解 説 人体になじむmpcポリマーの創製と...

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はじめに 現在、多くの医療器具が医療現場で治療や診断、 検査に利用されている。最近では、新型コロナウ ィルスに感染し、重篤な肺炎の症状が出た際に肺 の機能を代替するために血液を直接体外において ガス交換する膜型人工肺システム(Extracorporeal membraneoxygenator:ECMO)が注目されてい る。これ以外の医療器具として血管内を通して薬 剤を患部近傍に送達するカテーテルや、狭窄した 血管を拡張させるバルーンカテーテルなどが利用 され、血管内治療に革新をもたらしている。一方、 重篤な心臓疾患では、人工弁や人工血管、あるい は補助人工心臓など高度な医療器具の埋め込みが 避けられない。これらは長期間体内で機能し続け なければならないばかりか、生体に対して影響を 起こしてはならない。しかしながら、実際にはこ れらの医療器具を生体内で使用すると、その表面 では血液凝固反応が進行する。 これまで医療器具に使われている高分子材料の 例としては、人工心臓でポリウレタン、人工血管 にポリエチレンテレフタレート繊維や延伸ポリテ トラフルオロエチレン、人工関節に超高分子量ポ リエチレン(UHMWPE)、コンタクトレンズの主 な材料にポリ(2-ヒドロキシエチルメタクリレー ト)、シリコーンハイドロゲルなどが挙げられる 図1 1) 。これらのポリマー材料では、生体反応 の誘起を阻止できていない。人工腎臓を利用した 血液透析療法や人工肺を用いた体外循環法で は、血液が大面積の高分子膜と接触する。こ の場合も血液凝固反応が生じるため、現在は、 生体由来の多糖であるヘパリンなど抗凝固剤 を血液中に添加して血液凝固反応をブロック している。すなわち生体側を材料に合わせる ような治療法を選択せざるを得ない状況であ る。血液凝固は材料表面からの影響で血液中 のタンパク質の吸着や構造変化・活性化が誘 起され、凝固因子系あるいは血小板系の反応 を誘起する(図2 2) 。他の生体反応もほとん どがタンパク質系と連動している。したがっ て、原理的にはタンパク質の吸着を起こさな 医療器具 主な材料 主たる問題点 眼内レンズ アクリル樹脂 組織の肥厚化 人工関節 超高分子量ポリエチレン 摩耗による骨溶解 人工血管 ポリエステル 血栓形成による閉塞 人工弁 カーボン、金属材料 石灰化、血栓形成 カテーテル ポリウレタン 血栓形成,感染 ステント 金属材料 血栓形成、再狭窄 コンタクトレンズ ハイドロゲル 炎症 歯科用インプラント 金属、セラミック ゆるみ 冠動脈ステント コンタクトレンズ 人工股関節 図 1 医療器具に利用されている主な材料と使用上の問題点 東京大学 Ishihara 原一 Kazuhiko 大学院工学系研究科 名誉教授 大阪大学大学院工学研究科 特任教授 人体になじむMPCポリマーの創製と 医療器具への実装 解 説 20

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Page 1: 解 説 人体になじむMPCポリマーの創製と 医療器具への実装チルホスホリルコリン(MPC)を一成分として有 するリン脂質ポリマーを合成し、生体親和性を評

はじめに

現在、多くの医療器具が医療現場で治療や診断、検査に利用されている。最近では、新型コロナウィルスに感染し、重篤な肺炎の症状が出た際に肺の機能を代替するために血液を直接体外においてガス交換する膜型人工肺システム(Extracorporeal�membrane�oxygenator:ECMO)が注目されている。これ以外の医療器具として血管内を通して薬剤を患部近傍に送達するカテーテルや、狭窄した血管を拡張させるバルーンカテーテルなどが利用され、血管内治療に革新をもたらしている。一方、重篤な心臓疾患では、人工弁や人工血管、あるいは補助人工心臓など高度な医療器具の埋め込みが

避けられない。これらは長期間体内で機能し続けなければならないばかりか、生体に対して影響を起こしてはならない。しかしながら、実際にはこれらの医療器具を生体内で使用すると、その表面では血液凝固反応が進行する。これまで医療器具に使われている高分子材料の例としては、人工心臓でポリウレタン、人工血管にポリエチレンテレフタレート繊維や延伸ポリテトラフルオロエチレン、人工関節に超高分子量ポリエチレン(UHMWPE)、コンタクトレンズの主な材料にポリ(2-ヒドロキシエチルメタクリレート)、シリコーンハイドロゲルなどが挙げられる(図 1)1)。これらのポリマー材料では、生体反応の誘起を阻止できていない。人工腎臓を利用した

血液透析療法や人工肺を用いた体外循環法では、血液が大面積の高分子膜と接触する。この場合も血液凝固反応が生じるため、現在は、生体由来の多糖であるヘパリンなど抗凝固剤を血液中に添加して血液凝固反応をブロックしている。すなわち生体側を材料に合わせるような治療法を選択せざるを得ない状況である。血液凝固は材料表面からの影響で血液中のタンパク質の吸着や構造変化・活性化が誘起され、凝固因子系あるいは血小板系の反応を誘起する(図 2)2)。他の生体反応もほとんどがタンパク質系と連動している。したがって、原理的にはタンパク質の吸着を起こさな

医療器具 主な材料 主たる問題点

眼内レンズ アクリル樹脂 組織の肥厚化人工関節 超高分子量ポリエチレン 摩耗による骨溶解人工血管 ポリエステル 血栓形成による閉塞人工弁 カーボン、金属材料 石灰化、血栓形成カテーテル ポリウレタン 血栓形成,感染ステント 金属材料 血栓形成、再狭窄コンタクトレンズ ハイドロゲル 炎症歯科用インプラント 金属、セラミック ゆるみ

冠動脈ステント コンタクトレンズ人工股関節

図 1  医療器具に利用されている主な材料と使用上の問題点

東京大学 石Ishihara原 一

Kazuhiko彦

大学院工学系研究科 名誉教授大阪大学大学院工学研究科 特任教授

人体になじむMPCポリマーの創製と医療器具への実装

解 説

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Page 2: 解 説 人体になじむMPCポリマーの創製と 医療器具への実装チルホスホリルコリン(MPC)を一成分として有 するリン脂質ポリマーを合成し、生体親和性を評

いか、もし起きたとしても構造変化をすることなく維持できる表面ができれば生体親和性の表面とすることができると考えられる。これらの工業的汎用材料の流用では、使用する患者のQOLを十分に担保できない。そこで、生体と材料との仲立ちをする新しいバイオマテリアルが求められることとなる。本稿で紹介するポリマーは、この目的に合致した分子設計により創製されたポリマーの一例である。

MPCポリマーの特徴

著者らは、生体を構成する細胞の表面に注目してバイオマテリアルの創製を行ってきている。これは細胞膜に存在するリン脂質分子が表面に配列することで、生体に認識されない特徴を活かし、生体防御システムをすり抜けようという材料設計である(図 3)3)。そこで、リン脂質極性基(ホスホリルコリン基)を持つ2-メタクリロイルオキシエ

補体系

血小板系

XII XIIaXI XIa

IX IXa

X Xa

VII

VIIa

Va

PF3VIIIa

PF3トロンビン

フィブリノーゲン

C3a C3C3b白血球

血栓形成

材料

C1qC1rC1s

C2C9

C3aC5a

血小板

活性化凝集

トロンビンセロトニン

粘着

粘着

内因系凝固

古典経路

二次凝集

外因系凝固組織トロンボプラスチン

第二経路

凝固因子系

高分子量キニノーゲンプレカリクレイン カリクレイン

C5a C5C5b

赤血球

プロトロンビン

フィブリン

図 2 血液が材料に接触した際に誘起される血栓形成反応の機構

OO

OO

糖鎖細胞膜の構造

重合共重合

OOn

分子集合体

バイオミメティクス手法N+

OPO-

OO

タンパク質 リン脂質

MPC ポリマー 2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)

細胞膜に存在するホスホリルコリン基を有する天然のリン脂質分子(ホスファチジルコリン)

ホスファチジルコリンホスホリルコリン基

リポソーム

バイオインスパイアード手法で細胞膜構造を模倣した分子設計

OO P O-

O N+

OO

OO P O-

O N+

図 3 細胞膜表面構造を模したMPCポリマーの設計

212021年8月号(Vol.69 No.8)

特集 医療のクオリティライフに挑むバイオマテリアル

Page 3: 解 説 人体になじむMPCポリマーの創製と 医療器具への実装チルホスホリルコリン(MPC)を一成分として有 するリン脂質ポリマーを合成し、生体親和性を評

チルホスホリルコリン(MPC)を一成分として有するリン脂質ポリマーを合成し、生体親和性を評価した。MPCは1970年代後半に合成されたが、当時は収率、純度に問題がありポリマーとしての機能を明確に示すに至らなかった。1980年代後半になり筆者らはMPCの収率のよい合成法と高純度に精製する方法を開拓し、さらに1990年ごろより種々の構造を持つMPCポリマーの系統的な合成を始めるにあたり、MPCポリマーの優れた特徴が明らかとなってきた4)。MPCポリマーの特徴として、まず極めて高い親水性(水溶性)を示すことが挙げられる。例えば、MPCの単独重合体であるpoly(MPC)をグラフトした材料表面への水滴の接触角は0~10°で、完

全に表面を濡らすことができる。一方で気泡や油滴の接触角を水中で測定すると170°以上となる。このことは、気泡や油滴が表面に付着しにくいことを示す。大気中で油滴を表面に滴下し、その後材料ごと水に浸漬すると、簡単に油滴は表面から脱離するため、防汚効果が確認されている。また、MPCポリマー表面の電位はほぼ0�mVを示す。これはMPCポリマーのホスホリルコリン基に由来する正・負電荷が分子内で塩形成するために電荷が中和され、電気的に中性となるためである。生体環境においてもポリマー構造が変化することもなく、酵素分解や加水分解も受けない。医療器具の材料として重要な滅菌環境での安定性に関しても問題はない。MPCおよびMPCポリマーは1990年代後半から国内で工業化された。現在のMPCの純度は医療グレードとして極めて高く、MPCポリマーの生体内での安全性も確認され、米国食品医薬品局(FDA)のMaster�Access�Fileに登録されている。

MPCポリマーの生体親和性

MPCポリマーは材料の表面にナノメートルオーダーの被覆層を形成するだけで、浮遊系細胞、接着性細胞に関わらず接着や活性化が著しく低減し、さらに細菌の接着、増殖が抑制される。材料への表面修飾は単純な溶媒

キャストによる物理吸着から、MPCポリマーに材料と反応する部位を導入し化学結合させる方法、基材表面に存在する官能基からMPCをグラフト重合する方法など、使用する条件に対応した方法を選択できる。基礎的な研究から、MPCポリマー表面では体液に存在する多様なタンパク質の吸着および構造変化を阻止する効果があることが明らかとなった。タンパク質吸着は全ての生体反応の初期過程であり、これを防止できることは生体親和性を獲得するために必須となる。これまで、筆者らはMPCポリマーのタンパク質吸着抑制効果が、表面に自由水様の水が多く存在するという独特の水和構造に起因していることを明らかにした5)。一方、ハーバード大学のWhitesidesら

-

疎水性水和の好適部位(自由水様のクラスター構造)

ホスホリルコリン基の構造的な特徴

親水性

水素結合供与原子を持つ(N, O)

水素結合受容体を持たない分子内塩形成

ホスホリルコリン基

基材表面

電気的に中性である

(-NH2, -OH, -COOH, -NHCO-)

CH3CH

3CH3 N +

CH2 CH

2O

O

OP =O

図 4 ホスホリルコリン基の水和状態

タンパク質吸着

血液凝固

細菌接着

免疫細胞貪食

未処理材料 MPCポリマー処理材料

疑似涙液に接触後、原子間力顕微鏡で観察

小口径のポリウレタン製人工血管をウサギに埋植

蛍光ポリマー粒子を貪食細胞に曝露

材料に黄色ブドウ球菌を播種し、蛍光染色して共焦点レーザー顕微鏡観察

図 5 さまざまな生体反応に対するMPCポリマーの効果

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