壇の越遺跡 だ ん こ し壇の越遺跡 現地説明会資料 だ ん こ し...

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Page 1: 壇の越遺跡 だ ん こ し壇の越遺跡 現地説明会資料 だ ん こ し 竪穴住居跡の調査風景(47区SI4543住居跡、古墳時代) 2005年10月30日(日)

壇の越遺跡現地説明会資料

だ ん こ し

竪穴住居跡の調査風景(47区SI4543住居跡、古墳時代)

2005年10月30日(日) 10時30分より

加美町教育委員会

宮城県教育委員会

Page 2: 壇の越遺跡 だ ん こ し壇の越遺跡 現地説明会資料 だ ん こ し 竪穴住居跡の調査風景(47区SI4543住居跡、古墳時代) 2005年10月30日(日)
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壇の越遺跡 平成17年度の調査区と既調査区の位置

SX2000(南2)

SX3000(南3)

SX2900(南4)

SX1100(南5)

SX1900(南6)

SX2700(南7)

SX3300

(東3)

縮尺1/8,000

0100

200

300

400

500m

SX3200

(東2)

SX3100

(東1)

SX2400

(西1)

SX2600

(西2)

SX2400

(西1)

南門

築地塀

政庁

東山官衙遺跡 SX3200

(東2)

SX3600

(西4)

SX2800

(西3)

SX2600

(西2)

SX2000

(西6)

SX2000

(西6)

SX2900

(南4)

SX1100

(南5)

SX2100

(西7)

SX1700

(西5)

SX2300

(南北大路)

河川跡

河川跡

築地塀

今年度の発掘調査区

これまでの発掘調査区

1

田 川

46A区

45A区

45C区

45D区45E区

47区

45B区

46B区

46C区

46D区

49区

38区

48区

50区

46E区

46F区

46G区

45F区 45G区

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 1.はじめに

   壇の越遺跡は、古代の陸奥国府・多賀城跡から北西約35kmの加美町鳥嶋・鳥屋ヶ崎にあります。

  遺跡のすぐ北側、比高差約20mの台地には、古代の賀美郡衙跡(賀美郡の役所跡)と推定される東

  山官衙遺跡があります。周囲に築地塀を巡らしたこの遺跡では、役人が政治を行った政庁や、整然

  とした配置の倉庫群が見つかっており、律令国家が政治・軍事の拠点として造営した城柵・官衙遺跡

  の1つとして国の史跡に指定されています。

   この東山官衙遺跡の南前面に広がるのが壇の越遺跡です。加美町教育委員会と宮城県教育委員会に

  よる近年の調査で、その範囲が東西2km、南北1.5kmに及ぶ広大なものであることや、遺構・遺

  物の内容が奈良・平安時代を中心とするものであり、東山官衙遺跡と密接な関連をもつ遺跡であるこ

  とがわかってきました。

   また、特筆すべきものとして、本遺跡では約110m(1町)間隔で南北・東西の直線道路が見つか

  っており、広大な土地を碁盤目状に区画していたことがわかってきています。こうした地割は平城京

  や平安京といった都や、多賀城、大宰府など地方の主要都市にみられるものです。大多数の国府やそ

  れ以外の官衙には、これまで見つかっている例がないことから、壇の越遺跡は全国的にも貴重な遺跡

  といえます。

      

 2.調査成果の概要

   平成17年度の調査は、県営ほ場整備事業と県道改良工事に伴い遺跡が壊されてしまう約10,000㎡

  を対象に記録保存を目的として、本町教育委員会が宮城県教育委員会から協力をいただき、4月18日

  より実施しています。今年度の調査成果をまとめると次のようになります。

 ≪奈良・平安時代≫

  1.東山官衙遺跡の南門跡へ向かってまっすぐ延びる南北大路跡から東側について調査を実施し、

   本調査では初めて東2・3南北道路跡が見つかったほか、これまで見つかっていた南北・東西道路

   跡の北・東側の延びを確認しました。これにより、南北大路跡の東側にも道路が、広い範囲に造ら

   れていたことがわかりました。

  2.道路跡は、道幅が4~8mあり、両側の溝は1・2回ほど改修されています。今回見つかった道

   路跡の多くは路面や側溝に10世紀前半頃に降った火山灰が堆積していました。

  3.道路跡で仕切られた区画の内部からは、掘立柱建物跡、竪穴住居跡、井戸跡、溝、土壙などが見

   つかりました。内部を溝でさらに細かく分割して利用していたとみられる区画もあります。

  4.遺物は、奈良時代から平安時代初めころ(8~9世紀)の、土師器や須恵器が出土しています。

   他には本遺跡で初めて出土した木簡(49区)や3例目となる漆紙文書があり、注目されます。

 ≪その他の時代≫

  1.45A区から、縄文時代とみられる石器が大量に出土しました。出土した石器のほとんどは、石

   を割って製品を作った際にでた破片で、この場所で石器を作っていたと考えられます。

  2.47区から、古墳時代中期(南小泉式)とみられる竪穴住居跡が2軒見つかりました。住居跡の

   規模は一辺が約4m・約6mで、どちらも床の上から土器が多く出土しています。          

2

む つ こ く ふだ ん こ し

つ い じ べ い せいちょう

り つ り ょ う

ご ば ん め ち わ り

ちょう

だ ざ い ふ

ど こ う

お お じ な ん も ん

せ っ き

こ ふ ん

じょうもん

は じ き す え き

ほったてばしらたてものあと たてあなじゅうきょあと

か   み ぐ ん が

かんが

じょうさく

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焼土ブロック

SB4501

SB4526

SD4101

SB4502

南6道路跡

東1道路跡    

SK4530

SB4504

SB4503

SK4507

SD4509

SK4508 SB4506

SB4528

SB4529

SD4520(近世以降)

SD4521(近世以降)

SD4522(近世以降)

SK4523

SB4510 S

D4524

SA4511

SB4512

SK4514

SI4515

№21 №

3№2

№1

№20

№4

№5

№6

№8

№7

№19

№14

№13№10

№11

№12

№9

№16

№17

№18

№15

SK4516(t-pit)

SK4525

SK4518

SK4519

SK4517

№28

底面

№23

K1

K3

K4

K5

№29

K2

P1

P2

P3

SA4513

SI4549

SI4543

SB4542

SI4541

SB4531

SB4534

SD4409河川跡

黒褐シルト

050

100m

47・50・44区東平面図

  

縮尺1/500

【47区(1918.7㎡)】

 南6道路跡、建物跡13棟(3×2間3棟、2×2

間1棟、2×1間1棟、1×1間7棟、規模不明1棟)、

 竪穴住居跡4軒(古墳時代中期2軒、奈良・平安

時代2軒)、柱列跡2条など検出

【50区(調査中)】

 南6道路跡、東1道路跡など検出

47B区

47A区

44区東

 50区

(調査中)

3

東2南6区

東1南6区

東2南7区

東1南7区

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SD4409河川跡

SD4405

SE4442

SI4417

SB4418 SB4406

SB4413

SB4416SB4411

SB4412

SB4403

SD4404

SD4407

45D区

45E区

45C区

東4南7区

東4南6区

東3南6区

東3南7区

45A区

45B区

SD4437大溝

SD4434SD4436SD4435

SD4439

SB4440SB4445

SB4446

SB4420

Sk4448

SB4427

SD4450

SD4451

SA4452

SD4402 SB4401

SK4458

P1

南6道路跡

南7道路跡

東3道路跡

SI4449

SB4456

石器第2集中地点

石器第1集中地点

SB4433A・B

SB4459

0 50 100m

SB4423

SA4422A・B

SD4429

SD4460

SD4430

SB4455

SD4408

SD4454

【45C区(161.1㎡)】

 建物跡1棟(1×1間)、溝1条

【45D区(719.0㎡)】

 東3道路跡、南7道路跡、建物跡6棟

 (3×2間2棟、1×1間4棟)、柱列跡2条

 河川跡

【45B区(152.6㎡)】

 東3道路跡、柱列跡2条、

 建物跡1棟(規模不明)

   45A~E区平面図 縮尺1/1,000

【45A区(1211.9㎡)】

南6道路跡、区画溝6条、建物跡9棟(2×2間かそれ以上4棟、1×1間5棟)、

 柱列跡1条、竪穴住居跡1軒、井戸跡1基

【45E区(366.8㎡)】

 区画溝1条、建物跡2棟(2×2間)、

 竪穴住居跡1軒、

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現代溝

黒褐

色シ

ルト

46D区

46E区

46F区

46G区

45F区

45G区

SE4681井戸跡

SB4683

SD4676

SD4675

SA4686

SA4687

SD4677

SD4678

SB4690~4693

SB4730

SK4720(撹乱?

SK4718 SD4713

SD4716

SB4714

SB4716

SD4711

SD4712

SD4409河川跡

SD4743

SD4744

SD4748

SD4747

SD4740

SD4746

SD4745

SD4742

SD4741

河川跡

46D・E・F・G、45F・G区

平面図

南北大路跡 

南4道路跡

東1道路跡

東1南4区

東1南5区

西1南4区

西1南5区

東2南5区

東3南5区

【46D区(973.6㎡)】

交差点、南北大路跡、南4道路跡

建物跡1棟(規模不明)、柱列跡2条、井戸跡1基など検出

【46F区(287.6㎡)】

東1道路跡、建物跡3棟(3×2間1棟、2×2間1棟、

規模不明1棟)、柱列跡2条など検出

【46G区(217.3㎡)】

建物跡1棟(1×1間)、河川跡など検出

【46E区(93.8㎡)】

建物跡4棟(3×2間1棟、規模不明3棟)など検出

050

100m

【45F区(142.8㎡)】

河川跡など検出

【45G区(565.9㎡)】

交差点、東2道路跡、南5道路跡など検出

縮尺1/1,000

東2道路跡

南5道路跡

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現代溝

黒褐

色シ

ルト

SD4603

SD4610

SB4604

SD4601

SD4600

SD4602

SB4605~46086

SI4615

P

SB4614

SB4623

46A区

46B区

46C区

46D区

46E区

SE4681井戸跡

SB4683

SD4676

SD4675

SA4686

SA4687

SD4677

SD4678

SB4690~4693

SK4720(撹乱?

SK4718

SD4716

SB4714

SB4716

SD4711

SD4712

河川跡

46A・B・C・D・E・F区平面図

  

縮尺1/1,000

南北大路跡 

南4道路跡

西1道路跡

東1道路跡

東1南4区

東1南5区

西1南4区

西2南4区

西1南5区

東2南5区

【46A区(329.2㎡)】

西1

道路跡、区画溝2条、

建物

跡5棟(3×2間1棟、規模不明4棟)な

ど検出

【46B区(334.3㎡)】

区画

溝1条、建物跡2棟(規模不明)、竪穴住

居跡1軒など検出

【46C区(192.5㎡)】

区画

溝1条、建物跡5棟(3×2間1棟、1×

1間1棟、規模不明3棟)など検出

050

100m

46F区

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SK4777

SK4778(下層)

SK4779

SD4780

P.1

SD4781

黒色土+地山黄色土ブロック

黒褐色土

黒色土+地山黄褐土

P.2

黒褐色土+地山ブロック+焼土少量

P.3

P.4

SD3401

SD3402

SD3403

SK4772

SK4773

SK3471

SK3470

SD4775SK4776

SB4774

SB4782

49区(調査中)

48区

48・49区と隣接区の平面図  縮尺1/1,000

0 50 100m

南北大路跡

南北大路跡

南7道路跡

南5道路跡

南6道路跡

西1道路跡

西1南8区

西2南7区

西1南7区

東1南7区

西1南6区西2南6区

東1南6区

西1南5区西2南5区

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46A区 西1道路跡と地割内の区画溝(南から)

47区北半部 南6道路跡(東から)

45B区 東3道路跡、材木塀跡、建物跡(南から)45D区 東3道路跡(南から)

45A区 南6道路跡と区画溝(南から)

45G区 東2道路跡(西から)

46D区 南4道路跡(手前)と南北大路との交差点(東から)

古代の道路跡、区画溝

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45D区 SB4406建物跡(南から)

45D区 SB4413建物跡(南から) 46D区 SB4683建物跡(南から)

45D区 SB4403建物跡(東から)

45D区 SI4417竪穴住居跡(南東から)

45A区 SE4442井戸跡(8世紀中頃) 46D区 平安時代の井戸跡(南から)

46B区 外周溝の巡る奈良時代の竪穴住居跡(南から)  

古代の建物跡、竪穴住居跡、井戸跡9

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0 5 10m縮尺1/400

45A区 石器第1・2集中地点と出土石器

第1集中地点

第2集中地点

位置記録石器:1944点

位置記録石器:1700点

深掘トレンチ

4000点余りの石器の内訳

石鏃、ヘラ状石器、スクレイパー、ラウンド・スクレイパーなど二次加工の施された少数の石器の他、多量の剥片、チップがある。石材は黒曜石を主体とし、頁岩がそれに次ぐ。土器は出土していないが、石鏃やヘラ状石器が含まれることから、縄文時代の石器製作趾とみられる。

石鏃

石鏃

石鏃

石器第2集中地点の石器出土状況(西から)

石器第1集中地点の石器出土状況(南から)

石器第1・2集中地点の調査状況(北から)

異形石器(石鏃or石錐)

ヘラ状石器ラウンドスクレイパー 

10

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47区北半部 古墳時代(南小泉式期)のSI4515竪穴住居跡(西から)

古墳時代中期(南小泉式期)の竪穴住居跡

47区南半部 古墳時代(南小泉式期)のSI4543竪穴住居跡(西から)

左写真の竪穴住居跡 カマドの遺物出土状況(西から)

上左写真の竪穴住居跡の遺物出土状況

左写真のSI4543竪穴住居跡の遺物出土状況

上左写真の竪穴住居跡の遺物出土状況

同上 同上

11

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かんが

とうす

ぞうえき

かんし�く

どこう

むつ 

こくふ

おおおと

こおと

も�かん

き�うはん

壇の越遺跡第一号木簡

【釈 

文】

【内 

容】

【形 

状】

□升一升大弟又□三升子弟□□□□□

□□

(給カ)

「大弟」(人名)に一升、「子弟」(人名)に三升を給付したことなどを記している。給付した品名は不明だが、米などが考えられる。官職名を記さず、

姓を省略していることから、雑役等に使役された農民などかもしれない。陸奥国府多賀城跡と密接に関連する東山官衙遺跡とその周辺で行われていた行政

実務の一端を示すものとして重要な意義がある。

本来の形状は不明で、上端、右側辺上部から下端、左側辺を刀子(小刀)で切り取っている。

【出土地区・遺構】

49区のSK4806土壙の底面から出土。

【年 

代】

共伴する土器が9世紀前半頃のものであることから、この頃に廃棄されたものとみられる。

(実大)

12