02 01 20160117 12 · 私の母校 研 究 室 の 学 生 は 、 は や ぶ さ 2 に 搭 載 さ...

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母校 30 40 77 68 66 愛知県立旭丘高校② (名古屋市東区) 学ぶ習慣と合唱喜びを原動力に 母校 30 40 77 68 66 愛知県立旭丘高校② (名古屋市東区) 学ぶ習慣と合唱喜びを原動力に

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Page 1: 02 01 20160117 12 · 私の母校 研 究 室 の 学 生 は 、 は や ぶ さ 2 に 搭 載 さ れ て い る 光 学 航 法 カ メ ラ の 性 能 テ ス ト に も 参

私の母校

研究室の学生は、はや

ぶさ2に搭載されている

光学航法カメラの性能テ

ストにも参加しました

が、はやぶさ2は宇宙航

空研究開発機構(JAX

A)の大きなプロジェク

トなので、本体に近づく

ことは許されなかったそ

うです。修士2年の池澤

しょう

祥太さんは「LAICA

は自分の手でさわりなが

ら作ったもの。打ち上げ

の時は緊張しました」と

振り返ります。

亀田さんは「理屈では

できるはずのことでも、

絶対できるというのはと

ても難しい」と言います。

「たくさん失敗すると、

どこで起きるかわかるの

で、学生には『今のうち

に失敗しろ』と言ってい

たと思います」

LAICAは水素が出

す紫外線を捉えます。地

球のまわりには水素の層

「ジオコロナ」が数万キロ

がっていますが、197

2年のアポロ16号以来、

観測は行われていません

でした。LAICAは目

標だったジオコロナの撮

影に成功。その成果は

近々、発表される予定で

す。P

ROCYONは、は

やぶさ2とは別の小惑星

をめざす予定でしたが、

エンジンの不調で、地球

に近い軌道で太陽のまわ

りを回っています。LA

ICAは性能を保ってい

たので、その場所から何

を観測できるのか亀田さ

んと学生たちが検討し、

欧州宇宙機関(ESA)

の探査機ロゼッタが着陸

したチュリュモフ・ゲラ

シメンコ彗星を選びまし

た。彗

星は太陽に近づく

と、ジェットと呼ばれる

激しいガス噴出を起こし

ます。昨年9月に撮影し

た画像は、彗星の水素ガ

スが通常の球状ではな

く、一方向に広がってい

ました。ロゼッタの観測

データと照らし合わせ、

画像が「ジェットの影響

を受けたもの」といえれ

ば、彗星の活動がLAI

CAで数億キロ

先から捉え

られると証明できます。

堀越寛己さん(修士1

年)はLAICAで太陽

系外惑星を捉える研究を

進めています。星が出す

水素の量は星の活発さを

示すので、数十光年離れ

た星の活動度がわかる可

能性があります。関あや

な菜さん(学部4年)も亀

田さんや先輩に教わりな

がら、LAICAの研究

に関わってきました。「大

学でこれだけの経験がで

きたのは大きい」と感じ

ています。

学生の開発した機器

が、地球から3500万

キロ

メートル離れた宇宙空

間で動作した――。探査

機の技術が進み、大学や

研究機関との協力が密に

なった今、「宇宙の研究

が身近になっている」と

亀田さんは言います。

2014年12月に小惑星探査機「はやぶさ2」と

ともに打ち上げられた超小型探査機「PRO

CYON」で1年以上観測を続けた宇宙望遠鏡「LA

ICA」。立教大学理学部の亀田真吾准教授の研究室

で、大学生や大学院生が設計から携わり、観測デー

タによる研究を進めています。

(岩本尚子)

立教大学理学部宇宙・地球系物理学研究室

(東京都豊島区)

開発した望遠鏡が宇宙で活躍

(第三種郵便物認可) 122016年(平成28年)1月17日

丘では「音楽部」)に入り、

初めて歌った曲はアイル

ランド民謡の「春の日の

花と輝く」。「みんなとハ

モることのすばらしさに

夢中になりました」

指揮や編曲を担当し、

音楽会には年に30~40回

は足を運んだ。文化祭で

は合唱のほか男声四重唱

でも舞台に立った。

東京大学工学部へ進

学。父が機械を扱う会社

を経営していたので、後

を継ぐつもりだった。だ

が、音楽への気持ちは消

えていなかった。3年生

のとき東大紛争(学生と

大学側の紛争)のため授

業がほとんどなくなっ

た。音楽会や、1時間1

00円で弾かせてくれる

「貸しピアノ屋」に通う

うち、芸大を目指す心を

決めた。

東大卒業後1年勉強し

て東京芸術大学作曲科

へ。作曲家としての道を

歩み、77年には第8回ジ

ュネーブ国際バレエ音楽

作曲コンクールでグラン

プリを受賞。その後も作

品を次々と発表し、東日

本大震災後は福島の詩

うりょうい

人・和合亮一さんの詩に

曲をつけた「つぶてソン

グ」を作るなど意欲的な

活動を続けている。

「合唱で音楽の感動を

知ることができたこと

が、その後につながりま

した。回り道の人生もア

リですよ」

(編集委員・吉田由紀)

たので、先生の勧めもあ

った津田塾に合格。英語

を学んだ。

卒業後に就職したの

は、海外から来た技術研

修生に、日本語や日本の

社会などを教える機関。

様々な分野の専門用語を

英語で説明しなければな

らない。毎日、夜中まで

時を惜しんで勉強した。

やがて英語はツールとし

ながら、新たに興味がふ

くらんできた比較教育を

研究しようと留学を決め

た。「

まっすぐな道ではあ

りませんが、自分の個性

を積み上げてきました。

高校時代に、自ら学ぶ習

慣を身につけておいたこ

とが、基本的な力になり

ました」

同じころ校内で、休み

時間のたびに音楽室でピ

アノを弾いていたのは、

作曲家で東京音楽大学客

員教授の新実徳英さん

(68、66年卒)。合唱部(旭

1900年創立の女子

大、津田塾大学(東京都

だいら

小平市)学長の國枝マリ

さん。同大英文学科卒業

後、米コロンビア大学大

学院で比較教育学の博士

号を取得し、研究者とし

て歩んできた。

だが高校時代、英語は

得意科目ではなかったと

いう。「音大を目指して

いたんです。幼稚園から

ピアノを続けていました

が、高校3年の夏ごろ、

自分には才能がないと判

断し、大きく進路変更し

ました」

当時の國枝さんにとっ

て、世界は「ピアノか、

ピアノじゃないもの」。他

の何かに興味を持つのは

難しかった。それでも勉

強の手は抜いていなかっ

愛知県立旭丘高校②(名古屋市東区)

学ぶ習慣と合唱の喜びを原動力に

國枝マリさん。何でも自分

で決める、という旭丘の空

気が合っていたという

「先生も答えられないような質問を生徒が一生懸命

考えていた。先生方もおもしろかったんじゃないか

な」と振り返る新実徳英さん

宇宙望遠鏡「LAICA」(左下)で研究を進める亀田

真吾准教授(右端)と学生�2015年11月、東京都

豊島区の立教大学池袋キャンパス

チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星周辺の水素原子

の発光分布(右)と同時に撮影された恒星像(左)、

矢印はジェットによると考えられる水素の広がり

の方向�立教大学提供

超小型探査機「PROCYON」

朝日新聞社

私の母校

研究室の学生は、はや

ぶさ2に搭載されている

光学航法カメラの性能テ

ストにも参加しました

が、はやぶさ2は宇宙航

空研究開発機構(JAX

A)の大きなプロジェク

トなので、本体に近づく

ことは許されなかったそ

うです。修士2年の池澤

祥太さんは「LAICA

は自分の手でさわりなが

ら作ったもの。打ち上げ

の時は緊張しました」と

振り返ります。

亀田さんは「理屈では

できるはずのことでも、

絶対できるというのはと

ても難しい」と言います。

「たくさん失敗すると、

どこで起きるかわかるの

で、学生には『今のうち

に失敗しろ』と言ってい

たと思います」

LAICAは水素が出

す紫外線を捉えます。地

球のまわりには水素の層

「ジオコロナ」が数万キロ

がっていますが、197

2年のアポロ16号以来、

観測は行われていません

でした。LAICAは目

標だったジオコロナの撮

影に成功。その成果は

近々、発表される予定で

す。P

ROCYONは、は

やぶさ2とは別の小惑星

をめざす予定でしたが、

エンジンの不調で、地球

に近い軌道で太陽のまわ

りを回っています。LA

ICAは性能を保ってい

たので、その場所から何

を観測できるのか亀田さ

んと学生たちが検討し、

欧州宇宙機関(ESA)

の探査機ロゼッタが着陸

したチュリュモフ・ゲラ

シメンコ彗星を選びまし

た。彗

星は太陽に近づく

と、ジェットと呼ばれる

激しいガス噴出を起こし

ます。昨年9月に撮影し

た画像は、彗星の水素ガ

スが通常の球状ではな

く、一方向に広がってい

ました。ロゼッタの観測

データと照らし合わせ、

画像が「ジェットの影響

を受けたもの」といえれ

ば、彗星の活動がLAI

CAで数億キロ

先から捉え

られると証明できます。

堀越寛己さん(修士1

年)はLAICAで太陽

系外惑星を捉える研究を

進めています。星が出す

水素の量は星の活発さを

示すので、数十光年離れ

た星の活動度がわかる可

能性があります。関あや

菜さん(学部4年)も亀

田さんや先輩に教わりな

がら、LAICAの研究

に関わってきました。「大

学でこれだけの経験がで

きたのは大きい」と感じ

ています。

学生の開発した機器

が、地球から3500万

キロ

メートル離れた宇宙空

間で動作した――。探査

機の技術が進み、大学や

研究機関との協力が密に

なった今、「宇宙の研究

が身近になっている」と

亀田さんは言います。

2014年12月に小惑星探査機「はやぶさ2」と

ともに打ち上げられた超小型探査機「PRO

CYON」で1年以上観測を続けた宇宙望遠鏡「LA

ICA」。立教大学理学部の亀田真吾准教授の研究室

で、大学生や大学院生が設計から携わり、観測デー

タによる研究を進めています。

(岩本尚子)

立教大学理学部宇宙・地球系物理学研究室

(東京都豊島区)

開発した望遠鏡が宇宙で活躍

(第三種郵便物認可) 122016年(平成28年)1月17日

丘では「音楽部」)に入り、

初めて歌った曲はアイル

ランド民謡の「春の日の

花と輝く」。「みんなとハ

モることのすばらしさに

夢中になりました」

指揮や編曲を担当し、

音楽会には年に30~40回

は足を運んだ。文化祭で

は合唱のほか男声四重唱

でも舞台に立った。

東京大学工学部へ進

学。父が機械を扱う会社

を経営していたので、後

を継ぐつもりだった。だ

が、音楽への気持ちは消

えていなかった。3年生

のとき東大紛争(学生と

大学側の紛争)のため授

業がほとんどなくなっ

た。音楽会や、1時間1

00円で弾かせてくれる

「貸しピアノ屋」に通う

うち、芸大を目指す心を

決めた。

東大卒業後1年勉強し

て東京芸術大学作曲科

へ。作曲家としての道を

歩み、77年には第8回ジ

ュネーブ国際バレエ音楽

作曲コンクールでグラン

プリを受賞。その後も作

品を次々と発表し、東日

本大震災後は福島の詩

人・和合亮一さんの詩に

曲をつけた「つぶてソン

グ」を作るなど意欲的な

活動を続けている。

「合唱で音楽の感動を

知ることができたこと

が、その後につながりま

した。回り道の人生もア

リですよ」

(編集委員・吉田由紀)

たので、先生の勧めもあ

った津田塾に合格。英語

を学んだ。

卒業後に就職したの

は、海外から来た技術研

修生に、日本語や日本の

社会などを教える機関。

様々な分野の専門用語を

英語で説明しなければな

らない。毎日、夜中まで

時を惜しんで勉強した。

やがて英語はツールとし

ながら、新たに興味がふ

くらんできた比較教育を

研究しようと留学を決め

た。「

まっすぐな道ではあ

りませんが、自分の個性

を積み上げてきました。

高校時代に、自ら学ぶ習

慣を身につけておいたこ

とが、基本的な力になり

ました」

同じころ校内で、休み

時間のたびに音楽室でピ

アノを弾いていたのは、

作曲家で東京音楽大学客

員教授の新実徳英さん

(68、66年卒)。合唱部(旭

1900年創立の女子

大、津田塾大学(東京都

小平市)学長の國枝マリ

さん。同大英文学科卒業

後、米コロンビア大学大

学院で比較教育学の博士

号を取得し、研究者とし

て歩んできた。

だが高校時代、英語は

得意科目ではなかったと

いう。「音大を目指して

いたんです。幼稚園から

ピアノを続けていました

が、高校3年の夏ごろ、

自分には才能がないと判

断し、大きく進路変更し

ました」

当時の國枝さんにとっ

て、世界は「ピアノか、

ピアノじゃないもの」。他

の何かに興味を持つのは

難しかった。それでも勉

強の手は抜いていなかっ

愛知県立旭丘高校②(名古屋市東区)

学ぶ習慣と合唱の喜びを原動力に

國枝マリさん。何でも自分

で決める、という旭丘の空

気が合っていたという

「先生も答えられないような質問を生徒が一生懸命

考えていた。先生方もおもしろかったんじゃないか

な」と振り返る新実徳英さん

宇宙望遠鏡「LAICA」(左下)で研究を進める亀田

真吾准教授(右端)と学生�2015年11月、東京都

豊島区の立教大学池袋キャンパス

チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星周辺の水素原子

の発光分布(右)と同時に撮影された恒星像(左)、

矢印はジェットによると考えられる水素の広がり

の方向�立教大学提供

超小型探査機「PROCYON」

朝日新聞社