ロサンゼルスのヒスパニック...-36- 南部である。...

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34 共立女子大学国際文化学部助教授 石井久生 ロサンゼルスのヒスパニック 1.「移民のいない日」 1.「移民のいない日」 映画「A Day without Mexicanメキシコ人のいな い日」(2004年公開、セルヒオ・アラウ監督)は、 カリフォルニア州のメキシコ系住民が、ある朝突 然消えたことによって生じる混乱ぶりを描いたコ メディー作品である。工場から労働者が、レスト ランから調理師が、街頭から清掃作業員が消えた ら、街はいったいどうなるだろうか。あくまでも この映画はフィクションであるが、今年の5月1 日、映画の光景が「移民のいない日A Day without Immigrants」として現実味をおびたのである。 ことの発端は、米議会で審議されていた不法移 民規制強化法案であった。中南米諸国出身のエス ニック・グループである「ヒスパニック」は、そ の法案に反対を表明し、上院で審議が開始された 3月以降、ロサンゼルスで大規模なデモを実施し てきた。5月1日の「移民のいない日」デモは、 この反対運動を全米規模に拡大したもので、全米 のすべての移民とその支援団体に対して就労や就 学のボイコットとデモへの参加を呼びかけ実現さ れた。当日は全米で110万ともいわれる移民とそ の支援者がデモに参加した。 不法移民問題がこれほどまでに注目を集めるの は、その規模の大きさによる。移民問題を専門と する調査機関ピュー・ヒスパニック・センター PHC)は、米国に滞在する不法移民の数を2005 年3月現在で1110万人に達すると推計している。 これは米国の労働人口の実に5%近くに達する。 そのうちヒスパニックは870万人で全体の78%を 占め、なかでもメキシコ系は620万人(全体の56 %)に達する。 2.ヒスパニックはマイノリティか 2.ヒスパニックはマイノリティか 「ヒスパニック」とは、スペイン語を母語とす る人々を意味する。それとほぼ同義的に使われる 「ラティーノ」は、ラテンアメリカ出身者という ニュアンスが強い。帝国書院発行の『社会科中学 生の地理』には、2000年現在の全米におけるエス ニック・グループ構成比を示すグラフが掲載され ている。それによれば、ヒスパニックは12.6%で、 黒人(12.3%)を若干上回る。米国のエスニック・ マイノリティといえば「黒人」のイメージが強かっ たが、現在ではヒスパニックがそれに代わ った わけだ。 ただし、米国内でのヒスパニックの分布には 地域差がある。2000年の郡(カウンティ)別分布図 (図1)によれば、ヒスパニックの全米構成比(12.6 %)にほぼ近い12.5%を上回る郡は、メキシコと の国境地域に集中する。国境地域に集中する原因 は、彼らがメキシコから陸路で国境を越えてくる ためである。ヒスパニックのなかでもメキシコ人 0 1000 km 0 500 km 50.0~ 37.5~49.9 25.0~37.4 12.5~24.9 0~12.4 ヒスパニック (%,2000年) 0 500 km 図1 米国のヒスパニック分布(2000年) (出典)U.S. Census Bureau, United States Census 2000. は、米国と国境を接するという母国の立地条件の 恩恵を受ける、そのため、ヒスパニックに占める メキシコ系の割合(58.5%)は必然的に高くなる。 メキシコからの移民は、合法的な者もあれば、国 境警備隊の目を盗んで非合法に入国する者もある。

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Page 1: ロサンゼルスのヒスパニック...-36- 南部である。 サウス・セントラルとよばれるダウンタウン南 部は、かつて黒人の集中する地域であった。しか

-34-

共立女子大学国際文化学部助教授 石 井 久 生

ロサンゼルスのヒスパニック

1.「移民のいない日」1.「移民のいない日」

 映画「A Day without Mexicanメキシコ人のいな

い日」(2004年公開、セルヒオ・アラウ監督)は、

カリフォルニア州のメキシコ系住民が、ある朝突

然消えたことによって生じる混乱ぶりを描いたコ

メディー作品である。工場から労働者が、レスト

ランから調理師が、街頭から清掃作業員が消えた

ら、街はいったいどうなるだろうか。あくまでも

この映画はフィクションであるが、今年の5月1

日、映画の光景が「移民のいない日A Day without

Immigrants」として現実味をおびたのである。

 ことの発端は、米議会で審議されていた不法移

民規制強化法案であった。中南米諸国出身のエス

ニック・グループである「ヒスパニック」は、そ

の法案に反対を表明し、上院で審議が開始された

3月以降、ロサンゼルスで大規模なデモを実施し

てきた。5月1日の「移民のいない日」デモは、

この反対運動を全米規模に拡大したもので、全米

のすべての移民とその支援団体に対して就労や就

学のボイコットとデモへの参加を呼びかけ実現さ

れた。当日は全米で110万ともいわれる移民とそ

の支援者がデモに参加した。

 不法移民問題がこれほどまでに注目を集めるの

は、その規模の大きさによる。移民問題を専門と

する調査機関ピュー・ヒスパニック・センター

(PHC)は、米国に滞在する不法移民の数を2005

年3月現在で1110万人に達すると推計している。

これは米国の労働人口の実に5%近くに達する。

そのうちヒスパニックは870万人で全体の78%を

占め、なかでもメキシコ系は620万人(全体の56

%)に達する。

2.ヒスパニックはマイノリティか2.ヒスパニックはマイノリティか

 「ヒスパニック」とは、スペイン語を母語とす

る人々を意味する。それとほぼ同義的に使われる

「ラティーノ」は、ラテンアメリカ出身者という

ニュアンスが強い。帝国書院発行の『社会科中学

生の地理』には、2000年現在の全米におけるエス

ニック・グループ構成比を示すグラフが掲載され

ている。それによれば、ヒスパニックは12.6%で、

黒人(12.3%)を若干上回る。米国のエスニック・

マイノリティといえば「黒人」のイメージが強かっ

たが、現在ではヒスパニックがそれに代わ った

わけだ。

 ただし、米国内でのヒスパニックの分布には

地域差がある。 2000年の郡(カウンティ)別分布図

(図1)によれば、ヒスパニックの全米構成比(12.6

%)にほぼ近い12.5%を上回る郡は、メキシコと

の国境地域に集中する。国境地域に集中する原因

は、彼らがメキシコから陸路で国境を越えてくる

ためである。ヒスパニックのなかでもメキシコ人

0 1000 km0 500 km

50.0~ 37.5~49.925.0~37.412.5~24.9 0~12.4

ヒスパニック (%,2000年)

0 500 km

カリフォルニア州

図1 米国のヒスパニック分布(2000年)(出典)U.S. Census Bureau, United States Census 2000.

は、米国と国境を接するという母国の立地条件の

恩恵を受ける、そのため、ヒスパニックに占める

メキシコ系の割合(58.5%)は必然的に高くなる。

メキシコからの移民は、合法的な者もあれば、国

境警備隊の目を盗んで非合法に入国する者もある。

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カリフォルニア州は、メキシコと国境を接すると

同時に不法移民も集中する。PHCは、カリフォル

ニア州の不法移民を250~275万人(2005年)、全

米の不法移民の実に4分の1に達すると推計して

いる。メキシコ系移民と不法移民のイメージが重

複するのは、カリフォルニアを取り巻くこのよう

な移民事情によるところが大きい。

 どうしてメキシコ人は米国へ向かうのか。その

理由を入国前の職業が物語る。PHCの実施した米

国在住メキシコ系住民に対する調査によれば、入

国前の職業では「農業」が32%を占め、2位の製

造業(15%)を大きく引き離している。農民が米

国へ移住する原因は、メキシコの農業事情にある。

NAFTA(北米自由貿易協定)のもと輸入自由化

が進行したメキシコでは、安価な農産物の輸入増

加により、最近10年ほどの間に農業部門において

200万以上の雇用が喪失したといわれる。職を失っ

た農民は、国内の大都市や米国へと向かう移民と

化した。米国への入国後、彼らは血縁、地縁、さ

らにはヒスパニック集団の縁故を利用して、就業

先を確保する。就業先は、特殊な能力を必要とし

ない低賃金の部門、製造業やサービス業が主だ。

そこで得られた収入の一部は、本国に住む家族や

親類への送金に充てられる。送金総額はメキシコ

経済に影響を与えるほどの規模に達している。メ

キシコの分野別外貨収入(2004年)において、海

外からの送金は、原油輸出(212億ドル)につぐ

166億ドルに達し、観光収入(108億ドル)をはる

かに上回るのである。

3.ロサンゼルスのヒスパニック居住地3.ロサンゼルスのヒスパニック居住地

 5月1日のデモの舞台となったロサンゼルス

のエスニック事情を概観しよう。ロサンゼルス大

都市圏の総人口1720万人(2004年)のうち、ヒス

パニックは42.6%を占め、非ヒスパニック系白人

(36.8%)を上回る(図2)。ロサンゼルス大都市

圏のヒスパニックは、もはや民族的少数者を意味

するエスニック・マイノリティではなく、「多数

派」すなわち「マジョリティ」なのである。1990

年からの10年間、ヒスパニックは478万人から660

図2 ロサンゼルス(LA)大都市圏のエスニック構成(2004年)(出典)U.S. Census Bureau, 2004 American Community Survey.

アジア系 6.8ネイティブアメリカン 0.3

白人36.8

メキシコ系34.3

プエルトリコ系 0.5

キューバ系 0.3 その他のヒスパニック

 7.8

黒人11.1

その他 2.1

42.9%

ヒスパニック

LA大都市圏1720万人2004年

万人へ急増したが、この増加は人口移動よりも、

自然増加によるところが大きく、同期間の増加分

の3分の2近くがそれによって説明可能といわれ

る。

 図3はロサンゼルス大都市圏におけるヒスパニ

ックの分布を示す。最小単位地区はセンサス・ト

ラクトであるが、ヒスパニックが90%以上を占め

る地区が約200に達し、そのうえ特定の地域に集

中する。まさに《ethnic enclave》「エスニック・

グループの居住地」だ。とくに集中するのが、ロ

サンゼルスの都心(ダウンタウン)の東部から南

部にかけてである。ダウンタウン東部は、イース

ト・ロサンゼルスやボイル・ハイツなど、低家賃

の古いアパートメントが立地する。これがヒスパ

ニックの格好の居住空間となり、流入し続ける移

民の受け皿となってきた。しかし近年では、過密

化による居住環境の悪化と、老朽化住宅の撤去や

再開発事業の進行により、この地域での居住スペ

ース確保は困難になってきた。その影響でヒスパ

ニックの増加が近年著しいのが、ダウンタウンの

図3 ロサンゼルスのヒスパニック分布(2000年)(出典)U.S. Census Bureau, United States Census 2000.

サン・フェルナンドサン・フェルナンド

カノガ・パークカノガ・パーク

ダウンタウンダウンタウン

ワッツワッツ

イースト・ロサンゼルスイースト・ロサンゼルス

ボイル・ハイツボイル・ハイツ

サンタフェ・スプリングスサンタフェ・スプリングス

サンタ・アナサンタ・アナ

ロサンゼルス郡

オレンジ郡

N

0 10 km

90.0~ 70.0~89.950.0~69.930.0~49.9 0~29.9

ヒスパニック(%,2000年)

N

太平洋

0 200km

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南部である。

 サウス・セントラルとよばれるダウンタウン南

部は、かつて黒人の集中する地域であった。しか

し現在では、ヒスパニックが全住民の80%以上を

占める。この地域は、工業地域に近接するうえ、

黒人が居住していた安価な住宅施設が多数存在し、

ヒスパニックの雇用機会と住宅に対する需要を同

時に満たす。そのうえ、この地域の住宅市場にお

いて、ヒスパニックは黒人よりも優位に立つとい

われる。ヒスパニックは、家族や仲間の団結が強

く、集団で住宅資金をプールし、住宅市場に介入

してくる。旧住民である黒人は、資金を組織化す

るほどの力を持たない。その結果、この地域では

黒人からヒスパニックへのエスニック・グループ

構成の変化が進行した。かつてロサンゼルスの黒

人居住地の代名詞的存在で、1965年にこの地区で

発生した暴動により34人が死亡したことで記憶に

残るワッツ地区でさえも、現在ではヒスパニック

の占める割合が黒人を上回るようになっている。

 一部のヒスパニックは、社会的上昇を達成し、

都心を離れて白人居住地へ進出しつつある。その

ような地域では、ヒスパニックの比率上昇がエス

ニック・グループ構成の変化を加速し、新たなヒ

スパニック居住地が形成されつつある。サンタフ

ェ・スプリングスに代表される東部地域がその典

型である。米国生まれのヒスパニックの一部は、

さらなる社会経済的成功を達成し、ロサンゼルス

郡を越えてオレンジ郡やリバーサイド郡の、さら

に高級な住宅地へ進出する場合もある。

 郊外には、100年以上前にメキシコ系農業労働

者とその家族らにより開拓された集落を起源とす

る地区もある。ロサンゼルス郡北西部のサン・フ

ェルナンドやカノガ・パーク、オレンジ郡のサン

タ・アナがその典型である。そこで彼らは、小麦、

オレンジ、オリーブ、テンサイなどの栽培に従事

してきた。第二次世界大戦後の農業の衰退と平行

して、彼らや彼らの子孫は製造業を中心とする都

市的な労働に従事するようになった。これらの地

区にはその後も移民の流入が続き、ヒスパニック

居住地として現在に至っている。

4.ロサンゼルスの「アメリカ」4.ロサンゼルスの「アメリカ」

 100年以上前から続くメキシコ系住民の居住地

の存在が物語るのは何か。そもそもロサンゼルス

を含む米国の南西地域は、わずか150年前の1848

年に割譲されるまで、メキシコの領土だった。メ

キシコの作家カルロス =フエンテスは、その地で

近年勢力を拡大するヒスパニック系住民の文化

的・社会的インパクトの増大を、「レコンキスタ(再

征服)」と表現した。

 しかし、現在の社会現象をレコンキスタと表現

してよいものなのだろうか。ヒスパニックあるい

はラテンアメリカ人との会話の場面で、米国を話

題にする際に「アメリカ」という用語を用いると、

「私たちもアメリカ人だ」という感情的な答えが

返ってくる。そもそも「アメリカ」の名は、大航

海時代黎明期、マルティン =ヴァルトゼーミュラ

ーが『世界地誌序説』とその付録の地図のなかで、

当時「新世界」とよばれていた名前のない土地

をアメリゴ =ベスプッチの偉業を称えて「アメリ

カ」と記述したことにさかのぼる。その後、イギ

リスから独立した北の13州は、州を束ねて国家と

するため国名の一部に「アメリカ」を用いた。そ

して、19世紀前半にスペイン・ポルトガルから独

立したばかりの若い中南米の国々は、同世紀後半

に急速に勢力を拡大しつつあった北のアメリカの

脅威に対して、団結して対抗する必要があった。

そのような状況下、中南米諸国が結束することで

生まれた地域概念が、ラテンの文化を共通項とす

る「ラテンアメリカ」である。そう、「ヒスパニッ

ク」 あるいは「ラティーノ」は、れっきとした「ア

メリカ人」なのである。

 ボーダレス化の進行するグローバル社会では、

経済活動や労働力は国境を越えて移動し、世界規

模で業務機能をコントロールする「グローバル・

シティ」に集中する。ロサンゼルスがまさしくそ

れである。すべてがロサンゼルスに集まる(E.ソ

ジャ)。ロサンゼルスの場で、アングロとラテン

のアメリカが混交し、諸々のエスニシティを巻き

込みつつ、アメリカの未来が創造される。