マルクス主義における自由の問題 - hiroshima...

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マルクス主義における自由の問題 一一一「搾取からの自由」と「権力からの自由」一一 和佐谷 マルクス主義自由論の今目的問題 マルクス主義における白由をここにとりあげる今日的問題は何か、まず それを明らかにしておきたい。 (1) この問題がことさらに人々の耳目をひくのはなにもいまに始ったこと ではな L 、。マルクス主義が史的唯物論に立つということで、原理上、マル クス主義には自由はないといわれてきた。また現実にこの地上に社会主義 社会が実現し、とりわげ第二次世界大戦後資本主義社会と社会主義社会と の対立が深まるなかで、前者の後者に対するかっこうの攻撃材料として自 由の問題がとりあげられてきた。さらに最近では、資本主義社会と社会主 義社会と L 、う対立構造においてのみならず、同じ社会主義社会のあいだで、 あるいは社会主義社会の内部で、自由をめぐる論議がとりざたされている。 従って、マルクス主義における自由の問題を今日あらためでとりあげるに はかかる事態を踏まえた上で、のことで、なければならない。この問題(社 会主義と自由の問題一一引用者)があらためて人びとの深い関心の対象と なるにいたったのは、これらの事象(ソノレジェニーツイン問題等 引用 者)によるというよりも、むしろ問題自体が新しい歴史的意味をもってき ていることによるものというべきであろう l) 。」 1 No.15 1975 45 頁。

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マルクス主義における自由の問題

一一一「搾取からの自由」と「権力からの自由」一一

和佐谷 維 昭

マルクス主義自由論の今目的問題

マルクス主義における白由をここにとりあげる今日的問題は何か、まず

それを明らかにしておきたい。

(1)この問題がことさらに人々の耳目をひくのはなにもいまに始ったこと

ではなL、。マルクス主義が史的唯物論に立つということで、原理上、マル

クス主義には自由はないといわれてきた。また現実にこの地上に社会主義

社会が実現し、とりわげ第二次世界大戦後資本主義社会と社会主義社会と

の対立が深まるなかで、前者の後者に対するかっこうの攻撃材料として自

由の問題がとりあげられてきた。さらに最近では、資本主義社会と社会主

義社会と L、う対立構造においてのみならず、同じ社会主義社会のあいだで、

あるいは社会主義社会の内部で、自由をめぐる論議がとりざたされている。

従って、マルクス主義における自由の問題を今日あらためでとりあげるに

はかかる事態を踏まえた上で、のことで、なければならない。この問題(社

会主義と自由の問題一一引用者)があらためて人びとの深い関心の対象と

なるにいたったのは、これらの事象(ソノレジェニーツイン問題等 引用

者)によるというよりも、むしろ問題自体が新しい歴史的意味をもってき

ていることによるものというべきであろう l)。」

1 )藤田勇「社会主義と自由の問題J、『科学と思想~ No.15、1975、45頁。

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この点に関して、例えば粟田賢三氏の見解は次のようである 2)。社会主

義社会(とりわけソ連邦)では、生産手段の社会的所有、労働に応じた消

費財の分配、計画的生産、社会の必要の充足を目的とする生産等々の基本

的特質によって、労働者階級の資本家階級による「搾取からの自由」が保

障される。この自由は、国家が人民に保障する「社会主義体制に特有な白

出Jである O ところが、社会主義社会はたしかに労働者の社会であり、そ

こでは国家権力は即ち労働者の権力でもあるが、いまだ共産主義社会の段

階にいたってはし、ず、 「社会と個人とのあいだにある程度の矛盾が存在し

ているために、社会全体の秩序を維持するために国家権力を必要」とする。

社会と個人との聞の利害対立が、粟田氏の論じられるように、 「程度Jの

問題にすぎず「基本的には一致」するかどうか疑問であるが、ともあれ、

上述の国家権力をコントロールする人民の権利、 「権力からの自由」があ

らためて重要となる。氏の見解ば以上のようであるσ

それゆえ、社会主義社会l工、 「搾取からの白由」とともに国家権力をコ

ントロールするいっそう民主主義的な体制を要求する新たな段階を迎えて

いるのである。これを例えばソ連邦についてみれば、スターリン時代にお

こなわれた事実の追求(ソ連共産党第二十回大会、フノレシチョフ秘密報告、

1956)に端を発して市民的自由の自由化が進行した。ところが、このスタ

ーリン批判は品じて時の権力者にまで及んでしまった、ということであろ

う。 I人びとは、権力がすすめる方法、専横を防ぐ保証についても疑問を

抱きはじめました。事実、 〔現実の〕社会の民主化の問題を提出せずに、

スタ}リン主義の時代や犯罪の告発と論議だけを長々とつづけているわけ

にはゆかなくなったので、す汽」

さらに一例を挙げると、 A.シャフ l立、マルクス主義の現代的課題として

「社会主義における個々の人間の問題の復権4りを考える。 そればヒュー

2)以下、粟田賢三『マルクス主義における自由と価値』、青木書居、第一部(1)による。

3) ロイ・メドヴェージェブ、佐藤紘毅訳、 『ソ連における少数意見』、岩波新書、

100頁。

4) A.シャフ、花崎皐平訳、 『マノレタス主義と個人』、岩波書庖、 55頁。

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マニストとしての若きマルクスに注目することでもあった。 A.シャブの

みる現代の社会主義社会はし、まなおさまざまな形態の疎外を廃止しえず

一一A.シャフは来たるべき共産主義社会においてもある種の形態の疎外

ば存在するだろうと考えている一ーかかる疎外を克服するためには、「解放

への志向と手をとりあうところの社会的諸問題への参加と能動性ω」を重

視する。しかしそれにもかかわらず、社会主義社会で人民の社会への参加

が阻まれることになりやすい理由の一つは、社会主義社会が、この「参加

と能動性5)Jを養い育ててきたブ、ノレジョア民主主義の伝統を持たないとい

うことにある。ここに、社会主義社会における民主主義を建設していく人

聞を育成する教育の役割がある。

(2)さて、上述したことからとりあえずこの小論での問題点を整理してみ

ると、マルクス主義における自由の問題は三つの角度から論ずることがで

きる。

マルクス主義は唯物史観に立つがゆえに、マルクス主義には自由はない

という素朴な見解はともかくとして、第一に、資本主義との対比において

社会主義(後述するように、より低い段階の共産主義)社会における自由

を論ずることである O この自由は「搾取からの自由Jと呼ばれた。

第二に、社会主義社会においても社会と個人のあいだに利害の対立・矛

盾が存する限り、従って、暴力装置としてであれ管理装置としてであれ、

国家権力が存在する限り、その権力をチェックする人民の権利としての市

民的自由が問題となる。この自由は「権力からの自由」と呼ばれた。換言

すれば、人間疎外の存するところには、後述するように、プロレタリアー

ト独裁による国家権力が必要とされ、さらにその国家権力そのものが異質

の新たな人間疎外を産出する、というのである。社会主義社会ではこの国

家権力をチェックする市民的自由が問題となる (A.シャフやR.メドヴェ

ージェフをはじめとする異論者たちが体制を批判する理由の多くはこの点

5)同書、 335頁。

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であろう〉。

第三に、マルクス主義の諸文献に即して、現実の歴史からはいちおう切

り離して、マルクス主義における自由の問題を論じようとする立場であ

る6〉0

もし以上のように整理することができれば、われわれはマルクス主義に

おける自由をここにとりあげる今日的問題を次のようにいうことができょ

う。それは、三つの角度のうち、前の二つの角度からみる自由の問題を統

一的に把握し、さらに将来への展望を見出す視点、をマルクス主義文献に即

して明らかにすることである。

2 マルクス主義における自由の問題

先の「搾取からの自由」と I権力からの自由」の内的関連を明らかにす

るために、エンゲノレスの自由の定義をみておきたいと思う。

(1)マルクス主義における自由の定義といえばまずエンゲ、ルスの「反デュ

ーリング論l (1878)の一節が挙げられるのが一般である O

「自由は、自然諸法則から独立していると夢想することにあるのではな

く、これらの諸法則の認識に、そしてそのことによって与えられる、諸法

則を一定の諸目的のために計画通りに作用させる可能性に存する。」

「自由は、従って、諸々の自然必然性の認識に根拠をおいた、われわれ

自身および外的自然の支配に存ずる O それによって臼由は必然的に歴史的

発展の産物なのである。7)J

従って、エンゲ、ノレスは自由については、自然諸法則一一それは外的自然

6)切り離すといっても、無論、厳密にはそれは不可能で、あろう。 なお、 A.シャフ

は、現実の問題を考察するにあたって、 「定義の上でJ (ex definitione)の議論に

すりかえることを何度もいましめている。

7)ユンゲルス『反テューリング論』、大月書広版『マノレタス・エンゲノレス全集』

(以下全集と略記)、第20巻、 118-9頁。ただし訳文通りではない。以下同じ。

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の法則、人聞社会の発展法則、思考の発展法則等々を意味するーーを認識

し、これらの諸法則を特定の目的のために利用するという功利的な立場で

述べている。そしてこの考え方は「空想より科学への社会主義の発展』

(1880) にも繰り返し述べられている。

「生産手段の社会による占有とともに商品生産は除去され、それととも

に生産物の生産者たちに対する支配も除去される O 社会的生産内部の無政

府状態は計画的意識的組織によって取り換えられる8〕。」

これらの記述からわかるように、エンゲルスは自然法則、なかで、も社会

の発展法則を認識L、そのことによって社会を計画的に統制・支配すると

ころに自由が実現されると考えている。

しかしこのエンゲルスの考え方には、われわれの日下の関心からしでも

問題がある O それは、諸法則の認識に基づく自然・社会・人間の支配その

ものが、従って、白由の実現そのものが新たな不自由を産み出してきてい

るということである。特に、外的自然に対する支配力の発展と人間社会に

対する支配力の発展とが有効に結びつかずに新たな疎外を生み出し、その

疎外を克服するために国家権力はますます強〈ならざるを得なし、。そこに

前述した異論者ーたちによる抗議の理由がある。

このことから、いっそう重要な問題点を指摘できょう。それは、諸法則

を認識し外的自然等々を支配するといってみても、如何なる目的のもとに、

更に如何なる価値体系のもとに支配するか、ということである I価値論

として展開されない自由論は、人間的自由の解明に際してはつねに無力で

ある 9)oJその意味で、諸法則の認識およびそれに基づいた外的自然、等々

の支配力に白白をみようとする考え方は一一それがそのままエンゲ、ルスの

な場ではないにしても 10)一一自然主義的誤謬として批判されるのである。

エンゲノレスのL、うように、確かに社会主義社会においては諸法則を認識

8)エンゲノレス『空怨より科学への社会主義の発展J、全集、第19巻、 223頁。

9)中野徹三『マノレタス主義と人間の自由』、青木書広、 64頁。

10)同書、 49-50頁参照。

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L、そのことによって外的自然、人間社会を支配することで「搾取からの

自由」を実現してきた。しか Lこの「搾取からの自由」を社会主義社会で

より徹底していこうとすればするほど社会の管理・統制を強化せねばなら

ず、そこにかえって「権力からの自由Jが要求されることになるのである。

それゆえ上述のエンゲルスのように自由を考えるだけでは、前述の二つの

自由の内的関連をますます矛盾に陥らせてしまうのである。

(2)われわれの課題は「搾取からの白由」と「権力からの自由Jの内的関

連を明らかにし、それらを統一的に把握する視点を見出すことであった。

次にマルクス自身の著作に即してこの点をみてみよう O

まず最初に(i)マルクスの人間観について述べ、次に~ii)その人間観を踏ま

えて[搾取からの自由」、更に(iii) I権力からの自由」に言及したし、と思う。

(i)人聞の現実の歴史を考えようとすれば次のことから出発しなければな

らなL、。

「われわれはあらゆる人間存在の、それゆえまたあらゆる歴史の最初の

前提、すなわち、人間は「歴史をつくり」うるためには生きることができ

ねばならないとL、う前提を確認する 11)J。

生きるためには当然衣・食・住が不可欠である O すなわち、人聞は、生

存のための諸欲求を満たすべく自然に働きかけて必要なものを生産する。

しかもこれらの諸欲求が新たな欲求を産出し、さらにこれらの欲求を充足

するための道具の生産が新たな欲求を呼び興すことになる。 1-それゆえ最

初の歴史的行為はこれらの諸欲求の充足のための手段を産出することなの

である問。」さらに加えて、人間は他の人聞をもつくる O 家族、社会の生

産である。こうして人間は自然に働きかけて衣食住に必要なものを生産

し、しかもそれは他人との協働 (Zusammenwirken)においてなされる O

11) マノレタス-;0:.ンゲルス『ドイツ・イデオロギー』、全集、第3巻、 23頁。

12)問書、 24頁Q

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また人聞が他の人聞をつくることが協働においてなされるのはし、うまでも

なL、。

アドイツ・イデオロギ-J (1846)に二年先立って書かれた「経済学・

哲学草稿1 (1844)で、周知のようにマルグスは疎外 (Entfremdung)に

ついて述べている。 (1)労働者からの労働生産物の疎外(事物の疎外)、 (2)

労働者からの労働の疎外(自己疎外〉、 (3)人聞からの類の疎外、 さらに(4)

人聞からの人間の疎外、がそれで、ある O

人間は、前述したように、自然に働きかけて自らの労働を対象化し、労

働生産物としてそれを獲得する。ところが市民社会(資本家的生産様式の

社会13)) では労働生産物はつねに商品として生産され資本家を富ますのに

反して、労働者は富を生産すればするほど貧困化ずることになる。市民社

会においては労働生産物は労働者から疎遠な、よそよそしい存在として労

働者に対立するのである。労働の結果としての労働生産物が労働者に対立

するということは、労働過程からみると、労働者は労働過程においても疎

外されていることを意味している C

「彼(労働者一一引用者)は自分の労働において肯定されないでかえっ

て否定され、幸福と感ぜずにかえって不幸と感じ、自由な肉体的および精

神的エネルギーがまったく発展させられずに、かえって彼の肉体は消耗し、

彼の精神は顔廃化する14)J。

さらに労働の疎外は人聞からの類の疎外でもある O マルクーゼ、は「類的

存在J (Gattungswesen)について以下のように解説する。

「人聞は『類~ (かれ自身の類とその他の存在物の類)を自分の対象と

してもつ存在である。存在物の類とは、この存在物が自分の『血統』や

「起源』にのっとった形で、存在することであり、また存在物がもっすべて

13)無論、 「市民社会Jとは「経済的・政治的・道徳的諸過程の共時的展開Jとして

とらえられている。

平田清明『市民社会と社会主義』、岩波書庖、第二章参照。

14)マノレタス、城塚登・田中古六訳、 『経済学・哲学草稿』、岩波文庫、 91頁。

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の特殊な規定性に共通したその存在 f原理」である O つまり、それはいか

なる特殊性のなかにあっても同一なものとして維持される一般者であり、

一一一この存在物の一般的本質である日。」

この解説文にさらにつけ加えるのは屋上屋を架すようであるが、次のよ

うに理解できょう。マルクスは動物の生命活動と人間のそれとの相違を意

識の有無においている。 r意識している生命活動は、動物的な生命活動か

ら直接に人間を区別する凶cJそしてこの意識こそ「存在物の一般的本

質」すなわち「類」を認識する働きであり、人間はその認識に基づいて存

在物を加工し生産するのである 17)。またこのことは人間白身の類について

もあてはまる O 人間は自然に働きかけ他人と協働するなかで自己の労働を

生産物へと対象化し獲得し自己確認をする O すなわち生産行為を通して人

間は自己・自然・他人と関係を結ぶと L、う社会関係がそこに成立する。人

間の意識はこの協働行為、そこに成り立つ社会関係を「類」として対象化

するのである。それゆえ、人間は人間白身およびその他の存在物(自然)

の類を認識することによりいっそう普遍的であり、人間自身およびその他

の存在物の特殊性・被規定性に制約されないという意味で自由なのであ

る。

しかし、市民社会では、労働者から労働生産物および労働が疎外されて

いたのと同様に、人間は「類」を対象とすることはできず、自己の肉体的

生存のために、端的にいえば特殊個人的な生存のためにのみ生産する。

15) H. '7ノレターゼ、良知力・池田優三訳、 『改訳暖初期マノレタス研究』、 未来社、 30

頁。

16) [f経済学・哲学草稿』、岩波文庫、 95-6頁。

l7)意識の役割として次のことが挙げられる。[""客観世界を認識する機能、未米を子

測し目擦をきめ目的をたて、かっその目的にふさわしい行動のための計画をつくる

機能、決定し決断をくだす機能、さらに行動の規範、価値の設定、行動、その目的、

手段の評価の機能など。これらは科学、道徳など、社会的意識の諸形態を形づくる。

こうして意識は複雑な社会生活を統御し、物質世界を実践的に変革する機関として

役だつのである。」

森宏一編『増補版哲学辞典』、青木書宿、 12頁。

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lそれ(疎外された労働一一引用者)は人間にとって類生活を、個人生活

の手段とならせるのである18)oJ市民社会では類的存在は人聞から疎外さ

れている O

上述したことはまた人聞からの人間の疎外でもある O なぜならば、 !一

般に人聞が自分自身にたいしでもつ一切の関係は、人聞が他の人間にたい

してもつ関係において、はじめて実現され、表現される 19)1 のであるから。

先に述べたように、市民社会では類的存在は人間から疎外されていたが、

このことは、 「ある人間が他の人間から、またこれらの各人が人間的本質

から疎外されているということを、意味している 20)0Jそれぽ現象的には、

労働者と労働者、労働者と非労働者、非労働者と;ojf:労働者との敵対関係と

なって現われているということであろう c 無論、最終的にはそれらの敵対

関係は労働者と非労働者(資本家)のそれに収赦していくにしても、であ

るO

(ii)次に「搾取からの自由」の問題であるが、 1:i)で、述べた人間観からみる

とき、市民社会とはどんな社会であろうか。疎外についてのマルクスの分

析は国民経済学の成立する前提、市民社会の分析から得られたものであっ

た。その市民社会については次のように説明される。

jすべてのいままで、の隆史的段階に存在する生産諸力によって制約され、

またそれらの生産諸力をも制約している交通形態 (Verkehrsform) は市

民社会 (burgerlicheGesellschaft)である。J

「市民社会は、生産諸力のある一定の発展段階の内部で、諸個人の全体

の物質的交通をつつんでいる。それは、一つの段階の全体の商業的および

産業的生活をつつんでおり、その限りで国家と民族を越えでるが、それば、

他方では、ふたたび外部へは民族 (Nationalitat)として台頭し、内部へは

18)マノレタス『経済学・哲学草稿J、岩波文庫、 95頁。

19)同書、 98頁。

20)向上。

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国家として自らを組識しなければならないにもかかわらず、である。21)J

国家は共同の利益にではなく特定の階級の利益に奉仕するところの幻想

にすぎない。国家は iフゃルジョアが、外部にむかつても内部にむかつても、

彼らの所有と彼らの利益の相互保証のために、必然的に自らに与えるとこ

ろの組織の形態に他ならなし、22)Jのである O 道徳、宗教の階級性はいうま

でもなく、あたかも 4 般意志を表明しているかのような法律にしても、総

じて、 「法律、道徳、宗教はプロレタリアにとっては同様に多くのブールジョ

ア的偏見であり、それらの背後には同様に多くのブ、ルジョア的利益が隠匿

されている23)Jのである。それゆえ市民社会を基盤とするブ、ルジョア国家

l土、あらゆるイデオロギーを利用し、イデオローグたちを動員し、究極的

には「社会の集中され組織された暴力24)Jとしての国家権力を行使して自

らの階級利益を守ろうとする O この階級国家こそプロレタリアートは倒さ

なければならない。

「すべてのいままでの社会の歴史は諸々の階級闘争の歴史である」、

「共産党宣言~ (1848)の第一章はこのことばで始まる O 生産力の発展は

封建社会の所有諸関係を内部から掘りくずし、新たな市民社会の所有関係

を産み出した。そして同様のことが市民社会の所有関係にも生じる。マル

クス、エンケれルスは、生産力と生産関係(所有関係)とし寸視点に立って

歴史の発展してし、く筋道を示している。それは、いわゆる史的唯物論の公

式といわれる『経済学批判~ (1859)の序言をはじめとして繰り返し述べ

られている。近代市民社会の内部矛盾についての記述を T共産党宣言』か

ら引用してみよう。

「社会が自由にできる生産諸力は、もはや、市民的所有諸関係を促進す

21) 11ドイツ・イデオロギー』、全集、第3巻、 32頁。

22)同書、 58頁。

23)マルクス・エンケ'ルス『共産党宣言J、全集、第4巻、 486頁。

24)マノレタス『資本論』、全集、第23巻第2分冊、 980頁。また、 「政治権力 (politi-

sche Gewalt)は、固有の意味では、一つの階級の他の階級を抑圧するための組織

された暴力 (Gewa1t)である。Jr共産党宣言』、全集、第 4巻、 495頁。

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には役立たなL、。逆に、それらは、これらの諸関係に対してはあまりにも

強大 (gewaltig)になれそれらは所有諸関係によって防げられる。そし

て、生産諸カがこの障害を克服すればすぐに、生産諸力は全市民社会を無

秩序に陥れ、市民的所有の存在を危くするのである 025U

市民社会での生産力の著しい発展は市民社会の内部矛盾を露呈させ、革

命への客観的条件をつくり出す。プロレタリア階級はこの客観的条件を認

識し、主体的に革命的実践をおこない、私有財産を廃棄することによって

はじめて前述した疎外を克服することが可能となる。これこそ「搾取から

の自由」に他ならない。

凶)しかし、自由の問題は「搾取からの自由」に尽きるものではない。む

しろ、今日的な観点、からすると自由の問題はここから始まるともいえるの

である O

「共産主義社会のより高い段階において、すなわち、個々人の分業への

奴隷的な服従が、それと同時に精神的および肉体的労働の対立もまた消滅

してしまった後に、労働が生活のための単なる手段ではなく、最初の生命

欲求 (daserste Lebensbedurfnis)にすらなった後に、個々人の全面的な

発展によって彼らの生産諸力もまた増大し、そして協同の富のすべての泉

が豊かにあふれでる後に一ーーそのとき、 はじめて狭い、 市民的権利の限

界 (Rechtshorizont)が完全に踏み越えられることができ、そして社会は

その旗に『各人は彼の諸々の能力に応じて、各人には彼の諸欲求に応じて

/~と書き記すことができる。削」

資本家が資本を、労働者が労働力を提供するという分業の上に成り立つ

資本主義的生産様式をもった市民社会は、共産主義革命によって止揚され

る。それと同時に、精神的労働と肉体的労働の対立も、個々人がその精神

的労働と肉体的労働の両能力を身に備え、 「個々人の全面的な発展」へと

25) 11共産党宣言」、全集、第4巻、 481頁。

26) マノレタス『コータ綱領批判』、 全集、 第19巻、 21頁。

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-150- 号令

‘w 発展・解消されるのである27)。

しかしながら「搾取からの自由Jは国家権力の統制をまって初めて実現

されるのであるが、前述したように、この権力はまた新たな疎外を生み出

すのである。 j搾取からの自由!(土そのままただちに「個々人の全面的な

発展」、 あるいは同じことだが、「全体的伺人 (totaleslndividuum)への

発展28)Jとは直接には結びつかなL、のである。エンゲ、ルスが、自然・社会

の諸法則の認識に立ち、自然・社会を支配するところに自由をみようとし、

それが」面的であると指摘されるのもこのことを示している。マノレグスに

おいては、 「搾取からの自由」は J 個々人の全面的な発展J I全体的個人

への発展」の条件なのである。

マルクス(土=資本論 (1867-1894)に1:)、下のような周知の文を書き記

した。

「自由はこの領域(本来の物質的生産の領域一一引用者)ではただ次

のことにのみ存する。すなわち、社会化された人間、結合された生産者た

ちが、盲目的な力としての、この彼らの白然との物質代謝によって支配さ

れることの代りに、この物質代謝を合理的に規制し、彼らの共同社会的統

制へともたらすこと、つまり、最小の骨折りによってまた彼らの人間性に

最もふさわしいかつ最も適合した諸条件のもとでこの物質代謝を遂行する

ことにのみ存するのである。しかしこのことはいまなお必然性の同にとど

まる。この国の彼岸に、白己目的と見{放される人間の力の発展が、自由の

真の国が始まるが、しかしこの国はその基礎としての必然性のかの国の上

27) r理論的には、諸個人ひとりひとりが、例外なしに、かかる能力(物質的生産周

具を製造し使いこなす能力一一引用者)を身につけると L、う状況が(中路)考えら

れているのである。J1-止場されねばならぬのは分業と社会的交通の疎外態でこそあ

れ分業(労働のゲゼルシャクト約分割と結合)体系そのものではなかった。」望月

占司『マノレタス歴史理論の研究」、岩波書応、第 3 章 I~ ドイツ・イデオロギー』に

おける分業の論理」参照。

28) ~ドイツ・イデオロギー」、全集、第 3 巻、 64頁。

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にのみ開花することができるのである。労働日の短縮が;恨本条件なのであ

る29)0 J

この引用文から、 マルクスは自由に二つの段階を考えていることがわか

る。 (1)人間が自然に働きかけて自らを対象化するという物質的生産の領域

にあっては、人間(プロレタリアート)が生産手段の私的所有を廃して、

それを共同的統制の下に置くことである O この自由;土、今までみてきたこ

とから明らかなように「搾取からの向由」に相当する O Lかしそれはまだ

生存のための物質的な必要を満たすにすぎなL、。 (2)真の自由は、 l 白己11

的と見倣される人間の力の発展jがなされるところにこそ実現する OF 去十字ノ、

産党宣百Jに、 「その諸階級と階級諸対立をもった古L、市民社会の代りに、

そこにおいては各人の白由な発展がすべての人の自由な発展のための条件

であるという一つの連合体 (eineAssoziation) があらわれる 30) I とL、オフ

オlるの;主、 この第二段階の自由を指している O

ところで、 この i自由の真の閏」とは、人間が白己および自然を類とし

て意識し、労働を通じて対象化し、労働過程においても労働生産物におい

ても自己確認することのできる闘に他ならない(本節(lj参照)が、 その国

はプロレタリア階級がブルジョア階級を出すことで即座に実現するもので

ないことは前述した通りである。 了ゴータ綱領批判Jにおいて、マノレグス

工、資本主義社会から社会主義社会への過渡期の国家は iプロレタリアー

トの革命的独裁j の国家であるとしている 31)。資本主義社会の残浮を引き

ずっているより低い段階の共産主義社会(共産主義の第一段階、社会主義

社会) では、共産主義をいっそう発展させていくために国家権力で、もって

強力に社会を統制していかねばならない。そこにはまだブルジョア的な性

格をもった人間もいることだろうし、 「生産者たちの権利は彼らの労働給

付に比例するmj (働かざるものは食うべからず〉

29) u資本論」、全集、第25b巻、 1051頁。

30) u共産党宣言J、全集、第4巻、 496頁。

31) uゴ-3'綱領批判J、全集、第19巻、 29頁。

32)同書、 20頁。

というブ、ノレジョア的権

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利がまだ支配しているからである。労働!者にはその労働能力においてそれ

ぞれ天分の差異が認められるし、それぞれの家庭状況等も異なる。 i労働

能力(労働給付〉に応じてJ消費財が分配されるというのはL、まだ不公平

なのである。それゆえ、かかる低い段階の共産主義社会にあっては、 「共

産主義の『高度の』段階が到来するまでは、社会主義者は、労働の基準と

消費の基準に対する社会の側からと国家の側からのきわめて厳格な統制を

要求する 33)Jのである。

ここにこそ「権力からの自由」の問題が生じてくる。

権力と意識(の変革)の問題、この問題についてマルクス・エンゲノレス

がどのように考えているか、ここで極めて簡単にではあるが言及しておこ

う。

マルグスは「搾取からの自由」の実現と「自由の真の国」との明確な関

連づけを行っていないし、エンゲノレスは「自由の真の国」をきわめて功利

的・生産的側面から考えている。例えば、 了共産党宣言Jで、マルクス・

エンゲルスは共産主義革命を実現するための諸方策を十項目にわたって掲

げている。われわれはそれをみて、もっぱら経済的な方策にのみ力点が置

かれていることに気づいペ教育にしてもそれは産業上の教育で、あれそ

れはエンゲルスの次のことばによっても明らかであろう。 i共同でまた計

画的に社会全体によって経営される産業が前提とするのはまったく次のよ

うな人間である、その諸素質はあらゆる面へと展開され、生産の全体系を

見渡すことができる人間である35〕。」 ここでは、生産の全体系が如何なる

視点(価値体系)のもとに見渡されるのか、またかかる視点が如何にして

形成されるのか、このようなことがらについては述べられていないのであ

33) レーニン、菊地昌典訳、 『国家と革命J、世界の名著 (52)、中央公論社、 563-4

頁。ただし、レーニンのこのような考えは、後にみるように、マルクスからの後退

である。平田、前掲書、第七章参照。

34)要するに共産主義革命は、 「最初は所有権と市民的生産諸関係への専制j的な干与

を手段として」行なわれるのである。 w共産党宣言』、全集、第4巻、 495頁。

35)エンゲノレス『共産主義の諸原理J、全集、第4巻、 393頁。

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る。

同じことはマルグスの J ゴータ綱領批判Jについてもいえる。

i(資本主義社会からまさしく生れた〉共産主義社会は、 いずれの点か

らいっても、経済的にも、道徳的にも、精神的にも、古き社会の、自らが

その胎内に由来する母斑をなおおびている問。」

このより低い段階の共産主義社会で、資本主義社会の母斑が如何にして

消滅するのかについてマノレタスは意識の面からはやはり言及していない。

より低い段階の共産主義社会での、 「生産者たちの権利は彼らの労働給付

に比例する」というブルジョア的権利が如何に消滅していくのか。ただ

「権利は経済的構造およびそれによって制約された社会の文化の発展より

もより高くはありえない37)Jといってすますことができるのか。意識の変

革をただ経済的な構造に基づいて、その構造から導き出される権力に基づ

いて説明し切ることができるのだろうか。

いずれにしてもプロレタリアートの独裁によって「搾取からの自由」が

実現したにしても、その延長線上に「自己目的と見倣される人間の力の発

展J、「各人の自由な発展がすべての人の自由な発展」が実現されるとは論

理的に説明されていない。 r存在が意識を規定する」とし、う立場で希望的

にしか語られていないのである。

3 r搾取からの自由」と「権力からの自由J

さてわれわれはマルクスの人間観とともに二つの自由についてみてきた。

それによると、 「搾取からの自由Jが実現された段階で、すなわちより低

L 、段階の共産主義社会で、プロレタリアート独裁によるブ、ノレジョアジーの

抑圧はその理論上当然としても、プロレタリアート自身に対する抑圧にな

りかねず、そのようにならないと Lみ理論的根拠は示されていなかった。

36) 11ゴータ綱領批判J、全集、第4巻、 20頁。

37)同書、 21頁。

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1臼ー

それゆえに、マルクス主義が現実の国家を動かす理論となったとき、マノレ

マス主義は大きく変質していかざるをえなかったのである。例えばソ連邦

で、は、官僚主義、プロレタリアート独裁から党独裁への変貌、党の内面的

権威と国家権力との結合による市民の精神的自己破壊、 「所有とはただ単

に、物に対する支配・処分権に短小化される」と L、う社会的所有の歪曲、

国家社会主義等々 38)、マルクス主義がレーニン、スターリンへと継承され

ていくに従って、マルクスの人間観・歴史観は変質してL、く。

マルグスの終始一貫した関心は、操り返し述べてきたように、近代市

民社会における人聞の自己疎外の克服の問題であった。彼の人間観からす

れば、人聞は生産過程そのことにおいて白己自身を作りあげていくのであ

るから、その生産過程そのことのなかに、個々人の意識が反映されないよ

うな社会体制は、たとえそれが如何なる名称で呼ばれようと、マノレグスの

立場から離れてしまうことになる O それゆえ、 [搾取からの自由」が実現

されたより低い段階の共産主義社会の上にのみ「自由の真の国」が開花す

る、「労働日の短縮が根本条件であるJという考えに、手段・目的の思考型

式を導入して、次のように考えることは間違っていよう。すなわち、 「自

由の真の国Jを実現するという目的のためには、 l搾取からの自由」を国

家権力によっていっそう徹底させねばならなし、。換言すれば、その目的の

ためには国家権力による自由の抑圧が手段として認められねばならない、

と考えることは間違いであろう。レーニンば、 「人類がこの最高の目標

(共産主義社会の最高段階 引用者)に到達する途上でどのような段階

を通過するか、どのような実践的方策を講じるかl工、われわれは知らない

し、知ることもできない附」と共産主義社会の最高の段階へいっ如何にし

て到達しうるかと Lづ問題に対して答えることはできない、と明確に述べ

ている。人聞は、一方で、は瞬時も離れることのできない生産労働を通じて

類的存在・人間自身になっていく一一このことは「歴史貫通的事実」とい

38) 平田、前掲書、 330~337頁参照。

39) レーニン、前掲書、 566頁。

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一一、 、旬 、

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われる 40)_ーーしかし、他方では、その生産労働が人間疎外を生み出してき

たのも事実である O マルクスはこの矛盾を共産主義革命により止場しよう

としたのである。しかし、より低い段階の共産主義社会においてであると

はいえ、いつ実現できるかも知れないより高い段階の共産主義社会を目的

として立て、その目的のために日々の生産労働を犠牲にすることは新たな

る疎外の生産に他ならなL、。この考えは、目的のためにその目的にいたる

過程を捨石にするいかにも不合理なものである O もし強いて「疎外の克服

が、生産力の飛躍的増大による、可処分時間=自由時間の増大という側面

から考えられるか、労働肉体の志味の1母子百在、労働がたのしみになるという

側面から考えられるか41)というように問題をたてるなら、後者にこそそ

の重要性を見出さねばならないだろう。

以上みてきたように、生産労働そのことが人間の歴史貫通事実というマ

ルクスの人間観に立てば、人間;土自らの歴史のあらゆる段階に応じた自由

を労働を通じて創造し実現してきたのであるc この日々の生産労働とそ

の目的を切り離して手段と目的という思考型式にあて桜めることは、生産

労働そのことを統制によって形骸化し疎外を生み出すことになる。もし将

来の自由のために現在の自由を抑圧し、換言すれば、人間の生産労働(無

論、肉体的精神的労働を含め)を犠牲にし、向己疎外を国家体制として認

めるならば、如何なる用出で、あれ、マルクスの?と場からはずれることは明

かである O イヴァン・カラマーゾフ;土、もし現実の人問、特に無垢なる何

の汚れもなL、子どもたちの背しみの代償として天国が夫現されるのならば、

40)細谷昂『マノレタス社会恕論の研究よ、東氏大学出版会、第2章参照。

41)水田洋訳『共産党主芦・共産と義の原理」、解説、講談社文郎、 198頁。ただし

このように問題を単純化し対立させることの間違いであること一一一この解説では一

般論として紹介されているにすぎないが←ーはいうまでもなかろう。必然の国から

解放されて、自由時間が 1-分にとれ、 (労働が魅力的な労働、個人の自己実現とな

るといっても、このことはなにも付ヨ略)、 労働がずこんなるおどけや、たんなる誤

楽となるということをげっ Lて意味するものではない。真に自由な労働、たとえば

作曲は、同時にまったく大変な真剣さ、;主げしい努力なのである。J (,経済学批判

要綱心中野、前掲書、 108頁参!照。

・2 ム 必 ム . ' . '-..~

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天国への入場券を返上する、といったのも上述のことに通じるだろう。

「権力からの自由」は「搾取からの自由Jの実現過程においても、また

後者が実現され、従って、ブ、ルジョアジーに代ってプロレタリアートが国

家権力を掌握した後においても、いつも主張し獲得し続けられねばならな

い。マルクス自身言論のカでもって社会の不合理を批判することから出発

した。思想・良心などの精神的自由権を初めとする人権は、それがブ、ルジ

ョア階級に起源をもつものであっても、つねに国家権力に対峠するのであ

る。