di Dadi"のc.f.の比率を示すために一組の「サ

イコロ」の図像が必要であったのだろうか。おそらく,

訓練された音楽家であれば,別の指示によっても,また

c.f.を提示するだけでも十分にその意図を知らせること

は可能であったであろう。この図像をあえて付けること

を果たしてJosquinが意図したのか,或いは彼の指

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Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」

示によってPetrucciがそれを挿入したのか,或いは

Petrucciの独断でそれを寓意的に入れたのかは,現在

不明である。しかし,これが出版された1500年初頭に

は未だJosquinは存命中であり,このミサ曲の印刷楽

譜を見ていることは十分可能であり,もし彼がその図像

を気に入らなければ,削除させていたと考えられる。あ

えてそれを付した印刷楽譜が販売されることを許した背

景には,ミサと「サイコロ」の図像との関係に彼独自の

意図があったからであろう。しかし,実際にはPetrucci

版の第三巻という最後のミサ曲集に収められていること

を考慮すると,それが出版されるまでに何らかの経緯が

あったことも考えられる。また,キリスト教の重要な典

礼音楽に対して,この一組の「サイコロ」の図像は,

実際の鳴り響く音楽を聴くものにとって何も意味しない

が,その楽譜に接した者がそれを見た時に,その奇想の

意味が理解できるかどうかは別として,そこに何らかの

Josquinの企みが隠されていることは明確に予想できた

であろう。では, Josquinは,この「サイコロ」の図像

において何を隠し伝えようとしていたのであろうか。そ

して, 「サイコロ」がこの当時どのようなものとして人々

に捉えられていたのであろうか。

Ⅴ.

「サイコロ」は,極めて偶然的な結果を生み出すこと

によって,単に遊具としてばかりでなく,素朴な運命論

を内在して宗教的な意味をも持っようになる。また,そ

れが投榔されることによって表す数字が運命を決定する

ことを考えれば,そこに数に対する関心を醸成したこと

も予想される。増川宏一は,古代におけるサイコロの在

り方について言及しているが,そこにおいて彼は, 「神

の啓示を知るための儀式は厳粛に催され犠牲を捧げ,各

種の祭具が用いられた… (中略)祭具の一つはさいころ

様の道具で,神の判断を表すものとして大切な役割を果

たしていた」と述べ,その理由として, 「さいころをぶっ

た時に出る目は,人智によって決めることができず,大

智を越えた神の意思によって定められると信じられてい

た」からだとしている。 [増川:1992:32]このようなサイ

コロのもつ「大智を越えた」偶然性に基づく属性は,当

然「神の意思」を知るための占いに使用されることにな

る。その時には,サイコロが示す日,即ち,その数と現

実の出来事,或いは事物との象徴的関係性が成立してい

なければならない。呪術的世界にあっては,サイコロは

ある意味で人間の行動を決定するほどの威力を持ってい

たことは容易に想像できるであろう。

このような「サイコロ」の持っ魔力ともいえる神秘的

な力は, Josquinの時代を問わずすでにヨーロッパにお

いて遊具として,特にギャンブルの一つとして一般に広

く浸透していた。 「さいころが超自然な魔力を持ってい

137

るという迷信や伝説は,中世においてもさかんに繰り返

され広められていた。宗教的権威が支配していて奇蹟が

重要な意味をもっていた時代には,さいころも特殊な力

をもっものとして,古代よりもむしろその神性が強調さ

れたかもしれない」 [ibid.:94]のである。その反面,辛

リスト教世界が緊張を失っていく14-15世紀には, 「サ

イコロ」を媒体とするギャンブルが横行することになる。

確かに, Huizingaが言うように, 「妻子遊びというも

のは,それだけ取り出してみれば注目されてよい文化現

象だが,ただ文化そのもののためには,非生産的と呼ば

ざるをえない」 [Huizinga:訳書;1973:114]のであるが,そ

れを行う人々にとっては,その瞬間に感じ取られる緊張

や報奨の愉悦をみれば, 「精神や人生に何ひとつもたら

さない」 [ibid.]とする彼の見解は,あまりに高踏的である

といわざるをえないのである。それに対して, Cailloisま,

より積極的にこの「サイコロ」の意味と役割を捉えてい

る。彼はラテン語で「サイコロ遊び」を意味する「アレ

ア(Alea)」という言葉を用い, 「アレアは運命の恩恵を

現し,明らかにする」 [Caillois:訳書;1990:50]とし, 「神と

神秘な力とが希望か脅威かの決定権を握る」 [ibid∴4f.1

まさに大智を越えたものとして位置づけているのである。

しかし,現実的には「即座にひと財産ができるかのよう

な幻想や,余暇と富と賀沢の思いもかけぬ可能性を与え

てくれる」 [ibid.:236]魅力は,中世から近世へと変動し

ていくヨーロッパにあっては重要な娯楽,さらには現世

逃避的なものとして「サイコロ」ゲームが大いに広まっ

ていったのである。特に, 「十五世紀の賭博禁止令は多

数列挙することができるが,十五世紀の賭博禁止の特徴

は,聖職者たちによる賭博への非難,悪罵がいくつかの

都市の禁令強化に影響をあたえたかもしれない。それと

ともに,賭博を愛好したのも聖職者たちであり,このな

かから最も先鋭な賭博非難がおこなわれたのもきわめて

皮肉な現象」であったと,増川は述べている。 [増川:ibid∴

108]

宗教的立場から考えれば,一種の高利貸しと同様に,

ギャンブラーが現世的な労働による努力なしで利益を獲

得するという行為は,中世キリスト教における道徳観と

は相いれないものであった。また, 「サイコロ」という

言葉が, 『マタイによる福音書』第27章35節や『ヨ-

ネによる福音書』第19章23, 24節に記されているよう

に,キリストが十字架にかけられた時に,その衣を賭け

て四人の兵士たちがくじをひいたとされているが,その

時のくじが「サイコロ」の投輝であったとされている。

福音書において最も劇的なキリストの犠牲の場面ととも

に,最も世俗的な功利的運を求める行為は,敬度なキリ

スト教徒にとって重要なイメージを刻印することになる.

中世フランスにおいては,そのイメージがさらに深刻に

なり,キリストの死後における辱めによる冒涜として捉

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138

えられるようになり, 「サイコロ」を生み出し,兵士た

ちを唆して聖衣を賭けるギャンブルに誘う者として,

「悪魔」と結びつけられ, 「サイコロ」は, 「悪魔の道具」

とみなされるようになるのである[Semrau:1910:24]

Fergusonによれば,このことから「サイコロ」が「受

難の象徴」として使われる場合があることを指摘してい

る。 [Ferguson:1966:173]このような宗教的に負のイメー

ジをもった「サイコロ」が宗教的道徳観から,それを用

いたギャンブルが禁止の対象になることは当然のことで

あった。

さらに, 「サイコロ」の目が示す1-6までの数は,

キリスト教約数象徴に示された意味をも悪魔による軽蔑

の対象として捉えられるのである。例えば, 「1」は,

唯一の神を, 「2」は,神と聖母マリアを, 「3」は,聖

三位一体を, 「4」は, 4人の福音史家を, 「5」は,辛

リストが十字架上で受けた5つの傷を, 「6」は,神の

天地創造の6日間を表わす,とするキリスト教的な数の

象徴は, 「サイコロ」が悪魔の道具であるとされている

ために,それらの数がそのまま悪魔によって侮蔑される

ものと考えられたのである。そして,この悪魔の道具に

耽ることによって,自らの運を賭ける行為は,現世的な

はかない報酬を求めるものであり,宗教的な救済を犠牲に

することに繋がるのである。しかし, Josquinの.-Missa di

Dadi''は,一組の「サイコロ」という点で, 「サイコロ」

そのものの象徴性を秘めているというよりは,むしろ

「サイコロ」を使ったゲームを象徴していると考えられ

る。即ち,サイコロを使ったゲームの進行とその結果得

られる世俗的な富への追求と宗教的救済への人間の希求

との関係をアレゴリカルに示そうとしているのが,この

ミサ曲の隠された意味なのではないだろうか。

Huizingaは「賓子遊びが祭紀のなかに位置を占めて

いるということは,峯子遊びが真の遊びの性格をもって

いるからである」 [Huizinga:ibid.:134]と一つの結論を

導き出しているが,彼自身が一方で, 「音楽するという

ことは,最初から,本当の意味での遊びがもっているす

べての形式的特徴を帯びた行為」 [ibid∴103]として音楽

をみていることから, 「サイコロ遊び」と「音楽」とが

「Homo Ludens」において一つの共通の基盤をもって

いることが読み取れるかもしれない。

15世紀における「サイコロ」の意味は,当時の賭博禁

止と聖職者によるそれの愛好という社会的矛盾の中にあっ

て,遊具であると同時に遺棄されるべきものとして存在

していたことが理解できるのである。 Petrucci

があえてそれをc.f.の比率を示すために用い,それを

Josquinが容認していたという事実は,単に音楽的な問

題としてのみならず,より深層に別の企みがあったこと

が理解できるのである。では,その企みとはどのような

ものであったのだろうか。そして,ミサという儀礼が

「サイコロ」ゲームとどのように関連しているのかを次

に見てみたい。

Ⅵ.

既に述べたように,ミサは二つの部分から構成されて

いるとHarperは指摘した。甥代ではそのように捉えら

れている。しかし, 1487-88年頃に編纂されたと考えら

れている''Expositio"という,当時のミサについての最

も理論的な注釈書を著したGabriel Bielfca.1412-1495)

は,ミサを三っの部分に分けている。第一部は信仰への準

備,第二部は聖体の聖別と犠牲(Canon)そして第三部に

聖餐式と最後の儀式である[Oberman & Courtenay:1963:

1:126]既に述べたようにこの集会において,最も重要

な瞬間は,司式者が「これは我が体なり`'Hocest(enim)

corpus meum-'」と語り,秘蹟を奉挙する時である。当

時,会衆が聖体拝領に預かる機会が極めてまれであった

ことを考えると,ホスチアが奉挙されることは,一般会

衆が客観的にキリストの存在を知覚できる唯一の機会で

あったのである。それゆえに,ここでのパンは,もはや

会衆にとっては日常のものではなく,まさにキリストの

肉として信仰の対象になるのである。それ故に, 「13世

紀の終わりから,儀式の視覚的要素は,しばしば聴覚的

なものによって強化され…<中略>特別のオルガン曲,

或いはモテトの演奏が,その荘厳さと緊張の時を特徴付

けた」 [Long:ibid∴5]のである。実際に,ミサ曲では,

SanctusとBenedictusの間にそれが行われていたので

ある。実際に, Josquinのモテド'Tu solus qui facis

mirabilia"は, Petrucciの印刷本の中で,彼のミサ曲で

ある''Missa D'ung aultre amer"のBenedictusの場所に

印刷されている。また, Cummingsによれば, 1560年

(Josquinの死後約40年もたっているが)のシスティー

ナの年代記の冒頭には, Josquinのモテトと同じテキス

トのモテトが''in elevatione corporis Cristi'.で歌われ

たと記されている。 [Cummings:1981:52]これに関して,

Nobleは,このモテトがJosquinのものであったとし,

Petrucciがまさにこのモテトの機能をはっきりと理解した

上で印刷していたとしている。さらに彼は, 「Josquinの

モテトが,単純なホモフォニーによるテクスチュア-を

持ちながらも,まさに典礼的な奉挙のモテトの性格をもっ

ている」としている。 [Nobleubid∴12] Nobleの意見に

従えば,本来はポリフォニーによるBenedictusによっ

て聖餐式のパンが奉挙されるのであるが, Josquinの頃

にはホモフォニーによる,ミサ曲とは別の奉挙のための

モテトが挿入されていたということである。ミサ曲とし

て一連の流れが,ある意味でこの奉挙という劇的な場面

で一度途切れることによって,この場面のもっ特殊な時

間が強調されることになるのである。では,その直前の

Sanctusとの関係は,この儀式の中でどのように位置づ

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Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」

けられるのであろうか。

Bielによれば, "Sanctus''"Benedictus"を含む)は二つ

の構造から成り立っている。以下に,テキストを示して

蝣M

Sanctus, sanctus, sanctus, dominus deus sabaoth.

Pleni sunt caeli et terra gloria tua.

Osanna in excelsis.

Benedictus qui venit in nomine domini.

Osanna m excelsis.

最初の二つの詩行(Sanctus/Pleni)は,天使の合唱(vox

angelica)を表しており,その後の三つの詩行(Osanna/

Benedictus/Osanna)は,信仰する人々の声vox huma-

na)を表している。後者はさらにこっに分けることがで

き,二つのOsannaは,祈りを捧げる者(oratio)を,中間

部のBenedictusは感謝の表明(gratiarum actionem)杏

表している。 [Oberman & Courtenay:ibid.:l:163-67]

つまり, Sanctusは,キリストの犠牲による救済の祈り

であり,後者は,奉挙され顕現したホスチアによる救済

への感謝であり,キリストの神秘の表明であると考えら

れるのである。 [ibid∴167ff.]

このように15世紀におけるミサの注釈は,当時の

音楽家にも大きな影響を与えたと考えられる。そして,

"Missa di Dadil'には, Bielの注釈による奉挙の在り方

との関連性がはっきりと読み取れるのである。即ち,こ

のミサ曲独特の「サイコロ」の図像は, Sanctusで終わっ

ている。つまり, Bielの注釈から,まさに神の救済へ

の感謝が表明された時にこの図像が消えているのである。

視覚的な図像と聴覚的なc.f.がミサの一点に向かって,

まさに収赦していくように意図されているかのような印

象を与える。その収赦点こそ,キリストの顕現の象徴と

してのホスチアの奉挙という劇的な場面なのである。そ

して,サイコロに焦点を当てると,そのギャンブル性か

ら何らかの決着がここで付けられたことを想像させる。

そこで,ここに描かれた図像を手掛かりに,当時の「サ

イコロ遊び」のルールについてみてみなければならない

だろう。

この頃のフランスにおいて行われた「サイコロ」を使

うゲームとその規則について, Semrauは,当時のフラ

ンスの文学の中から幾っかを確認している。数人でサイ

コロを投沸しあって,その数の大きさによって勝者を決

めるものや,サイコロを三つ使うものまで多様なゲーム

の存在を伝えている[Semrau:ibid∴42-60]しかし,こ

のミサ曲の図像から判断すれば,恐らく二人で交互にサ

イコロを投耕しあって,ある特定の数字が出ることで勝

者が決定されるゲームであったとLongは指摘している。

[Long:ibid.:9]中世の特殊なサイコロを使ったゲームの

詳細については不明であるとしながらも,当時フランス

で行われていた「サイコロ」ゲームの基本的な原則につ

139

いて彼は説明している。

先ず最初に「賭け金(couche)」が求められる。二人の

競技者が交互にサイコロを投脚する。それぞれ相手の出

す二つのサイコロの目の合計の数を越えようとして投櫛

を続けるのである。先ず最初の競技者が投榔するがその

日は回H (KyneI)で,合計が「3」,次にその相手が

投榔すると,同じ目]H(Kyrien;で勝負がつかない

(このような勝負のつかない状況を,当時のフランスで

は'rencontre'lと呼ばれていた)。当然次の回へと進む。

ここでもHH(Et in terra)と困H(Qui tollis)でそれぞ

れ同じ「5」となり,さらに次の回へと続く。ここでの

二人の競技者の投沸したサイコロの目は(Patrem)

と田H(crucifixus)とで,同じ「7」となっている.数

象徴的に言えば,ここまで投沸されたサイコロの目の合

計「3」,「5」,「7」は,それぞれ「聖三位一体」, 「キ

リストの5つの傷」, 「聖霊と秘蹟」を象徴しており,意

図的に選ばれた数であるかもしれない。同じ数が両者の

問で出され,決着がつかないが,ついにSanctusのとこ

ろで因E]という目が出たところで図像が終わり,次の

Osannaにはもはやサイコロの図像は描かれていないので

ある。既に述べたように, Sanctusが大きく"Sanctus/

Pleni''ど'Osanna/Benedictus/Osanna''とに内容的に分

けられることを考えると,ここで最初の競技者が勝利を

収めたために,この図像がなくなったと考えられるので

あるOつまり,当時のフランスの「サイコロ」ゲームに

おいて,合計が「6」又は「12」は'hazart''と呼ばれ,

勝利の数とされていた。現在のゲームに当てはめれば,

カード・ゲームにおけるブラックジャックの「21」と同

じ絶対的勝利の数であった。ここにおいて,このゲーム

が終わったのである。このことは,どのようなことを意

味しているのであろうか。

ミサにおけるSanctusは,既に述べたように,一般会

衆が信仰の心構えを確認し,キリストの神秘に触れる重

要な儀式の瞬間である。キリストの体を象徴するホスチ

アを奉挙することでキリストの存在を確認し,救済者と

して会衆が実感することのできる時なのである。言い換

えれば,敬度な宗教的信仰がこの場面において,実感で

きる救済という報酬を獲得することができるのである。

"Sanctus/Pleni"の後で行われる救済者の存在の確認に

よる購いへの意味深い報いは,そこで勝者が決定し,報

酬を獲得するという隠職と深く結びっいているのである。

Josquin自身が「サイコロ」ゲームに興じていたかどう

かは確認されてはいないが, 「報酬」の獲得という側面

から考えた場合に,彼がそれに通じていたことは事実で

あろうと思われる。そのような意図がこのサイコロの図

像から読み解かれるとすれば,世俗的な旋律がミサ曲の

c.f.として用いられているという以上に,いかに隠喰的

であっても神-の冒涜的な仕儀ではないかと思われる。

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140

しかし, 14世紀頃からすでにお金に関わる宗教的報酬

との類似性については,神学的にも議論されてきている。

つまり,ホスチアとしてのパンは,所謂種なしパンであ

り,平たくて円形をしており,例えば, 14世紀頃のフ

ランスで用いられていたドニエ貨幣との類似性から,ア

レゴリカルに或いはシンボリックに取り上げられること

が多かったのである。 Kantorowiezは,この事に関し

て,オータンのHonoriusの記録を引用している。 Ho-

normsは次のように書いている。

「キリスト,つまり命のパンがわずかな貨幣の値で裏切られたこ

とから,聖餐式のそれは貨幣の形をしており,彼ら,つまりブドウ

園で働く者たちには本当のドニエ貨幣が与えられることになるであ

ろう。」

[Kantorowiez: 1946:8]

日常的に常に使われる貨幣と聖餐式に使われるパンのも

つ類似性は,さらにHonoriusによって具体的に述べら

れている。

「皇帝のイメージと名前が彫られているドニエ貨幣のように,様々

な性格と共に,主のイメージはパンの中に込められているo」 [ibid.]

ここに言われているように,現世的な皇帝と宗教的な

キリストとの類似性は,まさに「勝利を得る」というこ

とにおいて共通しており,それはまたギャンブルにおけ

る-穫千金の勝利とも相似しているのである。この「勝

利」によって宗教的には救済され,世俗的には富を得る

ことによって現世の苦から救済されるのである。さらに,

この両者において共通するものは,まさに「祈り」の行

為なのである。

さて, 「サイコロ」ゲームが隠喰的に宗教的な儀式の

背後に隠されていることを見てきたのであるが, Josquin

はさらにもう一つの仕掛けをここに隠しているのである。

ミサにおいて聖餐式に用いられる聖別される前のホス

チアとしてのパンを示す言葉として,フランス語では

'oublie-'という語が使われている。この言葉の語源は,

Semrauによれば, "oublirurs"であり,この言葉は,こ

の時代に存在していた円錐形のゴーフル菓子を売る人を

指している。彼らは,夕刻になると街の通りを通ってこ

の菓子を売り歩くのであるが,聖体用のパンをも運んで

いたのである。そして,彼らは同時にサイコロも携えて

いた。商品を買ってくれそうな人を見っけると,サイコ

ロを取り出し,そこで聖体用のパンを賭けて勝負をする

のである[Semrau:ibid.:21f.1サイコロ賭博の禁止令

が数多く布告されているにもかかわらず,このoublieurs

は取り締まりの対象になっていなかったようである。そ

れは,あくまで商品を賭けていたのであって,金銭を賭

けていなかったためであったからであるかもしれない

が,彼らの「サイコロ」ゲームは当時の市井にあってか

なり流行していたことは事実であや。いずれにしても,

Josquinがそのような事実を考慮していたとすれば,彼

のもつ豊かなエスプリを感じさせるものであろう。

このような極めて巧妙に隠職が込められ, Josquinの

才知に長けたエスプリを考えると,このミサ曲には,さ

らに世俗的なc.f.においても「サイコロ」をキー・ワー

ドとした何らかの仕掛けがそこに施されていることが考

えられよう。

そこで,このミサ曲で使用されているc.f.のオリジナ

ルであるMoutonの世俗的なロンド-のテノル声部の

旋律を次に示しておく。 (Ex.2)

このテキストの第一詩行は,この頃の愛の歌に良く見

出される,憂響な恋する者の常なる哀しみを表している。

「私が今持っている以上のよいものを決して持たないの

でしょうか」という詩句は, Moutonの脈絡から考えれ

Ex.2 Robert Mouton: N'aray je jamais mieulx",

Tenor声部の最初のフレーズ。

[MissenXVより]

このMoutonの作品は,次のようなテキストをもっ

ている。

Naray ie iamais mieulx que jay?

Suy ie la ou de demeur,

Mamour et toutte ma plaisance?

Nars vous jamais cognoissance

Que je suy vostre et demouray?

私が今持っている以上の良いものを決して

持たないのでしょうか?

私がいっもいた場所には,

おお,私の愛とあらゆる私の喜びはあるの

でしょうか?

あなたには,決してわからないでしょう?

私があなたのもので,そうあり続けるだろ

うということを。

ば,当然恋に悩む者の愛を求める嘆きなのであるが,

「サイコロ」ゲームの視点からみれば,ギャンブルへと

駆り立てる現状への不満の表明とも読み替えられ,そこ

から逃れるために救済を求める声とも解釈できる。この

詩句に当てられた旋律を用いたc.f.が, Josquinのこの

ミサ曲のSanctusの後半部分であるOsannaの直前まで

に, KyrieIから数えて7回用いられている。この「7」

という数字は,まさに秘蹟の数を象徴している。つまり,

ここでは, 「現世の生と結びつけられ,救済を求める人

間の魂の嘆願」 [Long:ibid∴12]を示しており,ホスチア

の奉挙を待ち焦がれている場面なのである。ここにおい

て,キリストの肉であるホステアにまみえることができ

るのである。これは,ギャンブラーが自らの運を試すこ

とによって勝ちを得ることを熱望している状態を象徴し

ているとも言える。そして,ここでサイコロの図像が消

えているということは,その祈りが通じ,勝利を得たこ

とを示している。その報酬こそがまさにホスチアとして

のパンであり,ドニエ貨幣なのである。音楽についてみ

ると, c.f.は,サイコロの図像の消えた後のOsannaでは,

本来のMoutonの音価のままc.f.が用いられるが,最後

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Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」

のAgnusでは,もはや「サイコロ」の図像はないが,

元の音価との比率が2:1となっており,暗黙の内に合計

数「 3」が象徴する聖三位一体の栄光の中に平安を得て,

このミサを終えるのである。

このミサ曲の全体を通じてc.f.の在り方を中心にそ

の意味を見てきたのであるが, 「サイコロ」の隠職をさ

らに考慮した場合に, Moutonのテキストのもつ本来の

素朴な愛の歌は,一方で宗教的な救済を求める意味を与

えられ,他方で,極めて世俗的なギャンブラーの運に賭

ける心情を伝えるものに意味転換されているのである。

これは,まさに先にHuizingaが指摘した「聖と俗それ

ぞれの領域」の相互浸透的な状況を見せているのである。

このように,当時のミサの儀礼において注目される

Osannaとそれに伴う聖餐式,そしてホスチアとの関係

は,このミサ曲において明確に意識され強調されている

のである。このような手法は,決してJosquinに限ら

れたことではなく,典礼の一連の儀式の流れを考慮し,

「奉挙」を重要な頂点として音楽を構成しているPierre

de la Rue(ca.1460-1518)の作品にも見出せると, Long

は指摘している。彼の''Missa de Sancta Anna'.は,世

俗的な愛のシャンソンをc.f.に用いているが,ここでは,

特に二回目のOsanna部分が奉挙のための聖歌である

''O salutaris hostia"に基づいたポリフォニックな手法

が用いられており, 「奉挙」の持っ意味を明確に示して

いるのである。

このように「奉挙」という劇的な場面は,また,ホス

チアを持ち上げる(elevatio)という行為が十字架に架け

られるキリストをも連想させる。その意味で,中世後期

には,神学者たちによってキリストの苦痛を隈想する重

要な機会として考えられるようになっている。そのため

に,本来は隈想のための沈黙の時であったのであるが,

先に述べたように, 15世紀後半になると,そこに音楽

が取り入れられるようになったのである。確かに,その

ようなキリストの礎刑との関連から,もう一度サイコロ

の目を考えると,最後の臣∃[∃に表された「5」の点

が表す図像は,まさに「Ⅹ」を想起させ,ギリシャ語の

キリストを示す最初の文字と関連していること,さらに

キリストの5つの傷をも連想させるのである。

Josquinの''Missa di Dadi''の印刷楽譜に見られた

「サイコロ」の図像が意味している内容は,これまで述

べてきたように宗教的にも世俗的にも極めて重要な意味

を持っことが理解できた。しかし,この作品がJosquin

のフランスで活動していた比較的若い時期の作品である

とされているが,以後の彼の優れたミサ曲への萌芽は既

にこの中に垣間見ることができるのである。それについ

てLongは,特に彼の後期のミサ曲である"Missa Pange

lingua"との強い関連性を指摘している。

彼の指摘する最も顕著にこれら2曲の結びつきの強さ

it'll

を示す例として, ''di Dadi''の2声(Tenor & Bassus)に

よるBenedictusと"Pange lingua"の同じ2声(Superius

& Altus)のAgnus deiを取り上げている。音域的には

異なるものの音楽的な構成には共通する一貫した手法が

見出せ,曲の長さもほぼ同じである。しかし,音楽的に

は,後者に洗練された技巧が豊かに用いられており,

Josquinの成長を見ることができると, Longは見てい

る。そして,彼はこの2曲を比較しながら以下のように

その類似部分を表にしている(Table 2)

Table 2.

Missa di DadiとMissa Pange linguaとの問の音楽的な一致

Di Dadi

Glona,mm.89-97

Gloria,mm. 137-42

Glona,mm.143-52; 154-57

Gloria,mm. 153-92

Sanctus.mm.47-55

Benedictus.mm.l-W; 27-34

Agnus,mm. loo-109

Agnus,mm.166-69

Pange lingua

Kyne.mm. 17-36

Glona,mm.48-55

Glona,mm.67-73; 74-76

Benedictus.mm. l-13

Sanctus.mm. 78-85

Agnus,mm.44-74

Agnus.mm. 17-24

Agnus,mm.121-28

[ここで示されている小節の表示は現代譜に直されたものに基づいている]

[Long:ibid.: 18f.]

Longが指摘しているような"Pange lingua''との関係

が,全く妥当するのかどうかは今後の課題であろうが,

彼の創作の背後に秘められた様々なメタファーや数象徴

への豊かで柔軟な知識は,当然年輪を重ねる中でさらに

洗練されていったことは十分に理解できることであり,

そこ故に,その時代において最も優れた音楽家としての

同時代の,さらにそれに続く時代の音楽家たちによって

称賛されたのであろう。

むすび

1552年に出版された''Compendium misices"において

Adorian Petit Coclico(1490/1500-1562)は,自らをJos-

qumの弟子であったとして,彼について次のように述

べている。

「我が師であるJosquinは,決して音楽についての講義をされず,理論書

を書くこともされなかったが,短い時間で完全な音楽家を養成されたので

す.その理由は,長く無益な指導で弟子たちを妨げることをなされず,歌

う訓練の中での実践的に役立っことを通じて,僅かな言糞で様々な規則を

彼らに教えられたのです。そして,弟子たちが歌う基礎を十分に備え,良

い発声を習得し,旋律を装飾する方法と音楽にテキストをうまくつける方

法を知ったと判断されるとすぐに,次の完全音程と不完全音程さらに単旋

聖歌に対する対位法の創意工夫の様々な方法を教えられたのです。く中略>し

かしながら, Josquinは,すべての人が作曲術を学ぶのに適しているとは考

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IE革

えられておられませんでした。生来の特別な強い欲求によってこの喜ばし

い技術に魅了された人のみが教えられるべきだと,彼は判断されていたの

です。」

[Reese:1954:230より訳出]

16世紀になると音楽家たちは,自らの時代と過去の

時代とを常に比較することによって分類し, 「今,ここ

に」いる自らの音楽の現代性を強く意識することになる。

例えば,先にあげたCoclicoは,音楽家たちを次のよう

に4つのグループに分けている。

Theorici一諸声部での最小限の調和を達成した革新者たち。

Mathematici一記譜法上の,そして技術的な難しさのために,柔軟さを

欠いている複雑にされた対位法の推進者。

Prestantissimi-その甘美で情緒豊かな音楽がかつてなし遂げられた最

も優雅な様式として非常に賛美されている音楽の王たち

仲でもJosquinがその第一人者である)

Poetici-その甘美さが万人を喜ばす適切な歌唱技法と同様に,記譜され

たかつ即興的な対位法の第一人者たち。

[Mamates: 1979:1 19]

その他にも16世紀の多くの音楽家が,自らの時代の位

置づけを行っているが,そこには常にJosquinの音楽

が「典拠」として取り上げられているのである。人文主

義の影響を受け,古代ギリシャの音楽への研究が盛んに

行われ,複雑な数の操作によって音程論が展開されてい

くのであるが, Josquinが彼の音楽にメタファーとして

忍ばせた様々な試みに対して考察したものは現れていな

い。

15世紀末から16世紀初頭にかけて宗教的激動のうね

りの中に,宗教的には言うまでもなく,政治的社会的そ

して文化的にもヨーロッパは翻弄される。このような情

勢の中で,一人Josquinのみが,音楽の世界に耽って

いたのではない。彼の音楽作品に込められた様々な仕掛

けを読み解く時に,当時のヨーロッパの置かれている状

況の一端が明らかになると考えられるのである。その意

味で, "Missa di Dadi'.において秘められた「俗」なる

ものと「聖」なるものとは,どちらもその時代の一つの

局面を表していると考えられ,それ故にこそ,極めてア

レゴリカルに,そしてシンボリックに記譜された暗号と

して書かれ,出版されたのである。果たして, Petrucci

がどの程度Josquinの意図を知っていたかは不明であ

るが,聖俗の両面からの解釈が可能であり,一方で聖職

者の堕落の象徴としてのギャンブル,他方でミサのもっ

本来的な意義への音楽的な注釈として,このミサ曲を考

察する時, Josquinという音楽家の現世世界の出来事に

対する批判的桐眼を知ることができるのである。教会の

刷新が急務である一方で,様々な世俗化-の傾向を教会

自体が露にする時代の一つの兆候として, Harperの次

の見解は非常に意味深い。

「十五世紀までには,歌い手は,職業的な,多くは俗人の歌手になり,

音楽も次第にポリフォニーが標準になっていった0 16世紀までに教皇庁の

システィナ礼拝堂の歌手たちは,聖堂の中心部ではなく,片隅のギャラリー

で歌うようになった。こうして典礼を司る行為からの分離が明白になった

のである。」

田arpen i bid J 65]

Josquinの「サイコロ」付きのこのミサ曲が当時どれ

ほどの人にその本質を理解されたかは,現在詳らかでは

ない。改革への道へと引きづられて行くカトリック教会

は, Houzingaの言う「キリスト教の象徴主義は,俗世

の事物,地上の歴史を,神性の表徴,神の国の予示と解

する」 [Huizinga:訳書1976:315]従来の絶対的権威が失墜

し,もはやそれらの象徴主義が世俗的出来事に読み替え

られて行くのである。確かに,このミサ曲は, Josquin

の比較的若い時代の作品であるとされており,後期の音

楽的に洗練された作品への道程の一つとして考えられて

いるが,よりダイナミックな視点から見た時に,この作

品の持っ意味は時代の在り方を明確に伝えるものである

と考えられる。しかし,実際に音楽として聴かれるもの

としてのみ捉えられるとすれば,その深奥に潜むJosq

uinの企みを聞き逃すことになるのではないだろうか。

彼の作品の多くに隠された数の意味を読み解くことは,

単に音楽の構成ばかりではなく,時代を読み解く手掛か

りになると考えられるのである。

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144

`Secular in the Masses by Josquin des Prez

Key words : Josqum des Prez, Dice, Symbol

Yoshito NAGAO

'Missa di Dadi'', Josquin's earliest cantus firmus Masses, was composed on a tenor drawn from Robert

Mouton's rondeau, ''N'aray je jamais mieulx qui j'ay''This work was survived only in Petrucci's third book of

Josqum Masses. But it is distinguished by its use of pictures of dice as proportional canons in the Tenor

voice. In this study, the author examines what the dice image and the original chanson text associated

with the cantus firmus tune mean and what a metaphorical ground plan for the composition informs us.

And thus it is indicated that its image and text are linked to contemporary liturgical ritual and to fifteen-

th century readings of the Mass text. From this examination, one could find the ''Sacred''in this work and

the Secular" concealed in it. And one might gain a clue for interpreting the age of Josquin.