中国における子育て中の有職女性の仕事,家事, 育児の実態とバ … ·...

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―― 研究論集委員会 受付日 20199 20承認日 20191028―― 情報コミュニケーション研究論集 172020. 2 中国における子育て中の有職女性の仕事,家事, 育児の実態とバランス 浙江省紹興市の女性へのインタビューからThe Balancing of Work, Domestic Chores and Childrearing of Chinese Working Women with Children Insights from Interviews with Shaoxing Women博士後期課程 情報コミニュニケーション学専攻 2018年入学 CHEN Yuqian 【論文要旨】 中国では女性の労働率が高く,夫婦共働きは一般的である。しかし1980年代以降,市場経済の 発達により,女性は家庭を中心にすべきであると考えられ,労働市場で差別されるようになった。 その結果,就職や職場におけるジェンダー不平等が顕著になり,女性の性別役割分業意識がより保 守的になった。しかし他方では,個人化の進行により,女性(とりわけ都市女性)は親の支持とサ ポートを受け,家族のためではなく,個人のための自己開発を行ったり,興味関心を持ったりす る。つまり女性は家庭中心になっているものの,個人のニーズを意識する個人化の傾向もある。 本稿は議論の焦点をいままでに論じられてきた女性のワーク・ライフ・バランスにおける葛藤や 矛盾から,女性のワーク・ライフ環境の選択にシフトさせた。女性のワーク・ライフ環境の考察を 通して,今日の女性は安定的なキャリア志向,育児を重視する役割意識,および家族中心下の個人 化傾向をもつことが明らかになった。 【キーワード】 中国,女性,ワーク・ライフ・バランス,個人化,家族中心

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Page 1: 中国における子育て中の有職女性の仕事,家事, 育児の実態とバ … · 【論文要旨】 中国では女性の労働率が高く,夫婦共働きは一般的である。

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研究論集委員会 受付日 2019年 9 月20日 承認日 2019年10月28日

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情報コミュニケーション研究論集

第17号 2020. 2

中国における子育て中の有職女性の仕事,家事,

育児の実態とバランス

―浙江省紹興市の女性へのインタビューから―

The Balancing of Work, Domestic Chores and Childrearing of

Chinese Working Women with Children

―Insights from Interviews with Shaoxing Women―

博士後期課程 情報コミニュニケーション学専攻 2018年入学

陳   予 茜

CHEN Yuqian

【論文要旨】

中国では女性の労働率が高く,夫婦共働きは一般的である。しかし1980年代以降,市場経済の

発達により,女性は家庭を中心にすべきであると考えられ,労働市場で差別されるようになった。

その結果,就職や職場におけるジェンダー不平等が顕著になり,女性の性別役割分業意識がより保

守的になった。しかし他方では,個人化の進行により,女性(とりわけ都市女性)は親の支持とサ

ポートを受け,家族のためではなく,個人のための自己開発を行ったり,興味関心を持ったりす

る。つまり女性は家庭中心になっているものの,個人のニーズを意識する個人化の傾向もある。

本稿は議論の焦点をいままでに論じられてきた女性のワーク・ライフ・バランスにおける葛藤や

矛盾から,女性のワーク・ライフ環境の選択にシフトさせた。女性のワーク・ライフ環境の考察を

通して,今日の女性は安定的なキャリア志向,育児を重視する役割意識,および家族中心下の個人

化傾向をもつことが明らかになった。

【キーワード】 中国,女性,ワーク・ライフ・バランス,個人化,家族中心

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1 1980年代に起きた経済システムの転換(計画経済から市場経済へ)は国全体に大きな影響を与えたため,中

国 中国の社会,家族,個人をみるときに,1949年から1980年まで,1980年代以降という二つの時期に分

けてみることが多い。

2「単位」制度は人々が職場に属し,職場が個人(家族)に住宅,医療などの生活サービスを提供すること。

詳しくは Zuo, Jiping, 2016, Work and Family in Urban China, Palgrave Macmillan US を参照する。

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. はじめに

中国では1949年から今日まで女性を取り巻く労働環境と家庭環境が時代の変遷にともない,大

きく変化してきた。とりわけ1980年代以降,市場経済をはじめとする一連の改革は,女性の仕事

と家庭に大きな影響を与えた。

1949年から今日までの女性の仕事と家庭の状況をめぐって概観すると,大きく1949年から1980

年代まで1980年代から今日までの二つの時期に分ける1 ことができる。前期の1949年から1980年

代までは,国家が労働力を確保するため女性の就労を促進したのが特徴である。「 女能 半 天

(女性は天の半分を支える)」「 代 了,男女都一 (時代は変わった,男女は同じだ)」というス

ローガンで分かるように,女性は男性と同じく,国家建設の責任者であり,男性並みに勤労するこ

とが期待された。その結果,当時の女性は男性の仕事とみなされる重工業にも従事し(金,

2006),悪い労働環境に耐えながら,就業率は非常に高く,ピークの時は80~90までに登った

(石塚,2010)。他方,家庭内では,家事,育児が女性の「天職」と捉えられたため,家事,育児

の責任の多くは女性が背負っていた(Evans, 2012)。ただし当時「単位」制度2 がまだ存在してい

るため,幼稚園などの外部サービスが比較的に充実したことにより( ,2017),女性は労働を優

先することが可能であった(,2010)。したがって計画経済期では女性が国家建設の責任者であ

り,国家から一部のサービスと資源を得つつ,自由に選択する余地が少なく,生活の重心が仕事に

偏っていたといえよう。

しかし後期の1980年代から今日までになると,「単位」制度の崩壊,市場経済による女性差別に

より,女性のライフスタイルが多様になりつつあるものの,多くの女性は仕事と家庭の両立を目指

しながらも,生活の重心が次第に家庭に移っていた(Zuo, 2012)。まず「単位」制度の崩壊によ

り,国家は個人の生活から撤退し,個人への干渉が弱まっていた。干渉が弱まったため,個人は自

由に生活することができ,ライフスタイルが多様になったが,そのかわりに国家がかつて提供して

いたサービスを享受することができなくなった(Zuo, 2016)。つぎに市場経済の発達とともに,

個人間と企業間の競争が激しくなった。この過程のなか,女性は「貯水池」,すなわち予備の労働

力として見なされ,男女の賃金格差が拡大した(大橋,2010金,2006)。ゆえに多くの場合,家

庭のなか,女性ではなく,男性のほうが稼ぎ手として期待される。さらに,サービスの民営化

(Privatization)により,個人のニーズは国家からではなく,家族成員間の協力によってしか満た

されなくなった(Liu, 2007)。家族成員の経済的,情緒的ニーズに応じるため,女性は家事,育児

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の担い手,稼ぎ手として期待されるようになった(Evans, 1995)。

つまり,1980年代までの中国女性のワーク・ライフ・バランスは国家,家族,自己という三者

の関係のなかで調整されてきた。国家の影響力が弱まった1980年代以降,そのバランスは家族と

自己の間に調整されるようになった。さらに近年では,女性が親からサポートを受け,仕事と家族

以外に,個人的な興味関心を持ち,趣味に時間を費やすようになった(Liu, 2016)。また今日の女

性は婚姻と家庭における交渉力が上昇している(Shi, 2009; Yan, 2006)。いわゆる女性は自己の

ニーズを意識しており,個人化する傾向がみられると指摘された。また都市化の進展により,大都

市では環境,住宅,格差,育児資源の不足などの問題が深刻になっており(“城市化発展研究”課

題組,2011),人びとは資源や家族の協力を求めるために,大都市から調査地紹興のような中小都

市に戻り始め,「還流」という現象まで起きている(潘,2013)。つまり最近では,大都市だけで

はなく,中小都市も魅力的になりつつあり,女性のライフスタイルにおいては女性がキャリアか,

専業主婦か,両立かという大きな選択のなかで行われるようになったものの,女性は自己のニーズ

を意識し,仕事,家事,育児の役割を調整したり,新たなワーク・ライフ・バランスをとったりす

る可能性がある。しかしそれにもかかわらず,中国の子育て中の有職女性のワーク・ライフ・バラ

ンスに関する研究がまだ少ないといえ(田,2016b),研究の多くはバランスをとるための困難さ

と葛藤,あるいは困難と葛藤を感じる原因に集中している。バランスをとるために女性は自発的,

積極的に自身の役割を選択し,調整することがないのか。バランスをとる際に,自己のニーズは考

慮の範囲に入るのか。バランスをとることに対して,家族はいかに関わってくるのか。つまりワー

ク・ライフ・バランスにおける女性の能動性,個人としての意識,および家族との関係性に関する

議論はまだ十分とはいえない。

そこで本調査では,中国における子育て中の有職の女性を対象に,対象者の仕事と家庭の役割選

択の分析を通して,対象者のワーク・ライフ・バランスの実態,およびほかの家族成員との関係性

を明らかにしたい。

. 先行研究

最近の中国の労働環境について,「996」という言葉が流行っている。「996」はもともと IT 業界

の長時間労働を表す言葉であり,朝 9 時から夜 9 時まで,週 6 日に出勤することを指していた。

しかし最近では IT 業界に限らず,多くの企業には長時間労働の問題が存在し,「996」の労働時間

は『労働法』の第36条に規定されている 1 日 8 時間以下,週44時間以下の勤労時間を遥かに越え

ている(李,2019)。また「はじめに」ですでに言及したように,市場経済の発達は個人間の競争

とともに企業間の競争を加速させた。ゆえに,家庭責任の多くを担うと想定される女性は就職の時

でも,職場においても差別の対象になった(孟,2002楊,2014)。その結果として,中国女性の

就業率は1980年代の80~90(石塚,2010)という高い水準から,2010年の70前後に下がり,

さらに都市部女性の就業率は平均より低く,60.8であった(第三期中国婦女社会地位調査課題組,

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2011)。また「男は外,女は内」という役割分担に賛同する女性の割合に関し,2010年の賛同率は

2000年より4.4増加し,54.8に達している(第二期中国婦女社会地位調査課題組,2001第三

期中国婦女社会地位調査課題組,2011)。したがって今日の中国の労働環境が悪化しており,女性

はジェンダー差別の対象者になり,性別役割分業意識が保守になっている(李,2004徐,2010)

といえる。

このような労働市場と労働環境の変化を受け,女性は仕事に安定性を追求するほか(Zheng,

2016),家庭をもつ有職の中年女性は結婚,出産,子育てなどのライフイベントに影響され,家族

のために,自ら家族の責任を担い,職場間や職業間の移動をし,キャリアの成功の機会を夫に譲る

傾向があると辺(2006)が指摘している。また田(2016b)は企業の育児環境の不整備,男性の育

児休業制度の欠落などによって若年女性が仕事と家庭の両立に葛藤を抱え,継続的な就業を選択し

ながら,家庭と育児を優先するようになったと論じている。つまり女性は女性に不利な社会環境の

変化のなか,仕事との安定性を追求する一方,生活の重心は仕事から家庭にシフトし,家族中心に

なっている。しかし近年では,女性が親世代の「男女平等」の労働観念に影響を受けながら(田,

2016a),個人のニーズから出発し,仕事を自己価値の証明,家庭地位の確保,及び世間とつなが

る手段として捉えている(宮坂・金,2012)。さらに Liu(2016)は参与観察を通して,ホワイト

カラー層の女性の仕事と家庭に関する調査をおこなった。Liu によれば,今日の中国女性は親から

の援助を得つつ,家族のためではなく,自身のために自己開発(言語学習など)を行ったり,ほか

の就職チャンスを探したりするという人が出てきている。つまり女性は仕事と家庭以外に,自己の

ニーズを意識し始めているといえる。したがって今日の中国女性は仕事と家庭の両立に困難を感

じ,家族のために転職し,キャリアのチャンスを夫に譲ることもあるが,女性は自己のニーズを意

識し,自分のために何かを追求したり,目指したり,いわゆる個人化的な傾向も見てとれるように

なったといえよう。

ところが,家庭内における家事,育児に関しては,中国の家事,育児の分担におけるジェンダー

差がまだ大きく,男性は稼ぎ手として期待され(金・楊,2015),家事,育児への参加は積極的と

はいえない(Kim et al., 2010徐,2010)。その結果,家事時間は技術発展によって減っている

が,主な担い手は依然として女性であり(張・胡,2012),男女間の性別役割分業は顕著になって

いる。また1990年代以降,中国は学歴社会に入り,学歴重視のもとで,子どもの教育がますます

重要視されるようになった(Fong, 2004)。男性は稼ぎ手として期待されるため,経済力を持つ家

庭には女性が家事,育児の責任者とみなされ,子どもの教育は女性の責任とされるようになってい

る(Kim et al., 2010)。それは「教育 媽(教育のために競う母親)」(金・楊,2015)という言

葉で分かるように,子どもの学業成績は母親(の重視度,能力)によって決まると考えられている。

しかも中国の幼児教育は日本と異なり,子どもの情緒的発達に注意を払うよりはむしろいい成績を

取るための業績主義的な知的開発に集中していると宮坂・金(2012)が指摘したように,子ども

の教育をめぐる母親の教育役割が幼児期に始まり,長期化している。つまり家庭内において,今日

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3 https://baike.baidu.com/item/E8818CE5B7A5E98080E4BC91E5B9B4

E9BE84/11045029?fr=aladdin

取得日2019年10月21日。

4 本調査における紹興の中都市の位置づけは国務院の都市分類に従っている。詳しいは中華人民共和国中央人

民政府,2014,「国務院 于調整城市規模 分標準的通知」を参照する。

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の女性は家事,育児の多くを担当し,子どもの教育が重要な役割となっている。

他方,中国家族は「Networked Families」(Unger, 1993)「Cooperative Family」(Huang,

2014)「多世代連携プレー」(施,2018)と呼ばれているように,家族成員間,世代間の関係性が

非常に緊密であり,個人と家族の関係性は世代を越えて,調整される。こういう世代間の協力が可

能になった理由は二つある。一つは中国の親世代と子世代は互いに情緒的,経済的な繋がりを求め

ている(姚,2012)。とりわけ中国の定年退職年齢3 はほかの国に比べて比較的に若く,男性は60

歳に対して女性は55歳であるため,親は定年退職後も健康上,体力上,孫の面倒をみることが可

能である。もう一つは「はじめに」で言及したように,「単位」制度が市場経済の発達により崩壊

され,人々はかつて国家が提供していたサービスを享受することができなくなり,家族成員間の協

力がふたたび必要になった(Zuo, 2016)。つまり親世代の育児サポートは,親世代にとっても,

子世代にとっても不可欠である。こういう状況は有職の女性の家事,育児の責任の一部から免れる

可能性を作った。さらに今日では女性が家庭内において親からのサポートを受け,仕事に関心を持

たないまま,自己のほかのニーズ(楽器,言語の学習など)に目を向けていることが明らかにされ

ている(Liu, 2016)ため,女性は仕事と家庭以外に自己のニーズに応じて時間を作る可能性があ

ることを示唆している。

以上のように,先行研究では今日の中国では女性が悪化しつつある労働環境の中に置かれ,労働

市場に差別されている。そのような環境の中で,彼女らは依然として仕事の必要性と価値を認める

が,家事,育児のために,転職したり,チャンスを夫に譲ったりする。他方,今日の女性は親から

多くの資源とサポートを受け,家事,育児責任の一部免れられ,仕事,家事,育児の役割を新たに

考えたり,自己のニーズを意識したり,個人化的な傾向がみられ始めている。労働環境と社会環境

が大きく変化するなか,今日の女性はワーク・ライフ・バランスをとるために,どのような労働環

境を選択し,どのような家庭環境を作っているのか。ワーク・ライフ・バランスをとる際に,女性

は自己のニーズを意識するのか,家族はいかに関わってくるのか。したがって本調査では,中都

市4 と位置づけられている浙江省紹興市に在住する子育て中の有職の女性を対象に,彼女らへの半

構造化インタビュー調査を通して,上記の問題を検討したい。

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5 Baidu の写真をもとに筆者作成。写真出典

https://www.freep.cn/zhuangxiu_6/News_487655.html,取得日2019年 6 月 1 日

6 本調査は中国国務院が発布した『 于 整城市 模 分 准的通知』(2014)の都市分類基準に基づき,紹

興を中都市に分類した。

7 Wikipedia の写真をもとに筆者作成。写真出典

https://ja.wikipedia.org/wiki/E7B4B9E88888E5B882,取得日2018年11月 6 日

(図) (図)

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. 調査概要

. 調査地の概要

本調査は中国浙江省(図 15)にある中都市6―紹興市(図 27)で行われた。浙江省は中国の沿岸

部にある経済発達地域であり,紹興はその中の一つの市である。

まず人口と経済について。まず紹興市の総人口は浙江省の11つの市の中の 6 位を占め,約501万

である。ただし紹興の戸籍をもつ人のデータしか開示されていないため,戸籍をもつ446.5万人で

あり,そのうち男性は222.6万人(49.6),女性は223.9万人(50.4)である。この男女比率は

浙江省省政府(2017)のデータと比較した結果,紹興の性別性比は省の平均よりバランスを取れ

ていることがわかった。また一人当たりの GDP について,浙江省全体は92057元(約150万円)に

対し,紹興市は102200元(約167万円)である。ゆえに,紹興は発達地域と言われる浙江省におい

ても,経済と社会発展が上位にあるといえよう。

つぎに紹興では幼稚園が充実しており,入園率は98.52(紹興年 ,2017)であるが,保育施

設は少なく,3 歳以前の子どもの世話は祖父母をはじめとする親族か,ベビーシッターでみるのが

ほとんどである。また物理的な距離の利便性により,子世代の夫婦は親と別居しても,近居しやす

く,日常的な接触がしやすい。

したがって紹興は経済的豊か,学校施設が充実している一方,学齢前の保育施設がまだ整備せ

ず,外部資源が不足し,子育てに関しては家族成員間の協力が必要である。

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8 本調査の子育て中の対象者の範囲は,小学校低学年生以下の子どもをもつ対象者に限定する。

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. 調査方法と概要

本調査は2016年 8 月~9 月と2017年 3 月,二回にわたって紹興に在住する既婚・子育て中の有

職女性,計 9 名に半構造化インタビューをおこなった(2016年では A1,B2,C3,E5 という 4 名,

2017年では D4,F6,G7,H8,I9 という 5 名である)。

まず対象者について,本調査は子育て中の有職女性を対象にしているため,対象者を探すときに,

10歳以下の子どもを持ち,仕事を持つ女性に限定した。そして対象者の全員は知人に紹介をも

らったが,今回の対象者の全員は大学に相当する学歴を有し,かつ本人と配偶者は調査地の平均収

入以上の年収を獲得しているため,調査者は生活面において経済面の心配がないと考えられる。ゆ

えに本調査の対象者は比較的に経済力を持つ層の女性であり,各層の女性に一般化することができ

ない(本調査の限界)。

つぎに調査内容について,対象者の基本情報を把握するため,筆者はインタビューを実施する前

に対象者に本人,配偶者,および夫婦双方の家族の基本情報をフェースシートで記入してもらっ

た。その内容は,名前,年齢,学歴,年収,職業,戸籍,出身地,居住状況,結婚年齢などである

(詳細はプロフィール表 1 を参照すること)。またインタビューの項目について,対象者の仕事と

家庭の現状を把握するために,筆者は対象者に「残業の有無」「休暇の取りやすさ」「転職経験の有

無と理由」「職場におけるジェンダー不平等の有無,内容など仕事面の内容」という仕事を中心と

する内容を語ってもらったあと,「居住状況」「家事,育児の現状」「家族の関わりなど家庭面の内

容」という家庭に関する内容を語ってもらった。

最後に分析について,本調査は佐藤(2008)が提示した定性的コーディングの手順に基づき,

対象者の語った内容を比較し,関連性を見出した上で,コーディングした。コーディングの結果と

して,「仕事の選択と現状」「ジェンダー不平等の有無と意識」「家事の選択と現状」「育児の仕方」

という四つのカテゴリーが抽出できた。この四つのカテゴリーに基づき,筆者は対象者のワーク・

ライフ・バランスの実態,バランスにおける個人意識の有無,および家族との関係性を考察した。

インタビューはグループで受けた 2 名を除き,一対一の対面式でおこなった。一回のインタ

ビュー時間は50~70分程度であり,分析に用いるデータは協力者に許可をえて録音し,日本語に

翻訳したものである。

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表 調査対象者の概要

名前出生年

学歴 職業本人の転職経験

本人年収

(万円)

夫年収(万円)

兄弟有無

居住状況

結婚年齢

家事の主な

担い手

子どもの日常世話9の主な担い手

子どもの教育の

主な担い手

子どもの性別,年齢

A1さん 1980 大卒 公務員 なし 250 300 あり

夫方同居 26

母親・家政婦

本人・夫 本人・夫長女10次女2

B2さん 1981 大専10

会計士(兼業として在宅勤務中)

あり 200 400 あり夫方同居 24

義母・家政婦

義母 本人長女8次女3長男2

C3さん 1984 大専 看護士 なし 200 300 あり

夫方同居 26 義母 義父母

本人(将来は夫)

長女7次女2

D4さん 1984 大卒 会計士 なし 250 250 あり

夫方同居 27 義母 双方の親 夫 息子4

E5さん 1987 大専 看護士 なし 200 150 あり

夫方同居 24

義母・家政婦 義父母 本人・夫

長女5次女2

F6さん 1988 大卒 銀行員 なし 300 400 なし 夫方

同居 25 義母 義母 本人・夫 息子2

G7さん 1984 大卒 公務員 なし 250 250 なし 妻方

同居 26 両親 両親 本人 息子5

H8さん 1984 大専 会社員 なし 90 160 あり 別居 27 義父母 義父母 本人・夫 娘5

I9さん 1986 大卒 看護士 なし 230 50 あり 別居 24 夫 夫 本人・夫 息子5

9 日常世話は食事,学校の出迎え,入浴などを指す。

10 大専とは,三年制の大学であり,日本の短大と近い。

11 年休はもちろんのこと,年休を取らず,仕事からすこし抜け出してもいいという場合も含まれる。

― ―

. 考 察

. 転職を望まず,安定的なキャリア志向

本項では対象者自身の労働環境,職業経験と仕事意識について語った内容を扱う。まず労働環境

と職業経験(「仕事の選択と現状」)において,残業の有無,休暇11 の取りやすさ,転職経験の有無

と理由,およびジェンダーの平等さという四つの質問をした。結果として,9 人のうち 5 人は残業

がほぼなく,7 人は休暇が取りやすく,8 名は転職経験がなく,5 人はジェンダー不平等を感じた

ことがあると答えた。また残業の有無と休暇の取りやすさについて以下の語りがあった。(注イ

ンタビューのなかに出現する( )内の内容は筆者の補足である)。

私はあまり休みをとらないですけど(子どもの世話を義母に任せているから),とりたかった

らとれます。(休みに関する決まりは)全然なく,やさしいですよね,笑。(中略)私は今の環

境に慣れているし,女性ですし,転勤したりするのは好きではありません。キャリア志向的な

人間ではありません。(D4 さん)

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12 B2 さんは職場の育児環境が整っていなかったという理由で,前の仕事を辞めて,別の企業と契約して在宅

勤務中。

― ―

残業はほぼなく,比較的に弾力がある仕事です。そして子どもは病気になったら,遅れて職場

に着いても大丈夫です。もちろん普段は休みをとらないですね。なぜなら,私の両親はもう定

年退職してしまい,時間はたくさんあります。ですので,私じゃなくても大丈夫です。(中略)

今のような環境ですと,向上心がなくなりますが,女性にとって,特に私の性格のような人に

とって,すごくいいと思います。安定ですし,生活リズムを保てるし,家庭や子どもの面倒も

みられます。プレッシャーは強くないです。(G7 さん)

(残業は)ないです。冬は16時半,夏は17時で退社できます。急用があったら,手続きはあと

にしてもいいので,先に休みをとればいいです。(中略)楽な仕事です。不満といえば,将来

性がないですね。(H8 さん)

上記の語りにより,対象者は現在の労働環境に満足していることがわかった。休みをとりやす

く,残業が少ないことは満足の理由として考えられるが,もっとも大事なのは対象者の従事してい

る職業が自身の家庭生活に支障をきたしていない点である。つまり対象者は家族中心的な考え方を

もち,彼女らにとって仕事は自身の求めるワーク・ライフ・バランスを崩さない限り,満足度を与

えてくれるものである。そして仕事は自身のワーク・ライフ・バランスを崩そうとなる時,B2 さ

ん12 のように就業パターンを変える場合もあるが,表 1 から分かるように,9 名の対象者のうちの

B2 さん以外に,全員は転職した経験がない。つまり対象者の多くは就職してからずっと現職に就

いている。しかも彼女らの語りによれば,今後も転職を考えていないようである。この結果は辺

(2006)の中年女性が家族のために自身のキャリアを犠牲にし,職場間と職業間に移動する調査結

果と異なっていた。本調査の対象者の多くは「996」という長時間労働の労働環境を選ばず,残業

が少なく,休みが比較的に取りやすい職業を選んでいる。ただしそれを実現できるのが,対象者夫

婦の両方が調査地の平均年収以上に稼いでいるためである。つまり対象者の家族は比較的に安定的

な収入があり,女性は残業するまで稼ぐ必要がないようである。また対象者は仕事に安定性を追求

すると語っているが,この安定性はキャリアの一貫性だけではなく,ワーク・ライフ・バランスが

保てるための心理的安定性でもある。つまり今日の女性は家族のために,キャリアを犠牲にし,転

職する可能性があるが,彼女らの多くは転職を好まず,最初の就職の時点で,もうすでに今後を見

据えて,これからの人生を設計している。換言すれば,今日の女性は今後のワーク・ライフ・バラ

ンスをとるため,最初の就職ですでに自身のキャリアを「調整済み」にし,仕事という役割を遂行

しようとしている。

以上見てきたように,対象者の仕事は残業が少なく,休暇がとりやすく,いい労働環境といえる

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13 中国の病院は一,二,三級に分けられ,それぞれの級には甲,乙,丙の三等に分けられる。上級というのは

自分の病院よりレベルが高い病院を指す。

14 例えば,結婚, 出産。とりわけ現在中国は二人っ子政策の実施が始まっているため,企業側は女性が二回の

産休をとることを恐れている。

― ―

だろう。しかし環境がやさしいとはいえ,「ジェンダー不平等の有無と意識」において,対象者の

5 名は「職場におけるジェンダー不平等を感じたことがあるか」と答えたほか,「どこ,いかに不

平等を考えているのか」について,以下の語りがあった。

男性のほうが(昇進する)チャンスが多いです。特に現在職場に入ってくるのは女性のほうが

多いのに,上のポストに就くのはやはり男性ですね。(A1 さん)

(男性看護師)が優勢を占める場合があります。例えば,学会に行くチャンスとか,上級13 の

病院に見学しに行くチャンスとか,男性は比較的にもらえやすいです。しかしそれはしょうが

ないことですね。個別的な状況ではなく,(医療業界)全体の話ですから,しょうがないと思

います。(C3 さん)

最近の募集では,女性はいろいろな事情14 があるという理由で,人事は男性を雇いたい,女性

が好ましくないと言っています。(中略)この傾向は昔より強いです。(F6 さん)

私の部門なら,調査しに行くため,男性のほうは威厳がありそうにみえるし,いいと思いま

す。(中略)私のような抱負がない人は現実を受け入れています。(G7 さん)

上の語りによれば,職種や職場の男女の人数の割合と関係なく,女性は全体的に差別されやすい

(しかも傾向は顕著になっている)。しかし対象者の多くは差別を差別として意識していても,それ

を受け入れて,特に問題視はしていないようである。その理由は,対象者は職場のジェンダー不平

等が社会の普遍的な現象,かつ男女の本質的な差によるものと考えていることに由来する。さらに

対象者はジェンダー不平等を女性は男性より働いていない。つまり仕事の「楽」さの代償と捉えて

いるため,職場のジェンダー不平等を一層問題視にしない。

次に仕事意識について。仕事意識を分析するため,「仕事と家庭の重要度」「専業主婦になる意欲」

という二つの項目を聞き取りした。

まず「仕事と家庭の重要度」という質問に対して,「家庭のほうが大事」と答えたのは 5 名,

「仕事のほうが大事」と答えたのは 3 名,「両者は同じくらい」と答えたのは 1 名であった。また

「専業主婦になる意欲」という質問に対して,全員は仕事をやめない。専業主婦になりたくないと

答えた。

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― ―― ―

(仕事と家庭の)どっちも大事ですが,仕事はいくらうまくいったとしても,家庭がなければ

無理です。ただ(仕事があってこそ)自由があり,(家庭に)縛られたくないです。(D4 さん)

家庭は大事ですけど,仕事も大事ですね。ただ仕事はどうなっても,家庭を諦めないです。バ

ランスを取れれば,十分です。(中略)私も,両親も女性が専業主婦になることに反対です。

特に父は女の子が必ず仕事をもつべきだと言いました。(F6 さん)

家庭のほうが大事と思っています。このようなことわざがあるじゃないですか,仕事はあなた

がいなくても,回れるが,家庭はあなたがいなければ,混乱します。ただ(女性にとって)仕

事がないと,無理です。自分の稼ぎがあってこそ,夫に発言権を持ちます。収入があるから,

ケンカしても「あなたのお金を使っていないし,自分で稼いているから,あなたに劣っていな

いよ」と言い返せます。(G7 さん)

3 人の語りから,対象者は生活の重心を家庭に置いていることがわかった。ただし,これは対象

者が家庭のためにキャリアを放棄したという意味ではない。対象者にとって仕事は副次的なもので

あるが,「必要品」でもある。必要の理由として,先行研究であげられた親の影響と家事,育児へ

の支援(田,2016b),世間とのつながり,自己実現や自己地位の確保(宮坂・金,2012)という

理由がみられたほか,家庭に縛られたくなく,外で自己の空間を確保したいという理由も確認され

た。つまり女性は家族中心になっているが,家族のために完全に自己を放棄していない。女性に

とって職場はキャリアを追求する場所ではないが,家庭から自由になるための「自己の空間」では

ある。「自己の空間」という考え方は Liu(2016)が指摘した女性が自己の興味関心など新たなこ

とに挑戦することまでに至ってないが,自己のニーズを意識し,個人化的な傾向があるといえよう。

このように,ジェンダー差別が顕著になっている近年中国の労働環境において,対象者はジェン

ダー差別を受け入れていると言え,彼女らは厳しい労働環境を避けるために,比較的に安定と働き

やすい職業を選択している。また対象者の仕事の選択は,中年女性のように家族生活に支障があっ

てから調整することはもちろんだが,多くの場合は本人が最初の就職ですでに今後の仕事と家庭生

活を考慮し,ワーク・ライフ・バランスをとれるように,仕事を「調整済み」という形で始めてい

る。つまり対象者にとって仕事は家庭に比べて,副次的なものになっているが,いまだに不可欠な

ものである。そして仕事の様式は家族のために調整することがあるが,個人のニーズに応じて,個

人の選択という側面もある。

. 家事,子どもの世話に注目せず,教育を重視する

前項では対象者の労働環境,職業経験と仕事意識を明らかにした。本項は対象者の家庭環境,家

事,育児の実態,および余暇の有無と過ごし方について考察を行う。

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まず「家事の現状と選択」について,対象者のうちの 7 名は親と同居している(夫方同居は 6

名,妻方同居は 1 名)。核家族世帯を形式しているのは 2 名(1 名は夫の親と近居)である。親と

同居,近居する人が多いため,女性は買い物,料理,食後の片付けなどの家事を親に任せている

(一部の夫婦は退社して,親の家で食事をし,食べ終わったら自分の家に帰る)。そして育児に関し

て,子どもの日常的な世話は家事と同じくほとんど親か,家政婦に行ってもらっている。A1 さん,

D4 さん,G7 さん,H8 さんの例をみてみよう。

(私は)ほとんど(家事を)やりません。たまに買い物するが,多くの場合は義父です。(中略)

義母は洗濯や料理などをやります。(夫は仕事中心なので)以前から(家事)をやりません。

(A1 さん)

私は片付けかな。料理はほぼやらないので,たまに夫が手伝うくらいで,ほとんど義母です。

(中略)余暇があるとき,私は実家に戻ったり,ショッピングしたりはします。(D4 さん)

父は料理と孫の送り迎え,母は洗濯と片付けをやります。(子どもの勉強指導は)夫もやりま

すが,やはり私は主な担い手ですね。中国の男性ですから,ゲームとかが好きで,でも夫の場

合,話を聞くから,言われたことをやってくれます。(中略)余暇はほぼないですけど,たま

に夫と二人きりで食事しに行きます。(G7 さん)

食事は全部義父母のお家で食べています。ですので,料理はしなくても大丈夫です。子どもの

見送りは夫で,出迎えは義父母にやってもらっています。(家事に関して)夫はやはり言わな

いと(やってくれません)。余暇はありますね。(このあいだ)妹と短期旅行しました。もちろ

ん娘には出張という言い訳をして内緒しました。そうしないと,一緒に行きたくなりますか

ら。(H8 さん)

上記の語りから,対象者は夫方の親と同居する人がもっとも多く,妻方同居,あるいは近居して

いる人もいる。親との同居または近居の場合が多いため,本調査は先行研究と同様に,親世代の子

世代への積極的な日常生活のサポート(料理,買い物,洗濯など)がみられた。こういう親の子ど

もへのサポートに対して,対象者は違和感を持っていない一方,親も特に不満を持っていないよ

う。つまり若年層の視点からみれば,親からの援助は必要かつ普通なことである。それゆえ,本調

査では先行研究が指摘したような男性の家事への不参加(Kim ほか,2010徐,2010)という現

象がみられたが,対象者の女性自身も家事をそれほど担当していないようである。つまり子世代に

おいて,女性自身も親の協力を得られるため,家事をそれほど行っていない。また夫方同居が多い

ため,家父長制の規範がまだ存在するといえるが,育児に関して親世代の男性の積極的な参加がみ

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られた。つまり女性は依然として家事,育児の責任を多く担い,ジェンダー差が存在する。しかし

ジェンダー差よりむしろ世代差が顕著である。よって家族,親族ネットワークが緊密である中国で

は役割を考える際,ジェンダーを考えるほか,世代を考える必要もあり,両者は複雑に絡んでいる

可能性がある。また対象者に幼い子どもがいるため,自分の時間が多くないが,友だちとショッピ

ングしたり,旅行したりすることがあり,自己のニーズを完全に放棄したわけではないといえる。

以上より,対象者の女性は家事,子どもの世話以外に,ある程度自己の時間が確保できているこ

とがわかった。ところで彼女らは家事,育児のすべてを親に任せているのか。彼女らは家庭にどの

ような役割を果たすのか。これらを解明するため,以下の語りをみていきたい。

子ども(7 歳)の勉強の指導はできるだけ自分でやります。子どもが小さい頃は私が中心に,

大きくなったら教師である夫にやってもらう予定です。(C3 さん)

子ども(4 歳)の勉強は私たち自分で面倒を見ています。現在はみんなが重視しますからね。

(中略)息子を絵画の教室に通わせています。前はレゴの体験授業にも参加しましたが,ちょっ

と遠くて不便でしたので,やめました。(D4 さん)

子ども(5 歳)の勉強はすべて私が面倒を見ています。子どもに絵画とピアノの教室を通わせ

ています。英語は自分で指導しますね,一回に 4 個の単語を学ぶだけで,20万円がかかるな

んて,もったいないじゃないですか。他の親たちは(子どもを)通わせているから,うちも気

持ち的に二つの教室を選びました。(G7 さん)

週二回に夫婦二人で,娘(5 歳)をパフォーマンスの教室に通わせていきます。(H8 さん)

上の 4 名を含め,対象者の全員は子どもの教育を重視し,勉強指導を自分か,夫婦二人で担当

している。対象者の子どもがまだ就学前後の幼い者であるにもかかわらず,対象者は子どもを習い

事の教室に通わせるべきだと考え,実際に子どもを教室に通わせている女性も 5 名いた。また外

部の資源に頼らず,C3 さん,H8 さんのように自分か夫が子どもの勉強を指導するというパター

ンもあった。ここから対象者は子どもの教育を重視していることがかわる。しかも彼女らの教育重

視は「現在みんなが重視しますから」という「教育熱」に同調しているだけではなく,対象者自身

の学習経験にも基づいている。なぜなら対象者は高学歴を持ちつつ,学歴社会を経験した「初代目」

である。つまり女性本人の教育経験が子どもの教育重視の後押しになっている。さらに対象者のよ

うな高学歴女性はすでに自身の教育経験を文化資本に転換し,子どもの教育資源に変わっている。

また対象者は子どもの教育を自身で行う理由として,「義母は田舎出身なので,都市出身の人と

違って,いろいろ知っているわけではない」(F6 さん)「上の世代はすこし古い偏見を持っていま

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15 犠牲の対象者は本人に限定せず,親をはじめとするほかの家族成員も犠牲の対象者になりうる。

― ―

す」(C3 さん)「(田舎の出身なので),教育理念が違います」(G7 さん)で語ったように,対象者

は親世代を「古い」「田舎」の人間と捉える傾向がある。ゆえに,「現代性」が必要とする子どもの

教育は祖父母ではなく,対象者自身か夫が担当し,「現代的なママ」のイメージに近づこうとして

いる。

さらに対象者は自身で子どもの教育を行うほか,外部資源の利用も顕著であった。しかも子ども

の通っている教室は絵画やピアノなど「伝統的な項目」だけではなく,パフォーマンスやレゴなど

「非伝統的な項目」もあった。つまり対象者は子どもの知的発達に関心をもっている(宮坂・金,

2012)が,それは必ず業績達成のためではない(せめて小学校進学前まで)。パフォーマンスやレ

ゴなど新しい教育への試みは対象者が時代のトレンドに乗り,子どもの知能の全面的な開発にエネ

ルギーを注ぎ,「現代的なママ」であることを証明しようとするものである。

したがって家事,子どもの世話の点において,対象者の女性たちは強い家族ネットワークを持

ち,サポートしてくれる人が多く存在するため,彼女らの家事,子どもの世話の負担がそれほど重

くない。その結果,対象者は夫と同様に家事,子どもの世話に強い関心を示さず,夫の家事,育児

の不参加にも強い不満を表現していなかった。つまり対象者は彼女らの母親世代と異なり,家事を

女性の「天職」と考えず,「外部化」することができるもの(本人以外の人にやってもらえる)と

考えている。加えて,女性の性別役割分業意識の保守化は,必ずしも自己犠牲を伴うとは限らな

い15。

他方,家事,子どもの世話の負担が重くない対象者は先行研究が指摘したように子どもの教育に

強い関心を示している。彼女らは自身の学習経験に基づき,「教育熱」という社会現象に同調しな

がら,子どもの教育のために,外部施設を利用したり,自身の文化資本を発揮したり,教育資源を

調達している。この行為を通して,対象者は「教育媽媽」のような「現代的なママ」のイメージに

近づき,親世代の「古さ」と一線を画した。対象者のような女性は仕事より家族を優先する意識が

強く,家族成員の協力を得ており,家族への依存度が高い。しかしその一方で,女性は家族成員の

協力があるため,自己のニーズを捨てず,個人を保つことができている。

. 結 論

時代の変遷にともない,女性のライフスタイルが多様になり,個人化的な傾向もみられるように

なった。キャリアウーマンや専業主婦になった女性もいれば,仕事と家庭の両立を目指す女性もい

る。しかし両立を目指す女性に関する議論は両立の困難さと葛藤,または困難と葛藤の原因に集中

し,両立するための女性の選択と調整,および家族との関係性に関する検討が不十分である。本調

査では中都市である紹興における子育て中の有職女性を対象に,彼女らはいかに仕事と家庭の役割

を選択し,バランスをとっているのかを明らかにした。またバランスをとる際に,女性は自己の

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― ―― ―

ニーズを意識するのか,家族はいかに関わってくるのかを考察した。

まず仕事について。「996」という言葉で表しているように,中国の労働環境は悪くなっている。

とりわけ残業など長時間労働が問題になっており,ジェンダー差別も以前より顕著になっている。

その結果,対象者のようなある程度の経済力を持ち,親のサポートを受けられている女性は,仕事

に安定性と働きやすさを追求し,職場にジェンダー差別を感じていても,差別を仕事の「楽」さと

男女の本質な差の代償として受け入れている。また女性の安定性と働きやすさへの追求は,辺

(2006)が指摘している中年女性のような転職することを通して,実現することに限らない。女性

の多くは自発的に最初の就職で今後のワーク・ライフ・バランスを考え,キャリアを「調整済み」

という形で,社会人になっていく。しかしこのように女性は家族中心(とりわけ子ども中心)とい

う傾向を持つが,これは女性が個人的な意識を持たず,自己のニーズがないことを意味しない。な

ぜなら彼女らは家族に縛られないように,仕事を自分の空間として利用しているのである。

次に,家庭内の家事,育児について。まず料理,掃除などの家事,および子どもへの世話は女性

にとって必ず自己の責任と思っていないようである。対象者は夫より家事を行うが,彼女らは親の

協力を得て,自身もそれほど家事を行っていない。さらに親からの協力は母親に限らず,父親の積

極的な参加もみられた。ゆえに女性の性別役割分業は保守になっているが,それは必ず女性の自己

犠牲を伴わない。犠牲の対象者は女性に限定せず,親をはじめとするほかの家族成員も犠牲の対象

者になりうる。

また育児の場合,調査対象の女性は金・楊(2015)の指摘と一致し,子どもの教育に強い関心

を示している。対象者のような女性は「教育熱」と自身の学習経験に基づきながら,ほかの親の育

児方法を見習ったり,外部の資源を利用したり,子どもの教育に多大なエネルギーを注いている。

しかもこの努力は業績主義の達成に集中するだけではなくなり,パフォーマンスやレゴなど「非伝

統的な教育」まで広がっている。

以上より,今日の子育て中の有職女性は家族中心であり,仕事より家庭の方を重視していること

がわかった。しかしこれは女性が家庭一筋になったことを意味しない。女性は確か家族を優先し,

自身のキャリアを調整するが,彼女らはまた家族優先の範囲内で,個人のニーズを最大限に実現さ

せている。本調査の女性は Liu(2016)が調査した女性のように,自己開発的な動きがなかったが,

職場を家族以外の個人的な空間として利用し,個人化的な意識がみられた。つまり女性はキャリア

を追求しなくても,家庭のために全部尽くすというわけでなく,家庭外に自己の空間を確保する。

子どもを大事にするが,母親というアイデンティティ以外に,友だちとして,姉として,社会人と

しての自己を意識する。

本調査の対象者は,中都市による物理的な利便性を利用し,親との同居や近居しやすく,親と緊

密な関係性を築いている。関係性が緊密のため,対象者は親からサポートを得ることができ,一部

の家事,育児役割から免れ,個人として保つことができている。換言すれば,対象者のワーク・ラ

イフ・バランスは個人のバランスだけではなく,個人と家族成員間のバランスでもある。対象者の

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ライフ・ワーク・バランスの実現は本人の自発的,かつ積極的な役割の選択と調整の結果でありな

がら,家族のほかの成員との調整の結果でもある。

中国の中都市では女性は家族への依存度が高く,家族が必要である。また家族が存在すること

は,女性の家族中心的な意識を促進した一方,女性の個人のニーズを意識する環境をも作った。つ

まり今日の中都市における子育て中の有職女性は家族に包まれ,家族中心の生活のなか,個人化を

追求している。

. 今後の課題

本調査は中都市における子育て中の有職女性の仕事,家事,育児におけるバランスを解明してき

た。本調査で明らかになったように,女性の個人化傾向は家族が存在することを前提にし,女性は

親と非常に強い関係性をもち,親から協力と資源を受けている。しかし今回の対象者は比較的に経

済力を持ち,高学歴の女性であるため,ほかの階層の女性も同様に親から資源と援助を得られる

か,個人化の傾向があるか。今後は階層的な観点を入れ,比較できるように,女性のワーク・ライ

フ・バランス問題を検討していきたい。

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