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1 はじめに 寺谷廃寺は東日本最古の飛鳥時代の寺院であることは知られているものの、 不明確な点が多い。そのため2010年8月に滑川町教育委員会、駒澤大学考古学 研究室で発掘調査を行った。その概報を刊行して概要を報告したが、大型破片 や新たな叩きの種類も再確認できたため、資料紹介を行い、寺谷廃寺について 検討してみる。 本稿ではまず、新資料の報告を行い、次号で行う寺谷廃寺検討の資料とす る。 1.寺谷廃寺の概要について 寺谷廃寺は、滑川町大字羽尾字平沼下に所在する。瓦の散布地は広く、興長 禅寺裏の台地上に広がるA地点、その台地南西先端部に広がるB地点があり、 両地点を合わせて南北方向の最大長420m、東西方向の最大幅170mの範囲に広 がる。B地点の東斜面には羽尾(五厘沼)窯跡が、西には道路を挟んで平谷窯 跡が位置する。周辺には小古墳群が多く分布するが、規模の大きな古墳は存在 しない。 1979年に高柳茂氏が平谷窯跡採集資料と寺谷廃寺の瓦を比較して、平谷窯跡 が寺谷廃寺の供給先と推定されたことにより、寺谷廃寺が知られるようになっ 埼玉県比企郡滑川町寺谷廃寺出土瓦について 酒井清治・瀬尾晶太・永山はるか

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Page 1: Y01 酒井 瀬尾 永山 - 駒澤大学repo.komazawa-u.ac.jp/.../rsg079-05-sakai_seo_nagayama.pdf1 はじめに 寺谷廃寺は東日本最古の飛鳥時代の寺院であることは知られているものの、

1

はじめに

 寺谷廃寺は東日本最古の飛鳥時代の寺院であることは知られているものの、

不明確な点が多い。そのため2010年8月に滑川町教育委員会、駒澤大学考古学

研究室で発掘調査を行った。その概報を刊行して概要を報告したが、大型破片

や新たな叩きの種類も再確認できたため、資料紹介を行い、寺谷廃寺について

検討してみる。

 本稿ではまず、新資料の報告を行い、次号で行う寺谷廃寺検討の資料とす

る。

1.寺谷廃寺の概要について

 寺谷廃寺は、滑川町大字羽尾字平沼下に所在する。瓦の散布地は広く、興長

禅寺裏の台地上に広がるA地点、その台地南西先端部に広がるB地点があり、

両地点を合わせて南北方向の最大長420m、東西方向の最大幅170mの範囲に広

がる。B地点の東斜面には羽尾(五厘沼)窯跡が、西には道路を挟んで平谷窯

跡が位置する。周辺には小古墳群が多く分布するが、規模の大きな古墳は存在

しない。

 1979年に高柳茂氏が平谷窯跡採集資料と寺谷廃寺の瓦を比較して、平谷窯跡

が寺谷廃寺の供給先と推定されたことにより、寺谷廃寺が知られるようになっ

埼玉県比企郡滑川町寺谷廃寺出土瓦について

酒井清治・瀬尾晶太・永山はるか

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酒井清治・瀬尾晶太・永山はるか  埼玉県比企郡滑川町寺谷廃寺出土瓦について2

第1図 寺谷廃寺・平谷窯跡群位置図

(昼間・木戸・赤熊1999より一部改変)

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てきた。

 その後寺谷廃寺出土の素弁八葉軒丸瓦が飛鳥寺の系譜を引く、あるいは朝鮮

半島百済の瓦工が伝え、創建時期は6世紀末、あるいは7世紀前半など様々な

見解が出されてきた。また、創建の背景についても、有力在地氏族、渡来系氏

族などが想定されている。

 出土瓦についても、高柳茂氏、高橋史朗氏、青木忠雄氏らの表採資料が報告

され、昼間孝志、木戸春夫、赤熊浩一氏らによって叩き技法などの分類が行わ

れ、いずれも格子系の叩きで15種に分けられた(第2図)。叩きのあとナデ消

す格子1類から6類、15類がB地点で出土し、わずかに撫でるか撫で消さない

格子7類から14類がA地点で出土する。いずれも桶巻造りである。胎土もB地

点が砂粒をほとんど含まない粘りのある土で、A地点は砂粒が多く、多孔質で

ある。

2. 発掘調査の概要

 2010年8月、滑川町教育委員会と駒澤大学考古学研究室が、寺谷廃寺と平谷

窯跡の初めての発掘調査を行った。寺谷廃寺はB地点北半部の測量調査とその

範囲にトレンチを入れたが、調査範囲の南部の町道沿いだけに瓦が分布してい

た。しかし、寺に関する遺構は確認できなかった。

 発掘調査における出土瓦の割合は、平瓦93.4(94.5)%(括弧内は表採資料)、

丸瓦5.7(5.3)%、軒丸瓦0.9(0.2)%であり、平瓦が圧倒的に多いことが指摘

できる。

 また、平谷窯跡も発掘し、並行する2基の窯が確認できた。斜面右(北側)

の1号窯は、焼成部床面と煙道の一部を、南側の2号窯は焼成部の一部を調査

した。1号窯は地下式の登窯で、しっかりした階段ではなく、角が丸い構造で

あることが特記できる。これは須恵器窯の床面を削り出して階段構造に改築し

たと考えた。また、煙道前の壁面左右に溝が続くことで、溝付排煙口型窯であ

ることもこの窯の特徴である。

 1・2号窯では羽尾窯跡に後続する、古墳に供給されたと考えられる坏Hの

蓋坏が出土し、操業開始期は須恵器焼成窯であったと考えられる。瓦は寺谷廃

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寺B地点に供給された瓦1段階、寺谷廃寺A地点に供給された瓦3段階の瓦も

焼成していた。また、今まで時期的に明確でなかった三重弧文軒平瓦と胎土

2a・2b類という胎土のやや粗い平瓦が1号窯床面から多く見つかっており、

瓦2段階に位置づけられ、寺谷廃寺A・B両地点で出土することから両地点に

供給していたようである。1・2号窯の操業は以下のような変遷をたどると考

えている。

 1号窯: 《須恵器窯》(坏H焼成)→《階段設置瓦窯に改築》瓦1段階→瓦

2段階→瓦3段階≒須恵器(盤焼成)

 2号窯: 《須恵器窯》(坏H焼成)→《改築》瓦1段階→瓦3段階

 平谷窯跡出土須恵器坏Hは、陶邑TK209型式並行の羽尾窯跡に後続するこ

とから、620 ~ 630年代には操業を開始していたと考えられることから、瓦生

産の開始、すなわち寺谷廃寺の創建はそれを遡ることはないと考えられる。

 1号窯から盤が出土し、寺谷廃寺A地点から瓦3段階の棒状子葉単弁10葉軒

丸瓦が出土していることから、7世紀第3四半期から第4四半期にかけて焼成

された可能性がある。寺谷廃寺B地点東西トレンチ1から南比企産の須恵器坏

Gが出土し、時期が7世紀第3四半期と想定できることも、寺谷廃寺が7世紀

後半代にも存続していたことが明らかである。

 このように寺谷廃寺は7世紀前半の創建で、後半にも存続したことが明らか

であるが、8世紀にはどのようになっていたのか発掘では不明確であった。

3.出土遺物について

 本稿では寺谷廃寺B地点出土瓦24点、平谷1号窯出土瓦2点、平谷2号窯出

土瓦10点の計36点を紹介する(第3~9図)。なお、本稿における瓦のタタキ

分類は昼間孝志氏らの分類(昼間・木戸・赤熊1999)および駒澤大学による寺

谷廃寺・平谷窯跡の発掘調査報告(酒井ほか2011)に準拠し分類を行い、今ま

でに確認されていなかった叩きを新分類として紹介する。胎土については発掘

調査報告書に準拠する。

(1)寺谷廃寺B地点

ナデ(1~9)

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第2図 寺谷廃寺・平谷窯跡群出土瓦凸面調整分類図(S=1/2)

(昼間・木戸・赤熊1999より一部改変)

ナデ消し

格子4類

格子8類

格子12類

ケズリ

格子2類

格子6類

格子10類

格子14類

格子16類

格子1類

格子5類

格子9類

格子13類

ハケ

格子3類

格子7類

格子11類

格子15類

格子17類

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酒井清治・瀬尾晶太・永山はるか  埼玉県比企郡滑川町寺谷廃寺出土瓦について6

 ナデ消しの調整が施されている瓦は9点で、そのうち2点(1・2)が丸瓦

である。1と2は共に厚さ1.2cmの薄手の丸瓦で、凸面は縦方向にナデを施

し、凹面は未調整で布目が残る。側面には3回のケズリが施されている。胎土

も共に1a類で、2は焼成が非常に良好で須恵質である。3は厚さ1.7cmの平瓦

で、凸面は横方向にナデが施されている。凹面は未調整で布目が残る。側面は

明確に確認できるケズリは3回であるが、ケズリの単位がわからないほど丹念

に化粧削りのように削られ、丸みを帯びている箇所もある。胎土は1a類で焼成

が良く須恵質である。4は厚さ1.5cmの平瓦で凸面は横方向にナデを、凹面は

不定方向にケズリを施しているが布目が残っており、一部に反転した布目がみ

られる。胎土は1a類で焼成は良好である。5は厚さ1.4cmの平瓦で、凸面には

横方向に2cm前後を一単位としたヘラナデを施している。凹面にはケズリを

施すが布目が残っており、幅4.2cmの模骨痕も確認できる。胎土は1b類で焼成

は良く須恵質である。6は厚さ1.2cmの薄手の平瓦である。凸面は横方向にナ

デを施し、凹面は横方向に削っているが布目が残る。端部付近が段状になって

いることが特徴的であり、工具で撫でた際に生じたものと考えられる。端部は

2回ケズリを行っており凹面側に大きく削っている。胎土は1a類で焼成は良く

須恵質である。7は厚さ2cmの厚手の平瓦で凸面にはナデを、凹面にはケズ

リを施している。端部には3回、側面には4回のケズリがみられ、角がなめら

かである。胎土は1a類である。8は厚さ1.6cmの平瓦で、凸面には横方向にナ

デが施されている。凹面には一部ナデがみられるが布目がほとんど残ってい

る。また、凹面に桶巻き作りの際の粘土板の重なりと思われる痕跡がみられ

る。また、桶に粘土板を巻き付ける前に、桶に直接約2cm四方の粘土を縦に

いくつか貼付けていたような痕跡もみられ、その箇所には布の重なりがみられ

る。胎土は1b類で焼成は良く須恵質である。9は厚さ1.7cmの平瓦で凸面には

ナデを施している。凹面には調整は施されておらず、縫い合わせによる幅

0.9cmの布の重なりが縦に長さ7.2cmにわたって残っている。胎土は1a類であ

る。

格子1類(10~ 18)

 格子1類とは縦1.4 ~ 1.2cm、横1.1cm前後の比較的大きな斜格子で、格子叩

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第3図 寺谷廃寺B地点出土瓦(1)

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きの上から全体にナデを施したものを指す(昼間・木戸・赤熊1999)。本稿に

おける格子1類の瓦は9点で、そのうち1点(10)は丸瓦である。10は厚さ

1.6cmの丸瓦である。凸面は格子叩きの後に全面にヘラナデを施している。凹

面は一部ケズリが施され、粘土の重なりがみられる。胎土は1a類で焼き歪んで

いる。11は厚さ1.7cmの平瓦で、凸面は格子叩きの後に横方向にナデが施され

ている。凹面は未調整で幅4.2cmの模骨痕が残る。胎土は1b類で焼成は良く須

恵質である。12は厚さ1.8cmの平瓦で、凸面は格子叩きの後にナデが施されて

いる。凹面は未調整である。端部のケズリは3回でそのうち1回は凸面側に大

きく削っている。胎土は1a類である。13は厚さ1.1cmの薄手の平瓦で凸面は格

子叩きの後に横方向にナデが施されている。凹面は一部にケズリが施されてお

り、幅2.2cmの比較的幅の狭い模骨痕がみられる。14は厚さ1.9cmの平瓦で、

凸面には格子叩きの後に横方向にナデが施されている。凹面には縦方向にケズ

リが施されているが全面的ではなく布目が残る。側面のケズリは凸面側に大き

く1回、凹面側に小さく2回施されている。胎土は1b類で焼成は良く須恵質

である。15は厚さ1.6cmの平瓦で、凸面は格子叩きの後に横方向にナデを施し

ている。凹面は未調整である。側面は多面的に6回のケズリが施されており丸

みを帯びている。胎土は1a類で焼成も良く須恵質である。16は厚さ1.1cmと薄

手の平瓦で凸面は格子叩きの後に横方向にナデを施している。凹面は未調整

で、端部付近に段がみられる。胎土は1a類である。17は厚さ1.4cmの平瓦で、

凸面は格子叩きの後に横方向にナデを施し指紋が残る。凹面は横方向にケズリ

をほぼ全面的に施している。端部のケズリは粗く角が立っている。胎土は1b

類で焼成は良く須恵質である。18は厚さ1.4cmの平瓦で、凸面は格子叩きの後

に横方向のナデを施している。凹面は粘土を切り出した際の糸切り痕が明瞭に

残り、わずかにナデがみられる。端部は3回ケズリを行っているが鋭角なため

角が残る。胎土は1b類で焼成は良く須恵質である。

格子2類(19~ 21)

 格子2類は縦2cm、横1.7cmの大きな斜格子に斜め45度前後の線を1cm間

隔に平行に数本加えた叩きで、全体的にナデを施している(昼間・木戸・赤熊

1999)。本稿における格子2類の瓦は3点でいずれも平瓦である。19は厚さ2

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第4図 寺谷廃寺B地点出土瓦(2)

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第5図 寺谷廃寺B地点出土瓦(3)

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cmの比較的厚手の平瓦で、凸面は格子叩きの後にナデが施されている。凹面

はナデを施しているが布目が残る。胎土は1a類である。20は厚さ1.6cmの平瓦

で凸面は格子叩きの後に横方向にナデを施している。凹面は縦方向にケズリを

第6図 寺谷廃寺B地点出土瓦(4)

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酒井清治・瀬尾晶太・永山はるか  埼玉県比企郡滑川町寺谷廃寺出土瓦について12

施しているが布目が残る。また凹面には布の合わせ目か桶の痕跡なのか横方向

に布目のある幅3㎜ほどの溝が走る。端部は3回ケズリを施した箇所と化粧削

りのように多面的にケズリを施した箇所が混在する。胎土は1a類で焼成も良く

須恵質だが焼け歪んでいる。21は厚さ1.9cmの比較的厚手の平瓦で、凸面は格

子叩きの後、横方向にナデが施されている。凹面は未調整で、布の合わせ目が

残り、粘土の合わせ目もみられる。また幅4.7cmの模骨痕も残っている。胎土

は1b類で焼成も良く須恵質である。

格子3類(22)

 格子3類は縦0.6cm、横0.6cmの正格子の後に全体的にナデを施した叩きで

ある。本稿における格子3類の瓦は1点である。昼間氏らによる寺谷廃寺の報

告では5点、駒澤大学の報告でも2点しか報告されていない報告例の少ない叩

きである。22は厚さ1.9cmと比較的厚手の平瓦で、凸面は格子叩きの後に横方

向にナデが施されている。凹面は全面的に不定方向のケズリが施されている。

端部は凹面側に大きく削るのみである。胎土は1a類である

ハケ(23・24)

 本稿でハケがみられる瓦は2点である。23は厚さ1.7cmの平瓦で凸面は格子

叩きの後に全面的にハケが施され、叩きを分類することはできない。ハケは細

かいものでは0.1cm前後、大きいものだと0.2cmで、1cm間に10本ほど確認で

きる。凹面は未調整で模骨による段がみられるが模骨幅は不明である。側面は

7回ケズリが施されており、凹面側は化粧削りのように丸みを帯びているが凸

面側は角が残る。端部は3回のケズリが施され角が残る。胎土は1b類であ

る。24は厚さ1.7cmの平瓦で、凸面は全面的にハケが施されている。23のハケ

より細かく、1cm間に17本ほど確認できる。またハケの単位は0.7cm ~ 1.4cm

である。凹面は未調整である。胎土は1b類で焼成は良く須恵質である。

(2)平谷1号窯

ナデ(25)

 本稿で平谷1号窯のナデを施した瓦は1点である。駒澤大学の報告では2点

出土している。25は厚さ2.6cmの厚手の平瓦である。凸面は全面的にナデ消さ

れている。凹面は未調整で布目を残しており、模骨痕の段が残るが模骨幅は不

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第7図 平谷窯跡群出土瓦(1)

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酒井清治・瀬尾晶太・永山はるか  埼玉県比企郡滑川町寺谷廃寺出土瓦について14

明である。側面のケズリは3回で、凸面と凹面に広く削っている。端部も側面

と同様である。胎土は2a類である。 

その他(26)

 26は厚さ2.3cmの厚手の平瓦である。凸面はタタキの後に横方向にナデを施

している。タタキは不明瞭で分類することはできないためその他として報告す

る。凹面は未調整で布目が残る。側面にケズリは4回施されているが角が残

る。胎土は2a類である。

(3)平谷2号窯

ナデ(28~ 31)

 平谷2号窯出土の瓦でナデが施されているものは5点あり、そのうち2点

(28・29)が丸瓦である。28は厚さ1.9cmと比較的厚手の丸瓦である。凸面は横

方向にナデが施されている。凹面は未調整で布目が残り、幅1cmの布の合わ

せ目が瓦の円弧に沿うように残る。側面は凹面を1回面取りしているがほぼ分

割した状態のままである。端部は調整がみられず非常に雑な作りである。胎土

は2a類である。29は厚さ1.8cmの丸瓦で、凸面は横方向にナデが施されてい

る。凹面は未調整で布目が残る。側面の調整は凹面に大きく1回削っているだ

けである。胎土は2a類で、焼成は良好で須恵質である。30は厚さ2.5cmの厚手

の平瓦である。凸面は横方向にナデが施され、所々不定方向に撫でる際に使用

された工具痕が残る。凹面は一部にナデがみられるが布目が多く残る。また幅

4.4cmの模骨痕が確認できる。側面のケズリは凸面に大きく1回、凹面には小

さく1回施されている。胎土は1b類で、焼成は良く須恵質である。31は厚さ

1.7cmの平瓦で、凸面は全面的にナデ消されている。凹面は不定方向にケズリ

が施されるが全面的に布目が残る。また凹面端部付近には布の終わりが確認で

きる。端部のケズリは凸面側に1回施されている。側面のケズリは凹面に小さ

く1回施されている程度で端部・側面の調整はほとんど行われていない。胎土

は1a類である。

格子3類(27)

 平谷2号窯において格子3類が確認されたのは本稿が初めてとなる。27は厚

さ1.5cmの平瓦で、凸面には格子叩きの後に横方向のナデが施されている。凹

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駒沢史学79号(2012) 15

第8図 平谷窯跡群出土瓦(2)

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酒井清治・瀬尾晶太・永山はるか  埼玉県比企郡滑川町寺谷廃寺出土瓦について16

面には一部ナデがみられるが全面的に布目が残る。端部は細いケズリを、側面

は3回削っている。胎土は1a類である。

ハケ(32)

 32は厚さ1.7cmの平瓦で、凸面は全面的にハケが施されている。ハケの単位

は幅0.3cm前後である。凹面は全面的に布目が残り、幅4.4cmの模骨痕も残

る。端部のケズリは3回施されている。胎土は2a類である。

その他(33)

 33は厚さ1.8cmの平瓦である。凸面は叩きの後にナデが施されている。叩き

は縦の線だけが明瞭に残り、そこに交差する線があるかどうかは不明である。

第9図 平谷窯跡群出土瓦(3)

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駒沢史学79号(2012) 17

全体的に縦の線は太く、格子13類に似ているが断定はできないため、その他の

格子として報告する。凹面は幅4.5cmの模骨痕がみられる。側面のケズリは3

回で、ケズリの幅は広い。胎土は1a類で、焼成は不良で表面の残りは悪い。

格子14類(34)

 格子14類は縦0.9 ~ 0.65cm、横0.8 ~ 0.6cmの斜格子で鋭角な角度を持ち、叩

きの後に調整がみられないものを指す。34は厚さ1.9cmの平瓦である。凸面は

格子14類が重なり合っている。叩き板の端が少なくとも3回重なっている。凹

面は未調整で全面に布目を残す。胎土は3類で多孔質である。

不明(35)

 35は厚さ1.7cmの比較的厚手の平瓦である。凸面は格子叩きの後に不定方向

にナデが施されている。斜格子がみられるが格子の単位が確認できないため格

子分類は不明と報告する。凹面は未調整で布目が全面に残る。また模骨痕の段

がみられるが欠損しているため測定はできない。胎土は1b類である。

格子(36)

 36は厚さ1.8㎝の平瓦である。凸面は格子叩きの後に横方向にナデが施され

ている。ここでみられる格子叩きは縦1cm、横0.8cm、格子の太さは0.4cm前

後の格子3類を太くしたような斜格子である。すでに報告されている分類では

みられないが不鮮明であるため、今後検討したい。凹面は一部ナデがみられる

が全面的に布目が残り、幅4.5㎝の模骨痕がみられる。側面のケズリは6回施

され比較的丁寧に作られている。側面付近には分割の目安にした突線がみられ

る。胎土は2a類で焼成は良く須恵質である。

4.まとめ

 2010年の発掘調査を含め、今まで確認できた寺谷廃寺と平谷窯跡のまとめを

しておく。

(1) 格子叩きは昼間氏らの研究で15種であったが、発掘調査で平谷1号窯か

ら格子16類(わずかに斜格子)、17類(斜格子)が確認され、合計17種類の格

子系叩きが存在することになる。

(2) 寺谷廃寺、平谷窯跡では格子叩きがほとんどであるが、寺谷廃寺B地点

Page 18: Y01 酒井 瀬尾 永山 - 駒澤大学repo.komazawa-u.ac.jp/.../rsg079-05-sakai_seo_nagayama.pdf1 はじめに 寺谷廃寺は東日本最古の飛鳥時代の寺院であることは知られているものの、

酒井清治・瀬尾晶太・永山はるか  埼玉県比企郡滑川町寺谷廃寺出土瓦について18第1表 寺谷廃寺・平谷窯跡群出土瓦観察表

(含有物:石英=石 長石=長 凝灰岩=凝 角閃石=角 白色砂粒=白 黒色砂粒=黒)

番 号遺跡名

種類重量

(g)最大厚

(cm)枠板幅

(cm)

調整

調整

焼成

含有物

色調

胎土タタキ分類

凸面

凹面

端部

側面

1寺谷廃寺B地点丸瓦100

1.2-

ナデ(タテ)

布目

-ケズリ(3)普通石・長・凝

にぶい黄褐

1aナデ

2寺谷廃寺B地点丸瓦

741.2

-ナデ(タテ)

布目

-ケズリ(3)良好石・長・凝

凸面:灰

凹面:暗灰

1aナデ

3寺谷廃寺B地点平瓦

721.7

-ナデ(ヨコ)

布目

-ケズリ(3)良好長・凝

灰1a

ナデ

4寺谷廃寺B地点平瓦

761.5

-ナデ(ヨコ)

布目→ケズリケズリ(1)

-良好石・長・凝・角

にぶい褐

1aナデ

5寺谷廃寺B地点平瓦

981.4

4.2ヘラナデ(ヨコ)布目→ケズリケズリ(4)ケズリ(4)良好長・凝・白

灰1b

ナデ

6寺谷廃寺B地点平瓦

341.2

-ナデ(ヨコ)

布目→ケズリケズリ(2)

-良好長・凝

灰1a

ナデ

7寺谷廃寺B地点平瓦210

2-

ナデ

布目→ケズリケズリ(3)ケズリ(4)普通石・角

にぶい黄橙

1aナデ

8寺谷廃寺B地点平瓦162

1.6-

タタキ→ナデ

布目→ナデ

-ケズリ(4)良好石・凝・白

灰1b

ナデ

9寺谷廃寺B地点平瓦181

1.7-

ナデ

布目

--

不良石・長・角

灰白

1aナデ

10寺谷廃寺B地点丸瓦115

1.6-

タタキ→ヘラナデ布目→ケズリ

-ケズリ(4)普通石・長・凝

にぶい黄橙

1a格子1類

11寺谷廃寺B地点平瓦147

1.74.2

タタキ→ヘラナデ

布目

--

良好石・長・凝

灰1b

格子1類

12寺谷廃寺B地点平瓦138

1.8-

タタキ→ナデ

布目

ケズリ(3)ケズリ(2)普通石・長・凝

にぶい黄

1a格子1類

13寺谷廃寺B地点平瓦

321.1

2.2タタキ→ナデ

布目→ケズリケズリ(2)

-良好石・長・凝

灰1a

格子1類

14寺谷廃寺B地点平瓦307

1.9-

タタキ→ナデ

布目→ケズリ

-ケズリ(4)良好石・長・凝

灰1b

格子1類

15寺谷廃寺B地点平瓦106

1.6-

タタキ→ナデ

布目

-ケズリ(6)良好石・長・凝

灰1a

格子1類

16寺谷廃寺B地点平瓦

991.1

2.3タタキ→ナデ

布目

ケズリ(3)

-普通長・凝

暗灰黄

1a格子1類

17寺谷廃寺B地点平瓦

891.4

-タタキ→ナデ

布目→ケズリケズリ(3)

-良好長・凝

灰1b

格子1類

18寺谷廃寺B地点平瓦

801.4

-タタキ→ナデ

布目→ナデケズリ(3)

-良好長・凝

灰1b

格子1類

19寺谷廃寺B地点平瓦129

2-

タタキ→ナデ

布目→ケズリ

-ケズリ(3)良好石・長・凝

にぶい褐

1a格子2類

20寺谷廃寺B地点平瓦197

1.6-

タタキ→ナデ

布目→ケズリケズリ(3)

-良好石・長・凝

灰1a

格子2類

21寺谷廃寺B地点平瓦225

1.94.7

タタキ→ナデ

布目

--

良好石・長・凝

灰1b

格子2類

22寺谷廃寺B地点平瓦187

1.9-

タタキ→ナデ

ナデ

ケズリ(2)

-良好石・長・凝・黒

にぶい黄褐

1a格子3類

23寺谷廃寺B地点平瓦168

1.7-

タタキ→ハケ

布目

ケズリ(3)ケズリ(7)良好石・長・凝

凸面:灰オ

リーブ

凹面:灰

1bハケ

24寺谷廃寺B地点平瓦

801.7

-ハケ

布目

--

良好長・凝

灰オリーブ

1bハケ

25平谷窯跡1号窯平瓦235

2.6-

ナデ

布目

ケズリ(3)ケズリ(3)良好石・長・凝

灰2a

ナデ

26平谷窯跡1号窯平瓦158

2.3-

タタキ→ナデ

布目

-ケズリ(4)普通石・長・黒

にぶい黄橙

2aその他

27平谷窯跡2号窯平瓦

471.5

-タタキ→ナデ

布目→ナデ

-ケズリ(3)普通長・凝

灰黄

1a格子3類

28平谷窯跡2号窯丸瓦200

1.9-

ナデ

布目

なし

ケズリ(2)不良石・凝

灰白

2aナデ

29平谷窯跡2号窯丸瓦

841.8

-ナデ

布目

-ケズリ(2)良好石・長・凝

灰2a

ナデ

30平谷窯跡2号窯平瓦381

2.54.4

ナデ

布目→ケズリ

-ケズリ(3)普通長・凝

灰1b

ナデ

Page 19: Y01 酒井 瀬尾 永山 - 駒澤大学repo.komazawa-u.ac.jp/.../rsg079-05-sakai_seo_nagayama.pdf1 はじめに 寺谷廃寺は東日本最古の飛鳥時代の寺院であることは知られているものの、

駒沢史学79号(2012) 19

からごくわずか縄叩きが出土する。胎土は砂粒がほとん

どなく、粘性もなく、焼成も甘く、赤褐色で、B地点出

土の胎土a・b類やA地点出土の胎土3類と明らかに異な

る。凝灰岩を含むことから平谷窯跡か付近の窯で製作し

た可能性が高く、時期も凸面をタタキのあとケズリ、凹

面は模骨痕が残り未調整であることから、瓦2段階に寺

谷廃寺B地点の補修瓦として使用されたのであろう。

(3) 寺谷廃寺B地点は、瓦散布地と図示されている範

囲の南半部に瓦が集中し、台地南端の墓地を中心とした

高台に建物があった可能性がある。

(4) B地区台地南端に創建の建物があった場合、平坦

面は狭いため、建てられても小規模の堂であろう。

(5) 寺谷廃寺A地点にある興長禅寺付近から素弁の軒

丸瓦1類と3類、棒状子葉単弁軒丸瓦4類、および重弧

文軒平瓦が出土し、B地点から素弁軒丸瓦2類が出土す

る。素弁軒丸瓦2類はB地点出土の平・丸瓦胎土1a・1b

類と同じで、B地点で重弧文軒平瓦が出土していないこ

とから(重弧文軒平瓦には胎土1a・1b類はない)、創建

期にB地点に建てられた建物には瓦1段階の軒丸瓦2類

のみで、軒平瓦は葺かれていなかったと考えられる。そ

の後すぐ瓦2段階に、A地点の興長禅寺付近で、素弁軒

丸瓦1類、あるいは軒丸瓦3類とともに平谷1号窯の重

弧文軒平瓦が葺かれたのであろう。瓦2段階の縄叩きを

持つ平瓦が寺谷廃寺B地点から出土していることから、

寺谷廃寺B地点の建物に補修瓦として重弧文軒平瓦が葺

かれた可能性は残る。3段階にはA地点の建物に棒状子

葉単弁軒丸瓦がA地点出土の重弧文軒平瓦とともに葺か

れたのであろう。

(6) 創建期、瓦1段階の軒丸瓦の瓦当部は丁寧で、笵31平谷窯跡2号窯平瓦380

1.7-

ナデ

布目→ケズリケズリ(2)

-普通石・凝・角

凸面:褐

凹面:黄褐

1aナデ

32平谷窯跡2号窯平瓦403

1.74.4

ハケ

布目

ケズリ(3)

-普通石・凝・白

灰黄褐

2aハケ

33平谷窯跡2号窯平瓦280

1.84.5

タタキ→ナデ

布目

-ケズリ(3)不良長・凝・黒

灰1a

その他

34平谷窯跡2号窯平瓦

491.9

-タタキ

布目

--

良好石・長・凝

凸面:灰

凹面:灰オ

リーブ

3格子14類

35平谷窯跡2号窯平瓦167

1.7-

タタキ→ナデ

布目

--

不良石・長・凝・黒・白明赤褐

1b不明

36平谷窯跡2号窯平瓦408

1.84.5

タタキ→ナデ

布目

-ケズリ(6)良好石・長・凝

灰白

2a格子

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酒井清治・瀬尾晶太・永山はるか  埼玉県比企郡滑川町寺谷廃寺出土瓦について20

の彫り方も精緻な作りであり、熟練した工人が行ったようである。

(7) 瓦1段階の平瓦は、両面を撫で消し、側面・端面も何度も削るなど、丁

寧な作りであるにもかかわらず、厚みが一定せず、還元炎で焼成されたため

か、砂粒を含まないためか、ほとんどの平瓦で歪みが著しく、実際屋根に重ね

て葺く場合、困難であったと考えられる。

(8) 瓦1段階の平瓦の焼成による歪みは、平谷窯跡の操業開始が須恵器窯

で、古墳に供給する坏H、長脚2段三方透し高坏などを焼成していたが、窯を

瓦窯改築したのちも須恵器を焼成した工人が関わったために、瓦1段階の平瓦

は高温焼成による歪みが生じたのであろう。

(9) 寺谷廃寺は1段階から3段階まで格子系叩きであるが、それに続く棒状

子葉10弁軒丸瓦を焼成した東松山市大谷瓦窯跡、12弁を焼成した鳩山町石田瓦

窯跡までが格子叩きである。その後は8弁となり、平行叩きになっていく。

(10)寺谷廃寺B地区の丸瓦と平瓦の破片数出土割合は、発掘調査では1:

16.4、表採資料では1:17.8と圧倒的に平瓦が多い。今泉潔は平瓦の割合が高い

場合、甍棟・熨斗棟建物を想定しているが、千葉県においては7世紀第4四半

期に採用された可能性を説いている。寺谷廃寺の場合、熨斗瓦がB地区におい

て確認出来ないことから、どのような葺き方をしたのか今後の課題である。

おわりに

 今回は、報告書の段階で掲載出来なかった資料を紹介した。現段階では資料

の蓄積は少ないものの、少しずつであるが概要が明らかになった部分がある。

現段階で何が分かるのか検討材料としたい。

 また、滑川町教育委員会で2011年度に寺谷廃寺B地点南半部を中心に測量調

査を行い、10㎝の等高線図を作成し、寺谷廃寺の解明に向けて調査を進められ

ている。今後の進展に期待したい。

 3は瀬尾晶太が、他は酒井が分担した。

末筆となったが、今回の報告に使用した資料の作成に協力していただいた駒澤

大学の市川岳朗、岡村寛、木下謙介に感謝申し上げたい。

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駒沢史学79号(2012) 21

本稿は平成24年度科学研究費基盤研究(C)(課題番号:2352097)「東日本に

おける初期寺院導入期の考古学的研究」の成果の一部である。

引用・参考文献青木忠雄 1996「北武蔵における初期寺院覚書」『埼玉史談』埼玉県郷土文化会

赤熊浩一・昼間孝志・宮昌之・藤原高志・木戸春夫・高崎光司 1991『北武蔵における古

瓦の基礎的研究Ⅰ~Ⅳ』埼玉県埋蔵文化財調査事業団

今泉 潔 1995「瓦と建物、そのイメージと原風景に関する覚書―千葉県内の寺院遺跡の

調査例を中心として―」『千葉県史研究』第3号 千葉県

酒井清治ほか 2011『寺谷廃寺・平谷窯跡Ⅰ―飛鳥時代の寺院跡と窯跡の発掘調査報告

―』駒澤大学考古学研究室・滑川町教育委員会

高橋史朗 1991「埼玉県寺谷廃寺採集古瓦の一考察」『考古学論究』創刊号

高橋史朗 1996「武蔵国寺谷廃寺についての一考察」『考古学の諸相』坂誥秀一先生還暦

記念会

高柳 茂 1979「比企郡滑川村出土の須恵器と布目瓦」『埼玉考古』18 埼玉考古学会

坂野和信 1997「日本仏教導入期の特質と東国社会-その歴史的背景と変革について-」

『埼玉考古』33 埼玉考古学会

昼間孝志・木戸春夫・赤熊浩一 1999「武蔵寺谷廃寺の研究」『研究紀要』第15号 埼玉県

埋蔵文化財調査事業団

渡辺 一 1995『竹之城・石田・皿沼下遺跡』鳩山町教育委員会