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遷移金属ジフルオロカルベン錯体合成を指向する 新規カルベン源の設計と合成 理工学群化学類 指導教員 市川淳士 坂東正樹 学籍番号 200810985

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卒 業 論 文

遷移金属ジフルオロカルベン錯体合成を指向する

新規カルベン源の設計と合成

理工学群化学類

指導教員 市川淳士

氏 名 坂東正樹

学籍番号 200810985

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目次

序論 2

第一章 ジフルオロカルベン錯体調製の検討

第一節 新規カルベン源の合成 8

第二節 金属錯体の検討 9

第三節 NHC の検討 11

第四節 添加剤の検討 12

第五節 受容体の検討 13

第二節 遊離のジフルオロカルベン源としての検討 14

総括 15

実験項 16

参考文献 17

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序論

カルベン錯体は、金属-炭素二重結合を有する錯体であり、結合様式の違いにより二種

類に分類できる。ひとつは、カルベン炭素上が電子豊富な、一般に Schrock 型カルベン錯体

と称される錯体である。Schrock 型カルベン錯体は高原子価、後周期遷移金属に多く見られ

る。もうひとつは、カルベン炭素が求電子的な Fischer 型カルベン錯体である。Fischer 型カ

ルベン錯体は低原子価、低周期遷移金属に多く見られる。こうした二種類の性質から、カ

ルベン錯体は多様な反応性を示すことが知られている。例えば、Schrock 型カルベン錯体で

あるルテニウムカルベン錯体 1 は高活性なオレフィンメタセシス触媒として働き(式 1) 1)、

Fischer 型カルベン錯体であるモリブデンカルベン錯体 2 は電子豊富なオレフィンとのシク

ロプロパン化反応を起こす(式 2) 2)。このように、カルベン錯体は有機合成においてしばし

ば用いられる有用な錯体である。

一方、カルベン錯体のフッ素置換体であるジフルオロカルベン錯体には、通常のカルベ

ン錯体にはない反応性も報告されている(式 3) 3)。Ru(0)ジフルオロカルベン錯体 3 は、塩化

水素を作用させると、カルベン炭素上へ求電子攻撃が進行して錯体 4 を与える 4)。一方、同

じ錯体に対してアミンを作用させると、カルベン炭素上への求核攻撃が進行して錯体 5 が

生成する 3)。これらの事実は、ジフルオロカルベン錯体 3 が、求電子的な Shrock 型錯体と

しての反応性と求核的な Fischer 型錯体としての反応性を併せ持つことを示している。ジフ

ルオロカルベン錯体には、この他にもフッ素置換基による新たな反応性発現が期待できる。

しかしながら、遷移金属ジフルオロカルベン錯体の報告例は極めて尐なく、その合成法も 2

つの反応形式に限られる(式 46) 3,5,6)。まずひとつは、フッ化物イオンの脱離による方法で

ある。例えば、ジフルオロカルベン錯体 3 は、対応するルテニウム錯体 6 をトリフルオロ

メチル化し、続くフッ化カドミウムの脱離により合成されている(式 4)。また、ロジウムジ

フルオロカルベン錯体 8 は、フッ化ロジウム錯体 7 をトリフルオロメチル化し、続くフッ

化物イオンのロジウム上への転位により合成されている(式 5)。もうひとつの合成法は、オ

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レフィンメタセシスによりジフルオロカルベン配位子を金属へ直接導入する方法が報告さ

れている(式 6)。しかし、有機合成に利用された例に至っては報告が見当たらない。

ところで、ジフルオロメチレン基やジフルオロメチル基を有する化合物には、生理活性

を示すものが多く知られる。例えば、化合物 9 は抗ウィルス作用を示し 7)、また desflurane 10

は麻酔薬として利用されている 8)。それゆえに、ジフルオロメチレン化合物の合成法の開発

は重要である。

ジフルオロメチレン基やジフルオロメチル基を有する化合物の合成法は、いくつかの手

法に分類されるが、まず官能基変換によるジフルオロメチレン基の導入法がある。例えば、

DAST(三フッ化ジエチルアミノ硫黄) 11 をカルボニル化合物に作用させると、カルボニル基

をジフルオロメチレン基に変換できる(式 1) 9)。しかしこれらの手法は、反応剤が高価であ

ることが多く、過酷な反応条件を必要とするなど問題点も多い。

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また、増炭を伴うジフルオロメチレン基やジフルオロメチル基の導入による合成法が知

られている。例えば、アリールヨージドに対してヨウ化銅(I)とフッ化カリウム存在下、ジ

フルオロ酢酸エステル誘導体を作用させてカップリングし、脱炭酸を組み合わせることに

よりジフルオロメチル基をアリール基に導入できる(式 8) 10)。

より直接的な増炭による導入法として、ジフルオロカルベンを利用する方法がある。ジ

フルオロカルベンを炭素-炭素不飽和結合もしくは求核剤に作用させることにより、ジフ

ルオロメチレン化合物を合成できる。初めに、アルケンのジフルオロシクロプロパン化反

応が挙げられる(式 9) 11)。またアルキニルアニオンへのジフルオロカルベンの付加反応も知

られている(式 10) 12)。

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当研究室でも、2,2-ジフルオロ 2-(フルオロスルホニル)酢酸トリメチルシリル(TFDA)と含

窒素複素環式カルベン(N-heterocyclic carbene , NHC)を用いるジフルオロカルベンの発生法

を開発し、ジフルオロメチルエーテル、イミド酸ジフルオロメチルの合成法を報告してい

る(式 11,12) 13 ,14)。この反応では、NHC を触媒として用いることでジフルオロカルベンの発

生速度を制御し、効率良くジフルオロメチル化反応が進行する。

これまで述べてきた合成法は、反応活性種について量論的な反応を利用している。また、

反応剤が有毒であったり、過酷な反応条件を必要とするもの、多段階の合成を要するもの

であった。これに対し当研究室では、ジフルオロメチレン基を触媒的に導入できる新規活

性種の開発が重要と考え、遷移金属ジフルオロカルベン錯体に注目している。冒頭でも述

べた通り、カルベン錯体は多様な反応性を示す有用な活性種である。そのフッ素置換体で

あるジフルオロカルベン錯体も、フッ素置換基導入の有用な活性種となることが考えられ、

またフッ素置換基の電子的効果による新たな反応性の発現も期待できる。しかし、その合

成反応への応用は未だ報告例がなく、触媒的に発生させたという報告例もない。

一方、最近当研究室では、遷移金属ジフルオロカルベン錯体を利用したジフルオロシク

ロプロパン化合物の合成法を見出した(式 13)15)。シリルエノールエーテル 14 に、TFDA と

触媒量の NiNHC 錯体 15 を作用させると、対応するジフルオロシクロプロパン 16 が良好

な収率で合成できる。この反応では、反応系中で生じた Ni(0)錯体 A に対して TFDA のフッ

化スルホニル部位が酸化的付加し、スルホニルニッケル B が生じる。その後、二酸化硫黄

の脱離を経て Cエノラート中間体 C が生成する。続く分子内でのフッ化物イオンのケイ素

への求核攻撃と脱炭酸が進行し、ジフルオロカルベン錯体 D が生成する。ここからエノー

ルエーテル部位のシクロプロパン化反応が進行し、0 価ニッケル A が再生すると考えている

(Scheme 1)。

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Scheme 1. Proposed Catalytic Cycle

ここでジフルオロカルベン源として用いている TFDA は、高価であり、加水分解も受け

やすく扱いが難しい。そこで筆者は、TFDA のフッ化スルホニル部位をブロモ基に置換した

ブロモジフルオロ酢酸トリメチルシリル 17 に注目した。17 が金属に酸化的付加すれば、二

酸化硫黄の脱離を伴うことなく直ちに Cエノラート中間体を与える。これが脱炭酸を起こ

すことで、遷移金属ジフルオロカルベン錯体が効率良く生成すると考えた(式 14)。なお、17

に類似した構造を有するブロモジフルオロ酢酸エチル 18 は Rh(I)錯体に酸化的付加するこ

とが知られており、(式 15) 16)この考えを支持する。

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このように筆者は、ブロモジフルオロ酢酸トリメチルシリル 17 をジフルオロカルベン源

にして、ジフルオロカルベン錯体を調製できると考え、その検討を行った。また、17 を遊

離のジフルオロカルベン源として利用する反応についても併せて検討を行った。以下、そ

れらの詳細について述べる。

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第一章 ジフルオロカルベン錯体調製の検討

第一節 新規カルベン源の合成

新規カルベン源であるシリルエステル 17 の合成、単離について検討を行った(Scheme. 2)。

まず、TFDA と同様な方法で合成しようと考えた 17)。すなわち、ブロモジフルオロ酢酸ナ

トリウム 19に対してトリメチルシリルクロリド 20を 4倍モル量加えて室温で反応させた。

反応終了後、常圧蒸留により未反応の 20 を取り除いた後、減圧蒸留によってシリルエステ

ル 17 を単離しようと試みた。しかし、得られたシリルエステル 17 は 8%と低収率にとどま

った。その原因として、4 倍モル量用いたことで未反応のまま残る 20 を常圧蒸留により除

くため、蒸留操作を 2 回行ったことが挙げられる。すなわち、長時間の加熱によりシリル

エステル 17 が分解したことが原因と考えた。そこで、20 を 0.99 倍モル量に減らし、反応

時間を延長した。その後の単離操作を減圧蒸留のみで行ったところ、予想した通り目的と

するシリルエステル 17 が収率 68%で得られた。

Scheme. 2 シリルエステル 17 の合成

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第二節 金属錯体の検討

先に述べたように、17 に類似したエチルエステル 18 は Rh(I)への酸化的付加が知られて

いる。そこで、17 でも同様に Rh(I)への酸化的付加が進行するのか、確認を行った(式 16)。

シクロヘキセノン 21 に対し、THF 溶媒中 2 mol%の RhCl(PPh3)3 、1.5 倍モル量のシリルエ

ステル 17 を加え、0 oC で 30 分攪拌した。続いて 1.5 倍モル量のジエチル亜鉛を滴下した。

TLC による反応追跡から、5 分間で 21 が完全に消費されることがわかったので、反応液を

室温に戻し 19F NMR を測定した。すると、収率 8%ながら目的物 22 が得られていることが

確認され、触媒サイクルが 4 回転したことになる。これにより、シリルエステル 17 の金属

への酸化的付加は進行することがわかった。

そこで、シリルエステル 17 を新たなジフルオロカルベン源として、ジフルオロカルベン

錯体調製のための検討を行った。さらに、反応系中で生じたジフルオロカルベン錯体を、

カルベン錯体の一般的な反応のひとつであるシクロプロパン化反応で捕捉しようと試みた。

トルエン溶媒中、20 mol%の種々の金属錯体存在下、シリルエノールエーテル 14a に対し

て、2 倍モル量のシリルエステル 17 を滴下し 95 oC で 30 分間加熱した。内部標準物質であ

る 2,2-ビス(4-メチルフェニル)ヘキサフルオロプロパンはあらかじめ反応液に加えておき、

加熱終了後に反応溶液をサンプリングして、19F NMR により収率を算出した。

TFDA をカルベン源として用いた場合に良好な結果が得られていた NiNHC 錯体 15 を用

いたところ、ジフルオロシクロプロパン 16a は確認されず、原料 14a と加水分解を受けた

ケトン 23 が確認された。またカルベン源であるシリルエステル 13 と対応するカルボン酸

が 51%回収された(Entry 1)。反応系中で生じたジフルオロカルベン錯体は、フッ素の誘起効

果で金属中心が電子不足になっていると思われ、NiNHC 錯体を用いた場合は、強い電子供

与性配位子である NHC が金属中心の安定化に寄与していると考えられる。そこで NHC と

同様に電子豊富なホスフィン配位子を有するニッケル、パラジウム、白金、ロジウム錯体

を検討したが、同様に、ジフルオロシクロプロパン 16a を得ることはできなかった(Entries

25)。また、パラジウム dba 錯体を検討したが、同様の結果となった(Entry 6)。ここで、Ni

錯体 15 が NHC 配位子を有していることに着目し、反応系中で Pd(NHC)錯体を調製して検

討を行った。その結果、目的物を得ることはできなかったが、シリルエステル 17 の完全な

消費と、二酸化炭素の発生を示す発泡が確認された(Entry 7、式 17)。なお、序論で述べたよ

うに、当研究室では TFDA と NHC を用いて遊離のジフルオロカルベンを発生させることに

成功している(式 11, 12)。従って、NHC のみをシリルエステル 17 に作用させた場合でも、

NHC のシリル基への求核攻撃によりシリルエステル 17 が分解するものと考えた。そこで

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Entry 8 ではシリルエステル 17 と NHC のみを作用させたところ、この場合も 17 の完全な消

費が確認された。発泡は、17 の分解による遊離ジフルオロカルベンの発生に伴う二酸化炭

素が観察されたものと思われる(式 18)。

なお、Entry 7 では発泡が激しく一瞬のうちに終了する。一方、Entry 8 では発泡が穏やか

に数分間持続する。この違いとして、以下のように考えられる。Entry 7 では Pd が反応に関

与し、シリルエステル 17 の分解と共に、ジフルオロカルベン錯体の発生が促進される。一

方 Entry 8 では、発泡が先ほど述べた NHC のシリル基への求核攻撃によるシリルエステル

17 の分解によるため、発泡は持続する。

Table 1 の検討結果から、金属錯体は NHC を配位子にもつものが有効であると考えられる。

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第三節 NHC の検討

金属錯体に PdNHC 錯体を用いると、シリルエステル 17 の完全な消費と、二酸化炭素の

発生を示唆する発泡が確認された。しかし、ジフルオロシクロプロパン 16a は得られなか

った。系中で生じていると考えられるジフルオロカルベン錯体の反応性が高すぎたため、

受容体と反応する前にテトラフルオロエチレンとなって分解していると考えた。そこで、

PdNHC 錯体の反応性を調整するため、配位子である NHC の検討を行った(Table 2)。NHC

前駆体としてイミダゾリウム塩 12、イミダゾリニウム塩 24、トリアゾリウム塩 13 を用い

た。いずれの場合もシリルエステル 17 の消費は確認されたが、目的物である 16a を得るこ

とはできなかった。配位子である NHC の種類に関係なく、シリルエステル 17 は消費され

ることがわかった。

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第四節 添加剤の検討

当初予測していた反応の各段階について、17 の Rh(I)への酸化的付加は 8%ながら進行し

ているので、酸化的付加の段階には問題がないと考えられる。そこで、次の脱炭酸とケイ

素の脱離に問題がある、もしくはジフルオロカルベン錯体と受容体の反応性が合っていな

いと考えた。当初予測していた反応機構では、シリルエステル 17 の金属への酸化的付加の

後にただちに Cエノラート中間体を与え、続く臭化シリルと脱炭酸によりジフルオロカル

ベン錯体が生成すると考えていた。しかし、結合解離エネルギーがフッ素-ケイ素結合は

661 kJ / mol1で、臭素-ケイ素結合が 402 kJ / mol

1と、酸素-ケイ素結合の 444 kJ / mol1

に対して臭素-ケイ素結合エネルギーが小さいことから、Cエノラート中間体から続く分

解反応がうまく進行していないと考えた。そこで、シリルエステル 17 の臭素の脱離を促し、

かつシリルエステルのケイ素を求核攻撃して脱炭酸を促進する添加剤として銀塩を検討し

た(Scheme. 3)。トリフルオロメタンスルホン酸銀、フッ化銀、テトラフオロホウ酸銀を検討

したが、いずれの場合もシリルエステル 17 の消費は確認されたものの、目的物である 15

を得ることはできなかった。このことから、脱炭酸とケイ素の脱離に問題はないと考えら

れる(Table 3)。

Scheme. 3 銀塩添加により予測される効果

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第五節 受容体検討

反応系中で生じていると考えられるジフルオロカルベン錯体は、その反応性が受容体の

反応性に適合せず、受容体と反応する前に系中で生じた錯体のジフルオロカルベン配位子

が外れて二量化し、テトラフルオロエチレンを形成して消失してしまったと考えた。そこ

で、ジフルオロカルベン錯体の受容体の検討を行った(Table 4)。

シリルエノールエーテル 14a 以外にジフルオロカルベンの捕捉に実績のある、ジエノー

ルシリルエーテル 2515)や、インダノン 27

7, 8)、ジフェニルアセチレン 2911)を検討した。その

結果、いずれの場合もシリルエステル 17 の完全な消費は確認されたが、目的物を得ること

はできなかった。

以上、カルベン源 17 を用いて遷移金属ジフルオロカルベン錯体の調製を検討した。ジフ

ルオロカルベン錯体と受容体を反応させることはできなかったが、PdNHC 錯体を金属錯体

として用いると、ジフルオロカルベン錯体の発生を示唆する発泡が確認された。今後、ト

リフェニルホスフィンやトリエチルシランなど種々のカルベン受容体を検討し、ジフルオ

ロカルベン錯体の捕捉を目指す。

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第二章 遊離のジフルオロカルベン源としての検討

新たに合成したシリルエステル 17 は遊離のジフルオロカルベン源としても利用できると

考えた。なお、カルベンの受容体として、ジフルオロカルベンの捕捉に実績のあるシリル

エノールエーテル 14a15)とジフェニルアセチレン 29

11)を採用した。室温において、基質に 2

倍モル量の IMesCl 12 と 4 倍モル量の炭酸ナトリウムを加え、種々の温度で加熱した。さら

に各温度において、シリルエステル 17 を 5 分間かけて滴下した。

80 oC で反応させた場合、シリルエステル 17 の完全な消費は確認されず、また脱二酸化炭

素を示唆する発泡も確認されなかった(Entry 1)。そこで、反応温度を 95 oC に上げたところ、

17 の完全な消費と発泡が確認された。しかし、目的物である 16a を得ることはできず、原

料の 14a と加水分解を受けたケトン 23 が観測されるのみであった(Entry 2)。次に、高温条

件にも耐えられる基質としてジフェニルアセチレン 29 を検討した。温度を 110 oC, 130

oC,

150 oC で反応させると、いずれの場合も発泡と 17 の完全な消費は確認されたが、目的物を

得ることはできなかった(Entries 35)。ここで、17 の脱炭酸までの分解は進行するが、臭素

の脱離が不十分なためにジフルオロカルベンが発生しないものと考え、トリフルオロメタ

ンスルホン酸銀を加えて反応を行った。すると予想した通り、目的とするジフルオロシク

ロプロペン 30 が 10%得られた(Entry 6)。

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総括

本論文では、新規カルベン源BrCF2CO2SiMe3を用いる遷移金属ジフルオロカルベン錯体の

調製、および遊離ジフルオロカルベン源としての利用について検討を行った。各種金属錯

体を検討した結果、PdNHC錯体を用いるとカルベン源の完全な消費と、ジフルオロカルベ

ン錯体の生成を示唆する発泡が起こることを確認した。しかし、反応系中で生じていると

考えられるジフルオロカルベン錯体の捕捉には至っておらず、今後受容体の検討を進めて

いく予定である。

また、BrCF2CO2SiMe3の遊離のジフルオロカルベン源としての利用を検討したところ、ジ

フェニルアセチレンに対してトリフルオロメタンスルホン酸銀存在下、イミダゾリウム塩、

炭酸ナトリウム、およびBrCF2CO2SiMe3を作用させると、低収率ながら目的のジフルオロシ

クロプロペンが得られた。これにより、本シリルエステルは遊離のジフルオロカルベン源

として利用できることが明らかとなった。

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実験項

1. 分析機器

核磁気共鳴スペクトルは、Bruker製 AVANCE 500を用いて測定した(1H 核: 500 MHz,

13C核:

126 MHz, 19

F 核: 470 MHz)。1H NMRはテトラメチルシラン(0.00 ppm)を、13

C NMRは溶媒と

して用いた重クロロホルム(77.0 ppm)を、19F NMRはヘキサフルオロベンゼン(0.00 ppm)また

は2,2-ビス(4-メチルフェニル)ヘキサフルオロプロパン(97.9 ppm)を、それぞれ内部標準とし

た。赤外吸収スペクトルは、堀場製作所製FT-300S (FT-IR) を用いて測定した。

2. 溶媒と反応試薬

トルエン、テトラヒドロフランは、関東化学製の脱水品をGlass Contour製溶媒精製装置でさ

らに精製して用いた。メシチレンは水素化カルシウムにより乾燥、蒸留したものを用いた。

インダノン27は市販品をヘキサンにより再結晶してから用いた。ジフェニルアセチレン29,

トリフルオロメタンスルホン酸銀、フッ化銀、テトラフルオロホウ酸銀は市販品をそのま

ま用いた。イミダゾリウム塩11、イミダゾリニウム塩24、トリアゾリウム塩12は文献に従

い合成した1820)。各種合成に必要な2,4,6-トリメチルフェニルアミン、トリエチルアミン、

塩化オキサリル、ボランTHF錯体THF溶液、オルトぎ酸トリエチル、イソブチロフェンノ

ン、ベンジリデンアセトン、ブロモジフルオロ酢酸エチル18、水酸化ナトリウムは市販品

をそのまま用いた。

ブロモジフルオロ酢酸トリメチルシリル 17 の合成

17

窒素置換した 200 ml 一口ナスフラスコにブロモジフルオロ酢酸エチル 18 (65.2ml,

508mmol)、エタノール(175 ml)を加え、別途用意した水酸化ナトリウム(20.3 g, 509 mmol)の

水溶液(35 ml)を加えた。70 oC に加熱し、4 時間攪拌した。室温に戻した後、ロータリーエ

バポレーターでエタノールを除いた。最後に、60oC に加熱しながら減圧乾燥を行い、ブロ

モジフルオロ酢酸ナトリウム 19 を得た。得られた 19 のうち、12.8 g をアルゴン置換した

50 ml ナスフラスコにとり、60 oC に加熱しながらさらに 3 時間減圧乾燥を行った。フラスコ

に残った 19 (8.96 g, 45.5 mmol)を 0 oC に冷却し、トリメチルシリルクロリド 20 (5.60 ml, 44.1

mmol)を加えた。48 時間室温で攪拌した後に減圧蒸留によりシリルエステル 17 (7.67 g, 31.0

mmol)を収率 68%で得た。

Trimethylsilylbromodifluoroacetate 17: 1H NMR (500 MHz, CDCl3): 0.41 (s, 9H).

13C NMR (126

MHz, CDCl3): 1.91, 109.2 (t, JCF = 316 Hz) , 158.7 (t, JCF = 32 Hz). 19

F NMR (471 MHz, CDCl3):

100.3 (s, 2F). IR (neat); 1760, 1261, 1132, 940, 685 cm1

. EA: found. C 24.26%, H 3.49%,; Calcd.

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for C5H9BrF2O2 : C 24.29%, H 3.64%. Colorless liquid.

References

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謝辞

本研究を行うにあたり、有益かつ熱心なご指導、ご鞭撻を賜り、また快適な研究環境を

与えてくださいました、本学教授 市川 淳士先生に心から感謝の意を表します。

また、本研究を行うにあたり、数々の有益な助言と直接のご指導を頂きました、本学准

教授 渕辺耕平 博士ならびに藤田 健志 博士に心から感謝致します。

著者が研究室に配属されてから一年間、直接指導を賜り、研究の基礎を教えてください

ました、青野 竜也 氏に深く感謝致します。

研究生活の厳しさや楽しさを共に分かち合い、支えあった市川研究室の皆様に厚く御礼

申し上げます。

また、4 年間の大学生活で出会い、著者を支えてくださいましたすべての皆様に深く感謝

致します。

最後に、研究生活を始終援助してくれた両親、祖父母にこの上なく感謝致します。

2012 年 3 月