director's letter - kyoto craft magazine · 2017. 5. 15. · z y»3w ° rxsm{ nw»3t m Ä Åxz...

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03 Director’s Letter

04 Report of the three Summits 産地から現状の課題を共有する 3つのサミット

06 京焼・清水焼サミット

08 丹後テキスタイルサミット

10 Photo Galleries

12 道具・材料サミット

14 Report of the three Events 工芸の今を見つめ、未来を考える 3つのイベント

Project Director : Shingo YamasakiEditor : Ai KiyabuPhotographer : Makoto ItoWriter : Yuji YoneharaDesigner : Wataru SanoFilmmaker : Kenta YamajiPrinting : 株式会社グラフィックOrganizer : 京都府商工労働観光部染織・工芸課Cooperated by : 京都リサーチパーク株式会社http://kougeinow.com

※この冊子はウェブマガジン「KYOTO CRAFTS MAGAZINE」編集部のメンバーによって制作されました。

伝統工芸を未来志向のものづくりへ―3つのテーマのサミットの記録―

 京都は、その歴史的な背景から世界的にも稀に見るものづくりの街である。 日々の生活の中、通りを何気なく歩いていると機織りやカンナがけなど、ものづくりの音が聞こえてくる。この街ではそんな体験をする人も多い。

 細分化された分業制と、人と物の流通によって産地が形成され、その土地の風土の中で技術を継承し続けてきた職人たちの美意識や創意工夫と手仕事によって伝統的な美術工芸は生まれ、今もなおその魅力を失うことはない。

 ただ、過去から現在へと、時間の積み重ねによって現存する「伝統工芸」は、神社やお寺、美術館や博物館で眺めるものや、お茶やお華、または着物など何か特別な、日常とは違う中で経験するものになってしまいがちだ。また、現代の暮らしの中で使うものは、そのほとんどが工業製品のような機械で作られたもので構成されていて、私たちの暮らしに一定の快適さを生み出している。伝統工芸と私たちの日常生活の距離は離れていく一方だ。 伝統産業はかつての産業で、過去を掘り起こすものでしかないのだろうか。

“Kougei now” では、そんな伝統工芸の機能性と美術的な美しさを融合させたものづくりと、それを取り巻く「現在地」として、世代と地域を超えた課題の共有を行なった。参加したのは、職人になりたい 20 代の学生から 80 歳を超えてもまだ現役で活躍されている職人、会社を引き継ぐ 40 代の経営者など様々で、彼らは伝統の上でものづくりをしながらも工芸を未来につなげる役割を担っている。 過去から連綿とつながる現在があるように、工芸は未来へと更新される。

Kougei now Director

山崎伸吾(京都リサーチパーク株式会社)

Director's Letter

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伝統的な工芸はいま、大きな転換期を迎えている。後継者問題や販売不振などこれまで盛んに語られてきた課題以外にも、手仕事の現場で職人が直面する悩みは数多く存在する。かつて工芸関係者だけで共有されてきた諸問題は、いずれ顕在化して京都の工芸、ひいては日本文化継承の大きな壁になることは間違いない。手仕事についてこれからの 10 年を考えるとき工芸をめぐる諸問題を可視化し、その解決に向けて動き出すことは急務だ。工芸の未来を考えるディスカッションKougei now で

は、[京焼・清水焼:流通構造の変化][丹後テキスタイル:地域との関係性][道具・材料の供給不足]の 3つのテーマに焦点を当ててサミットを開催し、そこで広がる議論を通じて、工芸文化を紡ぐ手だてを探った。京焼・清水焼サミットでは、製造と流通の関係性を

テーマに京都市および愛知県瀬戸市で陶磁器製作をおこなう職人と製造卸商社に加え、伝統産業から近代製造業まで広く商品開発に携わるディレクター、プロデューサーを招いてディスカッションを行った。また、丹後テキスタイルサミットでは地場産業の振興

を考えるうえで欠かすことができない「地域文化の再発見」に焦点を当て、織物業関係者のみならず丹後地域に暮らすさまざまな立場の人々を交えてグループディスカッションを実施し多角的に丹後の将来を語り合った。道具・材料サミットでは、今後の安定供給が危ぶまれ

る工芸素材の生産者たちが現状報告と今後の展望を議論。手仕事と自然環境の関係性にも踏み込む話題に及び、課題解決への可能性をみせた。3つのサミットで挙がった多くの課題は、いずれも一

朝一夕では解決しない。職人や販売関係者、行政、研究者などの工芸関係者に加え、工芸産地に暮らす地域の人々の協力を得て一歩ずつ改善へと歩むほか道はない。本サミットは課題抽出のきっかけに過ぎない。今後よ

り一層広い視点で議論を継続し、具体的な行動に繋げなければ工芸の未来はない。京都の工芸にまつわる事象は、日本文化の蓄積。京都で語られる未来志向の議論が、日本の工芸の行方を担っている。

産地から現状の課題を共有する3つのサミット

食器や花器など日常生活と密接に関わる製品が多い陶磁器分野。時代とともにめまぐるしく変わる消費者動向や流通構造にいかに対応するか、作り手や卸業、小売業など製造販売に関わるすべての関係者がともに方策を模索することが求められる。また、近年では各地でクラフトフェアなどが盛んになったことで作り手自らが企画や販売に携わる機会も増えた。販路開拓の道を海外に求める作り手も多く、これまでの方法論だけでは解決できない課題が山積している。本サミットでは、京都市、瀬戸市で事業をおこなう陶磁器製造業者と製造卸商社に加えて、商品企画や流通、販売について多くの経験を持つディレクターとプロデューサーを交えて議論を行った。豊富な事例を基にした意見交換に作り手と売り場の新しい可能性が垣間見えた。

国内最大級の織物産地、丹後。伝統的な織物の製法に加え、和装・洋装を問わず、各方面から寄せられる多彩な要望に応えるために日々新しい技術が生み出されている。奈良時代から続く歴史を持つ丹後だが、技術力だけでは突破できない壁がある。地域に根ざして発展したその成り立ちから、持続的な発展を目指すためには地域文化や暮らしに寄り添う販売戦略が不可欠なのだ。本サミットでは、丹後で精力的な活動を展開する織物業者に加え、地域に暮らすさまざまな立場の人々を交え、「理想の丹後」を探ることから議論が始まった。生活に立脚した視点から観光や教育、食文化にまで及んだ熱の込もった議論は、織物産業のみならず丹後地域の未来像を鮮やかに描いた。

手仕事に不可欠な道具・材料の生産が危ぶまれている。天然材料の枯渇や後継者問題、安価な代用品の台頭などを理由にいくつもの素材が姿を消そうとしており、それは伝統的な工芸技術の継承が不可能になることを意味している。本サミットでは、漆芸を支える「漆刷毛」「漆掻き」「漆精製・調合」と、和蝋燭の原材料となる「櫨蝋」に焦点を当て、それぞれの製作に従事する職人が現状を報告し、課題事例を共有し合った。いずれの職人も、工芸界の川上に位置する「縁の下の力持ち」であり、これまでその製作状況や仕事風景が公開されることはほとんどなかった。サミットには道具・材料の使い手である工芸の職人も多く来場してディスカッションに加わり作り手と使い手の活発な意見交換が行われた。

京焼・清水焼サミット 丹後テキスタイルサミット 道具・材料サミット12月8日(木) 13:00 ~ 19:00場所:京都府立陶工高等技術専門校

12月18日(日) 10:00 ~ 17:00場所:オカモノヤシキ

12月22日(木) 14:00 ~ 18:00場所:京都リサーチパーク東地区    KISTIC2 階 イノベーションルーム

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1999年「CEMENT PRODUCE DESIGN」 を設立。企業の広告デザインや商品企画開発など、幅広くデザインをプロデュースする一方で、起業時より自販流通を始め、現在では流通も見据えた形での各地の地場産業との協業事業も進めており、TV 番組などのメディアにも取り上げられた。

ファシリテーター金谷勉 KANAYA TSUTOMU(有)CEMENT PRODUCE DESIGN 代表取締役

人材育成コンサルタントなどを経て、2013年、COS KYOTO 株式会社を設立。地場産業をグローバルな「文化ビジネス」とするためのコーディネートを手がける。2016年よりオープンファクトリーイベント「Design Week Kyoto」を企画・運営するなど、国内外への発信や交流活動にも取り組む。

ファシリテーター北林功 KITABAYASHI ISAO

COS KYOTO(株)代表取締役 /コーディネーター

1977年京都府生まれ。京都を拠点に主に工芸・職人・伝統文化を対象とした取材・執筆活動を行う。主な著書に『京都職人 ―匠のてのひら―』『京都老舗 ―暖簾のこころ―』(ともに共著・水曜社)『京職人ブルース』(京阪神エルマガジン社)など。 京都造形芸術大学非常勤講師。

ファシリテーター米原有二 YONEHARA YUJI文筆家/工芸ジャーナリスト

Report of the three Summits

撮影協力:京都伝統産業ふれあい館

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する発想転換も一つの方法としてある。そこを評価してくれる消費者は必ず存在する」と、日々の仕事を「技術継承の機会」として捉える重要性を指摘。窯元の三代目として家業を継いだ高島慎一は、「一般的

に、『この技術は現在では不可能』と言われたりもしますが、それは職人の怠慢。京焼・清水焼の良さは多品種少量生産。お客さんの要望を細かく汲み、形にする技術の高さです。

うちでは来た仕事は断らない。製法がまったく思い付かないものでも、一度引き受けて、それから考える。そうして職人は成長するのだと思います。ただ、日々の仕事に追われて販路開拓まで手が回らないのは悩みですね」と話す。

歴史ある窯元に生まれ、現在は自身のブランドで作品制作をおこなう河原尚子は、こう語る。「自分のブランド『SIONE で売るものには、お客様の要望や流行などを敏感に取り入れています。『何を作りたいか』と同じくらい『何が求められているか』が重要だと思います。ただ、それで売りやすいものばかりが商品化して、職人として『昔の方が、技術が高かった』という意見を聞くのはとても悔しい。明治時代のように『これでもか!』と技巧だけで勝負した陶磁器が現代にあっても面白い。職人仕事は、機械生産ではなく手技。培った技術を注ぎ込まなければ意味がありません」。京焼・清水焼では、特定の職人にしか継承されていない技術が多く、よく売れている商品でも、1軒の廃業で産地から商品が消えてしまうことがある。同時に技術も途絶えてしまうことになり、産地としてはとても危うい状況だ。最後に金谷が「歴史や工程、文化面も含めて『商品』だと考えると、流通や売り場で陶磁器を扱う人間もかなり勉強する必要がある。近年、工芸の世界に現代的なデザインの概念が入ることで見た目が良い物は増えたが、ものづくりの背景までは伝えきれていないことも多い。職人だけではなく、関係者全員がそれぞれの立場で工芸文化を底上げする必要性をあらためて感じます」と継続して課題を共有する大切さを語り、長時間にわたる議論を締めくくった。

近年はデザイナーとの協業やクラフトフェアでの直販などで職人自身が商品を企画し、販路を開拓する事例が増えている。消費者の動向や価格傾向を掴む良い機会である一方で、それまで産地で商品企画や流通を担っていた問屋を飛び越えて商売をすることの難しさも生んでいる。サミットのファシリテー

ターを務める金谷 勉と愛知県瀬戸市で陶磁器の石膏型を

手がける吉橋賢一は、協業で石膏型の技術を活かしたニット柄の食器「Trace Face」を商品化した経験を持つ。「裏方だった型作りの技が注目され、商品として世に出たことは本当に嬉しかった。メディアに取り上げられる機会も多く、一つの商品が状況を一変させました。ただ、初めて自社商品を作った時、やはり地元の問屋さんたちの目が気になった一面もあります。しかし、閉塞した状況から一歩踏み出すためには思いきった決断も必要だと思います」と吉橋。京焼・清水焼の産地製造卸商社を経営する熊谷隆慶は

「問屋業として試行錯誤するなかで、建築内装や仏具といった異分野に陶磁器を活用する道を探ってきました。また、海外での販路開拓で現地のアーティストとのコラボレートなども実現しました。待っているだけでは売れない状況なら、こちらから使ってもらうための提案をどんどんすべき。その際は自社の利益だけではなく、産地全体が生き残るための視点が重要だと考えています。20 年、30 年後に京都の陶磁器産業を残すためのものづくり、販路開拓でなければいけません」と語る。これまで多くの商品企画に携わってきた永田宙郷は、

「値付けに悩む職人も多いが、自分とお客さんの間にどれだけの人が存在するか、どれだけの技術を込めたかを考えれば、自ずと適正な価格が決まる。しかし、『売りやすい、買いやすい』という視点で商品づくりをすると、大手メーカーや 100 ショップとの競合になって疲弊してしまう。手仕事なら技術や素材を削って価格を下げるのではなく、技術も素材もさらに盛り込んで高価でも最上のものを提供

永田宙郷プロデュースの九谷焼の絵付けの技術を注ぎ込んだ「九谷塾」フィギュア。1つ約 20万円と高価格だが売上は好調だった

河原尚子のブランド「SIONE」のショールーム兼カフェ。器とともに過ごす「時間」を体感できる場所となっている

金谷勉と吉橋賢一が協業で制作した「Trace Face」シリーズ。陶器の原形に細やかに施された手彫りの技術を応用したもの

熊谷隆慶の手がける「=K+」とみやけかずしげ氏のコラボレーション「FLOWER CRYSTAL」シリーズより DEMITASSE

写真左から、吉橋賢一、熊谷隆慶、高島慎一、金谷勉(ファシリテーター)、河原尚子、永田宙郷、米原有二(進行役)

京焼・清水焼の作り手に加え、商品企画や流通、販売について多くの経験を持つディレクター・プロデューサーが登壇した本サミット。販路開拓のための様々な努力や事例をもとに、ものづくりの現場と売り場の在り方を語り合うことで、現代における手仕事の意義が見えてきた。

陶磁器流通の幸せな関係性とは?京焼・清水焼サミット

(株)エム・エム・ヨシハシ代表取締役

1975年、愛知県瀬戸市で陶磁器の型屋の長男として生まれる。幼い頃から石膏に慣れ親しんで育つ。一旦は陶磁器業界と離れ、別の道に進むが、ものづくりの面白さに気付き、家業に戻る決意をする。現在は「型」だけでなく「陶磁器製品」まで手掛ける。金谷勉さんとの協業「Trace Face」をはじめ、デザイナーとの協業も積極的に行っている。

吉橋賢一 YOSHIHASHI Kenichi

株式会社 熊谷聡商店 代表取締役社長

1935年の創業以来、京焼・清水焼の産地製造卸商社として、多数の作家や窯元とネットワークを築きながら商品の企画開発に取り組む。一般食器から、茶道具、インテリアまで幅広く取り揃える。 2014年にデザイナー・アーティスト等とのコラボレーションブランド「=K+」を立ち上げ、今までにない斬新なセラミックを国内外に発信している。

熊谷隆慶KUMAGAI Takayoshi

(有)洸春陶苑 代表取締役

京都府立陶工高等技術専門校卒業後、故二代目高島洸春に師事。2005年に高島洸春を襲名。京都・日吉地域で、洸春窯の三代目として、筒で粘土を絞り出して線を盛り上げて描く「いっちん」技法を用いた、鮮やかな発色が印象的な「交趾」の茶道具や日常食器を製作している。近年では、個展・グループ展等への出展も積極的に行っている。

高島慎一TAKASHIMA Shinichi

SpringShow 代表取締役 SIONEブランドデザイナー・陶板画作家

京都出身。350年続く茶陶の窯元「真葛焼」に生まれる。佐賀での修行の後、自身の工房にて陶板画制作をはじめる。他業種のデザインの経験などを糧にプロダクトの可能性を探求。2009年法人化、同年ブランド「SIONE」を立ち上げる。プロダクトデザイン、ブランディングや茶会などを通じて、現代に添ったもてなしの文化を創造する。

河原尚子KAWAHARA Showko

プロデューサー、プランナー

福岡県出身。金沢 21 世紀美術館(非常勤)、t.c.k.w を経て、2007年、株式会社イクスに参加し、現在、代表取締役。「ものづくりをつくる」をコンセプトに伝統工芸からホテルやショップの立ち上げまで幅広い商品や事業の開発に従事。2011年、デザイナー/ディストリビューターと共に「ててて見本市」を開始。著書に『販路の教科書 』。

永田宙郷NAGATA Okisato

SUMMIT

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織物業関係者だけではなく、丹後地方に暮らすさまざまな立場の方が参加した本サミットでは、トークゲストと参加者が混ざり合って 5つのグループをつくり、それぞれが議論した内容を発表し合う形式で進行した。最盛期からの落ち込みは大きいものの、織物業は依然として丹後地域の主要産業。国内の和装用白生地織物の約 60%を生産するこの地域にとって、織物業界の未来を話し合うことは、地域のこれからを考えることと同義だ。ファシリテーターの北林 功が提示したディスカッションテーマは「理想の丹後」。織物だけではなく、観光や文化、教育、食、暮らし、自然環境……。4時間のディスカッションにおいて、思い付く限りの意見を出し合って、最後にグループごとの理想に辿り着くことを目標とした。45 分を 1セットとして 3回にわたるディスカッション

が行われ、参加者から出た意見やアイデアはその都度、付箋に書き込んで模造紙に貼っていく。「やっぱり工賃の底上げでしょ」「観光に来てもらっても泊まる宿の選択肢がないね。ラグジュアリーホテルがあればいいな」「サーフィンの名所ってことはあまり知られてないよね」と、どのグループも議論が止まることはない。京都市域から参加した西陣織関係者が加わるグループで

は「丹後ちりめんをあらためてブランディングしよう」「上質な丹後の織物を地元で購入できるようにしよう」と

織物業復興に向けた話題が起きる。また、幼い子どもを育てる世代が多いグループでは「教育を充実させてこそ、家族が暮らしやすい街だと思う」「地域住民同士の情報共有も活発にしたいね」と、生活面の改善へと話が広がる。どのような話題も最終的には織物業の活性化へと収束していくのは、織物の街、丹後ならではなのだろう。後半では、トークゲストがそれぞれのグループで行なっ

た議論の経緯を説明し、今後、アイデアを実行に移すための「行動宣言」を行なった。「『織物職人に焦点を当てた街の PR』や『世界一の織物産地として憧れられる街に』といった、丹後ファンを増やすためのアイデアを実現したいです」と田茂井勇人。「『古民家などの伝統建築を観光に活用する』『丹後で働くデザイナーや建築士と織物業の協業』など既に地域にある資産をあらためて見直して街の活性化を考える議論が盛んでした。印象的だったのは『目指せ、丹後の所得倍増計画』。織物業だけではなく、地域全体が経済的に安定する方法を皆で考え続けていきたい」と安田章二。「『街や暮らしをデザインする』『デザイン教育で子どもたちの意識を変える』などデザインの視点で街を変えようという話題が多かった。また、広幅の織機を増やし、世界のラグジュアリーファッション・インテリア等の需要を取り込む案は、急務だと思っています」と民谷共路。

「『丹後で起こることすべてに当事者意識を持つ』『丹後全体を地域商社として捉え、国内外を意識せずに売りに行く』『子どもの産着 “ファーストちりめん ”を商品化』など、硬軟両様のさまざまな意見が飛び交いました。どれも実現可能だと思っています」と岡村芳広。「これまでにも地域の将来を議論する場はありましたが、今回は『命懸けでやろうよ!』と皆熱くなったのが印象的。これからも地域で未来を描きましょう」と堤 木象。そして、トークゲストとして議論にも参加したファッ

ションデザイナーの種井小百合さんと大田康博教授からも、議論を振り返って挨拶があった。「あらためて丹後の宝を再認識した機会でした。今後、丹後の特性を上手く活かした地域づくり、ものづくりができれば」と種井。「今、日本中の工芸品などの産地で活性化の動きが活発になっています。ものづくり、地域おこしの両面で互いに学び合い、連携し合えることがいくつもあるのでは」と大田。 最後に北林はこう締めくくった。「他人事ではなく『自

分がこうしたいんだ!』という気持ちでディスカッションしていた姿が印象的でした。丹後の魅力を再発見した今回の議論はバラバラの意見が出たからこそ良かった。大きな雪だるまを作る時に、最初から大きく作ろうとせず、中の芯を硬く強くする必要があるように、皆さんの丹後を想う気持ちがぶつかり合う機会でした」。

参加者のアイデアを書いたカラフルな付箋で画用紙が埋め尽くされた

イノベーションを起こすためには互いの価値観に寛容になる必要があります。「何が正しい」はひとまず保留にして、とにかくたくさんの意見を出していきましょう。過去の暗い思い出は掘り返さず、明るい未来のことだけ考えるというのがルールです。

明るい丹後の将来像を描きましょう!

ファシリテーター北林 功

1985年生まれ。「Studio Berçot」(パリ)卒業。「Jean-Paul Gaultier」本社でウィメンズディフュージョンライン企画統合責任者、刺繍デザイナーを担当後、高田賢三氏の元でウィメンズコレクション統括、ニットデザインアシストおよび、日本のライフスタイル卸企業とフランス企業の間でMDフォロー業務を担当。現在「ReBELLE」株式会社取締役。

種井小百合 TANEI Sayuri

テキスタイル/ファッション・デザイナー

日本の繊維・アパレル産業の研究者。著書に『繊維産業の盛衰と産地中小企業』(日本経済評論社)。論文に「繊維産業における市場創造志向の水平的協働:フランス・イタリア・日本の展示会と中小企業」(徳山大学論叢)「地方繊維産地のコミュニティを変革する制度的『外部者』:『よそ者』の動機、資源、ネットワーク」(中小企業季報)ほか多数。

大田康博 OTA Yasuhiro

徳山大学経済学部教授/ 経営学博士(大阪市立大学)

1952 年創業の丹後ちりめん安田織物㈱の 3 代目代表取締役。きもの素材の中で特に夏物と呼ばれる、特殊な装置と高度な織り技術を駆使して、2本の経糸を捩りながら緯糸を織り込む「絽」や「紗」を専門に制作する稀有な機屋。またアパレル企業勤務経験やネットワークを活かした展開や雑貨の制作にも取り組むほか、地域産業の発展にも貢献。

安田章二 YASUDA Shoji

安田織物(株)代表取締役

1987 年、東京から京丹後市網野町に移り住んで以来、自生する野山の植物をスケッチし、図案化して、同植物から抽出した染液でちりめんを染め上げる草木染を研究。植物と反応させる金属の違いにより色の濃淡や色相を表現するロウケツ染の担い手。地域産業の「丹後織物」と、丹後を彩る自然を融合させた制作スタイルにたどり着く。

堤 木象 TSUTSUMI Mokuzo

草木染織 山象舎

1931 年創業の田勇機業(株)3 代目代表取締役。大学卒業後に東京の高級呉服問屋に就職し、着物のノウハウを学ぶ。緯糸の撚糸から織りまでを自社一貫工程により、着物の絹白生地のいわゆる「丹後ちりめん」を製造している。伝統技術を受け継ぎながら、和装のほか洋装・インテリア等、多分野に丹後テキスタイルの可能性を模索し発信する。

田茂井勇人 TAMOI Hayato

田勇機業(株)代表取締役

1970 年代後半に父が確立した、貝殻の虹色光沢を持つ真珠層を切り出し加飾する「螺鈿」と、織物の伝統技法である「引き箔」を融合させ、螺鈿を織り込む「螺鈿織」。1996 年に長男として継承し、家業に従事しながらも、生地を多分野に活用するため、パリを中心にメゾンへのアプローチや異業種コラボレーションにも積極的に取り組んでいる。

民谷共路 TAMIYA Kyoji

民谷螺鈿(株)代表取締役

1978 年生まれ。子どもが生まれたのを機にシンガポールから帰国し、2015 年京丹後市に移住。現在 1歳6 ヶ月になる 2児の子育て奮闘中。海外歴 8 年の経験を活かし、地方でグローバルに活躍出来るミライクリエイターを養成すべく、プログラミング×英語×レゴ教育を地域の子ども達に実践中。サミットの開催場所として「オカモノヤシキ」を提供。

岡村芳広 OKAMURA Yoshihiro

ミライクリエイター養成講座講師

丹後テキスタイルサミット

地域のみんなで熱く語る理想の丹後像京都府北部、丹後半島一帯は国内最大級の絹織物産地。「丹後ちりめん」の名で知られる細やかなシボを持つ織物は、京都・室町をはじめ、日本中の和装産地に欠かすことはできない。本サミットでは、伝統的な手仕事の活性化を、地域振興とセットにして考えることからスタートした。あらゆる立場の来場者を巻き込んだ議論の末に出た「理想の丹後」とは。

2SUMMIT

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4. 丹後ちりめんの織元・田勇機業のジャカード機。田勇では、水撚り八丁強撚糸から、織り、染めまで一貫した生地作りを行っている。 5. 和紙などに金や銀を押したものを糸状に細く切り、緯糸として織り込んでいく「引箔」の技法をもとに、民谷織物の先代・民谷勝一郎が発展させた「螺鈿織」の作業風景。貝殻を貼り付けて糸状に切ったものを、緯糸として織り込む贅沢な手法で、海外の高級ブランドのデザイナーに見出され、コラボレーションも行っている。 6. 堤 木象の引染の様子。ヤシャブシやタニウツギといった丹後に自生する植物を使用して草木染を行う。

1. 1946 年に京焼・清水焼の作陶技術を習得する施設として創設され、約3000名におよぶ技能者を輩出した京都府立陶工高等技術専門校。現在も職業能力開発施設として運営。京焼・清水焼サミットの会場となった。 2. 洸春陶苑にて高島慎一による泥漿を筒の中に入れて絵柄を絞り出す「いっちん」技法の作業風景。友禅の糊置きにも同じ道具が使用されるが、絞り口の金具を作っている職人は現在京都に1名のみだという。 3. 江戸時代から続く京焼の川尻禎山窯。現在の窯元である川 尻 潤の意向で、工房の一部はシェア工房として若手作家 8名に貸し出されている。

7. 堤淺吉漆店にて漆の状態を確認する堤 卓也。精製の過程で漆をガラス板に指で伸ばしつけて、粘度や透明度を毎日確認して記録する。その些細な違いが塗った時の漆の質感に大きく影響するそう。 8. ウルシの木に残る漆掻き跡。幹に傷をつけ、傷跡から溢れ出てくる樹液をヘラで掻きとって採取する。ウルシの木を育てるのも漆掻き職人の仕事で、苗から 20 年近くかけて育てられる。 9. 和蝋燭の材料となるハゼの木の苗。2016 年より、中村ローソクを中心に組織された「JAPAN WAX KYOTO 悠久」を事業主体に京都市と連携のもと京北での植栽が進められている。

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田中信行制作の漆刷毛。人毛の束が檜板に挟み込まれている。毛が摩耗したら、鉛筆を削るように板木を削り、新たな毛を繰り出して使うことができる

和蝋燭(右)とその原料となるハゼの実(左)。櫨蝋には保湿効果がありハンドクリームのような化粧品にもなる

堤淺吉漆店企画・編集の『うるしのいっぽ』

人知れず進む衰退。歯止めがかけられるか?道具と材料は、職人のものづくりに欠かせないものだが、現在、伝統工芸の多くの分野において、その安定供給が危機に瀕している。今回は素材としての漆や塗るための刷毛など漆芸分野と、和蝋燭の原料となる櫨

はぜ蝋ろうに焦点を当て、課題や現

状を洗い出した。産地の減少や後継者問題、職人の収入確保など様々な観点から工芸界全体の未来を考察する。

写真左から、山内耕祐、田中信行、近藤都代子、米原有二(ファシリテーター)、田川広一、三嶋陽治、堤 卓也

道具・材料サミット

京都府城陽市生まれ。高校、大学にて漆芸に関して幅広く学ぶ。2013 年より、漆搔き職人である岡本嘉明氏(NPO法人丹波漆理事長)に師事し、ウルシノキの植栽や作品展への出展を積極的に行っている。現在、漆搔きや植栽の技術を後世に伝えるべく結成されたNPO法人「丹波漆」で理事を務める。

漆掻き職人・漆芸家

山内耕祐YAMAUCHI Kosuke

東京生まれ。高等学校卒業後、父・正治氏のもと家職である漆刷毛製作の手伝いを始める。漆工芸において漆刷毛は欠かせないものだが、現在日本における作り手は全国でも2軒(4名)のみとなっている。漆刷毛製作の技術を次代へ引き継ぐための活動にも積極的に取り組んでいる。国・選定保存技術保持者。

漆刷毛職人

田中信行TANAKA Nobuyuki

東京藝術大学美術学部芸術学科及び同学大学院美術研究科で工芸史(漆工史)を研究してきた。1990 年 5 月以降、文化庁文化財保護部伝統文化課工芸技術部門で無形文化財(工芸技術)及び工芸材料・制作用具の生産・製作等技術の保護行政に携わる。2013 年から文化庁文化財部伝統文化課主任文化財調査官を務める。

文化庁文化財部伝統文化課 主任文化財調査官

近藤都代子KONDO Toyoko

(有)中村ローソクの 4代目。2015 年には、高品質な原材料「櫨蝋」の調達が困難で,危機的な状況にある「和ろうそく」を存続させるために、京都の伝統産業を思う有志の3者が中心となって組織した「JAPAN WAX KYOTO 悠久(株)」を立ち上げ、京北で櫨蝋の生産を目指す「京都 “ 悠久の灯(あかり)” プロジェクト」を進める。

(有)中村ローソク代表取締役

田川広一TAGAWA Hirokazu

京都府立大学農学部を卒業後、1982 年から京都市役所に勤務。森林・農村及び公園に関する技術者として、森づくり・農村計画を追求してきた。2012 年からは、京北地域の農林業振興の一環としてハゼやクロモジなどの新たな森林資源の開発と産業化のプロジェクトを進める。「京都 “悠久の灯” プロジェクト」もその一つである。

京都市・京北農林業振興センター所長

三嶋陽治MISHIMA Youji

北海道大学農学部を卒業後、2004 年から(株)堤淺𠮷漆店入社。現在、漆漉し・精製・調合等に携わり、京仏具や京漆器などの伝統産業分野や国宝、重要文化財の修復分野において、ニーズに合わせた商品を提供している。また、漆の持つ可能性や魅力を、次世代を担う子ども達に伝える取り組み「うるしのいっぽ」を進めている。

(株)堤淺𠮷漆店専務取締役

堤 卓也TSUTSUMI Takuya

漆の道具

ろうそくの材料

漆の魅力を伝える

議論の端緒となったのは、後継者問題について。漆刷毛職人の田中信行は「今は職人の道に入る年齢が遅いため、昔のように長い修業期間は時代に合わない。でも、技術をすべて伝えるには数年では難しい」と話す。「修業の最初は座りっぱなしの日常に慣れること。普通の生活をしてきた若者が『職人の体』になるまでにはかなりの時間が必要。技術を覚えるのはそこから」。漆掻き職人の山内耕祐は、修業時代から安定収入の確保

に頭を悩ませてきた。「現状、漆掻きや植栽で得られる収入だけでは生活できず、漆器制作や農業を行いながら生計を立てています。後輩の職人は地域おこし協力隊制度などの公的補助を利用していますが、補助の期限を終えて独立した後の生活も同時に考えなくてはいけません」。漆の精製に携わる堤 卓也は「知ってもらわないと、漆芸文化を次世代に繋いでいくことはできない」と、生産者自らが発信する重要性について語る。堤は今年、『うるしのいっぽ』と題した冊子を制作。小さな子どもにも理解できるように、漆の木から樹液を採り、それを精製・調合して、漆器ができるまでの過程を写真とイラストを添えて解説した。「私たち漆屋は、これまで『縁の下の力持ち』として表に出ることはありませんでした。しかし、『次代を担う子どもたちに関心を持ってもらわなければ漆の未来はない』という危機感から自ら情報を届

けることにしました。この数年は、教育機関などを中心に工房公開も積極的に行っています。国内で消費される漆の約 98%が中国産。品質は安定していますが、国際状況や環境問題によっていつ輸入が止まるかわからない。まずは国産漆の現状と、塗料としての漆の特性への理解を広め、日本の漆芸文化の奥深さに感動してもらう。それが、漆器を買ってもらうための土台づくりになると思うんです」。2015年には文化庁が国宝や重要文化財の建造物の保存修復において原則、国産漆を使用する方針を決めた。文化庁の近藤都代子は「文化財保護法に基づく選定保存技術の制度によって、文化庁では、無形文化財の工芸技術の伝承や有形文化財の漆工品の保存修理に不可欠な『日本産漆生産・精製』の技術を選定し、植栽や漆搔き技術の伝承事業を支援しています。しかし、文化財建造物の修理にすべて国産漆を使用するようになると、現在の生産量では確実に国産漆が不足するので、増産が必要です。漆を採取できるまでに木が成長するには10年以上かかるので、今後は少しずつでも各地で植樹が増え、山内さんのような漆掻き技術者が各地で技術を継承していくようになればと思います」。和蝋燭の材料となる櫨

はぜ蝋ろうを、京都市・京北地域で生産を

目指す和蝋燭職人、田川広一は「これまで櫨蝋生産を支えてきた他産地の生産量が急激に落ち込み『本物の和蝋燭』をつくることが難しくなってきた。脈々と続いてきた伝統

を自分の代で終わらせたくはなかった」と話す。「歴史ある寺院で使ってもらう和蝋燭が、石油系油や動物性油を使用した代用品に代わってしまっては、伝統を紡いでいくことにはならない。『京都 “悠久の灯 ”プロジェクト』で私自身が櫨の植樹と製蝋を行う法人を設立したのは『もう人任せにしていられない』と考えたから。櫨の木を植えて実から蝋が採れるようになるまで 5年間は労働ばかりで収入はありませんし、生産した櫨蝋が売れるとも限らないが、私のような和蝋燭製造業者であれば、生産量すべてを買い取ることができます。今後、化粧品分野などで櫨蝋のさらなる需要を開拓したいです」。京北地域で櫨の植樹や生育に携わる京都市・京北農林業

振興センター所長の三嶋陽治は、「地域農家の方々をはじめとする地元の協力を得られたことがプロジェクト推進の原動力となった」という。「地元としては農業や林業に代わる新しい産業としての期待も大きい。いずれは、京北地域で櫨蝋生産から和蝋燭製造までを行なう『地産地消』を実現できればと考えています」。この日議論された話題はいずれも単一の事象ではなく、

互いに複雑に絡み合う。田中の「川上が枯れると、川下も枯れる」という言葉が印象的だった。工芸の道具や材料の、そのまた素材の確保を急ぐ課題もあり、分業のどこが欠けても工芸文化を継承していくことはできない。

3SUMMIT

Page 8: Director's Letter - KYOTO CRAFT MAGAZINE · 2017. 5. 15. · Z y»3w ° RxsM{ Nw»3t m Ä Åxz Ô =w u{ Np ° R¤²w^ æUz Ô w»3wæ M rloM { T q Ýw] J b mw±Û¿Ä ï+ V+sr Ô

京都府内外の人々が行き交いする京都駅前地下街ポルタの西通りスペースにて、2017年2月16日~ 28日の間、「Kougei now」の 3つのサミットの様子を記録した映像を上映し、この冊子内の記事の一部を抜粋したリーフレットの配布を行った。また、2016年に新設された、若手職

人から「次世代の工芸品」をテーマにギフト商品を募集するコンペ「京都府クラフト・コンペティション」の受賞

2月 25 日に「ホテルアンテルーム京都 MEALS」で開催したトークイベントでは、サミットの内容を振り返り、各回のファシリテーターがそれぞれの議論を総括した。 「京都に限らず日本中の工芸産地が同じ問題を抱えてい

る。情報を共有するためにも議論の場を持ち続けたい」と金谷勉。「サミットでは刺激的なアイデアが生まれたが、今後地元の人たちがいかに実行するかが鍵となる。丹後地域で生まれた熱が他地域・世界へと伝播していくことを願う」と北林功。「これまであまり語られることのなかった道具・材料の課題が当事者たちの言葉で議論された貴重な機会だった」と米原有二。後半は、永田宙郷、新山直広、Kougei now 全体の運営

を手掛けた京都府商工労働観光部染織・工芸課の水口宏城、そして、Kougei now のディレクターで京都リサーチパーク株式会社の山崎伸吾の 4名を加えて工芸にまつわる諸問題を議論。「東京オリンピック」や「工芸の雑貨化」、「産地間連携」などをキーワードにそれぞれの立場から闊達な議論が展開された。

京都の若手職人がメンバーとなっている「京都職人工房 ®」による、手仕事の実演と作品の展示販売を行うイベント「職人たちのマーチ」を「ホテルアンテルーム 京都 GALLERY9.5」にて 2月23日~ 26日の 4日間行った。京焼・清水焼サミットにも登場した

永田宙郷がディレクターとなり、クリエイティブカンパニー「TSUGI」の新山直広らが講師を務める福井県「越前ものづくり塾」とのコラボレーション

「京焼・清水焼」「丹後テキスタイル」「道具・材料」の 3つのサミットを行った後に、サミットの内容を元にした 3つのイベントを開催した。

京都駅前地下街ポルタから工芸の未来像を発信する

ファシリテーター 3名を中心としたクロストーク

若手の工芸作品の展示販売と職人による技の実演

2

1

3工芸の今を見つめ未来を考える3つのイベント

Report of the three Events

作品も展示。審査員奨励賞を受賞した、京焼・清水焼職人の柴田恭久と金彩友禅職人の上仲昭浩の共作「竹節酒器セット(専用金彩友禅の袋付)」や、京焼・清水焼職人の並川昌夫による「束ねのし カトラリー・レスト」をはじめ、ユニークな作品がショーケースの中に並んだ。伝統工芸が抱える諸問題を語った映

像や、若手職人による未来志向の作品を多くの人が観覧する機会となった。

「技術や質を下げて低価格な製品を作っても本末転倒。職人技術の価値を目減りさせずに製品を生むことが大切だ」と永田。「鯖江市周辺地域では若い世代の移住者が地域のものづくりと関わりを持ち始めている。工芸の課題を地域で解決する文化を育みたい」と新山。「技術の継承や流通・販売については時代に合わせた対策が必要だが、民間も行政も試行錯誤が続いている。『工芸』という枠組みにとらわれない自由な発想が必要だと感じている」と水口。予定時間を超えて行われた議論を山崎はこう締めくくっ

た。「多くの手仕事が残る京都でサミットを開催できた意義は大きい。今後も職人たちが業種や地域の垣根を越えて情報を共有し、連携しあう土壌を作り続けたい。Kougei now を機に多くの交流が生まれることを期待している」。

展も同時開催し、思わず「欲しい!」と手が伸びるプロダクトや、作品がスペースを彩った。職人の実演を目の当たりにするこ

とで、モノが生まれる背景を知り、さらに現代の生活に合った若手の作品を購入できた本イベントは、あらゆる層の人々に、工芸を身近に感じるきっかけを提供したようだった。

EXHIBITION

VISIONS

DIALOGUE

左から宮川徳三郎、「職人たちのマーチ」スタッフの檜山千穂、崎川真璃絵、 キュレーターの野口卓海

着物スタイリスト・宮川徳三郎さんの着物を着てみました!

京都駅前地下街ポルタにて配布したリーフレット

左からファシリテーターの金谷 勉、北林 功、米原有二

2月 25日に行われたトークイベントの様子。定員をはるかに上回り約80名が来場した

京都駅前地下街ポルタでの展示風景。写真上は「京都府クラフト・コンペティション」の受賞作品展。写真下は「Kougei now」のサミットの記録映像の上映の様子

「職人たちのマーチ」展示風景

アーティスト山さきあさ彦と型染・型友禅作家の山元桂子のコラボレーション作品「山ぐるみタワー」