林光洋ゼミナール活動報告(1) 私たちが ラオス現地調査プロ … ·...

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47 調使調調調調宿使調使調私たちが ラオス現地調査プロジェクトから学んだこと 経済学部・FLP 国際協力プログラム林光洋ゼミ 4 年 入江 遥、角井 絵理、山下 真依、山田 理史、野村 直輝、伊藤 林光洋ゼミナール活動報告( 1 )

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Page 1: 林光洋ゼミナール活動報告(1) 私たちが ラオス現地調査プロ … · 私たち林光洋ゼミナールは、発 してていいまグてすラ、学。ム毎私部のを年のたゼ、学ちゼ展ミん二ミ第の途〇で六と上二い人F期つ国前ま生Lのかす後P︵ら経で。二国済構林活際成学動ゼ協︵さミ力れ開はプ発、ロ経経済済学︶

47

私たち林光洋ゼミナールは、発

展途上国の経済学︵開発経済学︶

を学んでいます。林ゼミは、経済

学部のゼミとFLP国際協力プロ

グラムのゼミの二つから構成され

ていて、毎年、二〇人前後で活動

しています。私たち第六期生︵二

〇一二年三月卒業予定︶は、例年

よりも多い二五人︵経済学部ゼミ

生一六人、FLPゼミ生九人︶の

個性豊かな学生が集まっています。

今回は、私たちが三年次だった

二〇一〇年度に実施した「ラオス

現地調査プロジェクト」について

報告します。これはどのようなプ

ロジェクトだったのか、そこから

何を学んだのか、などをお伝えし

たいと思います。

ラオスプロジェクトとは

私たち林ゼミが普段学んでいる

開発経済学や国際協力論というの

は、発展途上国に焦点を合わせて、

そこでの経済・社会の発展や貧困

の解決について研究する学問分野

です。したがって、この分野は、

文献やインターネットにあたるだ

けではなく、実際に現地に行き、

自分たちの足で動き回り、自分た

ちの五感を使って研究することが

重要になってきます。そのような

わけで、私たちのゼミでは、以前

から「海外現地調査プロジェク

ト」が中心的なゼミ活動の一つに

位置付けられています。

私たちの代の調査対象国は「ラ

オス」です。二〇一〇年八月二八

日︵土︶から九月一〇日︵金︶ま

での二週間、ラオスで現地調査を

行いました。まず現地調査の半年

以上前の二〇一〇年二月に合宿を

行い、二五人いるメンバーの一人

一人が関心のあるテーマと訪問し

たい国について発表し合いました。

その後、春休み期間中に、全体の

研究テーマ、個別の研究分野、研

究対象国を並行して絞り込んでい

きました。最終的には、二〇一〇

年度が始まるころ、研究の対象に

なりうる機関やプロジェクトの存

在、治安、文化的背景、人的ネッ

トワークなどさまざまなことを考

慮して、「社会文化的側面に配慮し

た持続可能な開発」を全体の研究

テーマに据え、「ビジネス」、「教

育」、「環境」、「保健」という分野

を研究する四つの班を作り、本格

的なラオス研究に取り掛かりまし

た。正

直、誰もがこの時点では手探

り状態でした。林先生のつてでラ

オスの専門家を何人か招いて特別

授業をしてもらったほか、サブ・

ゼミの時間はラオス研究一色にな

りました。大学院で林先生の指導

を受けるフィリピンからの留学生

アリアンにお願いして、サブ・ゼ

ミの授業を手伝ってもらいました。

国連のラオスに関する英文リポー

トをテキストとして使用し、毎週、

アリアンを相手に英語で報告し、

彼女を交えてゼミメンバー全員が

英語で議論しました。この経験は、

現地調査で英語を使用しなければ

ならない時に、また最終的に英語

で論文を書く時に大いに役立ちま

した。

大変だった準備段階

さて、私たちが現地調査は忙し

い、大変だ、と言っても、「何がそ

んなに忙しいの?何がそんなに大

変なの?」と思われる方がいらっ

しゃるのではないでしょうか。昨

私たちがラオス現地調査プロジェクトから学んだこと

経済学部・FLP 国際協力プログラム林光洋ゼミ 4 年入江 遥、角井 絵理、山下 真依、山田 理史、野村 直輝、伊藤 優

林光洋ゼミナール活動報告( 1)

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を作成・送付してこちらの目的や

希望することを伝え、調査の協力

を要請しました。社会人、プロを

相手にしましたので、学生という

立場の甘さを痛感させられた場面

もありました。また、中央大学の

協定校であるラオス国立大学とは

合同で研究の発表会や交流会を企

画していましたので、出発前に何

度も連絡を取り合いました。

ゼミのメンバーは皆、アルバイ

トやサークル活動をしながら、こ

のラオス現地調査プロジェクトの

ために、朝は九時ごろから、夜は

一〇時過ぎまで経済学部棟六階の

ゼミ室で議論を重ねる日々が続き

ました。家に帰っても、日曜日で

あっても、個人作業のオンパレー

ドでした。二週間も外国に行くの

ですから、その資金集めをしなく

てはなりません。多くの部分は個

人のアルバイト代で捻出しました

が、これまでの林ゼミの先輩たち

と同様、経済学部の「鈴木敏文奨

学金」を利用させてもらいました。

「鈴木敏文奨学金」は、英語で執

筆する研究論文に対して資金的支

援をしてくれるもので、この奨学

今では、充実した旅行プランや現

地へ行くボランティア・ツアーが

ちまたにあふれています。それら

を利用するなら、申し込みをして、

あとは基本的に「行く」だけです。

しかし、私たちの目指すところは、

これが林ゼミの特徴であり、最も

大切にしている部分ですが、単に

「行く」にとどまらず、「自分たち

ですべて計画を立て、準備をして、

現地調査を実施し、英語の研究論

文を完成させる」というものです。

したがって、現地調査に出掛け

る前に山のようにやるべきことが

ありました。特に大変だったのは、

それぞれの班で「具体的なテーマ

を何にするのか」、「仮説やリサー

チ・クエスチョンをどのように設

定するのか」、「誰に何を聞くの

か」、「調査対象の組織や人にどう

やったらアポイントメント︵ア

ポ︶が取れるのか」を考える段階

でした。半年という時間をフルに

活用し、調査・研究に関連する日

本国内の機関、NGO、企業に足

を運んでインタビューしたり、人

的ネットワークを構築したりする

ことから始めました。研究計画書

金を受けることが出来るように、

私たちは綿密な英語の研究計画書

の作成や英語面接の練習など必死

に準備しました。非常にハードな

スケジュールだったことを記憶し

ています。林ゼミの先輩やフィリ

ピン人留学生アリアンから助言を

してもらったり、模擬面接の手伝

いをしてもらったりしました。

準備は、調査・研究の内容面に

関することだけにとどまりません

でした。調査したい対象がある場

所にアクセスしやすく、安全で安

価な宿泊場所を探して予約するこ

とを始め、航空券や現地での移動

手段︵マイクロバスのチャータ

ー︶の手配といったアドミニスト

レーション的な仕事もすべて自分

たちでやりました。これらの作業

のために、直接現地に国際電話を

掛けたり、英語でメールのやりと

りをしたりしました。それぞれの

仕事を学生同士で分担したことで、

全員に当事者意識が芽生えました。

ラオスとは

ここで少しラオスの紹介をしま

す。ラオスは、面積が二四万平方

㌔︵本州程度︶、人口が六〇〇万人

︵千葉県程度︶、一人当たり所得

︵GNI︶が七六〇アメリカ㌦

︵日本の二%程度︶、国内総生産

︵GDP︶に占める農業部門の割

合が三五%︵日本は二%程度︶、製

造業部門の割合が九%︵日本は二

〇%程度︶で︵世界銀行の二〇〇

八年の数字︶、東南アジア地域でも

特に規模が小さく、発展の途上に

ある国です。そのため、私たちが

研究の対象にした教育や保健など

の分野ではまだまだ課題の多い国

です。しかし、近年は観光分野で

ラオスブームが起きていて、日本

ラオスの空の玄関口ウッタイ国際空港

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が生産者に与える効果、②織物販

売を促進するための要因、の二点

を調査しました。調査方法は主に

インタビューで、織物販売団体と

それらを支援しているJICA、

ラオス政府、NGOの計九団体を

訪問しました。調査の結果、①織

物販売は生産者の生計向上に寄与

する可能性があること、②織物販

売を促進するためには、海外需要

の確保と生産者への配慮が必要で

あること、の二点が分かりました。

既に述べましたように、私たち

が二年生の二月から準備を始めま

した。二〇一〇年四月になって学

人にもラオスにはまり込んでしま

う人が出てきています。多くのア

ジア諸国のような騒がしさがなく、

首都ビエンチャンであっても静か

で、自然は豊か、人は温かいのが

特徴です。一度訪れれば、誰もが

日本にないラオスの良さを感じる

でしょう。

それでは、次に、ビジネス班、

教育班、環境班、保健班それぞれ

が、このラオス現地調査プロジェ

クトを通じて、経験したこと、学

んだことなどを紹介していきまし

ょう。

伝統的織物の商業化

ビジネス班は、「ラオスにおける

伝統的織物の商業化」というテー

マで研究をしました。ラオスでは

伝統的に織物作りが盛んで、多く

の女性が日用品として美しい織物

を織っています。しかし、販路や

生産環境が未整備であるために、

これらが商品として市場に出るこ

とはほとんどありません。ビジネ

ス班は、ラオスで伝統的織物を商

業化することが彼女たちの生計向

上につながると考え、①織物販売

年が上がり三年生になると同時に、

「鈴木敏文奨学金」の準備や詳細

な研究内容を決める作業に着手し

ました。六月に奨学金の選考試験

が終わり、研究内容を更に詰める

作業と並行してアポ取りを始めま

した。インフラが整っていないラ

オスでは、メールが届かないこと

も多く、ほとんどの団体に電話で

アポを取ることになりました。電

話した先で英語が通じず訪問を断

念したこともありました。七月に

なり、訪問先が確定し始め、八月

末からの現地調査に向けた準備

︵質問項目や配布資料の作成︶を

行いました。

ビジネス班が一番苦しんだこと

は、研究内容の決定でした。ラオ

スはビジネス分野において極めて

発展途上であるといえます。当初

は「BOPビジネス︵貧困層向け

ビジネス︶」をテーマとして結成さ

れたチームでしたが、先行研究や

研究対象の不足により、二度も大

幅な研究内容の変更を余儀なくさ

れ、先のテーマに落ち着きました。

最終的にテーマを変更したのは、

現地調査の帰り道のトランジット

で立ち寄ったベトナムのハノイ、

ノイバイ国際空港でした。

現地ではそれぞれの団体への訪

問に全力を注ぎました。織物販売

団体へのインタビューを通じて、

織物販売が生産者の生計を向上さ

せる可能性や織物販売団体がさま

ざまな手段で海外市場へアプロー

チしていることが分かりました。

また、実際に織物を生産している

現場を観察して、織物生産者の高

い技術力と製品の美しさに驚きま

した。織物販売を支援しているJ

ICA、ラオス政府、NGOへの

調査から、ラオスの織物事業を促

進するためにブランド構築が不可

欠であることや生産者への支援が

織物製品の品質向上につながるこ

とが分かりました。ラオスの人々

の生活を向上させるために、性別

に関係なくさまざまな立場、国籍

の人たちが協力し合いながら努力

している姿に感動を覚えました。

これらの訪問先の中には、現地

で急きょ訪問が決まる団体もあり

ました。そのため現地では、質問

事項の確認や配布資料の用意、訪

問後のお礼、フィードバックに追

ラオス国立大学で研究発表

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の両立」という課題を常に抱えて

いたと思います。

このような毎日の中で得たこと

は、「前向きさ」と「大切な仲間」

です。ビジネス班は、当初、目の

前の問題に嘆いてばかりで、自分

たちの限界を受け入れられずにい

ました。しかし何度も挫折をする

中で、「与えられた環境でいかにベ

ストを尽くすか」という前向きな

考え方をするようになりました。

また、共に考え、共に苦しみ、時

に共に泣きながらけんかをした仲

間は掛け替えのない存在です。感

情的に言い合うこともありました

が、最後は絶対に理解し合えると

いう揺るぎない自信を持ちました。

ラオス現地調査プロジェクトが終

わった今でも、一緒に出掛けたり、

卒業論文や新しいプロジェクトの

相談をし合ったり出来る仲間であ

り、一生の宝物です。

住民参加型の学校運営

教育」

とは、万人に与えられ

た権利です。私たちにとっては当

たり前ですが、校舎や教科書の不

足、学校へのアクセスの悪さ、世

われました。メンバー内で英語力

に差があったので、フィードバッ

クは特に時間が掛かりました。し

かし、翌日にはまた次の訪問先が

控えているので、ビジネス班の中

では「午前一時には必ず全員就

寝」というルールを作り、決めら

れた時間内で仕事を終わらせるよ

うに頑張りました。

経験やノウハウのない私たちが、

海外調査を行うことは難しく、仕

事は毎日山のようにありました。

特にビジネス班は、メンバーが五

人と他班に比較して人数が少なか

ったので、「チームワークと効率性

帯の人数の多さ、世帯の所得の低

さ、保護者の教育への理解不足、

教師の能力不足などが原因で、学

校に行きたくても通えない子供た

ちは世界中に大勢います。そして

ラオスも同様の問題を抱える国で

す。義務教育は小学校の五年間で

入学率は低くはありませんが、四

分の一もの児童が卒業出来ない現

状を知りました。不思議に思い調

べてみると、特に農村部では前述

の問題に加え、少数民族の子供た

ちが教授言語であるラオ語︵=ラ

オス語︶での授業に付いていけな

いことも一因であることが分かり

ました。

ラオス政府もこれらの問題を認

識していますが、改善していくだ

けの予算がありません。そこで私

たちは、地域住民が主体となり教

育環境の改善を行う「住民参加型

学校運営」という一部の地域で行

われている取り組みに着目し、「

民参加型学校運営はラオスにおけ

る初等教育の教育環境を改善す

る」

という仮説を立て、現地の援

助団体や住民参加型学校運営を行

う小学校を訪問し、インタビュー

調査をしました。その結果、ラオ

スには従来から地域に根差した住

民組織が存在し、その代表者たち

と教師が「村教育開発委員会︵V

EDC︶」を形成して、主体的に地

域の小学校の教育環境改善に尽力

していることが判明しました。

現場では、教育の重要性や教育

効果の改善方法を援助団体がVE

DCに説き、VEDCが地域住民

に伝え、気付かせることで、優秀

な教師の招聘や教育設備の整備を

行うなどの主体的な動きにつなが

っているケースを観察しました。

また、VEDCの活躍で、教師も

ラオ語が分からない児童のために

ピクチャーカードを使用するなど、

小学校の教育環境は改善され、子

供たちが通学出来るようになって

いるケースも確認しました。これ

らのことから、住民参加型学校運

営は、子供たちの教育環境を改善

するうえで、役に立つであろうこ

とが分かりました。

研究成果の良しあしは、事前準

備次第だと言っても過言ではあり

ません。まずは日本語、英語にか

かわらず、多くの資料や文献を読

アンケートを行った現地織物販売店で

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テープ起こしや新しく得た情報の

共有、資料の読み込み、質問の練

り直しなどをする必要がありまし

た。そんな連日の作業にくたくた

になりながらも最後に面会したV

EDCの方から、「

来てくれてあり

がとうございます。本日のことを

忘れず、またここを訪れてくださ

い」

と言ってもらえた時は疲れが

吹き飛ぶほど感動しました。

研究の成果はもちろんのこと、

同じ目標に向かってがむしゃら

になれる仲間を作ることが出来た

こと」と「その仲間と共通のこと

で喜びを持つことが出来たこと」

みあさることに時間と労力を割き

ました。何よりも教育班が困難を

極めたのが、「

問題意識の共有」

具体的なテーマの決定」

です。

一口に「教育」といっても幅広く、

どこに焦点を合わせるか」

を決

めるために朝から晩まで議論を重

ねた日もありました。また、学生

である私たちには、先行研究や事

例の有無が非常に重要です。テー

マは決まっても、資料がない。「研

究したい」

という思いだけでは調

査が実現しない厳しさも味わいま

した。

現地調査では、主にJICA、

UNICEF、NGOのシャンテ

ィ国際ボランティア会︵SVA︶

の三援助団体を訪問し、ラオス政

府やVEDCへの働き掛けについ

て話を伺いました。また、SVA

のプロジェクトサイトである小学

校二校を訪問した際は、VEDC

の人々にインタビューすることが

出来、子供たちとも触れ合えまし

た。英語とラオ語を操れるラオス

人のソンさんに通訳を依頼してコ

ミュニケーションを取っていたの

で、訪問時間外は録音した音声の

が大きな財産となりました。教育

班を一言で表現するとまさに「

物園」

。教育班の辞書に「

協調性」

という言葉はないくらいで、個々

人が実に自由な言動を繰り返し、

班長はその世話を焼く飼育員とい

う構図でした。意思の疎通がうま

く図れず言い合いになることやス

トレスをため込むこともありまし

たが、誰一人として投げ出すこと

なくラオス現地調査プロジェクト

を成し遂げることが出来ました。

現地調査を成功させたい、良い論

文を書きたい、という共通した強

い思いを持ち続け、その実現に向

かってばらばらながらも歩みを止

めなかったからこそ、満足出来る

結果が得られたのだと思います。

そんな仲間と協力し合って現地調

査に臨み、一つの論文を完成する

ことが出来た時の喜びはひとしお

でした。間違いなく大学生活最高

の一年間でした。素晴らしい環境

と仲間との出会いに感謝していま

す。

産業植林と地域住民

環境班は、「ラオスの産業植林に

おける企業と地域住民の関係」と

いうテーマで研究をしました。ラ

オスでは近年、急速な経済成長に

伴い、森林減少が深刻なものとな

っています。一九七〇年代に国土

の約七〇%あった森林が、現在で

は約四〇%に減少しています。そ

こで、ラオスにおいて環境︵森林

減少抑制︶と開発を両立する手段

の一つとして、企業による産業植

林に注目し、①企業が植林を行う

際、どのように地域社会に配慮し

ているのか、②産業植林の雇用に

より地域住民の生計は向上してい

るのか、の二点を調査しました。

現地では産業植林を行っている企

業︵LPFL社⋮「王子製紙」の

ラオスにあるグループ会社︶を訪

問し、聞き取り調査や住民の方々

にアンケート調査を実施しました。

そのほかに、ラオス林野庁やJI

CAラオス事務所も訪問し、民間

側の考えだけではなく政府側の考

えも調査しました。インタビュー

やアンケート調査により、①企業

は地域住民との十分な対話により、

地域住民の声を尊重しながら産業

植林を行っていること、②雇用に

ボリカムサイ県の小学校で村教育開発

委員会のメンバーにインタビュー

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ゼミ、土曜日ゼミ、日曜日ゼミ時

々休みというような状況でした。

ラオスでの二週間も落ち着かな

い日々でした。ホテルでは毎日の

ように班員で集まってミーティン

グをし、事前準備やフィードバッ

クを行いました。LPFL社での

調査は内容の濃いものになりまし

た。まず、LPFL本社を訪ね、

英語で質疑応答をしました。うま

くない英語を駆使しながらも、班

員全員で必死にメモを取りました。

次に、同社の植林地を訪問しまし

た。これまで本やインターネット

でしか見たことのない世界でした

が、実際に自分たちの目で確かめ

よりぜいたく品の購入や家族のた

めの現金支出が増え、地域住民の

生計が向上していること、の二点

が分かりました。

環境班は、ラオスに行く直前ま

でどたばたしていました。研究テ

ーマの設定、「鈴木敏文奨学金」の

エントリーシート作成と面接対策、

研究計画書の作成、現地訪問先へ

のアポ取りなど多忙な日が続きま

した。特に研究テーマは何度も何

度も変更しました。環境班は「頑

固者」が多く、研究内容へのこだ

わりから幾度となくテーマ設定に

苦しみました。テーマが最終的に

決定したのはラオスに行く約一カ

月前でした。そこから、慌ただし

く訪問団体へのアポ取りと質問票

の作成を始めました。アポ取りは

基本的にメールで行い、質問票は

訪問先で自分たちが欲しい情報を

得るために現地に行く直前まで質

問を練り直しました。やることが

多過ぎて、忙し過ぎて、ほぼ毎日

朝から夜遅くまでゼミ室にこもっ

て作業していました。三年生の前

期は、月曜日ゼミ、火曜日ゼミ、

水曜日ゼミ、木曜日ゼミ、金曜日

ることが出来、感動すら覚えまし

た。最後に、植林で雇用されてい

る住民が住んでいる村を訪問し、

アンケート調査を行いました。ア

ンケートは英語で作成し、それを

通訳のソンさんを通じてラオ語に

直してもらいました。実際に住民

の方々から生の声を聞くことが出

来たのは、まさに現地を訪ねたか

らであり、環境班にとって貴重な

情報となりました。現地では慣れ

ない環境ということや緊張もあっ

たため疲れもたまりました。しか

し、すべての調査が終了した際は、

班員全員、達成感で満ちあふれて

いました。現地ではおいしいラオ

ス料理やお酒も堪能しました。す

べてが素晴らしい思い出です。

この一年間の活動を通じ、知識

以上のものも得ることが出来まし

た。それは、実際に現地に行って

自分たちの目で見たり、肌で感じ

たりという経験、そして一つの目

標に向かい本気でぶつかり合える

仲間です。ゼロの状態から一つの

形にしていかなければならないこ

とは、非常に難しいことでした。

研究したい内容や考え方も班員一

人一人で違いました。研究を進め

ていく中で、納得していないメン

バー、いらいらしているメンバー、

モチベーションの下がっているメ

ンバー、色々なメンバーがいまし

た。それでも壁を乗り越え、現地

調査を成功させ、最終的に英語と

日本語の論文を執筆出来たのは、

つらい時に励まし合ったり、うれ

しい時に一緒に喜べる仲間がいた

からです。一人では絶対に出来ま

せんでした。最高の仲間たちに感

謝です。

地域に根ざした母子保健

「一一〇倍」。これが何の数字か

トンノイ村の植林従事世帯の人たちと

植林地を初めて見て興奮

52 2012/01/12 9:19:44

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か」という点に焦点を合わせ、研

究しました。調査の結果、TBA

への保健教育は、彼女たちの知識

・能力を高め、それは彼女たちの

住民に対する保健活動の質を向上

させ、そして当該地域の母子の健

康改善につながる有効な取り組み

であるという結論が得られました。

研究内容を文章にしてしまえば

以上のようにわずか数行ですが、

この裏側には数え切れないほどの

エピソードがあります。私たち林

光洋ゼミの基本スタイルは「学生

主導」です。つまり、すべてをゼ

ロから自分たちで準備しなければ

なりません。そのため、保健班も、

現地調査に出向く前に、研究テー

マ、仮説・リサーチクエスチョン、

訪問先を、何にするのか、どの機

関の誰にどのようなインタビュー

をするのか、自分たちで考えなく

てはなりませんでした。更に、そ

の機関に英語でアポを取るといっ

たことまですべて、自分たちの責

任の下で決定し、自分たちで実施

しました。

ラオスでは、JICAの地域母

子保健改善プロジェクト「PoM

o

お分かりでしょうか。これは、ラ

オスの妊産婦死亡率の日本のそれ

に比べての高さを表しています。

東南アジアの内陸部に位置するラ

オスでは、実に日本の一一〇倍も

の女性が出産関係の疾病やけがで

命を落としています。保健班の研

究は、この大きな差に対する「な

ぜこんなに違うんだろう」という

純粋な疑問からスタートしました。

保健班は「地域に根ざした母子

保健」というテーマを掲げ、研究

に取り組みました。病院や医師、

そして予算の不足などの問題を抱

えるラオスでは、伝統的産婆︵Tra-

ditional Birth A

ttendants

、以下、T

BA︶と呼ばれる人たちが出産に

おいて重要な役割を果たしていま

す。しかし、TBAは正式な教育

を受けていないため、適切な医療

サービスを提供出来ないケースが

目立っていました。そこで、保健

班は「TBAに教育を行うことで、

母子保健の現状は改善される」と

いう仮説を設けました。調査では

主に、「TBAへの保健教育の実施

は、住民の母子保健に対する意識

や知識にどのような変化を与えた

So

︵ポモソ︶」の現場やNGOの

事務所を訪問し、インタビューを

実施しました。「PoM

oSo

プロジェ

クト」では、青年海外協力隊の皆

さんの御厚意で、TBAの方々、

病院の関係者、現地住民の方々に

直接話を聞く機会があり、まさに

「現場の声」を肌で感じることが

出来ました。

こうした活動の中、保健班はラ

オスで大きな壁に直面しました。

自分たちの説明不足が原因で、訪

問する予定となっていたあるNG

O団体から当日の朝になって訪問

を拒否されてしまったのです。更

に悪いことに、この団体の事務所

は私たちの滞在していた首都ビエ

ンチャンから車で片道五時間も掛

かる遠方にあり、拒否するという

連絡を受けたのはその事務所に到

着した時でした。やむを得ず、私

たちは団体のスタッフの方々に事

情を説明し、誠心誠意謝罪しまし

た。それを受けて、スタッフの方

々は、一度受け入れ拒否をした相

手にもかかわらず、大変丁寧に活

動内容について説明してくださり、

更にはその地域の保健局や病院ま

で案内してくださいました。この

団体への訪問では、スタッフの方

伝統的産婆の方々にインタビュー

ビエンチャン市郊外の郡病院前で

53 2012/01/12 9:19:45

Page 8: 林光洋ゼミナール活動報告(1) 私たちが ラオス現地調査プロ … · 私たち林光洋ゼミナールは、発 してていいまグてすラ、学。ム毎私部のを年のたゼ、学ちゼ展ミん二ミ第の途〇で六と上二い人F期つ国前ま生Lのかす後P︵ら経で。二国済構林活際成学動ゼ協︵さミ力れ開はプ発、ロ経経済済学︶

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旬、四班合わせて二〇〇頁を超え

る英語論文を完成させました。私

たちの代は、帰国子女の学生がい

なかったので、英語で論文を書く

ということは非常に難しい作業で

した。書き上げた英語の論文は、

アリアンを始め、何人かの留学生

や英語の先生にチェックしてもら

いました。

前述のとおり、四つの班はそれ

ぞれの分野から、地域の伝統的習

慣と住民の主体性を尊重して開発

を進めていくことが重要であると

指摘しました。すなわち、全体と

して、今回のラオス現地調査プロ

ジェクトを通じて、「社会・文化的

側面に配慮した開発を行う」こと

は、ラオスの人たちに対して負の

影響を避け持続的に利益を提供す

る可能性が高いという結論を得る

ことが出来ました。これは、ラオ

スだけではなく、ほかの途上国に

対しても、「社会・文化的側面に配

慮した開発」が重要であるという

ことを示唆しているのではないか

と思います。

私たちのプロジェクトは、冗談

抜きに笑いあり、ぶつかり合いあ

々には多大な迷惑を掛ける結果と

なってしまいましたが、一方でこ

の経験は、保健班にとっては研究

内容・方法を見直すきっかけとな

り、そして大きな教訓となりまし

た。また、この経験があったから

こそ、班のメンバー同士のきずな

も更に強くなったように思います。

保健班にとってこの一年間のラ

オス研究プロジェクトは、すべて

が挑戦の連続でした。研究テーマ

一つを決めるにしても、数カ月間

メンバーと何度も意見をぶつけ合

いました。ほかの班と同じように、

遅くまでミーティングを行ない、

気付くと帰宅が午前〇時を回って

いるということが数え切れないほ

どありました。しかし、今振り返

れば、これらの経験すべてが貴重

な体験であり、大学生活の中での

掛け替えのない財産となりました。

ラオスプロジェクトを終えて

ラオスから帰国した後、現地調

査の疲れもさておき、調査結果の

整理と論文執筆に直ちに取り掛か

りました。現地調査終了後約五カ

月を費やして、二〇一一年二月中

り、涙ありでした。現地では多く

の出会いがありました。現地調査

中、ラオ語しか通じない訪問先が

多く、ラオ語から英語に、英語か

らラオ語に通訳をしてくれたソン

さんには、大変お世話になりまし

た。現地を出発する日、ビエンチ

ャンのウッタイ国際空港でソンさ

んと別れる時は、とてもつらかっ

たことを今でも覚えています。

私たちの個人的な感想ですが、

高校時代まで、こんなに充実した

思い出はありませんでした。学生

時代というものは、人それぞれで

すが、すべての学生にゼミ活動に

限らず「何かに打ち込むこと」を

強く勧めたいと思います。

このラオス現地調査プロジェク

トは決して私たちの力だけではな

く、多くの方々に支えられて成功

させることが出来たといえます。

私たちは、多くの人に助けてもら

って、多くを学ぶことが出来まし

たので、四年生になった二〇一一

年一一月、六つの中学校、高校を

訪問し、お礼の気持ちを込めて訪

問授業を行い、ラオスで学んだこ

とを私たちよりも更に若い世代に

伝える活動をしました。この訪問

授業については、次号の﹃草のみ

どり﹄で改めて報告する予定にな

っています。最後になりましたが、

経済学部の「鈴木敏文奨学金」で、

毎年、林ゼミの海外現地調査プロ

ジェクトを資金的に支援くださっ

ています鈴木敏文前理事長に感謝

申し上げます。また、私たちの現

地調査プロジェクトをさまざまな

形でサポートしてくださったすべ

ての皆様に心より感謝の意を込め

てこの場で御礼申し上げます。あ

りがとうございました。

空港で通訳のソンさんと別れを惜しむ

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