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1 黙示録の学び ●神様が私たちに「ヨハネの黙示録」を与えられたのは、私たちをその理解のゆえに困らせるためではあ りません。1 章 1 節に書かれてある通り、 「イエス・キリストの黙示として、すぐに起こるはずの事をそ のしもべたちに(私たちに)示すために」与えられたものです。その内容の理解に苦しませるためでも、 どのように生きるべきかが分からないようにするためでもなく、「そこに書かれていることを心に留める 人々に」幸いを与えるための書物です(1 章 3 節)。 黙示録は、読む人や聞く人、心に留める人を恵んでくださるために与えられました。しかし、どうして 私たちは黙示録を接する時に難しさを感じることでしょうか。一番大きな原因は、読む私たちの罪深さで す。黙示録を読む度に、罪によって制限された私たちの知恵の限度を教えるものはないと思います。また、 他の聖書の書物と比べて難解さを増す要因もいくつかがあります。 たとえば、構造とジャンル(黙示文学)、象徴の意味と時などが簡単に理解できない面があります。特 に、黙示文学の特徴である象徴や千年王国の概念に対する解釈も様々です。象徴の理解も難しいですが、 その解釈も様々ですので難しさを増しています。しかし、私たちは黙示録が難しい書物だと言っても、神 様が黙示録を通して私たちに恵もうとすることを忘れてはいけません。「読み、聞き、心に留める者が幸 いである」という言葉の故に、私たちは黙示録を大切にし、その理解を深めていかなければなりません。

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Page 1: 黙示録の学びinagibch.holy.jp/data/revelation.pdf13章(666) サタンの三頭体制(竜と海の獣と地の獣)と獣の数字666が書いてあります。 14章 神様に属する聖徒14万4千人の勝利と獣と追従者の滅亡に対する幻です。

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黙示録の学び

●神様が私たちに「ヨハネの黙示録」を与えられたのは、私たちをその理解のゆえに困らせるためではあ

りません。1 章 1 節に書かれてある通り、「イエス・キリストの黙示として、すぐに起こるはずの事をそ

のしもべたちに(私たちに)示すために」与えられたものです。その内容の理解に苦しませるためでも、

どのように生きるべきかが分からないようにするためでもなく、「そこに書かれていることを心に留める

人々に」幸いを与えるための書物です(1 章 3 節)。

黙示録は、読む人や聞く人、心に留める人を恵んでくださるために与えられました。しかし、どうして

私たちは黙示録を接する時に難しさを感じることでしょうか。一番大きな原因は、読む私たちの罪深さで

す。黙示録を読む度に、罪によって制限された私たちの知恵の限度を教えるものはないと思います。また、

他の聖書の書物と比べて難解さを増す要因もいくつかがあります。

たとえば、構造とジャンル(黙示文学)、象徴の意味と時などが簡単に理解できない面があります。特

に、黙示文学の特徴である象徴や千年王国の概念に対する解釈も様々です。象徴の理解も難しいですが、

その解釈も様々ですので難しさを増しています。しかし、私たちは黙示録が難しい書物だと言っても、神

様が黙示録を通して私たちに恵もうとすることを忘れてはいけません。「読み、聞き、心に留める者が幸

いである」という言葉の故に、私たちは黙示録を大切にし、その理解を深めていかなければなりません。

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黙示録の理解を深めていくために、まず、黙示録の内容を理解する必要があります。私たちの教会

では、主日午後集会において黙示録の内容を学ぶことができました(2-3 章は主日礼拝の説教)。内容

の熟知によって自然に黙示録の構造の理解が可能となります。しかし、構造や内容を理解しても解釈

の難しさは残りますので、解釈については慎重に考える必要があります。特に、千年王国や数字の理

解などの解釈はそうです。それで、いくつかの解釈の必要な部分は別に取り扱うようにしました。ま

た、聖書を読む時に求められることですが、ヨハネの黙示録が今を生きる私たちに恵んでくださる書

物だという観点からも考えながら、その理解を深めなければなりません。

最後に、この「黙示録の学び」が読者の黙示録の内容の熟知と理解を深めるため、少しでも役に立つ

ものになることを祈ります。

2004 年 10 月 稲城聖書教会 牧師 金 俊起

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●ヨハネの黙示録の概略

簡単にまとめると、人の子(1 章)-七つの教会(2-3 章)-御座(4-5 章)-七つの封印(6-8 章)-七つの

雷(10 章)、2人の証人(11 章)-七つのラッパ(8-9 章、11 章)-竜と女(12-14 章)-七つの鉢(15-16

章)-大淫婦、バビロン(17-18 章)-子羊の婚宴と審判(19 章)-千年王国、白い御座の審判、新天新地

(20-22 章)という概略です。

各章別の概略です。

1 章

(序文)

黙示録が「イエス・キリストの黙示」だと宣言します。特に 9-20 節で、ヨハネが人

の子のような方であるイエス・キリストの幻を見ることで黙示録がイエス様の黙示で

あることを明確にします。

2-3 章

(受信者)

アジアの七つの教会(エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデ

ルフィヤ、ラオデキヤ)を黙示録の受信者とし、各々の教会の現状と教訓とを示して

います。

4 章(御座) 天の御座の姿が描写されています。

5 章(子羊) 御座から出た七つの封印を解く子羊イエス・キリストを賛美しています。

6 章(封印) 解かれた第 1 から 6 までの封印の内容として災いが書いてあります。

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7 章

(14 万 4 千人)

6:17 の「御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」という言葉

の答えとして、14 万 4 千人の救われるすべての聖徒を語っています。彼らは、「小羊

の血で衣を洗って白くなった」(14 節)者です。

8 章

(聖徒の祈り)

第七の封印が解かれます。しかし、その合間に「すべての聖徒の祈り」が神様の御前

に捧げられています(3-5 節)。七つの封印が解かれると、七つのラッパの災いが始

まります。8 章では第 4 のラッパの災いまで書かれています。

9 章(ラッパ) 第 5 と第 6 のラッパの内容が書かれています。

10-11 章

(新しい使命)

第 6 と第 7 のラッパの合間の内容として、第 7 のラッパの審判の災いを通して神様

の御言葉が成就されることを語ることで、聖徒たちを励ましています。特に、ヨハネ

に「小さな巻き物を取って食べさせる」ことで、神様の救いの完成を伝える新しい使

命が与えられます。「あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたの

しもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名

を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時で

す。」

12 章 サタンと女との敵対関係が描写されています。

13 章(666) サタンの三頭体制(竜と海の獣と地の獣)と獣の数字 666 が書いてあります。

14 章 神様に属する聖徒 14 万 4 千人の勝利と獣と追従者の滅亡に対する幻です。

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15 章

第七のラッパの序論として必ず聖徒たちが御座の前に立つことと、この世に最後の審

判が下ることを明記しています

16 章(鉢) 第七のラッパの災いとして七つの金の鉢が書かれています。

17-18 章

(バビロン審判)

最終的な神様の審判が行なわれることで、聖徒の迫害が増していく姿が書かれていま

す。バビロンの審判を語ることで、最後が近づいていることを明記します。

19 章(完成) 審判と救いの完成を示し、ハレルヤと叫ぶようにします。

20 章

(千年王国)

千年王国と、大きな白い御座の前での審判が書かれています。白い御座の審判は人類

の最後の審判のことです。

21-22 章

「・・・聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、

神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。」このようなすばらしい世界が私たち

を待っています。22 章 6-22 節は黙示録をまとめています。すばらしい未来の故に

現実に刺激を与え、生きることを勧めています。主は「しかり。わたしはすぐに来る。」

と語り、ヨハネは「アーメン。主イエスよ、来てください。」と告白することで終わっ

ています。

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黙示録 1 章

●黙示という言葉は覆いを取り払うという意味で、啓示とも訳されます(ローマ 16:15)。つまり、黙示録

でいろんな象徴的な言葉が用いられたのは、「隠して覆う」ためではなく、「分からせる」ためであります。

●黙示は、「神がキリストに与えられたもの」(1 節)ですが、「イエス・キリストの黙示」であると語って

います。「神の黙示」とは言わずに「イエス・キリストの黙示」と語ったことで、イエス・キリストが強

調されたことになります。このようなことは黙示録の中で多く見られるものです。4 節では三位一体の神

様が語られますが、頌栄の対象はイエス様だけです(5-6 節)。2-3 章でもイエス様がアジアの教会に語っ

ています。5 章の封印を解くことができるのもイエス様だけです。19 章の婚宴もイエス様のものです。

20 章の千年王国はイエス様と共に千年の間王となるところです。このように粗筋ではありますが、黙示

録はイエス・キリストが中心になっていることが分かります。勿論、三位一体の神である父なる神様や聖

霊様についても言及はあります。しかし、イエス・キリストが強調されたことは確かです。どうして黙示

録はイエス・キリストを強調しているでしょうか。それは、贖い主イエス・キリスト(5 節)が御血を持っ

て買い取られた教会(エペソ 5:25-29)のために再び来られ、この世をさばき、救いの完成をもたらせる

ことが黙示録の主題だからです。

●ヨハネにとっては「イエス・キリストの黙示」という言葉自体が多くの励みになった筈です。というの

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は、この世の支配者から教会が激しく迫害を受けていたからです。ヨハネ自身も迫害を受け、パトモスと

いう島に流刑されていました。まるでこの世に教会が負けたかのように思われる時、「わたしはすでに世

に勝ったのです」(ヨハネ 16:33)と宣言されたイエス様を見ることができました(9 節以下)。イエス様を

見ることができたことは、彼にとって大きな慰めと励ましになった筈です。また、黙示録が「しもべたち

に示すため」であったことから、ヨハネだけではなく、アジアの七つの教会、十四万四千人(すべて救わ

れる神の民)の神のしもべたちがこの書を読み、聞き、心に留めて感動すべきだと語ります。このヨハネ

の感動が、アジアの七つの教会の感動が、すべての神の民の感動が、ヨハネの黙示録を読み、聞き、心の

留める私たちにも広がる筈です。

●「すぐに起こるはずの事」は、黙示録の内容のことです。最後の審判や新しい天と地も含まれる内容の

ことで、これらのことがすぐに起こるはずだと語ります。しかし、誰も「すぐに」という言葉が 2000

年、それ以上かかるかもしれない言葉として考える人はいません。すぐに起こるはずのことが 2000 年

に過ぎろうとしても起こりませんでした。それでは、この「すぐに」という言葉をどのように理解すべき

でしょうか。

3 節で「時が近づいているから」と語っています。「時」とは、イエス様の再臨の時のことです。再臨

の「時が近づいているから」、「すぐに起こるはず」だということです。ここで私たちは、主の再臨の時

を思うときに、「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(第 2 ペテロ 3:8)

という言葉を思い出すことができます。つまり、主の初臨と再臨との間は、人間の尺度ではなく、神様の

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物指で測るべきだということです。初代教会は、イエス・キリストが天に昇られた後からを「終わりの日」

(使徒 2:17)だと語りました。イエス様も「主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないよう

にしなさい。」(マルコ 13:16)と警告され、再臨が近接したものとして語りました。ですから、「すぐに」

という言葉は、時間の概念ではなく、主の再臨が近づいた、接近したことを意味します。また、イエス様

は必ず来られるという意味で理解することができます。

●イエス・キリストの幻(9-20 節):「人の子のような方」

ヨハネは流刑され、苦しんでいますが、そのたましいは聖霊によってイエス・キリストの幻を見ること

ができました。まず、ヨハネは後ろからラッパの音のような大きな声を聞きます。大きな声は、聞こえて

くる言葉の重要性と威厳を表します。同時に、絶対的な傾聴、服従が要求されることを表します。それは、

「見ることを巻き物にしるして、七つの教会に送る」ことです。見ることとは、黙示録の全体の内容です

(1:19 参照)。巻物に書き記すようにしたのは、黙示録の内容を保存し、回覧させるためです。

ヨハネが後ろに振り向くと、ヨハネの目には七つの星と七つの金の燭台が見えました。そして、燭台の

真中には人の子のような方が見えました。「人の子のような方」とは、65 年前にイエス様がご自身を指し

てヨハネに語った言葉です(マルコ 13:26)。

ヨハネが見たイエス様の着衣と容姿は、

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①「足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた」(着衣):大祭司長、王の王としての衣のような姿です。

②「頭と髪の毛は羊毛のように、雪のように白く、目は、燃える炎のようであり、足は、炉で精練されて

光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水の音のようであった。右手に七つの星を持ち、口からは鋭

い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」(容姿):イエス様の神性を表す表現

です。ダニエル書の預言を思い出させる個所で、ダニエルは神様を表しました(7:9、10:6)。

イエス様の着衣と容姿は、部分的な姿の理解ではなく、全体的な姿としての理解すべきです。天に昇ら

れたイエス様が王の王であり、まことの神様であったことを見せるためにヨハネに現れたからです。それ

で、ヨハネは「人の子のような方」を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになりました。死者のよ

うになったという言葉は、神様の栄光に圧倒されたことへの反応です(マタイ 17:6)。まことの神様であ

るイエス様の前で、‘私はここにいます’と言える人はいません。ローマの皇帝であってもイエス様の前

では死者のように倒れるしかありません。

パトモスで出会ったイエス様はご自身の右手をヨハネの上に置き、「恐れるな。わたしは、最初であり、

最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデス

とのかぎを持っている。」と語ります。ヨハネの上に置いたイエス様の右手は、ヨハネを守り、導き、支

えていることを表します。つまり、イエス様がヨハネに現れたのは、ローマ皇帝の命令を拒み、福音を伝

えたことでパトモスに監禁されているヨハネを慰め、励ますためです。

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ヨハネと共にいたイエス様は、ご自身の身分を明らかにしました。「最初であり、最後である」という

言葉は、永遠に生きておられる神様であることを意味します。

「死んだが…生きている…死とハデスとの鍵を持っている」という言葉は、イエス様ご自身が十字架で

の死をもって死を征服したことで、聖徒の死が最後ではないことを明らかにしています。死とハデスは区

別しにくい言葉ですが、死は死んだ状態を、ハデスは死んだ後いく場所の概念で理解できます。この個所

は、「生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがない」(ヨハネ 11:26)という言葉を確証させま

す。永遠に生きて、死とハデスの鍵を持っておられるイエス様でありますので、イエス様に属する聖徒に

身体の死や苦痛があってもそれは一時的なものに過ぎないことを信じさせます。

また、イエス様はご自身の御血を持って買い取った教会を愛し、支え、守られています(20 節)。イエ

ス様がこの地上において苦しまれたので、教会や聖徒の試練や苦しみを知っておられ、同情し(ヘブル

4:15)、親密な関心を示しておられます。このことも黙示録の意義の一つです。

ヨハネは使命を受けます。「あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。」ということ

ですが、この個所は黙示録全体の内容を区別する鍵としても引用されます。見た事とはヨハネが見ている

イエス様のことで(1 章)、今ある事とはアジアの七つの教会の姿(2-3 章)、この後のことは 6 章以後のこ

ととなります。

最後に、ヨハネは自分自身を「私は、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難

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と御国と忍耐とにあずかっている者」だと紹介しています(9 節)。権威的な使徒、長老という言葉を使わ

ずに「兄弟」として自分を表現し、あずかる(共にする、交わり、コイノニア)という言葉で艱難と苦しみ

を共にする者だと紹介しています。このことは、私たちクリスチャンも「イエスにある苦難と御国と忍耐

とを共にする者」だと教えることです。本文では、「苦難―御国―忍耐」が一つの定冠詞につながってい

るので、三つの概念が一つにつながっていることを暗示します。ここでの御国は完成されていないものな

ので、御国が完成されるまでには苦難があることと、忍耐を持って御国を待たなければならないことが私

たちにとって必然的であると教えます。「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫

害を受けます。」(第 2 テモテ 3:12)

主イエスにあって受ける苦難と忍耐にあずかること(共にすること)は、すべての聖徒が全うすべき使

命でもあります。忍耐は、苦難を王的威厳に変える霊的な錬金術のようなものです。今の御国の故の苦難

にあずかる者を、忍耐は、将来の御国の市民とする錬金術のようなものです。ですから、私たちはどんな

試練や迫害をも耐えることができるのです。

●黙示録 2-3 章は、主日礼拝で説教したものをまとめました。

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黙示録 2 章

●黙示録 2:1―7、エペソ教会

●黙示録のエペソ教会は、「初めの愛から離れてしまった教会」、それで「燭台が移されてしまった教会」

という悪いイメージがあります。しかし、エペソ教会は今で言えば立派な教会でした。エペソ教会は、「行

ないが伴わなければ、信仰だけでは死んだものだ」(ヤコブ書 2:17)という説教が要らなかった教会です。

聖書の言葉が教えることを行いました。また、その行ないには汗を流す労苦が伴うものでした。労苦とは、

坂を上るリヤカーを後ろから押す行為、つまり体全体を使って押す行為を表す言葉(原語の意味)です。

それに忍耐も持っていました。忍耐とは、自分の都合が良い時だけではなく、状況の厳しい環境や迫害の

中でも辛抱して行ったことを意味します。それも自分たちの野望のための忍耐ではなく、キリストの名の

故の忍耐、つまりキリストのための忍耐でありました(3 節参照)。キリストのための熱心さがあり、実

践があり、忍耐がある教会です。

また、異端を暴き、正しい教理を守っていた教会でもあります。今日、少なくない教会がイエス・キリ

ストやキリスト教の救いの唯一性を諦め、他宗教との協力や和解のためであると言いながら宗教多元主義

を受け入れています。しかしエペソ教会は、「・・・私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり

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込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲が

ったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。ですから、目を

さましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たこ

とを、思い出してください。」(使徒の働き 20:29-31)と語った使徒パウロの言葉を忠実に守りました。

正統な教理を保っていた教会であります。正統な行ないと正統な教理を持つ教会、日本にこのような教会

がどれほどあるでしょうか。一般的に正統な教理を保つ教会は、頭と口は大きいですが、手足は麻痺した

か、弱いと言われています。正統な行ないを強調する教会は、手足は丈夫ですが、人本主義で溢れている

状態です。

●エペソ教会が正統な行ないと教理とを兼備した教会であったにもかかわらず、「初めの愛から離れてし

まった教会」であるという評価を受けました。このような評価は、実は使徒ヨハネにとって大きな衝撃で

あったと思われます。というのは、愛の使徒と呼ばれたヨハネが、愛を語り、実践し、牧会したのがエペ

ソ教会であったからです。愛が強調されてきた教会に愛がないということです。「初めの愛」とは何でし

ょう。原文での愛は「行ない」で、5 節でキリストも「初めの行ないをしなさい」と語っています。「初

めの愛(行ない)」に関する答えは、エペソ教会の創立当時を考えることで知ることができます。

パウロが宣教活動の中で一番長く滞在したのがエペソ地方です。彼はエペソで約 3 年間を滞在しながら

福音を伝えました(使徒の働き 19:1-、20:31)。その後、エペソ教会にはテモテが牧会をし(第 1 テモ

テ 1:3)、おそらく何年が経たない時(AD66 年頃)から迫害の故に、パトモスという島に送られる前(黙

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示録 1:9)まで使徒ヨハネが牧会をしていました。エペソ教会が初代の教会の中でも大切であったことは、

新約聖書の中で 8 冊(ヨハネ福音、エペソ書、第 1 と第 2 テモテ書、第 1 と第 2 と第 3 のヨハネ、黙

示録)の受信者がエペソ教会であったことからも分かります。

使徒の働き 19:1-20 では、AD53 年頃のエペソ教会の初期の姿が描かれています。使徒パウロは「毎

日ツラノの講堂で論じた」。つまり、2 年間毎日聖書講座を開いたと語っています。ある写本によると、

毎日 11 時から 4 時まで聖書講座を開いたと記録しています。お昼を除けば 4 時間の講座が開かれたこ

とになります。その結果、「アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた」(9-

10 節)と語ります。本当に御言葉を求め、学んだ教会でした。それに 20:17-35 を見ると、「・・・みなの

者とともに祈った。みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし」(34-35 節)と語っ

ていて、二度とパウロの顔を見ることができないことで祈りと共に泣く人情にも溢れていた豊かな感性の

教会でした。御言葉を求めると同時に、祈りと交わりに専念していた教会だともいえます。

このような教会が約 40 年を過ぎた時にはこれらのことが形だけ残ってしまった教会になったというこ

とです。形式的な教会、礼拝と聖書の学びがあっても、祈りと交わりがあっても形だけの教会であったと

いうことです。火のないストーブ、ストーブには正統な教理と行ないはありましたが、その中には火がな

かったということです。殉教に向かうほどの行ないと正統な教理を守る頭はありましたが、その中にはハ

ートがなかったということです。

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●「あなたには非難すべきことがある。・・・どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないを

しなさい。・・・燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」初めの愛を回復するための処置は、三

つでした。①思いだすこと、②悔い改めること、③行いなさいということです(三つとも命令形の文章で

す)。

① 思い出しなさい:止まずに何が原因であるかを追求しなさいという意味で、最初にキリストを信じた

ことで、救いを得たことでの喜びと感激を思い出すようにします。

② 悔い改めなさい:断行たる姿勢で、明確に立ち返ることを要求する言葉です。悔い改めとは、路を走

る車が躊躇せずに次のインターチェンジで降りて、正しい道路を走るようにすることと同じです。涙

を流しても方向を変えないのが悔い改めではありません。

③ 行いなさい:直ちに行いなさいという意味の言葉です。御言葉に対する熱情、熱い祈りと交わりなど

の初めの行ないを直ちに行うようにということです。

ストーブだけを持つ教会ではなく、燃える火を持つ教会、私たちに求められている教会像です。

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●黙示録 2:8-11、迫害される教会スミルナ教会

●イエス様は、黙示録の「アジヤにある 7 つの教会」に各々の特別な必要に応じて現われ、語られまし

た(黙示録 1:13-16)。本文のスミルナ教会は激しい迫害を受けていた教会です。ですから、イエス様

はご自身の苦難、死、復活を彼らに思い起させています(2:8)。スミルナという言葉は苦い、没薬という

意味です。ある人は、圧しかかる迫害から放つキリストの香りとしてスミルナという言葉を理解します。

没薬はイエス・キリストの誕生と死に係わりをもったものでもあります。キリスト教会の歴史は、いつの

時代であれ迫害される時には純粋なキリストの香りを放ってきました。スミルナという言葉のように。

●スミルナは、エーゲ海に面したアジヤ州の海港都市で、現在はイズミル(Izmir)と呼ばれています。

ヘルムス川流域を通り東方奥地を結ぶ通商路の起点としての地の利を得ていて、また周辺の地帯が地味豊

かであったこともスミルナの繁栄につながって、小アジヤでの最も重要な、また美しい商業都市の一つと

なっていました。スミルナ教会がいつ頃どのようにして始まったかについて、聖書は何も記していません。

他の商業都市でもそうであったように、この教会はユダヤ人たちの激しい迫害に苦しんでいました。

このスミルナ教会には一言の叱責の言葉がありません。苦しみと貧しい状況であったにもかかわらず信

仰を守り貫いていたからです。それでイエス様は、彼らは本当に富んでいると誉めています。パウロも「い

つまでも残る財産」(ヘブル 10:34-35)という言葉で、どんな状況でも信仰を投げ捨てない人には大き

な報いが保証されていると教えます。迫害の状況に置かれた教会に、更に迫害があることを教えています。

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同時に「恐れてはいけない」と語ることで、迫害を覚悟すると同時に、迫害の故に必要なことを教えます。

「サタンの会衆」(9 節)とは、自称「神の会衆」だと思ってきたユダヤ人のことです。彼らはキリスト

者に対して敵対心を持ち、キリスト者に迫害を与えました(ピリピ 3:2)。イエス様は、信仰者に与えられ

る迫害の背後にはサタン(悪魔)がいることを明らかにします。宗教の名によって行なわれることもそうで

す(第 2 コリント 4:4)。しかしイエス様は、迫害はキリスト者を試すためであり、いつの時代であれ

迫害の期間は定められたものであると教えます。つまり、信仰者に忍耐する勇気を与えて下さいました。

①迫害は、信仰者を試みられるもの:神様はサタンが信仰者を苦しめたり、試みられたりしても、それが

信仰者にためになると教えます。できれば試練や迫害は来ないでほしいと思うのが私たちでありますが、

それらのものを神様は私たちに有益なものとしてくださいます(ヤコブ 1:2-3、第 1 ペテロ 1:6-7)。

②十日の間苦しみを受ける:10 日間を初代教会に 10 回にわたる迫害があることを意味すると理解した

りします。あるいは、10 日間を長い期間として理解する人もいます。しかし、10 日間を短く、制限さ

れた期間として理解することもできます。10 日間を、11 日目には終わっている筈の期間、つまり、終

わりがないかのように思われる迫害や試練が必ず終わるということを確信させる言葉だということです。

③「サタンの会衆」:信仰者にとって迫害であれ、試練であれ、その背後にはサタンが存在していて、私

たちの戦いが血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるも

ろもろの悪霊に対するものであることを教えます(エペソ 6:10-)。それで、ペテロは「堅く信仰に立っ

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て、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみ

を通って来たのです。」(第 1 ペテロ 5:9)と教えています。

●サタンは「尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」(第 1 ペテロ 5:8)が、キリスト者は

「第 2 の死」を恐れる必要がありません。「いのちの冠」が用意されているからです。試練や迫害の中で

私たちに求められていることは、「忠誠」です。

「忠誠」という言葉は信頼できる、信頼するという意味ですが、漢字の意味からもっと教えられます。

つまり、心の中心に言葉が成し遂げられることが「忠誠」だからです。心から上に方に誓われたことを守

る、それがどんなに苦しくても、大変でも代わらずに行うことが忠誠です。また、イエス様は忠誠する期

間を要求することではなく、忠誠の質を求めます。そのことを示す例があります。

スミルナ教会の主教ポリュカルポスは、紀元 156 年頃ローマ総督の命令を拒否して信仰告白をしたた

め、スミルナの 12 人目の殉教者として火刑に処せられました。彼の残したいくつかの言葉があります。

「私は 86 年間、主イエスを信じてきました。その方は 86 年間、一度も私に悪いことをなさいませんで

した。」、「あなたは私が何をして、何を信じているものかを知っています。それを知らないぶりをして

も意味がありません。私はキリスト者です。」、「あなたは一時間も燃えない火をもって私を脅かしてい

ますが、悪者のために設けられている永遠の火をあなたは知りませんか。早くあなた方がやりたいことを

やりなさい。」などの言葉は、忠誠が何かをよく示します。

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●黙示録 2:12-17、主の名を堅く保つ教会ペルガモ教会

●本文はペルガモ教会に関する個所です。ペルガモは、内陸の町であるため商業上の要所ではありませ

んでしたが、大きな図書館があり、特に20万巻にも上る羊皮紙の文書のあることで有名です(羊皮紙

の発明地)。町は都市計画に従って建てられ、人工台地の最上部のアクロポリスには劇場や宮殿などと

共に、ゼウスの大祭壇、アテナの神殿があり、町の外には医学の神アスクレピオスの神殿がありました。

また、ローマ時代にはローマとアウグストゥスの神殿やトラヤヌスの神殿、カラカラの神殿が建てられ

てペルガモはアジヤ州において偶像崇拝と共に皇帝崇拝の中心地となりました。エペソのような貿易の

中心地ではありませんでしたが、ペルガモにはローマの行政官庁があって、エペソをアメリカのニュー

ヨークのような町で、ペルガモはワシントンのような町だという人もいます。

●ペルガモ教会は、偶像崇拝や皇帝崇拝の中心地で迫害を受けていました。皇帝が主であると告白させ

る皇帝崇拝とイエスが主であると信じ、告白している人々との衝突は避けられないものです。しかし、

ペルガモ教会はイエスの名を堅く保っていました。堅く保つという言葉は、しっかり持っていた(2:25、

3:11)という意味で、強要される偶像崇拝の中でも主に対する信仰を捨てなかったことを表します。『わ

たしの忠実な証人』(原文では、わたしの忠実な、わたしの証人と書いてあって、主が認める真実な人

という意味で理解できる)としてのアンテパスは、主に対する信仰の故に殉教されました。迫害の爆弾

が落とされたら逃げることが当然である筈ですが、ペルガモ教会は皇帝が主ではなく、イエス・キリス

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トが主であるという信仰を堅く保ち、それによって殉教者まで生みました。

イエスの名によって冠(crown)を得ようとする人は多くいますが、イエスの名によって十字架(cross)

を背負うとする人は少ないです。今の時代も、ペルガモの教会のようにイエスの名によって十字架を背

負う人々が求められます。イエスに対する信頼、動かぬ志、そして誠実が求められる時代だからです。

●殉教者を生んだペルガモ教会は、外側の迫害には勝ちましたが、残念ながら内側の誘惑には負けていま

した。ニコライ派と呼ばれるバラムの教えを奉じる群れがいたからです。預言者バラムはモアブの女性を

使ってイスラエルの民が偶像崇拝に走るようにした人です(民数記 31:15-、第 2 ペテロ 2:15)。神様よ

りもこの世のものをもっと愛し、愛させることが偶像崇拝の本質です。おそらくペルガモには異教徒の儀

式の中に人間の欲望を満たす淫らな行為(ritual prostitution)もあったと思われます。生活の中でそのよ

うな儀式に妥協し、加わった人々もいたということです。当時の慣用、慣行のことを受け入れた、つまり、

キリスト教信仰の中にギリシヤとローマの文化、土俗信仰を受け入れ、調和を計ろうとした群れのことで

す。文化・社会的な悪い影響をキリスト教会が妥協して受け入れたことを意味します(参照、第 1 ペテロ

4:2-5)。

エペソ教会との比較はペルガモ教会の過ちを明確にします。「あなたはニコライ派の人々の行ないを憎

んでいる。わたしもそれを憎んでいる。」(6 節)という言葉はエペソ教会に対するものです。しかし、ペル

ガモ教会には「あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。」(15節)と言われました。

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つまり、エペソ教会は正しい教理を持ち、異端を暴露して厳しく区別していますが、初めの愛から離れて

いました。それに対してペルガモ教会は愛の名で異端ニコライ派を受け入れる罪を犯したということです。

エペソ教会は真理の名の故に愛を失われましたが、ペルガモ教会は愛の名の故に真理を失い、異端に対し

て寛容でありました。‘大切なものは教理ではなく、愛である。どんな人に対しても寛容であるように。’

―これがペルガモ教会の一段面であったかもしれません。真理から離れたこの世を愛することは、教会が

この世の一部になったことを意味します。

●主は、ニコライ派の教えに従う者たちに、「悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐに

あなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。」(16 節)と語られました。来るという言

葉は、再臨ではなく、罰するということです。しかし、主の教えに従う者には報いを約束されます。①「隠

れたマナを与える」ことと、②「新しい名が書かれている白い石を与える」ことです。ニコライ派の影響

で偶像崇拝をし、その祭壇のものを食べない人には、「永遠に生きるパン」(ヨハネ 6:51)であられるイエ

スご自身が与えられるということです。主との交わりが更に深められ、主によって生きる者とされます。

また、白い石は当時の宴会に入られるチケットとして用いられたことから、「新しい名が書かれている白

い石」が与えられることは、メシヤの宴会に入られる者としての約束であると確信することができます。

教会に与えられた真理と愛とを保つ教会でありますように、共に祈っていきたいと思います。

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●黙示録 2:18-29、テアテラ教会

●テアテラにある教会は、ピリピに住んでいた「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女」

(使徒 16:14)が帰郷して設立した可能性があります。アテラ出土のギリシヤ語碑文によれば、テアテラ

は諸種のギルド(同業組合)があり、亜麻布、銅細工、皮革加工、染色、羊毛の紡織などの業者が組合を

形成していました。テアテラは、「アジヤにある 7 つの教会」がある都市の中で最も小さい町ですが、

この町の教会にあてられた手紙は最も長いメッセージが語られました。

●テアテラの教会には、イエス様が「燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、

神の子」として紹介されています。イエス様が姿は、テアテラの教会がイエス様を信じる信仰から離れた

ことと、その結果、教会が「人の思いと心を探る」イエス様にさばかれることを暗示するためです。

テアテラの教会は、「愛―信仰―奉仕―忍耐」がある教会でした。キリスト者の生活にとって最も基本

的なものである愛と信仰(これらのことは行ないの特徴であり、動機でもあります)と、その結果として

の奉仕と忍耐がある教会として誉められます。キリスト者の生活の行ないは、自慢と認められたいという

思いが動機になることもあり、奉仕と忍耐ではない行ないもありますが、テアテラの教会はこれらのこと

が初めの時よりもまさった行ないをしていたと誉められました。愛と信仰により奉仕と忍耐をした教会の

姿は、いつの時代であれ教会に求められている姿です。

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●しかし、テアテラの教会には非難すべきところもありました。それは、自称預言者だというイゼベルを

なすがままにしていることです。イゼベルがどんな人であるかは明確ではありませんが、旧約聖書ではそ

の名がバアルの信奉者として知られています。彼女は、多くの主の預言者たちを迫害して殺しました(Ⅰ

列18:19)。カルメル山で主が栄光を表され、バアルのむなしさを明らかにした時にもイゼベルのバア

ルへの熱心は変わりませんでした。まさに、この名は背教のシンボルとも考えられます。エペソやペルガ

モの教会が直面していたバラムの教え(ニコライ派)がイゼベルを通して教会に入ったと思われます。彼

女は「主のしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行なわせ、偶像の神にささげた物を食べさせて」い

ました。多分、人々に神様の代弁者として現れ、神託として不品行や偶像のものを食べてもよいと語った

かもしれません。テアテラにギルドが多くあったことからも考えられることがあります。今も多くの会社

には神棚があり、新年など何かがあると神棚の前で手を合せなければなりません。ギルドの中も同じで、

偶像崇拝への圧力や葛藤は相当なものであったと思われます。つまり、社会の要求に応じて生活すべきか

どうか、という問題を抱えていたということです。

教会にさえ出席すれば、この世での生活はどうでも構わない、寧ろこの世の人々を得るためにはこの世

の人々と同じレベルで生活しなければならない、と教えたかもしれません。IQというゲームがありますが、

クルクル回る崖ぶちで生き残るゲームです。信仰は心にあれば良し、生活はこの世の感覚でという考えは、

この世の崖ぶちに落ちずにどこまで行けるかというIQゲームのような発想です。教会の雰囲気は明るくな

りましたが、敬虔はない、この世とは近くなりましたが、神からは遠く離れてしまった教会になってしま

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いました。このようなキリスト者に、神は、「わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようにな

る。また、わたしは、あなたがたの行ないに応じてひとりひとりに報いよう。」と語り、悔い改めるよう

に命じられました。

●「イゼベルの教えを受け入れず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていない」(24節)の言葉

の意味を深めていきたいと思います。「サタンの深いところ」とは、異端や偶像崇拝者たちが自分たちの

神秘的な知識、体験を語り自慢していたことです。2世紀以後、活発な活動をしていたグノシスGnostics)

派の人々もよく自分たちの知識を「深い」と語り、多くのキリスト者を惑わしました。主は、「イゼベル

の教えを受け入れず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていない」人に、「ほかの重荷を負わせ

ない。」と語りましたが、「ほかの重荷」とは、使徒の働き15章28-29節をもって理解すべきです。「聖

霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めま

した。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのこと

を注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」

●イゼベルのような誘惑、この世に属する者としてこの世の人々が行うことを受け入れても構わない、こ

の世の人々を得るためには寧ろこの世の人々と同じ行動をすべきだということは、いつも時代であれあり

ました。戦前、日本の教会には天皇制の下での状況がそうであり、今はキリスト者の生活がこの世の人々

と区別できないこともそうです。「神かこの世か」を選ぶ時がそうです。しかし、主は「心と思いを探る

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方」で、それによって私たちをさばくと教えます。

黙示録には神様の審判の基準が書かれています(18:6,20:12,13,22:12)。テアテラの教会を通して、

主は、「神の審判は、それぞれの行ないに応じて報われること」で、その内面の動機までも含まれている

と教えます。私たちを恵んで下さった主は、ご自身に従う者に豊かな報いを与えられます。

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黙示録 3 章

●黙示録 3:1-6、サルデス教会

●黙示録の「アジヤにある 7 つの教会」の 5 番目に記されているサルデスの教会がどのようにして設立

されたかは不明です。聖書には書かれていませんが、使徒パウロがエペソで伝道をしていた時にサルテス

の人々が福音を聞いて設立されたと思われます。

サルデスの町は、切り立った岩壁に囲まれ難攻不落の要塞で、平野より 400m ほど高い位置にありま

した。しかし、難攻不落の都市であっても、前 6 世紀の中頃と前 3 世紀の終り頃に陥落された時があり

ます。それはそびえ立つ断崖の岩の裂け目に足をかけてよじ登った兵士たちによる、防備を怠る傾向の結

果でした。「わたしは盗人のように来る」(3 節)という警告は、安心して防備を怠っていたサルデスの

歴史的背景から実に適切なことばであります。

●サルデスの教会は、他のアジアの教会と比べて、ユダヤ人などによる迫害や偽預言者の影響を受けてい

なかったと思われます。安定した、平穏な教会であったということです。しかし、「あなたは生きている

とされているが、実は死んでいる。」と言われました。平穏さは共同墓地のような静けさであって、実は

死んでいる人々の集いだということです。ある学者はこの個所を「教会の座席の死」(death in the pew)

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という言葉で表現しました。「死んでいる」という言葉は、肉体の死でも心理的な死でもなく、霊的な死

を表します。

どんな意味での霊的な死であるかは、本文を通して教えられます。1 節の「わたしはあなたの行ないを

知っている」の行ないとは、教会で行なわれていること、つまり今の時代として言えば、礼拝や祈り、救

済や宣教活動などの行ないであります。教会の行ないは知られ、認められていた教会でしたが、その行な

いが死んだものだということです。2 節は、死んだ行ないに対してもっと教えます。「あなたの行ないが、

わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。」がそうです。行ないが欠けていたのではなく、神が受

け入れられるものではないということです。

私たちは、教会の行ないとして礼拝や祈り、賛美、そして救済や奉仕、宣教活動そのすべてを神様が受

け入れるものではなく、自分の考えや判断、意志、思い込みで行おうとする傾向があります。また、どの

教会でもその行ないが完全だと思うようなことはないはずですが、主がこのように言われることは、自分

自身の行ないは完全だと思う思いがあった故であるかもしれません。マタイ福音 6:1 の「人に見せるた

めに人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報い

が受けられません。」のような状態、人に見せる行ないであったかもしれません。私たちは見えるもので

人を評価します。しかし、神様は私たちの「心や思いを探る方」なのです(2:23)。神様を意識せずに行

うこと、それは死んだものなのです。

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●他のアジヤ教会では、多数が問題ではなく、少数が問題でしたが、サルデスの教会では多数が問題でし

た。4 節では「その衣を汚さなかった者が幾人かいる」という言葉で、多くの人々が「衣を汚した」と語

ります。「死んでいる」ことと「汚された衣」が同じであることを示しています。「衣が汚された」とい

う言葉の意味は何でしょうか。サルデスは、紀元前 17 年地震によって崩壊されますが、ティベリウス帝

がこれを再建し、3 世紀間にわたって繁栄を続けます。特に、毛織物や金細工などの商工業が盛んでいて、

ポリス・メガレ(大都市)と呼ばれていました。大都会が抱える問題はいつの時代であれ変わりがありませ

ん。贅沢(luxury)と歪み(laxity)、つまり過消費と道徳的な乱れがそうです。「衣が汚された」とは、教会

の行ないはしていても、この世の生き方とは一線を切る生活は望まない人のことだと言えます。この世に

は当な快楽や満足、追求すべきものがあります。しかし、罪と共に味わうものもあって、サルデスの教会

の大多数は歪んだ生活をしていたと思われます。

●第 1 テモテには「ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神

に願いと祈りをささげていますが、自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者な

のです。」(5:5-6)という言葉が書き記されています。死んだ者、生きている者を比較して教えている個

所で、私たちの生き方までも教えます。それは、「望みを神に置き、絶えず願いと祈りをささげる」こと

です。本文もこう語ります。「目を覚ましなさい」と。目を覚ましてすべきことは「望みを神に置き、絶

えず願いと祈りをささげる」ことです。また、「悔い改め」をしなければなりません。悔い改めは、涙を

流せばよいものではなく、具体的に表し、反れた道から立ち返ることです。痛みや損も伴い、不安や葛藤

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も伴います。しかし、主に望みを置くことで私たちは生かされた者となります。祈りの生活、それは世俗

化を防ぐ大きな力のあるものです。

●3 節は「思い出しなさい」という言葉が書かれています。最初の信仰生活に戻ることです。新約聖書は、

私たちが救われた経験を思い出すことが回復に効き目のあるものとして教えます(参照、ヘブル 3:14、

10:32)。私たちは神様の言葉と恵みとを受け入れ、その通りに生きようとする者であって、完全な者で

も、完璧な者でもありません。しかし、サルデスの教会はサタンによる形式的な教会生活というワクチン

が打たれた教会であったかもしれません。伝染病には免疫のワクチンが要りますが、神様の恵みを受け入

れないようにとするワクチンを、サタンは私たちに打ち、私たちが形式的なクリスチャンであるようにし

ます。恵まれてもそれに答えて生きる真の信仰者にならないようにと、ずっと形式的な教会であるように

します。信仰生活とは、まるで病気にかかるようなものです。イエス様のために気が狂った人であるかの

ような人、そのような人でなければ自分自身もこの世も生かすことができないかもしれません。19 節の

「熱心になって」という言葉のように、愛恋人への思いで熱くなる者でなければなりません。思い出すこ

とはワクチンを越す効力のあるものです。

●「力づけなさい」という言葉にも注目すべきです。「力づけなさい」は、破船された船の板を集め、再

び作るという意味の言葉です。完全に消えたかのように見える消えかけの板でも新鮮な風で炎を出すこと

ができます。事業家は人々が不可能を数える時に可能性を数える人だと言われます。1%の可能性があれ

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ばそれで火をつける人々が事業家です。消えかけている火、消えたかのように見られる火であっても、1

節の「神の七つの御霊」は燃えるようにしてくださいます。つまり、聖霊さまは死んだ教会でも生きてい

る教会にしてくださる方なのです。サルデス教会にもならず私たちの教会も聖霊の力によって生かされて

いる教会であるように求めなければなりません。

●少数ながら「衣を汚さなかった者」もいました。そのような人々に対する約束の言葉、「白い衣を着さ

せる」とは、贖い主のしみのないきよさを着ていることで、白いのは小羊の血によって洗ったからで(7:9、

14)、救いの確約であります。しかし、救われたと思っている人は別にしても、救われた人が「白い衣

を着る」ことがない筈だと私たちは信じています。「わたしは,彼の名をいのちの書から消すようなこと

は決してしない」という言葉は当たり前のことですが、一度記されたものが取り消されることもあるとい

う印象を与えるのは、理解しにくくします。

それに対して私たちはこう思うべきです。神様の私たちへの救いは完全なもので、神様の主権による変

わらないものです。しかし、その救いは私たちの従順で表されます。つまり、背教徒は救いがない可能性

があるということです。それに対して「白い衣を着る」ことは、神の前でその従順が認められたことへの確

約となるのです。サルデスの教会、人の前では認められたクリスチャンであっても神の前で認められたク

リスチャンが少なかった教会であったということです。神様の認められるクリスチャンの集いとして私た

ちの教会がこれからも歩まれますように。

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ドイツのマイア博士は、真の意味で救われた人が見捨てられることがあるかという問いにこう語りまし

た。これは救いに対する不安を与えるためではなく、警醒(人の迷いをさまし注意を促すこと)のためで

あるということです。理解のための良い話です。

●ヨハネ黙示録 3:7-13、フィラデルフィヤにある教会

●教会のコンサルタントとして知られているレイス・アンダソンは、現代アメリカ人に求められている

教会像を次のように分析しました。「現代教会は、多様なプログラムを提供しなければならない。スー

パーマーケットのように人々の必要性に応じて多様なプログラムを持たなければならない。また、便利

性も求められている。つまり、駐車施設や多くの出入り口を持つこと、そして訪ねやすい、見栄えもよ

く、特に誰でも出入りが易しくなければならない。また、個人のプライバシーが徹底的に保証できなけ

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ればならない。同時に個人の価値が最大限に認められなければならない。つまり、個人の献身と労苦に

対する尊重とそれを認めることです。最後に、どんな世代であれ、どんな部類の人であれ受容できる開

かれている教会でなければならないという開放性である。」

教会を形成していく私たちによいアイディアを提供する話だと思いますが、私たちは、この世に対し

て開かれた教会だけではなく、天の門に対しても開かれた教会を求めていきたいと思います。

●本文のフィラデルフィヤは、活火山がある都市として地勢的にはよくなく、経済的にも裕福ではなか

ったと言われています。AD17 年には地震もあり、地震の恐怖感から抜け出されていなかったところ

でフィラデルフィヤの人々は主に農業で生計を立てていました。しかし、フィラデルフィヤ教会は、閉

じることのできない門が開かれていました。それは、彼らの行ない、即ち、「少しばかりの力と御言葉

を守り、主の名を否まなかった」(8 節)ことの故でした。少しばかりの力とは経済的にも信徒の数にお

いても少ないことを意味しますが、小さな力で忍耐の御言葉を守り(10 節)、迫害の中でも主を否定し

なかったので、主から祝福されました。

フィラデルフィヤについて「地震に満ちていたフィラデルフィヤ」という呼び名がありました。その

ような都市に住もうとする人は少なく、弱い立場の人々だけが住んでいたと思われます。「この世の知

者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはない」(第 1 コリント 1:26)教会であ

ったと思われます。また、サタンの会衆に属する者からの迫害があり、将来には試練の時が待ち構えて

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いた教会でした。このような弱い状態、小さな群れを強調する言葉が「少しばかりの力」であります。

フィラデルフィヤ教会の人々は、大変な状況の中でも主の言葉を、忍耐を持って守り、主の名を否定し

なかったのです。信仰生活・教会生活を「十字架の前で忍んだキリスト」をモデルとし、忍耐をもって

過ごしたのです。

●このようなフィラデルフィヤ教会の人々に対する主の祝福が開かれた天の門です。天の門を通して神様

は彼らに、三つのことを保証しました。それは、①迫害をするユダヤ人の中から救われる人を与え、神様

の愛が示されることへの保証、②この世の艱難から守られることへの保証、③神の聖所の柱となることへ

の保証がそうです。神の聖所の柱とは、御国の聖所の柱のように信徒が決して崩れることがない生き方を

保証し、神様との交わりを保証するという意味です。四方が閉じこまれたような状況の中でも天の門は開

き、私たちを保証してくださるという祝福なのです。

私たちは、目に見えるもので影響を受けます。少ない財産、学歴、能力なので劣等感に落ち、諦める時

でさえあります。しかし、フィラデルフィヤ教会の人々は少しばかりの力でサタンの力に勝ち取ったので

す。小さく弱い信仰であっても迫害や試練を乗り越えられたのです。それは、「からし種ほどの信仰があ

ったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにでき

ないことはありません。」(マタイ 17:20)と語られた主の言葉が実現された姿です。W.ウィアスビーは、

「不信仰は妨げるものを見るが、真の信仰は機会(好機)を見る。」と語りました。真の信仰は、「少しや小

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さい」という影響を全く受けないものなのです。私たちの弱い健康、薄い知識、平凡な才能も神様に用い

られる時には、「少しや小さい」が問題にはならないということです。ビリグレハム牧師も「私たちの献

身には経済力や社会的影響力は要らない。」と語りました。今の私たちの教会は小さな教会ですが、この

世に打ち勝つ教会、神様の御業が示される教会、神様に大きく偉大なことを期待する教会として歩むこと

はできるということです。

また、そのような者を報いてくださることを覚えていきましょう。聖所の柱としてくださる報いを頂く

ことができますように。どんなことがあってもその信仰が崩れることなく、保たれる、そしてその信仰の

故に神様との交わりが保証されているその報いが私たちのものでありますように。

詩篇記者は、「私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです」(詩篇 84:10)と祈り

ました。この祈りが私たちのものでありますように。

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●黙示録 3:14-22、ラオデキヤ教会

●ラオデキヤの町は、銀行の中心地、毛織物の町、特に黒い羊の毛で織った布地として有名で、また弱視

者のための目薬を輸出していたことで知られていた裕福な町です。コロサイに最も近く(西に約 20 数㎞

の地点)、パウロ自身によってではなく、彼の弟子エパフラスがコロサイ、ヒエラポリスと共にこの町の

教会の基礎を築いたと考えられています(コロサイ 4:12‐13)。そのため、コロサイ書はラオデキヤ

でも読まれました(コロサイ 4:16)。

しかし、アジアの 7 つの教会の中で一番厳しく衝撃的なメッセージで語られたのがラオデキアの教会

のことです。ラオデキアの教会に対して主は何一つ誉める言葉は語らず、「わたしは、あなたの行ないを

知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであっ

てほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出

そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめ

で、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」と厳しく責めています。

①なまぬるい教会:15 節で、教会の行ないがなまぬるいと語っています。どんな行ないかも語っていな

いことから、なまぬるいという言葉は教会の状態そのものを示していると思われます。つまり、教会の生

活は口や形では信徒であるかのように見られる(nominal Christians)程度でよいと思っていた人々の集

いで、それで主は嘆き、叱っていたのです。

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②裕福な(?) 教会:自分は豊かになったという言葉で、自力で裕福な者になったと満足している姿を示

しています。また乏しいものは何もないということで、更に自己満足の状態を表しています。霊的な豊か

さをこの世の富で感じていたかもしれません。つまり、金持ちは祝福された証しだと錯覚している人のよ

うに。この世の裕福という子守唄で教会は眠っていたかもしれません。市場哲学(market place

philosophy)という言葉があります。信徒の数、予算、教会堂の大きさなどで教会を判断し、自慢し、そ

れ以上何も必要なものがないと錯覚させる考えです。

③自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の教会:なまぬるく、自称裕福だと思っているラオデ

キア教会は、惨め・貧しい・盲目・裸の教会だと言われます。盲目で裸の乞食であるということです。い

つも素晴らしい衣装を求めた王を裸にした物語があります。自己満足や錯覚がもたらした笑い話ですが、

それに当て嵌まる状態であったということです。

●主がラオデキアの教会にこんなに厳しく語ったのは、彼らを憎んでいるからではなく、彼らを愛してい

るから懲らしめていることです(19 節)。ですから、当然の如く主が願われたことを行う必要があります。

主は、「①火で精練された金をわたしから買いなさい。②着る白い衣を買いなさい。③目に塗る目薬を買

いなさい。」と語り、ラオデキアの教会が「盲目で裸の乞食の状態」から立ち直るように教えます。

①金は銀行と係わりを持っています。銀行の貯金が多ければ裕福だと思っていた人々に、「火で精練され

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た金」を持つべきだと教えます。第 1 ペテロでは「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて

行く金よりも尊いのである」(1:7)と語っています。つまり、純粋な信仰、すべての物を豊かに与えて楽

しませてくださる神様に望みを置く信仰を持たなければならないといういことです。

②毛織物の町の人々に着る白い衣を買いなさいと語ります。着る白い衣は、キリストを指す言葉として(ガ

ラテヤ 3:27)、クリスチャンらしい生活(ヤコブ 1:27)を意味する言葉です。人々に見せるための生活か

らクリスチャンの心を持って生活するように教えています。

③目に塗る目薬は、目薬を輸出していたラオデキアの教会には衝撃的な表現です。視力が落ちたことで塗

る薬ではないからです。ラオデキアの教会の人々は何が見えなくなったことでしょうか。また何を見るべ

きでしょうか。ヨハネ 18:6 は、聖霊が「罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認

めさせる」ことを語っています。このことから罪、義、審判など聖霊によって見るべきことが見えないの

で、そのために目薬が必要であると教えます。

●これらのものを「わたしから買いなさい」と主は語っています。問題の解決者が主ご自身であるという

ことです。キリストのうちに「真の富と栄光と誉れの源がある」ことを彼らは知らなかったのです。それ

で、ラオデキアの教会に現れた主は「神に造られたものの根源である方」(14 節)と語りました。

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3 章 20 節の言葉、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあ

けるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

は有名です。信仰を勧める時や伝道する時によく用いる個所です。しかし、ラオデキアの教会の現れた主

は、ご自身が商売をする人であるかのように現れて、人々がご自身から買うようにと叫んでいます。まる

で「焼き芋、石焼芋」と叫びながら商売をしている人のように。それも戸の外に立って叩きながら売ると

いうことです。戸を叩くことは、ラオデキアの教会の人々に「火で精練された金を、着る白い衣を、目に

塗る目薬」を売るためであります。市場では買えないので、個人訪問を通して必要な人々に与えていると

いうことです。治癒の必要な人のところに行き、ありのままで主を受け入れられるようにしてくださいま

す。ここに主の愛があります。愛する者を叱り、懲らしめるのは、問題を解決させるためであり、そのた

めに主ご自身が扉の前にまで来て下さるのです。必要な者を買うために扉を開く者への祝福はすばらしい

ものです。

「彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」ということです。主の晩餐への招待でもあ

ります。喜びと希望と愛に満ちた交わりのある食事、そのような主との生活のことです。燃える火があっ

てこそストーブはその働きを全うします。燃える火のないストーブは、暫くの間はその存在で認められる

かもしれませんが、長続きはしません。言葉や知識、形ではなく、心が主を求め、主を受け入れる者が勝

利を得る者となります。

私たちの教会、集っている一人ひとりが、信仰の原点である主イエス・キリストに再び立ち返り、火を

燃やす教会となることを祈っていきたいと思います。

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黙示録 4 章、神の御座

●天の門が開かれる。

黙示録の 1 章は見たものについて、2-3 章は今のものについて、4 章以下はこれからのことについて

書かれています。本文は、5-6 章以下の背景を提供しています。天の御座におられる神様が「これからの

こと」を企画し、それが書かれた巻物を右手に持っておられます。そして、5 章で子羊イエス様がその巻

物を開くことで、「これからのこと」が展開されます。

4 章から 5 章 14 節までの内容は、巻物の出所を示す個所でもあります。「ここに上れ」という言葉か

ら、ヨハネは天の開かれた門を通ったと思われます。「ラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえた

あの初めの声」とは、1 章:10、12 節のイエス様であることが分かります。

●聖霊を感じる。

「聖霊を感じた」という言葉は、聖霊の働きで移されたという意味です。私たちも聖霊によって瞬間的

な移動ができると思ったり、期待したりします。それは、天国が見たい、イエス様と出会いたいという願

望があるからです。しかし、ヨハネの体験は稀なことだと思うべきです。私たちが期待するのは奇跡(キ

セキ)ですが、ヨハネの体験は稀跡(キセキ)、つまり、稀な場合だということです。

ある人は、信仰は奇跡が伴うと主張し、奇跡の体験を強調します。健全な意識をもち、聖霊の導きで私

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たちは様々なことを体験、経験することができます。しかし、ヨハネの聖霊による体験は一般的なことで

はありません。聖書に書いてあるから誰でも同じ体験ができると思うことは行き過ぎた考えです。

●天の御座。

黙示録では 37 回も用いられている言葉で、ヨハネの目には御座が見えました。そこに座っておられる

方は宝石のようだと描写しています。それら宝石の意味は明確ではないが、碧玉や赤瑪瑙のようなものと

緑玉のように見える虹は大祭司の胸当てに付けていた宝石です。神様の栄光をそれら宝石に例えだと思わ

れます。虹が書かれたのは、虹がノアの洪水の後に与えられた約束のシンボルであったことから(創世記

9:12-16)、神様の慈愛として理解することができます。碧玉や緑玉は神様の聖さを、赤瑪瑙は神の審判

の威厳を象徴するとも理解できます。

神の審判と慈愛は相反する品性のように思われますが、6-19 章までの審判にも神様の慈愛が虹のよう

に伴っていることを暗示しています。6-19 章までは神様の審判として多くの災害が書かれてあります。

神様の審判は、人々の罪によるさばきの性格もありますが、罪から立ち返らせる神様のあわれみもありま

す。つまり、災害を通して罪を悔い改め、神様に立ち返ることを願いながら審判は行っています。しかし、

人々はその恵みを生かして悔い改めなかった故に更なる審判を受け、やがては永遠に続く刑罰を受けます。

●4 節には、「御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶっ

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た二十四人の長老たちがすわっていた。」と書いてあります。24 の座は、御座に従属するものです。こ

こに出てくる 24 人の長老は誰でしょうか。旧約の 12 部族で象徴されるイスラエルと、新約の 12 使徒

で象徴される教会とを表していると思うべきです。

「白い衣」は、7 章 14 節の「小羊の血で洗って白くした」の言葉で説明されますが、3 章 4 節の「白

い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者」という言葉も含めて理解すべきです。つ

まり、主と共に歩む者のことで、倫理的な意味もあります。救われればどんな生活をしても構わないので

はなく、きよい生活も求められます。「金の冠」は、ダイアデム(王冠)ではなく、ステパノス(競争で

勝った者にかぶせる月桂樹の冠)のことで、御血できよめられ、更に倫理的にもきよい生活をした者に与

えられるものです。

●5 節の「七つのともしびと七つの御霊」。

聖書の完全数「7」を用いて聖霊様の完全性を表します。「いなずまと声と雷鳴」は 8 章 5 節からその

意味を知ることができます。それは神様の審判を意味します。4 章の全体の光景をまとめると、

「御座に座っておられる方、その方は碧玉や赤瑪瑙、緑玉のように見える虹のようで、24 の長老が回

りに座っている。彼らは白い衣と金の冠をかぶっている。その前には 7 つのともし火があり、そこからい

なずまと声と雷鳴(審判)の声がした」という光景です。6章から出てくる神様の審判を考えるに十分な

光景です。神様の両面性、虹と雷が存在しているその両面を同時に見なければなりません。

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●6 節の「水晶に似たガラスの海のようであった」。

ここでの海は、水晶で敷かれた海のように広い御座の前を表した言葉です。イエス様の呼びかけの声で

ヨハネは天の開かれた門を通りましたが、ヨハネと御座との間は海のように遠い空間があったことを意味

します。聖霊の感動により御座を見ることだけであったということです。このことから、水晶の海とは神

様とすべての被造物とを区別する言葉としても理解できます。

御座の中央と御座の回りには「目で満ちた四つの生き物」がいました。御座に着いている方があり、御

霊がいて、御座の周りに 24 人の長老がいて、そして四つの生き物がいました。24 人の長老と四つの生

き物がどのような配置されたかは分かりませんが、御座の周りにいました。「目で満ちた」という言葉は、

いつも目を覚ましていてすべてを見通すという意味です。①獅子(強さ)、②雄牛(有用性)、③人間(賢

い)、④鷲(迅速さ)と理解できる生き物とは、位の高い御使いとして理解できます。エゼキエル 10 章

20 節でも分かるように御使いにも位があり、四つの生き物は位の高い存在です。「それぞれ六つの翼」と

いう言葉は、四つの生き物が神様の命令に対していつも素早く従順することを表します。

●「御座に着いている方」

4 勝の内容の中で「御座に着いている方」という個所を注目すべきです。ヨハネが無人島にいた時、迫

害された時に、「御座に着いている方」を見ました。彼にとっては大きな励みとなった光景です。本当に

神様がおられるのであれば、このような迫害や試練は起こらないと思いたくなる状況の中で、ヨハネは、

御座におられる神様を見ることができました。空いている御座ではありません。御座に着いているという

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言葉は、神様がすべてのことを治めておられる(統治する)ということです。私たちも神様に力がないか

ら、神様が私たちに無関心であるから、試練や苦しみから救って下さらないと思ったりします。しかし、

私たちの目には見えませんが、すべての王の王である神様は、創造主であられる神様は、いつも御座にお

られて私たちを治められます。神様は御座に着いておられます。たとえ私たちが試練や悲しみ、不幸な出

来事に出会ってもそのすべてを御座に着いておられる神様が治める、神様の統治の下にいると信じるべき

です。その時、私たちは「神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、

出て来る。」(ヨブ 23:10)という告白ができます。神様の統治には虹も雷もあります。

●11 節の賛美。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あな

たは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」

24 人の長老が歌っている賛美の内容です。自分の冠を御座の前に投げ出して賛美しています。自分の

冠を投げずにはいられない、神様の栄光と誉れと力を歌っています。特に、9-10 節で「永遠に生きてお

られる方」に賛美することから、神様の永遠に続く栄光と誉れと力とを前提に歌っていることが分かりま

す。目に見えない御座でありますが、毎日私たちは御座を覚え、自分の冠を投げ出し、賛美をささげるこ

とができるようにと求めるべきです。地上での生活の中で御国の喜びを知る者の証しは、自分の冠を捨て、

神様に絶えず賛美ができることです。

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黙示録 5 章、子羊イエス

●4 章が御座に座っておられる神様を中心に描写したことに対して、5 章は神様の右手にある七つの封印

で封じられた巻物と、それを解くことのできる子羊に焦点を合わせています。「七つの封印で封じられた

巻物」が神様の右手にあるということは、巻物の起源が神様であり、神様がその啓示の最高の権威者であ

り、それを執行する力を持っているという意味です。また、「七つの封印で封じられた」ということは、

完璧に、安全に封印されたということで、当時の遺言書にも用いられたそうです。封印を解く権威が与え

られた者以外には絶対に開けないことをも意味します。この巻物には父なる神様の後に起こる計画が書か

れたものです(1:19)。

●2-4 節、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」

強い御使いが大声で語った声です。巻物を開くことが封印を解くことだという意味での問いかけです。

大声は、ヨハネに特別な関心をもたらせるに十分な声です。しかし、ヨハネは封印を解くに相応しい人が

いないことで激しく泣きました。ヨハネが泣いたのは、封印された巻物の内容が知りたくてではなく、被

造物の無能の故、罪深さの故だったでしょう。内容が開封されて執行されることを願っても開封できる人

がいないことで、その内容が成就されないことが心痛かったということです。「早く封印された巻物が解

いて救いの完成を迎えたい。しかし、それを解く被造物は誰一人いない」という心境からの 80 才を越し

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たヨハネの涙で、叫びです。しかし、この涙は祝されたものです。泣く者がべテル(神の家)へ行けるから

です。泣く十字架以外には御国へ行く道がないからです。人間には希望がないことで、絶望の中から泣く

涙ですが、「人間の最後が神様の始まり」なのです(Spurgeon)。涙は、嘘の偽る希望と信頼を暗ませ、神

様の小さな光にも敏感な反応を見出します。

●4-5 節、獅子である子羊イエス様

24 長老の一人がヨハネに、「ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、

七つの封印を解くことができます。」(4 節)と語り、慰めます。ユダ族の獅子とは、勝利を治めた方、ダビ

デの根はダビデの子孫として勝利を治めた方という意味です。「わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハ

ネ福音 16:33)という言葉を語られた方です。多くの敵に囲まれているジャングルの中で勝利を治めた獅

子のような方です。長老から聞いたヨハネは自分の目で「ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。

これに七つの角と七つの目があった。」子羊を見ます。「ほふられた子羊」、この十字架のメッセージがキ

リスト教の核心です。ほふられた痕跡を持つ子羊は、実は最高の権威をもつ、真の勝利者です。御子は、

最高の自己犠牲によって最高の権威ある方としてほめられる方です。

子羊は獅子と対照的に弱いものですが、本文の子羊は七つの角と目をもっています。角は権威を、目は

知恵を表す言葉で、七という数字から完全な権威、知恵という表現で理解できます。その目が全世界に遣

わされた七つの霊という言葉から、それは聖霊様であることがわかります。つまり、御子のエイゼント(代

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理、仲介)としての聖霊様です。御子が神様であることを示す言葉でもあります。子羊であると同時に獅

子としての御子です。この啓示は当時のクリスチャンには大きな励ましでした。十字架の御子が獅子であ

るということで、この世では弱くても勝利を得られる存在がクリスチャンであることを明確に保証し、語

るからです。

●9 節、「新しい歌」

封印を解くに相応しい方は同然の如く賛美されるべき方です。四つの生き物と長老達は「立琴と、聖徒

たちの祈りである香のいっぱいはいった金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏し」賛美をしました。聖徒

の祈りは神様に受け入れられる香となり、賛美となることも素晴らしいことです。

子羊イエス様が「その封印を解くのにふさわしい方」となってのは、その血により人々を贖ってくださ

り、神様のために人々を王国とし、祭司とされたからです。ここでの人々は、すべての人々を意味するの

ではなく、すべての人々から選ばれた人々のことです。神様による差別や偏見のない選びです。血で贖っ

てくださったのは、神様のためです。神様に仕え(祭司)、神様のものとする(王国)ためです。祭司と

王国という言葉は黙示録で 3 回用いられています(1:6、20:6)。神様に仕えると同時にキリストと共に

統治する者という意味でもあります。王国に関する理解はいろいろあり、今を王国として理解したり、千

年王国での王国として理解したりします。

御使いが子羊をたたえる必要性があるかという疑問もありますが、彼らはただ十字架のイエス・キリス

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トを仰ぐだけの存在ではありません(エペソ 3:10、第 1 ペテロ 1:12)。彼らはキリストの崇高な自己犠

牲の贖いの働きと、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方である

ことを知っているからです。ですから、同然の如く彼らも子羊イエス様を賛美せずにはいられません。ま

た、賛美しているものが主と共に住んでいる人々であることにも注目すべきです。つまり、主と共に住み

ながら自然にたたえなくてはいられない状態からの賛美であるということです。

「犠牲を通しての勝利」、私たちに語る福音です。アーメン。

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黙示録 6 章、解かれる封印

●1-8 節の内容、解かれる第一から第四の封印

本章は、六つの封印を解く場面に関するものです。1‐5 章までは、アジアの七つの教会、御座の場面

などやさしい内容でしたが、6 章からはかなりの負担を与えます。6 章以後の解釈もいろんなものがあり、

間違った解釈によって大きな混乱を招いたりします。前章では七つの封印を、特に解くのにふさわしい方

として子羊イエス様を見ましたが、この章からは子羊イエス様が封印を解くことが展開されます。そのこ

とは、神様が救いの計画を進行していることを意味することでもあります。

内容の理解のために第一から第四の封印をまとめてみると、

①第一封印:弓と冠が与えられた白い馬に乗った者 ― 勝利の上に更に勝利を得る。

②第二封印:大きな剣をもつ赤い馬に乗った者 ― 平和を奪い、互いに殺しあえるようにする。

③第三封印:量りを手に持った黒い馬に乗った者 ― 小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オ

リーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。

④第四の封印:死という名を持つ青ざめた馬に乗った者 ― 地上の 1/4 を剣と飢饉と死病と地上の

獣によって殺す権威が与えられた。

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●1-8 節の解釈

ここで登場する 4 つの馬はゼカリヤ書に登場するものとその内容が似ています(ゼカリヤ 1:8、6:2)。

また、弓や剣、量り、獣はエレミヤの内容と似ています(エレミヤ 14:12、24:10、42:17)。しかし、

類似性によって本文を理解することはできません。馬に乗った者への解釈は第四の封印で明らかになった

「死という名を持つ者」で理解することができます。つまり、馬に乗った者が何かの存在ではなく、死を

象徴するもの、死そのものを意味するということです。「剣と飢饉と死病と地上の獣」とは、死ぬ方法と

して取り上げられたのです。

それでは、①白い馬に乗った者をどのように理解すべきでしょうか。「弓を持ち、冠(月桂冠)を与えられ、

「勝利の上に更に勝利を得る」という全体像からその象徴するものを理解すべきです。白い馬に乗ったも

のが強調されているのは、勝利です。弓は戦争用の武器で、征服したことへの勝利、つまり、戦いを意味

すると理解できます。②赤い馬に乗ったものは「地上から平和を奪い取ることが許された」ものです。そ

のために剣が与えられて、平和を奪う(消極的な)、互いに殺し合う(積極的な)戦争そのものを意味します。

③黒い馬に乗ったものに対する内容の中で、貧しい人々が食べる「オリーブ油とぶどう酒」を残すことは、

神様の慈愛を表します。第四の封印で 1/4 だけが殺されることも同じ観点で受け止められます。極限の

インフラによる経済的な破綻の中であっても貧しい者のために食べるものが残されたことを意味します。

軍事的な征服主義から、世界戦争、それによって経済的な破綻が続くということです(参照、マタイ 24:7-)。

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第四の封印の前に征服、戦争、経済的破綻が死に結びつくことは自然です。つまり、④青ざめた馬に乗っ

たものとは、死、そのものを意味するということです。今の時代であれば、SARS で死ぬとか、ミサイル

攻撃を受けるとか、原爆などの言葉で表現したかもしれません。

●ここまでの封印を通して恐怖を感じない人はいない筈です。これ以上は読みたくないという思いまでも

与えます。しかし、私たちはここで封印を解く方が誰かに注目すべきです。子羊イエス様です。私たちを

贖い、血を流してくださったお方です。その方の解く封印なので、心配することはありません。4-5 章の

続きとしての封印でなかったら、私たちにも恐怖感しか残りません。それでは、どうしてこのような形で

災いを語ったでしょうか。それは、黙示録が黙示文学だからです。

●また、このようなことがいつ起こるかという思いがあります。いつでしょうか。この期間に対しては様々

な理解があります。のんきな考えかもしれませんが、主の昇天から再臨の時の間だと理解することができ

ます。四つの封印が連続性を持っていることで最後の日になればなるほど、これらの災いが窮まると思い

ます。しかし、これらのことが子羊によって明確にされたことは感謝です。子羊イエス様がこのような災

いを調節し、統制するということになるからです。私たちは黙示録の最後を知っています。それは、ハッ

ピーエンディーグです。最高の幸せが私たちを待っていることを知っています。苦難や試練、戦争や迫害、

死、これらのことはこの世の人々と変らないことですが、クリスチャンにはそれらの背景に子羊がおられ

ることを知り、やがてはこれらから開放され、御国へ行くことを信じる人々です。

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●第四の封印の中で見逃してはいけないことは、現象ではなく、4 章から続く子羊に関することです。こ

の方によって起こることであることから、私たちは主の御心にかなう者として、聞き従う者として生きる

ことの大切さが教えられます。2-3 章の内容を概略すると、「バラムの教えを奉じる」(ニコライ派やイゼ

ベルに従う)偶像崇拝や不品行な生活ではなく、最初の愛を守りながら、熱い心で、聖い生活をする、「子

羊が求める」生活をすべきです。また、今の時代においても第三の封印のように大変な時を迎えている人々

が多くいることをも覚えるべきです。つまり、経済的な貧困で苦しむ人々に対する、疎外された人々に対

して、どうすべきかをも考えるべきです。

これらの苦しみ、災いが与える理由は何でしょうか。「これらの災害によって殺されずに残った人々は、

その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩

くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」(9:20-21)

で語っているように、最後の審判があることを悟らせるためなのです。子羊イエス様は人々に警告に警告

を重ねて、悔い改めて、救われることを願っているのです。「しかし、愛する人たち。あなたがたは、こ

の一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のよ

うです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではあり

ません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、

すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(第 2 ペテロ 3:8-9)が主の御心なのです。

私たちは、6 章の内容を子羊の心境から読むべきです。この世がいくら沈痛で、暗くてもそれらの背景に

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おられる子羊イエス様の心境、さばかれるべき者を悔い改めさせるための主の慈愛を覚えながら耐え忍ぶ

べきです。

●6 章 9-17 節、第五と第六の封印

第 5 の封印は他の封印とは全く異る性格をもっています。殉教者たちのたましいが祭壇の下で、「いつ

までさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」と祈っているからです。

ある時には、私たちが命をかけてでも御言葉に従っているかどうかを示さなければならない時があります。

イエス様のために忠誠を示す死は、この世では無意味なもののように思われても、神様は最高のいけにえ

として受け入れてくださいます(参考 13:15,18:24)。

ステパノは死ぬ時に、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と祈り、眠りました。しかし、

本文の殉教者たちは報復のために祈りをささげています。この祈りは、個人的な報復の次元として理解し

てはいけません。聖書は一貫して教えるものです。ステパノのような祈りをもって私たちはこの世と接す

るべきです。それでは、本文の祈りはどう理解すべきでしょうか。本文の祈りは、不義に対して神様の義

が表されることを願う祈りです。詩篇の中で呪いの詩がありますが、同じ観点での詩です。また、やもめ

の願いを聞いた神様を恐れない裁判官の譬え話のように、「神は、夜昼神を呼び求めている選民のために

さばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」(ルカ 18:7)と同じ

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ながれです。神様は不義を必ず審かれます。

●さて、ここで登場する殉教者は誰のことでしょうか。特定の時に殉教者よりは、すべて殉教された人々

と思うべきです。殉教者は、定められた人数があります(11 節)。殉教という言葉は、一見残酷な話です

が、最終的な審判が保留されていることと、神様のご計画の中にあるという安堵感を持つべきです。第一

の封印から第五の封印まではイエス様の再臨の前に起こる出来事です。第一から第五までを時代的な並べ

としてではなく、同じ歴史の中での出来事を角度によって別に描写していると思われる、苦しみの期間と

して理解できます。

●第六の封印:第六の封印からは再臨の直前の出来事として理解します。つまり、最終的な御怒りの日を

指します。

①第六の封印は、人類最後の日です。天地の激変が起こるからです。これらの表現が文字的な解釈ですべ

きか、象徴的な解釈ですべきかを考えることは大切です。まず、大きな地震は十字架でイエス様が死なれ

た時にも起こった現象(マタイ 27:51-52)なので、実際のものと考えられます。太陽と月の変化も日食と

月食で考えられます。星が落ちることも考えられることです。ですから、これらのことを表現通りの文字

的な解約で理解することができます。しかし、山や島が移されることは理解できないことで、というのは、

洞穴と岩間に隠れることが無意味になることから、行き過ぎた文字的解釈もよくないかもしれません。

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②最後の審判はすべての人、特に、自分は審判と関係がないと思う人までが受けるものです。その日は子

羊の慈愛はなく、忍んでいた公義が爆発する御怒りの時です。王たちやサタンの支配もありましたが、そ

れらのものは子羊の御怒りには比べられません。子羊は柔和な存在でありますが、同時に獅子でもありま

す。ご自身の慈愛を受け入れられる者には寛大ですが、拒みつづける者には最高の厳しい審判をもって報

われます。ある人は、神の慈愛は無限だと思いますが、そうでありません。ノアの時代も 120 年という

限界が設けられていました。現代人類に対してもその限界はあります。軍事的な征服による殺し合い、病

や経済的困難などで、人類の 1/4 が死ぬ現象に接する時には悔い改めなければなりません。

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黙示録 7 章、慰めと励ましとの黙示

●黙示録 7 章 1-8 節、十四万四千人

6 章の最後に「御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」という問いかけがあり

ますが、これに対する答えが 7 章です。6 章は、御怒りの日に耐えられない不信仰者について語ったので

あれば、7 章は御怒りの日に耐えられる信仰者について語っています。また、違った観点からいうと、黙

示録が不信仰者に対する審判と警告であれば、7章は、信仰者に対する慰めと励ましとの啓示であります。

信仰者であるとしても、神様の警告と続く審判に恐がることもあり得ることなので、その緊張の中で希望

を与える章でもあります。

●神の印(2 節):神のしもべたちの額に印を押すのはいつかという疑問があります。いろいろな解釈があ

りますが、第六の封印と第七の封印の間であると思うのが自然であります。つまり、御怒りの日に耐える

人がいるか、という問いかけに対する答えの一環として見るのが自然です。第七の封印の御怒りから守ら

れるために行われるものとして理解することができます。後に学びますが、第七の封印は人と自然が同時

に破壊される災いなので、その災いからの守りを意味する印であります。

1 節に出る「四人の御使い」は、「四つの生き物」よりは低い御使いで、風を治める役割をします。但

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し、低いということは階級を意味するということの根拠にはなりません。四隅、四方という表現は、反復

した表現で普遍的な性格を意味し、すべての世界を意味します。「押え」という表現も難しいものですが、

神様のしもべたちの額に印を押してしまうまでという言葉から、一時的は措置として理解できます。つま

り、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちが害を与えないようにと押えられたという

意味です。2 節の「もうひとりの御使い」が誰かについての解釈も難しいものですが、四人の御使いと同

じレベルのものだと思われます。

「印」は、公式文書の効力のために、あるいは自分の財産を示すために用いられました。額に押された

ことは、所有と保護と確認のためのものであります。それは、後に書いてある「獣の刻印」(13:17、20:4、

あの獣の名、またはその名の数字 666)と対照的なものでもあります(14:1 では、小羊の名と、小羊の父

の名の印)。この刻印と洗礼を一緒にすることはできません。刻印はどんな災いからも守られるという印と

して考えるべきです。

●十四万四千人

イスラエルの子孫のあらゆる部族(12 部族)から一万二千人ずつです(ユダ、ルベン、ガド、アセル、

ナフタリ、マナセ、シメオン、レビ、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミン)。しかし、一見イス

ラエルの 12 部族だと思われますが、144000 人という数は、9 節の「あらゆる国民、部族、民族、国

語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆が御座と小羊との前に立っていた」という表現で、

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無理のある解釈であることが分かります。また、①12 部族の名前がユダから始まっている点、②神様の

所有としての刻印であるとしたら、そこには民族の区別はありえないという点、③14 章では子羊と一緒

で、小羊が行く所には、どこにでもついて行く人々である点、④144000 人をそのままの数として理解

できない点などの問題も残ります。

①の補充:当時は 12 部族の中で 10 部族の区別だけでなく、残りの 2 部族の区別もなくなった(AD70

年のエルサレム破壊により)と思われます。ですから、12 部族の意味は言葉通りにはなりません。

③の補充:14 章の 144000 人を同じ者としたら、彼らは教会を意味する言葉として理解するのが自然

です。

④の補充:144000 人は数のとおりと思うよりは、12×1000 としての 12000 人、12×12×1000

としての 144000 人という数字の組み合わせとして理解することが自然です。12 という数字はイス

ラエルの 12 部族と教会としての 12 使徒で象徴される、救われる人々の合計で理解できます。

ですから、12 部族としての 144000 人は、9 節の「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、

だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆」だと理解できます。地上や天上などで区別する必要もありません。

●黙示録 7 章 9-17 節、大勢の群衆

1-8 節が御怒りに耐える人が誰か(who)に対する答えであれば、9-17 節は同じ問いかけに対してどうし

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て(why)という観点での答えです。つまり、前者はこのような者(刻印が押された者)が耐えるという答

えで、後者はこのような者(白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた者)だ

から耐えるが答えです。前者は地上にいるので刻印が必要でしたが、後者は御座の前におられる子羊の血

によって救われた人々です。前者は旧約的な感覚(割礼)で救われた人々を指すとしたら、後者は新約的

(キリスト論的)角度から救われた人々を指すとも言えます。10 節は、1-8 節と 9-17 節を繋げるリン

クの役割をします(「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」)。前者が刻印を、後者が救い

を象徴するのです。

●「大勢の群衆」とは、最後の時(救いの完成の時)にいるべき人々と理解すべきです。144000 人と

同一であると思うべきです。しかし、大勢の群衆とはいろんな解釈があります。特に、彼らが御座の前(天

上の場面)にいるということで解釈の難しさを与えます。ある人々は殉教者(6:9-11)だとも言いますが、

9 節の言葉は殉教者だけに制限することはできないから無理があります。あるいは、第 1 封印から第 6

封印までの期間に死んだクリスチャンだとも言います。しかし、彼らが死んで天上にいる人々だという根

拠はありません。寧ろ 15-17 節の言葉から、御座の前にいることは最後の至福の状態になる前の状態を

示すことであって、未だ最後の状態だとはないと思うべきです。ですから、大勢の群衆は最後の時(救い

の完成の時)にいるべき人々のことで、彼らの状態を先に示すことだと思います。つまり、144000 人

と同一の群れであると思うべきです。旧約的な感覚であれば刻印を押された人で、新約的な感覚であれば

御血によって白い衣を着た人々のことです。本文は、聖徒たちの最後を示すことで、彼らを励まし、慰め、

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今の艱難を耐えるようにする場面です。最終的な勝利が保証されたというビージョンを見せているという

ことです。少数の群れとして迫害されているかもしれないが、少数の群れではなく、大勢の群れの一部で

あるというイメージの表現でもあります。

●「白い衣」は、御血によって洗わされた衣(3:18)、世俗化されていないという観点から勝利の衣を意味

します。血で衣を洗うということは常識では考えられない逆説(パラドックス)です。しかし、旧約的な

背景から見ると衣を洗うことが霊的な純潔を意味しますので、この逆説は成立されます。「棕櫚の枝」は、

ヨハネ 12:13 を根拠として勝利の救いの祝宴で喜び、たたえることを象徴するものだと思われます。大

勢の群れが「御座と小羊との前に立っていて」賛美することは、4-5 章の四つの生き物と 24 人の長老と

御使いたちと一緒にいることを意味するものですが、彼らからはある程度離れた距離だと思われます。群

れの賛美に御使いたちがみな応答の賛美をします。神は唯一の賛美の対象であり、賛美されるべき方です。

●この場面の後に、長老のひとりが「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来

たのですか。」という言葉を紹介しています。それに対する答えが「彼らは、大きな患難から抜け出て来

た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。」と語ります。大きな患難とは、すべての時

代の患難であり、再臨直前の特定のものでもあると思われます。患難から免除された人々ではありません。

勿論殉教までされた人々もいます。

聖徒に対してスポルジョンは、「信徒は苦難と出会うが、内面的な安全を持つ。信徒はもっと幸せだが

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もっと安全ではない。」、「信徒にとって苦難は苦難ではなく、神秘的なものである。喪失が豊かにし、病

が良薬であり、冒涜が名誉であり、死が有益をもたらせる。」と語りました。教会の歴史は、最初から火

のような試練が迫ってきました。この世は最初から神の民を破滅するために努力してきました。この事実

は、私たちに最初は恐怖を与えるかもしれませんが、返って大きな励ましを与えます。「わたしがこれら

のことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世

にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ福

音 16:33)。昔インデアンは、敵の火からの攻撃から自分を守るために町の周囲を燃やすことで、その勢

いで抑えたそうです。審判の火を抑えるために信徒には患難の火があるということです。

●誰が耐えられるかという問いかけに対する答えは、①「御座と小羊との前に立っていた」人、②「聖所

で昼も夜も、神に仕えている」人だと教えます。天上には聖所がないことから(21:22)、理解に難しさを

与えますが、「御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られる」という言葉から 21:3 や 22:3

のような表現で、「神ご自身が彼らとともにおられる」意味として理解できます。つまり、神様と共にお

られる人々のことで、そのような人々を神様は、「飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎

熱も彼らを打つことはない」と語ります。それは、「小羊が彼らの牧者となって彼らを、いのちの水の泉

に導いてくださるから」だと教えます。ですから、9-17 節を、6 章の不信世界の恐怖とは区別する、救

われた人々が味わう完成された救いの状態を示す個所として理解できます。また、この個所は 21-22 章

を意味する言葉としても理解ができ、黙示録が反復した構造をもつ書物であることが分かります。

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黙示録 8 章、七つのラッパの背景

●黙示録 8:1-6、解かれる第七の封印

七つの封印は継続的なもので、子羊イエス様は第七の封印を解いています。4-5 章は、御座が描かれて

いて、御座に座っておられる方の右の手にある「巻き物」(七つの封印で封じられたもの)を解くことので

きる方は、勝利を得た獅子である子羊イエス様だけであることが明らかにされています。6 章では、子羊

イエス様が第一から第六の封印を解き、8 章では第七の封印を解きますが、その時に七つのラッパの災害

が出ます。つまり、この七つのラッパの災害は第七の封印に含まれているものです。

しかし、ここで一つ考えるべきことがあります。それは、封印の災難とラッパの災害を区別して、これ

らすべてが時間的な記述だと思ってもよいかということです。これからも明らかにされると思いますが、

封印は人間の破滅(人間への審判)が重点で、ラッパは環境の破壊が重点だと見られることから、人間の破

滅の後に環境の破壊が来ると考えることは無理が生じます。勿論、15-16 章に出ている七つの鉢の災害

は、環境破壊が七つ目のラッパの災害である世界の 1/3 のレベルではなく、全体に関するレベルなので、

時間的に後に起きる災害であることは確かです。つまり、封印(人間の破滅)とラッパ(環境の破壊)は

同時的で連続的な出来事として、鉢の災害はラッパ以後に起こることとして理解するのがよいと思います。

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●子羊が第七の封印を解いた時に、天に「半時間ばかり静けさ」があったと語っています。半時間の静け

さは、嵐の前の静けさとしてこれから地に起きる災害を更にドラマチックなものとします。つまり、早く、

確かに進む時間という概念として神様がヨハネのために人間的な休憩を取るような場面であるというこ

とです。神様の前に立つ七人の御使いが出ますが、この七人の御使いたちは何か特別な天使たちだという

認識よりも、特別な働きのために立たされた御使いです。というのは、もうひとりの御使いが金の香炉を

持って祭壇のところに立っていたと語っているからです。この御使いを大祭司長として私たちの祈りを助

けるイエス様だと解釈する人もいますが、本文の御使いは仲介者ではなく、すべての聖徒の祈りを金の祭

壇の上に運ぶ存在で、御使いの一人に過ぎません。

●3-5 節では「祭壇」が 3 回も言及されています。金の祭壇でありますが、香の壇のことです。神殿で

儀式を行なう時に祭司長たちは香炉を香壇の上の燃える炭火に注ぎました。それによって香が上られ、そ

れと同時に民は頭を下げて祈りましたが、その場面を思い出させるところです。5 章 8 節では「香は聖徒

たちの祈り」だと語り、香と祈りとを同一視しましたが、本文の香は聖徒の祈りと共にささげられていま

す。御使いがたくさんの香をもらって聖徒の祈りに香を増すためです。つまり、神様が聖徒の祈りに更に

香を加えたことで、聖徒の祈りを更に貴いものとしていることが分かります。それは、聖徒の祈りが神様

に届き、その応答として七つのラッパの災害が起きることを明らかにするためです。

七つのラッパの災害が起こるということは、神様に届いた聖徒の祈りの結果だということです(参照、

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エゼキエル 10 章 2-7 節)。それは、主権的な神様の摂理において聖徒の祈りが意味のある、部分的であ

っても聖徒の祈りが意味合いを持つことを教えます。

また、すべての聖徒を特定の時代(終末の時代)の聖徒ではなく、すべての時代の聖徒として理解する

ことができます。私たちは主の祈りの中で「御国を来たらせたまえ」と祈りますが、それらの祈りが香と

して御座に届くのであり、それらに対する応答として本文を理解するのが自然だからです。

私たちは、神様が私の祈りを聞いておられるのかという疑問を抱いたりします。また、社会の様々な姿

を通して、本当に神様が私たちの祈りに答えてくださるのか、という疑問を持ったりします。このような

思いを抱く時に、私たちは本文の場面を思い出すべきです。聖徒の祈りを含んだ香炉が神様の審判として

地に投げつけられることを。不義の裁判官に訴えつづけた寡婦のように(ルカ 18 章 1-8 節)、主の日(再

臨)が近ければ近いほどもっと祈るべきです。私たちが理解できない様々な現象や出来事が現れても、忍耐

をし、神様に信頼すべきです。サタンは一番弱い聖徒であっても、彼がひざまずいて祈る時に恐れます。

聖徒の祈りが最終的な救い(審判)の完成を成す過程において用いられるものだからです。

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●黙示録 8 章 7-13 節、第一から第四のラッパ

第一から第四までのラッパを図でまとめると、

第一のラッパ 血の混じった雹

と火

地上 地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青

草が全部焼ける。

第二のラッパ 火の燃えている

大きな山

海 海の三分の一が血となった。すると、海の中にい

た、いのちのあるものの三分の一が死に、舟の三

分の一が打ち壊される。

第三のラッパ たいまつのよう

に燃えている大

きな星

川とその水源 川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水

が苦くなったので、その水のために多くの人が死

んだ

第四のラッパ 太陽と月と星

の三分一

三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、

また夜も同様であった

これらの図を通してみると、

①封印は馬に乗った者による災害でしたが、ラッパは御使いによる災害であることが分かります。

②封印は人に直接与える災害でしたが、ラッパは自然を通して人に与える災害です。第一のラッパは、生

態系が破壊されて食糧供給に問題が生じる災害として理解できます。第二のラッパは、海水や海の生き物、

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船舶の破壊という災害で、地球の四分の三が海であることから海の破壊は人に多くの損害を与えると考え

られます。第三のラッパは、川の汚染を通して人に被害を与える災害です。飲む水の確保が極めて難しく

なるとの災害です。第四のラッパは、太陽、月、星に対する災害ですが、それらの変化が人にもたらせる

災害は地球のいのちとエネルギーの破壊が伴うもので、温暖化やオゾン層の破壊による被害などと考えら

れます。人の住む環境の変化によって第三のラッパに書いてあるように「多くの人が死にます。」

③第四の封印は地上の四分の一の人が死ぬ(6 章 8 節)災害でしたが、ここでは地上、海、川、太陽、月、

星の三分の一が破壊されます。ですから、封印とラッパの災害を時期的な区別という観点よりも、焦点が

人と自然だという観点で見ながら、四分の一から三分の一という災害の深度の深刻さで理解するのが良い

と思われます。つまり、時期的な区別ではなく、災害の深度の深さが自然と伴う災害の方が大きいと理解

すべきです。勿論、最後の災害である第七の鉢の災害が全体に進展するということも事実ですので、人間

と自然に対する同時の災害が全体に及ぶものとして進展していくと思うこともできます。

④ラッパを吹き鳴らすと、「血の混じった雹と火とが現われて地上に投げられた、火の燃えている大きな

山のようなものが海に投げ込まれた、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちた、太陽の三分

の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれた」という現象を言葉通りに理解すべきかどうかの問

題が生じます。天から落ちる大きな星の名は「苦よもぎ」と呼ばれたと表現していることから、実際のも

のよりも象徴的な表現として理解することが妥当です。というのは、これらの現象が本当であるとしたら、

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人々はこれらの現象が現われることだけを待ち望むからです。象徴的な理解であれば、燃える大きな山や

星が落ちなくても、自然の破壊や汚染、それらの深刻さを通してそれらがラッパの災害のようなものであ

ると知るからです。

⑤観点が変りますが、これらのラッパの災害を創世記 3 章 17 節により、つまり、その言葉の終末論的

な完成として理解してみたいと思います。「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一

生、苦しんで食を得なければならない」の完了としてラッパの災害を理解することができるということで

す。人の堕落により自然の呪われた現象は、人の堕落の増加によってその呪いが更に深刻化されるという

ことです。しかし、ここで注意すべきことは、人の堕落によって神様から呪われた自然、それも罪の増加

により深刻化される自然をどのようにすべきかということです。神様の御言葉の成就だと告白することで

よいことにはならない筈です。アダムも呪われた土地だから、神様が語られた通りだと思っていれば良い

ということにはなりません。彼はその呪われた土地と戦いながら食べ物を得る汗を流しました。つまり、

土地に対する呪いは、人間の働きを根本的に否定する事ではなく、自然に対する人の働き(創世記 1 章

28 節)がまだ有効であることを教えます。神様の創造の命令が人間の堕落で取り消されたものではない

ということです。創造の命令に従って、環境汚染の問題の解決にも汗を流さなければなりません。

ですかわ、私たちは環境破壊の審判と創造命令という両者を賢く、緊張を持って従う者でなければなり

ません。これは封印の災害の時も適用されます。紛争や戦争、経済的困難と死などを神様の御言葉の成就

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だという観点と、そのような人間の破壊を防ぐためにも私たちには福音を伝え、愛を実践する行いが要求

されているということです。

⑥13 節で、「一羽のわしが中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。・・・あと三人の御使いがラッパを

吹き鳴らそうとしている」と語っていることは、第一から第四のラッパを一つの単位として紹介し、第五

と第六と第七のラッパを知らせていることが分かります。鷲は素早さを意図的に表現するもので、それに

災いを 3 度も表現したことで、これからの災害が更に深刻になることを強く示していると理解できます。

⑦神様の環境破壊の審判は、環境破壊が目的ではありません。寧ろ、救いの完成のためのものです。審判

を示すラッパを通して「罪人が悔い改めるようにする」ためであり(9 章 21 節、16 章 9 節)、「信徒が

目を覚ましていて、自分の恥を見られないようにする」(16 章 15 節)ためなのです。神様は、環境を通

してご自身の意図を示し、やがてそれらをも回復させることを示されました(ローマ書 8 章 18 節以下)。

ですから、ラッパや審判だけに注目するのではなく、聖書全体を通してバランスよく理解するようにと努

力しなければなりません。

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黙示録 9 章、第五と六のラッパ

●黙示録 9:1-12、第五のラッパの災害

第五の御使いがラッパを吹き鳴らすと一つの星が天から地上に落ちました。この星が「底知れぬ穴を開

く鍵」を持って開くことから、人格的な存在だと思われます。この星は、6 章 13 節の「地上に落ちた天

の星」とは違う、また、8 章 10 節の「大きな星」とも違うものです。この星が「底知れぬ穴を開く鍵」

を持って神様の審判を施行する存在であることから、善い御使いだと思われます。天から地上に落ちたと

いう言葉で悪い御使いだという解釈もありますが、11 節で底知れぬ所の御使いとか、蝗の形の存在など

悪い霊を指す言葉があるので、無理が生じます。天から落ちたという表現は、災害の中身が恐ろしいもの

であることを強調する意味があります。

「底知れぬ穴」という言葉は、9 章 1、2、11 節以外にも 11 章 7 節、17 章 8 節、20 章 1,3 節で

も使われています。そこはサタンや悪霊共の監獄であり、サタンから力を得た獣が監禁されたところでも

あります。ルカ福音 8 章 31 節で、「悪霊どもがイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりません

ようにと願った。」ことから、監禁、監獄と理解できます。この場所から第五のラッパによって一部が放

されることを意味します。

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●底知れぬ穴を開くと、「穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって

暗くなった。その煙の中から、いなごが地上に出て来た。」と語っています。ここでの煙は、苦しみや審

判などの意味合いで用いられたと思われ、それによって太陽も空も暗くなったことから、それが如何に深

刻なものであったかを示します。しかし、この煙は背景であって本質ではありません。つまり、その煙と

ともに出てきた「いなご」が災害の中心です。

この「いなご」の正体をどのように理解すべきでしょうか。

3-5 節は、彼らには「地の蠍の持つような力」が与えられて、①地の草やすべての青草や、すべての木

には害を加えないで、②額に神の印を押されていない人間にだけ害を加える、③人間を殺すことは許され

ず、ただ 5 ヶ月の間苦しめることだけが許された、存在だと教えます。ただ 5 ヶ月という表現からノア

の洪水の審判が 150 日(5 ヶ月)であったことを思い出させます(創世記 7 章 24 節)。つまり、神様の審

判をノアの洪水と同じ期間を表記することで、明確に神様による審判であることを強調しています。神様

の審判によって死んだ方がましですが、死ぬことが許されていない神様の審判を表すものです。

また、7-10 節では、いなごの姿を描写します。「出陣の用意の整った馬に似ていて、頭に金の冠のよ

うなものを着け、顔は人間の顔のようである。また女の髪のような毛があり、歯は、ししの歯のようであ

り、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その翼の音は、多くの馬に引かれた戦車が、戦いに馳せつけると

きの響きのよう」であります。ヨハネは続いて 11 節でいなごの王の名を明らかにします。「彼の名はヘ

ブル語でアバドン、ギリシヤ語でアポリュオン」です。意味は、滅亡、破壊者というものです。つまり、

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彼らの存在は人を破壊するものであります。ただし、サタンであっても神様の主権(許し)から離れて独自

では行動できない存在であると明記し、それで鍵を持つ御使いがいると教えます。

●描写されたことから「いなご」の姿を概略することができましたが、彼らの実態について更に考えたい

と思います。まず、「いなご」の正体は、蝗が草や青草、木に害を加えないことから、実物でないことが

分かります。彼らの餌が人であったことにも注目すべきです。つまり、人の害を与える「いなご」です。

11 節で、彼らの王が破壊者(サタン)であると思われることから、「いなご」は悪霊か、この世を支配する

者(ヨハネ福音 14 章 30 節)として理解することができます。特に、彼らが底知れぬ穴から出てくるこ

とから悪霊ともであると理解することも自然です。

彼らが「額に神の印を押されていない人間」(不信仰者)だけを拷問のように苦しめるのはどうしてでし

ょうか。それは、彼らの苦しみが 5 ヶ月間の期間だけであることから理解を深めることができます。つま

り、期間限定の苦痛を通して永遠に味わう地獄での刑罰の恐ろしさを悟らせることです。

●不信仰者について考えてみましょう。彼らは何一つ不自由なことがなく、商売をすることができます

(13 章 17 節)。罪を犯し、欲望の快楽をも楽しむことができます。しかし、それらの姿は上辺だけであ

って、彼らの内面はサタンによって破壊されています。人格が破壊されたり、人生を破滅に導いたりしま

す。つまり、不信仰者は、サタンや悪霊、この世の支配者達によって神様を拒み、悔い改めようともしな

い人々ですが、驚くことは不信仰者の味方である筈のサタンが彼らを苦しむということです。理論として

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は同盟の関係が混乱と非合理性を示す典型的な関係です。今も「いなご」は不信仰者たちに、自殺と麻薬

中毒と殺人といた衝突的な反応を示すようにしてその人を破壊に導いています。

衝撃的な話しですが、よい親と環境の中で成長し、明るい未来を描いていたある少女の話を引用します。

彼女はある日、親に「自分の人生は自分のものであり、自分の思いのままにする」という宣言しました。

しかし、これがサタンによって破滅に向かう第一歩でありました。彼女はますます堕落し、暗く悲惨な日々

を過ごしました。17 歳の時、彼女は学校から帰ってきて急いでお風呂場に入り、古着に着替え、浴場の

中でピストル自殺をしました。メーモがありましたが、そこには、「古着を着ているので良い服は汚さな

かった。残した良い服を売れば収入が得られる。浴場で死んだのでカーペットは大丈夫。」と書いてあっ

たそうです。

●第五のラッパの災害は、クリスチャンとは関わりのないものです。しかし、この世の支配者や悪霊とも

が「ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを(クリスチャンであっても)捜し求めながら、歩き回

っている」(第 1 ペテロ 5 章 8 節)ことを私たちは知っています。クリスチャンは、彼らにより苦痛は味

わうかもしれませんが、彼らの所有にはなれません。特に、第五のラッパが教えているように、額に神様

の印を押されている人として相応しく生きる者であれば、「いなご」を勝つことができることも確信すべ

きです。ノアの洪水の審判から逃れる場所が箱舟だけであったように、「いなご」からの破滅(審判)から逃

れるところはイエス・キリストの御血だけであります。キリスト・イエスを信じることが死活の問題だとい

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えるのはこの点の故です。不信仰者の生き方をうらやましく思う必要もなく、まねする必要もないことを

も覚えて生活しましょう。

●黙示録 9:13-21、第六のラッパ

第六の御使いがラッパを吹き鳴らすと、神様の前にある金の祭壇の四隅から「大川ユーフラテスのほと

りにつながれている四人の御使いを解き放せ。」という声が第六の御使いに伝わりました。この表現には、

命令を聞いたことだけではなく、命令通りに御使いが従ったことをも暗示するものです。「大川ユーフラ

テスの辺につながれている四人の御使い」は悪い御使いです。というのは、良い御使いが繋がれている(束

縛)例がないからです。ユーフラテス川は、約 2900 ㎞にもなる長い川です。四人の御使いは、人類の

三分の一を殺すために用意されたものです。また、「定められた時、日、月、年」は、神様によって定ま

っている特定の時間を意味します。第六のラッパが第五のラッパと異なる点は、第六のラッパは人が殺さ

れることです。第六のラッパは、拷問するのではなく、殺す災害なのです。

●この災害は実際の戦争を意味するでしょうか。中国や韓国、日本などの東方からの 2 億の軍隊を意味す

るでしょうか(16 章 12 節)。騎兵の軍勢 2 億が実際の人数だと思う人もいます。しかし、本文は、騎兵

による災害ではなく、馬による災害として強調しています。つまり、人類の 1/3 が殺されるのは、馬の

口から出る火と煙と硫黄(三つの災害)の故です。ですから、戦争であれば騎兵が中心である筈ですが、馬

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が中心であることから実際の戦争だと理解することは難しいです。実際の戦争で馬だけで戦うことができ

ると思う人もいます。つまり、馬で戦争を象徴するということです。しかし、馬による戦争を態々その口

から出る火と煙と硫黄といた象徴的な言葉で表現することは理解しにくい点です。

第五のラッパに出るいなごのように象徴するものとして全体を理解することが妥当であります。特に、

馬に関する表現の中で馬の力が蛇のようにその尾にあったことや、その尾に頭があるということから実際

のものに対する表現ではないことが分かります。馬の力は足にあると表現する、足の力で人々を踏み殺し

たという表現が自然だからです。そして、何よりも戦争を象徴するものだとしたら、騎兵と騎兵、馬と馬

が戦い合って殺されたという表現が妥当ですが、本文は馬が人を殺したと語っています。2 億という騎兵

の人数も実際の戦争では考えられない人数です。

これらのことから、戦争と関わる災害ではなく、寧ろ、その馬に対する表現から考えると第五のラッパ

に出るいなごのように悪霊として理解することができます。「火と煙と硫黄」は、底知れぬ穴として、あ

るいは地獄を連想することができます。つまり、第五のラッパは悪霊ともが人間を拷問する災害として、

第六のラッパは悪霊ともが人間を殺す災害として理解することができます。

●どうしてこのようなことが起きるのでしょうか。20-21 節がその答えを提供します。「これらの災害に

よって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、・・・」という言葉ですが、このことは、

第六のラッパが悔い改めさせる性格があることを示します。つまり、罪を犯すすべての人々を審判するこ

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とのできる神様は、1/3 だけをさばき、2/3 を残してことで彼らを悔い改めさせようとしたのです。人

類は歴史の中で絶えず神様の前で罪を犯してきました。しかし、罪を犯しても何もないかのように過ごせ

ることは、神様が悔い改めるチャンスを与えるためであって、神様が何もできないからではありません。

また、災害から免れたことで自分の罪が見逃されたのではなく、その災害が罪を悔い改めるための警告で

あると認識すべきです。

災害を通して、人々に悔い改めを警告するとしたら、悔い改めるべき罪とはどんなものでしょうか。

それは、「偶像崇拝と、殺人、魔術、不品行、盗み」だと本文は教えます。十戒の代表的なものの一部と

して理解できます。偶像崇拝は、昔のことだと思う人もいますが、現代社会の中でもその深刻さを増して

います。魔術は薬と後に訳される言葉でありますが、占いや癒しのために行なった行為だと思われます。

不品行に走っている現代社会を私たちは注視しなければなりません。考えられないことを現代人は求め、

広め、味わい追求しています。これらの罪の極端に至ったことの故に審判を与え、災害を与え、それによ

って残された人々が悔い改めるように、ということです。神様の審判の一部(地獄の味の一部)を、先に

悪霊ともを通して示し、人々を悔い改めさせようとする意図が第六のラッパです。

社会に広がっている占いや性文化、特にインターネットを通じて無防備状態の多くの人々を巻き込む悪

の働きを覚えながら、子羊の御血により救われた者として歩まず、福音にも触れていなかった人や悔い改

めるべき人々に、私たちが福音を伝える者であることを示す個所でもあります。

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黙示録 10 章、新しい使命(1)

●黙示録 10:1-11、口には甘く腹には苦く

●この個所は、第 6 のラッパと第 7 のラッパとの合間のもので、後の第 7 のラッパが神様の奥義として成

就されることを示し、それによって聖徒を慰めています。まず、ヨハネは力強い御使いを見ました。最初

にヨハネは御使いを見、聞いたことから(1、4、8 節)御使いのところに行く(9 節)積極的な姿を見せていま

す。ヨハネのこのような位置の変化や御使いの描写は、後に起こる出来事に対して、それらの厳粛さを更

に強調します。強い御使いという表現も、御使いの力強さを強調することよりも、後に起こる神様の審判

と救いの完成を力強く示す意味合いを表します。頭上には虹があるという表現は、ノアの洪水を通して示

された神様の慈愛を思い出させ、審判の中であっても神様の慈愛が存在することを教えます。2 節の御使

いの姿は、この世のすべてに対する神様の審判を意味します(8 節も同様)。御使いは巻き物を左手に持っ

ています(5 節)。この巻き物と子羊の右手にある巻き物(5:7)を同一視する人もいますが、異なるもので

す。子羊の巻き物は封印が解きますが、御使いの巻き物は「封じて、書きしるすな」(4 節)と命じられてい

るからです。また、「ししがほえるときのように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がおのおの声を

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出した。」(3 節)と語っていることから、すばらしい御使いであっても御使いはただの伝令にすぎないこ

とを教えます。ここで「七つの雷」が何を意味するかは定かではありませんが、黙示録の中での「雷」は

神様の審判を表します(8:5、11:19)。それで、その内容は明確ではないが、恐ろしい神様の審判の宣告だ

と理解することができます。6 節は御使いが神様に誓っている姿を示しています。誓いの内容は、「もはや

時が延ばされることはない。第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の

奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」です。これまで神様は

人々に悔い改めの機会を与えるために、最後の時の来るのを延期して来られました。しかし、もはやそう

いうことはなくなったこと、つまり、人に悔い改める機会を与え続けても、もはや悔い改める者がいない

こと(9:20-21)への延長線でも理解できることです。

●「小さな巻き物を取って食べなさい」(8-11 節)。「口には甘く、腹には苦い」は、神様の御言葉を聞く

ことは甘いが、それを拒む者たちに伝えることは苦いことだ、と理解すべきです。エゼキエル(エゼキエ

ル 2:8-3:3)やエレミヤ(エレミヤ 15:16-18)も似た経験をしました。審判のメッセージには両面性があり

ます。神様の愛を知り、キリストの慈愛を知る者が神様の審判を伝える時には心の痛みが伴うはずです。

滅亡されるエルサレムを見ながら泣いたイエス様(ルカ 19:41-44)の心境と似たものです。11 節で「も

う一度・・・預言しなければならない。」と語ったことで、預言は預言者の自由意志ではなく、神様の命令によ

って絶対的な服従によって行われるものだと教えます。救いの完成、その前に起こる最後の審判の前で、

ヨハネは預言者としての更新を体験している箇所でもあります。

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黙示録 11 章、新しい使命(2)

●黙示録 11 章 1-14 節、聖所の測量と二人の証人

聖所の測量(1-2 節):ヨハネは、10 章と同じように 11 章でも使命者として登場します。10 章が預言の

ための再委任であれば、11 章は杖のような測り竿が与えられます。測り竿は、葦の真直ぐな茎でできたも

ので、その長さは 6キュビト(約 270 ㎝)です。ヨハネは、測り竿で「神の聖所と祭壇と、また、そこで

礼拝している人」を測ります。しかし、「聖所の外の庭は、異邦人に与えられている故、測ってはいけない。

彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。」と語っています。ヨハネは旧約の預言者たちのように象徴

的な行動をするようにと命じられました(イザヤ 20:2-4、エレミヤ 13:1-11 参照)。

まず、どうして聖所の内側と外側を区別したかを考えることにします。そして、外側の庭が異邦人によ

って42ヶ月間踏み躙ることの意味を考えることにします。象徴的な行為として測量に関する理解も大切で

す。ヨハネが書いた時代はエルサレム神殿が破壊された時なので、聖所は実物ではないという理解があり

ます。私たちは、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らない

のですか。」(第1コリント3:16)という言葉から、教会が神様の神殿だという認識をもってこの個所を理解

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することができます。イエス様が十字架での救いの完成により(ヘブル10:10,12)、旧約聖書的な本来の聖

所と祭壇との意味がなくなりました。ですから、聖所や祭壇は、イエス様の十字架によって完成された救

いを得て、そこで礼拝する人々、つまり、教会を指していると理解します。

それでは、測量を命じた理由は何でしょうか。測量は破壊のためでもありますが、守られるためにも行

います(イザヤ34:11、哀歌2:8)。教会が神様によって守られるという意味になります。守られる聖徒に対

して、聖所の外側にいる人々は未信者のことで、彼らは未信者によって踏み躙られることになります。

8 節の「霊的な理解・・・大きな都」という言葉は、2 節の「聖なる都」と同じ意味の言葉です。霊的な理

解とは、都が霊的ではなくこの世のものであることを示唆します。表面的には聖なる都でありますが、内

面的にはソドムのような腐敗したこの世のようなものだという意味です。ですから、測量は、神様がご自

身の民を徹底的に守られることを示す意図としての行為なのです。

●42 ヶ月間は異邦人に踏み躙られるという言葉は、異邦人は神様の守りから外されていることを意味しま

す。42 ヶ月間は、証言の期間(3 節)、迫害中に養われる期間(12:13)、迫害の期間(13:5)として理解できま

す。イエス様が天に昇られた時から再び来られる時までは、教会は証言する時、養われる時、迫害を受け

る時として過ごします。この期間は教会の宣教、試練、迫害の期間だということもできます。

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●「2人の証人」(3-6 節)

2 人の証人に 1260 日間預言するようにと力が与えられます(3 節)。この 2人の証人は「全地の主の御前

にある 2本のオリーブの木、また 2つの燭台です。」2人の証人は、①害を加えようとする者を彼らの口か

ら出る火で滅ぼし尽くす力と、②雨が降らないように天を閉じる力と、③水を血に変え、そのうえ、思う

ままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っています。ここで 2人の証人は誰でしょうか。

モーセとエリヤだと理解する人もいます。2 人の証人が持っている力をモーセとエリヤが経験しているか

らです。しかし、2 人の証人がオリーブの木、燭台ということから、実際の人ではない象徴的な表現とし

て理解できます。もし 2 人の証人が人であったら、7 節(獣と戦って殺される)や 9 節(もろもろの人々

が証人の死体を墓に納める)の言葉の理解が難しくなります。1260 日の間、証言するということから 1-2

節でも語った教会として理解することができます。光を照らす燭台、聖霊の力を頂くオリーブの木のよう

なイメージは教会を指します。42 ヶ月間の証言の期間(3 節)を重複して語っていると理解できます。

●2 人の証人の死(7-14 節)

この個所の理解の鍵は 8 節の「主もその都で十字架につけられた」という言葉です。その都をエルサレ

ムとは言えずに「霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都」だと語っています。つまり、神

様の都ではなく、この世の都のことで、証言が終わる時に悪霊ともがいる底知れぬ所から上って来る獣に

よって殺されると語っています。獣は 13 章と 17 章に出てくる「十本の角と七つの頭とがあり、その角に

は十の冠があり、その頭には神をけがす名があった」もののことです。反キリストの印でもあります。教

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会は反キリスト者に負けることを語る個所として理解できますが、問題は殺される(負ける)ことの意味が

何かを理解する必要があります。死んだことを喜んだ理由が「地に住む人々を苦しめたからである。」とい

う言葉から、証言(福音)により良心が苦しめられた、悔い改めを求めることに良心の呵責を感じたとい

う意味になります。彼らが互いに証人の死を「喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う」ことから、クリス

チャンに対する敵対心の高潮を感じることもできます。

しかし、この世の喜びは瞬間的なものです。神様が教会にいのちの息を与え、足で立ち上がせるからで

す。まるでイエス様が死からよみがえられたように、教会もそのようにしてくださるのです。しかし、復

活される教会は福音を伝えるためではありません。「雲に乗って天に上る」ためです。それに対して地上に

は、「大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖

に満たされ、天の神を崇めます。」神様を崇めることは、認めざるを得ないという意味であって、悔い改め

たという意味ではありません。そのことがあった後に、第 7のラッパの災害が起こります。

●11章 15-19 節、主の王国の完成を祝う

14 節の「第二のわざわいは過ぎ去った。見よ。第三のわざわいがすぐに来る。」という言葉の中で第三

の災いが第七のラッパのことであることが分かります。第一の災いが第五のラッパ、第二の災いが第六の

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ラッパ(9 章 13 節)であったことから、10 章で第二の災いが過ぎ去ったことになります。しかし、14 節の

表現は、第六と第七のラッパの連続性を強調するために書かれています。また、もう一つは、第七のラッ

パが災いであることから、本文は第七のラッパの内容とは一致しません。第七のラッパの災いは 16 章の内

容である七つの鉢の審判に当たります。ですから、本文は、第七のラッパの内容ではなく、第七のラッパ

の災いを先に見ながら神様の救いの完成と成就とをたたえる内容として理解すべきです。

16章の災い、「七つの鉢」の前までの内容は、①11章15-19節は、神様の王国の完成を祝い、礼拝する。

②12-14章は、神の王国とサタンの王国との戦いと、勝者と敗者が紹介される。③15章は、第7七ラッパの

災いのプロログに当たります。第七のラッパの災いが人類史のクライマックスであることから、そのため

の必要とされる背景とプロログが長く紹介されているのです。

●第七の御使いがラッパを吹き鳴らすと、「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。

主は永遠に支配される。」という天からの大きな宣言がありました。第七の封印が解かれる時には半時間ば

かり静けさがありましたが、第七のラッパの時には大きな声がします。それは、第七のラッパの災いを通

して成し遂げられる窮極的な勝利を祝う天のすべての御使いたちの反応であったかもしれません。この最

後のラッパと第1コリント書の終わりのラッパ(15章51-52節)は異なるものです。コリント書の終わりのラ

ッパは、死者がよみがえり、生きていた者が一瞬で不死を着るためのラッパですが、黙示録の最後のラッ

パは最後の災いを知らせるものです。

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御使いたちの祝いの焦点は、「この世の国が主とキリストのものとなり、主が永遠に支配される」ことで

す。「この世の国」とは、サタンの支配下にいたこの世すべてを意味します。「主とキリストのもの」とい

う言葉の中で「主」とは、神様を指します。父なる神様と御子イエス様が永遠に支配するという言葉は、

神ご自身による統治が中断されたり、断絶されたりすることがない、つまり、救いの完成を表します。地

上千年王国を主張する人々は、千年王国の終わり頃にサタンが放されて戦争があり、その後の審判で神の

国が完成されると語りますが、本文の永遠の支配するという言葉には、未来に到来する神の王国はその中

間に断絶とか中断のない永久の王国を指します。

●この王国の完成を24人の長老たちも祝います。彼らが地に平伏し、礼拝しながら語った言葉は、「万物の

支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感

謝します。諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あな

たのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ

者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」という感謝を表した言葉です。「万

物の・・・」という神に対する表現は黙示録ではよく見られる表現で、誰も神様の働きを拒むことができない

という全能の力を意味し、神ご自身の私たちへの救いの計画が完全で、完璧に完成されることを確信させ

ます。24人の長老は、神様の統治と審判とを感謝しています。審判は、信じる人々には報いを、信じない

人々には滅びをもたらすものです。この審判は20章11-15節に出る審判を指します。そこには信じる人々へ

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の報いは書き記されていませんが、信じる人々が受ける報いとは、自分の行いによるものではなく、子羊

による報いということで21章9節から22章5節までの内容と理解できます。子羊によって救われた者の中に、

いくつかのグループで分けられましたが、報われることは同じです。区別がありません。

●24人の長老の礼拝が終わると、「天にある、神の神殿が開かれた。神殿の中に、契約の箱」が見えました。

契約の箱が強調されているのは、子羊によって成就された契約の完成をしるし(sign)として示すためであ

って、後の私たちのために神殿や契約の箱が必要であるかのように思わせるものではありません。救いの

完成を成し遂げていることへの象徴的なものなのです。ですから、第7のラッパは、この世の終わりだけで

はなく、キリストによる救いの完成をも示します。一時期奪われていたかのように見えたこの世の支配権

の回復と、神様による統治の始まりを告げ知らせる役割をもしています。この意味から、第七のラッパは

信じる者には大きな希望と励ましと確信とを与えるものとなります。信じない者は、「いなずま、声、雷鳴、

地震が起こり、大きな雹」を見て悔い改めをしなければなりません。

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黙示録 12 章、女と大きな竜

●黙示録 12:1-6、女と大きな竜

12 章では、女と竜が敵対関係にあることを示しています。まず、女が誰かを考えることにします。ギ

リシャ神話のアポロの誕生神話にピソンという竜がアポロと母親を殺そうとした話があります。アポロが

無事に生まれ、後にピソンを殺すという神話です。ギリシャだけではなく、バビロンやエジプトにも似た

神話があります。しかし、黙示録はそれらの神話との全く異なるものです。類似点があっても本文の内容

は、幻を通して示されたことを書いたものです。「巨大なしるし」とは、女や竜が実際の存在ではなく、

何かを意味するしるしであることを教えます。つまり、女と竜は実際的な存在として理解すべきではない

ということです。それでは、何をしるすものとして理解すべきでしょうか。

マリアだという説もあります。しかし、6節の1260日の概念を当てはめることができません。また、

14,16,17節の解釈も難しくします。ある人はイスラエルだと主張します。ヨセフが夢見た内容から考え

られる話ですので説得力があります。子を産もうとする女にイスラエルを描写したところもあります(イ

ザヤ26:17-18、66:7、エレミヤ4:31、13:21、ミカ4:10、5:3など)。しかし、イスラエルと竜との

関係として理解できない部分があります。

本文は、女が生んだ子を「鉄の杖を持ってすべての国々の民を牧するはずの子」だと語ります。鉄の杖

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を持ってすべての国々の民を牧する方は、イエス・キリストです(2:27、19:15)。つまり、女はイエス・

キリストを産む者です。イエスを産んだ者とはマリアですが、17節の「女の子孫の残りの者、すなわち、

神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たち」という言葉から女を教会として理解することがで

きます。つまり、地上の神の民の共同体である、旧約のイスラエルと新約の教会(ガラテヤ4:26)を女

だと表現しています。

「太陽を着た」という言葉は、太陽のような権威と威厳をもっていることを、「月を足で踏む」とは、

天の栄光を持っていることを、「12の星の冠」は、新旧約の12部族と使徒を意味するものとして理解で

きます。ですから、「産みの苦しみと痛みのために叫んだ」ことを、キリストが再び来られるまでの苦し

みとして理解できます。パウロは、「キリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦

しみをしています」(ガラテヤ4:27)と語り、クリスチャンになることやクリスチャンとしてふさわしく

成長のためには苦しみが伴うと教えます。

●また、別のしるしもありました。それは、「大きな赤い竜で、七つの頭と十本の角とを持ち、その頭に

は七つの冠をかぶっていて、その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。」と

いう幻です。9節には竜が「悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇」だと語って

います。ですから、竜はサタンを指しますが、7つの頭と10本の角は何を意味するでしょうか。頭が7つ

であれば角も7つが一般的ですが、一つの頭に何本かの角があったりすることは、巨大な権力をもってい

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ることへの暗示的な表現として理解できます(頭の角を権力として理解)。「大きな赤い」という表現もそ

の権力が大きさと、その力で聖徒の血を流すという流れから理解できます。その破壊的な力は「星の三分

の一を引き寄せ、地上に投げた」という言葉からも理解できます。

この竜と女は敵対関係であり、破壊的な力でサタンは女である地上の神の民の共同体を攻撃しているこ

とが分かります。女が子を産む時の苦しみは、イエスキリストが生まれるための旧約の苦しみ、つまり、

サタンは生まれていなかったメシヤを無くすためにアベルを殺し、サラとリベカをアブラハムとイサクか

ら取り上げようとし、エサウがヤコブを、エジプトでは男児をみな殺そうとし、ダビデを殺し、ダビデ王

家を皆殺そうとし、ユダヤ人すべてを抹殺しようとしたこと、そして決定的な出来事としてキリストを十

字架によって除去しようとしたことなどを意味します。しかし、そのキリストは天に昇られ、御座に引き

上げられました。生まれるまでのサタンの攻撃は無意味であったということです。ここでは、メシヤによ

る救いの完成については言及していませんが、サタンの攻撃が無意味であったことで勝負はついたことを

暗示します。

●生まれた子を殺せなかったサタンは、その子を産んだ女を攻撃します。そこで、女は3年半の間、神様

によって養うために備えられた荒野に逃げます。この3年半の期間は11章にも出ますが、キリストが天に

昇られた後から再び来られるまでの期間としての理解できます。つまり、文字通りの期間ではなく、教会

の時代を意味します。荒野とは、イスラエルの民が出エジプトの時に体験した荒野を象徴します。ですか

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ら、荒野への逃避は出エジプトを意味するものとして理解できます。イスラエルの民が荒野での生活を通

して養われたように、神様は、地上の神の民の共同体を荒野で養われるということです。キリストの昇天

により始められた教会を、神様は、キリストが再び来られる時まで養ってくださるという恵みの知らせで

もあります。地上の教会には様々な困難と大変さがあります。しかし、神様によって守られ、育つところ

です。出エジプトをして荒野で守られたイスラエルのように。

●黙示録12:7-12、ミカエル軍と竜軍との戦い

「天に起こった戦い」はいつのものだったでしょうか。11節の「兄弟たちは、小羊の血と、自分たち

のあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」という言葉から、十字架の出来事だと理解できます。十字

架での勝利の結果、聖徒たちも竜に打ち勝つことができました。ただミカエル軍を描写したのは、ミカエ

ルは竜からイスラエルを助ける御使い(ダニエル10:13、21、12:1、ユダ9節)であるから、勝利を下

に私たちを助け、勝利者とすることを強調するためです。敗戦により竜は1260日(3年半)の期間を地に

投げ落とされます。これを、ダニエル書9章で語っている七十週の半週の間として理解する人もいます。

9節は、竜の正体が「悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇」だと教えます。

サタンはヘブル語で、敵対者、破壊するものという意味を持っています。本文では神に訴えるものだと説

明しています。悪魔はその別名で、エバを誘惑して罪を犯させたのを始め(創世記3:1-7)、ヨブを訴え

(ヨブ1:6-19、2:1-7)、イエス様をも試みました(マタイ4:1-14)。そして今に至るまで、信仰者を

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堕落させようとして働いています(第Ⅰペテロ5:8)。その性質は執念深く(ルカ4:13)、狡猾(第Ⅱコ

リント11:3、14)ですが、十字架によって完全に敗北されました。

その結果、「神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われ」ました。聖徒たちも悪魔に立

ち向かい、勝利を得ることができます(ヤコブ4:7)。「自分たちのあかしのことばのゆえに・・・死に至る

までもいのちを惜しまなかった」という言葉で、御言葉を伝えるために殉教も惜しまなかった聖徒が勝利

を得たと教えます。殉教は失敗や敗北ではなく、勝利です。

サタンは敗北により自分の最後が迫ってくることを知り、最大の力で聖徒たちを苦しめます。「激しく

いかった」ことがそれを表しますが、聖徒にとっては喜びの時です。それは、サタンの発作的な迫害は神

の国の到来を意味するものなので、どんな迫害であれ、聖徒の喜びを奪うことができません。

●黙示録12:13-17、サタンの女への攻撃

「女は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時

の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ

吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。」は、6節のことをもっと詳しく説明している部分です。地に

投げ落とされたサタンは、自分の活動期間が短いことを知っているので、荒野に逃げた女(教会)に集中

的な攻撃を仕掛けます。「わしの翼二つ」は、イスラエルがエジプトから救い出されたイメージ(出エジ

プト19:4、申命記32:11)として、神様の力と神速な逃避を表します。「養われる」ことは、必要なもの

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が供給されていることを意味します。つまり、サタンの攻撃から神様は教会を守り、その必要を満たして

くださるということです。「水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流す」ような攻撃

を仕掛けても、サタンのどんな攻撃であれ、教会は神様によって守られることを明確に教えます。

神様の助けによって女に対する攻撃が無気力であったことから、サタンは、更に「激しく怒り、女の子

孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦い」を望みます。「イ

エスのあかしを保つ」ことは、「神の戒めを守る」ことと同じで、イエス様をあかしするという意味で理

解できます。つまり、イエス・キリストを伝える聖徒への迫害が激しくなることを意味します。聖徒たち

と戦うために「海ベの砂の上に立った」のは、13章1節以下の「海から一匹の獣」とつなぐためで、猛

烈な攻撃をするための準備態勢を表します。

歴史的にヨハネは、ローマによって迫害されている教会を見ながら、迫害の背景にサタンがあることを

明確に知ったことでしょう。神の民は、いつの時代であれ見える世界を通して見えないサタンの姿を直視

する者でなければなりません。そして、子羊の血と御言葉に対する殉教的な姿勢でサタンに勝利を得る者

であると確信しなければなりません。イエス様の十字架での出来事によって確保された勝利を、現実的に

自分のものとすることができますように。

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黙示録 13 章、海の獣と地の獣

●黙示録 13:1-10、海から上ってきた獣

12章では大きな赤い竜が女とその子孫を迫害する場面が出ましたが、13章では赤い竜の使いである海

から上ってきた獣(1-10節)と地から上ってきた獣(11-17節)が神様の民を苦しみ、迫害することを示し

ています。黙示録は、赤い竜と海からの獣と地からの獣を「サタンの三頭体制」として描写します。即ち、

三位一体の神様を真似ているのです。父なる神様を真似た竜、御子イエス・キリストを真似た海の獣、聖

霊を真似た地の獣で、「にせ三位一体」のサタンが神の民を苦しめ、誘惑し、サタンを拝むようにします。

海から上ってきた一匹の獣は、「神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとし

て・・・海ベの砂の上に立った」竜の続きで、その海から上って来たものです。ですから、13章は12章に

出ている竜と女の子孫との戦いの延長です。それでは、海は何を意味する言葉でしょうか。17章15節で、

「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語」と書いてあ

ることから、私たちが住んでいる世界を指す言葉として理解できます。地から上ってきた獣のことも同じ

で、海と地という言葉で全世界を意味すると、理解します。12章12-13節で「地と海とには災いが来る。

自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は・・・」と同じ表現です。

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ヨハネが見た海の獣には、「十本の角と七つの頭に、その角には十の冠」がありました。獣という言葉

は、子羊に対して対照的な言葉で、その残酷性を示唆します。本文はその獣の正体を暴くいくつかの資料

を提供しています。

①竜は、この獣に自分の力と位と大きな権威とを与えました(2節)。12章で、竜は女に対して激しく怒

り、女の子孫の残りの者たちと戦おうとして出て行きました。その竜が獣に自分の力と位と大きな権威

とを与えたことから、獣は竜の化け物であると理解できます。

②獣の姿は「ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった」(2節)と語って

います。この表現は、ダニエルが見た四頭の大きな獣も似ています(ダニエル7章)。ダニエル書の四頭

の大きな獣は、みな神様に背き、聖徒を迫害する国家を表します。ですから、海の獣は反キリスト国家

として理解できます。

③海の獣に「十本の角と七つの頭に、その角には十の冠」(1節)があることで、角は権力の象徴である

ことから冠と共に獣は権力を持つ反キリスト者だと理解できます。17:10では「七つの頭」を「王たち」

のことだと語っていますので、反キリスト国家の王たちとしても理解できます。その中で「一つは打ち

殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従う」

(3節)ことから「致命的な傷の直った最初の獣」(12節)や「剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの

獣」(14節)が海の獣です。海の獣の正体は、致命的な剣の傷を受けながらなお生き返ったものです。イ

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エス・キリストの復活を真似たことにすぎません。

④権威が与えられたので人々は竜も獣も拝みます(4節)。この世の人々にとって獣は驚嘆の対象であり、

崇拝の対象です。獣と戦って勝つものが世にはいないからです。しかし、「だれがこの獣に比べられよ

う。だれがこれと戦うことができよう」と叫びましたが、実はその叫びは虚勢に過ぎません。17章14

節は、「この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます」と書いてあり、虚勢の叫び声で

あったことを明確に教えます。つまり、子羊は獣に勝つということです。まるで獣に勝つものがいない

かのように、大声で叫んだ問いかけでしたが、嘘つきにすぎません。

⑤海の獣は、神の御名とその幕屋、すなわち、天に住む者たちを罵り、聖徒たちに戦いを挑むため力を

持った獣です。つまり、天上に住む者を罵り、聖徒たちを苦しめるものです(6-7節)。12章で、「天に

戦いが起こり、ミカエルと彼の使いたちが竜と戦い、竜とその使いたちが負けた」ことが書いてありま

す。それで、負けた竜とその使いは「傲慢なことを言い、けがしごとを言う口と、神をけがす名をもつ

頭」で、この世の人々と聖徒たちに現れます。第2テサロニケ2章4節で、「すべて神と呼ばれるもの、

また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると

宣言します。」と語っているとおりです。海の獣は、自分自身を神格化し、神様を冒涜します。そして、

神様と天に住む者ともに敵対心を持ち、神様の御名を冒涜すると必ず死ぬことを知りながら(レビ記24

章16節)、サタンの代弁者として「思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるも

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のとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで」(ダニエル11:35)活動

します。

⑥獣には42ヶ月間の活動する権威を与えられました(5節)。権威を与えたのは神様ではなくサタンです。

しかし、その権威が時限性を持ち、聖徒の忍耐を越えるものではないことから神様からのものだという

人もいます。そうでなかったら、無期限で、忍耐を超える迫害もあり得るからです。サタンの働きも神

様の御手の中で許された範囲だけのものだということです。

⑦「とりこになるべき者は、とりこにされて行く」(9節)という言葉から、海の獣は聖徒を迫害する者

であると明記します。

しかし、このような海の獣の姿に対してヨハネは聖徒たちにこう語ります。「剣で殺す者は、自分も剣

で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある」(10節)と。つまり、海の獣に虜になること

があっても、結局のことは海の獣の負けであり、聖徒の勝利は明確であるから、迫害の中であっても謙虚

に忍耐すべきだということです。聖徒の窮極的な勝利と獣の追従者の滅亡は14章で明確に書き記してい

ます。また、8節の言葉のように聖徒は「ほふられた小羊のいのちの書」に書き記された者だから忍耐す

ることができると教えます。どんなに激しい迫害であれ、聖徒は神様が「霊とたましいとからだを完全に

守られる」(第1テサロニケ5:23)確信がありますので、このような神信仰の故に忍耐が可能なのです。

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●黙示録 13 章 11-18、地から上って来た獣 666

●「地から上って来た」(13節)ことは、地を海と同じように世界すべてを指す言葉の一つとして理解する

と、人間世界から獣が出たことになります。地の獣は、海の獣よりも弱いイメージの獣で、19:20の「獣

は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々

とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた」という言葉からにせ預言者だと思われます。

特に、「子羊のような」という言葉から地の獣もキリストを意識したものだと思われます。子羊イエスに

は7本の角(5:6)がありましたが、地から出た獣には2本の角であります(海からの獣は10本)。このこ

とから、地の獣は子羊を意識しますが、海からの獣に比べてその力が弱い存在だと思われます。姿や力に

おいては弱く思わせるものですが、「竜のようにものを言う」、つまり、影響力の強い惑わしの言葉を語る

存在であります。このことから地の獣はキリストを真似たにせ預言者のような存在だと思われます。

●地からの獣に権威はありませんでしたが、海の獣を働かせることで、海の獣を拝むようにします。海の

獣がにせキリストであれば、地からの獣はにせキリストのように思わせる海の獣を崇拝するようにとする

にせ預言者のようなものです。ローマ時代の皇帝を海の獣だとすれば、皇帝崇拝をさせる司祭が地からの

獣であるということです。「その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし

た」(15節)という言葉から、海の獣がにせキリストであれば、地の獣はまるでにせ聖霊であるかのように

見る人々に確信を与えることで、三位一体の神様を真似た「サタンの三頭体制」、竜・海の獣・地の獣と

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いう構造を見せます。地の獣は、にせ宗教をもって人々を惑わすのではなく、サタン的な力を持って人々

を惑わし、実際の奇跡を人々に示し、確信を与えています。偶像が語るようにし、火を天から地に降らせ

るような大きなしるしを行ないます。海の獣に息を吹き込むことは、いのちを与えられる聖霊様の働きを

真似る行為でもあり、それらを通して人々をも誘惑し、惑わし、堕落させます。ここで、また注目すべき

ことは、獣崇拝のみならず、それに応じなかった人々をみな殺す権威をも持っていたことです(15節)。

歴史上に多くの人々が偶像崇拝を拒んだことで殉教されたことを知っていますが、ここで殉教される

人々は、海の獣を崇拝する時代に住む聖徒たちを指すことでもあります。

●「666」という数字は、黙示録を読む人々に終末に関する興味深さを起こさせる言葉の一つです。獣

の名のしるしを「小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷に

も、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた」ことから、刻印を受けさせた獣の名の

しるしがどんなもので、いつそのようなことが起こるかに関心を持ちます。ある人は、今の時代のバーコ

ード(bar code)のようなものだ解釈しました。今の時代にはバーコードは商品には必修的なものにな

っているからです。「だれも、買うことも、売ることもできないようにした」という表現を裏づけます。

しかし、私たちはここでしるしという言葉を現実的なものと理解しなくてもよいと思います。なぜなら、

①14:1の「小羊の名と小羊の父の名」がしるしとして聖徒の額に書いたという言葉をその通りに理解す

るのではなく、キリストと神様の所有となったことへを象徴的な言葉として考えた方が妥当だからです。

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ですから、獣の名のしるしも、獣の所有となった人々を象徴する言葉として理解するのが妥当です。

②7:3の「神のしもべたちの額に印を押してしまうまで」という言葉も、神様の所有となった者として神

様に守られることを意味する箇所です。印とは所有の象徴なのです。

③また、黙示録の全体には子羊のいのちの書に書かれた聖徒たちとサタンに属して滅びる人々とを明確に

区別して語っていることからも、しるしは両者を区別するという意味で理解すべきです。

④13:18の「思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数

字は六百六十六である。」という言葉からも考えられることがあります。それは、獣の数字が666であれ

ば、666を数えるためには思慮は必要ありません。思慮が必要なのは、666が「人間を指している」象

徴的なものだからです。つまり、666は数字ではなく象徴的なもので神様ではない人間を意味することで

す。

ですから、これらのことから獣の数字を文字的ではなく、象徴的な言葉、特に獣に属するという所有の

概念で理解することができます。獣の所有となった者は一時的には自由や豊かさを味わいますが、最後に

は滅びる存在です。聖徒たちは宗教的な面だけではなく、経済的な面においても被害や苦しみを受けるこ

とで、地の獣が政治・宗教・経済といたすべての分野で統治する全体主義的な働きをすることも分かりま

す。人を指すという言葉から、そのような統治者としての獣であると理解することができます。

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●ギリシャ語やヘブル語はアルファベットを数字として用いることができる言語(ゲマトリア)です。で

すから、教会の歴史にはこの666を文字化して多くの人々を意識したりしました。例えば、ローマ皇帝の

名前が多く取り上げられたりしました。特にネロ・シーザー(Nero Caesar)が当てはまった人物でした

が、実際のスペルではなく、省略したりして合わせたものであって、666という文字そのものに当てはま

る存在はいませんでした。何よりも、ギリシャ語での言葉をヘブル語で換算したり、計算したりしなけれ

ばならない感覚で、黙示録をヨハネが書いたと思うのは無理が生じる考えです。北朝鮮の金正一の選挙区

を誕生日で換算する報道を見ましたが、そのような言葉遊びのようなものである筈がありません。

6をいう数字を、神を表し、完全を意味する7という数字に比べて、完全には至れない人間、あるいは

サタンの数字として理解することができます。ヨハネ自身も「人間をさしている」数字だと強調していま

す。つまり、三位一体の形を持っていて様々なしるしを示しても、それらは神ではなく、神にはなれない、

にせの存在であることを強調するための言葉であるということです。666という数字は、三位一体の神様

を真似たにせ三位一体、「サタンの三頭体制」ということから6を3度強調した表現だと思われます。即ち、

三位一体の神様を真似た「サタンの三頭体制」は、「にせものだ、にせものだ、にせものだ」という意味

の言葉が666だということです。竜(サタン)も、海の獣(にせキリスト)も、地の獣(にせ聖霊)もにせ、

にせ、にせだという表現です。ですから、思慮深い者が求められています。本物ではない、にせものであ

ることを見分ける思慮が必要であり、知恵が必要なのです。人間がいくら自分自身を神としても真の神様

に至れません。歴史上多くの人が自分を神とし、人々が自分を拝むようにしたことを思い出せば、誰一人

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人間が真の神ではなく、にせものだ思うことができるはずですが、未だに人間を神様として拝もうとする

人々がいます。

ですから、いつの時代であれ、自分を神とするにせ神を見分けるための思慮が求められます。獣の姿を

見分けるためではなく、獣の正体を見分けるための思慮です。にせ三位一体の形をもって、獣を崇拝させ

るために人々を殺すことまでもする、それで神の民までも神様を捨ててにせものに崇拝させようとするそ

の正体、本質を見逃してはいけません。

666という数字をもって獣の名を教えたのは、地の獣の時代には殉教まで覚悟して信仰を貫かなければ

ならないことを教えるためなのです。つまり、忍耐を持って信仰を守り、貫くことが必要とされる時代が

666の時代、にせ神崇拝の時代だということです。どんな状況であれ私たちの信仰から獣の数字が見つか

ることのないよう者であるように、という言葉が本文の結論です。

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黙示録 14 章、144,000 人

●黙示録 14:1-13、主にあって死ぬ者は幸い

第七のラッパと七つの鉢の間に12-14章があります。12章には女と赤い竜が登場し、13章では赤い

竜の使いである海の獣と地の獣が登場しました。サタンの三頭体制(にせ三位一体)は、彼らの力と宗教

の思想を用いて多くの人々を従わせ、女の子孫である教会を絶えず攻撃します。しかし、14章では神様

の民の救いと勝利を、獣に従った者の滅びを明確にします。「ここに聖徒の忍耐と信仰がある」(13章10

節)という言葉が14章を通して有効であること、つまり、聖徒が信仰によって忍耐できるようにと励ま

す内容が14章なのです。

14章は千年王国(20章4-6節)の要約だという人もいますが、主の再臨後の完成された天国だと理解す

る人もいます。14章は、①1-5節は子羊と共にシオンの山に立つ144000人を、②6-13節は審判の時

とバビロンの滅亡の宣言を、③14-20節は鋭いかまと大きな酒槽で象徴された審判を記しています。

●シオンの山に立つ144000人(1節):獣の名のしるしを持てない、子羊と子羊の父の名が印された人々

のことです。ここで、ヨハネは再び子羊を見ます。封印を解くための子羊(5章6節)ではなく、シオン

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に立っている子羊です。この子羊は、流された血によって勝利を得た方で、十字架と復活で勝利された方

です。勝利者として子羊はシオンの山に立っています。このシオンの山は地上のものではありません。「天

からの声」(2節)や「御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った」(3節)こと

から、シオンの山は天上のものです。ヨハネが天を見ると、そこには子羊と共に144000人が立ってい

ました。この144000人は、

①額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあります(1節)。このしるしは、13章でも学んだように

神様に所有であり、神様によって守られている人々を意味します。

②新しい歌を歌います(2節)。新しい歌とは、救いの完成を歌うからです。旧約聖書でも新しい恵みを受

ける時には新しい歌をささげました。神様の完成された恵みによって新しい感謝と喜びの歌がささげら

れているのです。ですから、新しい歌は144000人以外には学ぶことも、歌うこともできません(3節)。

③贖われた小羊にささげられる初穂です(4節)。4節は結婚を禁じ、独身を勧める個所ではありません。こ

こでの「童貞」という言葉は、汚されたことのない人を意味します。4節の「女」は、13章の女とは異

なって、偶像崇拝を意味します。「初穂」は、次の穂を前提にして語った言葉ではなく、神様の民の特

徴を語る言葉として理解すべきです。「父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生み

になりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです」(ヤコブ1:18)という言葉のように、

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神様の特別な所有となったことを象徴します。彼らが「偽りがなかった。彼らは傷のない者」(5節)だ

ということは、旧約聖書でささげられたいけにえのような存在で、同時にキリストに似た者であること

を表します(ヘブル9章14節、第1ペテロ1章19節)。

●神様の審判の時(6-13節):

ヨハネは、ひとりの御使いが中天を飛び、地上に住むすべての人々に宣べ伝えるために永遠の福音を携

えていたのを見ました。飛んだのは、素早く伝えるためであります。その福音とは「神のさばきの時」を

伝えるためのものです。つまり、福音が審判でもあるということです。信じる者には福音ですが、信じな

い者には審判であるということです。これに対する反応の二通りです。「主よ。だれかあなたを恐れず、

御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、

あなたの御前にひれ伏します。」(15章4節)という人々と、「彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ

神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。」(16章9、11、21節)

人々です。

続いて第2の、別の御使い出て「大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こすその不品行

のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた者。」(8節)と語りました。最初の御使いが続けて8節を語る

ようにはせずに、別の御使いが登場したのは、宣布する内容を更に劇的に表現するためです。

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最初の御使いによって語られたことの結果を第2の御使いが宣布しますが、その内容はバビロンの滅亡

に関することです。未来の出来事ですが、そのようになることが明確なことなので、過去形として、それ

も2回強調して語っています。バビロンの滅亡に関しては17-18章で書き記されています。そのことを

14章も語っていることで、黙示録が年代順での記述ではないことを示します。同時に、年代順ではない

ということが黙示録の解釈の難しさを表します。18章で、バビロンの正体が明らかにされますが、ヨハ

ネはローマをバビロンとして理解したと思われます。その後は神様に逆らう不信世界のすべてを意味して

いると考えてきました。「不品行」は、「童貞」の正反対の言葉で、神様に対する行為としての偶像崇拝を

意味します。

第3の、別の御使いが登場します。彼はバビロンだけではなく、獣とその像を拝み、獣のしるしを受け

た者が滅ぼされることを宣布します。13章15節で「獣の像を拝まない者をみな殺させた」という言葉は

表面的なことで、獣の力は神様の前でいかに脆いものであるかを教えます。そして、実際に苦しめられ、

滅ぼされる者が獣であり、獣に従ったものであると語ります。ですから、御使いは、神の戒めを守り、イ

エスに対する信仰を持ち続けるるようにと語っています。「火と硫黄」はソドムとゴモラの滅亡のために

天から下ったものですが(創世記19章24節以下)、その後からは神様の審判を表す言葉として用いられて

きました。彼らが「聖なる御使いたちと小羊との前」で苦しめられると語っていますが、「聖なる御使い

たち」は救われた聖徒に仕えた御使いのことです(ヘブル1章14節)。永遠にまでも立ち上る苦しみの煙で、

昼も夜も休みを得ないと語っていますが、この言葉は、滅亡される者への恐ろしい警告です。

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聖徒たちは獣の像を拝まないことで殺されていきますが、また、そのことで聖徒たちは落胆と恐怖を覚

えるようになりますが、14章での記述、つまり、バビロンと獣や獣の追従者の終末を見ることで、13章

10節の言葉通りに「忍耐と信仰」を持たせる確信と励ましとを得ます。不信世界の終末は、私たちがい

かなる状況で苦しんでも、私たちの信仰を奪うことのできないもので、13章は私たちの喪失を意味する

かのようですが、喪失ではなく至福を意味することだと明記するものです。ですから、13節で「『今から

後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて

休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである」と語りました。聖徒が死ぬことは主と

共に生きるためです。私たちの教会に飾ってある掛け軸の言葉(「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅

く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあ

ってむだでないことを知っているのですから。」、第1コリント15章58節)も同じ流れの意味です。

●黙示録14:14-20、鋭い鎌と大きな酒ぶね

前節でバビロンと獣の追従者たちの審判と滅亡が言及されていましたが、本文は、その審判と滅亡が鋭

い鎌に刈り取られることと大きな酒ぶねが踏まれる譬えで語っています。本文は、審判者が「人の子のよ

うな方」だと示されています。「人の子のような方」はキリストのことで(1章13節)、白い雲に乗ってい

て金冠をかぶり、鋭い鎌を持っていました。イエス様の再臨は、人の子としての再臨です(マタイ24章30

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節)。金冠をかぶっておられるのは王の王であることを、鋭い鎌はイエス様が審判者であることを象徴する

ものです。15節の「もうひとりの御使い」は、6、8、9節に出る「別の御使い」の続きで、14章に出る

4番目の御使いです。前の御使いが迫ってきた審判を宣布したことに対して、第4番目の御使いは審判の

執行命令を伝えています。雲の上におられる方はキリストなので、その方に向かって大声で「かまを入れ

て刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから」と叫びます。

穀物が実ったという言葉は、選ばれた人々への救いとして理解できる個所(マタイ9:37-38)もあり

ますが、ここでは審判そのものを意味します。「かまを入れよ。刈り入れの時は熟した。来て、踏め。酒

ぶねは満ち、石がめはあふれている。彼らの悪がひどいからだ。」(ヨエル3章13)は、まさに審判そのも

のを意味する言葉として用いた個所です。

●17節に登場するもうひとりの御使いは、14章で出る5番目の御使いですが、人の子のような方と同じ

鋭い鎌を持っていました。それは、ぶどうのふさを刈り集めるためです。18節でも火を支配する権威を

持つもうひとりの御使いが登場します。本文の御使いたちは、聖所と祭壇から出た御使いたちですが、祭

壇は8章に出てくる聖徒の祈りがささげられる香の祭壇であると思われます。つまり、聖徒たちの祈りの

香と共に祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた神様の御怒りを象徴します。火を支配する権威

をもつ御使いが鋭いかまを持つ御使いに「その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどう

はすでに熟しているのだから。」と語ります。その結果として「ぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの

大きな酒ぶねに投げ入れた。その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のく

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つわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。」(20節)と語っています。酒ぶねは、ぶどう酒

を醸造じょうぞう

する際、ぶどうの実を踏み、圧搾あっさく

する槽そう

を指します。圧搾槽は広さ2㎡、深さ60cmほどの自然の石灰せっかい

岩床がんゆか

に掘り込まれた箱形の穴である場合が多く、この中にぶどうの実を入れ足で踏み、底の小穴から流れ

出る液は下方の受容じゅよう

槽そう

に流れ込む仕組みです。酒ぶねの中に収穫したぶどうの実を入れ、収穫の歌を歌い

ながらそれを踏みつぶすことから、その作業は、主が敵を打ち破らる時の勝利を表す(イザヤ63章1-6)

とともに審判の象徴とされています(哀歌1章15、ヨエル3章13)。最後の審判の酒ぶねを踏まれる方

はキリストです(19章15)。

●この審判の恐ろしさを「酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに

届くほどになり、1600スタディオンに広がった」という言葉で表現しています。スタディオンは距離の

単位で、ギリシヤ・フィート(30.8cm)の600フィートに相当し、約185mです。1600スタディオ

ンは、約300kmです。このように長い血の川を見たことがあるでしょうか。1600は、4×4×100と

いう数字なので、世界的で、徹底的で、完璧な審判を指すと理解することでもできます。悔い改めるチャ

ンスを与え、忍耐を持って一日は千年のように待ってくださることを拒む者の最後の結末です。「しかし、

今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅

びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはい

けません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人た

ちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あな

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たがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに

進むことを望んでおられるのです。」(第2ペテロ3章7-9)このように私たちが神様の審判を信じている

としたら、私たちは一生懸命に福音を伝えなければなりません。

「都」(20節)は、小羊のいのちの書に書かれた口には偽りがなく、傷のない者だけが入る新しいエル

サレムを意味します。「都の外」はイエス様が私たちを救うために神様から審判を受け、死なれたところ

でしたが、今度はその審判の場所である都の外で、救い主を受け入れなかった人々が神様から審判を受け

ます。

この審判が19章のことだと語る人もいます。19章の最後の審判が14章で紹介された理由をこう説明

しました。「国家と教会との葛藤の背後に何がいて、そしてそれが最終的にどのようになるかを説明する

のが12章から14章までの文脈です。それは、暗闇とキリストとの古い戦いです。14章はその結論です。」

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黙示録 15 章、最後の七つの災害

●黙示録 15:1-8、満ちた七つの金の鉢

12-13章は、サタンの三頭体制、即ち、赤い竜と海の獣と地の獣の破壊と惑わす活動とが書かれてあ

りました。14章は、神様に属する人々が祝福され、サタンに属する人々が滅びることが予告的に描写さ

れていました。15-16章は、最後の災いとして七つの金の鉢が書かれています。その中で15章は七つの

鉢の序論が、16章は七つの鉢の内容で構成されています。

●15章1節の「天にもう一つの巨大な驚くべきしるし」とは、12章1節の「巨大なしるし(ひとりの女)」、

12章3節の「別のしるし(赤い竜)」のしるしとは違って、「驚くべき」という表現が加えられています。

この表現は神様がなさる御業を描写する時に用いています。神様に畏れを表すために用いる表現です。七

つの鉢を通して示され、16章17節の「事は成就した。」という言葉で終わる災いがサタンの三頭体制と

人間、自然にどれほどの恐ろしいものであるかを考える時に、神様の前で私たちは自然に「驚くべき」感

情を抱くようになります。

1節の出てくる七つの災害を携えた七人の御使いと5-8節はつながっていますが、その間の2-4節は、

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獣とその像とその名を示す数字とに打ち勝った人々が御前で賛美をささげる場面です。このような表現は、

8章の七つのラッパを持つ御使いに対する描写と似ています。8章も3-5節では「聖徒たちの祈りととも

に、御使いの手から神の御前に立ち上る香」が書かれて、6節から再び語る七つのラッパを持つ御使いの

間に別の内容として入っています。

七つの鉢の災いの中で出エジプトでの災いと似た内容があること、また、モーセの歌や聖所に煙が満た

されたこと、あかしの幕屋の聖所などの表現も類似点があって、出エジプトのようにエジプトを審き、イ

スラエルを祝福し、導くことを暗示していると、理解する学者もいます。

●3-4節のガラスの海での賛美は、最後の審判を示す前に神様がご自身に属する民を励ます意図を持つ個

所です。七つの鉢を持った七人の御使いの準備が完了した状態で、「混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶ

どう酒を飲む」(14章10節)時が来ました。しかし、その瞬前に聖徒への配慮が書かれています。それが

ガラス海での賛美です。ガラスの海は4章でも書かれていて、そこが神様の御座の前であることを教えま

す。しかし、4章6節とは異なる「火の混じった、ガラスの海のようなもの」が2節には書いてあります。

この表現も神様の審判を強調する言葉として理解できます。このガラスの海で賛美する人々は、「獣とそ

の像とその名を示す数字とに打ち勝った人々」で、13章17節に出る人々です。同時にすべて神様に属す

る聖徒たちでもあります。新しい紅海を渡って御座の前にいくすべての人々だからです。

「神の立琴」は、四つの生き物や24人の長老も使ったもので(5:8)、144000人も用いました(14:2)。

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「神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っている」姿は、いつの時代であれ、聖徒たちを励

し、大きな確信と忍耐とを与えます。それは、獣の数字ではなく、子羊の血が霊的出エジプトを成し遂げ

るという確信です。賛美のタイトルは「モーセの歌と子羊の歌」です。モーセの歌も子羊を歌っています

(過越しの子羊、出エジプト15章)。ですから、出エジプトと最終的救いは類似点があります。

賛美は神様にささげますが、その内容は、「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきもの、あなたの道

は正しく、真実です」というものです。賛美する人々の姿勢は、「恐れ、ひれ伏して」です。「すべての国々

の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。」は、救いの完成を意味する表現であって、すべての人々が

救われることではありません。すべての人々が認めるという意味です。

●七つの鉢の準備(5-8節):16章1節には「七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ」という命令が、17節

には「事は成就した」という宣言で終わっています。これらのことは、「神様の奥義」(10:7)であり、「地

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。…数が満ちるまで」(6:9-11)の内容の成就です。

この審判を準備するのが七つの鉢です。「あかしの幕屋の聖所」とは、審判の基準が天にあることを暗示

し、七つの鉢を持つ御使いの姿は、大祭司長の衣であることから神様のしもべとして純粋で、きよめられ

た者であることを意味します。鉢は、5章8節の「聖徒たちの祈りである香」を受ける鉢としても理解で

きます。但し、聖徒の祈りで満ちた鉢ではなく、神様の御怒りで満ちた鉢です。8節の神顕見は、定めた

通りに災害が終わるまでは何一つ変わらないことを、神様の威厳と栄光をもって明記する場面です。

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黙示録 16 章、神様の激しい怒りの鉢

●黙示録 16:1-9、第 1-4 の鉢

16章では、七つの鉢の災害が出てきます。今まで私たちは七つの封印、七つのラッパを見てきました。

七つの封印の中で第4の封印までは人間の破壊に焦点があり、七つのラッパの中で第4のラッパまでは自

然破壊にその焦点がありました。鉢の中でも第4までの鉢が自然破壊に焦点を置いてありますが、人間が

苦しむ点がラッパとの相違であります。勿論、ラッパも自然破壊による人間の苦しみが前提となっていま

すが、ラッパは1/3に対する災害であったに対して鉢は全体に対する災害です。また、封印もラッパも神

様の御怒りによるものですが、御怒りの封印とか御怒りのラッパという表現はりませんでしたが、「御怒

りの鉢」という表現で鉢を語り、御怒りの絶頂を表しています。また、封印は解くものであり、ラッパは

吹き鳴らすものでしたが、鉢はぶちまけるという性格から、更にその厳しさを強調します。

●第4までの鉢:本文の始まりは、「大きな声が聖所から出て、七人の御使いに言うのを聞いた。行って、

神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」というものです。神様の最後の審判の大きさを

表すかのような「大きい」という言葉は、16章だけで11回(日本語訳は7回)出ています。バビロンの

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滅亡を語る18章では9回出ます。これは、バビロンの滅亡が七つの鉢をもっと詳しく説明していることを

意味します。とにかく、「大きい」という言葉をもって鉢の災害がいかに恐ろしく深刻で、決定的なもの

であるかを十分に示します。また、その命令が七つの鉢を持つ七人の御使いに同時に下ったことも意味が

あります。連続的に、休まずに、行われる審判であることを示すに十分です。ですから、鉢の災害は神様

の御怒りの完成を表すものとして理解できます。鉢の災害のすべてを理解することは難しいですが、書か

れた言葉を用いて考えられることをまとめます。

①最初の鉢は「地」にぶちまけました。1節の地は、海とか川すべてを含む地域ですが、2節の地はそれ

らを除いたものです。鉢をぶちまけることで、酷い悪性の腫れ物ができました。ここでの腫れ物とは、出

エジプトの10の災害にも出た膿の出る腫れ物(9:9-11)のように文字通りのものでもあり、あるいは罪に

よる精神、肉体の問題だという説明もあります。

②第2の鉢は「海」にぶちまけました。そのとき海は死者の血のような血になったと語ります。これは出

エジプトの災害の中で最初のものと似ています(7:19-21)。しかし、ここで語る海は地中海のような一

定の海ではなく、すべての海を指します。そしてそこに住むすべての生きものが死にます。第2のラッパ

の災害のように文字通りの血という意味よりも全体的で深刻が汚染という理解も出来ます。

③第3の鉢は川と「水の源」とにぶちまけました。すると、それらも血になりました。海の水は塩分の水

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ですが、川の水は飲むものです。つまり、飲む水全体に深刻な打撃があったことを意味します。本文の血

を文字通りに理解できるのは、6節の「聖徒たちや預言者たちの血を飲ませた」という個所があるからで

す。しかし、ここでも文字通りの血よりも汚染という理解も出来ます。

④第4の鉢は「太陽」に向けてぶちまけました。それで、人々は激しい炎熱によって焼かれました。第4

のラッパは光を失ったことで日長が短くなりましたが、ここでは太陽の強度が更に強くなって炎熱で人を

焼くほどだという審判です。

これら鉢の審判を通して、私たちは、ラッパの災害(全体の1/3に及んだ災害)に比べて鉢の災害(全

体に及んだ災害)の恐ろしさを知ることが出来ます。但し、ここには例外があります。2節に書いである

ように「獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々」だけであることから、イエス様を信じる人々

は含まれないことが分かります。しかし、この理解は、出エジプトでもゴセン地方だけが長子の殺害の災

害がなかったことから考えられることですが、難し面もあります。というのは、15節で「見よ。わたし

は盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸い

である」という言葉の故です。信じる人々に対する話があって、信じる人々も鉢の災害の中にいるからで

す。環境の変化、あるいは環境の破壊は、そこに住むすべての人々に影響を与えます。連鎖という言葉を

知っていますが、連鎖の破壊は自然の破壊の結果なのです。ですから、鉢の災害の中ではすべての人々に

考えられない破壊が来ると理解することが自然です。実際、私たちは自然界の破壊の恐ろしさを少しずつ

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味わっています。自然界だけではなく人格の破壊ということも経験し、その影響が広がることを知ってい

ます。良い暮らしのために新しい商品が開発されますが、その商品がもたらせる悪い影響に関しては今ま

では無視されてきました。その結果を私たちはじわりじわりと味わっています。オーストラリアでは赤外

線の影響の深刻さを警告しています。白内障や皮膚癌などの深刻な報告がなされています。それらのこと

を鉢の災害だということはできませんが、影響力という観点では理解できる部分があります。ですから、

私たちは大変であればあるほど信仰によって生きることを心にかけなかければなりません。

●私たちの回りが大変な状況であればあるほど、私たちは信仰によって生きることを心かけなければなり

ません。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさば

きをなさったからです。彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲

ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「し

かり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」(5-6節)と語って

いるからです。

神様の正義として行われていることだということです。災害の深刻さは強調されていますが、神様の前

での罪の深刻さをも忘れてはいけません。警告を通して、そしてその次には審判を通して、しかし、それ

で終わるのではなく神様の愛が語られます。

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●黙示録 16:10-21、第 5-7 の鉢

⑤第5の鉢は「獣の座」にぶちまけられます。それで、暗くなり、人々は苦しみの余りに自分の舌を噛み、

腫れ物の故に神の御名を汚します。「獣の座」は、サタンが自分の力と位と大きな権威を与えたところで

す(13:2)。そこから人間社会を腐敗させ、人類を堕落させます。その座に神の御怒りがぶちまけられます。

何を、どうすればよいか分からない状態であることと、暗くなったことを実際的な災害として理解せずに

道徳的、霊的な大混沌、無秩序、パニックという意味でも考えられます。とにかく、この御怒りによって

獣の座は統治の機能を完全に失い、それによって考えられない苦しみを味わう状態として理解できます。

⑥第6の鉢は「ユーフラテス川」にぶちまけられます。その結果として王たちの道を開くために川が乾き

ます。そして、竜の口、獣の口、にせ預言者の口、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来ます。それ

らの汚れた霊どもはしるしを行なう悪霊どもの霊で、「ハルマゲドン」と呼ばれる所に王たちを集めます。

「ハルマゲドン」はメギドの山という意味の言葉で、旧約聖書の中でもよく戦争が起こった30kmと

23km程度の平原です(参照、ヨシュア12:21、士師記5:19、第2列王記9:27、23:29など)。この「ハ

ルマゲドン」に対して、後の十字軍の戦争やナポレオンも世界戦争をする良い場所だ語りました。それで、

ある人々はこの「ハルマゲドン」で世の最後の戦争が起こると確信したりします。ここでの戦いに関する

理解は様々です。文字通りに解釈する理解もあるし、東洋の王たちがエルサレムを陥落させるための戦争

だと理解する人もいます。

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しかし、私たちは王たちを集める存在についてもっと注目すべきです。サタンの三頭体制(竜、獣、に

せ預言者)の形で王たちを惑わすことから、物理的な戦争よりは霊的な戦争として理解することが出来ま

す。日が出る王たちとは東方の王たちではなく、全世界の王であることからも、ユーフラテス川をキリス

ト者と非キリスト者を区別する分かれ目として理解することもできます。つまり、境界線という象徴的な

意味として理解できます。メギドの山ですべての王たちが戦うということも物理的には理解しにくく、有

名な昔戦場としての名を用いた表現として理解することが妥当です。ですから、霊的な戦いを意味する個

所として第6の鉢を理解できます。

しかし、霊的戦いとは何を意味することでしょうか。第5の鉢によって獣の座が無気力な状態となって

多くの人々が苦しむ時に、その状況を神様の所為にして、寧ろ王たちを動かして神様と戦いに望むように

するということです。「心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。この者どもは

小羊と戦います。…」(17:3)のような戦いです。また、この世と教会との戦いでもあります。その結果は

子羊が勝ちますが、「盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られない

ようにする者は幸いである。」と語っていることから、信じる者にとっては大変な戦いであることが分か

ります。まるで教会がすべてなくなるかのように思わせるほどの戦い、それがハルマゲドン戦争であると

いうことです。獣の座に御怒りがぶちまけられると、悪霊どもはこの世の王たちを動員して教会をなくし、

子羊に対抗しますが、最終的勝利は、主のものです。アーメン

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⑦第7の鉢は「空中」にぶちまけられます。空中とは、その領域が制限されない広い範囲、すべての範囲

を表すによい言葉です。すべての人々に当てはまることのできる言葉です。そこにぶちまけることで、「事

は成就した。」という声が聞こえてきます。「事は成就した」という言葉は、神の審判が終わった、救いの

計画が完成されたという意味です。聖所から出たということは、神様の御声だと認識すべき表現です。

第7の鉢の結果は、一タラント(41kg)ほどの大きな雹と大きな地震です。それによって大きな都バビロ

ンは3つに裂かれ、倒れ、激しい御怒りのぶどう酒の杯を与えられます。17章と18章の内容はバビロン

の滅亡です。これはこの世の終わりを意味します。雹や地震などは神様の審判を、御怒りがぶどう酒と象

徴され、その破壊力の凄さを「島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。」と語ります。これは、ま

るで昔の創造秩序が変り、新しい秩序の生まれを予告するような言葉でもあります。

●私たちはこの世がどのようになるかを知りました。これを知る者としてどう生きるべきかは私たちに残

っています。本文は、「目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする」と教

えます。この言葉をどう生かし、適用して生きるべきでしょうか。ある人はこう語りました。

「私はワールド(world)を愛せずにワード(Word、御言葉)を愛する。」

「神の恵みは無償だが、安ぽいものではない。無償の恵みの価値をもっと知る者として生きるべき。」

「キリストの属する兵士としての義務を遠ざかってはいけない。悪魔の捕虜や奴隷ではなく、キリストの

ために一生懸命に戦う勇士でなければならない。主の十字架を覚えて、主のために自分の命までも惜しん

ではいけない。」

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黙示録 17 章、大淫婦バビロンへの審判(Ⅰ)

●黙示録 17:1-7、大淫婦バビロン

黙示録の内容は急速に終結に向かって進んでいます。今までヨハネは大艱難の時を描写しました。海の獣(にせキ

リスト)が聖徒たちを激しく迫害することから、反キリスト教世界が七つのラッパと七つの鉢の災害を通しても悔い改

めなかったことを書きしるしました。七つの鉢は人類への災害だけではなく、人類の終末の到来を宣言するものでも

あります。人類の終末は、特にバビロンの滅亡を通して到来します。ですから、ヨハネに示された17章は、人類の終末

そのものであります。本文は、大バビロンである大淫婦の姿(1-7節)とそれが何かを説き明かす内容となっています。

17-18章はバビロンの滅亡を扱いますが、17章では未来形で、18章では過去形で語っています。17章1節で「大

淫婦へのさばきを見せましょう」と語り、14-17節ではそれを未来形で語ります。18章2節では「大バビロンが倒れた」

と語り、3、8、10、20節ではそれを過去形で語っています。また、17章ではバビロンが神の民を激しく迫害する姿が強

調されている(1-6、14節)ので、バビロンが宗教的な性格のものであることを暗示します。それに対して18章は、商業

的な性格のバビロンが強調されています。17章は宗教的な面だけではなく、政治的な性格もあります。18章は悪霊

の住まい、汚れた霊という言葉で悪霊の影響を受けているバビロンという性格もあります。

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●「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」(5節):「七つの鉢を持つ七人の御使いのひとり」という

言葉で、大淫婦バビロンの滅亡が鉢の災いと直結していることを暗示します。第七の鉢の災害を、「大バビロンは、

神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた」(16:19)と語っています。17章は、そのことを詳

しく扱い、特に、宗教・政治的でどんな姿であったかを指摘することで、その滅亡の原因を教えます。

神の審判だけではなく、神の救いの完成も第七の鉢を通して示しています(21:9)。大淫婦バビロンとは誰を指す

言葉でしょうか。大淫婦バビロンと対照的な立場は、「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁」

(21:2)です。ですから、子羊の花嫁である完成された教会と対照的な大淫婦バビロンは、神を冒涜し、汚すこの世を

指す言葉として理解できます。神様を拝むのではなく、赤い竜を拝むことの象徴としても理解できます。

旧約聖書は、神様から離れて偶像崇拝に走ることやこの世を愛することを遊女、淫行だと教えます(イザヤ1:21、

エレミヤ2:20、3:1-2)。新約聖書も信徒がこの世を愛する行為を、神を愛しないことだと教えます(第1ヨハネ2:15)。

ヤコブ4:4では、「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか」とまで語っ

ています。本文の「不品行」は、信徒のことを指すのではなく、不信世界そのものを指します。神の無関心であり、利

益だけを求めること(イザヤ23:17-18)や、ニネベがその権力と栄光で諸国を惑わし、自分の属国としたこと(ナホム

3:4)を淫行と呼んでいます。ですから、大淫婦バビロンは神を無視し、この世に自分の栄光を示して拝むようにする

偶像崇拝を意味するシステム(それが国家であるかもしれないが)だと思われます。

大淫婦バビロンの影響力の大きさについて本文は、「大水の上にすわっている」(1節)と語ります。大水は、「もろも

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ろの民族、群衆、国民、国語」(15節)だと教えます。ですから、「大水の上にすわっている」は、諸国家に大きな影響力

をもつ地位にいたことを意味します。「地の王たちは、この女と不品行を行ない、地に住む人々も、この女の不品行

のぶどう酒に酔った」(2節)という言葉から、大淫婦バビロンの前では地上の王たちも何も出来ない、それほどの影

響力がある存在であることが分かります。地上の商人たちが「富を得た」(18:3)ことからも、バビロンの影響力が如

何に大きなものであるかを想像することができます。つまり、あらゆる階層の人々が大淫婦バビロンと妥協し、まる

で結婚関係であるかのように巻き込まれてしまうことを示します。

また、大淫婦バビロンは「緋色の獣」に乗っています(3節)。緋色は、奢侈と栄光の色であり(18:12、16)、罪の色

でもあります(イザヤ1:18)。ですから、「緋色の獣」に乗っていることは、「神をけがす名」で満ちていることと直結しま

す。13章1節の海からの獣の姿と同じ表現です。海の獣と違っていることは、海の頭に神を汚すか名があったことに

対して、緋色の獣には体全体に神を汚す名で満ちていたことです。そこから、「緋色の獣」は、神を敵対視するすべて

のものを象徴することが分かります。5節には、「額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、すべての淫

婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン、という名であった。」と語ります。「秘められた」という言葉は、文字通り

のバビロンではないことを意味します。第1ペテロ5:13でローマをバビロンだといったことから、バビロンを当時のロ

ーマ帝国だと思うことも理解できますが、反キリスト教的なものすべてを指す、全体的な体制として理解できます。

大淫婦バビロンが「紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れ

でいっぱいになった金の杯を手に持っていた。」(4節)と語っていることから、大淫婦バビロンが魅力的な存在であっ

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たことを知ることができます。魅力的ではありますが、極度の堕落したものでもありました。

大淫婦バビロンの日課は、「聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っている」(6節)ことです。不品行のぶど

う酒に酔うことだけではなく、聖徒の血にも酔うことです。血に酔うこととは、迫害するということですが、最後の

時、大淫婦バビロンが教会に激しい迫害を与えることが分かります。このようなバビロンの姿は、自分が勝利の杯

を飲んでいるかのように映りますが、同時に大淫婦バビロンの愚かさも映している姿です。

しかし、ヨハネは大淫婦バビロンを見て非常に驚きます。どうして驚いたかを明記していませんが、その影響力や悪

行、魅力、迫害などをすべて含んだことでの驚きだと思われます。しかし、御使いは「なぜ驚くのですか。私は、あなた

に、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。」と語ります。

本当にヨハネは驚きましたが、獣の正体は知らされました。獣の秘義が知らせられたことで、大淫婦バビロンを正しく

把握し、避け、そして憎むことができます。

●黙示録 17:8-18、大淫婦と獣の秘義

●7節で「なぜ驚くのか」という問いかけがあった後、女と獣の秘儀が説き明かされます。8-17節では獣について、

15と18節では大淫婦について語ります。ですから、秘義は二つではなく、女と獣とのこととしての秘義です。8節から

獣に対する説明があります。「昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、つ

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いには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔は

いたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。」という内容です。「いのちの書」に名を書きしるされていな

い者が見て驚くことから13章に出ていた海の獣の存在で、拝まれるものであることが分かります。やがては滅ぼさ

れる存在なのに、致命的な傷が直ったことで、全地は驚き、その獣に従い、そして竜を拝んだことになります。本文で

は、その獣が昔はいたが今はいなく、やがて底知れぬところから出てしばらくいた後に滅亡されると記されています

が、この獣は帝国か、その統治者で再び歴史に登場するものだと思うことができます。出たところが「底知れぬ所」

だったので、獣が帰っていく所も「底知れぬ所」であるます。滅び(滅亡、神との永遠の分離を意味する死)の所です。

「昔いたが今はいない」は、20章1-3節の時として見るべきか、あるいは、十字架から再臨の時までとして見るべき

か、という問題があります。今に関する鍵は、その獣の七つの頭に対する説明部分の9節、「七つの山で、七人の王た

ちのことで、五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません」という言葉です。「一人は

今おり」という今と、「昔はいたが今はいない」の今は異なるものです。「今はいないもの」とは、再臨の直前に現れる

8番目の王、反キリスト者です。つまり、再臨の直前の今という表現で、この時が海の獣の死ぬ時であり、そして生き

返って働く反キリスト者の最後の時であることが分かります。

「ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。」(9

節)という言葉から、13章18節と同じように、この箇所はよく分別して考える必要があると教えられます。七つの頭

を七つの山といったのは、古代ローマを意識した表現で巣。古代ローマは七つの山でなり、貨幣や文献にも七つの山

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がよく表現されていました。勿論、再臨直前の反キリスト者が世界的なものであることから、ローマを意識することは

制限のある考えですが、反キリスト国としてローマという意識には無理な解釈ではありません。「七つの山」といった

後の「七人の王」が出たことから、彼らをローマの皇帝として感じるようになります。しかし、実際のローマ皇帝の中で

七人の王を取り上げることは無理なことなので、「王」という言葉の理解は、皇帝よりも王国がより自然です。それに

よって、「十本の角」の理解を王とすることができます(12節)。

七人の王は王国とし、それを、エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマが今いるもので、後でもう

一つの王国をEEC(European Economic Community 欧州経済共同体)とみなす理解もあります。第七番目の王国

を「十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいない」(12節)と語っていることから、彼らはまだ王国を持っていない

王であることが分かります。彼らは、最後の反キリスト者の統治権に入り(介入し)、力と王国を持つようになるという

ことです。ダニエル7:7-24では、「この国から立つ十人の王」 (24節) という言葉をもって、彼らが王になる存在だと

いいます。しかし、ローマの後も多くの王国がありましたので、突然欧州経済共同体を最後の王国として理解するに

は無理があります。本当に把握しにくいところで、いまだに明確な理解はできません。ただ、過去に反キリスト者が出

たことと、歴史の中ではいつも反キリスト者が現れるという理解で考えてもよいと思います。

大淫婦バビロンがこの獣の上に乗ります。このことから、獣はこの地上の力であることが分かります。この地上の

力がいつのものかは明確ではありませんが、再び歴史の中で起こるものと理解することができます。過去の地上の

力として、イスラエルを苦しめた王国やヨハネの時代のローマのような王国としても考えられます。14節の「この者ど

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もは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。」という言葉は、何と力強い宣言でしょう。どんな迫害や反キリ

スト者が現れ、戦いに望んでも結果は明らかなものです。本文の戦いは、19章19-21節と同じだと理解できますので、

十本の角は地上の王たち(19:19)のことです。

●大淫婦バビロンの秘義も説き明かされています。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろ

の民族、群衆、国民、国語です。」(15節)は、水がこの世を意味することを説明します。大淫婦バビロンは、この世に

大きな影響力をもつ存在です。「地上の王たちを支配する大きな都」(18節)だとも説明しています。最後の時には、

反キリスト教国家の悪影響が反キリスト的な世界を作り出すことでしょう。しかし、この淫婦は獣によって「憎まれ、荒

廃させられ、裸にされ、その肉を食われ、火で焼き尽くされます。」(16節)と語ります。そして、それが神様の御心であ

ることを明記します。この解釈も難しさがありますが、大淫婦バビロンと獣の分裂、つまり、内部の分裂として理解す

ることが出来ます。そして、その後に神様の介入があるということです。

魅力的なものは常にこの世にありました。すべて魅力的な存在が反キリスト者ではありませんが、魅力的な存在と

しての反キリスト者は多くありました。淫行という特徴から、神様よりもこの世を選ぶようにとする魅力が大淫婦バビ

ロンです。また、大淫婦バビロンには「神をけがす名」ための大きな影響力をも持っています。「額には、意味の秘めら

れた名が書かれていた。」(5節)という言葉から、大淫婦バビロンは文字通りのバビロンではないことが分かります。

第1ペテロ5:13では、ローマをバビロンといったことから、当時のローマ帝国を指す言葉でも理解できますが、反キリ

スト教的なものを指す、全体的な体制として大淫婦バビロンを理解するのがよいと思います。

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黙示録18章、大淫婦バビロンへの審判(Ⅱ)

●黙示録 18:1-24、確実なバビロンの滅亡

17章は、大水の上に座っている、獣に乗っている大淫婦のさばきと、七つの頭と10本の角を持つ獣の

滅びについて、その秘義を語ります。大淫婦の正体や獣の正体については正確に知ることができませんが、

再臨の直前に登場する反キリスト的体制、反キリストだと理解することはできます。18章は大淫婦バビ

ロンの滅亡を詳しく語ります。

17、18章で語るバビロンに対する記事には共通点があります。「大バビロン、大きな都、淫行が強調

される、火で焼き尽くされる、荒廃される、聖徒の殉教に責任がある」、ということです。このバビロン

の滅亡は、七つの鉢を持った御使いの一人によって宣言されます(1節)。この御使いには「大きな権威と

栄光」があります。それでこの御使いをキリストだと思う人もいますが、バビロンの滅亡を宣言すること

と、その影響力の大きさの故に「大きな権威と栄光」を用いたと理解すべきです。バビロンの滅亡に関す

る記事は多く書かれています。その特徴を簡略すると、①バビロンの滅亡は確実なものです(2節)。②ま

た、その滅亡は一瞬のものです(8、10、17、19節)。③バビロンの滅亡は総体的なものです(12-14

節)。④再び復興することのできない完全な滅亡です(21-23節)。

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①バビロンの滅亡は確実なものです。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる

汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。それは、すべての国々の民

が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行ない、地

上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」(2節)と語り、バビロンを否定過去形

で「倒れた、倒れた」と明確に宣言しています。滅亡が確実なことなので過去形で語っています。

②また、その滅亡は一瞬のものです(8、10、17、19節)。滅亡が確実なものであると同時に、一瞬のう

ちに起こるものです。バビロンは、「私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみ

を知らない。」(7節)と語るほどの絶頂の自負心と高慢さを持っていましたが、一瞬のうちに折れてしまい、

滅亡されます。大きな都バビロンが一瞬のうちに破滅されるのは、「彼女をばく神である主は力の強い方

だ」(8節)からです。

10節を見ると、地上の王たちの姿が書いてあります。彼らは「彼女の苦しみを恐れたために、遠く離

れて立って、『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばき

は、一瞬のうちに来た。』」と嘆きます。バビロンの審判は人類最後の審判ではありません。地上の王たち

は、一瞬のできごととバビロンのない(後ろ楯のない)ことの故に、その空しさで嘆きました。また、「す

べての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たち」(17節)も嘆きますが、これも彼らの富の源がなく

なった、現代の株の没落で富を失ってしまった人のような、状況だからです。

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③バビロンの滅亡は、総体的なものです(12-14節)。彼らの心の望みである、「熟した果物、派手なも

の、華やかなもの」、つまり、宝石類や高級衣類、高級家具、高級香料、高級食材、家畜と農機具、人身

売買(人を売る時代)ものも消えうせます。それらすべてが泡のように無意味なものとなる滅亡です。

④再び復興することのできない完全な滅亡です(21-23節)。バビロンの滅亡は、「ひとりの強い御使いが、

大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れた」(21節)ことのような激しく打ち倒されて、もは

やなくなって消えうせてしまう破滅であることを明らかにします。ここでの「ひき臼」は、動物によって

動かす大きなものです(マタイ18:6)。海に沈んだ後には再び浮かぶことのない状態を、象徴的に語って

います。6回も「決して…ない」と語ることで、バビロンも滅亡は完全で、なお回復不可能なものである

ことを明記します。私たちは、このバビロンの滅亡を見ながら、やがて来るこの世の滅亡を見ることので

きる視覚を養わなければなりません。私たちの心の望みも「熟した果物、派手なもの、華やかなもの」が

少なくないことをも悟るべきです。どんなものであれ神様と関係のないものは空しいものであり、神様に

敵対し、無視する文化や世界構造は、いずれ滅び去るものであると、それも確実に、急に、そのすべてが、

再び立つことの出来ない破滅になることを忘れてはなりません。

●黙示録18: 3、5-8、19、23-23、バビロンの滅亡の理由

バビロンの滅亡の原因は、「彼女が支払ったものをそのまま彼女に返し、彼女の行ないに応じて二倍に

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して戻しなさい。彼女が混ぜ合わせた杯の中には、彼女のために二倍の量を混ぜ合わせなさい。」(6節)

言葉で語られています。つまり、バビロン滅亡はその行ないに応じた結果です。「彼女の罪は積み重なっ

て天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられる」(5節)ことと、その結果、「力の強い神様」(8節)に

よってバビロンは滅亡されます。そこで、6節に戻りますが、「返す」という言葉の意味は、復讐を適用す

るという表現です(18:24)。「二倍」という言葉の意味は、全き(in full)という言葉で理解します。これら

を通して、私たちは神に復讐の権があることを知ります。カインとアベルの時から「弟の血が、その土地

からわたしに叫んでいる」と語り、5節も「彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚

えておられる」と語っています。

神様の復讐は、バビロンの行ないに応じた形、報いとしての性格を持ちます。「彼女が支払ったものを

そのまま彼女に返し、彼女の行ないに応じて二倍にして戻す。彼女が混ぜ合わせた杯の中には、彼女のた

めに二倍の量を混ぜ合わせ、彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを与える。

悲しみを知らないと言う彼女をさまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で

焼き尽くす」という言葉がそれを表します。バビロンが滅亡されなければならなかった理由を簡略すると、

①3節で「不品行と極度の好色」という言葉が出ます。地上の王たちと同盟関係を結び、人類全体が堕落

し、腐敗するようにし、神の審判を免れなくなってしまったことです。

②「奢侈と至富」です(3、15、19節)奢侈(豪勢な贅沢、極度の贅沢)という言葉は本文だけの言葉と

して、溢れる富と剰余産物による金で極度の放蕩と社会の分裂を招くものとなりました。G.E.レドは①と

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②を同時に結んで、バビロンが地上の王たちを獣崇拝に導いた手段が何かを指摘しました。それは、富と

権力を約束しながら獣崇拝のために誘惑したことです。

③7節の「自分を誇る」ことも原因の一つです。奢侈は高慢を生み、高慢は苦労することを回避させます。

富の蓄積は、必然的に他者のものを搾取(サクシュ)、軽蔑し、不平等を生みます。私たちは、神様の審判が霊

的な原因の故だけを考える傾向がありますが、私たちの実際の生活、つまり、偏狭(ヘンキョウ)された富や放蕩、

奢侈などの極度の生活も国家や個人においても審判される原因となります。

④聖徒の迫害です(24節)。

もう一度、私たちは18章で、聖徒たちに教える教訓に耳を傾けるべきです。「わが民よ。この女から離

れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。」という天の声です。バク

レイは、離れるという言葉を創世記12:1の「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て(離

れて)、わたしが示す地へ行きなさい。」という個所と結びつけました。ですから、ある特定の時代の御声

ではなく、この世と区別して生きるべき聖徒への御声として受け入れるべきだということです。この世の

ものにだけ没頭し、この世の価値観や影響をそのまま受けて生きてはいけないこと、寧ろ、神様の喜ばれ

ることを求めながら生きることを要求する言葉でもあります。いつか私たちは「倒れたバビロン」という

声を耳にする者であるからです。

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黙示録 19 章、審判の救いの完成

●黙示録 19:1-10、勝利を称える

未来はどうなるのか、多くの人々が関心を持っているテーマの一つです。今朝の説教を通しても話しま

したが、20世紀前半までは自然科学に基づく観察から、後半からはニュー・エージの影響により新しい

未来を期待する動きがあります。彼らは、ヒンズー教と仏教、占いなどでこれからの時代を期待し、占っ

ています。このような動きは決して新しいものでも、素晴らしいものでもありません。聖書は、未来に関

して暗闇を照らす新しい光を提供しています。それを本文では「ハレルヤ」(4回使用)で表現しています。

●勝利を称えるハレルヤは、①1-5節は大淫婦の審判をハレルヤと賛美し、②6-10節では子羊の婚姻の

時が来たのでハレルヤと賛美します。

大淫婦の審判をハレルヤと賛美したのは、神様の審判が完全に成し遂げられたことの故です。正確な審

判が行われたからです。ハレルヤという言葉の意味は、神を称えるというものです。詩篇な中でもハレル

ヤと言われる詩篇があります。ハレルヤが最後に出るのは104、115、116、117篇で、最初の出るの

は111、112篇で、最初と最後に出るのは106、113、135、146篇です。一般的に神様の審判の故に

ハレルヤと賛美しています。

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悪と善が対立しているかのように、二元論的な出来事で理解しやすい神様の審判ですが、それは違う考

えです。赤い竜と子羊との戦いはありますが、サタンの働きは、神様の許しの下で行われるものです。サ

タンは罪を通して私たちのうちで働き、破壊の歴史を繰り返します。最悪の状態では、神様までも捨てる

ようにさせます。しかし、大きな神様の歴史の中では悪の状態をそのまま放置するものではありません。

話は変りますが、今の時代に危険を感じる国の一つは北朝鮮です。もう壊れた飛行機の状態で、残ったの

はやさしい着陸か爆発かであります。サタンの歴史もそうです。神の審判が待っているからです。

●バビロンの審判を歌った後、子羊の婚姻を前もって賛美します(6-8節)。審判の完成で、救いの完成が

来るということです。万物の支配者のことで、楽しみ喜ぶことができます。黙示録7:15-17の「だから

彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方

も、彼らの上に幕屋を張られるのです。彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどん

な炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、い

のちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるので

す。」のことを覚えるのであれば、称えずに入られません。17-18章の内容を読むと、私たちの心は暗く

なりました。魅力的で、すべての富と名誉を持つバビロンと獣が強調されているからです。しかし、ここ

では白い衣を着た花嫁が登場します。大淫婦と対比する言葉です。花嫁の着る衣が用意されたことも注目

すべきです。自分が用意すると同時に、用意されたものです。何を教えますか。子羊の血によって赦され

る救い(7:14)ですが、人間の責任も伴うということです。マタイ25章のタラントの譬え話がそうですが、

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3:4で「サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩

む。彼らはそれにふさわしい者だからである。」と語り、衣を汚さない人の責任があることを教えます。

私たちのウェディング・ドレスは綺麗でしょうか。汚れていませんか。子羊によって用意された衣が汚さ

れたままで婚姻の時を迎えるのであれば、本当に恥ずかしいことでしょう。

●黙示録 19:11-21、白い馬に乗った王の王、主の主

●白い馬に乗った勝利者、征服者(11-16節):白い馬に乗ったことは勝利者を意味します。15、16節

を見ると、その方がイエス・きりストであることは明らかです。本文が語るイエス・キリストに関する様々

な描写に注目すべきです。

①「忠実又真実」という名前:お天気屋という言葉があります。梅雨の時期の変りやすい天気のことです

が、それをもって変りやすい人をも指す言葉として使っています。私たちも一日中何度も変ってしまった

りします。朝は主と共に行きようと思い出かけますが、お昼には現実主義者となり、帰る時には敗北者と

なっています。しかし、私たちに対する、御自身の御心に対する変らない方がいます。主キリストです。

一度も背信したり、裏切ったりすることのない方で、だから忠実、また真実と呼ばれています。

②13節では「神の言葉」という名前が紹介されています。「初めに、ことばがあった。ことばは神ととも

にあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)のように紹介された方であることを明記しています。神

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御自身は何もせずに私たちが立ち返ることを望んでいるのではなく、私たちの心に、耳に啓示という手段

を通して、つまり、神様の言葉を通して示し、導きました。この神様の言葉は、「神のことばは生きてい

て、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろい

ろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つ

なく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするので

す。」(ヘブル4:12-13)で、神様の前ですべてのものを裸にさせます。そして癒し、直します。それがで

きる方がキリストです。忠実と真実とは神様の御言葉に基準を置いた言葉でもあります。

③王の王、主の主という名前です。今の時代の変化は激しいし、早いです。株市場を見ると、その変化に

ついていけませんし、国際情勢も分からない速さです。しかし、それらを動かす方が、それらを支配する

方がキリストであることを忘れてはいけません。眼には独裁者が映るこの世であっても、背後には真の支

配者である主キリストがおられます。独裁者であれ、政治家であれ、彼らは主キリストの審判の道具に過

ぎません。

白い馬に乗り、忠実また真実、神の御言葉、王の王、主の主であるキリストを黙想することだけでも私

たちのたましいに糧を与えます。これらの言葉と共生きる者でありますように。

●神の大宴会(鳥たちの、17-21節):17節以後は征服することが書かれています。そのことを語るた

めに鳥の譬えを用いています。ここでの鳥とは、死体を食べる雑種の鳥です。溢れる死体の故に大祝宴の

ようなものになると語ります。この部分に対して、ある人々は残酷な個所だとも言いますが、決して神様

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が残酷な方だと認識してはいけません。今までずっと我慢し、悔い改めることを待っておられた神様の姿

から、決して残酷さだけを強調することはできません。

18節で、「王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい

者と大きい者の肉を食べよ」と語り、すべての人々が滅亡されることを語ります。19節では「獣と地上

の王たちとその軍勢」と語り、子羊と戦いますが、それらも滅亡されます。ここでの獣とは13章で出て

くる海の獣です。その獣とにせ預言者(地の獣)は、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込ま

れ、王たちは滅ぼされると語ります。

ここで、私たちは本文の教訓を考えることにしましょう。19:1で、「ハレルヤ。救い、栄光、力は、

われらの神のもの」という言葉を覚える必要性を感じます。三頭体制のサタンや獣、バビロン、この世の

王たちに救いと、栄光、権力があるのではなく、私たちの主なる神様にいるということです。心の中でヘ

ンデルのメサイヤが響く、そのような生活が求められることです。バビロンの審判の確実性、鳥の宴会な

どで審判を明確に語られたことから、勝利に対する確信をもって生きるべきです。最終的な勝利が保証さ

れた者には、中間段階や過程においての苦しみと大変さ、それが戦争であれ迫害であれ恐れることはない

筈です。恐れずに戦い貫く霊戦の戦士となります。「ここに聖徒の忍耐と信仰がある」(13:10)の言葉通

りになるのです。多くの人々は、自分の人生やこの世を絶望的に受け止めています。土に返る死体のよう

な存在、しかし、私たちはそのような存在ではなく、勝利が保証されているものなのです。パウロは、「光

が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を

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知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、

この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私

たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまる

ことはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに

示されるためです。」(第2コリント4:6-10)と語り、「私たちはいつも心強いのです。」(同5:8)と語り

ました。同じ信仰から出た告白です。

また、「きよい麻布」を着た人のことも忘れてはいけません。それは「聖徒の正しい行い」だと語って

います(8節)。2節が示しているように、「神のさばきは真実で、正しいから」です。忠誠また真実な方

についていくのが聖徒だからです。それに加えることが一つあります。「イエスのあかしは預言の霊です。」

(10節)の言葉です。預言の霊とは、聖霊さまのことです。つまり、イエス様を証しできるのは聖霊の

働きの故ですが、御使いはヨハネに「兄弟たちと同じしもべです」と語り、聖霊によってイエスを証する

者であることを教えています。イエスを伝える生活も含まれます。神様はすべての人に宗教の種を与えら

れましたので、真理によって動かしたら、それらのものはきっと反応を示す筈です。主イエスを伝えまし

ょう。

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黙示録20章、

●黙示録 20:1-6、千年王国

(まとめ中)

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●黙示録 20:7-15、白い御座の審判

ゴグとマゴグ(7-10節):過去イスラエルの対敵であるゴグとマゴグは北からイスラエルを攻め、侵略

しました。しかし、神様がご自身の民を守られます(エゼキエル38:1-)。ある人々は、彼らが北から来

る民族なので、ロシアのある国か民族が後にイスラエルを攻撃し、エルサレムを包囲し、最後の戦いに臨

むと理解していますが、本文は、彼らが北から来る民族ではなく「地の四方にある諸国の民」と語ってい

ます。ですから、エゼキエル書と本文のゴグとマゴグは異なるものだと認識すべきです。本文の戦いは、

北の民族だけではなく地のすべての方面から集まった民族による戦いで、サタンに惑わされたことの故で

す。惑わされるという言葉は、だまされるという意味で理解できます。創世記3章から始まったサタンの

働きは、人を騙すことであり、数千年間をそのようにしたので、人や民族を騙すことは、そのようにされ

ることは難しいことではない筈です。

千年王国というよい環境があったにもかかわらず終わりの時に、暫く放されたサタンに惑わされること

を見ると、人が悪くなることは必ず環境の所為ではないことがわかります。劣悪な環境の所為で、たとえ

ば貧しさや病、戦争、構造的悪(政治、社会の構造悪)で、人が駄目になるのではないということです。

「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」(エレミヤ17:9)

というのが人間で、環境ではないということです。

最後の戦争が、ゴグとマゴグで言われる反キリスト者と「聖徒たちと愛される都」とのものであること

も教えられます。反キリスト者はゴグとマゴグに、聖徒たちはエルサレムに集まって戦うということで、

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これからもこの戦争が物理的なものではないことが考えられます。ここで、愛される都、エルサレムと思

われる場所は、「イエス・キリストの教会を構成する信仰を持つ神の民のこと、生ける神の都の市民(ヘ

ブル12:22)を表す」ものと理解できます。多くの人々は最後の戦争を第三次世界戦争と言いますが、

そのようなものとは異なるということです。反キリスト者とキリスト者との戦いが物理的なものになれな

いことは分かることです。例えば、家の中で反キリスト者とキリスト者がいて、彼らがどのように戦争に

参加するということでしょうか。あり得ないことで、寧ろ、物理的ではない霊的な戦争であることが分か

ります。それでは、この霊的戦争をどのように理解すべきでしょうか。

一つは、地の獣が海の獣を拝むようにとしたことのように(13章)、バビロンが魔術ですべての人々を騙

したように(18:22)、そして聖徒たちを迫害し、殺したように、但し、これらのことはその前で滅亡され

たことから、今度はサタンとサタンに惑わされた諸国の民が聖徒を惑わすことであると思われます。また、

ヨハネ8:44から見られる「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理

がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り

者であり、また偽りの父であるからです。」という観点から、聖徒を惑わすという意味でも理解できます。

特に、本文の描写を見ると、彼らが聖徒と愛する都を取り囲んではいますが、戦いの様子がないというこ

とから、寧ろ、取り囲んでいると天から火が降って来て、彼らを焼き尽くしたと語っています。つまり、

反キリスト者が教会を無くそうとする戦いを起こしますが、彼らが消滅されるということです。このこと

は、何度も強調されてきたことです。まるで、地上の教会がなくなるかのような激しい迫害を受けますが、

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最後はすべての反キリスト者が教会を取り囲み、なくそうとしますが、そのようにはならないという、漸

進的な描写としても理解できます。境界や聖徒に対して迫ってくるゴグやマゴグが海辺の砂のような夥し

い数ですが、私たちがこの戦いに対して心配する必要がないのは、直ちに神様が介入してくださるからで

す。天から火が降って来て、彼らを焼き尽く、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれます。

つまり、すべての問題の根源にあるサタンを取り除くということです。にせ3頭体制であったサタンと海

の獣、地の獣(にせ預言者)は、永遠に火と硫黄との池に投げ込まれ、苦しみを受けます。これで、悪が消

滅するということです。

白い御座の審判(11-15節):人類の最後の審判の姿です。白いということは、純潔とか、絶対的な善、

人間の悪の影響が及ばないという意味で理解できます。また、御座の故に「地も天もその御前から逃げ去

って、あとかたもなくなった」と語っています。神様の偉大さの故ですが、地も天も罪の影響を受けたと

ころだという認識から、それら、つまり罪の影響を受けた万物が退けられることをも意味します。以前の

ものが過ぎ去り、見よすべてが新しくされたという言葉の実際の成就です。

13節では、「海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。」と語ります。

ハデスとは、これは通常「見えない世界」を指し、死後の世界、肉体的死とさばきの間の中間状態を指し

ていますが、死と一組で使われています(使徒2:25-31)。墓という意味でも使われています(地の下

の概念。詩139:8)。火葬されてその骨があちらこちらに撒かれた人であれ、戦争や天災などでその存在

がどこにあるかも分からない人であっても、一瞬のうちによみがえられて白い御座の審判を受けるという

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ことです。私たちは、この場面を想像するしかできませんが、私たちが神の御座の審判台に立つというこ

とは、深刻に考えるようにします。その審判の基準は何でしょうか。

本文はこう強調します。「数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いの

ちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応

じてさばかれた。」と、「人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた」、「いのちの書に名のしる

されていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」と書いてあります。つまり、自分の行ないが記さ

れている書物によってさばかれるということです。書物という書き記されたということは、正確さを強調

する言葉として理解できます。正確に、加減せずに、ありのままをすべてその行ないに応じて行なわれる

審判なのです。

これは、私たちには言い訳や弁明の余地がないことを意味します。一言の弁明も許されない審判である

ということでもあります。すべての行ないが書き記されているからです。今で言えば、心のうちのものま

で映せるビデオを持ってさばかれると思えばよいかもしれません。ここで、注目すべきことは聖徒も審判

があるということです。ここでの審判は不信者に限る審判ではありません。また、その審判は差等的です。

マタイ11:21で「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしも

ツロとシドンで行なわれたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたこ

とだろう。しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたち

よりは罰が軽いのだ。」と語ったような審判です。聖徒たちに対しては、「もし、だれかがこの土台の上

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に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明ら

かにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためす

からです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。」(第1コリント3:12- 14)と

いう言葉のように、差等性なのです。救われればよいことであって、報いとか、差等ということは特に考

えなくてもよいのではないかと思ったり、考えもしなかったりすることもありますが、それらはよくない

ことです。第1ペテロ4:18の「義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、

いったいどうなるのでしょう。」という言葉とか、第2コリント5:9-10の「そういうわけで、肉体の中

にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。なぜなら、

私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に

応じて報いを受けることになるからです。」という言葉を真剣に考えるべきです。神様の審判を覚える人

の生き方、それは聖徒たちにも求められます。報いにも差等があり、刑罰にも差等があるのです。

14節の「死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。」という言葉は、「死は勝

利にのまれた」(第2コリント15:54)の成就として実現されるものです。つまり、人間の死がなくなると

いうことです。刑罰を永遠に、天国でも永遠にという意味でもあります。

最後の15節はとっても大切です。「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ

込まれた。」という言葉で、シンドラのリストのように慈愛の名簿に名前が書き記されていないことがど

んなに大変なことであるかを示します。いのちの書物を考えずに、求めずに、無視して審判台に出る人が

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いるということです。シンドラの主人公のような心境、その心境が私たちにも求められます。同時に、審

判に対して信じる信仰によって恐れる必要なんかありません。また、信じる人であっても差等制であるこ

とを覚えて白い審判台の時、神様に誉められるものでありますように。

黙示録 21 章、新しいエルサレム(Ⅰ)

●黙示録 21:1-8、白い御座の審判

21章は新しいエルサレムが書かれています。8節までは新しいエルサレムの内容的特長を、9節以後は

新しいエルサレムの外見的特長を描写します。

新しい天と地に関する記事は多くあります(詩篇102:25-26、イザヤ65:17など)。黙示録では初め

ての表現ですが、それは最初の天と地が過ぎ去ったからです。最初の天と地は、罪と死、空中の権力者の

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支配と影響を受けるところでしたが、神様の救いの完成を通して新しい天と地を見ています。新しいエル

サレムというのは、エルサレムの回復を意図して語った言葉です。その本質は、インマヌエルです。イン

マヌエルは、聖書の多くの個所で預言されたものです(レビ記26:11、エレミヤ24:7、エゼキエル37:27、

第2コリント6:16など)。このインマヌエルが神の国の一番大きな特徴です。本文の3節では、①「神の

幕屋が人とともにある。」、②「神は彼らとともに住み」、③「彼らはその民となる」、④「神ご自身が彼ら

とともにおられて」と、⑤ある写本では「彼らの神となって」と語っています。つまり、4重あるいは5

重の強調であります。本文では、インマヌエルによって

①「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」と語っています。すべて(口語訳)、ことごとく(共

同訳)という言葉のように、私たちのすべての涙を拭い取ってくださいます。このことは、神様が私たちの

小さな問題からすべて関心を持って知っておられることを意味します。実際には目から出る涙ではなくて、

胸が泣いていることであっても、なくしてくださるということです。これらの原因は、その根本的な問題

は死の問題です。その死の問題が解決されることで、私たちの涙がなくなるということです。

②「以前のものが過ぎ去り、新しくされる」ことです。今のものはそのすべてが破壊されていき、悪く

なっていきます。エントロピー法則のように(熱は常に高温部から低温部に移るので、この値は常に正で

ある。)弱くなっていくということですが、それらが私たちの罪の影響を受けているからだと教えます(ロ

ーマ8:22)。完全に回復された形での新しい天と地の故に以前の天と地は無意味なものとなり、なくなっ

てしまうのです。

③「渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。」ということです。「事は成就した。わたし

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はアルファであり、オメガである。」は、主が原因であり、完成でもあるという意味で、当然のことです

が、私たちに満足を得させるということです。この世の満足にはきりのないものです。ある満足を得ると、

更なる満足を求め、満足したことを忘れてしまいます。

しかし、このインマヌエルの恵みはすべての人々のものでありません。「勝利を得る者は、これらのも

のを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎

むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける

分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」という言葉が、そのことを明確に示

します。遺産相続は自動的なものではなく、勝利を得たものだけのものです。そうでないもの、即ち、信

じていない者の結果は、第二の死です。つまり、永遠の刑罰を受けることです。キリストを信じる信仰を

貫くことこそ、黙示録が私たちに教えようとするものです。

●黙示録 21:9-27、新しいエルサレム

9節で「小羊の妻である花嫁を見せる」と語っていますが、10節では「大きな高い山に連れて行って、

聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた」と書いてあります。大きいな高

い山とは、シナイ山でもシオンの山でもありません。それは、ヨハネが新しいエルサレムを見ることがで

きる高地のことです。子羊の花嫁なので教会が見られると思われますが、その代わりに新エルサレムであ

ったので、これは城だけではなくそこに住む人々まで含むことだと認識することができます。新エルサレ

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ムを花嫁、都と言ったのは、神様とご自身の民との関係(花嫁)と神様と民との共にする生活(交わり、

都)を示唆します。

花嫁のように整えられた都の特徴を調べることにしましょう。

①「神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった」(11節)。神

様の御臨在による輝きで、透き通った碧玉(4:3、神ご自身を描写した宝石)のようなものだと教えます。

②都の大きさ:都には、大きな高い城壁と12の門(各方面に3つずつ)があって、それらの門には12人

の御使いがおり、イスラエルの12部族の名が書いてありました。また、城壁には12の土台石があり、

それには、小羊の12使徒の12の名が書いてありました。

都の大きさは、「四角で、その長さと幅、高さも同じで、12000スタディオン」(16)でありました。

特殊な立方形の城です。 また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。こ

れが御使いの尺度でもあった。12000スタディオンは約1500マイルで、あるアメリカの学者はアメ

リカン大陸全体の3/4だと語りました。17節では、その大きさを144ペーキュスと語りますが、約60

メートルのことで壁の厚さとして理解します。このような形は神殿でも見られます。「内堂の内部は、

長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金をこれに着せた。さらに杉材の祭壇に

も純金を着せた。」(第1列王記6:20)で、約9メートルの立方形の至聖所のことです。つまり、ソロモン

の至聖所が新エルサレムと同じ形なのです。この至聖所には大祭司長だけが年一回のみ入れるところで、

それも必ず贖われるために血をもって入りましたが、新エルサレムではそこに住むことになります。こ

こで、大きさを表す数字が144、つまり、12x12という形の数字で、12の門も、アメリカ大陸の3/4

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であることなどもすべて象徴的であると思われます。実際には狭いからです。

③材料:城壁は碧玉で、都は混じりけのないガラスに似た純金で、土台石はあらゆる宝石で飾られて、

第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、第五は赤縞めのう、第六は赤めの

う、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶

であった、12の門は12の真珠で、どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き

通ったガラスのような純金だと語っています。真珠の中で一つで門になれるものがあるでしょうか。小

さなもの一つでも宝石として高いものがこのように多く存在しているでしょうか。完成された都をこの

ように描写したのは、ヨハネの生活、当時の状況から認識すべきです。

●ここで、一つ考えていくべきことがあります。それは、新エルサレムが天から下ってくることです。

ヨハネ福音14章では、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたが

たに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです」とイエス様が語

っているからです。完成された天国が地上にあるか天にあるかという論争にまで発展する内容です。確

信することはできませんが、想像されたものすべてをなくすのではなく新しくして用いるという感覚を

持ってもよいと思い、その場合は地上でのことを考えることができます。主の再臨の時に「地も天もそ

の御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。」(20:11)という立場と「わたしは、すべてを新しく

する。」(21:5)の立場があります。

ムディは火事で家がなくなりました。その時、彼は焼かれたものよりも残ったものがもっと多いと話

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したそうです。栄光ある神の国を確信したからです。21章のことでクリスチャンはどんな場合であれ、

落胆したり、絶望的になったりはしません。

●最後に都を調べてみましょう。この世のものの中でないものが7つあります。

①海がない(1節):海は不安や無秩序、暴力を象徴します(13:1)。

②死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない(4節):すべて苦しみがないという意味です。

③神殿がない(22節):神殿は神様がおられるところですが、天国は神様がおられるからないと教えます。

④照らす太陽も月もいらない(23節):神ご自身の栄光の輝きの故に

⑤夜がない(25節):7:15で「彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えている」と語っ

たのは、神様の前で永遠にという意味になります。

⑥すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者はいない(27節)

⑦のろわれるものは何もない(22:3)

●問題点:21章9節以後が新エルサレムのことでありますが、門の外に出される(22:15)のことで、城

壁の外をどのように理解すべきかということです。また、「諸国の民が、都の光によって歩み、地の王

たちはその栄光を携えて都に来る。」(21:24)という時の人々は誰かという問題があります。いろんな

理解がありますが、完成された新エルサレムを象徴的に描写するしかない限度から認識すべきです。つ

まり、都という表現の故に外という表現を用いるしかなかったということです。

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●ある実験で希望のないネズミはかめの中で3分後に死んだそうですが、ネズミに希望の光を与えると

36時間も泳いだそうです。この世の終わりに希望のない人生、希望のある人生、私たちはどっちで

しょう。希望のある者として生きているとしたら、それこそ命をかけても守り、保ち、伝えるべきこ

とではないでしょうか。

黙示録 22 章、新しいエルサレム(Ⅱ)

●黙示録 22:1-5、いのちの木

21章と22章は新しいエルサレムを描写します。本文はエルサレムの中でもいのちの川を重点的に扱っ

ています。水晶のようにという表現は、汚染したものが何一つもない、神と子羊との御座からでる完全な

ものです。そこには、いのちの木があって、毎年一回ではなく、毎月一回という実ができました。そして、

そこを豊かにし、癒す木の葉もありました。このような描写が天国を楽園だと表現するようにしたところ

です。創世記2章のエデンの園を思い起こさせる部分でもあります。また、十字架で右の強盗に約束され

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たパラダイスなのです。そして、パウロが経験した三つ目の天でもあり、黙示録2:7のエペソ教会に語っ

た「神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」というところでもあります。このことは、

神様が全人類に対して意図した通りになることをも意味します。

いのちの水をどのように理解すべきでしょうか。7:17では「小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水

の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」と語ってい

ます。「わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。」(21:6)や「渇く者は来なさい。

いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(22:17)と語っています。つまり、天国にはいの

ちの水があるということです。それでは、いのちの水が何を意味するでしょうか。

ヨハネ7:37-39、「・・・祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇

いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その

人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから

受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注が

れていなかったからである。」この個所で教えているいのちの水や救いというものはどんな性格のもので

しょう。私たちが救われることが一回のことなので、それで十分だと思うがちですが、流れ出るようにす

るという言葉から、現在進行形という信仰の要素を見せています。続けて信仰者として満たされるものと

なっていくという意味です。ここでも注目すべきことは、聖霊に満たされることはイエス様を信じること

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であることが分かります。イエス様に集中すれば、聖霊が強く働かれるということです。イエス様に似た

者が聖霊に満たされている者だと言う事です。ここでのいのちの水とは、希望、満足を意味します。本文

で、御子と神様は同じ御座におられます。そこからいのちの川が流れるということは、ヨハネでのイエス

様の言葉を教えるものでもあります。いのちの根源であり、源であるということです。

毎月実がなるという言葉は豊かないのちが続けて供給されることを意味します。創世記3:22の神様

の祝福に与ることでもあります。「いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」ということで

す。葉が癒すということは、天国に病気があることを意味するものではありません。それは、「いのちの

水の泉に導いてくださる牧者が、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」という言葉から天国に

は涙があると思うことになります。このことは、天国には癒しがある、それは病が天国にはないというこ

とで、いのちの木の葉がそれを保証するという意味です。

天国ですること:神に仕え、神の御顔を見上げることです。創世記で人類が神から目をそむいたことと

反対です。モーセも神の御顔を直接に見ることができませんでした。新約でも、人間として来られたイエ

ス様を見た者が神様を見たこととなります。しかし、今は直接に見ることが許されました。神様との関係

において障害物は何一つないということです。そして、神様に仕えるのです。それも神様の所有者として

でです。永遠の王であるということで、仕えると同時に支配すると語ります。神様は東洋的な王様ではあ

りません。何もせずに宴会だけ開いて遊ぶような感覚で過ごす方ではありません。主の統治に加わるので

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す。この主を仰ぎ見、主に仕え、主と共にいられることへの希望によって今までの信仰者はその走りを全

うしたのです。

●黙示録22:6-21、最後のメッセージ

黙示録のまとめの部分です。黙示録は私たちの将来を示しますが、これらのことが今生きる私たちに影

響を与えるものでなければなりません。つまり、現実において影響を与えるものでなければなりません。

多く週末論者は、現実を無視する傾向があります。再臨の時だけ、終末の時だけを望み、求めるようにし

ますが、このような思想は危険です。

●本文はエピログに当たります。1章のプロローグのように、送信者としての神様(1:1、22:6)とイエス

様(1:1、22:6)が出ます。伝令として御使いとヨハネを用いています。受信者は教会とそれを聞くしもべ

たちです。伝達する内容は、「すぐに起こるべきこと」で、預言者たちを通して預言されたことです。預

言の中心は、アルファとオメガであり、すぐに来られるキリスト・イエスです。この預言を聞き守り、行

なう者には祝福が、不順する者には災いが警告されています。プロローグに出ない、エピログにだけ出る

ことは、主に再臨に対して熱望するヨハネの告白「主イエスよ。来てください」というものです(17:20

節)。

●送信者キリストに対して特別な表現があります。「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会につい

て、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」

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(16節)がそうですが、ここでの「わたし、イエスは」という言葉は、黙示録が人々による作品ではなく、

イエスご自身のものであることを明記します。御使いもわたしの使いという言葉で、イエス様による黙示

であることを明記します。「ダビデの根、子孫」という言葉は、ダビデによってエルサレムが始まったよ

うに、イエス様によって新しいエルサレムが始まることと、これらのことがダビデ預言の成就であること

とを示します。「明星」とは、暗闇を退け、完全な日を迎えるという意味で理解できます。

●6節の言葉にも注目しましょう。「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。」と語って

いるのは七つの鉢を持った御使いが語っているものです。今までの黙示録の内容すべてを確認しながら、

その権威を認める言葉です。「これらの言葉」という表現で、黙示録のまとめに入ることと、18-19節の

「預言に加減するものへの警告」をもって、軽んじたり、適当に考えたりするのではなく、信じ、従うべ

き神様の御言葉として受け入れなければならないことを教えます。1990年度の発表ですが、アメリカの

神学者の中で11%だけが聖書を文字通り神様の御言葉として信じ、信徒の62%が聖書を神様の言葉とし

て信じていると示しました(一部の教団ですが)。つまり、聖書を神様の御言葉として信じ、受け入れる

神学者は少ないということです。スポルジョンは、聖書の霊感性と完全性(過ちがない)を否定することは、

教会が退行することを意味すると語りました。聖書の基準がなければ、理性だけを基準としたら信仰は成

り立ちません。聖書を死守することも大切です。

●9-10節の言葉にも注目しましょう。「・・・神を拝みなさい。・・・この書の預言のことばを封じてはいけな

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い。時が近づいているからである。」という言葉ですが、御言葉の前で賛美がささげられることは当然な

ことです。また、黙示録の特徴ですが、すぐに起こることなので、封印せずに開封したままという特徴が

あります。ですから、私たちはこの内容を聞き、考え、従う生活ができるのです。

●7節に戻りますが「この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」という言葉にも注目すべきで

す。黙示録全体を通して見られるものは、反キリスト者との対立です。それに対して信じ貫く者に祝福が

保証されています。14節では、守る方法が書いてあります。「自分の着物を洗って、いのちの木の実を食

べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。」という言葉です。着物を

洗うという意味は、サルデス教会に対する言葉を通して理解できます。衣を汚すということは、行ないが

死んでいることを意味します(3:1)。キリストの御血により救われますが、日々生活の中できよめられた

衣を汚さない生活も大切です。つまり、日々の生活の中で聖い生活が求められます。サタンは私たちの救

いを奪うことはできません。しかし、私たちの心の城壁が崩れてしまうと、崩壊されてしまいます。主の

前で聖い者として生きることは、重要な防護策でもあります。いのちの実を食べる、門を通る権利のある

者とは、新しいエルサレムの住民のことです。それ以外の人々は、外に出される者であって、神様との断

絶を示唆します。そこで11節の言葉も一緒に考えてみましょう。

「不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよ

いよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」という言葉ですが、悔い改めと改

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心の許されない時があることと、同時に信じる人々は固定された者であることを強調します。不正―不正、

汚れたー汚れた、正しいー正しい、聖徒―聖なる者という言葉で、宗教的な宿命論を教えることではなく、

規定事実となって動かされない結論だという意味です。つまり、私たちすべての人々の前には永遠のいの

ちと滅亡があって、この地上で選択することができますが、主の再臨の時には変えられない規定事実にな

るという意味です。どのように生きるべきかを明記します。20節でイエス様は「しかり。わたしはすぐ

に来る。」(7、12)と語っています。御言葉を死守し、神様のみを拝み、御言葉に聞き従い、特に衣を汚

すことなく、汚された衣は洗う者として主の再臨を待ち望む者でありますように。

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黙示録のまとめ

アジアの サタンの救われた者への迫害 救いの完成と 新しい

イエス・キリストの黙示 七つの教会へ 最後の審判 エルサレム

(2-3 章) 七つの封印 七つのラッパ 七つの金の鉢 (19-20 章) (20-22 章)

①七つのアジアの教会(2-3 章)

諸教会 誉められたこと 非難されたこと 対策 約束

エペソ教会

行ないと労苦と忍耐

悪者の偽りを見抜く。

初めの愛から離れ 悔い改めて、初めの行ないを パラダイスにあるいのちの木の実を食べる

ス ミ ル ナ 教

苦しみと貧しさ 死に至るまで忠実でありなさい いのちの冠を与える。第二の死の免除

ペ ル ガ モ 教

殉教者アンテパス 異端の教えを 悔い改めなさい 隠れたマナ、白い石を与える

テアテラ

教会

愛と信仰と奉仕と忍耐

にせ預言者を 悔い改めなさい 諸国の民を支配する権威、明けの明星が与える

サルデス

教会

衣を汚さなかった者が

幾人かいる

生きているとされている

が、実は死んでいる。

真理を思い出し、堅く守り、悔い改

めなさい

白い衣を着せられる

いのちの書から消さない

フ ィ ラ デ ル

フィヤ教会

真理を守り、主の名を

否まない。

愛のしるしを与える。試練の時には守られる。

神の聖所の柱となる

ラオデキヤ

教会

冷たくもなく、熱くもない 金と白い衣、目薬を買いなさい 共に食事をする

主の座に着く

②七つの封印(6 章)、第 1-4 までは同時的で、連続的な出来事として理解できます。第 6 は最後の出来事の一面でもあります。

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第 1 の封印 白い馬と弓を持っている者 勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った 内戦や紛争などで理解できる災い

第 2 の封印 赤い馬と大きな剣を持っている者 地上から平和を奪い取り、互いに殺し合うようになる 国と国との戦争や世界戦争などで理解できる災い

第 3 の封印 黒い馬と量りを手に持っている者 オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない 経済的破綻や恐慌で理解できる災い

第 4 の封印 青ざめた馬と死という者 剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威 3 までの結果として地上の四分の一が殺される

第 5 の封印 殉教者のたましいが祭壇の下に いつまで裁きを行わず、復讐をなさらないのですか 殉教者の数が満ちるまで、もうしばらくの間

第 6 の封印 大きな地震、黒くなった太陽、血の

ような月、地に落ちた星

地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる

奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れる

御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐

えられよう。←14 万 4 千人(7 章)

第 7 の封印 七つのラッパを持つ七人の御使い

③七ルのラッパ(8:3-11 章)、第 1-4 までは同時的で、連続的な出来事として理解できます。

第 1 のラッパ 血の混じった雹と火 地上 地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼ける。生態系が破壊されて食

糧供給に問題が生じる災害。

第 2 のラッパ 火の燃えている大き

な山

海 海の三分の一が血となった。すると、海の中にいた、いのちのあるものの三分の一が死に、

舟の三分の一。海水や海の生き物、船舶の破壊。

第 3 のラッパ 燃いる大きな星 川とその水源 川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多く

の人が死んだ。川の汚染を通して人に被害を与える災害で、飲む水の確保が極めて困難に

なる。

第 4 のラッパ 太陽と月が光を失う 太陽と月と星の三分一 三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。地球のエネルギ

ーの破壊が伴うもので、温暖化やオゾン層の破壊による被害などと考えられます。

第 5 のラッパ いなごが地上に出て

来る

神の印を押されていない人

に害を与える(5 か月間)

クリスチャンとは関わりのないものですが、苦痛は味わうかもしれません。しかし、彼ら

のものにはなりません。

第 6 のラッパ ユーフラテス川の辺

の四人の御使い

騎兵の軍勢の数は二億、馬

の頭口からは火と煙と硫黄

人類の三分の一を殺される

第 7 のラッパ 七つの金の鉢(16 章)

Page 157: 黙示録の学びinagibch.holy.jp/data/revelation.pdf13章(666) サタンの三頭体制(竜と海の獣と地の獣)と獣の数字666が書いてあります。 14章 神様に属する聖徒14万4千人の勝利と獣と追従者の滅亡に対する幻です。

●聖所の測量と二人の証人(11 章)。千二百六十日(42 ヶ月間)は、証言の期間(3 節)、迫害中に養われる期間(12:6)、迫害の期間(13:5)として理解できます。2 人

の証人は教会に対する象徴的な表現で、預言する力が与えられますが、獣に殺され、三日半の後、彼らは生き返えて天に上ります。証言(預言)によりこの世の

人々の良心を苦しめたので、証人の死を喜び祝って、互いに贈り物を贈り合います。このことから、教会に対する敵対心の高潮を感じることもできます。しかし、

この世の喜びは瞬間的なものです。神様が教会にいのちの息を与え、足で立ち上がせるからです。まるでイエス様が死からよみがえられたように、教会もそのよ

うにしてくださいます。復活される教会は福音を伝えるためではなく、雲に乗って天に上ります。それに対して地上には、「大地震が起こって、都の十分の一が倒

れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神を崇める。」と書いてありますが、この世の人々が神様を崇めることは認めざる

を得ないという意味であって、悔い改めたという意味ではありません。そのことがあった後に、第 7 のラッパの災害が起こります。

●竜と女(12 章)。サタンを表す竜と教会を表す女の敵対関係を示しています。女の正体は、女が生んだ子を「鉄の杖を持ってすべての国々の民を牧するはずの子(イ

エスを意味)」だと語ったことから、女はイエス・キリストを産む者です。イエスを産んだ者とはマリアですが、17 節で「女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒

めを守り、イエスのあかしを保っている者たち」という言葉から女は神を信じる群れ全体として理解することができます。つまり、地上の神の民の共同体である、

旧約のイスラエルと新約の教会(ガラテヤ 4:26)を女だと表現しています。竜は悪魔(サタン)を意味します。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠

をかぶっていた姿は、巨大な権力をもって神に敵対する、この世の権力のすべての象徴でもあります。色が赤いのは殉教者の血を求めているからだとも考えられま

す。竜は女が子を産んだ時、その子を食い尽くすために女の前に立っていましたが、その子は神のみもと、その御座に引き上げられます。それで竜は男の子を産ん

だ女を追いかけますが、女は荒野に 42 ヶ月間逃れて、養われます。すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエ

スのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。

●サタンは三頭体制(竜と海の獣と地の獣、13 章)

赤い竜の使いである海から上ってきた獣(1-10 節)と地から上ってきた獣(11-17 節)が神様の民を苦しみ、迫害することが書かれています。黙示録は、赤い竜と海

からの獣と地からの獣をサタンの三頭体制として描写します。即ち、三位一体の神様を真似ているのです。それは、父なる神様を真似た竜と、御子イエス・キリスト

を真似た海の獣、聖霊様を真似た地の獣で、にせ三位一体として神様の民を苦しめ、誘惑し、神様を拝むのではなく、サタンを拝むようにします。

666という数字は、18節の「思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているから」という言葉から、666の数字であればそれを数えるた

めに思慮は必要ないことと、それが「人間を指している」ことから、象徴的なものとして理解できます。特に所有という言葉として理解することがよいと思います。

獣の所有となった者は、一時的には自由を味わいますが、最後には滅びる存在です。クリスチャンは宗教的な面だけではなく経済的な面においても被害や苦しみを

受ける影響下に置かれることも教え、地の獣が政治・宗教・経済といたすべての分野で統治する全体主義的な働きをすることも分かります。人をさすことという言

葉から、統治者としての獣を理解することもできます。ギリシャ語やヘブル語はアルファベットを数字として用いることができる言語(ゲマトリア)です。しかし、

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ギリシャ語をヘブル語で換算したり、あるいはアルファベットを計算したりしなければならないと思うことは、ヨハネの黙示録を無理に理解することになります。

私たちは、666をいう数字を7という完全数(神を表す数字)から完全には至らない人間、あるいはサタンの数字として理解することができます。ヨハネ自身も「人

間をさしている」数字だと語っています。三位一体の形を持っていて様々なしるしを真似ても、それらが神にはなれない、にせの存在であることを強調する言葉で

ある言葉です。666という数字は、にせ三位一体ということから6を3度強調した表現だとも理解できます。つまり、にせものだ、にせものだ、にせものだという

言葉です。竜(サタン)も、海の獣(にせキリスト)も、地の獣(にせ聖霊)も嘘だということです。ですから、思慮深い者が求められるのです。本物ではないにせ

ものであることを見分ける思慮が必要であり、知恵が必要なのです。人間がいくら自分自身を神としても真の神様に至ることはできません。ですから666に対する

思慮は、獣の姿を見分けるためではなく、獣の正体を見分けるための知恵なのです。にせ三位一体の形を持って、獣を崇拝するために人々を殺すことまでする、そ

れで神様の民までも神様を捨ててにせものを崇拝させようとするその正体、本質を見逃してはいけません。ですから、本文は、地の獣の時代にはいのちまでも覚悟

して進行を貫かなければならないことを教えようとしているのです。忍耐を持って信仰を守り、貫くことが必要とされる時代があるというここです。私たちの信仰

はどんな状況であれ獣の数字が見つかることがないようにとしよう、という言葉が本文の結論であります。

●14 万 4 千人の勝利 (14 章)。14 章が千年王国(20 章 4-6 節)の要約だと語る人もいますが、主の再臨後の完成された天国の要約です。1-5 節は子羊と共にシオ

ンの山に立つ 144000 人が、6-13 節は審判の時とバビロンの滅亡の宣言、14-20 節は鋭いかまと大きな酒槽で象徴された審判の姿を記しています。

④七つの金の鉢(15-16 章)、最後の審判として理解できます。

第 1 の鉢 獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪

性のはれものができた

第 2 の鉢 海は死者の血のような血になった。海の中のいのちのあるもの

は、みな死んだ。

第 3 の鉢 川と水の源とにぶちまけた。すると、それらは血になった。 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに

飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。

第 4 の鉢 太陽は火で人々を焼くことを許された。こうして、人々は激し

い炎熱によって焼かれた。

彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言

い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。

第 5 の鉢 獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。 その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分

の行ないを悔い改めようとしなかった。

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第 6 の鉢 大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほう

から来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。

竜の口と獣の口とにせ預言者の口とから、しるしを行なう悪霊どもの霊である

汚れた霊どもが三つ出て来た。彼らは神の大いなる日の戦い(ハルマゲドン)に

備えて、全世界の王たちを彼らを集める。

第 7 の鉢 「事は成就した。」という天からの御声。すると、大きな地震と

あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そし

て、大バビロンは、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられ

た。

神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。

●大淫婦バビロンへの審判(17-18章)、黙示録の内容は急速に終結に向かって進んでいます。今までヨハネは大艱難の時を描写しました。海の獣(にせキリスト)

が聖徒たちを激しく迫害することから、反キリスト教世界が七つのラッパと七つの鉢の災害を通しても悔い改めなかったことを書きしるしました。七つの鉢は人類

への災害だけではなく、人類の終末の到来を宣言するものでもあります。人類の終末は、特にバビロンの滅亡を通して到来します。ですから、ヨハネに示された17

章は、人類の終末そのものであります。本文は、大バビロンである大淫婦の姿(1-7節)とそれが何かを説き明かす内容となっています。17-18章はバビロンの滅亡

を扱いますが、17章では未来形で、18章では過去形で語っています。それは、バビロンの審判が確実だという事を強調する意味合いを持ちます。17章ではバビ

ロンが神の民を激しく迫害する姿が強調されている(1-6、14節)ので、バビロンが宗教的な性格のものであることを暗示します。それに対して18章は、商業的な

性格のバビロンが強調され、悪霊の住まい、汚れた霊という言葉で悪霊の影響を受けているバビロンを表します。バビロンの滅亡の理由は、18章3、5-8、19、

23-23節で、知る事もできます。

●黙示録19章、救いの完成と最後の審判(19-20章)、未来はどうなるのか、多くの人々が関心を持っているテーマです。20世紀前半までは自然科学に基づく観察か

ら、後半からはニュー・エージの影響により新しい未来を期待する動きがあります。さまざまな宗教や占いなどでこれからの時代を期待し、占っています。それに

対して、聖書は、未来に関して暗闇を照らす新しい光を提供しています。それを本文では「ハレルヤ」(4回使用)で表現しています。19章1-5節では、大淫婦の審

判をハレルヤと賛美し、6-10節では子羊の婚姻の時が来たのでハレルヤと賛美しています。大淫婦の審判を賛美したのは、神様の審判が完全に成し遂げられたこ

との故です。私たちは、悪と善が対立しているかのように、二元論的な感覚で神様の審判を考えますが、それは間違った考えです。赤い竜と子羊との戦いはありま

すが、サタンの働きは、神様の許しの下で行われるものです。サタンは罪を通して私たちのうちで働き、破壊の歴史を繰り返します。最悪の状態では、神様までも

捨てるようにさせます。しかし、大きな神様の歴史の中では悪の状態をそのまま放置するものではありません。神の審判が待っているからです。

審判を歌った後、子羊の婚姻を前もって賛美します(6-8節)。17-18章は、私たちの心を暗くしますが、ここでは白い衣を着た花嫁が登場します。大淫婦と対比

する言葉です。花嫁の着る衣が用意されたことも注目すべきです。その衣は、子羊の血によって洗われた救いのことですが、私たちの責任も伴います。「サルデス

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には、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。」と語り、衣を汚さない人の

責任があることを教えます。白い馬に乗った王の王、主の主は、イエス・キリストのことです(黙示録19:11-21)。白い馬に乗り、忠実また真実、神の御言葉、

王の王、主の主であるイエス・キリストを黙想することは私たちの特権です。

●千年王国(20:1-6)、千年の間縛っていたサタンが諸国の民を惑わすためにしばらくの間、解き放されます。イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはね

られた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちは生き返って、キリストとともに、千年の間王となります。

この箇所の理解は難しいです。しかし、分かることも多くあります。その一つは、サタンの力とその影響力は大きなものですが、子羊イエスの前では無気力

だということです。この主の力を信じて生きることが大切です。もう一つは、義のために迫害され、死んだ者は、決して見捨てられるのではなく、まるで英

雄のように扱われるということです。信仰を捨てなかった人々、それでこの世ですべてを失った人は、天の御国では信仰の英雄です。

●大きな白い御座の審判(20:7-15)、「千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、地の四方にある諸国の民であるゴグとマゴグを惑わし、戦いのために彼ら

を召集する。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、

彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」という言葉のように、教会を抹殺するかのようにサタンとその追従者たちが騒ぎ出しますが、永遠の審判を受けます。黙

示録は、繰り返して強調することがあります。それは、サタンとその追従者たちが教会を迫害し、信徒を迫害することです。そして、それによって神様に裁かれる

ことです。反復的な強調という表現です。

大きな白い御座の審判は、最後の審判を意味します。すべての人々が受ける審判です。ですから、人々は開かれた数々の書物によって裁かれます。各々の行為が

書かれてある書物だと理解できます。しかし、書物の中にはいのちの書もあって、そこに書き記された者は救われます。いのちの書に名のしるされていない者はみ

な、この火の池(地獄)に投げ込まれます

●新しいエルサレム(21章)、1-8節までは新しいエルサレムの内容的な特長を、9節以後は新しいエルサレムの外見的特長を描写しています。新しいエルサレムとは、

エルサレムの回復を意図して語った言葉です。その本質は、インマヌエルです。インマヌエルは、聖書の多くの個所で預言されたもので、このインマヌエルが神の

御国の一番大きな特徴です。3節の①「神の幕屋が人とともにある」、②「神は彼らとともに住み」、③「彼らはその民となる」、④「神ご自身が彼らとともにおられ

て」と、⑤ある写本では「彼らの神となって」と語っています。つまり、4重あるいは5重の強調でインマヌエルを語っています。その結果として、「彼らの目の涙

をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」と書き記していま

す。

新エルサレムを花嫁、都と言ったのは、神様とご自身の民との関係(花嫁)と神様と民との共にする生活(交わり、都)を示唆します。9節以後は、花嫁のように

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整えられた都の特徴です。新しい天と地は、確信することはできませんが、創造されたものすべてをなくすのではなく新しくして用いるという感覚を持ってもよい

と思い、その場合は地上でのことを考えることができます。主の再臨の時に「地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。」(20:11)という立場と「わ

たしは、すべてを新しくする。」(21:5)の立場があります。そこには、七つの無くなるものがあります。

①海がない(1節):海は不安や無秩序、暴力を象徴します(13:1)。②死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない(4節):すべて苦しみがないという意味です。③神殿が

ない(22節):神様がおられるところが神殿で、神様がおられるところなので神殿がないと教えます。④照らす太陽も月もいらない(23節):神ご自身の栄光の輝きの

故に。⑤夜がない(25節):7:15で「彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えている」と語ったのは、神様の前で永遠にという意味になります。⑥

すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者はいない(27節)。⑦のろわれるものは何もない(22:3)

ある実験で希望のないネズミはかめの中で3分後に死んだそうですが、ネズミに希望の光を与えると36時間も泳いだそうです。この世の終わりに希望のない人生、

希望のある人生、私たちはどっちでしょう。希望のある者として生きているとしたら、それこそ命をかけても守り、保ち、伝えるべきことではないでしょうか。

●いのちの木(22:1-5)、21 章と 22 章は新しいエルサレムを描写します。本文はエルサレムの中でもいのちの川を重点的に扱っています。水晶のようにという表現

は、汚染したものが何一つもない、神と子羊との御座からでる完全なものです。そこには、いのちの木があって、毎年一回ではなく、毎月一回という実ができました。

そして、そこを豊かにし、癒す木の葉もありました。このような描写が天国を楽園だと表現するようにしたところです。いのちの木は、創世記 2 章のエデンの園を思

い起こさせます。また、2 章 7 節のエペソ教会に語った「神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」という箇所も思い出させます。それでは、いのち

の水をどのように理解すべきでしょうか。7:17 では「小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかり

ぬぐい取ってくださる」と語っています。「わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。」(21:6)や「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者

は、それをただで受けなさい。」(22:17)とも語っています。天国にはいのちの水があることを示しますが、いのちの水が何を意味するでしょうか。永遠に生きるいの

ちだと思う人もいますが、続けて満たされる希望、満足として理解できます。イエス様の御言葉を意味するものとしても理解できます。イエス様の御言葉がいのちの

根源であり、源であるからです。

毎月実がなるという言葉は豊かないのちが続けて供給されることを意味します。創世記3:22の神様の祝福に与ることでもあります。「いのちの木からも取って食べ、

永遠に生きないように。」ということです。葉が癒すということは、天国に病気があることを意味するものではありません。それは、「いのちの水の泉に導いてくださ

る牧者が、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」という言葉から天国には涙があると思うことになります。このことは、天国には癒しがある、それは病が

天国にはないということで、いのちの木の葉がそれを保証するという意味です。

天国ですること:神に仕え、神の御顔を見上げることです。創世記で人類が神から目をそむいたことと反対です。モーセも神の御顔を直接に見ることができません

でした。新約でも、人間として来られたイエス様を見た者が神様を見たこととなります。しかし、今は直接に見ることが許されました。神様との関係において障害物

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は何一つないということです。そして、神様に仕えるのです。それも神様の所有者としてでです。永遠の王であるということで、仕えると同時に支配すると語ります。

神様は東洋的な王様ではありません。何もせずに宴会だけ開いて遊ぶような感覚で過ごす方ではありません。主の統治に加わるのです。この主を仰ぎ見、主に仕え、

主と共にいられることへの希望によって今までの信仰者はその走りを全うしたのです。

●最後のメッセージ(22:6-21)、黙示録のまとめの部分です。黙示録は私たちの将来を示しますが、これらのことが今生きる私たちに影響を与えるものでなければ

なりません。つまり、現実において影響を与えるものでなければなりません。多く終末論者は、現実を無視する傾向があります。再臨の時だけ、終末の時だけを望み、

求めるようにしますが、このような思想は危険です。

本文は、エピログに当たります。1章のプロローグのように、送信者としての神様(1:1、22:6)とイエス様(1:1、22:6)が出ます。伝令として御使いとヨハネを用い

ています。受信者は教会とそれを聞くしもべたちです。伝える内容は、「すぐに起こるべきこと」で、預言者たちを通して預言されたことです。預言の中心は、アル

ファとオメガであり、すぐに来られるキリスト・イエスです。この預言を聞き守り、行なう者には祝福が、不順する者には災いが警告されています。プロローグに出

ない、エピログにだけ出ることは、主に再臨に対して熱望するヨハネの告白「主イエスよ。来てください」というものです(17:20節)。

送信者キリストに対して特別な表現がいくつかあります。「わたし、イエスは・・・あかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(16節)が

そうですが、ここでの「わたし、イエスは」という言葉は、黙示録が人々による作品ではなく、イエスご自身のものであることを明記します。御使いもわたしの使い

という言葉で、イエス様による黙示であることを明記します。「ダビデの根、子孫」という言葉は、ダビデによってエルサレムが始まったように、イエス様によって

新しいエルサレムが始まることと、これらのことがダビデ預言の成就であることとを示します。「明星」とは、暗闇を退け、完全な日を迎えるという意味で理解でき

ます。

6節の言葉にも注目しましょう。「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。」と語っているのは七つの鉢を持った御使いが語っているものです。今

までの黙示録の内容すべてを確認しながら、その権威を認める言葉です。「これらの言葉」という表現で、黙示録のまとめに入ることと、18-19節の「預言に加減す

るものへの警告」をもって、軽んじたり、適当に考えたりするのではなく、信じ、従うべき神様の御言葉として受け入れなければならないことを教えます。9-10節

の言葉にも注目しましょう。「・・・神を拝みなさい。・・・この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。」という言葉ですが、御言葉の前で

賛美がささげられることは当然なことです。また、黙示録の特徴ですが、すぐに起こることなので、封印せずに開封したままという特徴があります。ですから、私た

ちはこの内容を聞き、考え、従う生活ができるのです。

●7節に戻りますが、「この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」という言葉にも注目すべきです。黙示録全体を通して見られるものは、反キリスト者と

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の対立です。それに対して信じ貫く者に祝福が保証されています。14節では、守る方法が書いてあります。「自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与

えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。」という言葉です。着物を洗うという意味は、サルデス教会に対する言葉を通して理解できます。衣

を汚すということは、行ないが死んでいることを意味します(3:1)。キリストの御血により救われますが、日々生活の中できよめられた衣を汚さない生活も大切です。

つまり、日々の生活の中で聖い生活が求められます。サタンは私たちの救いを奪うことはできません。しかし、私たちの心の城壁が崩れてしまうと、崩壊されてしま

います。主の前で聖い者として生きることは、重要な防護策でもあります。いのちの実を食べる、門を通る権利のある者とは、新しいエルサレムの住民のことです。

それ以外の人々は、外に出される者であって、神様との断絶を示唆します。そこで11節の言葉も一緒に考えてみましょう。「不正を行なう者はますます不正を行ない、

汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」という言葉ですが、悔い改めと改心

の許されない時があることと、同時に信じる人々は固定された者であることを強調します。不正―不正、汚れたー汚れた、正しいー正しい、聖徒―聖なる者という言

葉で、宗教的な宿命論を教えることではなく、規定事実となって動かされない結論だという意味です。つまり、私たちすべての人々の前には永遠のいのちと滅亡があ

って、この地上で選択することができますが、主の再臨の時には変えられない規定事実になるという意味です。どのように生きるべきかを明記します。20節でイエ

ス様は「しかり。わたしはすぐに来る。」(7、12)と語っています。御言葉を死守し、神様のみを拝み、御言葉に聞き従い、特に衣を汚すことなく、汚された衣は洗う

者として「主の再臨を待ち望む者でありますように。