鼻性注意散漫症(aprosexia nasalis)を 有する 慢性副鼻腔炎罹患児 …

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Jap.J.of educ.,Psychol.Vol.XIII,No.3(1965)161 料― 鼻 性 注 意 散 漫 症(Aprosexia nasalis)を 有する 慢 性 副 鼻 腔 炎 罹 患 児 の 知 能 検 査 成 績 に つ い て* 一** 鼻 疾 患 と知 能 や学 業 成 績 と の 関係 につ い ては,従 来 医 学 領域 で 研 究 され て お り数 多 くの業 績 が み られ る。 そ の 多 くは 慢 性 副 鼻 腔 炎 に つい て な され てい る:そ し て主 に 学 業 成 績 研 究 は 戦 前 に,知 能 研 究 は戦 後 に み られ る とい つてよい。学業成績の研究では,対 象は小学校児童であ り担任 教 師 作 成 の学 業 成 績 に よつ て検 討 して い るが,い ずれ も慢 性 副 鼻 腔 炎罹 患 児 の 学 業 成 績 は 劣 る と報 告 され ている。 他 方,知 能 に つ い ては,1951(昭 和26)年以降,鈴 木 篤郎 ・平林 栄 次,市 原 正 雄,白 倉 賢 三 そ の 他 の 研 究 が み られ る。 これ らの研究 での調査対 象者は,小 学校3年 生 から成人にわたる巾広い年令層にまたがつているが,そ の結 果 で は,一 般 的 に,当 該 疾 患 罹 患 者群 の 知 能 は 対 照 者 群 に比 較 して低 劣 であ る こ とが み い だ され て い る。 慢 性 副 鼻 腔 炎罹 患 者 には,注 意 散 漫,記 憶 力 減 退,思 考 力 減 退,頭 重 そ の他 のい わ ゆ るaprosexia nasalis(na- sal aprosexia,nasale Aprosexia.19世 紀 末Guyeによ つ て提 唱 され た。 鼻 性 注 意 散 漫 症,鼻 性注 意 不 能 症 等 と 訳 され て い る)と よば れ て い る症 状 が と もな うこ とが 多 い とい う。 市 原 正 雄 らは 高 等学 校 生 徒 の 当該 疾 患 罹 患 者 を,鼻 性 注 意 散 漫 症 と鼻症 状 とを あ わ せ 有す る者 と,そ うで な く鼻 症 状 のみ を 有 す る者 とに わ け 検 討 したとこ ろ,鼻性注意散漫症をあわせ有する罹患者群の知能が劣 つ てい た と い う。 また 市 原 は,鼻 性 注意 散 漫 症 を あ お せ 有 す る罹 患 者 の手 術8週 間 目の治 癒 した状 態 の と きに 得 た 知 能 と,手 術 前 にお い て得 た知 能 との比 較 で,手 術 後 の知 能 が 手 術 前 よ り も有 意 に 高 か つ た と報 告 し てい る。 これらの結果から,市原は知能低劣の事実は当該疾患に と もな う鼻 性注 意 散 漫 症 に意 義 が あ る と して い る。 これら医学領域でなされた諸研究においては,調 査対 象者 の選 出 に あ た つ て耳 鼻 咽 喉 科 的疾 患 の 有 無 とい う条 件 に よ つ た こ とが み られ て い るが,そ の他 の 条 件 を 考 慮 した か ど うか は つ ま び ら か で な い。 筆 者 は,さ きに 後述 (方法の項)の よ う な 条 件 を考 慮 し対 象 を 小学 棟4, 5,6年 児 童 と甲学 校2,3年 生徒 に と り,田 中B式 知 能検査法によつて慢性副鼻腔炎罹患児の知能検査成績を 検 討 した が,そ の結 果 で は,男,女,全 体(男+女)の いずれの場合でも.罹患児群の成績が健康対照児群の成 績 に比 較 して低 劣 であ る と い うこ とは まつ た くみ い だ せ なか つ た(1964)。 した が つ て,こ れ ら年 令 層 の者 に 関 す るか ぎ り,従 来 の医 学 領 域 で の 報 告 とは 一 致 しな か つ た 。 そ こ で,研 究 を 進 め,中 学 校2,3年 生 徒 を 対象 に,ま ず,連 続3か 年 度 にわ た つ て罹 患 して い る と診 断 された生徒 の20か月間隔(す なわ ち第1学 年 時 と第3学 年時)に おける知能検査成績 の変化を検討 した。 その結 果 で は,健 康 対 照 児群 と比 較 して知 能 偏 差値 の 平均 値 に おい て劣 つ てい る とか,ま た,減 少 した 者 の人 数 が 多か つ た とか の事 実 は み られ なか つ た(1964)。 次 に,① 罹 患 後 治 癒 した とみ られ る生 徒 につ いて 罹 患 時 と治 癒 後 とに おけ る知 能 検 査 成 績 の 変 化,② これ とは逆 に,新 た に罹 患 した 生 徒 につ い て健 康 時 と罹 患 後 とに お け る知 能 検 査 成績の変化 とをそれぞれ検討した。 そ の 結 果,い ず れ の 場 合 に も,健 康 対 照 児群 の 変化 に 比 較 して 差 が み られ な か つ た(1965)。 筆 者 は さ らに,市 原 正 雄 ら(1954)の 研究にならつて 鼻性注意散漫症の有無によつて罹患児をわけ,は たして 鼻性注意散漫症をあわせ有する罹思児群の知能検査成績 *The intelligence of the school children su- ffering wih sinuitis nasalis chronica with special reference to their aprosexia nasalis. **Saiichi Igarashi(Shinshu University) ―33―

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Page 1: 鼻性注意散漫症(Aprosexia nasalis)を 有する 慢性副鼻腔炎罹患児 …

Jap.J.of educ.,Psychol.Vol.XIII,No.3(1965)161

資 料 ―

鼻 性注 意 散 漫症(Aprosexia nasalis)を 有 す る

慢性 副鼻 腔 炎 罹 患 児 の知能 検 査成 績 につ いて*

信 州 大 学

五 十 嵐 斎 一**

問 題

鼻 疾患 と知能や学業成績 との関係 につい ては,従 来 医

学 領域 で研究 されてお り数多 くの業績がみ られ る。 その

多 くは慢性副鼻腔炎につい てなされ てい る:そ して主 に

学 業成績研究は戦前に,知 能研 究は戦後にみ られ る とい

つて よい。学業成績の研究では,対 象は小学校児童 であ

り担任教 師作成の学業成績に よつ て検討 してい るが,い

ずれ も慢 性副鼻腔炎罹患児の学業成績は劣 ると報告 され

ている。

他 方,知 能については,1951(昭 和26)年 以降,鈴 木

篤郎 ・平林 栄次,市 原正雄,白 倉賢三その他の研究がみ

られ る。 これ らの研究 での調査対 象者は,小 学校3年 生

か ら成 人にわたる巾広い年令層 にまたがつてい るが,そ

の結果 では,一 般的 に,当 該疾患罹患者群 の知能は対照

者群 に比較 して低劣 であ ることがみいだ されてい る。

慢性副鼻腔 炎罹患者 には,注 意散漫,記 憶力減退,思

考力減退,頭 重その他 のいわゆ るaprosexia nasalis(na-

sal aprosexia,nasale Aprosexia.19世 紀 末Guyeに よ

つ て提唱 され た。鼻性注意散漫症,鼻 性注意不 能症等 と

訳 され ている)と よばれてい る症状が ともな うことが多

い とい う。市原正雄 らは高等学 校生徒の当該疾 患罹患者

を,鼻 性注意散漫症 と鼻症 状 とをあわせ有す る者 と,そ

うでな く鼻症状 のみを有する者 とにわけ 検 討 し た とこ

ろ,鼻 性注意散漫症をあわせ有す る罹患者群 の知 能が劣

つ ていた とい う。 また市原は,鼻 性 注意散漫症 をあおせ

有す る罹患者 の手術8週 間 目の治 癒 した状態 の ときに得

た知能 と,手 術前 において得 た知 能 との比較 で,手 術後

の知 能が手術前よ りも有意 に高かつたと報告 してい る。

これらの結果から,市 原 は知能低劣の事実は当該疾患に

ともな う鼻性注意散漫症 に意 義があるとしてい る。

これ ら医学領域 でなされ た諸研究においては,調 査対

象者 の選 出にあたつて耳 鼻咽喉科的疾患の有無 とい う条

件 によつた ことがみ られ てい るが,そ の他の条件を考慮

したか ど うかはつまびらかでない。筆者は,さ きに後述

(方法 の項)の よ う な 条件 を考慮 し対象を小学 棟4,

5,6年 児童 と甲学校2,3年 生徒 にと り,田 中B式 知

能検 査法 によつて慢性副鼻腔 炎罹患児の知能検査成績を

検討 したが,そ の結果 では,男,女,全 体(男+女)の

いずれ の場 合で も.罹 患児群 の成績が健康対照児群の成

績 に比較 して低劣 であ るとい うこ とは まつた くみいだせ

なか つた(1964)。 したが つて,こ れ ら年令層の者 に関す

るか ぎ り,従 来 の医学領域 で の 報 告 とは一致 しなかつ

た。 そこで,研 究を進め,中 学校2,3年 生 徒 を 対象

に,ま ず,連 続3か 年度 にわ たつて罹患 している と診断

された生徒 の20か 月間隔(す なわ ち第1学 年 時 と第3学

年時)に おける知能検査成績 の変化を検討 した。 その結

果では,健 康対照 児群 と比較 して知能偏差値 の平均値 に

おい て劣つ てい るとか,ま た,減 少 した者の人 数が多か

つた とか の事実はみ られ なかつ た(1964)。 次に,① 罹患

後治癒 した とみ られ る生徒 につ いて罹患時 と治癒 後 とに

おけ る知能検査成績の変化,② これ とは逆 に,新 たに罹

患 した生徒 について健 康時 と罹患後 とにおける知能検査

成績の変化 とをそれぞれ検討 した。

その結果,い ずれの場合に も,健 康対照児群 の変化 に

比較 して差がみ られなかつた(1965)。

筆者は さらに,市 原 正雄 ら(1954)の 研 究にならつて

鼻性注意散漫症の有無に よつて罹患児をわけ,は たして

鼻性注意散漫症をあわ せ有す る罹思児群 の知能検査成績

*The intelligence of the school children su-

ffering wih sinuitis nasalis chronica with special

reference to their aprosexia nasalis.**Saiichi Igarashi(Shinshu University)

―33―

Page 2: 鼻性注意散漫症(Aprosexia nasalis)を 有する 慢性副鼻腔炎罹患児 …

162教 育 心 理 学 研 究 第13巻 第3号

が低劣であるのか ど うかを検討す ることとした。 これが

本研究の問題である。

方 法

1調 査対象児

筆者は医師ではないので,慢 性副鼻腔炎罹患 児,健 康

対照児の選出にあたつては児童健康診断票 の記載事 実に

したがつた。

(1}慢 性副 鼻腔炎 罹患児の選 出-慢 性副鼻腔炎 は文

字 どお り副鼻腔Sinus paranasales,Nasennebenhoehle

(上顎洞Sinus maxillaris,前 頭洞Sinus frontalis,節

骨洞Sinus ethmoidalis,蝶 形骨洞Sinus sphenoidalis)

におけ る慢 性の疾患 である。従来 の研究で は罹患洞 のい

かんや炎症の種類 を区別す ることな く一様 に慢性副鼻腔

炎 罹患者 を対象に している。筆者 もこれ にならつ た。 ま

た,筆 者が松 本市内の小 ・中学校 について 当該疾患の罹

患 率を数年度にわ たつて調 査 した ところ,年 度 によ り,

学 校 によ り大きな差違 がみられた。 これは学校 におけ る

定 期的健康診 断検査 において,当 該疾患の診断が容易で

ない ことを物語つ ている。 この事実 と,筆 者が医 師でな

く一介 の心理学徒 にす ぎないことか ら,慢 性副鼻腔炎罹

患児の選 出にあたつては,本 研究を行なつた年度 をふ く

め連続2か 年度かそれ以上 の年度 にまたがつ て副鼻腔炎

と診断 された児童 の うち,未 処置の虫歯は別 として,裸

眼視 力0.9以 上*で,心 臓弁膜症,難 聴,色 盲,色 弱,

耳垢,栄 養要注意,貧 血症,肺 動脈音不順,長 時間歩行

困難 その他 の疾患,障 害 の記載のみら れ な い 児童を選

び,慢 性 副鼻腔罹患 児 とした。 したがつて,1校 におい

て このよ うな 条 件 に 合致 した罹患児数は少数 であ る。

Table1,は1962(昭 和37)年 度 におけ る松本市 内4小

学校4,5,6年 の在籍児童数,副 鼻腔 炎罹患児数,筆

者が さきの研究において選 出した慢性 副鼻腔炎罹患児数

を示 した ものである。 この よ うな事 実か ら多 くの調査対

象児を得 るためには,い きおい多数 の学校 にまたが らざ

るを えなかつた。

(2)健 康対照児 の選 出-慢 性副鼻腔 炎罹患児 と同様む

に,本 研究を行 なつた年度をふ くむ連続2か 年度あるい

はそれ以上の年度 にまたがつて,未 処置 の虫歯は別 とし

て,裸 眼視力1.0以 上で,上 述の疾患,障 害の記載 のみ

られ ない児童 を健 康対照児 とした。健 康対照児は,罹 患

児 と同級 で同性 であ り,罹 患児の生年 月 日に近 く,家 庭

の経済的状態 の類似 の者を,罹 患 児数 の2倍 ないし3倍,

とるよ うに した。 なお,従 来の研究では罹患児や対照児

の選 出条件 には耳鼻 咽喉科的疾患 の有 無のみが考慮 され

てい るよ うである。

(3)鼻 性注意散漫症 を有する罹患児 の選 出一 注意散

漫症 といつて も,そ れは注 意散漫 の み な らず記憶力減

退,思 考力減退,頭 重その他の症状 をふ くむ広 く多面的

な症状である。市原正 雄 らの研究ではこの鼻性注意散漫

症の有無の決定 をどのよ うに したか は明ら か で は ない

が,お そら く自覚 的症 状に よつた もの と思わ れる。 もと

もと,注 意,思 考,記 憶 等の心的状態 は複 雑であ り,そ

の把握に も多 くの方法 があろ うし,ま た,そ の全貌を明

らかにするこ とは容易 ではあるまい。筆者 は,① 注意散

漫の決定は調査対象児 の担任教師による評 定によつた。

すなわち,注 意散漫 な状 態をく とても注意散 漫〉〈やや

注 意散漫 〉〈注意散漫 ではない〉の3段 階 にわけ て評定

して もらつた。 この うち前の2段 階 に評 定され た場合を

注 意散漫 とみ なした。 ②記憶 につ いて も同様に担任教師

の評 定 に よ つた。評 定段 階は〈とて もよい〉〈やや よ

い〉 〈普通 〉〈やや よ くない〉〈 とて もよくない〉の5

段 階である。 これ らの段 階の うち後 の2段 階に評定 され

*健 康対 照児同様 に1 .0以 上 とす ると罹患児 の人数が

少 なくなるので0。9以 上 とした。

Table1学 年,性 別 ごとの在籍 児童数,副 鼻腔炎罹患 児数 および被験児数(慢 性副鼻腔炎 罹患

児数)1962(昭 和37)7現 在

()内 の数 は,在 籍児童数に対す る%

―34―

Page 3: 鼻性注意散漫症(Aprosexia nasalis)を 有する 慢性副鼻腔炎罹患児 …

五 十嵐:鼻 性注 意散漫症(Aprosexia nasalis)を 有す る慢性副鼻腔炎罹患 児の知能検査成績 について163

Table2鼻 性注意散漫症を もつ罹患児数 とそ うでない罹患 児数

十……健康対照児群については,鼻 性注意散漫症 と類似の状態の有無の人数 を示 した。

た場 合を記憶が劣 るとみな した。③思考 につい ては,知

能検 査の下位検査に よつた。すなわち 田中B式 知能検査

第2形 式 を構成 してい る下位検査の うち,特 に思考に関

係 しているとされてい る第1,第2,第6の 各検査の換

算 点の平均値(M)と 標 準偏差値(SD)と の関係から

M-1一2SD以 下の換算点を得た下鹸 査が2つ 以上ある

場合 を,思 考が劣 るもの とみな した。④頭重は児童 自身

の評定 に よ つ て 決定 した。すなわち,児 童 に頭が重い

(頭がすつ き りしない)状 態を,そ の よ うな ことがく よ

くあ る〉〈ときどきあ る〉 くほ とん どない>の3段 階の

いずれか に評定 させた。 この うち前2段 階 に評定 した場

合 を頭重 とみな した。

上述 のこれ ら4つ の状態(症 状)の いずれか1つ 以上

に該 当した者を鼻 性注意 散漫症 を有す る罹 患児 とした。

このよ うに選出 された鼻 性注意散漫症 を有する罹患児 の

大部分は注意散漫 と評 定されていて,頭 重 のみは8名 で

あ り記憶 または思考 のみ が劣る者 は皆無 であつた。

他方,健 康対照児について も同様 の調査 を試みたが,

これ らの児童に も罹患児 にみ られ た もの と類似 の状態を

示 した者が認められ た。

これ らの状態は もち論鼻性注意散漫症 とよぼれ えない

のであろ うが,こ こでは鼻性注意散漫症 に類似 の状態 と

い うことにする。 このよ うな状態を示 した健 康対照児群

の大部分 も注意散漫 と評定 され てい る。Table2は,鼻

性注 意散漫症 をもつ罹患児群(罹 患注散群 と略記),鼻 性

注意 散漫症 を もた ない罹患児群(罹 患非注散群 と略記),

鼻 性注意散漫症 に類似の状態を もつ健康対照児群(健 康

注散群 と略記),鼻 性注意散漫症に類似の状態を もたない

健 康対照群(健 康非注散群 と略記)の 人数を男,女,全

体別 に示 した ものであ る。罹患児群 にあつては鼻性注意

散 漫症 を もつ者が約80%で あ り圧 倒的に多い。他方,健

康対 照児群 において も鼻性注 意散 漫症 と類似の状態を も

つ者 は,男児 と全体のそれぞれの場 合では約70%で あ り,

そ うでない者 よ りも有意に多かつた。 女児では約60%と

なつ てお り,そ うでない者 よ りも有意 に多 くない。一般

的 にいつ て,健 康対照児群 にあつて も鼻 性注 意散 漫症 に

類 似の状態を もつ者が多い事実が うかがわ れた。

2諸 調 査実施

知 能検 査には新制 田中B式 知能検査第2形 式を使用 し

た。知能 検査,教 師評定,児 童 自身 による評 定はいずれ

も1964(昭 和39)年6月 から7月 にか けて実施 した。 こ

れ は児童 の健 康診断終了約1か 月か ら2か 月後 であ る。

調 査時に,罹 患 児群 には治癒 した者は おらず,ま た,健

康 対照児群 には新 たになんらかの疾患,障 害 を もつた者

はいなか つた。諸 調査は各学校 ごとに実施 したが,各 学

校 ごとの調査対 象児数は少ないので該当児 を一室に集め

放課後 に行つた。 自己評定および知能検査 は同 日に実施

したが,実 施 に先 立つて この調査は学校 の成績 となん ら

関係が ない こと,あ りのまま正直に書 くこと,一 生けん

め いや ることなどを強調 した。教 師評 定は,自 己評 定お

よび知能検査実施 当 日当該 児童担任教師に評定表を渡 し

1週 間後 に回収 した。

3処 理

知能検査成績は知能偏差値のみを求 め,下 位検査 ご と

の検討は行なわ なか つた。結果は知能偏 差値 の平均値 と

知能評価段階 ごとの人数比 との2視 点に立ち,全 体(男

+女)の 場合につ いて算出した。知能評価段階 ごとの人

数比の2群 間の差の検定 にあたつ て,〈 秀 〉 と〈優 〉の

両 段階,〈 可〉 と<不 可 〉の両段階 とを それ ぞれ一括 し

た。2群 の人 数の合計が40か それ以上の場 合にはX2検 定

を適用 し,Yatesの 修正をほど こし,40以 下の場 合に

はFisherの 直接確率exact methodに よつて検討 し

た。

結 果

1平 均値 の検討

罹患注散群,罹 患 非注散群,健 康注散群,健 康非注散

群,健 康全群(健 康注散群+健 康非注散群)の5群 の う

ち の任意 の2群 の知能偏差値の平均値,平 均値 の差,標

準偏差値,平 均値 の差のtテ ス ト結果 はTable3に 示

した。 この表か らは,い ずれの任意 の2群 の平均値 の間

には5%水 準の危 険率 では有意 の差は みられ なかつた。

―35―

Page 4: 鼻性注意散漫症(Aprosexia nasalis)を 有する 慢性副鼻腔炎罹患児 …

164教 育 心 理 学 研 究 第13巻 第3号

したがつ て,罹 患注散群の知能偏差値が他の群 に比 して

低いこ とは認 められ なかつた。

2知 能評価段階 ごとの検討

上記5群 の うちの任意の2群 の知能 評価段階ご との人

Table3任 意の2群 の知能偏 差値の平均値(M),

平均値の差(di),標 準偏差値(SD)お よ

び平均値の差のt検 定

罹……罹 患 児

健……健康対 照児

+… …母分散 が同質 でない

注 散……注意散漫症

非注散……注意散漫症で ない }健康対照児では類似の状態を示す。

数比の両群間の差 のX2検 定お よび直接確率の結果 では,

どの知能評価段階 において も有意の差がみ ら れ な か つ

た。 したがつて,罹 患注散群 には知能偏差値 の低い段階

の者が多い事実は認め られ なかつた。

考 察

慢性副鼻腔炎罹患者を鼻 性注 意散漫症の有無に よつ て

分け,知能研究を初めて試みたのは市原正雄 らであ り,そ

の後の研究はみあた らないといつて よい。 それだけに市

原らの研究は注 目に値する。かれ らは対象を高等学校生

徒 にとつてい るが,鼻 症状 とともに鼻 性注意散漫症を有

する群30名,鼻 症状のみを有 する群30名,健 康対照群

216名 となつてい る。田中B式 知能検 査の結果は主にIQ

の平均値 で出 されている。19の 平均値 は鼻性注 意散漫

症 を有する群98.3(σ7.9),鼻 症状 のみの群115.0(σ

16.8),対 照群118.8(σ13.2)で あ り,任 意 の2群 間の

平均値 の差の検討からは,罹 患者 で も,鼻 性注 意散漫症

を有す る者の群の知能検査成績 のみが低 く,鼻 症状のみ

で鼻性注 意散漫症を有 しない者 の群 のそれ は対照者群 と

同 じであつてけつ して低 くな いこ とが みられ ている。 こ

れ はまこ とに注 目され る事 実 といえよ う。 それ は,こ れ

まで慢性 副鼻腔炎罹患者群 にみ られ る知能低劣 の事 実か

ら,当 該疾患 が知能に影響(悪 影響)を もた らす もので

あ り,知 能低 劣の原囚であ るとみ なされ る傾 向にあつ た

か らである。市原は,上 述の研究結果や さらには前述 し

た よ うにかれ がその後に行なつた手術前 ・手術後 におけ

る知能の変化等 の結果か ら,当 該疾患が一次性的 な知能

低劣の原 因 と考 えられない とみな してい る。す なわ ち,

注意散漫症 を有す るとい うことは副鼻腔炎が精神活動 に

影響を及ぼす とい うことを示 して お り,し たがつ て,精

神活動の健全性は注意散漫症 を有す る副鼻腔炎 によ り影

響 され るのではないか と観 察 され るとし,鼻 性注意散漫

症を有す る罹患事実に意義 をみいだそ うとして いる。

さて,筆 者 もこの問題 を取 りあげたのであ るが,筆 者

の研究では健康対照児群 を罹患 児群 同様に鼻 性注意散漫

症に類似の状態の有無によつ て分け,検 討 した。罹患,

健 康両児群を通 じて,鼻 性注意 散漫症 に類似 の状態を も

たない健康対照児群 こそ,そ の知能検 査成績が他の要因

に妨 げ られ ることが少な く最 もよ く示 され る可能性があ

ろ うし,こ れ とは対照的に,鼻 性注意散漫症 を有 する罹

患 児群 こそ,そ の知能検査 成績が罹患 自体や鼻性注意散

漫症 等に よつて妨 げられ最 も発揮 され えないこ とが考 え

られ る。 すなわち,理 論的にいつ て も,も し任 意の2群

間に有意 の差が最 も顕著にみ られ るとすれば,そ れ はこ

の2群 間においてであろ う。 ところが,知 能偏差値 の平

均値 において もまた知能評価段階 ごとの人数 の比 におい

て も,両 群 間に有意の差がみ られず,鼻 性注意散漫症を

有す る罹患 児群 の知能検 査成績が低劣であ る事実が まつ

た く認め られ なかつた。 それ であ るか ら,そ の他のいか

なる任意 の2群 の間に も同様に有意の差がみ ら れ て い

ない の も当然 といえ よ う。小学 校児童を対象 とした この

種の研究業績は他にみあたらないので比較考察はで きな

かつた。 このよ うに筆者の研究結果は,高 等学 校生徒を

対象 とした市原正雄らの研 究結 果 と相違 した。 この相違

は対象者 の年令層が異 なつ てい る点に関係 があ るのでは

ないか と も考 えられ よう。

平林栄次は異なつた年令層(小 学校3年 か ら,6年 ま

での児童 と高等学校 生徒)に おける副鼻腔 炎罹患 児群 と

対照児群 との間のIQの 差の比較 から,副 鼻腔 炎罹患 児

の知 能は一般に高い年令の者 の場 合よ りも軽度 ではない

―36―

Page 5: 鼻性注意散漫症(Aprosexia nasalis)を 有する 慢性副鼻腔炎罹患児 …

五 十 嵐:鼻 性 注 意 散 漫 症(Aprosexia nasalis)を 有 す る慢 性 副 鼻 腔 炎 罹 患 児 の 知 能 検 査 成 績 に つ い て165

だ ろ うか と考 えてい る。 もし,こ の よ うな傾向が事実 と

す るならば,高 等学校生徒 よ り年令の低 い小学校 児童に

あつ ては,鼻 性注意散漫症の有無に よる検 討で も,高 等

学校 生徒 の場 合 と異なつた結果にな ることも考え られ な

いこ ともない。 しかし,こ こでふたたび強調 した いこ と

は,こ れ までの医学領域 での研究 では,年 令層 のいか ん

を問 わず罹患者群 の知能が低劣 であつ たのに対 し,筆 者

の小学 校4,5,6年 児童,中 学校2,3年 生徒 につい

ての以前の研究では,い ずれ もそのよ うな事実は認め ら

れず罹患 児群 の知能検査 成績 はなん ら健康 対照児群 と変

らなかつ た点である。 この事 実か らすれば,上 述の意味

とは違つ た意 味で市原 らの研究結果 と必ず しも一致 しな

くて もよ さそ うに思われ る。

筆者 の以前の研究および本研究の結果か らは,慢 性副

鼻腔炎 自体 は もちろん,こ の疾患 に多 くともな うとされ

ている鼻 性注 意散 漫症 もともに,知 能検査成績 に望 ま し

くない影響を与える ものではない ことが示唆 された。

要 約

医学領域 でな された高等学校 生徒 を対象 に した鼻性注

意散漫症(aprosexia nasalis)の 有無 による知能 の研究

結果では,鼻 性注意散 漫症 を有す る罹患 児群 の知能は低

劣で あつ た と報告 されている。 この ことか ら慢 性副鼻腔

炎罹患者 の知能低劣の事実は当該疾患 自体のみに よると

い うよ りは,む しろ鼻性注 意散漫症に関係す るのではな

いか との見解 もみられてい る。

筆者 は児童健 康診断票 に記載 されてい る事実 に もとつ

いて,松 本市内の小学校4,5,6年 児童か ら調査対象

児を選 出 した。調 査年度をふ くんで連続2か 年度 あるい

はそれ以上の年度にまたがつ て,未 処置 の虫 歯は別 とし

て,① 当該疾患以外に,他 の疾患 あるいは障害 のない者

を罹患児 とした。該当児は44名(男23名,女21名)。 ②な

ん らの疾患 あるいは障害 のない者 を健康対 照児 とした。

該 当児 として77名(男39名,女38名)を とつた。

さらに,罹 患児を鼻 性注意散 漫症 を有する者 の群 と,

そ うでない者 の群 とにわけた。 他方,健 康 対照児を,鼻

性注 意散漫症 に類似の状態を もつ者 の群 と,そ うでない

者 の群 とにわけた。そ して,か れ らの知能検 査成績(知

能 偏差値)に ついて平均値 と知能評価段 階 ごとの人数比

との2つ の観 点か ら全体的(男+女)に 検 討 した。知能

検査成績 は新制 田中B式 知能検査第2形 式に よつ て測定

した。結果 は次 のよ うに まとめ られ る。筆 者が とつ た方

法 の もとでは

1知 能検査成績におい て鼻性注意散 漫症 を有する罹

患群 の方が低劣 であ るとい うこ とは認め られなかつた。

2鼻 性注意散漫症が知能検査成績に望ま しくない影

響 を もたらす ものでないこ とが示唆 された。

なお,調 査対象児童 を もつ と多 くした場合の検討は今

後に残 された。

参 考 文 献

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Hale=Nasen=Ohren=Heilkunde. Julius Spring-

er. 52.

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五十嵐斎一 1964 慢性副鼻腔炎罹患 児の知能検査成

績. 日本応用心理学会第31回 大会

五十嵐斎 一 1964 慢性副鼻腔炎罹患 児の教育 心理学

的研究 (第3報). 信州大学教育学部紀要, 14. 1-8

五十嵐斎一 1965 慢性副慢腔炎罹患児の教育心理学

的研究 (第4報). 信州大学 教育学部論集, 16.

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と精 神権能 との関係. 耳喉, 25, 470-473.

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と精神機 能 との関係(第2報), 耳喉, 26, 536-539.

市 原正雄 1956 慢 性副鼻腔炎 と精 神機能 との関係 ・

耳喉, 28, 251-261-

医学大辞典(第10版). 1964 南 山堂

中村利八郎 1960 小児慢性副鼻腔炎の統計 的研究

(I) : 学童の鼻内型態 を中心 とした統 計的観 察.

耳喉展望, 3 補 3, 265.

中村利八郎 1960 小児慢性副鼻腔炎の統 計的研究

(II).当 外来患者 の1000症 例 の鼻内所見 と副鼻腔病

変 との関係. 耳喉展望, 3補3, 277.

鈴木 篤郎 ・平林栄次 1951 慢性副鼻腔炎 と精神機能

(第1報)-中 学生 の知能 に及ぼす影響-. 耳喉

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白岩俊 雄 ・北村 武編 1960 耳鼻咽喉科学(上 巻). 医

学書 院.

白倉賢 三 1959 慢性副 鼻腔炎と精神機能 との関係

(1)(2)(3)(4). 日耳喉科 学会報, 62-5, 959.

鳥居恵三 ・金野厳 1960 耳鼻 咽喉科学. 南 山堂.

(1965年4月9日 原稿受付)

―37―

Page 6: 鼻性注意散漫症(Aprosexia nasalis)を 有する 慢性副鼻腔炎罹患児 …

ABSTRACTS 191

THE INTELLIGENCE OF THE SCHOOL CHILDREN SUFFERING

WITH'SINUITIS NASALIS CHRONICA'WITH SPECIAL

REFERENCE TO THEIR'APROSEXIA NASALIS'

by

Saiichi Igarashi

Shinshu University

In this study I have examined the relationship

between the intelligence of the children suffering

with'sinuitis nasalis chronica'and also having'ap-

rosexia nasalis'in comparison with the sufferers

from the same disease but not having 'aprosexia

nasalis'and also in comparison with the healthy

children.

On this problem it has hitherto been reported

in the medical studies that their intelligence is gen-

erally low.

The result of an investigation of theirs which

was made with senior-high pupils to find out wheth-

er they had'aprosexia nasalis'shows that the

sufferers also having this defect are of low intel-

ligence.From this they imply that the poorness of

their intelligence is closely connected rather with

'aprosexia nasalis'than with the disease itself .

To study the problem subjects were selected

by examing written records on the school register

of the children's medical examination.There were

121 school children(62 boys and 59 girls)of the

fourth,fifth and sixth grades,of whom,for more

than two years,except for untreated decayed teeth,

23 boys and 21 girls had not been suffering from

any other disorder but ,sinuitis nasalis chronica ,'

while,on the same condition,39 boys and 38 girls

had been in excellent health.

The sufferers were divided into groups those

in one had,aprosexia nasalis'and those in the oth-

er had not.The control group of the healthy chil-

dren were similarly done as to the like symptom of

this trouble.Then, from the two viewpoints of the

mean,and the ratio of the respective number of

children belonging to each grade of intelligence,I

have investigated their I.S.S.s on the whole

(including boys and girls)and with the distinction

between boys and girls.

The intelligence test used in this 5udy was Ta-

naka Intelligence Test New B Form ‡U.

The results are summed up as follows:

1 Contrary to the reports in the medical studies,

the idea that the intelligence of the sufferers who

have,aprosexia nasalis'is inferior cannot be ob-

served.

2 It is implied that'aprosexia nasalis'has no bad

influence upon the results of the intelligence

test.

And still there remains need of further investi-

gation when the subjects are much larger in nu-

mber.

―63―