世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質gdp成長率とインフレ率(%)...

29
世界金融危機後のマレーシア経済 ―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応― 梅﨑 創 要  約 世界金融危機の震源地となった米国では,事実上のゼロ金利政策や 3 次にわたる量的緩 和といった大規模な金融緩和が行われ,その流れは他の先進諸国にも広がった。その時期 にマレーシアを含む新興国に流入した資本は,2013 年 5 月のバーナンキ発言以降,米国 の金融緩和が終了していくにしたがって逆流を始め,マレーシアの通貨リンギも大きく売 られることになった。2014 年以降の原油価格の下落,2015 年央に発覚した 1MDB 問題な どもリンギの減価に拍車をかけた。 マレーシア中央銀行(BNM)は,政策金利や預金準備率の変更などの通常の金融政策 により一連の事態に対応すると同時に,必要に応じて外国為替市場に介入して通貨リンギ を買い支えてきた。2016 年末にはオフショア市場におけるリンギの投機的取引を実効的 に規制すべく市場に圧力をかけると同時に,オンショア市場の安定化や効率化を目的とし た追加的な資本取引規制を含む金融制度改革を進めている。その結果,一時はさらなる資 本流出が生じたものの,国際資本移動や為替レートの動向は安定化の兆しを見せていた。 しかし,2018 年 5 月に発足した新政権下では資本流出と為替の減価が進行しており,引 き続き慎重な金融政策運営が求められる。 キーワード:マレーシア,国際資本移動,資本規制,為替レート JEL Classification:F31, F38, O35 Ⅰ.はじめに アジア通貨危機対応としての固定相場制の導 入(1998 年 9 月),変動相場制への回帰(2005 年 7 月)を経たマレーシアの通貨リンギの対米 ドル為替レートは,2014 年半ばまでは 3.00~ 3.50 リンギの水準を維持していた。2007 年後 半に顕在化したサブプライム・ローン問題,翌 2008 年 9 月のリーマン・ショックを受けて, 米国が事実上のゼロ金利政策および量的金融緩 和(Quantitative Easing: QE)を導入し,米国 発の世界金融危機への対応として他の先進諸国 も大幅な金融緩和へと舵を切った。その結果と して肥大化した緩和マネーはマレーシアを含む * 日本貿易振興機構 アジア経済研究所 開発研究センター 経済統合研究グループ 研究グループ長 - 62 - 世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Upload: others

Post on 03-Feb-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

世界金融危機後のマレーシア経済 ―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

梅﨑 創*

要  約 世界金融危機の震源地となった米国では,事実上のゼロ金利政策や 3 次にわたる量的緩和といった大規模な金融緩和が行われ,その流れは他の先進諸国にも広がった。その時期にマレーシアを含む新興国に流入した資本は,2013 年 5 月のバーナンキ発言以降,米国の金融緩和が終了していくにしたがって逆流を始め,マレーシアの通貨リンギも大きく売られることになった。2014 年以降の原油価格の下落,2015 年央に発覚した 1MDB 問題などもリンギの減価に拍車をかけた。 マレーシア中央銀行(BNM)は,政策金利や預金準備率の変更などの通常の金融政策により一連の事態に対応すると同時に,必要に応じて外国為替市場に介入して通貨リンギを買い支えてきた。2016 年末にはオフショア市場におけるリンギの投機的取引を実効的に規制すべく市場に圧力をかけると同時に,オンショア市場の安定化や効率化を目的とした追加的な資本取引規制を含む金融制度改革を進めている。その結果,一時はさらなる資本流出が生じたものの,国際資本移動や為替レートの動向は安定化の兆しを見せていた。しかし,2018 年 5 月に発足した新政権下では資本流出と為替の減価が進行しており,引き続き慎重な金融政策運営が求められる。

 キーワード:マレーシア,国際資本移動,資本規制,為替レート JEL Classification:F31, F38, O35

Ⅰ.はじめに

 アジア通貨危機対応としての固定相場制の導入(1998 年 9 月),変動相場制への回帰(2005年 7 月)を経たマレーシアの通貨リンギの対米ドル為替レートは,2014 年半ばまでは 3.00~3.50 リンギの水準を維持していた。2007 年後半に顕在化したサブプライム・ローン問題,翌

2008 年 9 月のリーマン・ショックを受けて,米国が事実上のゼロ金利政策および量的金融緩和(Quantitative Easing: QE)を導入し,米国発の世界金融危機への対応として他の先進諸国も大幅な金融緩和へと舵を切った。その結果として肥大化した緩和マネーはマレーシアを含む

*  日本貿易振興機構 アジア経済研究所 開発研究センター 経済統合研究グループ 研究グループ長

- 62 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 2: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

多くの新興国の株式市場および債券市場に大量に流入していった。その後,2013 年 5 月 22 日にベン・バーナンキ米国連邦準備制度(Federal Reserve Bank: FRB)理事会議長(当時)が上下両院合同経済委員会において QE 縮小を示唆する発言をしたことによって,この流れは一変することになる。QE 下で流入した資本はマレーシアからも流出し始め,2013 年第 3 四半期から 2015 年第 1 四半期までの 7 四半期連続で金融収支が赤字になった。リンギの対米ドル為替レートは当初は安定的に推移していたが,2014 年後半になって原油価格が暴落を始めると急速な減価に転じ,2014 年 8 月末からの約 1年間で 42.1%も下落することとなった1)。その減価要因には,米国の金融政策の転換や原油価格の下落だけではなく,債務問題から政治スキャンダル,さらには同国史上初の政権交代にまで発展したワン・マレーシア開発銀行(One Malaysia Development Bank: 1MDB)問題なども含まれると考えられている2)。 本論文では,米国がゼロ金利政策を導入した

2008 年以降のマレーシアへの資本流入動向を踏まえ,2013 年 5 月のバーナンキ発言以降のいわゆる緩和マネーの逆流が生じたと見られる時期に焦点をあて,国際資本移動や為替レートの動向,中央銀行(Bank Negara Malayisa: BNM)の政策対応を分析する。とくに,2016 年 5 月の金融市場委員会(Foreign Market Committee: FMC)の設置,同年 11 月以降に矢継ぎ早に導入された BNM/FMC 措置の内容およびその効果について議論する。 本稿の構成は以下のとおりである。まず第Ⅱ節において,本稿の議論の基礎情報として,マレーシアの経済構造および 1997~98 年のアジア通貨危機に際しての政策対応を整理する。第Ⅲ節では,リーマン・ショック後の米国における金融緩和の導入から終了にいたる流れを整理し,新興国への影響を概説する。第Ⅳ節では,マレーシアをめぐる国際資本移動や為替レートの動向,および BNM の政策対応を時系列的に整理し,その効果を検討する。

Ⅱ.マレーシア経済の概観

 本節では,次節以降の議論の前提となる,マレーシアの経済構造,近年のマクロ経済動向,アジア通貨危機への政策対応などを概説する。 外国直接投資(Foreign Direct Investment: FDI)を活用した工業化がマレーシアの高度経済成長を支えてきた一方で,原油や天然ガスなどの天然資源の重要性もいまだに高い。また,

1997~98 年のアジア通貨危機の際にマレーシアは,タイ,インドネシア,韓国などと異なり,国際通貨基金(International Monetary Fund: IMF)の支援を受けず,固定相場制と資本流出規制の導入という,いわば非正統的な政策対応により乗り切っている。

1 )この時期の最高値と最安値を比較すると,2014 年 8 月 28 日の 3.1480MYR/USD から 2015 年 9 月 29 日の4.4725MYR/USD へと 42.1% 減価している。

2 )2014 年 11 月に巨額債務と赤字決算が明らかになった国営投資会社 1MDB からナジブ首相の個人口座に 7億ドルが送金された疑惑を 2015 年 7 月 2 日付けの Wall Street Journal 誌が報じたことに端を発する政治スキャンダル。この捜査に対するナジブ首相の政治介入などもあり,野党のみならず,与党内部からの批判も高まった。最終的に,2018 年 5 月の総選挙においてマレーシア史上初の政権交代が実現した最大の原因であるといえる。

- 63 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 3: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

Ⅱ-1.マレーシア経済の発展と構造 2017 年のマレーシアの一人当たり国民所得は 9,650 米ドルであり,世界銀行の分類によれば上位中所得国のひとつである。FDI を積極的に誘致して輸出志向型の製造業を振興するという,典型的なアジア型の経済発展に成功してきた国である。その結果,1970 年に 49.3%であった貧困率は 2014 年には 0.6%にまで低下している。他方で,1992 年に下位中所得国から上位中所得国に移行してからすでに四半世紀が経過しており,高所得国への移行が遅れているという意味で「中所得国の罠」に陥っているという評価も受けている(熊谷 2018:228)。 図 1 は 1980 年代以降の実質 GDP 成長率と消費者物価指数で測ったインフレ率を図示している。この期間中,マレーシアは 3 度のマイナス成長を経験している。1980 年代半ばの景気後退は,世界的不況に加えて,重化学工業に焦点を当てた輸入代替戦略の失敗によるものである。それ以降の景気後退は,1990 年代後半のアジア通貨危機,2001 年の IT 不況,2009 年

の世界金融危機によるものであり,国内要因というよりは主に国際経済環境の変動によってもたらされたといえる。1988 年~96 年は年平均で 10%近く成長しており,2002 年~07 年は6%前後,2009 年以降は 5%前後と,危機を経るごとに成長率が低下しているが,おおむね安定的な経済成長を実現している。インフレ率も1980 年代半ば以降は 2~4% の範囲で安定的に推移している。 図 2 はマレーシアの貿易と対内外 FDI 残高を GDP 比で図示したものである。ここから,1985 年のプラザ合意を契機に直接投資を積極的に活用した輸出志向工業化が進んだ状況を読み取ることができる。この時期の工業化は,輸入した資本財や原材料を用いて輸出財を製造していたため,輸出と輸入が同じように増加している。アジア通貨危機以降は,GDP 比でみた貿易規模は縮小傾向にあるが,輸出が輸入を大きく上回っており,これが経常収支の黒字の定着に貢献している。対内 FDI 残高をみると,1980 年代は GDP 比 20% 程度で安定的に推移

図1 実質 GDP 成長率とインフレ率(%)

(出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin 各号に基づき筆者作成。

- 64 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 4: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

していたが,1990 年代に入って急速に増加し,1998 年には 62.4% にまで上昇した。その後この比率は 40% 前後で推移している。マレーシアの対外 FDI 残高は ASEAN の経済統合が本格化した 2000 年代半ば以降に急速に増加しており,2008 年以降は対内 FDI 残高と同程度の規模になっている。 1980 年代後半を境にして,マレーシアの産業構造も大きく変容している。1987 年の時点では,農林水産業が労働者の 30.9% を吸収しており,GDP の 20.0% を産出していた3)。このシェアは急速に低下し,2017 年にはそれぞれ11.3%,8.7% となっている。製造業の労働者,付加価値のシェアは,1987 年の 15.5%,19.8%から,2000 年には 23.5%,30.9% へと上昇したが,その後は低下に転じて,2017 年にはそれぞれ 17.4%,22.3% となっている。2000 年以降は,労働者,付加価値いずれにおいてもサービ

ス業の拡大が顕著である。また,天然ガス,原油,錫などの天然資源が豊富なこともマレーシア経済の特徴である。2017 年,鉱業に従事する労働者のシェアは 0.7% に過ぎないが,付加価値のシェアは 8.5% となっている。 このようなマレーシアの経済構造の変化は輸出構造にも如実に反映されている。総輸出に占める機械・輸送機器のシェアは,1980 年には11.5% であったが,1990 年には 35.7% になり,2000 年には最高値となる 62.5% となっている4)。図 3 は,工業化に成功したマレーシアにおいて依然として重要な産業であり,為替レートの動向にも大きな影響を与えている原油(HS2709)・石油製品(HS2710)・液化天然ガス(HS2711)の輸出の推移を,1997 年価格を基準とした実質値および価格変動に分けて示している。ここから以下の点を読み取ることができる。第 1 は,これら三品目の名目輸出額が

3 )本段落および次段落の統計はすべて Department of Statistics, Malaysia Economic Statistics: Time Seriesおよび BNM, Monthly Statistical Bulletin, August 2018 に基づいている。

4 )機械・輸送機器のシェアは SITC 第 4 版の一桁分類に基づく。

図2 貿易と FDI 残高(GDP 比:%)

(出所) World Development Indicator,UNCTAD Stat に基づき筆者作成。

- 65 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 5: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

2003 年から急増したことである。三品目が総輸出に占めるシェアは 2002 年には 4%程度であったが,世界金融危機による一時的な落ち込みはあったものの,2013 年には 25% にまで上昇している。第 2 は,その大きな輸出の伸びのほとんどが,価格の上昇によってもたらされたということである。1997 年と,三品目の輸出シェアが最大になった 2013 年の輸出量を比較すると,石油製品は 3.65 倍,液化天然ガスは1.59 倍に増加しているものの,原油は 0.69 倍と減少しており,三品目合計での実質輸出額の変動は小さい。第 3 は,三品目の価格の連動性が非常に高いことである。2017 年時点でもマレーシアの輸出の 15% を占める三品目の輸出が,国際市場において外生的に決定される価格の影響を強く受けるということは,マレーシアの貿易収支や経常収支の対外的脆弱性を示唆し

ているといえよう。 図 4 はマレーシアの財政収支とそのファイナンス状況を GDP 比で示している。マレーシアの財政制度では,歳出は経常歳出と開発歳出とに大別される5)。1980 年代初頭には GDP 比で15%を超えるまでに財政赤字が拡大しているが,その要因は,第二次石油危機による石油関連歳入の増加を背景に当時のフセイン・オン(Hussein Onn)首相が採用した重化学工業化戦略のために開発歳出が急増したことにある。1981 年 7 月 に 就 任 し た マ ハ テ ィ ー ル(Mahathir Mohamad)首相は財政の引き締めに着手し,1982 年 6 月には年度途中での予算削減に踏み切っている。さらに,1984 年の内閣改造では民間からダイム・ザイヌディン(Daim Zainnudin)を財務大臣に起用し,1985 年には民営化ガイドラインを発表するな

5 )経常歳出とは,人件費,物件費,政府債務の利払いなどの経常的な歳出であり,財務省の専管となっている。開発歳出はマレーシア政府の開発政策を反映したものであり,マレーシア計画によって 5 年分の予算が各省庁・プロジェクトに配分され,それが各年度予算に振り分けられる。このため,開発歳出は開発政策を司る経済企画庁(Economic Planning Unit:EPU)と財務省との協議により編成される。

図3 原油・石油製品・液化天然ガスの輸出(10 億ドル)

(出所) Global Trade Atlas に基づき筆者作成。(注) 実質輸出額の基準年は 1997 年。

- 66 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 6: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

ど,財政健全化への取り組みを強化していった。1980 年代後半以降は,高度経済成長を背景に財政収支が順調に改善し,1990 年代半ばには黒字を計上するようになった。しかし,アジア通貨危機後は,経済再建のために積極的な財政政策を採用したことにより,再び赤字財政に陥った。2000 年代以降は緩やかに財政健全化が進められ,世界金融危機による一時的な悪化はあったものの,経常歳出が歳入以下に維持される一方で開発歳出が縮小しているため,2017年までに財政赤字は GDP 比 3.0% にまで縮小している。財政赤字のファイナンス面に着目すると,1986 年までは純国外借入への依存が大きかったが,それ以降は返済が新規借入を上回るようになっており,近年では財政赤字の大半が国債発行などによる純国内借入でファイナンスされるようになっている。ただし,後述するように,外国人による国債保有が増加していることから,財政面の対外依存がなくなったので

はなく,その様態が借入から国債保有へと変化したのだといえる。 以上を小括すると,高度に開放的な経済であるが故の対外的脆弱性を残してはいるが,マレーシアのマクロ経済実績は新興国のなかでも良好な部類に属するといえよう。アジア通貨危機以降は貿易収支も経常収支も黒字を維持しており,長期資本移動の結果である FDI 残高も対内,対外ともに GDP 比 40% 程度で安定している。1980 年代後半からは FDI を活用した輸出志向型の製造業が伸びたが,2000 年代に入ってからは経済のサービス化が進展している。その一方で,天然資源の寄与は一定の重要性を維持しており,特に原油価格の変動が輸出額,経常収支に及ぼす影響は決して小さなものではない。

Ⅱ-2.アジア通貨危機への政策対応 度重なる為替投機に耐えかねたタイ中央銀行は 1997 年 7 月 2 日,事実上のドル・ペッグ制

図4 財政収支とファイナンス(GDP 比:%)

(出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin 各号および Ministry of Finance, Malaysia, Fiscal Outlook and Federal Government Revenue Estimates 2019。

(注)2018 年は暫定値,2019 年は予算。

- 67 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 7: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

から管理フロート制への移行を発表した。その後のタイ・バーツの暴落がアジア通貨危機の引き金となった。震源地であるタイは同年 8 月14 日付けの趣意書により IMF の支援下に入り,10 月 31 日にインドネシア,12 月 3 日に韓国が続いた。 マレーシアでは,1997 年 6 月にはすでに証券投資の流出が始まっており,7 月にタイ・バーツが暴落すると,リンギに対する投機売りが拡大していった。これに対して,マハティール首相(当時)は,通貨投機にさらされた周辺諸国とは異なり,マレーシアの財政が健全であること,経常収支赤字の大半は FDI などの長期資本によりファイナンスされていることを繰り返し喧伝し,リンギへの投機圧力をかわそうとした。さらにアンワル・イブラヒム(Anwar Ibrahim)蔵相兼副首相(当時)が主導する形で,市場からの信認を回復することを目的とした緊縮的な財政金融政策,いわゆる「IMF なき IMF 政策」が実施された。しかし,リンギへの売り圧力をかわすまでにはいたらなかった。マレーシア経済がすでに深刻な不況に入っていたうえ,すでに 11%に上っていた金利をさらに上げて資本流出を抑制するのは困難な状況にあった。 1998 年 9 月,マレーシア政府は大きく方針を転換した。9 月 1 日に BNM は,①非居住者口座間の資金移動を許可制とする,②取得後 1年未満の株式売却代金の外貨両替・外交送金を禁止,③ 10 月 1 日以降リンギのオフショア取引を禁止,④通貨の持ち込み・持ち出しを1000 リンギまでに制限することなどを骨子とする外国為替管理規制の改定を発表した6)。翌9 月 2 日には,3.8000 リンギ/米ドルとする固定相場制が導入され,通貨危機対応策の相違により,マハティール首相がアンワル蔵相兼副首

相を解任した。さらに 9 月 3 日には,3 か月物のインターバンク市場介入金利が 9.5%から8.0%に引き下げられ,9 月 16 日には法定準備率 も 6 % か ら 4 % に 引 き 下 げ ら れ た(中 村1999)。資本の流出を規制したうえでリンギの為替レートを固定したことにより,自律的な金融政策の余地を創り出して,不況下にあった国内経済を立て直すために金融緩和を実施した,ということである。 1999 年 2 月 15 日,短期資本の流出規制(前述の②)は,段階的な送金課税方式に変更された。これは,資本流出圧力が緩和されてきたことに加え,1998 年 9 月 1 日の資本規制導入以前に流入していた短期資本がすべて 1999 年 9月 1 日に流出規制対象外となることからその時点で大規模な資本逃避が生じるのではという懸念があったため,段階的緩和が望ましいと判断されたからである。結局,その懸念は杞憂に終わったが,その理由は,資本規制導入以前にすでに大半の海外資本が流出していたためと考えられる。さらに,1999 年 9 月 21 日には送金課税が一律 10% へと再変更され,2001 年 5 月 2日にはこの送金課税も撤廃された。 2005 年 4 月 1 日,BNM は非居住者によるリンギ建て資金調達,居住者による外貨口座の開設・外貨建て資金の保有などに関する規制を緩和した。 2005 年 7 月 21 日,中国政府は人民元の管理変動相場制への移行,人民元の対米ドル為替レートの切り上げ(約 2%)を発表した。そしてその直後,BNM も管理変動相場制への移行を発表した。中国の固定相場制放棄に国際社会の関心が集まっていた時期に,BNM は管理変動相場制への移行の準備を整え,時機の到来を待っていたものと考えられる。マレーシアが導入した管理変動相場制は,主要国との貿易額を

6 )一方で BNM は経常取引,利潤・利子・配当などの送金,直接投資に関しては,規制対象外であることを繰り返し内外に広報した。もともと,マレーシアの外国為替管理規制では,短期資金の移動による国内経済への悪影響を緩和することを目的とした,一時的な選択的外国為替規制を実施する可能性が明記おり,アジア通貨危機対応としての資本規制もその枠内で実施されたものである(BNM 1999:276-277)。1993~94 年には一時的な短期資本流入規制が導入されたこともある。詳しくは梅﨑(2003)を参照。

- 68 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 8: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

ウェイトとした通貨バスケットに対してリンギを固定するというものであり,事実上,固定相場制導入以前の為替レート制度への回帰とみることができる。結果的に,リンギも人民元も大きな変動を経験することなく,成功裏に管理変動相場制に移行されたといえる(中村・梅

﨑 2006:353-354)。 この時点で,アジア通貨危機への政策対応として導入された措置で残されていたのは,リンギのオフショア取引の禁止だけということになった。

Ⅲ.米国の金融緩和と新興国への影響

Ⅲ-1.米国の金融緩和:導入から終了までの経緯

 2007 年半ばに米国の住宅価格が下落に転じたことにより,同国の好景気を支えていたサブプライム・ローンの不良債権化が始まった。サブプライム・ローン債権を組み込んだ金融商品が広く流通していた米国の金融市場への影響は大きく,2008 年 9 月 15 日には米証券大手のリーマン・ブラザーズが経営破綻に追い込まれるにいたった。連邦準備制度理事会(FRB)は,このリーマン・ショックにより加速した景気後退に対処するために過去に例のない規模の金融緩和を実施した(表 1)。2008 年 11 月に始ま っ た 第 1 次 量 的 緩 和(First Quantitative

Easing: QE1)では,FRB が住宅ローン担保証券(Mortgage Backed Securities: MBS)を中心に総額 1 兆 2500 億ドルの金融資産を買い入れ,相当額の流動性が金融市場に供給された。さらに同年 12 月には政策金利であるフェデラル・ファンド金利の目標が 0~0.25% に設定され,事実上のゼロ金利政策が導入された。2010年 11 月に始まった第 2 次量的緩和(QE2)では FRB が合計 6000 億ドルの米国債を購入した。第 3 次量的緩和(QE3)では,2012 年 9月から 2013 年 12 月までの 16 カ月間,毎月一定額の米国債および MBS が購入された。 2013 年 5 月 22 日,ベン・バーナンキ議長が上下両院合同経済委員会において QE3 の縮小を

表1 米国連邦準備理事会による金融緩和

期間 内容

第 1 次量的緩和(QE1) 2008 年 11 月~10 年 6 月 住宅ローン担保証券 1 兆 2500 億ドル,米国債 3000 億ドル,資産担保証券 1750 億ドル(合計 1 兆 7250 億ドル)を買入れ

ゼロ金利政策 2008 年 12 月~15 年 12 月 フェデラル・ファンド金利の目標を 0~0.25%に設定

第 2 次量的緩和(QE2) 2010 年 11 月~11 年 6 月 米国債 6000 億ドル買入れ

第 3 次量的緩和(QE3) 2012 年 9 月~13 年 12 月(2014 年に入ると段階的に購入額を縮小し,2014年 10 月に買入停止)

毎月 400 億ドルの米国債,450 億ドルの住宅ローン担保証券を 16 カ月間(合計 1 兆 3600億ドル)買入れ

(出所) 各種報道等により筆者作成。

- 69 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 9: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

示唆する発言をし,さらに 6 月 19 日の連邦公開市場委員会(Federal Open Market Committee: FOMC)終了後の会見において,年内にも債券購入を縮小し始め,2014 年半ばには量的緩和を終了する可能性があるという踏み込んだ発言をした。実際に 2014 年に入ると FRB は金融資産の買入れ規模を段階的に縮小(tapering)し,2014 年 10 月には買入れの停止が発表された。翌 2015 年 12 月にはフェデラル・ファンド金利の目標値が 25 ポイント引き上げられ,事実上のゼロ金利政策も終了した。

Ⅲ-2.新興国への影響 リーマン・ショック後,「グローバル投資家のリスク回避姿勢が急激に強まるなかで新興国通貨が大きく売られた。2008 年後半から 2009年にかけて,世界経済は(中略)景気の急減速に見舞われたが,各国当局が迅速かつ大規模な金融緩和等で対応したことが功を奏し,景気の

落ち込みと新興国通貨を含むリスク資産の売りは当初懸念されたほどは長く続かず,2009 年第 1 四半期をボトムに反発に転じた」(棚瀬2015,202-203)。その後,2009 年 10 月に発覚したギリシャの債務問題を機にユーロ危機が発生すると,新興国通貨は相対的に安全な資産と見なされ,その地位を高めた。特に 2010 年から 2012 年にかけては,新興国の資産市場に大量の資金が流入し,新興国通貨が高値圏で推移することになった。 しかし,2013 年 5 月,6 月のバーナンキ発言はこの流れを逆転させた。その影響は米国や日本のみならず,新興国市場にまで及び,特に「フラジャイル・ファイブ(Fragile Five:脆弱な5ヵ国)」と呼ばれたブラジル,インド,インドネシア,トルコ,南アフリカなどの通貨が大きく下落することになった。 表 2 は,この時期のフラジャイル・ファイブとマレーシアのファンダメンタルズを比較した

表2 フィラジャイル・ファイブとマレーシアのファンダメンタルズ

単位:%対外債務GDP 比

短期債務外貨準備比

経常収支GDP 比

財政収支GDP 比

インフレ率CPI

為替変化率対米ドル

ブラジル2011 15.9 12.0 -2.9 -2.5 6.6 10.32012 18.3 8.7 -3.0 -1.6 5.4 10.22013 19.8 9.3 -3.0 -2.4 6.2 14.9

インド2011 18.5 26.1 -3.4 -3.0 8.9 18.92012 21.7 31.1 -5.0 -3.6 9.3  2.82013 23.3 31.1 -2.6 -4.0 10.9 13.0

インドネシア2011 25.3 34.7  0.2  0.4 5.4  0.92012 28.3 39.2 -2.7 -0.1 4.3  6.62013 30.0 46.4 -3.2 -0.4 6.4 26.0

南アフリカ2011 28.8 42.1 -2.2 -4.1 5.0 22.82012 37.6 55.0 -5.1 -4.6 5.7  4.42013 39.2 54.8 -5.8 -5.2 5.8 23.4

トルコ2011 37.0 92.7 -8.9 -0.1 6.5 22.92012 39.1 84.0 -5.5  1.0 8.9 -5.92013 41.4 99.4 -6.7  1.3 7.5 19.9

マレーシア2011 49.8 48.4 10.9  0.6 3.2  3.02012 64.0 66.3  5.2  0.4 1.6 -3.72013 60.4 59.1  3.5  0.3 2.1  7.3

(出所)  World Bank, World Development Indicators および IMF, International Financial Statistics Yearbook 2017 に基づき筆者作成。

- 70 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 10: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

ものである。2012 年末から 2013 年末にかけての為替レートの下落率は,フラジャイル・ファイブが 13.0%~26.0% であるのに対して,マレーシア・リンギの下落率は 7.3% にとどまっている。対外債務/GDP,短期債務/外貨準備といった債務関連指標に関しては,マレーシアの方がフラジャイル・ファイブよりも悪い状況にある。しかし,経常収支,財政収支,インフレ率に関しては,マレーシアのファンダメンタルズの方が優れている。フラジャイル・ファイブ

の経常収支,財政収支は赤字基調であるのに対し,マレーシアは黒字を維持している7)。また,マレーシアのインフレ率は低位で安定している。こういった点がバーナンキ発言への初期反応としての為替レート下落率の違いを生んだ要因であったと考えられる。しかしその後,マレーシアは他の新興国との比較において,国際的な資本の流出入の影響を強く受けることになった(IMF 2018, p. 11)。その影響や背景,政策対応は次節で議論する。

Ⅳ.マレーシアへの影響と政策対応

 米国の金融緩和とその終了は,マレーシアの国際収支や為替レートに大きな影響を及ぼしたが,唯一の変動要因であったというわけではない。例えば,Shafiq and Ariff (2018)は,マレーシア固有の要因として① 20 年以上貿易黒字を計上し続けていることによる国内の外国為替市場の需給不均衡,②オフショアのノンデリバラブル・フォワード(Non-Deliverable Forward: NDF)取引が増加したことにより投機的圧力が強まっていたこと,③マレーシアが今も一次産品輸出に強く依存しているという誤解により世界的な一次産品価格下落の影響を受けたこと,などを挙げている。また,中国経済の拡大と両国経済関係の緊密化を反映して,2015 年 8月 11 日の中国人民元の切り下げも,原油価格下落により進んでいたリンギ安に拍車をかけた。国内問題としては,ワン・マレーシア開発銀行(1MDB)の債務問題から顕在化したナジブ・ラザク(Najib Razak)首相の汚職疑惑が高まり,2018 年 5 月 9 日の連邦議会下院選挙において,マハティール元首相率いる希望連盟(Pakatan Harapan: PH)が勝利し,マレーシ

ア史上初の政権交代が実現したことも大きい。他方で,BNM による外国為替市場への介入やその措置は,リンギの安定化に寄与してきている。このように国際資本移動や為替レートの変動要因は多岐にわたっており,その影響が波及する経路も非常に複雑である。 以下本節ではまず,リーマン・ショック以降の国際経済環境の変化とマレーシアのマクロ経済動向を概説し,主に為替レートの変化を参照しながらいくつかの時期に区分することから始める。そのうえで,その時期区分に沿って,マレーシアをめぐる国際資本移動と為替レートの推移を多面的に分析していく。

Ⅳ-1.国際経済環境の変化とマレーシア経済:概説

 図 5 はリーマン・ショック以降のマレーシアのマクロ経済実績を示している。2008 年第 3四半期にインフレ率が 8% を超えているが,これは原油の国際価格高騰によって膨張した補助金支出を削減するために 2008 年 6 月 4 日に国内の石油製品価格が引き上げられたことによ

7 )ここでは国際比較のために世界銀行が取りまとめる World Development Indicators を用いており,財政収支は歳入から経常歳出を差し引いたものとして定義している。

- 71 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 11: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

る。その後の原油価格下落を受けて 8 月 23 日以降,石油製品価格は数次にわたって引き下げられ,11 月 18 日には公共交通機関向けディーゼル油以外の石油製品に関する補助金供与が停止された8)。この時期のインフレ高進と,その反動としての翌年同時期の負のインフレを除けば,物価はおおむね安定しているといえる。 リーマン・ショック前の 2008 年第 2 四半期の実質 GDP 成長率は 5.1% であり,経常収支も GDP 比で 19.5% という高水準にあった。リーマン・ショック以降の同年第 3 四半期以降の実質 GDP 成長率は 0.3%,-5.8%,-3.7%,-1.1% と低迷したが,その後は V 字回復をし,5% 前後の経済成長率に落ちついている。経常収支は黒字を維持しているものの,その黒字幅はバーナンキ発言のあった 2013 年第 2 四半期

の 0.4% まで趨勢的に縮小し,2014 年以降はGDP 比で 2~4% 程度を推移している。 為替レートはリーマン・ショック以降増価傾向にあり高値圏を維持していたが,バーナンキ発言を機に緩やかな減価に転じ,QE3 が終了した 2014 年 10 月から 2015 年 9 月にかけては急激に減価している。とはいえ,この減価はバーナンキ発言によって示唆された米国の金融緩和終了を見越しての緩和マネーの逆流のみによってもたらされたわけではない。実際,この時期には,①高騰を続けていた原油価格の急落,②国営投資銀行 1MDB の債務問題の顕在化,③2015 年 8 月 11 日の人民元の切り下げなど,リンギ売りを引き起こす他の要因も観察されている。この間,BNM は大規模な外国為替市場介入を実施しており,2015 年 10 月にはリンギの

8 )2007 年 1 月 15 日には 1 バレル当たり 51.70 ドルであったブレント原油価格が 2008 年 7 月 3 日には 146.08ドルの史上最高値を記録した。その後下落に転じ,2008 年 12 月 24 日には 36.61 ドルにまで急落した。石油製品に関する補助金の推移については中村(2009)を参照。

図5 近年のマクロ経済実績

(出所)  Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin, August 2018 に基づき筆者作成。

(%)

- 72 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 12: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

急落に歯止めがかかった。2016 年 11 月の米大統領選挙でドナルド・トランプ氏が勝利すると米国の利上げ観測に基づく資本流出が始まったが,BNM が外国為替市場に介入すると同時に,オフショア市場における NDF 取引の規制強化およびオンショアの外国為替市場改革に乗り出した結果,リンギは増価トレンドに入った。2018 年第 2 四半期以降は,政権交代,原油価格上昇,国際情勢の不安定化などを背景にリンギ安に転じており,実質 GDP 成長率の低下,経常黒字の縮小も観察される。 以下では,主に為替レートの動向に着目して,①リーマン・ショック以降の「世界金融危機・緩和マネー流入期」(2008 年第 3 四半期~),②バーナンキ発言が契機となった「テーパー・タントラム期」(2013 年第 2 四半期~),③米国の金融緩和終了による「緩和マネー逆流期」(2014年第 3 四半期~),④ NDF 取引規制強化などのBNM 措置による「安定回復期」(2016 年第 4四半期~),⑤マレーシア史上初となる政権交代による「混乱・調整期」(2018 年第 2 四半期~)に分けて,国際資本移動と為替レートの動向を多面的に分析していく(表3)。

Ⅳ-2.図表  本節では,この後の分析で繰り返し参照する図表を提示しておこう。

 図 6 は直物為替レートと,為替先物取引のポジションの推移を示している。先物ポジションに関しては,正の値がリンギの買持ち残高,負の値が売持ち残高の集計値であり,当該時点から先の為替レートの騰落に関する市場の期待値とみなすことができる。この残高が正の値,すなわち買持ポジションにあれば増価期待,逆に負の値,売持ポジションにあれば減価期待が市場に広がっていることになる9)。図 6 から明らかなとおり,為替レートの変動と先物ポジションとの間には強い相関関係があり,管理変動相場制に移行した 2005 年 7 月以降から 2018 年 9月までの月末値の相関係数は-0.79 にのぼる。先物取引ポジションは,まずは 1 カ月未満という短期で建ち,増価あるいは減価期待が強まるほどにより長期のポジションが建つという傾向が読み取れる。 図 7 は,マレーシアと米国の政策金利と為替レートの推移を示している。マレーシアの翌日物政策金利(Overnight Policy Rate: OPR)はイ ン タ ー バ ン ク 市 場 金 利(Kuala Lumpur Interbank Offered Rate: KLIBOR)を介して市場に影響を及ぼす。同様に米国では,FRB が設定するフェデラル・ファンド金利の目標値(Target Federal Fund Rate/Range: TFFR)がインターバンク市場に影響を及ぼす。図中には市場取引の加重平均値である実効フェデラ

9 )前述のとおり 1998 年 9 月 2 日に導入された 1 ドル 3.8 リンギという固定相場制は,2005 年 7 月 21 日に管理変動相場制へと変更されたが,それに先立つ 2003 年 12 月にはすでに買持ちポジションが立っており,固定相場に対する割安感が広まっていたことを示唆している。

表3 時期区分

期間 特徴 為替 経常収支 原油価格

第 1 期 2008Q3~13Q2 世界金融危機と緩和マネー流入 増価→安定 黒字縮小 急落→高騰

第 2 期 2013Q2~14Q3 テーパー・タントラム やや減価 安定 高値安定

第 3 期 2014Q3~16Q4 緩和マネー逆流 急激に減価 安定 急落

第 4 期 2016Q4~18Q2 BNM 措置による安定回復 増価 安定 上昇

第 5 期 2018Q2~ 政権交代による混乱・調整 減価 安定 下落

(出所) 筆者作成。

- 73 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 13: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

図6 為替レートと先物ポジション(100 万米ドル)

(出所)  Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin, August 2018 および BNM ウェブサイトに基づき筆者作成。

図7 マレーシアと米国の政策金利(%)

(出所)  Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin, August 2018 および Federal Reserve Bank of New York ウェブサイトに基づき筆者作成。

- 74 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 14: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

ル・ファンド金利(Effective Federal Fund Rate: EFFR)も図示している。 図 8 はブレント原油価格と為替レートを図示している。産油国マレーシアの通貨リンギは原油価格,とくにブレント原油価格に大きく影響されることが知られている。原油価格が 1 ドル上昇すると関連収入が 3 億リンギ増加するとの試算もあり10),リンギへの増価圧力となる。実際に図 8 に示した 2007 年 1 月以降の日次データを用いると,その相関係数は-0.81 にのぼる。 図 9~図 13 は,国際収支表マニュアル第 6版(Balance of Payment Manual: BOP6)に基づいたマレーシアの国際収支およびその内訳を示している11)。 図 14,15 は株式市場,図 16,17 は債券市場,図 18,19 は外貨準備の動向を示している。図

20 は,オフショア市場で決定される NDF レートと金利差から算出される先物為替レートの乖離を図示したものである。

10 )「マレーシア『原油相場連動政権』の悩み:リンギ 5 カ月ぶり安値」日経 Quick ニュース,2018 年 6 月 20 日。11 )図 8 では,経常収支,金融収支,誤差脱漏の和として定義される総合収支が外貨準備の増減に相当している。

2015 年第 4 四半期までは図中の外貨準備増減と総合収支は完全に一致している。これまでの経験から,2016年以降に生じている乖離は,今後,国際収支統計が修正される過程で外貨準備増減に合わせる方向で解消されていくものと推察される。

図8 ブレント原油価格と為替レート

(出所)  ブレント原油価格は米国エネルギー情報局(Energy Information Administration: EIA)ウェブサイト,為替レートは BNM ウェブサイトを参照して筆者作成。

- 75 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 15: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

図9 国際収支(100 万リンギ)

(出所) 図 5 と同じ。

図 10 経常収支(100 万リンギ)

(出所) 図 5 と同じ。

- 76 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 16: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

図 11 金融収支(100 万リンギ)

(出所) 図 5 と同じ。

図 12 ポートフォリオ投資(100 万リンギ)

(出所) 図 5 と同じ。

- 77 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 17: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

図 13 直接投資(100 万リンギ)

(出所) 図 5 と同じ。

図 14 クアラルンプール株式市場の時価総額・株価指数・外国人保有比率

(出所) 図 5 と同じ。(注) 外国人保有比率は年末値(2018 年は 6 月末値)。

- 78 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 18: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

図 15 株式市場における内外投資家の動向

(出所) MDIF Research, Weekly Fund Flow 各号および Factiva に基づき筆者作成。

図 16 連邦政府債務:保有者別(100 万リンギ)

(出所) 図 5 と同じ。

- 79 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 19: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

図 17 非居住者によるリンギ建て債券保有(100 万リンギ)

(出所) 図 5 と同じ。

図 18 外貨準備と為替レート

(出所) BNM ウェブサイトに基づき筆者作成。

- 80 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 20: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

図 20 NDF と先物為替レートの差(1 カ月物)

(出所)  NDF レートは Bloomberg,先物為替レートは Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin 各号およびFRB ウェブサイトに基づいて筆者算出。

(注) 金利差は KLIBOR から米ドルの銀行間金利(LIBOR)を引いた値である。

図 19 外貨準備残高の適正性

(出所) 図 5 と同じ。(注)  短期海外借入は残存期間 1 年以内の対外債務。外貨準備高 / 輸入については,当該四半期まで

の 4 四半期(12 カ月)分の輸入額で除したうえで 12 を乗じ,輸入月数に換算している。ここでは SNA ベースの財サービス輸入額を用いている。

- 81 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 21: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

Ⅳ-3.世界金融危機・緩和マネー流入期(2008年第 3 四半期~2013 年第 2 四半期)

 リーマン・ショックからバーナンキ発言までの第 1 期は米国の大規模な金融緩和によって特徴づけられる。当初の混乱期にはマレーシアからの資本流出も観察されたが,この期間は基本的には世界的な金融緩和によって生み出された緩和マネーが流入してくる時期であった。 前項で論じたとおり,第 1 期の特徴のひとつは経常収支黒字の縮小であった。2008 年第 3四半期に 399 億 8200 万リンギあった経常黒字は,2013 年第 2 四半期には 9 億 7800 万リンギにまで縮小している(図 10)。縮小した経常黒字の 87.5% は財貿易収支の縮小に起因しており,7.0% が第一次所得収支,5.5% がサービス収支によるものである。財貿易収支に関しては,輸出も輸入も金額的には増加しているものの,輸入の増加率の方が高くなっていることの結果である。第一次所得収支は対外ポートフォリオ投資から得られる利子 ・ 配当金から対内ポートフォリオ投資に対して支払う利子・配当金の差額であり,マレーシアではこの項目が純流出を続けており,その金額は拡大傾向にある。サービス収支はこの期間中に黒字から赤字に転じている。その要因は主に輸送業および建設業におけるサービス輸入の増加にある。経済統合の進展とともに周辺諸国との連結性が強化されるなかで,物流や人流を支える輸送サービスを相対的に外国に依存し,また,インフラ開発や都市開発においても外国の開発業者が大きな役割を担っていることを示唆しているといえよう。なお,第二次所得収支はこの期間,ほとんど変化していない。 2007 年半ばに住宅価格が下落に転じたことへの FRB の最初の対応は,2007 年 9 月 18 日に政策金利である TFFR を 5.25% から 4.75%へと 50 ポイント引き下げたことである(図7)。リーマン・ブラザーズが経営破綻した2008 年 9 月時点での TFFR は 2.00% であったが,翌 10 月の 8 日,29 日には立て続けに 50ポ イ ン ト 引 き 下 げ ら れ,12 月 16 日 に は

0~0.25% という目標レンジが設定され,事実上のゼロ金利政策が始まった。2007 年 1 月のTFFR は 5.25% であり,マレーシアの政策金利である OPR の 3.50% を 175 ポイント上回る水準にあった。FRB の矢継ぎ早な金利引き下げは,TFFR と OPR の逆転をもたらした。FRB の利下げ開始前の 2007 年 8 月から 2008年 4 月までの期間にリンギの対米ドル為替レートは 3.50 から 3.16 へと約 10% 増価した。この時期の急激な資本流入に際して,BNM は大規模な外貨為替市場介入を行い,その結果,2007年 1 月末には 795 億ドルであった外貨準備が2008 年 6 月末には 1200 億ドルへと 50.9% 増加した(図 18 および Aziz 2013,p. 217)。 米国でサブプライム・ローン問題が顕在化してきたこの時期,リンギの買持ちポジションが急速に積み上がっており,マレーシアへの資本流入を背景にリンギへの需要が高まっていることが分かる(図 6)。また,この資本流入は米国のTFFR の引き下げが本格化するよりも前に始まっている(図 7)。2008 年前半までは「成長期待と高金利から新興国資産が人気を博し,新興国通貨は上昇トレンドを辿」(棚瀬 2015,p. 202)り,その牽引役であった中国と同日に管理変動相場制へと移行したマレーシアもその流れに乗っていた。 2008 年後半に入ると,まず高騰を続けてきた原油価格が 7 月に急落し(図 8),9 月のリーマン・ショック,12 月には米国 FRB が事実上のゼロ金利政策を採用するなど,国際経済環境が大きく変化した。このように不確実性が高まるなかで 2008 年末から 2009 年前半にかけては買持ポジションが解消されるとともにリンギは減価したが,マレーシア経済の V 字回復を受けてマレーシアへの資本流入が本格化し,再び買持ポジションが積み上げられ,増価トレンドを回復した(図 6)。 2008 年 10 月の TFFR 引き下げを受けて,BNM は 11 月に OPR を 3.25% へと引き下げ,さらに 12 月に FRB がゼロ金利政策を採用した翌月 2009 年 1 月には 2.50%,2 月には 2.00%

- 82 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 22: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

まで引き下げた(図 7)。一連の OPR 引き下げによりリンギ売りの圧力が高まったため BNMはリンギ買い介入を行い,2008 年 6 月末に1200 億ドルあった外貨準備は 2009 年 4 月には819 億ドルにまで 31.8% 減少した(図 18,Aziz 2013,p. 217)。この介入に加えて,2009 年 2月時点で KLIBOR が EFFR を 180 ポイント前後上回るという状態になっていたこともあり(図 7),リンギは増価に転じ,2011 年 7 月までの間に 20.0% 増価している(図 6)。この間,マレーシア経済は世界金融危機による 2009 年のマイナス成長からの V 字回復を見せており,国内物価も上昇し始めていたため(図 5),BNM は 2010 年 3 月には OPR を 25 ポイント,その後も段階的に引き上げ,2011 年 5 月までに 3.00% にまで戻している12)。その結果,ゼロ金利政策を続ける米国とのスプレッドは 280 ポイント前後にまで広がった(図 7)。 金融収支の動向を見ると,2008 年後半には急速かつ大幅な資本流出が生じたことが分かる(図 11)。2008 年の第 2 四半期にはポートフォリオ投資の負債項目,すなわち対内ポートフォリオ投資が減少に転じている(図 12)。これは,マレーシアの株式市場,債券市場からの資本流出を意味している。2007 年末のクアラルンプール株式市場(Kuala Lumpur Stock Exchange: KLSE)の時価総額は 1 兆 1062 億リンギ,対外資産負債残高統計(International Investment Position: IIP)によると外国人による株式保有残高は 2254億リンギであるので,外国人による株式保有比率は 20.4% ということになる(図 14)。世界金融危機の影響で KLSE 時価総額は 2008 年末までに 6638 億リンギへと急減し,外国人保有比率も14.4% へと低下している。また,2008 年第 1 四半期末時点で,広義の国債の発行残高は 2568 億4200 万リンギであり,そのうちの 17.9% を外国人がマレーシア国債(Malaysia Government

Securities: MGS),財務省証券(Treasury Bill: TB),マ レ ー シ ア 政 府 投 資 債 券(Malaysia Government Investment Issues: MGII)という形で保有していた(図 16)13)。この比率も 2008年第 3 四半期以降低下し,2009 年第 2 四半期末には 9.0% にまで低下している。この時期に株式市場からは 1295 億リンギ,国債市場からは 172億リンギが流出しているということになるが,これは 2008 年第 2 四半期から 2009 年第 2 四半期に減少したポートフォリオ投資の負債項目の1134 億リンギにおおむね相当しているといえよう。 2009 年半ば以降,ポートフォリオ投資が流入に転じ,リンギは増価トレンドに入った(図 12および図 6)。しかし,2010 年半ばまでの約 1年間は外貨準備に大きな動きは見られず,この時期の外国為替市場への介入は限定的であったものと推察される(図 18)。2010 年 7 月に入るとリンギは 2008 年の高値を超えてなお増価を続けていた。ここで BNM は再びドル買い介入をして更なる増価に歯止めをかけたものとみられる。その結果,2010 年 8 月末に 851 億ドルであった外貨準備は,2011 年 5 月末までに 1206 億ドルにまで増加した(図 18)。 2010 年後半から 2011 年にかけての外貨準備の増加は,主に金融収支の動きで説明することができる(図 9)。さらに金融収支の内訳をみると,その主な変動要因がポートフォリオ投資であることが分かる(図 11)。さらにポートフォリオ投資の内訳をみると,資産の変動ではなく,負債,すなわち対内ポートフォリオ投資の増加がこの時期の外貨準備増の要因であることが読み取れる(図 12)。2011 年後半に一時的な流出はあったもののポートフォリオ投資の流入トレンドは続き,2009 年第 4 四半期から 2013 年第 2 四半期までの累計流入額は 2614 億 1700 万リンギにのぼった(図 12)。

12 )BNM, Monetary Policy Statement, 4 March 2010.13 )MGS は通常の国債であり,MGII はイスラム債として発行される国債である。MGII の定義,MGS との類

似点や相違点などは BNM(2012)を参照。

- 83 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 23: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

 この多額の資本は,マレーシアのどこに流入したのであろうか。リーマン・ショック以前の水準には回復していないものの,株式市場における外国人保有比率は 2010 年以降増加に転じている(図 14)。他方,広義国債の外国人保有比率は 2009 年第 2 四半期末の 9.0%を底に急激に上昇し,2013 年第 1 四半期末には 28.5% になっている(図 16)。リーマン・ショック後の最低値からバーナンキ発言直前までの外国人の株式保有額,広義国債保有額の増加はそれぞれ 1519 億ドル(2012 年 末 ま で),1116 億 8000 万 リ ン ギ(2013 年第 1 四半期末まで)となっている(図14 と図 17)。2008 年末から 2102 年末までに株価,クアラルンプール総合指数(Kuala Lumpur Composite Index: KLCI)が 92.6% 上昇していることを考慮すると,新規の株式市場への流入額は 700~800 億ドル程度であると推察される。したがって,リーマン・ショック後の資本流出は主に株式市場からのものであり,マレーシアが V字回復を見せた 2009 年以降に加速した資本流入は,より低リスクと考えられる国債への選好を高めていたということができる。

Ⅳ-4.テーパー・タントラム期(2013 年第 2四半期~2014 年第 3 四半期)

 第 2 期は,量的金融緩和の終了を示唆したバーナンキ発言から実際に QE3 が終了した2014 年 10 月までの時期である。バーナンキ発言があった 2013 年 5 月を契機にリンギの為替レート動向に変化が生じている。2013 年 5 月 8日に 2.9643 MYR/USD という高値を付けた為替レートは,バーナンキ発言直前の 5 月 22 日(マレーシア時間)には 3.0221 MYR/USD であった。翌 23 日からリンギの下落が始まり,5月 末 に は 3.0991MYR/USD(5 月 22 日 比 で2.5% の減価),8 月 28 日には 3.3343MYR/USD(同 10.3%)となった。また,高値安定していた原油価格が 2014 年 8 月に急落に転じたこともマレーシアには大きな影響を及ぼした。実際にリンギの為替レートは 2014 年 8 月末の 3.157 MYR/USD を高値として減価に転じている

(図 8)。すなわち,すでに出口戦略が市場に織り込まれていた QE3 の終了よりも原油価格下落の方が為替レートへの影響は大きかったと推察される。 2013 年 5 月のバーナンキ発言の後,マレーシアからの資本流出は実際に拡大した。金融収支は,2013 年第 2 四半期には 43 億 9700 万リンギの純流入であったが,第 3 四半期には 156億 8500 万リンギの純流出となり,2014 年第 1四半期にはその流出幅は 380 億 3800 万リンギにまで拡大している(図 9)。この間の資本流出は,対内ポートフォリオ投資だけでなく,直接投資および「その他金融収支」においても生じている点が特徴的である(図 11)。この時期の直接投資の流出は,マレーシアの対外 FDIが増加したためであり,対内 FDI の引き揚げによるものではない(図 13)。 2013 年 8 月中旬から 2014 年 3 月中旬までの約 7 か月の間,クアラルンプール証券取引所(KLSE)における外国人投資家の取引は 172億 3760 万リンギの売り越しとなっている(図15)。これら株式は主にマレーシア国内の機関投資家が購入しており,株価は緩やかながらむしろ上昇している。

Ⅳ-5.緩和マネー逆流期(2014 年第 3 四半期~2016 年第 4 四半期)

 第 3 期は原油価格の急落や QE3 終了など,外部経済環境が大きく変化するなかで,それ以前に流入した緩和マネーが流出していく時期である。さらに,2014 年 11 月には 1MDB の巨額債務と赤字決算が明らかになり,翌 2015 年7 月にはナジブ首相の不正蓄財疑惑が報じられるなど,マレーシア国内の情勢悪化も資本流出を加速させる要因となった。 2014 年後半以降,リンギは大幅に減価した。2014 年 8 月末の 3.157 MYR/USD から 2015 年9 月末の 4.4455 MYR/USD までの下落率は40.8% にのぼる。この急激な減価は,米国の金融政策というよりも,原油価格下落によるものと考えられる(図 8)。この時期,ブレント原

- 84 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 24: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

油価格の急落によりリンギ売り圧力が強まったため,BNM は大規模なリンギ買い介入を行っている14)。2014 年 12 月半ばには 1151 億ドルであった外貨準備は,2015 年 8 月半ばまでに859 億ドルにまで減少している(図 18)。その結果,外貨準備に対する短期海外借入の比率は急上昇し,外貨準備により賄える輸入月数は約2 か月分低下している(図 19)。 ポートフォリオ投資の流出は,2014 年後半から 2015 年にかけてさらに本格化していく(図12)。ポートフォリオ投資の負債項目でみると,2014 年第 1 四半期からの 5 四半期の間に 506 億7500 万リンギが流出している(図 12)。株式市場からの外国資本の純流出は 2014 年 9 月 5 日から 2016 年 1 月 22 日までの累計値で 269 億 2280万リンギとなっており,この間に株価(KLCI)も 13.0%低下している(図 15)。しかし,国債に関しては,外国人による保有が金額的にも比率的にも上昇している。2014 年第 2 四半期末の外国人による国債保有額は 1548 億 8900 万リンギであり,保有比率は 28.0%であった。これが,2016 年第 3 四半期末までに 2117 億 5900 万リンギ,34.0%へと増加している(図 16)。 この時期,BNM は,オフショア市場における ノ ン デ リ バ ラ ブ ル・ フ ォ ワ ー ド(Non-Deliverable Forward: NDF)を通じたリンギの投機的取引に利用されていた短期中銀債の流通量を大幅に減少させている。イブラヒムBNM 総裁によると「一時期,短期中銀債の96 % を 非 居 住 者 金 融 機 関(Non-Resident Financial Institution: NRFI)が保有して」おり,その利回りが政策金利を下回る傾向が続いていたことから,投機目的の保有が広まっていると判断したという15)。2014 年 11 月末時点での中銀債(Bank Negara Bills and Bonds)の

発行残高は 1210 億 1960 万リンギに上っており,BNM の負債総額の 27.8%を占めていた。そ れ が 2015 年 末 に は 241 億 1380 万 リ ン ギ(5.5 %),2016 年 末 に は 86 億 210 万 リ ン ギ(1.9%)にまで縮小されている16)。 すなわち,この時期には株式市場からの資本流出は観察されるが,中銀債については BNMが発行残高を減少させた結果として資本流出が生じたものであり,国債については資本流入が続いていたのである。

Ⅳ-6.安定回復期(2016 年第 4 四半期~2018 年第 2 四半期)

 しかし,2016 年第 4 四半期に入ると,国債市場からも外国資本が流出することになる。2016 年 11 月,米大統領選挙におけるドナルド・トランプ氏の勝利は,リンギ相場にも少なからぬ影響を及ぼした。選挙キャンペーン中のトランプ氏の発言から,大統領就任後にインフラ開発の加速や減税等,インフレを引き起こしかねない拡張的な財政政策が実施されると見込まれた。そうなれば FRB が金利を引き上げ,米国への資金還流が本格化するとの観測が広がり,マレーシアからの資本流出,リンギ売りも加速した(図 6)。この流れに対しても BNM は外国為替市場に介入し,リンギを買い支えた17)。 2016 年 11 月 18 日,ムハンマド・イブラヒム BNM 総裁は「金融市場とリンギ:我々の進む道」と題した講演を行った。同講演において,2015 年以降の国際情勢の悪化,原油価格下落,1MDB 問題による国内情勢の不安定化などを受けて,BNM が外国為替市場に介入してきたことが表明された。その結果,リンギは減価しながらも安定を回復したが,外貨準備の減少,外国為替市場の流動性の低下とボラティリティ

14 )Muhammad bin Ibrahim, “Financial markets and the ringgit: Our Journey Forward,” BIS Central Bankers’ Speech, 18 November 2016.

15 )Muhammad bin Ibrahim, “Financial markets and the ringgit: Our Journey Forward,” BIS Central Bankers’ Speech, 18 November 2016.

16 )BNM, Monthly Statistical Bulletin, August 2018 による。なお,ここには中長期の中銀債も含まれる。17 )“Bank Negara confirms intervention to halt ringgit fall,” New Straits Times, 18 November 2016.

- 85 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 25: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

の上昇などがもたらされた。また,その過程で,マレーシア国内の外国為替市場が,オフショア市場における NDF 取引の影響を強く受けていることが明らかになったと主張している。 BNM の観測によれば,オンショア外国為替市場の参加者が,スポットレートの決定において NDF 市場の動向を参考にするようになっていたという。また,一日の取引時間のなかでも値決め時間(fixing time)直前にボラティリティの異常な上昇が観察されるようになったことも,NDF 取引が影響している証左とみなされている。もともと実物取引の裏付けに乏しいオフショア NDF 市場で決定された為替レートがオンショアのスポットレートに影響するようになると,ファンダメンタルズからの乖離が深刻になると考えられた。さらに,非国際通貨であるリンギのオフショア取引はマレーシアの外国為替管理規則に反する行為であり,BNM は同規則の実効性を高める必要があると考えるようになった。なお,この規則自体はアジア通貨危機への対応として導入されて以降,撤廃されることなく残っていたものである。 BNM は 2014 年以降に進めてきた中銀債流通量の大幅削減に加えて,2015 年に入ると,オフショア市場の NDF レートからオンショア市場への影響をさらに効果的に遮断するために,貿易取引の裏付けのない非居住者金融機関に対してスポットレートを値付けすることを禁じた。「この措置により,オフショア市場における NDF 取引のリスクをオンショア市場でヘッジすることが困難になり,NDF 関連の資本の流れを減じることができた」18)。2016 年央には,オンショア市場におけるリンギの値付け(fixing)を改善するために,取引データに基づいて決定される米ドル・リンギ取引に関するクアラルンプール参照レートが用いられるようになっている。さらにイブラヒム総裁は,中小企業などの居住者が,国内銀行との間でより自

由にかつ直接的にヘッジ取引を行うことができる よ う に す る た め に, ① 米 ド ル / リ ン ギ(USD/MYR),オフショア人民元/リンギ(CNH/MYR)取引に関する規制緩和,②オンショア市場で,米ドルとオフショア人民元の先物取引の導入,③外国為替管理規制のコンプライアンス向上,などを進めると発表した。これらの措置は,2016 年 12 月 2 日の FMC 声明により正式に導入された。 このように,2016 年 11 月以降に BNM が導入した措置は,アジア通貨危機の際に資本規制と固定相場制を導入した同国の経験と同様に,非正統的(unorthodox)なものを含んでいる。具体的には,オフショア市場におけるリンギ取引の制限,輸出収入の 75%のリンギへの両替義務付けなどである。これに対して,IMF4 条協議の報告書では,BNM が費用と便益を踏まえてその効果を監視していくことを強く要請している(IMF 2017, pp. 2-3)。図 20 は,マレーシアと米国の 1カ月物銀行間金利の差と NDF と先物為替レートの差を示している。米国の金融緩和により,両国の金利が逆転して以降,リンギの対米ドルNDF レートは先物為替レートより安値圏で推移している。本稿の時期区分における第 3 期,すなわち緩和マネーの逆流が始まった 2014 年第 3四半期頃に NDF と先物為替レートの差が拡大し,また,そのボラティリティも高まっている。BNM がオフショア市場におけるリンギの NDF取引規制強化に乗り出した 2016 年末ごろを境に,NDF と先物為替レートの差は縮小に向かっており,ボラティリティも低下していることから,同措置には一定の効果があったものと考えられる。ただし,2018 年に入ってからこの差は再び拡大傾向にあるため,今後も推移を注視していく必要がある。 BNM の外国為替市場,債券市場改革は 2017年に入っても継続されている。そのなかには自由化や柔軟化措置も含まれており,IMF も歓迎の

18 )Muhammad bin Ibrahim, “Financial markets and the ringgit: Our Journey Forward,” BIS Central Bankers’ Speech, 18 November 2016.

- 86 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 26: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

意を表している部分もある(IMF 2018)。Shafiq and Ariff (2018)は BNM 季報に掲載された記事であり,BNM の立場,主張をある程度反映しているとみなすことができる。そこでは,一連のFMC 措置が当初は「反市場的であり破壊的(anti-market forces and disruptive)」と認識されたことを認めつつ,BNM が国民や金融市場参加者と密接なコミュニケーションをとってきた結果,マレーシアの金融市場の安定化に寄与するようになってきていると論じている。さらにShafiq and Ariff (2018)は,同様の現象によってもたらされる影響は各国の特性によって異なるので,政策的対応も各国独自のものが立案され,実施されるべきだという主張を展開している19)。 しかし,NDF 取引規制の強化および外国為替管理の厳格化措置に対する市場の反応は,急激な資本流出となって表れた。ポートフォリオ投資の負債項目でみると,2016 年第 4 四半期か ら 2017 年 第 1 四 半 期 の 半 年 間 で,462 億5000 万リンギが流出している(図 12)。国債市場からの外国資本の流出が著しく,外国人による国債保有額および保有率は,2016 年第 3 四半期末の 2117 億 5900 万リンギ(34.0%)から2017 年第 1 四半期末の 1567 億 1900 万リンギ(24.4%)へと大きく低下した。しかし,この資本流出は長くは続かなかった。2017 年第 2四半期以降は外国人による国債保有が増加に転じ,2018 年第 1 四半期末までに保有額は 1896億 6000 万リンギ,保有率にして 27.7%にまで回復した(図 16)。2017 年第 2 四半期からの 1年間で,ポートフォリオ投資の負債項目によれば 353 億 6800 万リンギの資本流入をとなっており,それ以前の半年間の流出額(462 億 5000万リンギ)の大半が戻ってきたということにな

る(図 12)。 株式市場における外国投資家の反応は,国債市場よりも穏やかなものであった。2016 年第 4四半期から 2017 年第 1 四半期にかけての売買額に大きな変動はなく,大きな売り越しも買い越しもないおおむねスクエアなポジションをとっていた。むしろ,2017 年の 2 月中旬以降は 18 週連続の買い越しとなっており,その間の買越額の合計は 100 億 7522 万リンギにのぼる(図 15)。国債市場における外国人保有比率が元の水準に戻っていないことを踏まえると,国債市場から流出した資本の一部が株式市場に流入したとも考えられる。 結果的に大規模な資本流出を招くことはなかったが,為替レートには減価圧力がかかり続けている。米大統領選直前の 2016 年 11 月 8 日(マレーシア時間)の時点ですでに 4.2015 MYR/USD という安値圏にあったリンギは,同 18 日のイブラヒム BNM 総裁演説,12 月 2日の FMC 措置導入などを経て減価を続け,2017 年 1 月 4 日には 4.4985 MYR/USD という最安値を付けるにいたった。その後為替レートは増価に転じたが,リンギの売持ポジションは2016 年 10 月末の 28 億 1800 万米ドルから拡大を続け,2017 年 4 月末には 191 億 800 万米ドルと急増なっている(図 6)。 2017 年 4 月 13 日,BNM は「金融卸売市場における債券空売り管理(Regulated Short-Selling of Securities in the Wholesale Money Market)」と題した政策文書を発表した20)。従来,額面金額残高 20 億リンギ以上のマレーシア国債(MGS)のみに認められてきた空売りを,同条件のマレーシア政府投資債(MGII)についても認めることとされた。同じ満期の利

19 )2016 年 5 月 23 日の FMC 設置に先立つ 4 月末,2000 年以降 BNM 総裁を務めてきた Zeti Akhtar Aziz が任期満了に伴い退任した。その数日前に発表された後任の総裁は,BNM 副総裁を務めていた Muhammad Ibrahim であった。1MDB 問題によりナジブ首相との対立が取り沙汰されていた後任総裁が(ナジブ首相に近い財務次官ではなく)BNM 生え抜きのイブラヒム氏であったことはマレーシアの金融市場関係者に安心感をもたらした(「マレーシア,中銀総裁決定で通貨安一服」『日本経済新聞』2016 年 5 月 6 日)。

20 )“Regulated Short-Selling of Securities in the Wholesale Money Market,” Bank Negara Malaysia, 13 April 2017, BNM/RH/PD 028-42. 発効日は 2017 年 5 月 2 日。

- 87 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 27: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

回りを比較すると,MGII の方が常に MGS を上回っており,両国債間の裁定が働いていなかった。この改正の目的は,利回りの差を縮小させ,国債流通市場の活性化につなげることにある。外国人による MGII 保有も少しずつ増加しており(図 16),このような資本市場の効率化に資する措置を積み上げていくことも重要であろう。

Ⅳ-7.混乱・調整期(2018 年第 2 四半期以降) 2018 年 5 月 9 日,連邦議会下院選挙において マ ハ テ ィ ー ル 元 首 相 が 率 い る 希 望 連 盟(Pakatan Harapan: PH)が勝利し,マレーシア史上初の政権交代が実現された。政権交代の環境は熟しつつあったとはいえ,やはり史上初の政権交代は大きな政治的サプライズであったといえる。ナジブ政権下では進まなかった1MDB 問題の捜査が本格化し,ナジブ前首相は7 月 3 日に逮捕され,背任罪,権力乱用などの罪状で起訴されている。事態は収束に向かいつ

つあるが,全容の解明,正常化までにはまだ時間を要するといえよう。 株式市場からも国債市場からも資本流出が進み,為替先物市場でも売持ポジションが拡大するとともに,直物市場でも減価傾向が続いている。選挙期間中の公約に基づいて 6 月 1 日には物 品 サ ー ビ ス 税(Goods and Serivises Tax: GST)が廃止され,9 月 1 日に売上税・サービス税(Sales and Services Tax: SST)が導入された。マハティール首相は財政再建の取り組みを本格化しており,採算性に問題があると考えられるインフラ投資案件の中止や延期を進めている。中国と蜜月関係にあったナジブ前首相のもとで,一帯一路(Bridge and Road Initiative: BRI)案件として進められてきた東海岸鉄道(East Coast Rail Link: ECRL)建設事業を「国益にそぐわない」という理由で中止したことも象徴的である。これらはいずれもマハティール首相が進める新機軸であり,その影響については今後注視していく必要がある。

Ⅴ.結語

 世界金融危機の震源地となった米国では,事実上のゼロ金利政策や 3 次にわたる量的緩和といった大規模な金融緩和が行われ,その流れは他の先進諸国にも広がった。その時期に多くの資本がマレーシアを含む新興国に流入しており,2013 年 5 月のバーナンキ発言以降,米国の金融緩和が終了していくにしたがって,その緩和マネーの逆流が始まり,マレーシアの通貨リンギへの下落圧力が高まった。2014 年以降の 原 油 価 格 の 下 落,2015 年 央 に 発 覚 し た1MDB 問題,その結果としての政権交代などもリンギの減価に拍車をかけた。 Frankel and Wei (2008)のモデルを用いてASEAN 諸国の為替レート動向を分 析したKlyuev and Dao (2016)は,2005 年 7 月に米ド

ル・ペッグから離脱したリンギの為替レートは,特に世界金融危機以降,米ドルとの連動性を低下させてはいるものの「変動相場制とは程遠い」という評価を下している。マレーシアの為替レート制度は公式(de jure arrangement)には管理変動相場制であり続けているが,近年では徐々に外国為替市場への介入を弱めており,IMF はマレーシアの事実上の為替レート制度(de facto arrangement)を 2016 年 9 月 26 日付けで変動相場制(floating)に変更している(IMF 2018)。 長期的にみると,アジア通貨危機以降のマレーシアは,経常収支黒字を積み重ねることにより,外貨準備を順調に積み増してきた。固定相場制と資本規制を導入する直前の 1998 年 8

- 88 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―

Page 28: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

月末の外貨準備は 578 億 7890 万リンギであったが,それ以降はほぼ継続的に増加を続け,2008 年 6 月末には 4108 億 7200 万リンギと,7倍以上になっている。外貨準備残高が輸入何か月分に相当するかを見た指標では,2013 年末までは約 8 カ月分という規模であったが,それ以降低下が続いており 2017 年末には 6 カ月分を下回っている(図 19)。また,短期海外借入の 外 貨 準 備 に 対 す る 比 率 は 2012 年 末 に は21.6% であったが,その後急速に上昇しており,2018 年第 2 四半期末には 69.1% となっている。いまだに経常収支は黒字を維持しており,一定の規模の外貨準備残高を有してはいるが,近年の傾向が継続すれば今後,経済の安定を揺るがすことにもなりかねない。 外国人による国債保有比率は,2008 年 3 月末から 2009 年 6 月末の 15 か月間に,17.9%から 9.0%へと低下した(図 16)。その後,外国人国債保有比率は上昇を続け,2013 年 3 月末には 28.5%にまで上昇したが,2013 年 5 月のバーナンキ・ショックを挟んで,2013 年 9 月末までの半年間に 25.8%まで低下した。再び上昇した外国人保有比率は 2016 年 9 月末には34.0%に達したが,2016 年 12 月に FMC 主導で導入された一連の資本規制により反転し,2016 年 9 月末~2017 年 3 月末までの半年間に外国人による国債保有額が 26.0%と大きく減少,外国人保有比率も 24.4%まで急低下した。外 国 人 保 有 減 少 の 内 訳 は,MGS が 1813 億9300 万リンギから 1358 億 5600 万リンギへと25.1%,MGII が 268 億 6700 万リンギから 198億 1400 万リンギへと 26.3%,TB は 35 億リンギから 10 億 4900 万リンギへと 70.0%の減少となっている。それ以降,外国人保有比率は再び上昇して 2017 年末には 28.0%にまで回復したが,政権交代後の 2018 年第 2 四半期末には23.8%にまで低下している(図 16)21)。

 2018 年 8 月 10 日のトルコ・リラ・ショックを受けて,BNM は同月 17 日に外国為替管理の見直しを発表し,即時発効させた。その内容は,① 6 カ月以内の外貨建て債務がある輸出企業は,輸出によって稼得した外貨の 25% 以上を外貨のまま保有することができる,②居住者による為替リスクヘッジの緩和(6 カ月以上の外貨建て債務をヘッジ可能に),③非居住者企業によるリンギ建て金利デリバティブ取引規制の緩和,などであり,国内金融市場のさらなる効率化を目指している。新興国をめぐる国際資本移動の動向は依然として不安定な状況にあるが,マレーシアはオンショア金融市場の安定化や効率化を目指す制度改革を推進することで,直接的に外国為替市場に介入する必要性を低下させようとしていると考えられる。 BNM は,政策金利や預金準備率の変更などの通常の金融政策により一連の事態に対応すると同時に,必要に応じて外国為替市場に介入して通貨リンギの変動を緩和してきた。2016 年末にはオフショア市場におけるリンギの投機的取引を実効的に規制すべく市場に圧力をかけると同時に,オンショア市場の安定化や効率化を目的とした追加的な資本取引規制を含む金融制度改革を進めている。その結果,一時はさらなる資本流出が生じたものの,国際資本移動や為替レートの動向は安定化の兆しを見せている。しかし 2018 年 5 月の政権交代後,リンギの減価と資本流出が進んでいることは懸念材料である。

21 )2016 年の資本規制の影響でマレーシア国債を売った外国人投資家がその後マレーシアに戻ってきている動きについては,例えば“Malaysia slowly winning battle against FX speculators,” Reuters, 1 June 2017 などが,資本規制が奏功したという文脈で報じている。“Malaysia’s Currency Crackdown is Hitting Speculators,” MIST News, 29 March 2017 もあわせて参照。

- 89 -

〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 31 年第2号(通巻第 137 号)2019 年3月〉

Page 29: 世界金融危機後のマレーシア経済...図1 実質GDP成長率とインフレ率(%) (出所) Bank Negara Malaysia, Monthly Statistical Bulletin各号に基づき筆者作成。-

参 考 文 献

Aziz, Norzila Abdul (2013). “Foreign Exchange Intervention in Malaysia,” Market Volatility and Foreign Exchange Intervention in EMEs: What has Changed?, BIS Papers No. 73, pp. 215-222.

Bank Negara Malaysia (BNM). Annual Report, various issues.

 ―――(1999). Money and Banking in Malaysia, 4th ed., Kuala Lumpur: BNM.

 ―――(2012). Frequently Asked Question (FAQ): Government Investment Issue (GII).

Frankel, Jeffrey, and Shang-Jin Wei (2008). “Estimation of De Facto Exchange Rate

Regimes: Synthesis of the Techniques for Inferring Flexibility and Basket Weights,” IMF Staff Papers, Vol. 55, No. 3, pp. 384-416.

International Monetary Fund (IMF) (2016). ASEAN-5 Cluster Report: Evolution of Monetary Policy Frameworks, IMF Country Report No. 16/176.

 ―――(2017). Malaysia: Staff Report for the 2017 Article IV Consultation, IMF Country Report No. 17/101, April 2017.

 ―――(2018). Annual Report on Exchange Arrangements and Exchange Restrictions 2017, Washington, D.C.: IMF.

Klyuev, Vladimir and To-Nhu Dao (2016). “Evolution of Exchange Rate Behavior in

the ASEAN-5 Countries,” IMF Working Paper, WP/16/165.

Shafiq, Syed Akmal, and Tengku Muhammad Azlan Ariff (2018), “Unorthodox Measures for Unconventional Times,” BNM Quarterly

Bulletin, 4th Quarter 2017, pp. 31-35.Sun, Tao (2015). The Impact of Global

Liquidity on Financial Landscape and Risks in the ASEAN-5 Countries, IMF Working Paper WP/15/211, September 2015.

荒巻健二(2018).『金融グローバル化のリスク:市場の不安定性にどう対処すべきか』日本経済新聞出版社。

梅﨑 創(2003).「通貨危機以前のマレーシアにおける金融・為替レート政策」,三尾寿幸編『金融政策レジームと通貨危機:開発途上国の経験と課題』研究双書 No. 535,アジア経済研究所,93-134 頁。

熊谷 聡(2018).「ポスト・マハティール期の経済概観:高所得国入り目前も構造改革に遅れ」,中村正志・熊谷聡編著『ポスト・マハティール時代のマレーシア:政治と経済はどう変わったか』研究双書 No. 634,アジア経済研究所。

棚瀬順哉(2015).『グローバル通貨投資:新興国の魅力・リスクと先進国通貨』日本経済新聞出版社。

中村正志(1998).「1997 年のマレーシア:通貨危機による軌道修正」『アジア動向年報 1998』アジア経済研究所,334-360 頁。

 ――――(1999).「1998 年のマレーシア:副首相解任により政府批判が高揚」『アジア動向年報 1999』アジア経済研究所,316-342 頁。

 ――――(2009).「2008 年のマレーシア:総選挙で野党が躍進,首相退任へ」『アジア動向年報 2009』アジア経済研究所,311-340 頁。

  ――――・ 梅 﨑 創(2006).「2005 年 の マレーシア:構造改革への長い道程」 『アジア動向年報 2006』アジア経済研究所,342-372 頁。

- 90 -

世界金融危機後のマレーシア経済―国際資本移動・為替レートの動向と政策対応―