felix mendelssohn-bartholdy音楽の音楽史的意義felix...

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プール学院大学研究紀要 第51号 2011年,55~70 19世紀ロマン派初頭、西洋音楽史上に登場したMendelssohn(180947)音楽は、最近こそ宗教 作品オラトリオ『聖パウロ』(1836)や同『エリア』(1846)の深淵さに着目されつつあるが、長ら く「深み無い、甘く流麗な音楽」という軽評価に甘んじてきた。Mendelssohnと言えば「裕福で幸 福な」という表現が付き纏い、Bach(16851750)音楽の普及以外は音楽史上大した足跡を残さな かった、順風満帆の人生の中から美しく平凡な音楽を生み出した作曲家と理解されてきた節がある。 千蔵八郎も「思い切った自己表現が少ない為、現代への影響力は少なかったと言える。保守的な姿 勢に終始した作曲家」と表現している。 1 実際、高名な哲学者を祖父に、当時の最大手Mendelssohn銀行のオーナーを父に、教養、愛情深 い良家の淑女を母に持つ彼の出自は恵まれ過ぎており、Berlin中心部の宮廷と見紛われる大豪邸は、 当時のドイツ芸術家、政治家等の社交場として夜毎演奏会が催され、Mendelssohnは幼少時より自 作発表の機会に恵まれていた。また第一級教師陣から語学、数学、音楽、絵画、体育等全科目を学 び、その何れの分野においても人並み外れた才能を開花させ、「Mozart(175691)の再来」と認 められる、全てにおいて満たされた人生であった。当時の富裕階級子弟が就職前に外国を旅行し、 教養の仕上げとするグランドツァーを、父親からの潤沢な資金と人脈により体験できたのも、音楽 家では唯一Mendelssohnのみである。その後の彼の音楽人生、私生活においても、全てに恵まれ、 常に成功と幸福が付いて回ったのであるから、先述のように評されても仕方ない面もある。 しかし本当にMendelssohnの音楽や人生はそれだけなのであろうか。彼の作品について筆者に は、表面的に美しいだけの音楽とはどうしても思えず、むしろ深い精神性を感じ取ることが出来る 故に、此の度作品を通して、彼の人生と音楽の真実を探究、考察をすることにした次第である。 Felix Mendelssohn-Bartholdy音楽の音楽史的意義 ―人種、宗教、教養から生み出された作品による一考察― 作 野 理 恵

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  • プール学院大学研究紀要 第51号2011年,55~70

     19世紀ロマン派初頭、西洋音楽史上に登場したMendelssohn(1809-47)音楽は、最近こそ宗教

    作品オラトリオ『聖パウロ』(1836)や同『エリア』(1846)の深淵さに着目されつつあるが、長ら

    く「深み無い、甘く流麗な音楽」という軽評価に甘んじてきた。Mendelssohnと言えば「裕福で幸

    福な」という表現が付き纏い、Bach(1685-1750)音楽の普及以外は音楽史上大した足跡を残さな

    かった、順風満帆の人生の中から美しく平凡な音楽を生み出した作曲家と理解されてきた節がある。

    千蔵八郎も「思い切った自己表現が少ない為、現代への影響力は少なかったと言える。保守的な姿

    勢に終始した作曲家」と表現している。1

     実際、高名な哲学者を祖父に、当時の最大手Mendelssohn銀行のオーナーを父に、教養、愛情深

    い良家の淑女を母に持つ彼の出自は恵まれ過ぎており、Berlin中心部の宮廷と見紛われる大豪邸は、

    当時のドイツ芸術家、政治家等の社交場として夜毎演奏会が催され、Mendelssohnは幼少時より自

    作発表の機会に恵まれていた。また第一級教師陣から語学、数学、音楽、絵画、体育等全科目を学

    び、その何れの分野においても人並み外れた才能を開花させ、「Mozart(1756-91)の再来」と認

    められる、全てにおいて満たされた人生であった。当時の富裕階級子弟が就職前に外国を旅行し、

    教養の仕上げとするグランドツァーを、父親からの潤沢な資金と人脈により体験できたのも、音楽

    家では唯一Mendelssohnのみである。その後の彼の音楽人生、私生活においても、全てに恵まれ、

    常に成功と幸福が付いて回ったのであるから、先述のように評されても仕方ない面もある。

     しかし本当にMendelssohnの音楽や人生はそれだけなのであろうか。彼の作品について筆者に

    は、表面的に美しいだけの音楽とはどうしても思えず、むしろ深い精神性を感じ取ることが出来る

    故に、此の度作品を通して、彼の人生と音楽の真実を探究、考察をすることにした次第である。

    Felix Mendelssohn-Bartholdy音楽の音楽史的意義

    ―人種、宗教、教養から生み出された作品による一考察―

    作 野 理 恵

  • プール学院大学研究紀要第51号56

    Ⅰ.音楽作品分析

     先ず、この作品は4楽章制であるが、attacca等で間断なく続けられる単一楽章の様相を呈して

    いる点が、後期ロマン派の先駆けと言える。

     第1楽章冒頭の外声三声と内声による四声の和声は、既に盛期ロマン派のSchumann(1810-56)

    の作曲技法を先取りしている。T.18~はBass長2度の響きと共に、Beethoven(1770-1827)のピ

    アノ・ソナタ技法を用いている。T.27~は、Beethoven特有の伴奏型の上にロマン派的な優美な

    旋律を乗せ、調性を主調の平行調cis-mollに転調させることにより、哀愁秘めた音楽へと趣きを転

    換させている。T. 79ではソナタ形式定石である属調H-durに転調しているが、この2拍目に準固有

    和音準Ⅳを使用することにより、斬新なロマン派色を濃く出している(譜例1)。この準固有和音

    はCodaT. 159の2拍目でも同様の使い方をしている。またT.155ですんなりとE-dur主和音に戻ら

    ず、借用和音 ⅳ―Ⅴ に一旦寄り道をしてT.158で主和音に落ち着く技法は、正しくロマン派後期のも

    のである。T.161の偽終止はBeetoven以降使われ出した技法であるが、T.162の終止形はSchubert

    (1797-1828)以降、Liszt(1811-86)やBrahms(1833-97)等も好んだ典型的な後期ロマン派技法

    である(譜例2)。

     f-mollで始まる第2楽章Menuettoは、cis-moll→h-moll→a-mollと短調内で目まぐるしい転調を重

    ねていく。古典舞曲の形態を採りながらも、この音楽の流れと響きは、無調性を説いたRichard

    Wagner(1813-83)音楽に通ずるものである。

     第3楽章h-mollは、Bachのフーガ形式の変型と思われる対位法を駆使した音楽である。末尾の第

    4楽章への移行部は、まさにLisztの高揚部を想起させる技法である(譜例3)。しかし第4楽章に入

  • Felix Mendelssohn-Bartholdy音楽の音楽史的意義 57

    るや否や、Liszt的色合いが掻き消され、従来の均整のとれた音楽に戻る。Codaで第1楽章第一主

    題を再現させることにより、C. Franck(1822-90)が好んで用いた循環形式を先取している。こ

    れによって楽曲全体の統一感が図られている。

     Mendelssohn17歳時の作品でありながら、既に後期ロマン派の色彩濃い、独創的な音楽となって

    いるのである。

     Mendelssohnが敬愛してやまず、その研究、蘇演に生涯を賭したBachを意識して作曲したと言

    われているが、Bach色が感じ取れない程に彼の豊かなロマンチシズムがふんだんに織り込まれた、

    非常に情熱的な前奏曲となっている。

     逆にフーガは、espressivoと指示こそされてはいるが、形式、和声共にBachの伝統を忠実に守っ

    た冒頭で始まる。しかしT.34~劇的に変化し、tempoが速まり、跳躍和音、オクターブ移動等が多

    用され、次世代Franckのフーガを先取した形式となっている。コラール部と移行部は、Bachの信

    仰を継承したMendelssohnの信仰告白と深い精神性に満たされた、静謐、且つ清美な終結となって

    いる(譜例4)。

     全49曲ある『無言歌』は1829-45年、つまり21歳より死の2年前36歳という、ほぼ生涯に亘って

    作曲し続けた、名称、形式共にMendelssohn創始の、独自色豊かなピアノ作品である。歌曲風の

    旋律と伴奏部という形態で構成されてはいるが、ピアニスティックな面が際立っていることから、

    「歌曲を模倣したピアノ音楽」の新分野を切り開いたと言える。心象風景や感情描写を、透明度の

    高い澄んだ響きと甘美な旋律によって表現している芸術作品である。

     (a)第1集Op. 19(1830-32)第1曲E-durは、美しい主旋律と伴奏型で展開される、まさに歌曲

    風の作品である(譜例5)。第2曲a-mollは、もの哀しさが全体を覆っている、心に深く染み入る作

    風である。第3曲A-durは、cis-moll転調の展開部を含め、冒頭部の華やかな曲調の中にも憂愁の感

    じられる作品である。第5曲fis-mollはソナタ形式を採っており、Op. 19中この曲のみ、左低音や両

    手が旋律部を受け持つなど、単純な歌曲形式ではない作品である。また、深憂と激しさを兼ねた、

  • プール学院大学研究紀要第51号58

    感情の表現豊かな音楽となっている。Codaは同主調Fis-durに転調し、重苦しい曲想に一縷の光明

    を思い出す形で終結している。

     第6曲g-mollは、Op. 19中唯一Mendelssohnが「Venetianisches Gondellied」と標題を付記した作

    品だが、「仮面舞踏会と芸術の商都」には似つかわしくない、哀切極まりない曲調である。

     (b)第2集Op. 30(1833-34)第1曲は、Op. 19第1曲Es-durと形態は酷似しているが、平行調の

    属調g-mollに転調する等、曲風が更に進化した作品となっている。第3曲E-durは、讃美歌30番に

    使用されている名曲である。第4曲h-mollは、ソナタ形式の楽曲となっている。第二主題が規定通

    りの平行調D-dur、再現部第二主題がG-durと、長調部が長いにも拘らず、全曲を通して悲しみと

    焦りに覆われた作風となっている。第5曲D-durも、中間部fis-moll部の暗さの影響を、その前後部

    も受けているかのように、突き抜けた明るさの感じられない、陰鬱な雰囲気の音楽となっている。

    第6曲fis-mollは、やはりMendelssohn自身が「Venetianisches Gondellied」と名付けているが、こ

    の作品もまた、美しいながらも深い嘆息と哀愁に満ちた音楽を紡ぎ出しており、その悲しみが余韻

    として残り続ける手法を採っている。

     (c)Op. 38(1836-37)第1曲Es-durは、やはりOp. 19、30の各第1曲と同様、旋律線の明瞭な作

    品となっているが、直ぐに属調の同主調b-mollに転調することから、前2曲以上に暗い影の覆った

    曲調となっている。第2曲c-mollも、感傷的な悲哀さが核となっている作品である。第3曲Es-durは、

    前奏こそミステリアスな様相を呈し、短調への転調部もあるが、比較的高音域が使用されているこ

    とから、珍しく開放的な明るさの感じられる作品となっている。続く第4曲A-durも短調へ転調は

    するが、明澄さに貫かれた作品である。第5曲a-mollは、Op. 19第5曲同様、不安を掻き立てられ、

    不満や怒りを訴えている様な曲調である。第6曲As-durは、作曲者自身による「Duetto」という

    標題付きである通り、お互いに呼び掛け合うように二旋律を絡ませた、甘美な歌曲風作品となって

    いる。Op. 85(後述)同様、妻Cécilとの幸福な関係が作曲の原動力となっていると考えられる。

     (d)Op. 53(1839-41)第1曲As-durは、第2曲Es-durと共に、感情の抑制がなされた安定し

    た作風であるが、第3曲g-mollは非常に劇的で、激しい怒りや悲しみをぶつけた様な音楽である。

    しかし最後まで一貫されたこの勢いは、不安感よりもむしろ爽快感を与える作品である。第4曲

    F-durは、Schumannを彷彿とさせる、内省的、且つメロディアスな音楽である。第5曲a-mollは

    「Volkslied」と名打たれているが、両手によるオクターブの使用等、標題とは少しかけ離れたドラ

    マチックな作風となっている。

     (e)Op. 62(1843-44)第1曲G-durは爽やかな優雅さに溢れた愛らしい曲風であるが、そこはか

    とないうら寂しさを拭い切ることが出来ない作品である。第3曲e-mollは後人が「葬送行進曲」と

    名付けた様に、重々しい和音使用曲ではあるが、他曲と比較して悲哀の様なものはそれ程感じられ

    ない。Mendelssohnの好んだThema「Venetianisches Gondellied」の3曲目である第5曲a-mollは、

    やはり独特の哀愁を帯びた、非常に感傷的な作品である。第6曲A-dur通称「春の歌」は、ギター

  • Felix Mendelssohn-Bartholdy音楽の音楽史的意義 59

    の爪弾きを想起させるセレナード風の伴奏部に軽やかで気品ある旋律を歌わせる、珍しく幸福感に

    満ちた作風となっている。

     (f)Op. 67(1843-45)第2曲fis-mollはセレナード風の曲調であるが、常にもの悲しさの漂った

    音楽である。第3曲B-durは、静謐感漂う、崇高なものを見仰ぐ敬虔な作風となっている。第4曲

    C-durは、半音階や短調への転調が、軽快な音楽の引き締め役を果たしている。第5曲h-mollは、郷

    愁、孤独感の感じられる作風である。

     (g)Op. 85(1834-45)第1曲F-durは、悲哀感の少ない曲調だが、第2曲a-mollは沈痛な作風と

    なっている。第3曲Es-dur、第4曲D-dur、第5曲A-dur、第6曲B-durの何れも、Mendelssohnの

    心身共の健全さが窺える、安定した音楽である。1936年のCécilとの結婚前後の充実感が漂った作

    品連となっている。

     (h)Op. 102(1842-45)第1曲e-mollは、ロマン派盛・後期を想起させる、感傷さと郷愁に支配

    された作風である。第2曲D-durは、伴奏部が純然たる伴奏型を採っていず、第二旋律として、主

    旋律に寄り添わせる形態となっている(譜例6)。第3曲C-durは、軽快ながらも焦燥感を与える作

    風である。第4曲g-mollは、甘美さと哀愁が適度に相俟った、バランスの取れた作品である。生涯

    を通じて抱いていたMendelssohnの悲哀が、主張を抑え気味に表現されている音楽である。第5曲

    A-dur、第6曲C-durは、晩年の安定した幸せに呼応する様な、清らかで落ち着いた作風となって

    いる。

     Beethovenの2曲の幻想ソナタ(Op. 27-1、2)を参考にしており、Schubertの「さすらい人幻

    想曲」の路線上にあると言われている作品だが、3楽章制でありながら休みなく演奏される点、全

    曲を通して深い悲哀と寂寥感に覆われている点が先ず、この作品のロマン派的特徴と言える。ス

    コットランドの自然からくる陰影のみならず、彼の本質的な繊細さがよく表されている哀調帯び

    たロマンチックな音楽がこの作品の基調となっている。これは穏やかな民謡風の第2楽章でも、

    またtempoの速く激しい第3楽章でも言えることで、短調の曲でも底抜けの明るさや喜びの感じ

    られるMozart音楽とは対照的である。しかしそれはまた、Beethoven程の悲痛さや重苦しさを

  • プール学院大学研究紀要第51号60

    感じさせることもない、「限りある悲哀さ」であり、高い教養に支えられたこの節度の有り様が、

    Mendelssohn音楽の特徴とも言える。

     第1楽章の幽玄的な導入部は確かにBeethovenの、また第2楽章の民謡的音楽はSchubertの薫り

    がするが、第3楽章Presto部のピアニスティックな技法(譜例7)は、ピアノを技巧的に駆使する

    ロマン派後期時代の先取りであると言える。

     (a)b-moll

     Chopin(1810-49)の練習曲Op. 25No. 1を想起させる曲想であるが、その曲調は遥かに感傷的で

    哀愁に満ちたものとなっている。右手高音域の6連符分散和音が、その曲調に煌びやかさを加える

    どころか、内声が奏でる主旋律の哀しみを一層際立たせる効果を出している。しかし終結部の力強

    さや同主調長調主和音の終音により、前向きな希望や期待の感じられる、単なる練習曲では終わら

    ない主張を含んだ名曲となっている。

     (b)F-dur

     単純な練習曲ではなく、無窮動の曲想ながらもフーガ的要素を取り入れ、転調や曲想の転換も目

    まぐるしく行われる、起承転結のしっかりとした作品である。

     (c)a-moll

     Lisztの『ハンガリー狂詩曲』中のfriska部を想起させる、高技能、高難易度の練習曲だが、その

    様に聞こえさせない控え目さに、Mendelssohnらしさが表れている。

     「古い形式と新らしい語法の総合において、ロマン派の変奏曲の典型とも言える作品」(田村和

    紀夫)2と評されている、Mendelssohn円熟期のこの作品には、彼の種々のメッセージが込められ

    ていると考えられる。

     先ずコラール調の静粛な主題部では、宗教的なもの、崇高さを希求する深い精神が感じられる。

    第3、4変奏では、心奥にあるものを僅かに表出し、第5、6変奏ではそれらを再び胸奥に納め、

    しかしその中で沸々としたエネルギーを蓄え、第7変奏において激しさが放出され、第10変奏では

    フーガ要素を取り入れることによりBachへの敬意を表している。第11変奏は、この作品中最もロ

  • Felix Mendelssohn-Bartholdy音楽の音楽史的意義 61

    マン派的な内省的、且つ甘美な音楽となっている(譜例8)。その後の第12変奏の、広範囲に亘る音

    域と激しい跳躍和音使用は、やはり時代の先取と言える。Themaを同主調長調に転調した第14変

    奏は、Thema以上に敬虔さの増した讃美歌調になっているが、同時に後期ロマン派的和声の使用

    により、この作品中最も清らかながら、同時に最も優美な音楽となっている。T.248の2拍目後拍

    の借用和音 ⅴ――Ⅴ11の第3音を半音下げ、第11音を半音上げる技法は、正しく後期ロマン派的なもので

    ある(譜例9)。第17変奏からCodaにかけて華やかな技巧が披露されるが、それらはこれ見よがし

    なものでは決してなく、Mendelssohnの謙虚な情熱が発露となったものである。このMendelssohn

    の深い精神性は、最終部分T.392~のカデンツに集約されている。

     交響曲の発信地は、Beethoven時代のWienから、1835年以降、Mendelssohnが音楽監督を務める

    Gewandhaus管弦楽団の本拠地Leipzigに移動した。

     個人音楽教師Zelter(1758-1832)より学んだBeethoven以前の古典音楽形式、並びにそれ以前

    のバロック音楽様式が、Mendelssohn音楽の基軸であると言われている。しかし、大﨑滋生氏が

    「Mendelssohnのシンフォニー創作の中心は標題的傾向を持つ」3と解釈している様に、彼の音楽は

    明らかにそれ迄の古典的純器楽音楽と一線を画した、次時代音楽への試みなのである。

     天才少年Mendelssohnが12-14歳時に作曲した交響曲12曲の次の13曲目であるこの作品は、確か

    にMozartのオペラ序曲を彷彿とさせる冒頭部を初め、随所にHaydn(1732-1809)、Beethoven交

    響曲的響きが感じられる。第1楽章第一主題旋律に始まり、終結手法迄がBeethoven的である。し

    かし第2楽章の木管楽器のオーケストレーションや伴奏部弦楽器使用法、変奏曲風展開、そして第

    一、二主題の情感溢れる流麗な旋律には既に、確立したロマンチシズムが垣間見られる。第3楽章

    中間部Trioは讃美歌風であり、15歳のMendelssohnが既にBachの信仰を意識していたことが窺え

    る、彼特有の曲調である。第4楽章はまた、後期古典派作曲家交響曲との類似点が多々見られるが、

    Mendelssohnらしい上品さで纏められている終結部に、彼独自の清々しさが感じられる。

     その初演から丁度100年後の1829年、Bach『マタイ受難曲』蘇演を成し遂げた達成感と充足感の

    中、意欲的に取り組んだ作品である。前交響曲とは隔世の感のある、ロマン派情緒漲る大傑作であ

  • プール学院大学研究紀要第51号62

    る。第1楽章序奏部弦楽器オーケストラ部は、Mahler(1860-1911)を想起させる音楽であり、厳

    粛さと荘厳さを前面に打ち出した、正に宗教音楽的音楽である。「ドレスデン・アーメン」4を二度

    繰り返すことにより、彼の信仰告白的意向が一層強調されている。第二主題は、正しく後期ロマン

    派Brahmsの響きを先取りしたものである。第2楽章は非常に肯定的な音楽で、Trio部は民謡風、且

    つドイツ・ロマン派音楽の先駆けと言える弦楽器の響きとなっている。第3楽章もまた後期ロマン

    チシズムに溢れた、郷愁漂う牧歌的な作風となっている。個人的情感が次第に普遍的高みへと向かっ

    ていく終結部である。第4楽章は、Luther(1483-1546)作曲「Ein’ feste Burg ist unser Gott」

    (1529)旋律を発展させることにより、この礎に立っている盤石なドイツ・キリスト教への賛美を

    表現している。

     親しみ易い軽快なこの交響曲はMendelssohnの代表的作品として名の挙がる作品だが、その標題

    通り明るさが全面に出ているためか、奥深い精神性を湛えた他の交響曲の方がよりMendelssohnら

    しいと筆者は考える。しかしBrahmsを想起させる第1楽章の重厚な弦楽器使用法、ローマ巡礼を

    表している第2楽章の郷愁に満ちたコントラバスのピチカート対旋律と優美な主旋律の対比等、彼

    独自の進歩的志向が表れている部分もある。第4楽章は、ローマ地方の二種の舞曲、サルタレロ5

    とタランテラ6が主題となっているが、イタリアの明るい太陽の下、底抜けに陽気な人々の舞踏描

    写音楽であるにしては、悲哀が全体を覆っている、Mendelssohn特有の多感な抒情性が表れている

    楽章である。

     Beethoven『第九交響曲』の模倣の様であるが、それを遥かに凌駕するオラトリオ型交響曲であ

    り、Mahler交響曲との橋渡し役を果たした(大崎滋生)、Mendelssohnの交響曲中最高傑作と言え

    る大作である。荘厳さと華やかさを併せ持った第1楽章に続き、第2楽章は一転して哀愁漂う舞

    曲風作風となり、Mendelssohn特有の優雅で抒情豊かな楽章となっている。それに続く第3楽章

    は清澄、且つ素朴な味わいある曲想となっている。「Alles was Odem hat, lobe den Herrn !」の合

    唱に始まる第2部は、Sop.Ten.と次々に神への賛美を歌い上げ、Luther派コラール「Nun denket

    alle Gott mit Herzen, Mund und Händen」を用いての透明感ある合唱が現れ、最後には冒頭の

    「Alles~」の主題が再現する。「感謝と賛美」というThemaが徹底して貫かれた宗教作品となって

    いる。

     早い着想ながら推敲を重ねて完成が晩年になった、Mendelssohnにとって最も思い入れ深い交響

    曲であり、彼の高度な絵画的、文学的描写力が証明された名作である。スコットランドの幻想的な

    自然とイギリス王家の暗い伝説が重なった、哀愁と力強さの融合した心打つ第1楽章に続き、木管

    楽器に導かれた舞曲風第二主題がロマン派独特の豊かな色彩に彩られている第2楽章、丁寧で細や

  • Felix Mendelssohn-Bartholdy音楽の音楽史的意義 63

    かな自然描写の第3楽章、活き活きとしていながらもa-mollの色調であり、第1楽章主題も伏線的

    に見え隠れする第4楽章という、彼の交響曲作曲活動の集大成と言える、ロマン派を代表する傑作

    である。

     波の音を表す弦楽部の深いうねりと金管楽器の高鳴りの後に現れる弦楽器の響きは、後世の

    Brahms音楽や同じ風景描写音楽であるSmetana(1824-84)の『モルダウ』を想起させる。彼特有

    の憂いを帯びたh-moll曲調の中にも、穏やかで美しいクラリネット旋律が安心感を与え、随所に織

    り込まれているBeethoven的激しさも、曲の引き締めに効果的な作用を及ぼし、メリハリの効いた

    作品となっている。

     文学・詩的要素の高いこの序曲は、冒頭部からRimsky-Korsakov(1844-1908)の『シェエラザー

    ド』冒頭を彷彿とさせる、物語音楽としての先進的作品となっている。Mendelssohnの豊かな独自

    色と高い格調に満たされた音楽である。

     Op. 61-7「夜想曲」は弦楽部によるオルガン的通奏低音が金管楽器の音色と甘く溶け合い、絶妙

    の響きを創出している。Op. 61-9「結婚行進曲」のトランペット・ファンファーレと、それに続く

    弦楽旋律による展開部では、Mendelssohnのオーケストレーション技法の巧妙さが見事に発揮され

    ている。Op. 61-13終曲では、序曲冒頭音楽が再現するが、このことにより序曲を含めたこの作品

    全体の統一感を表し、同時に終了感を高めている。また、ここにSop.M.Sop.Chorという声楽を加

    えることでオペラ的要素を添加するという新境地の開拓が成し遂げられている。

     全体的には力強さが前面に出ており、Beethovenピアノ協奏曲の継承の様に思われるが、実際に

    は、第1楽章序奏直後にピアノ独奏で第一主題を提示する点、全三楽章を間断なく奏する点、第3

    楽章で第1楽章第二主題が再登場する点など、伝統的手法を打ち破り新機軸を打ち出した革新的

    な作品となっている。第2楽章は、親交深く、互いに敬意を抱いていたChopinのピアノ協奏曲の

    先取りと思える、非常に感傷的な曲調である。トリルのピアノ下で、弦楽器がロマンティックな

    旋律を受け持つ手法もChopin的である。第2、3楽章のトランペット・ファンファーレ冒頭部も、

    Tchaikovsky(1840-93)のバレエ音楽を想起させる改革的作曲技法である。相当の技巧を要する

    第3楽章は、彼独特の謙虚な曲想作りから、それと目立たぬよう工夫されている。Mendelssohnの

    湧き出でる発想に満ちた名作である。

  • プール学院大学研究紀要第51号64

     力強さの中に深い哀愁の込められた、苦悩の感じられる第1楽章である。第1番よりも更に技

    巧面が高度になっている(T.151~)が、全体の曲調に溶け込んでいて浮き出てはいない(譜例10)。

    第2楽章へは間断なく入り、それを繋ぐのがピアノ独奏である手法は斬新である。甘美、且つ優雅

    な名楽章である。attaccaで飛び込む第3楽章は劇的で力強いが、その中にもTchaikovskyのバレエ

    音楽を想起させる素朴で感傷的な響きが織り交ぜられている。

     第1楽章のむせび泣く様な憂愁を含んだ第一、二主題のロマンチシズムに圧倒される、成熟し

    きったロマン派音楽である。後代のWieniawski(1835-80)やBruch(1838-1920)7ヴァイオリ

    ン協奏曲の響きが散見される、時代を先取した作品である。全楽章が途切れなく演奏される手法

    や、ソナタ形式の再現部前にピアノ独奏カデンツを登場させる手法も刷新的である。この作品を

    幸福感の表れと評する人も多いが、筆者には彼の苦悩と不安定な帰属感からくる郷愁がしみじみ

    と伝わってくる。第2楽章主旋律は哀愁の抒情に溢れている。Tchaikovskyバレエ音楽『白鳥の

    湖』に通じる、孤独な哀しみの歌である。技巧面の取り沙汰される第3楽章だが、「過度の絢爛

    さを示すこと無」く(D.J.Grout)8、あくまで深い内省が支配した音楽となっている。感情を吐露

    し過ぎたBeethovenとも、抑制し過ぎたBrahmsとも、技巧を打ち出したLisztとも区別化される、

    Mendelssohn独自の繊細な感受性からくる音楽が作り出されている。

     「19世紀にオラトリオ創作を手掛けた作曲家で、最も優れた作品を残したのはMendelssohnであ

    る」とH.M.Millerがその著書の中で明言している様に9、Mendelssohn音楽の奥深さを最も表して

    いる二作品である。

     Bachのカンタータで使用している「目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声」の旋律を厳粛、

    且つ壮大に展開させる序曲から既に、深淵な信仰世界を感じさせる作品である。

     第一部第一曲Chorより「Herr ! Herr, der du bist Gott~」と天地創造の神を全身で褒め称える

    フレーズが繰り返され、Chor二曲目で「Allein Gott in der Höh sei Ehr」と神の栄光を願う静粛な

  • Felix Mendelssohn-Bartholdy音楽の音楽史的意義 65

    コラールとして受け継がれ、そこからSoloとChorによりパウロ物語が歌い継がれていく。B-durの

    Sop.Solo「Jerusalem !」は、清澄さに貫かれた曲想の中、後期ロマン派の薫り濃い、抒情性豊かな

    Arieとなっている(譜例11)。Es-durのChor「Siehe」のうねりの様なVn.伴奏部に乗る優美な合唱

    ハーモニーは、深いロマンチシズムに支えられた、説得力のある名曲となっている。D-durのChor

    「Mache dich auf」は、パウロ回心というクライマックスに合わせて音楽も劇的に盛り上がってい

    る。宗教音楽におけるこの激しい高揚感は、Mendelssohn独自の新境地である。

     第二部第一曲Chor「Der Erdkreis ist nun des Herrn」は、オーケストラ伴奏にオルガンを入れ、

    「コラールとフーガ」形式を採り、G-durのChor「Wie lieblich」は、 6―8 拍子の牧歌調曲想である

    ことから、Bach、Händel(1685-1759)のオラトリオを彷彿とさせるが、g-mollのChor「Ist das

    nicht」の、歌詞内容に則ったミステリアスな雰囲気や、C-durのTen.Kavatine 10「Sei getreu」の、

    伴奏部をチェロ単旋律が支える手法(譜例12)等は次世代の斬新さがある。終曲D-durのChorに至る

    まで「Lobet den Herrn !」と神への賛美を呼び掛ける歌詞と、魂の底から響く荘厳な作風で占め

    られている。

     第一部冒頭のElijah役による神への信仰告白から始まる独創的なこの作品は、正しく

    Mendelssohnの音楽、信仰人生の集大成と言える芸術作品となっている。各Arie、Chorが、『聖パ

    ウロ』と比較してより情感豊かな、甘美さの加わったものとなっている。旋律は、歌詞に合わせて

    より丁寧で肌理細やかな動きになっており、壮大さよりも、盛期ロマン派の特徴である内省的な繊

    細さが作品全体に打ち出されている。『聖パウロ』が、独唱部で激しく訴え、合唱部で説き聞かせ

    る穏やかな曲調であったのと対照的に、この作品は独唱部で切々と歌い上げ、合唱部で力強く訴え

    る枠組みとなっている。Es-durのElijahのArie「Herr Gott Abrahams」は、革新的な響きと抒情

    性を併せ持った名曲になっている。それに続くQuartettも、斬新、且つ透明感のある美しいコラー

    ルである。第一部終曲Es-durのChorも、そのハーモニーと曲想が、正しく次世代の先取と言える

    斬新なものとなっている。第二部fis-mollのArie「Es ist genug !」は、メランコリックさを秘めた

    民俗音楽風の哀切な音楽である。D-durのChor「Siehe, der Hüter Israels」は、C. Franckの宗教作

    品を想起させる曲調である。F-durのChor「Wer bis an das Ende beharrt」も清澄なコラールだが、

    『聖パウロ』コラールと比較して、静謐ながらもドラマチックさが増している。その劇的盛り上が

  • プール学院大学研究紀要第51号66

    りは、e-mollのChor「Der Herr ging vorüber」で頂点に達する。42曲目の終曲Chorに至っても尚、

    苦悩を含んだ激しさと厳しさを保ったまま、しかし希望と信頼に満ちた魂の叫び「Amen」合唱で

    終結する一大傑作である。

    Ⅱ.苦悩の有無

     1819年秋、Würzburgで発生したユダヤ人排斥運動がBerlinにも到達し、その10月にMendelssohn

    は、「ユダヤ人の子!」と唾を吐きかけられ、その5年後には、やはりピアニスト兼作曲家であっ

    た最愛の姉Fanny(1805-47)と散歩中に石を投げつけられる屈辱の体験をする。残酷なユダヤ人

    迫害の中、Mendelssohnの両親は1816年、彼の7歳時にキリスト教への改宗洗礼を受けさせ、氏名

    に「Bartholdy」というキリスト教徒的苗字を付帯する。しかしMendelssohnは、これらの対処が

    人々の根深い差別意識を覆すことは出来ないことを体験し、この苛酷な逆風と生涯闘ったのである。

    その苦悩が彼の人生に色濃い影を落としたと、先項の作品分析を通して筆者は考察する。

     Mendelssohnの父は当時のキリスト教徒が恐れ嫌う金融業で成功し、大富豪にのし上がったユダ

    ヤ人であり、その庇護の下に恵まれた音楽家人生を歩んだ彼への差別や偏見が相当なものであった

    ことは想像に難くない。彼の音楽人生の中で、少なくとも二度、人種差別による挫折を味わってい

    る。一つは1830年Berlinでの重要行事「宗教改革300年祭」において、前年度のBach『マタイ受難

    曲』蘇演による「Bach復興運動」火付け役を果たしたMendelssohnに作曲依頼が来るものと信じ

    て疑わず、記念交響曲を作曲したが(Ⅰ.2. 2)項参照)、「キリスト教の公式行事の音楽を、ユダヤ

    人に委ねる訳にはいかない」という理由で依頼が来なかった事件である。二つ目は1833年、幼少時

    からの音楽教師であり、親炙したGoethe(1749-1832)との引き合わせ役でもあった、Berlinジン

    グ・アカデミー音楽監督Zelterの後任人事の際、「キリスト教団体である組織に、ユダヤ人指揮者

    を迎えるなど前代未聞」と立候補者Mendelssohnを撥ね退けた事件だ。この二大事件が決定的衝撃

    となり、彼は音楽活動拠点をBerlinから移すことになるのである。

     LeipzigのMendelssohn邸での音楽サロンの常連であったLeipzig生まれのWagnerは、Mendelssohn

    から多分の音楽的影響を受け、恩恵に浴していたにも拘らず、彼の死後1950年、Mendelssohnと音

    楽的才能を認め合っていたSchumannの創刊雑誌『音楽新報』に、「Mendelssohnはユダヤ人音楽

    家をLeipzigに連れてきて、この町をユダヤ人の都にしてしまった」「Mendelssohnの作品には心の

    奥底に訴え掛けるものも、高い精神性も感じられない。彼の様なユダヤ人には真の創作力が欠けて

    おり、他人の作品を盗むだけだ」という批評文を投稿した。時同じくして、1850年にフランスの貴

  • Felix Mendelssohn-Bartholdy音楽の音楽史的意義 67

    族作家J.A. Gobineau(1816-82)が『人種不平等論』の中で、アーリア人種優越説を唱えたことと

    も相俟って、この思想がドイツ全土、ひいてはイギリスにまで波及し、1889年頃、イギリス音楽評

    論家G. Bernard Shaw(1856-1950)が「Mendelssohnは特別裕福な家で生まれ育って貧困の苦労

    を知らない故、偉大な芸術家としての資質に欠ける」という偏見に満ちた批評を発表した。

     これらの風潮と共にMendelssohn音楽は「優雅だが表層的」と軽視されるようになるのであ

    る。1933年ナチス台頭によりWagner音楽が推奨され、1934年にはついにドイツの音楽教科書から

    Mendelssohnの名前が削除され、以後12年間、彼の作品演奏、出版の全てが禁止される。1939年に

    はMendelssohn銀行が閉鎖され、これをもって音楽の歴史的価値を含むMendelssohnに由来する一

    切のものが抹殺されたのである。戦後1947年に漸く開催された「没後100年記念Mendelssohn週間」

    のプログラムには依然として、「Mendelssohnの作品の多くは歴史的評価に耐えられず、自然淘汰

    された」と書かれている11。

     これ程までに徹底した歴史的抹殺の憂き目に遭いながらも現在、Mendelssohn音楽作品復興運動

    が高まりつつあるのは、Gewandhaus管弦楽団11代目音楽監督のKurt Masur(1927-)や他の音楽

    学者達の貢献度も大きいであろうが、何よりMendelssohn音楽自身に、これらの圧殺を跳ね除ける

    強力な魂が厳然と存在する故であると考える。

     初期ロマン派作曲家としての音楽スタイルに関する悩みがMendelssohnには有ったとは考えられ

    る。全約750作品の中での音楽スタイルは種々様々であるが、その中で彼が最も重んじた古典派ソ

    ナタ形式技法をベースに、それ以前のフーガ等対位法やコラール要素を取り入れ、同時に「変奏曲」

    形式の規範を示し、歌曲を思わせる優雅な旋律と共に深い嘆きの和音を多用するという試行錯誤の

    中、次世代ロマン派後期作曲家達に多大な影響を及ぼした進取の作曲家と言えるのである。

     しかし、ロマン派作曲家達全てが病んでいた「到達し難いものへの憧れ」に、Mendelssohnもま

    た蝕まれていたという説(F. Herzfeld)12に関しては、彼の中に明確に形成されていた信念、つま

    り確固たる信仰故に、この苦悩とは無縁であったと筆者は考える。彼の音楽に対する「保守的」と

    言う評価は、古典ソナタ形式からの完全な逸脱がなかったことから或る程度妥当とも言えるが、此

    の度の作品分析によって、ドイツ古典派の伝統内のみに納まっていた訳ではなく、次々と新たな試

    みに挑戦し、新境地を切り開いた作曲家であるとの確信を筆者は抱いた。その一つは、盛・後期ロ

    マン派的抒情性豊かな旋律、和声の中で、深い宗教性を表すという新機軸である。厳粛で重厚な音

    楽を通して信仰心を表現するというBachやHändel、Haydn、そしてMozartの宗教作品の殻を完全

    に打ち破り、荘厳さに哀愁と感傷、そして興奮を加えた、劇的な宗教音楽を生み出したのである。

    これは非常に画期的な作曲手法である。

     Bachを継承したMendelssohnの信仰の質は、彼以前、以降の信仰ある何れの作曲家とも異なる、

  • プール学院大学研究紀要第51号68

    非常に純粋で深いものであったと思われる。Bach同様Mendelssohnも楽譜冒頭にH.d.m.(Hilf du

    mir)と、末尾にL.E.G.G. !(Lass es gelingen, Gott!)と記している。これは単なるBachの模倣ではな

    く、彼自身の深い信仰心に根差したものであると言われている。Mendelssohnは生涯をかけて

    Bachの埋没していた芸術作品を、「この世で最も偉大なキリスト教音楽」と崇拝して発掘、再演

    した。彼自身の作品においても、聖句を厳格なまでに吟味し、自身の信仰告白や賛美心に合致した

    歌詞を選び抜いて二曲のオラトリオを誕生させた。聖書を土台とした、この揺るぎない信仰ゆえに、

    彼の創作目的は常に明確であり、作曲活動過程において彼が「到達し難いものへの憧れ」に対して

    思い悩むことは無かったのではないかと考えるのである。

     Mendelssohnは古典形式に基づいた正統な音楽の中で、形式的にも音楽的にも次世代への試みを

    先駆け、確信に満ちた、彼特有の繊細な感傷が織り込まれた独自の世界を繰り広げている。

     彼が育ちの良さ、家庭環境の影響から非常な楽観主義者であったという説がある。財力と良識、

    そして愛情豊かな両親と姉に守られての人生は、確かに安心感と肯定的な積極性を与えるであろ

    う。しかし、宗教のみならず名前までも変える必要のあった事態は、彼にただならぬ不安感と反発

    を植え付けたであろうし、音楽活動の中で生涯付き纏った人種問題からくる偏見と差別は、同じユ

    ダヤ人作曲家Mahlerが生涯を通して感じていた非帰属意識からくる不安定感をMendelssohnにも

    抱かせたであろうことは間違いないと考える。その不安感、やるせなさが、彼をして一層信仰の深

    みへと踏み込ませたのではないかと筆者は考える。彼の悩みが深いと考える理由の一つは、彼の音

    楽には内省的なものが非常に多く、明るい長調よりも暗い曲調の短調作品の方が断然多いことであ

    る。そして長調作品であっても、その中に必ずと言って良いほど、悲哀と憂いの情感が含まれてい

    ることである。また、平穏な明鏡止水的音楽よりも、むしろ激情的なものを多く作曲していること

    も理由の一つである。

     此の度の作品分析で、Mendelssohnへの「表面的な甘美さのみの作曲家」などという誤ったレッ

    テルは見事に覆された。苦悩と信仰に裏付けされた、使命感に燃えた内面的な音楽作曲家なのであ

    る。「保守的」との評価も見当違いであり、彼は明らかに進歩的、且つ革新的な作曲家である。「時

    代への挑戦者」とも表現出来ると考える。

    反ユダヤ主義に阻まれ、現在まで正当な評価を得ていないMendelssohn音楽の奥深さ、崇高な美

    しさ、力強い信念、斬新、且つ個性的な技法と音楽性が陽の目を見、西洋音楽史上における意義へ

    の再評価運動が更に活性化することを切に願うものである。Mendelssohn作品紹介の為の演奏・研

    究活動に、今後も力を注いでいきたいと考えている。

  • Felix Mendelssohn-Bartholdy音楽の音楽史的意義 69

    1 『音楽史〈作曲家とその作品〉』p. 782 『新名曲が語る音楽史』p. 1323 『文化としてのシンフォニーⅠ』p. 2414 17世紀、Dresdenの教会礼拝で歌われ始めた「アーメン」と言う歌詞のみの3小節合唱曲。5 「跳躍する」と言う意味で、16世紀イタリアの速い3拍子の舞曲。19世紀には一層速く、また激しさの増し

    たものとなっている。6 急速な 6―8 拍子のナポリの舞曲。7 Bruchは実際に、MendelssohnやBrahmsのVn.協奏曲を参考にして第1番g-moll Op. 26を作曲したと言われ

    ている。8 『新西洋音楽史 下』p. 589 『新音楽史』p. 23010 18-19世紀のオペラ、オラトリオ中の、アリアより単純な形式を持つ独唱のこと。11 『フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディとその魅力』p. 1712 『わたしたちの音楽史』p. 192

    F. Herzfeld著『わたしたちの音楽史』渡辺護訳 白水社 1962堀内久美雄編集『新音楽辞典』音楽之友社 1977門馬直美他監修『最新名曲解説全集/協奏曲Ⅱ』音楽之友社 1979門馬直美他監修『最新名曲解説全集/交響曲Ⅰ』音楽之友社 1980門馬直美他監修『最新名曲解説全集/独奏曲Ⅱ』音楽之友社 1981千蔵八郎著『音楽史〈作曲家とその作品〉』教育芸術社 1983U. ミヒェルス編著『図解音楽事典』角倉一郎監修 白水社 1989大塚野百合著『賛美歌と大作曲家たち』創元社 1998H.M. ミラー著『新音楽史』村井範子他共訳 東海大学出版会 2000P. カヴァノー著『大作曲家の信仰と音楽』吉田幸弘訳 教文官 2000D. J. グラウト他共著『新西洋音楽史・下』戸口幸策他共訳 音楽之友社 2001大崎滋生著『文化としてのシンフォニーⅠ、Ⅱ』平凡社 2005、2008フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金編集    『フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディとその魅力』聖公会出版 2006中野京子著『メンデルスゾーンとアンデルセン』さ・え・ら書房 2006吉井亜彦著『名盤鑑定百科 管弦楽曲編』春秋社 2007堀内久美雄編集『新訂標準新音楽辞典』音楽之友社 2008田村和紀生著『新名曲が語る音楽史』音楽之友社 2008ひのまどか著『メンデルスゾーン 美しくも厳しき人生』リブリオ出版 2009樋口裕一著『音楽で人は輝く』集英社 2011

  • プール学院大学研究紀要第51号70

    (ABSTRACT)

    The Significance of Mendelssohn’s Music in Western Music History~An examination of his music which is a combination of his upbringing,

    his religion and his high level of sophistication~

    SAKUNO Rie

      Felix Mendelssohn Bartholdy(1809-1847)is a composer from the beginning of the 19th

    century, the romantic period in western music history. Although Mendelssohn composed more

    than 720 works and definitely left a mark on music history, his works have not been evaluated

    very highly by music critics. His works are not generally well known and are not performed all

    that often.

      Mendelssohn was born into a very wealthy family, which was unusual when compared to

    other composers. Because of his good fortune and comfortable life is it possible that music critics

    have undervalued his works? Is it true that Mendelssohn’s life was without worry?

      Through the course of research into Mendelssohn’s background and musical works

    it became obvious that his works have been misrepresented and misunderstood. After

    Mendelssohn’s death, the great composer Richard Wagner(1813-1883)slandered Mendelssohn

    and his works in a music magazine. The reason was because Mendelssohn was Jewish.

    Unfortunately, these harsh criticisms of Mendelssohn’s works then became the prevailing

    thought of his works in Europe. In fact, during the rise of the Nazis from 1933 to 1945, the

    playing and publishing of Mendelssohn’s works was prohibited in parts of Europe. As a result,

    because of the fate of history, Mendelssohn’s music was judged inferior for long periods of time.

      In fact, Mendelssohn’s compositions, which were products of his high level of sophistication

    and pious faith, can be seen as profound, impressive and, instead of conservative, rather

    progressive.