ヴィクトリア朝になって抑圧された中産階級の暴力...
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最 終 原 稿 で の 書 式 お よ び 書 式 サ ン プ ル
使 用 す る フ ォ ン ト :
日 本 語 : MS 明 朝 ( マ ッ ク は 平 成 明 朝 )
英 語 : Times New Roman
フ ォ ン ト ・ サ イ ズ :
主 題 、 副 題 、 節 題 、 本 文 は 10.5ポ イ ン ト ( マ ッ クは 12 ポ イ ン ト )
単 独 の 引 用 文 ( 前 後 に 空 白 行 を 入 れ る ) 、 図 版の キ ャ プ シ ョ ン 、 尾 注 ( 自 動 機 能 の 使 用 禁 止 ) 、
Works Cited は す べ て 10 ポ イ ン ト ( マ ッ ク は 11 ポ イン ト )
ペ ー ジ ・ レ イ ア ウ ト
* http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~matsuoka/dickens/cd-vio-sample.doc
こ の フ ァ イ ル を 使 用 し て 自 分 の オ リ ジ ナ ル ・ ファ イ ル を 1 節 ご と ( あ る い は 1 ぺ ー ジ ご と ) に コ ピペ し 、 新 し い フ ァ イ ル ( フ ァ イ ル 名 は cd-vio-*****.doc ) で 保 存 し て く だ さ い 。 ***** は 自 分 の 名 前 。保 存 す る 時 は 必 ず 「 Word 97-2003 」 で 保 存 し て く だ さい 。
ワ ー ド 文 書 は ス ペ ル ミ ス や 文 法 の 間 違 い や 単語 の 不 統 一 ( 入 力 ミ ス や 表 記 の ゆ れ ) に 対 し て赤 と 緑 の 波 線 が 出 ま す の で 、 そ の 箇 所 は 十 分 に注 意 し て く だ さ い 。
波 線 が 表 示 さ れ な い 場 合 は 、 画 面 左 上 端 の Office ボ タ ン を 押 し 、 出 て き た メ ニ ュ ー の 一 番 下に あ る 「 Word の オ プ シ ョ ン 」 を ク リ ッ ク し 、 左 の項 目 の 「 文 字 校 正 」 を 押 し 、 「 例 外 」 か ら 「 すべ て の 新 規 文 書 」 を 選 択 し 、 「 こ の 文 書 の み 、結 果 を 表 す 波 線 を 表 示 し な い 」 と 「 こ の 文 書 のみ 、 文 章 校 正 の 結 果 を 表 示 し な い 」 に 入 っ て いる ( は ず の ) チ ェ ッ ク マ ー ク を 外 し て O K を 押
1
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せ ば 、 波 線 が 現 れ ま す 。
第 2 章 『 オ リ ヴ ァ ー ・ ト ゥ イ ス ト 』
逃 避 と 追 跡 ― ― と 正 義 の 暴 力
松 岡 光 治
図 版 は ウ ェ ブ 上 の パ ブ リ ッ ク ・ ド メ イ ン か ら と る場 合 は 100KB以 上 で な い と ぼ や け て し ま い ま す 。 でき る だ け 書 籍 の 図 版 を ス キ ャ ン し て 1MB 以 上 の 高画 質 の フ ァ イ ル ( 保 存 は Photoshop フ ァ イ ル か JPEG フ ァイ ル で お 願 い し ま す ) を 使 用 し て く だ さ い 。
2
「カトー・ストリート陰謀事件」首謀者アーサー・シスルウッド他 5 名が 1820 年 5 月 1 日にニューゲイト監獄で処刑された。
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キ ャ プ シ ョ ン は 枠 な し の テ キ ス ト ボ ッ ク ス を 使 用し て い ま す の で 、 こ の 中 に 簡 単 な キ ャ プ シ ョ ン を入 れ て く だ さ い 。 List of Illustrations を 巻 末 に 付 け ま す ので 、 キ ャ プ シ ョ ン の 英 語 版 も 用 意 し て お い て く ださ い 。
3
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第一節
産業革命期と
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝の
社会風潮
デ
ィ
ケ
ン
ズ
文学に
お
け
る
暴力問題を
論ず
る
場合、
そ
の
前提と
し
て
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝以前の
産業革命期、
特に
ジ
ョ
ー
ジ
三世が
即位し
た一七六〇年か
ら、
彼の
晩年の
発狂に
よ
る
摂政時代
が
終わっ
た一八二〇年ま
で
の
約六〇年間の
社会風潮を
押さ
え
て
お
く
必要
が
あ
る。
産業革命が
始まっ
て
議会の
主導権を
握っ
た
ト
ー
リ
ー
党と
そ
れ
を
味方に
つ
け
た
ジ
ョ
ー
ジ
三世の
専制政治、
そ
し
て
フ
ラ
ン
ス
革命後の
ト
ー
リ
ー
政権の
保守反動化と
猛烈な
弾圧
に
よ
る
内政、
支配階級に
よ
る
本国中心の
植民地政策や
ア
メ
リ
カ
植民地の
独立
を
早め
て
し
まっ
た
ジ
ョー
ジ
三世の
絶対主義的な
外政、
こ
れ
ら
の
特徴は
す
べ
て
暴力に
よ
る
抑圧で
あっ
た。
こ
の
間、
イ
ギ
リ
ス
の
支配階級の
大半は、
一七九〇年に
出版さ
れ
た
近代保守主義の
聖典
『
フ
ラ
ン
ス
革命の
省察』
で
革命行為と
そ
の
根本思想を
非難し
、
軍隊の
力で
革命を
鎮圧す
べ
き
と
論じ
た
エ
ド
マ
ン
ド・バ
ー
ク
と
同じ
考え
を
抱い
て
い
た。
暴力を
統制す
る
に
は、
よ
り
強力な
組織化さ
れ
た
暴力が
必要で、
マ
ッ
ク
ス
・ヴェ
ー
バ
ー
の
言葉を
借り
れ
ば
「
合法的な
暴力行使の
独占
(monopoly of legitim
ate physical force)」(W
eber 33)
、
つ
ま
り
主権国家
の
合法的な
暴力行使の
独占を
通し
て
軍隊と
い
う正義の
暴力を
用い、
野蛮
な
暴徒と
化し
た
被支配階級の悪の
暴力に
対抗す
べ
き
だ
と
考え
た
の
で
あ
る。
こ
れ
は
デ
ィ
ケ
ン
ズ
の
小説世界で
の
拠り
所で
あ
る
主イ
エ
ス
の
教え
に
反す
る
〈
暴力に
は
暴力を
〉
と
い
う
旧約聖書的な
考え
だ
が、
実際に
は
受け
た
暴力の
数倍
~
無限大倍の
暴力行為と
な
る
の
で、
旧約の
同害報復法に
も
反
す
る
考え
だ
と
言え
る。
十八世紀末か
ら
十九世紀に
なっ
て
も、
ジ
ョ
ー
ジ
三世の
支持を
得
た
ピ
ッ
ト
政権は
恐怖政治を
行な
い、
そ
う
し
た
保守反動の
時代
が
ナ
ポ
レ
オ
ン
戦争後の
ウ
ィ
ー
ン
体制下で
も
続き、
デ
ィ
ケ
ン
ズ
が
生ま
れ
た一八一二年に
政権に
就い
た
リ
ヴ
ァ
プー
ル
内閣と
議会も
ス
ト
ラ
イ
キ
を
武力で
鎮圧
し、
集会・結社・出版の
自由を
束縛し
て
い
た。
し
か
し、
民衆弾圧の
象徴と
なっ
た一九年の
ピー
タ
ル
ー
の
大虐殺を
ピー
ク
に、
摂政時代
が
終わっ
た一八二〇年頃か
ら
ナ
ポ
レ
オ
ン
戦争後の
不況は
徐々に
回復
し、
労働者の
不安も
多少は
解消さ
れ、
二四年に
は
団結禁止法の
撤廃に
よっ
て
労働組合
が
初め
て
合法化さ
れ、
世の
中も
自由主義的な
社会風潮へ
と
転換す
る
よ
う
に
な
る。
産業革命期に
お
い
て
暴力的な
社会風潮が
特に
顕著に
現れ
て
い
た
分野は
死刑
で
あっ
た。
こ
の
時代は
産業革命の
負の
遺産で
あ
る
貧困の
結果
と
し
て
悪に
走る
者が
非常に
多く、
そ
の
防止の
た
め
に
死刑と
な
る
罪が
ど
ん
ど
ん
増え、
産業革命前に
は
一六〇ほ
ど
だっ
た
死刑の
罪状は、
摂政時代の
一八一五年に
は
ほ
ぼ
倍増し
て
二八八
と
な
り、
そ
こ
に
は
五シ
リ
ン
グ
の
品物の
窃盗
ま
で
含ま
れ
て
い
た。
た
だ、
摂政時代以降は
ス
リ
の
よ
う
な
窃盗犯が
除外さ
れ、
ピー
ク
時に
二八八も
あっ
た
死刑
の
罪状は
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝が
始ま
る
頃に
は
一五ま
4
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で
激減し
て
い
る。
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
で
最も
残酷な
死刑は
何か
と
言え
ば、
そ
れ
は
国王へ
のハイ・トリー
ズン
大逆罪
に
対す
る
「
首吊り・内臓え
ぐ
り・四つ
裂き
の
刑
(hanged, draw
n, and quartered)」
と
い
う
中世以来の
刑で
あ
る。
『
二都物語
』
で
反逆罪に
問わ
れ
た
チ
ャ
ー
ル
ズ・ダー
ニ
ーは、
「
ハ
ー
ド
ル
す
の
こ
そ
り
で
運ば
れ、
首吊り
で
半殺し
の
目に
遭い、
引き
下ろ
さ
れ
た
あ
と
に
自分の
目の
前で
肉を
切ら
れ、
内臓が
え
ぐ
り
出さ
れ
て
焼か
れ
る
の
を
見せ
ら
れ、
そ
れ
か
ら
首を
切り
落と
さ
れ、
体は
四つ
裂き
に
さ
れ
る
」
(
第二巻第二章
)
と
い
う
危機に
瀕し
た
が、
彼自身が
ルー
シ
ー
と
の
会話で
ジ
ョ
ー
ジ
三世と
同列に
扱っ
た
ジ
ョ
ー
ジ・ワ
シ
ン
ト
ン
も、
も
し
独立戦争に
負け
て
い
た
ら
同
じ
刑に
処せ
ら
れ、
ス
コ
ッ
ト
ラ
ン
ド
の
愛国者
ウ
ィ
リ
ア
ム
・ウ
ォ
リ
ス
の
よ
う
に
別の
形
で
歴史に
名を
残し
て
い
た
は
ず
だ。
こ
の
残酷な
刑
が
廃止に
なっ
て
絞首刑が
課せ
ら
れ
る
よ
う
に
な
っ
た
の
は
一八一四年だ
が、
こ
の
蛮刑が
廃止さ
れ
た
あ
と
も
国王は
な
お
絞首刑後に
斬首を
命ず
る
こ
と
が
で
き
る
と
さ
れ、
そ
の
権限が
最後に
行使さ
れ
た
の
が一八二〇年
の
カ
ト
ー
・ス
ト
リ
ー
ト
陰謀事件
(
序章の
扉絵参照
)
で
あ
る。
そ
の
意味で
も
摂政時代が
終わっ
た一八二〇年は
イ
ギ
リ
ス
の
暴力的
な
社会風潮の
転換点と
な
る
重要な
年だ
と
言っ
て
よ
い。
こ
の
よ
う
な
社会風潮の
転換は
死刑制度だ
け
で
な
く
監獄制度に
も
見ら
れ
る。
デ
ィ
ケ
ン
ズ
は
ジ
ョ
ー
ジ
三世
に
よ
る
暴力的な
時代を
ア
メ
リ
カ
訪問前に
出版し
た
『
バ
ー
ナ
ビー
・ラ
ッ
ジ
』
で
描い
て
お
り、
帰国後の
『
ア
メ
リ
カ
紀行
』
で
は
ジ
ョ
ー
ジ
三世の
時代を
「
犯罪法規や
監獄規定の
点
に
お
い
て
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
が
地上で
最も
残忍で
野蛮
な
国の
一つ
と
なっ
た
」(
第三章
)
古き
よ
き
時代で
あ
る
と
皮肉っ
て
い
る。一
十八世紀後期ま
で
の
監獄は
暴力と
悪徳
の
温床で、
懲罰に
よっ
て
犯罪全体を
抑制し
よ
う
と
す
る
恐怖
の
教育に
支え
ら
れ
て
い
た
が、
フ
ー
コ
ー
が『
監獄
の
誕生
』
で
述べ
て
い
る
よ
う
に、
フ
ラ
ン
ス
革命前後
に
権力の
在り
方が君主の
権力か
ら
規律の
権力に
移行す
る
と
と
も
に、
権力を
行使す
る
側は
行使さ
れ
る
側の
身体を
改造・服従・訓練に
よっ
て
〈
従順な
身体
〉
に
す
る
た
め
に、
彼ら
の
心
に
懲罰へ
の
恐怖で
は
な
く、
彼ら
を
管理す
る
法律へ
の
愛
を
植え
付け
よ
う
と
し
た (Faucault 135-69)
。
二
十九世紀
に
な
る
と
下院も
委員会を
設け
て
調査に
乗り
出し、ニ
ュ
ーゲ
イ
ト
監獄の
女囚が
置か
れ
た
状態の
悲惨さ
に
衝撃を
受け
た
エ
リ
ザ
ベ
ス
・フ
ラ
イ
――〈
監獄の
天使
〉
と
呼ば
れ
た
ク
エー
カ
ー
の
博愛主義者
――
の
尽力に
よっ
て
監獄が
改善さ
れ
る
よ
う
に
なっ
た。
三
そ
し
て、
摂政時代後の
一八二三年 5
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に
は
手か
せ
・足か
せ
の
使用禁止な
ど
を
盛り
込ん
だ
監獄法が
成立
し、
三五年に
は
チ
ェ
ッ
ク
機能と
し
て
監督官の
導入が
決ま
り、
監獄に
お
け
る
暴力は
減っ
て
行っ
た
よ
う
に
見
え
る。
し
か
し、
産業革命期の
社会風潮を
特徴づ
け
た
暴力は、
摂政時代が
終わ
る一八二〇年代以降、
抑圧
さ
れ
て
表面的に
見え
な
く
なっ
た
に
す
ぎ
な
い。
で
は、
抑圧さ
れ
た
暴力は
ど
こ
へ
行っ
た
の
だ
ろ
う
か。
他者に
対す
る
抑圧と
し
て
の
暴力は、
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝を
経済的に
支え
て
文化の
担い
手と
なっ
た
中産階級の
〈
リ
ス
ペ
ク
タ
ビ
リ
テ
ィ
〉
と
い
う
概念に
暗示さ
れ
る
よ
う
に、
自己の
暴力に
対す
る
抑圧を
通
し
て
別の
形を
と
る
よ
う
に
なっ
た
の
で
あ
る。
四
と
り
わ
け、
セ
ル
フ
メ
イ
ド・
マ
ン
や
金の
力で
階級を
上げ
た
人間
(例え
ば
デ
イ
ヴ
ィ
ッ
ド
や
ピ
ッ
プ、
悪人で
あ
れ
ば
カー
カ
ー
、
ヒ
ー
プ、
バ
ウ
ン
ダ
ビー
、
ヘ
ッ
ド
ス
ト
ン
)
、
そ
し
て
中産階級に
も
か
か
わ
ら
ず
貴族の
生活様式
を
模倣す
る
ダ
ン
デ
ィ
ー(
例え
ば、
ス
テ
ィ
ア
フ
ォ
ー
ス、
ハ
ー
ト
ハ
ウ
ス、
ガ
ウ
ワ
ン
)
、
そ
う
い
っ
た
俗物た
ち
に
抑圧さ
れ
た
暴力の
兆候
を
見て
取る
こ
と
が
で
き
る。
こ
こ
で
は
一例と
し
て
『
リ
ト
ル
・ド
リ
ッ
ト
』
の
ア
マ
チ
ュ
ア
画家、
ヘ
ン
リ
ー
・ガ
ウワ
ン
の
暴力を
見て
み
た
い。
リ
ト
ル
・エ
ム
リ
を
誘惑し
て
捨て
た
ス
テ
ィ
ア
フ
ォ
ー
ス
の
流れ
を
汲む
彼は、
過去に
ミ
ス
・ウ
ェ
イ
ド
に
対
し
て
同じ
よ
う
な
こ
と
し
た
退廃的な
男だ。
ア
ー
サ
ー
・ク
レ
ナ
ム
は
最初に
ガ
ウ
ワ
ン
の
姿を
見
か
け
た
と
き、
こ
の
男が
足の
か
か
と
で
石
を
本来の
場所か
ら
無理に
蹴り
出す
と
い
う
些細な
行為に
残虐性
(
第一巻第一七章
)
を
感
じ
取っ
て
い
る。
こ
れ
を
ダ
ン
デ
ィ
ー
な
俗物
の
エ
レ
ガ
ン
ス
の
下に
抑圧さ
れ
た
バ
イ
オ
レ
ン
ス
のアクティング・アウト
無意識的行動化
と
し
て
暗示し
た
作者の
戦略は
見事
だ
が、
こ
の
戦略を
見抜け
な
い
読者に
と
っ
て
も、
ガ
ウ
ワ
ン
が
獰猛な
飼い
犬を
殴っ
て
血み
ど
ろ
に
す
る
残虐性
(
第二巻第六章
)
を
実際に
目に
す
れ
ば、
や
が
て
彼が
若
い
妻
――
ペ
ッ
ト
と
い
う
名前に
注意
――
に
対し
て
何を
す
る
か
は
容易に
想像で
き
る。
フ
ィ
ズ
の
挿絵
(
図版
①)
の
キ
ャ
プ
シ
ョ
ン
で
は、
飼い
主のし
つ
け
を
守ら
な
い
猛犬の
本能の
強さ
が
示さ
れ
て
い
る
が、
中産階級の
リ
ス
ペ
ク
タ
ビ
リ
テ
ィ
を
内面化し
た
飼い
主自身の
暴力的な
本能の
抑圧が
い
か
に
危う
い
も
の
で
あ
る
か
も
同時に
暗示さ
れ
て
い
る。
6
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と
こ
ろ
で、
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝に
お
い
て
抑圧さ
れ
た
暴力を
検証す
る
場合、
最も
示唆的な
デ
ィ
ケ
ン ズ
作品は
『
大い
な
る
遺産
』
で
あ
る。
『
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝小説に
お
け
る
紳士観
』
の
著者ギ
ル
モ
ア
に
よ
れ
ば、
デ
ィ
ケ
ン
ズ
は
『
大い
な
る
遺産
』
の
時代設定
を
十九世紀初期
――
犯罪者た
ち
が
残酷な
扱い
を
受け
て
い
た
時代
――
に
す
る
一方で、
小説が
執筆さ
れ
た一八六〇年当時
――
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝大好況期で
国民の
紳士意識が
強く
なっ
た
時代
――
を
念頭に
置き、
貧
し
い
鍛冶屋の
少年が
紳士に
な
る
と
い
う
典型的な
具体例を
描い
て
見
せ
る
こ
と
に
よ
っ
て、
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝社会が
上品で
あ
る
こ
と
に
執着し
た
複雑な
要因を
示す
こ
と
が
で
き
た
と
主張し
て
い
る (G
ilmour 129)
。
要
す
る
に、
ジ
ェ
ン
ト
ル
マ
ン
に
な
り
た
い
と
い
う
願望は、
自分の
階級か
ら
抜け
出し
た
い
と
い
う
俗物根性だ
け
で
な
く、
リ
ス
ペ
ク
タ
ブ
ル
な
生活の
中で
「
優し
い
男
(gentle m
an) 」
に
な
り
た
い
と
い
う
気持ち
と
し
て
肯定的に
解釈で
き
る
わ
け
で
あ
る。
こ
の
ギ
ル
モ
ア
の
見解に
付言す
る
な
ら
ば、
遺産相続
の
見込み
を
得た
あ
と
の
ピ
ッ
プ
の
強い
罪意識は、
残酷
な
暴力が
支配し
て
い
た
摂政時代か
ら
抜け
出し
た
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝中産階級の
人々
――
犯罪と
文明、
暴力と
上品は
対立せ
ず
に
密接な
関係に
あ
る
こ
と、
比喩的に
言え
ば、
サ
テ
ィ
ス
・ハ
ウ
ス
の
庭で
別々に
咲い
て
い
る
花と
雑草も
地下で
は
根を
複雑に
絡
ま
せ
て
い
る
こ
と
を
認め
た
く
な
か
っ
7
図版①「
本能
は
し
つ
け
より
強
し
」(
フ
ィ
ズ
の挿絵
)
悪人ブラ
ン
ド
ワに
吠
え
か
かる猛犬
に
暴力を
ふ
る
う
ガ
ウ
ワ
ン
と
怯
える
女性
たち
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た
中産階級の
人々
――
が、
自分の
暴力性や
犯罪性に
対す
る
意識的な
抑圧に
も
か
か
わ
ら
ず、
時と
し
て
抱か
ざ
る
を
得な
か
っ
た
罪悪感の
典型と
い
う
こ
と
に
な
る。
ピ
ッ
プ
の
罪悪感は
労働者の
時か
ら
あっ
た
も
の
だ
が、
そ
れ
が
明確な
形を
と
る
の
は
サ
テ
ィ
ス
・ハ
ウ
ス
と
い
う
中産階級の
世界に
入っ
て
か
ら
で、
そ
の
こ
と
は
ス
ポー
ツ
マ
ン
精神に
あ
ふ
れ
る
少年紳士ハ
ーバ
ー
ト
と
の
ボ
ク
シ
ン
グ
の
場面で
証明で
き
る。
ピ
ッ
プ
は
相手を
い
と
も
簡単
に
殴り
倒す
が、
労働者階級の
本能で
あ
ろ
う
か、
「
殴る
た
び
に、
そ
の
打撃が
だ
ん
だ
ん
強く
な
り
」
、
勝利
し
た
あ
と
も
自分が「
残虐な
オ
オ
カ
ミ
か、
野獣の
子
供」(
第一一章
)
の
よ
う
な
気に
なっ
て
い
る。
こ
う
し
た
罪悪感は
遺産相続の
見込み
を
得た
あ
と
も
消え
な
い
が、
そ
れ
は
紳士階級に
身を
置く
よ
う
に
なっ
て
も、
ど
こ
か
で
自分が
暴力中心の
犯罪世界と
つ
な
がっ
て
い
る
の
で
は
な
い
か
と
い
う
不安感か
ら
生じ
る
も
の
で
あ
る。
し
か
し、
エ
ス
テ
ラ
が
暴力に
よ
る
勝利の
褒美と
し
て
ピ
ッ
プ
に
キ
ス
を
与え
た
こ
と
は、
彼女自身に
内在す
る
被虐性の
愛と
は
別に、
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝中産階級の
暴力に
対す
る
マ
イ
ン
ド・
セ
ッ
ト
が
摂政時代の
そ
れ
と
実際に
は
大差な
い
こ
と
を
暗示し
て
い
る
よ
う
に
思え
る。
同じ
サ
テ
ィ
ス
・ハ
ウ
ス
で
ピ
ッ
プ
が
ミ
ス
・ハ
ヴ
ィ
シ
ャ
ム
の
絞首刑の
幻影を
見た
(
第八章、
第四八章
)
の
も、
こ
の
屋敷に
呼ば
れ
た
あ
と
恩人気取り
の
乱暴な
パ
ン
ブ
ル
チ
ュ
ッ
ク
(
ジ
ョ
ー
の
母を
虐待し
た
父の
実弟
)
に
対し
て
「
わっ
と
泣き
出し、
相手に
飛び
か
か
り、
全身な
ぐ
り
つ
け
た
く
なっ
た
」
(
第一二章
)
の
も、
被害者意識に
よ
る
ル
サ
ン
チ
マ
ン
か
ら
生じ
た
復讐願望の
表出と
考え
て
よ
い。
ま
た、
ミ
ス
・ハ
ヴ
ィ
シ
ャ
ム
の
花嫁衣装が
炎上す
る
場面で、
「
私た
ち
は
不倶戴天の
敵の
よ
う
に
床の
上で
揉み
合っ
た
」(
第四九章
)
と
い
う
語り
手ピ
ッ
プ
の
表現か
ら、
母性や
女性性を
拒ん
で
ピ
ッ
プ
を
虐待し
た
ミ
ス
・ハ
ヴ
ィ
シ
ャ
ム
や
他の
女性た
ち
に
対す
る
「
象徴的な
レ
イ
プ」
(Hartog 259)
を
読み
取ろ
う
と
す
る
解釈は
極端す
ぎ
る
も
の
の、
マ
グ
ウ
ィ
ッ
チ
が
逃げ
よ
う
と
す
る
脱獄囚コ
ン
ピ
ソ
ン
(
ミ
ス
・ハ
ヴ
ィ
シ
ャ
ム
を
捨て
た
婚約者で
マ
グ
ウ
ィ
ッ
チ
を
利用
し
た
似非紳士
)
を
力い
っ
ぱ
い
押さ
え
つ
け
た
沼地の
格闘場面
(
第五章
)
を
想起す
れ
ば、
こ
の
ピ
ッ
プ
の
消火作業も
不当に
虐待
さ
れ
た
少年の
抑圧さ
れ
た
復讐心の
無意識的行動化と
し
て
読む
こ
と
が
で
き
る
だ
ろ
う。
五
で
は、
こ
の
よ
う
な
抑圧さ
れ
た
暴力を
念頭に
置き、
デ
ィ
ケ
ン
ズ
文学に
お
い
て
暴力と
そ
の
変奏が
ど
8
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の
よ
う
に
描か
れ
て
い
る
か、
ジ
ェ
ン
ダー・階級・人種の
側面に
絞っ
て
概観し
て
み
よ
う。
第二節
暴力の
ジ
ェ
ン
ダー
化と
二重規範
資本主義と
家父長制が
共犯的に
労働市場と
家庭の
双方に
作用す
る
こ
と
で
女性を
抑圧し、
自己実現の
可能性を
奪わ
れ
た
女性の
無権利状態が
合法化さ
れ
て
い
た
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝の
状況は、
行為主体が
明確で
な
い
〈
構造的暴力
〉
に
よ
る
も
の
だっ
た
の
で、
直接的暴力の
場合の
よ
う
に
簡単に
は
改善で
き
な
か
っ
た。
そ
れで
は、
直接的暴力
は
ど
う
だっ
た
か
と
言え
ば、
〈
飢餓の
四十年代
〉
か
ら
五十年代の
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝大好況期へ
移り、
労働者階級の
運動が
平和的・合法的な
行動
に
変わっ
て
も、
労働者た
ち
の
暴力は
以前と
ほ
と
ん
ど
変化が
な
か
っ
た。
妻に
対す
る
夫の
家庭内暴力、
い
わ
ゆ
る
ド
メ
ス
テ
ィ
ッ
ク・バ
イ
オ
レ
ン
ス
の
証拠と
し
て、
こ
こ
で
留意し
た
い
の
は
暴力を
受
け
て
で
き
た
目の
ま
わ
り
のブラッ
ク・ア
イ
黒あ
ざ
で、
そ
の
例は
デ
ィ
ケ
ン
ズ
作品で
枚挙に
い
と
ま
が
な
い。
特筆す
べ
き
は、
女も
プー
ド
ル
犬や
ロ
バ
の
よ
う
に
保護を
与え
ら
れ
る
べ
き
だ
と
い
う
考え
か
ら、
一八五三年六月に
婦女子加重暴行防止・処罰法案が
制定さ
れ
た
こ
と
だ。
こ
の
法案は
摂政時代の
あ
と
議会を
通過し
て
い
た
の
だ
が、
実際に
は
制定さ
れ
て
来な
か
っ
た
も
の
で
あ
る。
事実、
こ
の
法案が
制定さ
れ
た
当時の
下層階級で
は、
ま
だ
夫
が
自分の
DVを
正当化し
て
お
り、
制定直前に
連載さ
れ
た
『
荒涼館
』
で
は、
煉瓦職人の
奥さ
ん
が「
目の
ま
わ
り
を
黒く
は
ら
し
て
」(
第八章
)
い
る
の
に、
夫は
そ
の
権利の
正当性を
語
り
手の
エ
ス
タ・サ
マ
ソ
ン
に
主張し
て
い
る。
こ
う
し
た
社会風潮を
反映す
る
か
の
よ
う
に、
一八五六年の
『
パ
ン
チ
』
で
は
指輪を
持つ
夫の
手が
結婚後に
拳骨に
変わ
る
様子
が
諷刺的に
描か
れ
て
い
る
(
図版②)
。
六
た
だ
し、
こ
の
法案が
制定さ
れ
た
五 〇年代に
は、
『
ハ
ー
ド・タ
イ
ム
ズ』
で
も
取り
上げ
ら
れ
る
離婚問題や
既婚女性の
財産相続問題が
論議
さ
れ
る
よ
う
に
な
り、
そ
れ
ぞ
れ
五七年と
七〇年
の
法律で
多少は
改善さ
れ
て
い
る。
デ
ィ
ケ
ン
ズ
の
描く
DVに
は
〈
パ
ン
チ
・
ア
ン
ド・ジ
ュ
デ
ィ
〉
の
強い
影響が
見ら
れ
る。
典型例
は
そ
の
人形劇の
旅芸人た
ち
が
登場す
る
『
骨董屋
』
の
ク
ウ
ィ
ル
プ
と
彼に
魅せ
ら
れ
た
従順な
妻ベ
ツ
ィー
で
あ
る。
パ
ン
チ
が
使う
暴力の
道具、
ス
ラッ
プ・スティッ
ク
ど
つ
き
棒は
吉本新喜劇で
9
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使う
ゴ
ム
棒の
よ
う
に
「
ど
た
ば
た
喜劇
(slapstick comedy)
」
の
代名詞と
なっ
て
い
る。
も
ち
ろ
ん、
そ
れ
は
ヘ
ゲ
モ
ニ
ー
を
握る
た
め
のファリッ
ク・シンボル
男根の
象徴で
あ
り、
DVが
夫婦逆転の
形で
横行す
る
『
大
い
な
る
遺産
』
の
鍛冶屋で
は、
ジ
ョ
ー
夫人が
ピ
ッ
プ
を
「
手塩に
か
け
て
」
育て
る
の
に
使用す
る
「
く
す
ぐ
り
棒
(Tickler)
」(
第二章
)
、
そ
し
て
腹を
立て
た
彼女
が
ジ
ョ
ー
か
ら
奪っ
て
隠し
て
し
ま
う
ポ
ー
カ
ー
火か
き
棒
(
第一二章
)
も
同じ
象徴だ
と
言え
る。
ク
ウ
ィ
ル
プ
夫人に
は
『
オ
リ
ヴ
ァ
ー
・ト
ゥ
イ
ス
ト
』
の
暴力的な
ビ
ル
・サ
イ
ク
ス
に
魅
せ
ら
れ
た
愛人ナ
ン
シ
ー
と
同じ
心性が
見ら
れ
る
が、
ク
ウ
ィ
ル
プ
に
よ
っ
て
キ
ッ
ト
と
一緒に
棒で
な
ぐ
ら
れ
た
逆立ち
少年ト
ム
・ス
コ
ッ
ト
(
本書の
ジ
ャ
ケ
ッ
ト
参照
)
が
主人に
対し
て
抱く
非異性的な
愛情
も
そ
の
心性に
近い。
こ
う
し
た
心性に
は
自己の
無力感を
防衛
す
る
た
め
に
発生す
る
加虐者へ
の
自己の
同一視、
そ
し
て
自我
の
安定機制と
し
て
の
マ
ゾ
ヒ
ズ
ム
が
見出せ
る。
た
だ
し、
一見サ
デ
ィ
ス
ト
に
見え
る
ク
ウ
ィ
ル
プ
だ
が、
彼の
場合も
加虐性愛が
被虐性愛と
共存し
て
い
る
点
に
留意す
る
必要が
あ
る。
そ
れ
は
ク
ウ
ィ
ル
プ
が
キ
ッ
ト
へ
の
復讐と
し
て
古い
船首像を
錆び
た
鉄棒
で
打ち
据え
て
い
る
姿を
見て、
こ
の
男は
「
自分自身に
似て
い
る
と
い
う
理由で
家庭用の
肖像と
し
て
買い
求め
た
の 10
図版②
「
手の表現
」『
パンチ
』(1856
年
10
月
18
日号
)
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だ
ろ
う
か
」(
第六二章
)
と
サ
ム
ソ
ン
・ブ
ラ
ス
が
い
ぶ
か
る
場面に
暗示さ
れ
て
い
る。
加虐性愛と
被虐性愛の
共存は自分の
腕一本で
中産階級へ
の
梯子を
昇っ
た
『
互い
の
友』
の
学校教師ヘ
ッ
ド
ス
ト
ン
の
言動に
も
見ら
れ
る
が、
彼の
場合は
ジ
ェ
ン
ダー
問題と
階級問題が
複雑に
絡み
合っ
て
い
て
非常に
興味深い。セルフ・ヘルプ
自助の
精神の
体現者で
あ
る
ヘ
ッ
ド
ス
ト
ン
は
日頃は
本能を
抑圧し
て
い
る
が、
リ
ジ
ー
・
ヘ
ク
サ
ム
に
関し
て
は
自己を
抑制で
き
ず、
教会墓地で
の
プ
ロ
ポ
ー
ズ
の
場面
(第二巻第一五章
)
で
は、
そ
の
暴力的な
エ
ネ
ル
ギー
が
堰を
切っ
て
流れ、
彼女を
恐れ
さ
せ
て
い
る。
彼が
手を
置い
て
押し
退け
よ
う
と
す
る
「
笠石
(coping)
」
と、
拒絶さ
れ
た
あ
と
で
拳を
打ち
下
ろ
し
た
笠石と
が、
彼女の
心を
つ
か
ん
だ
恋敵レ
イ
バ
ー
ン
の
象徴で
あ
る
こ
と
は
即座に
分か
る。
し
か
し、
こ
の
行為が
同じ
「
笠石
(headsotne)
」
の
名前を
持つ
自分自身
へ
の
暴力で
あ
る
こ
と、
そ
し
て
彼の
リ
ジー
に
対す
る
愛が
実際に
は副次的な
も
の
で、
セ
ル
フ
メ
イ
ド
・マ
ン
と
し
て
の
彼のセルフ・リスペクト
自
尊心
を
徹底的
に
傷つ
けた
(
同じ
中産階級で
も
上層の)
弁護士レ
イ
バ
ー
ン
に
対す
る
「
憎悪と
復讐心
」
の
方が
よ
り
重要で
あ
る
こ
と
を
読み
取ら
ね
ば
な
ら
な
い。
レ
イ
バ
ー
ン
は
夜に
なっ
て
尾行す
る
ヘ
ッ
ド
ス
ト
ン
を
引っ
ぱ
り
回し
て
発狂す
る
ほ
ど
イ
ラ
イ
ラ
さ
せ
る
が、
こ
の
学校教師が
そ
う
し
た
被虐的な
状況を
好
む
人間で
あ
る
点は、
彼の
性癖が「
体の
傷を
刺激し
て
得る
よ
う
な
病人の
倒錯し
た
快感
」(
第三巻第一一章
)
を
求め
る
マ
ゾ
ヒ
ズ
ム
に
あ
る
こ
と
か
ら
も
明ら
か
だ。
従っ
て、
ヘ
ッ
ド
ス
ト
ン
の
リ
ジ
ー
へ
の
狂気の
愛
も、
次作
『
エ
ド
ウ
ィ
ン
・ド
ル
ー
ド
の
謎
』
の
聖歌隊長ジ
ャ
ス
パ
ー
に
よ
る
甥の
許嫁ロ
ー
ザ・バ
ッ
ド
へ
の
狂気の
愛も、
被虐的な
快感を
刺激し
て
く
れ
る
ラ
イ
ヴ
ァ
ル
を
巻き
込ん
だ
三角関係の
中で
し
か
意味が
な
い
の
で
あ
る。
デ
ィ
ケ
ン
ズ
の
世界で
は、
結婚後に
マ
ー
シ
ー
に
暴力
を
ふ
る
う
ジ
ョ
ー
ナ
ス
・チ
ャ
ズ
ル
ウ
ィ
ッ
ト
や
エ
ス
テ
ラ
を
虐待す
る
ベ
ン
ト
リ
ー
・ド
ラ
ム
ル
の
よ
う
な
悪人た
ち
の
DV
と
は
逆の
パ
タ
ー
ン、
す
な
わ
ち
夫に
対す
る
妻
の
暴力も
頻繁に
描か
れ
る。
そ
う
し
た
逆様の
世界の
ト
ポ
ス
に
は
二つ
の
機能が
あ
る。
第一の
機能は
愚か
な
権威
に
対す
る
諷刺
――
『
オ
リ
ヴ
ァ
ー
・ト
ゥ
イ
ス
ト
』で
は
威張っ
た
小役人の
バ
ン
ブ
ル
が
コ
ー
ニ
ー
夫人と
結婚し
て
救貧院長と
な
る
が、
二ヶ
月も
し
な
い
う
ち
に
妻の「
手に
よ
る
攻撃
」(
第三七章
)
に
よっ
て
主従関係が
ひ
11
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っ
く
り
か
え
り、
洗濯女た
ち
の
押さ
え
き
れ
な
い
爆笑を
招い
て
い
る。
第二の
機能は
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝の
伝統的な
ジ
ェ
ン
ダー
観に
対す
る
是認
――〈
手
〉
の
イ
メー
ジ
が
支配的な
『
大い
な
る
遺産
』
で
は、
ピ
ッ
プ
の
暴力的な
姉の
「
頑丈な
太い
手
」
に
よっ
て
夫の
ジ
ョ
ー
も
支配さ
れ
る
が、
ジ
ェ
ン
ダー
・ロ
ー
ル
が
逆転し
た
家庭は
結果的に
暴力と
無秩序し
か
生ま
な
い
と
い
う
理由
で
忌避さ
れ
る。
こ
こ
で
見逃し
て
な
ら
な
い
点
は、
ヘ
ゲ
モ
ニ
ーの
掌握が
暴力に
依存す
る
夫婦関係は
労働者階級の
み
な
ら
ず、
夫婦の
主従関係は
「な
ぐ
る
か、
ひ
る
む
か
(either beats or cringes)」
(第四七章
)
に
よっ
て
決ま
る
と
ジ
ャ
ガ
ー
ズ
が
言っ
て
ウ
ェ
ミ
ッ
ク
も
同意し
た
中産階級の
エ
ス
テ
ラ
と
ド
ラ
ム
ル
の
場合
に
も
見ら
れ
る
こ
と
だ。
七 ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝の
ジ
ェ
ン
ダー
観に
反し
た
行動を
と
る
女性
へ
の
デ
ィ
ケ
ン
ズ
の
対応は
暴力に
よ
る
女性の
馴化
(taming of a shrew
)
で、
そ
の
証拠に
ジ
ョ
ー
夫人は
オー
リ
ッ
ク
の、
モ
リ
ー
は
ジ
ャ
ガ
ー
ズ
の、
エ
ス
テ
ラ
は
ド
ラ
ム
ル
の
腕力に
そ
れ
ぞ
れ
沈黙さ
せ
ら
れ
る。
特に、
女性が
家庭の
外、
〈
公的領域
〉で
暴力を
ふ
る
う
場合、
デ
ィ
ケ
ン
ズ
は
『
二都物語
』
で
フ
ラ
ン
ス
革命に
お
け
る
「
女性た
ち
の
光景は
最も
大胆な
男を
も
ぞっ
と
さ
せ
た
」(
第二巻第二二章
)
と
述べ
て
い
るよ
う
に、
女性の
暴力を
女性性や
母性の
倒錯し
た
も
の
と
し
て
恐れ、
そ
の
体現者で
復讐の
女神や
聖女ギ
ヨ
テ
ィ
ー
ヌ
と
同一視
さ
れ
る
ド
フ
ァ
ル
ジ
ュ
夫人を
懲ら
し
め
る
か
の
よ
う
に
銃の
暴発で
自滅さ
せ
て
い
る。
『
ド
ン
ビー
父子
』
の
山場と
し
て、
家父長制を
体現す
る
ミ
ソ
ジニ
女嫌い
の
ド
ン
ビー
氏に
よっ
て、八
娘の
フ
ロ
ー
レ
ン
ス
が
殴打さ
れ
る
場面が
第四七章に
あ
る。
ド
ン
ビー
商会社長と
し
て
の
プ
ラ
イ
ド
と
リ
ス
ペ
ク
タ
ビ
リ
テ
ィ
を
傷つ
けら
れ
た
夫が、
恐
ろ
し
い
妻イ
ー
デ
ィ
ス
の
反抗を
暴力で
抑圧で
き
な
い
点か
ら
判断す
る
と、
こ
の
父の
娘へ
の
殴打は
妻に
対
す
る
暴力の
代理執行と
見な
す
の
が
妥当な
解釈で
あ
ろ
う。
リ
サ
・サ
リ
ッ
ジ
が
言う
よ
う
に、
こ
の
よ
う
な
暴力の
移譲は
自分を
排除す
る
「
女性た
ち
の
慈し
み
や
絆や
セ
ク
シ
ュ
ア
リ
テ
ィ
に
対す
る
彼の
恐怖
と
憤り
」(Surridge 82)
の
表出と
し
て
も
読む
こ
と
が
で
き
る。
従っ
て、
妻と
娘が
「
グ
ル
で
あ
る
(in concert/in league)」
と
い
う
ド
ン
ビー
氏の
苦情
は
あ
な
が
ち
被害妄想と
も
言え
ず、
彼女た
ち
の
共通点は
『リ
ト
ル
・ド
リ
ッ
ト
』
の
ミ
ス
・ウェ
イ
ド
と
タ
テ
ィ
ー
コ
ラ
ム
の
非倫理的な
愛を
疑わ
せ
る
と
い
う
意味で
は、九
彼の
暴力も
娘が
義母イ
ー
12
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デ
ィ
ス
の
後を
追っ
て
淪落の
罪を
犯す
危険を
阻止す
る
た
め
の
事前の
罰と
し
て
正当化で
き
な
い
こ
と
も
な
い。
い
ず
れ
に
せ
よ、
デ
ィ
ケ
ン
ズ
は
感情を
抑圧さ
れ
た
女性の
暴力性を
描き
な
が
ら
も、
女性性に
反
す
る
暴力を
鎮圧せ
ず
に
は
お
れ
な
か
っ
た。
一方
で
女性の
可視的
(あ
る
い
は
不可視的
)
な
暴力を
抑圧す
る
男性の
側の
暴力は
許容
さ
れ
る
傾向が
あ
る。
表向き
に
は
男女が
平等と
い
う
原則
に
基づ
き
な
が
ら、
こ
の
よ
う
に
暴力に
つ
い
て
は
ダブル・スタンダー
ド
二重規範
に
陥っ
て
し
ま
う
デ
ィ
ケ
ン
ズ
が、
ホ
モ
ソ
ーシ
ャ
ル
な
家父長制社会に
お
け
る
暴力の
ジ
ェ
ン
ダー
化と
い
う
因襲の
枠か
ら
出
る
こ
と
は
期待で
き
な
い
こ
の
暴力の
ジ
ェ
ン
ダー
化と
二重規範の
本質は
次節で
述べ
る
階級の
問題と
も
通底し
て
い
る。
第三節
抑圧の
移譲と
階級問題の
解決策
誰に
よっ
て
な
さ
れ
た
か
が
明確に
分か
る
犯罪
、
テ
ロ、
暴動、
戦争と
い
っ
た
主観的暴力に
強く
反対す
る
一方で、
自分た
ち
が
忌み
嫌っ
て
い
る、
ま
さ
に
そ
の
暴力な
る
現象自体を
生み
出す
〈
シ
ス
テ
ム
的暴力
〉
、
す
な
わ
ち
責任関係
が
は
っ
き
り
し
な
い
客観的暴力に
関与し
て
い
る
者た
ち
の
偽善に
つ
い
て、
ス
ラ
ヴ
ォ
イ
・ジ
ジ
ェ
ク
は
『
暴力
――
六つ
の
斜め
か
ら
の
省察
』
で
論じ
て
い
る
(Žižek 206)
。
そ
う
し
た
偽善者の
典型と
し
て
真っ
先に
思い
浮か
ぶ
の
は
『
ハ
ー
ド・タ
イ
ム
ズ』
の
工場主バ
ウ
ン
ダ
ビー
で
あ
る。
こ
の
似非
セ
ル
フ
メ
イ
ド
・マ
ン
は、
労働組合の
ス
ト
ラ
イ
キ
や
労働者の
暴動を
批判す
る
一方で、
貧乏ゆ
え
に
離婚で
き
な
い
ブ
ラ
ッ
ク
プー
ル
の
不満を
抑圧す
べ
く、
産業資本家
の
要求を
イ
デ
オ
ロ
ギー
的に
代弁し
た
(
社会シ
ス
テ
ム
の
暴力装置と
し
て
の
)
レッセ・フェー
ル
自由放任主義
を
擁護し、
現代社会で
は
パ
ワ
ハ
ラ
の
一種と
見な
さ
れ
る
ネ
グ
レ
ク
ト
を
不干渉主義の
立場か
ら
正当化し
て
い
る。
こ
のレ
ッ
セ
・
フ
ェ
ー
ル
も
ま
た
ジ
ェ
ン
ダー
の
問題と
同様に
行為主体が
明確で
な
い
構造的暴力で
あ
り、現存す
る
社会階級を
維持す
る
た
め
の
機能と
し
て
作用す
る。
そ
れ
に
対し、
資本家
の
自由放任主義は
労働者と
の
溝を
深め
る
だ
け
で、
「
親切と
辛抱と
明る
い
物腰
」(
第二巻第五章
)
と
で
労働者に
干渉し
な
け
れ
ば、
そ
の
溝を
埋
め
る
こ
と
は
で
き
な
い
と
言い
な
が
ら、
ブ
ラ
ッ
ク
プー
ル
は
バ
ウ
ン
ダ
ビー
に
〈隣人愛
〉
を
求め
て
い
る。
結局、
ブ
ラ
ッ
ク
プー
ル
は
理解さ
れ
る
こ
と
な
く
解雇さ
れ
る
(
図版③)
が、
こ
の
よ
う
に
資本家が
イ
エ
ス
の
説く
隣人愛を
持て
ず13
![Page 14: ヴィクトリア朝になって抑圧された中産階級の暴力 …victorian-studies.net/dickens/cd-vio-layout.doc · Web view特筆すべきは、女もプードル犬やロバのように保護を与えられるべきだという考えから、一八五三年六月に婦女子加重暴行防止・処罰法案が制定されたことだ。この法案は摂政時代のあと議会を通過していたのだが、実際には制定されて来](https://reader036.vdocuments.mx/reader036/viewer/2022070900/5f4033a1255d3748cb22f479/html5/thumbnails/14.jpg)
に
シ
ス
テ
ム
的暴力に
依拠し
て
し
ま
う
最大の
原因は、
現状
(status quo)
を
破壊す
る
暴力を
秘め
た
(
特に、
集団化し
た
)
労働者に
対
す
る
潜在的な
恐怖な
の
で
あ
る。
産業革命に
よっ
て
完成の
域に
導か
れ
た
資本主義社会は
暴力に
立脚し
た
社会
で
あっ
た。
そ
れ
は
資本家と
い
う
少数の
搾取者が
労働者と
い
う
多数の
被搾取者に
対し
て
ふ
る
う
暴力、
レ
ッ
セ
・
フ
ェ
ー
ル
や
セ
ル
フ
・ヘ
ル
プ
と
い
っ
た
美名に
よっ
て
巧み
に
隠蔽さ
れ
た
暴力に
他な
ら
な
い。
な
ぜ
な
ら、
機械の
発明・使用は
労働力の
余剰を
生み
出し、
労働力を
売
る
以外に
生活の
手段を
持た
な
い
プ
ロ
レ
タ
リ
ア
ー
ト
に
と
っ
て、
資本家が
提示す
る
労働条件は
絶対に
拒否で
き
な
い
も
の
で
あ
る
か
ら
だ。
そ
の
労働条件と
し
て、
低賃金で
過酷な
労働の
強制と
と
も
に、休息の
強制が
デ
ィ
ケ
ン
ズ
作品で
槍玉に
挙がっ
て
い
る
こ
と
は
注目に
値
す
る。
『
リ
ト
ル
・ド
リ
ッ
ト
』
の
ク
レ
ナ
ム
夫人は
夫の
前妻
――
労働と
は
対照的な
娯楽の
職業に
従事
す
る
歌姫
――
に
対す
る
嫉妬と
憎悪ゆ
え
に、
そ
の
前妻を
軟禁
し
て
発狂か
ら
死に
至ら
し
め
た
の
み
な
ら
ず、
自分を
裏切っ
た
夫に
は
ク
レ
ナ
ム
商会の
仕事で、
二人の
間に
で
き
た
罪の
子ア
ー
サ
ー
に
は
教育で、
神の
復讐と
い
う
旧約聖書的な
教え
に
基づ
く
禁欲主義的な
ピュ
ー
リ
タ
ニ
ズ
ム
を
強制し
た
過去を
持つ。
ア
ー
サ
ー
に
精神的外傷を
負わ
せ
た
暴力的な
イ
デ
オ
ロ
ギー
、
す
な
わ
ち
旧約聖書の
14
図版③
「
天
があっしらこんのみんなをお
助
けくだせえますように!」(
ハリ
ー
・
フ
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モー
セ
の
第四戒を
遵守し
た
義母ク
レ
ナ
ム
夫人のサバタリアニズム
安息日厳守主義
は、
マ
ッ
ク
ス
・ヴェ
ー
バ
ー
の
『
プ
ロ
テ
ス
タ
ン
テ
ィ
ズ
ム
の
倫理と
資本主義の
精神
』
に
照ら
せ
ば、
月曜日か
ら
の
労働に
備え
て
被支配階級に
日曜日の
休息を
強制し、
息抜き
と
し
て
の
娯楽を
彼ら
か
ら
奪う
も
の
で
あっ
た。
そ
の
意味で
看過で
き
な
い
の
は、
デ
ィ
ケ
ン
ズ
が一八三六年の
パ
ン
フ
レ
ッ
ト
「
日曜日に
関す
る
三考察
」
や
『
ハ
ウ
ス
ホ
ー
ル
ド・ワ
ー
ズ』
一八五〇年六月二二日号の
記事
「
日曜
日の
締め
付
け
」
の
中で、
労働者へ
の
過度な
精神的圧迫が
必ず
反動的に
集団的な
暴力と
し
て
資本家
に
跳ね
返っ
て
く
る
だ
ろ
う
と
警告し
て
い
た
こ
と
で
あ
る。
し
か
し、
支配階級と
被支配階級と
の
間の
径庭は、
産業革命に
よっ
て
伝統的
な
社会階級が
多少は
流動化し
た
に
せ
よ、
デ
ィ
ズ
レ
イ
リ
が
政治小説
『
シ
ビ
ル
』
で
貧困に
あ
え
ぐ
無産階級と
利己主義に
染ま
っ
た
有産階級を
「
二つ
の
国民
」
と
し
て
描い
た
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝初期に
お
い
て
も、
依然と
し
て
埋め
が
た
い
も
の
で
あっ
た。
従っ
て、
女王を
頂点と
し
た
ピ
ラ
ミ
ッ
ド
型の
階級を
基盤と
す
る
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝社会に
お
け
る
人間関係のダイナミクス
力
学に
つ
い
て
は、
丸山眞男が「
超国家主義の
論理と
心理
」
で
述べ
て
い
る
よ
う
な、
上
か
ら
受け
た
抑圧を
下へ
譲り
渡す
こ
と
に
よっ
て
精神の
バ
ラ
ン
ス
が
保た
れ
る
と
い
う、
い
わ
ゆ
る
「
抑圧の
移譲に
よ
る
精神的均衡の
保持
」(25)
と
い
う
原理が
そ
の
ま
ま
当て
は
ま
る。
一
〇
こ
の
抑圧の
移譲は、
同
じ
階級の
中で
も
階層が
あ
る
限り、
必ず
発生す
る。
例え
ば
慈善学校出身と
は
い
え
少な
く
と
も
両親が
い
る
『
オ
リ
ヴ
ァ
ー
・ト
ゥ
イ
ス
ト
』
の
ノ
ア
・ク
レ
イ
ポー
ル
は、
世間一般で
は
私生児を
連想さ
せ
る
救貧院出身の
孤児オ
リ
ヴ
ァ
ー
よ
り
は
階層的に
上位な
の
で、
慈善学校出身でな
い
近所の
小僧
た
ち
の
イ
ジ
メ
を
日頃じっ
と
我慢し
て
い
る
ノ
ア
は、
そ
れ
に
大き
な
利子を
つ
け
て
オ
リ
ヴ
ァ
ー
に
移譲す
る
こ
と
で
精神を
安定さ
せ
て
い
る。
「
や
ん
ご
と
な
き
貴族か
ら
汚い
慈善学校の
少年ま
で
階級に
関係な
く
見ら
れ
る
」(
第五章
)
と
デ
ィ
ケ
ン
ズ
が
語っ
て
い
る
人間性は、
ま
さ
に
こ
の
精神的均衡の
保持
の
た
め
に
な
さ
れ
る
抑圧の
移譲で
は
あ
る
ま
い
か。
それでは、
階級が下位の人々
(
例えば、
労働者たち)
が団結して集団としてパワー
を得た場合、
抑圧
の移譲ができない中産階級の人間はどうしたであろうか。
ディケンズは労働者階級の暴動、
ストライキ、
革命の大義には少なからぬ理解を、
そして抑圧された個人としての労働者に
は大いなる共感を示しているが、
目的のために手段を選ばないマキャベリズム
には反対で、
暴力組織と化した集団としての労働者を嫌っ
ている。
一一
フロイトが「
集団の中に個人が寄
り集まると、
個人的な抑制がすべて脱落して、
太古の遺産として個人の中にまどろんでいた残酷
で血なまぐさい破壊的な本能がすべて目覚めさせられ、
自由な衝動の満足に駆り立てる」
(Freud
15
![Page 16: ヴィクトリア朝になって抑圧された中産階級の暴力 …victorian-studies.net/dickens/cd-vio-layout.doc · Web view特筆すべきは、女もプードル犬やロバのように保護を与えられるべきだという考えから、一八五三年六月に婦女子加重暴行防止・処罰法案が制定されたことだ。この法案は摂政時代のあと議会を通過していたのだが、実際には制定されて来](https://reader036.vdocuments.mx/reader036/viewer/2022070900/5f4033a1255d3748cb22f479/html5/thumbnails/16.jpg)
18: 79)
と述べたように、
ディケンズもまた暴力集団と化した労働者の獣的・犯罪的欲望による社会シ
ステムの転覆を恐れていた。
しかし、
暴力を忌避するディケンズと同時に、
例え
ば『バー
ナビー
・ラッ
ジ』
でゴー
ドン騒乱を描く際に、
フォー
スター
に宛
てた手紙で「私はニュー
ゲイトの囚人をすべて解放し、
マンスフィー
ルド卿
の屋敷を焼き払い、
滅茶苦茶にしてやりました」
(18 September 1841, Letters 2:
385)
と語っ
ているように、
暴力的な群集の破壊活動に自分も参加したいという衝動に駆られた、
つまり暴力に魅了されたディケンズがいたことも事実である。
また、
『
イタリア紀行
』
で克明に描かれたヴェ
ズヴィオ火山の噴火口の燃えさかる炎は、
そ
の恐怖にもかかわらず接近したいという抗しがたい欲望にディケンズを駆り立
てている(
第一一章
)
。
労働者に対する共感と反感、
暴力に対する忌避と魅了の共存といっ
た、
こうした
アンビヴァレンスは階級を超えた万人共通の感情として恐ろしいものやグロテス
クなものに関しても当てはまる。
『
バーナビ
――
・ラッ
ジ』
のゴー
ドン騒乱で言えば、
「
驚異に対する好奇心や怖いもの見たさは天地創造以来の人間が持っ
て生まれた特性
」(
第五四
章
)
なのだ。
十二世紀末にタイバー
ンで始まっ
たイギリスの公開処刑は、
一七八三年にそこか
らニュー
ゲイトに場所を移し、
ヴィクトリア朝になっ
てもディケン
ズが死ぬ直前の一八六八年まで廃止されなかっ
た。
このような大衆娯楽は、
怖いもの見たさに集
まっ
た見物客に対して、
対岸の火事としての安心感に加え、
カー
ニヴァルの最後に自分たちの暴力
の責任を藁人形に転嫁して火あぶりの刑に処する、
いわゆる防衛
機制としての投影で得られるよ
うな安心感も与えていたのである。
『
二都物語
』
の最終章でディケンズは、
「
再度あの飽くことを知らない乱行や弾圧
(license
and oppression)
と同じ種子を蒔いたならば、
その品種に応じた同じ実を必ず結ぶであ
ろう」
(
第三巻第一五章
)
という
メメント・モリ
死の
警告を発している。
畢竟するに、
暴力は暴力しか生まない
という単純明快な考えから、
ディケンズが階級間の暴力問題に対して出せる解決策は新訳聖書におけるイ
エスの教えしかない。
言い換えれば、
暴力の連鎖を断ち切る唯一の手段は、
恐ろしい集団の暴力と対照的
に描かれている個人のアガペー
、
つまりドファルジュ
夫人の憎悪と復讐を具現した群集
の暴力的な革命ではなく、
歴史の片隅で特定の個人の記憶だけに残るような使命を果たすシドニー
・カ
ー
トン個人による自己犠牲的な愛である。一二
ジョン・ルー
カスは暴力こそ「
社会変化をもたら
す唯一の方法
」(
Lucas 287 )
だと主張しているが、
ディケンズ研究者の大半はバー
ト・
G・ホー
ンバッ
クの「
結局、
世の中を変革して混沌に秩序を与えるには、
革命以上に愛の方が急進的で、
よ
り善い手段である」
(Hornback 118)
というパラドッ
クスをディケン
ズの考えと見なしている。
ディケンズが小説世界で(
少なくとも読者向けに)
そ
うした考えを示していることは事実である。
しかし、
暴力に関しては、
こ
の作家の現実世界と小説世界、
本音と建前を区別しなければならない。
その点を最後に人種の問題で確かめてみ
たい。
第四節
シ
ョ
ー
ヴ
ィ
ニ
ズ
ム
に
よ
る
人種差別
世界中で
海賊行為を
繰り
返し
て
い
た
フ
ラ
ン
シ
ス
・ド
レ
ー
ク
が
エ
リ
ザ
ベ
ス
一世の
も
と
で
海軍提督と
し
て
ス
ペ
イ
ン
無敵艦隊を
打ち
破っ
た
十六世紀末か
ら、
イ
ギ
リ
ス
は
帝国主義時代の
終わ
り
ま
で
海外の
有色人種に
対す
る
暴力と
略奪
に
よっ
て
維持さ
れ
て
い
た
海賊立国だっ
た
と
言っ
て
よ
い。
そ
の
間、優れ
た
人種で
あ
る
白人に
よ
る
有色の
劣等人種支配は
カ
ー
ラ
イ
ル
の
「
神の
意志
」
、
あ
る
い
は
キ
プ
リ
ン
グ
の
「
白人の
責務
」
と
し
て
正当化さ
れ
て
い
た
わ
け
だ
が、
そ
も
そ
も
コ
ー
カ
16
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ソ
イ
ド
の
〈
白
〉
は
す
べ
て
の
色の
可視光線が
乱反射し
た
時
に
人間が
知覚す
る
色だ
か
ら、
た
と
え
伝統的に
善や
正義の
イ
メー
ジ
が
与え
ら
れ
て
来た
に
せ
よ、
彼ら
が〈
黒
〉
の
ネ
グ
ロ
イ
ド
や
〈
黄
〉
の
モ
ン
ゴ
ロ
イ
ド
に
付与し
た
否定的属性を
実際に
は
自分た
ち
も
持っ
て
い
た
こ
と
に
な
り、
そ
こ
に
は
当然な
が
ら
暴力性や
残虐性も
含ま
れ
て
い
た
は
ず
で
あ
る。
植民地主義
で
あ
れ
帝国主義で
あ
れ、
文明化さ
れ
た
中心の
本国と
文明化さ
れ
る
野蛮な
周縁の
国々は、
こ
う
し
た
二項対立的な
価値観で
分類で
き
る一方
で、
文明の
中心に
も
〈
闇の
奥〉
と
し
て
の
野蛮な
周縁
(
例え
ば
、
『
エ
ド
ウ
ィ
ン
・ド
ル
ード
の
謎
』
で
ジ
ャ
ス
パ
ー
が
通う
帝都ロ
ン
ド
ン
の
中心イ
ー
ス
ト・エ
ン
ド
の
阿片窟
)
が
存在し、
そ
の
逆の
場合も
ま
た
し
か
り
で、
一
三
そ
う
し
た
構図は
デ
ィ
ケ
ン
ズ
の
作品で
はチャイニー
ズ・ボッ
クス
入れ
子構造
と
なっ
て
い
る。
一八六七年に
出版さ
れ
た
デ
ィ
ケ
ン
ズ
と
コ
リ
ン
ズ
の
最後の
コ
ラ
ボ
作品
「
行き
止ま
り
」
で
は、
ワ
イ
ン
会社の
地下貯蔵室頭ジ
ョ
ー
イ
・レ
イ
ド
ル
が
家父長制フ
ァ
ミ
リ
ー
の
水曜コ
ン
サ
ー
ト
の
参加者す
べ
て
を
「
わ
め
き
散ら
す
ダ
ル
ウ
ィ
ー
シ
ュ
の
集団
」
と
見下し
て
い
る。
も
と
も
と
ダ
ル
ウ
ィ
ー
シ
ュ
と
は
体を
激し
く
回転さ
せ
て
踊り
や
祈祷で
法悦状態に
入 る
イ
ス
ラ
ム
教の
托鉢僧を
指し、
一
四
の
ち
に
イ
ギ
リ
ス
で
は
「
踊り
狂う
人
」
全般の
意味で
使用さ
れ
る
よ
う
に
なっ
た。
こ
の
レ
イ
ド
ル
の
最大の
問題
は
自分が
理解で
き
な
い
他の
人種の
文化を
狂気の
沙汰と
見な
す
植民地主義的な
視点
で
あ
る。
し
か
し、
実際に
は
理解で
き
な
い
自分自身の
劣等性
を
自分が
無意識的に
恐れ
て
い
る
対象に
投影す
る
こ
と
で、
外的
な
も
の
と
し
て
処理し
て
い
る
に
す
ぎ
な
い。
こ
の
よ
う
な
レ
イ
ド
ル
の
視点は、
人種差別的な
ショー
ヴィニズム
狂信的愛国主義
と
し
て、
ヴ
ィ
ク
ト
リ
ア
朝の
人々が
階級
を
超え
て
多少な
り
と
も
共通し
て
持っ
て
い
た
も
の
で
あ
る。
こ
れ
は
事大主義の
変奏で
あ
り、
例え
ば
『
リ
ト
ル
・ド
リ
ッ
ト
』
で
「
我々が
見つ
け
る
た
め
に
は
隣の
通り
ま
で
行く
必要の
な
い
欠点
」(
第二巻第一七章
)
と
し
て、
ミ
ー
グ
ル
ズ
と
い
う
中産階級の
プ
ラ
ク
テ
ィ
カ
ル
な
男を
通し
て
描か
れ
て
い
る。
ミ
ー
グ
ル
ズ
の
名前が
伝染性の
極め
て
強いミ
ー
ズ
ル
ズ
は
し
か
か
ら
来て
い
る
こ
と
は
間違い
な
く、
こ
の
小説
の
原題「
誰の
責任で
も
な
い
(N
obody’s Fault)」
、
つ
ま
り
「万人共通の
欠点
(Everybody’s Fault)
」
は
当時の
社会に
蔓延し
て
い
た
シ
ョー
ヴ
ィ
ニ
ズ
ム
と
い
う
病気の
一種と
し
て
解釈で
き
る。
見落と
し
て
な
ら
な
い
の
17
![Page 18: ヴィクトリア朝になって抑圧された中産階級の暴力 …victorian-studies.net/dickens/cd-vio-layout.doc · Web view特筆すべきは、女もプードル犬やロバのように保護を与えられるべきだという考えから、一八五三年六月に婦女子加重暴行防止・処罰法案が制定されたことだ。この法案は摂政時代のあと議会を通過していたのだが、実際には制定されて来](https://reader036.vdocuments.mx/reader036/viewer/2022070900/5f4033a1255d3748cb22f479/html5/thumbnails/18.jpg)
は
デ
ィ
ケ
ン
ズ
自身も
そ
う
し
た
病原菌の
保有者で
あ
っ
た
点だ。
そ
の
証拠に、
例え
ば
イ
タ
リ
ア
人カ
バ
レ
ッ
ト
の
言語表現の
激し
さ
に
つ
い
て、
「
北国生ま
れ
の
人間に
は
まっ
た
く
正気の
沙汰と
は
思え
ぬ
激し
さ
」(
第二巻第二二章)
と
表現し
て
い
る。
イ
タ
リ
ア
と
同じ
カ
ト
リ
ッ
ク
の
国ア
イ
ル
ラ
ン
ド
に
関し
て
も、
イ
ギ
リ
ス
の
事実上の
植民地だっ
た
と
い
う
こ
と
で
デ
ィ
ケ
ン
ズ
の
差別意識が
見ら
れ
る。
ロ
ン
ド
ン
犯罪地区を
巡回し
た
ル
ポ
ル
タ
ー
ジ
ュ
「
フ
ィ
ー
ル
ド
警部と
の
見回り
」(H
W, 14 June 1851)
で
は、
ア
イ
ル
ラ
ン
ド
人が
「
チ
ー
ズ
の
中の
ウ
ジ
虫
」
に
た
と
え
ら
れ
て
い
る。
ま
た、
デ
ィ
ケ
ン
ズ
の
レ
イ
シ
ズ
ム
の
議論で
よ
く
言及さ
れ
る
「
高貴な
野蛮人
」
(HW
, 11 June 1853)
と
い
う
諷刺的な
エ
ッ
セ
イ
で
は、
ロ
マ
ン
主義文学で
理想化さ
れ
た
文明に
汚さ
れ
ぬ
素朴で
勇敢な
未開人が
「
残虐、
虚偽、
泥棒、
殺人を
な
し、
多少な
り
と
も
獣の
脂や
は
ら
わ
た、
そ
し
て
残忍な
習慣に
ふ
け
る
野蛮人
」
と
見な
さ
れ、
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
を
訪問し
た
西部開拓時代の
画家ジ
ョ
ー
ジ・カ
ト
リ
ン
に
よ
る
ア
メ
リ
カ
・イ
ン
デ
ィ
ア
ン
の
シ
ョ
ー
も
酷評さ
れ
て
い
る。
こうした他の人種に対するディケンズの偏見や不寛容さは、
一八五七年のセポイの反乱前後に鮮明な形
で現れる。
この年に出版されたコリンズとの合作
「
英国人捕虜の危険
」
の舞台は中央アメリカの
ベリー
ズ(
当時は英国領ホンデュ
ラス)
だが、
着想はセポイの反乱時に捕虜となっ
た
イギリス女性たちの勇敢さであり、
ディケンズがクー
ツ女史に宛てた手紙では
、
イギリスの婦女子になされた残虐行為に対して〈
目には目を〉
の同害報復だけでは我慢できず
、
相手の人種を皆殺しするというジェ
ノサイド願望が示されている
(4 October 1857,
Letters 8: 459)。
この短篇小説で、
ディケンズの代弁者と思しき語り手ギル・デイヴィ
スは、
私生児で読み書き能力がないながらも立派な英国海兵隊の一兵卒となるが、
サンボの水先案内人クリ
スチャン・ジョー
ジ・キング(
図版④
)
に対して本能的に抱いた嫌悪感が単なる偏見でない
ことを証明しようとするかのように、
サンボの正体が
「
極め付きの裏切り者で極悪非道
な人でなし」
であっ
たことを何の前触れもなく暴いている。
この安易なプ
ロッ
ト展開は逆に作者自身の人種的偏見を浮き彫りにしてしまう。
なぜなら、
英国海兵隊の敵である残虐な海賊
たちはサンボや黒人に加えて、
オランダ人、
ギリシャ
人、
ポルトガル人
、
スペイン人、
西インド諸島に流刑されたイギリス人といっ
た欧州の人間によっ
て構成さ
れているからだ。
いずれにせよ、
このディケンズの極端な暴力的反応に関し
ては、
リリアン・ネイダー
の指摘にあるように、
『
イグザミナー
』
紙
をはじめとする当時の新聞に見られたヒステリッ
クな世論に後押しされたこと
が主たる原因であろう
(Nayder 100-01) 。
しかし、
それとは別に反乱勃発の二ヶ月後に息子
ウォルター
がクー
ツ女史の尽力で士官候補生としてインドへ
赴任したことに対する親と
しての心配や、
この時期
18
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にフォー
スター
に打ち明けている妻キャサリンとの軋轢による苛立ち
(?3
September 1857, Letters 8: 423-30)
も原因としては見逃せない。
ディケンズのレイシズムは彼が死ぬまで減退することなく、
むし
ろ一八六五年のジャマイカ事件によっ
て強化されている。イギリスでは一八〇七年の奴隷貿易廃止法、
三三年の奴隷解放令
にもかかわらず、
黒人問題は未解決のままであっ
た。
『
デイヴィッ
ド・コパ
フィー
ルド』
が連載された当時は、
奴隷制の復活を提唱したカー
ライルのような保守的な考
えと、
黒人の劣等は環境のせいとし、
そうした意見を合衆国の奴隷制を支持する悪魔の仕業として非難した
ミルのような自由主義的な考えが対立しており、
黒人を「
ニガー
」
と呼ぶカー
ライ
ルと「
ニグロ」
と呼ぶミルは実際に『
フレイザー
ズ・マガジン』
の一八四九年十二月号と翌年一月号
で論争している。
とはいえ、
支配階級の大多数はカー
ライル的な考えであり、
ディ
ケンズの黒人観もそれと大差なかっ
た。
その証拠に、
直前の作
『
ドンビー
父子
』
で黒人を召使
いとして雇っ
ているバグストッ
ク少佐が、
その黒人に八つ
当たりする
時の様々な暴力
の描写については、
残虐さよりはむしろ滑稽さが強調されているように思えて
ならない。
カー
ライルとミルは十五年後のジャマイカ事件でも対立するが、
この事件
でも
ディケンズは中産階級に支配された世論に従い、
無差別に黒人を虐殺して強硬な弾圧政策をとっ
たエドワー
ド・エア総督をカー
ライルと一緒になっ
て擁護した。
『
エドウィン・ドルー
ドの謎
』
では、ジャマイカ委員会でミルとともに急先鋒だっ
た委員のジョン・ブ
ライトを「
どこか熱帯の未開地から連れてこられた美しい原始人の捕虜
」(
第六章
)
みたい
なランドレス兄妹の無責任な後見人、
ロンドン博愛協会の横柄な会長ハニサンダー
として描き、
悪魔
のような原住民に対する軍隊の使用を批判する似非平和主義者として愚弄している。
このジャマイカ事件の翌月に連載が終わっ
た『
互いの友
』
では、
下層中産階級の事務員R・ウィル
ファー
が娘ベラの愛情深い性格をジョン・ハー
モンに証明しようとする際に、
ア
フリカの黒人の王様を「
安かろう、
悪かろう
(cheap [and] nasty) 」(
第二巻第一四章
)
とし
て蔑んでいる。
しかし、
ウィルファー
夫人が新婚のハー
モン夫妻の家を訪れる場面
で、
作者は彼女を「
少しでも驚嘆の素振りを見せると沽券に関わると思っ
ている野蛮な酋長
」(
第四巻第一六章
)
にたとえている。
ディケンズが意図的であっ
たか否かはさておき、
英国
の中産階級にせよ、
劣等民族の支配者にせよ、
リスペクタビリティという「
安かろう
、
19
図版④
「
サ
ン
ボ
の
水先案内人と英国海兵隊員
たち」
(
エド
ワー
ド・
G・ダル
ジ
ア
ルの挿絵、
ハ
ウ
スホー
ルド版
)
![Page 20: ヴィクトリア朝になって抑圧された中産階級の暴力 …victorian-studies.net/dickens/cd-vio-layout.doc · Web view特筆すべきは、女もプードル犬やロバのように保護を与えられるべきだという考えから、一八五三年六月に婦女子加重暴行防止・処罰法案が制定されたことだ。この法案は摂政時代のあと議会を通過していたのだが、実際には制定されて来](https://reader036.vdocuments.mx/reader036/viewer/2022070900/5f4033a1255d3748cb22f479/html5/thumbnails/20.jpg)
悪かろう」
の価値観に囚われていた点で両者に差異はない。
一五
さらに興味深いのは、
ヴィ
クトリア朝の女性性から逸脱していたベラが精神的に成長し、
最後は〈
家庭の天使
〉
として中産階級の私的領域に回収
されている点で、
これは家政や育児に無関心でアフリカの黒人を文明化するために「
望遠鏡的博愛
」(
第四章
)に熱中する『
荒涼館
』
のジェ
リビー
夫人の描写で分かるように、
中産階級の女性が公的領域で活動するこ
とに対するディケンズの根深い嫌悪感を反映している。
実際、
前期の作品でピクウィッ
ク氏
や改心したスクルージのような個人を通して全人類的に示されたディケンズの慈善や博愛主義
は、
後期になると徐々に減退し、
時には痛烈な皮肉の対象となり、
周縁化された他者に対する彼の言説には
レイシスト的、
反フェ
ミニスト的なニュ
アンスが多く含まれるように
なっ
ている。
*
*
*
*
*
結論として言えるのは、
ディケンズの帰属意識はイギリスが産業革命による経済力と軍事力と
で覇権国として栄えた〈
パクス・ブリタニカ〉
を実質的に支えていた中産階級にあっ
た
ので、
イギリスが安定した自由主義の国際システムを維持することで、
その経済的な利益を植民地
や諸国が享受できるという〈
覇権安定論
〉
を奉じていたことである。
そこでは劣等の植民地
や諸国に対する暴力は公務執行型の正義の暴力として
許容されてしまう。
家父長制社会における男性の女性に対する暴力の
みならず、
支配階級の被支配者階級に対する暴力もまた同断である。従っ
て、
たとえ当時の社会が支配階級の不正に
よっ
ていかに堕落していたにせよ、
中産階級の作家であるディケンズに求める
ことができたのは、
暴力による下からの革命ではなく、
(
時代的には前後する
が)
ピクウィッ
ク氏とサム・ウェ
ラー
との関係に見られるような、
産業革命以前の前近代的
な家内工業における優しい親方と滅私奉公する弟子との関係、
すなわち道徳的に改善されたパターナリ
ズム―
―
ジョー
ジ・オー
ウェ
ルの言葉を使えば、
「
現存するものを道徳化したヴ ァー
ジョン」 (O
rwell 467) ―
―
しかなかっ
たではあるまいか。
それは教育分野で言えば、
昔からあるタイプの学校からムチ打ちやイジメとい
っ
た暴力を取り除いた学校、
つまり『
デイヴィッ
ド・コパフィー
ルド』
で
クリー
クル校長のセイレム・ハウスから暴力を取り除いたストロング博士の学校と
いうことになる。
暴力による改革を支持することはディケンズにとっ
て
は自縄自縛の行為、
自分の土台を突き崩す行為という点で許容できることではないのである。
確かに、
ディケンズは他者としての女性、
労働者、
有色人種といっ
た弱者の味方として、
彼ら
に対する暴力行為を忌避しながら作品では批判しているが、
それはあくまでも作家とし
ての建前だ。
ジョン・ケアリが「
ディケンズと暴力
」
で
主張しているよう
に、
「
ほとんど何でも二つの違っ
た視点で見ることができる」
(Carey 15)
のは、
この作家の思考の一大特徴である。
その意味でもディケンズの建前と、
暴力に恐怖を抱き
ながらも魅了されてやまず、
ジェ
ンダー
・階級・人種の問題で劣等視される対象への暴力を
公務執行型の暴力と
して許容する彼の本音とは、
分けて考える必要があるのではないだろうか。
注
一
ジョー
ジ三世時代の監獄の悲惨さについては監獄改革者ジョン・ハワー
ドの『
十八世紀ヨー
ロッ
パ監獄事情
』
(川北稔・森本真美訳、
岩波文庫
)
、
特に「
イギリスの監獄事情
」 (H
oward **-**)
に詳しい。
二
十八世紀の狂人保護院が監禁することを目的にしたのに対し、
十九世紀の精神病院が治療する場所として機能するように
なっ
たことは、
『
狂気の歴史
』
の著者フー
コー (Foucault 251-22)
その他が指摘してい
る。
しかし、
副編集長W・H・ウィルズと共同執筆した
「
奇妙な木を囲んでの奇妙なダンス」(H
W,
20
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17 January 1852)
に記されているように、
ディケンズが一八五一年末に訪問した聖ルカ精神病院
で見たものは、
様々な拷問器具や医師自身の狂気を疑わせるような治療器具であっ
た
。
三 悪名高い
ニ
ュ
ー
ゲ
イ
ト
監獄に
つ
い
て
は、
デ
ィ
ケ
ン
ズも
『
ボ
ズの
ス
ケ
ッ
チ
集
』
で
「
ロ
ン
ド
ン
中の
罪と
悲惨を
掃き
集め
た
陰鬱な
建物
」(
第二五章
)
と
記
し
て
い
る。
四
筆者のコ
ンコーダンス <http://victorian.lang.nagoya-u.ac.jp/
concordance/dickens/>
によれば、
「
暴力/暴力的な
(violence/ violent)」
という言葉の使用頻度
はディケンズの前期作品で高く、
中期以降で低くなっ
ている。
前期作品で頻度が高いのは
、
勧善懲悪に対する作者の志向
が高く、
暴力を基盤とする支配・被支配の人間関係の逆転をトポスとしているからだと考えられる。母親
の悪口に言われてノア・クレイポー
ルを床の上に殴り倒すオリヴァー
(
第六章
)
、
スク
ウィアー
ズ校長からムチを奪っ
て相手を打ちまくるニコラス・ニクルビー
(
第一三章
)
、
偽善者ペッ
クスニフの罵詈雑言に対して強烈なパンチを見舞う弟子のマー
ティン・チャ
ズルウ
ィッ
ト(
第一二章
)―
―
こうした主人公たちの赤裸々な暴力行使が、
その何よりの証左である。面白いの
は、
前期の作品は産業革命期の社会風潮に、
中期以降の作品はヴィクトリア朝の社会風潮に対応していることで、
これは時代
の変化とともに暴力が抑圧されて別の形をとっ
ていることの裏付けとなる。
五
作品自体に
該当す
る
描写は
な
い
が、
不満を
述べ
た
ピッ
プが
退室す
る
際に
閉め
た
ド
ア
の
勢い
で、
暖炉の
石炭が一
つ
転がっ
て
花嫁衣装が
炎上す
る
と
い
う
デ
イ
ウ
ィ
ッ
ド
・リ
ー
ン
監督の
一九四六年の
映画の
演出は、
ピッ
プ
の
抑圧さ
れ
た
憎悪と
復讐の
無意識的行動化と
い
う
点で
秀逸で
あ
る。
六
ディケンズ自身が妻キャサリンに暴力をふるっ
ていたか否かに関しては、
編集長
の言うことをきかないギャスケル夫人について、
「
私が夫なら、
絶対ぶんなぐ っ
てやるのに!」 (11 Septem
ber 1855, Letters 7: 700)
という言葉や、
フォ
ー
スター
に語っ
た妻の気質についての不平不満から判断するならば、
妻に対するディケン
ズの苛立ちがDVになっ
た可能性は否定できない。
七
本当の
愛と
は
「
盲目的な
献身
」
で
「
暴力を
ふ
る
う
人
(sm
ite
r)
に
全身全霊を
委ね
る
こ
と
」(
第二九章
)
だ
と
ピ
ッ
プに
対
し
て
定義す
る
経験者ミ
ス
・ハ
ヴ
ィ
シ
ャ
ム
の、
い
わ
ゆ
る
「
マ
ゾ
ヒ
ズム
の
脱ジ
ェ
ン
ダ
ー
化
」
(Siegle 10)
は、
す
で
に
姉の
暴力を
内面化し
て
い
た
ピ
ッ
プが
女性の
愛と
は
暴力や
苦痛を
伴う
も
の
と
思
い、
ビ
デ
ィ
ー
よ
り
も
エ
ス
テ
ラ
を
求め
る
よ
う
な
マ
ゾ
ヒ
ス
ト
に
突き
進む
た
め
の
後ろ
盾と
な
っ
て
い
る。
八
デ
イ
ヴ
ィ
ッ
ド
・コ
パフ
ィ
ー
ル
ド
の
伯母ベッ
ツ
ィ
・ト
ロ
ッ
ト
ウ
ッ
ド
は、
結婚し
て
暴力的に
な
っ
た
夫を
追い
払う
こ
と
な
く
死ぬ
ま
で
金を
渡し
続け
て
い
る
(
第四七章
)
が、
こ
の
温情が
夫に
対
す
る
憎悪を
抑圧し
た
反動形成だ
と
す
る
と、
そ
の
脆弱な
反動形成
を
絶え
ず
脅か
す
無意識的衝動は、
ド
ン
ビー
氏の
女嫌い
と
対照を
な
すミサンドリ
男嫌い
と
い
う
形で
外に
向け
ら
れ、
例え
ば
甥
の
誕生の
場面や
ロ
バを
追い
払う
場面、
マ
ー
ド
ス
ト
ン
の
暴力的な
威嚇に
も
屈し
な
い
場面に
現れ
て
い
る。
九
ロー
ザ・ダートルとミス・ウェ
イドは抑圧された怒りと欲望を言葉の暴力によっ
て表現し
21
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ているが、
彼女たちの怒りはジェ
ンダー
と階級の劣等感
――
『
荒涼館
』
のフランス人侍女ホー
テンスの場合は人種も加えた劣等感
――
によっ
て引き起こされる。
自分の感情を弄んで捨てた(
も
しくは虐待した)
男に対する彼女たちの怒りは、
自分に取っ
て代わっ
た女
――
こちらも弄ば
れて捨てられた女
――
に対する嫉妬や自分を劣等視する別の女性に対する怒りに置換されるが、
こ
れもジェ
ンダー
間における一種の抑圧の移譲だと言えよう。
一
〇
『
二都物語
』の
エ
ヴ
レ
モ
ン
ド
侯爵に
つ
い
て
は
、
大公貴族の
接見の
儀で
の
孤立や
甥の
ダ
ー
ニ
ー
と
の
会話か
ら、
宮廷
の
不興を
買っ
て
い
る
こ
と
が
分か
る
が、
そ
の
抑圧を
移譲す
る
か
の
よ
う
に
侯爵は
平民や
農民を
虐げ、
「
抑圧
だ
け
が
不易の
哲学だ
」(
第二巻第九章)
と
断言し
て
い
る。
一一
労働者に対する共感と反感というアンビヴァレンスに対処すべく、
ディケンズは支配階級と被支配階級
の暴力の行使について、
例えば『
ハー
ド・タイムズ』
では双方の階級を批判せずに、
両者の衝突を激化
させることで利益を得るストライキの煽動者
(スラッ
クブリッ
ジ)
に非難の矛先を向
けている(
第二巻第四章
)
。
こうした対処法は、
ディケンズが「
鉄道ストライキ」
(HW
,
11 January 1851)
で述べた「
もともと正直で大人しい働き者の労働者たちが、
労働組合の下心のある金目当
ての煽動者に洗脳されて暴力集団に巻き込まれている」
という観察から生まれたと思われる。
ただ、
『
ハー
ド・タイムズ』
では労働組合自体も、
レイチェ
ルとの約束によっ
て組合員に
なろうとしないブラッ
クプー
ルを村八分によっ
て威嚇するような暴力集団として批判
されている。
一二
その意味で、
貴族階級の抑圧という監禁状態から解放される手段として下層階級がふるっ
た「
他者への暴力
」
は、
『
二都物語
』
のプロッ
トが社会的コンテクストから個人的コンテクストへ
移るに従い、
(
反
キリスト教的な自殺という「
自己への暴力
」
になりかねない自己嫌悪から解放された)
カート
ンの自己犠牲的な死というキリスト教的な「
自己への暴力
」
によっ
て浄化される
(Kucich 120)
というジョン・キュー
シッ
チの解釈には説得力がある。
一三
例えば、
『
大いなる遺産
』
の流刑囚マグウィッ
チは自分自身を、
帝国の中心から対蹠地へ
遠ざけられた他者
ではなく、
対蹠地の中心にいる植民者と思い込んでいるが、
そのような視点によっ
て中心と周縁
という図式は脆くも瓦解する。
彼が命を賭けて帰国した真の動機は、
恩義を受けたピッ
プに会うた
めではなく、
自分が作っ
た紳士を見て満足するためである。
ロンドンで紳士を作るこ
とは帝国の中心から認知されるだけでなく、
植民地での成功では獲得できない中心的な体制における自己
を確立することも同時に意味する。
しかし、
周縁の他者から中心の自己へというマグウィッ
チの野心は、
労働者から紳士になるピッ
プの野心と同じように、
他者としての自分を再確認する皮肉な結果
にしかならない。
一四
『
二都物語
』
で暴力集団と化した労働者たちが〈
自由の木
〉
を囲んで踊るカルマニョー
ルは、
彼らの狂気
と無秩序の尺度としての意識のエントロピー
が限界を超えて流出した結実であり、
ディケン
ズが革命の本質と見なした逆様の世界を構築する典型となっ
ている。
一方、
このダンスのパロ
ディー
として提示された「
奇妙な木を囲んでの奇妙なダンス」
は、
狂人たちが踊るダン
スの整然と統制された秩序を描くことで、
精神病院内での厳しい
ディシプリー
ヌ
規律・訓育を揶揄している。
一五
ディケンズにとっ
ては日本人もインド人と同様に劣等民族であっ
た。
「
柊亭
」(H
W, 1855
Xm
as No.)
では、
広い
部屋に泊まっ
た主人公のために宿の連中が「
漆を塗っ
た
(japanned)」
スクリー
ン
衝立 を防寒用として準備してくれるが、
その衝立に描かれた日本の原住民が(
実際は中国人だろう
が)
従事している様々な仕事は、
ディケンズが理解できないという理由で「
馬鹿げた
(idiotic)」
ものとして処理されている。
22
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