生命とはなにか? - senshu-u.ac.jpthj0776/kogi/lecture_2009/l06.pdf · 2009-12-10 ·...

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自然科学論、科学史 後期第6生命とはなにか? 物理学からみた、生物学に対するシュレディンガーの考察 科学の進歩により、生命の定義を決めることが難しくなっている。その理由の一つとして、分子生物学 のように、ミクロの観点から生物を研究できるようになったことが挙げられる。例えば、電子顕微鏡に よる生体の微小構造の観察や、DNAを利用した遺伝の研究などである。「小さいこと」と「大きいこ と」は、実は生物の存在に関して非常に大切な要素である。量子力学を創始したシュレディンガーの考 察を中心に、「生命とはなにか」について考察する。 5-1:生命とは何か? 生体を切り刻んで行くと、分解された構成部分が見えるようになる。そのうち、最初に見えるのが、細 胞である。小中学校では、「細胞が生命の最小単位である」、と教えている。しかし、高校になると、 細胞はさらに小さな部分が寄せ集まって構成されていることが示される。ミトコンドリアや小胞体、細 胞核などである。特に、細胞核の中には染色体という、生命の遺伝子を担うものが入っていることを習 う。大学に入り、現代の生物学の最先端である「分子生物学」を習うころになると、染色体はさらに細 かい構造をもっており、それはDNAという高分子が絡み合ったものである事などを教わる。 細胞は、呼吸もするし、栄養物を摂取しては、不要な老廃物を排出する。これ一つの中で、生命活動に 関する最小限のことが全て行われている。この事実こそが、小中学校で、「細胞は生命の最小単位」で あると習った理由である。したがって、細胞一つといえども、「これは生命だ」と多くの人は感じるは ずである。しかし、DNAの所までくると、これはもはや化学物質にしか過ぎないのであって、とても生 物と呼べる代物ではない、と言う人も増えてくる.ただし、DNAは生物だ、と主張する人たちは、その 根拠として、DNAは生命をデザインする上で必要な情報を全て保持していることを挙げて、DNAは物 質に過ぎないと述べる人たちに対し、反論するであろう。 とはいえ、一般的にみて、より細かく切る事、すなわち、より小さな尺度の世界にいくことにより、生 命はだんだん生命らしさを失い、無機的な物質に近づいて行くように見える。このことは、生命の起源 や生命の定義に関係しているはずである。はたして、この「大きい、小さい」という事柄は、生命とは なにか、という問いに対して、何か重要な意味を持っているのであろうか? 5-2:シュレディンガーの考察 シュレディンガー(E. Schrodinger)はオーストリアの物理学者で、量子力学の創始者の一人である。19 39年、彼は、ナチスドイツに占領された祖国を離れ、イギリスを経由してアイルランドの首都ダブリ ンに亡命した。そこで、設立されたばかりのダブリン高等研究所の主任研究員に任命され、研究に没頭 する。 1943年、シュレディンガーは、彼の研究に関する一般向けの講演をするよう依頼される。そのとき に選んだのが「生命とはなにか?」というテーマであった。この講演で、彼は物理学の観点からみた生 命についての考察を発表する。翌年の1944年、この講演内容は、同名の題がつけられた本として出 版された。この本は、多くの生物学者に多大な影響を与え、分子生物学の到来を促す役割を果たした。 シュレディンガーの議論した内容は、主に次の3つである。 1. 生命が(原子に比べて)とても大きいのはなぜか? 2. 生命の進化にかかわる突然変異はどのように発生するのか? 3. 生命は負のエントロピーを摂取して、死に抗っていること。

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自然科学論、科学史 後期第6回 生命とはなにか? 物理学からみた、生物学に対するシュレディンガーの考察 科学の進歩により、生命の定義を決めることが難しくなっている。その理由の一つとして、分子生物学のように、ミクロの観点から生物を研究できるようになったことが挙げられる。例えば、電子顕微鏡による生体の微小構造の観察や、DNAを利用した遺伝の研究などである。「小さいこと」と「大きいこと」は、実は生物の存在に関して非常に大切な要素である。量子力学を創始したシュレディンガーの考察を中心に、「生命とはなにか」について考察する。

5-1:生命とは何か?

生体を切り刻んで行くと、分解された構成部分が見えるようになる。そのうち、最初に見えるのが、細胞である。小中学校では、「細胞が生命の最小単位である」、と教えている。しかし、高校になると、細胞はさらに小さな部分が寄せ集まって構成されていることが示される。ミトコンドリアや小胞体、細胞核などである。特に、細胞核の中には染色体という、生命の遺伝子を担うものが入っていることを習う。大学に入り、現代の生物学の最先端である「分子生物学」を習うころになると、染色体はさらに細かい構造をもっており、それはDNAという高分子が絡み合ったものである事などを教わる。 細胞は、呼吸もするし、栄養物を摂取しては、不要な老廃物を排出する。これ一つの中で、生命活動に関する最小限のことが全て行われている。この事実こそが、小中学校で、「細胞は生命の最小単位」であると習った理由である。したがって、細胞一つといえども、「これは生命だ」と多くの人は感じるはずである。しかし、DNAの所までくると、これはもはや化学物質にしか過ぎないのであって、とても生物と呼べる代物ではない、と言う人も増えてくる.ただし、DNAは生物だ、と主張する人たちは、その根拠として、DNAは生命をデザインする上で必要な情報を全て保持していることを挙げて、DNAは物質に過ぎないと述べる人たちに対し、反論するであろう。 とはいえ、一般的にみて、より細かく切る事、すなわち、より小さな尺度の世界にいくことにより、生命はだんだん生命らしさを失い、無機的な物質に近づいて行くように見える。このことは、生命の起源や生命の定義に関係しているはずである。はたして、この「大きい、小さい」という事柄は、生命とはなにか、という問いに対して、何か重要な意味を持っているのであろうか? 5-2:シュレディンガーの考察 シュレディンガー(E. Schrodinger)はオーストリアの物理学者で、量子力学の創始者の一人である。1939年、彼は、ナチスドイツに占領された祖国を離れ、イギリスを経由してアイルランドの首都ダブリンに亡命した。そこで、設立されたばかりのダブリン高等研究所の主任研究員に任命され、研究に没頭する。 1943年、シュレディンガーは、彼の研究に関する一般向けの講演をするよう依頼される。そのときに選んだのが「生命とはなにか?」というテーマであった。この講演で、彼は物理学の観点からみた生命についての考察を発表する。翌年の1944年、この講演内容は、同名の題がつけられた本として出版された。この本は、多くの生物学者に多大な影響を与え、分子生物学の到来を促す役割を果たした。 シュレディンガーの議論した内容は、主に次の3つである。

1. 生命が(原子に比べて)とても大きいのはなぜか? 2. 生命の進化にかかわる突然変異はどのように発生するのか? 3. 生命は負のエントロピーを摂取して、死に抗っていること。

Page 2: 生命とはなにか? - senshu-u.ac.jpthj0776/kogi/lecture_2009/L06.pdf · 2009-12-10 · 察を中心に、「生命とはなにか」について考察する。 5-1:生命とは何か?

以下で、個々の事柄について詳しく議論するが、その前に、量子力学と古典力学について復習しておく必要がある。というのは、シュレディンガーの、生命についての考察は物理学の観点からなされたからだ。 5-3:量子力学と古典力学 シュレディンガーの考察について見てみる前に、量子力学と古典力学について復習しておく必要がある。というのは、シュレディンガーの、生命についての考察は物理学の観点からなされたからだ。まずは、古典力学から見てみよう。 17世紀にイギリスのニュートン(I. Newton)が完成させた古典力学(万有引力の法則なども含まれる)は、天体の運動などの大きな物体の運動の記述に関しては、非常に精密な結果を予言、説明することができる。例えば、ニュートン力学を使って月と太陽と地球の関係を計算すれば、未来の日食や月食がいつ起きるか予言したり、あるいは過去の古い文献にしか載っていないような日食や月食の日付が正しいかどうかを計算して確かめたりすることができる。この物理学の理論は、ニュートンとドイツのライプニッツ(G. Leibniz)によって同時に発明された「微分積分」という数学手法によっても支えられ、より強固で、精密な理論になっていく。1846年に、イギリスのアダムズ(J. Adams)やフランスのルヴェリエ(U. Le Verrier)が、ニュートン方程式を計算して、当時発見されていなかった海王星を発見に導いたのは、ニュートン力学の完全なる勝利とみなされた。こうして、ニュートンの古典力学こそが、宇宙の唯一の真理である、という考えが、19世紀には広がって行った。このような考えを代表するのが、フランスの数学者ラプラス(P. S. Laplace)が、1814年に発表した随筆で述べた「ラプラスの悪魔」という概念である。 ニュートンの力学(古典力学)は、微分積分の言葉で記述された、一つの方程式(ニュートン方程式)を解くことで成り立っている。振り子の運動も、惑星の運動も、万有引力や重力に対して、ニュートン方程式を設定し、それを数学的に解く事で、関連する物理現象(振り子や天体の運動など)を理解することができる。しかし、この方程式を解く時は、初期状態についての情報が必要で、これを知らないと、得られた答えが一義的にきまらない。逆に、たとえば、地球と月の重力の二体問題を考えるとすると、現在の(あるいは、ある瞬間における)月の位置と速度に関するデータ(初期条件)が手に入りさえすれば、月の運動に関しては、未来も過去も永劫に渡ってその運動の詳細を計算することが可能である。 このように、初期条件が分かれば、残りの運動について完全に理解できることを「因果律」という。 「ラプラスの悪魔」とは、つまり、古典力学の持つ因果律に従えば、宇宙のすべての物体について、ある瞬間の初期条件がわかりさえすれば、万物の未来を予言する事も、またその過去を言い当てることも可能である、という考えである。つまり、天文学のみならず、他の科学の研究や、歴史学などにおいても、その方法論を研究する必要はもはやなく、ただただ、初期条件さえ観測すればよい、ということである。 一方で、シュレディンガーを始め、ドイツのハイゼンベルグ(W. Heisenberg)やイギリスのディラック(P. A. M. Dirac)が、20世紀に入ってから完成させた量子力学は、原子や分子など微小な世界で適用される物理の理論で、その運動の記述のために確率解釈が導入された。ニュートンの古典力学は、分子や原子の物理的な性質を説明できない。つまり、微小な物体は、因果律ではなく、確率にしたがって運動するのである。量子力学の概要については、前期の講義で説明した(光の正体を巡る研究史を参照のこと。)。アインシュタインは、この確率解釈がどうしても受け入れられず、「神はサイコロを振らない」といって、かたくなに新しい考え方を否定し続けた。(彼は、どちらかというと、ラプラスの悪魔の方を信じていたのだろう。)確かに、電子や原子のように、小さくなっただけで、物体の運動が右にいくのか、左にいくのか分からなくなる(より正確にいうと、確率的になる)という考え方は、最初は受け入れがたい。しかし、量子力学の原理を用いて、レーザー(例えば、DVDやCDの再生録音、録画に使用されている)や、半導体(コンピュータや携帯電話に使用)など実用的な製品が次々と発明されている現在の状況を考えると、量子力学は正しい理論である、と認めざるをえないだろう。

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5-4:生命はどうして大きいのか? もし生命が原子や分子のように小さかったらどうなるか、想像してみよう。(例えば、ドラえもんのライトを使って、小さくした人間など。)当然、この極小の「生命」は量子力学の法則に従うので、その運動は確率的になる。歩けるとしたら、その方角が定まらず、あたかも酔っぱらいの千鳥足のように、あっちにこっちにと、ふらふら歩く事になろう。しかし、この生命が直面するのは、もっと深刻な問題である。まず問題になるのが、この生物を捕食して生きている「敵」から、どうやって逃げ延びるか、ということである。例えば、敵が牙をむいて噛み付いてきたときに、右によけたら噛み付かれないが、左によけたら噛み付かれてしまう、と仮定する。古典力学に従う大きな生命であれば、脳が「右に体を動かせ」と命令すれば、その命令(生体電気信号)は必ず神経を伝って体を動かし、右に動く事ができる。しかし、今考えているのは量子力学に従う生物である。とすると、脳が考えた事が正しく伝わる確率と正しく伝わらない確率が常に存在することになる。例えば、正しく伝わる確率が7割、伝わらない確率が3割だとする。つまり、一生のうちで、10回敵に遭遇したら、そのうち3回は自分の意思通りに体が動いてくれず、敵に噛み付かれて死んでしまう。こんな生物が長生きして、繁栄できるだろうか? 次に問題となるのが、栄養補給の問題である。栄養を補給するには、口の中に食べ物を入れなければならない。しかし、この生命の体はすでに小さいので、その食物も量子力学に従うほど小さくなくてはならない。すると、この食物の動きは確率にしたがうことになる。つまり、口の中に入ってくれる確率は100%とならず、口に入らない確率と入る確率が拮抗する状況となる。ご飯を食べても、例えば、10回に3回は口に入らない、としよう。すると、この生命が容易に生死の境に直面してしまうことは想像できる。 つまり、生命が生き延びるためには、自分が意図したら、かならずそのように体が反応してくれなくては困るし、体の器官も必ず設計通りの働きをしてくれないと困るのである。つまり、古典力学のように因果律に従って動かないとまずいのである。古典力学に従うためには、量子力学が効かないほど大きくならないといけない。こうして、生命は原子や分子に比べて、大きくて、複雑になっている、とシュレディンガーは考えた。この考え方は、現代の生物学でも、おおむね受け入れられている。 5-5:進化と突然変異 生物は進化する。つまり、親と子が異なる、ということが稀に発生する。進化論を最初に提唱したダーウィン(C. Darwin)は、小さな差異が積み重なってついには大きな差となり、違う種が誕生する、と考えたが、これは現代の生物学では否定されている。つまり、差異は突如、しかも大きく起きるのである。例えば、ゾウの鼻は1ミリずつ次第に大きくなったのではなく、数センチ単位、あるいは数十センチ単位の突然変異として発生したのである。突然変異は、起きる確率は低いが、ゼロではないという点が重要である。 「不連続な変化(離散的な変化)が、確率的に起こる」というのは、古典力学からでてくる性質ではなく、むしろ、量子力学の持つ特徴に似ている。シュレディンガーも突然変異は量子力学の影響によって発生する、と考えた。つまり、遺伝情報を司る生体部分は、量子力学に(ある程度)従うほど小さいものであろう、と考えた。しかし、子孫が祖先と違う性質や形質を簡単にもってしまうと、種の保存の観点から不利である。したがって、古典力学と量子力学の境界にある、ある程度大きめの分子が、遺伝子となっているはずだ、と考えた。シュレディンガーの生きていた当時は、DNAは発見されていなかったが、染色体についての研究は進んでいた。彼は、おそらく細胞の内部に閉じ込められた、この小さな染色体と呼ばれる「物質」を念頭において、上のような議論を展開したと思われる。 5-6:生命とエントロピー 熱力学の第2法則によると、「エントロピーは常に増大する」。エントロピーとは、物事の乱れ、あるいは「無秩序さ」を量る量のことで、温度や密度や圧力といった熱力学で使用される物理量のひとつである。よく引き合いに出されるのが、部屋の整頓具合である。掃除した直後の部屋は、整理され、秩序レベルが高い。熱力学では、これを「エントロピーの低い状態」という。ひと月経ち、ふた月経ちと、月日が過ぎて行くにつれ、部屋の中は次第に乱れ、汚くなって行く。漫画本は散らばり、珈琲をこぼした後が床に残り、といった具合である。これを「エントロピーの高い状態」という。このように、秩序

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の高い状態から、低い状態に向けて、部屋の様子は移り変わって行く。エネルギーを新たに注ぎ込んで、また掃除をしないかぎり、エントロピーは増大の一途をたどる。そうして、最終的にたどり着くメチャクチャな状態、つまりこれ以上の無秩序をつくれといってもそれは無理だろう、といった状態を「平衡状態」という。コップの中の水に垂らした赤いインクが、次第に拡散して一様になったような状態に相当する。平衡状態に達したとき、エントロピーは最大となり、無秩序の度合いはそこで止まる。 自転車を組み立て、そのまま乗り続けると、いずれ壊れるように、外からの物質の出入り、つまり補給のないものは、エントロピーが増大して無秩序な状態となり、最後は壊れる。これを生物に当てはめると、エントロピーが最大となり無秩序になった状態は「死」に相当する。このようにエントロピーが増大して、 体を構成する臓器が次第に無秩序になっていくのは、生命にとって非常にまずいことである。しかし、熱力学の第2法則のある限り、エントロピーの増大は止められないから、いずれ生命は死を迎えざるをえない。とはいえ、その増加の割合を遅らせる事ができれば、なにもしないよりも長生きできるだろう。つまり、 物理学の観点からすると、 生命活動とはエントロピーの増加を遅らせる活動、といえる。 シュレディンガーは、このエントロピーの増加を遅らせる生命活動とは「食べる事だ」と考えた。つまり、生命が外から物資やエネルギーを持ち込む手段である。そして、食物の中には「負のエントロピー」が入っていて、消化吸収されると、体内で増加したエントロピーを「打ち消してくれる」と考えた。 生命活動に対し、エントロピーを考えたシュレディンガーのアイデアは卓越したもので、多くの生物学者に影響を与えたが、現在の科学では、負のエントロピーという概念は間違いであろう、と思われている。その代わり、生命が行っているのは「代謝」という活動で、これによってエントロピーの増加を抑えている、と考えられている。 代謝というのは、外から同じものを取り込んで内のものを取り替え続ける活動のことである。たとえば、コンビニのおにぎり棚を考えよう。早朝にいくと、おにぎりは、きちんと整理されて陳列されている。エントロピーは低い。しかし、お客がおにぎりを買い始めると、棚の中は乱れていく上、購入された物品の後は隙間が空く。エントロピーは次第に増加していく。しかし、店員は「補充」をし、その際おにぎりを並べ直す。エントロピーは再び元の低い状態に戻る。こうして、翌日の早朝に、再びおにぎり棚をみると、前の日とまったく同じ状態になっているように見える。しかし、ここで注意すべきなのは、その棚の中に入っているおにぎりは昨日あったおにぎりとは違うものだ、という点である。代謝とは、「パターン」は同じでも、そのパターンをつくる構成部品ひとつひとつは異なっている、という生体活動である。たとえば、人間の細胞をつくる炭素や酸素の原子は、3日程で入れ替わってしまう。つまり、人間の体自体は、物質の観点からすると、一週間前の自分の体とは異なるのである。 代謝をすると、物質の出入りが定常的に起き、エントロピーの増加が防げる。あたかも、自転車の部品を(壊れていなくても)毎日取り替えるようなものである。ただし、自転車自体のエントロピーは上がらなくても、交換して捨てることになった部品や、修理する人の労力など、総合的に考えるとエントロピーは増加している。つまり、生命活動とは、周りの資源や環境を犠牲にしながら、自分のエントロピーの増加だけを抑え、寿命を延長させようとする、極めて無駄が多く、利己的な活動といえよう。 上記のように「代謝」という方向で生物が進化できたのは、地球という「環境」が無限に大きく思えるほど、生物の影響が小さかったからである。これを無視した生物は地球環境を大きく変動させるため、大量絶滅を引き起こしてしまう。人間の活動は、このように「無駄」を基本にするため、資源の枯渇や自然破壊をもたらす傾向が強い。これが「代謝」する生命の故に避けては通れない道だとしても、それが地球環境を圧迫するほど大規模になると、「代謝」のプロセス自体が成立しなくなり、自身の絶滅へと近づいていってしまうことは知っておくべきである。 参考文献 1:Walter Moore, "A life of Erwin Schrodinger" (Cambridge University Press, 1994).

最も新しいシュレディンガーの伝記で、今まで知られていなかった彼の一面が紹介されている。ドイツ系民族のもつ厳格な性格と、それとはまったく正反対の性格が入り交じっていたことが明らかにされ、驚きを感じた読者は少なくないだろ

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う。授業と関係無しに読んでも、おもしろいと感じる人は多いだろう。翻訳された本がでているので、そちらで読んでもよい。講義の関連では、「生命とは何か」を書いたいきさつや、当時の生物学会の進展の具合などが簡潔に説明されていて役に立つ。

2:シュレディンガー(岡小天、鎮目恭夫訳)、「生命とは何か」(岩波書店、2008年)

シュレディンガー自身の著作で、原作は英語で書かれている。「母国語のドイツ語で書いていないので、微妙なニュアンスが伝わりにくいかもしれない」、と前書きにあるが、更に日本語に訳されてしまえば、エントロピーの増加の観点から、ニュアンスもへったくれもなく、要は、その内実だけを読み取れさえすればよいだろう。しかし、ドイツ系の理論物理学者らしい慎重な論理の展開は、慣れていないと難解に感じる人が多いだろう。そういう場合は、訳者のあとがきから読み始めるとよい。