1976...秋田県立博物館研究報告no.l 1976...

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秋田県立博物館研究報告No.l 1976 男鹿半島安田海岸における鮪川・潟西層の構造と堆積環境について 加藤方太郎・渡部展 Iまえがき 男鹿半,';,}北岸中央部の安田海岸には脇本層から 鮪川層、潟西層が約500"の距離にわたって連続的 に見られる露頭があ')、鮪川層の棋式地となって いる。 1975年4月、この露韮1で貝化石を採集していた 筆者のひと’)渡部が、鮪川層中にヒシとシジミの 化石を含む層準のあることを発見した。一方|面1年 5月には潟西層団研に参加した加1帳が、潟西層の 模式地である若美町角間崎地区において、渦西層 中にシジミの化石を発見し、更にその下位には海 成らしき層のあることに気づいた。 筆者らはこれらの調査を契機として、鮪川層と 潟西層は堆枝環境の面て、共通する点が多く、いず れも第四紀の気候変動による海水準の変化に伴っ て形成された堆積物で.あろうと考えた。 第1図調査位置 n号Mh uL八ク , 1 一一戸・ 悠池 k 39.50 |、 140Ⅷ.、 139~5(1 その後、鮪川層と安田海岸の潟西層については6.7月から11月にかけて筆者らが共同で、調査を行 ない、模式地および、その周辺の潟西層については、潟西層団研のメンバーとして6.7月の日唯およ び、夏休み期間中に数次にわたる共同調査を行なった。 その結果、鮪川・潟西層の形成期には大きな気候変動か数'且l起ったことがIリIらかになった。また、 安田海岸の鮪川層は束に仰斜してお')、その角度は下位から上位:へとIll貞次減少している。これは鮪川 層の形成当初から現在まで.、傾動連動が連続的に進行したことを示している。 本稿で、は、以上に述べた事実について報告するとともに、それにもとづいて、鮪Ill層から潟西層ま での細区分を提案する。 男鹿半島地質層序 時代 更新没一塊枇 末lvl 紀i 鮮新世 ”|“ 》峰目明聯珊珊珊聯珊卿輔塙 即細菌津川本湘川川汎品嗣叫 穴.、湖口鮎脇北噸女西念門隊 回函口画回翻重自室鰯、画Ⅷ 湖西噺 琵谷泡珊 三中新世$1'期 初期 先新納三紀 第2図男鹿半島地質概図 藤岡(1973)より -56- 現世沖牧騨 更諭繊_“:|鰹風山安山…火u腿職絢 |段丘雌M1物 *lvl 鮮新世 中新世 柳lu 鮒川珊.(戸涜浮石珊〉 碓期 $11期 初期 台脇珊群 門Ⅷ府群 西叫沢府 台島隔 門前制 亦醐届 地府 船川府群 堅本jW 北洲用 船川W 女川府 珪醗岩(化側魁剛)

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  • 秋田県立博物館研究報告No.l 1976

    男鹿半島安田海岸における鮪川・潟西層の構造と堆積環境について

    加藤方太郎・渡部展

    Iまえがき

    男鹿半,';,}北岸中央部の安田海岸には脇本層から

    鮪川層、潟西層が約500"の距離にわたって連続的

    に見られる露頭があ')、鮪川層の棋式地となって

    いる。

    1975年4月、この露韮1で貝化石を採集していた

    筆者のひと’)渡部が、鮪川層中にヒシとシジミの

    化石を含む層準のあることを発見した。一方|面1年

    5月には潟西層団研に参加した加1帳が、潟西層の

    模式地である若美町角間崎地区において、渦西層

    中にシジミの化石を発見し、更にその下位には海

    成らしき層のあることに気づいた。

    筆者らはこれらの調査を契機として、鮪川層と

    潟西層は堆枝環境の面て、共通する点が多く、いず

    れも第四紀の気候変動による海水準の変化に伴っ

    て形成された堆積物で.あろうと考えた。

    第1図調査位置

    n号MhuL八ク,1

    一一戸・

    悠池

    、、

    k39.50

    |、140Ⅷ.、139~5(1

    その後、鮪川層と安田海岸の潟西層については6.7月から11月にかけて筆者らが共同で、調査を行

    ない、模式地および、その周辺の潟西層については、潟西層団研のメンバーとして6.7月の日唯およ

    び、夏休み期間中に数次にわたる共同調査を行なった。

    その結果、鮪川・潟西層の形成期には大きな気候変動か数'且l起ったことがIリIらかになった。また、

    安田海岸の鮪川層は束に仰斜してお')、その角度は下位から上位:へとIll貞次減少している。これは鮪川

    層の形成当初から現在まで.、傾動連動が連続的に進行したことを示している。

    本稿で、は、以上に述べた事実について報告するとともに、それにもとづいて、鮪Ill層から潟西層ま

    での細区分を提案する。男鹿半島地質層序

    時代

    更新没一塊枇

    末lvl

    紀 i

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    》峰目明聯珊珊珊聯珊卿輔塙

    即細菌津川本湘川川汎品嗣叫

    穴.、湖口鮎脇北噸女西念門隊

    回函口画回翻重自室鰯、画Ⅷ

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    三中新世$1'期

    紀初期

    先新納三紀第2図男鹿半島地質概図藤岡(1973)より

    -56-

    現 世 沖 牧 騨

    更諭繊_“:|鰹風山安山…火u腿職絢|段丘雌M1物

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    北洲用

    船川W

    女川府

    珪醗岩(化側魁剛)

  • 秋田県立博物館研究報告No. 1976

    本稿をまとめるにあたり、いろいろとご指導ご助言をいただいた秋[日大学呂の藤岡一男教投、高安泰

    助教授にI早くお礼申しあげるとともに、このil叶究の検討に参加していただき、未発表資料を提供され

    た秋旧第四紀研究グループ。ならびに渦西層N1f*WF究グループ・の方がたに深

  • 秋田県立博物館研究報告No.11976

    第3図男鹿半島安田海岸鮪川・潟西層露頭

    55{】mI

    一一一一~垂二=二二二=二三三両1jl

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    第4図傾斜不整合B・Cと鮪川・潟西層

    i淵I叫岬-

    QIjjll1付|部 一

    一一一一一一一一一一一一

    WI#}'1ミ弊介’

    hfllllMlr部

    また下位の脇本層との関係は不整合で.あるとされている

    (藤岡195()・1959、Takayasu1962)が、安田海岸で、はほ

    とんど悠合的な状態を示している。

    このような事実にもとづいて鮪川・潟西層の堆積面が(噸

    斜して行く過程を考えると、傾動連動の開始と鮪Ill層の形

    成はほぼI"J時で、あり、似動運動は鮪川層から潟西層の形成

    期にかけて連続的に、しかも一定の速さで進行したものと

    みられる。

    したがってこの露頭で・は、傾斜角の変化がそのまま時|州

    の経過を示しているとみられるので、、傾斜不整合で.は上位

    層と下位層の1噸斜角の差に相当する期間だけ|塗化していた

    ことになる。また不整合をはさまない区間でも、その前後

    の傾斜角の差を求めることによって、その区間の地層が堆

    祇するのに要した時|川を知ることができるはずで.ある。

    傾動述勤の原因については、北海岸の安田一申川地区と、

    南海峠の脇本地区を結ぶ南北に述なる帯を男鹿半島におけ

    るヒンジ,冊:とする考え(木下1965)もあるが、筆肴らは第

    5mに示すような地塊j亜動によるものと考えている。

    すなわち、男鹿1'1断層から西側の地域には数段におよぶ

    段庇が知られており(藤岡ほか1973)、明らかに陥起運動

    が継続していることを示しているのに対し、八郎潟全域に

    およぶ地域で・は、鮪川層形成期から現在もなお沈降連動が

    第5図男鹿半島の構造線と鮪川層の分布

    〈好評暇太郎1968参剛)

    」 一 浬B

    八一B断1,地塊述伽械式lxl

    リ}I雌郷AlIq部雀へ 1 1 1 pli潟j

    診一

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    -58-

  • 秋田県立博物館研究報告No.1

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    う認二ITⅣ-iF化ソ・ヘイiミlウ

    1976

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    [曲〕

    続いていることかが報告されている(狩野1968)。したがって、降起連動を続ける男鹿半,『舟西部地塊と、

    沈降を続ける八郎潟地域にはさまれる男鹿中断層から八郎潟I凡i雌にいたる地域は、束に1m斜する傾動

    地塊(聴盤で、は階段状の断層州:と思われる)として、その述動を継続しているものと考えられる。

    Ⅵ堆積環境の変遷

    第61叉la-dは安Ill海岸における鮎川jW・潟西屑の地質林状Nで蕊あるが、堆積物の変化に応じて碓定し

    たそれぞ.れの堆枝環境を記入してある。堆械環境の推定にあたっては、一応、貝化イ「の多い砂層は浅

    海の、無化

  • 秋田県立博物館研究報告No-1 1976

    堆積剰境瀦柵・化石

    第6図鮪川・潟西層柱状図

    傾斜不縦合B

    ,A&色成I棚細~‘1」粒砂|・_部でやや唖灰間#11#(’

    一 一一

    棚海的

    赤色紐!粒砂と『'1粒砂の互刷

    第6図鮒川・潟西層柱状図授食lmlm上に大磯散イt

    Mi桜浮石i謎灰岩のiWIW(レンズ)を災む

    F1色成111性I剛‘(:11粒砂

    - J 一 沼沢的岩柑・化石 堆俄覇境

    噸斜不熊合A

    塊状中粒砂浮石細巽を含む細一中磯岩届を英む抑't貝化石散在

    ’湖栂的が色成珊』''㈹.砂

    『 。 ■ 由 ■ ■ ● 。 ■

    ●。●甲申■■■■ 淡海的

    寒流の影響

    が強い亦色[IF粒砂(クロスラミ+)

    倉鍵

    ’‐I

    JO■

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    1火色縄一中震髄砂含海生貝

    化打

    ロf灰色シルトi識・『細肇の簿層を夷むシジミ・産出

    IMI炭

    細粒越灰岩と浮石捜灰岩の細互府

    蝿展

    凝~白色塊状砂

    浮イ曙を含み.上部ほど桂灰

    ,側含炭髄物

    テ己。=

    褐的叩,6,色シルト蘭砂-1|M

    一一

    Ⅱ|

    1,

    (内湾的)

    H耐j・色細靴一シルト澗砂海,t貝化石倣在

    峨汁色細粒砂榔1与貝化而散在軒炭涜物

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    三雲=沼沢的

    』-1

    〃)虫、

    《一一ノ

    寒流の彰境が強い

    111

    ~、州代色剖~中粒砂多lltの海龍F(化禰を含む

    貝化禰の密肌した岬と散在したI付がIl-M状'二'11なる

    部分的に環W(

    赤か昂色矧曜満をは営む1 浅海的》。、》《》↑

    ノ》《

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    抗色成IFi細粒砂

    11)巾司lI11Tl司

    ク'1-ム色細粒砂(クロスラミナ)含炭間物 仙色'|'粒砂

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    海生胤化『.「枚〈lミ

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    瀕海的沈色成紳I''仙砂

    浅海的

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    pCDrbjr区に卓I)

    b仰斜不整合A~B間a伽斜不整合Aの下位

    - 60-

  • 秋田県立博物館研究報告No.1 1976

    凡 例

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    賊捌小維・術

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    l? j・色細粒砂一ンルト入江一渇的カギヰ含む

    陥灰色粘土4沖と宇牛

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    ’ .A池砂11郡でロスラミ+党i土)砿灰色砂ilfりシルトシジミを含[・

    1.1色帖.I旦詩峡化水

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    ミナ〕判I剛を含む含海'1:、風化イi

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  • 秋田県立博物館研究報告No.l 1976

    第7図鮪川・潟西層形成期の堆積環境の変遷と細区分試案

    I

    券?

    第8図潟西層柱状図

    |烹蚕一脚か謬謹南'戦ラミナ,

    琢毛堂里念細磯砂岬

    。.....。.。暁m。。。■・ロ母.(ハチンコl§、大)

    言講溌亦かっ色妙竺二堂.‐。.一二一(クロスラミナ)

    三三三砂シルト”---------蹄灰色シルト

    ーーマ盲・(シジミヒシ)・.:.学.

    :;::蕊議批かつ色成ll害=葺二'一徒食Imi

    六、J,ハ'.-ビンクタフニー旦三生~そ一等一一一不惟介C

    によく似ており、鮪Ill層と潟西屑はく')返し7起った一巡の気

    候変動によって形成さオLた地屑で・あ')、その最終期の海面上

    昇に伴って形成されたのが渦西層であるとみることができる。

    この潟西層の鮫上部を描成する塊状褐色砂層(層」:1'1不Ilil

    味な砂層)は、男鹿半島北束部すなわち八郎潟西北峠地域

    で、は広

  • 秋田県立博物館研究報告No.1 1976

    安田海岸に見られる鮪111層上部とほぼ同時代のもので.あると,思われる。

    翼ただし下位屑は北浦¥iである。

    釜谷地層の形成時卿lについては、リスーウルムlHl水川lの海進によるものとされておI)、したがって

    釜谷地層と鮪川層上部の形成時期がほぼ1"]じて、あるとすれば、鮪川層I二部から潟西I瀞全体が堆種した

    時期はリスーウルム間氷期で.あるということになる。

    この見解にもとづけば、鮪Ill層I二部と下部の境界となっている傾斜不耀合Cはリス氷期に、傾斜不

    整合B-C問の堆械期l州はミンテルーリス間氷期に、|唄斜不整合Bはミンテツレ氷期に対・応するはずで、あ

    る。このような考えにもとづいて記入してあるのが鋪7m下の形成期試案て.ある。現在のところ、鮪

    川層下部の形成期を定めるための決定的な資料がないために断定はできないが、北里(1975)の資料

    等を参考に検討してみるとだいたい妥当な推定で.あろうと考一えられる。

    2.鮪川・潟西層のステージ区分試案

    これまでにも述べたように、安田地区で、は鮒Ill・潟a屑の形成期全期I間にわたって、束に傾く傾動

    j亜動か連続的に継続さオLた。また一方この期間には、鋪m紀の気候変動による海水雄変動に伴って、

    堆積と浸食がくり返し行なわれていた。これらのことから、この地域で地層を|メ身分するのに最も重要

    な 要素は、傾斜不悠合であると考えられる。

    このよう な考 えを もとにして従米の区分を検討すると、 鮪 川 層 下 部 に は 第 3 図 に 示 し た よ う に A ・ B

    2つの傾斜不悠合が含まれているのは不都合で、ある。鮪川層下部と上部の境界は1頃斜不整合となって

    いるので妥当な|メニ分ではあるが、鮪川層上部と潟西層の境界は浸食面で、はあるにしても両層間に構造

    的な差はなく、これをもって地層を区分するのは不適当で、あることは先に潟西j筒の碑検討の中で説明

    したところで、ある。

    以上の理由から、筆者らは、鮪川・潟西暦を一巡の」11;柚物とみなし、その中を1上、斜不悠合を柴準と

    して、鮪Ill層基底から似斜不整合Aまで、を鮪himv*i%iiステージ、A-B間を同第1Iステージ、B-C

    間を同第1Ⅱステージ、伽斜不整合Cから上すなわち従来の鮪川層I二部から潟西層全体をl司第Ⅳステー

    ジ、として区分してみてはどうかと考えている(鋪7図下段、ステージ区分試案)。

    なおこの区分試案においては、4つの区分や、区分された各層準をそれぞ.れステージとすることが

    妥当かどうかなど、今後の検討を要する問題を含んでいるので.、今回は試案としてアイテ畿イアの紹介

    にとどめるが、このように区分することによって、地I岬区分と時代区分、気候および海水準変動など

    が統一的に扱えるものと 考えている。

    Ⅵまとめ

    これまで、の成果を箇条的にあげるとつぎの辿りで瞳ある。

    1)鮪川・潟西届は、鋪m紀史新皇世における気候変動に伴って形成された一連の地1吋で、ある。

    2)鮪川・潟西層の形成期全期間にわたって、安Ill海岸で・は束に傾く傾動連動が続いておn、この連

    動は現在も継続している。

    3)地層の傾斜角の変化と層相の推移から、鮪川・潟i'4牌形成期の堆積環境の変遷、海水準の変化お

    よび、気候変動を推定した。

    4)鮪川層上部から潟西層の形成時期をリスーウルム|川氷期と考え、これをノ,'亨準として鮪Ill層の形成

    時期を推定した。

    5)鮪川層内にみられる3つの1噸斜不整合にもとづいて、従来の区分とは異なる4つのステージに区分した。

    また今後の課題としては、今回の調査範囲は安Ill湖岸という局部的な地域にすぎないので、、調査範

    囲を拡大しながら、古生物学的・堆積学的〃f究などI渚分野からの研究資料を投入し、今回の結論につ

    いて検討を加えること、男鹿半島西部に発達する段丘と安Ill海岸の地層は、40m段G.菖をJ1に準としてそ

    れぞ.れ対応すると考えられるので.、その対l芯関係を調査すること、今回の調査で得られた時代的な推

    -63-

  • 秋田県立博物館研究報告No.1 1976

    定が妥当なものであれば、気候変動の影判iは下位の脇本層にもみられることが予想されるので、こう

    した視点から脇本層の再調査をす~る必要があること、などがあげられる。

    以上を通じて、男鹿半島における第1ノ4系の徹底的な究明を進めるとともに、これを内|瑳部の第四系

    に関連づけることは今後の重要なlljf究課題である。

    Ongeoloeicstructureandthedepositionalconditionof

    thePleistocenedepositsattheAndencoast,

    OgaPeninsula,NortheastJapan

    by

    MantaroKatoandAkiraWatanabe

    Summary

    TheShibikawaFormationandtheKatanishiFormationarethePleistocenedeposits,

    andtheiroutcropsarecontinuouslyseenattheAndencoastofOgePeninsula.Bothof

    theminthisarea,consistofmarineandnon-marinedeposits・Therefore,itisclearly

    suggestedthatthesealevelchangedseveraltimesduringtheseformationsweredeposited.

    Itisconsideredthatthesealevelcorrespondentlychangedtotheclimaticchangesinthe

    Pleistocene.

    TheShibikawaFormationaresteeplydippedatthelowerpartofthefoi、mationand

    graduallybecamegentleupwardly.TheKatanishiForwationwhichoverliestheShibikawa

    Formationisgentlydipped.TheysuggeslthatthetiltingintheEarlyShibikawanagehad

    beencontinuoustothepresent.

    ThewritersproposetodividetheShibikawaandKatanishiFormationsintofourparts

    onthebasisofthedipschangeofformatisnsandthefacieschangeofthedeposits,as

    showninFig.7.

    -64-

  • 秋田県立博物館研究報告No.l

    文 献

    滴野清,1939,秋EH県男鹿半島の化石有孔虫群.地質学群誌,vol、46,no,551,p413-427.

    半沢正'八I郎,1954,日本地方地質誌「束4上地〃」.刺]倉書店.

    l際岡一男,1948,男鹿‘|hlj統(砺要).地憧'γ冒俳1謎,vol、54,,{〕、638,p145-146.

    .1950,男鹿半f.ル第三系の刷序と柵造.石油技術協会誌,vol、15,no,3,p116-126.

    ,1959.5万分の1地質図1幅「戸慨・船川」,同説明llf.地質調査所.

    1976

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