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次美食の聖女様

7

書き下ろし番外編

エルカーン夫妻の美味しいお夜食

363

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美食の聖女様

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9 美食の聖女様 2 8

だけれど、大怪我を負うと、その部分がピカリと光るのだ。実はその部分には魔核と呼

ばれる石があり、魔物を傷つけると、その魔核から黒いモヤが溢れ出る。どうやら魔核

パワーで傷を治そうとしているらしい。大抵の小さい魔物は治癒に失敗して死んでしま

うのだが、その際、黒いモヤが広がってしまった部位の肉はとてもまずくなる。その部

分を避ければ魔物を美お

い味しく食べることができるのだ。

この世界の人たちはそれを知らなかった。なぜなら光も黒いモヤも見えないから。魔

核の光も、黒いモヤが見えるのも私だけなのだ。

この特別な目を持っていたことで、私は聖女と名乗らされている。これは、神族の血

を引いているために、普通とは違う力を持った人間の女性に与えられる呼び名だ。

この年齢で自称聖女とか痛すぎる……けど異世界人だとバレて解剖されたり、魔族と

呼ばれる人たちの仲間だと誤解され攻撃を受けるよりはいいかなって思っていた。

「ぶうぶう」

ふいに近くで動物の鳴き声がした。

「いいよね、ウリボンヌは……お肉があるだけで大満足だもんね」

取り分けてあげたお皿に鼻先を突っ込んでいるこの仔は、ビッグボアというイノシシ

聖なる日ひ

より和

なぜか異世界に来てしまった、二十二歳の日本のOL――私こと御み

くりや厨

ナノハには悩み

事がある。

「お肉ばっかり食べてたから口内炎できた! 

もっとたくさん野菜が食べたいよ……」

私が出現した土地は、とても貧しいところだったのだ。親切で出してもらったご飯が

すごくまずかった。我慢しても食べられないレベル、吐くくらいに。

仕方なく私は飢え死にの危機を乗り越えるため、必死になって試行錯誤した。結果、

この世界では誰も食べたがらない魔物という生き物の肉を美お

い味しく食べる方法を発見し

たのだ。

どうして発見できたかというと、私の目がこの世界では特別だからのようだ。

私には、この世界の人には見えないものが見える。

たとえば魔物の体内には一ヶ所光っているところが必ずあった。弱い魔物の光は微か

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11 美食の聖女様 2 10

彼は二十六歳の男性で、青と緑の瞳が特徴的な金髪のファンタジーイケメンだ。私が

わけあって身を寄せている黒く

魔ま

騎士団の副団長であり、私の護衛もしてくれていた。

優やさおとこ男

に見えるが結構大食いで、他の団員と朝ご飯を食べた後なのに、自分の朝食を

作る私に彼の分も作るようにと要求してくる。

もっとも失敗作を作った時でもきれいに完食してくれるため、作らされているという

不快感はない。

そんな彼だからこそ、美お

い味しいものを食べさせてあげたいと思っている。

じっとユージンを見つめていると、彼はうむと頷いてみせた。

「今日も美う

ま味かったぞ、ナノハ」

「ありがとう、ユージン!」

やっぱり優しい。

「だがおまえには肉が固いんじゃないか? 

オレは食えるがな」

「あっ、わかる?」

「あと、こう塩っ辛いとパンが食いたくなるな」

「それじゃ、私が買ってきたのでよければ、分けてあげようか?」

「いや、ナノハの料理じゃないならやめておく」

似の魔物の仔だ。

赤い毛並みにアメジストのような瞳、黒い小さな爪が可愛い仔イノシシはなぜか私に

懐いてしまった。私はウリボンヌと名を付け、ペット兼非常食として騎士団で一緒に暮

らしている。

恐ろしい害獣と認定されている魔物だけれど、従魔として登録すれば飼うことができ

るのだ。

――それにしても、と私は魔物肉のステーキがのった皿を悲しく見下ろした。そこに

野菜はない。

なぜなら野菜がとても高価だからだ!

私は野草だって構わないのだが、まわりの人みんなに止められている。

野生の草木は穢け

れているから、食べると身体が穢け

れてしまうというのだ。

一度こっそり肉と一緒に炒めていたら、大目玉を食らってしまった。

「おーやーさーいー!」

「野菜が食いたいなら買って食え」

今日も今日とて文句を言う私に、一緒にご飯を食べていたユージンは、呆あ

れたように

繰り返した。

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られている。

タダ同然の野草が、町を出たすぐそこにぼうぼうと生えているのにだ! 

それを見た

時の私の気持ちを想像してほしい。

「ユージン……お庭のすみっこで家庭菜園しちゃ駄目?」

「駄目だと何度も言ってるだろう。土地が穢け

れているんだ。そこで育てられたものも穢け

れる」

「美お

い味しいお料理の幅が広がるよ?」

「うっ。だが、駄目だ」

「ユージンに食べさせてあげたいものがもっとたくさんあるんだけどなぁ……!」

「うぐぅっ!」

美おい味

しい食事に目がないユージンは心が揺れたようだったけれど、やがて持ち直して

言った。

「駄目、だ……! 

ナノハ、穢け

れた者の末路は悲惨なんだ……! 

おまえにオレたちと

同じ苦しみを味わわせたくはない」

最終的に私のために駄目だと言い張るユージンに、私はつい抵抗を諦めてしまう。

「はぁい……」

騎士団の人たちは嫌われているので、安易に買い物もできないという。

嫌われている理由が魔法使いなのでっていうんだから、異世界人の私には信じられ

ない。

魔法使い! 

羨うらやま

しい。私はなりたいと思っているくらいなのに。

けれど、この世界で魔法使いというのは、穢け

れてしまった存在のことを言う。

穢けが

れって何? 

って感じなんだけれど、偏見とか思い込みとかではなかった。

私にだけ見える黒いモヤこそが穢け

れと呼ばれるものの正体みたいなのだ。この黒いモ

ヤに染まると、魔物の肉がまずくなるだけでなく、人間は魔法使いになってしまうよう

だった。

ユージンは、自分が食べたらパン屋の人が嫌な気持ちになるという意味で遠慮したの

だと思う。

……その事実を悲しく感じるものの、私の料理なら食べたいと言ってもらえるのが嬉

しい。

「野菜って、わざわざ買うには高すぎるんだよねえ……美お

い味しいんだけど」

気を取り直して話題を変えた。

この世界の物価を鑑か

んがみ

るに、日本の高級フルーツ並みのお値段で、しなびた野菜が売

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んな自分に驚いている。その変化の理由はよくわからない。

「――気晴らしに神殿にでも行くか、ナノハ?」

ふいに声をかけられ、私はびっくりしつつ顔を上げた。ユージンが気遣うように私を

見ている。

暗い顔でもしていたのだろうか。自分の顔を触ってみるけど、よくわからない。悲し

くなることを考えていたわけじゃないのに。

でもユージンが心配してくれたというのが嬉しくて、どうでもよくなった。

「うん。外庭歩きたい!」

神殿は白い大理石でできた、神聖さの象徴みたいな建物のことだ。その建物を囲うよ

うに広がる外庭には、いつも清す

々すが

しい空気が漂た

だよう

ユージンら黒魔騎士団の団員たち――この世界で〝穢け

れている〞と言われ差別されて

いる状態にある人たちには、その〝清められた〞空間はとても息苦しいらしい。

それでも、私があの場所が好きだと知っているユージンは、度た

々たび

連れて行ってくれる

のだ。ユージンにとっては居心地のいい場所じゃないのにね。

……ユージンが嫌なら、行かなくてもいいんだけどな。

でもユージンはあの場所に入れる私を眩ま

しいものを見るような目で、嬉しそうに見て

「よし、いい子だな」

ユージンは笑って私の頭にポンと手を置いた。子ども扱いにムッとするべきか、若く

見られていることを喜ぶべきか。ユージンは私のことを十六歳だと思い込んでいる。

「口に肉の切れ端がくっついてるぞ、ナノハ」

「えーっ! 

どこ?」

「はは、冗談だ」

私は笑うユージンの足を机の下で蹴ってやった。頑丈なブーツを履いている彼は、ビ

クともせずに笑い続ける。ブーツがなくても微動だにしないだろうが。

そんなユージンの笑顔を見ていたら、私も笑ってしまった。

突然飛ばされた異世界で穏お

やかな日々を過ごせている。私は毎日笑って生きていた。

元の世界のことを思うと、不思議な気持ちになる。

前は考えないようにしていた、と思う。考えても仕方のないことだから、目の前のこ

とに集中して、楽しい気持ちでいられるように頑張っていた。そうしないと、ものすご

く悲しい気持ちになってしまいそうだったのだ。しんみりジメジメは私のキャラじゃ

ない。

でも今は、冷静に元の世界のことを考えられるし、悲しい気持ちも抱いていない。そ

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17 美食の聖女様 2 16

「うん……ユージン」

つらい環境の中にいても、ユージンは笑顔で私に手を差し伸べてくれる。

右も左もわからない異世界だけれど、ユージンの手を握り返す瞬間、私は確かに幸せ

を感じていて、それが不思議で不思議でたまらなかった。

町の中心にある神殿の敷地内に入ると、途端に空気が美お

い味しくなる。

でもこれって、穢け

れ云う

々ぬん

じゃなく、ただ色んな汚物が捨てられている道から離れたせ

いだと思うんだよね。

神殿の中はいつもきれいに清掃されている。外庭も、建物の中も。

ちなみに神殿の中は聖なる気に満ちていて、黒魔騎士団の人のように魔法使いになっ

てしまっていなくても、この世界の人はみんな多かれ少なかれ息苦しくなるらしい。

遠目に、神殿の中を掃除している女性を見かけたことがあったけど、彼女より神殿の

奥に入っている人を見たことがないので、この町で一番聖なる気に耐性があるのは彼女

じゃないかと思っている。

そして、相変わらず神殿に近づいても、私は体調を崩しはしなかった。

けれどユージンは、外庭が見えたころからすでに顔を歪ゆ

め始める。今日は敷地内に入

くるから。

ユージンだけじゃなくて、黒魔騎士団の人たちはみんな嬉しそうな顔をする。私が穢け

れていないと確認できて安心した顔をしてくれる。

そんな彼らを見るとちょっと泣きそうになった。

だから私はユージンが行けない場所に入ってみせて、それでもユージンたちと一緒に

いるよと示すのだ。

「ありがとう、ユージン」

私がしおらしくお礼を言ったことの何がおかしかったのか、ユージンは笑いながら私

の頭をクシャクシャと撫でる。そして、精霊の御守と呼ばれるカラフルな大判の布を被

せてきた。

「わ、せっかく髪の毛整えたのに!」

「ははっ、悪い悪い。しっかり被っておくんだぞ」

精霊の御守を被っていると、穢け

れないよう精霊に守ってもらえると信じられている。

ユージンたちが被らないのは、もうすでに手遅れなくらい穢け

れてしまっているから

だって……

「行くぞ、ナノハ」

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その硬貨を見せびらかしていいのは実際に取りに行くことができた人だけだけど、御

守としてなら誰でも持っていていいそうだ。取りに行ける人が行けない人に分けてくれ

るのであれば、の話だけれど。

これまで、黒魔騎士団のために銅貨を取りに行ってくれる人はいなかったらしい。

取りに行けないけれど持っている、ということを一体どんな場面で確かめるのか、私

には想像もつかない。御守をわざわざ出して見せろと言うだなんて、すごく性格が悪く

感じる。

「騎士団の人全員分、もらってきたほうがいい?」

「いや、そこまでは……他の団員には悪いが、それをするとナノハが顰ひ

んしゅく蹙

を買うだろう」

「そうかなぁ。私は別にそれでもいいけど」

「この先、オレたちでは対応できない案件をおまえに任せたいことが出てくるかもしれ

ない。だからおまえの立場を必要以上に悪くしたくはないんだ。気持ちは嬉しいが、ど

うかこのままで頼む」

一緒に嫌われ者になったって私は構わないけれど、そうなったらユージンたちがして

ほしい手伝いができないかもしれない。それなら、我慢しよう。

私は色んな気持ちを我慢しつつ、銀貨をギュッと握りしめて外庭の散歩を始めた。

ろうともしなかった。

「オレは外で待っているので、好きに散歩してくるといい。オレとクリスチャンの分も

硬貨を交換してきてくれるとありがたいな」

クリスチャンさんとは黒魔騎士団の団長さんだ。

「うん、わかった!」

ユージンから渡されたのは銀貨だった。

これを神殿の中で清められた銅貨と交換して、御守にするのだ。銀貨との差分はお賽さ

銭せん

のようなものである。

「助かる……こいつを持っているかいないかで、オレたちの扱いが大幅に変わる場所も

ある」

「ちゃんともらってくるから、心配しないで」

「ああ……ナノハ、ありがとう」

神妙な顔つきをしているユージンに胸が痛くなる。こんなこと、大したことじゃない

のに。

清められた硬貨は、私の目にはキラキラと白く光って見える。この世界の人にはその

白い光は見えないものの、なんとなく清められているのは感覚でわかるらしい。

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21 美食の聖女様 2 20

さんなのだ。

何より魔物肉を食べるのを嫌がらない! 

普通の人は魔物を食べると穢け

れると言って、

口にするのを嫌がる。どんなに穢け

れはとり除いたと説明してもだ。まあ、彼らに黒いモ

ヤは見えないらしいからね。でもトッポさんは魔物肉の食事に誘っても、手を叩いて喜

んでくれる。

そんなトッポさんは聖なる気に対する耐性がユージンよりも強いから、途中までは庭

を歩ける。けれど、神殿の中にある神像のところまでは行けない。神殿の中心部に近づ

くほど、聖なる気というのは濃くなるのだ。

だが、今日トッポさんが蹲

うずくま

っているのは、いつもより随分手前だった。通常ならも

う少し神像に近い場所にいて、昨日より一センチ近づいたとか変わらないとか、そんな

ことで一喜一憂しているのに。

「トッポさん、どうしましたか?」

「ナノハ様……どうか、お助けを……!」

「えっ! ? 

もしかして具合が悪いんですか! ?」

いつも地面に蹲

うずくま

っているのでそういうものだと思っていた。具合が悪くて膝をつい

ているとはまったく気がついていなかったので驚く。近づく私にトッポさんは苦笑を浮

外庭は、朝あ

靄もや

にも似た白いモヤが微か

かに漂

ただよ

ってキラキラとしている。

この白いモヤこそが、おそらく聖なる気と呼ばれるものだ。

「きれいな花だなぁ……あっ、ポロだ!」

ネギに似た草を見て、心が跳ねた。神殿の中なら土が穢け

れていないだろうし、ユージ

ンも食べちゃ駄目とは言わないんじゃないだろうかと、一瞬思ったけれど、そもそも神

殿の草花を摘んだら怒られそうだ。あの掃除をしていた女性が手入れをしているものか

もしれない。

「残念……ポロ……ポロマ」

ポロをファイアーバードという鳥の魔物の肉で挟んで串焼きにしたのが、ネギマなら

ぬポロマだ。その味を思い出しつつ、未練たっぷりに側を通り過ぎた。

シャキシャキで美お

い味しいのにね。ユージンだって大好物だ。

「あっ、トッポさん、おはようございます!」

たまに神殿ですれ違うトッポさんが、いつものように蹲

うずくま

っていた。

トッポさんは商人の太ったおじさんで、私がお買い物をする時はいつもこの人を訪

ねる。

嫌な顔をせず親切に商品の説明をしてくれたり相談に乗ってくれたりする、いいおじ

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23 美食の聖女様 2 22

幻想的な光景に思わずほうっと息を吐いていると、トッポさんが呟つ

ぶやい

た。

「ナノハ様は敬け

虔けん

な光の信徒ですね……」

多分褒められているのだろう。何かの宗教に帰き

依え

した覚えはないんだけどな。

ともかくトッポさんの声でハッとした私は、軽くお辞儀すると、神殿の中に入った。

「うわ、ホントに倒れてるっ」

倒れた人はすぐに見つかった。階段を上がってすぐ見える神像の裏、その少し奥に入っ

た廊下に、三十代ぐらいの女性が倒れていたのだ。

トッポさんはよくぞこの人が倒れているのを見つけたと思う。

「大丈夫ですか? 

今すぐ外に連れて行ってあげますからねー……って!」

その女性を助け起こしていると、今度はその廊下の奥にある、中庭らしきところにも

倒れている人を発見してしまった。

「今日は聖なる気が濃いからなの……?」

私はひとまず、後ろから女性の脇に手をかけてずるずると引きずり、神殿の外へ出し

てあげた。

トッポさんは先ほどより少し離れた場所で、心配そうに両手を揉んでいる。

なんとか彼のところまで引っ張っていって、女性の介抱をお願いした。

かべた。

「ええまあ、気分は最悪なのですが……それは私が穢け

れているからなので、ご安心くだ

さい。それよりも、どうやら中で掃除婦が倒れているようなのです……」

「ええ! ?」

「おそらく……いつもより聖なる気が濃いためだと思われます。彼女はぎりぎり神殿に

入れる程度に清らかではありますが……これほどの清浄さの中では……」

息も絶え絶えにトッポさんは言う。どうやら中で倒れている人を助けようとして苦し

いのを我慢していたみたいだ。

「わ、私が行きますから、トッポさんはここで待っていてください!」

「ナノハ様は……大丈夫なのですか……?」

「へっちゃらですよ!」

そもそも、いつもと違うだなんて気づかなかったくらいだ。けれど、普段なら敷地内

のベンチに座って待つユージンが今日は中にも入らなかったし、本当に何かが変わって

いるのだろう。

目を凝こ

らしてみると、確かに漂た

だよう

白いモヤの量が増えている気もする。

白い大理石に似た石積みの建物の周りを、白く輝く粒子が舞う。

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「なんだか、まだ中に倒れている人がいるみたいなので、見てきます!」

「おお、それは大変ですな!」

トッポさんに見送られて、私はもう一度神殿の中に入る。

神像を通り過ぎ、さらに奥へ進む。すると、薄暗い廊下の向こうに明るい中庭が見えた。

外から見えていた白い円塔のようなものは、この中庭を囲う壁だったらしい。

高い壁が円形の庭を囲み、空は遠くに青く見える。

その中庭の真ん中に倒れているのは、子どもだった。

「君っ、大丈夫! ?」

信じられないことに、その少年は長いピンク色の髪の毛をしていた。この世界には青

い髭ひ

を持っているおじさんもいるし、ありえない色ではないんだろうけれど、目がチカ

チカする。

とりあえず、抱っこして外へ連れていこうと肩に触れると、少年がモゾモゾ動き出した。

「んん……なんだ?」

「具合悪いの? 

自分で起きれる? 

無理そうならお姉さんが抱っこしてあげようか?」

「おねえさん?」

驚いたように間の抜けた声を上げ、少年はぱちりと目を見開いて私を見た。

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その目は快晴の青だ。

「……なんだ?」

彼が私の腕から逃の

れようと身をよじったので、離してあげる。

思っていたよりずっと機敏に動くのを見て、ホッとした。

「今日は神殿の聖なる気がいつもより濃い日らしいの。君みたいに倒れる人が続出でね。

だから大丈夫かなぁって思ったんだけど……」

さっき倒れていた女性の顔色は真っ青だったけれど、この少年は顔色がいい。白い頬

は薔ば

薇ら

色いろ

に染まり、瞳はキラキラしている。

「なんだか元気そうだね。はあ、よかったぁ」

「誰か倒れたのか」

「そう。聖なる気が濃いからじゃないかって、知り合いの人が言ってたんだけど、何が

あったんだろうね」

「……おまえは元気そうだな?」

「私はいつも元気だよ!」

お腹が減っている時以外はね。

少年は「それはよかった」と呟つ

ぶやく

と、ヒョイと跳ねるように起き上がった。髪の毛も

一緒にピョコンと跳ねる。寝癖にしては立派な跳ね方だ。

「倒れてしまったという人間のところに連れて行ってもらえるか?」

「うん、いいけど、君は大丈夫なの?」

「俺は大丈夫だ」

ニコッと笑った少年は、足元を見下ろした。

精霊の御守と同じ模様が刺し

しゅう繍

された帯が、少年の寝ていたあたりにクシャッと丸まっ

ている。彼はそれを拾ってくるくると丸め、側に落ちていた鞄か

ばんに

しまった。代わりに、

埃ほこり

っぽい色をした外が

套とう

を取り出して、頭から被る。少年は一気にみすぼらしい印象に

変わった。

「さあ、行こうか。そういえばおまえの名前はなんだったかな?」

「自己紹介はまだだね。私はナノハだよ。君は?」

「俺の名前はオルガだ。――ん? 

おまえが聖女ナノハか!」

「ちょ、待ってオルガ」

その名を一体どこで聞いたの、と詰め寄ったら「今は倒れた人間のことを優先しよう」

とキリリとした表情で言われたので、しぶしぶ引き下がった。そんな恥の塊

かたまりみ

たいな

呼び方、どこまで広まっているの……!

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29 美食の聖女様 2 28

ささっと硬貨を交換しオルガと一緒に神殿の外に出ると、女性は顔色は悪いものの

トッポさんに支えられれば起き上がれるくらいになっていた。

「ああ。気の毒なことをしてしまったな。だが、もう無事なようだ。よし、行くぞ、ナノハ」

「行くってどこに?」

「俺が行くと言ったら、行くのだ」

「どうして? 

やだよ。外にユージンを待たせてるんだから」

少年は、町の子だろうか?

彼はどことなく私が仲よくしている難民の子たちとは違う、育ちのよさを感じさせる

顔立ちで、なんとなく我わ

儘まま

そうだ。

「君はすっごく元気なようだし、もういいね。私、お腹減ってきたから帰るね」

こういう子がユージンたちのことを偏見に満ちた目で見たりするのかなと思うと、な

んだか苦しくなる。親御さんも黒魔騎士団に身を寄せている私と子どもが一緒にいると

いうのは嫌がりそうだし、私はその子を置いていく勢いで歩き出す。

「待て待て……これを見よ!」

オルガは何か見てほしいものがあるらしい。とりあえず、それだけ見てあげようと振

り返ると、外が

套とう

の帽子をまくって髪の毛をかき上げ、隠れていた耳を見せてきた。

「耳だね?」

「そうじゃない」

「あっ、そういえばとんがってる。可愛いね!」

「……おいおい、どうしてそうなる」

「じゃあね」

散歩したせいか、本当にお腹が空いてきた。

まだお昼には早い時間帯だと思うけれど、準備をするうちに時間もちょうどよくなる

だろう。

私が早足で歩き出すと、オルガは外が

套とう

の帽子を被り直して小走りでついてきた。私が

本気で走ってもぴったり追ってくる。

神殿の敷地から走り出てきた私たちを見て、ユージンが首を傾か

げた。

「ナノハ、その子どもは? 

まさか難民のガキか?」

「ああ、そうだ」

私が息を整えていて答えられないでいる間に、オルガが答えてしまう。

「神殿に入れるとは大したものだ。そのまま新年までもたせれば、おまえは市民になれ

るかもな」

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31 美食の聖女様 2 30

ユージンが優しい笑みを浮かべて言うと、オルガはニコリと微笑む。

ユージンは特に疑問を抱かなかったみたいだけど、オルガが難民だというのは、かな

り怪しいと思う。だってオルガは私が仲よくしている難民の子――マトたちとは似ても

似つかない。この汚れた外が

套とう

の下は、すごくきれいな格好をしているのだ。

「帰るぞ、ナノハ」

「うん……オルガはなんでついてくるの?」

「おまえに頼みがあるんだ」

オルガはそう言ってニッコリ笑った。無邪気な笑顔で、無下にもできない。

騎士団宿舎に入れていいものかと思ったけれど、最近私が難民の子たちと交流しすぎ

ているせいか、門番の人もオルガを通してくれた。私以外の人は私の友人の子どもたち

の顔をいちいち覚えているわけじゃないみたいだしね。

私を部屋まで送ると、ユージンは「訓練に参加してくる」と言ってその場を離れてし

まう。

部屋に残るのは、ベッドに広げた毛皮の上でお尻フリフリダンスを踊るウリボンヌと

私、謎の少年オルガだけだ。

「私、難民の子たちの顔は、見ればわかるんだよ。オルガは違うよね? 

一体何者?」

黒魔騎士団のみんなに迷惑をかけようというのなら、私は全力で抗あ

らがう

よ! 

そう思って睨みつけていると、オルガは苦笑した。

「本当にわかっていないんだなぁ、ナノハ。いや、俺もまぎらわしい色をしているのは

理解しているし、それを利用して人間に溶け込んだりもしているんだが」

オルガの不自然な言い回しに私は引っかかりを覚えた。

「人間に、溶け込む?」

「普通の神族はもっと薄い色合いをしているものだからな。耳さえ隠してしまえば、俺

を一目で神族と看破する者はそういないんだ。しかし、耳を見せてもわからない人間は

おまえが初めてだな」

「…………あれ? 

オルガの耳、尖ってた」

「ああ。神族の大半はそうだぞ」

「神族! ? 

オルガ、神族! ?」

「おお、急に語ご

彙い

力りょくが

死んだな」

神族とはこの世界で人間の上に君臨している種族のことだ。そういえば、ユージンが

以前教えてくれた神族の特徴の一つに、尖った耳、というのがあった気がする。ひええ

え、と驚いて後ずさりしたら、火の気のない火鉢に足を引っかけて転んだ。

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33 美食の聖女様 2 32

「いたた……!」

「まあ、落ち着くといい」

「私、処刑される! ?」

「されない、されない。おまえは神族をなんだと思っているんだ」

すごく怖い人たち、というイメージができあがっていた。

神族が白と言えば黒いものでも白くなると聞いている。

魔物の襲撃が原因だろうと神殿に傷がついたら領主様は処分されてしまうし、その町

の人間は住まいを追われてしまう。以前ファイアーバードが攻めてきた時、クリスチャ

ンさんたちはそんな懸念を抱いていた。そんな恐ろしい人たちが神族だ。

「おまえに頼みがあると言っただろう? 

だからついてきたんだ」

「は、はい! 

なんでも言ってくださいです!」

テンパりすぎて、意味のわからない口調になった。床に正座する私を見てオルガはさ

らに苦笑する。

「いやいや、先ほどまでの態度でちょうどいい。敬語もいらないし……そら、立ってく

れ。楽にしていい」

「後でオルガの親御さんに怒られない?」

「ないない。そもそも親などとうに死んだからな」

ごめんなさいすぎてその場に土下座したら、オルガが「やめてくれ」と言いながら軽

く笑った。

「知人と会う約束をしているんだが、約束まで日数があってな。しばらく匿

かくま

ってくれな

いか」

「はあ……」

「聖なる気を垂れ流したりしないし、ここを不必要に浄化しないと約束する」

「はぁ……?」

「おっと、おまえは神殿に普通に出入りしているからわからないか。しかし、人間に

とって俺の発する気は非常に居心地の悪いものらしいな。先ほどは久しぶりに眠ったの

で、つい聖なる気を垂れ流しにしてしまい、あそこにいた女には迷惑をかけた」

つまり、神殿にいつもより聖なる気が満ちていたのは、オルガが垂れ流していたから

だという。

「うわ、本当にここではやめてね? 

普通の人よりもっと聖なる気に弱い人たちがいる

んだから!」

「ああ、そのようだな……ここは魔法使いの溜まり場だろ」

Page 18: 美食の聖女様 目 次 2...11 美食の聖女様 2 10 彼は二十六歳の男性で、青と緑の瞳が特徴的な金髪のファンタジーイケメンだ。私が わけあって身を寄せている

35 美食の聖女様 2 34

オルガはほろ苦い笑みを見せる。

その言葉に私は心の底からぎょっとした。普通の人たちは、ユージンたちを魔法使い

だといって、蔑さ

げすん

でいる。なぜなら、魔法は使えれば使えるほど穢け

れていることを示す

からだ。

神族ならさらに変な目で見たっておかしくない。

「み、みんな、好きで魔法使いになっちゃったわけじゃないんだからね!」

私は自発的に魔法使いになりたいと思っているけれども、それは言わずにおこう。

「ああ、わかっている。その力がなければ倒せない魔物もいる。俺たちとは相反する性

質のため長く共には過ごせないが、積極的に害するつもりはない」

「絶対だよ?」

すごく面倒なことになってしまった。

これは断れないお願いというやつだ。神族だというオルガのご機嫌を損ねないように、

本人の希望を最大限尊重しなくてはならない。けれど、あまりユージンたちに近づけた

くもない。

「……魔物を飼ってるせいで斬り捨てごめんとか、しない?」

「しない、しない。従魔だろう? 

俺も飼ってるぞ。従魔がいないと町の移動が難しい

からな」

「……おいで、ウリボンヌ」

私がウリボンヌを抱いて立ち上がると、当然のようにオルガもついてきた。

オカメインコみたいにはねた髪の毛も相まって、まるで小鳥に懐かれたような気分だ。

「どこに行くんだ、ナノハ?」

「ここの団長のクリスチャンさんに、オルガのことを話しに行こうね」

クリスチャンさんなら、きっといいようにしてくれるだろう。部屋も用意してもらえ

るに違いない。

「うん? 

他のやつに俺が神族だと言ってはいけないぞ?」

「ええっ、なんで! ?」

「普通の人間は、楽にしろと言ったところでナノハのように自然な態度で神族に接する

ことはできないものなんだ。おまえはすごい。本当にすごいことだぞ、ナノハ」

何がすごいんだろう。一応褒められている?

照れてみせたら、オルガは微苦笑を浮かべた。私の反応は間違っていたのかもしれな

いけれど、正しい反応とやらがわからない。

「ともかく、他の人間に話すのは禁止だ! 

俺は難民の子、オルガだ! 

いいな?」

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37 美食の聖女様 2 36

「えー、後でバレた時、私が怒られるんだけど……」

「俺の不興を買うほうが、もっともっとまずいことになると普通の人間は考えるぞ」

そういうものなのだろうか。オルガを怒らせたら私は何をされるんだろう。

「まあ、いいじゃないか。本当にどうしようもなくなったら、俺がどうにかしてやるさ」

「その言葉、忘れないでね!」

はっはっは、と笑っているオルガに念押ししていると、騎士団長の部屋からクリスチャ

ンさんが出てくる。彼は私を見て呼び止めた。

「ナノハ様、ただいま少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「うーんと」

私はオルガを見下ろして逡

しゅんじゅん

巡した。オルガは気安い子だけれど、神族だから蔑

ないがしろ

しちゃいけないかもしれない。オルガを放ってクリスチャンさんについていっていいも

のか。

でも、オルガは難民の子のふりをしているし、どうしよっか。

視線を投げかけると、オルガが「構わないぞ!」と私の代わりに答えた。

神族だってバレないようにか、外が

套とう

を深めに被り直している。

クリスチャンさんの部屋に入ると、ソファに座るように促う

ながさ

れた。オルガも当たり前

の顔をして私の隣に座る。クリスチャンさんは何か言いたげな顔をしたけれど、結局口

にしなかった。難民の子がいても別にいいか、と思ったみたいだ。

向かい側に座ったクリスチャンさんは、さっそく口火を切る。

「ナノハ様にお頼み申し上げたい儀があるのです」

「私にできることだったら」

「はい。これはナノハ様にしかできないことでしょう」

どこか苦しげな口調でクリスチャンさんは続けた。

「もうそろそろ神族がこの町を訪れます」

「……あ、はい」

もうここにいるよ、と思ったけれど、オルガが笑顔で見上げてくるから言えなかった。

「十月になったため、地域を浄化しようとこの地を担当している方々が来るのです。そ

の際、我々黒魔騎士団は神族の方々に敬意を表し、出迎えねばなりません。その出迎え

に、私やユージンと共に赴お

もむい

てほしいのです」

「お出迎えすればいいだけですか?」

観光客を出迎え、その首にレイをかけるハワイの賑やかな風景が一瞬頭をよぎった。

けれど、多分私の想像力は羽ばたきすぎている。

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39 美食の聖女様 2 38

すぐにクリスチャンさんは私の妄想を否定した。

「私やユージンは神族の前で、使い物にならなくなる可能性があります」

神族が聖なる気を垂れ流し、クリスチャンさんたちは苦しくて行動不能になるという

ような状況になるということみたいだ。

今、オルガは意識してそうならないようにしてくれているようだけれど、他の神族も

同じ配慮をしてくれるというわけじゃないらしい。

「私が神族に、聖なる気を出すのをやめてくださいって言えばいいんですか?」

「いいえ!」

クリスチャンさんは少し怒気まじりの声で言う。

「そうではありません。神族のやることなすこと、それがたとえどれほど理不尽であろ

うとも、異を唱えてはなりません」

「えっと……」

「それが我々人間と神族の関係なのです。ナノハ様のご記憶が混乱されているのは重々

承知の上でお願い申し上げます。どうか無謀な真似はされませぬよう。我々の生命がか

かっていると考え、ご自重ください」

厳しい顔をしてゆっくりと頭を下げるクリスチャンさんに、息を呑む。

そんな私を見て、クリスチャンさんは「ナノハ様はまだ人間と神族との関係を思い出

せないようですね」と仕方なさそうに溜め息をついた。

「一年の始まりから、我々人間は神族によって管理されています」

一月一日から一月十五日。

この間に町や村出身の七歳から十五歳の子どもたちは近隣の神殿に入り、該当地区の

住民であることを証明するための戸籍を作ってもらうのだという。

「でも、神殿に入れない子もいるんじゃないですか?」

「十五歳までに入ることのできなかった子どもは町の住人とは見なされず、まともな仕

事に就つ

くことも、町の中に家を建てることもできません。親兄弟の庇護の下で生きるか、

流りゅう

民みん

としてナノハ様のご友人――マトたちのように神族の管理外で生活をする必要が

あります」

「……それって、すごく大変なことなんじゃ」

東京に生まれたけれど、十五歳になるまでに富士登山して山頂にある神社まで行かな

いと都民と認められないみたいな感じかな? 

神殿は山じゃないけど、入ると息苦しそ

うにするユージンとかを見ていると、そんな印象を受けるから……

やり遂と

げないと東京都には住めません、仕事もできませんとか、すごい大変!

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「ええ。ですから子どもが穢け

れぬようにと、登録式を終えるまで親は子どもを必死に守

るのです。ナノハ様も、この町で難民以外の子どもをほとんど見かけたことがないでしょ

う?」

「そういえば……」

マトたちがこの町の子どもと遊んでいるところはおろか、小さな子が親と一緒に歩い

ているところすらほぼ見たことがないかもしれない。

「二月になれば、一月の契約更新時に仕事にあぶれた者たちが一斉に仕事を探し始めま

す。また彼らを雇用する仕事の募集も始まりますが、この時、雇い主は優先順位をつけ

ています。まずはこの町に登録のある住人。次に他の町に登録のある住人。最後が、登

録のない人間です。登録のない人間は穢け

れている者が大半のため、よほど嫌け

厭えん

される仕

事でもなければ、雇いたがる者はいないでしょう」

だから魔物の解体が難民の人たちの臨時仕事になっているのだろう。

なるほどなるほど、と頷きながら、とんでもないことに気がついた。

「……えっと、そういえば私も登録がないかもなんですが」

普通に暮らしてきたけれど、もしかして結構ヤバイ状況?

冷や汗が出てきて袖で顔を覆お

ったら、クリスチャンさんは笑った。

「あはは、今さらですね、ナノハ様。ご安心ください。我ら黒魔騎士団の団員として登

録しておりますので、ナノハ様の滞在は正式に認められておりますよ」

「よ、よかった……!」

「――ナノハ様のご友人の方々すべてを登録することは不可能ですが、彼らも不法滞在

者として罰せられることはないでしょう。我々から神族に話をいたしますので」

「わっ、安心しました……」

マトたちも大丈夫と聞いて胸を撫で下ろす私を見て、クリスチャンさんは微笑みを浮

かべる。

難民の子でも、該当年齢の内に神殿での登録式に参加できれば、その町の子になれる

ようだ。

先ほど、ユージンが難民の子を自称するオルガに微笑んでいたのはこういうことだっ

たのだろう。

「さて、次に大きな神族とのかかわりが、六月と十月の『清めの儀』になります」

「ここで問題があると、精霊祭がなしになるよな」

「精霊祭?」

オルガの言葉に楽しげな雰囲気を感じて反応した私に、クリスチャンさんは苦笑した。

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「清めの儀の翌月に執と

り行お

こなわ

れる精霊を祀ま

る祭りですが、それよりも……もし儀式に問

題があった場合、それどころではなくなるのですよ。最悪、町が滅ぼされてしまうかも

しれません」

「それは、よほどのことがあった時だろう」

オルガの指摘に、クリスチャンさんは頷いた。

「そうだな。けれど神族の神官であるルーチェに絡んだよそ者の酔す

漢かん

のせいで、一つの

町が打ち捨てられた。清めの儀を行ってもらえず五年が経過した町は、穢け

れを溜め込み

町の中ですら大型の魔物が生まれるようになる。ある夜、凶悪な毒キ

蛇獅子が生まれ、そ

の町は一夜にして無人となった――そんなこともある」

クリスチャンさんのたとえ話に、オルガは微妙な顔をした。

「……極端な例だと思うがなぁ」

「問題は、そうした行動をしても神族が罰せられることはなく、人間には訴える先もな

いということだ」

オルガはよくわかっていない顔をしている。私もよく理解できないけれど、クリスチャ

ンさんの青い目に鋭い光が浮かんだのは見て取れた。

「ナノハ様。神族が事こ

を起こすと決めた時、私たちには抗あ

らがう

術すべ

がないのです。だからそ

うならないよう、あらゆる危険を排除する必要があるのです」

「偉くておっかない人たちだけど、来てくれないと困るのが、神族なんですねえ」

私がうんうんと頷くと、オルガとクリスチャンさんが揃って微妙な顔で私を見た。

えっ? 

なんで?

「まあ……そういうことなんですが……」

「ナノハ、本当にわかっているのか? 

大丈夫か? 

俺も心配になってくるぞ」

「わかってると思うよ! 

多分ね!」

私が胸を張って答えると、オルガとクリスチャンさんが目配せし合って肩をすくめた。

なんでそこ、わかり合ってるの! 

私を除の

け者にしないで!

「えー、話を戻させていただきますね。神族の気の前で私とユージンは会話さえままな

らない可能性があります。したがって代わりにナノハ様に表に立って口上を述べていた

だきたいのです。相ふ

さわ応

しい身分と口上の内容は私のほうでご用意いたします」

「はあ……」

「私とユージンは立場上席を外すことができませんので、ナノハ様の邪魔にしかならな

いと承知ではありますが同席させていただきます。その際は死ぬ気で粗そ

相そう

をせぬよう耐

えてみせます。ですのでどうか、お力添えいただけないでしょうか。我ら黒魔騎士団の

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今後の活動のため、そして、穢け

れているというただそれだけの理由で我らが殺されるこ

とのないように」

クリスチャンさんの口にする神族像は、まるで暴君のようだった。

丁寧な口調ではあるけれど、その言いようは神族に対して失礼に思える。私は横に座っ

ているオルガが嫌な気持ちになっていないかなと顔を覗き込んでみた。

オルガは肩をすくめると私に笑顔を見せてくれる。

ホッとして、今度は強張った顔つきのクリスチャンさんに視線を戻した。

「私にはこの町の礼儀作法なんてものはわからないんですけれど」

「それも、お教えいたします。神族の方々が何より憎むのは穢け

れであり、ナノハ様のよ

うに無む

垢く

な方であれば、その若さも考慮し、ある程度の拙つ

たなさ

はお許しいただけるでしょう」

頑かたく

なに私が十六歳ぐらいであると信じて疑わないクリスチャンさんたちである。

「……わかりました、クリスチャンさん。やってみます」

「ありがとうございます、ナノハ様」

クリスチャンさんはあからさまに安あ

堵ど

の息を吐いた。

本当に神族の来訪に怯お

えているようだ。今ここに神族の子がいると知ったら彼はひっ

くり返ってしまうかもしれない。

「心から……ナノハ様のご協力に感謝いたします」

真情の籠こ

もった声音に、震える吐息。お世話になっているクリスチャンさんたちの役

に立てることがあってよかった。

浄化された空気が大丈夫というだけである程度は務まる仕事らしいけれど、黒魔騎士

団のみんなのためにも私はより一層頑張りたいと思う。

「記憶が混乱してるのか?」

クリスチャンさんの部屋を出てしばらく廊下を歩いていると、オルガに問われた。

「うーん、そういうことにしてるっていうか」

私の要領を得ない答えにオルガは可愛らしく小首を傾か

げた。

小鳥が首を傾か

げたみたいで可愛くて、思わずその頭を撫でる。そして、そのまま私は

目的地へ向かった。

「ねえ、お腹減ってない? 

私は減ってるよ!」

「腹は減ってるが、俺の分は用意しなくていい。人間の飯には穢け

れが混入していること

が多いからな」

「そうなの?」

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「うむ。こうして穢け

れた場所で呼吸するだけなら、俺みたいに丈夫な神族はなんとか大

丈夫なんだけれどな……さすがに直接取り込むと具合が悪くなる」

「そうなんだ。神族も大変なんだね」

クリスチャンさんの言葉から、人間が神族を恐れ、隔か

意い

を抱いているのがわかった。

確かに神族は穢け

れを忌い

み嫌うあまり黒魔騎士団の人たちにつらく当たる可能性がある。

けれどそれには、理由があるみたいだ。

「おまえら人間が大変なのも、それなりにわかっているつもりだ」

「ありがとう、オルガ。さっきのお兄さんのことは許してあげてね? 

みんなを引っ張

るのが大変で、責任が重いからピリピリしてるんだよ」

「上に立つってのは難しいものだよな」

知った顔で言うオルガのほっぺをつつきながら厨ち

ゅうぼう房

へ行くと、ユージンが先回りし

ていた。

「待ちくたびれたぞ、ナノハ」

「なんで待ってるの? 

ユージンたちは一日二食でしょ?」

昼食を食べるのはこの騎士団で私だけのはずだったんだけど、そこには、ユージンの

他にも三人の団員がニコニコとして佇た

たずん

でいた。

「おまえは昼も食うだろう? 

つまり美う

ま味い食事があるということだ」

ユージンは堂々と言った。食べたいってことなんだよね。最近ずっとこの調子だから、

私もユージンの分を当たり前に用意しているけどさ。

……ユージンの毎日に私の存在があるって実感してすごく安心する。

「あと、こいつらにも作ってやってくれ。午前の訓練で特に目立った成績を残したやつ

らだ」

「ご褒美に私のご飯? 

それってなんだか嬉しいなあ」

団員の人たちがニコニコしているのは、私の料理が楽しみだかららしい。つられてニ

コニコしてしまう。私は精霊の御守を脱いで、袖をたすき掛けした。

今日の昼食は、魔物肉のソテーだ。

肉が上質なので手間暇かけなくてもそれなりに美お

い味しい。問題は、それ以外の食材で

ある。

私はカトラリー部屋の隅にある地下に続く階段を下りた。

そこは氷ひ

室むろ

と呼ばれる涼しい部屋で、厨ち

ゅうぼう房

に入りきらない食材はそこに置かれている。

「はぁ……今日こそ美お

い味しくできるかな」

私が溜め息をつきつつ持ち上げたのは、ブウラという名の大きな赤豆の入ったボウル

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49 美食の聖女様 2 48

だ。それを、茹ゆ

でて一日置いておいたのだ。

ブウラは五百円玉サイズの豆で、皮はものすごく固く中身はボソボソで強いえぐみが

ある。

野菜が高いので、何か安く手に入るものを食べられないかと思ったところ、この豆が

登場したのだ。

ユージンたち騎士団の団員は、これまでパヴェという魚や肉の細こ

切ぎ

れが浮いた小麦粉

スープと、この豆を焼いたものを一日に二食とって生活していた。私が魔物肉の美お

い味し

い食べ方を見つけたことで魔物肉を食べるようになったけれど、パヴェやこの豆も引き

続き食べ続けている。

なぜなら、それらを食べれば健康体でいられるからだという。

「栄養はあると思うんだよね……」

けれど、まずくてできたら食べたくなかった。

「でも、口内炎ができちゃったし……」

異世界で病気になりたくなかったので、ここ数日、泣く泣くこの豆を美お

い味しく食べる

ための実験を続けている。

実験一日目は、まずこの豆のえぐみについて考えた。

日本の豆だって水に浸つ

けたり下し

茹ゆ

でしたりして使うというのに、ユージンたち騎士団

の料理においては、そういう下準備は一い

切さい

していない。なので、私は茹ゆ

でて灰あ

く汁を取れ

ばこのえぐみがなくなるんじゃないだろうかと予想した。

そんなわけで下し

茹ゆ

でしてみたら、大量の灰あ

く汁が出てきて悲鳴を上げることになった

のだ。

いくら灰あ

く汁を取っても取っても終わらない。そんな私を見てユージンは「そういうこ

とになるから、ブウラは煮ずに焼くんだよ」とボヤいていた。

私は仕方なくその日は小一時間ほどで一旦諦めることにした。茹ゆ

でたブウラの豆を冷

まし、水に浸つ

けて、涼しい場所に置いておく。

実験二日目、茹ゆ

でて水に浸つ

けておいた豆を試食してみたけど、まだえぐい。

ただし焼いたのを食べさせられた時ほどじゃなかった。

二日目も私は引き続きブウラを煮続けた。灰あ

く汁が出てきたけれど、今度は十分ほどで

収まる。

一日目の時点であと十分ぐらい粘れば灰あ

く汁は止まったのだろうか。それとも、一晩寝

かせたのがよかったのだろうか。その時点で味見をしてみると、えぐみは微か

かになって

いた。

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そこで水から上げ、皮を付けたまま焼いて塩で味付けをしてみたけど、失敗だった。

どういう作用なのか、皮が死ぬほど固くなりユージンですら噛み砕けないほどになっ

てしまっていたのだ。トンカチで皮を叩き割って中身を取り出してみたら、中身は恐ろ

しいほどの吸水力を発揮するスポンジみたいな代し

物もの

になっていた。えぐみはほぼないけ

れど、脱だ

脂し

綿めん

を食べているような感じがする。

それでも、ユージンは健け

げに食べてくれた……食べられない私の代わりに。目を白黒

させながらも食べ物を粗末にしないユージンの姿勢には胸がときめく。

二日目で茹ゆ

でたブウラ豆を使い切ってしまったので、三日目に新たに煮てみる。一時

間以上煮込んでも灰あ

く汁が止まらなかったので、灰あ

く汁を取り除くためには一日水に浸つ

けて

寝かす必要があるのだとわかった。ということで、一晩寝かして、四日目の実験が今日

ということになる。

「オルガ、火が危ないから、ウリボンヌを抱いて見ていてくれる?」

「ああ……構わないぞ」

ウリボンヌを膝に置いて椅子に座るオルガを見て、ユージンはまだいたのか、みたい

な顔をしたけれど、それ以上特に気にする様子もなく私を見る。

「……ナノハ、また今日もそいつを使うのか」

ユージンが私の持っているブウラ豆を見て苦笑を浮かべた。味のないブウラは食べ物

感すらなくなるので、えぐみはむしろあったほうがいいというのが彼の考えだ。

「今日は味付けをしてみたいの」

「はぁ。しかしなんの味を付けるんだ?」

「ジャジャーン!」

私は先日トッポさんから購入した、塩に続く新たな調味料を懐

ふところか

ら取り出す。

それを見たユージンが、よろりと後ずさった。

「それは……砂糖か! ? 

まさか、そんな高価な調味料を無駄にする気か!」

「この一袋の量で金貨一枚とか信じられないよね……でも私は使うよ!」

「正気か! ?」

今度こそ美お

い味しくできる気がするんだよ!

茹ゆ

でて一日寝かせておいた豆を改めて茹ゆ

で直したブウラは、焼いて水分を飛ばしてし

まったものより数倍食べやすい。味わうと、遠くのほうにえぐみと豆の素朴な味わいを

感じる。

ここに味付けをして、豆が煮汁に浸つ

かったままになるような料理なら、美お

い味しく食べ

られるんじゃないかと思うのだ。ただし皮はどうやってもある一定以上は柔らかくなら

EDITOR36
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