まとめ...
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まとめ 今回の調査では A・B・C 地区のほぼ全域で遺構・遺物が確認できました。A 地区では弥生
時代後期から古墳時代前期の集落と管理された旧河道・溝が見つかっています。旧河道から
は多量の土器が出土しましたが、その多くは上流から流されてきたものです。郷着遺跡だけ
でなく更に上流に遺跡が存在する可能性が非常に高くなりました。
今回の調査では C 地区から円弧を描く溝の一部が見つかりました。弥生時代の墓(円形周
溝墓)である可能性が高いものです。
予期しない平安時代の集落も見つかりました。2 棟の建物には不釣り合いな多量の土器が
出土しました。墨書土器や土器を転用した硯が出土しています。『門』の墨書土器は門を備え
た広い区画をもつ集落の存在を示しています。これは郷着遺跡が役所的な機能をもった大規
模な拠点集落『家(やけ)』であった可能性を想起させるものです。
また、条里が古代から施行された可能性が高いことも今回の調査成果です。現在の用水路
が地図・空中写真から見て南北の坪境に当たります。2 棟の建物が坪境に近接していること
から、集落遺跡の本体は更に西へ大きく広がる可能性もあります。集落の実態も今後周辺の
調査を緻密に行うことによって明らかになると考えています。
はじめに 兵庫県まちづくり技術センタ-では、昨年 10月より姫路市広畑区才において郷着
遺跡の発掘調査を行ってきました。調査は順調に進み、1 月末頃に終了する予定で
す。
郷着遺跡は今回の調査で初めて見つかった遺跡です。調査を実施した地点には、
昔からの田圃の景観が広がっていました。遺跡はなだらかに南へ伸びる扇状地、詳
しくは集落が立地する微高地と川跡や溝、水田が営まれた旧河道部分に広がってい
ます。
調査は約 4800㎡、南北 180mの細長い調査区を発掘しています。JR山陽本線沿い
の約 2000 ㎡を A 地区、里道を挟んだ、南側約 1800 ㎡を B 地区、B 地区西側の用水
路沿いの旧アスファルト敷 1000㎡を C地区と呼んでいます。現在、A地区の調査を
終了し、B地区の残り 2割と C地区の調査を実施しています。
今回は B地区の一部と C地区をご紹介します。
B・C地区遠景(南をのぞむ)
兵庫県教育委員会
公益財団法人 兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部
URL:http//www.hyogo.ctc.or.jp
TEL 079-437-5561
ハマグリが入られた土器 土器(右写真)出土状況(白丸印)
郷郷着着遺遺跡跡説説明明会会資資料料
平成 31年 1月 27日(日)
ごうじゃく
墨書土器 (左 『万𠮷』 中央 『万𠮷』 右 『万』)
井戸 SE1094の井戸枠と出土遺物
0 20m
S=1:300
N
C地区
B地区
掘立柱建物跡
古墳時代後期の住居SH1015
弥生時代末~古墳時代前期 溝井戸SE1029 井戸SE1094
坪堺の大畦畔
古墳時代の水田跡
平安時代の畑跡
円形周溝墓?SD1143
平安時代前期の遺構群
弥生時代後期~古墳時代前期の溝
古墳時代の住居・井戸・水田跡
平安時代前期の建物・井戸
平安時代の畑跡・大畦畔
円形周溝墓? SD1143(東から) 掘立柱建物跡 (東から) 大畦畔(手前)
井戸SE1094 全景(南から)B地区全景(東から) 井戸SE1094 近景(北から)
調査の成果 B・C 地区の概要
B・C地区からは、弥生時代後期から古墳時代前期の溝、6世紀代の竪穴住居跡や土坑、古墳
時代の水田区画、平安時代初めころの掘立柱建物跡 2棟と井戸 2基・畑跡そして調査区の北
端から条里型地割に伴う大畦畔が見つかっています。
弥生時代後期から古墳時代前期の遺構
B 地区・C 地区の南半に弧を描いて走る溝は弥生時代後期から古墳時代前期にかけての溝
です。これらの溝は水田耕作に伴う用水路であったと考えられ、大きな溝や旧河道から分岐
したものと考えられます。溝肩に小規模な畦畔を伴うものや溝が埋没した部分に畦畔が営ま
れているものもあります。
(円形周溝墓状の溝 SD1143)特筆すべきは C地区の南西隅から検出された半円形の溝です。
幅1mほど、内径 9.5mほどの円形であった可能性があり(半円形に見つかりました)、弥
生時代の円形周溝墓の可能性があります。
古墳時代後期の竪穴住居跡と水田跡
(竪穴住居跡 SH1015)B地区の南半から検出されました。一辺 2.7mの隅丸方形をしていま
す。須恵器杯身や加工材が出土しました。
(水田畦畔の痕跡)B・C地区の中程から網目の様に検出されました。一辺 5mほどの不整方
形の区画がみつかりました。地形の傾斜に沿って広がっています。
B・C地区全景 (東から)
古墳時代の竪穴住居跡 SH1015 全景 古墳時代の水田畦畔の痕跡
B・C地区全景 (西から)
古墳時代の竪穴住居跡 SH1015 全景 弥生時代の水田畦畔の痕跡
井戸 SE1029 全景
SE1029 井戸内の水溜め
平安時代の集落と条里型地割
(掘立柱建物跡 2 棟)2棟の掘立柱建物を検出しました。何れも棟行 2間・梁行 3間の建物です。
1 棟は南北に長い南北棟(南北桁行約 6m×東西梁行 4m)、1 棟は東西に長い東西棟(東西桁行
約 6.8m×南北梁行 5m)を測ります。何れも方形の大きな柱穴を掘って立てられています。
(井戸 SE1029と SE1094)SE1029は南北棟の掘立柱建物の南側に造られた井戸です。井戸からは
木箱を転用した水溜と『門』と墨書された須恵器椀の蓋が出土しました。SE1094は東西棟の掘立
柱建物跡の北東側に造られた井戸です。井戸内から墨書土器が出土しています。掲載した写真の
墨書土器は 3点。中央の須恵器杯は井戸の掘方から出土しました。底部の外面に『万𠮷』の墨書
があります。左右の2点は井戸枠の内側から出土しました。左の須恵器杯には底部の外面に『万
𠮷』の墨書があります。右側の須恵器杯蓋には『万』の墨書が外面にあります。『万』の墨書は
下部が欠失しており『𠮷』の字が続いていたと考えられます。土器はいずれも平安時代初めころ
のものです。また、この井戸からは神様に供えたと考えられるハマグリが入れられた須恵器の坏
も出土しています。
(畑跡)掘立柱建物跡の周辺には東西あるいは南北方向に数列の溝が見つかっています。これら
は畑の畝間の溝と考えられ、畑作が行われていた痕跡と考えています。溝内からは平安時代の土
器が出土しており、加えて建物と重複していないことから建物と同時期の畑と考えています。
(坪境の大畦畔-条里型地割)B・C地区の北端には現在の里道に沿って 2m間隔で 3本の溝があ
ります。これらの溝は現在の里道の祖型と考えられ、古い坪境の大畦畔の側溝と考えています。
掘立柱建物跡や畑の畝溝は大畦畔と近似した方向をとっています。このことから今回見つかった
大畦畔も古代に遡ると考えられます。
平安時代の遺構群