hiyoshi sakai 4 (1)
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ミクロ経済学初級 II
講義ノート4「一般均衡理論」
坂井豊貴
慶應義塾大学経済学部
今回は内積表示を多用する.例えば p = (p1, p2)と xi = (xi1, xi2)について
pxi = p1xi1 + p2xi2 (1)
である.「内積表示」と書くといささか物々しいが,単なる掛け算の表記法である.また,ベクトル和による表記を多用する.例えば x1 = (x11, x12)と x2 = (x21, x22)について
(x1 + x2) = (x11 + x21, x12 + x22) ∈ R2+ (2)
である.「ベクトル和」と書くといささか物々しいが,単なる足し算の表記法である.なお,本講義ノートの図は授業中に板書する.
1 純粋交換経済これまでひとりの個人を描写することに専念してきた.これから複数の個人が市場で価格を用いそれぞれの持つ財を交換する純粋交換経済を考察していく1.経済学には一般均衡理論という,全ての財の取引およびそれらの相互連関を,価格メカニズムの働きを通じて描写する市場的枠組みがある.純粋交換経済は一般均衡理論の基本形であり,本講義ノートでは 2人の個人のみが存在するケースを考察する.このケースはエッジワースボックスにより図解することができ,純粋交換経済における,価格を用いた交換の本質を理解するのに適している.なお,交換が円滑に行われるためには,取引における信頼や責任感,および取引違反に対応する司法制度など,様々な有形無形の社会的インフラが必要である.いかに取引違反に関する法律や罰則が充実していても,相手が契約を実行に移すか疑い続けねばならない状況や,自分が騙されていないか確認し続けねばならない状況では,取引が多く行われるとは考えにくいし,行う際にも取引自体に多大なコストがかかるだ
1純粋交換経済においては財の生産部門は扱われない.生産部門を取り入れた経済モデルは多々存在し,特に生産経済における一般均衡理論はその 1つの到達点である.本講義では一般均衡理論は純粋交換経済に絞って学び,生産経済は後に部分均衡理論で扱う.
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ろう.私たちは市場を学ぶ際に,これら社会的インフラの成立要件を明示的に扱わないが,それらが存在しない,あるいは不要であるという立場を取っているわけでは決してない.
2 モデル2人の個人と 2種類の財が存在する市場を考える.各個人 i = 1, 2は選好%iを持っており,交換前に私的所有している初期保有バンドル
wi = (wi1, wi2) ∈ R2+ (3)
をで表す.初期保有配分を w = (w1, w2)で表す.各 iについて財バンドルを xi =
(xi1, xi2) ∈ R2+ で表す.それらの組 x = (x1, x2) ∈ R2×2
+ が物理的に実行可能な配分であるとは,交換のメリットは一切抜きにして,物理的に財の移動で実現することが出来る,つまり
x11 + x21 = w11 + w21 (4)
x12 + x22 = w12 + w22 (5)
が成り立つことをいう.Xを物理的に実行可能な配分の集合とする.つまり
X ≡ {x = (x1, x2) ∈ R2×2+ : x11 + x21 = w11 + w21 and x12 + x22 = w12 + w22} (6)
である.物理的に実行可能な配分を,今後シンプルに配分と呼ぶ2.配分の集合は 2人の個人の選好と合わせてエッジワースボックスにより描写することが出来る.
[図1 エッジワースボックス]
純粋交換経済ではどのような配分が実現するだろうか.その理論的予測を与えるものを解概念という.なお,純粋交換経済に限らず経済学で解概念というときには,それが起こると想定することが一定の妥当性を持つ状況描写の概念のことをいう.まず最初に考えられるのは,誰も自分の損になる交換はしないということである.そのような配分を個人合理的であるという.厳密には,配分 x ∈ Xが個人合理的であるとは
x1 %1 w1 and x2 %2 w2 (7)
が成り立つことをいう.エッジワースボックスにおいて個人合理的な配分の集合は,w1
を通過する個人 1の無差別曲線と,w2を通過する個人 2の無差別曲線とにより囲まれるレンズ状のエリアにより表される.個人合理性の概念は自然だが,その性質を満たす配分のエリアは広いので,解概念として絞り込む力は弱いといえる.
2私の知る限り,経済学の教科書では通常「物理的に」といちいち書かない.しかし単純に「実行可能」と書くと,どの意味で実行可能なのか不明瞭なので,本講義ノートではこの点を明記した.「実行可能」を「実現可能」と書くものもある.しかし「実現可能」は実際に実現するニュアンスが必要以上に強いと思われるので,ここでは「実行可能」というやや機械的な響きを含む言葉を選んだ.
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[図2 エッジワースボックスにおける個人合理的配分]
私たちは価格を用いた財の交換に関心がある.各 iの所得に該当するものは初期保有バンドルの総額 p1wi1 + p2wi2で表される.つまり,価格ベクトル p = (p1, p2)のもとで各 iの予算集合は
B(p, pwi) = {xi ∈ R2+ : p1xi1 + p2xi2 ≤ p1wi1 + p2wi2} (8)
である.同様に,価格 p = (p1, p2)のもとでの iの需要バンドルは
x∗i (p, p1wi1 + p2wi2) = (x∗
i1(p, p1wi1 + p2wi2), x∗i2(p, p1wi1 + p2wi2)) ∈ R2
+ (9)
により表される.この記号使いはやや重いので,必要に応じて内積表示
pwi = p1wi1 + p2wi2 (10)
を用い,x∗i (p, pwi)として表す.本講義ノートではベクトル和と内積表示を多用するの
で注意されたい.例えば p = (p1, p2), x1 = (x11, x12), x2 = (x21, x22)について
p(x1 + x2) = p1(x11 + x21) + p2(x12 + x22) (11)
である.任意の正数 λ > 0について
B(p, pwi) = B(λp, λpwi) (12)
x∗i (p, pwi) = x∗
i (λp, λpwi) (13)
が成り立つ.特に (13)を需要関数のゼロ次同時性という.需要の決定に際して重要なのは価格比であり,その絶対的な値ではない.ここではそれは,売れる物の総額が λ
倍になっても,買える物の価格がいずれも λ倍になれば,その個人にとっての選択問題は変わらないことを意味している.需要関数について,自明なようで見過ごされがちな次の点を指摘しておこう.x∗
i (p, pwi)
はB(p, pwi)の中で選好を最大化するものである.この定義には財の物理的な実行可能性は一切入っていない.例えば,x∗
i1(p, pwi) > w11 + w21であることは可能である.
[図3 予算線上で物理的に実行不可能な財バンドルが需要バンドルとなるケース]
3 ワルラス均衡価格を用いた交換経済において,私たちが主要な解概念として採用するものがワルラス均衡である3.
3ワルラス均衡はこの名称のみならず,一般均衡,価格均衡,競争均衡など様々な呼び方がされる.それぞれに意味があるのだが,どの意味も状況に応じて過不足があるように思うので,ここでは中立的にワルラス均衡という名称を選んだ.
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さて,市場において価格はどのような値に落ち着くと考えるのが自然だろうか.財1に着目してみると,もし
x∗11(p, pw1) + x∗
21(p, pw2)︸ ︷︷ ︸財 1 の総需要
> w11 + w21︸ ︷︷ ︸財 1 の総供給
(14)
であれば総需要が総供給を上回っている.これは超過総需要が発生しているケースである.このケースは,価格がこれから上方に動くと考えるのが自然であり,いまの状態は市場としては続かないものと考える.逆に
x∗11(p, pw1) + x∗
21(p, pw2)︸ ︷︷ ︸財 1 の総需要
< w11 + w21︸ ︷︷ ︸財 1 の総供給
(15)
であれば総供給が総需要を上回っている.これは超過総供給が発生しているケースである.このケースは,価格がこれから下方に動くと考えるのが自然であり,いまの状態は市場としては続かないものと考える.以上の意味で,市場として最も自然と思われるのは等号が成立するケース,すなわち
x∗11(p, pw1) + x∗
21(p, pw2)︸ ︷︷ ︸財 1 の総需要
= w11 + w21︸ ︷︷ ︸財 1 の総供給
(16)
である.(16)が成り立つとき,財 1の市場は均衡しているという.同様に
x∗12(p, pw1) + x∗
22(p, pw2)︸ ︷︷ ︸財 2 の総需要
= w12 + w22︸ ︷︷ ︸財 2 の総供給
(17)
が成り立つとき,財 2の市場は均衡しているという.ところで,いま「自然」と言ったが,具体的にどのような調整や交渉のプロセスを経て価格が均衡に至るのか,ここでは明示的には論じない.アダム・スミスが幾分のアイロニーを込めつつ神の見えざる手と表現したように,私たちはそれを一種のブラックボックスとして取り扱う.ブラックボックスをいかに可視化するかについては 1960年代以降から多くの研究蓄積があるが,数学的に難度が高くなるのでここでは扱わない.価格 p∗ = (p∗1, p
∗2)が財 1の市場と財 2の市場を同時に均衡させるとき,p∗をワルラス
均衡価格ベクトルという.そしてそのとき両方の財市場において総需要と総供給は一致するので,その需要バンドルの組は物理的に実現可能な配分となっている,つまり
(x∗1(p, pw1), x2(p, pw2)) ∈ X (18)
であり,これをワルラス均衡配分という.ワルラス均衡配分を
x∗ ≡ (x∗1, x
∗2) ≡ (x∗
1(p, pw1), x∗2(p, pw2)) (19)
のように表す.両者のペア (p∗, x∗)をワルラス均衡という.ワルラス均衡の定義にはきちんと物理的実行可能性が含まれている,つまり x∗ ∈ Xであることに注意されたい.
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これは (16)と (17)が等式で書かれていることに由来する.「全ての」財市場で均衡しているというのがワルラス均衡というものの本質である.実際,ただ 1つの財でもその価格が変われば,他の財の価格にも影響が大なり小なり発生し,その影響が更に互いに影響を与え,という形で全ての財を巻き込んだ価格変化プロセスが起こりうる.そうした動きが全てクリアーされ,全ての財の価格が絶妙なバランスを保ち釣り合った状態がワルラス均衡である.需要関数を直接には用いないワルラス均衡の定義も書いておこう.両者が同値であることは簡単に確かめられる.ワルラス均衡 (p∗, x∗)とは,以下の条件群を同時に満たすものである.
• 全ての個人にとっての予算制約内最大性 各個人 i = 1, 2について,x∗i は予算制
約下で選好を最大化するものである.つまり
x∗i %i xi ∀xi ∈ B(p, pwi) (20)
が成り立つ.
• 物理的実行可能性 x∗は物理的に実行可能である.つまり各財 ℓ = 1, 2について
x∗1ℓ + x∗
2ℓ = w1ℓ + w2ℓ (21)
が成り立つ.
ここで物理的実行可能性と言っているが,(20)を満たすもの,すなわち需要バンドルの組である x∗の物理的実行可能性であるので,(21)はすべての財 ℓ市場で総需要と総供給が一致することを意味している.
[図4 エッジワースボックスにおけるワルラス均衡]
ワルラス均衡が個人合理的であるのは自明だが,念のため証明を載せておく.
定理 1. ワルラス均衡配分は個人合理的である.
証明. x∗をワルラス均衡配分とする.定義より,各 i = 1, 2について
x∗i %i xi ∀xi ∈ B(p, pwi) (22)
である.当然ながらwi ∈ B(p, pwi)である.よって
x∗i %i wi (23)
が成り立つ.つまり x∗は個人合理的である.
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4 ワルラス法則とワルラス均衡の存在定理 2 (ワルラス法則). 財 1の市場が均衡すれば,財 2の市場も均衡する.逆に,財 2
の市場が均衡すれば,財 1の市場も均衡する.つまりどちらか一方の市場だけが均衡するということはない.
証明. 財 1の市場が均衡すれば,財 2の市場も均衡することのみを示す.逆方向の証明は同様である.いま財 1の市場が均衡しているとしよう.つまり
x∗11(p, pw1) + x∗
21(p, pw2) = w11 + w21 (24)
である.需要関数バンドルは予算線上にあるので
p1x∗11(p, pw1) + p2x
∗12(p, pw1) = p1w11 + p2w12 (25)
p1x∗21(p, pw2) + p2x
∗22(p, pw2) = p1w21 + p2w22 (26)
である.(25)と (53)の両辺を足し合わせると
p1(x∗11(p, pw1) + x∗
21(p, pw2)) + p2(x∗12(p, pw1) + x∗
22(p, pw2)) (27)
=p1(w11 + w21) + p2(w12 + w22) (28)
が成り立ち,(24)より
p2(x∗12(p, pw1) + x∗
22(p, pw2)) = p2(w12 + w22) (29)
がいえ,両辺を p2で割ると
x∗12(p, pw1) + x∗
22(p, pw2) = w12 + w22 (30)
が得られる.(30)は財 2の市場が均衡していることを直ちに意味する.
練習問題 1. 財 1の市場で超過総需要が発生しているとき,財 2の市場では超過総供給が発生していることを示せ.定理 2と似た証明で示せる.なお,この練習問題に限らず,何かを証明するときには必ず紙に書くこと.頭の中にあるものは曖昧である.
財の種数がL ≥ 2のとき,ワルラス法則は「L− 1個の財市場が均衡するならば,残りひとつの市場も均衡している」と表される.また,練習問題 1のように,「もしある財市場で超過総需要が発生しているならば,別のどこかの財市場で超過総供給が発生している」とワルラス法則を記述することもある.さて,私たちは市場における価格を用いた交換に際しては,ワルラス均衡が実現する蓋然性が高いと考えている.ゆえに選好や財の性質などを具体的に特定した応用分析においては,ワルラス均衡の特徴を調べることが多い.しかしそもそもワルラス均衡は存在するのだろうか? もし存在しないのならば,その特徴を調べることは無意味になってしまう.この問いは 1950年代初頭に,ケネス・アロー,ジェラール・ドブ
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リュー,ライオネル・マッケンジーらにより肯定的に解決された.その証明には角谷静夫が示した角谷の不動点定理が用いられるが,学部で扱うにはいくぶん難度が高い.よって本講義ではこの点について深入りせず,3つの比較的直観に馴染む仮定を置き,ワルラス均衡が存在することを図解する4.ただし,こうした仮定の置き方は雑であることを断っておく5.
定理 3 (存在定理). 以下の仮定のもとでワルラス均衡は存在する.
• p′2を固定したとき,p1が十分大きいならば財 1市場で超過総需要が発生する.つまりある p̄1について
x∗11(p̄1, p
′2, p̄1w11 + p′2w12) + x∗
21(p̄1, p′2, p̄1w21 + p′2w22) > w11 + w21 (31)
が成り立つ.
• p′2を固定したとき,p1が十分小さいならば財 1市場で超過総供給が発生する.つまりある p
1について
x∗11(p1, p
′2, p1w11 + p′2w12) + x∗
21(p1, p′2, p1w21 + p′2w22) < w11 + w21 (32)
が成り立つ.
• 財 1の総需要は p1について連続的に変化する.つまり
x∗11(p1, p
′2, p1w11 + p′2w12) + x∗
21(p1, p′2, p1w21 + p′2w22) (33)
は p1について連続的に変化する.この条件は本来は,関数の連続性を用いて厳密に定義すべきであるが,ここでは図を用いた直観的な議論に留める.
証明. いま p2 > 0はどのような値でもよいが,固定されていることに注意されたい.仮定より
x∗11(p̄1, p
′2, p̄1w11 + p′2w12) + x∗
21(p̄1, p′2, p̄1w21 + p′2w22)
>w11 + w21
>x∗11(p1, p
′2, p1w11 + p′2w12) + x∗
21(p1, p′2, p1w21 + p′2w22) (34)
である.いま財 1の総需要は p1について連続的に変化するので,p̄1から p1に価格を
下げて行く過程で,どこかの p1で
x∗11(p1, p
′2, p1w11 + p′2w12) + x∗
21(p1, p′2, p1w21 + p′2w22) = w11 + w21 (35)
が成り立つ (図 5を参照)6.そのような p1を p′1で表す.すると財 1の市場は価格ベクトル (p′1, p
′2)のもとで均衡している.また,定理 2より,このとき財 2の市場も均衡し
4これが可能なのは 2人 2財ケースを扱っているからである.5それでも存在についてある程度の正確性を持って論じるのは,存在というものの重大性による.6ここでは中間値の定理を用いている.この定理は解析学の初歩で出てくる重要な定理であり,三田
で開講されている『解析学』で学べる.
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ている.よって価格ベクトル (p′1, p′2)のもとでは財 1と財 2の市場が同時に均衡してい
る.すなわち価格ベクトル (p′1, p′2)はワルラス均衡価格ベクトルであり,需要バンドル
の組
(x∗1(p
′1, p
′2, p
′1w11 + p′2w12), x
∗2(p
′1, p
′2, p
′1w21 + p′2w22)) (36)
はワルラス均衡配分になっている.つまりワルラス均衡は存在する.
[図5 超過総需要関数とワルラス均衡価格]
練習問題 2. 定理 3の証明において,p′2 > 0はどのような数でもよいとされた.これはなぜか.需要関数のゼロ次同時性を用いて精緻に論じよ.
練習問題 3. 個人 1の選好がコブダグラス型関数
xα11x
1−α12 (37)
により,個人 2の選好は別のコブダグラス型関数
xβ21x
1−β22 (38)
により表されるとする (0 < α < β < 1).ワルラス均衡を求めよ.
5 パレート効率性と厚生経済学の第一基本定理社会として,どの配分がどの配分より望ましいといった,何かしらの価値判断を行うことはできるだろうか.その際の基準を明確に構成することは可能だろうか.私たちは個人間の効用比較可能性や,個人内においても基数的な効用評価ができるという想定を一切行わずにこれまでの議論を組み立ててきた.以前にも述べたが,これは効用比較を仮想的に行い社会問題を考えてみることや,個々人が部分的にでも効用の度合いを基数的に行うことを,否定しているわけではない.ミクロ経済学は経済学の基礎なので,それらの盤石とは言い難い想定のもとに学問を組み立てることを避けているのだ.選好を持つという想定は,基数的な効用関数を持つという想定より,遥かに弱い.一方で社会としての望ましさを考える場合には,その想定は弱いゆえ,社会としての望ましさを判断する際の情報基礎としては物足りないということになりかねない.これはケネス・アローが『社会的選択と個人的価値』で議論を開始するにあたり述べたように,1950年代以前の経済学で熱心に議論が交わされたテーマであった.パレート効率性はそうした議論を耐え抜いた,選好のみで成立するひとつの社会的価値判断基準である7.
7パレート最適性と呼ばれることも多い.しかし「最適」はそれ自身が価値判断を含む言葉であり,またパレート効率性は効率性の一種と解釈すべき内容を含んでいるので,パレート効率性とう名称の方が適切である.社会的な望ましさという濫用されやすい概念を扱うに際しては,用語の選択にはとりわけ注意を払ったほうがよい.例えばここで「最適」と言うと,内容を理解していない人が「よく分からないけどこれが一番良いのだな」と誤解しかねない.一方で「効率」と言った場合は「よく分からないけどこれが効率的なのだな」となり,これはただの理解不足で誤解ではない.
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任意の 2つの配分 x, y ∈ Xについて考える.いま
y1 %1 x1 and y2 %2 x2 (39)
が成り立つとしよう.いわば満場一致で yが x以上に好まれているわけである.さらにいま,少なくともどちらか一方の j = 1, 2については
yj ≻j xj (40)
が成り立つとする.少なくとも一方なので,両者とも (40)が成り立っていてもよいが,とりあえずここでは 1人で構わない.このとき yは xをパレート改善するという.つまりパレート改善とは,財を個人間で組み換えることにより,誰の状態をも悪くしないで,誰か jの状態を改善することである.こうした yの存在を許容する xは,上方への改善余地を残すという意味での無駄があり,非効率なものとみなせる.逆に,そのような yが存在しないとき,xをパレート効率的であるという.厳密には,x ∈ X
がパレート効率的であるとは,どのような y ∈ Xも xをパレート改善できないことである.パレート効率的な配分は一般に複数存在し,それらをエッジワースボックスで図示すれば,左下の角と右上の角をつなぐ連結した線になる.その線のことをパレート曲線という8.
[図6 エッジワースボックスにおけるパレート曲線]
練習問題 4. エッジワースボックス上で,パレート効率性と個人合理的をともに満たすがワルラス均衡配分でない配分を書け.
次の定理はワルラス均衡配分のパレート効率性を示すものであり,資源配分機構としての市場の効率性機能を保証している9.
定理 4 (厚生経済学の第一基本定理). 各個人の選好が弱単調的であるとする.このときワルラス均衡配分はパレート効率的である.
証明. (p∗, x∗)をワルラス均衡とする.これから x∗をパレート改善する配分 y ∈ Xがもし存在したら,論理矛盾が起こることを示す.すなわちそのような yは存在しないことになる (背理法).いま,ある y ∈ Xが存在して
y1 %1 x∗1 and y2 %2 x
∗2 (41)
8パレート曲線は「契約曲線」と呼ばれることが多い.しかしこの曲線に「契約」と名付けるのは不適当である.例えばパレート曲線には個人 1が総取りする配分や,個人 2が総取りする配分も入っている.しかしそのような配分が,強奪でなく契約で成立すると考えるには無理がある.なお,パレート曲線のうち個人合理性を満たすパートを「契約曲線」と呼ぶこともあるが,それでもこの名称は不適切である.私たちはワルラス均衡が「契約される」だろうと考え議論を進めており,その他の配分に「契約」という言葉を用いるのは非整合的である.なお,ここで述べているのは適切な用語の選択についてであり,ワルラス均衡のみが契約により実現するはずだ,あるいはすべきだという主張ではない.
9仮定として選好の弱単調性を置くが,これは上級コースでは局所非飽和性というきわめて弱い条件に緩められる.
9
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が成り立ち,また少なくとも1人の j = 1, 2については
yj ≻j x∗j (42)
となるものとする.この jは 1でも 2でもよいので,一般性を失うことなく j = 1と置いて差し支えない.ワルラス均衡の定義より,x∗
1は個人 1の予算集合 B(p∗, p∗w1)内で選好を最大化する財バンドルである.よって y1 ≻1 x
∗1ということは,y1は買えない財バンドルであり
p∗y1 > p∗w1 (43)
である.次に p∗y2 ≥ p∗w2を示そう.そのためには p∗y2 < p∗w2が論理矛盾を起こすことを示せばよい.内積表示をほどいて書くと
p∗1y21 + p∗2y22 < p∗1w21 + p∗2w22 (44)
である.これを見ると,十分小さく正数 ε > 0を取れば
p∗1y21 + p∗2y22 < p∗1(y21 + ε) + p∗2(y22 + ε) < p∗1w21 + p∗2w22 (45)
が成り立つことが分かる.この不等式は財バンドル (y21 + ε, y22 + ε)が個人 2の予算集合に入っていることを意味する.また,選好の弱単調性より
(y21 + ε, y22 + ε) ≻2 y2 (46)
が成り立ち,(41)と合わせると
(y21 + ε, y22 + ε) ≻2 y2 %2 x∗2 (47)
となる.つまり財バンドル (y21+ ε, y22+ ε)は個人 2の予算集合に入っており,かつ x∗2
より望ましい.しかしこれは,x∗2が予算集合内で選好を最大化するという前提に矛盾
である.よって
p∗y2 ≥ p∗w2 (48)
でなければならない.(43)と (48)の両辺を足すと
p∗(y1 + y2) > p∗(w1 + w2) (49)
である.しかし,y ∈ Xである以上 y1 + y2 = w1 + w2なので
p∗(w1 + w2) > p∗(w1 + w2) (50)
となり,これは矛盾である.つまり議論の前提として置いた yの存在が誤りである.つまり x∗をパレート改善するような yは存在しない.
10
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6 微分可能な関数により表現されるケース各個人 i = 1, 2の選好%iが微分可能な関数 uiにより表現されるとしよう.ワルラス均衡 (p∗, x∗)においては,各 i = 1, 2は自身の予算集合内で選好を最大化しているので,講義ノート 3における限界代替率の議論より
∂u1(x1)
∂x11
|x1=x∗1
∂u1(x1)
∂x12
|x1=x∗1
=p∗1p∗2
(51)
∂u2(x2)
∂x21
|x2=x∗2
∂u2(x2)
∂x22
|x2=x∗2
=p∗1p∗2
(52)
が成り立つ.つまり両者の限界代替率は一致している.また予算制約より
p∗x∗1 = p∗w1 (53)
p∗x∗2 = p∗w2 (54)
が成り立つ.計算問題としてワルラス均衡を求める場合には,上記 4本の連立方程式を解くことが便利なケースもある.
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