濾過障壁としての糸球体基底膜 ―その歴史的背景、 …...ヒポクラテス!...

31
病原菌の発見 医学史講義第12順天堂大学医学部 解剖学・生体構造科学 坂井建雄

Upload: others

Post on 11-Mar-2020

3 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

病原菌の発見    

医学史講義第12回  

順天堂大学医学部  解剖学・生体構造科学  

坂井建雄  

アテネの疫病、ニコラス・プッサン(1594-­1665)  

古代の疫病  紀元前430年、アテネの疫病  悪性の伝染病でアテネ軍の4000人のうち1000人が死亡(トゥキュディデス『歴史』)。病気の種類には諸説がある。  

165年、アントニヌスの疫病  15年間にわたり蔓延し、ローマ帝国を荒廃させた。天然痘が原因とされる。  

251年、キプリアヌスの疫病  ローマで1日に5000人が死亡(カルタゴ司教キプリアヌスの記録)。15年間にわたり蔓延。天然痘が原因とされる。  

542年、ユスティニアヌスの疫病  コンスタンティノープルで猛威を振るい、以後40年間ほどヨーロッパに広がる。腺ペストが原因とされる。  

ヒポクラテス  (BC460-­370)  

『ヒポクラテス集典』  ヒポクラテスと周辺の人たちによる文書集。  69編および書簡集が含まれる。  

ヒポクラテス『体内風気について』から  

熱病にはつぎに述べるような二種類がある。一つはすべての人に共通しておこる悪疫といわれる熱病、もう一つは、食餌のとり方がわるい人たちに、そのわるい食餌法が原因で個別に生ずる熱病である。だが、この両者ともその原因は大気である。実際にその共通しておこる熱病のほうは、みんなが同じ空気を吸うことが原因で共通しておこる。  実際そういうわけで、空気が人間の自然性に敵対するような毒気に染まるときは、人間は病気にかかる。  

ヒポクラテス『空気、水、場所について』  医術を正しく探求しようとする人のしなければならないことは、まず、一年の各季節がそれぞれどんな影響力を及ぼすかをよく考えてみることである。  つぎに、・・・それぞれの土地特有の風のことがある。  水の性質についてもまた考えてみなければならない。  その町が風に対し、太陽の上昇に対してどういう位置にあるかを十分注意しなければならない。  さらに土地のこと、すなわち、土地が乾燥していて不毛であるか、それとも森林におおわれ水の出がよいところであるか、窪地で暑苦しいか、寒冷な高地であるかを。  さらにまた、住民たちの好みの生活様式を、つまり飲酒を好み正食以外にも朝食をとる人であるが働くことは好まぬたちか、それとも体育を好み勤労の精神に富みよく食べるが飲酒はしないたちであるかを。  

病気の原因について、古代の考え方  

疫病は汚染された空気(ミアズマ)が原因になると考えられた。  特定の病原との接触(コンタギオン)により病気が起こるという考えはみられなかった。  

病気は一般に、環境に影響されると考えられた。  季節、風、水、地形、立地、生活様式などが重視された。  

エストニア、タリンの聖ニコラス教会、「死の舞踏」の壁画。15世紀末頃  

中世から近代の疫病・感染症  1347~51年の黒死病  ヨーロッパ中に広がり、2000~3000万人が死亡。  それ以後ヨーロッパに定着、各地で繰り返し流行。  腺ペストが原因。  15世紀末の梅毒  コロンブスの新大陸発見によりもたらされた。  ヨーロッパ諸国で流行。  16~17世紀、ヨーロッパ各地でペスト流行  1500年代、パリで16回のペスト流行(1620年まで)  1665年、ロンドンでの大流行  1720年、マルセイユでの流行(ヨーロッパで最後)    

フラカストロ  (1478-­1553)  

パドヴァ大学の哲学教授  医師としてパドヴァで開業  『梅毒あるいはフランス病』(1530)  韻文誌で病気の「種子」について述べる。  

『伝染と伝染病について』  (1546)  伝染病の種苗(コンタギオン)の概念を主張。  

 

フラカストロ『伝染と伝染病について』  全3巻(1546)  

第1巻(13章)  伝染(contagion)を人から人に受け渡される伝染と定義  病気の種(seminaria)を想定  

第2巻(15章)  さまざまな伝染病について  

第3巻(11章)  伝染病の治療について  

19世紀のコレラの流行  

1817-­23年、カルカッタからアジア全域に。  1827-­37年、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカに広がる。  1840-­55年  1863-­74年  1881-­96年  1899-­1923年  

伝染病の原因について、19世紀の議論  

ミアズマ(瘴気)説  毒によって汚染された沼などから立ち上る悪い空気(ミアズマ)などの汚染物質に触れて病気になる。  

コンタギオン(接触性伝染体)説  患者から患者に直接伝染する接触性伝染体(コンタギオン)と接触することにより病気になる。  

ヘンレがミアズマとコンタギオンについて理論的研究を行う。  

ヘンレ「ミアズマと  コンタギオン」(1840)  伝染病を3つに分類して考察  ミアズマ単独による(マラリアなど)  ミアズマ的なコンタギオン病(発疹、コレラ、ペスト、インフルエンザなど)  コンタギオン病(梅毒、疥癬、狂犬病、馬鼻疽、口蹄疫など)  

コンタギオン物質は、有機物であるだけでなく生きているもので、個々に生命があり、病気の体内で寄生物として存在する。  

自然発生説とその否定  古代には、ノミ、虫、しらみなどは、じめじめした汚物から自然に出てくると思われていた。  レディ(1626-­1697)は、蓋をした瓶に肉片を入れて、虫が自然発生しないことを実験的に示した。  

顕微鏡で見つかるような微小な動物が、肉汁などから自然に発生すると考えられた。  ニーダム(1713-­1788)は、コルクで蓋をした瓶に入れた肉汁から、微小な生物が発生することを示した。  スパランツァーニ(1729-­1799)は、肉汁を瓶に入れて密封すると、微小な生物が発生しないことを示した。  

腐敗や発酵を生じる微生物が有機物、水、空気、温度の条件が揃うと自然発生することが示された。  パスツールは、「自然発生説の検討」(1862)で、空気中に存在する微生物が、腐敗の原因であることを証明した。    

パスツール  (1822-­1895)  

ソルボンヌ大学の化学教授  自然発生説を実験により否定  腐敗や発酵の原因が微生物であることを確立  病気予防のためのワクチン療法を開発  

パスツール『自然発生説の検討』(1862)  

第1章 自然発生説の歴史  第2章 大気中に散布されている固体粒子の顕微鏡検査  第3章 強熱処理された空気を使った実験  第4章 空気中に浮遊している塵埃を下等生物の発育に適する液の中に播く実験  第5章 きわめて変敗しやすい他の液に対する以上諸結果の拡張  第6章 浸出液に出現するあらゆる有機体性生成物の起源は大気中に浮遊している微粒子に存することを証明するためのきわめて簡単な別の方法  第7章 浸出液の中にその液に固有な有機体性生成物を発生せしめるには普通の空気の微量をもってすれば足りる、という見解の誤謬  第8章 黴の胞子および大気中に浮遊している芽胞の発芽力に対する温度の作用の比較研究  第9章 いわゆる酵母なるもの、黴、ならびにインフソリアの栄養様式について  

発酵は生物現象か、化学反応か  発酵は一つの物質が変化する現象だと漠然と考えられていた。  食物の消化も、発酵の一種と考えられた。  ファブローニは『葡萄酒作成技術』(1787)で、物質の相互作用で発酵が起こると論じた。  

顕微鏡によって球状の微粒子が発見され、発酵の原因の酵母であるとされた。  1837年に、ラトゥール、シュヴァン、キュチングが独立に、ビールと葡萄酒の中に酵母の発見を報告した。  

発酵が化学反応であるとする反論が出された。  リービッヒ(1839)は発酵が酵素という不安定な物質によって生じると主張した。  

パスツールは1854年からさまざまな種類の発酵について研究し、発酵が微生物によることを示した。  

『ワインに関する研究』(1866)  

『酢に関する研究』(1868)  

『ビールに関する研究』(1876)  

『有機微生物、発酵、腐敗と伝染における役割について』(1878)  

パスツールによるワクチンの開発  鶏コレラの菌を培養し、弱毒化するのに成功(1880)。  弱毒化した炭疽菌を用いて、羊、山羊、牛に免疫を与える実験に成功(1881)。  豚丹毒菌を弱毒化してワクチンを開発(1883)。  狂犬病ウイルスを弱毒化する方法を開発(1884)。  狂犬病に感染した少年をワクチンで治療するのに成功(1885)。  鶏コレラの弱毒株を用いて、大規模な予防接種に成功(1888)。    

コッホ  (1843-­1910)  

1872年、ウォルシュタインの保健医官。  1876年、炭疽の病因論  1880年、ベルリンの王立保健庁で任官。  1882年、結核菌の発見。  1883年、エジプトとインドでコレラの調査研究。  1885年、ベルリン大学衛生学教授、衛生学研究所所長。  1891年、伝染病研究所の初代所長。  1905年、ノーベル生理学医学賞を受賞。  

「炭疽の病因」(1876)  

「結核の病因」(1882)  

細菌学におけるコッホの業績  細菌学研究の基礎を確立した。  細菌の標本作製、染色、顕微鏡撮影の方法を開発(1877)。  細菌の平板培養法を開発(1881)。  滅菌・消毒法を確立(1881)。  

最重要の感染症の病原菌を発見した。  結核の原因菌を発見(1882)。  コレラの原因菌を発見(1883)。  

結核治療法の開発を試みた。  ツベルクリンを開発(1890)、治療効果はなかった。  

伝染病研究所で研究を展開、弟子を育てた。  ベーリング:ジフテリア抗毒素を開発。  北里柴三郎:破傷風菌を分離・培養。後にペスト菌を発見。  エールリッヒ:後に化学療法剤を開発。  ワッセルマン:後の梅毒のワッセルマン検査を開発。  

 

ベルリンの伝染病研究所  1902年頃の地図    [左]  航空写真  [右]  

左上、ベーリング(1854-­1917)  左下、エールリヒ(1856-­1931)  右上、北里柴三郎(1853-­1931)  右下、ワッセルマン(1866-­1925)  

おもな細菌病原体の発見  1877   炭疽   Bacillus  anthracis   コッホ  1878   化膿   Staphylococcus   コッホ  1879   淋病   Neisseria  gonorrhoeae   ナイセル  1880   腸チフス   Salmonella  thphi   エーベルト  1881   化膿   Streptococcus   オグストン  1882   結核   Mycobacterium  tuberculosis   コッホ  1883   コレラ   Vibrio  cholerae   コッホ  1884   破傷風   Clostridium  tetani   ニコライエル  1885   下痢   Escherichia  coli   エッシェリッヒ  1886   肺炎   Streptococcus  pneumoniae   フレンケル  1887   髄膜炎   Neisseria  meningitidis   ワイクゼルバウム  1888   食中毒   Salmonella  enteritidis   ゲルトネル  1892   ガス壊疽   Clostridium  perfringens   ウェルチ  1894   ペスト   Yersinia  pestis   北里柴三郎、イェルセン  1896   ボツリヌス症   Clostridium  botulinum   エルメンゲム  1898   赤痢   Shigella  dysenteriae   志賀潔  1900   パラチフス   Salmonella  paratyphi   ショットミュラー  1903   梅毒   Treponema  pollidum   シャウディン、ホフマン  1906   百日咳   Bordetella  pertussis   ボルデー、ジャングー  

感染症の原因をめぐる歴史  

古代からすでに病原菌によって生じる病気はあったが、特定の病原により生じるとは考えられなかった。  16世紀に病気が特定の病原との接触により生じるという考え(コンタギオン)が生まれた。  19世紀前半に伝染病の原因が瘴気(ミアズマ)によるか特定の病原(コンタギオン)によるか議論された。  19世紀末に病原菌が発見され、伝染病の原因が解明された。  

病原菌の発見により何が変わったか  伝染病、感染症の予防に理論的基礎を与えた。  外科手術のための消毒・滅菌  ワクチンによる予防接種  

伝染病、感染症の治療に道を開いた。  化学療法剤の開発  抗菌剤の開発  

病気一般についての考え方が変わった。  病気は原因を解明できる。  病気の原因を取り除くことにより治療できる。  

ペニシリンの発見  1929年、フレミングがペニシリンを発見し発表  1940年、フローリーとチェーンがペニシリンの精製に成功  1945年、フレミング、フローリー、チェーンがノーベル生理学医学賞を受賞  

フレミング(1881-­1955)  

さまざまな抗生物質の開発  1941年  ペニシリン    1946年  ストレプトマイシン    1949年  クロラムフェニコール    1952年  エリスロマイシン    1953年  テトラサイクリン    1956年  バンコマイシン    1964年  セファロスポリン