さようなら。 - koho.or.jp

「さようなら」の意味は「左様なら」。 つまり「そうならねばならぬのなら」。 別れたくはない、しかたがない という気持ちが込められています。 他国にはないニュアンスをもつこの言葉は 世界で一番美しい別れの言葉だと言われています。 この町に、いま、感謝の気持ちを込めて…

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さようなら。「さようなら」の意味は「左様なら」。

つまり「そうならねばならぬのなら」。

別れたくはない、しかたがない

という気持ちが込められています。

他国にはないニュアンスをもつこの言葉は

世界で一番美しい別れの言葉だと言われています。

この町に、いま、感謝の気持ちを込めて…

Page 2: さようなら。 - koho.or.jp

聞こえているだろうか。

励まし 

癒し 

見守り続ける福智の声が。

感じているだろうか。

人々を育み 

見守り続けるこの町の風土を。

憶えているだろうか。

この町で生きていこうと決めた 

あの日の空を。

わたしたちは確かに一つだった。

この町で一つだった。

赤池という町の 

物語の中で。

わが町よ。

ここに 

町が生まれた。

昭和14年11月 

赤池町は誕生した。

黒いダイヤに燃える 

熱き町だった。

華やかな炭都の一角として

人が集い 

働き 

暮らした。

真っ黒になった顔から白い歯をのぞかせた 

あの日の父のように

町は潤い 

満たされていた。

やがて 

熱は消えた。

ヤマを失い 

人が去り 

笑い声が遠のく。

天をつくボタ山 

三本の煙突 

商店街 

列車 

炭のにおい

みんなこの町からなくなった。

声にならないくらいに泣きじゃくった 

幼い日の夕暮れのように

町も沈んだ。

しかし 

立ち上がった。

町が倒れても 

物が消えても 

心の輝きは失わなかった。

貧しくても 

辛くても 

もの言わず台所に立っていた 

母の背中のように

優しさと強さを 

決して忘れはしなかった。

童謡の町 

財政再建 

やきものの里 

長寿の町 

育みの町

町は生まれ変わった。

Photo:昼下がり/彦山川土手

Page 3: さようなら。 - koho.or.jp

contents

[第一章

礎石]古からの物語・・・・・5

︿ふるさとの山河﹀ずっと昔から赤池の原風景・・・・・6―

︿まちの宝﹀要衝の地は文化の十字路・・・・・8―

︿伝統的工芸品﹀技を宿し炎が息づく・・・・・10―

11

︿豊かな大地﹀みのりの里・・・・・12

[第二章

創生]そして町は生まれた・・・・・13

︿炭鉱最盛期﹀黒いダイヤにまちが沸く・・・・・14―

15

︿町おこし﹀歌垣の町が奏でるシンフォニー・・・・・16―

17

︿町の底力﹀共働で立て直した財政再建・・・・・18―

19

︿だれもが幸せに﹀つなぐ人権・・・・・20

[第三章

漸進]オリジナルタウンへ・・・・・21

︿やきものの里﹀旬に出会える陶の里・・・・・22―

23

︿健康長寿の町﹀一つになる保健・医療・福祉・・・・・24―

25

︿人づくりの町﹀未来を託す教育の大計・・・・・26―

27

︿広報あかいけ﹀赤池スタイル・・・・・28

[第四章

軌跡]まちの歩み(年表)・・・・・29―

35

︿歴代﹀町長・議長・・・・・36

[第五章

追憶]まちのアルバム・・・・・37―

57

︿俳句﹀閉町記念の詩・・・・・58

[おわりに]・・・・・59

︿町の歌、花、木、鳥﹀

・・・・・60―

61

︿閉町にあたって﹀

・・・・・62―

63

古いにしえ

からの物語はるか昔、ここをふるさとにした者たちがいた。赤池への第一歩、命が吹き込まれた。

それはいつごろだったのだろうか。この地を選び、はじめて大地を踏んだ。それはだれだったのか。福智の山は、今と変わらぬ姿でそこにあったのだろうか。こうして、赤池町を舞台に、壮大なストーリーが始まったのだ。

Photo:縄文土器/鋤木田川床 Photo:虎尾桜

第1章 礎石Akaike town story Chapter 1

Page 4: さようなら。 - koho.or.jp

 

町を見守るように、でんと腰を据

える福智山。流れるような稜り

ょうせん線は、

今も昔も人々を魅了してやまない。

かつてこの山頂で、最さ

いちょう澄や空く

うかい海が渡航

の祈願をしたと伝えられ、英彦山修

験道の行場となった霊峰である。黒

田武士のモデルであり、日本一の槍を

呑の

み取った母も

り里太た

兵衛は、福智の姿

を富士にも勝ると絶賛した。

 

中腹にそびえる虎と

らおざくら

尾桜は、推定樹

齢六百年の大樹。エドヒガンという希

少種で樹高約二十三㍍、隔年満開に

なり、鮮やかな緋ひ

いろ色の花をつける。

 

上野峡の白糸の滝は、落差約二十五

㍍の瀑ば

くふ布。水しぶきを上げて一気に落

ちる美しさは見飽きることがない。

 

町の中央を貫流する彦山川。中元

寺川、福智川を含みながら水流を増

す。作物、物流など、わたしたちに

計り知れない恩恵をもたらしてきた。

 

四季折々、町を彩ってきた赤池の

原風景。名勝と呼ばれる景観は我々

の誇りであるが、それがあり続ける

ことに、さらなる誇りを覚える。か

けがえのない自然を守るために、多

くの労力が奉仕され、注がれてきた。

 

壮大な生態系をはぐくんできたふ

るさとの山河に触れるとき、変わら

ないものを変えないままに、次代へ伝

えたいとの強い思いに駆られる。

AKAIKE TOWNS T O R Y

ずっと昔から

   

赤池の原風景

麗しの山、福智。美しきライン(稜線)はこの町の変わらない象徴だ。

【ふるさとの山河】福智山・上野峡・虎尾桜・彦山川

 松尾芭蕉の門人で芭蕉十哲の一人に数えられる俳人・志

太だ

野や

坡ば

が、天保13 年(1728)、門人と共に上野を訪れた。その清遊の様子を野坡の門人で多賀神社宮司の青山文雄がまとめた書が『折

おり

躑つ つ じ

躅』である。白糸の滝を眺めた後の野坡一行を上野焼陶工・伊

左ざ え も ん

右衛門が、自作の花瓶に躑躅などの花を折り入れてもてなした。その時、野坡は絶景の余韻をそのままに、ひとつの句を残している。 投入れて 滝見顔なり 折躑躅 俳書『折躑躅』の中で上野峡は「桃源」「幽谷」などと記されている。

俳書『折躑躅』の舞台

❶推定樹齢 600 年の虎尾桜(町指定文化財)福智山の中腹にあるエドヒガンの母樹 ❷彦山川河川敷の菜の花群❸福智山麓の雪景色 ❹上野峡の白糸の滝、かつて龍が住んでいたという伝説が残っている ❺福智連峰と彦山川

そこにあり続ける誇り

礎石第1章◉いにしえからの物語

Photo:朝焼けの福智山

Page 5: さようなら。 - koho.or.jp

 

福智山の麓ふ

もと

にたたずむ古こ

さつ刹、興国

寺。白鳳時代の開創とされ、南北朝

時代の高僧・無む

いんげんかい

隠元晦が開山となっ

た寺である。ここに残る寺宝や建造

物、伝説には、秘められた物語があり、

深くロマンに満ちている。

 

室町幕府初代将軍・足利尊氏とそ

の弟・直義は、全国六十六か所に設

けた安国寺に、興国寺をいち早く指

定した。その「随一」として所領も

寄進している。興国寺文書の足利直

義寄進状は、安国寺に関する全国で

最も古い資料とされ、諸国に先立つ

安国寺としての寺位をうかがわせる。

また、全国の安国寺がおしなべてそう

であるように、興国寺も軍略上の要

地にあり、いざというときに備え、城

郭の配置がなされている。

 「従是東豊前国」と国境石に刻まれ

ているとおり、かつてこの地は筑前と

の国境だった。鷹取山頂には城が築

かれ、戦乱の世では数々の争いにのみ

込まれた。と同時に、幾多の文化が

押し寄せ、交錯し、昇華し、人々の

生活や心を根底から支えてきた。

 

歴史の証人である文化財。それぞ

れにドラマがあり、先人たちの思いが

込められている。町の風土が静かにと

け込んでいる。そこに、かつての町の

姿が、ふっと浮かび上がってくるのだ。

AKAIKE TOWNS T O R Y

ここは、豊前と筑前の国境。要かなめ

となる地は、いつしか文化のクロスロードとなった。

【まちの宝】興国寺文書・無隠元晦座像・東光寺経筒・興国寺仏殿

 無む

隠いん

元げん

晦かい

は、弘安6年に田川弓削田で生まれ、博多聖

しょうふくじ

福寺の僧となり、27 歳で元(中国)へ渡ったと伝えられている。元では天目山の名僧・中

ちゅうほうみょう

峰明本ほん

に師事し、その法を継いで三哲の一人として名をはせた。帰国後は「京都五山の上」に位置づけられる官寺最高

位の南禅寺住持など要職を務めた。晩年は故郷豊前に戻り、天目寺(興国寺)を開山。足利尊氏や後醍醐天皇ともゆかりが深かったと伝えられている。元の文人・馮

ふ う し し ん

子振が元晦に贈った七言絶句の書「与

むいんげんかいにあたうし

無隠元晦詩」は、国宝として東京国立博物館に所蔵されている。

無隠元晦

❶興国寺開山堂に安置されている無隠元晦座像 ❷東光寺境内から発見された経筒 ❸禅宗様式を色濃く残し、裳階がある構造が特徴の興国寺仏殿(観音堂) ❹足利尊氏・直義寄進状、細川幽斎詠歌、小笠原忠真詠歌などを含む興国寺文書、2巻(❶~❹まで、すべて福岡県指定文化財)

至宝は語る

礎石第1章◉いにしえからの物語

❶ ❷

【写真上から】大友宗麟の焼討ちで残った東光寺の焼仏▼大昔の墳墓とも考え

られる皿山の平石▼永承元年(一〇四六年)長谷川吉武が礎を築いた鷹取城跡

足利尊氏の伝説【写真左から】▶尊氏が身を潜めたと伝わる隠れ穴▶尊氏の守り本尊の説がある千手観音像▶尊氏が再起を祈願し、武運を占った墨染桜▶尊氏の馬のひづめ跡と伝わる馬蹄石(すべて興国寺・境内)

Photo:興国寺仏殿(観音堂)

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茶を千利休に、禅を大徳寺清厳に

学び「茶禅一味」の奥義を極めた細

川忠興。文禄・慶長の役で招致され

た李朝陶工・尊楷。上野焼の歩みは

この二人の出会いから始まった。開窯

に選んだ場所は陶土に恵まれた上野。

一六〇二年、豊前藩主・細川忠興(三

斎)は、尊楷を招きこの地に築窯した。

 

尊楷は上あがのきぞうたかくに

野喜蔵高国と名を改め、

利休七哲に数えられる三斎好みの格

調高い茶陶を献上し続けた。細川

家の豊前統治は、肥後に移るまでの

三十一年間と短いものだったが、この

間に上野焼の確固たる基礎が築かれ

たのだった。その後、藩主となった小

笠原家のもと、上野焼は藩窯として

幕末まで庇ひ

ご護されていく。

 

乱世から間もない初期は野や

しゅ趣あふ

れる大胆な作風。中期から後期にか

けて装飾性が高まり、作品が特徴づ

けられた。明治維新後の廃藩置県に

より、上野焼は一時途絶えたかのよ

うに思われたが、明治三十五年に熊

谷九八郎らが再興を果たす。その後、

土と炎に挑む陶芸家が続々と白煙を

立て、伝統の炎は完全に再燃された。

 

四百年という悠久の歴史の中で、

時代と共に趣を変え、洗練されてき

た上野焼。その背景には、先人たち

の計り知れない労が刻まれている。

AKAIKE TOWNS T O R Y

技を宿し   炎が息づく四

百年前、この地にともった窯の炎は

今なお熱く、天を焦がす。

胸なお熱く、技を磨く。

【伝統的工芸品】国焼茶陶

上野焼

 上野焼開祖・尊楷(上野喜蔵高国)は、細川忠興・忠利父子の移封に従い、肥後に移って高

こ う だ

田焼を創始した。この時、子の十

と と き ま ご ざ え も ん

時孫左衛門と娘婿の渡わたりきゅうざえもん

久左衛門を残し、上野焼を後継させる。尊楷は、慕っていた忠興が亡くなると即座に仏門に入って宗

そうせい

清と名乗り、承応3

年(1654)年、89 歳で生涯を閉じた。 その尊楷の出身地と伝えられる韓国泗川市と赤池町は、2002 年に開催した上野焼四百年祭を期に国際交流を始めた。以来、子どもたちが互いに訪問し、親交を深めている。(写真は熊本県八代市にある上野喜蔵の墓)

上野焼開祖・尊楷

上野焼の色と肌は、多種多彩の景色を誇っている。【上段左から】▶藁白▶鉄釉▶灰釉▶飴釉【二段目】▶伊羅保釉▶紫蘇手▶玉子手▶三彩釉【三段目】▶木目▶緑青流し▶柚肌▶一陳掛【四段目】▶虫喰釉▶琵琶釉▶透明釉▶総緑青

御用窯あがの

礎石第1章◉いにしえからの物語

❶ ❷

❶開窯から約 30 年焼かれた釜ノ口窯跡 ❷小笠原藩時代に焼かれた皿山本窯跡 ❸釜ノ口近くの陶工住居跡 ❹茶室での上野焼

Photo:上野焼の焼成

Page 7: さようなら。 - koho.or.jp

 

炭鉱時代は別として、町の基幹産業を挙げるとすれば、それはや

はり農業である。はるか昔から、ここは「農」の町だった。盆地の

利を活かし、清い水と豊かな大地から作り出される作物は、ずっと

前から美味しかった。福智山を背景に整然と並ぶ田園、そこに稲穂

がさわさわと揺れる。そんなのどかな光景がまぶたに浮かんでくる。

 

かつて、稲作中心の農業に一つの風を吹き込んだ男がいた。久原

實蔵である。明治四十一年、山

林開拓に挑み、山肌の傾斜を活

用する果樹栽培の礎を作った。

その風を大きく吹かせたのが平

川外曽次郎。昭和初期に梨山を

拡張し「新高」を主力品種とす

る特産品開発に取り組んだ。そ

の情熱は大きな実を結び、栽培

面積、生産高、品質は飛躍的に

伸びた。ここに現在のブランド

「赤池梨」が確立されたのである。

AKAIKE TOWNS T O R Y

【豊かな大地】まちの産物

みのりの里

うるおった大地と清い流れ、まぶしい太陽に育まれた自然の恵み、

先人たちは、この町ならではの「おいしさ」を生み出してきた。

赤池梨 上野の里米

満開の梨園

そして町は生まれた小さな町がフル稼働し、日本のエネルギーを掘り出す。昭和14年11月3日、赤池町は誕生した。

明治 22 年、上野、市場、赤池の三村が合併し、上野村が生まれた。やがて人口は増加。瞬く間に 1 万人を突破し、町政を施行した… 赤池町の誕生である。上野町ではなく赤池町、名前を変えた理由は「赤池」の名が流通や取引で多用されていたから。言うまでもなく、村を変え、町を生んだのは石炭である。

第2章 創生Akaike town story Chapter 2

Photo:町制施行議決書

Page 8: さようなら。 - koho.or.jp

 

日本の近代化を支えた石炭。筑豊

は、日本が必要とする石炭エネルギー

の半数以上を一世紀にわたり供給し

た。筑豊炭田は華やかな都市となり、

その中で屈指の鉱山を有する赤池も

また炭都の一角を担っていた。

 

明治鉱業赤池鉱業所の鉱員数は昭

和十九年、三千八百人にまで膨らみ、

町の人口も昭和二十六年には一万七千

五百人に上った。ボタ山が天を突き、

中心地には映画館や芝居小屋、キャ

バレーやカフェ、旅館などが軒を連ね

た。クシの歯のように整然と並ぶ長

屋では、深い人情と助け合いによる

力強いコミュニティーが形成された。

 

明治時代には、陣笠・担い太刀姿

で馬を飛ばし、筑豊中のケンカを仲

裁した松岡陸平というヒーローがいた

り、明治鉱業創業者の安川敬一郎が

日本初の鉱業専門校「赤池鉱山学校」

を設立したりと、赤池の炭鉱にまつ

わる話は、枚挙にいとまがない。

 

エネルギー革命をむかえるまで、発

電所の煙突からはもくもくと白煙が

上がり、ヤマは二十四時間休むこと

なくフル稼働。人の活力で、町は熱

気に包まれていた。ここで、町の栄華

を振り返ると同時に、坑内事故で尊

い命を失った五百二十人の犠牲があっ

たことを決して忘れてはならない。

AKAIKE TOWNS T O R Y

黒いダイヤに

   

まちが沸く

のどかな町が一変した。黒いダイヤと呼ばれた石炭、赤池のヤマは日本近代化の一翼を担った。

【炭鉱最盛期】まちの隆盛

 彦山川の西岸にすっと立つ三本の円柱、川筋名物・赤池発電所の煙突である。大正 10 年から送電を開始し、低質の二号炭を燃やした蒸気の圧力でタービンを稼働。1万8千 kw の出力を誇り、電力不足時には九電を通じて各界に送電した。戦時中は微粉(石

炭の粉)を混ぜて燃やす独自の方式を採用。しかし、国内電力の周波数統一や重油を利用した大容量発電所の出現などにより、発電所は昭和 33 年に閉鎖となる。赤池鉱業所閉山前年の昭和39 年、多くの住民が見守るなか、赤池炭鉱の象徴・三本の煙突が倒された。

赤池発電所

❶ 切羽によるダイナマイト装てん ❷ 選炭場のベルトコンベヤー ❸ 炭車積み込み線、炭車の列と坑木の山が見える ❹ 昭和 13 年に開坑した第4坑 ❺ 整然と並んだ炭鉱住宅の長屋 ❻人出でにぎわう駅前通り ❼ 入坑前の準備体操

熱気を帯びた炭都の一角

❶ ❷ ❸

❺❹

創生第2章◉そして町は生まれた

Photo:炭鉱全盛期の赤池町

Page 9: さようなら。 - koho.or.jp

 

疲弊した旧産炭地からの脱却。町

はあえぎ模索した。その暗いムード

の町に一筋の光りをさしたのが赤池

町出身の作曲家・河村光陽の「童謡」

だった。子どもの世界を大切にしな

がら、やさしい旋律を数多く残した

光陽の精神を引き継いだのだ。町制

施行五十周年を迎えた昭和六十三年、

赤池町は「童謡の町」を宣言。以来「童

謡まつりin赤池」を毎年開催し、町

のメーンイベントに位置づけた。

 

初回の童謡まつりから取り組んだ

「子どもの歌創作曲コンクール」。赤池

ブランドの童謡を生もうと、歌詞や

曲を募り、十三回の募集で一万二千も

の詩歌が寄せられた。大道具からす

べて住民手作りの「町民ミュージカル」

も計四回上演。「童謡フェスティバル」

「ふれあいコンサート」「文化祭」「商

工祭り」なども色を添え、童謡まつ

りは町あげての取り組みとなった。や

がてマスコミにも広く取り上げられ

「赤池は童謡の町」というイメージが

定着していった。

 

童謡まつりは行政と住民の連携を

生み、ボランティアの精神が芽生える

きっかけとなった。住民の心を一つに

した。この力が、のちの財政再建にお

ける大きな原動力となる。童謡が灰

色の町を七色に変えてくれた。

AKAIKE TOWNS T O R Y

【町おこし】童謡の町赤池

 河村光陽(本名・直則)は明治 30 年、上野に生まれた。生家は福智下宮神社の隣。屋敷には神楽を奉納するメンバーが度々宿泊し、光陽はその演奏に聞き惚

れたという。その体験が彼のメロディーやリズム感、音楽家を志す原点になっている。光陽は美しい詩を日本旋

律にのせ、♪かもめの水兵さん ♪うれしいひなまつり ♪グッドバイ ♪赤い帽子白い帽子 ♪仲良し小道 ♪りんごのひとりごとなど千余曲を作曲、日本童謡史に一時代を築いた。著書で「子どもの世界を知らぬ人には本当の童謡は作り得ない」と河村童謡の精神を伝えている。

河村光陽

童謡のまち赤池【上段左から】▶「童謡一路」歌碑▶学校の合唱発表▶童謡一色の赤池駅舎、時を告げるミュージックチャイムが町中に流れる▶商工まつりふるさとフェア【中段】▶ふれあいコンサート▶童謡フェスティバル▶文化講演会▶町民文化祭【下段】▶町民ミュージカル▶童謡コンサート▶ホールコンサート in やくば▶創作曲コンクールの優秀曲を収録したCD「ウタガキ(歌垣)」

この町には歌がある

創生第2章◉そして町は生まれた

歌垣の町が奏でる  シンフォニーや

さしくなれる、一つになれる。

河村光陽の精神を受け継いで、

童謡の町づくりは始まった…

Photo:童謡まつりコーラス

Page 10: さようなら。 - koho.or.jp

 

石炭から石油へ… 

エネルギー革命の波は、この小さな町をいと

もたやすくのみ込んだ。炭鉱閉山で基幹産業を失った町から生産人

口が一気に流出。人口の半数以上が転出した。地盤沈下による鉱害

地の復旧、施設の維持管理、サービス低下を防ぐための職員増、炭

鉱に代わる企業誘致の工業団地整備などで、やがて町財政は立ち行

かなくなる。四回にわたる自主再建も財政好転には結びつかなかっ

た。単年度赤字額約三十二億円、起債額(借金)六十四億円。通常、

赤池町が財政再建団体に指定される赤字ラインは約五億円だ。その

六倍以上の赤字額を抱え、町は平成四年二月十四日、当時全国唯一

の財政再建団体に指定された。事実上自治権を失い、町は倒産した。

十二年間にもおよぶ長く厳しい財政再建計画を実行した。

 

再建団体では、国や県から助成される補助事業以外は原則禁止。

自治省(総務省)の了解がなければ予算を組めない。十六の課を

十三に、百六十九人の職員を百五十五人に、二十四人の臨時職員

を十人にまで減らした。町長など特別職の報酬も全国最低レベルと

なった。一方、住民負担も増加した。水道料金をはじめ町営住宅の

家賃、施設使用料、学校給食費などは国の基準にまで引き上げ、軒

並み二十%前後のアップ。各種団体の助成金も大幅にカットした。

 

財政再建で行政が目指したのは、最少の経費で最大の効果を生み

出すこと。小手先の改革では再建できないことを学んだ。住民もま

た義務として負担に協力し、自分たちでできることはないかと立ち

上がった。ここに行政と住民の危機感の共有が生まれた。行政をカ

バーするように自主的にボランティア団体が組織されていった。両

者が一体となった共働作業で赤字解消は順調に推移。計画より二年

早く、平成十二年度を最後に赤池町は財政再建を完了した。

 

三月六日、赤池町は金田町、方城町と合併し、福智町として生ま

れ変わる。三町の地方債(借金)は二百五十億円を超えると言われ、

合併してもなお厳しい状況に変わりはない。金田町、方城町も財政

再建を経験している。ノウハウを生かし、創意工夫し、再建の精神

を風化させることなく、新町の町づくりを展開しなければならない。

AKAIKE TOWNS T O R Y

【町の底力】財政再建

 財政再建で「できないからやらない」ではなく「できることからやろう」という意識改革が浸透した。住民の町を愛する気持ちが、ボランティア活動という行動で表れたのだ。ひこさんがわ夢の会、朗読の会「青い鳥」、赤池町絵本を読む会「ぶらんこ」、虎尾桜を心

配する世話人会、手話の会「菜の花」、配色ボランティア「そよ風」、探歩会、町おこしの会、コスモスの会などが続々と、しかも自主的に組織された。こうした住民パワーが原動力となって、計画より早い再建に結びついた。写真は赤池町を明るくする会による「新生の灯」。

再建を支えた住民パワー

危機感の共有で芽生えた共働の精神

創生第2章◉そして町は生まれた

共働で立て直した 財政再建約

三十二億円の赤字、

約六十四億円の借金、

倒産した町の復活劇。

Photo:業者委託せずに補修する町職員

Page 11: さようなら。 - koho.or.jp

 

一人ひとりが大切にされる町、だれもが幸せになれる町づくり…

赤池町はこれまで「人権」を大きなテーマとしてとらえてきた。「赤

池町人権旬間」は、十二月の人権週間からさらに三日間延長した十

日間を独自で定めたものだ。学び、語らい、集うことで、人権に触

れる機会を広く投げかけた。なかでも町のほぼ全域、十・六㎞を延べ

二百人以上のランナーが疾走する「人権駅伝」は、全町規模の取り

組みだった。「幸せはみんなの願い」

のタスキを参加地域が手から手へ、

息をはずませながらつないだ。駅

伝は昭和六十二年から十六年間開

催された。平成十五年からは、よ

り多くの人が参加しやすいように

と「人権ふれあいウオーキング大

会」を開催。終了後に惜しげもな

くふるまわれ、参加者の体を温め

る猪汁は、人権駅伝からの恒例行

事として、そのまま残っている。

AKAIKE TOWNS T O R Y

【だれもが幸せに】人権の町づくり

つなぐ人権

ランナーが町中を疾走した。つないだのはタスキだけじゃない。

駅伝は、互いに認め合う大切さと人権の願いを手から手へ伝えた。

ふれあい体操会

人権ふれあいウオーキング大会

人権駅伝大会

恒例の猪汁

オリジナルタウンへ

町は起き上がり、ゆっくりと、しかし確実に歩を進める。

「ならでは」の特色ある町へと動き出した。

かつて灰色だった町に、一色、また一色と色がのる。

やきものの里、健康長寿の町、教育の町… 

童謡の町に彩りが加わっていく。

こんなにもステキな町で、夢を追い、おだやかに毎日が送れる。

喜びと誇りを胸に、この町で生きている。

第3章 漸進Akaike town story

Chapter 3

Photo:風船を追う少年

Page 12: さようなら。 - koho.or.jp

 

二〇〇二年、上野焼四百年祭。参

加者は十万人を超え「陶す

の里」のイ

メージを飛躍的に広げる世紀の祭典

となった。このとき整備されたのが「上

野の里ふれあい交流会館」である。「上

野焼陶芸館」と「上野の里ふれあい

市」を併設し、特産物と食、伝統と

旬を融合させた観光拠点が誕生した。

ここから、美しい自然と深い文化が息

づく上野の資源を連結させ、点と点

とを線で結ぶ観光ルートの素地が固

められた。

 

伝統的工芸品の上野焼は「小倉城

主の御用窯」から、当地を訪れる「あ

なたの御用窯」へと変化を遂げた。

他産地との連携、ユニバーサルデザイ

ンの器、テーマを設けたギャラリー展

示など、技術を高めながらの販路拡

大に挑み続けている。

 

赤池梨に代表される赤池ブランド

の農作物は、オープンと同時に五年

ごしの研究で生まれた町の特産品「上

野の里米」を加えた。新鮮さと安全

さをモットーにした旬の作物と、作り

手のこだわりから生まれた加工品で

順調に売り上げを伸ばしている。

 

福智山麓の大自然に囲まれたのど

かな陶と

うきょう郷は「この町ならでは」を大

切にして、「おいしさ」と「うるおい」

を発信している。

AKAIKE TOWNS T O R Y

【やきものの里】伝統的工芸品・特産品・観光・産業

 多くの人出でにぎわう春の陶器まつり。陶芸館や各窯元には、割引したお買い得商品が並ぶ。空クジなしのスタンプラリーや企画展が催され、巡回バスも運行。格式の高さを誇る上野焼もこの日ばかりは大盤振る舞いとなる。 秋の窯開きは春と趣を変え、新作や

創作の品々が登場する。絵付け体験やロクロ実演など、年ごとのイベントも行われる。この陶器まつりと窯開きにはふれあい市も連携して、猪汁などの郷土料理をふるまっている。陶器のぬくもりと食のおいしさが訪れる客を迎える陶の里のイベントである。

春の陶器まつり/秋の窯開き

伝統的工芸品と旬の産物が一堂にそろう上野の里ふれあい交流会館、町の観光と産業の振興拠点である。

美と味覚は陶郷上野にあり

漸進第3章◉オリジナルタウンへ

【写真上から】開窯記念の上野焼四百年祭▼陶芸館で開催した「とびうめ国

民文化祭

美術展

陶芸」▼年間三十以上のテーマで展示されるギャラリー陶

「上野の里ふれあい市」には「とれたて」と「こだわり」の品々がずらりと並ぶ。地元はもちろん、北九州市などの都市圏から足を運ぶ顧客も多い。

旬に出会える 陶の里交

流会館を拠点に広がる

「観」と「産」のハーモニー。

四季折々の感動が待っている。

Photo:春の陶器まつり

Page 13: さようなら。 - koho.or.jp

 

この町で人生を送ろう。そう思う

とき、「もしも」に対応できる施設が

そばにあることは、心身ともに大き

な支えとなる。平成17年4月にオー

プンした総合保健施設コスモスは、診

療所、健診センター、保健福祉センター

を統合した合築方式の複合型施設だ。

 

健診をベースに疾病と介護予防を

きめ細かくサポートする健康づくり。

住み慣れた自宅で穏やかに療養でき

る在宅介護の環境づくり。いつまで

も健やかに生きる健康長寿を目指し

たまちづくり。これらを保健・医療・

福祉の一貫したサービスで展開する。

 

予防と在宅を合い言葉にオープン

した総合保健施設コスモスが掲げる

第一目標は生活習慣病の解消である。

特に集団健診から移行した施設健診

では、精度の高いきめ細かなチェック

を可能とした。病気になってから治

すのではなく、病気を未然に防ぐ「未

病」の取り組みに力点を置く。

 

病気になりにくい健康づくり、住

み慣れた環境で安心して療養できる

環境づくりを進め、自分の健康は自

分で守る「セルフケア」の意識を広

げたい。コスモスはその拠点となり、

この町に住む全員がいつまでも健やか

に暮らせるよう、すぐそばで支えて

いく。

AKAIKE TOWNS T O R Y

一つになる

保健・医療・福祉

いつでもさしのべられる手がある。包括ケアのスクラムによる健康ライフのサポートシステム。

【健康長寿の町】健診・在宅介護・プライマリケア

 平成 17 年4月5日、112 歳で日本一の長寿となった皆川ヨ子

さん。平成2年に 98 歳で赤池町の最高齢者になって以来、町のみんなから敬われている健康長寿の象徴的存在である。笑顔がステキなヨ子おばあちゃんは、日本一になる前から町中の人気者だ。

ヨ子さんの口ぐせは「ありがとサンキュー」、手を合わせるしぐさを見せ、何事に対しても感謝の気持ちを忘れない。1月4日には 113 歳の誕生日を健やかに迎えた。わたしたちに元気と希望を与え続ける皆川ヨ子さんは、名実ともに名誉町民。町の誉れである。

日本最高齢者の皆川ヨ子さん

【上段左から】きめ細やかな施設健診(マンモグラフィー)▶デイケアセンター福智▶幅広い時間帯で対応する診療 ▶コスモスと連結し町内を巡回する福祉バス【中央】総合保健施設コスモス【下段左から】トレーニングルーム▶食進会の健康料理研究▶健康づくりのいきいき体操教室

すぐそばにある安心

漸進第3章◉オリジナルタウンへ

Photo:保健・医療・福祉スタッフ

Page 14: さようなら。 - koho.or.jp

 

まちを作るのは人、人を創るのは

町。赤池はいつも人づくりを中心に

まちづくりを進めてきた。保育所で

は潜在能力を大切にした創造保育が

営まれ、学校は個を伸ばす教育をめ

ざした。数々の講座やイベント、講

演会や伝統行事、地域活動の一つひ

とつが、社会性を培う糧となり、子

どもたちにたくましく生きる力を培

わせた。

 

言うまでもなく、子どもたちは

町の宝である。将来を担う財産であ

る。町は今年、一歩先行く人づくり

の歩を進めた。国の特区の認可を受

け、さらなる教育環境の充実に着手

した。規制の枠を取り払い、町独自

で教員を採用。きめ細かな指導で子

どもたちを導き「子育てをするなら

この町で」と言われるような町づく

りの足がかりを作った。

 

河村光陽、加藤介春、緒方句狂、

田中六助、熊谷紅陽… 

この町には

芸術家や文人、政治家など、偉大な

人材を世に輩出した「育む風土」が

息づいている。「競育」ではなく「共

育」、はぐくむ「郷育」、伸ばす「興育」

を目指し、特区を柱にした壮大な教

育の大計が動き始めた。赤池はまち

全体が学びの舞台、人が真ん中の町

なのである。

AKAIKE TOWNS T O R Y

未来を託す

   

教育の大計

まちづくりは人づくり。育み伸ばす町でありたい。人が真ん中の町でありたい。

【人づくりの町】教育特区環境整備国際交流

 特定地域に規制緩和を認め、活性化を図る構造改革特区。町はこの制度を生かした「教育を柱とする人づくり」を進めるため、平成17年12月6日、「教育と文化の町 赤池」の教育特区認可を受けた。町独自で教員を採用し、少人数学級制を導入、20 人学級を目指

している。苦手な教科があっても子どもたちが悲観することなく、弱点として受けとめ、克服する。だれかと比べるのではなく、理解できたかどうかを重視しながら学びの習熟を図っている。

(写真:首相官邸での特区認可授与式、後列左から 2 人目が浦田弘二町長)

「教育と文化の町 赤池」特区

❶児童生徒の安全確保のため町内三校に警備員を配置 ❷町内三校の図書室蔵書を大幅に増やし、各校に図書事務補助員を配置 ❸IT社会に対応するためパソコン教室の設備を充実 ❹教育特区の認可を受け平成 18 年から町独自で教員を採用 ❺子どもたちの国際交流を上野焼開祖ゆかりの地、韓国泗川市と推進。

テーマは人づくり

漸進第3章◉オリジナルタウンへ

❶ ❷ ❸

Photo:授業中、教室の机で/市場小

Page 15: さようなら。 - koho.or.jp

 

赤池スタイルの広報を担当する者は、ま

ず町が好きでなければならない。「好きだか

らこそ見える」という場面を大切にしてき

た。町に関心がないと何も見えないし、気

づかないからだ。その分、町が心配だから

負の部分も指摘した。昭和二十五年の創刊

以後、町の一番近くで瞬間を切り取ってきた

広報紙。住民一人ひとりが、手にとり、開い

て、読んでみたくなる。そんな紙面づくり

が重ねられてきた。人が主役の町にとって、

住民参画や共働は、絶対にはずせないキー

ワードだ。だからこそ、ただ情報を伝えるの

でなく、町と人を信頼関係でつなぐ広報紙

を目指した。その広報力が町に対する関心

や行動につながっていくからだ。「広報あか

いけ」は、今も昔も単なる紙ではない。町

へのラブレターは、計522号を発行した。

赤池スタイル

時代を刻む。「広報あかいけ」は時の瞬間を切り取り、町の姿を追い続けた。

個性を生かした町づくり、オリジナルタウンにふさわしい広報紙を発行した。

【受賞号/左から】H12年10月号「特集 :上野焼」全国広報コンクール入選三席・福岡県広報コンクール特選▶H13年4月号「特集 :財政再建」福岡県広報コンクール入選一席▶H14年12月号「特集 :童謡の町」全国広報コンクール特選【総務大臣賞受賞】福岡県広報コンクール特選▶H15年12月号「特集 :炭鉱(ヤマ)」全国広報コンクール特選【内閣総理大臣賞受賞】福岡県広報コンクール特選▶H16年12月号「特集 :文化の回廊」全国広報コンクール入選十三席・福岡県広報コンクール特選▶H17年12月号「特集 :この町で生きる」福岡県広報コンクール特選・全国広報コンクール出品中

【広報あかいけ】時代を刻むラブレター

第4章       

軌跡まちの歩み[年表]

Akaike town story Chapter 3

Photo:彦山川に映る落陽 /蔵元橋から草場方面をのぞむ

表題は名誉町民の故・久原弘さんによるデザインです。

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昭和14年 

11月3日、赤池町誕生(人口1万31人)

     

県道田川~直方線舗装完成

     

上野小学校講堂新築

昭和15年 

市場尋常高等学校4教室増築

昭和16年 

県道直方伊加利線舗装完成

昭和17年 

福智山の県行造林を行う

昭和18年 

上野国民学校に高等科を設置

     

赤池保育園設立(4月)

     

町立青年学校廃止、下田川青年学校設立

     

国民健康保険発足

昭和19年 

出口橋、蔵元橋の改築

     

第3分団消防車庫新設

昭和20年 

青年学校廃止

昭和21年 

町立市場小学校改修

     

選挙管理委員会発足

     

農地委員制発足

昭和22年 

警防団を消防団に改める

     

監査委員制度発足

     

食糧調整委員制度発足

     

赤池中学校発足(4月)

     

国民健康保険廃止

     

臨時国勢調査実施

     

支所長駐在員制度設置(12月)

     

上野小学校給食開始(12月)

昭和23年 

自治体警察赤池警察署設置

     

市場小学校給食室改築

     

町制施行10周年記念行事実施(11月)

昭和24年 

市場小学校給食開始(4月)

     

中学校校舎6教室完成

     

公民館制度発足

昭和25年 

中学校校舎3教室増築

     

町営住宅10戸建設

     

上野峡が県立筑豊公園に指定

     

固定資産評価審査会制度発足

     

国勢調査実施(1万6千722人)

昭和34年 

老人ホーム増築工事(4月)

     

上野小学校老朽校舎改築

     

県道八幡~赤池着工

     

赤池隣保館完成

昭和35年 

石炭危機突破町民大会開催

     

市場小学校給食室改築

     

国勢調査実施(1万5千150人)

     

炭鉱離職者緊急就労対策事業開始

昭和36年 

助役2人制

     

中学校校舎4教室増築

     

赤池納骨堂完成

     

蔵元橋改修

     

天郷青年の家完成(5月)

     

第1回上野峡ロードレース大会開催

     

国民年金制度発足

     

第1回町民体育祭開催

昭和37年 

市場小学校講堂改築、完全給食

     

上野峡展望台建設

昭和38年 

新赤池橋完成(7月)

     

産炭地振興対策委員会発足(8月)

     

町制施行25周年記念行事実施(11月)

昭和39年 

町営住宅18戸建設

     

大浦納骨堂完成

     

養老院を天郷荘に改名(3月)

     

オリンピック聖火リレー通過(9月)

昭和40年 

大浦隣保館完成

     

中学校体育館完成

     

町営住宅10戸建設

     

国勢調査実施(1万590人)

     

町営上の原団地2種18戸建設

     

明治鉱業(株)赤池鉱業所閉山

     

明治赤池鉱業所第二会社発足(8月)

昭和41年 

赤池鉱業所病院を町立病院に移管(4月)

     

市場小学校文部大臣賞受賞

     

上野小学校鉄筋2階建校舎完成

     

町時報第1号発刊

昭和26年 

池永平次郎町長死去、町葬

     

中学校校舎9教室増築

     

公平委員会制度設置

     

農地委員、食料調整委員制度廃止

     

農業委員会制度発足

     

納税貯蓄組合貯蓄制度設置

     

町章改正

     

町営住宅10戸、県営住宅10戸建設   

昭和27年 

教育委員制度、教育委員会発足

     

市場保育所設立(11月)

昭和28年 

上野保育園設立(4月)

     

町制施行15周年記念行事実施

     

庁舎新築落成

     

赤池小唄できる(11月)

     

中学校校舎6教室増築

昭和29年 

市場小学校火災(4月)

     

市場小学校校舎災害復旧工事

     

自治体警察廃止

昭和30年 

議員定数21人に改正

     

中学校6教室増築

     

上野小学校完全給食

     

一般失業対策事業開始

     

国勢調査(1万6千131人)

昭和31年 

義宮(常陸宮)上野峡・上野焼視察

     

中学校運動場新設

昭和32年 

市場小学校校舎増築

     

蔵元橋架替工事(2月~5月)

     

国民健康保険開始

     

市場小学校プール完成

昭和33年 

老人ホーム建設

     

70年来の大干ばつで上野地区大被害

     

上野峡キャンプ村開設

     

青年研修所完成

     

町制施行20周年記念行事実施(11月3日)

     

上水道施設第1期工事

     

町営住宅14戸建設

     

町営上の原団地2種10戸建設

     

大浦かんがい用水施設完成

昭和42年 

議員定数18人に改正

     

中学校プール完成

     

上水道施設工事完成

     

町営住宅26戸建設

     

町営上の原団地2種14戸建設

     

県営住宅16戸建設

     

鉱害下水道事業第1期工事

     

巡査派出所移転改築

     

鋤木田簡易水道施設完成

     

同和集会所建設

     

救農土木事業実施

     

上野峡自動車駐車場新設

昭和43年 

赤池町(旧)町民会館新築落成(6月)

     

赤池中学校運動場拡張工事完了

     

町老人クラブ結成

     

町制施行30周年記念行事実施(11月)

     

町営上の原団地2種26戸建設

昭和44年 

赤池郵便局赤池駅前通り改設移転(6月)

     

同和対策事業特別措置法制定(7月)

     

下田川4カ町共同し尿処理場建設

     

町営伏原団地2種16戸建設

     

赤池町立病院新築落成(12月)

昭和45年 

赤池鉱業(株)閉山(2月)

     

田川地区広域消防組織化される(4月)

     

過疎地域振興計画樹立(7月)

     

国勢調査実施(8千770人)

     

町営伏原団地2種48戸建設

     

町営高尾団地2種12戸建設

     

上野小学校プール完成

     

下田川衛生センター(し尿処理場)を 

     

方城町弁城に開設

町政施行時の庁舎自治体警察署/現在の13支所公民館付近 二坑の運動会/山の神裏グラウンド(S22)

建設中の庁舎婦人会の演芸大会/親和会館(S30) 庁舎落成・町制施行15周年記念行事(S28)

上野村村章「三種の神器」S3制定NHKのどじまん収録/親和会館(S28)

明治41年に開業した赤池鉱業所病院第10回町民体育祭(S45) 炭鉱の映画館「労映」現在の南町団地付近

年表軌跡第4章◉まちの歩み

現在の赤池小唄レコード赤池町町章「鳳凰」S26制定

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昭和46年 

市場小学校改築

     

赤池福祉会発足

     

給食センター設立

     

上野簡易郵便局開設(3月)

     

伏原地すべり災害(8月)

     

中尾保育所開設(9月)

     

中尾生活館建設

     

大谷集会所建設

     

上野峡を北九州国定公園に指定(10月)

     

小竹~赤池線バイパス開通(11月)

     

町営高尾団地2種20戸建設

     

町営伏原団地2種34戸建設

     

町営大浦団地2種12戸建設

     

町営赤池団地2種4戸建設

昭和47年 

市場小学校プール完成

     

上野小学校体育館完成

     

町火葬場廃止

     

町土地開発公社設立(4月)

     

上野簡易水道設置(給水人口2千5百人)

     

町営赤池団地1種10戸建設

     

町営赤池団地2種(木)6戸建設

     

町営赤池団地2種(簡)8戸建設

     

町営伏原団地2種48戸建設

     

町営大浦団地2種6戸建設

     

赤池工業団地造成工事着手

昭和48年 

町営南町団地1種12戸建設(3月)

     

町営南町団地2種12戸建設(3月)

     

赤池町基本構想設定

     

赤池町町民会館新築落成

     

上野生活館建設

     

大谷納骨堂建設

     

大浦格納庫建設

     

町営伏原団地2種22戸建設

     

町営大浦団地2種6戸建設

     

町営赤池団地2種18戸建設

昭和51年 

台風17号被害発生(9月)

     

老人家庭奉仕業実施(11月)

     

白川末男さん一家、中国より帰国(12月)

昭和52年 

上野小学校校舎改築(1月)

     

生力~宗ノ辻線道路新設(3月)

     

バイパス鋤木田、大谷線全面開通(3月)

     

福祉住宅(中町団地)2種9戸建設

     

福祉歩け歩け運動発足(7月)

     

福祉電話設置

昭和53年 

町上水道第2次拡張工事完成(3月)

     

市場保育所新築移転(4月)

     

赤池商工会館新築(4月)

     

福祉バス待合所完成(4月)

     

大浦隣保館新築(9月)

     

赤池教育集会所(九区公民館)完成(10月)

     

町総合グラウンド落成(10月)

     

町上水道第2次拡張工事着手(10月)

     

上野焼大型共同作業場新築(11月)

     

同和対策中央研修所新築(11月)

     

町制施行40周年記念行事実施(11月)

昭和54年 

工場団地造成工事完成(2月)

     

市場小学校体育館完成(3月)

     

工場団地、地域振興整備公団へ売却(3月)

     

上野保育所新築移転(3月)

     

上野橋開通(4月)

     

集中豪雨で269世帯が床上浸水(6月)

     

市場納骨堂完成(8月)

     

下田川循環道路建設着工

昭和55年 

中尾保育所新築完成(3月)

     

町民プールオープン(7月)

     

テニスコートオープン(7月)

     

統一秋祭りで上野神楽を初奉納(10月)

     

第1回商工まつり開催(11月2日)

昭和56年 

東光寺経塚出土法華経経文修復(3月)

     

田川~直方線バイパス全線開通(8月)

     

青少年問題協議会設置

     

田川農協赤池支所上野に改築

     

町制施行35周年記念行事実施(11月)

     

町営赤池団地2種12戸建設

     

町営大浦団地2種6戸建設

昭和49年 

常福養鯉共同作業所建設

     

白雲ライン供用開始(3月)

     

老人生きがい対策天郷農園開設(4月)

     

同和教育推進協議会発足(5月)

     

赤池中学校改築、新校舎落成移転(7月)

     

赤池総合グラウンド敷地造成工事着手

     

ボタ山災害防止工事着手

     

過疎地域振興計画策定

     

田川地区共同の葬場組合設置

     

町内の秋祭りを統合実施

     

町上水道第1次拡張工事着手(10月)

     

町営南町団地1種18戸建設

     

町営小藤団地1種24戸、2種18戸建設

     

町営赤池団地2種12戸建設

     

町営大浦団地2種6戸建設

     

福祉住宅(中町団地)8戸建設

昭和50年 

蔵元橋架設替工事完成(3月)

     

上野橋(旧赤池橋)第1期工事着手

     

下田川清掃センター開設(3月)

     

西町集会所新築

     

町営小藤団地1種6戸・2種12戸建設

     

福祉住宅(中町団地)2種8戸建設

     

国勢調査実施(9千91人)

昭和51年 

町上水道第1次拡張工事完成(3月)

     

福祉センター新築落成(4月)

     

赤池隣保館新築工事

     

薬王寺集会新築

     

常福納骨堂建設

     

草場集会所新築

     

福祉住宅(中町団地)2種8戸建設

     

赤池~中泉線道路改良舗装工事(12月)

昭和57年 

財政健全化計画策定(4月)

     

新黒橋完成(6月)

     

高尾集会所完成(6月)

     

大浦橋建設着工

昭和58年 

上野小学校増改築工事完成(2月)

     

赤池ニュータウン分譲開始(3月)

     

上野焼、国の伝統的工芸品に指定(4月)

     

上野峡自然歩道完成(4月)

     

11支所集会所完成

     

大浦ライスセンター完成(5月)

     

市場ライスセンター完成(5月)

     

ニュータウン汚水処理場第1期完成(3月)

     

豪雨浸水、災害対策本部設置(7月)

     

町制施行45周年記念行事実施(11月)

昭和59年 

国鉄赤池駅無人化される(2月)

     

鋤木田集会所新築完成

     

大浦納骨堂新築完成

     

大谷ライスセンター新築完成(3月)

     

赤池保育所新築完成(4月)

     

猿畑集会所新築完成(5月)

昭和60年 

衆議院議員田中六助氏死去(1月)

     

赤池中学校体育館改築完成

     

18支所集会所新築完成

     

上の原団地20戸完成

     

20支所集会所新築完成(3月)

     

河村光陽生誕地の碑除幕式(4月)

     

住民登録人口が1万人を突破(6月)

     

国鉄赤池駅前自転車置場設置(12月)

昭和61年 

大浦橋開通

     

伏原集会所新築完成

     

岩屋集会所新築完成

     

上の原第2団地20戸新築完成(3月)

     

勤労者体育センター新築完成(8月)

     

第2次赤池町総合計画策定(10月)

駅前通りの街並み「だいがら」によるもちつき 市場小学校のプール

上野橋開通(S54)町民プールオープン(S55)

旧赤池保育園商工会館落成(S53) 上野峡ロードレース大会(S36~S53)

名誉町民・田中六助氏死去(S60)蒼い会によるクリスマス会(S60) 河村光陽生誕地の碑除幕(S60)

年表軌跡第4章◉まちの歩み

赤池音頭できる(S56)

Page 18: さようなら。 - koho.or.jp

昭和62年 

赤池町暴力絶滅住民決起大会(1月)

     

下田川塵芥清掃センター改造工事完成

     

上の原団地8戸新築完成

     

徳市団地6戸新築完成

     

大谷団地4戸新築完成

     

ニュータウン汚水処理場第2期完成

     

常福教育集会所新築完成

     

赤池同和対策集会所完成(3月)

     

JRバス廃止(6月)

     

第1回人権駅伝大会開催(12月)

昭和63年 

元西鉄・豊田選手の少年野球教室(2月)

     

大谷団地4戸新築完成

     

7支所集会所新築完成(3月)

     

覚醒剤・シンナー禍絶滅住民大会(4月)

     

町民グラウンドナイター設備完成(6月)

     

第1回「童謡まつりin赤池」開催(10月)

     

町民憲章制定

     

町花(コスモス)、町木(桜)、

     

町鳥(きじばと)を制定

     

町制50周年記念式典開催(11月)

平成元年 

大谷団地4戸新築完成(3月)

     

町立病院40床から60床に増床(4月)

     

ニュータウン集会所新築完成(7月)

     

平成ちくほう鉄道開業(10月)

平成2年 

一支所集会所新築完成(3月)

     

平成ちくほう鉄道「市場駅」新設(4月)

     

赤池納骨堂新築完成(8月)

     

赤池中学校校舎大規模改造工事((9月)

     

国勢調査(人口9千851人)(10月)

平成3年 

ポケットウォーターフロント完成(2月)

     

健康まつり開催(3月)

     

台風17号、19号による被害続出(9月)

平成4年 

財政再建準用団体に指定される(2月)

     

下田川し尿処理施設完成

     

猿田橋架替、生力橋として完成(3月)

平成12年 

第三次総合計画策定委員会発足(5月)

     

赤池中学校プール完成(6月)

     

上野焼四百年祭実行委員会発足(7月)

     

国勢調査人口(1万32人)(10月)

     

第三次赤池町総合計画策定(12月)

平成13年 

常福集会所新設(3月)

     

上野焼四百年祭実行委員会が、

     

大韓民国泗川市視察(3月)

     

炎と川の集いinあかいけ(3月)

     

全国広報コンクール入選(5月)

     

戸籍電算化(9月)

     

財政再建完了(12月)

     

第1回役場ホールコンサート開催(12月)

平成14年 

役場前ワィ・ワィ・ワ広場完成(3月)

     

完全学校週5日制スタート(4月)

     

赤池町公式ホームページ開設(5月)

     

不審火火災が多発

     

合併・広域行政アンケート実施(8月)

     

福岡県消防ポンプ操法大会初出場(9月)

     

泗川市で上野焼四百年記念碑除幕(9月)

     

五木寛之氏四百年祭記念講演(9月)

     

市場小学校創立130周年式典(10月)

     

上野焼四百年祭記念式典(10月)

     

上野の里ふれあい交流会館落成(10月)

     

田川広域陶器まつり開催(10月)

     

総合保健施設建設委員会発足(11月)

平成15年 

国民文化祭赤池町実行委員会発足(1月)

     

町民プール廃止(3月)

     

県議選、日野喜美男氏二期目当選(4月)

     

第30回陶器祭り「温故創新展」開催(5月)

     

片岡文雄議長が全国石炭鉱業関係

     

町村議会議長会会長に就任(7月)

     

集中豪雨被害で70世帯浸水(7月)

     

下田川三町任意合併協議会発足(8月)

     

上野駐在所赤池交番に統合(8月)

     

第3期ニュータウンの分譲開始(5月)

     

学校週5日制スタート(9月)

平成5年 

生力ニュータウン集会所新築完成(2月)

     

赤池中学校パソコン教室完成

     

上野小学校校舎大規模改修工事(3月)

     

故田中六助氏顕彰像竣工(9月)

     

遠州ゆかりの諸窯展開催(11月)

平成6年 

ごみ散乱防止条例スタート(7月)

     

渇水対策本部設置(8月)

     

赤池町立病院最新治療機器導入(11月)

     

政治倫理条例制定(12月)

平成7年 

硬式野球チーム全国大会出場(8月)

     

国勢調査(人口1万23人)(10月)

     

庁舎建設委員会発足(11月)

平成8年 

上野小学校創立120周年(3月)

     

平成筑豊鉄道赤池駅新築(4月)

     

世界炎の博覧会(赤池の火)採火式(7月)

     

上野小学校パソコン教室開設(9月)

平成9年 

彦山川ふれあい広場完成(2月)

     

平成筑豊鉄道ふれあい生力駅開業(3月)

     

町女性消防団結成(5月)

     

新庁舎着工(6月)

平成10年 

第1回インドアスポーツ大会開催(2月)

     

新庁舎落成(4月)

     

第1回彦山川ふるさとフェスタ(9月)

     

第1回通学合宿開催(10月)

     

赤池中学校創立50周年記念式典(11月)

平成11年 

地域振興券交付(3月)

     

県議選挙、日野喜美男氏当選(4月)

     

夢の会鯉のぼり初掲揚(5月)

     

移動知事室で麻生渡知事来町(11月)

平成12年 

第1回ふれあい国内交流事業開催(1月)

     

12支所集会所新設(3月)

     

虎尾桜を町文化財指定(3月)

     

介護保険制度スタート(4月)

     

陶の里たがわ窯元秀作展開催(8月)

     

全国広報コンクール特選、

     

総務大臣賞を受賞(9月)

     

童謡CD「ウタガキ(歌垣)」を制作(11月)

     

衆議院選挙、武田良太氏初当選(11月)

     

興国寺千手観音座像修復(11月)

     

さのよい炭坑節祭in赤池(11月)

     

第1回人権ウオーキング大会開催(12月)

平成16年 

ふれあい市農産物加工所開設(1月)

     

伊田線の貨物列車運行終了(3月)

     

忠魂碑を町民会館前へ移転(4月)

     

三町合併協議会発足(4月)

     

上野小学校新校舎新築落成(8月)

     

全国広報コンクール二年連続特選、

     

内閣総理大臣賞を受賞(9月)

     

第19回国民文化祭美術展陶芸開催(11月)

     

陶の里シンポジウム開催(11月)

平成17年 

興国寺仏殿(観音堂)が、

     

県の有形文化財に指定される(2月)

     

総合保健施設「コスモス」新築落成(4月)

     

皆川ヨ子さん(112歳)が長寿日本一、

     

日本最高齢者となる(4月)

     

情報公開条例制定(6月)

     

渇水対策本部設置(6月)

     

ごみ袋料金値下げ(7月)

     

髙鶴元氏が上野小にオブジェ寄贈(7月)

     

タウンミーティング開催(8月)

     

個人情報保護条例制定(9月)

     

全国広報コンクール入選(9月)

     

小学生が国際交流で泗川市を訪問(10月)

     

国勢調査(速報人口9千591人)(10月)

     「教育と文化の町赤池」構造改革特区に

     

認定される(11月)

平成18年 

ブックスタート事業開始(1月)

     

赤池町閉町式(2月)

第1回 童謡まつり in 赤池(S63)遠州ゆかりの諸窯展開催(H5) 町内最高齢の皆川ヨ子さん当時 98 歳(H2)

ひこさんがわ夢の会鯉のぼり初掲揚(H11)福岡県ポンプ操法大会初出場(H14) 第 1 回 ふれあい国内交流(H12)

町民ふれあい盆踊り(H6)平成筑豊鉄道ふれあい生力駅開設(H9) 中央公園オープン(H7)

出張なんでも鑑定団 in 赤池(H14)夏の成人式(H16) 遠賀川川下り(H15)

年表軌跡第4章◉まちの歩み

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第5章

まちのアルバム

Akaike town story Chapter 5

追憶

Photo:赤池のボタ山

1 荒木 利雄 昭和22年15月~昭和26年14月

2 荒木 利雄 昭和26年15月~昭和30年14月

3 荒木 利雄 昭和30年15月~昭和34年14月

4 船津 隆男 昭和34年15月~昭和38年14月

5 立花全兵衛 昭和38年15月~昭和40年15月

6 井上牛之助 昭和40年15月~昭和42年14月

7 池田  勝 昭和42年15月~昭和46年14月

8 井上牛之助 昭和46年15月~昭和48年15月

9 井上牛之助 昭和48年15月~昭和50年14月

10 早麻  豊 昭和50年15月~昭和54年14月

11 早麻  豊 昭和54年15月~昭和56年15月

12 池田 利文 昭和56年15月~昭和57年16月

13 浦田  勇 昭和57年16月~昭和58年14月

14 立花 杉夫 昭和58年15月~昭和62年14月

15 水永 康雄 昭和62年18月~平成13年14月

16 水永 康雄 平成13年15月~平成16年14月

17 小松 春義 平成16年14月~平成17年14月

18 大島 勇夫 平成17年15月~平成10年13月

19 木月 繁美 平成10年13月~平成11年14月

20 小松 春義 平成11年15月~平成15年14月

21 片岡 文雄 平成15年15月~現在

1 池田勝三郎 昭和11年10月~昭和15年10月

2 藤村高次郎 昭和15年11月~昭和19年11月

3 藤村高次郎 昭和19年11月~昭和21年10月

4 池永平次郎 昭和22年14月~昭和26年14月

5 池永平次郎 昭和26年14月~昭和26年12月

6 藤村高次郎 昭和27年11月~昭和31年11月

7 藤村高次郎 昭和31年11月~昭和35年11月

8 藤村高次郎 昭和35年11月~昭和39年11月

9 木村繁太郎 昭和39年11月~昭和43年11月

10 木村繁太郎 昭和43年11月~昭和47年11月

11 池永 輝昭 昭和47年11月~昭和51年11月

12 池永 輝昭 昭和51年11月~昭和55年11月

13 池永 輝昭 昭和55年11月~昭和55年11月

14 香月  章 昭和55年18月~昭和59年18月

15 池永 輝昭 昭和59年18月~昭和61年16月

16 日野喜美男 昭和61年17月~平成12年17月

17 日野喜美男 平成12年17月~平成16年17月

18 水永 康雄 平成16年17月~平成10年16月

19 水永 康雄 平成10年17月~平成14年16月

20 水永 康雄 平成14年17月~平成16年11月

21 浦田 弘二 平成16年12月~現在

池田 勝三郎 藤村 高次郎 池永 平次郎 木村 繁太郎

荒木 利雄 船津 隆男 立花 全兵衛 井上 牛之助 池田 勝 早麻 豊

池田 利文 浦田 勇 立花 杉夫 小松 春義 大島 勇夫 木月 繁美 片岡 文雄

池永 輝昭 香月 章 日野 喜美男 水永 康雄(15・16代議長) 浦田 弘二

歴代議長

歴代町長

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旧第一坑の竪坑巻上機(現在の高尾団地付近)、奥は赤池のボタ山

炭鉱の引き込み線で石炭を運ぶ蒸気機関車

現在の北九州小竹線をはさみ、上部が北町・小藤・西町一帯

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

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赤池鉱業本社付近(現在の十八支所集会所あたり)から金田のボタ山をのぞむ、トロッコ線はいま地中に埋まっている

第二坑の炭鉱住宅(現在の町営伏原)

石炭の微粉を固めた炭団(タドン)が作られている(板屋団地側の選炭場)

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

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上野焼開窯当初の窯である釜ノ口窯跡の発掘調査、全長 41 ㍍におよぶ連房式登り窯が姿を現す(昭和 29 年)

赤池の県道から田川に向かわれる天皇陛下(昭和 26 年)

旧赤池橋(大正 11 年架橋)と明治鉱業赤池発電所

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

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家路につく子どもたち、赤池の道は急いでではなく、ゆっくりと歩きたくなる道だった

松本にあったトンネル、学校へ家へ、通学でここを通った

表情豊かにお遊戯をする子どもたち

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

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昭和 38 年に新赤池橋ができるまで使われていた板橋(とんとん橋)

炭鉱労働組合の集会

ボタ山にトロッコが返され、ボタが積まれる

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

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上野峡への入り口になっていた庚申橋

親和会館(赤池商事裏)で行われた炭鉱殉職者の合同慰霊祭(昭和 26 年)駅前通りを通過する東京オリンピックの聖火、ランナー長谷川弘さんに続いて 23 人のリレーランナーが走った(昭和 39 年)

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

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町民体育祭の人気種目だった仮装行列、渡辺満里奈さんはいますか?(昭和 61 年)

赤穂浪士の衣装を 40 年ぶりに復活させた八区の盆踊り(昭和 58 年)

豪雨で彦山川が逆流し 269 戸が床上浸水、1㍍ 50 ㌢の浸水を記録した(昭和 54 年)

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

北九州小竹線上で上野地区と赤池地区をつないだ上野橋の開通、総工費は約6億円(昭和 54 年)

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童謡まつり in 赤池の町民ミュージカル「城田の山幸・響の海幸~伝説むらさき川~」(平成4年)

途絶えていた上野神楽を再現、統一秋祭りで初奉納される(昭和 55 年)吹雪の中、赤池中学校の校庭で行われた下田川四ケ町連合消防出初め式(昭和 61 年)

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

赤池マーケット、赤池商事前での人権街頭啓発(昭和 56 年)

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上野峡で水しぶきを上げて遊ぶ子どもたち(昭和 58 年)

町内四保育所合同の運動会、5歳児によるおみこし(昭和 56 年)

夏真っ盛り、上野保育所(平成5年)

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

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昭和 59 年2月1日からの無人化を間近にした赤池駅舎内(昭和 59 年)コールマイン田川・川下りプロジェクト「炎と川の集い in あかいけ」(平成 13 年)

最後の貨物列車DD51、平成筑豊鉄道貨物輸送の最終便が赤池駅を通過(平成16年3月25日10時 54分)

追憶第5章◉あのころ/まちのアルバム

福智山登山客を運ぶ国鉄バス、昭和 27 年から運行され 62 年に廃線となった

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福智町新町名に梅薫る     

熊谷カツミ

新雪の積もる福智嶺夜明けかな 

吉田  

福智町文化に富て冬うらら   

皆川 

和子

童謡の町去りがたし春しぐれ  

久松ミサオ

永住の町名変り山笑う     

宇野美奈子

冬の雨消えゆく町の名を惜しむ 

亀谷千恵子

三町の合併成りし梅二月    

神田恵美子

早春の消える赤池ふと淋し   

宇野八重子

町名の変る淋しさ春しぐれ   

森  

玲子

赤池の名残惜しみて初句会   

寺内ノブエ

初春や新町名の山仰ぐ     

丸山 

鈴子

新町の門出を祝ふ春の雪    

安田 

健一

見馴れたる町変わりゆく春夕焼 

白石 

幸子

思ひ出に綴る町名名残雪    

池田 

駒女

赤池町閉町、三町合併を記念して…

 

みのり句会・隣保館句会 

池田一歩選 

春月に照らし出されし福智町  

選 

者 

新しき町の名となる雪嶺かな  

小場 

妙子

初暦希望の年の福智町     

本島真知子

草萌や三町合併祝ぐ朝     

大久保幸子

町あらた初冠雪の福智山    

末松トモ子

[赤池町]

面積 16.20k㎡

人口 10,009人(男 4,683・女 5,326)

4,062 世帯平成18年1月31日現在(住民基本台帳人口)

Akaike townstory

赤池町には美しい自然がいっぱいある

緑と清流 どっしりと腰をすえた福智山

伝統工芸の上野焼が広く人びとを誘い招き

夏には特産品の赤池梨が

はるか遠くふるさとを告げる

赤池町には美しい童謡がいっぱいある

優しいメロディが 町の隅々に流れ

忙しく気ぜわしい人びとの 心をうるおす

童謡は知らぬ間に やさしい人をつくってくれる

赤池町には 人の心のやさしさが いっぱいある

赤池町には 人の心の温かさが いっぱいある

赤池町には 人の心の豊かさが いっぱいある

童謡がいつの間にか

すばらしい町をつくってくれた

「童謡まつり・町づくり」赤池町童謡まつり検討委員会

童謡まつり in 赤池の検証と考察より

Photo:白糸の滝

Page 31: さようなら。 - koho.or.jp

「夜明け・赤池」

1992年 

作詞/加来宣幸 

作曲/松崎浩子

筑ち

し紫なる 

豊とよ

の山や

まさと里 

嗚あ

呼あ 

わが町ま

緑みどり

たなびく 

山やまなみ波 

重かさ

なり

英ひ

こ彦山の水み

ず 

産うぶすな土

ひらく

赤あかいけ池

の里さ

と 

赤あかいけ池

の里さ

と 

ふるさとや 

よし

母はは

の川か

わ 

沃よ

や野を巡め

り 

嗚あ

呼あ 

わが町ま

日ひ

に 

月つき

父ふ

そ祖は

おもいて

ここに興お

す 

ふるき足あ

あと

赤あかいけ池

の里さ

と 

赤あかいけ池

の里さ

と 

ふるさとや 

よし

風かぜ

薫かお

れ 

山やま

に野の

に 

嗚あ

呼あ 

わが町ま

町まち

びとよ 

今き

う日も 

安やす

らぐ

誇ほこ

りもて 

わが山や

よ川か

赤あかいけ池

の里さ

と 

赤あかいけ池

の里さ

と 

ふるさとや 

よし

新あたら

しき 

まほろばの里さ

と 

嗚あ

呼あ 

わが町ま

町まち

びとの 

いのち育は

ぐく

知ち

え恵みがき 

歌うたがき垣

の町ま

赤あかいけ池

の里さ

と 

赤あかいけ池

の里さ

と 

ふるさとや 

よし

明あ

す日もまた 

陽ひ

はのぼらん 

嗚あ

呼あ 

わが町ま

喜よろこ

びも 

かなしみもこそ

町まち

づくり 

町まち

びとの手て

赤あかいけ池

の里さ

と 

赤あかいけ池

の里さ

と 

ふるさとや 

よし

ふるさとや 

よし

Photo:菜の花咲く彦山川ほとりと

雪化粧した福智山

町制施行 50 周年を記念して

昭和 63 年 11 月に選ばれました。

[町花

町木

町鳥]

町花/コスモス

町木/サクラ

町鳥/キジバト

※ 「夜明け・赤池」は、平成4年の童謡まつり町民ミュージカル

「城田の山幸・響の海幸~伝説むらさき川」の中で、赤池の未来を

歌った曲として披露され、財政再建に転落したばかりの町に希望

と勇気を与えました。町の歌にふさわしい、赤池町民の心の歌です。

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 平成 18 年 3 月 6 日。それは、私達にとって生涯忘れることの

できない日となる。ふるさと赤池町は、昭和 14 年 11 月の町制

施行から 66 年余の時を刻み、やがて、その幕を閉じようとして

いる。石炭景気で活況を呈したあの頃、そしてエネルギー政策

転換による炭鉱の閉山。毎日のように転校生を見送った小学生時

代。その度に惜別の情と一種の羨ましさが入りまじった複雑な気

持になったのだが…。炭鉱や発電所の煙突、炭住の佇、今は何事

もなかったかのように、すべて過去のものとなってしまったが、

私達の記憶の中に心の支えとして残っている。町の表情は、時の

流れとともに変わってはいるが、先人の方々の尊い汗と努力で築

き上げられた歴史と伝統は、風土という無形の力で、大きな勇気

を与えてくれている。ふるさとを思い愛する心は、親と子・友人・

周りの人達など、さまざまな人間関係や風景・産業・文化をひっ

くるめた風土という胸の奥底の琴線にふれる振り子によって育

まれるのではないだろうか。赤池町は金田町・方城町と合併して

福智町に生まれかわり、また新たな風土づくりが始まる。古来「三

人寄れば文殊の智慧」とか、結束力の象徴として毛利元就の「三

本の矢」などで、三という数字が好ましい意味で使われている。

その伝でいけば、新生福智町の前途にも、明るい展望が見い出せ

るのではないか…。とは言え、町の構成員である私達一人ひとり

が、気持を一つにして、まちづくりに取り組んでいかなければ、

魂を込めることはできない。近隣市町村からの関心も大いに高

まっているが、まずは、地に足を着けた確かな歩みを進めたい。

終りに、合併という記念すべき旅立ちにあたり、心から言いたい。

赤池町、万歳! そして、ありがとう。

町を閉じるにあたって赤池町長 浦田弘二

編集後記

 

ドラマチックな町、赤池。1か月という短い編集期間で、自分なりに精一杯、町の物語を綴ってみました。とうていそ

の片鱗しかまとめることができませんでしたが、最終号を手がけることができ、うれしさ、寂しさ、達成感など、いろい

ろな感情をいまかみしめています。タイトルは「さようなら」。好きだからこそ名残惜しさが募る、今の正直な気持ちを

つけてみました。すてきな出会いに感謝して、広報あかいけの最終ページを閉じます。長い間、ありがとうございました。

赤池町広報広聴室 

長野士郎

章  昭和六十三年十一月三日制定

赤池町は、福智山麓の豊かな自然と

伝統・文化に恵まれて発展してきました。

わたくしたちは、人の心の豊かさをもとめて、

住みよいふるさと活気あふれる町づくりを願い、

ここに町民憲章を定めます。

一 

人を大切にし 明るく住みよい町をつくります

一 

郷土の自然を愛し 美しい町をつくります

一 

学ぶ心をはぐくみ かおり高い文化の町をつくります

一 

健康で働く喜びをもち 生きがいのある町をつくります

一 

きまりを守り 平和な町をつくります

 赤池町の「あ」をデザ

インしたもので、円は町民

の力強い団結と和をあらわ

し、自然と産業文化の向上

躍進の進路を示します。「新

しい田園都市」をキャッチ

フレーズに発展する赤池町

を象徴しています。

(昭和 48 年町章改正/名誉

町民 故・久原弘氏デザイン)

町章

(庁舎ロビーを彩る陶壁「扇の舞」上野焼全窯元が作品を提供した/デザイン・監修

名誉町民

故・久原弘氏)

写真を提供してくださった 戸塚八州男さん 三宅嘉一さん 中西吾郎さん 青柳一夫さん ありがとうございました。

Akaike town story

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ありがとう、赤池町。

ten thousand dreams…

一人ひとりの夢をのせて、

福智町へ。