yamamoto y. - 阿護の浦海底遺跡 - 15.11.2016

3 > [email protected] 000 000 西30 40 20 31 使使×19 Profile 写真= 山本 遊児 水中文化遺産カメラマンアジア水 中考古学研究所 ARIUA研究員水中考古学研究所会員南西諸 島水中文化遺産研究会会員The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員 17 使使15 15 使貿Profile 解説= 片桐 千亜紀 沖縄県立博物館 美術館 主任学 芸員沖縄考古学会会員日本 人類学会会員アジア水中考古 学研究所理事南西諸島水中 文化遺産研究会副会長

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Page 1: Yamamoto Y. - 阿護の浦海底遺跡 - 15.11.2016

考古学3つの原則「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」

考古学では何がどこにどのような状態であるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな?

と思うものがありましたら、

月刊ダイバー編集部までお知らせください☟>

hp@diver-w

eb.jp

座間味島

安慶名敷島

嘉比島

安室島

座間味港

阿護の浦

海底遺跡

000000

 

沖縄の拠点となる「那覇」

の西方30〜40㎞の洋上には、

大小20余りの島々からなる慶

良間諸島がある。2014年

3月、「慶良間諸島国立公園」

として日本で31番目の国立公

園に指定され、その広大な海

域の面積は国内最大とされ

る。この国立公園を擁する風

光明媚な座間味村では「世界

が恋する海」のキャッチフレー

ズをメッセージとして世界に

発信し、さらなる環境保全に

取り組んでいる。そして、座

間味島には「阿護の浦」とい

う港湾があり、海底には琉球

の歴史を伝える水中文化遺

産「阿護の浦海底遺跡」が存

在する。この海域は、琉球王

国の進貢船(中国との交易や使

節の派遣に使用された官船)が風

待ちのために利用した港であ

り、進貢船を係留したと伝

えられる「とうしんぐむい(唐

船小掘)」と呼ばれる深場もあ

阿護の浦

海底遺跡

琉球王国の交易の歴史を探る

水中考古学其の十九

山本

遊児

× 片桐 千亜紀

陸の遺跡とは違いまだ手つかずのものが多い水中遺跡、遺物の数々。

そんな、水中に眠る日本各地の遺物を追う。

第19回目は沖縄県・座間味島。

座間味島の東端に位置する穏やかな港湾「阿護の浦」は

かつて琉球王国の進貢船が風待ちのために利用したとされており、

その海底にはさまざまな種類の陶磁器が沈んでいる。

Profile写真=山本 遊児水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所(ARIUA)研究員/水中考古学研究所会員/南西諸島水中文化遺産研究会会員/ The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員

水中考古学

其の十九

水中考古学

其の十九

【陶器】サンゴに覆われ

つつある陶器

る。17世紀に江戸幕府が作成

した「正保国絵図」にも港と

して記載されており、清朝時

代の中国が作成した「奉仕琉

球図」という絵巻にも「阿護

の浦」と見られる港で冊封使

船(新しい琉球国王が即位する時、

それを認める勅書を持った中国側の

使節を乗せた船)が風待ちをして

いる様子が描かれている。こ

のことは、この海域が琉球王

国と中国とを結ぶ航路上に

存在する重要な港であったこ

とを示している。

 

そんな歴史を証明するよ

うに、海底からは15世紀〜

近世・近代に至るまでの多時

期・多種多様な陶磁器が数多

く発見された。中でも15世紀

頃の中国陶磁器の存在は、こ

の海域が少なくともこの頃

からすでに港として使用され

ていたことを示しており、歴

史的な記録が物質的な資料

によって裏づけられる貴重な

発見であった。その他、多量

に発見された陶磁器は那覇の

〈壺屋〉で生産された壺屋焼

と考えられ、さまざまな器種

が含まれている。さらに、厨

子甕が

と呼ばれる蔵骨器など

もあった。これらは、過去に

那覇から慶良間諸島や渡名

【露出】海底に堆積

した砂から

露出した陶器

喜島、粟国島、久米島など

へ商品を運ぶ途中で海難事故

に遭遇した琉球船の積み荷で

あると考えられる。阿護の浦

が中国と沖縄を結ぶ貿易船

の港としてだけではなく、沖

縄の域内流通を支える船の

港としても利用されたことを

示している。

【巨大】な水甕

【底部】には付着

物が多い

【口】の部分が割れて

無くなった甕

【白化粧された陶器の碗】保存状態

が良く付

着物も少ないことから、長い間砂の中に埋没していたものだろう

Profile 文・解説=片桐 千亜紀沖縄県立博物館・美術館 主任学芸員/沖縄考古学会会員/日本人類学会会員/アジア水中考古学研究所理事/南西諸島水中文化遺産研究会副会長