「フォークロア」は誰のもの?─国際的知的財産制度にみるもう一つの「伝統文化の保護」─...

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『日本民俗学』第二五三号抜刷ニ

OO八年二月

「フォークロア」は誰のもの?

||国際的知的財産制度にみるもう一つの「伝統文化の保護」||

{表

f雪

民俗学と研究倫理

AV小特集

「フォークロア」

日本民俗学253

ニOO

八年二月

84

は誰のもの?

ーーー国際的知的財産制度にみるもう

「伝統文化の保護」||

小特集

"苦

はじめに

二OO五年五月十八日付「朝日新聞』の文化総合欄に「フラダンスに『著作権」?」という記事が掲載された。世界

知的所有権機関

(WIP0勺の「知的財産と遺伝資源、伝統的知識及びフォークロアに関する政府問委員会」の第七

回会合の顛末をもとにした記事で、中南米やアフリカなどの発展途上国が中心となって、フォークロアに関しても許

可なく複製や翻案をさせない強い権利を、その文化を生んだ地域や民族に与えるよう要求しているのに対し、先進国

側はあくまで既存の法体系に基づき各国別に対応すればよいとの消極的姿勢をとり、対立していることを伝えている。

記事に報じられているフォークロアの保護の問題は、現在の国際的な知的財産制度形成において最重要課題の一つ

であるが、はっきりと「フォークロア」が姐上に載せられているにもかかわらず、日本民俗学会ではほとんど話題に

なることもない。筆者は必ずしもこの問題について専門的な知識を持ち合わせているわけではなく、また議論そのも

のが現在進行中であって、多様な思惑と利害関係の中で、妥協点を見いだすことすら難しいような状況でもあり、本

稿においてこの問題に対する「正しい」見解や態度を提示できるわけではない。しかしながら、伝統的知識や伝統的

文化表現をその研究の重要な対象とする民俗学がほとんど関知しないところで、伝統文化の実践活動に大きな影響を

与えると思われる重要な問題が国際的に議論されていることを知り、歯がゆさを感じてもいる。そこで本稿では、こ

れまでの議論の経緯を紹介し、情報を提供することによって、学界の注意を喚起したい。今後の積極的な議論を期待

するとともに、現実に起こりうる様々な問題に対して、民俗学者としてどのように対峠すべきかを個々が考えるきっ

かけになればと願うものである。

「フォークロア」とは何か

「フォーク口アJ は誰のもの?

国際的な知的財産制度において、伝統文化は三つの領域で保護されると考えられている。それは、遺伝資源(のgo

片付

同20

号店印一の河)、伝統的知識(叶

E

色片山OロωニハロO三包

mR

叶同)およびフォークロア(司O}E05)である。

このうち遺伝資源とは、先住民や地域社会の中で、伝統的に様々な利用目的のために開発・維持されてきた資源で

あり、とくに動植物について言及される。遺伝資源については、他の二領域に比べて保護のあり方が明確化され、す

でにその権利が広く認められるようになっている。それは、これらの権利が先行する生物多様性条約

(CBD)の中

で認められており、各国の対応によって権利への配慮がある程度浸透しているからである。具体的には、民間療法で

伝統的に用いられてきた動植物資源等が保護の対象となる。

しかしこうした資源は、同時にそれをどのように利用するかという、療法や薬学などを含む伝統的な医学的知識と

切り離して考えることはできない。こうした医学的知識は狭義の伝統的知識に含まれる。医学的知識については、遺

伝資源と密接な関係にあることからCBD

の規定に基づいて権利保護が図られているが、狭義の伝統的知識は医学的

知識以外にも、農業をはじめとする生業に関する知識、科学的知識、生態学的知識など広範な領域を含んでおり、こ

うした知識に対する保護もWIPOの検討対象となっている。ただし、後述のフォークロアと比して知識の技術的側

面を表すことが多く、そのため保護のあり方としては特許権類似の権利によることが想定さてい記。

フォークロアは、狭義の伝統的知識と区別するために「フォークロアの表現(何

MG円g

位。ロえ司巳E05

開。明)」と

も呼ばれ、とくに芸術的(ω邑色。)な表現を指す用語である。その内容は①言語的表現、②音楽的表現、③身振りに85

民俗学と研究倫理

よる表現、④有形の表現、に分類される〔者用ONCE〕。当然こうした表現は伝統的知識に基づくものであり、その

ため狭義の伝統的知識とフォークロアを合わせて、広義の伝統的知識と呼ぶこともある〔大津二OO二)。またフォー

クロアという用語は、場合によって差別的な含意があるとの指摘もあり、伝統的文化表現(叶

E

色己g

巴わ己

zz­

F65印的目。口問叶打開印)という用語も近年使われている。フォークロアの場合、狭義の伝統的知識と異なり、何らの有用

な結果をもたらさずとも、表現それ自体が多様な文化の特色を示すものとして重要性が認められる。したがって知的

財産権のうちでも著作権類似の権利で保護されることが想定されている。

なお、これらの定義はまだ十分ではないとの指摘もある。表現的性格を持たない言語要素(地名、ものの名前や言

語そのもの)や、世界観、宗教的観念等の思想などについても保護を求める動きもある。本稿では筆者の関心にもと

づいて、主にフォークロアの知的財産的保護の問題を取り上げるが、伝統的知識の保護についても、権利の財産的側

面からの先行研究が中心で、担い手の尊厳への配慮が薄いという印象を受ける。狭義の伝統的知識の権利の問題につ

いても、同様に民俗学が果たすべき役割は大きいと考える。

86

小特集

フォークロアの権利保護への国際的な取り航み

そもそも伝統的知識やフォークロアの権利の主張は、国際的な制度形成の過程において、無形文化遺産の保護の要

求と密接に関連している。たとえばキュ

l

リンは、無形文化遺産保護の二重の歴史的背景として、日本の文化財保護

法に代表される国家的な社会文化政策の側面と並んで、一九五

0年代からのフォークロアや伝統文化に対する著作権

の適用についての多国間協議の側面を挙げている〔同ロユロ呂宮〕。

実際に一九五二年の万国著作権条約の制定に際しては、フォークロアの保護についての議論があったとされている。

また、一九六七年のベルヌ条約の見直しのためのストックホルム会議では、フォークロアの保護の可能性についても

議論され、著作者が明確でない、未刊の著作物についても法によって留保されるという条項が盛り込まれた。

「フォ ク口ア」は誰のもの?

それが国際機関において取り上げられ、具体的な制度策定に向けた動きに繋がる契機は一九七

0年代におと、ずれる。

一九七一年、ユネスコは「フォークロアの保護のための国際的な手段の確立の可能性」と題する文書を用意する。一

九七二年には、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)が国連総会で採択されたが、こ

のとき、無形の文化遺産が含まれなかったことに対して、主に発展途上国からの潜在的な不満があり、それがフォー

クロアの法的保護の要求の背景にあると指摘されることは多い。

一九七三年、ボリビアの政府代表が万国著作権条約にフォークロアの保護に関する条項を加えるべきという要求書

を出し、これがユネスコに委ねられた。ユネスコや政府間著作権委員会等での検討の結果、フォークロアの保護は知

的財産権的側面だけでなく、より多面的な検討を必要とする課題とされ、著作権による保護は、その時点では現実的

ではないという結論が得られた。

一九七八年、ユネスコと

WIPOの事務局は、フォークロアの保護に関して、包括的な側面からの検討をユネスコ

が、知的財産権的側面からの検討を

WIPOが行い協力することで合意した。一九八

O年から、ユネスコと

WIPO

はこの問題についての作業部会を組織し、そこでの議論をもとに、一九八二年に共同で「不法利用及びその他の侵害

行為からフォークロアの表現を保護する各国国内法のためのモデル規定」を採択した。だが、実際にこの国内法モデ

ルを採用して立法を行った国はほとんど無かった。

ユネスコと

WIPOはこの後も九0年代まで専門家会議等を共催しているが、知的財産的な権利の確立に目立った

進展がないこと、またユネスコが一九八九年の「伝統的文化及びフォークロアの保護に関する勧告」等で、包括的な

面からの保護に焦点を絞っていったことなどによって、徐々に両者の協力関係は目立たなくなる。法的保護という観

点からも、従来の知的財産権に関する法律によって保護を図ることは困難であるという認識から、次第に伝統文化の

法的保護に特化した特別な(回三官日ユ印)制度を新たに設けるべきという論調にシフトしていく。以後も途上国を中

心として、フォークロアの法的保護を求める要求は根強く、一九九七年に、ユネスコとWIPOは再び世界フォーラ

ムを共催し、フォークロアの回三moD22な制度による保護を検討する専門家委員会の早期の実現等を要求する行動計

87

民俗学と研究倫理

画を定めた。

その二年後の二OOO年、wIPO総会において「知的財産と遺伝資源、伝統的知識及びフォークロアに関する政

府問委員会」(以下IGC)の設置が認められた。これが冒頭の新聞記事に紹介されたもので、現在(二OO八年一

月)までに一一回開催されている。しかし近年の

IGC

の報告を読む限り、法的拘束力をもっ実体的な規則を定める

ことを急ぐ途上国グループと、それを時期尚早として拒む先進国グループの聞で議事進行への介入が応酬されるとい

う態で、議論そのものの進展はほとんど無いようである。

88

小特集

日本の対応

では日本はこの問題に対して、現時点でどのような態度や対応をとっているだろうか。

二OO六年一月の文化庁文化審議会著作権分科会の報告書には「フォークロアの保護への対応の在り方について」

という項があり、保護の根拠をWIPOでの議論に基づいて、①伝承の文化的表現が商業化された際に、伝承者に正

当な対価を与える必要性、②伝承の文化的表現に対する尊厳を保障する必要性、③ある特定のコミュニティの中で受

付継がれてきた精神性のある文化的表現が失われずに次代に継承されることを保護する必要性、の三点挙げている〔文

化審議会著作権分科会二

OO六〕。藤井宏一郎はこれらをそれぞれ、保護目的の①財産的側面、②人格権的側面、③

文化財的側面と整理している〔藤井二

OO七〕。これに対して日本は、各国がそれぞれ自国の文化・慣習に合わせ

て制度を「柔軟に」選択し、既存の関連諸領域の制度との整合性をふまえて「包括的に」保護制度を構築することが

望ましいという「柔軟性と包括性の原則」に基づいて、法的拘束力をもっ条約は不要であり、あくまでガイドライン

的な成果を目指すという態度を貫いている。

具体的には三点の根拠のうち、③については文化財保護政策の一環として保護すればよく、知的財産権外の問題と

して除外する。また②については、著作権と別の形での∞EmO52な権利によって保護するという各国の実艶や

WI

PO

の議論に留意する必要を記してはいるものの、社会全体がお互いに文化を尊重するというモラルの問題として捉

えるべきであり、創作者を特定できないものには人格権的な保護も与えられないとする。そして①については、そも

そもフォークロアは公有(パブリックドメイン)に帰したものであって、その一律の保護は正当な文化的創作活動を

阻害する可能性があるがゆえに認められないとする。

こうした対応は一見もっともらしく聞こえる。我々の知的財産に関する常識に照らしてみると、フォークロアは、

集団的に営まれ保持されており、創作者が特定できないこと(知的財産権は基本的に私権である)、世代を超えて受け

継がれたものであること(新規性や創作性の用件を満たさないてすでに生まれてから相当の時聞が経っていると考え

られること(知的財産権の保護期聞は有限である)などの点で異質である。しかし一方で、そもそも知的財産に関す

る法制度は、欧米を中心とした先進国が、市場経済の中で産業技術や文化表現の価値を保証するために作り上げたき

わめて近代的な制度である。青柳由香が指摘する現行法の「視点の欠敏」〔青柳二OO四a

一O六〕をもっと重く

受り止めてほしいというのが筆者の意見である。

圏内における事例

「フォーク口アJ は誰のもの?

これまで見てきたような権利に関わる問題は、

してみよう。

二OO

一年に、テツサ・モlリスリ鈴木の著書「辺境から眺める』の表紙カヴァ1

のデザインについて、ウイル夕、

ニヴフ、サハリン・アイヌの人々の文化的遺産を保存・展示する網走のジヤツカ・ドフニ博物館が、出版社のみすず

書房に対して抗議の申し立てを行った。そのデザインとは、ウイルタの女性が創作し、博物館に収蔵されているイル

ガを改変して使用したものだったという。博物館の抗議は、イメージが改変使用されたことだけでなく、カヴァ1裏

に書かれた説明が短く暖昧で、その出所が正しく表示されていないということにあった〔モ1

リスリ鈴木二

OO二〕。89

すでに日本においてもいくつか報じられている。

管見の範囲で紹介

民俗学と研究倫理

モi

リスH

鈴木の説明によれば、カヴァl

に使われたイルガのデザインは別の本からとられたが、その本がイルガ

の作者を明記しておらず、出版社のスタッフがそれを著作権によって守られる創作物ではないと考えたことに問題の

一端があったという。イルガという伝統的な文化表現の作品が、一般的な著作物と同様に扱われないまま広く流通し

ていた(社会がそれを許容していた)こと、それが文化の担い手の認識と姐簡をきたしていたととが明らかな例であ

る。

90

小特集

また西郷由布子は最近、岩手県の黒川さんさ踊りを事例として、文化の知的財産的側面を強く意識した論文を著し

ている。それによれば、黒川さんさ踊り保存会では昭和五十年代から、踊りを習いに来訪する外部の者に対しての便

宜を図っていた。民舞教育的関心をもって訪ねてくる学校関係者と協力して、子どもたちに踊りを体験させる実践を

続け、一方で日本民俗舞踊研究会と協力して、保存会員を東京に招いて「黒川さんさ踊り講習会」を開催してきた。

こうして外部者に積極的に踊りを教えてきた状況が、保存会の思惑を超えて拡大することによって、場合によっては

不本意なかたちで踊りが流通することになった。わずか数回習っただけで地元との交流が途絶えたまま、踊りだけが

続けられる例や、保存会から習った団体が二次的な媒介者となることで、地元の保存会とは接点のない「黒川さんさ」

のグループが発生し、それがメディアで紹介され、称賛される。しかしその中には、保存会の目からは「本来の黒川

さんさの形と音が正確に受け継がれていない傾向がある」という。保存会は、その責任の一端は自分たちにもあると

考え、地元で、保存会との直接の交流をもちながら踊りの練習をし、同時に伝承のあり方についての意見交換も行う

「黒川さんさ踊り愛好者の集い」を二OO四年から始めている。そこで保存会がとくに望むことは、直接かつ継続的

な交流であり、そこから生まれる保存会と愛好者の信頼関係の充実であるという〔西郷二OO六〕。

この例では、文化表現の担い手は必ずしもその独占的な権利を主張してはいない。むしろ外部者とも積極的な交流

を図ろうとしているわけだが、その条件を継続的な直接の接触に求めている。裏を返せば、そうした濃密な関係によ

らない「安易な」模倣や改変を快くは思っていないということであろう。

二OO六年一月二十三日付『読売新聞』夕刊には「黄信号向島版『風の盆』」という記事が掲載された。東京都墨

「フオークロアJ は誰のもの?

田区の向島で、ゆくゆくは向島の名物にと始められた「おわら風の盆in

向島」というイベントが、本来の伝承地で

ある富山県八尾町からの反発により開催の危機にあることを伝えている。同イベントは二

OO四年に開催されたが、

その後、越中八尾観光協会からの、正式な踊り手も出演しておらず、勝手に「風の盆」を名乗られては困るとの抗議

に、翌年は開催を見合わせた。二OO六年十月には「風の盆in

向島2006

」として再び開催されたが、二OO七

年は開催されていない。

記事の中で越中八尾観光協会は「風の盆は、踊りや民謡だけでなく町が一体となって演出するもの。踊りだけを披

露しても、本来の姿は伝わらない」と、墨田区への抗議の理由を説明している。八尾町側の立場に立てば、そもそも

「風の盆」は時と場所の限定性をもっ行事の名称であって、踊りの名称ではない。また踊りの伝承団体である「富山

県民謡おわら保存会」は、名称こそ近代的な「保存会」であるが、組織的には八尾町の旧町が単位となって支部を構

成しており、それ以外の町からの参加は認められないという地縁結合の性格を残している。したがって、時期も場所

も異なり、踊る資格が認められない人たちの参加によって開催された「風の盆

in

向島」は、地元からは伝統文化の

不正使用

(E-sBguユ丘一。ロ)と見なされたのであろう。

この例は、前の黒川さんさの例と比較しても、さらに進んだ権利意識がうかがえる。八尾町側は「風の盆」を名乗

るための条件を限定的ながら明示し、それに反して行われようとした墨田区側のイベントに承認を与えないというか

たちで、「風の盆」という文化表現の専有的な権利を主張したと理解できる。しかし現時点でこのような集合的な文化

の専有権を規定する法律はない。そのため地元では現在とりうる対抗策を考えているようである。富山県民謡おわら

保存会は、二OO五年に「おわら保存会」と「おわら風の盆」を特許庁に商標登録出願し、翌年に登録されている。

また同保存会と、実質的な主催団体である越中八尾観光協会は、八尾町が富山市に合併されたのをきっかけに、これ

まで同様「八尾町の風の盆」の主体性を守るため、有限責任中間法人格をそれぞれ取得している。

91

民俗学と研究倫理

問題点と民俗学(者)の関わり

92

小特集

最後に、

みたい。

まず直接的には、民俗学の成果や調査研究の方法自体に与える影響が考えられる。民俗学的な調査とその成果の公

表は、必然的に民俗の知識や表現についての情報の開示を意味する。だがその担い手がそうした情報の開示を望まな

い場合、これらの権利をもって調査そのものや成果の公表が拒まれる可能性がないとは言えない。また逆に、その成

果が担い手によって、当の知識や表現の正統性の根拠として積極的に利用されることも考えられる。

先住民族やその他の伝統文化の保持者としてのコミュニティが要求していることの一つとして、ウエンドランドは

「紛らわしいオl

センティシティや起源の主張、誤った出所表示の防止」を挙げている〔巧222

仏NCE〕。このよう

に起源や正統性に関する民俗学の見解が、学説というレベルを超えて、当該民俗の社会的な価値を左右する意味を持

つようになる可能性がある。ただしこうした事態は、権利が法的に認められているか否かに関わらず、本来学問の成

果が負うべき責任でもあろう。本特集の他の論考で、こうした調査研究に関わる倫理の問題は広範に取り上げられる

はずである。

むしろここで考えたいのは、この国際的な議論に対して、日本の民俗学がいかに寄与できるかである。実際に法的

拘束力のある規定ができれば、圏内の民俗の伝承に少なからず影響がもたらされることは間違いない。その制度が不

幸な結果を生まないように、現時点から我々の経験に基づく意見を積極的にアピールしていく必要があろう。

たとえば、概念規定に関する問題がある。これまでの議論において想定されているフォークロアの概念は、我々が

フォークロアの具体例として考えるものとはいささか異なっているという印象を受ける。そもそもこの議論において

フォークロアは、とりわけ先住民の文化として言及される。しかし日本においてその具体例として考えられる民俗芸

能や祭礼、民俗行事、民俗的な工芸品等の多くは、理念的にもっと小さな集団、日常的な生活を共有するゆるやかな

この国際的な潮流が日本において民俗学という学問とどのように関わるのかについて私的な所感を述べて

「フォークロアj は誰のもの?

地域共同体(ムラ)を単位として保持・伝承されるものと見なされてきた。しかしそうであるがゆえに、

担い手としての正当な資格や成員性を明確に示すことは難しいと考えられる。

またフォークロアの一つ一つは、それぞれ固有性・独自性のきわめて高い文化表現であるとも想定されている。だ

が日本において我々がその具体例として考えるものが、そうした固有性・独自性を持つものとして語られることは少

ない。地域に伝わる民俗事象はそれぞれ特色を持っていることを認めたとしても、全国的な視野で、その圏域的な分

布や、系統的理解を重視してきたのが従来の日本民俗学である。その理解の有効性はともかく、少なくとも文化の様

式が長い時間をかけて広まり、またそれぞれの土地で少しずつ変化しながら定着してきた変遷の過程に注目し続けて

きた日本民俗学の思考には、特定の文化の様式を唯一の集団に帰するような考えは馴染まないだろう。まして類似の

伝承を持ついくつもの集団が、権利をめぐって起源や正統性を争うような状況は、決して望ましくないはずだ。

このように、権利の対象となるフォークロアや、その担い手としてのコミュニティといった概念の一義的な定義は

困難であり、それがかえって文化の多様でダイナミックなあり方を見えなくする可能性は確かにある。その意味で、

日本の主張する柔軟性の原則は一定の説得力を持つ。ただし、柔軟性の原則をフォークロアに権利を認めないための

戦術的な言説として使うのは謬論である。柔軟かつ包括的な制度での保護を言うのであれば、その具体的な実現可能

性を示していかなければ説得力は半減する。

そして何より一番の問題は、この権利による受益者は誰であり、どのようにその受益が実現されるのかである。知

的財産権が一義的に創作者や発明者に帰されることを考えれば、フォークロアの権利の受益者は、間違いなくその伝

承者たちである。にもかかわらず、議論の中ではそれが必ずしも自明ではない。とくにこの権利の財産権的側面が問

題になるときに、それが国家的な文化の資源化の戦略に組み込まれてはいないかという懸念がある。

モl

リスリ鈴木は、アボリジニの活動家ドッドソンの「(先住民の権利への関心が)礼儀正しいジェスチャl

に過ぎ

ず、世界の自然の富というパイが、国民国家の受け皿ごとに切り分げられていく実情に変わりはない」という言葉を

引いている〔モlリスリ鈴木二

OO二九〕。またIGC

においても、知的財産権べl

スの制度は、それが保護する

93

その文化の

民俗学と研究倫理小特集

と主張するもの以上に、彼らにとっての脅威になりうるとの見解を、先住民グループの一部が述べていたという〔藤

井二

OO七〕。結局のところ権利の法的保護は、市場経済と法治国家のヘゲモニーに近い立場のものに有利に働くだ

ろうという指摘は重要である。

だからといって、権利そのものに意味がないと結論づけるのは乱暴である。我々が考えなければならないのは、伝

統文化を担う人々の権利をどのようにわきまえ、文化の担い手としての尊厳が保たれるような環境を作り上げるのに

どのように関われるかである。この点において民俗学が果たすべき役割は大きいと思われる。我々は、地域において

伝統文化の担い手と多く接し、対話をし、彼らの望むことを汲み取りながら、それがより広範な社会においてどのよ

うな意味を持つのかを、常に考えてきたはずである。現在の

WIPOの議論に欠けているのは、そのような、本来権

利の主体となるはずの、最もローカルな実践者の声であるように思う。政策論でも、権利の法的運用論でもなく、ロー

カルな実践の現場から、制度の是非やそのあり方を問い直し、提言していくことが、民俗学という学問を志す者とし

てのプライオリティであろう。

94

《註》

(I)巧Oユ円二口EZn吉田-po宮門々。話回口紅白色。ロ・一九七O

年設立。

(UCロ〈巾ロ片岡。ロOロ∞互。

mw白]E42

回目門戸一九九二年採

貿易に制約がもたらされる等の可能性があったため、国

際的な合意が得られやすかったものと思われる。とくに

医学・薬学領域を中心とした遺伝資源と伝統的知識の保

護についての現状と問題点は、大津〔二OO二〕を参照。

なお知的財産の貿易に関するルl

ルとして、

WTO協定

の一部として「知的所有権の貿易関連の側面に関する協

定」(〉m吋巾巾50

ロ件。ロ叶E

仏巾・何色白門包〉印宮

ngo己ロg=巾n'

E

丘一p

・0匂qqEmZR

吋周目司印)が定められている。

伝統的知識の特許権的な保護の可能性と問題点につい

(2) 択。

(3)医学的知識においては、先住民の伝統的な治療法や薬

学の知識が、それを「発見した」とする先進国の製薬会

社や研究者によって特許申請されるといった具体的な被

害があり、それによって薬効成分を含む動植物の生産や

4

「フォークロアJ は誰のものつ

ては、名和(二OOコ一〕を参照。

(5)後述する一九八二年のユネスコ

/WIPOのモデル規

定のなかで用いられた定義が、現在の用法の基礎となっ

ている。

(6)具体例としては、①民話、フォークポエトリ1

、謎か

けなど、②民謡、器楽など、③民族舞踊、演劇、儀礼の

芸術的な様式など、④図画、絵画、彫刻、彫像、陶器、

素焼器、モザイク、木工品、金属細工、宝飾、箆細工、

針編細工、織物、敷物、楽器、建築様式など、が挙げら

れている〔当弓ONCCTNN〕。

(7)この項の記述は主に以下の文献を適宜参照している

が、紙数の関係で概略にとどまっている〔ロ巾口町巾

NEU∞­

ω宮呆

ENOCH-∞ZZNOON-krESNoop青柳二

OO

四b

、大津二

OO四〕。

(8)現在のユネスコと

WIPOの分業も、この歴史的経緯

の二重性に起因する。両者を、シェルキンはフォークロ

アの全体的問題言語

E=

宮町住吉丘町三E05)と知的

財産的側面の問題といい、愛川は包括的アプローチ

(包oσ色白匂匂円。回忌)と知的財産権的アプローチといって

いる〔ωFRKENO2・〉芹担当白N02〕。

(9)CE〈叩門的国-no宮、ユmyHわ。ロ〈巾口氏。ロ(dhn)・

文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約

(∞巾門口巾打。ロ

4巾ロ位。口問。円円

FOHU円ocwnzoロO

同戸{門巾吋白吋可同ロ己

〉門己注目円当RW印)。一八八六年採択。

(日)とくに文化遺産については、著名な石像建造物や遺跡、

美術品等を多く有する欧州に登録件数が偏り、西欧中心

的な世界史の理解をなぞるだけで、文化の多様性が反映

されていないという不満が、途上国を中心に強く存在す

る。

10 (ロ)こうした要求の背景的出来事として、

売されたアメリカのフォーク・デュォ、サイモン&ガ

l

ファンクルのアルバム『明日に架ける橋』に、アンデス

地方の伝統的な民俗曲「コンドルは飛んでいく」が収め

られ、大ヒットしたことがしばしば言及される3vqrE

NOS-〉gSNOB-国同町田REN--30前述の世界遺産条約

に対する途上国の不満と並んで、文化産業における南北

問題がフォークロアの保護問題の遠因であるという認識

は広く共有されている。

(日)冨O門庄司円。三位。ロ印同22

三-oE-一EJ30ロ門ZHvgzn

円一。ロO同開×℃司自己。ロ由。同町

o-EO司巾〉向田一口印門

E-n同庁何何回)]O日目

門注目。ロ田口己O門町巾門司吋巾]己庄三国一〉

nzoロm-

河内山2558a

白巳O口。ロ吾巾

ω白沙問口白丘一口問。同叫,

E

門出・

一九七O年に発

14

95

民俗学と研究倫理

円一。口出-nロロロ吋巾山口門日明

o-r一O門角川

(日)ユネスコは、一九九二年に新たな概念「無形文化遺産」

についてのプログラムをはじめ、二

OO三年の「無形文

化遺産の保護に関する条約」の採択に注力していった。

(日)司EW22E

え〉

nzg

〔己zgno\者弔

OEU∞〕。た

だし行動計画の本文中に、アメリカとイギリスの政府代

表がこれに合意しなかったことが明記されるなど、先進

国と途上国の聞で意識の議離がさらに深刻化しているこ

ともうかがわれる。

小特集

-DH巾円肉04巾円ロヨ巾三回-n0555巾巾O『HR巾-znH口同

-3

OHY

巾吋守一回口門目。巾ロ巾円一円河巾印

OZ吋円巾印一w吋吋何回門出件目。口出]関口。者一巾門日間州巾

白ロ門同制,o-w-oコω・

(問)ただし「途上国対先進国」という図式は単純に過ぎる。

例えば第一O回のIGC

では、オーストラリアやニュー

ジーランドといった圏内に比較的大きな先住民族を抱え

る国が、「先進国グループ」と共闘しなかったようである

〔藤井二OO七〕。近年のIGC

での議論の経緯と日本

の対応は、前述の藤井の他に、伊佐〔二OO四、二OO

五a

、二OO五b

〕、木村〔二OO七〕等を参照。

(日)財産権的/人格権的というのは、日本の著作権保護法

に基づく用語である。国際的にも著作者の権利はBoz-

17

円-mZとヌ

ouq々ユmy円(巾円。ロ。

BWユmy門)の両面で認め

られている。自白色ユm買は創作者としての感情が害され

ることを守る権利であり、買ouqqュmZは著作物を財産

として利用する

(U他者に無断で利用されない)ための

権利である。

(加)すでに一部で実現されている∞EmgR2な制度につい

ては、大津麻衣子が比較的詳しく紹介している〔大津二

00四〕。

(幻)その一方で、国内では著作権の保護期間の延長が議論

されている。強力な権利団体に対しては権利の拡張に理

解を示しながら、一方のフォークロアに関しては「文化

の推進力」としてパブリックドメインを積極的に評価す

るのはバランスを欠いており、フォークロアに権利を認

めたくないがための方便ともとられかねまい。

(詑)踊りの名称としては、通常「おわら」が用いられる。

踊りの保持団体の名称も「富山県民謡おわら保存会」で

あり、「風の盆」という言葉は使われていない。

(お)現在は、旧町からの転出者でつくる一支部も正式に認

められている。

(剖)技術や芸能、あるいは宗教的実践などには、地縁的な

結合をもたない集団による伝承も認められるが、いずれ

96

にせよ理念的な集団としては、民族に比して小規模であ

る。

(お)号一口うまでもなく、ムラごとの伝承を、独自性よりも共

通性(同質性)によって捉える視座自体が、日本民俗学

という近代的な学聞によって作られてきたのだというこ

とも忘れてはならない。地域の人々にとって、地域のな

かで伝統的に受け継いできた文化表現は唯一無二である

はずだ。

「フォークロア」は誰のもの?

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