ケインズ派金融経済論の過去と現在*dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/db00000157.pdfケインズ派金融経済論の過去と現在...

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26 ケインズ派金融経済論の過去 と現在* - 金融構造 とマクロ経済変動- 1 は じめに 2 「生産の貨幣理論」 としてのケイン ズ経済学 3 戦後におけるケインズ経済学の展開 4 ポス ト ・ケイ ンジア ンとニ ュー ・ケ インジアンの分析視角 1 はじめに 4.1 ポス ト・ケインジアンの理論 4.2 ニ ュー ・ケイ ンジア ンの理論 5 非対称情報 と金融構造 6 根本的不確実性 と非対称情報 7 おわ りに 1970 年代 初頭 には じまる 「ケイ ンズ反革命の攻勢が打ち続 くなかで,ケインズ経済学の再 生 をめ ざす動 き も,徐 々 にで はあ るが, さ まざ まなか た ちで 推 し進 め られて い る。 「ケ イ ン ズ ・フ ァンダメ ンタリス ト」 を もって任ず るポス ト・ケイ ンズ派 は今 もなお一定 の活力 を保持 してい る し,最近で は, これ に加 えて 「ニ ュー ・ケイ ンジア ン経済学」 の名で呼 ばれ る潮流 も 現れ,ケインズの復権が語 られるようにもなった。 とはいえ,現在では,マクロ経済学の世界 においてケインズの名が語 られるときにも,かつてのような,た とえば60 年代の 「ニュー ・エ コノ ミックスの隆盛や70 年代のマネタリス ト=ケインジアン論争のさいにみ られたような 「熱さをそ こか ら感 じとる ことはで きない。 この ことは,1936 年 に 『雇用 ・利子 および貨幣の一般理論が公刊 されてか ら多 くの年 月が 過 ぎるとともに,ケインズ自身の理論がマクロ経済学の研究対象であった時代が終わ り,それ があ くまで過去の偉大 な経済思想 として研究 され る時代 に移行 した ことの表れで あるのか もし れ ない。 『一般理論の公刊以来,マクロ経済学の領域において幾多の論争が積み重ねられて きた後の今 日においては, ケイ ンズ経 済学 をめ ぐる議論が繰 りひろげ られ る場合 に も,その議 〔キー・ワ-ズ〕 ケインズ経済学,生産の貨幣理論,ポス ト・ケインジアン,ニュー ・ケインジアン,根本的不確実性, 非対称情報 * 本稿の作成過程において,ポス ト・ケインズ派経済学研究会の会員を中心 として組織された金融問 題研究 プロジェク トの参加者 の方 々,お よび本誌 レフェ リーか ら有益 な コメ ン トを頂 いた。記 して謝 意 を表 したい。

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ケインズ派金融経済論の過去と現在*

- 金融構造とマクロ経済変動-

鍋 島 直 樹

1 はじめに

2 「生産の貨幣理論」としてのケイン

ズ経済学

3 戦後におけるケインズ経済学の展開

4 ポス ト・ケインジアンとニュー ・ケ

インジアンの分析視角

1 は じめ に

4.1 ポス ト・ケインジアンの理論

4.2 ニュー ・ケインジアンの理論

5 非対称情報 と金融構造

6 根本的不確実性と非対称情報

7 おわ りに

1970年代初頭にはじまる 「ケインズ反革命」の攻勢が打ち続 くなかで,ケインズ経済学の再

生をめざす動きも,徐々にではあるが,さまざまなかたちで推 し進められている。「ケイン

ズ ・ファンダメンタリスト」をもって任ずるポスト・ケインズ派は今もなお一定の活力を保持

しているし,最近では,これに加えて 「ニュー ・ケインジアン経済学」の名で呼ばれる潮流も

現れ,ケインズの復権が語られるようにもなった。とはいえ,現在では,マクロ経済学の世界

においてケインズの名が語られるときにも,かつてのような,たとえば60年代の 「ニュー ・エ

コノミックス」の隆盛や70年代のマネタリス ト=ケインジアン論争のさいにみられたような

「熱さ」をそこから感じとることはできない。

このことは,1936年に 『雇用 ・利子および貨幣の一般理論』が公刊されてから多くの年月が

過ぎるとともに,ケインズ自身の理論がマクロ経済学の研究対象であった時代が終わり,それ

があくまで過去の偉大な経済思想として研究される時代に移行 したことの表れであるのかもし

れない。『一般理論』の公刊以来,マクロ経済学の領域において幾多の論争が積み重ねられて

きた後の今日においては,ケインズ経済学をめぐる議論が繰 りひろげられる場合にも,その議

〔キー ・ワ-ズ〕

ケインズ経済学,生産の貨幣理論,ポス ト・ケインジアン,ニュー ・ケインジアン,根本的不確実性,

非対称情報

* 本稿の作成過程において,ポス ト・ケインズ派経済学研究会の会員を中心として組織された金融問

題研究プロジェク トの参加者の方々,および本誌 レフェリーから有益なコメントを頂いた。記 して謝

意を表したい。

Page 2: ケインズ派金融経済論の過去と現在*dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DB00000157.pdfケインズ派金融経済論の過去と現在 29 しかしながら,『一般理論』において,貨幣的・金融的条件の変化が,投資とマクロ経済の

ケインズ派金融経済論の過去と現在 27

論の内実は,当然のことながら,もはやケインズ自身の理論とは大なり小なり禿離したものと

ならざるをえない。また最近のニュー ・ケインジアンの議論が,個別経済主体の最適化という

促走やリアル ・ビジネス ・サイクル理論といった新古典派経済学の枠組みの内部で展開されて

いることも,「ケインズ 対 新古典派」という対立の構図をいまひとつ不鮮明にしている一因

となっている。そうであるとすれば,ケインズ経済学をめぐる議論から以前のような熱気が伝

わってこないのは,ある意味で致 し方ないことであるのかもしれない。

しかしながら,ポスト・ケインジアンであれ,ニュー ・ケインジアンであれ,それらの理論

にあえてケインズの名が冠せられているのは,やはりそれなりの理由があるからであろう。こ

れら諸学派の試みが,それぞれの観点からケインズの経済学の継泉 ・発展をめざすものである

ことに違いはない。それにもかかわらず,ケインズ派を名乗るこれらのアプローチのあいだに

共通理解というものはほとんど存在していない。ケインズ経済学の新 しい方向が模索されてい

る現在,ケインズ自身がめざしたものは何であったのか,これら諸学派はケインズから何を継

承しようとしているのか,また彼らの理論的枠組みはケインズ自身のものとどのように異なっ

ているのか,といった問題に考察を及ぼすことが改めて必要とされているのではないだろうか。

本稿は,ケインズ経済学の本質を貨幣的経済学 (monetaryeconomics) という点に求める立

場から,金融システムと実体経済との相互作用という側面に焦点を当てながら,これらの問題

について検討を試みる。そのような作業を通じて,ケインズ経済学の核心が灰見えてくるとと

もに,その将来の姿が浮かび上がってくるかもしれない。

2 「生産の貨幣理論」としてのケインズ経済学

伝統的経済学に対するケインズの挑戦の眼目は,セイ法則 と貨幣数量説を否定することに

あった。それゆえ,ケインズ革命の主要な成果は,投資が総需要とマクロ経済の変動の推進力

となることを主張する 「有効需要の原理」を提示したことにあると言ってよい。そのさいケイ

ンズは,投資水準の決定においては貨幣的 ・金融的要因が重要な役割を演じることを示唆して,

貨幣の中立性という命題を否定 した。ケインズの経済理論とは,彼自身の用語によれば 「生産

の貨幣理論」(monetarytheoryofproduction)にはかならないのである。

よく知られているように,『貨幣論』(1930年)の世界からの脱却を図っていたケインズは,

『シュピー トホフ記念論文集』(1933年)への寄稿論文において次のように主張している。「私

の見解では,恐慌の問題が未解決である理由は,あるいは少なくともこの理論が非常に不満足●●●●●●●

なものである理由は,生産の貨幣理論と名づけられるであろうものが欠けていることのなかに

見出せる」(Keynes〔1973a〕p.408)1)。さらにケインズは,伝統的経済学と自らが構築しよう

1) ケンブリッジ大学における彼の講義の題目も,1932年イースター学期の 「貨幣の純粋理論」(The

pureTheoryofMoney)か ら,同年 ミカエルマス学期には 「生産の貨幣理論」(TheMonetary

TheoryofProduction)に変更されている (Rymes〔1989〕を参照)0『一般理論』形成史に関しては/

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としている経済学との相違について次のように論じている。

「貨幣を用いるが,しかしそれを実物財と実物資産とのあいだの取引の単なる中立的な連

結環としてしか用いず,貨幣が動機や決意に入り込むことを許さないような経済は,より●●●●●●

良い名称を欠いているけれども,実物交換経済 (realexchangeeconomy)と呼んでよい

だろう。これとは対照的に,私が切望している理論は,貨幣がそれ自らの役割を演じ,動

機と決意に影響を及ぼし,要するに,貨幣が,状況を左右する諸要因の一つとなるような

経済を取り扱うものである。したがって,その理論は,最初の状態と最後の状態とのあい

だにおける貨幣の動きに関する知識なしには,長期においてであれ,短期においてであれ,

事象の経過を予測することのできないような経済を扱うものである。そして,われわれが●●●●貨幣経済 (monetaryeconomy)について語るときに意味するべきであるのは,このこと

である」(ibid.,pp.408-9).

かかる意図をもって執筆された 『一般理論』とは,本質的に貨幣的経済学の書であらざるを

えない。このことは,『一般理論』の 「序」において,「貨幣は,本質的かつ独特の仕方で経済

機構の中に入り込む」(Keynes〔1936〕p.xxii,邦訳 XXviiページ)と述べられていることから

も窺い知ることができる。

ケインズは,貨幣の基本的性質として,(1) 生産の弾力性がゼロである,(2) 代替の弾力性

がゼロである,という二つの点を挙げる (ibid.,ch.17).すなわち,他の財とは異なって,質

幣の生産には労働力を必要としないし,また貨幣の交換価値が上昇しても,その需要が他の財

にスピル ・オーバーすることもない。もし企業者が将来の経済状況に関して悲観的な期待を抱

くならば,彼らは,貨幣を生産活動に振りむけるよりも,それを退蔵しようとするであろう。

このとき,貨幣は 「購買力の流れを底知れず吸い込む湖沼」(ibid.,p.231,邦訳229ページ)と

なり,有効需要と雇用の水準は低下する。このように,ケインズは,貨幣の諸機能のうちでも,

とくにその価値保蔵手投としての機能を重視した。非自発的失業という現象は,貨幣という特

殊な性質をもつ資産が経済システムのなかに存在することによってはじめて生起しうるのであ

る2)。不確実性をともなう資本主義経済においては,必然的に貨幣が非中立性な性格をもつこ

とになるという事実に着目したところに 『一般理論』の大きな意義がある。変え-ることのでき

ない過去と予測不可能な将来という 「歴史的時間」の流れのなかでは,企業者の抱く期待のあ

り方が投資と産出の水準を左右することになる。ケインズの経済学は,「生産の貨幣理論」で

あると同時に,「不確実性と期待の経済学」という特徴をも併せもっているのである0

\既に静 しい数の文献が存在するが,最近の研究のなかでは,パテインキン (Patinkin〔1993〕)が簡潔

に論点の整理を行なっている。彼は,ケインズが有効需要理論の定式化を行なったのは1933年の前半

であると結論 している。

2) このような側面からケインズ理論の再構成を試みている論者の代表的存在 として P.デヴィッドソ

ンがいる。詳 しくは,Davidson〔1978〕,とくに第6章を参照されたい。

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ケインズ派金融経済論の過去と現在 29

しかしながら,『一般理論』において,貨幣的 ・金融的条件の変化が,投資とマクロ経済の

変動を引き起こす始動的要因として位置づけられているのかといえば,必ずしもそうではない。

周知のように,『一般理論』の投資誘因の理論によれば,資本の限界効率と利子率とによって

投資水準が決定される。これら二つの要因のうち,ケインズは,資本の限界効率の浮動性のほ

うを投資水準の変動の原因として重視した。そのことは,次のような彼の叙述からも明らかで

ある。「恐慌のいっそう典型的な,そしてしばしば支配的な原因は,主として利子率の上昇に

あるのではなく,資本の限界効率の急激な崩壊にあることを,私は指摘したい」(ibid.,p.315,

邦訳315-6ページ)0

ケインズは,1930年代不況の深さと厳しさの原因を,19世紀から20世紀にかけて資本の限界

効率表が著しく低下したことに求めている。19世紀においては,「人口の増大と発明の増加,

新 しい国土の開発,確信の状態,および平均10年ごとの戦争の勃発といった要因」(i.bid.,p.

307,邦訳307ページ)が,かなり高い雇用水準をもたらすのに十分な資本の限界効率表を確立

させていた。ところが,1930年代における資本の限界効率表は,19世紀におけるそれよりも著

しく低下している。ここに大不況の根本的な原因がある,というのがケインズの診断であった。

要するに,外生的に与えられた実体的ショックに由来する有効需要水準の変化によって経済活

動水準の変化を説明するというのが 『一般理論』の基本的な理論的構造である。「生産の貨幣

理論」の構築という当初の意図にもかかわらず,結局,彼は,金融的要因を組み込んだ投資と

景気変動の理論を提示することはできなかった。

『一般理論』が,1930年代大不況という特定の時代背景を念頭において書かれた書物である

ことに留意する必要はあるが,いずれにせよ,その投資決定理論では金融的要因が軽視されて

いたことは改めて確認されるべきである。投資に及ぼす利子率の影響は副次的な位置におかれ

たにすぎないし,さらに投資の拡大に伴う危険逓増を考慮しなかったために,投資決定におい

て信用の利用可能性の果たす重要性 も理論的に捨象されることとなった。この点は,R.F.

カーンが次のように述べているとおりである。「ケインズは,投資の決定要因としての危険の

ない利子率の他の要因に比しての重要性を誇張した点で,当然に批判されてよい。その他の諸

要因のなかには,危険と不確実性,資本減耗と陳腐化が含まれる」(Kahn〔1984〕p.148,邦訳

228ページ)3)。さらに 『一般理論』でのケインズは,ア-ヴイング・フィッシャー (Fisher

〔1933〕)が描いたような,物価水準の下落に伴う債権者と債務者とのあいだの購買力の移転に

よって生ずる負債デフレーションの可能性にも言及していない。

3) ケインズは,1937年の論文 「利子率の "事前的"理論」において,貨幣需要の第四の動機 として

「金融動機」を導入した。このことによって,投資において資金調達が重要性をもっこと,および利

子率とは独立に 「借用の利用可能性」が投資に対する制約として作用することをケインズは認めた。

したがって,金融動機の導入は,町一般理論』における投資決定理論の修正を意味 している。 より詳

しくは,Kahn〔1984〕pp.162-4(邦訳249-52ページ),および鍋島〔1990〕を参照されたい。

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30 経済学雑誌 第97巻 第4号

たしかにケインズは,『一般理論』体系において,貨幣経済を分析の前操とすることによっ

てはじめて産出水準の変動と非自発的失業の発生を説明することが可能となることを明らかに

した。しかしながら,その体系は,貨幣的要因ではなく,実体的要因の変化を投資変動の直接

的原因とみなすものであった。そこにおいては,有効需要に対する実体的ショックによって投

資と産出の変動が引き起こされるとされている。しかも,ケインズが注目していたのは,景気

循環という動学的な現象ではなく,1930年代の長期的な経済停滞において生じた不完全雇用均

衡の状態であった。循環的変動の理論は,『一般理論』第22章 「景気循環に関する覚書」にお

いて萌芽的なかたちで示されたにすぎない。かくて,「生産の貨幣理論」の形成という観点か

ら眺めるかぎり,少なくとも 『一般理論』の段階においては,ケインズ革命は未完に終わった

と言わざるをえないのである。

3 戦後におけるケインズ経済学の展開

『一般理論』における 「有効需要の理論」が,形式的には,外生的かつ実体的な要因の変化

に基づいて産出 ・雇用水準の変動を説明するという理論的構造をもっていたために,ケインズ

体系の精教化をめざす戦後のケインジアンたちもまた,そのような枠組みのなかでいっそうの

理論展開を試みたことは,ある意味で当然のことであったといえよう。しかしながら,彼ら戦

後ケインジアンは,『一般理論』の形式的構造を継承 した一方で,資本主義経済における不確

実性と期待の重要性や,あるいは貨幣の非中立性といったケインズ本来の洞察を積極的に自ら

の体系に組み入れようとはしなかった。そのような要因を持ち込むとモデルの構築が困難にな

るというのが,その一つの理由ではあろう。ともあれ,第二次大戦後においては,ケインズ経

済学は,もっぱら実体的分析の側面から,その発展が図られることとなった。

たとえば,A.H.ハンセンやし.R.クラインのようなアメリカ ・ケインジアンは,投資機会

の枯渇や利潤率の傾向的低下という要因に注目することによって長期停滞理論の展開を試みた

し,またサムエルソン=ヒックス型の乗数 ・加速度モデルも経済の実体的側面にもっぱら注目

するものであった。有効需要に対する何らかの外生的ショックによってマクロ経済の変動が引

き起こされると考えるところに,彼ら新古典派ケインジアンの特徴がある4)。しかし,このよ

うな事情は,ケインズの衣鉢を継 ぎ,アメリカ・ケインジアンを 「似非ケインジアン」

4) わが国において,戦後アメリカ ・ケインジアンの理論的流れを汲んでいると見なされる研究の代表

的な例が吉川〔1992〕である。吉川は,貨幣的ショックよりも実体的ショックの役割を重視する立場か

らマネタリズムの理論を棄却すると同時に,実体的ショックのなかでも,供給側のショックよりも需

要側のショックが景気変動の主因となるという実証結果からリアル ・ビジネス ・サイクル理論の安当

性を否定 している。「マクロ的な生産のアップ ・ダウンは有効需要のアップ ・ダウンによって引き起

こされる。これがケインズによる有効需要の理論の核心である」(同上,56ページ) というのが,同

氏のケインズ理解である。ただし,長期においても需要制約が重要であると考える点において,同氏

の立場はいわゆる 「新古典派総合」とは異なっている。

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ケインズ派金融経済論の過去と現在 31

(bastardKeynesian)と非難するイギリス ・ケインジアンにしても同様であった。「一般理論

の一般化」を標梼 し,ケインズ体系の長期化 ・動学化を図ったR.F.ハロッド,J.ロビンソン,

N.カルドアら 「ネオ・ケインジアン」と呼ばれる理論家たちの景気循環および経済成長の理

論もまた,経済変動の原因を,人口増加,技術進歩,資本ストック水準あるいは所得分配の変

化などの実体的要因に求める理論であったことに変わりはない。今にして思えば不可解なこと

に,戦後のケインズ経済学においては,貨幣の非中立性という認識に基づいて経済理論の形成

をめざしたケインズ自身の問題関心は,一時期,完全に忘却されてしまったのである。

このような状況のなかで,投資理論の領域においても,金融的要因が企業者の投資決意に影

響を及ぼすという見解は否定される傾向にあった。とりわけ,・新古典派的アプローチにしたが

う経済学者たちは,金融と投資の連鎖を否定する新古典派の 「第-原理」から導出される最適

化モデルに依拠 していた。たとえばD.W.ジョルゲンソンの新古典派投資理論は,投資額の

決定を,企業の現在価値を最大化するような 「望ましい資本ス トック」と現実の資本ストック

とのギャップによって説明した (Jorgenson〔1963〕)。彼の結論は,一定の条件のもとで実体

的意思決定と金融的意思決定とが独立であることを示すモディリアーニ=ミラー定理に基づく

ものである。もし安定的な噂好と技術を所与として投資が決定されるのであれば,経済活動水

準の変動を理解するさいに,ケインズの強調した 「血気」(animalspirits)の概念は何の役割

も演じないことになってしまう (Fazzari〔1992〕p.122を参照)0

それ以前の新古典派投資理論がもっぱら実体的要因に注目するものであったという反省から,

実体的側面と金融的側面の両面を結合するものとしてJ.トービンによって提示されたのが q

理論である (Tobin〔1969〕)。それは,経常生産物価格と資本資産価格という 「二つの価格」

体系に基づいている点において,次節で取り上げるミンスキーの投資理論と共通の性格をもっ

ている。しかしながら,両者のあいだには大きな相違も存在している。ミンスキーは,投資資

金調達における内部金融と外部金融の区別を強調しつつ,外部金融を通じた資金調達が行なわ

れる場合に生じる 「貸し手のリスク」と 「借 り手のリスク」を考慮することによって投資決定

を説明する。これに対して トービンは,株価の変動を投資決定の説明要因に組み入れるという

かたちで金融的要因を理論的枠組みに導入した。だが,外部金融に依存した投資の拡大にとも

なう貸し手のリスクと借 り手のリスクの増大を考慮していないという点において, トービンの

モデルにおける金融的要因の導入は, ミンスキーに比べるとかなり限定的である (Dymski

andPollin〔1992〕pp.36-8を参照)。さらに, トービンのモデルにおいては,確率計算が不可

能であることによって特徴づけられるケインズの 「不確実性」概念も確率計算可能な 「リス

ク」概念に置きかえられてしまった。

このように,新古典派ケインジアンの基本的な立場は,不確実性や期待は投資決定において

重要な役割を演じることはないし,純粋に金融的な要因が投資のような実体的現象に対して影

響を及ぼすこともないというものである。

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32 経済学雑誌 第97巻 第4号

4 ポス ト・ケインジアンとニュー ・ケインジアンの分析視角

4.1 ポス ト・ケインジアンの理論

1970年代に入ると,ケインズ経済学をめぐる状況に変化の兆しが見えはじめた。すなわち,

アメリカにおいて,S.ワイントロープ,P.デヴィッドソン,H.P.ミンスキーといった 「ケイ

ンズ ・ファンダメンタリス ト」を名乗る一群の経済学者たちが,ケインズの経済学を貨幣的経

済理論として再解釈する試みに乗 り出した。これらポスト・ケインズ派の理論家たちは,不確

実性 ・期待 ・貨幣の連鎖に関するケインズ自身の洞察に立ち返 りつつ,さまざまな金融的要因

がマクロ経済の不安定性を引き起こすことを主張した。彼らは,新古典派的なケインズ理解と

は手を切って,ケインズの理論が本来もっていた革命的な性格を徹底的に推し進める方向でケ

インズ経済学のいっそうの展開をめざしたのである5)0

先に見たように,『一般理論』においては投資と金融の連鎖が明示的に示されていなかった

ために,また経済システムの循環的変動の描写が不十分であったために,ポス ト・ケインズ派

紘,『一般理論』の本質的内容を明示するという目的をもって書かれた1937年の三つの論文を

ケインズ理解のための重要な鍵と見なしている。すなわち,『エコノミック・ジャーナル』に

掲載された 「利子率の代替的諸理論」 と 「利子率の "事前的"理論」,および 『クウオータ

リー ・ジャーナル ・オブ ・エコノミックス』に掲載された 「雇用の一般理論」がそれである。

これらのなかでも,投資決定における不確実性の問題の重要性を強調する 「雇用の一般理論」

はとくに大きな意義をもっている。その論文において,ケインズは,将来に関するわれわれの

知識はきわめて不確実なものであり,それらの事象は確率計算不可能なものであると論 じたの

であった。このような意味における不確実性にみちている現実世界においては,将来に関する

人びとの期待は著 しく浮動的で,激しい変化を余儀なくされる。

「静穏にして不動な,確実にして安全な慣行は,突然崩壊するのである。新しい不安と希

望とが,警告なしに人間の行動を支配する。幻滅の力が,突然,価値判断の新しい慣習的

基礎を強いるのである。きれいに鏡板を張った重役室や巧妙に規制された市場のためにつ

くられた,これら全ての見事で洗練された技術は崩壊を免れない」(Keynes〔1973b〕pp.

114-5)0

現代のポスト・ケインズ派が議論の出発点におくのが,かかるケインズの不確実性に対する

認識である。もちろんポス ト・ケインズ派といっても決して一枚岩ではなく,その内部には多

様な潮流が存在 しているのであるが,以下では,金融的諸関係に資本主義経済の不安定性の原

5) ミンスキー (Minsky〔1975〕)は,自らの著書の性格について以下のように述べている。「ジョン・

メイナー ド・ケインズは特筆に億する人物であるが,それは彼の "革命的な"著作 r雇用 ・利子およ

び貨幣の一般理論』によるものである。・-・・本書は 『一般理論』の革命的な影響を回復するひとつの

企てである」(ibid,p.V,邦訳Vページ).

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ケインズ派金融経済論の過去と現在 33

因を求めるミンスキーの 「金融不安定性仮説」(五mancialinstabilityhypothesis)を中心に議論

を進めてゆくことにしたい6).ミンスキー (Minsky〔1982,1986〕)は,金融的要因を導入し

た投資理論を提示するとともに,それを基礎とする景気循環の理論を展開することによって,

不確実性のもとでの意志決定,金融と投資の連鎖,資本主義経済の循環的変動に関するケイン

ズ自身の洞察を再生し,未完のケインズ革命を前進させようとする。このような特徴をもつミ

ンスキーの理論モデルは,ポスト・ケインズ派の多くの貢献のなかでも,もっとも本格的にケ

インズ本来の問題関心を復興しようとする試みの一つであると言ってよい.

ミンスキーは,まず,資本主義経済の不安定性は投資が浮動的な性格をもっていることに由

来するというケインズの見解を継承する。ミンスキーによれば,投資の水準は利潤フローに対

する企業者の長期期待によって決定されるので,景気上昇が持続し,企業者の期待が楽観的に

なるときには,投資が拡大するであろう。しかしながら,この過程においては,投資の拡大に

つれて投資支出を賄うための借入が増大するので,外部資金への依存度が高まり,企業のレバ

リッジ比率は上昇することになる。こうして,景気の拡大に歩調を合わせるかたちで企業の金

融構造は次第に脆弱性を増してゆく。資本主義経済における金融構造は,時とともに安定性か

ら不安定性に向かう本来的な傾向を内包しているのである。景気循環および金融危機といった

マクロ経済的な不安定性は,外生的なショックや政策当局の誤 りによって生じるのではなく,

資本主義経済の正常な機能の自然な結果として生じるのだと考えるところにミンスキーの理論

モデルの特徴がある。彼は,ケインズの理論において不十分であった点と,自らの理論がめざ

す方向について,次のように述べている。

「ケインズは,経済的危機を説明しなかったし,それを説明する理論を提示することもし

なかった。図式を完全とするために,われわれは欠落している部分を埋めなければならな

い。ブーム,経済的危機,そして負債デフレーションを内生的に生み出すモデルがないと,

ケインズの理論は不完全であろう」(Minsky〔1975〕p.64,邦訳97ページ)0

すなわち,ミンスキーは,貨幣経済に関するケインズ自身の洞察に立ち返 りつつも,投資と

資金調達との関係,およびマクロ経済の循環的変動のメカニズムについての叙述が 『一般理

論』においては不完全であったと考え,金融的な投資決定の理論と内生的な景気循環の理論を

提示することによってケインズ経済学の拡充 ・発展を試みているのである。

4.2 ニュー ・ケインジアンの理論

さらに,1980年代に入ると,マクロ経済学の領域において 「ニュー ・ケ●ィンジアン経済学」

と呼ばれる新 しい潮流が出現 した。その背景には,1970年代に隆盛をきわめた新しい古典派

(newclassicals)のマクロ経済学が行き詰 りを示したということがある。リアル ・ビジネス ・

6) ミンスキーの 「金融不安定性仮説」の概要に関しては,鍋島〔1995〕を参照されたい。

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34 経済学雑誌 第97巻 第4号

サイクル理論に典型的に見られるように,新しい古典派は,景気の変動を,新古典派均衡それ

自体の変動として理解する。したがって,彼らによれば現実の経済は常にパレー ト最適の状態

にあると見なされる。その理論が,新古典派マクロ経済学の 「終着駅」と呼ばれる所以はここ

にある (吉川〔1992〕59ページ)0

これに対して,ニュー ・ケインジアンは,「経済変動を,時好や生産技術の変化に対する経

済のパレー ト効率的な反応としてではなく,むしろ,ある種の大規模な市場の失敗を反映した

ものとしてとらえる」(Mankiw〔1990〕p.1654,邦訳56ページ)という認識を以前のケインジ

アンと共有する。新 しい古典派の理論は,その前提があまりに非現実的であり,現実の経済

的 ・社会的諸制度がマクロ経済実績に及ぼす影響について考察を加えることがほとんどできな

かったし,また,それゆえに十分な実証的基礎をもちえなかった。このことが,マクロ経済学

の世界においてケインズ的な問題関心がふたたび呼び起こされた一つの理由であったと考えら

れる。

もっとも,ニュー ・ケインジアンの名で一般に呼ばれている経済学者たちにしてち,自ら積

極的にニュー ・ケインジアンという呼称を名乗っているというわけではないし,また意識的に

一つの研究集団を形成しているというわけでもないようである。彼らは,「ケインジアン」と

いう名称を,非自発的失業,貨幣の非中立性,および賃金と価格の粘着性を認める経済理論上

の立場を指すために便宜的に用いているにすぎない (Mankiw 〔1992〕p.565)。したがって,

ニュー ・ケインジアンとは,厳密な意味での学派というよりも,あくまで一つの傾向ないしは

潮流として理解するのが適切であるのかもしれない。したがって,一口にニュー ・ケインジア

ンといっても,その内部には財市場 ・労働市場 ・金融市場の分析の各領域において実に多様な

アプローチが存在 しているのであるが,本稿の問題関心にしたがい,以下では,彼らの金融市

場分析を中心に検討を行なうこととする。

ニュー ・ケインジアンの関心は,伝統的マクロ経済学においてアド・ホックに仮定されてい

た賃金 ・物価 ・金利の硬直性という現象を,経済主体の最適化行動に基づいて説明することに

ある。そのことによってケインズ経済学にミクロ的基礎づけを与えようというのが彼らの意図

である。そのさい,これらの名目価格 ・実質要素価格の硬直性をもたらす原因として挙げられ

るのが,長期的労働契約,「効率賃金仮説」によって説明されるような実質賃金の硬直性,あ

るいは独占的競争のもとで生じる価格の変更にともなう調整費用 (いわゆる 「メニュー ・コス

ト」)の存在である。ニュー ・ケインジアンは,経済活動において非合理性が重要となる可能

性を否定Lはしないものの,彼らは,合理的経済行動の仮定から出発するという方法を選択す

る7)0 R.ルーカスらによってマクロ経済学に導入された合理的期待形成仮説を用いている

7) バーナンキ (Bemanke〔1983〕)は,ミンスキーらの議論は,合理的経済行動の仮定から出発する

ことなく金融システムの本来的不安定性を主張するものであると述べている。しかしながら, ミンス

キーが,自らの理論を企業や銀行の非合理的行動と結びつけたことはなかった。金融脆弱性が増大/

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ケインズ派金融経済論の過去と現在 35

ことに見られるように,分析手法や方法論に関しては,ニュー ・ケインジアンの枠組みは新古

典派マクロ経済学のそれとほとんど変わるところはない。これら二つのアプローチは,ともに,

1970年代の 「新しい古典派革命」の洗礼を受け,その影響のもとに展開されているのである。

新しい古典派の方法論を受容しているために,ニュー ・ケインジアンの理論が外面的には新

古典派的な装いを呈していることは確かである。だが,それと同時に,さまざまなタイプの価

格硬直性の存在がパレー ト効率的均衡の達成を妨げることを示すという方法によって 「新しい

古典派」の理論的命題を批判することを意図しているので,それは内容的にはケインズ的な性

格をもつものであると見なすことも可能である。また,個々の経済主体の最適化が必ずしも経

済全体にとっての最適状態をもたらすことには繋がらないという含意ち,ケインズ的な 「合成

の誤謬」の認識に通じるところがある。彼らの議論は,個別経済主体の最適化行動を前提とす

る 「新しい古典派」の理論的枠組みの内部において展開されているものではあるが,従来の新

古典派経済学の分析においてはほとんど捨象されていた現実の資本主義経済における制度的要

因の役割を明示的に考察しようとする試みであると評価することができる。

しかしながら,ケインズ的な性格を有しているといっても,貸金 ・価格の硬直性にマクロ経

済変動の原因を求めるという点において,そのアプローチの着想は,IS-LM モデルに基づく

従来の標準的なケインズ経済学の延長線上に位置するものである。ニュー ・ケインジアンの見

解によれば,賃金 ・価格の硬直性が存在しない長期においては 「見えざる手」の働きを通じて

最適均衡が達成される。それゆえに,彼らの体系では,長期においては貨幣は中立的な存在と

なる。このことは,N.G.マンキューの次の見解に典型的に示されているとおりである。「デ

イヴイッド・ヒュ-ムのような昔の古典派経済学者は,貨幣は長期においては中立的であるが,

短期においてはそうでないと主張した。これは,まさしくニュー ・ケインジアンが固守してい

る立場である」(Mankiw〔1992〕p.563)。短期においても長期においても貨幣は非中立的であ

り,賃金や価格の伸縮性は失業を悪化させる要因であると考えるケインズおよびポスト・ケイ

ンジアンと,それとは正反対の見解をとるニュー ・ケインジアンとのあいだには越えがたい溝

が横たわっていると言わざるをえない8)0

\している環境のもとでも,競争的市場においては,投資や貸出を増大させるというミクロ ・レベルで

の行動は合理的なものであり,かつそれは各々の主体の存続のために不可欠な行動である (Fazzari

〔1992a〕p.8を参照)0

8) ケインズは,貨幣賃金一定の仮定について,『一般理論』において次のように述べている。「この単

純化は,説明を簡単にするためにのみ導入されるものであって,のちに取 り除かれる。貨幣賃金その

他が変化 しうるものであろうとなかろうと,議論の本質的な特徴は正確に同一である」(Keynes

〔1936〕p,27,邦訳28ページ)。さらに第19章 「貨幣賃金の変動」では,ケインズは,期待形成が重要

な役割を演 じる動学的過程においては,賃金切 り下げは雇用に対 して負の影響を及ぼすと論じ,「伸

縮的な賃金政策が持続的な完全雇用の状態を維持できるという信念に根拠はない」(ibid,p.267,邦

訳264ページ)と結論している。

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36

5 非対称情報と金融構造

経済学雑誌 第97巻 第4号

さて,われわれの関心から見て興味ぶかいのは,ニュー ・ケインジアンの理論家たちが,投

資水準の決定における金融的要因の重要性に注目していることである。彼らは,情報の経済学

における最近の成果 を利用 しなが ら,逆選択やモ ラル ・ハザー ドなど 「非対称情報」

(asymmetricinformation)問題の分析というかたちで金融構造と実体経済との連鎖の解明に

寄与している9)。彼らの貢献のなかでも,とりわけ 「均衡信用割当」論は,労働市場に関する

「効率賃金」仮説とならぶニュー ・ケインジアンの理論的支柱であると言われている。金融的

要因が投資とマクロ経済の変動に影響を及ぼすという彼らの見解は,ポス ト・ケインズ派とと

もに,ケインズ本来の問題関心を現代的なかたちで復活させるという意義を有している。

しかしながら,ニュー ・ケインジアンとポスト・ケインジアンが,ともに情報と不確実性の

役割を重視 して金融危機の分析を進めているといっても,これら二つのアプローチのあいだに

は大きな懸隔が存在 している。ポス ト・ケインジアンが,「将来は本質的に未知である」とい

う,あらゆる経済諸主体にとって共通の無知を取 り扱うのに対 して,ニュー ・ケインジアンに

とって中心的な問題は,貸 し手と借 り手の間における情報の不均等な分布である。すなわち,

前者がおもに根本的不確実性を問題とするのに対して,後者は金融市場における非対称情報の

存在を強調する。ニュー ・ケインジアンも,根本的不確実性の存在は認めるものの,それを単

なるリスクとして取 り扱うにすぎない (Dymski〔1994〕を参照)0

ニュー ・ケインジアンの分析的枠組みにおいては,情報の非対称性は,おもに二つの方法で

金融市場における問題を生み出す。ひとつは,取引が開始される以前に発生する 「逆選択」

(adverseselection)であ り, もうひとつは,取引が開始された後に発生する 「モラル ・ハ

ザー ド」(moralhazard)である。これらの問題のために,非対称情報の存在する信用市場に

おいて生 じる均衡は非効率的となり,政府介入がなければ金融市場の崩壊さえも起きかねない

という状況が現れる (Mankiw〔1986〕)0

一般に,信用市場においては,投資プロジェクトの質に関して貸し手よりも借 り手のほうが

より多くの情報を保有していると考えられる。このような意味における情報の非対称性が市場

に存在するときには,貸し手が,質の良い借 り手と質の劣る借 り手を識別することが困難であ

るので,貸し手は,多数の借 り手の平均的な質を反映した金利で貸付を行なうであろう。この

場合,良質な借 り手は,本来よりも高い金利を支払うことになるので市場から退出し,その結

果,収益的な投資プロジェクトは実行されないことになってしまう。反対に,悪質な借 り手は,

9) 「情報の経済学」の金融論への適用に関する展望を行なっている研究としては,Gertler〔1988〕,池

尾〔1985,1992〕,横川・浜田〔1992〕がある。Mishkin〔1990,1991〕も,非対称情報と金融構造に関す

る最近の文献の紹介を行なっている。また,銀行行動とマクロ経済変動との関係については,薮下・

田中〔1995〕,薮下〔1995〕を参照されたい。

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ケインズ派金融経済論の過去と現在 37

本来よりも低い金利で借入を行なうことができるので,彼らにとっては借入を行なうことが有

利になる。しかしながら,悪質な借 り手を排除することを目的として貸し手が金利を引き上げ

るならば,当初の意図とは反対に,借 り手の平均的な質はいっそう悪化して,貸し手の収益は

むしろ低下することになるであろう。したがって,金利の引き上げは,逆選択問題をいっそう

深刻なものとする可能性が大きい。さらに,金利の引き上げは,リスクの高い投資プロジェク

トの実行に対する借 り手の誘因を高めて,彼らのモラル ・ハザードを誘発する恐れもある。そ

れゆえに,貸し手にとっては,予想収益を最大にするような水準に金利を設定するとともに,

その場合に発生する貸付に対する超過需要には借用割当によって対応することが合理的な行動

となる(StiglitzandWeiss〔1981〕)。このような 「均衡信用割当」の状態においては,金融政

策によって投資水準に影響を及ぼすことができるとしても,それは,金利メカニズムを通じて

ではなく 「信用の利用可能性」を通じてである。ここに見られるように,ニュー ・ケインジア

ンは,マクロ経済実績に影響を及ぼす金融的変数として,マネーサプライや金利よりも信用の

利用可能性を重視する傾向がある10)0

以上のように,従来は一時的な不均衡現象と見なされていた借用割当を均衡現象として理論

的に説明したところに,ニュー ・ケインジアンの大きな貢献がある。しかしながら,金利の硬

直性から過少投資と持続的失業の発生を説明するという点において,彼らの枠組みにおいて金

融契約と金融市場の果たす役割は従来の新古典派理論よりも大きいとはいえ,依然として限定

的なものにすぎない。このため,ニュー ・ケインジアンにとって,金融関係とは,硬直性を発

見する新 しい領域を与える場 としての意味しかもっていないという批判 も存在 している

(DymskiandPollin〔1992〕pp.35-6)0

それでは,非対称情報の存在に由来する金融市場の崩壊は,どのような経路を通じてマクロ

経済の変動を引き起こすのであろうか。F.S.ミシュキン (Mishkin〔1991〕)は,非対称情報

の枠組みに基づいて,金融危機が経済活動水準の低下を導くメカニズムを説明している。まず

ミシュキンは,逆選択とモラル ・ハザードの問題が悪化して金融市場が効率的な資金配分をで

きなくなるような金融市場の崩壊を 「金融危機」と定義する。金融危機の原因として,彼は,

10) stiglitzandWeiss〔1981〕のほかに,Greenwald,StiglitzandWeiss〔1984〕,BernankeandGerder

〔1989,1990〕を参照。グリーンワル ド=ステイグリッツ=ワイスは,銀行貸付市場とともに資本市場

を考慮したモデルにおいて,信用の利用可能性が投資を制約することを主張している。バーナンキ≡

ガ- トラーは,借り手の正味資産が投資活動におけるエージェンシー ・コストと逆相関することを指

摘して,家計と企業のバランスシー トの状態がマクロ経済活動の重要な決定要因となることを論じて

いる。これらの研究はともに,資本コストの変動によってマクロ経済の循環的変動を説明しようと意

図するものである。

これに対 して,バーナンキ (Bemanke〔1983〕)は,1930年代の米国の金融危機の分析において,

借用縮小の総供給効果よりもその総需要効果のほうを重視している。すなわち,金融伸介コス トの上

昇をともなう借用の縮小の影響を被ったのは主に一般家庭 ・農民 ・小企業であり,財 ・サービスに対

する彼らの需要が減少したことが大不況を深刻化させた要因であるという見解を彼は示している。

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38 経済学雑誌 第97巻 第4号

(1) 金利の上昇,(2) 株価の下落,(3) 金融部門および非金融部門の大企業の倒産による不確

実性の増大,の三つを挙げている。これらの事象が発生するときには,信用市場における逆選

択問題とモラル ・ハザー ド問題が悪化するので,貸し手は貸出を削減する。さらに貸出の減少

は,投資と経済活動の水準の低下をもたらすであろう。これとともに,金融機関の経営状態の

悪化と不確実性の増大のために,預金者が金融機関から預金を引き出す取付が発生するかもし

れない。バーナンキ (Bernanke〔1983〕)が論じるように,このような銀行危機が起こると,

信用伸介コストが大きく上昇 し,銀行信用は急速に縮小するので,経済活動水準はいっそう低

下することになる。これが 「典型的な金融危機」のパターンである。さらに,この景気下降に

おいて,急激な一般物価水準の下落が生じるならば,企業の正味資産が減少して景気後退は

「負債デフレーション」にいたるであろう。このとき,逆選択 とモラル ・ハザー ドの問題はよ

り深刻なものとなり,貸出 ・投資などの経済活動は長期にわたって停滞する。

ミシュキンの説明において不十分であるのは,金融危機を引き起こす原因となる,金利の低

下,株式市場の崩壊,不確実性の増大などの現象が生じる理由が明らかにされていないことで

ある。すなわち,それらは,外生的なものとして理解されている。また彼の議論は,金融シス

テムの機能不全が経済活動水準に及ぼす影響の分析を可能とするものではあるが,それは景気

循環の文脈において提示されたものではない。このように,ニュー ・ケインジアンのアプロー

チは,金融構造から実体的経済活動への因果関係を主張するにもかかわらず,その枠組みにお

ける経済活動水準の変化は外生的ショックによって引き起こされたものでしかない。しかも,

信用割当の度合の変化のようなサプライ ・サイドでのショックが産出と雇用の変化を引き起こ

す とされ,総需要は外生的 と考えられている (VanEesandGarretsen〔1993〕,Wolfson

〔1994〕ch.13を参照)。総需要の変動を経済変動の推進力と見なし,資本主義的な金融慣行の

存在によって景気循環が内生的に生じると考えるポスト・ケインズ派の理論とは,この点にお

いて対照的である。

6 根本的不確実性と非対称情報

これまで見てきたように,ポスト・ケインジアン理論とニュー ・ケインジアン理論という二

つのアプローチは,相互に大きな相違を示しながらも,ともに,経済主体の意思決定において

知識や情報の演じる役割に焦点を当てつつ,金融的要因がマクロ経済実績に及ぼす影響を解明

しようとするものである。 しかしながら,「非対称情報」と 「根本的不確実性」が相互補完的

な概念であるのか,それとも相互に相容れない概念であるのかということは必ずしも自明の事

柄ではない。また,これら二つの概念が相互補完的な関係にあると位置づけるのであれば,そ

れはいかなる意味においてであるのかということが説明されねばならない。ケインズ自身が提

起した不確実性概念の意義をいちはやく再評価し,独自の立場から情報の経済学的分析を進め

てきたポスト・ケインズ派にとっても,自らの理論的枠組みのなかで非対称情報の概念にどの

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ケインズ派金融経済論の過去と現在 39

ような位置づけを与えるのかということが目下の重要な研究課題となっている。しかしながら,

現在の時点においては,彼らの議論はさまざまであり,未だ統一的な見解が確立されるには

至っていない。したがって,ここでは論争の現状を簡単に展望するにとどめざるをえない。

まず第一に問題とされるのが,ポスト・ケインジアンとニュー ・ケインジアンという二つの

アプローチが方法論的に整合的であるのか否かということである。それとともに,非対称情報

と根本的不確実性という二つの概念をどのように取り扱うのかということが問題となる。これ

ら二つの問題は,それぞれ別個の問題であると考えたほうが適切である。というのも,非対称

情報問題は,ニュー ・ケインジアンの理論的枠組みなしにも分析可能であるかもしれないし,

反対に,ポスト・ケインジアンの枠組みにおいて非対称情報問題を取 り扱うことのできる可能

性をあらかじめ否定することもできないからである。

先に見たように,ニュー ・ケインジアンの方法は,個別経済主体の最適化という合理的期待

の仮定に立脚するものである。ヴァンーエース-ガ-レッツェン (VanEesandGa汀etSen

〔1993〕)は,ポス ト・ケインズ派の根本的不確実性の概念は合理的期待の仮説と両立不可能で

あるという点において,ポスト・ケインジアンとニュー ・ケインジアンという二つの理論の枠

組みは根本的に相異なるものであると主張する。これら二つのアプローチは,経済主体の行動

に関して異なる見解に依拠しているので,両者は独立したアプローチであり,両者のあいだに

理論的な相互補完性は存在しないというのが彼らの結論である。また彼らは,根本的不確実性

の存在を認めるようなモデルに非対称情報の分析を組み込むことには価値があるが,そのこと

は,ニュー ・ケインジアンの経済学それ自体と何らかの関係をもつことを意味するものではな

いと述べる。これは,いわば 「ケインズ ・ファンダメンタリスト」の立場を端的に示す見解で

あるといえよう11)0

ポスト・ケインズ派の周辺で活動している理論家のなかでも,ニュー ・ケインジアンの理論

的展開にもっとも注目しているのはS.ファザ-リであろう (Fazzari〔1992b〕,Fazzariand

Variato〔1994〕)。彼は,非対称情報の問題は,経済諸主体が特定の生産活動に特化している

分権的市場経済の基本的側面であり,それは経済の運動を根本的に変更する力をもつものであ

ると述べる。そのうえで彼は均衡信用割当の発生を説明するニュー ・ケインジアンのアブロー

ll) これと同様に,デヴィッドソン (Davidson〔1994〕ch.17)ち,ニュー ・ケインジアンが賃金 ・価

格の硬直性に持続的失業の原因を求めていることや,長期においては貨幣は中立的であると考えてい

ることなどを挙げて,ケインズとニュー ・ケインジアンのアプローチが本質的に異なるものであるこ

とを主張している。

またクロッテイ (Crotty〔1996〕)ち,ケインズの理論とニュー ・ケインジアンの理論との方法論的

な不整合性を指摘 している。とくに彼は,ケインズの動学理論における期待と確信の慣行的かつ社会

的 ・組織的な形成過程が,ニュー ・ケインジアンのエルゴ- ド的な確率論的基礎とは相容れないこと

を強調 している。また,このような相違を反映して,ケインズの投資不安定性理論が動学的であるの

に対して,ニュー ・ケインジアンの理論は静学的なものにとどまっていると彼は論 じている。

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40 経済学雑誌 第97巻 第4号

チを,投資と金融構造とのあいだの連鎖を指摘したケインズとミンスキーの本来の見解を復活

させるものであるとして高 く評価する。方法論の側面においてニュー ・ケインジアンのアプ

ローチが新古典派と同じ特徴をもっていることについても,それは理論の内容よりも形式に関

するものにすぎないと彼はいう。そして,投資資金調達における外部資金に対する内部資金の

優先性を指摘することによって投資と景気循環の関連性を示すという実証的含意は明らかにケ

インズ的なものであることを彼は強調する。非対称情報と根本的不確実性は,相互に結びつい

てポスト・ケインズ派マクロ理論のミクロ的基礎を捷供するものであるとして,フアザ-リは,

ポスト・ケインジアンとニュー ・ケインジアンの収蝕を提唱している12)0

G.デイムスキ (Dymski〔1993〕)は,ヴァンーエース=ガ-レッツェンと同様に,二つのア

プローチが,相互に独立的であり,かつ相容れないものであることを認めながらも,ケインズ

的不確実性と非対称情報という二つの概念はポスト・ケインズ派の経済学者にとって相互補完

的な概念になりうると主張する13)。彼は,信用割当の問題に見られるように,非対称情報の

概念がケイン.ズ的不確実性とは独自の意義をもっていることを強調しつつ,非対称情報は,そ

れが適切に解釈されるならば,ケインズ的不確実性と整合的になると述べている。非対称情報

の概念を用いることは,直ちに新古典派の方法論を受容することを意味するものではないとい

うのが彼の見解である。

さらに,デイムスキ (Dymski〔1994〕)は,非対称情報と不確実性が金融構造を通じて経済

的結果に及ぼす影響について,いっそう詳細な検討を行なっている。まず,彼は,すべての主

体に共通する無知を 「外生的不確実性」,非対称情報を 「内生的不確実性」と呼んで二つの概

念を区別する。確率論的リスクという弱いかたちの外生的不確実性が存在するだけでは,金融

構造が経済的結果に影響を及ぼすことはない。この場合には,逆選択やモラル ・ハザー ドに

よって内生的不確実性が生じることが,経済変動において金融構造が重要となるための必要十

分条件である。しかし,外生的不確実性が,リスクではなく,ケインズ的不確実性にかかわる

ものであるときには,情報の非対称性が存在しなくとも信用割当が発生することを彼は示して

12) 77ザ-リによれば, ミンスキーは,ニュー ・ケインジアンの展開に対 して,その静学的な構造の

ゆえに動学的な金融不安定性の理解に至っていない点に不満を示 しつつも,慎重ではあるが寛大な姿

勢を示しているという (Fazzari〔1992a〕p.9).実際に, ミンスキーは, ピェロ ・フェッリとの共同

論文 (FerriandMinsky〔1989〕)において,ポスト・ケインジアンとニュー ・ケインジアンとの収敵

を予測することが可能であると述べている。この論文は,ニュー ・ケインジアン経済学が,持続的失

業,予想 しがたい動学,政策介入の有効性といった問題に対する関心を復活させていることを評価す

る一方で,そのアプローチが資本主義経済における資金調達構造には十分に注目していないことを指

摘 している。

13) デイムスキは,当初,ニュー ・ケインジアンとポス ト・ケインジアンという二つのアプローチは,

相互に独立的ではあるが補完的であるという見解をとっていた (Dymski〔1992〕)。しかし,ヴァンー

エース=ガ-レッツェン (VanEesandGarretsen〔1993〕)の批判を受けたのちに,その見解を撤回

した。

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ケインズ派金融経済論の過去と現在 41

いる。ここで,ケインズ的不確実性とは,経済主体の活動の結果が十分に規則的な特性をもつ

確率過程にしたがわないような状況を意味している。

このような分析結果を踏まえて,デイムスキは,ポスト・ケインジアンとニュー ・ケインジ

アンのミクロ的基礎は相互に独立的であり,それゆえに,これら二つのアプローチは相異なる

ものであるという見解を示す。そして,二つのアプローチは両立可能であって相互に独立的で

はないというファザ-リの議論は,外生的不確実性をリスクと同一視することによって導かれ

たものであるとして,それを斥ける。これら二つのアプローチは,金融関係の相異なる側面を

強調するものであるけれども,どちらのタイプの不確実性も現実世界に存在 しているので,ケ

インズ派の金融構造分析は,非対称情報からケインズ的不確実性まで不確実性の全てのスペク

トルを含まなくてほならないというのがデイムスキの結論である。しかし,非対称情報よりも

ケインズ的不確実性のほうがより深遠な内容を含んでいると彼は述べている。

みられるように,程度の違いはあれ,ポスト・ケインズ派のいずれの論者も非対称情報問題

を考察することの意義を認めている。したがって,今後は,デイムスキが述べるように,非対

称情報の問題を視野に収めながら,ポスト・ケインズ派金融経済論の展開が進められてゆくで

あろう。しかしながら,ポスト・ケインジアンとニュー ・ケインジアンとのあいだには,方法

論をめぐって解消しがたい対立が存在している。経済主体の最適化行動を前提とする方法は,

根本的不確実性を分析の出発点とするポスト・ケインジアンにとっては到底受容できないもの

である。また,期待は外生的であり,金融不安定性の発生は内生的であるというポスト・ケイ

ンジアンの見解は,ニュー ・ケインジアンの見解とは相反する性格をもっている (VanEes

andGarretsen〔1993〕pp.45-6を参照)。したがって,これら二つのアプローチは,収蝕に向か

うというよりも,自らの方法にしたがって,それぞれ独自の理論的軌道をたどる可能性が大き

い。

7 お わ りに

ケインズ経済学における諸類型を,それらの理論の形式的構造に注目しつつ,各々の理論体

系においてマクロ経済変動の起点として位置づけられている要因の性格によって分類すると表

1のようになるであろう。しかしながら,『一般理論』の理論構造を基準にして諸理論とケイ

ンズとのあいだの距離を測るのは必ずしも適切な方法ではない。というのは,すでに見たよう

に,『一般理論』においては,ケインズによる経済理論上の革命は完全なかたちで達成されて

はいなかったからである。『一般理論』の形成過程におけるケインズ自身の問題関心を正当に

継暴 して理論体系の発展を試みるならば,そのような体系の理論的構造は,『一般理論』のそ

れとは自ずから異なったものとなるにちがいない。

貨幣的生産経済の十全な分析を行なうためには,短期期待が裏切られるのみならず,そのこ

とによって長期期待もまた時間を通じて移動するような動学モデルが必要とされる (Kregel

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42 経済学雑誌 第97巻 第4号

表 1 ケインズ経済学の諸類型

外生的ショック 内 生 的 循 環

実体的 ケインズ (『一般理論』) ネオ .ケインジアン (循環論)

新古典派ケインジアン カル ドア

ヒックス/サムエルソンジヨルゲンソン/ トービンネオ .ケインジアン (成長論)ハロッド/ロビンソン グッドウイン

金融的 ニュー .ケインジアン ポス ト.ケインジアン

ステイグリッツ/ワイス デヴィッドソン

バーナンキ/ガ- トラ- ミンスキー

マンキュー//ミシユキン クロッテイデイムスキ

〔1976〕)。ケインズは,そのようなモデルを 「移動的均衡の理論」と呼んだ。

「おそらく,定常的均衡の理論と移動的均衡の理論との間に境界線を引くこともできよう。

後者は,将来に関する見解の変化が現在の状態に影響を及ぼすことのできるような経済体

系の理論を意味する。なぜなら,貨幣の重要性は本質的にはそれが現在と将来とを結ぶ連

鎖であることから生ずるからである」(Keynes〔1936〕p.293,邦訳293ページ)0

不確実性をともなう世界において経済諸主体の期待が重要な役割を演じるとともに,貨幣が

実体経済活動に影響を及ぼすような理論を,すなわち 「生産の貨幣理論」を構築しようとした

ケインズ自身の意図に照らしてみるならば,定常的均衡の理論から移動的均衡の理論へと分析

の体系を拡張してゆく可能性を開くポスト・ケインズ派の枠組みは,ケインズの理論のごく自

然な発展であると見なすことができよう。

いうまでもなく,何をもってケインズ経済学の核心と見なすかという問いに対する回答は,

解釈者によってさまざまでありうる。不確実性 ・期待 ・貨幣の連鎖,金融的要因と実体経済の

相互作用という分析視角にケインズ経済学の核心を求め,ポスト・ケインズ派経済学をケイン

ズの理論の自然な発展であると位置づける本稿の見解もまた,ありうべき回答の一つであるに

すぎない。さらに,ケインズとの距離を参照基準にして,さまざまな経済理論の現実妥当性を

判断することはできないことも自明であり,ケインズとの距離が近いことのみをもって特定の

理論の正当性を主張することはできない。しかし,資本主義経済に内在する根本的不確実性を

取 り扱い,そのもとで生じるマクロ経済の不安定性を金融的側面から説明しようとする点にお

いて,ケインズの経済学が,現代においても極めてユニークな意義を有していることは確かで

ある。したがって,不確実性の概念に拠りつつ,資本主義的な金融制度をもつ現代経済におい

てマクロ経済の循環的変動が内生的に生じるメカニズムを解き明かしてゆくことが,ケインズ

経済学に与えられた最大の課題であろう。この課題に立ち向かうところに,ケインズ経済学の

活路が開ける。

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ケインズ派金融経済論の過去と現在 43

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