※気仙新聞第17号は「三陸復興」特集の第8弾として お届け ...第 17 号...

第 17 号 ※気仙新聞第 17 号は「三陸復興」特集の第8弾として お届けいたします。大震災から丸4年が過ぎて、気仙地 方の企業の中では本格的な復興に向けて海外への進出を 図る企業も出てきました。 また、災害公営住宅が相次いで完成する中、地域の人 たちの生活にも、ようやく震災前の落ち着きが見られる ようになってきています。そんな気仙の姿をこの紙面か ら感じていただければ幸いです。 KIBO 沿貿沿岩 手 岩 手 岩手県 気仙地方 風の人にも土の人にもやさしい風が吹く ギュッと詰まった「リアスの恵み」がここにはあります 気仙川 http://epix.co.jp /category/kesennews/ 米国に「KIBO(希望)」を出荷する「酔仙酒造」大船渡蔵(P.1) 活ホタテを台湾に出荷する「五十集屋」 (P.1) 「被災地の今」大船渡駅(P.3) 奥野ひかるさんがライブをした 赤崎町後ノ入仮設(P.3) 今野当さんらのプロジェクトで作った グラウンドがある赤崎町(P.2) NPO法人「絆プロジェクト三陸」 (P.2) 千石船「気仙丸」が帆走した大船渡湾(P.4) 「シティホテル山口」 (P.2) コミュニティFM「FMねまらいん」 (P.2) 毎月「軽トラ市」が行われる大船渡温泉(P.4) 工房「めぐ海」 (P.2) 西下地区の災害公営住宅(P.1) 「㈲橋勝商店」 (P.2) 「ササキスポーツ」 (P.2) 「タコ丼」が食べられる 再生の里ヤルキタウン(P.4) 「気仙とともに」㈱山十(P.4) 一般社団法人 「SAVE TAKATA」 (P.2) シイタケ栽培をする黒澤勲さん(P.2) 「全国木のまちサミット」が 行われた住田町役場(P.4) [1] 酔仙酒造の大船渡蔵の前で『KIBO(希望)』を手にする社員たち 瓶詰め作業が行われる酔仙の大船渡蔵工場のライン 出荷する活ホタテのパックを手にする五十集屋の野田社長 西宿災害公営住宅の整備着々と 陸前高田市内に昨年 12 月完成した「西下団地」

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  • 第 17 号 ※気仙新聞第17号は「三陸復興」特集の第8弾としてお届けいたします。大震災から丸4年が過ぎて、気仙地方の企業の中では本格的な復興に向けて海外への進出を図る企業も出てきました。 また、災害公営住宅が相次いで完成する中、地域の人たちの生活にも、ようやく震災前の落ち着きが見られるようになってきています。そんな気仙の姿をこの紙面から感じていただければ幸いです。

    酔仙酒造「希望」を米国に

    陸前高田市高田町の酔仙酒造(金野

    連〈つらね〉社長)は、昭和十九年に旧気

    仙郡内八つの酒蔵が合併した会社が前

    身となっています。登録有形文化財で

    あった由緒ある酒蔵で醸造、販売をし

    てきましたが、東日本大震災津波で全

    壊。一時は会社の存続も危ぶまれまし

    たが、再興への強い思いから、一関市

    の酒蔵での仮住まいを経て、大船渡市

    猪川町に酒蔵を新築しました。その大

    船渡蔵から昨年夏、米国向けの特別純

    米酒を初めて出荷しました。

    この米国輸出は一昨年、千葉県で開

    かれた国際見本市への出展がきっか

    け。気仙ファンというコンサルタント

    会社や復興支援ボランティアの協力

    で、米国の日本酒メーカー最大手との

    商談が成立しました。

    震災からの復興を願って『K

    IBO

    (希

    望)』と名付けられたこのお酒は、日

    本酒としては珍しい缶タイプ(一缶18

    0ミリリットル)で、気仙沿岸に水揚げ

    される鮭のイラストや、酔仙酒造の被

    災から復興までの説明文を付けて出荷

    されており、日本食スーパーでの販売

    や和食レストランでの提供などを見込

    んでいます。

    「日本酒と食文化の探求」をモット

    ーに日々努力を重ねる同社では昨年末

    までに四万本を輸出。更に、今春にも

    四万本の出荷を予定しています。金野

    社長や担当の和田浩之営業部販売課長

    は、「和食を楽しむ様々なシーンで日

    本酒がたしなまれることを期待しま

    す。気仙の多彩な食材が海外展開さ

    れ、ともに復興に貢献できれば嬉しい

    ですね」と語っていました。

    五十集屋は生ホタテを台湾へ

    一方、海産物の輸出を始めたのは大

    船渡市三陸町のホタテ加工卸売業・五

    十集屋(いさばや・野田修一社長)。震災で

    工場が流失したものの再起を図り、台

    湾という新たな市場で「三陸ブラン

    ド」の定着を目指しています。

    五十集とは、魚問屋や魚介類の仲

    買人のこと。五十集屋は昭和初期に

    創業し、水産物加工販売を営んでい

    ましたが、震災後は経営者の高齢化

    や資金難などで廃業の危機に陥りま

    した。しかし、二十余年の経験と

    「三陸のホタテは日本一」を自認する

    野田さんに事業継続が委ねられ、国

    や県など関係機関の支援を得て、平

    成二十四年に工場を再建。二十五年

    春には株式会社化して野田さんが社

    長に就任、事業を本格化しました。

    主力は『活(いけ)てるほたて』と

    銘打った生ホタテで、同社の復活を

    知った大阪の貿易業者から声を掛け

    られ、台湾への輸出を始めました。

    ホタテの貝柱をパック詰めして成田

    空港へ陸送し、翌日には台湾へ届け

    ます。殻のむき方から輸送中の温度

    管理まで徹底する新鮮さが売りです。

    昨年夏に一・五トン分を出荷したの

    ち、月に複数回、定期的に輸出して

    おり、今後も継続していく予定です。

    野田社長が「三陸産、特に気仙産

    は大粒で肉厚、甘みも濃いんです」

    と太鼓判を押すホタテは、台湾での

    評判も上々とのこと。

    地元産の原料ホタテの確保、輸送

    手段などが課題となっていますが、

    昨年、県水産加工品コンクールで知

    事賞を獲得したホタテ加工品『五十

    集屋コロッケ』のほか、新商品にも

    対応できるよう新工場を計画してい

    ます。「小さな町の小さな会社から三

    陸と復興をアピールし、地元の雇用

    拡大にもつなげたい」と意欲的です。

    海外を目指す動きはほかにも

    海外展開を目指す動きは、少しず

    つ広がりを見せています。

    大船渡市の水産加工会社・コタニ

    は、昨年秋から大船渡市三陸

    町産の塩蔵ワカメを米国

    に、海鮮サラダをフラン

    スに出荷し始めました。

    また、気仙沿岸産カキを

    中国に輸出しようとい

    う漁業者有志の動きな

    どもあります。

    和食がユネスコ無形

    文化遺産へ登録された

    ことを機に日本の食への

    関心が高まっており、気仙

    地方の豊かな食文化の発信者

    として今後ますますの活躍が期

    待されています。

    岩 手岩 手

    岩手県 気仙地方

    風の人にも土の人にもやさしい風が吹く ギュッと詰まった「リアスの恵み」がここにはあります

    気仙川

    http://epix.co.jp /category/kesennews/

    米国に「KIBO(希望)」を出荷する「酔仙酒造」大船渡蔵(P.1)

    活ホタテを台湾に出荷する「五十集屋」(P.1)

    「被災地の今」大船渡駅(P.3)

    奥野ひかるさんがライブをした赤崎町後ノ入仮設(P.3)

    今野当さんらのプロジェクトで作ったグラウンドがある赤崎町(P.2)

    NPO法人「絆プロジェクト三陸」(P.2)

    千石船「気仙丸」が帆走した大船渡湾(P.4)

    「シティホテル山口」(P.2)

    コミュニティFM「FMねまらいん」(P.2)

    毎月「軽トラ市」が行われる大船渡温泉(P.4)

    工房「めぐ海」(P.2)

    西下地区の災害公営住宅(P.1)

    「㈲橋勝商店」(P.2)

    「ササキスポーツ」(P.2)

    「タコ丼」が食べられる再生の里ヤルキタウン(P.4)

    「気仙とともに」㈱山十(P.4)

    一般社団法人「SAVE TAKATA」(P.2)

    シイタケ栽培をする黒澤勲さん(P.2)

    「全国木のまちサミット」が行われた住田町役場(P.4)

    [1]

    海外展開で復興と地域貢献を

    東日本大震災津波から四年、気仙地方の酒蔵が日本酒を、水産加

    工業者が海産物を、それぞれ海外に輸出する取組を始めました。

    支援への感謝と復興の様子、地場産品の魅力を伝えながら、市場

    開拓を通じて地域経済への貢献も期待されています。

    酔仙酒造の大船渡蔵の前で『KIBO(希望)』を手にする社員たち

    瓶詰め作業が行われる酔仙の大船渡蔵工場のライン

    出荷する活ホタテのパックを手にする五十集屋の野田社長

    岩手県が陸前高田市小友地

    区に整備を進めてきた災害公

    営住宅「西下団地」が、昨年

    十二月に完成しました。四階

    建て四十戸の規模で、建物は

    車椅子利用者や高齢者に配慮

    したバリアフリー設計になっ

    ています。

    県と市町村が建設する災害

    公営住宅は、気仙地方では三

    十八団地一八〇一戸が整備さ

    れる予定です。昨年までに、

    大船渡市では八団地一六一

    戸、陸前高田市では三団地一

    九〇戸が完成し、完成を待ち

    望んでいた地域の方々が入居

    を始めています。二十六年度

    中には更に、三団地一一一戸

    が整備され

    る予定で

    す。災

    害公営

    住宅は、資

    材や人材の

    不足、建設

    従事者の宿

    泊施設の不

    足など様々

    な問題を乗

    り越えなが

    ら、平成二

    十八年度に

    は完了する

    予定です。

    災害公営住宅の整備着 と々

    陸前高田市内に昨年 12月完成した「西下団地」

  • 活動の任期は「復興の日」まで

    一般社団法人「S

    AV

    E TA

    KA

    TA

    は、発災翌日の平成二十三年三月十

    二日に陸前高田市の出身者が中心

    となって設立されました。佐々木さ

    んはその代表理事を務めています。

    震災時、東京で働いていた同級生

    とともに「自分たちにできることを

    しよう」と始まった佐々木さんらの

    活動も、震災から四年経ち、「支援」

    から「課題解決」へと変わりつつあ

    ります。

    一次産業の担い手不足や人口流

    出などの課題を解決しようと、米崎

    りんごの加工販売事業や若者への

    就農体験の提供といった担い手づ

    くりの事業などに活動の幅を広げ

    ています。

    「それぞれが自分の得意分野で頑

    張れば、必ず町は良くなる」と佐々

    木さんの奮闘が続いています。

     震災以降、サッカーを通して子

    どもたちの支援活動を行う大船渡

    市の一般社団法人「東北人魂・岩

    手グラウンドプロジェクト」。代

    表理事を務める今野さんは、サッ

    カー教室を経験する度に成長する

    子どもたちの姿が何より嬉しいと

    言います。

     活動のきっかけは、「サッカー

    をやる場所がない」という子ども

    たちからの声でした。高校の同級

    生でプロとして活躍する小笠原満

    男選手らの協力で、被災した小学

    校の跡地にグラウンドを整備。二

    年前からは、月に一度、プロのコ

    ーチや選手を招いた無料サッカー

    教室を開催しています。

    「子どもたちが笑顔でグラウンド

    を駆け回る。それが一番の喜びで

    す」と、今野さんは笑顔で語って

    くれました。

    ササキスポーツ 社長

     震災後、陸前高田市で唯一のス

    ポーツ用品店となった「ササキス

    ポーツ」の社長・菅野さんは、「子

    供たちの気持ちを切らさずにつな

    げていくことが震災復興に役立つ

    はず」と営業を再開したといいま

    す。

     被災直後は「もう終わりだ」と

    思ったといいますが、「大会があ

    るから用具が欲しい」という県内

    各地の顧客からの注文が、菅野さ

    んを奮起させました。

     平成二十三年十月には仮設店舗

    で営業を再開。グローブやラケッ

    トを手に取り、目を輝かせる子ど

    もたちの姿に、「再開して良かっ

    た」と心から感じたといいます。

     「これからは健康的に運動する

    ためのアドバイスができるように

    ならないとね」と菅野さんは次の

    ステージを見据えています。

    一般社団法人

    SAVE TAKATA 代表理事

    東北人魂・岩手グラウンド

    プロジェクト 代表理事

    大船渡市にある「シティホテル

    山口」の代表・山口さんは、被災

    したホテルを再建し、今年五月の

    オープンを目指しています。

    地震直後、ホテルの被害確認中

    に大津波に襲われた山口さんは、

    奥さんと共に壊れていく街と自ら

    のホテルを四階の部屋から呆然と

    眺めていたといいます。

    それでも、ホテルの再開を諦め

    ず、難題を少しずつ解決し、よう

    やく再建にこぎ着けた山口さん。

    震災直後からこれまで、市内の復

    旧事業に従事しながら、この日を

    待ち続けていました。

    「再建の気持ちを強く支えてく

    れたのは、『また来ます』という

    宿泊客の言葉でした」という山口

    さんの新たな挑戦が、いよいよ始

    まります。

    シティホテル山口 代表

     子どもの支援を中心に活動する

    大船渡市のNPO法人「絆プロジ

    ェクト三陸」代表の佐藤さんは、

    震災からの日々を「無我夢中でし

    た」と振り返ります。

     整体業の店舗と自宅を失った被

    災者でもある佐藤さんですが、震

    災直後から市の災害FMの立ち上

    げや運営に携わり、そこで多くの

    支援団体や著名人と出会うことに

    なりました。

     そんな中で、被災地を支援する

    人の受け皿が必要だと考えた佐藤

    さんは、平成二十四年に法人を設

    立。お笑い芸人たちと一緒に行っ

    たイベントはすでに四十回を超

    え、被災した人たちに笑顔と元気

    を届けてきました。「みんなで復

    興への歩みを進めたい」という佐

    藤さんの活動はもうしばらく続き

    そうです。

    NPO法人

    絆プロジェクト三陸 代表

     住田町で農業を営む黒澤さん

    は、四年前の原発事故の影響で原

    木シイタケの生産を控えていまし

    たが、昨年十一月から念願であっ

    た出荷を再開しました。

     久慈市から原木を調達し、自身

    が持つビニールハウスで生産を再

    開したのは震災から三年経った昨

    年五月のこと。「みんなに喜んで

    もらうのが嬉しくて…

    」と毎日の

    作業に精が出る黒澤さん。生産量

    はまだまだ少ないので、出荷先は

    地元の産直施設に限られています

    が、肉厚で味の濃い黒澤さんのシ

    イタケはお客様にも大人気です。

     「シイタケは手をかけた分だけ

    良く育つ。喜んで食べてもらえる

    ようなシイタケをこれからも作り

    たい」と再開の喜びを語ります。

    農  業

    「広田の豊かな恵みを発信した

    い」と平成二十二年十一月に、村

    上さんら地域の女性有志で「工房

    めぐ海」をオープンしましたが、

    その四ヵ月後に被災。それでも

    「豊ちゃん、工房を復活してね」

    の言葉に背中を押され、一年三ヶ

    月後に再開を果たしました。

    看板商品に仕立てたのが工房の

    名を冠した「めぐ海焼」。広田で

    とれる海の幸や農産物を使ったオ

    リジナルの「お焼き」です。皮の

    米粉も、具の茎ワカメやホタテ、

    カボチャやリンゴも地元の食材。

    お焼きを作る手にも自ずと愛情が

    こもります。

    震災で工房やレシピ、大切な仲

    間を失ってしまった村上さんです

    が、「地域の人たちとともに歩む

    工房にしたい」と、今日もお焼き

    づくりに励んでいます。

    工房「めぐ海」 代表

     震災前は一般加工食品の卸問屋

    を営んでいた橋詰さんですが、震

    災後は小売や総菜の加工販売に乗

    り出しました。「この店に来ると

    元気になる。」そんな声に応えら

    れるようにと店づくりに余念があ

    りません。

     震災直後には地元の事業者とと

    もに朝市を開き、自宅の庭に小さ

    な店も開いて地域の人たちの生活

    を守るために奮闘した橋詰さん。

     一昨年の九月には、惣菜の加工

    販売をスタートし、地元のお母さ

    んたちと一緒に愛情たっぷりの手

    作り惣菜を作って市民に届けてい

    ます。

    「子どもやお年寄りが安心して元

    気に暮らせるように手助けした

    い」と微笑む橋詰さんの店づくり

    はまだまだ続きます。 

    ㈲橋勝商店 代表取締役

     大船渡市のコミュニティFM

    「FMねまらいん」でパーソナリ

    ティを務める田村さんは、平成二

    十五年の開局以来、明るく元気な

    声を気仙地方に送り届けていま

    す。

     震災の時には高校三年生だった

    田村さん。就職が決まっていた県

    外のホテルで一年ほど働いた後、

    「地元のために何かしたい」と大

    船渡に戻りました。FMの開局が

    決まったときには、「地元の情報

    を地域に届ける仕事をしたい」と、

    パーソナリティになることを迷わ

    ず決心したのだとか。

     今では、夕方の人気コーナー「田

    村のなまらいん」などを通して、

    リスナーに笑顔と元気を発信し続

    ける田村さん。飾らぬ人柄が人気

    のようです。

    子どもたちの笑顔を応援したい子どもたちの笑顔を応援したい 安心・元気な暮らしを手助けしたい安心・元気な暮らしを手助けしたい 地元の情報を伝え続けたい地元の情報を伝え続けたい

    喜んで食べてもらえるシイタケを作りたい喜んで食べてもらえるシイタケを作りたい

    広田の豊かな恵みを発信したい広田の豊かな恵みを発信したい

    逆 境 に も 負 け ず 気 仙 の 復 興 に 邁 進 し て い る 方 々 に お 聞 き し ま し た 。

    FMねまらいん パーソナリティ

    Part.8

    子どもたちのために店を続けていく子どもたちのために店を続けていく

    必 ず 陸 前 高 田 市 は 良 く な る必 ず 陸 前 高 田 市は 良く なる生まれ変わったホテルで町に灯りを生まれ変わったホテルで町に灯りを

    はし

    づめ しんじ

    たむら はなえ

    こんの あたる

    やまぐち あきら

    むらかみ とよ こ

    ささき のぶあき

    くろ

    さわ いさお

    う  け

    の 

    活動の任期は「復興の日」まで

    佐々木信秋

    さん

    野 

    さん

    さん

    藤 

    さん

    澤 

    さん

    上 豊 子 さん

    さん

    さん

    野 

    さん

    [2]

  • 「祖母の笑顔」が原点

    奥野さんは大阪生まれの大阪育ち。

    三歳から民謡を習い、さまざまなのど

    自慢大会に出場してきました。日本一

    となったことも数多いという実力の持

    ち主ですが、意外にも「おばあちゃん

    の喜ぶ顔が見たかった」というのが歌

    の原点。優勝賞品の温泉旅行に招待し

    たこともあったようです。

    スカウトされ、中学生で東京に出て、

    学業の傍らプロとして音楽活動を始め

    ましたが上手くいかず、関西に戻り会

    社勤めを経験しました。しかし、「自分

    が表現したいものを突き詰めたい」と

    退職し、おばあちゃんに再び背中を押

    されて、「音楽の道」を歩いていくため

    に、個人事務所を興しました。

    歌は民謡、演歌、歌謡曲、ポップ

    ス、洋楽、CMソングと何でもOK。

    持ち前の歌唱力と大阪人ならではの明

    るいキャラクター、豊富な話題、巧み

    な話術、個性的なパフォーマンスで構

    成するライブを中心に、おもしろい歌

    手として聴衆を楽しませています。

    これまで、自作曲や一次産業をアピ

    ールするオリジナルソング、特産品の

    PRソングを制作、発表。それらをテ

    ーマにした食育講演会、トークソング

    ライブ、イベントへの出演と、歌手、

    作詞・作曲家、講師、ボイストレーナ

    ーなど、「声」にかかわる多彩な活動

    をこなしてきました。

    支援は投げ銭ライブから

    そうした中での「3・11」。テレビに

    映し出される惨状に「これってホン

    ト?」と目を疑ったといいます。自身

    も体験した阪神・淡路大震災と重ね合

    わせながらも、「海辺で起こること(津

    波)って想像できませんでした。でも、

    何かしなくちゃ」との思いに駆られ、

    路上で投げ銭ライブを始めました。

    ある時、復興支援イベントで京都に来

    ていた岩手の方から、「三陸に元気を」

    と声を掛けられたのを機に東北へ行くこ

    とを決意したといいます。その方は、パ

    ワー溢れる奥野さんのライブが被災住民

    の心に響くと感じたのでしょう。

    最初に被災地を訪れたのは平成二十

    四年二月、目的地は大船渡市三陸町綾

    里の応急仮設住宅でした。「先入観を

    持たないよう何も調べず、応援するん

    だと大上段にも構えず、単によそのお

    宅にお邪魔して歌を聴いてもらおうと

    いう気持ちでした」と奥野さん。

    当初は一軒ずつ訪問しての活動で、

    「歌どころではない」というお宅も少

    なくなかったようですが、実際に聴い

    た方が「皆さんにも聴かせたい」と考

    え、やがて仮設住宅の集会場でのライ

    ブへと広がっていきました。 

    三百回超す被災地訪問

    奥野さんはほぼ毎月被災地を訪れ、

    一回の訪問につき平均十ヵ所でライブ

    を行います。その活動範囲は大船渡や

    陸前高田を始め沿岸全域や内陸、さら

    に宮城県まで広がりました。仮設住宅

    でのライブは、翌春には百回、平成二

    十六年の秋には三百回を超えるまでに。

    ほとんどが口コミでの開催で、中でも

    気仙地方は今年で四巡目。「個人のお宅

    訪問を合わせたら千回以上かも」との

    こと。地域住民とはすっかり顔なじみ

    となり、ファンも増えました。

    ライブは、住民の心の移り変わりに

    合わせて、衣装や選曲・トークなどを

    随時変更。懐メロや自作の被災地応援

    歌『がんばっ節』『プライド』などの

    曲と、独特の振り付け、素のままのパ

    フォーマンス、突っ込みトークで聴衆

    を「ひかるの世界」に引き込んでしま

    います。「心から笑えたし、楽しめま

    した。ありがとう」と感謝の言葉が相

    次ぎ、「ひかるちゃんを紅白歌合戦に」

    という声も聞かれます。

    ゴール決めずに継続を

    気仙地方の印象を「自分に厳しく、

    他人に優しい人たちばかり」と語る奥

    野さん。「皆さんのことが気になるし、

    どこに行っても笑顔と感動をもらえ

    る」ことが慰問ライブを続ける理由の

    ひとつ。「気負いがないから続けられ

    るのかも」とも。

    とは言っても、自費で大阪と岩手を

    往復するのは経済的な負担もあります。

    しかし、「本業の稼ぎと小遣いをつぎ込

    んでいますが、母の理解があってのこ

    と。私の歌を聴きたい方が一人でもい

    る限り、ゴールを決めずに継続したい

    ですね」と被災地に心を寄せています。

    そして、「関西では東日本大震災が

    風化しつつあります。行く先々で被災

    地の様子を語り継いでいきたい」と、

    仮設の歌姫は語り部としての活動も約

    束してくださいました。

    [新入りの条件]

    母親に連れてこられたこの子は、天

    神講に〝新入り〟するため、行屋に挨

    拶に訪れたのである。

    「おら家(い)の吉次も、天神講さは

    めて(加入させて)けらえんや。おたの

    みしぁんす…」

    と、若い母親は、先き立ちに申し入

    れた。先き立ちの「あんや(兄貴)」

    は、「新

    米(しんまい)か。夜、ひとりで

    厠(かわや)さ、行くにええべかな…」

    と、いかにも分別ありげな顔をし

    て、思案していた。

    さて、先き立ちのあんやは、直ちに

    天神講の幹部を集めて会議を開いた。

    幹部会は、炊事班、勉学班、遊戯班

    (レクリエーション係り)、警戒班(夜の見回

    り・盗難防止・他集落からの侵入者の監視等)、

    行事班(講中の行事計画・調整の係り)等

    の、それぞれの長からなっている。

    各班において互選された責任者が、

    幹部会を構成しているのである。

    先き立ちは、おもむろに口を開い

    て、本日の幹部会の議題を提案した。

    言うまでもなく、今日から講中になり

    たいと申し入れしてきた吉次の入会を

    認めるか否か、という提案である。幹

    部の面々は、次々に吉次に対して、あ

    るいはその母親に対して、遠慮のない

    質問を発した。(中略)

    第一…吉次は夜中に床に入っていて

    「夜泣き」をするようなことはない

    か? 第二…寝小便をしたり〝夜糞〟

    をしたりする心配はないか?

    等の内容であった。なるほど集団生

    活をする天神講の一員として、いずれ

    の項も大事なことばかりである。

    JR大船渡線の大船

    渡駅前周辺は、大型ス

    ーパーやホテルなども

    建ち並ぶ市の中心市

    街地でした。毎年行わ

    れる夏祭りのメイン会

    場がこの広場に設け

    られ、たくさんの人で

    賑わっていました。

    大船渡市大船渡町JR大船渡駅前周辺

    東日本大震災津波の被災者に寄り添い、歌と爆笑

    トーク、楽しいパフォーマンスで慰問を続けている歌

    手・奥野ひかるさん。大阪から手弁当で気仙地方に通

    い、仮設住宅の人たちを励まし続けています。

    [3]

    津波で駅舎が流され、駅の西側に残った建物が遙かに見える。鉄筋の建物は残っているものの、木造の建物はほとんど全壊した。

    写真中央に見えるのが JR 大船渡駅。駅舎の手前には交差点があり商店街やホテルなどが南北に続いていた。

    駅西側には仮設の商店街が建ち並び、電柱が立ち並ぶ様子から復旧がうかがえる。手前の駅東側はかさ上げが急ピッチで進んでいる。

    奥 野 ひかる

    「仮設の歌姫」「元気配達人」

    慰問ライブに全力投球!

    2015年2月27日 2011年3月16日 2008年4月28日

    ➡ ➡

    リアスの歳時記は金野靜一著『海の年輪』

    (ツーワンライフ出版)より抜粋したもの

    です。

    大船渡市赤崎町の後ノ入応急仮設住宅で歌を披露する奥野さん

    慰問の後、参加した皆さんと記念撮影におさまる奥野さん

    陸前高田市米崎町のコミセンで、元気いっぱいのパフォーマンスを披露

  • 木材利用に取り組む地方自治体や林

    業・木材産業関係者が一堂に会する

    「全国木のまちサミット」が昨年十一

    月、住田町で二日間にわたって開かれ

    ました。

    木材利用の現状や課題、解決方策な

    どを議論し、その利用促進と国産材自

    給率の向上に、地方自らが主体的・積

    極的に取り組んでいることを全国にア

    ピールしようと企画されました。サミ

    ットは実行委員会が主催し、地元をは

    じめ北海道から九州までの行政機関、

    林業・木材事業者、住宅メーカーなど

    産学官から約百六十人が参加しまし

    た。初

    日は、実行委員会委員長でもある

    多田欣一住田町長が「サミットが今後

    の林業振興に役立てられることを期待

    します」と挨拶。その後、国産材の需

    要拡大に関する講演、木材利用の促進

    に向けた自治体や教育の役割などにつ

    いての討論、先進事例の発表が行わ

    れ、関係者が一丸となって木材利用の

    加速化に取り組むことを誓い合う「わ

    れら木のまち宣言」を採択しました。

    二日目は、昨年九月に完成し大規模

    な木造二階建築として注目を浴びる住

    田町役場や木造仮設住宅などを視察。

    参加者は、様々な観点から、木材利用

    の重要さを再認識していました。

    木質感たっぷりの庁舎を見学する参加者

    17

    株式会社山十

     代表取締役

     

     う

     

     

    たかし

     東

      孝

    大船渡工場全景

    いち早く復活し

      新学期を支えた

    □□□□□□□□□□□□□□□

    ◆山十さんの会社概要について教えてください。

    昭和三十六年、高田町に伊東文具店とし

    て創業し、五十一年に書籍部門を開業。平

    成元年に株式会社化しました。十二年にシ

    ョッピングセンター「リプル」に書籍部門

    を移転し、「ブックランドいとう」として

    営業してきました。現在は従業員九人で書

    籍や文具、震災復興グッズ、事務用機器な

    どの販売を手掛けています。

    ◆震災時の状況はいかがでしたか。

    震災当日、私は陸前高田駅前通りの本

    社にいました。地震の後、「津波が来る」

    と直感しましたのですぐお客様と従業員

    を避難させ、そのあと理事長を務めてい

    る「リプル」(高田松原商業開発協同組

    合)に向かいました。

    国道45号沿いの「リプル」では、年二

    回避難訓練を行っています。二日前に大

    きな地震があったばかりだったこともあ

    り、お客様の避難誘導を終えていまし

    た。そこで従業員も避難するよう指示で

    きました。

    施設内でお客様に犠牲者はありません

    でしたが、自宅に戻ったあと津波に遭わ

    れた方もおり、まことにお気の毒でし

    た。当社関係では社長らを亡くし、商品

    や書類等も失いました。

    ◆被災からわずか一カ月余りで、仮設店舗な

    がら営業を再開したと伺いましたが・・・

    三月は小中高校の新学期や入学式の準

    備をする時期です。四月二十日から新学

    期が始まることになりましたので、それ

    に間に合うように、皆さんの生活の一助

    にとの一心で、高台の地権者さんの理解

    を得て、プレハブを自前で建てました。

    学用品や文房具、教科書などは問屋さ

    んの協力もあり、お客様の要望に応えら

    れるように揃えることができました。お

    客様の笑顔や「ありがとう」という言葉

    に元気づけられましたし、また災害ボラ

    ンティアさんの販売支援など、多くの

    方々の後押しに深く感謝しています。

    ◆現在の場所に来るまで二度移転しています

    が、その経緯は?

    お客様からの要望もあったことから書

    籍部門を再開することを決め、増床のた

    めに竹駒駅近くに移転しました。その

    後、平成二十四年十月に今の場所に再移

    転し、店舗を七十坪に拡張して文具、書

    籍両部門の営業を開始し、事務所も構え

    ました。いずれも国県市などの支援を受

    けられ、たいへん助かりましたが、業績

    は被災前に及ばないのが実情です。

    ◆伊東さんは商工会副会長も務めておられま

    すが、商工業と自社の事業見通しはいかがで

    すか?

    商工会では、高田町の嵩上げ地におけ

    る、大型商業施設や各商店街の一部を集

    約する中心街の形成に向けて取り組んで

    います。具体的には、推進委員会が中心

    となってワークショップを開き、商店街

    の配置の最終検討や出店希望者の意見聴

    取、行政との調整などにあたっていま

    す。核

    となる大型商業施設は「リプル」の

    組合員らで実現を図る方向ですが、資金

    面や近隣に計画している商店街との関

    係、公共施設の配置のあり方など、課題

    も少なくありません。商業者や消費者ら

    多くの皆さんの声を聴きながら課題を一

    つひとつ解決し、今秋から具体化を図り

    たいと思います。人々が集える場づくり

    を通じて市民の利便性向上、魅力ある町

    づくりへとつなげたいものです。

    私どもの会社は大型商業施設で事業展

    開を予定しています。昨年、今年と当社

    にも若いスタッフを迎えました。私たち

    に限らず、現在のさまざまな取組は彼ら

    に新しい陸前高田づくりのスタートライ

    ンを用意するものです。そう遠くない時

    期にバトンタッチしたいですね。

    復元帆船「気仙丸」が昨年十一月、震

    災後初めて大船渡湾内を帆走しました。

    「気仙丸」は江戸海運を担った千石

    船の復元船。全長十八メートル、幅

    五・八メートル、帆の広さ八十五畳と

    いう大きさです。船大工でつくる気仙

    船匠会の技術で、平成四年に建造され

    ました。普段は赤崎町の岸壁に係留さ

    れ、海のイベントや映画、テレビドラ

    マの撮影などに活用されています。津

    波にも遭いましたが奇跡的に生き残

    り、希望の光となっています。

    先頃の帆走は震災復興の象徴として

    後世に伝承する上で、その機能を検証

    するため、市民有志が企画しました。

    当日は漁船に曳航されて湾内に移動

    し、操船訓練に励んできたヨット協会

    員らによって約三キロを数回走行。風

    にも恵まれて順調に帆走し、船匠会員

    ら関係者に笑顔が溢れました。

    市内では商工会議所、船匠会、ヨッ

    ト協会などが気仙丸帆走実行委員会

    (仮称)を今春にも設立し、「気仙船大

    工の技術伝承」「保存・活用方法の検

    討」「船匠会の顕彰」などの事業を行

    う予定です。

    株式会社山十

    伊東文具店 

    電話〇一九二ー五四ー四四一二 

    http://ww

    w.yam

    ajyu.info/

    [気仙新聞 第17号 発行:平成27年3月10日]

    大船渡市・おおふなトン 陸前高田市・たかたのゆめちゃん 住田町・すみっこ

    三陸の魅力ある品々が国内外から注目を集めていますが、そのきっかけは、震災復興を機に生まれた「出会い」や「つながり」でした。今まで皆様から頂いた支援や励ましも、多くの結び付きとなって、気仙地方に関わり、復興に尽力する多くの人々にとって大きな支えとなっています。本当にありがとうございます。震災から4年の月日が経過しようとしています。気仙丸のように、復

    興に向け大きく帆を広げ進んでいく気仙地方への力強いご声援をこれからもよろしくお願いいたします。

    読者の皆様から気仙新聞への感想やご意見をお待ちしています。はがきまたは封書に「ちょこっとプレゼント応募券」を貼り、住所・お名前・年齢・ご感想(ご意見)を明記の上、ご応募ください。抽選の上5名様に「五十集屋コロッケ」の詰め合わせをプレゼントいたします。

    〒022-8502 岩手県大船渡市猪川町字前田6-1岩手県沿岸広域振興局 大船渡地域振興センター

    「気仙新聞」係[気仙新聞17号]

    岩手県沿岸広域振興局 大船渡地域振興センター

    わたしたち、けせんのアイドルです!!

    〒022-8502 岩手県大船渡市猪川町字前田6-1TEL.0192-27-9911 FAX.0192-27-1395E-mail [email protected] Web http://www.pref.iwate.jp/●「三陸復興facebook」もご覧ください

    [発行] 第17号 の〆切 は2015年5月31日(※消印有効)です。

    ちょこっとプレゼントお詫びと訂正 第16号2面に掲載した『明日に向かって頑張っている気仙人』に誤りがありました。 関係者の方々と読者の皆様にお詫び申し上げ、 次のとおり訂正いたします。 【誤】焼き菓子専門店「オアゾースイーツ」店主 金野 智子(きんの ともこ)さん 【正】焼き菓子専門店「オアゾースイーツ」店主 金野 智子(きんの さとこ)さん

    [4]

    木のまちの未来を考える~

    「全国木のまちサミット」

    林業の町・住田で開催

    「気仙丸」復興願い初帆走

    ~保存・活用方法を検討~

    2種類のタコと彩りが食欲をそそる「タコ丼」

    陸前高田市では商工業復興ビジョンの具体化に取り組んでいま

    す。その推進役で商工会副会長でもある㈱山十代表取締役の伊東

    孝さんは、自身の会社である文具店をいち早く復活させ、入学式

    や新学期を迎える子どもたちに文具を提供しました。市の商工業

    復興に向けて奮闘されている伊東さんからお話を伺いました。

    毎月第二日曜日開催

    大船渡温泉「軽トラ市」

    陸前高田の新ご当地丼

    ヤルキタウンの「タコ丼」

    大船渡の湾口を一望する絶景の場所に

    昨年夏に開業した大船渡温泉では、毎月

    第二日曜日に「軽トラ市」を開催してい

    ます。毎回十以上の生産者が出店し、旬

    のものが並ぶため宿泊客などに好評で

    す。も

    ともと気仙地方はリアス式の地形も

    あり、海・山・川・里の様々な産品に恵

    まれたところです。しかし、生産者との

    会話を楽しみながら季節の旬のものを購

    入できる場所は意外と少なく、震災後に

    被災地を訪れる人たちにとってこの「軽

    トラ市」は、地元の産品や言葉に触れる

    ことができる貴重な場になっています。

    再生の里ヤルキタウンにある「みんな

    の茶ロン」で作る「タコ丼」が評判で

    す。「揚げたタコ」は陸前高田の霊峰・

    氷上山を、「大葉」の緑は高田松原の松

    を、「茹でたタコ」は高田松原の砂浜と

    震災前の懐かしい陸前高田市を、「錦糸

    卵」の黄色は元気を表したとか。

    一昨年、県内の仮設住宅ごとに地元食

    材を使って考案した丼の味とアイディア

    を競う「オリジナル丼グランプリ」で優

    勝したこのタコ丼ですが、「被災に前向

    きに立ち向かう」という住民の静かで熱

    い思いが詰まっています。  

    来場者にとっては地元の生産者との会話も楽しみのひとつ

    新しい庁舎で行われたサミット風景大船渡湾に帆を広げる「気仙丸」